西澤 晋 の 映画日記

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2009年 04月 16日

愛人/ラマン(1992) ☆☆☆

f0009381_1725417.jpg監督:ジャン=ジャック・アノー
製作:クロード・ベリ
脚本:ジェラール・ブラッシュ、ジャン=ジャック・アノー
撮影:ロベール・フレース
音楽:ガブリエル・ヤーレ

出演:ジェーン・マーチ
    レオン・カーフェイ

        *        *        *

本人の自伝的小説の映画化なので、原作者のM・デュラスも想い入れがあり、監督のアノークロード・ベリとは確執があったみたいですね。売るほうとしてはある程度売れるものにしたいし、原作者にしてみれば自分の過去だけに、正確に描いてほしいだろうし・・。
特に違うのがなんでもレオン・カーフェイだそうな。彼だとカッコよすぎで威圧感があり、ほんとはもう少し繊細でなよとした人だったらしい。個人的にはそのほうがリアリティあっていいのだけど、ビジュアルでみせるドラマとしてはどうしてもカッコいい人を愛人の男にしたかったのでしょう。
対して感情もないのにさらさらと愛人になってしまうジェーン・マーチに最初はびっくり。でも、女という生き物は男を好きにならない生き物だということが判った今では、けっこう普通に思えた。

ちなみにタイトルの「ラ・マン」は男性名詞だとか。なので、「愛人」というのは、ジェーン・マーチではなく、レオン・カーフェイ演じる男のほう。

ジェーン・マーチはこの映画のなかで輝いていた。あのちょっと上にめくれ上がった唇がとても素敵。隙間がいっぱいある部屋のなかで、そとには通行人の雑踏があり、板で仕切られたその空間でする情事というのが実になまめかしくていい。都会のトイレでも、あのドアのしたにある隙間がポイントなのであって、あれがないとなんだか重要なエッセンスがなくなってしまう。そとの空間を感じさせることが密室を描く上ではとっても大事。外側からない密室なてのは実につまらない。刑事どらまの取調室も、そこにマジックミラーがあるからある種のテイストがあるのだし、そとで聞こえる足音があるから、妙なリアリティが出るもの。あのエッチするための部屋の描き方は実によかった。あの部屋の描写とジェーン・マーチのスレンダーな肢体がこの映画のすべてだった。

その少女の父はフランスからここに移り住んだが死んでしまい、残こされた母は耕作不能な土地を買わされほとんどの資産を無にしてしまった。なんとか小学校を経営しながら生計をたてているが、上の兄は阿片で働く意欲を失い、下の兄をいじめ抜いている。貧乏な西洋人と金持ちの中国人という、常識とくらべて立場が反転している環境下で物語りは進む。

<あらすじ>
1929年、フランスの植民地インドシナ(現在のヴェトナム)。
最初の出会いはメコン川を行く船上だった。そして数日が過ぎ、田舎町サデックの自宅から寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女(ジェーン・マーチ)に、黒いリムジンからその男が降りてくる。彼は地元華僑の資本家の32歳の息子(レオン・カーフェイ)。彼にさそわれるままに、車に乗り、中華街ショロン地区につれていかれる。通りは騒がしく、隙間から人通りでたえず変化する日差しが差し込ム部屋で、彼女はその男に抱かれた。そしてその関係をつづけていく。
母親は娘の変化に気づきながらも、娘を通して金品を援助してくれる男を黙認した。しかし、男は父親の命令通り中国の富豪の娘と結婚式をあげ、少女は家族とともにフランスに帰国することになった。フランスへの旅立ちの日、船の上から男のあの黒いリムジンが見えたとき、少女は初めて涙を流した。

・・・・でも、愛してなかったと私はおもう。

by ssm2438 | 2009-04-16 15:53
2009年 04月 16日

課外授業(1975) ☆☆

f0009381_13375878.jpg監督:ヴィットリオ・デ・システィ
脚本:ヴィットリオ・デ・システィ、パオロ・プリゲッティ
撮影:マリオ・マシーニ
音楽:フランコ・ミカリッツィ

出演:キャロル・ベイカー
    ロッサリーノ・チェラマーレ
    レオポルド・トリエステ
    レオノーラ・ファニ

        *        *        *

私の映画ファン元年の映画。この年から映画ファン(親と一緒ではなく、怪獣映画でもない一般映画を劇場でみることを)をはじめている。内容がエッチだっただけに胸ときめかせながら、友達と一緒に見に行った映画。弱みを握られた音楽教師(キャロル・ベイカー)が男のいいなりになりながらエロスをみせてくれる。

なんでもこの映画のなかのキャロル・ベイカーはすでに40を越えていたとか。それでも十分きれいだった。主人公の男の子の彼女はレオノーラ・ファニで、後の増村保造『エデンの園』にでているのだが、それ以降はどうなってしまったことやら・・。めっちゃかわいいとは思わなかったが、増村映画にでてくれただけでも思い出深い女優さんだ。

<あらすじ>
アメリカからイタリアの片田舎に赴任してきたピアノ教師フロメンティ(キャロル・ベイカー)。彼女に夢中になるアレッサンドロ(ロッサリーノ・チェラマーレ)。そんな彼は、彼の友人ガブリエル(レオポルド・トリエステ)の妹パオラ(レオノーラ・ファニ)と仲は良かったが、深い関係にはなってなかった。

ある日、家路を急ぐ先生をみつけたガブリエルは興味本位に後をつける。翌日彼は、彼女の部屋をのぞき、自慰にひたるピアノ教師フロメンティを盗み撮ることに成功した。弱みを握られたフロメンティはガブリエルの言いなりになるしかなかった。
最近成績の落ちたアレッサンドロを心配した母親は、原因が先生にあるとも知らず、彼女を家庭教師に頼む。二人きりでピアノを弾くことができるアレッサンドロは有頂天だった。しかし彼女は日をおうごとに沈みがちになっていく。学校では胸の透けたブラウスを着たり、脚を広げて股間を見せるように座る彼女。個人レッスンの時にガブリエルのいるときに個人レッスンにきたフロメンッティは、アレッサンドロに乳房をさわらせたりもする。彼のなかで清楚な彼女のイメージはくずれていった。
そしてパオラの家(ガブリエルの家でもある)を訪れたとき、偶然でガブリエルの部屋で盗み撮った写真を見つける。ガブリエルを殴り倒し、写真を彼女の手に戻した夜、アレッサンドロは先生との甘美で幸せな一夜。先生が帰国した日、むせかえるような緑の草原でアレッサンドロは恥じらうパオラと幸せに結ばれる。

by ssm2438 | 2009-04-16 12:42
2009年 04月 16日

ルー・サロメ/善悪の彼岸(1977) ☆

f0009381_7231443.jpg監督:リリアーナ・カヴァーニ
脚本:リリアーナ・カヴァーニ
    フランコ・アルカッリ
    イタロ・モスカーティ
撮影:アルマンド・ナンヌッツィ
音楽:ダニエル・パリス

出演:ドミニク・サンダ
    エルランド・ヨセフソン
    ロバート・パウエル

        *        *        *

ドミニク・サンダファンだけみればいい作品。そういう私は彼女のファンです。

ドミニク・サンダはクールビューティだよね。で、やっぱり悪女が似合う。でも清楚な感じ。ただ、これだけベンピンさんなのに、それほど私がおもってるほどメジャーでもないという・・想い入れがある人にはあるが、今となってはあまり世間に知られてない人になってるかもしれない。
でも、いいですよ、ドミニク・サンダ。あのダメ映画『世界が燃えつきる日』も彼女が出てたらか見たようなもので、でも、あんまりああいうのには出てほしくないなあ。監督の演出も下手すぎて、彼女の良さが全然でてなかった。この人はひたすらヨーロッパの映画でクールな婦人を演じててほしいものだ。

本編は全然おもしろくありません。3人の共同生活が見せ場顔思えばすぐ壊れるし・・、個人的にはそこだけで物語を構築してほしかったけど・・・。理性でアンコンベンショナルなことをやってみたが、人の感情はそんなに都合のいいものではない・・みたいなところをじわじわと。

劇中には実存した人物が登場するが、リリアーナ・カヴァーニ後天的につけたイメージであり、本人たちの伝記ものとしての映画としてはとらえられないだろう。本人たちの名前を、逸話をちょっとどろどろしたもとしてかなりのアレンジをくわえた・・というのが正解だろう。

f0009381_7465632.jpg<あらすじ>
1982年のローマ。大勢の知識人が集まあるサロンにパウル・レー(ロバート・パウエル)とフリッツことフリードリッヒ・ニーチェ(エルランド・ヨセフソン)はきてたい。ひときは美しいロシア人女性のルー・サロメ(ドミニク・サンダ)を目にする。パウルとルーはすぐ親しくなったが、ルーは「二人の生活なんて牢獄と同じ。古い道徳を無視して新しい経験を私はしたい」と、ルーとパウル、そしてフリッツの三人で共同生活をすることになる。
しかし、この共同生活も、人間の感情の前には無理があり崩壊、崩壊する。パウルは医学の道をめざし、ベルリンへ、フリッツはヴェニスへと旅立った。精神に異常をきたしてくるフリッツ。一方ルーはカール・アンドレアス(ミシェル・デガン)という男の脅迫同様の求婚を断れなくなってしまい、結婚する。失望したレーは姿を消し、やがてルーは、彼の死をしることになる。

by ssm2438 | 2009-04-16 07:12
2009年 04月 16日

愛の嵐(1973) ☆☆☆☆

f0009381_15441631.jpg監督:リリアーナ・カヴァーニ
脚本:リリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティ
撮影:アルフィオ・コンチーニ
音楽:ダニエレ・パリス

出演:ダーク・ボガード
    シャーロット・ランプリング

        *        *        *

デカダンス映画の決定版といえばやっぱりこれ、『愛の嵐』だろう。やせ細った裸のシャーロット・ランプリングがドイツの将校の帽子をかぶり、サスペンダーでズボンをはき、黒のラバーの長い手袋をして踊らされているシーンのビジュアルは永遠のビジュアルとなっている。高貴な貴婦人がジャムのビンに手を突っ込んでむさぼるあの卑猥性。どこかで逃げ出そうと思えばそれが出来るのに、供に堕ちて行く道を選んでしまう女。倒錯に向かう酔い。
当時、これはどういう映画なんだと興味深深だったが、今みたいにビデオがあるわけでもなく、なかなか見ることはできなかったのだが、80年代になるとビデオも普及しレンタルショップで借りてみた。当時は全然面白くなかったのだが、もう少し鑑賞力がついてから見るといやはや・・・なかなか良い映画だった。

アメリカ版の原題は「ナイトポーター」、こちらのほうがあまり意味づけしてなくていい気もする。どうも「愛」とは違うような気がして・・、いや、「愛」かもしれないが「嵐」ではないような・・。このタイトルには若干の違和感があるかな。

<あらすじ>
1957年、冬のウィーン。マックス(ダーク・ボガード)は元ナチス親衛隊員であった過去を隠し、ホテル・オペルのナイトポーターとして働いていた。そこに若手指揮者アザートンの夫人ルチア(シャーロット・ランプリング)が訪れる。
二十年前、ルチアはゲットーに捕らえられたが、他の者たちが殺される中、マックスの倒錯した性の愛玩具となることで生き延びた。その一シーンがシャーロット・ランプリングが裸で踊るシーンだった。思い出したくない過去に出くわしたルチアは、夫のアザートンをうながして即座にウィーンを去ろうとする。しかし夫はルチアを残して単身フランクフルトヘ飛び立ってしまった。一人になったルチア。マックスは「何でここに来た」と殴りつける。激しくもみあううちに、かつての性の営みが蘇るふたり。二人は熱い息をはきながらお互いの体をむさぼりあっていた。
それから数日後、ホテルの一室では、マックスを交えたかつての親衛隊員の会合があった。彼らは自分たちの悪行を証言する可能性のある人間をやみに葬りつつ、戦後を生き抜いてきたのだ。その新たなターゲットとしてルチア浮かび上がった。
マックスはルチアを自分のアパートにかくまい、仕事もやめて倒錯した愛に溺れていった。地上からつねに見張られ、食料を買いに行くことさえ出来なかった。電気も消され、飢え、歪んだ愛と憎悪と哀れみをぶつけながらの悲惨な幾日かが過ぎた。真夜中、マックスは二十年ぶりにナチスの制服をとり出して身につけた。一方、ルチアも収容所時代に着用していた服と同じようなワンピースをつける。二人が車に乗り込むと、尾行車も動きだす。車がドナウの橋にさしかかると、二人は車を棄て、橋を歩き始めた。そのとき、銃声が二発轟き、二人はくずれるように倒れた。

by ssm2438 | 2009-04-16 05:58
2009年 04月 15日

パンチライン(1988) ☆☆☆☆

f0009381_1132873.jpg監督:デヴィッド・セルツァー
脚本:デヴィッド・セルツァー
撮影:レイナルド・ヴィラロボス

出演:トム・ハンクス
    サリー・フィールド

     *     *     *

美しかりし女優シリーズはいきなり終了、レニ-・ブルース繋がりでちょっとこの映画を紹介したくなった。
レニー・ブルースといえば、毒舌系のスタンダップ・コメディアンであるが、この映画の最後のスタンダップコメディのコンテストでトム・ハンクスがレニ-・ブルース的スタンダップコメディを披露する。そのシーンがもう一度みたくなって、ネットでこの映画の中古を注文した。
で、久々にみた『パンチライン』いいわ。思わずうるうる来るシーンもちらほら。いい映画だわ。 とにかく孤独の描き方が上手い。コメディといえば[ギャグのシーン]+[悲しき音楽]。これこそは孤独に関する無敵の演出テクであるのが誰もが知ってるところだと思うがこの映画でも実にいい味をだしてくる。

ドラマの冒頭、怪しき店に大きな眼鏡をした30代後半の女性ライラ(サリー・フィールド)がはいってくる。店にはもう独り男がカウンターに座っている。たどたとしく合い言葉をかわすふたり。「ものは確かなの? みせて?」「‥‥ここまでしか見せられないな」「いいわ、買うわ」って商談成立したらしげ。実はこれ、ショーで使うジョ-クのネタを買っているのである。
しかしそのネタはもうみんなが知っていて、会場に客に先をオチ(パンチライン)を言われてしまい、「あらま、あなにももう知ってたのね」と凹むしかない 。
ライラは、学校のどのクラスにも一人は居ただろう笑いを起こすのが上手いキャラだったようだ。その能力こそが自分を他人とは違ったものにする唯一の存在証明だったのだろう。そうしてステージにたつ彼女だか、毎日の子供の世話や旦那の世話でうんざりしきりでギャグもさえない。会場からもなかなか笑いが取れないでスランプぎみ。
そんなライラが店で一目おくコメディアンが医大ドロップアウトしたスティーブン(トム・ハンクス)、彼は観客のひとりひとりをネタに次から次へと笑いを創造していく。

ある日の午後、ジョークのネタをかったその店でスティーブンとばったり出合うライラ。「コメディアンは遊びじゃない」「才能のある奴には優しくしないんだ」「SEXネタで受けるとおもってるのか?3人の子持ちの主婦ならそれをネタにしろ。そのツボにハマれば5分で客をつかめる」「ほんとの学びたいなら毎晩ステージに立て、パーティ、宴会、余興、なんでもいい」。
夕飯の食事の支度があるにもかかわらず、そんなスティーブのバイトとやらについて行ってしまうライラ。
そこは病院だった。患者相手の慰問お笑いトーク。いつもは塞ぎがちの患者達がスティーブのトークに酔いしれれ。幸せそうに笑っている。実にこのシーンはいい。
こういうのはトム・ハンクスの魅力だなあって思ってしまう。
そんなスティーブを憧れで見るライラ。

そんなライラのヒーローだったスティーブンも、あるとき会場にきている父親をみるけるとぼろぼろのステージにななってしまう。医者になんかなりたくもなかったのにその路線にのせられた自分。父への反感と、応えられない自分のふがいなさ(?)。いろんな自虐ネタも観客からは冷めた目線を受けるだけ。軽蔑した冷たい目線で店を立って行く父。
なんだか悲しくてやり切れないスティーブン 。
夜更けのボーリング場で身の上話しなどしてるライラとスティーブン。
「どうせこんな時間だし、つきあえうよ。笑いの秘訣をおしえよう」と夜に店をくりだすスティーブン。そこはどうやらスティーブンの修行の場のひとつらしい。そのステージに立つライラ。なかなかハマらない彼女にスティーブンが客席から間の手を入れる。それを境にどんどんライラトークが冴えていく。
夜明けまじかのタクシーのなかで、ライラにキスをしてしまうスティーブン。

しばらくこもって出てこないライラ。そんなライラの自宅にも電話をかけて呼び出すスティーブン。
スティーブンにとっても、ライラはなにより相性のいい女性であり、努力する自分を認めてくれるもっとも安らぐ場所なのだ。しかしライラは彼女の家族に所属していて、どんなにスティーブンのことを認めていて、相性もいいとわかっていても彼を選ぶことはない。スティーブンにとって自分が選ばれないことは在り得ないことだが、それが在ってしまう現実。雨のなかで『雨に歌えば』するしかない。泣ける…。

優勝者にはテレビ出演が約束されたコンペティションで競い合う事になるそんな二人。
ライラの家庭ネタのトークはみんなに愛される。そんな彼女のパフォーマンスに対してレニースタイルで挑むスティーブン。
実際サリー・フィールドのトークのほうが面 白くみえる。字幕でみるわれわれにとっては、トム・ハンクスのトークはそれほど面白くないのだが、でも何かは感じさせる。これ、英語が判って、向こうの生活環境が判ったらきっとツボをヒットしたトークなんだろうなあって思う。のちのち英字字幕でチェックしないといかんね。でも、それでチェックしても判るとは限らないけど。

仲むつまじく会場をはなれていくサリー・フィールドと旦那を観ていると、フレームに描かれていないトム・ハンクスが果 てしなく、残酷なまでに孤独に思えてくる。
ちなみに、トム・ハンクスはこの映画でLA批評家賞男優賞を獲得している。正しい選択だ!

ストーリーの始めの頃は、どうしようもなさげなライラとその旦那の関係だが、最後はハッピーになっていく。旦那もどんどんいい人として描かれて行く。旦那の言葉にこんな言葉がある。

「おまえのジョークがつまらなくても、この家の者は誰もお前を愛している」

‥‥これがまかり通るなら、努力する人は永遠に勝てない。 ‥‥どうもそういうものらしい。

by ssm2438 | 2009-04-15 11:30
2009年 04月 14日

不都合な真実(2006) ☆☆

f0009381_16412124.jpg監督:デイヴィス・グッゲンハイム
製作:ローレンス・ベンダー
    スコット・Z・バーンズ
    ローリー・デヴィッド
製作総指揮:デイヴィス・グッゲンハイム
    ジェフ・スコール
編集:ジェイ・キャシディ
    ダン・スウィエトリク
音楽:マイケル・ブルック

出演:アル・ゴア

        *        *        *

私は人間に限らずすべての生命は、環境を変えていくように出来ているものだと思っているので、環境を帰るのはけしからん!という基本コンセプトで相容れないのである。わらわれの住んでいる世界は、地球ができていたことは二酸化炭素の大気と硫化水素の海でできていたものを、葉緑素をもったランソウのような静物がその二酸化炭素を吸収し、酸素を発生させたらこのようになったのであって、生命とは環境を変えていくように宿命づけられているシステムだ。そこをほっておいて、今の(あるいは2~3世代さきの)人類にとって都合がいいか悪いかなんてことを論じるの、こういう大局的なテーマを語るにはふさわしくないと思う。
だいたい、誰かにとって都合がいい/悪いを語りだしたら戦争するしかなくなる。この世界のすべての生命が平等なのは、誰にとっても都合のわることがあるから平等なのであって、都合のよさを求めて出た答えなど所詮は大した意味はない。

私はそう思う。しかし・・、この人のプレゼンの仕方はとても勉強になった。やっぱり話しなれてる人はちがうなあって感心した。あと・・、ゴアさん、本気でおもってるのなら中国で説法してほしい。なんでも人類が出す二酸化炭素の25%は中国がだしているそうなのだから。

by ssm2438 | 2009-04-14 16:35
2009年 04月 14日

ナイト・オブ・ペンシルズ(1986) ☆☆☆

f0009381_1384447.jpg監督:エクトル・オリヴェラ
製作:フェルナンド・アヤラ
脚本:ダニエル・コン、エクトル・オリヴェラ
撮影:レオナルド・ロドリゲス・ソリス

出演:アレホ・ガルシア・ピントス、ヴィタ・エスカルド

        *        *        *

ビデオ発売は『ミッドナイト・ミッシング』
これは暗かったね。。もうドツボ。救いようがないくらいドツボの映画。当時アルゼンチンのドツボ映画はけっこうあって『スール/その先は・・・愛』とか『オフィシャル・ストーリー』とか。世界の映画さいでも、前軍事政権の批判をこめて、こぞってアルゼンチンの映画を賞の一角に加えた。

時代背景は次のようなものだった。
戦争に参加してなかったアルゼンチンは、第二次世界大戦での輸出によって富裕国になっていた。戦後発足したペロン政権は、労働組合の保護や労働者の賃上げ、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進め、労働者層から圧倒的な支持を受けてきた。しかしこれらの制作は、戦中に稼いだ外貨によるものであり、すぐに使い果たしてしまう。1949年頃からはアメリカやカナダの増産により食糧輸出は不振となってインフレがおこった。次第にペロンは苦境に追い込まれる。
遂に1955年9月には、海軍と陸軍が起こした軍事クーデターにより大統領の職を追われ、スペインに亡命した。その後亡命先のスペインでナイトクラブ歌手のイサベル・ペロンと再婚する。
亡命から18年近く経った1973年7月に先の大統領カンポラの辞任を受け、ペロニスタ達はペロンに帰国して大統領選挙に出馬することを要請した。帰国したペロンは大統領選に勝利し同年の10月に三たび大統領に就任した。副大統領には自らの妻であるイサベル・ペロンを任じるが、帰国後わずか1年後の1974年7月に心臓発作で病死した。
副大統領であったイサベル・ペロンが大統領に昇格し、世界初の女性大統領となる。就任後は、軍内のペロン支持派とともに亡き夫の政権時代以上に強権的な体制を敷き、1975年には反政府派の弾圧を行ったほか、多数の人権活動家を投獄、殺害するなどし国民のみならず政府や軍の反感を買った。イサベル政権は2年続くが、既にペロン党自体が分裂状態にあり、オイルショックによって300%を超えるインフレーションに見舞われ、経済危機に立たされる。1976年3月に起きた軍事クーデターで解任される。

f0009381_13144382.jpg<あらすじ>
75年、インフレに見舞われていたイザベラ政権下のアルゼンチン。どんどん物価があがるなか、なんとか学費の負担をへらそうと、ブエノスアイレス近郊ラプラタの高校生たちは、バスの学割定期券の発行を求めたデモを行った。そんな学生運動家のパブロ(アレホ・ガルシア・ピントス)とクラウディア(ヴィタ・エスカルド)はお互いに惹かれあっていたが、まだ体を許す関係にはなってなかった。

f0009381_13145780.jpg翌年3月、クーデターによるアルゼンチン全体が軍政委員会の管轄下に置かれることになる。イザベラぺ・ペロンが極左のファシスト政権だったのに反発もあったのだろう、新しい政権のものでは、左翼的行動を取っていた者は、軍部に目をつけられ、学生運動の首謀者たちもあちこちで行方不明になっていた。やがてクラウディアに尾行がつき始めた。そしてある夜、彼女を始めとする6人が何者かによって連れ去られた。危険を感じ身を隠していたパブロもついに発見され、目隠しをされたまま蓮れ去られ、すさまじい拷問受けた。ほとんどを目隠しされたまま、つれまわされ、「デモを先導したものは誰か?」「誰の指示でデモを起こした」と左翼のルーツを探る尋問がおこなわれた。やがてパブロは、シャワーをあびることがゆるされ、獄中で仲間と再会する。目隠しをされたままだが、クラウディアだと判った。
f0009381_13483184.jpg
「前からも、後ろからも犯されて、もう貴方にあげるものがないの・・」 ・・・すごい台詞だ。

やがてパブロひとりだけが釈放された。軍事政権が打倒された解放されたひともいるが、パブロの他の仲間たちはいまだに行方不明である。

by ssm2438 | 2009-04-14 11:39
2009年 04月 14日

長い灰色の線(1954) ☆☆☆

f0009381_2472118.jpg監督:ジョン・フォード
脚本:エドワード・ホープ
撮影:チャールズ・ロートン・Jr
音楽:ジョージ・ダニング、モリス・W・ストロフ

出演:タイロン・パワー、モーリン・オハラ

        *        *        *

ウェスト・ポイントに陸軍士官学校の教官、マーティ・マー(タイロン・パワー)の半生をつづった大河ドラマ。士官学校の教官といえば『愛と青春の旅立ち』ルイス・ゴセット・Jr扮するフォーリー軍曹を思い出す人も多いと思うが、もう人世代上だとこのマーティ・マーだろう。フォーリー軍曹には鬼軍曹というイメージがあるが、このマーティ・マー軍曹はもうすこし人情あふれるキャラクターとして描かれている。ジョンフォードの映画のなかではあまり評判がなかったこの映画だが、見てみるとけっこうよかった。おまけに最後の兵士たちの行進のシーンでは涙がでてきた。フォードの映画で泣けることはほとんどないのだが、この映画は泣けた。

・・ただ、給仕として雇われたマーティがどういう経路で仕官学校の教官になったのかがいまいちわからなかった。一応こういうこと(↓)らしい・・

<あらすじ>
ウェスト・ポイントの陸軍士官学校の教官として50年間勤めてマーティ・マー軍曹(タイロン・パワー)は、辞職命令に不服で、教え子である大統領のところへその辞令撤回を頼みに行く。そして回想シーンとして物語がはじまる。

1903年、アイルランドからやって来たマーティ青年は、ウェスト・ポイント陸軍士官学校の給仕に雇われたが、やがて兵士に志願して入隊。ウェスト・ポイント勤務隊に配属される。ハーマン・ケーラー大尉に気に入られたマーティは教官助手となった。そしてケーラー家の女中のアイルランド娘メアリー・オドンネル(モーリン・オハラ)と結婚した。
やがて男子が生れたが、その子は不幸にも死んでしまう。自棄になったマーティは酒に溺れたが、候補生たちの温かい忠告に自己をとり戻すことが出来た。
レッド・サンドストロムという候補生が成績不良に悩んでいたのを、やさしく慰めて、学校の先生をしているキティ・カーター(ベッツィ・パーマー)を相談相手に与えてやった。レッドは優秀な成績で卒業し、キティと結婚したのち第一次世界大戦に出征した。大戦は勝利に終わったが、レッドは戦死し、キティは幼児を抱えて未亡人となった。レッド・ジュニア(ロバート・フランシス)はマーティ夫妻の庇護の下に成長し、1938年ウェスト・ポイントに入学した。だが、卒業間際女性とのことで間違いを起こし、自省ののち自ら退学して折からの第二次大戦に一兵卒として参加した。メアリーは安らかに生涯を終えた。残されたマーティは淋しかったが、彼の周りにはいつも若い候補生たちがいた。それが彼の生甲斐だった。

マーティの話は終わった。大統領はドットスン中将(フィル・ケイリー)に善処を依頼した。しかし高齢のマーティをそのまま教官として組織のなかに残しておくわけにはいかなかった。マーティがウェスト・ポイントへ帰ると、マーティを待っていたのは彼へはなむけのウェスト・ポイント全員の大分列式だった。彼の前を兵士たちが行進していく。思い出深い行進曲を胸にかみしめながら、マーティ老軍曹は感動の涙を拭うのだった。


「長い灰色の線」とは、このグレーの軍服を身にまとった兵士たちの延々と続く大行進の列のこと。
一生懸命教えた士官の卵たちが、戦争に行き、帰らぬ人となることを描きつつ、人情モードに行き過ぎる部分があって、ちょっと鼻につくのだが、それでも最後のマーティに捧げる大行進は泣ける。ジョン・フォードの軍隊愛の映画だ。この映画で泣かされるとは思わなかった。

by ssm2438 | 2009-04-14 02:46 | ジョン・フォード(1894)
2009年 04月 14日

L.A.コンフィデンシャル(1997) ☆☆☆☆☆

f0009381_313886.jpg監督:カーティス・ハンソン
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
    カーティス・ハンソン
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:ガイ・ピアース
    ラッセル・クロウ
    キム・ベイシンガー

        *        *        *

いやいや、ひさびさにガツンな記号的演出の映画であった。1992~1993年あたりを境にいい映画の本数が極端にへってきた90年代。この傾向は今もずっと続いているのだが、その間においてもこの映画はかなりインパクトのある映画だった。久々のハードボイルド復活を感じさせてくれた映画。ハードボイルドというのは、言い方が悪いが、男性版ハーレクウィンロマンスみたいなもんで、男のダンディズムを前面に押し出してくるスタイルといっていいだろう。ある意味ダサそうにも聞こえるが、実際そう感じる人がおおくて近年激減してたのだと思うが、この映画はラッセル・クロウがタフガイを見事に演じてくれた。

f0009381_3152499.jpgそれに花をそえたのがキム・ベイシンガー。一昔前は、美人だがシャローな感じで、演じるのいつもヤクザの情婦ばっかり・・という印象の彼女だったが実にいい感じに熟れてきていた。

ドラマの見せ方も実に王道だ。エリート街道を進むエド・エクスリー警部補(ガイ・ピアース)は、刑事課のボス、ダドリー・スミス警部(ジェームズ・クロムウェル)のお気に入り。出世も約束されたインテリタイプ。そしてやたらと馬力と実行力のあるバド・ホワイト刑事(ラッセル・クロウ)。この対比が実にコントラストありすぎなくらい作為的だが、この映画のスタイルにはあっているのだろう。最初は対立しあう二人。それぞれお互いのスタイルで真相に近づいていく。事件の糸口となる高級娼婦リン(キム・ベイシンガー)とに彼女に対してだんだんと恋心をよせることになるバドだが、既にエドが彼女と寝てることを知り二人の緊張感は高まっていく。しかしそして真犯人が彼らの上司ダドリー・スミス警部だと分ってくると二人して最後の決戦の場へと向かうのだった。

by ssm2438 | 2009-04-14 02:45
2009年 04月 13日

カプリコン・1(1977) ☆☆

f0009381_532231.jpg監督:ピーター・ハイアムズ
脚本:ピーター・ハイアムズ
撮影:ビル・バトラー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:エリオット・グールド
    ジェームズ・ブローリン
    カレン・ブラック
    テリー・サヴァラス

        *        *        *

世間ではアポロ11号の月着陸は偽装だったとい話が良く聞かれるが、そのものねたになったのがこの映画だろう。この映画は火星への有人飛行に挑んだアメリカだったが、実はそれを成功させる確信がなく、映画スタジオで撮影した映像をながして世間をごまかしたという話。今の時代になってもまだ火星への有人飛行は出来てないのだがからちと、話自体が現実味がなさ過ぎるかな。実際火星にいくとなると、地球と火星とがもっとも近くなる次期にあわさなければならない。それでも片道3ヶ月はかかるらしい。この話は・・ちょっとそういう意味での設定はいい加減なところがあうと思えた。

そういえばちょっとまえにディスカバリーチャンネルでアポロ11号の月面着陸はほんとに偽装なのか?という特集を組んでて、そんな撮影がほんとにできるのかということを検証していたが、あんな画面は地球上では撮影できないってことに落ち着いたらしい(笑)。儀創説のほうがいい加減すぎるよね。今の時代でも1/6の重力なんて誰も再現できてないのに。だいたいあの時代、宇宙を漆黒の闇で描けるセンスのあった人なんていたのだろうか。だれもが『スターウォーズ』の宇宙みたいに星の点々がいっぱいある宇宙しかイメージできなかった時に・・。宇宙はいつも昼だから星なんて見えないのだ。

そうはいっても、この映画はサスペンス物としてはそこそこ良く出来ている。監督は『2010年』『アウトランド』『破壊!』などのピーター・ハイアムンズ。私もけっこう好きな監督さんだ。というか、この人撮影監督あがりで、撮影主体の撮り方をする人という印象。

<あらすじ>
人類史上初の有人火星宇宙船カプリコン・1の打ち上げが目前に迫っていた。船内にはブルーベーカー(ジェームズ・ブローリン)、ウィリス(サム・ウォーターストン)、そしてウォーカー(O・J・シンプソン)らが乗り組んでいる。発射5分前、突然カプリコン・1のハッチが開き、1人の男が乗組員3人を船外に連れ出し、ジェット機で連れ去った。そして5分後、カプリコン・1は無人のまま、宇宙へ向かって飛び立っていった。

3人を乗せたジェット機は砂漠のど真ん中にある小さな飛行場に着陸した。NASAのケラウェイ所長(H・ホルブルック)は3人の宇宙飛行士に重大な秘密を話す。カプリコン・1の生命維持装置に故障が発見されたが、我国の議会や世論を今一度宇宙計画へ目を向けさせるには、今さら計画の中止は出来なかった、という事実だ。
人は、さからえば家族の安全は保証出来ないという脅迫の中、格納庫にある火星表面のセット・ステージで世紀の大芝居を決行する。そしてそれが宇宙中継の形で、全世界にTV放送された。だが家族と3人の宇宙飛行士との交信の誤差がないことに疑問を持った新聞記者のコールフィールド(エリオット・グールド)は調査を始める。彼。
「火星着陸をやってのけたカプリコン・1は、大気圏再突入の際、事故で消滅する」というシナリオになっていることを知った3人の飛行士は「つまり我々は、このままここにいれば殺されるということだな」と理解し、脱出をはかる。三方に分れて砂漠を逃亡する3人。しかし、ひとり、またひとりと追っ手に捕まっていく。最後に残ったブルーベーカーにせまるNASAの追手だが、コールフィールドが彼をを助ける。大統領臨席の下、3人の宇宙飛行士の壮厳な葬儀が始まったその時、死んだはずのブルーベイカーが会場に現れるのだった。

by ssm2438 | 2009-04-13 04:28