西澤 晋 の 映画日記

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2009年 03月 20日

ベルリン・天使の詩(1987) ☆☆☆☆☆

f0009381_704171.jpg監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
撮影:アンリ・アルカン
音楽:ユルゲン・クニーパー

出演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン

        *        *        *

あんまりヴェンダースの映画は面白いと思わないのだが、これは良かった。ただ、もう少し短くできたんじゃないかなあ。無駄に長いと感じる部分は多かった(苦笑)。

基本コンセプトがいい。
この世の中に存在して、誰かに対して何か都合のいいことをしようと思えば、それが誰かに対して都合の悪いことをすることになる。AさんとBさんにパンをあげれば、Cさんにはあげないことになる。自分が存在することさえ、何かにとっては不利益をもたらす。存在のためには、モノを食べないといけないので、すくすく育った稲から米の部分だけを搾取したり、丸々と太った豚さんがせっせと職元を食べて体内に貯蓄したたんぱく質を搾取することにもなる。・・・つまり、自分が存在して行動しようとすれば、そこには誰かを、あるいは何かを不幸にすることになる。誰も、なにも傷つけたくないなら、存在を消去するしかない。

この映画で描かれている「天使」とはそういう存在。彼らは誰かにそっと寄り添い、その人の痛みを理解し、「大丈夫だよ、やれるよ」って心の声をかけてあげるしかない。

その天使の一人が、それでも、実体化することを望んで地上に降りた。誰も不幸にしないことよりも、誰かを不幸にしても、自分の想いを具現化するほうを望んだ。そしてきづいてみたら・・、この世の中に存在するすべてのひとは、天使をやめて実存する世界に下りてきた勇敢な天使とその子孫たちだった・・という話。

by ssm2438 | 2009-03-20 06:37
2009年 03月 18日

ランボー(1982) ☆☆☆☆

f0009381_15232740.jpg監督:テッド・コッチェフ
脚本:シルヴェスター・スタローン
    マイケル・コゾル
    ウィリアム・サックハイム
撮影:アンドリュー・ラズロ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:シルヴェスター・スタローン
    ブライアン・デネヒー
    リチャード・クレンナ

        *        *        *

シリーズを通じてアクション的には一番地味でもシチュエーションが一番いい。ジョン・ランボーが、アメリカにの山間の町で戦うから面白いのであって、ランボーが2作目以降みたいにハマるところにハマってしまったら面白くもへったくれれもない。派手なアクションがみたい人ならそのほうがいいのかもしれないが、「アクション」と「落ち」では楽しめない私にとっては、この1作目が断然いい。ゴジラは都会で暴れてほしいのだ。

この映画の基本は異文化交流だろう。地域の郷土愛あふれるブライアン・デネヒーと、たった一人の軍隊のジョン・ランボー。このふたりは、多分シチュエーションが違えばけっこう飯仲になれるのに、たまたまこういう出会いになって、しまったからこうなっただけ。「通常世界に入り込んだ異物感」こそががドラマのエッセンスであり、それが抜けてしまった後の作品はアクションのメリハリだけの作品だ。あとはドンパチだけ一生懸命やってくださいなって感じです。

ちなみに監督は『料理長(シェフ)殿ご用心』『スイッチング・チャンネル』テッド・コッチェフ。この監督さん、ひそかに好きです。音楽のジェリー・ゴールドスミスも好きだ。

f0009381_15231431.jpg<あらすじ>
ベトナム時代の戦友を訪ねたジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)はその帰り道、近くの街に立ち寄った。郷土愛がつよく、よそ者が町に入ってくることを嫌う警察署長ティーズル(ブライアン・デネヒー)は、送ってやるといってランボーを車に乗せ、街の端まで送っていく。しかしランボーは無言でもどってくる。彼はただ、食事がしたかっただけだ。その目的のために歩いて戻ってくる。
むかついたディーズルは彼を拘束、若い警官たちに暴行をさせる。忍耐は限界に達したランボーは、あっという間に警官を叩きのめし、オートバイを奪って逃走した。追跡するパトカー。かつて朝鮮戦争の英雄であったティーズルにとってグリーン・ベレー上がりの若僧にコケにされるのはたまらない屈辱だった。たったひとりの軍隊=ランボーと州兵の戦いが始まる。

警察は州兵1000人を動員し、山狩りを開始した。そこにランボーの上司トラウトマン(リチャード・クレナ) という男が現れ、「ランボーにどんな状況になっても生き残る特殊な訓練をほどこしている。警官を何人集めても勝ち目はない」と忠告する。森の中ではランボーの思うツボだった。一人、またひとりとランボーによって排除されていく州兵。ガソリン・スタンドや銃砲店を火の海にしたランボーは、ティーズルが隠れている警察署に心中、最後の戦いを挑む。そとは赤や青のライト回転灯がまわり、警察やら州兵やらが取り囲んでいる。トラウトマンが姿を現わし、ランボーに降伏するよう説く。ランボーは大粒の涙を流しながら、ベトナムから帰国して以来、いかに屈辱の日々をすごしてきたかを語る。

by ssm2438 | 2009-03-18 23:38 | S・スタローン(1946)
2009年 03月 18日

ランボー/怒りの脱出(1985) ☆☆

f0009381_18503571.jpg監督:ジョルジ・パン・コスマトス
脚本:ジェームズ・キャメロン、シルヴェスター・スタローン
撮影:ジャック・カーディフ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:シルヴェスター・スタローン
    リチャード・クレンナ
    チャールズ・ネイピア

        *        *        *

今のいままで知らなかった、脚本ジェームス・キャメロンだったのですね。びっくり。監督もてっきりS・スタローンだと思ってたらジョルジ・パン・コスマトス。知らないことが意外と多い。コストマスの映画といえば『カサンドラクロス』『コブラ』、『リヴァイアサン』くらいしか見てない。というか、彼自身がそんなに多く取ってないんだから仕方がない。なにとってもあんまり印象にない監督さん。

ベトナム戦争の勇者ランボーが、ベトナムで戦ったらあんまり面白くない。コンセプト自体が間違っているとおもうが・・・。1985年のラジー賞、ワースト作品賞、ワースト主演男優賞、ワースト脚本賞となだたるところをゲット。しかし、アクション映画としては普通のできでした。『コブラ』なんかよりいいと思ったけど。弓矢大活躍。

<あらすじ>
服役中だったジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)のもとを元上官トラウトマン(リチヤード・クレンナ)がおとずれ、ランボーを保釈する代わりに、新たな任務を与えた。その特殊任務とは、ベトナムで捕虜になった行方不明のアメリカ兵に関する調査だった。もし彼らが生きて存在しているのなら助け出す義務がある。

ランボーは捕虜収容所潜入、そこで米兵の拷問を目撃した。その生死の調査だけが今回のミッションだったが、ランボーは指令に背いて米兵を救出、国境近くまで逃げのびた。追手に追われているランボーの上空に救出用のヘリがやってきたが、マードック司令官(チャールズ・ネピアー)は彼らを見捨てて機関することをパイロットに命令する。
このミッションは<戦闘中行方不明兵士>を調査し、もう救出しなければいけない捕虜はいないということを報告するためのミッションだった。しかし、捕虜はまだ存在し、その証になる捕虜を連れてきてしまったランボーは見捨てられるしかなかったのだ。
敵陣の中に置き去りにされた連れ出した捕虜は殺され、ランボーは捕えられる。拷問に耐えたランボーは、現地の連絡員コー・バオ(ジュリー・ニクソン)の助けられ逃走するが、彼女は敵の銃弾に倒れる。ランボーは矢尻に火薬を込めた弓とナイフを武器にゲリラ部隊を一掃した。前線基地に降り立ったランボーは、マードック司令官に怒りを爆発させる。

by ssm2438 | 2009-03-18 22:11 | S・スタローン(1946)
2009年 03月 18日

ランボー/怒りのアフガン(1988) ☆☆

f0009381_19111831.jpg監督:ピーター・マクドナルド
脚本:シルヴェスター・スタローン、シェルドン・レティック
撮影:ジョン・スタニアー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:シルヴェスター・スタローン
    リチャード・クレンナ
    カートウッド・スミス
    マーク・ド・ジョング

        *        *        *

こんどはアフガンだ。今度の人質はランボーの唯一の理解者トラウトマン大佐。というわけで、アフガンに出兵。そして救出したらトラウトマン大佐と二人でコンビを組んで戦う。攻撃ヘリがほんとに動くとカッコいいぞ!

<あらすじ>
今度はバンコックの仏教寺院で隠遁生活中のランボー(シルヴェスター・スタローン)。トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)がソ連軍の奇襲に合い拉致される。公式に彼の解放要求ができないことを知ると、ランボーはかつての上官を救うために再び戦場へ向かうことを決意した。

パキスタンからアフガンへ向かったランボーは、トラウトマン大佐が捕えられているのはソ連将校ザイセン大佐(マーク・ド・ジョング)が守る難攻不落の要塞であることを知る。トラウトマンを助け出すがザイセンの追及の手はゆるまず、追い詰められた2人の前にソ連軍最強師団が立ちふさがった。絶体絶命かと思われた時、地元のゲリラ兵士たちがソ連軍師団の後方から大挙現われ、その混乱につけこまれてソ連軍は壊滅した。攻撃ヘリに乗るザイセンは、ランボーの乗る戦車と一騎うちとなりヘリコプターもろとも爆発、勝利はランボーとゲリラ兵士たちのものとなった。

by ssm2438 | 2009-03-18 20:53 | S・スタローン(1946)
2009年 03月 18日

かもめのジョナサン(1973) ☆

f0009381_20383023.jpg監督:ホール・バートレット
原作:リチャード・バック
脚本:ホール・バートレット/リチャード・バック
撮影:ジャック・コーファー
音楽:ニール・ダイアモンド/リー・ホルドリッジ

声の出演:ドロシー・マクガイア/ジュリエット・ミルズ

      *       *       *

リチャード・バック大好き人間の私なのだけど、この映画はいただけなかったかな。やっぱりこういうものはあまり映画として具現化しないほうがいいなあ。だいたい原作のスピリットを映画にしよういうよりも、カモメを飛ばしてそれに歌と音楽のせて、原作にあったようなナレーションをながしとけばいいな・・くらいの映画。

しかし、あえて言おう。原作は素晴らしい! まだ読んでない人は一生に一度は必ず読むべし!

ジョナサン・リビングストン・シーガルというのは飛ぶことを極めようとするカモメ。誰よりも高く飛びたい。誰よりも速く飛びたい。他のカモメにとって飛ぶことは餌をとることの手段でしかない。しかし、ジョナサン・リビングストン・シーガルにとっては、飛ぶということ自体が人生の目的であり、飛ぶことを極めるために生きている。そんなカモメ。
最速で飛びたいと思ったジョナサン・リビングストン・シーガルは、可能なかぎり高くまで上昇し、そこから急降下。翼を体に出来る限りぴたっとくっつけで、はるか下方の海にむかってダイブする。気絶しそうになりながら空気圧に耐えて落下していく。そんなカモメ。

そして最後は神の域にたどり着く。誰よりも速く飛ぶというのは、それを念じたとき、もうそこに存在することだ。
こうなると量子拡散~収束を一瞬でなしとげるグレッグ・イーガン『宇宙消失』レベルまで到達してしまうカモメ、それがジョナサン・リビングストン・シーガル。

そう、『カモメのジョナサン』は精神SF小説なのだ!

ちなみにこの映画、『2001年・宇宙の旅』と同じ臭いがする。なんか・・・その映画の出来方というか・・、内容というか・・、似てるんだよね。おまけにコケ方まで似てる。

by ssm2438 | 2009-03-18 20:39
2009年 03月 18日

ランボー 最後の戦場(2008) ☆☆☆

f0009381_1830588.jpg監督:シルヴェスター・スタローン
脚本:シルヴェスター・スタローン
    アート・モンテラステリ
撮影:グレン・マクファーソン
音楽:ブライアン・タイラー

出演:シルヴェスター・スタローン
    ジュリー・ベンツ

     *     *     *

実にシンプルな話だ。それは実に好感を与えている。
ミャンマー奥地の村に向かったボランティアの医療チームが、ミャンマーの軍部につかまり、それを奪回するために傭兵が雇われる。今回のランボーはその案内役として作戦に帯同、そのまま作戦行動に参加する。そして激しいどんぱちの末医療チームを救出する。

ストーリーの紹介はそれで終わってしまう。このシンプルさはチャールズ・ブロンソンポール・カージーシリーズの『スーパーマグナム』を思い出させる。あれもシンプルな話だった。殺人をもいとわない愚連隊連中をポール・カージーがぼこぼこ撃っていくだけの作品といっても過言ではない。ピンチらしいピンチもなく、ただ、むかつく小僧どもを撃つだけというシンプルこの上ない作品だった。
しかし今回のシルベスタ・スタローンが監督したこの『ランボー 最後の戦場』という映画は戦場の描写に力を入れている。特にそれまでおざないりだった大口径の銃の破壊力を存分にみせつけている。

まずAK47の威力。
アメリカ映画ではほとんど適役がもってでてくるのはこのAK47と決まっているが(苦笑)、破壊力という点ではM16やM4カービンよりもはるかに勝っている。M16は5.56ミリ弾を使い、反動も少なく正確な射撃もできるが、クリーニングなどの手入れが多少やっかいだ。それにくらべてAK47は足り扱いがたやすく素人でも10分も講義すれば分解からクリーニングまで出来るくらいに簡単で、耐久性にすぐれており、2~3ヶ月ほおっておいても普通に仕えてしまう。ベトナムや砂漠地帯での悪意条件での使用には圧倒的な耐久性をもつ。ディスカバリーチャンネル20世紀のアサルトライフル・ベストテンをやっていたが2位のM16を抑えて、圧倒的な1位はこのAK47だった。
「もしどこかの惑星に行くとして、銃を一つ持っていけるとしたら間違いなくAK47を選ぶ」という評論家もいた。
そんなAK47だが、破壊力も実はすごい。AK47が使っているのは7.62ミリ弾で、反動が強く正確な射撃には向かないものの、近接戦でのアバウトな射撃にはもっとも適度な破壊力を発揮し、もっとも有効な銃といわれている。この砲撃を2~3発くらえば手足はちぎれ、内臓はとびちることになるくらいの破壊力だそうだが、実際それを見せてくれた映画はほとんどない。しかし今回の『ランボー最後の戦場』ではM16より勝っている破壊力をきちんと映像かしてくれた。

そしてバレットM82狙撃銃
50口径(12.7ミリ弾)を使用する狙撃銃だが、銃身の先のマズルブレーキと衝撃を吸収する構造で、伏せなくても撃てる構造になっている。しかしこの50口径弾はその破壊力もたいしたもので、これも現実にそのすさまじさを映像化した作品はほとんどなかったのではないかと思われるが、この映画では「これを描きたかったんだ!」とばかりにバイオレンスに映像化されている。

きわめつけはブローニングM2重機関銃
これも50口径弾を連射する機関銃。この映画の最後のドンパチではこの銃座を奪ったランボーがミャンマー軍相手にぼこぼこ発砲している。その破壊力の描写はすさまじい。

たしかに歳のせいか運動量が減り、この銃の破壊力描写に頼った点はちょっと残念だが、それでも十分に高揚感をおこしてくれる。この映画においてはこの50口径弾の描写が醍醐味であり、これがきちんと描かれているならストーリーなんかシンプルでいいだろうという心意気が素敵だ!

スタローンといえばどうしてもラズベリー賞の常連という印象がぬぐえない今日この頃だが、やはりこの人の高揚感をゆすぶる演出術は映画界に多大な影響を与えたといって過言ではない。ロッキーシリーズにしても今、一番初めの『ロッキー』をみるとボクシングシーンに関して言えばいまとなってはやや物足りなさを覚える。それはそれ以降のシリーズでみせたスタローンが監督した作品郡での音と音楽と映像を効果的にシンクロさせた絵作りのたまものだろう。それはランボーシリーズや、『ステインアライブ』などでもはっきりと効果をだしている。あれはやはりスタローンだから出来た高揚感を誘発させる演出術があってのことだと思う。
やはりシルベスタ・スタローンという人は、映画界にはなくてはならなかった人だと実感した映画でした。

by ssm2438 | 2009-03-18 18:36 | S・スタローン(1946)
2009年 03月 18日

ワイルドシングス(1998) ☆☆

f0009381_13412977.jpg監督:ジョン・マクノートン
脚本:スティーヴン・ピータース
撮影:ジェフリー・L・キンボール
音楽:ジョージ・S・クリントン

出演:マット・ディロン
    ネーヴ・キャンベル
    デニース・リチャーズ
    ケヴィン・ベーコン

        *        *        *

この映画、とにかくデニス・リチャーズがエロい。彼女がいるだけでみてしまうのだけど、その彼女が物語の中盤でころされてしまう。それ以降はちょっと見るモチベーションがなくなってしまい、「ふ~~~ん、ああ、そうなん・・」みたいな感じで最後まで見てしまいましたが・・・、多分デニス・リチャーズ見たさで見てない人にはおもしろいかもしれませんね。私もこの映画を最初に見たときはデニス・リチャーズなんて知らなかったのだけど、これみて、刺激されてしまいましたので、いきなりデニス・リチャーズファンに。おかげで寛恕が殺されたらそこで思考停止。こまったもんだ。もうちょっと彼女が長生きしてくれる話にしといてくれるともっと楽しめたのにな・・・。残念、

ストーリーは二転三転四転五転くらいしてしまうので、しょうしょうだれぎみ、もう勝手にストーリーこねくってなさいな・・って感情移入停止状態に。あんまりこねくりすぎると良くないです。でも、意外性とか好きな人にはいいかも。私は、物語は結末を知って見ると面白くない映画は「面白くない」って思ってるタイプなので、意外性とかどんでん返しなんてのはどうでもいい。

<あらすじ>
カリフォルニアのある高校。女子高生ケリー(デニース・リチャーズ)は進路指導教諭サム(マット・ディロン)にレイプされたと訴える。法廷での争いに発展し、しかしケリーのレイプは偽証だったと証言。サムヘの嫌疑は晴れ、示談金として850万ドルを得た。刑事のデュケ(ケヴィン・ベーコン)はこの事件を調査していたのだが、このような結果に納得がいかない。その夜サムとケリーと彼女の友達スージー(ネイブ・キャンベル)が喜びを分かちあう。3人はグルであり、ケリーの母親から金を巻き上げるための作戦だったのだ。
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しかしこれからまだ三転四転し、ケヴィン・ベーコンも実はグルだったりするのが、そこまれやられるともう感情移入できなくなりどうでもよくなる。一応物語の始まる段階では、この事件を調査するケヴィン・ベーコンに感情移入するようにできていたのが、それがグルだったってことになったら、もう誰を信じていいのかわらない。そうなると感情移入が切れたドラマは、糸の切れた凧みたいなもので、どっかえひゅ~~~~~っととんでっちゃう。
結局お話はスージーの一人勝ち。スージーは一人祝杯をあげる。岸に上がった彼女は弁護士から示談金を受け取るのだった。

以下はデニス・リチャーズのおまけピク
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by ssm2438 | 2009-03-18 13:11
2009年 03月 18日

ユージュアル・サスペクツ(1995) ☆☆

f0009381_552239.jpg監督:ブライアン・シンガー
脚本:クリストファー・マッカリー
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:ジョン・オットマン

出演:ガブリエル・バーン
    ケヴィン・スペイシー
    スティーヴン・ボールドウィン
    チャズ・パルミンテリ
    ケヴィン・ポラック
    ピート・ポスルスウェイト
    
        *        *        *

1995年のアカデミー脚本賞受賞作品。ケヴィン・スペイシー助演男優賞も取っている。・・・とはいえ、個人的にはそれほど、燃えることもなく、ああ、そうなんね・・と見終わった作品。たしかにこぬくったシナリオだが、どうも私はこねくりまくってる映画はあんまり好きじゃないらしい。これとか、『エターナル・サンシャイン』とかも・・。
しかし、ムードはけっこういい。とくに回想シーンででてくる伝説のだ闇の支配者“カイザー・ソゼ”。そしてガブリエル・バーン。この二人のムードがとてもフィルム・のアールっぽくていい。できるならこのムードだけの話にしてほしかったと思うのだけど、残念ながら本編はストーリーこねくりサスペンスとして出来上がっている。
個人的にはあんまり好きではないけど、こういうこねくり脚本が好きなひとには良い作品だろう。

<あらすじ>
ある夜、カリフォルニアのサン・ペドロ埠頭で船が大爆発。27人が死亡、9100 万ドルが消えた。生き残ったのは2人。しかも1人は重傷で、もう一人は1人無傷で生き残ったロジャー・ “ヴァーバル"・キント(ケヴィン・スペイシー)。関税特別捜査官のクイヤン(チャズ・パルミンテリ)はロジャーを尋問する。その回想で物語りは始まる。
基本的にこのてのこねくりストーリーは、回想シーンで物語をみせておいて、回想あけてからもう一発オチをみせる展開になるもの。この話もセオリーどおりスタンダードに展開する。
獄中で知り合った5人の悪党、

元汚職警官ディーン・キートン(ガブリエル・バーン)
半身が不自由で気弱だが計画の天才ヴァーバル(ケヴィン・スペイシー)
家宅侵入のプロマクナマス(スティーヴン・ボールドウィン)
クレイジーな犯罪者フェンスター(ベニチオ・デル・トロ
ハードウェアと爆破のプロ、トッド・ホックニー(ケヴィン・ポラック)

出所してから再び犯罪に手を染めた5人は、伝説のギャングカイザー・ソゼに弱みをにぎられる。彼の右腕と名乗る謎の英国人コバヤシ(ピート・ポスルスウェイト)は彼ら5人にある仕事を強要してきた。ソゼの商売敵であるアルゼンチン・ギャングがサン・トロペ沖の船で大量のコカイン取引を予定しており、船と積み荷を破壊すること。生命の保証はないが、9100万ドルの分け前も約束された。
嫌がって逃げたフェンスターが全身に銃弾を浴びて殺され、残った4人はコバヤシに従わざるをえなくなる。
そして襲撃、重武装した4人はアルゼンチン・ギャングと激しく撃ち合いになり、船は大爆発。

ヴァーバル(ケヴィン・スペイシー)の尋問がはじまる。FBIのジャック・ベア(ジャンカルロ・エスポジート)は瀕死の乗組員から話を聞き、ソゼの似顔絵作成の取りかかった。ヴァーバルの証言のなかで、カイザー・ソゼの人物像が浮かび上がってくる。そして元汚職警官ディーン・キートン(ガブリエル・バーン)こそが「ソゼ」ではないかと思わせるが・・・。

by ssm2438 | 2009-03-18 04:17
2009年 03月 18日

山の焚火(1985) ☆☆☆☆

f0009381_412590.jpg監督:フレディ・M・ムーラー
脚本:フレディ・M・ムーラー
撮影:ピオ・コラッディ
音楽:マリオ・ベレッタ

出演:ヨハンナ・リーア、トーマス・ノック

        *        *        *

『最後通告』『僕のピアノコンチェルト』フレディ・M・ムーラーが80年代にとった作品。ムーラーの中では一番いい。というか、他の2本がいまいちというか。特に『最後通告』はひどかった。こちらは芸大の卒業制作並の雰囲気。 でも、よくよく考えると、この人街を取れない人なのかもしれない。この『山の焚き火』はまるで『アルプスの少女ハイジ』のような世界観だし、その風景だけで十分みとれてしまう。谷を霞がおおい、眼下を流れる雲・・、このビジュアルがあるだけで映画になる。そのせいも多少あるだろう。

物語は近親相姦にいたる姉と弟の話。しかし、愛欲とか性欲とくのがないなかでの性交渉。性欲がモチベーションでななくて、人と人とのぬくもりを感じたくて、結果としてそうなってしまった・・みたいな流れ。これがとても自然でいいんだ。そしてそれをひんやりとつつむスイスの山々。
当時感動してLD買ってしまいました。マイナーだが、1985年のロカルノ映画祭グランプリをとっている。

ロカルノ映画祭:スイス南部、イタリア語圏のティチーノ州ロカルノで、1946年から開催されている国際映画製作者連盟公認の映画祭。受賞作品もマイナーだが、映画祭もマイナーというなにからなにまでマイナーな映画祭。2009年には日本のアニメ作品を特集した「Manga Impact」が開催され、アニメーション演出家の高畑勲富野由悠季が Leopard in Honour(名誉豹賞)を受賞している。

『エマリエル夫人』の原作者エマニエル・アルサンもこういう物語にすれば、彼女のいわんとしてることがすこしは伝わるだろうに・・・。彼女の場合はひさすら誰とでもするセックスと、自然のなかでするセックスというところに流れるからチープになる。というか本質的にシャローすぎるのだけど。

<あらすじ>
舞台となるのは1984年、アルプスを背景にするある村。その村から離れた山肌に農場をもつ一家があった。『アルプスの少女ハイジ』のペーターかオンジの小屋をイメージしてもらえればいいだろう。自家製のチーズに絞りたてのミルク、パンは下の村から買ってきてもの。そこでつつましやかに暮らす4人は、父と母、十代の姉ベッリ(ヨハンナ・リーア)と聾唖の弟(トーマス・ノック)。※この物語は、姉の名前だけはあるのだが、他は父・母・弟なのだ。
f0009381_4123552.jpgろう唖者の弟は、学校には通わず、山地で働く父の手助けをしていた。将来教師になることを夢見ている姉が彼に文字や算数を教えていた。しかし、不完全なコミュニケーションからくるストレスが原因なのだろう、弟は時々抑えきれない感情を爆発させて奇声を発したり、異常行動をとってしまう。
夏も終ろうとしているある日、芝を刈っていた弟は故障した芝刈り機に腹を立てて、それを崖から突き落として壊してしまう。怒った父親は、罰として、山の一軒家(彼らが住んでいる家よりももっと高い位置にある山小屋)に追いやってしまった。そんな弟に食料を届ける姉。久しぶりに再会する姉と弟。焚火を囲んで楽しく食事をした二人は一つの布団で寄りそって夜を明かした。晩秋の頃、父が弟のもとへやって来た。微笑む父に抱きつく弟。再び平和な日々は始まろうとしていた。
しかし、姉が身ごもっていたのだ。ベッドに伏せる日が多くなる姉。冬を迎えたある日、姉は母にそのことを打ち明けた。その事に気がついていた母はなにも言わなかったが、母からそのことを聞いた父は激怒し銃を持ち出して姉を撃とうとする。弟が止めようとして間にはいりもみ合いになと、銃が発砲、父が絶命してしまう。母もショックのあまり息を引きとってしまった。雪のふりしきる家で、姉弟で、両親の葬式を行なう。これから二人だけの生活がはじまるのだ・・・。

もう君らはそこでひっそりくらしていなさい・・って気になってしまう。弟にとっては考えられる限りの最高のハッピーエンドに違いない。

by ssm2438 | 2009-03-18 03:08
2009年 03月 17日

ボビー・フィッシャーを探して(1993) ☆☆☆☆

f0009381_2214114.jpg監督:スティーヴン・ザイリアン
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:マックス・ポメランク
    ジョー・マンテーニャ
    ジョーン・アレン
    ベン・キングズレー

     *     *     *

この映画、幽霊はでききませんけど、実に『ヒカルの碁』な映画です。 どっちが卵でどっちが鶏あんでしょう??の世界です。
チェスの才能をもった男の子が、その筋の師匠さんに教わりながらも、反発しながらも、 子供の全米チェスチャンピオンになっていくお話。 またこの主人公の男の子のお目目がきらきらしてとってもいいんだ。 そしてほっぺたも、ふっくらしてて可愛い。 ただこの物語をみてて思うのは、やっぱり、ドラマで戦いを描く時には、 きちんと負けることを恐れて、それでも戦うスピリットを描けないとダメだなあってこと。 『ヒカルの碁』も、この『ボビー・フィッシャーを探して』もそれがきちんと描けてるから面 白い。
ただ、今の日本の映画産業、アニメ産業、漫画産業だと、それがかなり難しい状況になってきてるなあって思う。 昨日ケーブルで平成『ゴジラ』の何作目かをやってて、ちょっと見てたのですが、 “ああ、これ、日本人の描く『強さ』だなあ”って思ってしまった。 なんていうんだろう‥‥、日本人の描く『強さ』って<余裕>なんですよね。 『ドラゴンボール』にしても『座頭市』にしても『ゴジラ』にしても『犬夜叉』にしても 『ウルトラマン』にしても『仮面 ライダー』にしても、 自分が“負けるかも”って事を想定して戦っていない。 ホントに戦いの中に身をおく人には決して存在しえない偶像的『強さ』、 ホントの戦いに足を踏み込めない弱い人が憧れる『強さ』。
たぶん<余裕>=『強さ』としてマンガなりドラマを描く人って、そのひと自身が自分を弱者だと認識してるんだと思う。その弱者性がアニオタにはとっても共感持てるんだと思うな。

そこらじゅうで、よくも悪くも戦争してるアメリカ人とか、 あるいはいつ戦争になるかわからない北と向かい合ってる韓国人なんかに言わせると、きっと甘々な『強さ』にしか映らないんじゃないかなって思う。 実際アメリカンコミックスのヒーローみても、 そういう、余裕をもったヒーローっていないんだよね。 このへんは、実際に戦わないことを選んでる国民と、そうでない国民性の違いからくるヒーロー像の違いなんだろうなあって思う。
かといって、日本にはそういうヒーローがいなかったかというとそうでもなくて、 例えば梶原一騎の描いてたヒーローなんかは、そんな作家から与えられた絶対的力を背景に余裕ぶっこきファイトなんかしてなかった。 でも現代の日本の物語産業においては、 この<ホントの戦いに足を踏み込めない弱い人が憧れる『強さ』>でないと受け入れられない‥‥、 それしか受け入れられないから、作る側もそういうものを作ってしまう‥‥、 どんどん自分の『弱さ』をみとめず、知らん顔してなんとかそれを認識しないままに、 てきとうな刺激がほしい‥‥、 そういう痛みを感じず、 暇つぶしに適したものだをつくり出すような体制になってきてるなあと思う。 嘆いてしまう。ぼやいてしまう。
そんな中、この『ボビー・フィッシャーを探して』をみると心が洗われるような気になる。 負けたらみじめになるんだ。負けることは怖いことなんだ‥‥って、それを認識しつつ、 でも、もと極めたい!っておもって戦いに挑んで行く。 切なくて、勇気があって、強くって、いいんだ。 偶像の『強さ』じゃなくって、こういう ホントの『強さ』をみせてくれる映画がまだ作られてることはとっても素晴らしいことだ 。

by ssm2438 | 2009-03-17 21:59