西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2009年 10月 ( 50 )   > この月の画像一覧


2009年 10月 02日

スピーシーズ3 禁断の種(2004) ☆

f0009381_22403986.jpg監督:ブラッド・ターナー
脚本:ベン・リプリー
撮影:クリスチャン・セバルト
音楽:エリア・クミラル

出演
サニー・メイブリー (サラ)
ロバート・ネッパー (アボット)
ロビン・ダン (ディーン)

        *        *        *

すさまじく劣化。もう映画レベルではなくテレビドラマのB級MTV。これを劇場で見た人はさぞかし悔しかっただろう。
話はこんなところから始まる。
軍部の科学者アボット(ロバート・ナッパー)が運転する緊急輸送車には、スピーシーズのイヴ(ナターシャ・ヘンストリッジ)と、男の子が乗っていた。男の子は人類とスピーシーズの混合種で、またイヴの肉体には新たな種が宿っており、今にも出産寸前だった。そのとき、男の子が口から触手を伸ばしてイヴの首に巻きつき、締め上げて殺してしまう。アボットは、イヴから生まれたばかりの赤ん坊を抱えて逃走する。

<あらすじ>
大学で教鞭をとるアボットは、自宅地下に研究室を構えイブの赤ん坊を密かに育てていた。すでに7歳ほどに成長したその子を「サラ」と名づけ、サラの卵子から新たな純血種を産み出し、歴史的な名声を得ようと思っていた。しかし、イヴと一緒に乗っていた男の子の成長した姿らしい男が、アボットの教授室現れる。男は極めて抵抗力が弱く、腹部から不気味な触手が飛び出して絶命する。まだ存在する混合種のスピーシーズがサラをもとめてやってくる。サラ(サニー・メイブニー)は本能のおもむくままに外の世界を彷徨い始める。適合者を見つけ、交配して種を産もうとするが、なかなか手頃な相手を見つけることができない。
サラの美しさに魅了される学生のディーンだが、アボットは「サラには感情はない、必要以上に接触するな」と忠告する。
混合種が襲ってくるどたばたあり、総てが解決すると、アボットはクローンの生殖能力をもたないオスの純血種をつくりあげ、サラに与え、二人で暮らすように静かに森に放すのだった。それがサラの精神をもっとも落ち着かせる方法だと彼は考えたのだ・・・。

by ssm2438 | 2009-10-02 20:24
2009年 10月 02日

ボルサリーノ(1970) ☆☆☆

f0009381_1724654.jpg監督:ジャック・ドレー
脚本:ジャン=クロード・カリエール
    クロード・ソーテ
    ジャック・ドレー
    ジャン・コー
撮影:ジャン=ジャック・タルベ
音楽:クロード・ボラン

出演
ジャン=ポール・ベルモンド (フランソワ・カペラ)
アラン・ドロン (ロッコ・シフレディ)

        *        *        *

フランスのギャング映画。だけど『ゴッドファーザー』みたいなハードなものじゃなくて、もっと軽いノリで作られた、軽妙なタッチの映画。ボルサリーノのテーマと絡ませると、なかなか情緒的にみえてしまうからふしぎ。当時の2大スター、アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドが同じ画面にはいってるだけでも楽しい。制作はアラン・ドロンだが、劇中では主役はジャン=ポール・ベルモンドに譲ってる感じ。やはりこの映画、ジャン=ポール・ベルモンドの明るさがあっての映画だろう。この映画を始めてみたのはまだ子供の頃だったのだけど、ジャン=ポール・ベルモンドの軽いノリがとても楽しかった。
監督が『パリ警視J』ジャック・ドレーなのであまり高尚なものは期待してはいけないのだが、そのなかでもそこそこ面白いほうかな。ちなみに『ボルサリーノ2』も作られたが、こちらはベルモンドがいないだけにただの暗いギャング映画になってしまってた。

<あらすじ>
1930年のマルセーユ。3ヶ月の刑を終えた出所してきたロッコ・シフレディ(アラン・ドロン)は、自分を密告した男のバーを襲い放火する。次にローラ(カトリーヌ・ルーヴェル)に会いに行った彼は、その女のことで・フランソワ・カペラ(ジャン・ポール・ベルモンド)とギャグな殴り合い、その時以来、二人の間には奇妙な友情が成立した。当時、マルセイユを本当に支配していたのは、マレロとポリという、二大親分であった。シフレディは大胆な野望を実現化するチャンスを、狙っていた。カペラはあまり乗り気ではない。しかし、ポリの情婦ジネットに手を出し、ぼこぼこにされたため、シフレディの計画にのることにした。
二人はポリの資金源である食肉倉庫を襲撃したが失敗し、ひとまず田舎へひきあげ、反撃の日を待った。二人のまわりに無頼の仲間と武器が集まってきた。行動が開始された。まずポリの暗殺、つぎにリナルディ、と二人のまわりには、次第に血の匂いがたちこめるようになった。そして、残る大親分マレノ一味との間の、日毎の殺し合いの末、相手の本拠に乗り込んだ二人は、ついにマレノを倒した。こうして、マルセイユはシフレディとカペラの手中におさまった。シフレディは豪壮な邸宅を立て、パーティを開き、得意の絶頂にいたが、カペラは、マルセイユを去ることを決意していた。しかし、カペラがカジノを一歩出た時、何者かに銃撃され、命を落とす。

by ssm2438 | 2009-10-02 17:25
2009年 10月 02日

ボルサリーノ2(1974) ☆☆

f0009381_862011.jpg監督:ジャック・ドレー
脚本:パスカル・ジャルダン
撮影:クロード・ボーゴアン
音楽:クロード・ボラン

出演:アラン・ドロン、カトリーヌ・ルヴェル

        *        *        *

『ボルサリーノ』の最後でフランソワ・カペラ(ジャン=ポール・ベルモンドポール)が何者かに殺されてからのその後の吹く襲撃。この映画はジャン=ポール・ベルモンドポールのノリのよさががあって初めて成り立っていたものだと思うのだが、彼がいなくなってただのギャングの抗争映画になってしまった。しかしジャック・ドレーでは『ゴッドファーザー』のような重厚さは出せない・・。

<あらすじ>
フランソワ・カペラ(ジャン・ポール・ベルモンド)の葬儀の三ヵ月後、ロッコ(アラン・ドロン)をファンティ警部が訪ねて来て、フランソワ殺害の黒幕はマフィアのボルポーネ兄弟の弟の方のラルティグだと告げた。ロッコはただちにボルボーネ弟を始末した。この事件を契機にロッコとボルポーネ(リカルド・クッチョーラ)の血で血を洗う抗争の幕が切って落とされた。ボルポーネはロッコの所有する劇場やレストランを破壊した上、ロッコを捕え、昼夜を分かたずアルコールを飲ませ続ける。精神病院に送られたロッコだが部下のフェルナンが救出し、イタリアのジェノヴァに連れ去った。
それから三年の月日が流れた。ジェノヴァで復讐の準備をしていたロッコとその部下たちはボルポーネの子分を一人一人消して行く。ロッコの復讐心に脅えたボルポーネはマルセイユを脱出してベルリンに向かおうとしたがその逃走途中、列車の中で発見され機関車の釜の中にほおり込まれてしまった。

by ssm2438 | 2009-10-02 17:00
2009年 10月 02日

ブーメランのように(1976) ☆

f0009381_1741101.jpg監督:ジョゼ・ジョヴァンニ
脚本:ジョゼ・ジョヴァンニ
撮影:ヴィクトール・ロドリゲ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:アラン・ドロン、カルラ・グラヴィーナ

        *        *        *

テレビではなんどかみていたアラン・ドロン。それを映画館ではじめてみたのがこの映画でした。別にアラン・ドロンに興味があったわけではなく、ただなんとなく見たかな。なにせ私の地元の津山には映画そんなにないからとりあえず文句言わずに出された映画見るって感じでした。
しかし、このドラマはどう肯定的にみればいいんだ?? ジャンキーの息子が警官殺して死刑になりそうなところを、父親のアラン・ドロンが、現在の地位をすてて昔の仲間と護送車を襲って息子を助け、逃げて撃たれるという・・、どこにも共感できない映画。それでも無理のある話を無理くり納得できる話にしようとしてる努力は感じられる。

<あらすじ>
前科者であり、ギャングのボスであったという過去をもつジャック・バトキン(アラン・ドロン)は、今では足をあらい、手広く輸送会社を経営する実業家になっていた。そんなある日、今年16歳になったばかりのエディ・バトキン(ルイ・ジュリアン)は、麻薬パーティに出入りするようになり、そこに踏み込んで来た警官を恐怖のあまり近くにあった銃で射殺してしまった。
数日後、ジャックは、死んだ警官グリマルディの未亡人を訪ねた。ジャックの誠意が通じたのか、夫人はかたくなな心を柔らげ、告訴を取り下げる約束をしてくれた。だが、新聞が一斉に、ジャックの前身を暴露したために、夫人は、一転してエディを起訴した。
ジャックは、エディを麻薬パーティに引きづり込んだ連中を捜しまわり、叩きのめした。こんなジャックを見ている妻のミュリエル(カルラ・グラヴィーナ)、彼がまた以前の生活に戻っていくような危険を感じていた。「パパ、僕、死にたくないよ!」と叫ぶエディを見る度にジャックの心はかきむしられるようだった。エディと同じ牢にかってのジャックの子分が収容されてことがあったのだ。ジャックの心理的変化の危険を顧問弁護士から知らされたエディは、父のために死のうと自殺未遂を企った。ついにジャックは、昔の仲間の力を借りて、エディを力づくで奪回する決意をした。囚人護送車で転送されるエディを襲い奪回に成功した。ジャックとエディは非常線の張られている飛行場を避け、サン・マルタン山岳地帯からイタリアの国境へと逃亡した。国境線に向って、必死に走るジャックとエディの姿があった。だが、その二つの影を追う警察のヘリコプターが、上空から銃の狙いを定めた。

by ssm2438 | 2009-10-02 16:43
2009年 10月 02日

真珠の耳飾りの少女(2003) ☆☆☆☆

f0009381_12582615.jpg監督:ピーター・ウェーバー
脚本:オリヴィア・ヘトリード
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:アレクサンドル・デプラ

出演
スカーレット・ヨハンソン (グリート)
コリン・ファース (ヨハネス・フェルメール)

        *        *        *

フェルメールの家にとまりこんで奉公をしているグリート(スカーレット・ヨハンソン)が、フェルメールのアトリエの窓を拭こうとして一応その奥様にお伺いをたてるシーンがある。

「窓をお拭きしてもよろしいですか?」
「ええ、いいわよ。どうして・・?(そんなこと尋ねるの?)」
「でも、光が変わります・・」

があああああああああああああああんである。
こんなことまで気を使ってくれる使用人の女の子がいたら抱きしめてしまうよ。この台詞でやられたね。

この映画はフェルメールの『青いターバンの少女』にまつわるエピソードを繊細なドラマとして再現したものだ。撮影監督のエドゥアルド・セラが描き出した映像は当時の色使いそのままというような繊細にして神秘的、素晴らしいの一言に尽きる。人工照明をかなり抑えた撮り方をしたのだろう。息が白い凍えるようなオランダの冬がすばらしい。実際のところ、この映画の原作となった同名小説『真珠の耳飾の少女』はフィクションであるが、この原作をもとにして作られたこの映画はあたかも本当であるかのような緻密なドラマとして仕上がっている。監督のピーター・ウェーバーはこの映画がデビュー作になるらしいが、実に素晴らしい仕事をやってのけた。

f0009381_12594647.jpgしかし、フェルメールといえば窓際光の画家というイメージがあるのだが、この『青いターバンの少女』いは窓が配置されていない。さらによくよく見ると素朴さのなかに青いターバンというインパクトのある色がつかわれており、さらりその少女は真珠の大きな耳飾とつけていて唇が赤い・・なんとも違和感を感じる絵だ。たしかに原作者のトレイシー・シュヴァリエがこの絵にインスピレーションを感じたのもうなづける。しかし、この絵の裏側にこれだけの物語を想像できたというのも素晴らしいことだ。
そしてこの映画がドラマチックになったのは、フェルメールの奥さんの悔しさだろう。彼女のプライドを犠牲したおかげでこの映画出来上がった。一番大切なものの為に2番目を犠牲にするのがドラマ作りの常套手段。しかし、実はその奥さんがそれほどあいされていたのかというとそんなこともなく、たぶん、この絵を描いてしまった以上、グリートを家にはおいておけないだろうな・・ということが最大の犠牲だったと理解するほうが正しいのだろう。

もうひとつ、この絵の裏にはウルトラ・マリンブルーの伝説がある。(以下、ウィキペディアより抜粋)
フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、フェルメール・ブルーとも呼ばれる。この青は、天然ウルトラ・マリンブルー」という絵具で、ラピスラズリという非常に貴重な鉱石を原材料としている。ラピスラズリは、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、“天空の破片”とも呼ばれた。ラピスラズリを非常に細かく砕き、乳鉢ですりつぶして粉末状にしたものを溶液に溶かし、上澄みを捨てて純化し、それを植物油脂でとくことによってウルトラ・マリンブルーは生成される。ウルトラ・マリンブルーは通常の青い絵具の百倍の値段がついたとされ、通常の画家は聖母マリアのマントなどの限られた部分にしか使わない貴重な絵具であった。しかしフェルメールはこのウルトラマリンブルーをふんだんに使った。彼はなんと、ウルトラ・マリンブルーをドレスの下地に使うという、当時の常識としては考えられない使用法を用いた。フェルメールが亡くなったときに多額の借金があったといわれるが、あるいはこのような高価な画材でさえも躊躇なく使ったそのこだわりが借金の原因の一つだったのかもしれない。

f0009381_1372677.jpg<あらすじ>
1665年、オランダ。少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、画家のヨハネス・フェルメール (コリン・ファース)の家の住み込みの使用人となる。子だくさんのフェルメール家で、そこのお嬢様の嫌がらせにも耐えながら、朝から晩まで重労働に追われるグリートだが、彼女の映像感覚の鋭さを垣間見たフェルメールは、彼女に絵の具の調合の仕事を任すようになる。主人と使用人としての距離を保ちつつもかの時に特別な何かを感じるようになるフェルメール。しかしフェルメールの妻カタリーナは彼らの関係に嫉妬しはじめる。
フェルメールはグリートをモデルにした絵を描き始めるが、アクセントとしておおきな真珠の耳飾をしてほしいと頼む。その耳飾は妻カタリーナのものだった。拒否するグリート。家計が苦しく婿にはどうしても絵をかいてもらわなければならないフェルメールの義母は、娘の留守中にその真珠の耳飾をグリートに手渡す。フェルメールがグリートの耳にピアスのアナをあける。実に色っぽい。
出来上がったを見タカタリーナは彼女の耳に自分の耳飾があることに嫉妬し「グリートを追い出して」と叫びだす。彼女の悔しさは誰にも理解できるところであり、もはやそれに反対するもはいなかった。


PS:フェルメールの絵は窓際の一点透視の絵であるが、ここにはきちんと<奥行きの圧縮>がなされている。「正しい一点透視はこうなのだ!」というお手本でもある。

by ssm2438 | 2009-10-02 13:10
2009年 10月 01日

アタメ(1989) ☆

f0009381_22185151.jpg監督:ペドロ・アルモドバル
脚本:ペドロ・アルモドバル
撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ヴィクトリア・アブリル (マリーナ)
アントニオ・バンデラス (リッキー)

        *        *        *

スペインの鬼才と呼ばれるアルモドバルだが・・私には単に下手なだけに見える・・・

というか、どうもアルモドバルに限らず、スペイン映画というのになかなかアタリが見当たらない。アナ・トレントものも見たがあれも今ひとつヒットしないし、昔(既にタイトルも忘れてしまったが)みたなんかの賞をとったスペイン映画をみても全然心にヒットしない。この『アタメ』はどうかな??って見てみたが、やっぱりダメだった。スペインの映画作りの作風と私が求めるものがどうにも合わないのかな・・と最近思い始めた。
物語の中でおこっているイベントがどうにも感情移入できないのである。その感情移入できないまま、あたふたと物語が進むのでぜんぜん面白いとおもわない。たいたい女の子を監禁するという話は、男なら誰でもそれなりにそそるものがありそうなものだが、この映画はそのシチュエーションにもかかわらずハマるポイントがない。

この映画の主人公のアントニオ・バンデラスは、食事と休息のために精神病院に入院しては、追い出されるというもの。この時点で普通ではない。主人公が異常すぎる。もっともアルモドバルにしてみれば、多少無理の効くキャラクターということでこうしてるのかもしれないが、人間的にまったく生産性を感じないし、こんな男に惚れる女はいそうにないが・・、それでは映画にならないので一応でてくる。しかしもうこの男の設定段階であまりも虚偽的すぎるので、どうにも物語りにはいれないのだ。
そんなアントニオ・バンデラスが、「まじめな生活をしよう」と決意し、結婚することにする。しかし結婚などというものは相手がいてはじめてできるわけで、それを一回“H”をしてお近づきになったことのある娼婦を追い回す。その娼婦を監禁し、外に出かけるときは彼女を縛るのだが、そのほかのときはとっても優しい。でも、どうみても女が好きになろうはずのないキャラターだ。しかしこの女がなぜかしらこんな男をすきになっていく。どうみてもダメ男のはかない夢を映像化したような映画で、とことんつまらない。

相手の女性はヴィクトリア・アブリルという役者さんだが、ベッピンさん路線ではないが、そこそこ愛嬌のある感じ。ロザナ・アークエット的かな、顔の作りがミスバランスなんだけど、なんだか可愛い。

ビデオ発売時のタイトルは『アタメ/私をしばって!』ということになっている。

by ssm2438 | 2009-10-01 22:15
2009年 10月 01日

キスへのプレリュード(1992) ☆

f0009381_19184274.jpg監督:ノーマン・ルネ
脚本:クレイグ・ルーカス
撮影:ステファン・チャプスキー
音楽:ハワード・ショア

出演:アレック・ボールドウィン
    メグ・ライアン
    ネッド・ビーティ

        *        *        *

結婚式を迎えた日、花嫁の魂が、式にまよい込んだある老人と超次元すり替わってしまった。花嫁の体を通じて男と男がすごしある結婚生活。やがてなぞがとけていき、夫は花嫁が摩り替ったさきの老人をさがし、一緒に住み始める。魂が男と女だが外見は男同士の生活。最後は都合よくもとにもどる・・・。


実にホモ性を感じる映画だった。

脚本・原作のクレイグ・ルーカスと監督のノーマン・ネルはいつも一緒に仕事をしている。といってもいままでの3本しかないのだが。これ以前の仕事が『ロングタイム・コンパニオン』という映画で、これもゲイのグループはエイズにおかされだんだんと死んでいく9年間の話。このグレイグ・ルーカスとノーマン・ネル、実はホモ達ではないかとにらんでいる。

ホモの書くドラマにはある種の異臭がある。個人的にはだい嫌いな臭いだ。その臭とは「進化をあきらめた人の消費性」という臭。別な言い方をすると「進化に向かわない精神」とでもいえる。とにかく「いまある状態を保持していくこと」がかれらにとっては大事なのだ。がんばって努力して何かになるなんてことはない。

人間社会では、<支配><被支配>という概念からは逃れられない。何処に言ってもこの概念はついてまわる。家庭でも、社会でも、二人の間柄でも、グループにおいても・・。しかし、どちらかが一方的に支配することはなく、片方が物質的に支配するなら、もう片方は精神的に支配りているとか・・、それは複雑に構成されており、だからこそ人間としてのつながりが出来ている。
男と女の間では、基本的には男は女を支配することで女に支配され、女は男に支配されることにより、支配してきた。長い歴史をみればそのことは確認できるだろう。なので異性どおしの間では<支配><被支配>という関係は成り立ち易い。
しかし同性同士では少し無理がある。圧倒的に力のあるものと、そうでない物との関係においてはそれは成り立つが、基本的に精神がどこかで反発している。なので「社会」という場においては、それを制度化し、安定したものにしてきたのが人間社会の歴史だろう。しかし・・・、ちから拮抗したもの同士の間では・・・?
普通、もう一人の同性がいれば、彼はライバルとなる。そこには「あいつよりは上にいきたい」「あいつよりは優位性を持ちたい」という衝動がうまれる。それが進化を生み出すひとつの大事な要素になる。特に男性は劣等感に敏感な生き物で、だからこそ、それが生産的にモチベーションとなれば進化力は大きくなる。しかし、戦う以上は負けることも当然ありうる。それは怖い。なので戦う前からそれを放棄するものも現れる。その結果、彼らはつねに相手よりも下にいたいと臨む。戦って負けるよりは、戦わずに支配されているほうがましだ・・と考える。ホモというのはその概念から生まれている。

そんなわけでホモの作家がドラマをつくると、そのなかには生産性がない。この<戦うことを放棄した生産性のなさ>というののが実に私にとっては悪臭なのだ。


グレイグ・ルーカスノーマン・ネル以外にもホモの作家はいる。二ール・ジョーダンもそうだろう、まだ表面化してないが、キャメロン・クロウもそうかもしれない。
どうも、彼らが書くドラマは、まったく相容れないものがある。ジョン・アービングもその臭いをもっている。かれはホモというよりも性同一障害のほうかもしれないが・・・。

by ssm2438 | 2009-10-01 19:32
2009年 10月 01日

無伴奏「シャコンヌ」(1994) ☆☆☆

f0009381_6164051.jpg監督:シャルリー・ヴァン・ダム
脚本:シャルリー・ヴァン・ダム
    ジャン=フランソワ・ゴイエ
撮影:ウォルター・ヴァン・デン・エンデ
音楽:ギドン・クレーメル

出演:リシャール・ベリ
    イネス・デ・メディロス
    フランソワ・ベルレアン

        *        *        *

『オーケストラの少女』の感動再び!と思い、当時劇場に足を運んだ映画。『オーケストラの少女』では階段のオーケストラでしたか、この『無伴奏「シャコンヌ」』ではメトロの地下道での演奏するとか。当時、スクリーンでそんな記事をいつけてなんか来るかも来るかもって思い、みた映画。やっぱり真剣の音楽家を映像化されるとなんだかんだと感動させられてしまうのは・・・なぜでしょう。バイオリンをやる方は是非。

<ありえないところにそれを出現させる>というのはドラマ作りのひとつの技なのだけど、これはメトロの地下道にバイオリン弾きを登場させました。

第一線で活躍してきたバイオリニストのアルマン(リシャール・ベリ)は、芸術家としての自分に疑問を感じ、親友バイオリニストが自殺したことをきっかけに舞台から退いた。彼はメトロの地下道を次なるコンサートホールに選び、自分の欲求のまま演奏し続ける。彼の脳裏に去来するオペラ歌手だった昔の恋人との思い出。

たとえ昔有名なバイオリニストだったとしてもメトロの地下道、人々は音楽をきく情緒であるはずがない。みんなそれぞれの仕事をもっているのだから彼がどんなにバイオリンを弾いても誰も振り向きもしない。しかし、一人の人が彼のバイオリンに耳を傾けると、また一人、また一人と立ち止まって聞いていく人が増えていく。
おおおお、なかなかいい感じ、いい感じっておもってしまう。
そのうち、音楽好きのメトロ職員ダロー(ジョン・ドブラニン)との出会い、アルマンの昔の姿を知る音楽家シャルル(フランソワ・ベルレアン)との再会、そして心を閉ざしがちだった切符売りのリディア(イネス・ディ・メディロス)も、アルマンの奏でる音色によって癒されていく。

ある日、メトロで停電が起きる。動揺する通行人の間に彼のバイオリンが鳴り響く。そしてささくれ立った通行人の心にやすらぎをあたえていく。おもわず『SOSタイタニック』(1958)を思い出してしまった。

沈むタイタニック号の甲板は人にうめつくされていて、誰もが救命ボートに乗りこみたいと押し合いへし合いのなか、音楽隊のひとたちがひたすら演奏をかなでている。
「こんな状況じゃ、誰もきいとりゃあせん」とそのなかの一人が演奏をやめてしまうが、
「だから弾くんだよ」って別の一人が言う。ああ、そうだって楽団が一人一人が自分たちの存在意義を再認識した瞬間。そしてまた弾き始める。あのシーンは映画史上にのこる名シーンだね。キャメロンの『タイタニック』だとあの一番美味しいシーンがかなりないがしろにされていたのが腹が立つ。私にとって『タイタニック』っていったらあの楽団のシーンなのに。。。

f0009381_62583.jpg翌日アルマンは初めてチェロ奏者と共演、周囲の人々も演奏に参加し音楽の饗宴となる。もっとも華やいだ時間だっただろう。しかしメトロで工事が始まるとアルマンは立ち退きを要求され、警官にバイオリンを壊されてしまう。リディアも仕事を辞め彼のもとから去ったいく。絶望するアルマン。シャルルは、彼に自分のバイオリンを差し出す。彼はメトロに生きるすべての人々のためバッハの『シャコンヌ』を奏でる。そしてバイオリンを弾きながら船にのって地下水どうをすすんでいくのであった。

by ssm2438 | 2009-10-01 06:28
2009年 10月 01日

めまい(1958) ☆☆

f0009381_4452328.jpg監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アレック・コッペル、サミュエル・テイラー
撮影:ロバート・バークス
音楽:バーナード・ハーマン

出演:ジェームズ・スチュワート、キム・ノヴァク

        *        *        *

結局ヒッチコックの映画は、本人が制作している作品(『めまい』、『北北西に進路を取れ』‥など)は全然おもしろくなくって、セルズニックが制作した作品(『レベッカ』‥など)だけが面白いということがわかった。セルズニックが制作で脚本がゆるくなるとそれを修正していたのだろうが、自分が制作してると緩さがもろにでてしまう。ヒッチコックの場合は、登場人物だけではなく、イベントにユーモア(偶然性)をいれたがるので、それが物語の緊張感を壊してしまいご都合主義感や作為性を感じさせてしまい、その結果残されたものはイベントだけで、説明過剰サスペンスになるのだ。

<あらすじ>
ジョン・ファーガスン(ジェームズ・スチュアート)は元警官だったが、極度の高所恐怖症であり、それが原因で仕事に支障をきたすこともあり、限界を感じて退職した過去をもつ。そんなある日、昔の学校友達ゲビン・エルスターから電話があって、彼の妻の尾行を依頼された。
美しい妻のマドレイヌ(キム・ノヴァク)は、夢遊病者のように不可解な行動に出るというのだ。翌日から、ジョンの尾行がはじまった。マドレイヌの行動範囲はサンフランシスコ一帯に及んだ。曽祖母の埋められている墓地に、曽祖母が昔住んでいたというホテル、曽祖母の画像の飾られている画廊・・。そしてある日、彼女は海に身を投げた。ジョンは彼女を救って、自宅につれかえり、介抱した。そして、今はもう彼女を愛している自分を知った。彼女は、自分の行動もよく覚えてはいなかった。何事かを恐れるマドレイヌは、教会の高塔にかけ上り、めまいを起したジョンが階段にたちつくすうちに、身を投げて死んだ・・・はずだった。
しかし、街をさまよっているうちに、ふとジュデイ(キム・ノヴァク)というショップ・ガールに会った。身なり化粧こそげびて俗だったとはいえ彼女の面ざしはマドレイヌに似ていた。彼女こそは、旧友ケビンが、彼の妻を殺すために使われた女だった・・・。

by ssm2438 | 2009-10-01 04:19 | A・ヒッチコック(1899)
2009年 10月 01日

炎の少女チャーリー(1984) ☆☆

f0009381_3272863.jpg監督:マーク・L・レスター
原作:スティーヴン・キング
脚本:スタンリー・マン
撮影:ジュゼッペ・ルッツォリーニ
音楽:タンジェリン・ドリーム

出演:ドリュー・バリモア
    デヴィッド・キース
    ジョージ・C・スコット
    マーティン・シーン
    ヘザー・ロックリア

        *        *        *

ドリュー・バリモアのナンバーワン映画といえばこれでしょう! 大好きです。

残念ながら映画自体はそれほどいいというわけではない。まあ、マーク・L・レスターならこのくらいのできにしかならなんか。・・・しかあーし、しかしである。ドリュー・バリモアが可愛い。肩でいきをはあはあしながらちょっとうりうるめで炎ぶちかましのチャーリーは素敵。 超能力使う鼻血だしはうデビット・キースは、『愛と青春の旅立ち』で指輪飲み込んで自殺したシドだ! 片目の用務員さんジョージ・C・スコット!!実ににあわん! マーティン・シーンヘザ・ロックリアも出てるぞ! どうだこの大盤振る舞い! おまけに原作はスティーブン・キング! いい話なんだけどねえ・・、なんか映画だけはしょぼかった。

B級映画ぎみだけど、後半のドリュー・バリモア大爆発してからのノリは素敵。多少の特撮のしょぼさは我慢我慢、なんとか見てる人の脳みそで補完してあげましょう。デビット・キースの頑張りがきいてるかな。念力使うと鼻血がでてきてすぐへたるあたりが、制限きいいてていいのだけど・・、
用務員さんジョージ・C・スコットがいかんせんださすぎる。 あそこからの展開がもうみてていや。
でも、大好きな映画さ、はっはっは!

<あらすじ>
12年前、アンディ(デイヴィッド・キース)はオハイオ州のハリスン州立大の貧乏学生だった。彼はある薬物実験の披験者となり、同じ被験者のヴィッキーと知りあった。学生たちはロット・シックスという薬を飲まされた。薬の作用のため、被験者の多くは死亡したが、アンディとヴィッキー他人の思考をある程度操作できるようになった。その二人が結婚しチャーリー(ドリュー・バリモア)という娘が生まれた。彼女には感情がたかぶると、火を発することができた。
実験の黒幕であった政府の秘密機関DSI(デパートメント・オヴ・サイエンティフィック・インテリジェンス)は、彼らの超能力を軍事利用しようとしてチャーリーの捕獲を試みる。ヴィッキーは殺されてたが、アンディはチャーリーつれて逃亡の旅に出た。
DSI本部では、責任者ホリスター(マーティン・シーン)が、殺し屋ジョン・レインバード(ジョージ・C・スコット)にチャーリー捕獲を命じていた。そしてアンディとチャーリーは捕まってしまう。<※ここまでは面白い>

捕まったアンディとチャーリーは本部で別々にされる。父に会わせてやると言われて、完全防火の実験室で発火をしてみせるチャーリー。優しいおじさんを装ってチャーリーに接するレインバード。片目の用務員さん登場である。もうギャグとしかいいようがないコケコケ、一気に緊張感ぶち壊しのクソ映画に変わる。
アンディは不要と判断させ処分されそうになるが、念力でホリスターに娘をつれてこさせるよう命じる。納屋で再会た父子。しかしレインバードはアンディを撃ち父親は死亡。彼女の怒りは最高に達し、火の玉がDSIの職員、本部邸を全滅させるのだった。


ああ~あ、面白い話だったのにな。もう一度まともなスタッフでつくりなおせないものか?
・・とおもったら、続編バージョンでてるんですね。でもチャーリー可愛くないからどうしょうか・・。とりあえず保存用にドリュー・バリモアバージョンのDVD、アマゾンUKいって買ってみるか・・。しかし、なんでこれDVDでてないんだろう? たしかに中盤からアホな展開になるが、ドリュー・バリモアの映画のなかではけっこうあたりだと思うのだけど。

by ssm2438 | 2009-10-01 03:29