西澤 晋 の 映画日記

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2009年 03月 17日

屋根裏部屋の花たち(1987) ☆☆☆☆

f0009381_1843535.jpg監督:ジェフリー・ブルーム
原作:ヴァージニア・C・アンドリュース
脚本:ジェフリー・ブルーム
撮影:フランク・バイヤーズ、ギル・ハブス
音楽:クリストファー・ヤング

出演:ヴィクトリア・テナント
    クリスティ・スワンソン
    ルイーズ・フレッチャー
    ジェブ・スチュアート・アダムス

        *        *        *

原作はV・C・アンドリュースのベストセラー小説。価値観破壊映画は数々あれど、これくらいガツンな価値観破壊映画はそうない。知る人とぞ知る超ダークムービー、超ダークおとぎ話の決定版! この原作者、こんな話がつくれるんなんておかしい。信じられない恐ろしさ。究極の毒入りファンタジー。子供が寝た後で、大人だけで見ましょう。できることならこれこそはキューブリックにやってほしかった。 きっと彼がやったら伝説の超ダーク価値観破壊映画になってたと思う。

<あらすじ>
夫の事故死により、人生に絶望したコリン(ヴィクトリア・テナント)は4人の子供達、クリス(14歳)、キャシー(クリスティ・スワンソン)12歳と双子のコーリイとキャリー(5歳)とともに17年ぶりに実家に戻ってきた。しかし彼女の結婚は、親の反対を押し切ったもので、祖母(ルイーズ・フレッチャー)は子供たちの存在もみとめてはいない。親に背いた罰として祖母は、コリンを壁にむかせて服を脱がせ、背中をムチでうちまくる。子供たちをなんとか受け入れてもらうための屈辱と痛みに耐えるコリン。彼女は子供たちを屋根裏部屋におくことをゆるされる。「母は気難しい人なの、私がなんと判ってもらえるまで、ここで我慢してね」とコリンは子供たちを説得、子供達はそれからというもの屋根裏部屋に幽閉されてしまう。

兄弟姉妹4人でなんとか絶望しないで励ましあって生きていこうとするが、兄妹という関係よりも、二人の子供を面倒見る両親という立場になってしまるクリスとキャシー。彼女をみる長男クリスの目は、彼女を女としてみていた。風呂には入るスワンソンのおなかのアップが妙に印象的だった。だんだんと母とも会う時間がなくなるなか、子供たちは自力で脱出をこころみるが、失敗。やがて母も顔をださなくなる。きっとなにか事情があるんだと思う子供たちだが、一番末っ子のコーリーは衰弱して死んでしまう。長男は、「もしかしたら毒が入っているのでは?」と疑心暗鬼になる。さすがにそれはないと思う次男と長女のだが、ネズミにたべさせてみると死んでしまう。
そして屋根裏部屋の子供たちは「もしかしたら母が自分たちを抹殺しようとしてるのかもしれない」という考えにいたる。

この物語のすごいところは、子供を裏切る母なんていないだろうと思うのだが、それが先入観、
母が子供を殺そうとする可能性を肯定すると物事がみえてくる。母を信じないことにして再び3人で脱出を試み、今度は成功。しかし、外の世界では、子供たちはなき存在にされており、母は親の進める人と再婚することになっていた。その結婚式場に現れる3人の子供。そして長女のスワンソンは母、コリンをテラスにおいつめ、ついには突き落として殺してしまう。

これくらい価値観破壊映画はそうない。この状況では近親相姦は致し方ないかなと思うが、子供を裏切る母というのは発想にない部分。キワモノ映画だからすごいとはいわないつもりの私でも、これはすごいと思った。
よくこんな原作思いつくなあ。。

by ssm2438 | 2009-03-17 16:33
2009年 03月 17日

マーシャル・ロー(1998) ☆☆☆

f0009381_16291650.jpg監督:エドワード・ズウィック
脚本:ローレンス・ライト
    メノ・メイエス
    エドワード・ズウィック
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:グレーム・レヴェル

出演:デンゼル・ワシントン
    アネット・ベニング
    ブルース・ウィリス

        *        *        *

とりたててスゴイというわけでもないけど、きっちりつくれてる。ただ、エドワード・ズウィックはあんまりポリティカル・サスペンス系は合わないとおもうのだけど・・。
なにやららせてもきっちり作る人だと思うのだけど、このひと、出来ないことがひとつあって「臭わせて見せる」こと。これが出来ない。全部見せちゃう派なんですよ。なので軽いノリの『きのうの夜は・・・』とか、大河ドラマ系の『レジェンド・オブ・フォール』だとけっこうはまるのだけど、この映画みたいに政治的な策略が背景にあるドラマというのはどうも合わない。こういうドラマって直接見せずに、間接表現で、臭わせて、臭わせて、見ている人の想像力でどんどん圧迫していく、そういったタイプの見せ方のほうが合ってる。
そういう意味でちょっと、エドワード・ズウィックだと勝手がちがったような・・そんな気がした。
でも、決して出来のわるい映画だとは全然思わないし、スピルバーグが好きな人ならこういう見せ方でもいいと思うのだけど、まあ、私の趣味とはちょっと違う出来になってしまったかな・・という感じ。

あと・・、この話であんまりデンゼル・ワシントンのあの役の語りはあんまり正当化できなくって・・。
もし、東京の真ん中に原爆しかけられて、あと6時間で爆発するって時に、自分が捜査官で、そこに犯人に通じる男がいて、そいつが犯人の居場所をしっていると確信あるなら、拷問にでもかけるよ。その結果、自分があとで軍法会議にかけられようが、世間から非難されようが、そんなのどうでもいい。そこにしか可能性がないなら、私なら拷問にかけろって指示する。
戒厳令してい、アラブ系のアメリカ人を収容所にいれるのも、その立場だったらやりかねないと思う。デンゼル・ワシントンの立場って言うのはまず先に、ブルース・ウィリスがそこにいたから出来る反発であって、もしブルース・ウィリスの立場に自分がいて、原作者からの特権で、常に自分の勝利が転がり濃くと知らない時だったら、どう行動するのか?っていわれると・・・どうなんでしょうねえって思うな。

ただ、この物語では、軍部が違法逮捕をしてるってことが言い訳になってるからなんとなくそれですまされてるけど、それがわからない状態で、あんなことになったら、デンゼル・ワシントンの立場を支持できる気はしない・・。

<あらすじ・・を整理>
CIAは秘密裏に急進派のイスラム原理主義の指導者を拘留する。それに対抗してイスラムの武装勢力が教祖の解放を求めてテロを起こす・・というのが、基本ライン。
開放しないのならニューヨークに爆弾をしかけて爆発させるぞというのが彼らの主張。やれるもんならやってみろ。それでやられたとしても、犯人とは絶対に取引しない。取引しないなかで犯人を逮捕に全力を傾けるが、もしそれがダメでこちらが被害をうけるなら、それはうけとめるしかない・・というのがアメリカ側の基本姿勢。

※テロを扱うドラマというのは、基本的にアラブ人を悪者に出来ない世論がある。なので、国内の誰かが悪さをして、その抵抗環境としてアラブのテロリストグループが浮かび上がるが、最後は見方の仲に悪さをしたやつがいる・・ということでまとめないといけないみたい。たいがいどのテロモノ小説を読んでもそんなこんせぷとになっている。

テロリズム対策部長でFBI所属のハブ(デンゼル・ワシントン)。
エリース(アネット・ベニング)はアラブ系アメリカ人社会にコネクションを持つCIA活動員だった。
大統領はついにニューヨークにマーシャル・ロー(戒厳令)を発令、ダヴロー将軍(ブルース・ウィリス)が指揮のもと、アラブ系アメリカ人を隔離する。
エリースと肉体関係のあるアラブ側の情報提供者、サミール(サミ・ボージラ)はデモを対象に爆破テロ活動があると情報をながす。徐々に犯人グループが捕まっていく。しかし、最後の一人はまだ活動している。
しかし、最後の活動かとは・・・。

by ssm2438 | 2009-03-17 15:04 | E・ズウィック(1952)
2009年 03月 17日

時計じかけのオレンジ(1971) ☆☆

f0009381_11195126.jpg監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック
撮影:ジョン・オルコット
音楽:ウォルター・カーロス

出演:マルコム・マクダウェル

        *        *        *

脳みそシャッフル映画。この映画の存在価値は十分認めるに値するが、この映画を「好き」といってるやからの言葉は信用するにあたらないだろう。

人間が成長していくとき、その思想は、周りから情報を得て構築され、またそれを一旦壊し、そしてまた新しい情報を一緒に再構築する。その繰り返しだといっていい。われわれが、両親や、学校の先生から教えたれたものがずべて自分たちに有益かどうかなんてわからないし、所詮は他人の言葉であるので、その信憑性は自分で確かめることは出来ない。だから、人は出来上がった思想を自分で壊しながら、あまた新しい概念を構築していくのだ。
映像を作る側としても、見る人間に新しい概念を伝えたいと思う人は、見ている人たちのもっている基本概念を一度壊す必要が出てくる。それが壊れないことには、これから語りたい概念はなかなか吸収してもらえないものだ。キューブリックの映画というのは、この壊すほうはとても上手いのだが、構築するものがないというのがほんとのところだ。なので構築する方向性に富んでいるアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』などは、じつはとても相性がよくなかったのかもしれない。
再構築するための破壊であり、再構築なき破壊はただのクソだ。キューブリックの映画ではその再構築への生産性がみられない。だからクソなのだ。それをみて「これはいい」とか言ってる人間もクソにしか見えない。

私は「戦争がない世界をめざそう」という政治家は信用しないことにしている。戦争がない世界なんてのは言葉としては美しく聞こえるが、それをなくするためには、人間性自体をなくさねばならなくなりと思うからだ。自我の存続を認めれば、争いは起きるものであり、それがあるからこそ古い概念に所属するものは淘汰されていく。それが進化の基本メカニズムだと思う。われわれの体内にしても、そのようにして古い細胞が新らしい細胞に取って代わられ、排除された古い細胞が分解され体外にだされる。
なのでこの映画で語られていることは、基本的には合意できる概念なのだ。
この映画では前半部で暴力を描き、後半部でそれを駆逐するための管理社会と、非人間的精神改造がを描いている。

私はその点ではこの映画は十分いいと思うのだけど、問題なのは、管理社会と、非人間的精神改造がとても妥当なことに見えてしまうところなのだ。私なんかは、あのアレックスをみながら「ああ~あ、いい気味だ。もとtもっと不幸にしてやれ~~」と思える。クソ人間はくソ扱いが適当だ。いかに管理社会とはいえ、逸脱し過ぎたものは死刑のように強制排除か、それが出来ないなら、人格改造も不可欠だろう。
この映画では、この非人道的管理社会が「これはまずんいんじゃい」と思えなければいけないはずが、そう思えないから、暴力だけを描写した映画になってるような気がする。これもすべて、キューブリックの近視眼的映像作りの気質からきているものだろう。

by ssm2438 | 2009-03-17 06:14 | S・キューブリック(1928)
2009年 03月 17日

SOSタイタニック/忘れえぬ夜(1958) ☆☆☆

f0009381_541545.jpg監督:ロイ・ウォード・ベイカー
脚本:エリック・アンブラー
撮影:ジェフリー・アンスワース
音楽:ウィリアム・オルウィン

出演:ケネス・モア、オナー・ブラックマン

        *        *        *

今の世代の人が「タイタニック」といえば、ジェームス・キャメロンの『タイタニック』を思い起こすだろうが、我々の世代(もっともこの映画が公開されたときは、私も生まれてなかったのだが・・)は、やはりこの『SOSタイタニック』だろう。キャメロンの映画が、デカプリオケイト・ウィンスレットを視点にして、沈没シーンをCGを使いダイナミックに描く映画に対して、こちらの『SOSタイタニック』はドキュメンタリー的にストイックな立場で物語とおっている。乗船人数にあまりにも足りない救命ボートの数、近くにもう一隻いたのに、救難信号に反応したのは遠いところにいた船だったとか、人間のおこした理不尽さ悔やみきれないドラマ展開であるなか、あの楽団のシーンが輝いている。タイタニックといえば、やはりあの楽団のおじいさん方であり、誰もが限られた救命ボートをもとめて甲板で騒いでいる時のあのシーンは映画史上に残る名シーンだ。悲惨なイベントのなかで生命が美しく輝いた一瞬だっただろう。この映画の最後もあのおじいさんたちが引いていたバイオリンがぷかぷか浮いている絵で終わりになる。

『SOSタイタニック』というタイトルがいかにも時代を感じさせるが、原題は「忘れえぬ夜」のほう。

<あらすじ>
1912年4月、二十世紀造船技術の傑作と称されるタイタニック号は、イギリス・サザンプトン港を出た。北大西洋に浮ぶ壮麗なこの巨船には、設計者トーマス・アンドルーズをはじめ、実業家、芸術家、上流人士、欧州各国からアメリカをめざす移民たち2207人がのりくんでいた。
f0009381_57628.jpg4月14日、夜の11時40分にその悲劇は始まった。濃霧で前方の視界がとぼしいタイタニック号の前に、突然巨大な氷山が現れた。船は向きをなんとかそれを交わした。かすかな衝撃があったももの、乗客たちはそれにきずくものもほとんどなく、船員たちも特に気にとめてはいなかった。しかしその時、タイタニックの船腹は氷山の角で三十フィートも裂かれていたのだ。この致命傷に気づいた設計者アンドルーズは、船の生命があと一時間半であることを船長に告げ、離船準備を命令させた。ライトラー二等航海士(ケネス・モア)の仕事は救命ボートを用意することだった。しかしすべての救命ボートを使っても乗船者の半分しか救うことができないのだ。まず1・2等船室の女性と子供を優先させて救命ボートをおろしていく。通信士は必死にSOSを発信したが、10マイル先にいたカリフォルニアン号の通信士はもう寝ていて反応しない。48マイル先を航行していた定期船カルパチア号が救助にうと打電してきたが、それまで4時間はかかる。
海水は滝のように流れこんだ。すべての乗客が甲板にあふれだし、誰もがわれ先にとボートに殺到した。パニックのなかライトラー二等航海士はやむなく威嚇射撃を行った。そんな雑踏のなかでも、初老の男たちで構成されていた楽団たちは“主よ御許に近づかん”をかなでていた。

「こんな時にだれも聴いとりゃあせん」と一人の楽団員が演奏をやめようとする。
「こんな時だからこそ、弾くんだよ」と別の楽団員がバイオリンを弾き始める。

だれもが自分たちの使命を理解したように、かすかな微笑を浮かべてお互いの意思を確認すると、彼らは再び音楽をかなで始める。
船は船首から海中に没しつつあった。突後2時間40分で巨船は多くの客と共に海中に没した。船長スミスも、設計者も海底に消えた。ライトラー二等航海士は辛うじて転覆したボートにすがって、急行したカルパチア号に救助された。生存者僅かに705人、実に1502人が大西洋のもくずとなった。翌朝、遭難現場を通過する船上から、ライトラー二等航海士は悲劇の海を見詰めた。その海に、あの楽団のバイオリンが浮かんでいた。

by ssm2438 | 2009-03-17 04:20
2009年 03月 17日

E.T.(1982) ☆☆☆

f0009381_4115814.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:メリッサ・マシスン
撮影:アレン・ダヴィオー
特撮:ILM
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ディー・ウォーレス
    ヘンリー・トーマス
    ロバート・マクノートン
    ドリュー・バリモア
    ピーター・コヨーテ

        *        *        *

誰でも知ってるスピルバーグのサイエンス・ファンタジー。スピルバーグのいいところは、前振り抜きの全部がクライマックス的演出でみせてしまう、観客が見たいシーンをこれでもか、これでもかと見せてれすそのサービス精神の旺盛さだろう。ただ、みている側は、与えられた情報で楽しめばいいけど、自分の頭で消化する楽しみがない作品ばかりという反面もある。エンタテーメントを楽しみたい、観客としてのみ存在する人(その内側に自分もクリエイターになりたいという欲求が皆無な人)にはとても楽しい映画なのだが・・・。

<あらすじ>
地球を訪問し、植物を観察し、サンプルを採集している宇宙人たち。その一人が宇宙船から遠く離れた崖の上から郊外の住宅地の灯にみとれていた。宇宙船の着陸を知った人間たち。宇宙船は危険を察知して離陸するが、先ほどの宇宙人が地上にとり残された。

住宅地に住む10歳のエリオット(ヘンリー・卜ーマス)のもとに、その宇宙人はやってきた。エリオットは彼を自分の部屋に隠す。翌日、仮病をつかって学校を休んだエリオットは宇宙人との時間を持った。そして帰宅した兄と妹に紹介する。宇宙人は太陽系を遠く離れた星からやって来たことを、超能力でボールを宙に浮上させて説明した。E・TはTVの「セサミストリート」を見ながら、英語を覚え、家に電話したいといい出す。E・Tはノコギリや傘を使って通信器を作り、故郷の星に連絡をとることに成功。
しかし、E・Tは成れない環境にいたせいか、どんどん衰弱していく。自分たちだけでは手に負えないと判断した子供たちは母のメリーにE・Tをみせる。NASAの科学者たちも押し寄せてくる。かれらの看護もむなしくE・Tは動かなくなる。悲しむエリオット。しかし最後のお別れをエリオットがしていると、E・Tの胸が赤くなる。彼は死んでいなかったのだ。エリオットは友人たちの協力を得て、追う科学者の一団をふりきりE・Tを森に運ぶ。そこに宇宙船が着地、E・Tは仲間たちのもとへ帰っていくのだった。

by ssm2438 | 2009-03-17 03:41 | S・スピルバーグ(1946)
2009年 03月 16日

ブリキの太鼓(1979) ☆

f0009381_2334699.jpg監督:フォルカー・シュレンドルフ
脚本:ジャン=クロード・カリエール
    フォルカー・シュレンドルフ
撮影:イゴール・ルター
音楽:モーリス・ジャール

出演:ダーヴィット・ベネント

        *        *        *

1981年キネマ旬報年間ベストワンの映画がこれ。映画の専門家と、自分の価値観がなくて映画評論家が「良い!」という映画を「良い!」と思ってる人だけが「良い!」って言うクソ映画。生産性のかけらもない。この頃はこの手の映画が実におおかった。テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』とかエルマンノ・オルミ『木靴の樹』とか(そういう『木靴の樹』は嫌いではない)。イギリスも「てめーらかってに腐ってろ」映画がおおいけど、ドイツも実におおい。これもその一つ。というか、フォルカー・デュレンドルフはぜんぶ「てめーらかってに腐ってろ」映画じゃないかなあ。『セールスマンの死』(1985)もクソ映画だった。

3歳で勝手に自分の成長をとめたオスカル少年(ダーヴィット・ベネント)。そう、この物語でかってに自分で自分の成長をとめられるのです。もちろん根拠はない。というわけで、作品全体はブラック・ユーモアのダークサイド・ファンタジー。ブラック・ユーモアの映画に名作なし!の定義を肯定する一作となってます。子供のままでいることで、大人社会に参加しない立場をとってるわけですが、それも卑怯! まるでどっかの漫画の精神年齢高いくせに子供として生きて、大人社会の軋轢から自分を守ってるみたい。
一言で言って歯医者の自己肯定映画。あいつら(大人)はこんなんだ。こんなんで力をもっている。力をもっている人間は所詮こんなもんだ・・みたいな。そんな大人たちを精神的攻撃するかのようにエロ・グロ・残虐シーンを連打。海岸に打ち上げたれた・・ってのはフェリーにの映画でもありましたな。おまえら大人たちだからこんなシーンみても平気だよね~みたいな。ああ、大人たちはこんなシーンみても平気だよ~って顔しないといけないから大変だね~って。

はあ~、ドイツ映画に名作なし!(『未完成交響楽』を除く)
ドイツ人には映画をつくる(ロマンを語る)才能ないです。彼らはドキュメンタリーだけとってればいいんだ。

by ssm2438 | 2009-03-16 21:43
2009年 03月 16日

イージー・ライダー(1969) ☆

f0009381_19521695.jpg監督:デニス・ホッパー
脚本:ピーター・フォンダ
    デニス・ホッパー
    テリー・サザーン
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:ザ・バーズ

出演:ピーター・フォンダ
    デニス・ホッパー
    アントニオ・メンドーサ
    ジャック・ニコルソン

     *     *     *

アメリカン・ニューシネマという無責任を垂れ流していたときにクソ映画のひとつ。

「自由」というのは「責任」によってのみ得られるもので、より大きな自由を得たいとおもったらより大きな責任をになえばいいだけのこと。でも時々勘違いしたおおバカ者たちがいて、自由=無責任だと思っている。個人が集団を守ることによって、集団が個人を守ってくれるシステム、それが「国家」。それもわからん野郎が薬やってうだうだ言うな! お前ら撃たれて死んで当然だ! 胸糞が悪くなる連中だ、まったく・・。
最後の一発ドカンは実に気分がいい!!

by ssm2438 | 2009-03-16 19:37
2009年 03月 16日

愛がこわれるとき(1990) ☆☆

f0009381_19311761.jpg監督:ジョセフ・ルーベン
脚本:ロナルド・バス
撮影:ジョン・リンドレー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:ジュリア・ロバーツ
    パトリック・バーギン
    ケヴィン・アンダーソン

        *        *        *

ジュリア・ロバーツをピンで売ろうとハリウッドが試みた一番最初の映画。個人的にはジュリア・ロバーツには燃えるものがないのでどうでもいいのだけど、どうもアメリカには彼女が好きな男がおおらしい。好きな女優ランキングでトップになってたのがこのころの話。
潔癖症で暴力的な夫とから逃げて、新しい場所で新しい人生をはじめた女が、やっぱり過去につきまとわれている話。普通のサスペンスです。

投資コンサルタントのマーティン(パトリック・バーギン)とその妻ローラ(ジュリア・ロバーツ)は、見かけは申し分ない若い夫婦だが、異常に神経質で猜疑心の強いマーティンは、ひとたび激情に駆られるとローラに暴力を振るっていた。そんな生活に3年以上も耐えてきたローラは、クルージングに出て暴風雨に遇った夜、海に飛び込んで姿を消す。マーティンは彼女が溺死したと思い込んだ。実はローラは生きていた。彼女は浜辺に辿り着くと、あらかじめ用意していた荷物を手にアイオワの小さな町に向かった。
家を借り、名前をサラ・ウォーターズと変え、過去を隠して第2の人生を送り始めたローラ。そんな彼女にも隣家に住む大学の演劇教授のベン(ケヴィン・アンダーソン)との間に淡い感情がうまれはじめていた。
マーティンはローラの居場所を知る。ふと棚を空けると、田なの中の缶詰がきれいに、すべてラベルをこちらにむけておいてある。ローラは恐怖にかられる。裏切られた感をもつマーティンは憎しみの復讐鬼となりローラを襲う。そこへ駆けつけたベンとの間でもみ合いになるが、追い詰められたローラはマーティンの手から必死で銃を奪うと、もはや愛していないかつての夫に向けて引き金を引くのだった。

by ssm2438 | 2009-03-16 19:03
2009年 03月 13日

Mr.インクレディブル(2004) ☆☆☆☆

f0009381_2274477.jpg監督:ブラッド・バード
脚本:ブラッド・バード
音楽:マイケル・ジアッキノ

     *     *     *

‥‥実家に返ると気分は<ニュー・シネマ・パラダイス>、中学校~高校っと映画ファンきどってた時代にお世話になった津山の明宝会館に一度は足を運ぶようにしてるんですよ。本来はメジャー系の映画なんて、ほとんど見ない方だから、このての映画をとりあえず見てしまう貴重な機会とあいなってるわけです。 でも、正直な話、ファミリー映画ってジャンルのものは大嫌い。 どうも私は、映画っていうのはある種の怖さを持ってて欲しいって思ってる節が在る。
小学生のころ、字幕なんてものもよめたかどうだか怪しいというのに、父と津山に出た時には、ついつい映画を見に行くことをせがんでた。 当時は、『007は二度死ぬ 』ですら怖く思えた(これ、明宝でみたの覚えてるんですよ)。スペクターの宇宙船が、ソ連とやらアメリカやらの宇宙船の見込んじゃって、その時宇宙遊泳してた飛行士のケーブルが切れて漆黒の闇に沈んで行くシーンでも怖かった。でも、見たい。なんていうのかな、子供の頃の私にとっての映画って、感性を育てるハードルみたいなもんで“この怖さを耐えられたら一歩大人に近づくんだ”‥みたいな、そんな感じのもの。
これは映画にかぎらず、我々の世代が子供のころみせられた子供向け番組、『ウルトラセブン』やら『怪奇大作戦』やらでも、そうなんだけど、 あれが面白いと思えたのは多分、大人の疑似体験(それはある種の怖いものなんだけど)を与えてくれたからなんだろうなあって思う。 にもかかわらず、いわゆる今で言う「ファミリー映画」というのはそういうものではないからちょっと見る気もしないって、気分にさせられるのだけど、実はこの『Mr.インクレディブル』も見る前はそう思ってたのだけど、 いやいやいやいや、悔しいかな楽しませてもらいました。
ピクサーいかす!
世間でもけっこう評判よさそう。

なんでも「『スパイキッズ』ぱくり」だとかいうコメントもみられるけど、どうもそういうコメントみるとげっそりしてしまう。この世の総ての映画は(映画にかぎらず、絵画でも、音楽でも)所詮はすべてパクりでしかないものだし、それをどうその人が自分也の解釈し、アレンジしたかって事でしかないんだから。たぶん、我々のような、もの作り分野に居る人みんな知ってると思う、『オリジナリティ』なんて言葉は実は幻想なんだって‥‥。
あれは、実はモノを作らない人、その周りに寄生しこから発生する利益を吸い上げてる人たちが作り上げた利益誘導目的のためだけのまやかしの言葉だと思う。

全然別の話になるけど、うちのプロジェクションテレビ(40型)のリモコンの調子が悪くパイオニアさんにちょっと修理に来てもらった。さあすがにプラズマテレビが出る前の大画面テレビだからいい加減へたってきてるんだけど、その時DVDレコーダーのブロックノイズの話なんかをしてた。うちのDVDレコーダーはパイオニアさんが出したHD付きDVDレコーダーの初期のやつでDVR-77H。私の知り合いがそのやっぱりパイオニアの次の世代のDVDレコーダー買ったのだけど「うちの新型ブロックノイズが出るんだけど、おまえのことどう?」って聞いて来る。
その話をパイオニアさんの技術屋さんに聞いてみたら、77Hの次の世代のマシンって、実は解像度が上がってるらしい。でも、だからこそ拾わなくてもいいノイズ信号まで拾ってしまうので、ブロックノイズがちらちら出ることがあるとか。器械的、数字的には性能は上がってるんだけどそれがそのまま、人間に見易いものになるかって部分はイコールではないらしく、今出始めた3世代目のDVDレコーダーは、77H系のシステムにちょっと戻しぎみにしてあるとか。最近のテレビは<明るさ><コントラスト>のほかにも<シャープ・ソフト>の調整も出来るようになっているものがほとんどだけど、それを最大限にシャープにしてみてると目が疲れるのと同じで、心地よくみるにはある程度の色に滲みも必要だそうです。
なにが言いたいかというと、犬笛は周波数が高過ぎて人間には聞こえない音だって事実。 解像度が高過ぎても、人間には見易い画面 にならないってこと。 人間がここちよく生きられるレンジと、理屈的数字は違うんだってこと。
<パクり>とは多少ニュアンスが違うんだけど、考えてしまうんだよね、 知的所有権やらコピーライトってものをとりとめもなく言い出した時に、それが人間が心地よく生きられるレンジを超えることはないのかってことを。 私はあるような気がするんだ。
ある程度以上を追求すると、それは反対に人間社会生活に害になってしまうある種の限界のラインが。 どっかの社会学者がそのことを語りはじめてもいい時期だと思うのだけど‥‥。 私は謙虚だから、その人にノーベル賞は譲るよ(笑)。
私の好きな映画でリドリー・スコット『エイリアン』ってある。 これって『かぐや姫』のパクりじゃんって思うのは私だけ? エイリアンがその胎児を人間社会に挿入し、そこで育てさせて、成虫になったらそのお腹を喰い破って出て行く。 繭となった側は理由も判らずただその痛みに悲鳴をあげるのみ‥‥って。

‥‥という、『Mr.インクレディブル』はいろいろ考えさせてくれる面 白い映画ってことで、あまりにまとまりのない年始めのコラムになってしまいました。 もひとつおまけに‥‥、 あの面白さがわすれられず、東京に戻ってからうちのカミさん無理矢理連れて『Mr.インクレディブル』<字幕版>も観にいったんだけど、最初にみた<吹き替え版>のほうが気持ちよかったなあ。こっちのほうが素直に笑えるところが多かった。 CGのキャラだと吹き替えでも違和感ないからけっこういいよ。実は公開が終ってしまう前にもう一回は見ようとおもってるんだけど、吹き替え版でみたいと思ってるニシザワでした。 。

by ssm2438 | 2009-03-13 11:31 | ブラッド・バード(1957)
2009年 03月 13日

ステルス(2005) ☆☆☆☆

f0009381_273929.jpg監督:ロブ・コーエン
脚本:W・D・リクター
撮影:ディーン・セムラー
音楽:BT

出演:ジョシュ・ルーカス
    ジェシカ・ビール
    ジェイミー・フォックス
    サム・シェパード

     ×     ×     ×

ジョン・バダムに撮らせたら実にはまった映画ではないかと思った。敷居の低い欲で来たB級映画。基本は硬派系映画がすきなのだがたまにこういうB級でよく出来た映画をみると嬉しくなってしまう。思わずDVDを注文してしまった。もちろんB級映画枠あっての「良く出来た」なのA級レベルで見ては行けない。ここを取り違えると面白いのに「つまらん!」って云ってみたくなったりする(苦笑)。
映画の宣伝みると、気の狂ったAI 装備の無人ステルス戦闘機があばれまくってさあ大変!!‥‥みたいな良くある<人類 vs コンピュータ>のノリかと勘違いしてしまうのだが、そこに行かないドラマなのだ。もちろんそういうシーンもあるのだが、それを扱う人の話であり、<CGを使う戦闘機の空中戦>っていうのが基本の売りにしてもストーリーの基本ラインは<人がメカを操るドラマ>というラインは崩していない。そのへんが妙に好感もてたかな。
そのむかし、同じようなネタで『イントルーダー/怒りの翼』なる映画があった。ベトナム戦争時代、イントルーダー(海軍の戦闘爆撃機)にのってサイゴンを攻撃する話。脚本はジョン・鷹派・ミリアス。当時CGがメジャーになってない時代、ミニチュアでなかなか楽しい画面を創ってくれて、私個人としてはかなり好きな映画のひとつだ。その最後で攻撃に出て撃墜されてからのサバイバルっていう展開になるのだが、この『ステルス』をみてると“おお~~~、これじゃこれじゃ!!”って感じでニヤってしてしまう。人にポイントを置かなければこういうストーリーの組み立ては出来ないのである。作り手の良心を見た思いがした。

まず監督のロブ・コーエン。ノリ系である。『ワイルドスピード』とか『トリプルX』とか。
この<ニリ系>っていうのはいったいどんなのか?というと、ストーリーとか心情とかをしっかり見せる演出ではなく、ノリノリの音楽流してそれに見合う画面をつくる‥‥ある意味テレビドラマのオープニング的画面作りといってもいいかも。やたらとカメラ移動があってミュージックのノリで見せるのがこの手の演出の特徴。ただ、これはやりすぎるとストーリーのシリアスさがスポイルされる事が実におおい。本来ストーリーがもっている社会的問題の提示とか、ちょっとたちどまって考えてみたい自分の在り方とかをさらりと通り過ぎることになる。ま、頭をつかって楽しまないやからにはいいのかもしれないが‥‥。
最近ではスカーレット・ヨハンソンの出てた『アイランド』などがこの良い例。監督が『アルマゲドン』マイケル・ベイなのだから仕方がない。ノリ系画面ばっかりのアクションシーンで、そのシーンの痛みとか怖さとかがほとんどなく、ただBGMのように画面が流れる。なのでストーリーが本来基本にしてた<クローン技術からくるある種の恐怖:ものが2つになればその価値は半減する>の部分がないがしろになりドラマ性が弱く見えてしまう。この映画、テーマ的にじっくり考えたい、脳みその奥で楽しみたいポテンシャルを多く含んでいただけに、こういう演出をされるともったいない。ただ社会のディテールとか小物とかもしっかり作れているので、ノリ系演出でなかったらなあって残念に思ってしまった。

 『ステルス』の物語は今からそう遠くない未来。

アメリカ海軍は3機のステルス機タロンからなる小隊を訓練していた。そして空母への実践配備。そこでもう一機機体と合流することになる。やって来たのは無人ステルス戦闘機エディ。
いよいよエディを含めた4機ので作戦行動訓練が行われるのだが、その途中都合よくミャンマーのラングーンでテロ組織が密会をするという情報が入って来る。ステルス効果をいいことに外交無視の攻撃作戦が実行される(このへんはかなり強引)。
テログループが集う場所は建設中のビル、それもダウンタウンのまっただ中。そこを攻撃できるとしたら上空から垂直落下し発射するミサイルの速度をあげ、14メートルのコンクリートの屋根を貫通させてそれを撃ち込むしかない。人がそれをやれば失神する可能性78%司令部はこれを機にエディに作戦の実行をやらせようとするが、小隊の隊長ベン・ギャノンは初物不安からこれに反対、命令を無視して自己の判断で攻撃を観光成功させる。彼らの作戦行動から学ぶエディは<命令無視>のコンセプトまでインプットしてしまう。
帰還しようとすると雷にうたれてエディクラッシュ。お、いつものパターン!?
人間に反逆するコンピュータのイメージは『2001年宇宙の旅』で出て来たハルのイメージはあり、「あいつは信じられんぞ」と密会する会話を聴くシーンはいかにもそれっぽい(苦笑)。いよいよコンピュータが意思をもちっはじめるのか??と思いきや、ま、若干その傾向はありつつもそれほど露骨にはこっち方面には向かなかった。ただ、その味はのこっているだけに、シナリオ製作段階で2転3転したのではないかとかんぐってみたりする。ただ、物語の性質としてそちらに行かなかったことはとってもほめられる。

次の作戦はタジキスタン。テロリストグループが核弾頭を旧ロシアから買い取ったとかでそれの殲滅が使命となる。
攻撃に向かったタロン3機と+エディだったが、それが行われた場合の被害予測をすると人的被害が大きく作戦の中止を決定する隊長ギャノン。しかしエディは攻撃を続行。テロリストの所有するランンチャーは破壊するが、核の死の灰も近隣に降り注ぐことになる。
今後しばらく宣伝の中身よろしく、命令無視を続行するエディが描かれるパートに入るがとりあえずさらりと終了。作戦行動中にタロン機の1機は爆発、ジェシカ・ビールの乗る2号機もその破片を受けてい北朝鮮領域に墜落。
なんとかエディを説き伏せたギャノンはアラスカ基地に戻るがそこでは作戦をなかった事にしようとする政治的工作が進行してあやうく殺されかかる。やがてこの場を乗り切り、エディにのりこみ、ジェシカ・ビールを救出に北朝鮮に向かうギャノンであった‥‥。

コンピュータがいつまでもぐれてないで、こりゃだめだと思ったらすぐ人間の指揮下にもどる合理性がとっても素敵。

‥‥そんな話。

あと、あまり技術的なことはいいたくないけど、CGはほんとに良く出来てる。よいCGってアナログのようにみせられること‥‥って誰かが云ってたが、まさにそんな感じ。いかにもCGでつくってますよって感じがしないくらいかなり自然に戦闘機のドンパチを創り込んでいる。その姿勢には拍手をおくってしまう。
この映画のよさって、このCGのアナログ感と物語が<人間 vs コンピュータ>のありきたり路線に行かなかった事。あくまで<人間の的は人間>の範囲にとどめたこと。これはたぶんスポンサーとか映画会社とかからの軋轢があったとおもわれるんだけど、頑張って人間本意のストーリーラインを死守した人たちの功績だね。トータルパッケージとしてはよくあるCGをフルに使ったドンパチものなんだけど、その中に作り手の良心を感じる。でも、B級なんだけど。でも頑張ってる。この頑張ってるB級ってのは実に愛らしい。。

PS:キャラで拾いモノだったのがジェシカ・ビール。ステルス隊の紅一点なのだか妙にいい。他の映画もすこしあさってみたが、いいのはこの映画だけのようにである。
彼女の画像UPしとこうか。じゃん!
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うむむむ〜〜、正直なところ写真でみると普通で、これといって特徴なさげだけど、『ステルス』のなかで動いてるととってもチャーミングなんだ、これが。

by ssm2438 | 2009-03-13 08:15