西澤 晋 の 映画日記

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2009年 11月 26日

欲望(1966) ☆☆☆☆

f0009381_1455317.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
    トニーノ・グエッラ
    エドワード・ボンド
撮影:カルロ・ディ・パルマ
音楽:ハービー・ハンコック

出演
デヴィッド・ヘミングス (写真家)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ (公園の女)
ジェーン・バーキン (モデル志望のヤンキー娘)

        *        *        *

映画を見る人には、<サッカー観戦型><野球観戦型>とがある。
サッカー観戦型>というのは、流れるゲームのなかでひたすら「どうなるんだ、どうなるんだ」とか「いけいけいけいけ」とか「わうわううわうわ」とか、映画から与えられる情報をひたすら受け入れる受動的見方の人。スピルバーグの『ジョーズ』やコッポラの『ゴッドファーザー』が好きな人はこのタイプだろう。
<野球観戦型>というのは、ゲームの展開にあわせて自分の考えを参加させていくタイプ。「このあとは〇〇だからピッチャーは変えたほうがいいな」・・とか、「まだそのまま引っ張ったほうがいいな」とか「ここは代打だろう」とか、「あのときの自分はこんなんことを考えていた、きっとあのピッチャーもそんな感じなのだろうな」とか・・。見ている映画と同時に見ている自分が存在し、それを観戦しながら、自分で自分なりの考えをまとめていくタイプ。アントニオーニの映画はこちらのタイプでないと楽しめないだろう。

1967年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いたこの作品、これは演出志望の人にとってはマストシーな映画だろう。ミケランジェロ・アントニオーニの演出技の宝庫だといっても過言ではない。

● 期待させておいて裏切る。そして別の形で与える。
● 通常空間に異物を侵入させる。異物を無視する人々/それに対応する人々。
● 動いているものと止まっているもののコントラストをつける。
● アップビートの曲をバックにスローで動かす。
● 空間に段差をつける→演出の下手な人はつねに一平面上でイベントを展開する。
● 手前にドアや何かの格子、枠などを配置し、被写体への意識を絞り込む。
● 透明なものの表現。後ろが透き通って見えるが、その表面には映りこみもある。
● 演出の基本は<答え>を与えるのではなく、<答え>を想像させる。

上手い演出家というのは、演出して内容に演出するものである。この映画も、なにが演出されてるのかもはっきりわからないのだが、ついつい画面を見てしまう。なにかが起こることを期待してみている。それが何かは分らないが、きっとそれが見つかれば「あ、これだ!」って納得できるものを探している感じ。そんな何かを潜在意識の中で刺激しているのだろう。


ちなみにこの映画の原題は「BLOW-UP」=写真を「引き伸ばし」すること。
写真家の主人公が公園で何気ないスナップショットを撮っていると、林の中にはいっていく男女をみかける。興味本位で彼らのシーンをカメラに収めるのだが、それに気付いた女は主人公に駆け寄りフィルムを返してという。拒否する主人公。そうこうしていると相手の男はいなくなっており、女もその場をさる。その走り去る女をまたカメラに収める。
そのフィルムを引き伸ばししてみると、女の不自然な目線が気になる。その方向をの一部をまた引き伸ばしすると、茂みの中にから銃で狙っている別の男の手が映っている。さらに女が走り去る写真の奥のほうに何かが映っている。引き伸ばしてみると、女と一緒にいた男が倒れているらしかった。
後にその夜その場にいってみる主人公は、殺された男を公園のその場所で発見する。
その後の展開は『アイズ・ワイド・シャット』のような感じ。自宅/撮影スタジオに帰ってみると、その引き伸ばした写真はすべて消えうせ、他のフィルムも盗まれていた。公園に行っても死体はない。

しかしこの映画、サスペンス性はまったくどうでもよくって、何かを期待して見る人間性を描くこと、刺激することがメインなのだろう。
たとえば哲学書を読む時でも、そこに書かれていることを読みたいわけではなく、自分の思っているがそこに書かれているのを発見したいから読むのだ。カメラもそう。そこに自然と存在する風景を撮りたいのではなく、自分の中にある何か得体のしれない何かの具現化したものを、それに近いものを捜し求めて、それを見つけたの時にフィルムに定着させたいのだ。

人間の好奇心とは、見えるものを見るものではなく、見たいものを探す。そして、見たいように見るも性格のものなのだ。それを題して『欲望』とつけたのこの邦題はけっこういけてるかもしれない。

余談ではあるが、若き日のジェーン・バーキンがなかなか美しく、彼女の貧乳も素敵だ!

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by ssm2438 | 2009-11-26 15:03 | M・アントニオーニ(1912)
2009年 11月 25日

オーロラの彼方へ(2000) ☆☆☆

f0009381_231819.jpg監督:グレゴリー・ホブリット
脚本:トビー・エメリッヒ
撮影:アラー・キヴィロ
音楽:マイケル・ケイメン

出演
デニス・クエイド (父=フランク・サリヴァン)
ジム・カヴィーゼル (息子=ジョン・サリヴァン)
ダニエル・ヘンソン (息子6歳=ジョン・サリヴァン)
エリザベス・ミッチェル (母=ジュリア・サリヴァン)

        *        *        *

サスペンス映画なんだけど、そのサスペンスがなかったら名作になっていただろう映画。もっとも、その良いとこだけをとったのがこの翌年公開された韓国映画の『イルマーレ』だったのだろうけど。あんな感じのほうが良かったのに。なんでこんなのサスペンスにしちゃたかねえ。こういうドラマには人殺しとかいう下世話な話はにあわない。
謎解きの鍵は、69年ではまだワールドシリーズがどうなるか分ってないが、30年後の子供はその結果をしっている・・、というエピソード。サスペンスとしてはけっこうこねてる脚本で、そこそこ面白いのだが、最初のシチュエーション(生前の父と、30年後の息子が会話する)というハートフルな良さをぶち壊しにしてしまったので、食い合わせのわるい映画となってしまったのが残念。

<あらすじ>
1969年、太陽エネルギーの活発化でニューヨークでオーロラが観測されていた。深夜、ニューヨーク市の消防士であるフランク・サリバン(デニス・クエイド)は、タンクローリーの横転事故の大爆発から作業員を救助し、満足して自宅に戻った。自宅では看護師で妻のジュリア・サリバン(エリザベス・ミッチェル)と、いつも“ちびチーフ”と呼んでいる息子のジョン・サリバン(ダニエル・ヘンソン)が帰りを待っていた。幸せな家庭だったが、フランクはその後の倉庫火災の際に、要救助者を助けるために命を落とした。

それから30年後の1999年、、再びニューヨークでオーロラが観測された。刑事になったジョン(ジェームズ・カヴィーゼル)だったが、結婚を約束していた女性とは意見があわず、彼女は家を出て行った。気分がめいるなか、近くの野球場でビールを飲み、夜空のオーロラを眺めて亡くなった父親の事を考えていた。彼は押し入れにしまってあったジョンの父親の遺品のアマチュア無線機を発見する。適当にいじっていると誰かと繋がり、相手の男は無線機でCQ15と名乗った。だがそれは今ジョンがいじっている無線機の番号で、その上相手は1969年のワールドシリーズで闘うニューヨークメッツの事ばかりを話す。不思議に思っていると、無線機の向こうで男は近くにいるらしい子供に「こっちだ、ちびチーフ」と呼びかけた。ジョンは、この無線機の向こうにいる男は1969年の父親だと知る。

こうして現在と過去との間で、大人になった息子と、30年前の生前の父が会話することが出来るようになる。
倉庫火災で殉職することを父に話すと、そのかいあって彼はその時点では生き延びた。しかしそれがもとですこしづつ歴史が変わり始めてくる。そして、父はその10年後に肺がんで死ぬまで生き延びたが、現在の母が消滅した。どうやら過去のどこかで看護婦殺しの殺人鬼に殺されてしまったらしい。現存していた母を救うためには、当時の警察にその犯人を捕まえてもらうしかない。犯人逮捕のための協力を父に要求するジョン。それ以降は過去と未来を行き来する電波を通じて、ジョンが担当している現在の殺人事件と過去の看護婦殺しの犯人、そしてその犯人逮捕が母を取り戻す唯一の手段となっていく。

by ssm2438 | 2009-11-25 23:22
2009年 11月 24日

ジェヴォーダンの獣(2001) ☆☆

f0009381_20182668.jpg監督:クリストフ・ガンズ
脚本:クリストフ・ガンズ
    ステファーヌ・カベル
撮影:ダン・ローストセン
音楽:ジョセフ・ロドゥカ

出演
サミュエル・ル・ビアン (フロンサック)
マーク・ダカスコス (マニ)
モニカ・ベルッチ (シルヴィア)
エミリー・ドゥケンヌ (マリアンヌ)

     *      *      *

お話はフランスの伝説的な話。18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方(現在はロゼール県の一部)に出現した、牛ほどもあるオオカミに似た生物。今風にいうならUMA(未確認動物)である。1764年から1767年にかけマルジェリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った。獣が何であったかは、現在も議論されている。 事件は未確認動物学と陰謀の両方の面の憶測がされている。
獣の概観はウシと同じ大きさのオオカミに似た生物で、広い胸部をし、長く曲がりくねった尻尾はライオンのような毛皮の房で先端まで覆われていた、と記述されている。そして、小さく真っ直ぐな耳と巨大な犬歯がはみ出ている、グレイハウンド犬のような頭部をしていたという。獣は全身が赤い毛で覆われ、特筆すべきは黒いしまが背中の長さ分あったことだった。
f0009381_6303120.jpgこの生き物の伝えられた殺害の仕方は捕食動物としては異常で、しばしば獲物の頭部を標的にし、普通なら捕食動物が狙う脚や喉を全く無視していた。頭部は砕かれるか食いちぎられていた。伝えられるところによれば、獣はウシを避ける傾向があり、農場の家畜ではなく人間を標的としているようにみられていた。何度も、同じ草原にウシがいたというのに、人間を襲ったとされる。
犠牲者の確かな人数を調べることが難しいため、確認された記録をもとに、198回襲撃がされ、死者は88人、負傷者は36人であると見積もられた。他の情報源においては上記の結果を上回り306回の襲撃、死者123人、負傷者51人とされていた。獣の好んだ獲物は女性と子供で、彼らは田舎の農場で一組でか一人で仕事をしていたことから、たやすく狙われたのである。しかし男性は、物を持つ傾向があり、鎌や草刈り鎌のようなものを武器として使うことが可能だったうえ、彼らはしばしば集団で草原で作業していたのである。
(ウィキペディアより)

この映画は、この獣を題材にしたポリティカル・サスペンス・アクション映画。思ったより全然面白かった。私の嫌いなロープアクションをふんだんに使ったアクションではあったが、ドラマがしっかりしたお話なのでけっこうひきつけられた。しかし、獣のCGはかなりいただけなかった。2001年だとこのくらいのものなのかなあ・・もうちょっと出来ててもよさそうだったけど・・。せめてグエムルくらいのなめらかさはほしかったなあ。
モニカ・ベルッチ『マレーナ』の次に撮ったのがこの映画、いや~~~、美しい。ローマ法王の密命のもとに、娼婦の役どころを演じていたのですが気品がすごくあってよかった。『マレーナ』のときよりも凛として美しい。私が見た中でもベルッチはこの映画が一番美しかったかもしれない。

<あらすじ>
1765年、フランス。ルイ15世はジェヴォーダン地方で殺戮を繰り返す野獣の正体を突き止めるため、自然科学者のフロンサック(サミュエル・ル・ビアン)を派遣する。新大陸(アメリカ)に遠征したときにでったインディアンのマニ(マーク・ダカスコス)と共にジェヴォーダンに訪れたフロンサックは、地元の貴族トマの協力を得、調査を開始。調査を進めるうち、フロンサックは野獣の歯が鉄で出来ていることを突き止める。が、野獣は一向に姿を見せない。いつまで経っても野獣を射止められず、自分の権威が傷つくことを恐れた国王は、野獣が殺されたことを宣言し、フロンサックをパリに呼び戻す。翌春、野獣による殺戮が今なお続いていることをトマより知らされたフロンサックは、一目で恋に落ちた美しい令嬢マリアンヌ(エミリエ・デュケンヌ)との再会を秘かに願いつつ、再びジェヴォーダンに赴く。そしてマリアンヌとの再会を果たした彼の前に、とうとう野獣が姿を現わした。捕らえることこそ逃したものの、フロンサックとマニは遂に野獣の正体を突き止める。しかしそこには政治的権力を狙う地方貴族たちにより組織された秘密結社の影があった。彼らとの戦いにマニは命を落とし、フロンサックも捕えられてしまう。しかし、謎の情婦シルヴィア(モニカ・ベルッチ)の計らいによりフロンサックは脱出に成功、トマと共に再び秘密結社のもとへ。そして、決死の戦いの末、野獣と組織を牛耳る地元貴族らを倒すのだった。

by ssm2438 | 2009-11-24 20:20
2009年 11月 23日

グランド・ゼロ(1988) ☆☆☆☆

f0009381_18364685.jpg監督:ブルース・マイルズ、マイケル・パティンソン
脚本:マック・グッジョン、ジョン・サルディ
撮影:スティーヴ・ドブソン
音楽:トム・バーラー

出演
コリン・フリールズ (ハーヴィー・デントン)
ジャック・トンプソン (トレビルコック)

        *        *        *

当時これをみてけっこうぞっとして、なおかつ物語り展開の面白さに感動したものだが・・、DVDはでてないんですねえ。。。
舞台となるのはオーストラリア。戦後行われた核実験にかかわる機密事項が撮影されたフィルムをめぐる公安とCFカメラマのポリティカル・サスペンス。なぜ、自分がつけられているのかも分らない主人公が徐々にその秘密をあばいていく過程が実にスリリング。隠れた名作だと当時おもったのだけど、さすがに今となっては確認するすべはあまりないのが残念。

<あらすじ>
CFカメラマンのハーヴィー・デントン(コリン・フリールズ)はいつの頃からは、何者かに常に見られているような感覚におそわれる。さらに留守番電話には謎の男の声、訳も分からず当局の連中に脅かされる等々。安全保障情報局に乗り込んだ彼は、諜報部員トレビルコック(ジャック・トンプソン)から、ハーヴィーの父は1954年にイギリスによる核実験で被爆、その死体が発見されたことを教えられる。記録映画のカメラマンであった父は核実験に関する機密をカメラに収めており、何者かによって殺されたらしい。父の死の謎が隠されたフィルムを追って、ハーヴィーは核実験が行われたマラリンガ近郊へ向かう。ハーヴィーはマラリンガで留守番電話のメッセージの主、元英国兵プロスパー(ドナルド・プレザンス)と出会い、彼の案内で爆心地(グランド・ゼロ)へむかう。しかしそこには、原爆実験の時につかわれていた施設がのこされているだけだった。
収穫のないまま帰路に着くしかないハーヴィー。空虚な心を埋めるための昔父がとってくれた家族がすごしたひと時の時間をおさめた8ミリフィルムを流してみているた。そのフィルムが終わったあとに、なにか見たこともないフィルムがつなげられていた・・・。それこそが、公安が躍起になってさがしていたフィルムだとわかった。そのフィルムに映し出されていたのは、グランド・ゼロでみた施設の内部であり、そこでは、当時核実験があることをしらされてなかった原住民(アボリジニ)の被爆者の人体解剖のシーンが撮影されたものだった。

by ssm2438 | 2009-11-23 18:38
2009年 11月 21日

ニキータ(1990) ☆☆☆

f0009381_1902699.jpg監督:リュック・ベッソン
脚本:リュック・ベッソン
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:エリック・セラ

出演
アンヌ・パリロー (ニキータ)
ジャン=ユーグ・アングラード (マルコ)
ジャンヌ・モロー (アマンド)
チェッキー・カリョ (ボブ)
ジャン・レノ (掃除屋・ヴィクトル)

        *        *        *

この監督の『サブウェイ』みたときは、かっこつけだけの監督だなあって見放してのだけど、それから10年近くたち、まあ、たまには見てみるか・・って思ってこれみたら意外と面白かった。ブラとパンティだけで狙撃するなんてのは実にお洒落でおいですな・・。
これってオードリー・ヘプバーン『マイ・フェア・レディ』(1964)のアクション版でしょうね。方法論として、昔のクラシックをアクションを別のジャンルで仕上げるってのは、かなり使える。同じように、ポール・バーホーベン『ショーガール』も、元ねたはジョセフ・L・マンキウィッツ『イブの総て』(1950)だと思う。昔の作品をがらりと衣替えして提示してあげると今のひとでも見やすくなるし、もともとお話はしっかりしてるので素材としてはとてもいいのだろう。

<あらすじ>
麻薬中毒の不良娘ニキータ(アンヌ・パリロー)は、仲間と薬屋を襲撃しようとして、かけつけてきた3人の警官を射殺してしまう。ニキータは無期懲役刑を言い渡されるが、その生存能力の高さに政府の秘密機関が目をつけ、工作員として育成される。教育係のボブ(チェッキー・カリョ)による厳しい訓練に耐え、3年後には美しい女殺し屋に変貌していた。23歳の誕生日に初めて外出を許されたニキータはうかれていた。しかしそれは最終テストであり、レストランで拳銃を与えられ、暗殺指令を受ける。無事仕事をこなした彼女は、教えられていた逃走経路を走るが、そこは行き止まり。そこからが実は、最後のテストだった。命からがらなんとか帰還した二キータは一人前の秘密工作員として認められる。

by ssm2438 | 2009-11-21 18:35
2009年 11月 21日

太陽はひとりぼっち(1962) ☆☆☆☆

f0009381_15282959.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
    トニーノ・グエッラ
    エリオ・バルトリーニ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽:ジョヴァンニ・フスコ

出演:モニカ・ヴィッティ、アラン・ドロン

       *       *       *

1962年のカンヌ映画祭審査員特別賞受賞作品。なんとお洒落なタイトルだ。原題はイクリプス=蝕(日蝕)。それを『太陽はひとりぼっち』と題するセンスはすごい。ただ、このタイトルが本編をそれほど象徴化してるとも思えないが・・(苦笑)。

まず、アントニオーニの映画は、何が描かれているのか分らずに見てもただかったるいだけだろう。ほとんどの人はつまんないと判断するはずだ。私が観てもかなりつまんないし、部分部分は飛ばし観るさせてもらった(苦笑)。しかし、おぼろげながら意味がわかって見ると、なかなか味わいのある作品なのである。この映画を語るには「愛の不毛」を語らなければならない。だいたいその意味はなんなのか、それを正確に話した人がいるのだろうか? ・・というわけで、一応これ(以下↓)は私の見解。

まず、理解しなければならない現実がある。それは


     「女に男を愛する能力はない!」


・・ということだ。多分ミケランジェロ・アントニオーニもそのことにあるとき気付いてしまったのだと思う。これをほとんどの人(男も女も)は気付かない。そたまにふらっと感じる時はあるかもしれないが、心のどこかで「いやいやそんなことはない」って否定してしまう。だから本人が心から認識することはない。しかし、ごくごく一部の人だけがそのことを認識してしまっている。『ロリータ』を書いたウラジミール・ナボコフもその一人だろう。

男が気付かないのは、男が女でないからだ。男には女を愛する能力はあるが、女にも同じ能力があると勘違いしてしまうのだ。そして女にもその能力があるというファンタジーを描き続け、その結果としてあまたの小説や映画が生まれた。それを見せ付けられてきた女たちは、「自分たちも、男を愛する能力があるのだ」と勘違いし、そう思い込む。一報女も、自分に愛する能力がないのだから、男がどんなにいいよってきても、そこに真実味を感じない。女に男の思い入れなど分るはずがないのである。
男は一度愛した女は別れても好きだが、女は別れたらその男のことはあっというまに忘れてしまう。あの節操のなさは、男には理解できないものだが、それは「女にも男を愛する能力がある」ということを前提してものを考えるからであり、その基本原則と現実との食い違いが,男には理解しがたい現実になる。しかし「女には男を愛する能力がない」という真実にたどり着けばその訳ははっきりしてくる。

ミケランジェロ・アントニオーニはその真実にたどり着いてしまった一人なのだ。彼が60年代に描き続けた「愛の不毛」のシリーズは、すべてこの法則によるものだ。それはモラルの問題ではなく、女の性として、男を愛する能力がない。しかし、男も女もそれを認めていない。そんな状況のなかで、かれは自分が見つけてしまった悲しい真実を描いていたのだ。
コンクリートの種をまいても芽が出ないように、女をいくら愛情を投資しても、芽はでないのである。それでも永遠に男は夢を見つづづけ、女もその夢に同調する時間をわずかながらもっている。人はそれを『恋愛』と呼ぶのである。

そこまで理解した上でこの映画をみると、
「おおおおおおおおおお、ミケランジェロ・アントニオーニ、すごいぞ!!」ってことに気付く。

by ssm2438 | 2009-11-21 15:20 | M・アントニオーニ(1912)
2009年 11月 21日

ミッドナイト・ラン(1988) ☆☆☆

f0009381_1046422.jpg監督:マーティン・ブレスト
脚本:ジョージ・ギャロ
撮影:ドナルド・ソーリン
音楽:ダニー・エルフマン

出演
ロバート・デ・ニーロ (ジャック・ウォルシュ)
チャールズ・グローディン (ジョナサン・マデューカス)

        *        *        *

実は私、ロバート・デ・ニーロがどうも苦手なのです。ホモっぽいおじさんに見えてしまって・・、もうこれは生理的なものなのでどうしようもないのですが、そんな苦手なロバート・デ・ニーロ主演の映画のなかで、けっこうお気に入りなのがこの『ミッドナイト・ラン』
主人公のデ・ニーロは元警官のバウンティ・ハンター。そもそも賞金稼ぎなんてのがこの時代にいるんだってちょっとびっくり。お尋ね者になってる犯罪者をつかまえて警察に連れて行って生計をたててる人。そんな彼が捕まえたのがチャールズ・グローディン扮する心優しい詐欺師(?)。ヤクザのボスの金を横領したことでお尋ね者になってるのだけど、その男を捕まえてニューヨークからロスまで護送しようと飛行機にのったら、かれは飛行機が嫌いでパニックに。しかたなく。陸路でロスに向かうのだけど、その間におこるアクションあり、ハートフルなエピソードありのロードムービー。
今回デ・ニーロに移送されるチャールズ・グローディン、この人何気に好きな役者さんなのだ。昔は二枚目だったのだろうが、甘いマスクに良い人感がただよっていて、『デーブ』などでもちょっと顔をみせているが、今回のマデューカス役にはぴったり。

監督のマーティン・プレストは小気味の良いハート・ウォーミング系のドラマがやっぱり得意そうな感じ。過去の監督作品みてみると『ジョー・ブラックをよろしく』、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』、『ビバリーヒルズ・コップ』と、だいたい似通ったテイスト。この『ミッドナイト・ラン』は『ビバリーヒルズ・コップ』ののりにハートフルなテイストがしこまれている感じ。

<あらすじ>
シカゴの元警官、今はバウンティ・ハンター=ジャック・ウォルシュ(ロバート・デ・ニーロ)は、保釈金融会社社長エディ(ジョー・パントリアーノ)の依頼をうける。その依頼とは、ギャングのジミー・セラーノ(デニス・ファリナ)の金を横領した経理係のジョナサン・マデューカス(チャールズ・グローディン)捕まえること。しかしFBI捜査官モーズリ(ヤフェット・コットー)はギャングのセラーノを追っていて、その重要参考人となるジョナサン・マデューカスをジャックの手に渡したくはない。そんな状況下で、ウォルシュはニューヨークでマデューカスを逮捕する。
マデューカスをロスへ移送しようと飛行機にのるウォルシュだが、マデューカスが極度の飛行機恐怖症であることが判明、出発前の機内でパニックを起こし搭乗拒否されてしまう。しかたなく陸路でロスヘと予定を変更。バスターミナルで待ち構えるFBIとセラーノ一味は、ウォルシュとマデューカスがバスから降りるや銃撃戦を展開、その隙にパトカーを奪い2人は逃走する。
有り金を失ったウォルシュは、しかたな9年振りに別れた妻子のもとを訪ねる。突然の訪問に戸惑う前妻に冷たくあしらわれるが、素直に喜びを表現する娘デニース(ダニエル・デュクロス)に心ほだされた彼女は、ウォルシュに車と金を提供するのだった。セラーノ一味とFBlに追われるウォルシュとマデューカスの旅は続く。孤独なウォルシュと心優しいマデューカスとの間には奇妙な友情の絆が深まってゆく。
しかしついに、マデューカスはセラノの手に渡り、そのマデューカスを救い出すため、ウォルシュはFBIと結託。自由の身となったマデューカスーは友情の証しとして隠し持っていた金をウォルシュに差し出し、2人は、またそれぞれの道を歩むべく別れてゆくのだった。

本作の魅力は、移送中の身でありながら、なにげないポイントでハート・ウォーミングなネタを提供してくれるチャールズ・グローディン演じるマデューカスのやさしさだろう。

by ssm2438 | 2009-11-21 10:46
2009年 11月 21日

マーズ・アタック!(1996) ☆

f0009381_9483768.jpg監督:ティム・バートン
脚本:ジョナサン・ジェムズ
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:ダニー・エルフマン

出演:ルーカス・ハース (リッチー)

        *        *        *

私の嫌いなティム・バートンの、そのなかでも最も嫌いな映画。

映画にしても書物にしても、その作り手が発言する総てのことは、他人のための言葉などではなく、総て自分の為にであり、その人自身の自己肯定の産物である。この映画もティム・バートンの自己肯定の産物であることは間違いない。そしてティム・バートンが自分を投影したのが、主人公の自信のないハニカミ屋の少年リッチー。

こんなことを考えてる。もし、このような少年をヒーローにするにはどうしたらいいのか?
で、こんなことが思いついたとすると。

ある日突然火星人が襲来。権力の象徴である合衆国大統領は彼らにたいしてどう、対処していいのか分らない。国の首脳をサポートする知識人や軍関係者も人たちや、その他の強欲をそのモチベーションとして成り上がった人たちは火星人たちに問答無用でころされる。彼らの猛攻はとどまる所を知らず、被害は世界各地に広がり、人々は次々に殺されていく。ホ人類の抵抗は無力で、核攻撃も全く効果がない。大統領は火星人の代表と講和を申し込み、感動的な演説で彼らの目にも涙を浮かべさせるが、結局、殺されてしまう。地球危うし。
そんな時、田舎町にすむさえないある少年(ティム・バートンの分身)がたまたま発見した火星人の弱点を発見、どうやら火星人はスリム・ホイットマンのレコードの歌声を聞くと脳みそが爆発するらしいことに気付く。かくして主人公はみんなに呼びかけで、レコードの音を大音声で宇宙船に浴びせ、火星人は撃退する。かくして主人公は人類を救った功績で表彰される・・なんて話はどうだろう?

・・・しかし、これはあくまでファンタジーでって、現実世界では、そんな少年がヒーローになることはない。

現実の世界でヒーローになろうとしたら、ひたすら勉強し、努力し、一つのことにこだわり、それを継続していかなければならない。そして偶然も作用するだろう。ティム・バートンにはそういうった、現実の世界でなにかを成し遂げていくような人物は描けないのである。そんなティム・バートンの映画の中に、私がみて楽しめるものなどないのだ。

by ssm2438 | 2009-11-21 09:49
2009年 11月 20日

スコルピオンの恋まじない(2001) ☆☆

f0009381_62555.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:チャオ・フェイ

出演
ウディ・アレン (C.W.ブリッグス)
ヘレン・ハント (ベティ=アン・フィッツジェラルド)
シャーリーズ・セロン (ローラ・ケンジントン)
ダン・エイクロイド (クリス・マグルーダー)
エリザベス・バークレイ (ジル)

        *        *        *

最近のウディ・アレンの映画の中では見やすいほうかな。でも、ほんとにおもしろいかというと・・そんなことはない人のほうがおおいだろう。アレン自身が演じる主人公に全然はいっていけない。別の人を立ててくれたら少しはおもしろくみられたかもしれないのに・・。
私が最近のウディ・アレンの映画をみるとは、どうも無意識にビリー・ワイルダー・フィルターがかかっているようなきがする。この映画にしてもウディ・アレンはジャック・レモンに、ヘレン・ハントはシャーリー・マックレーンに、ダン・エイクロイドはウォルター・マッソーに・・、シャーリーだけはシャーリーのまま(笑)。
でも、やっぱり最近のウディ・アレンの映画には燃えるものがなくなってしまった・・・。画面をつくるセンスはピカイチなだけにもったいないなあ。もしかしたらもう一花も咲かないかもしれない。。。

<あらすじ>
1940年のニューヨーク。一流保険会社に勤務するC.W.ブリッグス(ウディ・アレン)と、最近入社してきた同僚のベティ・アン・フィッツジェラルド(ヘレン・ハント)とは犬猿の仲。しかしある日、2人は同僚の誕生パーティーへ出向く。そこでインチキ魔術師ヴォルタンに催眠術をかけられた二人は、呪文を耳にするたびお互い惹かれていくことになる。しかしヴォルタンの本当の狙いは、ブリッグスを催眠状態で操り、宝石を強奪することだった。催眠状態のまま、宝石を盗みヴォルタンに渡す。しらふに戻ったブリッグスはベティ・アンの助けもかりながら、その犯人を調査していくが、その犯人が自分であることがわかりはじめる。
事件解決後、いつの間にかフィッツジェラルドに本気で恋をしていたブリッグスは、マクルーダー社長(ダン・エイクロイド)と結婚するはずだった彼女に呪文の言葉をささやいて、自分に恋をさせようと試みる。ところがフィッツジェラルドの催眠術は既に解けいた。それでも彼女は呪文にかかっているかのようにめでたく結ばれるのだった。

もうウディ・アレンのセンスではスクリューボール・コメディは無理そう。最近この手のもので楽しめたのは『スイッチング・チャンネル』くらいか。でもあれはまだクリストファー・リーブが歩いていた時代なのでもう20年も前の話だ・・・。

by ssm2438 | 2009-11-20 05:42 | ウディ・アレン(1935)
2009年 11月 20日

トータル・リコール(1990) ☆

f0009381_5393615.jpg監督:ポール・ヴァーホーヴェン
原作:フィリップ・K・ディック
脚本:ロナルド・シャセット
    ダン・オバノン
    ゲイリー・ゴールドマン
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演
アーノルド・シュワルツェネッガー (ダグ)
レイチェル・ティコティン (メリーナ)
シャロン・ストーン (ローリー)
マイケル・アイアンサイド (リクター)

        *        *        *

フィリップ・K・ディックのハードボイルドが、バーホーベンにかかると悪趣味グログロカートゥーン映画になってしまう。部分で全体を描く能力のないこの人の映画は、世界にスケール感がない。それぞれのシーンは、まるで狭いセットのなかの一シーンのようであり、地球上に存在さする人間が生活してる社会がその外にあるとは到底おもえないスケールのしょぼさ。才能のなさいところではこんな映画しか出来ないのだろう。バーホーベンのSF世界観はまるで70年代のもの・・しょぼすぎる。。。

シャロン・ストーンだけは可愛い。

by ssm2438 | 2009-11-20 05:26