西澤 晋 の 映画日記

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2009年 08月 04日

ノー・グッド・シングス(2002) ☆

f0009381_440678.jpg監督:ボブ・ラフェルソン
原作:ダシール・ハメット
脚本:スティーヴ・バランシック
    クリストファー・カナーン
撮影:ファン・ルイス・アンシア
音楽:ジェフ・ビール

出演:サミュエル・L・ジャクソン
    ミラ・ジョヴォヴィッチ

        *        *        *

『ネイキッド・タンゴ』の撮影監督ファン・ルイス・アンシアの名前が目に留まり、見てしまった映画。監督は『ファイブ・イージー・ピーセス』ボブ・ラフェルソン。原作はダシール・ハメット。まあ、悪くない組み合わせだなとおもいきや・・・どうにもサミュエル・L・ジャクソンがちょっと場違い。彼が誰か他のダシールキャラをやれる人だったらそこそこよかったんだけど・・・やっぱりちょっと会わない感じ。

結局映画はミラ・ジョヴォヴィッチの色気に支配され、いつ脱いでくれるんだ、いつ脱ぐんだ??ばかり考えてみておりました。しかし、今回のミラ嬢はとてもきれいにみえた。この人、バイオハザードみたいなんより、ドレス着てるほうがいいね。

お話は舞台劇っぽくすすんでいきます。

<あらすじ>
糖尿病のためインシュリン注射が欠かせない刑事ジャック(サミュエル・L・ジャクソン)は、近所のおばちゃんから、家出娘の捜索家出娘の捜査を頼まて、一緒に逃げてるらしい男の写真をもってその街を探してたら、道端で足を滑らせた老婆をみつけ、荷物を拾ってあげて家まで持っていってあげると、殴られ、きづくと意思にしばりつけられていて、そこでは銀行強盗の準備がされていた。
見張り役の美貌の女エリン(ミラ・ジョヴォヴィッチ)をのこし、彼らは銀行を襲いに出て行く。
なんだか苦しそうなジャックはついに気をうしなっている。みれば首から糖尿病患者である証明書が・・・。しなれたら困るのでしかたなくジャックの自宅に車を飛ばし冷蔵庫のなかのインシュリン注射をもってきて打ってやる。そのあとはちょっと色っぽい展開あり・・だけど、基本的にはエリンがなんとかジャックをたらしこんでいざというとき自分の見方として使おういう狙い。
銀行を停電させ、まんまと金をしめた一家は徐々に仲間割れ、徐々に殺し合いをし、ボスとエリン、それに人質のジャックだけとなる。3人はカナダ国境をめざして北上するのだが、最後のボスも国境で警官に撃たれ手死ぬ。エリンは「自分は人質だった」と警官に話、そのまま逃走しようとするが、ジャックは見逃さなかった。

ふつうのお話でした。。。
でも、ファン・ルイス・アンシアの撮影は悪くない。

by ssm2438 | 2009-08-04 03:53
2009年 08月 04日

ニック・オブ・タイム(1995) ☆

f0009381_1375867.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:パトリック・シーン・ダンカン
撮影:ロイ・H・ワグナー
音楽:アーサー・B・ルビンスタイン

出演:ジョニー・デップ
    クリストファー・ウォーケン
    チャールズ・S・ダットン
    マーシャ・メイソン

        *        *        *

もしかしてジョン・バダムって、この映画を境に仕事がこなくなったんじゃないだろうか・・。全然面白くなかった。バダムの映画でこれくらいつまんないのはそうない。
小細工としては<映画の中のタイムリミットと映画の長さが同じ>というリアルタイム・ムービー。90分のなかで監督も、映画の中の主人公も物語を解決しないといけないわけだ。一足先に『24』やってたわけですね。ジョニー・デップがそれほど好きではないのであんまりみるきがしてなかったのだけど、そでもジョン・バダムなので一応見ておこうかとおもってみたら・・・こけた。

<あらすじ>
LA、正午。妻を亡くした税理士のジーン・ワトソン(ジョニー・デップ)一人娘リン(コートニー・チェイス)は駅に降り立った。警察を装ったスミス(クリストファー・ウォーケン)とパートナーの女ジョーンズ(ローマ・マーフィア)は二人を車につめこみ、「午後1時30分までにある人物を殺せ。失敗すれば娘の命はない」とワトソンを脅迫する。指定された標的はなんと女性州知事のグラント(マーシャ・メイソン)だった。
ワトソンはなんとかこの事実を誰かに知らせようと試みるが、スミスとその仲間たちの監視の目が光っていた。ワトソンは知事直属の女性スタッフ、クリスタ(グロリア・ルーベン)と選挙参謀を務める彼女の夫ブレンダン(ピーター・ストラウス)に会うことができ、そのことをひそかにつたえた。だがスミスが現れクリスタを射殺した。八方塞がりとなったワトソンは、ホテルの靴磨き職人ヒューイ(チャールズ・S・ダットン)の協力を得て、敵の監視をくぐり抜け、知事に直接会って状況を話すが、信じてくれたかどうかは分からない。
演説が行われる午後 1時30分がやって来た。ワトソンはそこではじめて、自分は囮に使われただけだとを悟る。ワトソンは意を決しスミスに向かって発砲、混乱の中、娘のもとへ走る。ワトソンはヒューイの助けを借りて、バンに閉じ込められていたリンを救い、スミスとジョーンズを倒した。

目新しいことをしてみたかったのだろうが、計画は失敗におわったようだ。全然おもしろくないジョン・バダム映画だった。残念。。。

by ssm2438 | 2009-08-04 01:20 | ジョン・バダム(1939)
2009年 08月 04日

ネイキッド・タンゴ(1990) ☆☆

f0009381_1132315.jpg監督:レナード・シュレイダー
脚本:レナード・シュレイダー
撮影:ファン・ルイス・アンシア
音楽:トーマス・ニューマン

出演:マチルダ・メイ
    ヴィンセント・ドノフリオ

      *      *      *

映画の勉強としてはファン・ルイス・アンシアの画面。原色ばりばりの露骨な照明と黒の絞りが素敵な映画。・・・でもほんとはマチルダ・メイ見たさに見た映画。しかし『スペース・バンパイア』の潔いヌードを見る感動はなかったな(苦笑)。これって90年だったのか・・、しかしこの頃は良く映画をみにいってたなあ。

監督は『蜘蛛女のキス』の脚本家として知られるレナード・シュレーダー。世間ではこの映画をいいとう人も多いが、生理的にホモ物はうけつけない私。どうもだめだ。きっとホモ映画をとる人ってどっかでホモ肯定なのだと思う。自分がその手の話を持ってこられたとき、まったく対応できなかった。表面面だけ整えることくらい出来るだろうっておもってたのだが、どうも魂が受け付けない感じだった。その原作と対面するのもいや!みたいな。なので、この映画も期待はしてなかったのだが、やっぱり期待通り、普通の出来でした。ま、ハーレ・クウィン・ロマンスといったところか・・。

<あらすじ>
1924年、ヨーロッパからアルゼンチンに向かう洋上。40歳も年の離れた富豪のトーレス(フェルナンド・レイ)と結婚した19歳のステファニー(マチルダ・メイ)は、彼女と同じ年頃の少女が海に身を投げるのを目撃する。それがステファニーだと誤解するトーレス。悪戯心から、ステファニーは身を潜めて夫の様子をうかがうが、妻の死を悼むどころか、家名を重んじるあまり事件を揉み消そうとするトーレスの姿に失望した。自殺した少女になりすましたままアルゼンチンの地を踏むことを決意する。

少女の名はアルバ。貧しさ故に、ポーランドからアルゼンチンの見知らぬ男のもとへ嫁ぐ途中だった。夫となるジーコ(イーサイ・モラレス)は手に入れたダイヤモンドの代価として、イタリア人宝石商に新妻であるアルバを抱かせようとする。手にしたナイフは宝石商の胸を貫くアルバ。この事件はジーコらユダヤ人グループと、イタリア人組織との緊張を高めた。チョーロ(ヴィンセント・ドノフリオ)はアルバをジーコの経営する妖しげなタンゴ・バーに連れ込む。
豊かなブロンドは黒く染められ、踊り子として、娼婦としての新しい生活が始まる。

仲間の娼婦が、アルバに告げる。「チョーロは自分自身とタンゴしか愛せない男よ」。

彼はアルバにタンゴのすべてを教え込む。タンゴの秘める情熱、悲劇、官能、魔性。それは、虚飾をはぎ取った危険なまでに純粋な愛の行為にほかならなかった。彼女をジーコに抱かせながらも、他の男と踊ることは禁じるチョーロ。彼は決して彼女を抱こうとはしない。彼の冷酷な魅力の前に、憎しみはいつしか薄れ、背徳の日々の中を堕ちていく自分の姿に、甘美な喜びすら覚え始めるアルバは、裸でチョーロとタンゴをおどりながら抱いてほしいと願う。そんなアルバをベットに引き倒し乳房をなでながらこう言う。

「セックスはむなしい、いつも同じだ。俺はお前の女に興味はない。俺が愛するのはお前が生み出す美だ」

イタリア人組織との抗争が激化し、ジーコの裏切りで警察からも、イタリア人組織からも追われるみとなったチョーロとアルバ。しかしアルバは警察に保護され、ステファニーであることが判明した。トーレスのもとで平穏な日々を送るステファニー、すべては夢だったのだと思われた。そんなある日、ステファニーのもとにタンゴの教師としてチョーロが現われた。しかしステファニーはジーコにつれされれる。ステファニーをつれもどそうと金で解決しようとするトーレスはジーコのもとに身代金をもっていき、ステファニーを連れ帰ろうとしたときチョーロが現れる。自分を裏切ったジーコをゆるさないチョーロは彼を殺した。はれて自由にみになったステファニーを求める二人の男、トーレスとチョーロ。ステファニーはチョーロを選び駆け寄ると、トーレスが銃弾を放つ。つづいてチョーロも。チョーロはナイフを投げてトーレスを殺すが、すでにステファニーはいき絶え絶えだ。彼女をステージへつれていき、最後のタンゴを踊るチョーロとステファニー。

by ssm2438 | 2009-08-04 00:39
2009年 08月 03日

君たちのことは忘れない(1978) ☆☆

f0009381_0204651.jpg監督:グリゴーリ・チュフライ
脚本:グリゴーリ・チュフライ
    ヴィクトル・メレシコ
撮影:ユーリー・ソコル
    ミハイル・デムロフ
音楽:ユーリー・ソコル
    ミハイル・デムロフ

出演:ノンナ・モルジュコーワ
    ワジーム・スピリドノフ
    アンドレ・ニコラエフ

        *        *        *

チュフライの映画で唯一劇場でみた映画。

『君たちのことは忘れない』は、78年11月21日より79年2月中旬まで、モスクワ市内の代表的ロードショウ館“で公開されていたが、軍当局の指示で上映中止となり、同時に海外へ出すことも禁ぜられた“自宅監禁”映画。
チュフライ監督はかつて新聞に掲載されていた、12年間、箱の中に隠れていたという兵役忌避者についての記事をヒントにこの映画を製作したと語っている。また、「危険から自分の息子たちを護りたいという母親たちの気持が子供たちを積極的で活気ある生活から隔離してしまうことになる」ことを示したかったとも言っている・・とか。
そして映像もロシアの情緒を歌い上げている。戦争の終結をつげる白馬にのって炎を掲げて走る男の姿が実に圧巻。本編では戦争の現場は出てこないわけだが、それでも、その終わりを告げる炎がこれほどまで感度を呼ぶものかと自分でもおどろいた。

<あらすじ>
1943年、まだヨーロッパではソ連とドイツの戦いはつづいてたい。農婦マトリョーナ(ノンナ・モルジュコーワ)は長男ステパン(ワジーム・スピリドノフ)の行方不明の知らせを受け悲しみにくれるが、17才の次男ミーチャ(アンドレイ・ニコラエフ)にも召集とどけられる。吹雪の中をソリに乗って息子を駅まで送っていく母親。だが、ついてまもなく新兵が集合する駅が空襲にあい破壊される。その惨劇のなかミーチャを探し出す。彼は重傷を負っていたがまだ息があり、彼女はミーチャを自宅に連れ帰り看病する。戦死兵として処理されたミーチャも見つかれば処刑の運命である。マトリョーナはミーチャを屋根裏部屋に隠す。不安な毎日が続く中、捕虜となり生きていたステパンが生還を果たす。が、ミーチャの存在を明かすわけにはいかないマトリョーナはステパンと言い争い家から追い出してしまう。家をでて、かつての婚約者をさがすステバンだが、彼女も既に他の男と結婚していた。
戦争は終わった。しかしマトリョーナ親子に平和は訪れない。社会に出ることのできないミーチャは、かつて自分に恋心を寄せていたターニャの結婚式を覗き見て自殺をはかる。必死でとめるマトリョーナ。彼女は思い余って神父に相談するが、その反応は冷たかった。そんなある日、ステパンから結婚し子供ができたという電報を受けた彼女は、喜びの余りついに緊張の糸が切れて心臓発作を起こしミーチャの膝の上で息をひきとる。そしてミーチャは自首をするのだった。家から出てきたミーチャのやせ細った、ピンク白い肌には恐ろしいものを感じた。

うむむむ・・・、こころの痛むドラマだ。

by ssm2438 | 2009-08-03 23:21 | G・チュフライ(1921)
2009年 08月 03日

女狙撃兵マリュートカ(1956)☆☆☆

f0009381_234488.jpg監督:グリゴーリ・チュフライ
脚本:ゲー・コルチュノフ
撮影:セルゲイ・ウルセフスキー
音楽:ウラディミール・クリュコフ

出演:イゾリダ・イズヴィツカヤ
    オレグ・ストリジェーノフ

        *        *        *

チュフライ監督の処女作。

時代は1917年以降のロシア内戦期。マリュートカが所属する赤軍とは、厳密には1918年に組織された労働者・農民赤軍のことを指すが、ロシア内戦期には、ボリシェヴィキの軍隊を指す代名詞でもある。白軍は「反革命」と呼ばれるが反ボリシェヴィキの勢力。

敵対するもの同士が徐々に心を通じ合わせ、さらに流されて二人きり・・なんというロマンチックなシチュエーション。その島にいる限りは二人は恋人同士でいられる。またその流された先の風景がいい。広大な海辺にぽつんと漁師がたてたらしい掘っ立て小屋がひとつ。それだけで絵になる。しかしそこに船が近づいてきた。それこそが現実への帰還の引き金に・・・。実にスタンダードな物語展開。

しかし、チュフライの映画はお話もスタンダードだけど、画面は実にスタンダード。スタンダードをきちんとやってみせていく姿勢がいいなあ。

<あらすじ>
ロシアの内戦期、赤軍の小部隊がカスピ海に近いカラ・クム砂漠を北へむかっていた。マリュートカ(イゾルダ・イズヴィツカヤ)はこの部隊の狙撃兵。すでに40人の白軍兵を血祭に上げている。そして41番目を狙撃ししその相手は倒れたが、再び立上り投降してきた。かれは白軍の将校(オレーグ・ストリジェーノフ)だった。政治委員その捕虜を赤軍の司令部に護送するためマリュートカを監視につける。

マリュートカの小隊はアラル海岸のカザフ人部落に着いた。夜営の小屋でマリュートカは詩を書いていた。それがきっかけで彼女と白軍の将校との緊張がとけて行った。学のないマリュートカの書く詩は子供の作文だが、白軍の将校は教養をみにつけていた。敵ながらその知性に憧れ二人で勉強するようになる。
赤軍は捕虜を司令部に送ることを決定、「道中白軍にあったら捕虜を殺せ道中」とマリュートカに命令し、小舟に彼女と捕虜の白軍将校、他二人をつけて行かせる。ところが、やがて海が荒れだし舟は波間に翻弄、二人の同志は海中に没する。マリュートカと白軍将校はどこかの浜にはい上った。

浜に納屋のような小屋があり、そこで二人は暖をとり服を乾すうち、マリュートカは彼がひどい熱であることを知った。優しい感情が彼女の心を占め、親身に捕虜を介抱した。マリュートカは彼に今までにない不思議な歓びを感じた。近くをさがすと今は使ってない漁師の小屋がありそこに移動、二人きりの孤島の生活に互いの愛情は火と燃え始めた。
彼は二人の将来を夢みる。だがマリュートカに革命を捨てることは出来ない。それまは普通の恋人同士なのに大儀の話をし始めると水と油である。二人は悩むが、そうしたある日、沖に船影が見えた。喜ぶ二人は銃で空に向け何発か撃った。その船は気付いたようで、上陸戦を二人のいる浜に向かわせた。近づいた船は白軍のものだった。それを知るや彼は船を目がけて走りだした。マリュートカは撃つしかなかった。しかし次の瞬間、マリュートカは銃を投出し、波に洗われる恋人に走りより亡骸をだきしめるのだった・・・。
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願わくばマリュートカを演じる彼女が、『誓いの休暇』ジャンナ・プロホレンコくらい可愛かったらもっとよかったのに・・。実にロマンチックでいい作品だ。ソ連の映画監督といえばどうしてもアンドレイ・タルコフスキーって印象が強いが、私はこのグレゴリー・チュフライのほうが好きみたいだ。

by ssm2438 | 2009-08-03 22:07 | G・チュフライ(1921)
2009年 08月 03日

ネットワーク(1976) ☆☆☆

f0009381_2147127.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:パディ・チャイエフスキー
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:エリオット・ローレンス

出演:フェイ・ダナウェイ
    ピーター・フィンチ
    ウィリアム・ホールデン

        *        *        *

この1976年のアカデミー賞は壮絶だった。作品賞を取った『ロッキー』もそうだが、ノミネート作品にもどれもすごい映画ばかり。『大統領の陰謀』『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』『タクシードライバー』『さすらいの航海』『マラソンマン』『キャリー』など、どれもどこかに絡みそうなものばかり。そのなかにあって脚本賞、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞を取ったのがこの『ネットワーク』。
ちなみに私が一番信頼するNY批評家協会賞では作品賞と監督賞は『大統領の陰謀』、脚本賞がこの『ネットワーク』となっておりました。ちょっとゆるいLA批評家協会賞は作品賞が『ネットワーク』と『ロッキー』、監督賞が『ネットワーク』のシドニー・ルメットー、脚本賞も『ネットワーク』のパディ・チャイエフスキーでした。

・・しかし、私はシドニー・ルメット大好きなのだけど、この映画はもうちょっとかなって気がしてた。なんでそんなにこの映画がよかったのだろう・・。ルメットといえば社会派の映画だが、この映画はどっちかというと寓話だろう。最近の『その土曜日、7時58分』みたいな立ち位置の映画で、リアリズムを追求した映画とはちょっと違う。いつものルメット、というか昔のルメットを求めると、空振りしてしまうかもしれない。そういう私はほとんど見送りかけてなんとかバットにあてた程度。


物語は、フランク・キャプラ『群衆』のダークサイド版・・と私は理解した。

視聴率1%の伸びが年200万ドルの増収となるTV界。そんななか、かつては28%の視聴率を誇ったUBSのビール(ピーター・フィンチ)のイブニング・ニュースも今や12%という低落。これが直接の引金となり、ライバル放送局のCCAに乗っ取られ、創立者は会長に追いやられ、CCAより新しい社長が就任した。報道部長マックス(ウィリアム・ホールデン)はそんなビールに番組解任を通告する。翌日、ビールは自分が辞めさせられる事、さらに自殺予告まで行ってしまった。しかし彼の暴言に視聴率は27%と上がる。
野心家プロデューサーのダイアナ(フェイ・ダナウェイ)はこれ乗じて、ビールを現代の偽善と戦う予言者として売り出すことにする。金脈を掘り当てた喜びのダイアナ。意見を述べる報道番組『ビール・ショー』は人気を博し48%の大台へ上昇。 UBSの年次総会でもその功績がたたえられた。
しかし、現代の予言者として過激化するビールが、UBSの親会社CCAを非難しだしたのだ。CCAは、ビールの言動変更を迫った。CCAのイエスマンに成り下がったビールだが、視聴率は低下していく。ダイアナはビールを番組から降ろさなくてはと決断。彼を番組中に射殺させるという暴挙にでる。

       *        *        *

<以下、2011年12月22日に更新>

『ネットワーク』、久しぶりにみたら、今回はけっこう楽しめた。
少なくとも、前半の「みんな窓をあけて、俺は起こってるんだって叫ぼう」のあたりまでは妙に燃えた。主人公たちがいる放送局のUSBも局の親会社が変わったことで人事も変わっていく流れも、サラリーマン事情がわかってくるとなかなか面白かった。
と同時に駄目なポイントもはっきり見えてきた。

致命的なのは、ウィリアム・ホールデンが物語の展開に絡まなくなってしまうのが痛い。この物語の中でいわゆる「良い人」なのはウィリアム・ホールデンで、見ている人は彼に感情移入して観ることになるのだけど、この人が途中から会社を首になる、物語の進行とからまなくなってしまう。感情移入する対象がいない中で物語が進むのでそこから後が、ドラマは動き出しているのだけど、見る側としてはどうにも張り合いを感じない。
で、また出てきたと思ったら、今度は奥さんを捨ててフェイダナウェイと同棲を始めるという。ま、それでその恋に生きてくれるならいいだけど、これもただの心の揺らぎだけで、また最後は奥さんのところに帰っていて言ってしまう。再登場してからも、ドラマの本線にはなんの影響力もない。これが問題だな。

だいたい、せっかくフェイ・ダナウェイを好きになったのなら最後まで面倒みろよ!って思ってしまった。この映画のなかでフェイ・ダナウェイは、人の喜びも苦しさもまったく感知しない、全てがショーのためのアイテムのように捉えている女。目的にのための合理性しか考えない女なのである。
ただ、せっかく恋愛ネタをからませるなら、この人のネガティブな部分をどうフォローし手上げられるかっていうのが人間的な優しさになると思うのにな・・、それが出せなかった。
彼女ほど、全てのことに感情をインベスト(投資)するのを拒んでいる人なら、それなりに理由があるはずなのだ。普通こういう人を登場させたら、「私は誰かに感情をインベストして裏切られた時に耐えられない。だからもう誰にも、何に対しても感情をインベストしないことにしたの」みたいな裏の設定がなされてて、そこをウィリアム・ホールデンがすこしづつほぐしていってあげるってのが、物語のおいしいところだろう。せっかくドラマ的においしい土壌があるのにそれを使えなかった・・・。
ホールデンとフェイ・ダナウェイの恋愛ネタを使うならそれくらいはしてほしかった。今のままじゃ、社会的に競争力の無くなったただのおいぼれが、若いおねーちゃんによろめいただけってことで、このエピソードをがなくてもいい!って思ってしまう。

・・・・しかし、ここをなくすると、他に感情移入できる人がほんとにいなくなってしまう。
ピーター・フィンチはただの無責任発言連打するひっかきまわし役だし、フェイ・ダナウェイは感情移入をしないキャラとして造形されてるから観てる人が感情移入できないし、野望をもったロバート・デュバルは立ち居地敵には仇役だから感情移入できないし・・・・、そう考えると、ウィリアム・ホールデンをドラマの中に残しつつ物語を展開してほしかったなあ・・って思ったのでした。

by ssm2438 | 2009-08-03 20:44 | シドニー・ルメット(1924)
2009年 08月 03日

翼よ!あれが巴里の灯だ(1957) ☆☆☆☆

f0009381_8432368.jpg監督:ビリー・ワイルダー
脚本:ビリー・ワイルダー
    ウェンデル・メイズ
撮影:ロバート・バークス
    J・ペヴァレル・マーレイ
音楽:フランツ・ワックスマン

出演:ジェームズ・スチュワート
    マーレイ・ハミルトン
    バートレット・ロビンソン

        *        *        *

これは私が子供の頃みて、とても面白かった記憶がある。大人になってからも難解か見る機会があったが、実は最後は神だのみだったのですね。ちょっと信仰がらみのストーリーにされたのは嫌だったかな。
ちなみに原題は『スピリット・オブ・セントルイス』、しかし『翼よ!あれが巴里の灯だ』は素晴らしい。子の頃は邦題をつける人も、センスのある人が多かったのだろう。

これはリンドバーグが初めて大西洋横断を成功させた時の話。リンドバーグを演じるのはアメリカの良心=ジェームス・スチュワート。監督がビリー・ワイルダーだから暗くなることはない。しかし、普通に考えるとかなり無謀な映画だ。飛行中はリンドバーグ一人なので、彼をとっているとずうう~~~~っと一人芝居になってしまう。かなり苦痛な状況だが、これをあきさせずにエンタなドラマにしあげてしまうのがビリー・ワイルダーの手腕。事実+魅せるためのユーモアのきいたエピソードが間をもたせてくれる。子供の頃はそんなことおもわず最後まで楽しんでみてしまっただけだが、今、それを言われると確かにすごいことだと理解できる。自分がコンテを切っていても場面がかわらないというのはかなり苦痛だ。
1957年のキネマ旬報ベストテンでは洋画部門の3位。

f0009381_8511074.jpg<あらすじ>
1926年、ニューヨーク~パリ無着陸飛行の最初の成功者に与える25000ドルのオーテエイグ賞の設定が発表された。
若きリンドバーグ(ジェームズ・スチュアート)は町の実業家を訪ねて資金の寄付をあおぐ。お金は出来たのでつぎは飛行機だ。ニューヨーク、コロンビア航空会社のベランカ機は、操縦者のリンドバーグが無名だという理由で買取を拒絶される。つぎにカリフォルニア州サン・ディエゴの小工場ライアン航空会社を訪れる。リンドバーグは双発機では重すぎる、燃料も多くなる。作るのは単発機だと主張する。工場長マホニーと設計主任ホールは彼の申し出を快諾する。1927年3 月、ラジオは、何人かの冒険かが双発機で大西洋を越えるためにとびだったことを報じていた。とマホニーらは大急ぎで飛行機を完成させる。試験飛行の為にサンディエゴからセントルイスまで飛んでみるリンドバーグ。折も折、パリからアメリカに向かった二人の冒険者は大洋上で行方不明となる。この不祥事に後援者たちは横断飛行を中止しようとするが、リンドバーグの決意は揺らがない。

5月20日、発進地ニューヨークのルーズヴェルト飛行場。いよいよ出発の日。リンドバーグが最後の点検をしていると、後方が見えないことに気付く。整備士がバックミラーを取り付けようとすると、それでは重くなると拒否。さいわい近くにいた女の子がコンパクトを譲ってくれた。それをガムでくっつける。
滑走路は前日の雨でぬかるんでいた。しかも滑走路前方には林があり。十分なスピードが得られなければ、その林に突っ込むことになる。整備士のひとりが「〇〇ポイントまでに機が浮かばなかったら中止するんだ、さもないと林につっこむぞ」とアドバイスをくれる。前7時 52分、リンドバーグが滑走を始めよる。ぬかるんだ滑走路ではスピードが出ない。〇〇ポイントを過ぎると期待は浮いた。しかし次の瞬間また失速、それでもリンドバーグはやめない。そのまま上昇。なんとか前方の林に車輪をかすらせながらも機は曇り空へと上昇していく。

ここからは延々ジェームス・スチュワートの独り言大会。
大圏コースをたどり正午までにノヴァ・スコティアの上空を通過、濃霧に悩まされながらも「セントルイス魂号」は、好調の飛行を続けた。だが前夜一睡もできなかったリンドバーグは、度々睡魔に襲われる。睡魔と戦う彼の頭には、最初の単独飛行のこと、空中サーカスで曲乗師をやっていたことなどが、走馬燈の絵のように続く。夜になりニューファウンドランド東方に来たとき機は凍結し始める。大迂回して機の氷を叩き落とすリンドバーグ。
夜が明け2日目、遂にアイルランドの緑の海岸を発見、彼は最後の力を振い起した。機は日没のパリに近づき、ル・ブールジェ飛行場の滑走路がみえる。しかし疲労のためにリンドバーグの意識はもうろうとしていた。放蕩に着陸できるのか? 滑走路に激突するのではないのか? 「おお神よ」と念じてしまう。出発の時には「神など信じない」と言っていたリンドバーグもこのときばかりは神頼みした。機は着陸した。所要時間33時間39分20秒。リンドバーグは何十万の観衆の歓呼に迎えられた。

by ssm2438 | 2009-08-03 07:58 | ビリー・ワイルダー(1906)
2009年 08月 02日

バニラ・フォグ(1999) ☆

f0009381_4434520.jpg監督:マーク・ターロフ
脚本:ジュディス・ロバーツ
撮影:ロバート・スティーヴンス
音楽:ギル・ゴールドスタイン

出演:サラ・ミシェル・ゲラー

        *        *        *

スーパー美少女サラ・ミシェル・ゲラーの無駄使い映画。

原題は「シンプリー・イレジスタブル」(抵抗できない、魅力的だ・・の意)。しかし・・、もうちょっとなんとかならんかったものか! 根拠のないファンタジーなので見ていてまったくつまらない。ファンタジーというのは、その世界の中でなんらかの制約があって面白いのだ。

この監督マーク・ターロフの経歴をしらべてみると、この作品以外はすべてプロデューサー。脚本のジュディス・ロバーツは一本だけで消えている。どうみてもシナリオ構成段階でトラブルが発生、当初請け負っていた監督が落りて、結果プロデューサーのターロフが監督をやって、とりあえず仕上げた映画というやっつけ仕事のにおいがする。シナリオひどすぎ。演出もひどい。セットもダサい。

<あらすじ>
いつまでも料理の腕は上がらないアマンダ(サラ・ミシェル・ゲラー)のレストランに客はほとんどいない。そんなアマンだが市場に買い物に行った時に、一匹のカニをひろってしまう。しかしどうやらそのカニが魔法をつかい(?)、アマンダは見違えるように料理の腕を上げ、レストランは大繁盛。アマンダはその腕を某デパートの責任者に認められ、高級レストランのシェフに抜擢される。

アマンダの努力はまったくなしに、ただただ魔法使いカニの力で料理がうまくなるとい、まるでカスな話。どこをどうやったらこんな素人でも作れないようなカスシナリオが映画化されたのか・・、まったく理解できない作品だ。しかしサラ・ミシェル・ゲラーだけはいい。彼女はいつでもどこでも可愛い。こんなカス映画でも彼女だけは素敵だ!!

みんなで見よう、サラ・ミシェル・ゲラー!! もちろん別の作品を!

by ssm2438 | 2009-08-02 04:44
2009年 08月 01日

終着駅(1953) ☆☆☆

f0009381_2314552.jpg監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:デヴィッド・O・セルズニック
    ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ
    トルーマン・カポーティ
撮影:G・R・アルド
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ

出演:ジェニファー・ジョーンズ
    モンゴメリー・クリフト

        *        *        *

リアルタイム進行の本格的メロドラマ。リアルタイム物というのはどうしてもイベントの時間が90分程度とかぎられているので、本来そのバックボーンにあるドラマを想像しつつ、その90分間だけで見せることになる。なかなか名作は生まれにくいが、これをそれに挑んだ実験的な作品。のちにジョン・バダム『ニック・オブ・タイム』でやっているが、やはり面白い映画にはなりづらい。ただ、こちらのほうがまだ成功してると思う。

制作はデヴィッド・O・セルズニック。ハリウッドの大物プロデューサーである。『風と共に去りぬ』『レベッカ』『汚名』『白昼の決闘』『第三の男』『武器よさらば』など、王道映画のプロデューサー。また、こくがいだけにとどまらず、「これは行ける」と踏んだ監督をハリウッドにまねいて撮らせるようなことを最初にやった人かもしれない。イギリスで活躍していたヒッチコックをアメリカに招いて撮らせたのが『レベッカ』。以下何本かアメリカ資本でヒッチコックは撮っている。
この映画も『靴みがき』『自転車泥棒』などの活躍にめをつけ、ビットリオ・デ・シーカで一本撮りたいと考えたところは実に偉大は着目だと思う。しかし、ヒッチコックの場合は言葉がつうじるイギリス人、こちらは気質もちがうであろうイタリア人、撮影は現地でおこなわれているのでほとんど違和感なくデ・シーカの映画になっているといえよう。ただ、映画のコンセプトが、そのリアルタイム進行映画なので・・・めちゃくちゃ面白いというわけにはいかない。

あと、ジェニファー・ジョーンズ。とてもきれいだ。後に『おもいでの夏』にでるのだが、それ以前にこの映画でみられたことはうんがよかった。

f0009381_23152632.jpg<あらすじ>
ローマに住む妹の家に身を寄せて、数日間ローマ見物をしたアメリカ人の人妻メアリー・フォーブス(ジェニファー・ジョーンズ)は、その休暇中に米伊混血の英語教師ジョヴァンニ・ドナーティ(モンゴメリー・クリフト)知り合い、烈しく愛し合うようになってしまった。しかし米国に残してきた夫や娘のところえ帰国する日がやってきた。午後7時、発車数分前にジョヴァンニが駆けつけた。彼の情熱的な言葉のまえに、メアリーはその汽車をやりすごし、ジョヴァンニと駅のレストランへ行った。
ジョヴァンニの一途な説得に、メアリーは彼のアパートへ行くことを承知。しかし、丁度出会った彼女の甥のポール少年にことよせてそれを断るいいわけにした。裏切られた気持ちになったジョヴァンニはメアリーのほほを殴りつけて立ち去った。メアリーは8時半発パリ行を待つことにした。そこで妊娠の衰弱で苦しんでいる婦人がいて、彼女の世話をしていると彼女の心はおちついてゆく。
衝動をおさえきれなかったジョヴァンニは強く後悔して、メアリーを求めて駅の中を歩きまわった。そしてついにプラットホームの端にメアリーの姿をみつけた。彼は夢中になって線路を横切り、彼女のそばに駆け寄ろうとした。そのとき列車が轟然と入ってきた。かまわず走り抜けるジョヴァンニ。一瞬早くジョヴァンニは汽車の前をよぎり、メアリーのもとにたどりついた。
2人は駅のはずれに1台切り離されている暗い客車の中に入っていった。しばらく2人だけの時間にひたった。別れを惜しむのも束の間、2人は公安委員に発見され、風紀上の現行犯として駅の警察に連行された。8時半の発車時刻も間近かに迫り、署長(ジーノ・チェルヴィ)の好意ある計らいで2人は釈放された。いまこそメアリーは帰国の決意を固めて列車に乗った。列車は闇の中に走り去っていった。

じつに別れがたい男と女のメロドラマであった。男は別れがたい気持ちは痛いほどよくわかる。
しかし・・・きっと女はそれほどでもないのだろうなって思ったりもした。

by ssm2438 | 2009-08-01 22:19 | V・デ・シーカ(1901)
2009年 08月 01日

あんなに愛しあったのに(1974) ☆☆☆☆

f0009381_191948.jpg監督:エットレ・スコーラ
脚本:アージェ・スカルペッリ
    エットレ・スコーラ
撮影:クラウディオ・チリロ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ

出演:ニーノ・マンフレディ
    ヴィットリオ・ガスマン
    ステファニア・サンドレッリ
    ヴィットリオ・デ・シーカ
    アルド・ファブリッツィ
    ステファノ・サッタ・フローレス
    ジョヴァンナ・ラッリ
    フェデリコ・フェリーニ
    マルチェロ・マストロヤンニ

        *        *        *

なにやら出演者にすごい名前が・・・。ヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、マルチェロ・マストロヤンニ・・。いくつかの映画のひとこまをからめつつ撮ったこの映画はその世代の人にはたまらない魅力でしょう。映画愛にあふれた映画です。

この映画制作されたのは1974だが、日本公開は1990年。「映画ファンにはたまらない映画」だそうで、私も見に行きましたよ、銀座まで。当時は無類映画から新しい映画まで年間200~300本以上みてた時代で、この映画をみるまえに『自転車泥棒』も見てました。先にみててよかったってかんじでした。
そういえば『東京ラブストーリー』のなかで、三上(江口洋介)とさとみ(有森也実)が映画を見に行くというシーンがあり、このパンフレットをもってました。おお、なんちゅうセンスの良さ!!と当時感動したものでした。

<あらすじ>
第二次大戦中のレジスタンスの同志、アントニオ(ニーノ・マンフレーディ)、ジャンニ(ヴィットリオ・ガスマン)、ニコラ(ステファノ・サッタ・フロレス)。戦争が終わるとアントニオとジャンニはローマで、ニコラは田舎にもどりそれぞれの生活をはじめていた。

ローマで病院の働いていたアントニオは患者のルチアーノ(ステファニア・サンドレッリ)と恋に落ちる。そのころ弁護士を目指して勉強していたジャンニはアントニオと偶然再会、彼もルチアーのに恋してしまい、アントニオは彼女をもっていかれてしまう。
一方、田舎で高校教師をしていたニコラもヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』にショックを受け、映画評論家を志して妻子を残しローマに出てきていた。

やがて弁護士となったジャンニは建築家の娘エリデ(ショヴァンナ・ラッリ)と知り合い、ルチアーノと別れ、彼女と結婚した。そんな彼女は、アントニオと再会した時一緒にいたニコラに優しく慰められ、彼と一夜の関係を結ぶ。またしてもアントニオはルチアーのとは結ばれなかった。

年月が過ぎ、折しもフェリーニ『甘い生活』のロケが行なわれているトレビの泉の前で、アントニオは女優への道を歩み始めたルチアーノと5年ぶりに再会し、ついに彼女と結ばれる。

そしてまた何十年かが過ぎた後、アントニオはジャンニとニコラに再会する。ジャンニは義父の建設会社の実権を手に入れていたが、エリデを交通事故で失っていた。今やアントニオの妻となったルチアーノの姿をみると、彼女への愛が忘れられず、傷心を胸にその場を立去る。アントニオとルチアーノ、ニコラは、ジャンニの家を訪れるが、そこにあるのは孤独なジャンにのすがただけだった。


本編中、ルチアーノが撮る自動の照明写真がすごく印象的だった。泣きたいのに泣く場所がないから照明写真撮影機のなかにはいりとりあえず写真をとる。そのまま彼女はたしさあるのだけど、出てきた4枚の写真は最初は笑っているのだが顔がどんどんくしゃくしゃに崩れていく。のちにジョン・フリン『殺しのベストセラー』のなかでこれを使っていた。
あれは、写真機のなかでジェームズ・ウッズが男を殺しをして、ささと去っていくとしばらくして写真がでてくる。その写真にはころさせる男の様がうつされていた・・というもの。

by ssm2438 | 2009-08-01 00:37