西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2009年 02月 ( 50 )   > この月の画像一覧


2009年 02月 02日

熱砂に抱かれて(1991) ☆☆

f0009381_16421941.jpg監督:アレクサンドル・アルカディ
脚本:アレクサンドル・アルカディ
    ダニエル・サン=アモン
撮影:ロベール・アラズラキ
音楽:フィリップ・サルド

出演:ソフィー・マルソー
    リシャール・ベリ

        *        *        *

舞台は第三次中東戦争が始まる1週間前からその終結までの2週間くらいの映画。ソフィー・マルソーは高校時代の哲学の教師サーシャと恋愛関係になり、イスラエルのキブツと呼ばれる集団開拓農場で新しい生活をはじめていた。そして二十歳の誕生日を迎えようとするとき、高校時代の男友達3人が彼女を訪れる。
しかし、中東情勢に疎い私としては、なかなか貴重なフィルムだった。ただ、戦争の映画としてはかなりゆるゆるだけど、戦争映画じゃないからそこは良しとしなければならんだろう。もっともそんなところをリアルに描かれても困るが。ちなみに、パッケージのソフィー・マルソーは銃などもってものものしい雰囲気だけど、劇中ではそんなシーンはなかった。

<あらすじ>
哲学の高校教師サーシャ(リシャール・ベリ)と付き合っていたローラ(ソフィー・マルソー)彼との新生活をはじめたいがために、イスラエルのキブツ=集団開拓農場で働くことを望んだ。彼女の理想でありたいと思ったサーシャは彼女の言うとおりイスラエルに移住したが、アラブ諸国と緊張がたかまっていた。そして2年がすぎ、高校時代の友達、役者志望のシモン、音楽家志望のポール、金持ちの息子ミシェルが彼女のもとをおとずれてる。3人にとってもローラは憧れの人だったのだ。
しかし、当時の仲間にはもうひとりミリアムという自殺した女がいた。彼女もサーシャを愛していたのだが、サーシャはローラを選びイスラエルに行くと知り、自殺したのだった。そんな彼女を愛していたシモンは、ローラに冷たくあたった。
そして始まる第三次中東戦争。サーシャは戦場に行き、そして帰らぬ人となった。遺品がローラのとこに届けられると、彼の財布のなかにはミリアムとふたりで映っている写真が入っていた。若さらにサーシャの葬式を始めたローラは、ミリアムの兄から一通の手紙を受け取る。その手紙には「私はあなたを愛しているから去ります」と書いてあった。

この話、戦争なんか絡めずに、男ともだちも一人だけでよくって、もうちょっとミリアムなのかローラなのか、なぜサーシャが選んだのはローラだったのか・・そのあたりももっと突っ込んでほしかったなあ。ドラマは、一番大事なものの為に2番目を捨てさせればドラマチックになるものだけど、実際の恋愛は、一番大事なものを失いたくないから、そこには手をつけず、失ってもいい2番目のものを選択することはよくある。
この心理をぐりぐり描いてほしかった。。


<第三次中東戦争>
ゴラン高原におけるユダヤ人入植地の建設を巡ってアラブ側とイスラエルとの間で緊張が高まりつつあった1967年6月5日、イスラエルはエジプト、シリア、イラク、ヨルダンの空軍基地に先制攻撃を行なった。アラブ側は410機の軍用航空機を破壊された。制空権を失ったアラブ諸国は地上戦でも敗北し、イスラエルはヨルダンのヨルダン川西岸地区・エジプト(当時アラブ連合)のガザ地区とシナイ半島・シリアのゴラン高原を迅速に占領した。戦争前と比較し領土を約4倍以上に拡大したことになる。スエズ運河東岸はイスラエルが占領したため最前線となり、運河は通行不能となった。なお、6日で勝敗が決したため「六日戦争」とも呼ばれる。

by ssm2438 | 2009-02-02 10:49
2009年 02月 02日

NY<ニューヨーク>検事局(1997) ☆☆☆

f0009381_7402160.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:シドニー・ルメット
撮影:デヴィッド・ワトキン
音楽:マーク・アイシャム

出演:アンディ・ガルシア
    リチャード・ドレイファス
    レナ・オリン
    イアン・ホルム

        *        *        *

シドニー・ルメット復活を願って見に行った作品。内容的には・・・まあまあかな。決して悪くはないのだけど、往年のルメットと比較するとどうしてもなにかもうひとつものたりない。『評決』 (1982)のあとのルメットがいまいちなことに変わりはない。『Q&A』なんでルメットが撮ったら面白いものが出来そうだったのに、なんか印象うすいし・・・、でも、そのなかではこの『NY検事局』はいいほうかも。見終わったあのに、ああ、すこしはよかったかもって思えた。

<あらすじ>
警察官である父リーアム(イアン・ホルム)に憧れ警察官になったショーン・ケイシー(アンディ・ガルシア)は、麻薬王ジョーダン・ワシントンを告発する裁判を担当することになる。相手サム・ビゴダ弁護士(リチャード・ドレイファス)。しかし彼の狙いは本件の弁護をすると同時に麻薬にからむ警察の汚職を暴くことだった。この汚職捜査が進展するうちに、父リーアムの相棒ジョーイの名前がでてくる。ジョーイは黒だった。父から、取引を持ちかけるが、正義を貫く彼はこれを断る。そしてさらなる事実がはっかくする。ジョーダンの逮捕状は逮捕の日の前に失効しており、父が自分が書いたと言われその原本を見る。額面道理の正義を貫くべきかを悩むショーンは・・・・。

物語は、段取り重視か、本質重視かってことにたどりつく。採取的には本質重視の選択を選ぶアンディ・ガルシアだが、あんまり後味がいいわけではない。
ただ、結局「法」とはこういうものなのだろうなって思った。不完全が人間がつくっているものなので、不完全なものしか出来るわけはない。そのなかで運用する人間が真実を見極めて行動することのほうが大事だということだと思う。これは『評決』でも同じ展開に持っていってる。裁判でそろえられた証拠は全部被告有利。本質だと思われる証拠は黙殺されていく。そのとき陪審員はどう判断するのか?って問題。あのときポール・ニューマンは、「今日はあなた方が法だ」って説き、陪審員が魂に順ずることを解いた。
この映画も基本的にはそういうことなのだけど、こっちは・・・ちょっと「これでいいのかな、わるいのかな」って疑問は残った形になった。

by ssm2438 | 2009-02-02 07:04 | シドニー・ルメット(1924)
2009年 02月 02日

ヌードの瞳(1994) ☆

f0009381_6343275.jpg監督:デヴィッド・ハートウェル
脚本:デヴィッド・ハートウェル
撮影:チャーリー・リーバーマン
音楽:フレドリック・マイロー

出演:エリック・ロバーツ
    ケリー・プレストン
    ジョー・シローラ
    エリザ・ロバーツ

        *        *        *

なんですかこれは??? わけわからん。
鑑識カメラマンというちょっと楽しそうな主人公のお仕事に興味をもって見た映画ですが・・・内容は全然理解不能。理解する気もおきないというか・・、とりあえずストーリーだけ整理しておこう。

冒頭主人公のエリック・ロバーツが自殺をこころみ、引き金をひいたところで時間がとまる。
どうやらこのあと、なぜこのシーンにいたったのかという回想シーンになるらしい。
そこは飛ばして、自殺を試みたが、それは空砲で頭から血を出しただけで救急車ではこばれるエリック・ロバーツ。そこで劇中ケリー・プレストンが殺されるのだが、その犯人がエリザ・ロバーツだということが分る。

はて、なぜ時計の時間がとまるのだ??
劇中では、自殺をエリックロバーツが自殺をこころみたところから、やっぱり思いとどまり、それが夢だったってとこで回想シーンが始まるが、そのなかでは腕時計の針が止まっていて、時計屋に修理してもらおうと持っていくがとまったまま。
このエピソードさえ泣ければなんとかつじつまがありそうなものだけど・・、いや、そでもあわないか・・・。
鑑識カメラマんとして初出勤した日、ロッカーをあけてみると封筒がでてきてその中にはケーリープレストンの写真が出てくる。

そもそもあれは誰がもってきたんだ??
はあ・・・もういいや。
これって真剣に考えるだけあほになりそう。
多分作った人自身がこんがらがってると思う。あるいは編集の人が理解できずにこうしちゃったのか? でもこれはひどすぎるな・・。

・・・というわけで、この話、シナリオが破綻してます。
よくこれで映画になったなあ(苦笑)。

ちなみに劇中ケーリー・プレストンのエッチシーンがありますが、見えてる乳房は全部代役たててるみたいですね。顔と乳房が一緒にでることはなかった。。。残念。

by ssm2438 | 2009-02-02 06:06
2009年 02月 02日

ユナイテッド93(2006) ☆☆

f0009381_6184718.jpg監督:ポール・グリーングラス
脚本:ポール・グリーングラス
撮影:バリー・アクロイド
音楽:ジョン・パウエル

出演:ハリド・アブダラ
    ポリー・アダムス
    オパル・アラディン
    ルイス・アルサマリ
    デヴィッド・アラン・ブッシェ
    リチャード・ベキンス
    スターラ・ベンフォード
    オマー・バーデゥニ
    スーザン・ブロンマート
    レイ・チャールソン

        *        *        *

とにかく撮り方が好かん。
実話を基にした映画なのだが、外乗り方があざといハンディカメラをつかった手ぶれ画面で、見てるといらいらしてくる。フィクションだと分っているものを、わざとハンディかめらでなおかつ見づらい撮り方をさせると、撮ってる人の意図的すぎる精神が分ってしまい、みてるうちにだんだん嫌気がさしてくる。
何も考えない人なら「おお、リアルだ」て思うかもしれないが、さすがに我々映画作りをある程度しっているものであるなら、ある種の嫌悪感を感じる。
映画というのは所詮はフィクションであって、ドラマをみせたいものなのだ。しかし、これでは、ドキュメントフィルム風にみえる撮り方を見せてるだけだ! ドラマよる撮り方をみせるということを優先するスピリットが、映画作り手としてどんなん????って思ってしまう。 ああ、見てくれ体裁優先主義の映画づくりというのは実にすかん。

この監督ポール・グリーングラスの映画はみんなそう。『ブラディ・サンデー』見たとき、うわ、嫌だこいつ・・って思った。おかげでボーンシリーズもあんまり見てないが、たまにケーブルでやってるのをみると、わざと見えなく撮るうさんくささがすっごく鼻につく。

ただ、管制センターは本物のロケして、セットを組んだのだと思うけど、他の管制モノよりもみてくれは実にらしくていい感じ。資料映像としてはかなりよい。

by ssm2438 | 2009-02-02 05:56
2009年 02月 02日

キャバレー日記(1982) ☆☆☆

f0009381_404762.jpg監督:根岸吉太郎
脚本:荒井晴彦
撮影:前田米造
音楽:伊藤晴康

出演:竹井みどり
    伊藤克信

        *        *        *

根岸吉太郎といえば『キャバレー日記』といわれるくらい(?)、日活ロマンポルノのなかでも傑作にはいるだろう。たしかに竹井みどりではちょっと華がなかったが、これは管理キャバレーの怒涛の売り上げ競争がすごい。結果はナンバーワンにはなれなかったのだが、見終わったときにそこにいるスタッフが「みんなでやりぬいたぞ!」っていう一体感を感じさせる感動作。ただし、これは群集劇が本線であって、その中にエッチなシーンもたまにいれるというような映画。ポルノ映画という枠組みから言うと見るべき裸はほとんどない。

        *        *        *

新入社員の和田(伊藤克信)が勤めることになったのは、新宿、歌舞伎町にあるキャバレー“ミスニッポン"。全国にあるチェーン店の中で売り上げナンバーワンを目指す同店では、きびしい人員管理システムがひかれていた。社員とホステスの交際は禁止。同じ電車に乗り合わせてもいけない。閉店後、酔ったホステスを解放していだだけで和田は店長からなぐられる。そんなミス日本は、夏のボーナスシーズンを迎え、チェーン店ないの激しいトップ争いを展開していた。
そんななか、ナンバーツーの淳子と福永がそろって出社しなくなった。二人は店の規則を破り、以前から愛し合っており、淳子は福永の子をみごもっていた。実はナンバーワンホステスの宏美(竹井みどり)も福永と一度、関係を結んたことがあり、思いを寄せていた。この仕事に本気でぶつかろうとしていた和田にとっても福永は尊敬できる先輩だった。
ラストスパートに入った売り上げ競争。店ではスペシャルタイムを設定、その時間になるとホステスが客のおちんちんをしごくなる、フェラするなり、上に載ってピストン運動するなり、とになく客を行かせる時間をもうけた。
そんなとき、もう一度、働かせて欲しいと淳子がやってきた。貯金がなくなっていた福永は宏美からも金をせびっていた。店長は宏美に福永をおびき出させると、店に連れ込み、和田をはじめとする社員に殴りかからせた。スパイの役を演じた宏美は後味の悪さを感じていた。売り上げ競争は終り、同店はおしくも2位になってしまった。みなさんはがんばってくれたが、私の力がなかったばかりにトップになれなかったと、ホステス、社員のまえで土下座する店長。この潔さがかっこよすぎる!!
その夜、閉店後の店の中で、宏美は和田を誘い、二人は初めて体を重ねた。翌日宏美は店をでていった。

この映画の魅力はひとえに店長の潔さだと思う。
なかなかいいものを見せてもらった。

by ssm2438 | 2009-02-02 03:24
2009年 02月 02日

スウィート・ノベンバー(2001) ☆

f0009381_1372446.jpg監督:パット・オコナー
脚本:カート・ヴォルカー
撮影:エドワード・ラックマン
音楽:クリストファー・ヤング

出演:キアヌ・リーヴス
    シャーリーズ・セロン
    グレッグ・ジャーマン

        *        *        *

うむむむむ・・、ダメかも。共感できるところがない。。。
シャーリズ・セロンみたさにみたのだが、それでも見るべき価値はほとんどない。

物語は 1968年製作の『今宵かぎりの恋』。この映画みたことがないのだが、この内容だと誰がやってもダメだったと思う。なんでわざわざこれをリメイクしなければならなかったのだろう? この企画を考えて人間にきいてみたい。
物語の構成を考えてみると、一見必然性のない出来事をかせねていきつつ、その必然性を徐々になっとくさせていくという構成になっている。もっと上手くやれれば面白かったのかもしれないが、これだとどうにも、どこにも燃える要素がみあたらない。

サラ(シャーリーズ・セロン)という女性から、1ヵ月だけの恋人になることを唐突に提案される仕事人間のネルソン(キアヌ・リーヴス)。彼女の申し出は一緒に住むこと、仕事を一切しないこと。彼女とつきあっているうちに次第にまろやかな人間へと変わっていくが、それと同時に彼女の事情もわかってくる。彼女は末期ガンであった・・という話。

by ssm2438 | 2009-02-02 01:13
2009年 02月 01日

日本沈没(1973) ☆☆☆

f0009381_1701436.jpg監督:森谷司郎
原作:小松左京
脚本:橋本忍
撮影:村井博
    木村大作
音楽:佐藤勝
特技監督:中野昭慶

出演:藤岡弘
    小林桂樹
    丹波哲郎
    二谷英明
    中丸忠雄
    いしだあゆみ

     ×     ×     ×

先頃TVシリーズの『日本沈没』をボックス買いし、TVシリーズのこの作品をみてみた。作りはチープでも、やはりこの作品は一度キチンと語っておかなければいけない作品だなあと思い取り上げることにした。
しかし、語ろうにも原作を知らないとどうにもその本質がわからないようで、しかたなくまず原作を読むことにした。

まず思ったのが、この劇場版の『日本沈没』(1973)はかなり正確に原作のスピリットとストーリーをカバーしているということがわかった。どちらかひとつ見るのだったらやはり昭和『日本沈没』のほうが正解だろう。
平成『日本沈没』は、イベントだけをその題材にしているが、物語は全然性質が違うものだし、その中で描かれているのはCGフルに使ったその他大勢のトレンディ・ドラマの一つであり、これはこれでほんとにこういうもんだと思って観るなら、全然受け入れられるものだとも思うのだけど、さすがに前の『日本沈没』を知っているものにしてみると、本質的な部分がまるで排除されてるので、どうも『日本沈没』というタイトルには値しないような気がする。


以下、小松左京の原作のストーリーを追いながら思うことを書いていこう。

ドラマは、日本の遥か南の海上の小さな島が一晩にして沈没した事件をうけて、その原因を探るという形で始まっていく。小松左京の深海に潜るわだつみのゴンドラのなかの描写はとってもすてきだ。バチスカーフタイプの深海潜水艇はガソリンをフロートに使うそうな。おお~~そうだったのかと関心してしまう。誰が考えつたのかしらないが、人間というのはすごい頭をもっているものだと関心してしまう。
潜水するためのバラスト、船底からのびたガイドチェーン。
沈んでいくわだつみの下にはガイドチェーン(200メートルくらい?)が伸びていて、水中にある時はそれもバラストの役目をしているが、海底にチェーンがつくと徐々に空間にあるチェーンの長さは短くなるのでトータル質量が減るしくみになっており、降下速度が減っていくとか‥‥なんだかこういう人間が考えたこそくな仕組みというのはとってもわくわくする。
浮上するときはバラストを切り離す。これは平成『日本沈没』できちんと描かれていて、ここだけはとっても好感がもてた。しかし、浮上のさいに切り離すバラストはなんでもあとでもう一度船上のクレーンで引き上げるのだとか‥‥、なんだかそのせこさがとってもすてきだった。

やがて東京にもどった小野寺は吉村部長につれられて銀座の飲み屋にむかう。そこで阿部玲子とお見合いしてみなかという話をきかされる。
映画でも、TVでも小野寺とひっつくのは阿部玲子なのだが、原作では実はここで出てくるホステスのマコ(摩耶子)と最終的にひっつくことになっている。男子たるもの、つねに進化するために憧れる女性と、安らぐための劣等感を感じない女性を必要とするものだが、小松左京はこの二つのタイプの女性を小野寺に用意している。
そうはいっても、平成『日本沈没』みたいなベタなトレンディな恋愛ではなく、もっとからっとした、恋愛かどうかもわからない男と女の関係としてえがかれているのだけれど。

阿部玲子に関していえば、いしだあゆみが正解だろう。由美かおるでも十分納得はできる。
小野寺は、原作の雰囲気ではTVの村野武則のほうが近そう。あの時代の大人からみたある意味軽い‥‥、そしてじとっとした怨念をもたないような、それでいて誠実さのある肯定的にとらえた未来の日本人を小松左京は小野寺というキャラクターで描こうとしていたようだ。藤岡弘ではちょっと濃すぎる。が、原作を離れてみた場合は、彼で正解だと思える。
トータルで昭和『日本沈没』の配役はとっても妥当な配役をしている。D計画の田中(黒沢年男)、幸長助教授(細川俊之)はTVシリーズの二人も十分素敵だ。とくに幸長にかんしてはTVの彼の方が私的にはお気に入りである。
残念だが、平成『日本沈没』の配役は最悪だ。ドラマの本質を離れて、人気商売ネタとして設定されたとしか思えない。


やがておこる京都地震。これは原作でもちょろっと書かれただけのエピソードだが、山根優一郎のモディファイドしたTVシリーズの11話~13話はすごく出来がいい。ほとんど日本人の心のふるさとの崩壊を見事に描いてくれた。
政府や渡老人が国宝級の仏像や絵画など膨大な財産をなげうって(私利私欲のためではなく、純粋にその文化財を残すために)買い取り国外に持ち出したり、それらをオークションで海外にうりさばいたりする作業が実にせつない。
原作の最後に、田所博士がこんなことを云っている。

  「日本人は‥‥、人間それだけで日本人というわけではない。
   この4つの島、この自然、この山や河、富士山や日本アルプス、利根川や足摺岬、
   先人たちが残した遺跡、それらが一体となって「日本人」なのだ。
   もしそれらが失われた、もはや日本人というものはなくなるのだ‥‥」

この想いを具現化するように、日本人から、日本人の心のふるさと=京都を奪っていくこの一連のエピソードの情緒性はTVのなかでも際立って切ないものに仕上がっている。


やがて小野寺と阿部玲子が海外に旅立とうとするその日に富士山大爆発、真鶴道路で阿部玲子は死ぬのである‥‥原作では。小野寺にとって阿部玲子は、死んだかどうかもわからないまま、突然消えた永遠の夢人に昇華されるのである。その残酷なまでに完全になくなってしまわない0.001%の希望が、小野寺を絶望的な救助活動へと駆り立てていくことになる。そしてその救助活動のなかで摩耶子と再開する。

原作では阿部玲子はメインの登場人物ではないのだ。そしてたぶん、富士の大爆発で死んでいるのだろう。その後の小野寺とひっつくことになる女性はこの摩耶子という人物で、物語の前半でキャバレーの女としてちょっと登場するだけなのだ。この次点ではどうしようもない根性なしのあまったれた小娘。しかし最終章で小松左京は、彼女の中に恐ろしいまでの生命力を描き出していく。日本民族が大地はなくとも、個人としてしぶとく、雑草のように生きていけるであろう可能性を彼女に投影して描くのである。
(ここは原作を読んでください)

そして、孫娘が渡老人のところを去るシーン。
床に眠る老人が「みせてくれんか?」と頼む。
娘は白いのどを動かすようにのどを息を引いた。ひと呼吸おくと娘はつんと立ち上がり、帯がなり、着物が型をすべり、かすかな機ずれの音がすした。「日本の‥‥女子じゃなあ‥‥。丈夫なや赤子(やや)を生め‥‥」
服をもってきた男が彼女の裸身をみてためらっているのに気付くと老人は目で合図した「連れて行け」。

ここは映像で欲しかったなあ。
残念。。。

そして決め台詞、映画では田所博士の言葉として、原作では渡老人の言葉としてこう語られる。

日本人はまだ若い国民じゃ。外に出て行って痛いめにあっても、
  またこの4つの島に逃げ込んで、母親の懐に鼻を突っ込んでりゃあ良かった。
  じゃがもう帰るべき日本という国はない。
これは日本民族がいやおうなしに大人にならなければいけないチャンスかもしれん。
帰る家を失った日本民族が、世界中で海千山千の他の民族と立ち会っていかねばならん。
  外の世界に呑込まれて、実質的にはなくなってしまうかもしれん。
  あるいは真の意味での大人の民族に育っていけるか‥‥。
  日本民族の言葉や風俗や習慣はどっかに残っており、どこかに小さな国くらいつくるかもしれん。
  そして辛辣に打ちのめされ、過去の栄光にしがみつき、郷愁に溺れ、
  我が身の不幸を嘆いたり、世界の冷たさにたいして愚痴を残すつまらん民族になりさがるか
  ‥‥これからが賭けじゃな。

昭和の『日本沈没』では全部は描けないにしても、小松左京のもつ原作のメッセージが確実につめこまれている。自分をしっかり考えてみる人は、見て損はない映画だ。

これは小松左京が一人一人に
「あなたならそんな状況で生きていけるのか?
 もしそれだけ強くないなら、これからどうするか?」と問うている物語なのだ。
見ている人一人一人が、己の弱さとその対応策を己自身に問うための、そのきっかけにするべきドラマなのだ。

     ×     ×     ×

テレビ『日本沈没』のテーマソング

「明日の愛」
作詩:山口洋子 作曲:筒美京平

さようならと泣かないで 今は微笑みを
いつかまた めぐり逢える 光と風のように
人はみな遠ざかり 夢は褪せようと
花は咲く 春がくれば 地の果て 続くかぎり

あおい海の彼方の 静かな岩かげ
ひとつぶの 真珠になり 想い出遠くねむる
眼を閉じればいつでも 側にいるあなた
あの星と 同じように またたく愛のひかり

あの星と 同じように 消えない愛のひかり

by ssm2438 | 2009-02-01 12:56 | 木村大作(1939)
2009年 02月 01日

生きてこそ(1993) ☆☆

f0009381_5173716.jpg監督:フランク・マーシャル
脚本:ジョン・パトリック・シャンリー
撮影:ピーター・ジェームズ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:イーサン・ホーク
    ヴィンセント・スパーノ

        *        *        *

「このトゥースペースト(練り歯磨き)、うめええええええええ!!!!!」に実感。
きっと美味かったんだろうなあ。小学生のころ、イチゴ味だとか、みかん味だとかの歯磨き粉をつかっていたような覚えがあるのだけど、もし、あれがそんな歯磨き粉だったらほんとに美味しかっただろう。

あそこで山をおりる決断をしたナンドはえらい。つねにこういう状況では誰かが、事態を切り開く決断をするもんだと、人間の仕組みに感動してしまう。

1972年、ウルグアイの学生ラグビー・チームが、チリに向かう途中、アンデスで遭難した。機体は岩山に衝突し真っ二つになって墜落。通信不能で、生存者は捜索隊をじっと待つしかない状況だった。翌朝、27名の生存者は犠牲者を雪に埋めて祈りを捧げた。数日後、手作りのラジオで彼らは捜索が打ち切られたことを知った。事故から 10日目の朝、彼らは生きるために仲間の死体の肉を食べることを選択した。

この決断がなされたことがすごい。その昔、この映画をみたあと、友達にこんな質問をしてみた。
「みんなは何処の肉からたべたでしょうか?」
不思議なことにみんながお尻って言った。・・それが正解。

彼らは、「自分が死んだら俺の肉をくっていい」って誓約を交わして死んだ人の肉を食うことにする。もちろん何人かはそれが出来ない人もいたが、彼らは死んだ。極限状態の人間ってのはいろいろすごいことを実行していくが、それにともなって、自分たちをなっとくさせる行事もかならずしていくものだなあと人間の心のシステムに感心した。
彼らはナイフでお尻の肉をきり、食べるだけでなく、それを保存用に取って置くことにする。それが最後の下山を試みるときに役立ってくる。雪の中だから出来たことだったのだろう。

生き残った16名にも衰弱の色が目立ちはじめる。あたりの詮索隊を出してみつつ下山の方向性を模索しているときに、分解して落ちた着たい後部を発見、その荷物の中に歯磨き粉を発見する一人が叫んだ言葉がそれ、「このトゥースペースト(練り歯磨き)、うめええええええええ!!!!!」

61日目、ついに覚悟をきめたナンド(イーサン・ホーク)は自力で山を越えて降りることを提案、もし下山ルートが見つからなかったら戻れないぞと怯むほかの面子だが、行くしかないと判断したナンドは他2名は出発する。途中で一人は引き返すが、ナンドはついに山の麓にたどり着き、皆は救助隊に助けられて無事生還することができたのだった。

これも<覚悟>の話だった。こういう映画もたまには見ておかないといかんなって思った。

by ssm2438 | 2009-02-01 04:40
2009年 02月 01日

略奪愛(1991) ☆☆

f0009381_415366.jpg監督:梶間俊一
脚本:松田寛夫
撮影:木村大作
音楽:佐久間正英

出演:黒木瞳、古尾谷雅人、萬田久子

        *        *        *

木村大作もので都会を撮ったものはないかとさがしてたいらこれを見つけて、高いDVDを買った作品。黒木瞳のわかいころの体も拝見できました。でも、この人は歳とってもきれいですね。
しかし、肝心の木村大作画面のほうは・・・、もうひとつだったかな。降旗康男さんと一緒に仕事するととってもカッコいい画面になるのに・・・、これは監督の絵作りに関する知識の低さもあると思うのだけど、もうちょっと木村大作レンズをみせるシーンを考えてくれるとうれしかったのに。。。

物語はエイドリアン・ライン『危険な情事』の結末だけ逆バージョン。古尾谷雅人黒木瞳浮気して、徐々に彼の家庭に圧迫していき、最後は萬田久子を殺してしまうという話。いやはや、恐ろしい。でもこれは、ジャンル的には『アメリ』と同じカテゴリーだと思う。

<あらすじ>
高校時代の先輩白石由美(萬田久子)を頼って上京した落合妙子(黒木瞳)は、由美める設計事務所でインテリアデザイナーの水上康夫(古尾谷雅人)と知り合った。康夫が由美の婚約者である事を知りながらも、その愛情を押さえる事が出来なかった妙子は康夫に怪電話をかけてしまう。しかしそれを彼の同僚に目撃されてしまい、その翌日から妙子の消息は途絶える。
三年後、由美と結婚した水上康夫の前に再び妙子が現れる。康夫は自分に体をゆるしてくれる妙子の愛欲の罠にはまっていく。しかし、日を追って妙子は、妻以上に妻らしくふるまおうとする。その思い込みの激しさに怖さを感じはじめる康夫。そして妙子は、ついに康夫の家庭へと入り込んでいき、由美に自分と康夫との関係を話すのだった。康夫が仕事で家をあけているときに妙子があがりこんでくる。帰宅した康夫は異常な雰囲気を感じ、リビングルームに駆け込んだ。そこにはピンクのエプロンをつけ、康夫の服をたたんでいる幸せそうな妙子の姿があった。そして浴室には無惨に殺された由美が血まみれで倒れていた。

黒木瞳のヌードと木村大作の画面を期待してみた映画だったが、内容的にはいまひとつかな。せっかくインテリアデザイナーという職業なのだから、その会社の内装等、もうすこしお洒落にできなかったものかな・・。ただ、セットがあって役者が芝居して、それを撮ってるだけで、かっこいい画面の見せ方とか、お洒落なライティングとか、まったく発想にない・・という感じ。監督の想像力の乏しさにがっかりな映画だった。

by ssm2438 | 2009-02-01 02:05 | 木村大作(1939)
2009年 02月 01日

バルト(1995) ☆☆

f0009381_6244651.jpg監督:サイモン・ウェルズ
脚本:クリフ・ルビー
    エラナ・レッサー
    デヴィッド・スティーヴン・コーエン
    ロジャー・S・H・シュルマン
音楽:ジェームズ・ホーナー

声の出演:ケヴィン・ベーコン
       ブリジット・フォンダ
       ジム・カミングス

        *        *        *

スピルバーグの総指揮のもと『タイムマシン』の監督サイモン・ウェルズが監督した実話をもとにしたアニメ。出来はきわめて普通なのだけど、色使いに注目してほしい。というか、この映画に限らす、アメリカのアニメの色使いがとてもうまい。日本のアニメはついつい色数で勝負するが、無効のアニメはそれほどこった影やハイライトをいれまくるわけでない。

日本のテレビシリーズだとよく、背景にあわせキャラクターの色をかえるのだけど、それだと背景に溶け込んでしまいすぎる嫌いがある。この『バルト』では、キャラクターが背景にとけこまないように色をつける。キャラクターの奥が明るくても、キャラクターのイリイチは影にしたり、その反対にしたり、どこかの光源からのライティングを意識したりととバリエーションがすばらしい。
外国の劇場用のアニメって、背景になじませながら、背景に溶け込まない、ライティングを意識した色使いが実にうまいのだ。

<あらすじ>
1925年。アラスカ、北極に近い町ノーム。狼と犬の混血バルト(声=ケヴィン・ベーコン)は他の犬たちからいつも仲間外れ。飛べない偏屈者の雁ボリス(声=ボブ・ホスキンス)といつもつるんでいる。犬たちの注目の的はアラスカ犬スティール(声=ジム・カミングス)。彼の犬ぞりチームが3年連続でレースに優勝している。

町ではジフテリアが蔓延、治療のために必要なワクチンが吹雪で運べない。唯一の方法は最果ての駅ネナナからは犬ゾリではこぶというものだった。その仕事はスティールの犬ぞりチームに託された。ところが、猛吹雪で彼らは道に迷い、立ち往生。雪の原野に助けに出たバルト。道案内を申し出るバルトだが、スティールは先導犬の座は譲らないと襲いかかる。・・が勢い余ってワクチンをのせたソリと共に谷底へ。
なんとかそのソリを引き上げるバルト。バルトが先頭にたち犬たちを誘導していくがくる時つけたはずの道しるべが判らない。谷から先にはい上がっていたスーティルが先回りし、妨害していたのだ。
疲労している犬たちはなだれに押し流れ、ソリがたち底に落ちるのは食い止められたが、バルトがおちてしまう。機をうしないつつあるバルトのそばに純白の狼がいた。自分の中に流れる荒ぶる狼の血を思い出し、勇気づけられたバルトは死力ではいあがり無事にワクチンを持って帰還した。

by ssm2438 | 2009-02-01 01:56