西澤 晋 の 映画日記

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2009年 07月 09日

遠い空の向こうに(1999) ☆☆☆

f0009381_683463.jpg監督:ジョー・ジョンストン
脚本:ルイス・コリック
    ホーマー・ヒッカム・Jr
撮影:フレッド・マーフィ
音楽:マーク・アイシャム

出演:ジェイク・ギレンホール
    クリス・クーパー
    ローラ・ダーン
    クリス・オーウェン

        *        *        *

未来を選ぶ炭鉱モノである。

炭鉱モノといえば古くは『我谷は緑なりき』が有名。やはり炭鉱モノには男の責任がにじみ出てくる。だから無骨なキャラクターが登場する。この物語の主人公の父親もそういう男。くずれたらそれで終わりの炭鉱のなかでの仕事で家族を支えてきて、多分息子もその責任ある仕事を受け継いでくれるだろうと確信していた父。しかし息子はロケットを作りたいといいだす。そんな息子の意見など聞く耳持つ分けないのだが、息子も折れない。結局父に屈するわけにはいかないのだからここは立ち向かうしかない。それが出来なければ彼の人生は終わったも同然だ。
私も大学をやめてアニメーターになると決めたとき、父を差し向かって話をした。なにせ、親の金でいれてもらった大学を1年でやめるのだがらそんなの受け入れられるわけがない。それも何になるってアニメーターである。漫画家ならまだしも稼げるかどうかもわかってないアニメーターなのだから反対しないほうがおかしい。
しかし・・・私の父はまだこのホーマーの父に比べればはるかに物分りがよかったようだ。

監督は『アイアン・ジャイアント』のデザインやったジョー・ジョンストン。これもスプートニク・ショック時代のアメリカを舞台にしている。

<あらすじ>
1957年10月4日。ソ連は人類最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げる。人工衛星打ち上げでソ連に先を越されたアメリカでは「スプートニク・ショック」が起こった。これは、アメリカが科学技術の分野で最先端であるという意識が、人工衛星打ち上げの事実により覆されたためである。その影響で、教育・軍事・科学技術部門の改革の必要性が認識され、アメリカ航空宇宙局(NASA:1958年)設立と、アポロ計画(1961年)、アーパネット構築(1969年)へとつながっていった。そしてアメリカはスプートニクに対抗して、1958年1月31日にエクスプローラー1号(重量14kg)を打ち上げている。

ウェスト・ヴァージニア州のコールウッドの炭鉱でも、ソ連の人工衛星スプートニクを見あげる高校生ホーマー(ジェイク・ギレンホール)の姿があった。そして彼は自分たちでロケットを打ち上げようという夢を抱く。彼は悪友のロイ・リー(ウィリアム・スコット・リー)とオデル(チャド・リンドバーグ)、そして級友で数学の奇才だが嫌われ者のクエンティン(クリス・オーウェン)を仲間に引き入れて《ロケット・ボーイズ》を結成する。

しかし、昔ながらの炭鉱夫で周囲の信頼も厚い炭鉱の責任者である父のジョン(クリス・クーパー)はホーマーの行動が理解できず、ゆるせるものでもない。彼にしてみれば息子も自分のあとをついで炭鉱夫という責任ある仕事についてほしいと願っていた。父子は激しく対立する。彼らの味方は高校の物理教師のミス・ライリー(ローラ・ダーン)だけだった。彼女は彼らをロケット打ち上げに成功し、全米科学コンテストに出品して優勝すれば、ヴァージニア州立大学への奨学金が出ると励ました。
努力のかいあり、ホーマーたちのロケットが全米科学コンテストの全国大会に出場することが出来ることが決まった。彼らの出展はロケットの設計図とそのコアとなるノズルのパーツである。しかし、そのノズルのパーツが何者かによって盗まれる事件がおきる。コールフッドの炭鉱夫たちは、地元の工作機械を使ってそれを再現、コンテストに間に合わせた。そして見事にグランプリ獲得。

そのころはミス・ライリーが不治の病に倒れ病院にいた。
地元に帰ったホーマーたちは、最新型のロケットを打ち上げることにする。最初はほとんど見学者がいなかったその打ち上げ実験もいまでは町中の人でにぎわっていた。そこには息子と対立していた父の姿もあった。ついに打ち上げられたそのロケット、天に向かって空気の層を突きうけ高く高く上っていく。それを病室のまどからみているミス・ライリーの姿があった。

by ssm2438 | 2009-07-09 05:41
2009年 07月 09日

アリスの恋(1974) ☆☆☆

f0009381_5354189.jpg監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ロバート・ゲッチェル
撮影:ケント・L・ウェイクフォード
音楽:リチャード・ラサール

出演:エレン・バースティン
    アルフレッド・ルッター
    クリス・クリストファーソン
    ジョディ・フォスター

        *        *        *

はは、ほんとにミサエとしんちゃんだ。ジョディ・フォスターわかい!

これはシナリオ回しが上手い映画になるだろう。主人公のアリスと息子のトムの会話が絶妙。そしてアリスが働き始めたレストランでの同様のウェイトレスとのやり取りや、恋人となるデビッドとのやりとり、そして極めつけは最後のプロポーズ。まさに台詞で魅せた映画だ。

<あらすじ>
夫の交通事故で突然未亡人になってしまった32歳のアリス(エレン・バースティン)。ほとんど会話もなく、いらつくとどなりちらすだけの夫、そんな夫におびえてすごした結婚生活。お世辞にも幸せとはいえないこの場所、アリスは「もう二度とここへは帰らない」と決意をし、息子のトム(アルフレッド・ルッター)をつれて故郷のモンタレイへ帰り、子供のときからの夢だった歌手として出直すことを決意する。

とにかく息子のトムがじつにしんちゃん。しんちゃんよりかなり年上だけど、精神年齢はあのくらい。さらにやっかり。二人とやりとりもじつに子供じみていていいのか悪いのか、まあしつけが行き届いてないなあって感じ。あのまま大人になったら社会はこまるだろうなあ。

ただ葬式で所持金を使い果たしていたので、モーテルに泊まりながら、途中のバーで稼ぐしかない。歌い手ということで売り込むがなかなか仕事はなく、結局レストランのウエイトレス。しかし、そこでデビッド(クリス・クリストファーソン)なる男に出会う。彼は店によく顔を出し、あのきかん坊トムと仲良くなり、休暇は自分の農場に連れていった。その縁でデビッドとの間にロマンスが芽ばえた。一方トムはギターの練習で一緒だったおしゃますぎる少女オードリー(ジョディ・フォスター)と仲良くなる。一緒にワインを呑んだり、ギターの弦を万引きしたり・・。
休暇でデビッドの家にいき、パーティをやろうかという時、トムはデビッドに徹底的に反抗した。多分母が彼と仲がいいのが少し気に入らないかったのだろう。あまりに反抗てきなトムに腹を立てたデビッドは、思わず彼を殴りつけてしまった。どんな理由があろうと、自分の息子への暴力は許さないアリス。デビッドに絶交を告げ、トムのあとを追った。そんなアリスにも、トムは悪態をついて一晩帰ってこなかった。
翌朝、警察からの電話で、トムが酒の呑みすぎで補導されたことを知る。とうとうアリスは故郷へ帰ることを決心した。だがデビッドが店にやってきて、みんなの前でアリスにプロポーズ、おの素朴なプロポーズがまた感動できてだった。それはみてのお楽しみ。

『恋人たちの予感』といい、この『アリスの恋』とい、洋画のプロポーズの台詞はイカス!!

by ssm2438 | 2009-07-09 05:09
2009年 07月 09日

レザレクション/復活(1980) ☆☆☆☆

f0009381_454344.jpg監督:ダニエル・ペトリ
脚本:ルイス・ジョン・カリーノ
撮影:マリオ・トッシ
音楽:モーリス・ジャール

出演:エレン・バースティン
    サム・シェパード
    リチャード・ファーンズワース
    ロバーツ・ブロッサム

        *        *        *

1981年の第9回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞受賞。このころのアボりアッツのグランプリ受賞作品はそれなりに良かった。この年は『エレファントマン』が受賞してたけど、個人的にはこちらの『レザレクション/復活』にあげたかった。

この映画、臨死体験をして戻ってきた人が何らかの力をもっているってテーマの映画。このころ臨死体験ものというのがけっこうあって、これもそのひとつといえるかも。でもやっぱり表現の基本イメージはキリスト教の考えなんですよね。いいことをすれば天国にいき、悪いことをすれば地獄におちるっていう・・、仏教的なものじゃないので、我々がみるとちょっとそのくだりにはうそ臭さを感じてしまうのだが・・、ま、そこは物語のとっかかりとうけいれないといかんところかな。
もどってくると治癒力をもっているのだけど、この治癒の仕方がとてもいい。痛みを共有し、痛みを自分のものとし、それを浄化することで相手の傷を癒していく。しかし周りの人は彼女の力にすくなからず恐怖を覚えていく。政府も彼女の力をしらべてみたりといろいろある。この辺の展開は『フェノミナン』でも同じような展開になっていたような。あの映画をみたとき『レザレクション/復活』をおもいだしました。

<あらすじ>
夫ととのドライブ中に事故にあったエドナ(エレン・バースティン)は崖から転落、生死の境をさまよう。まっくらな広い空間の中に立っている自分をずっと向こうのほうから一条の明るい光が照らしていて、はっきりとは見えない。あちこちに逆行シルエットになったたくさんの人がエドナにあいさつでもするように通り過ぎてゆく。光の中には笑顔で手を上げてその中に溶けてゆく夫の姿もあった。

そこで彼女は目覚める。しかし彼女の足は動かなくなっていた。死の淵から奇跡的に甦った彼女は祖母の住む田舎町で療養をすることになる。ある日屋外パーティーが開かれた際、発作で鼻血を出した血友病の少年を偶然助けたために、自分に治癒力が備わっている事にきづく。彼女は自分の足をなでてみる。治ると信じてなでてみる。しかしやっぱらり動かない。あきらめずに歩行訓練をするが、矢祖はびくともしない。もうダメなのかと飽きられていたとき、ハエが足にとまろうとして追い払おうとしたとき、ぴくりと親指が動く。感覚がもどってきたのだ。特別な事をしたわけでもないのに手を患部に当てただけで、傷ついた人間を治癒すことができのだ。

ある日エドナは酒場の喧嘩で腹を刺されたチンピラのような青年カール(サム・シェパード)を助けたことで彼と親しくなる。しかしエドナの父親は彼女が何人もの人間を治して有名になってゆくにつれ、彼女を「悪魔」と呼びなじりはじめる。

エドナの事を聞きつけたある研究機関が彼女の「力」を研究する事を申し出てくる。それほど気が進まないが、断る理由もないのでとりあえずその申し出をうける彼女。はじめに試したのはレーザーの光を曲げることができるかどうかだった。・・・できてしまった。次に、治療方法が見つからないまま身体が硬直し、手足がいつも痙攣している特殊な病気の女性。エドナはその女性の体に少しずつ触れるところから始め、次第に彼女の上半身を抱きかかえるような感じになってゆく。集中した面持ちでまゆをしかめていた彼女が、その時に小さな声で嗚咽をもらしながら涙をながす。彼女は動けるようになるのだが、エドナは床につっぷして、今まで治療していた女性と同じような状態になってしまう。やがて時間を置いてエドナは徐々に回復していく。
エドナの治癒力は、自らの体内に相手の痛みを吸収し、自分のなかで浄化する・・そういうものなのだ。

一方カールは、聖書を読みあさり、キリストの行った行為で同じような例はないかと探し始める。狂信的なキリスト教の信者であり、「君は現代に甦ったキリストだ。君はそのことを世の中に知らせる義務があるんだ!」と詰め寄りまる。それをエドナに拒否されると、今度はライフルを持ちだしてエドナを撃ってしまう。幸い弾はそれ、エドナの肩を撃ち抜いただけだった。カールはみんなに取り押さえられる。

そしてて月日は流れた。エドナの能力は大々的に取り上げられる訳ではなく、彼女のたどる運命も穏やかなものだった。砂漠の真ん中にあるガソリンスタンド。そこは年老いたエドナが世話している。そこに一台の車がはいってくる。母親が言うに、その子供は肝臓ガンなの・・と。「裏には植物園があるわ、みてきたら。私はしらばく子のことはなしてるわ」と。その子の両親にかたる。しばらくエドナはその子供をそっとだきしめてやる。


そんな静かな終わり方。すばらしい。

ドラマ自体は、キリストがおこなったとされるような癒しの技を、今の時代に行う人が現れたら・・というシチュエーションでドラマを展開。しかし、そのあり方が狂信的なキリスト信者のそれとはまったくちがったがゆえに、受け入れられない狂信的なキリスト教信者との確執を描いているというのがきれいなまとめ方か・・。 
ま、そういうことはおいといても、これは隠れた名作だと思う。

by ssm2438 | 2009-07-09 04:01
2009年 07月 09日

スタークロス(1985) ☆☆

f0009381_3582667.jpg監督:ジェフリー・ブルーム
脚本:ジェフリー・ブルーム
撮影:ギル・ハブス
音楽:ギル・メレ

出演:ジェームズ・スペイダー、ベリンダ・バウアー

        *        *        *

ジェームス・スペイダーが若い!!!
『屋根裏部屋の花たち』の監督ジェフリー・ブルームだったので、ちょっと気になってみてみました。しかし・・これ、MTV。チープ。別にMTVでもチープでも話がならいいならいいんだけど、きわめて並。でチープだとどうしてもしょぼさだけが印象にのこる。
普段はアクションなんかどうでもいいやっていってる私ですが、さすがにこれだけ爆発シーンがしょぼいとちょっとがっかり。まるで戦隊ものの爆発シーンみたい。花火がとびちり、白煙があがるだけ・・みたいな。
音楽もださださな入れ方してるし・・・ちょっといただけないなあ。

そうはいっても、未知との遭遇、それも女性の宇宙人とのしばしの逃避行ってのは誰がつくっても困らない程度にわくわくする。ジョン・カーペンターの『スターマン/愛・宇宙ははるかに』アレンジしてつくられたようなきがしないでもないが、時間つぶしにはなるし、見終わっても「ああ、時間の無駄だった」とはおもわない。

<あらすじ>
たぶんアメリカ東海岸、北部の都市。寒そう。ある建物から出てきたジョーイ(ジェームス・スペイダー)はいきなり美人の女の子(ベリンダ・バウアー)にぶつかられる。どうやら彼女は二人組みの男におわれているらしい。彼女をほっておくわけにもいかず、車にのせてその場をはなれるジョーイ。
チリ料理をたべさせてくれるファミレスで食事しながらことにしだいをきこうとするがほとんど反応なし、不振におもいつつも彼女のミステリアスは魅力に魅了されるジョーイ。外に出てみるとスモークガラスのBMWが泊まっている。どうやら奴らだと踏んだジョーイは彼らとカーチェイスの末まいて自分の部屋戻る。
彼女はメアリーと名乗った。翌朝ふたたび彼らが追ってきたので二人は逃避行。メアリーから異性人であることを告白される。その証拠にサイコキネシスの技などちょっとだしてみせたり。

その後は逃避行しながらプラネタリウムにいき、「私の星はこれよ」と教えてもらったり、そこの主任らしき〇〇博士にボイジャーが宇宙に運んだアイテムのかけらをみせたりと、すこしづつ宇宙人の本領発揮する彼女。
どうやら彼女の星には戦うという概念がないらしく、侵略者がくるとそのまま征服されてしまい、彼女だけが逃亡したらしい。
そのごお約束の宇宙人とのエッチあり、FBIに捕まった彼女を助けに行ったりとどたばたあって、彼女は自分の星に帰ることを決意する。自分たちは戦うということをしなかった、しかし、ジョーイは私の為にたたかってくれた。私はそのことを自分の星に帰って伝える・・と。
宇宙船に乗り込む前に、再び例の追っ手があらわれるが、サイコキネシスで燃やしてしまう。なんだ、やる気になれば出来るんじゃンって感じで彼女の星はそれほど不幸にならないだろうということで、彼女は帰っていくのでした。。。

映画はしょぼいのだけど、多分BGMの入れ方さえなんとかすればもっとロマンチックなものになったのに・・と思った。残念。

by ssm2438 | 2009-07-09 03:30
2009年 07月 08日

道(1954) ☆☆☆☆☆

f0009381_21175447.jpg監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ
    エンニオ・フライアーノ
    トゥリオ・ピネッリ
撮影:オテッロ・マルテッリ
音楽:ニーノ・ロータ

出演:アンソニー・クイン
    ジュリエッタ・マシーナ

        *        *        *

おおおおおお、ジェルソミーナのテーマが泣ける。。。
フェリーニのなかでは実にわかりやすく、一番好き。リアリズムで描くメロドラマというのがいいんだな。

ドラマの中でザンパーノは、ジェルソミーナに「私が死んだから悲しい?」って聞かれます。その時は「そうだな」なんて言うわけはないのだけど、ラストでジェルソミーナが死んだことを知るとどああああああああっと感情があふれてきて、泣き崩れます。
男にとって、自分を好いてくれる女のとうのは必要なのでしょう。もちろんあこがれる女も必要です。というか、男を輝かせるのはこのあこがれる女の尊大でしょう。しかし、あこがれることはなくても自分にとって居やすい女というのは不可欠なことにはかわりないのです。物語のなか、ザンパーノはそんな女を捨ててしまいます。でも、捨てたときは「いつか広いに行けば、あいつはもどってくるんだ」という勝手な思い込みがあるものです。
ふしぎなもので、その勝手な思い込みが男をさりげなく精神的にささえてる部分があるのです。
たとえば、別れた女でも、「こっちからまた付き合いたいと思えばなんとかなるんじゃないか」という勝手な思い込みは常にもっているものだけど、その彼女が誰かと結婚するなんて噂を聞くととたんになにかしらの虚無感におそわれるのです。・・私の経験ですが・・(苦笑)。

女はにとっては、「必要とされる」ということが存在意義なのです。それこが事故の安全保障にもつながっているからです。どんなにしいたげられても、ジェルソミーナにとってザンパーノは明らかに自分を必要としてくれた人なのです。

この物語は男と女とい本質的ものをかなり正直に、なおかつメロドラマとして表現してます。
そこにニーノ・ロータのあのメロディがながれてきたらそら、もうたまりません。うるうるうるうる。。。。


<あらすじ>
やや知能が低めの娘ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)は、貧しい家庭に育ち、食い扶持を減らすためにザンパーノ(アンソニー・クイン)という男に売られる。彼はオートバイで地方を回り、鎖を胸の筋肉を膨張させて切るという芸をみせている。性格も傲慢で疑い深く、狡猾と欲情にこりかたまっていた。
最初の夜に強引に抱かれる(犯される)ジェルソミーナだが、よく朝ザンパーノの寝顔をみる顔は、j決して不幸でなく、どちらかというと、やっと止まり木を見つけた安らぎのようなものを感じる。
しかし、性欲を感じればジェルソミーナを抱き、金ができれば他の女を追いかけまわす。ジェルソミーナのけなげなやさしさも彼には通じない。しかし逃げ出しても迎えにこられれば、やはり彼のもとに戻ってしまう。。

やがてザンパーノは小さな曲馬団に参加することになる。その一座にいる若い綱渡り、「キ印」と呼ばれている青年(R・ベイスハート)はザンパーノを嫌い、彼をいらだたせる。しかしジェルソミーナは、「キ印」がひくヴァイオリンの哀しいメロディに引きつけられ、彼と親しく口をきくようになる。「キ印」は彼女に、この世のどんなつまらないものでも、役に立つ時があるのだ、と語った。頭の足りないジェルソミーナも、この言葉には胸をうたれた。
自分の運命はザンパノーと共にある。「キ印」とけんかし、再びザンパーノと共に旅に出る。ところがある日、「キ印」と顔をあわせ、怒りのあまり「キ印」を殺してしまった。誰も見てはいない。ザンパノーイはなにくわぬ顔で旅をつづけるが、ジェルソミーナは昼も夜も泣き通しである。遂にもてあましたザンパノーは、雪の埋った山道に、彼女を棄てて去った。

それから数年後、年老いたザンパノーは、ある海辺の町でジェルソミーナが好んで歌った「キ印」のヴァイオリンのメロディをきいた。聞けば、四、五年前この町で病死した白痴の娘が、いつもこのメロディを聞かせていたという。その夜、酒に酔ったザンパノーは、海浜に出て、はじめて知る孤独の想いに泣きつづけるのであった。

by ssm2438 | 2009-07-08 20:29 | F・フェリーニ(1920)
2009年 07月 08日

無防備都市(1945) ☆

f0009381_19195832.jpg監督:ロベルト・ロッセリーニ
脚本:セルジオ・アミディ
    フェデリコ・フェリーニ
撮影:ウバルド・アラータ
音楽:レンツォ・ロッセリーニ

出演:アルド・ファブリッツィ
    アンナ・マニャーニ
    マルチェロ・パリエーロ
    マリア・ミーキ

        *        *        *

世間では高く評価されているようだが、全然面白くない。
少なくとも他のビットリオ・デ・シーカフェリーには面白いと思うのだけど、ロッセリーニは面白いといった印象はうけない。ほんとにおじいさん評論家方はこの映画が面白いとおもっているのだろうか・・・。

第二次世界大戦に関しては、日・独・伊の三国同盟が成立していて、ドイツ軍とイタリア人ンが戦っているのであれれ?と思うかもしれないが、イタリアの事情はけっこう複雑。
三国同盟を成立させたのはムッソリーニであって、これに抵抗するイタリアの市民はレジスタンスとして地下にもぐることになる。
戦争終盤、ムッソリーニが降伏するが、それはムッソリーニが降伏しただけの話。イタリアの支配は、ドイツ軍とムッソリーニとの残党にうつり、それに対してイタリア市民のレジスタンスが対抗していた・・という図式。なのでイタリアというのは、ドイツと同盟国というよりも、ドイツに支配されていたというほうがイメージが強い。

この映画自体はローマが連合軍によって開放されたその直後の6ヶ月でつくられた映画。よっぽどうらみつらみがあったのだろう。ドイツ軍の非人道的行いをいつくか描写しているが、残酷シーンに関してはほとんどフレーム外に逃げていて、カメラが戻るとぼこぼこに拷問されて男が映っている・・という具合。なのでそれほどインパクトはない。

<あらすじ>
第二次大戦末期のローマ。レジスタンスの指導者マンフレーディ(マルチェロ・パリエ-ロ)は資金調達のためローマに来ていた。彼をサポートするのは、同士のフランチェスコとピーナ(アンナ・マニャーニ)、それに地域の子供たちを世話している神父ドン・ピエトロ(アルド・ファブリッツイ)。
フランチェスコとピーナの結婚式の日、ナチに襲撃にあい、なんとかマンフレーディは逃げたが、フンチェスコは捕えられ、それを追ったピーナは路上で巡視兵に射殺された。

捕えられた同志たちは途中で救出され、マンフレーディとランチェスコはマンフレーディの恋人マリーナ(マリア・ミキ)のアパートに逃げこむ。ところが彼女はゲシュタポの婦人部員の陰謀にかかり、同性愛と麻薬中毒になっている。結局マリーナの裏切りで、神父とマンフレーディは捕えられる。神父の目前でマンフレーディはゲシュタポの凄惨な拷問にあうがついに一言も自白せず、息絶えてしまう。神父も反逆罪で銃殺されることになる。
銃殺する兵士たちはイタリア人なので、わざとみんなが狙いをはずすが、ドイツの司令官が出てきて頭を打ち抜く。それを見たイタリアの少年たちは黙々と刑場から立ち去って行った。

by ssm2438 | 2009-07-08 18:50
2009年 07月 08日

アイアン・ジャイアント(1999) ☆☆☆

f0009381_15213318.jpg監督:ブラッド・バード
原案:ブラッド・バード
脚本:ティム・マッキャンリーズ
音楽:マイケル・ケイメン

声の出演:イーライ・マリエンタール(ホーガース)
       ヴィン・ディーゼル(アイアン・ジャイアント)
       ジェニファー・アニストン(アニー)
       ハリー・コニック・Jr(ディーン)
       クリストファー・マクドナルド(ケント)

        *        *        *

さすがブラッド・バード! 上手い!
ピクサーを救えるのは彼しかいない。 ほかのピクサーの連中はCGは作れても、ドラマが描けるひとはいない。かれががんばらないと・・・。そんなブラッド・バードがピクサーに入るまえの作品。

やってることは『ショート・サーキット』の巨大版という感じで、いたってシンプルだけど、この人は見せ方が上手い。子供心(大人心)をわくわくさせるツボをしっている。巨大なロボットがいることは見ている人にはわかってるのだけど、町の人たちにはわかってない。でも、あちらことらで自動車やトラクターを食いあさった形跡がのこっていたり・・、こういう小出しにしていく感じが実に正統派。最後の軍隊とのやりとりは無理やりその雰囲気にしたかなという気はするが、それでもそれが描きたいことではないのでべつにいいか・・。
最後のぴこーん、ぴこーん、ぴこーんって、あれはいいですね。ねじが可愛い。

しかし、いつも思うのだがこの人は、大人でも見るに耐えるうるものを作る。というか、彼も『Mr.インクレディブル』(2004)のパンフレットのなかでも言っていたが、「自分がみたい作品をつくっているんだ」って。他人に媚を売る作品じゃなくて自分がみたいものっていうのがとてもいい。特にアニメを作ろうとすると、子供に媚をうったり、子供の親に媚をうることになりがち。なかなか「自分が見たい」ものをつくれるような環境にはならないものだどだけど・・。
アイアン・ジャイアントのデザイン・ワークスは、『遠い空のむこうに』で監督やったジョー・ジョンストン。この人、多芸だなあ。


1957年10月、ソ連の人工衛星スプートニクに全米が揺れた頃のこと。
私が生まれる5年くらいまえのことらしいが、その頃のアメリカはソ連に遅れを取ったことを痛く意識していたららいし。『遠い空の向こうに』でもスプートニクの話から物語りは始まるのだが、宇宙への憧れと、ソ連の脅威というのが人々の根底にあった時代なのだろう。
ちなみにデータをしらべてみると、ブラッド・バードはこの年に生まれたようだ。1957年、9月11日生まれ。

嵐の夜、宇宙から巨大ロボット(声=ヴィン・ディーゼル)が落下してくる。このロボット、地球外の誰かがつくったロボットで地球上での米ソのどたばたとは関係ない。しかし、自己防衛本能はあり、攻撃されることを感知すると反撃してしまうメカニズムになっているようだ。

メイン州の港町ロックエルで未亡人の母アニー(声=ジェニファー・アニストン)とふたり暮らしの9歳の少年ホーガース(声=イーライ・マリエンタール)は、森の中でこの巨大ロボットと出会う。金属が大好物のロボットは、落下の際に受けた衝撃で記憶を失っており、自分が何者か分からない。ホーガースはロボットが知りたがるままに言葉や世間の慣習を教え、すっかりいい友達になった。
『ショートサーキット』のステファニー(アリー・シーディー)とナンバー5とのやりとりを思い出す。バッタをふんずけて殺してしまうナンバー5というエピソードがある。ステファニーに「もう一回組み立ててくれ」というのだが「死んだら生き返らない」ということを教わる。
今回のアイアン・ジャイアントは森でみつけてよってきた鹿を猟師が撃って殺してしまうくだりがあり、それで死というものを理解する。もしかしたら、「死」の理解というのが「心」の誕生の起源なのかもしれない。

廃品回収行を営むディーン(声=ハリー・コニック・Jr.)はみかけは怪しいおじさんだが、実はけっこう話の分る人で、アイアン・ジャイアントをみてもそれほど敵意をもつわけではなく、彼の廃車置き場を隠れ場に提供してくれる。一方政府の調査員ケント(声=クリストファー・マクドナルド)は、ロボットがどこかの米国の敵の秘密兵器だと思い込み、発見し破壊することを目的に動く。

ロボットは攻撃を受けると自動的に殺人ロボットに変貌する仕様になっているから、軍隊など呼び寄せてオ攻撃したらさあ大変、恐るべき殺戮マシーンと化したロボットの前に米国軍隊戦車などを破壊していく。最後は置きに停泊する原子力潜水艦から核ミサイルまで発射される。町の人々を巻き添えにするわけにはいかないアイアン・ジャイアントは空にとび衛星軌道上でミサイルに激突爆発してしまう。。。
・・・が、しかし・・・・

by ssm2438 | 2009-07-08 14:28 | ブラッド・バード(1957)
2009年 07月 08日

フェノミナン(1996) ☆☆☆

f0009381_665858.jpg監督:ジョン・タートルトーブ
脚本:ジェラルド・ディペゴ
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:トーマス・ニューマン
主題歌:エリック・クラプトン
“Change the World”

出演:ジョン・トラヴォルタ
    キーラ・セジウィック
    フォレスト・ウィッテカー
    ロバート・デュヴァル

        *        *        *

『アルジャーノンに花束を』スタイルの話です。とはいえ、このストーリー展開にするどれもいい話になてしまう。他にもペニー・マーシャル『レナードの朝』(1990)もアルジャーノン・ストーリー。
この物語では、脳腫瘍が原因で一時的に天才になってしまう主人公、したがって最後は死んでいってしまう。

監督は『あなたが寝てる間に・・』『クールランニング』ジョン・タートルトーブ。無難に演出する人かな。大当たりもないけど大外れもないひと、しいていうならこの映画は大当たりかも。ツボにはまる人は泣けます。

田舎町の主人公が独身男性で、つねに付き合っている彼女がいるわけではないのだけど、あこがれている人はいる。いつも父親代わりになってくれる人もいる。そういった、家族じゃなけど、家族のように接してしてくれる人たちがいる。最初は超人的な能力を発揮するのだけど、それを周りに人たちはだんだんと不安視するようになってくる。そのときに帰っていける場所があるってことが素敵なのだろうな、この映画は。
このへんを見てると『レザレクション/復活』をおもいだす。

<あらすじ>
カリフォルニア州の田舎町ハーモンで自動車整備工場を経営するジョージ(ジョン・トラヴォルタ)は、家具アーティストのレイス(キーラ・セジウィック)に片思い。
そんな彼は気さくな人柄から町中の人々に愛されている。そして彼の誕生パーティの帰り道、彼は不思議な光を前身に浴びる。その時から彼のなかで何かが変わった。むさぼるように本を読み、次々に画期的なアイディアを披露。ジョージ自身、自分のあまりの変化に不安を感じ、父親代わりの医師ドク(ロバート・デュヴァル)に相談する。それだけで終わらない。ある日、レイスと森を歩いていると地震を予知し、これが本当におきてしまう。地震学の博士が彼を訪ねてくる。ドクからポルトガル語の通訳が必要だとの呼び出しがあれば、わずか20分でポルトガル語をマスターする。食中毒で苦しむポルトガル人の老人から同じ症状で苦しむ行方不明の孫を捜してほしいと頼まれて居所を突き止め、少年は無事に保護された。
だが、ジョージの不思議な能力を知った町の人々は彼を恐れ始める。お遊びで解読した軍の暗号が元でFBIに拘束され監視を付けられたジョージは、孤独と不安から家に閉じこもる。
そんな時、レイスが彼を訪ね、伸び放題の髪を切り、髭を剃ってくれた。

ほとんどこの散髪のシーンがこの映画のすべてといっていいかもしれない。『髪結いの亭主』といい、この映画といい、散髪のシーンってのは色っぽいものですね。

間もなく、再びあの光を見て倒れた。彼の脳には腫瘍があり、その刺激によって脳の活動範囲が広げられ、彼を天才に変えたことが判明。だが、腫瘍は確実に死をもたらす。研究のため、危険な延命手術を施そうとする医師たちの手を逃れて彼は病院を脱走。レイスと結ばれたその夜、静かに息を引き取った。

いやあ、泣けます。けっこううるうるきます。

by ssm2438 | 2009-07-08 05:30
2009年 07月 08日

マイケル(1996) ☆☆

f0009381_591288.jpg監督:ノーラ・エフロン
脚本:ノーラ・エフロン
    デリア・エフロン
    ピート・デクスター
    ジム・クインラン
撮影:ジョン・リンドレー
音楽:ランディ・ニューマン

出演:ジョン・トラヴォルタ
    アンディ・マクダウェル
    ウィリアム・ハート

        *        *        *

本来ジョン・トラボルタはあんま好きではないのだけど、ノーラ・エフロンが脚本かいてるっていうからしかたなく見に行った作品。全体的には楽しい仕上がりだが、かといって心に来るものがあるかといえばそれほどでもない。私の趣味なのかもしれないが、ノーラ・エフロンは監督やらないほうがいいような気がする。自分の脚本を大事にするあまり、ノリがよくないというか・・・、大事に撮ろうとしてるんだろうね、でも、ちょっともたもたってする感がある。
ちなみにこの物語はフランク・クインラン(ウィリアム・ハート)とドロシー(アンディ・マクドウェル)の恋愛物ってことになるのかな。 あんまり恋愛関係が似合いそうにない二人だけど(苦笑)。というか、アンディ・マクドウェルが、どうも恋愛にむいてないようなきがして・・、彼女がでると恋愛もなにかしら策略的にみえてしまうのは私だけだろうか? けして嫌いな女優さんではないのだけど、どうも個人的にはあわないかな。。

<あらすじ>
元一流紙の敏腕記者フランク・クインラン(ウィリアム・ハート)はシカゴの三流タブロイド紙に記事をかいていた。ある日、「うちには天使が住み着いています」という読者からの手紙に興味を覚えた彼は、友人のヒューイ(ロバート・パストレッリ)とスパーキーという犬、そして新人女性記者ドロシー(アンディ・マクドウェル)を伴って取材に向かう。アイオワ州のモーテルに着いた一行は、手紙の主で経営者のパンジー(ジーン・ステイプルトン)と天使マイケル(ジョン・トラボルタ)に対面。しかし彼は煙草をくわえ、でっぷりと太り、シリアルに砂糖を山のようにかけて食べ、下品なジョークをとばす。どこから見ても天使とはほど遠いが、背中には確かに大きく白い羽根が2枚生えていた。

翌朝、パンジーが発作を起こして急死してしまう。葬儀を終えた一行は、シカゴにマイケルを連れて帰ることに。野次馬精神が旺盛なマイケルは途中、雄牛と決闘したり、レストランで女たちから熱い視線を投げかけられ、嫉妬した男の客たちとケンカして刑務所に入れられたり。ケンカの裁判もマイケルが女性裁判長(テリー・ガー)に魔法を掛けて無罪放免・・とそんな調子。
またも寄り道してモーテルに一泊。夕食時、マイケルにせかされてマイクをもつドロシーには自作のカントリー曲をステージで披露する。彼女にフランクはすっかり魅了され、2人はそのまま熱い一夜を共にする。翌朝、ヒューイの犬スパーキーが一行の眼前でトラックにひき殺された。泣き崩れるドロシーを前に、マイケルはスパーキーを生き返らせるが、彼自身がみるみる衰弱する。そしてシカゴへ着いたとたん、彼は空へ帰ってしまう。
シカゴに帰ると、フランクは彼女と気まずくなり、しばし疎遠になってしまう。離れてみてお互いを必要としていることがわかった2人。ある日、マイケルらしい人影を追って走ったフランクは、ドロシーと鉢合わせ。彼らはようやく互いの気持ちに素直になれ、結婚を決意した。それを見届けたマイケルは、パンジーと一緒に陽気に踊って祝った。

・・・なんでも、結婚ってのはこのマイケルが考えたらしい。

by ssm2438 | 2009-07-08 04:32 | ノーラ・エフロン(1941)
2009年 07月 07日

ユー・ガット・メール (1998) ☆☆☆

f0009381_20294957.jpg監督:ノーラ・エフロン
脚本:ノーラ・エフロン
    デリア・エフロン
撮影:ジョン・リンドレー
音楽:ジョージ・フェントン

出演:メグ・ライアン
    トム・ハンクス

        *        *        *

『めぐり逢えたら』(1993)につづいてノーラ・エフロンメグ・ライアントム・ハンクスというゴールデン・ラブコメ・トリオによる2本目の映画。1940年に作られたエルンスト・ルビッチ『桃色の店』の手紙のやりとりを今風のメールに置き換えたリメイクである。ただ、このときはトム・ハンクスがデブでちょっといただけなかった。気のせいか、メグ・ライアンもいまいちテンションさがりぎみに見えた。トム・ハンクスがもっとスマートだったら普通に見られたのに・・。
なんでこのときトム・ハンクスがあんなにデブだったかというと、同時期にロバート・ゼメキス『キャスト・アウェイ』という映画をとっており、この映画が、航空機事故でどこかの島に一人流されてサバイバルするというもの。島に流されるまでの前半~中盤はデブでなくてはいけなくって、それから半年間撮影は中止、その間にトム・ハンクスは20~30キロの減量をし、後半部の撮影にはいる契約になっていたとか。で、そのデぶな時期に撮影がかちあってしまったのがこの『ユー・ガット・メール』。おかげでのこの映画のなかのトム・ハンクスはデブだったそうな。

このころになるとメールでのやり取りは社会に浸透していて、だれもが見知らぬ人とメールでやりとりをしてみるということをしていた時代。私もこの映画がはやるすこしまえくらいから、当時のニフティ・サーブでパソコン通信と言われるものをやっていて、ネットでメルトもをみつけてメールを書いていた。楽しかった。当時のニフティはまだ実名表記だったので、言葉に責任もある。そのなかでのメールのやり取りだったのでその後7~8年続いた人3~4人はいた。それ以降は現在のようなハンドルネームでやり取りをしあう形が主流になってきて、そこで知り合った人たちとはほとんど長続きしなかった。おかげで今でもハンドルネームでのやり取りは嫌いである。

そうはいっても、見知らぬ人との言葉のやりとり、そしてその人と会ってみようかってことになったときに喜び、で、あってみるとほとんどの場合はイメージと違ってメールはそれっきりになる夢の終わりは現実・・。あれは相手を勝手に自分で想像していたから楽しかったのだ・・と知る。
しかし、この映画はあってからも、つづいていく話。でもそのシチュエーションの作り方が上手い。さすがノーラ・エフロン

ノーラ・エフロンの脚本は実におもしろい。『恋人たちの予感』『めぐり合えたら』『マイケル』など。センス・オブ・ヒューモアにあふれてる。気軽に見たいときはこの人の物語は最高にいい。最初にみたのは『恋人たちの予感』だったが、最初みたときはそれほどでもなかったのだ、でも、何年かたつとなかなか忘れがたい映画であることにきづいた。それ以降、この映画の評価は私のなかでは高い。それ以降は脚本だけではなく監督もやるようになっていて、この『ユー・ガット・メール』も監督・脚本をこなしている。最近はニコール・キッドマン主演で『奥様は魔女』作っていたが大ハズレ。あれはみてないことにしよう(苦笑)。

<あらすじ>
ニューヨークのある街角。亡き母から受け継いだ小さな絵本の店を経営するキャスリーン(メグ・ライアン)はインターネットで知り合った顔も知らないある相手との交信に心ときめかせていた。一応恋人フランク(グレッグ・キニア)がいるが二人はいまいち停滞気味。ある日、彼女の見せの近所に大手チェーン店=フォックスの巨大な本屋が出現することになる。彼女はその見せに行ってみるが、そこの御曹司ジョー(トム・ハンクス)と反目し合う。しかし彼こそ例の交信相手だった。ジョーもまた編集者の恋人パトリシア (パーカー・ポージー)よりも、未知の相手との交信に安らぎを覚えていた。
やがて二人は会ってみようということになる。しかしキャサリンは待ち合わせの店で待っているがそれらしい相手は来ない。そうこうしてるとライバル店の御曹司ジョーがあらわれる。「なに待ち合わせ、相手が来るまで話していようか」てな展開に・・・。

その後に出てくるエレベーター・エピソードはあっちこっちの映画やドラマでもときどきみられることになる。
ジョーが乗っていたエレベーターが突如停止、ここから救出されるのかどうかもわからない。もしかしてケーブルがおちらそれで終わり。その中に乗り合わせた人々はそれぞれ決意表明していきます。その中の一人の男は「俺はここを出られた彼女に告白しにいく」って。それを聞いてジョーも決意する。

by ssm2438 | 2009-07-07 19:33 | ノーラ・エフロン(1941)