西澤 晋 の 映画日記

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2009年 04月 12日

しとやかな獣(1962) ☆☆☆

f0009381_16284416.jpg監督:川島雄三
脚本:新藤兼人
撮影:宗川信夫
音楽:池野成

出演:若尾文子
    川畑愛光、伊藤雄之助、山岡久乃、浜田ゆう子
    高松英郎、船越英二

        *        *        *

本編の山岡久乃台詞に、「物事をあからさまに言ってはいけません」とあるが、みなさん実に遠慮のない言葉をずばずば言ってくださる。会話劇としては実にたのしい。そしてそれをマンションの一室とその外の階段だけで(実は1カットだけ屋上のカットがあるのだが)処理してしまった。新藤兼人脚本の言葉の勢いだけで押し通してしまった映画。
しかし、彼らの言葉は本音か・・?といわれるとちょっと違うと思う。これはあくまで遠慮のない言葉であって、本音というよりは、本音のように聞こえる言葉というほうが正しいきがする。ホントの本音というのは自己の弱さを認識しているところから発生するのもの、この映画はその部分は明らかに欠落している。

この主人公たちの家族構成はこう。

前田時造(伊藤雄之助):現在無職。自分では仕事はしないが、子供たちを操ってお金をかせいでいる。
前田よしの (山岡久乃) :専業主婦
前田実 (川畑愛光):芸能プロダクションに就職している長男。実は会社のお金を使い込んでいる。
前田友子(浜田ゆう子):ある小説家の愛人をしている長女。

かれらを中心に、長男の実が働いている芸能プロダクションの社長香取一郎(高松英郎 )や、その経理担当で、実や香取、会計士の神谷栄作(船越英二)と肉体関係にある三谷幸枝(若尾文子)をめぐるやりとりが主に展開される。

by ssm2438 | 2009-04-12 15:52
2009年 04月 12日

復活の日(1980) ☆☆☆

f0009381_5391654.jpg監督:深作欣二
原作:小松左京
脚本:高田宏治、グレゴリー・ナップ、深作欣二
撮影:木村大作
音楽:羽田健太郎

出演:草刈正雄、渡瀬恒彦、オリヴィア・ハッセー

        *        *        *

シーンシーンをみるとダサイところは一杯あるのだが、しかし、これは名作だと思う。原作は『日本沈没』小松左京。細菌兵器のために人類はほとんど絶滅、潜水艦でくらしていたクルーと南極基地のわずかの隊員だけが残された、そんな環境化での人類再生への営みを描いた映画。そこでは女性の数があまりにすくなく、一夫一婦制は精神衛生上無理だと判断され、女性とのセックスは順番制がしかれる。確かに男性何百人に対して女性はたった8人、子供が必要な状況はわかるが、なんという判断!!と当時この映画を見たときはカルチャーショックを受けた。

今では想像できないくらい本物を使った映画。本物の潜水艦をチリ政府から借り入れて撮ったとか・・。当時の角川映画は予算が一杯あったのだ。
そして、南極基地のシーンは北海道でとることになっていたらしいのだが、木村大作が「南極に行かないなら俺はおりる!」とごねたらしく、南極にいったとか。すごいなあ。それができてしまえる当時の角川はやっぱりお金があったのだ。

この映画の最後は、草刈正雄がワシントンから南米チリの南の端まで歩いてくることによってすべてのすべての細菌が消滅したことを照明し、人類がまた大陸へ進出していく可能性を示して終わる。
この映画を見なかったら、私も東京から岡山まで歩いて帰ろうとは思わなかっただろう。はは、若気の至りでそんなことをしてみたこともあったのさ・・・。

<あらすじ>
摂氏マイナス10度で自己増殖をはじめ、零度を越えると猛烈な毒性を発揮するM-88というウイルスが、東ドイツの細菌兵器研究所から盗まれた。そして彼らをのせた小型飛行機が吹雪のためにアルプスで遭難、細菌が飛散してしまう。
夏の終り、南極に残る十一ヵ国八六三人を除いて世界は死滅した。八人の女性を含む残された人々の生活が始まった。そして蔓延前に出航していた原子力潜水艦の乗組員たちがこれに合流した。その中には日本人の地震学者吉住(草刈正雄)もいた。そこは人類の種を絶やさないために、のこされた8人の女性は多くの男性との性交渉を義務づけられるという異常な環境だった。

ある日、地震学者の吉住が人類滅亡の第二の危機が迫っていることを伝える。地穀変動調査でアメリカを垂直型地震が襲うことを探知した。ホワイトハウス地下には自動報復システムはまだ生きており、自身の衝撃波をソ連の攻撃と感知すれば作動すると言う。ミサイルが発射されれば、ソ連の報復システムも作動するはずだ。そのうちの一つが南極の米軍基地に降ることがわかった。
原子力潜水艦は地震の専門家の吉住とシステムのことを熟知しているカーター少佐を乗せワシントンをめざした。ふたりは上陸しなんとかシステムを解除しようとするが・・大地震がおき、カーターは死に、ミサイルはそれを感知した核ミサイルは発射されてしまう。ソ連の報復システムも核ミサイルを発射。・・・こうして世界は二度死んだ。

それから〇年後、だれもいない地球をひとりとぼとぼ歩いて南へむかう男がいた。吉住である。かれは歩く、夢も希望ももうないかもしれない、しかし南へ向けて歩く。どこでのたれ死のうがかまわない。歩ける限り南にむけてあるく。そしてチリの南端まで来たとき再び人類とである。それは生き残りの人々がチリの南端まで南下してきたいたのだ。かれが歩いてこられるのなら、人類を滅亡に導いたウイルスは核に焼かれて死んだということだ・・・。人々はふたたび文明を築くことができるかもしれない。

by ssm2438 | 2009-04-12 04:46 | 木村大作(1939)
2009年 04月 12日

わが谷は緑なりき(1941) ☆☆☆☆

f0009381_244592.jpg監督:ジョン・フォード
脚本:フィリップ・ダン
撮影:アーサー・C・ミラー

出演:ウォルター・ピジョン
    モーリン・オハラ
    ドナルド・クリスプ
    ロディ・マクドウォール
    バリー・フィッツジェラルド

        *        *        *

この映画をみていると思い出される言葉がある。ジョージアコーヒーの宣伝だったか、高倉健がでていてこんな台詞をつぶやく。

      「男は男に生まれない。男になるのだ」

この映画がまさにそんな感じ。炭鉱で働く男を描いた映画は常に無骨だ。崩落の危機と背中合わせの炭鉱のなかで働く男たち。命を懸けて家族をささえる男たちだからこそ、責任感があふれるドラマになるのだろう。物語自体はそれほどすごいドラマではない。私も始めてみたときはそれほどの感動はなかった・・。がのちのち思い起こすと、このドラマで描かれたエピソードは<男の責任>というものが根底にあり、与えられる立場だった子供が与えるがたの大人へと変わっていく過程でみた、それぞれの男の生き様が心にしみこんでくる。あとあとから感動がわきあがってくる映画なのだ。

この映画が撮影された1940年ごろといえば、ヨーロッパでは戦争が拡大していた頃。製作者は物語の舞台であるウエールズでの撮影をあきらめ、代わってサン・フェルナンド渓谷に80エーカーの土地に150人がかりで本物そっくりのウェールズの炭鉱町の大オープン・セットが建設したという。撮影は当初ウィリアム・ワイラーが監督する予定だったらしいが、スケジュールがあわず、ジョン・フォードになったという。 原作を読んで子供時代の豊かな家庭生活の思い出を呼び起こしたフォードは、登場人物により家庭的な温もりを与えるために、自分自身の両親と兄弟をモーガン家のモデルにしたといわれている。
第14回アカデミー賞では10部門にノミネートされ、作品賞、助演男優賞(クリスプ)、監督賞、白黒撮影賞、白黒室内装置賞の5部門に輝き、フォードは3度目のアカデミー監督賞だけでなく、ニューヨーク批評家協会の監督賞にも選ばれた。

f0009381_203456.jpg<あらすじ>
19世紀末のウェールズ炭鉱にある村。ギリム・モーガンの一家は、10歳の末っ子のヒュー(ロディ・マクドウォール)をのぞく男たちはみんな炭坑で働いていた。家族の受ける給料は家長の父(D・クリスプ)によって保管され、家庭のために決められた使途にあてられていた。長男のイヴォーはブロンウェン(アンナ・リー)と結婚して一家を構えた。
そんなおり、石炭需要の低下から炭鉱は労賃値下げを断行する。モーガンの息子たちは組合を組織して戦おうとしたが、父は反対だった。対立した息子たちは、ヒューと長女のアンハード(モーリン・オハラ)をのこして両親の元を去ってしまった。そのころ新任の牧師グリフィド(W・ピジョン)と姉は秘かに魅かれあっていたが、禁欲的な彼を前に、姉は不本意な結婚を承諾、彼女も家を出て行った。
鉱夫たちはストライキにはいった。鉱山の管理人は人望のある父に、ストライキを中止するように説得を依頼したが、父は断わった。しかし、彼が事務所から出てくるところを見た鉱夫たちは、父が管理側についていると誤解してしまう。ヒューと母は組合の会議に行き、夫の立場を説明するが、その帰途凍った河におちた。母を助けて凍傷になったヒューだが、それを機会にグリフィド牧師すごす時間がおおくなり、ヒューは文学の世界に目覚めていく。
ストライキは終わり、ヒューはまた学校に通うようになった。拳闘家だったデイ・ブランドとそのマネジャーのサイファーサと仲よくなり、拳闘を教わるようになると、ヒューも男らしくなっていった。モーガン家は昔のように楽しくなろうとしていたが、兄のイヴォーは坑内で事故のため死んでしまう。残された義姉ブロンウェンのために、ヒューは学校をやめ、彼の家にはいり兄にかわって働くことになった。まだ小学生の高学年くらいの男の子が、大人の女性に見送られながら出勤する姿は「男」を感じさせた。

by ssm2438 | 2009-04-12 00:41 | ジョン・フォード(1894)
2009年 04月 12日

スター80(1983) ☆☆☆

f0009381_153979.jpg監督:ボブ・フォッシー
脚本:ボブ・フォッシー
    アーネスト・トンプソン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:ラルフ・バーンズ

出演:マリエル・ヘミングウェイ
    エリック・ロバーツ
    クリフ・ロバートソン

     *     *     *

美しかりし女優シリーズ(?)第2段。
先の『クリエイタ-』から女優繋がりでマリエル・ヘミングウェイ( かといってこれは一時の気の迷いでずっとこのパターンがつづくわけではない‥‥と思う)。

なにから話そう、とにかくメッシーな映画である。

物語のネタになっているのは、1980年のプレイメイト・オブザイヤーに輝いたドロシー・ストラットンが、彼女のヒモ/旦那の男に殺された実話をもとに、インタビュー形式で物語を映像化してる。
ハッキリ言ってすっごく見心地の良くない映画なのだ。初めてこの映画を観た感想は、「なにこれ??」っていう、生理的に受け付けない不愉快さが残る映画だった。もう観ることはないだろうと思いつつ、でもあるひとつのカット(でっかい彼女のアップのポスターのまえに座ってるマリエル・ヘミングウェイ)のがやたらと印象にのこって、あの絵をもう一度見てみたい‥‥という衝動にかられてふたたびビデオ屋で手にとって2度目を観たら、以前感じた不愉快さを受け止め理解できる体質に自分がなっていたらしく、そこそこ見られた。
もしこの映画が、ベルイマン物をよく撮ってい巨匠中の巨匠撮影監督 スヴェン・ニクヴィストの手によるものでなかったらきっと2度目はなかっただろう。画面 の色合いはとっても素敵なのだ。

まず監督、ボブ・フォッシー、けっこう偉大どころの監督さん。20世紀のミュージカル史上最大の振付&演出家‥‥らしい。本業は映画監督というより舞台の演出家/振り付けしだったりするのだか、『キャバレー』『レニーブ・ルース』『オール・ザット・ジャズ』などの大物の映画も撮ってたりする。
基本のイメージは舞台がらみ‥‥という印象があり、それを意識するとかなり違和感のあるものなのだが、流れてきには『レニー・ブルース』の流れだといっていい。この映画、ダスティン・ホフマン扮するスタンダップ・コメディアンのドキュメンタリー的な映画。偽善を排した政治的社会的な攻撃的なトークを笑いにしてしゃべりまくるブルースだか、麻薬に溺れたり、逮捕されたり、だんだんと社会批判だけのトークになっていく。そうしてると人々の人気もおちてくる。そんな荒廃したいち芸人のドキュメンタリーなのだか、この『スター80』もでたぶんこの流れでドロシー・ストラットンを映画にしてみたかったのだろう。
というか、 『オール・ザット・ジャズ』にしたって実は本人のドキュメンタリーなので、基本的にはドキュメンタリー系が好きなのだと思う。そのなかで、一つのこだわりを捨て切れず、凡人になれない不器用な生き方しかできないで、墜ちて行くキャラが好きなのかも‥‥って今では思える。

物語はエリック・ロバーツ演じるポール・スナイダーという男を観てるだけでむかついてくる。自分自身にはなんに生産的能力がなく、ある種の魅力を持った人に寄生してそこらのおこぼれをもらうことで生き長らえてるようなキャラ。 ダメな人間をそのまま絵にしたようなキャラで、ほんとに生理的に「こんなやつ、観たくない!」って思わせてしまうのだ。
しかし、そんなポールに見い出されて、ある時は憧れて結婚までしてしまったドロシー。
やがて、自分の未来には輝かしいスター街道が用意されてる。しかし、彼女が華やけば華やぐほど、彼女を食い物にして生きるしか脳のないポール。そんなポールのチンピラ人生をみると、周りの人間もドロシーに彼と手をきることをすすめるようになるが、でも、彼女には初めて恋した男が彼であり、彼への憧れた歴史を否定することが出来ない。その男は墜ちて行くと分かっていて、はなれられない女なのである。人を好きになるには幼すぎて、<その人が好き>だったかどうかも不確かなのだが、それでも<その人を好きになったということにした事>を裏切れないまま沈んで行く女。
ドストエフスキーの女たちはかならずシベリア送りになる男についていく。それがドストエフスキーの愛の形なのかもしれない。たしかに彼のドラマのなかではそれはかっこいいのだが、この映画はどうだ? “なんでこうなることしか選択出来んの?”って思うんだけど、壊れると判っていてもそのパースにのってしまい、最後までいってしまうドロシー。
あまりに哀れで‥‥。

最初にみたときは“なんでボブ・フォッシー『スター80』なん??” ‥って思ったけど、やっぱりこれはボブ・フォッシーの映画だなあって今となっては理解出来る。
結局ボブ・フォッシーって、どの映画もそうだけど、世間と妥協出来ない人間が好きなんだね。
この映画はぱっとみ軟派路線っぽいけど、世間と妥協出来ないで墜ちて行くしかない、でも、じゃあ世間ど妥協して自分のこだわり捨てたそこに「自分」ってあるの??みたい、根本的問題を語りたいのだろうなあって思うのでした。

by ssm2438 | 2009-04-12 00:33
2009年 04月 11日

クリエイター(1985) ☆☆☆

f0009381_053668.jpg監督:アイヴァン・パッサー
脚本:ジェレミー・レヴェン
撮影:ロビー・グリーンバーグ
音楽:シルヴェスター・リヴェイ

出演:ピーター・オトゥール
    マリエル・ヘミングウェイ
    ヴィンセント・スパーノ
    ヴァージニア・マドセン

     *     *     *

ヴァージニア・マドセン・スペシャル第2弾、『クリエイター』
なんと若かかりし、美しいヴァージニア・マドセンの健康的な水着姿、ヌードがみられるという優れもの(?)の作品。その後彼女のヌードはお目にかかれない訳ではないのだけれど、可憐系美少女として健康的にヌードを見せてくれたのは(それも一瞬チらじゃなくって、ある程度の時間)これが最初で最後。おまけにマリエル・ヘミングウェイのオッパイもにられるというサービス付き。
‥‥と、おじさんが書くと誤解を招きかけないのではっきり言っておくけど、とっても爽やかなハートウォーミグなロマンチック・サイエンス・コメディです。

ピーター・オトゥールふんする主人公の大学教授ハリ-は、その昔妻を亡くしてる。しかし、彼女の細胞は冷凍保存してあり、密かに大学の機材を使ってクローンを創ろうともくろんでいる。その卵子提供者を募集してヒットしたのがマリエル・ヘミングウェイ。
死んだ人のクローンを創ろうという話はよくあるり、そのどれもがどっか狂信的なこだわりをもったキャラとして設定されてるものだが、このハリ-はもっと健全なスピリットとして設定されている。例えるなら『天国から来たチャンピオン』ウォーレン・ベイティ演じるジョ-のようなキャラクター。オプチミスティックで、なんでもなせばなる!って思ってて素直にその方向性で物事を実践して行く結果そこに辿り着くタイプ。西澤の大好きなキャラです。結論からいえば、本編中ではこの試みは失敗に終わるんだけど、倫理的な問題よりも、目的に向かってオプチミスティックに進むハリ-の人柄 にスポットをあててる作品。
「昔の奥さんを愛してたのは判るけど、あんたのそばにはこんなに若くて生きのいい女の子がいて、しかも、そんな変態おやじでもいい‥って言ってる女の子がいるのよ。とっとと乗り換えちゃいなさいよ」って迫ってるのがマリエル・ヘミングウェイ。
その一方でハリ-の助手をしてるビンセント・スパノは一目惚れしたヴァージニア・マドセンと仲良くなっていく。

このヴァージニア・マドセンがまたいいんだ。
どうしても清純派系を絵にすると、SEXとか同棲とかにためらいをもってるようなキャラになりがちなのだが、この物語のなかの彼女はそんな定義があてはまらない。惜し気もなく男と一緒に住みはじめ、惜し気もなくヌードも披露する、でも可憐な清純派 美少女を作り上げてるのだ。
その後『スランダム』とかで悪女系でヌードとかも披露することもあるのだけど、 ある意味普通 の女優すぎてつまらないというか‥‥、ほとんど魅力を感じないものでしかなかった。


この『クリエイター』『エレクトリック・ドリーム』で作り上げられた、好きな人とのつながりを素直にも求めて、それが全然いやらしくなく、ひたすら可憐で純情派美少女キャラになってしまうヴァージニア・マドセンの魅力は底知れないなにかがあった。
私自身、めちぇめちゃヴァージニア・マドセンが好きってことでもないのだけど、この2つの映画の彼女が演じた女性は、女性の素敵なとこばかりを映像化した男性にとての美しい偶像であり、だからこそ私を含めたほとんどの男の憧れになりえたのだと思う。このあと、やたらと悪役が増えてくるのだが、たぶん、その男性の偶像化されたネタになるのを本人がとても嫌ったからではないかと推測したりする。
しかし、現実にその女優のイメージが強烈にのこるのは、これらの男性の偶像化された女性を演じていた時のイメージであり、オードリ-・ヘプバーンのようにそれを延々に続けた人もいる。そして彼女の偶像たるや凄まじい巨大オブジェのようになり映画史のなかにその名を刻み付けてるのも事実なのだ。
ヴァージニア・マドセンに関して言えばはこの2つの映画以上に彼女の魅力を出せた映画があるとは思えない。

by ssm2438 | 2009-04-11 17:44
2009年 04月 10日

スターシップ・トゥルーパーズ2(2003) ☆

f0009381_364269.jpg監督:フィル・ティペット
脚本:エド・ニューマイヤー
撮影:クリスチャン・セバルト
音楽:ジョン・モーガン/ウィリアム・T・ストロンバーグ

出演:
コリーン・ポーチ (レイ・サハラ 二等兵)
ケリー・カールソン (チャーリー・ソーダ 二等兵)

       *        *        *

もはや目新しいモノは何もなし・・・。

ハインラインのこの原作を昆虫型のエイリアンというコンセプトで作った時点で、個人的には面白さを感じるところはなくなってしまったこのシリーズ。やはり戦意高揚ドラマというのは、相手がゴキブリみたな昆虫じゃなくて、きちんと感情移入できる人間で、どうしてもそれを殺しても、自分の守るべきものを優先させるというエゴが提示されないと面白くない。この映画のように単に敵役が感情移入するようそのない異性人、つまりただの「障害」だと、そのへんにころがっているゲームと同じである。殺しても罪悪感のないもの。・・・・よくそんなコンセプトで映画にしたものだと思う。

今回はポール・ヴァーホーヴェンの作った1作目をモデルを使いまわして作った小作品。みあきたシーンの連続でいいかげん見る気がなえてくる。まあ、なんとか最後まで見えたのはお姉ーちゃんがそこそこ見られたからという、安易のモチベーション。
主人公はコリーン・ポーチ扮するレイ・サハラ 二等兵。今回はちょっとした超能力・予知能力がある兵士という設定になっている。それほど大げさな能力にしなかったことだけは正解。彼女が『エイリアン』におけるリプリーの立場。それに華やかさをそえるために登場しているのがケリー・カールソン。彼女はオッパイ提供要員でサービスカットがそれなりにある。ただ、ムネがインプラントなので興冷め。

やってることも、昆虫型のエイリアンで『エイリアン』のコンセプトで『ヒドゥン』でやってるだけ。

<あらすじ>
地球連邦軍は、テレパス能力を持ち作戦を立案するサイキックと、実戦担当の兵士たちによって構成されていた。とある惑星で昆虫型異性人と戦いを繰り返していたサハラ(コリーン・ポーチ)の所属する中隊は前哨基地に辿り着くが、そこに人間の姿は一人も見当たらない。基地内を調査すると、ゴミ焼却炉に閉じ込められていたダックス大尉(リチャード・バージ)を発見。彼は勇敢な兵士であったが、戦場で上官である大佐の命令を拒否し閉じ込められていた。エイリアンが基地を急襲されると、サハラはダックスを解放して戦闘に参加させる。
やがて敵前からなんとか逃れてきた3人の兵士が合流する。その中には美しい女性兵士ソーダ二等兵(ケリー・カールソン)もいた。しばらくして昏睡していたソーダ二等兵の意識が戻り、彼女はダックス大尉を誘惑するも、彼は取り合わない。するとサハラ二等兵の寝室に裸で侵入し、サハラが逃れると、今度はホートン二等兵に迫る。彼女は新種のバグ=パラサイト・バグを口からホートンの身体に侵入させる。こうして、基地内の限定空間のなかで、増殖していくパラサイト・バグとサハラたちの戦いがはじまる。

by ssm2438 | 2009-04-10 03:07
2009年 04月 08日

麗しのサブリナ(1954) ☆☆

f0009381_1456840.jpg監督:ビリー・ワイルダー
脚本:ビリー・ワイルダー
    サミュエル・テイラー
    アーネスト・レーマン
撮影:チャールズ・ラング・Jr
音楽:フレデリック・ホランダー

出演:オードリー・ヘプバーン
    ハンフリー・ボガート
    ウィリアム・ホールデン

        *        *        *

ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』でのブレイクをへて、次に登場したのはこれ『麗しのサブリナ』、こちらはビリー・ワイルダー。個人的には教科書的ストーリー展開のウィリアム・ワイラーよりはビリー・ワイルダーのほうが人情味ゆたかですきなのだけど、この映画だと『ローマの休日』のほうがいいだろう。しかし、後に『昼下りの情事』はとってもすばらしく、個人的には『ローマの休日』よりも好きだ。

この『麗しのサブリナ』は、一種の玉の輿映画、少女趣味の具現化だろう。
大富豪のララビ一家のおかかえ運転手の娘オードリー・ヘプバーンは、プレーボーイの次男ウィリアム・ホールデンに憧れているが、さして接点もなく、花嫁修業のためにパリに旅立つ。そして帰ってきた彼女は垢抜けた淑女となってかえってきた。これにはウィリアム・ホールデンもときめきを隠せない。そして本来仕事一筋の彼の兄ハンフリー・ボガードも彼女に魅了されていく。

しかし・・・ハンフリー・ボガードはちょっとおじさん過ぎるとおもったのだけど・・。
総合的にみてもあんまり好きな話ではないかな。

by ssm2438 | 2009-04-08 08:37 | ビリー・ワイルダー(1906)
2009年 04月 08日

サブリナ (1995) ☆☆

f0009381_8315924.jpg監督:シドニー・ポラック
脚本:バーバラ・ベネディック、ヴィッド・レイフィール
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ハリソン・フォード
    ジュリア・オーモンド
    グレッグ・キニア

        *        *        *

誰もが知ってるオードリー・ヘプバーン『麗しのサブリナ』のリメイク作品。でも、新しくつくるのにも特にメリットもかんじず、まあ、でも普通にみられる出来ではあるが、特に可もなく不可もなく。でも、ジュリア・オーモンドはいいと思った。『レジェンド・オブ・フォール』でヒロイン役やってたけどあれも良かった。このころはとっても売れ筋だったのだろう。

ただ、さすがに今の時代につくっただけあって『麗しのサブリナ』よりはこっちのほうが見やすいとはおもうのだが・・どうだろう。以前のやつは、最後にオードリーがハンフリー・ボガードを選んでしまうのだけど、どうに私からみると違和感があった。ハンフリー・ボガードをみて育った諸氏にはあれでもいいかもしれないが、私にしてみればハリソン・フォードとひっつくジュリア・オーモンドのほうがはるかに受け入れやすい。

<あらすじ>
N.Y.郊外の大富豪ララビ一家の次男デイヴィッド(グレッグ・キニア)に恋をしているサブリナ(ジュリア・オーモンド)はおかかえ運転手フェアチャイルド(ジョン・ウッド)の娘。そんな娘にもっと広い世界に目を向けさせようと、父は彼女をパリに送る。そして「ヴォーグ」誌で働くサブリナは美しいレディとなって帰国。
そんなサブリナに夢中になるデヴィッドだが、彼はタイソン・エレクトニクス社の一人娘エリザベス(ローレン・ホリー)と婚約していた。そのタイソン社との企業合併を計ろうとしているのが、仕事ひと筋の堅物の兄ライナス(ハリソン・フォード)。弟の結婚も合併話もまとめたいライナスは、ケープゴットにある高級避暑地の別荘にサブリナを招待し、弟をあきらめてくれるように話をつけるつもりだった。しかし、その夜はふたりにとって意外とロマンティックな夜になってしまう。サブリナも今まで考えていたのとは全く違うライナスにさりげなく惹かれていく。
しかしライナスは合併を成功させるため、サブリナをパリへ追いやってしまう。それに怒ったデイビットはライナスをパリへ行くよう仕向ける。戸惑っていたライナスだが、自分の心に嘘をつくことはできず、サブリナがいるパリへ飛んだ。

おいしい役をグレッグ・キニアが持っていったかな。。
しかし、なんでこの映画だったんだろうなあ。個人的には『昼下がりの情事』のほうが作りやすいと思うのだが・・。ま、『昼下がりの・・』は私が好きだからつくらないでほしいけど。

by ssm2438 | 2009-04-08 07:52
2009年 04月 06日

帝都物語(1988) ☆

f0009381_2111564.jpg監督:実相寺昭雄
脚本:林海象
撮影:中堀正夫

出演:
嶋田久作 (加藤保憲)
石田純一 (辰宮洋一郎)
原田美枝子 (目方恵子)

       *        *        *

嶋田久作の存在感だけはスゴイ。・・・・んがしかし・・・・。

我慢してみてたら最後くらいはなんとかなるかなと思ってみてたけど、やっぱりなんともならんかった・・・。
作品全体としては、どこみても面白くないんだけど、嶋田久作だけはすこぶる素晴らしい。あのアゴ。どうみても普通の人間には見えない(笑)。猫の目色の目になるとそれだけで不気味だ。・・・しかし、観るところがそこだけというのははなはだ寂しい。

監督は、かつての栄光だけの実相時昭雄この映画はいつもの糞広角はほとんどつかってないけど、でも、根本的に見せ方が面白くない。結局実相時って、直球勝負できる人ではなくて、それでも昔は変化球投げたら少しは相手にされてたけど、最近はそれが全部クソボールにしかならないことがばれてしまい、誰も手をださなくなった・・って感じ。

物語は、明治45年の東京を舞台にした、魔物がでてくるようなファンタジー。
謎の魔人・加藤保憲(嶋田久作)は、かつて関東に独立国を築こうとして失敗し、謀反人として討伐された平将門の霊を呼び醒まし、東京を壊滅させようと企んでいた・・とう話。明治のおわりから大正時代をへて、昭和の初期まで描かれるのだが、ビジュアルセンスの悪さが見る気をなくさせる。妖術対決も、「戦隊ものではこう演出しとけば、こうやられたことになりますよ」みたいなまったく進歩のない対決シーン描写で飽き飽き。

しかし・・・われわれの世代の人間は、平将門をネタにされると、NHKの大河ドラマの『風と雲と虹と』を思い出してしまう。加藤剛演じる、さわやかで一本気で勢いのある平小次郎将門を見てると、彼を復活させても、良い世界にしかならないようで、どうもこの物語にいにはあまりのめりこめず・・ふうう~~んって感じでみてしまいました(苦笑)。
OPかっこよかった。

ぜんぜんかんけいないけど、ここでテーマ曲の歌詞を紹介。
本編のOPはオーケストラだけなのですが、どこかで聴いたことのあるこの歌。
『風と雲と虹と』、歌詞を噛みしめていたら泣けてきます。めっちゃカッコいいのです。

   友よ風のように駈けたくないか
   あの雲の峰を越えていきたくないか
   風は時にむごく吹きすさぶ
   いつか君が風だ 風が君だ
   行こう地の果て 夢の果て
   俺が死んだら大空の 大空の虹
   君よ オーラ オラ オラ オラ オーラ
   君よ オーラ オラ オラ オラ オーラ

   海は君にとって親しい友か
   波は君の夢を運んで行くか
   海は風を呼んで荒れくるう
   いまや君が波だ 波が君だ
   行こう日の果て 恋の果て
   俺が消えたら海原の 海原の虹
   君よ オーラ オラ オラ オラ オーラ
   君よ オーラ オラ オラ オラ オーラ  

ああ、カラオケで歌いたい!!

・・・ははは、映画そっちのけになってしまった。
ま、いいか。

by ssm2438 | 2009-04-06 21:11
2009年 04月 05日

ビーチ・エンジェルズ!(2006) ☆

f0009381_23403667.jpg監督:ハリー・バジル
脚本:ブレット・ハドソン
    バート・カーンズ
    アルバート・S・ラディ
撮影:マイケル・ゴイ

出演
バート・レイノルズ (ビリー・コール)
アンジー・エヴァーハート (ジュリー)
キャサリン・ウィニック (オルガ)
ガブリエル・リース (クリスティーナ・ハンセン)

        *        *        *

『シャーキーズ・マシン』などでタフ・ガイを演じていたバート・レイノルズもいまやよれよれオヤジ。こまったもんだ。しかしそんなんがみてくてこの映画をみたわけではない。たまたまケーブルでみた『Dr.HOUSE』にゲスト出演していた女の子がとても可愛かったので、名前をチェック。そしたらキャサリン・ウィニックだと分り、彼女が出た映画をさがしていたらこの映画がみつかった・・という、まあ、どうでもいいモチベーションでみた映画。あんのじょう映画がカスだったが、彼女は可愛かった。彼女も可愛かったが、ビーチ・バレーのチャンピオン役を演じたガブリエル・リースは本物の選手、そのボディはすばらしい。

<あらすじ>
かつてはスターとしてハリウッドにもてはやされたビリー・コール(バート・レイノルズ)も今ではトレーラーハウスがその住処。昼間ストリップ劇場に通うのも、そこのフリーランチが目的なだけというおちぶれよう。しかしそこで彼は人生の逆転一発商売、ストリッパーにイベント観賞用のビーチバレーをさせるサービス業をおもいつく。何人かのストリッパーに声をかけ、オルガ(キャサリン・ウィニック)ら4人の面子をあつめて、いよいよ出張ビーチバレーサービスを始めた。しかし、彼女らは見世物にされることに満足せず、本物のビーチバレーに出たいと主張するようになる。かくしてもう特訓がはじまり、ついに大会の決勝戦までのぼりつめてしまう。

おまけ、キャサリン・ウィニック
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by ssm2438 | 2009-04-05 23:47