西澤 晋 の 映画日記

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2009年 06月 18日

テスタメント(1983) ☆☆☆

f0009381_15463589.jpg監督:リン・リットマン
脚本:ジョン・セイクレット・ヤング
撮影:スティーヴ・フォスター
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:ジェーン・アレクサンダー
    ウィリアム・ディべイン
    ルーカス・ハース
    ケヴィン・コスナー
    レベッカ・デモーネイ

        *        *        *

核戦争の脅威をうたった映画がこのころいくつか作られた。BBCの『スレッズ』はかなり悲惨で冷酷な着映えだったが、『ザ・デイ・アフター』みたいにアメリカの核戦争映画はきまめてゆるく、痛みがないないのが特徴だといえよう。しかしこの映画は目に見えないところで起きた核戦争というのを、それを直接見せないで、じわじわ街の人が減っていき、死体袋の数が増えていくだけで見せたのは実に良い。
日本人にしてみれば、核兵器が使われた後は、広島や長崎のようなどろどろ状態でなければ描かれたうちには入らないとご立腹になるのも理解できるが、フィクションのドラマとして「こういうシチュエーションだ」という前提で描かれた映画としては興味深い内容だ。「テスタメント」とは「遺言」のこと。

f0009381_1532913.jpg<あらすじ>
サンフランシスコ郊外の町ハムリン。ある日、TVスクリーンにノイズがはしりその直後、放送がとだえる。何が起きたのかわからないがまだ放送をしているラジオの放送などをきくと、どうやら全米が核攻撃を受けたらしい。かといって、住民たちにできることはなく大きなパニックになることもさほどない。キャロル(ジェーン・アレクサンダー)はおびえる子供達(長女、長男、次男)を抱きかかえ親しかった若夫婦(ケヴィン・コスナー・レベッカ・デモーネイ)らと不安な一夜を過ごした。夫はサンフランシスコの会社からもどってこなかった。翌日、人々は教会に集まり対策を練ったが、混乱はおさまらない。スタンドには長い列ができていた。
長男のブラッドは連絡係として自転車で走り廻った。街で無線をやっている男が別の地域との連絡窓口になっていた。日に日に死体袋がふえていく。各地の状況もみな悪かった。放射能のため人々は続々と死んでいく。親しかったコスナー・デモーネ夫婦は赤ん坊の死を機に、カナダに行くといってハムリンの町を出ていった。末っ子のスコッティも死にガソリンスタンドの日系人オーナーも死んだ。彼の息子のヒロシをひきとるキャロル。
年頃のメリー・リズは「セックスって何?」と聞かれて「お互いの虚無感をうめる素晴らしい時間よ」と答えるキャロル。しかしそんな娘もそれを体験せぬまま死んでいった。ブラッド、ヒロシと一緒にキャロルは暗い部屋のなかロウソクをともして3人だけの夕食。死ぬまでは生きていようと決意した三人の食事だった。

この映画、DVDだしてほしいなあ。
パニックにならずに死んでいく社会というのが実に『渚にて』とか『エンドオブザワールド』みたいで良いのだ。

by ssm2438 | 2009-06-18 15:39
2009年 06月 18日

愛と宿命の泉(1986) ☆☆☆☆

f0009381_1122018.jpg監督:クロード・ベリ
脚本:クロード・ベリ
    ジェラール・ブラッシュ
撮影:ブルーノ・ニュイッテン
音楽:ジャン=クロード・プティ

出演:ジェラール・ドパルデュー
    エマニュエル・ベアール
    イヴ・モンタン
    ダニエル・オートゥイユ

        *        *        *

フランス発怒涛の大河ドラマ。うわあ、見たな・・って感じ。映像がどうのこうのというよりも王道ストーリーラインの映画。本作は二部構成であり、第一部『フロレット家のジャン』と第二部『泉のマノン』。どちらも2時間をこえる映画なのでまとめてみると4時間をゆうに越えてしまう。ビジュアル的にはエマニュエル・ベアールが映えるぶん、『泉のマノン』のほうがとっつき易いが、ドラマ的には『フロレット家のジャン』のほうが揺さぶられた。
『フロレット家のジャン』を見てると、ジョン・アービング『ホテル・ニューハンプシャー』にでてくる父親を思い出す。夢を信じ、不幸がどんなに覆いかぶさってきてもポジティブなスピリットでまた這い上がっていく。そんな魂の男。

f0009381_10452882.jpg第一部 『フロレット家のジャン』
1920年代のフランス、プロヴァンス地方。兵役を終えて帰って来たウゴラン(ダニエル・オートゥイユ)は念願のカーネーション作りを始める。彼の伯父のバベ(イヴ・モンタン)土地の権力者であり、後継者である甥のウゴランへの協力的だった。カーネーション作りに必要な水は、隣接したカモワン家の土地にある泉が最適だった。その土地を売ってもらおうと土地の所有者に相談をもちかけたところ、頑固に拒絶され、勢いあまったバベはカッとなって彼を殴り殺してしまった。

その土地は、所有者の妹の息子、フロレット家のジャン(ジェラール・ドパルデュー)が継ぐことになり、妻と娘のマノンを伴ってやって来た。その土地がほしいバベとウゴランとひとしれず泉封印してしまう。
元収税吏のジャンは農業を本で学び、夢と希望だけで農業を始める。そんなかれにバベは「ちかくに水源がないからその土地はあきらめたほうがいい」と撤退を促す。遠く離れた水源より水を運ぶことは苦難のれんぞくだった。また新参者のジャンに協力する村の人はいなかった。一年目は豊作となり、収穫を喜び合うジャン一家であったが、次の夏は雨が降らず、苛酷な干魃に襲われた。おいつめられるジャン。井戸を探し求めた彼は、硬い岩盤を爆破しようとダイナマイトをしかけて、岩盤の破片を身に受け命を落としてしまう。
ジャンの葬儀の後、パペとウゴランが隠してあった泉のセメントをとりのぞき喜び抱き合っていた。その姿を茂みの中からみてしまうマノンであった。

f0009381_10454368.jpg第二部 『泉のマノン』
それから10年。策謀で土地を手に入れたパペとウゴランは、カーネーション栽培で豊かに暮らしていた。一方美しく成長したマノン(エマニュエル・ベアール)は寡婦と共に農村に残り、丘で羊の群れを追いながら暮らしていた。そんな彼女は父親の悲劇のことなどほとんど忘れていたのだが、ある日町の水源である洞窟を偶然見つけることになる。
ウランゴは美しく成長したマノンに強い憧れをいだいていた。しかし彼女は学校の教師であるベルナール(イッポリート・ジラルドー)と親しくなっていた。ウゴランのはマノンとベルナールの仲を嫉妬するようになる。そんなとき村の男たちからかつてのことのあらましをきかされるマノン。ウゴランとパペへの復讐の念ふきあがる。マノンは町の水源を塞ぐ。泉は涸れ、ウゴランは苦しんだ。町の人々も困り、雨ごいが始まる。そんなころ、10年前の事実を目撃したエリアシン(ディディエ・パン)がすべてを告白し、パペとウゴランがせめられる。ウゴランは自殺し、マノンとベルナールは結婚する。その結婚式の日、パペはかジャンこそが自分の実の息子であることを聞かされ愕然となるのだった・・・。

by ssm2438 | 2009-06-18 09:26
2009年 06月 18日

セックスダイアリー(2001) ☆

監督:ジョセフ・ブラッツマン
脚本:トニー・ペック
    ジョセフ・ブラッツマン
撮影:ネイサン・ホープ
音楽:ダグ・スミス

出演:ロザンナ・アークエットf0009381_7453749.jpg
    ナスターシャ・キンスキー
    アレクサンドラ・ポール
    マイケル・デ・バレス

        *        *        *

女性人のめんつがすごい。ロザナ・アークエット、ナスターシャ・ニンスキー、アレクサンドラ・ポール。みんな私の好きなタイプばっかりなのに・・、映画はひどい。カメラがひどいというか・・、映画としてとられてるんじゃなくて、その辺にころがってるAVみたいな画面、見るに耐えない。なんでこんなクソ映画にこれほどの面子がでたのだろう? 信じられんこともおきるものだ。

ロザナ・アークエットの旦那はレストランを経営してるシェフで、普段はやさしい父親だがセックス依存症であり、ナスターシャ・キンスキーのサイカイアトリストに通ってる。最後は女二人とエッチしてるところロザナにみられて別居、さらにエイズにかかってしまう・・。ロザナ・アークエットも、ナスターシャ・キンスキーも特に脱いでるわけではなく、脱いでるのは名もない女優さんみたい。

ただ、ダメな映画。・・・ひどい。

by ssm2438 | 2009-06-18 07:31
2009年 06月 17日

エントラップメント(1999) ☆☆☆

f0009381_9432192.jpg監督:ジョン・アミエル
脚本:ロン・バス
    ウィリアム・ブロイルズ
撮影:フィル・メヒュー
音楽:クリストファー・ヤング

出演:ショーン・コネリー
    キャサリン・ゼタ・ジョーンズ

        *        *        *

いやあ、映画としては普通の出来なのですが、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの一番美しかった時を記録した映画として貴重。当時彼女は30歳だったのですね。美しい。このころからマイケル・ダグラスと付き合いだしてて翌年結婚、今ではお母さんになってしまわれました。

<エントラップメント>というのは警察が泥棒をはめるための罠をいうものだとか・・、劇中にそんな台詞がありました。最後できちんと効いてきまいたな。

f0009381_9434045.jpgこの映画のすべては黄金のマスクを盗み出すためのシュミレーションシーン。レーザー光線を赤い糸にみたててそこをすり抜ける練習をしてるあのシーン。なまめかしいキャサリン・ゼタ=ジョーンズのお尻がすばらしい。そこに息づかいだけで音を入れてるセンスがまた素敵。セックスするようりはるかにいろっぽシーンです。セックス以外で、ああいった性的な魅力を出せるってのはとてもすばらしい。

めまぐるしい話なのでとりあえず整理しておこう。・・・数年前にFBIに捕まった大泥棒マック(ショーン・コネリー)は、新鋭のジタ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)を捕まえるのに協力することでみのがしてもらうことにしてた。そのころジタは2000年問題の回避のために銀行がコンピュータをオフにする30秒間をねらい大金をダウンロードする計画をたてていた。そのために保険会社に何年もつとめ、情報を入手し準備万端。あとはマックの協力をとりつけるだけ。そのために黄金のマスクを盗み出すことでデモンストレイションとし、マックの協力を約束させる。そして1999年の最後の日、マックとともクアラルンプールのツインタワーに忍び込むみ見事大金をダウンロード、しかし回線をぬくと警報が鳴り響きそのなかを逃げ惑うことになる。なんとか逃げ延びたジタは、某駅でマックを待っていたが、彼はFBIを同伴して現れる。二分だけ話をすることをゆるされたマックは事の次第を話し、彼女を逃がすのだが・・・。

by ssm2438 | 2009-06-17 08:55
2009年 06月 17日

2001年宇宙の旅(1968) ☆

f0009381_846248.jpg監督:スタンリー・キューブリック
原作:アーサー・C・クラーク
脚本:スタンリー・キューブリック
    アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
    ジョン・オルコット
特撮:ダグラス・トランブル

出演:ケア・デュリア
    ゲイリー・ロックウッド
    ウィリアム・シルヴェスター

        *        *        *

賛否両論いまでもあれど、私にとっては「伝わらない映画」。私がアーサー・C・クラークの原作が好きという理由があるのだが、この映画では原作の持つ大いなる思想がまったく伝わらない。伝わらないどころか、逆行しかねない。多分これを作るときにキューブリック自身がこの原作を理解していたとはとうてい思えないが・・。思想をおいてけぼりにしてビジュアルだけが先行した結果がこんな「伝わらない映画」になったと思う。
そこは不安がらせるとこじゃないだろうってところで怪しい演出してみている人を不安がらせるアホな演出のかずかず・・。音楽も音響もレンズワークもピントハズレな使いかたがやたらとおおい。これではただ、アンコンベンショナルというだけのパフォーマンス。これはもうなぞめいた作り方じゃなくて、ただ原作の穏やかな心オ広がりを理解できなかっただけという(原作はすごくおおらかな小説で精神の広がりと、宇宙と精神の融合がテーマなのだけど・・。
実に勘違い映画でした。
これこそフィリップ・カウフマン『ライトスタッフ』のように作れなかったものか・・と残念に思う。

そうはいってもリアリズムにはみるべきところがある。
開発途中の宇宙ステーションの意味するもの
あれがそのまま建造されつづけたら『ガンダム』ようなさらに長い円筒形のスペースコロニーになっていくんだろうなあって思わせてくれた。このまだ途中であるってコンセプトをみせてくれたのはすごい。
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湾曲する床
宇宙ステーションは遠心力で重力を発生させているので床は円筒状に湾曲する。この床が描かれたのはこの映画がはじめてだろう。子供の頃見たときはあれがなんだかわからなかったが、大人になるとあれはすごいって思える。
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ディスカバリー号のなかも小型の円筒状の床。ちなみにここでは1Gを発生させるのではなくその1/2~1/3の重力で十分という設定。なので回転スピードもそれほろ速くない。
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ハルの中心部
のちの『ペーパーチェイス』のレッドセットの棚はこれをイメージしたものだろう。
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by ssm2438 | 2009-06-17 04:55 | S・キューブリック(1928)
2009年 06月 17日

欲望のあいまいな対象(1977) ☆

f0009381_4131025.jpg監督:ルイス・ブニュエル
脚本:ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール
撮影:エドモン・リシャール

出演
フェルナンド・レイ (マチュー・ファベール)
キャロル・ブーケ (理想コンチータ)
アンヘラ・モリーナ (現実コンチータ)

        *        *        *

同一登場人物を主人公の価値観から二役で描いたえいが。対象の女が理想として存在している時はキャロルブーケ。現実として存在しているときはアンヘラ・モリーナ
個人的にはキャロル・ブーケの美しさをみたくて見た映画だったけど・・・、正直つまらんかった。

<あらすじ>
スペインの南の町セビリア。一見平和なこの町でも、正体不明のテロ事件が頻発していた。初老のブルジョワ紳士マチュー・ファベール(フェルナンド・レイ) が、あわてて駅にやって来てパリ行きの切符を買った。そこへ、マチューを追って若い女がやって来る。追いすがる彼女に、マチューは頭からバケツの水をかけた。周りの人間はマチューに非難の目を向ける。マチューは語り始めた。その娘コンチータ(キャロル・ブーケ)のことを。

f0009381_4132755.jpgマチューがコンチータに会ったのは、従兄の判事を食事に招いた日のこと。新しい小間使がコンチータだったのだ。その初々しい姿にすっかり魅せられたマチューは、夜コンチータを呼んだが、コンチータはその部屋を逃げ去り、翌朝マチューの家を出て行った。
彼女を忘れられないマチューはレマン湖畔で偶然彼女と再会する。演劇仲間といっしょの彼女は、興行主に騙され無一文だと言う。そんな彼女に金を握らせるマチュー。彼はそれがきっかけで、パリに帰ってからもコンチータのアパートを訪れた。アパートでは、コンチータ(アンヘラ・モリーナ)は、母と二人で貧しい生活を送っていた。マチューは、母親に大金を渡し、コンチータを自分の邸に引き取ろうとするが、コンチータは手紙を残して彼の許を去ってしまう。夜も眠れるマチュー。
再びとあるバーで偶然コンチータを見かけた彼は、今度こそは離すまいと、郊外の別荘に連れてゆく。ところが、ベッドの中でマチューが手にしたものは、なんと彼女を守る貞操帯だ。マチューの欲望は一向に満たされない。一方では彼女はギター弾きの青年(デイヴィッド・ローシャ)と戯れたりしている。
傷心のマチューはセビリアにやって来た。そして再びコンチータに出会う。フラメンコを踊りながら母とわびしい生活を送っているという彼女に再び同情し、遂に家を買って与えた。しかし、いよいよという夜、家の玄関に鍵をかけ、マチューが見ている前でギター弾きと抱き合う彼女。怒りが爆発しパリに向かう彼を、彼女は追いかけて来たのだ。さらに「私は処女よ」と叫ぶコンチータ。話し終えて列車から降りたマチュー。何と、仲むつまじく、コンチータが寄り添っていた。

キャロル・ブーケをこんな映画に出たかと思うと悲しくなる。クソ映画だ。

by ssm2438 | 2009-06-17 03:53
2009年 06月 16日

ロスト・イン・トランスレーション(2003) ☆

f0009381_21471876.jpg監督:ソフィア・コッポラ
脚本:ソフィア・コッポラ
撮影:ランス・アコード
音楽:ブライアン・レイツェル
    ケヴィン・シールズ

出演:ビル・マーレイ
    スカーレット・ヨハンソン

        *        *        *

なんか、ATGでも見てる感じ。決してこの手の映画はきらいじゃないんだけど、映画の作り手として下手すぎる。
テーマはいいと思う。異国の地にきて、底での行いというのは実は自分の母国ではなにも評価されない、別な言い方をすれば、自分の存在意義がない状態。主人公のビル・マーレーはCM撮影のために日本にきてるが、そのCMが母国で流れるはずもなく、彼が本来存在している社会ではなんの反応もない仕事。人の存在っていうのは、あくまで反応してくれる社会があってのことで、この場合はそれが日本なんだけど、彼が自分を確認する、反応してくれる社会というのはアメリカ。だから彼にとってはほとんど自分の存在意義がここではないわけだ。
それはスカーレット・ヨハンソンにもいえること。旦那にについてきた新婚の人妻、でもここではやることがない・・。ここでなにをやっても、自分は母国の自分の周りの人になにも影響をあたえない存在。
自分の存在に無意味感を感じてる二人のなにげないふれあい・・・、テーマとしてはとってもおいしいのに。

・・・残念。もうちょっと勉強してから撮ってくださいよって感じでした。
カッティングはひどいし、音楽のつけかたも切方も・・・???だし。・・なんか、みててすごっく素人っぽさが鼻についた。これだったら劇場じゃなくて大学の自主上映の会場でやれよって感じ。・・もうすこしきちんとできなかったものかな。
普通はモノがよければ、出来の悪さは見てる側は「ああ、こうしたかったんだね」って補完して解釈するものだけど、この映画はそれすら出来なかった。素材がよかっただけに料理の下手さにちと怒り。

by ssm2438 | 2009-06-16 21:29
2009年 06月 16日

あの頃ペニー・レインと(2000) ☆

f0009381_2113465.jpg監督:キャメロン・クロウ
脚本:キャメロン・クロウ
撮影監督:ジョン・トール

出演:パトリック・フュジット
    ケイト・ハドソン

        *        *        *

なんでもアカデミー賞の脚本賞をとったとかで、当時劇場に足を運んだ映画でしたが・・・、私的には全然面白くなかった。そのむかし『セイ・エニシング』というこの監督さんの映画を見たときもぜんぜんぴんとこなかったのを思い出した。『初体験/リッチモンド・ハイ』フィービー・ケイツの健康的なおっぱいしか覚えてないし・・(苦笑)。
私は無責任なバカ騒ぎというのが基本的にきらいで『黒猫白猫』もその系統で嫌いだったのだが、この映画のバンドの連中にもまったく共感を覚えない。生理的に好かん人種なわけだ。で、こういうのにあこがれるとういキャメロン・クロウも私に言わせれば自分にあまあまな人間のような気がする。『セイ・エニシング』でこいつはダメ監督だ烙印を押してしまったのだが、アカデミー賞とったということもあり復活のチャンスをあげたのだが、やっぱりダメだった。

1973年、15歳の少年ウィリアム(パトリック・フュジット)は学校新聞などにロック記事を書いていたが、どういう段取りだったか忘れたが、某有名音楽雑誌から誌からも声がかかり、新進バンドのスティルウォーターのツアーに同行し、記事を書かせてもらえることになった。ツアーはバスで移動し、その中にはバンドのメンバーとそのおっかけ少女たち=グルーピーが同乗していた。そのひとりペニー・レイン(ケイト・ハドソン)に憧れを抱いていたのだが、彼女はスティルウォーターのギタリスト、ラッセル(ビリー・クラダップ)と付き合っていた。NYでラッセルの本命の恋人が現われたため、ペニー・レインは睡眠薬で自殺を図る。ウィリアムの助けで彼女は一命を取り止めるが、それはお祭り騒ぎの終焉を意味していた・・・。

好きな女のひとの精神的な助けになってあげられることは男としてはとっても気持ちいいことであり、この映画はそれがちょっとだけ出来た小さな幸せ感がいっぱいの映画だったのだろう。

<他人の不幸は私の幸せ、特に好きな人の不幸は私の幸せ>の法則である。

by ssm2438 | 2009-06-16 20:42
2009年 06月 16日

ある結婚の風景(1974) ☆☆☆☆

f0009381_20305328.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:オウェ・スヴェンソン

出演:リヴ・ウルマン
    エルランド・ヨセフソン

        *        *        *

これはマジでお互いのしゃべりっこなので、ベルイマン映画の楽しみ方を知らない人には不向き。二人が会話する言葉に耳をかたむけつつ、“自分たちはどうなのだ?”って自問自答して見なければいけない映画。夫婦一緒には絶対見ないほうがいいと思う。

その昔、鎌田敏夫脚本で『男女七人夏物語』なるドラマがあったが、そのなかの池上季実子の台詞のなかで
「桃子の家庭はみんながすこしづつ嘘を付き合ってるんだと思う。だから上手くいってるんだ」ってのがあった。やっぱり結婚してても人は人、ひとつの形を保持するためにある程度の帳尻合わせは必要になってくるのだろう。これは結婚だけではなく、共同体なら会社にしろ、学校にしろ、どれでもあてはまることなのだけど。
恋愛というのはお互いに期待できてる期間の関係であり、結婚となると期待の限界値はみえてきており、それ以上期待しなくなる。無理して期待すると壊れると本作品のように壊れることになる。・・がそれも悪いとは定義していない。

安定を保っていたヨハン(エルランド・ヨセフソン)とマリアンヌ(リヴ・ウルマン)の夫婦。42歳のヨハンは応用心理研究所の助教授、35歳のマリアンヌは親族法・民法の弁護士で、二人の間の娘二人と共に安定した暮しを送っていた。理想的に見えるこの夫婦は、ある朝取材の女性記者のインタビューを受け、マリアンヌは夫婦関係について初めて語った。数日後、夫婦の共通の友達夫婦を夕食に招くと、彼ら二人はお瓦いにののしりはじめた。その夫婦に唖然としながら仲介をするのだった。
その晩夫に自分たち夫婦の在り方を話そうとしたマリアンヌに、しかしヨハンは耳を傾けようとはしなかった。ヨハンは研究室で実験し、マリアンヌは法律事務所で依頼人の相談に応じるという相変らずの毎日が過ぎてゆくが、遂にそのバランスが崩れる時を迎える。

その後この物語は、別居、また再会、離婚、お互い再婚もするがやっぱりに理想とはいかない。そしてまた再会。そんななかでお互いの心情を暴露しあう映画ではあるが、最後の再会のときに二人はとても穏やかでピースフルな感じで良かった良かった。

by ssm2438 | 2009-06-16 19:54 | I ・ベルイマン(1918)
2009年 06月 16日

盲獣(1969) ☆☆

f0009381_19341646.jpg監督:増村保造
原作:江戸川乱歩
脚本:白坂依志夫
撮影:小林節雄
美術:間野重雄
音楽:林光

出演:船越英二
    緑魔子

        *        *        *

増村保造の倒錯映画である。・・がしかし、もっと出来たんじゃないのかな? 原作は最後どうなになってるんだろうって疑問に思うが、かといって原作本を読むほどの元気はないし。。

この映画は、緑魔子をモデルにした写真展に足をはこんだ怪しい男、船越英二。彼は写真にはめもくれず、会場中央においてある緑魔子をモデルにしたブロンズ像だけを頬ずりしながら、手のひらで感触をたしかめていた。彼は盲目だった。数日後アンマに扮した船越英二はかれの母親と共謀して緑魔子を拉致。かれのアトリエに監禁する。そのアトリエの四方の壁には手や足、目、鼻、唇、耳、乳房といった体の一部の造形物で覆いつくされていた。照明を暗くしてその壁の一角だけを徐々にみせていくのはかなり気持ちわるものだが、全部明かりがついてからはけっこうマヌケにみえる。そしてそのセットの中だけでほとんどのシーンが展開するのでさらにマヌケに見える。

f0009381_1936475.jpg最初は抵抗していた緑魔子も徐々に創作活動への理解をしめし、協力的になりつつ脱出の機会を待っている。そしてその機会が訪れるのだが失敗。そのとき船越英二の母も死んでしまう。最終的にはそのアトリエのなかにずうってい続けたために緑魔子も視力を失い、視力のないもの同士が触感だけで生きていくことになりだんだんとその敏感ななかで倒錯していき、最後は緑魔子の手足をも切断してしまう。

全体的におおざっぱすぎる。個人的にはこれ、もっと松本清張風の展開にしてほしかったなあ。緑魔子を誘拐してきてから、それを生かしたままどうあのテンションにもっていくのか・・、食事はどうするのか? トイレはどうするのか? 風呂はどうするのか? ・・そういう細かい部分の積み重ねをこなしつつ、毎日単調な世界がすこしづつ変化していく感じ。・・・あの倉庫の異様な造形物だけでもっていこうっていうのがそもそも間違いだったような。
そうはいっても「こういう映画もあるんだ」・・と知っておくのは良いかと。

by ssm2438 | 2009-06-16 19:02 | 増村保造(1924)