西澤 晋 の 映画日記

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2009年 06月 16日

海峡(1982) ☆☆☆

f0009381_1728457.jpg監督:森谷司郎
脚本:井手雅人
    森谷司郎
撮影:木村大作
音楽:南こうせつ

出演:高倉健
    吉永小百合

     *     *     *

再び森谷司郎監督作品である(苦笑)。
この人、監督力はそれほどあるわけではないとおもうのだけど、私好みの作品に携わる事が多い。メガホンを取る作品の選び方はとってもいい。

この映画、言わずとしれた「青函トンネルを作った男たち」の話である。『プロジェクトX』が取り上げる遥か以前に、東宝がこの物語に目を付けてトンネル完成前から作っていた話。
いや~~~~、この映画大好きなんだ。ただ、出来が良いか?と問われるとそんなことはあり得ない。NHKの『プロジェクトX』を見た方が燃えるようなきもする。なにしろあっちはドキュメントだし。そしてこっちはかなり商業的「売り」の要素等はいってきてて、脚本の未完成さは天下一品、つじつまあわないところもかずしれず。三浦友和の不必要なやんちゃぶりとかかなりおおい。ドラマの根幹はおおざっぱにイベント描写してるだけでかなりゆるゆる。劇中何人かの犠牲者は出ているがその描き方もほんとにこんなシーンいれる必要があったのかな??って思うくらいひどい。こういう映画はドキュメンタリー性を重視して「本来とれないシーンは撮らない!」くらいの心持ちでいってほしいものだ。崖からおとされる人形なんかをスローで取られても‥‥???って思ってしまう。そんなシーン本来ならとれないのであって、だったら撮らなくて良いのだ。
ま、この映画、ほんと不満だらけなんだけど、それでも私の中ではかなり強烈なインパクトをもった作品。
これだけシナリオが悪いのに、これだけ好きなれる作品も珍しい。

第一の要因は、人間のもつ「造る」というエネルギー。
健さんが波の荒立つ海峡に船を浮かべ海底の石を拾い上げるところかrあプロジェクトはスタートする。それから25年、国鉄という巨大企業がその海峡にトンネルを掘るという大プロジェクトを健さん視野で描いていく。あのころ昭和30~50年の国鉄は巨大な力をもった国内でももっとも巨大な企業のひとつだった。その後は赤字の宝庫となって解体民営化を余儀なくされたが、この物語のなかd絵描かれた頃の国鉄はほんとに「造る」というパッションにあふれていた。日本列島の山を掘り、川に鉄橋を架け、鉄道を引いていく。日本人が持つバイタリティのいっぺんをかいま見る気がした。戦後、日本を再生させたその力を感じてしまうのである。
これはもちろん、見ている人間の想像力に依存する。実際映画のドラマはあまりに弱いのだが、見ている側の人間にとってはもはやそれ自体はたいしたことではなく、「本来このドラマはこうつかられていればもっと良い物になっていた」という、その完成系でドラマが見える人にとっては想像力で補ってあまりあるダイナミックなドラマである。

そして燃える第二の要因。それは木村大作のカメラ。森谷司郎の演出が弱いのをカバーしてあまりある絵力。ずっと黒澤明と一緒にしごとをしていて、その時は森谷司郎も助監督だったのだけど、彼が監督をすることになると木村大作も彼の作品を撮るようになる。どちらかというと、私は森谷司郎作品での木村大作のほうが好きかもしれない。『日本沈没』も『八甲田山』もこの『海峡』も、木村大作のカメラなしには語れない。
森谷司郎以外にも降旗康男の『駅 STATION』とか『夜叉』なども木村さん。
その望遠レンズの画面がカッコよすぎです。

そして第三の要因。南こうせつの音楽。
伊福部サウンドなんかとはひと味違う、なんというか‥‥清々しい前進力を感じるんだよね。あのテーマ曲が流れてくると「頑張ってやるぞ!」って気になってしまう。

この映画、高度経済成長をとげた自体のバイタリティあふれる日本人魂の映画なんだろうなあ。強い国鉄っていいなあ(苦笑)。
その後私の大好きな増村保造が新幹線の騒音公害をネタにした『動脈列島』って映画をとっているが、これでも国鉄は巨悪的に描かれていた。今思うと「国鉄=巨悪」として描かれていた時代というのは実によかったなあって思ってしまう。
頑張れん、日本!!

by ssm2438 | 2009-06-16 01:54 | 木村大作(1939)
2009年 06月 13日

ライトスタッフ(1983) ☆☆☆☆

f0009381_14582162.jpg監督:フィリップ・カウフマン
脚本:フィリップ・カウフマン
撮影:キャレブ・デシャネル
音楽:ビル・コンティ

出演:サム・シェパード
    スコット・グレン
    フレッド・ウォード
    エド・ハリス
    デニス・クエイド

        *        *        *

この映画、万人視点からみるとちっともいい映画ではない。☆ひとつでもいいくらい。しかし映画として出来が悪かろうが、面白くなかろうが、見るべきモノがいっぱいつまっている映画なのだ。
余談ではあるがデビット・リーンが同じテーマの『超音ジェット機』という映画をとっている。これも音速の壁を破ろうとした男たちのドラマだ。

映画として面白くないのはどういうことか? それは一言にでいってドラマがないということだ。通常のフィクションのドラマは、主人公がいて、主人公にはひとつの大目的があり、それを妨げる環境やらライバルがいて、時間経過とともにさまざまな障害を突き抜けつつ、その代償として自分のあまり大事なものでないものから捨てていき、最後に大事なものをのこしつつ、目的を成し遂げる・・というもの。
しかしこの映画には主人公というものが特定できない。複数いるのだ。複数いるとそれぞれのドラマがそこに存在することになるのだが、その結果、映画としての一本気なドラマにはならなかった。
そしてこの映画がドキュメンタリーにもなりきってない。それぞれのシーンでやっぱりドラマ的に見せているため、ドキュメンタリーとしてのストイックさはない。
そんなわけで映画としてもまとまりはきわめて乏しい映画だといえる。

・・・しかし、それが分っていても余りあるすばらしい点がある。
総合的に見て感動するのは、進化めざす人たちのスピリットの美しさ! さらに高く、さらに遠くへ、さらに速く・・、それをめざすスピリットの総合体としてこの映画は存在する。それが見終わったとき感動をさそう。

そしてその画面を高品位にたもちつづけたキャレブ・デシャネルの力。これはすばらしい! キャレブ・デシャネルは『チャンス』で見事な画面を見せてくれたが、それは家の中の画面のすばらしさで、このように家の外を撮る画面はどうなんだろうとおもってたのだが、そんなことはお構いなし。総て素晴らしい。コントラストがいいのだろう。ゴードン・ウィリスみたいにマニアックなまでに黒く落としすぎることもなく、しかし圧倒的な画質を表現してくれる。色がダイナミックにもかかわらず、品性があるのだ。まさにこの映画にはうってつけの撮影監督だったといえる。

ビル・コンティの音楽もいい! ハンス・ジマーだとどうしてもドラマッチにカッコいい音楽になるような気がするが、ビル・コンティの場合はマーチ的なかっこよさになるんだよね。

あと、イエーガーに関して一言書き添えたいが、この映画に登場するイエーガーをカッコいいとする風潮はあるようだが、個人的にはあまりそう思っていいない。
政府がマーキュリー計画に参加するパイロットとしてスカウトしているときにチャック・イエーガーは大学を出ていないということで<脚きり>にあっている。しかし彼はかれの分野で進化をめざしていく。
宇宙パイロットとジェット機のパイロットではリスクマネージメントの質が違うのでイエーガーをはずした政府の判断は正しい思う。そのときイエーガーは宇宙パイロットはモルモットだといい、この計画への興味のなさを表現しているが・・・はたして何処まで本当だったのか。
もちろんこれは現実の話をベースに描かれているのだが、私個人が主人公を創作できるとしたら、選抜で脚きりにあったイエーガーの悔しさを描きつつ、大学への猛勉強をさせ、資格を取り、マーキュリー計画の次のジェミニ計画あたりに参加させ、ミッションの成功ののち、それでも地上にもどってジェット機としての最速記録に挑む・・って展開にしちゃうかな。
本作品のイエーガーは悔しいくせに悔しくない振りをして、それまでの自分を肯定するためにもがいたようなきがする。


能条純一『月下の棋士』のなかにある言葉だけど

「男だったら悔しがれ!」

・・・これだは。負けたのなら悔しがらないと。
負けて、悔しがらないと、自分をとりまく世間のほうを否定するようになり、まけた自分の過去を可愛がってしまう。そうなったら進化は止まる。これがイエーガーというキャラクターのなかに見えてしまった。

by ssm2438 | 2009-06-13 14:58 | C・デシャネル(1944)
2009年 06月 12日

ボーン・アイデンティティー(2002) ☆☆☆☆

f0009381_22335596.jpg監督:ダグ・リーマン
脚本:トニー・ギルロイ
    ウィリアム・ブレイク・ヘロン
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョン・パウエル

出演:マット・デイモン
    フランカ・ポテンテ
    クリス・クーパー
    クライヴ・オーウェン

        *        *        *

素直に面白かった。物語の構成自体がとてもおもしろい。

先にケーブルでやってた『ボーン・スプレマシー』のほうを中盤から見てしまい、手ブレがうざいポール・グリーングラスだったのでパスしてたのですが、こっちは違う監督さんだったんじゃないですか! で見てみたら全然面白い。

女こと一緒に行動しているので物語に華もあるし、自分が何者なのかを捜し求めながら、追っ手から逃げるってシチュエーションもとても面白いし。最初、お尻にうめこまれたあのチップ(銀行の貸し金庫の口座番号を記憶してある)をそのまま見つけられなかったらどうなってたんだろう・・とか、思ってしまったが・・。
いいシーンもあるね。ちょっと別れがたい女の子が

「私のことなんか、忘れちゃうわよね」っていうと
「忘れるわけないじゃないか、だって君しか知らないんだから」って・・・、いいなあ。

逃亡のために女の子の髪を切るシーンもよかったなあ。『フェノミナン』でも散髪のシーンがあったけど、異性に散髪して洗ってもらうってのは実にエロチックになるものだ。

<あらすじ>
嵐の夜、マルセイユ沖の漂う一人の男(マット・デイモン)を漁船が見つけ助け上げる。まだ息はあるらしく、医療の経験のある船員が、撃たれた背中から弾を摘出する。さらに体をしらべると臀部に何か埋め込まれたものがあるらしく、取り出してみるとメモリーチップだった、そこにはスイス・チューリヒ相互銀行の貸し金庫の口座番号が記憶されたあった。しばらくの間その場を離れていた船員が甲板から降りてくると、その男は姿をけしていた。あたりを探すと、いきなり飛び掛ってきて、クビを締め付け「俺に何をした、ここは何処だ?」とまくし立てる。どうやらその男は記憶喪失に陥っているらしい。港に帰る間、漁を手伝ったその男に船員は「これだけあればスイスまでいけるだろう」と札束をいくらか差し出した。

チューリッヒに着き公園のベンチで寝ていると、不審者と思われ警官に職務質問され、IDの提示を求められる。「持ってない」というボーン、二人の警官は銃を向け署までつれて行こうとした瞬間、ボーンの眠っていたなにかが爆発、あっというまに彼らを叩きのめしてしまった。なんでそんなことをするのかも判らずその場から走り去るボーン。朝になり恐る恐るスイスの銀行に行き、貸し金庫をあけてみると多額の現金とパスポートがあり、そこには「ジェイソン・ボーン」との署名があり、住所の記載もあった。他にも5枚のパスポートと1丁のシグザウェルもはいっていた。
ボーンがスイスの銀行に行き貸し金庫を明けたという情報は、たちまちCIA 幹部・コンクリン(クリス・クーパー)の元にとどいた。彼はスイスのアメリカ政府機関にボーンの身柄を確保するように指令をだすとともに、ヨーロッパ各地に展開する特殊工作員にボーンを抹殺するよう指令をだした。ボーンはCIA 工作員としてアフリカ某国から脱出した政治家・ウォンボシ暗殺に携わり、失敗したらしい。CIAが暗殺を画策したという証拠は残せない。ボーンは存在してはならない人物と定義されていのだ。

銀行を出たボーンだが、昨夜の公園の件で地元警察に目をつけられたらしい。かれはアメリカ大使館に逃げ込む。しかし、そこでも自分の身柄を確保しようとする周りの不穏な空気を感じたボーンは、所員をなぎ倒して逃走した。ビルの外で、、さきほど中でもめていたマリー(フランカ・ポテンテ)というアメリカ人の女の子をみつけ、パリまで送ってもらうことにした。しかし大使館の外壁に備えられた監視カメラが、二人の様子をとらえており、車のナンバープレートから彼女の素性が調べたれた。そして二人がパリにつく頃には、パリの政府機関に二人の手配写真が配られていた。こうして二人の逃避行がはじまる。

パリの自分が住んでいたという住所につくと、パリでの自分の名前や、職業がわかってくる。そこに追っ手が迫ると、別のホテルに移動、そこもあぶなくなると、マリーの元恋人・イーモンの別荘にうつる。
この映画では、この追われるところと休むところのバランスもじつにいい。それぞれの場所で追っ手を倒したボーンはコンクリンをパリに呼び出しついに彼と接触をはたす。
そこでボーンは、自分がCIAが何千万ドルもかけて育成された特殊工作員であることを教えられ、マルセイユ沖の船上で政治家・ウォンボシの暗殺のミッションに携わっていたことを告げられる。おぼろげながらその記憶を思い出すボーン。
5日間も彼のクルーザーに潜伏し、暗殺のチャンスを待っていたボーンはついにそのときをつかみ、船室でくつろいでいるウォンボシの頭に銃口をつきつけた・・が、かれは一人ではなく回りに彼の子供たちがいた。戦闘マシンとして再構築されていた彼の脳にわずかにのこっていた良心が、その引き金を引かせない。それがストレスとなり頭痛を引き起こす。そのときボーンはなぎ倒され、、脱出仕様としたとき、背中に銃弾二発をうちこまれたのだ。

ジェイソン・ボーンは自分はもう死んだ、追うな。もし追えば、お前を殺すと言い残しそこを去っていく。残されたコンクリンは、さらなる上層部の指令を受けエージェントに殺され、この事件はないものとされた。

by ssm2438 | 2009-06-12 20:26
2009年 06月 11日

ボーン・スプレマシー(2004) ☆☆

f0009381_23292434.jpg監督:ポール・グリーングラス
脚本:トニー・ギルロイ
    ブライアン・ヘルゲランド
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョン・パウエル

出演:マット・デイモン
    ジョアン・アレン
    ブライアン・コックス
    フランカ・ポテンテ
    

        *        *        *

今回は監督が『ブラディ・サンデー』ポール・グリーングラスに変わってのボーンシリーズ2作目。この監督意図的にドキュメンタリー性をだそうとし必要以上に手ブレをいれまくるので大嫌いな監督。こういう見えすぎる作為性は逆に見るものの感情移入を奪うことになる。意図的手ぶれがやたと多いカーチェイスのシーンとか、ほかの追跡シーンとか、みてて不愉快。早回しで飛ばしてしまう。ああ、DVDは便利で良い。

だいたいハンディカメラでドキュメンタリー撮ってる人も、できるなら安定した画面で取りたいとおもっているもの。その場に三脚なりレールを敷けるなら彼らだって安定した画面で取る。しかしそれが出来ない状況だから彼らは仕方なくハンディで撮っているだけの話で、映像の送り手の基本は、見るものにより正確な情報を送るということ。彼らは可能な限り努力してその画面を作っている。なのにこのバカ監督は、わざと手ぶれをいれて見えづらくして雰囲気だけを装う。この精神が非常に不愉快。こういうみてくれだけを大事にするバカは大嫌い。

<あらすじ>
CIAの女性パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)らは、内部で起きた公金横領事件を調べていた。しかし、そのさなか、何者かに襲撃され、関係資料を奪われてしまう。その現場にはジェイソン・ボーンの指紋が残されていた。そのころ依然として記憶の戻らないジェイソン・ボーンはマリー(フランカ・ポテンタ)とともにインドでひっそりと暮らしていた。そこにも何者かの魔の手が伸びてきた。マリーはその巻き添えとなり殺されてしまう。復習を決意するボーン。

事件の真相は、前回の最後でクリンコンの暗殺を指令したアボット(ブライアン・コックス)が、公金横領の過去を消そうとして起こしたことだ。彼はその関係資料を奪い、そこにボーンの指紋を張り、かれを犯人に仕立て上げる。そして何者かに彼を暗殺させれば、それで済むことだと考えた。しかしボーンは殺されてはいなかった。
ボーンがパスポートを使えばその情報はちくいちCIAに入ってくる。ボーンはイタリアに上陸していた。
ジェイソン・ボーンの追跡をヨーロッパで指揮するパメラ。しかしボーンを追跡しながら、実はその関係書類が強奪されたことはボーン自身まったく知らないことだと判ってくる。では誰が何のために・・??
ボーンはアボットを追い詰め、証言をテープに残すとその場を去る。つづいてモスクワに向かい、マリーをころした実行犯も殺す。


前回は「マリーという女の子との逃避行」というドラマの花があり、自分が携わったミッションにたどり着くことが、自分の過去を知るための重要な手がかりになっていた。その組み合わせがとても上手くからめてあった。しかし、今回のストーリー展開は、ボーンのベルリンでのファースト・ミッション(外交官夫婦暗殺作戦)がなくても成立する話になっており、とってつけた感がぬぐえない。
それでもドラマ展開はスリリングで面白いのだが、いかんせん見慣れたものをみせられている感じ。そこにポール・クソ手ぶれ・グリーングラスのみえない画面なので見る気がうせる悪循環。
ちと興ざめ。。。

by ssm2438 | 2009-06-11 22:34
2009年 06月 11日

ボーン・アルティメイタム(2007) ☆☆

f0009381_221563.jpg監督:ポール・グリーングラス
脚本:トニー・ギルロイ
    スコット・Z・バーンズ
    ジョージ・ノルフィ
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョン・パウエル

出演:マット・デイモン、ジョーン・アレン、ジュリア・スタイルズ

        *        *        *

今回はニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)がけっこう多めに登場してくれたのでちょっと嬉しいかった。お話はあいかわらずおもしろい。・・けど、1作目の「記憶をなくしたCIA特殊工作員という部分がうすれてきてて、ただのこのシリーズ的な情報管理システムだけをみせる映画になってしまってる。『ボーン・アイデンティティ』は自分が何者かわからず、かすかな手がかりからそれをさがしていくのが面白かったのだけど、あれは1本目の特権ということなのだろう。

しかし、カメラの手ブレがうざい!このバカ監督、わざとハンディつかって手ぶれいれて、意図的にドキュメンタリー性だそうとする。作為的に見えづらくする演出が腹立たしい。
ドキュメンタリー性=ハンディカメラ=手ぶれというのは一理ある。ドキュメンタリーというのは、その場にカメラが存在していてなおかつ、届けたい映像をおくることが映像に真実さをあたえている。しかし、フィクションのように本来カメラが存在できない場面、つまり悪人同士がなにか悪いこと話し合っているとかは、カメラがそこに居合わせることが出来ないシチュエーションである。そこをハンディ=手ぶれカメラで撮ると、見ている人間がカメラの存在=<作為性>を感じてしまう。フィクションを取るときにカメラというのは、<存在しな視点>であることが重要なのだ。
ポール・グリーングラスは表面的にカッコつけるkとしか出来ない、私のなかのクソ監督のひとりである。レールしいて撮ればとれるのに、あんまり頭にくるので、カメラのブレがおおきくなると早回ししてがんがんとばす。DVDさまさまである。ああああ、良い時代だ。

by ssm2438 | 2009-06-11 18:51
2009年 06月 11日

生きる(1952) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_10223995.jpg監督:黒澤明
脚本:黒澤明
    橋本忍
    小国英雄
撮影:中井朝一
音楽:早坂文雄

出演:志村喬
    小田切みき
    伊藤雄之助

        *        *        *

名作である! 決して映画作りが上手いとはいえないが、至上最高の傑作である。

いつもの黒澤明の映画は、記号的キャラクターとその芝居付けなので、作為性が前面にでてしまい感情移入ができないのである。しかし、この映画は直球勝負のテーマをど真ん中に投げ込む映画なので、見ている人に噛み締めてもらい、「この映画に起きていることは、自分のイベントなのだ」と感じてもらわなければ意味がない、そういう映画なのだ。そそのためには、いつもの記号的演出をやめ、どうしたらそれを見ている人の細胞にしみこませることが出来るのか・・と考えて、このスタイルで映画にすることを選んだのだろう。
映画としてはかなり無茶な構成だ。だが、確かに効果はある。

黒澤は、もっとも大事な部分を物語として語らず、通夜の席の世間話として演出した。だれもが経験のある座談会という形式をとることにより、フィクション(ドラマ)としてこの物語を理解してもらうことを避け、世間によくある内輪話として見ている人に提示した。
この構成は映画としては下の下だと私は思うが、テーマをフィクションとして聞き流されないことを重点においた演出としてはすばらしく効果的だった。映画作りが下手な黒澤ゆえの発想だったと思う。

f0009381_10373753.jpg<あらすじ>
この物語の主人公渡辺勘治(志村喬)は役場の市民課の課長だが、目の前にあることを処理するだけの、そんな毎日を送っていた。その日も〇〇町に下水があふれ出すので、それをなんとかしてくれという苦情をもってその地域の女たちがやってきたが、「土木課」といって責任を転嫁する。そんな彼の仕事振りはまじめだけがとりえで三十年無欠勤といく経歴を持ってたが、次の日初めて欠勤をした。そして彼は最近意の調子がわるいことに気付いており、その診察のために病院へ出かけたのだ。医者は「胃潰瘍ですよ」と言ったが、それは気休めであることを見抜く。自分は胃がんなのだ。それからというもの、彼は初めて自分が生きている意味を考え始める。
自分は息子のために生きているのだ・・と考えてみるが、所詮息子は自分の幸せのために生きている。では自分の幸せは・・・?? 分らない。自分は何のために生きてきたのだ?? 自分の存在意義が分らない。絶望した心のまま街にさまよい出る。

屋台の飲み屋でふと知り合ったのは小説家(伊藤雄之助)だった。彼に「自分はガンだと」告白する。するとその男は、では今晩は私が<メフィスト>を演じようと、渡辺をつれて繁華街へくりだす。パチンコに興じ、新しい帽子も買い、ダンスホールにつれていき、ストリップ劇場にも連れて行った。しかし帰りに気持ちがわるくなり吐いてしまう。渡辺は消費する快楽にむなしさを覚えるだけだった。消費することは誰でもできること。自分でなくても出来ることは自分の存在意義にはならない。

その翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよ(小田切みき)とばったり出会った。彼女は辞職願いに渡辺から承認の判をもらうわなければならなかったのだ。彼女にとって役所の仕事は退屈なだけだった。その日は小田切とよと一緒にすごした、おしえてもらったパチンコにいき、お汁粉をたべ、楽しい時間をすごした。彼女の快活さがまぶしく思えた。役場をやめた彼女は町工場で働いてたが、そこにもおしかけ一緒に過ごしてほしいと迫るようになった。そんな渡辺をうっとおしく思い始めた小田切は「これが最後よ」といってしぶしぶ出かけた。どこへいっても面白くない彼女は、ある喫茶店で「なぜこんなことするの?」と尋ねる。自分はガンであると答える渡辺。「自分は生きたい、君のように快活に生きたい。でもどうしたらそう出来るのかわからない」と手をぶるぶる震えさせながら、きらきらした瞳で語る渡辺。
f0009381_10381269.jpg「私はこんな玩具をつくっているだけ」といってウサギの玩具をテーブルの上に出す。「課長さんもなにかつくってみたら?」
「役所で・・? でもどうやって・・・???」
「そうね・・、あそこじゃ無理ね・・」
しかし渡辺ははたと思いつく「いや、出来る。あそこでも。やる気になれば!!」そういって渡辺は小田切とよがもちだしたウサギの玩具を握り締めて店を出て行く。誕生会があったのだろう、階段のまわりで女子高生らが「ハッピバースデートゥーユー」と歌い始める。彼が会談を降りるよこを一人の女子高生がかけあがってくる。

そして数ヵ月後、渡辺は死んだ。
通夜の会場。渡辺に縁のある人たちが焼香をしにやってきては帰っていく。同じ市民課の人と家族の人だけがのこり、酒をのみながら思い出話をはじめる。その話題とは、どうしてあの渡辺さんがあんなに人が変わったように公園作りに一生懸命になったのかという話題だった。
もしかしたらガンのことを知ってたんじゃないのか?と渡辺の息子に聞くが、「父は知らなかったと思います」とこたえる。ではなんでだ・・・? みんなはそのことについて考え始める。
f0009381_1039051.jpgそして一人一人がそれぞれおもいあたるエピソードを語っていく。そこで語られたのは公園をつくるための勇猛なエピソードではなく、ひたすらそれぞれの役職の人が、「やる」というまで頼み続ける、「うん」というまで待ちつづける渡辺の不屈の姿勢だった。土木課の承認が必要なら土木課にいって、頼み続ける。毎日、一度以上はかならず行く。土木課長の判がもらえるまで頼み、まちつづける。課の一人一人に頭をさげてまわる。そのこ課長がしびれをきらして判をおしてくれると、次は環境課、また必要な承認が降りるまで頼みつづける。ナンドでも足を運ぶ。利権関係でヤクザに脅されようが、助役に否定されようが、「うん」と言うまで絶対に引かない。ひたすら待ち続ける・・・そんな姿勢だった。
ひとつひとつ実行していかなければそれが出来ないのなら、ひとつひとつ実行していけばいいだけの話なのだ。それが<成し遂げる人>とやり方なのだ。

通夜の最後にある警官が帽子をもって現れた。彼は告白した。あれは私の職務怠慢だった。私はあの雪の晩、新装なった公園のブランコに渡辺さんがいるのを見かけた。しかし何もしなかった。もしあの時、家まで送っていればあそこで凍死することはなかった・・と。
「・・・・しかし、彼があまりにも楽しそうに、しみじみと詩を唄っておられたから・・・」

渡辺は雪の降るその夜、公園のブランコに揺られながら、「い~のちい、みじ~いかし~、恋せよ~お、おとめ~」と歌っていたという。
ひとつのことをやっと成し遂げた満足感にひたりながら・・・。


どおおおおおおおおおおおおおお、泣けてくる。
これ書いてても泣けてくる。
この映画を見たときは決して泣ける映画ではない。こうして、いつかそれを噛みしめる時間を得たときにあのシーンを思い出すと涙がこぼれそうになる。。。

これは<成し遂げる人>すべてに捧ぐ賛歌だ!

by ssm2438 | 2009-06-11 09:10 | 黒澤 明(1910)
2009年 06月 11日

エクスタシー・ワンス・モア 愛をもう一度…(2001) ☆

f0009381_911619.jpg監督:デニス・ディムスター
脚本:デニス・ディムスター
    ズヴィア・ディムボート
撮影:フィリップ・ホラハン
音楽:ビル・ワンデル

出演:ナスターシャ・キンスキー
    ジェフ・フェイヒー
    ハドソン・レイク
    ジャンヌ・キャンベル

        *        *        *

ダミーのオッパイだ。しょぼん。。。。
スタキンのオッパイはもっと小さいはず・・・私の記憶によるとだけど・・。
そうだろうなあとは思いつつ少しは期待して借りたのだけど、やっぱり裏切られた感じ。で、最初のオッパイがダミーだったことで後は見る気がなくなってしまったが、翌日がんばってみて、なんとか終了。出来は普通のサスペンスでした。・・・ホント、思ったよりわるくなかったけど、やはり熟年エロスが売りなら、本物で勝負すべきでは??

<あらすじ>
医師フィル・クロス(ジェフ・フェイヒー)は傷害致死事件で逮捕されたショーン(ハドソン・レイク)の後見人になり、「彼には精神障害あり」ということで保護観察処分にして檻からだす。そんなショーンがフィルの妻リンダ(ナスターシャ・キンスキー)の臨時アシスタントとして雇われる。
リンダは夫の浮気にうすうす気付いており、アシスタントのショーンと情事をかさねるようになる。一度はショーンとの情事のおぼれたものの、この関係は続けられないと別れを切り出すと彼は嫉妬に変貌した。
リンダは彼の執拗なストーカー行為から逃れる為、夫とともに家から遠く離れた山荘に身を隠すが、ショーンはいともなくその山荘を付きとめる。
すべてはフィルに仕組まれていたことだった。フィルの浮気相手とは、ショーンを臨時に雇うことを決定したリンだの会社の女性社員であり、フィルがいい人になってリンダとやり直すことをうながしたのも、ショーンを嫉妬から殺人者に変貌させるための罠だった。すべてはフィルが、リンダを殺すために仕組んだことだったのだ・・。フィルは、格闘の末ショーンの刺されて死に、そのショーンもリンダに撃たれる。

はあああ・・、面白くないわけではないが、エロチックサスペンスならもうっときちんとエロを売り物にしてほしいものだ。ダミーばかりみせられてもクライマックスまでが長いだけの映画にしかならない。

しかしそのダミーの人はとても美乳だったことも一言付け加えておく。

by ssm2438 | 2009-06-11 08:31
2009年 06月 11日

盗まれた飛行船(1966) ☆

f0009381_3113515.jpg監督:カレル・ゼマン
原作:ジュール・ヴェルヌ
脚本:カレル・ゼマン
    ラドヴァン・クラートキ
撮影:ヨセフ・ノヴェトニー
    ボフスラフ・ピクハルト
音楽:ヤン・ノヴァク

出演:ミハル・ポスピシル
    ハヌジュ・ボール

   *   *   *

私はチェコ・アニメはだめかも・・・。
20年前くらい、アニメーターを始めてしばらくして友達から「チェコアニメ、おもしろいよ」といわれて見たのがこの映画。しかし・・・。実写とアニメを合成した手法なのだけど、張りぼてのなかでえんぎをしてる役者たちは中学か高校の学芸会みたいな感じ。全然はまれなかったのをおぼえている。
なにがダメな原因かということ、画面が説明でしかないということなのだ。画面から訴えかけるものがない。
これが絵だけで構成されていたら、それがすごい魅力をもっている絵なら感動もするだろう。これが実写だけとられた画面ならやはり感動する画面もあるだろう。しかし、ここでの絵はすべて説明なのだ。

そして大切なのは世界観の統一ということだと思う。
たとえばこれが全部アニメで出来ていたら、見ている人は、これはこういう世界のものを絵を動かして表現しているのだと理解する。つまりすべてのものを絵で描くことによって、その中に意がかれている世界観が統一されるので感情移入しやすいわけだ。これが、絵でかかれたものと、実写が一緒の画面にはいると、とたんに作為姓が表面化する。「作っている人の存在」が認識されてしまと見ている人は感情移入できなくなるものなのだ。

<あらすじ>
気球や人力飛行機が時代の花形だったころ、町にやって来たヤコフ(ミハル・ポスピシル)他2名の少年は気球にのり、持ち主のフィンディス(チェストミール・ジャンダ)を残して空に飛びたっていった。新聞社のカメラマンは、この事件を知って少年たちの家へ行ってみる。
少年たちが某国“空軍"に追われたり苦労している頃、町では、フィンデスが捜索に懸賞金を出したり、政府が対策会議を開いたり大変な騒ぎになっていた。少年たちは海上で暴風雨にあい孤島に不時着し、島内の探険に出かけた彼らは、そこでネモ船長とノーチラス号の基地らしい所を発見する。ビンに入れた手紙を海中に放ったりと、ベルヌのほかの小説に登場するキャラクターをさりげなくからませてある。海賊たちと戦い海底に捨てられた宝の箱等をとって戻ってきた子供たちは、政府のお偉方や億万長者とその娘カテリーナらの歓迎を受けるのだった。

・・はは、いかにもつまんなそうな話であった。。

by ssm2438 | 2009-06-11 02:45
2009年 06月 11日

アメリ(2001) ☆☆☆

f0009381_2354333.jpg監督:ジャン=ピエール・ジュネ
脚本:ジャン=ピエール・ジュネ
    ギョーム・ローラン
撮影:ブリュノ・デルボネル
音楽:ヤン・ティルセン

出演:オドレイ・トトゥ
    マチュー・カソヴィッツ

        *        *        *

お下劣な色使いが有名なジャン=ピエール・ジュネ、今回も赤と緑をやたらと使っている。個人的にはジュネの作品はあまり好きではないのだが、まあ、これはいいほうかなって感じ。この映画は現実と対峙できない女の子のけなげな挑戦の映画。そうはいいても一応セックスだけは済ましているのは日本の腐女子どもよりはエライかも(苦笑)。私自身も現実に立ち向かえない人間というはの嫌いなのだけど、まあ、この映画はそこから健気に(かなり健気に)脱出をこころみている人の話なので・・・まあ、許せたかな。

ただ、基本はやはりこの手の女は好きではない。この映画を、映画としては否定しないけど、「この映画が大好きっ」て言う人とは仲良くなれないと思う。
たしかに、ありのままの現実をそのまま受け入れて生きるにはつらすぎるかもしれない。だから人間はときとして幻想にすがって生きている。彼女にとってファンタジーと戯れるのはこの世界でサバイバルするための唯一の手段なのだろうが、やはり現実と向き合う勇気はもっていてほしいものだ。というか、それをもてるように努力していくのが人生だと思うな・・・。アメリの場合はそれが22にもなってこんな状態なのでどうにもいらだつものを感じる。私の知り合いの二人の女性はこの映画が大嫌いらしい。不思議なことに彼女ら二人ともおひつじ座の女だった。この映画が嫌いというよりも、この映画に描かれている「女性の卑怯さ」が許せないみたい。さすが私の愛すべきおひつじ座女(笑)。

実はこの映画も、セザール賞作品賞をとっているとか・・、びっくりである。別にそんなめくじらたてるほど嫌いでもないが、これがその年のベスト1ってのはフランス映画界も人材がいないとみえる。

by ssm2438 | 2009-06-11 02:06
2009年 06月 11日

ナディーン/消えたセクシー・ショット(1987) ☆☆

f0009381_232551.jpg監督:ロバート・ベントン
脚本:ロバート・ベントン
撮影:ネストール・アルメンドロス
音楽:ハワード・ショア

出演:キム・ベイシンガー
    ジェフ・ブリッジス

        *        *        *

キム・ベイシンガーがとても素敵だったことの映画。今回は不思議とヤクザの情婦でなく人妻。撮影はなんと『天国の日々』ネストール・アルメンドロス。でも、それほど印象的な画面ではないので、これは監督のえづくりの趣味のちがいなのだろう。
その監督ロバート・ベントンは後に『クレイマー・クレイマー』でアカデミー賞を取ることになる。力がないひとではないのだが、この作品は・・・・どうなんでしょう。コメディタッチの軽いノリのサスペンスという、彼にしてみればいまいちどっちつかずの映画になってしまった。こういうのはベントンには合わない。アイバン・ライトマンあたりがこれを撮ってたらもっと小気味の良い作品になってたかもしれない。

<あらすじ>
テキサスの田舎町オースチン。ナディーン(キム・ベイシンガー)は、母の開業する美容院で働いていた。ナディーンは結婚していたが、既に離婚寸前。夫のヴァーノン(ジェフ・ブリッジス)とはほとんど別居状態で、彼には新しい女ルネー(グレン・ヘドリー)もいた。
そんなナディーンは写真屋に調子に乗せられ自分ヌード写真をとらせてしまう。しかし心配になりそのネガを取り戻しに行くと、そこで店主のエスコバーが殺害される現場に遭遇。動転した彼女は目の前に散乱した紙袋をつかんでその場から逃げ出した。
犯人から狙われるナディーンはしかたなくヴァーノンに助けをもとめる。しかし犯人の本当の目的は、彼女が持って逃げた例の紙袋だった。極秘と書かれた袋の中身は、市道路公団のハイウェイ建設予定地を記入した青写真。バーの経営があぶないヴァーノンの脳裏に金もうけの夢がふくらむ。そんな矢先、ナディーンが土地の顔役ポープ(リップ・トーン)の手下に誘拐されてしまう。一方のヴァーノンは、いとこの弁護士ドワイト(ジェイ・パターソン)に相談し、例の青写真がホンモノであることを確認。ナディーンを人質に青写真引き渡しを迫るポープだったが、危機を乗り越えてヴァーノンは無事にナディーンを救い出した。そして、2人に以前の出会いの頃のムードが甦ってくるのだった。

by ssm2438 | 2009-06-11 01:40 | N・アルメンドロス(1930)