西澤 晋 の 映画日記

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2009年 11月 20日

スターシップ・トゥルーパーズ(1997) ☆☆

f0009381_5223764.jpg監督:ポール・ヴァーホーヴェン
原作:ロバート・A・ハインライン
脚本:エド・ニューマイヤー
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:ベイジル・ポールドゥリス

出演
キャスパー・ヴァン・ディーン (ジョニー・リコ)
ディナ・メイヤー (ディジー・フロレス)
デニース・リチャーズ (カルメン・イバネス)

        *        *        *

なんでハインラインの原作がこんな映画になるんだ???
相手が昆虫だったら感情移入もなにもない。相手が人だからこそ、殺す罪悪感と、自分の存在の尊さを問えるのに・・。幻滅もいいところだ。これでは、単にゲームシーン的殺戮のイベント映画だ。

バーホーベンの下手さというのはスケールを出せないことだろう。大きな器の世界を取るときには、その部分をどれだけ見えない部分を感じさせるように撮るかが大事だが、この人にはそのセンスがない。バーホーベンの描く部分は、部分でしかなく、全体の一部ではないのである。そいう大世界観的見せ方の才能に乏しいバーホーベンが出来るのはCGつかったグログロ描写だけ。

あいかわらず下世話な可愛らしさを発揮するデニス・リチャーズ(↓)。
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by ssm2438 | 2009-11-20 05:01
2009年 11月 20日

セクレタリー(2002) ☆☆☆

f0009381_450884.jpg監督:スティーヴン・シャインバーグ
原作:メアリー・ゲイツキル
脚本:エリン・クレシダ・ウィルソン
    スティーヴン・シャインバーグ
撮影:スティーヴン・ファイアーバーグ
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演
マギー・ギレンホール (リー・ホロウェイ)
ジェームズ・スペイダー (エドワード・グレイ)

        *        *        *

スティーブン・シャインバーグの最初にして最後の最高傑作・・・だろうと思う。まだこの時点では2本しかみてないけれど、少なくとも『毛皮のエロス』では才能がこの『セクレタリー』一本でつきたことを物語っていた。ひどかった。リンチ風にアレンジするしか味のない演出。その点、この『セクレタリー』のほうがまともに仕上がっていた。

マギー・ギレンホールはこの映画ではじめてみた。いいですね~~~。いっけんとろそうにみえる表情、でものちの出演作品などをみると隠れた女優ガッツは只者ではない。しかし概観はじつにゆるい。身体のラインももみょうにだらしなくエロい。ジムなどにかよって鍛え上げた体ではなく、自然体な女性の身体。いい役さんをみつけたなって思った。
このマギー・ギレンホールが演じるリーという女の子は精神的な発育生涯があるのだろう、社会との接し方がいまひとつ分ってない感じの成人女性。たえられない不幸を感じると、いつもお裁縫箱の中にかくしもっていり自虐セットをとりだし、自分の身体を傷つけて肉体的な痛みを利用し、精神的苦痛から逃れようとする。

劇中には必要以上のSMプレイ的な演出がみられるが、そこまですると単なる悪趣味になってしまうような・・。その辺のコントロールが効かないところがこの監督の底の浅さなのだけど。このお話の基本精神は「とにかく精神的に苦しみたくない。不安になりたくない。だから痛みでごかまかす。でも、私をすべて管理してくれる男がいるなら全部ゆだねたい。そのゆだねるてしまったことを確認できるなら、SMプレイでもなんでもなんでもいい・・」みたいな、その本質的な感情を大事にしてほしかったかな。
とはいえ、原作ありきのようなので、それにそってシャインバーグがアレンジしていってるのだろう。そこそこきちんとした流れにはなっていた。最後のはじめて相手に自分の裸をみせて、その身体にはいままで自分で傷つけた傷跡がいっぱいあるのだけど、その傷跡ひとつひとつにキスしていくジェームス・スペイダーとのラブシーンはなかなか素敵であった。

f0009381_50347.jpg<あらすじ>
自傷癖を持つ内向的な女性リー・ホロウェイ(マギー・ギレンホール)が、個人弁護士事務所の秘書の仕事に就いた。ボスのミスター・グレイ(ジェームズ・スペイダー)は繊細な神経の持ち主だったが、彼がリーのボーイフレンド、ピーター(ジェレミー・デイヴィス)の存在を目にしてから、態度が急変、ミスをすると尻叩きの罰を加えた。だが自虐癖のあるリーはそんな秘書教育に安らぎを覚えていく。二人の間に精神的な愛が介在してくることを恐れたミスター・グレイは、再びビジネスライクな態度に戻った。それに歯痒い思いをしたリーは彼を誘惑するが、ミスター・グレイは彼女を解雇してしまう。リーは代わりの性のパートナーを探すが理想の相手は見つからず、やがてピーターからプロポーズを受ける。一度承諾するものの、やはりミスター・グレイを忘れられないリーは愛を告白。
「それほど私の指示がほしいなら、両手を机につけ! 私がいいというまでそうしていろ」と言い捨て、でていってしまう。一日たっても動こうとしないリー。おしっこがしたくなったても、そのそのポーズのまましてしまう。そのことをききつけた報道陣も事務所のそとをとりまくようになる。やがて根負けしたかのようにあわられたミスター・グレイもリーに愛を語る。

シャインバーグの撮る映画は、下世話なリンチ趣味の映画だが、この映画だけは捨てきれない魅力がある。それはひとえに主人公をマギー・ギレンホールにしたことの恩恵だろう。
あと、このパンフレットの絵もとてもお洒落で好きだ。

by ssm2438 | 2009-11-20 04:17
2009年 11月 20日

ソイレント・グリーン(1973) ☆☆

f0009381_3182981.jpg監督:リチャード・フライシャー
脚本:スタンリー・R・グリーンバーグ
撮影:リチャード・H・クライン
音楽:フレッド・マイロー

出演:チャールトン・ヘストン

        *        *        *

知る人ぞ知る『さよなら銀河鉄道999』の元ネタ。
食糧難の中、政府が支給するのはソイレント・グリーンとよばれる食材。実はそれは死人を処理した食べ物だった・・って話。まあ、それほど驚くオチではないのでびっくりすることもないような話・・。

<あらすじ>
2022年のニューヨーク。こ人口過剰と食料不足にあえいでおり、ごく一部の裕福な人を除き、4000万市民の大部分は週 に一度配給される合成食品を食べている。この食料はソイレント社が、海のプランクトンから作っていたがすでにそのプランクトンさえ激減していた。そんな状況下でソイレント社は新しい食材ソイレント・グリーンを配給しはじめる。
市警察殺人課の刑事ソーン(チャールトン・ヘストン)は、職があるだけましな暮らしである。同居する老人のソル・ロス(エドワード・G・ロビンソン)は人間ブックで、事件の背景を調べ、ソーンの捜査を助けている。

ソーンは、ソイレント会社の幹部の1人ウィリアム・サイモン(ジョセフ・コットン)が自宅で惨殺された事件を担当することになった。ソルの調査で、事件の背後に大物の手が動いていることを知ったソーンが、捜査に本腰を入れようとした矢先、上司のハッチャー(ブロック・ピーターズ)から捜査を打ち切るよう圧力をかけられた。頑として拒否すると、ソイレント・グリーン配給の警備に廻されてしまう。
ソルはブック仲間の集まりでサイモン殺人事件の動機となったソイレント社の秘密を知りショックを受ける。ソイレント・グリーンは人肉からつくられたいたのだ。彼は現実のあまりの厳しさに絶望し、安楽死させてくれる「ホーム」に向かう。そのことを知ったソーンは「ホーム」に駆け込むが間に合わず、老人の孤独な臨終を痛恨の思いで見とるばかりあった。だが、息を引き取る直前にソイレント・グリーンの秘密を明かされ愕然とする。

by ssm2438 | 2009-11-20 02:57
2009年 11月 20日

サイレント・ボイス/愛を虹にのせて(1987) ☆☆

f0009381_241565.jpg監督:マイク・ニューウェル
脚本:デヴィッド・フィールド
撮影:ロバート・エルスウィット
音楽:エルマー・バーンスタイン

出演
ジョシュア・ゼルキー (チャック)
アレックス・イングリッシュ (アメイジング)
ジェイミー・リー・カーティス (アメイジングの代理人)
グレゴリー・ペック (米大統領)

        *        *        *

ドラマとしてはなかなかの発想と展開。かなり夢想的ファンタジーだが、ファンタジーだから甘くてもいいか・・(とかいいつつ『失はれた地平線』はイマイチ好きになれないが・・)、ここちよく感動させてもらった。劇中、血なまぐさい方向にふれる箇所があるが、この内容だとあれはないほうが良かったと思った。どうせファンタジーなのだし、もっと自然につくれなかったものかな・・っと。

IMDb(インターネット・ムービー・データベース)にいってこの映画『AMAZING GRACE AND CHUCK』のレビューをみてみると・・、ははは、10点満点中の☆ひとつがやたらとおおい。ここまで毛嫌いする人が多いのかとびっくるしてしまう。もちろん諸手をあげて10☆投票してる人もいおおいけど。アメリカではファンタ派と現実派で真っ二つに評価が分かれる映画みたいですな。

子供が親に抗議して黙りこくるのはよくあることだが、この物語に登場する少年もそう。しかし、この少年のだんまり攻撃=サイレント・ボイスは規模が違う。もとめるものは核兵器廃絶。しかし、これを核兵器じゃない、もっとなにか他の現実的問題だったら、けっこういけるストーリー原版だとおもうのだけど・・。

f0009381_250176.jpg<あらすじ>
モンタナ州リビングストン。そこのリトルリーグで天才投手さわがれていたチャック(ジョシュア・ゼルキー)は、リーグで次々に勝ち星を挙げ優勝を狙える位置にまで上り詰める。そんなチャックは学校の仲間と近くの核ミサイル・サイロを見学にいくことになり、目の前にあるミサイルをみせられる。そしてリーグ戦決勝の日、核全廃の日まで好きな野球をやめると宣言し投げなかった。ともに優勝をめざしていた仲間には非難されたりもするが、この決意は新聞にのり、瞬く間に全米に知れ渡った。
その記事を移動中の機内で読んだプロバスケットの大選手アメイジング(アレックス・イングリッシュ)も、彼の行為に賛同、彼もバスケットボールをやめてしまい、チャックの町を訪れる。2人の抗議は世界に広まり、スポーツ界から続々と有名選手などが、核兵器が廃絶されるまで彼らはスポーツをしないことを決意して、2人のまわりに集まった。
こうなると無視できないのは政府。チャックをホワイトハウスに呼んで、大統領(グレゴリー・ペック)は、力の均衡のため核は必要と説く。一方、軍需産業の黒幕ジェフリーズ(リー・リチャードソン)も、アメイジングの元マネージャーのリン(ジェイミー・リー・カーティス)を通じ、圧力をかける。それに応えないアメイジング。そんなある日、彼ののった飛行機が空中爆発したというニュースがながれる。

彼の死をきっかけに、チャックは「ボクはもう話さない」と無言の抗議を始めた。この行為は全世界の子供の間にも広まった。世界中の子供たちがはなさなくなってしまった。事態を深刻にうけとめた米ソは7年後核全廃を打ち出す。しかし、息子にかわり、父のラッセルは大統領に、そんなに待てないと告げる。一方アメイジング殺しをジェフリーズらのしわざと知った大統領は彼の活動停止命令をだす。ソ連の書記長とホットラインで会談する米大統領。「息子が口を利いてくれない」「うちの子もそうだ・・・」。そしてありえないと思われていたその決断はくだされた。核の即時全面徹廃。

新しいシーズンがはじまった4月、リトルリーグの開幕の日、スタンドには米・ソの大統領の姿があった。

by ssm2438 | 2009-11-20 01:23
2009年 11月 19日

ニュー・シネマ・パラダイス(1989) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_1628966.jpg監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影:ブラスコ・ジュラート
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:フィリップ・ノワレ
    ジャック・ペラン
    サルヴァトーレ・カシオ
    マルコ・レオナルディ

     *     *     *

メジャーな映画はあまり取り上げないつもりだったのだけど、やはり一つの記録としてこの映画は語らなくてはならないだろう。公開されるやいなや圧倒的な感動を映画ファンとにわか映画ファンに与えた『ニュー・シネマ・パラダイス』。私も劇場で観て大泣きした一人なのだが、この映画を劇場で観られた事はかなりの幸せものである。
そしてその後、ビデオ/DVDの発展にともない『ニュー・シネマ・パラダイス/完全版』なるまた別の映画が登場してしまった。年が経ち、落ち着いてみれば、これはこれで一つ映画だと理解出来るのだが、公開当時の『ニュー・シネマ・パラダイス』のドラマの流れ、リズム、ノスタルジア、感動があまりに見事に調和していたので悔しいような‥‥この完全版をどう理解するかはかなりやっかいな問題へと発展した。出来る事なら劇場公開版のみでほんとに良かったのだが‥‥、しかし、あったものは仕方がない。


◯ カッティング=編集という作業について

テレビ、映画のフィルムというのはカッティングされているものなのだ。だこのカッティングの作業がなければ全てのテレビ番組が同じ時間枠で放送されるわけがない。1カット、1カットは後に在る程度カッティングされることをふまえて長めに撮ってあり、それを繋いだ後で気持ちのいい長さに調整しつつ、決められた時間内におさめるように編集していくのである。必要ならその尺を延ばす事もある。
創っている監督自身も撮ったフィッルムを全てつなげたから良くなるとはけっして思っていない。もちろん創ってる時は「このカットは必要だ、このシーンは必要だ」って思って創っている。しかし全部を撮り終わった後つなげて客観的にみると「このカットはいらなかったな」「このカットはもう1秒6コマ、短いほうがいいなあ」「このシーンはごっそりないほうがいいだろう」を思う部分はかずかずあるもの。そして必要ないと判断した部分は削り、その反対もうちょっと欲しいなと思う部分は尺を延ばしたりして(その場合はもう一度取り直すことになる)在る程度のトータル尺に収め込むのである。
このカッティングという作業が上手く行けば、見ている人は気持ちよくさらりと観られるし、ぎこちなければなんか見心地のよくない映画になる。

最近私がみた映画で下手なカッティングと言えばソフィア・コッポラ『ロスト・イントランスレーション』。お話的には決して嫌いなタイプの映画ではなかったのだが、カッティグの悪さ、絵の繋ぎ方の悪さはかなり観づらい映画にしてしまっていた。特に下手下手二十丸印は『マルコムX』『モ’ベタブルース』などのスパイク・リー。この監督の映画のどれも見心地の悪さは飛び抜けている。この二人は編集のひどさというよりも監督の絵のツナギの下手さ、見せ方の下手さ、演出の下手さで観づらい映画になっているような感じ。
編集そのものどうしようもなくひどかったのは『ザ・ペーパー』。監督はロン・ハワードでばりばりの娯楽作品メーカーで本来見やすい映画を提供する人なのだけど、『ザ・ペーパー』は他の彼の作品に比べてあまりに見心地が悪かった。編集がもっと気持ちよい切り方をしたらこの映画はもっとテンポよく、気持ちよく観られたはずなのに‥‥。これは監督の力というよりも明らかに編集がド下手、編集のヒドさをチェックするいい映画参考になるかもしれない。

この『ニュー・シネマ・パラダイス』劇場公開版の編集作業ははミラクルである。
あるストーリーの中から不必要なシーンを削るという以上に、根本的な意味合いまで変えるしまう編集になっている。そして見終わった感想はこの編集されているほうが遥かにどどおおおおおおおおおおおっと感動が来るのである。
編集マジックと言おうか‥‥、とにかくすごい奇跡。勇気いった編集だったろうなあって思う。あるいは何も考えてないけど成功してしまったか。


◯ 劇場公開版 vs 完全版

この映画というのは、男がもつ「好き」という能力の讃歌なんだろうって思う。
真剣に好きになる事。その純粋さ。そのひたむきさ。弱さ。かっこ悪さ。好きすぎるからこそ籠ってしまう可能性。それでも好きを肯定する映画なのだろうなあって思う。編集された劇場公開版の映画はそういうスピリットに意味合いを持っていっていたのだ。

で、蛇足といわれた完全版‥‥、こちらはどうなのかというと、この本来もっていた<純粋に好き過ぎるスピリット>にブレーキをかけているのである。きわめて理性的で作り手としては実に理解出来る作りなのだ。過去を好き過ぎてノスタルジアという重力にとらわれて動けなくなってしまうことから無理矢理解放してやる役目こそが、トルナトーレがアルフレードに課した仕事だったのだ。
「おまけは映画オタクになる人ではなく、映画人になる人なんだよ」と無理矢理過去の暖かさを切り取るのである。 けっこう痛い。

私事ながらこんな話がある‥‥、私は中学生の時に買ったシャーペンを高校、大学、そしてアニメーターになった1年目までずっと使っていた。それでないと描けないと思っていた。絶対それでないとダメだと思っていたのだが、そのシャーペンが在る時からなくなってしまった。6年間私の青春を共にしたシャーペンなのだ。ショックはでかかった。もし「あのシャーペンがないからもう描かない」って決意してしまってたら今の私は存在しなかったのだ。
他人からみてれば大した事ではないかもしれないが、私にとっては一代決心だった。「シャーペンなんて他にもあるんだ。あのシャーペンがなくたって‥‥」そう自分に解らせるどれだけエネルギーを使った事か。<好き力>が強すぎる一つの消失から動けなくなるのだ。それからは机の上消しゴムは常に2つ以上。定規も2つ以上持っておく事にした。必要以上に一つの事に好きになることに予防線をはったのかもしれない。私はたぶん‥‥ひとより<好き力>は強いと思う。が、それが暴走し始める、いったん失いでもしたら自分自身を動けなくしてしまうことがある。それを防ぐ処世術を強制的に身につけたのだ。

完全版におけるアルフレードの行動は(トトとエレナをある種の裏切りで引き離したことを含むノスタルジアからの引き離し)、映画の作り手としてはまったもって正しい方向性である。なにも文句がつけようがないほど正しい判断だ。だからこの完全版が存在することにはなんも文句がつけようがない。しかし劇場公開版では、そんな理性的な完全版からこの抑制のがきいたストーリー展開部カットし、<純粋に好き過ぎるスピリット>の映画にしてしまったのだ。
一観客として観るなら、利害抜きで好きになって重力の間に囚われて、それでも好きで没落してもいいじゃない‥‥ってくらいの愛をみたい気がする。それを観られるから見る側としては気持ちよかったりもする。劇場公開版ではそれを編集で実行してしまった。実際この映画ではその生き方をサルバトーレの母が演じている。「いいじゃない、一つの好きににこだわって‥‥、それで社会的に成功しなかったとしても何がいけないの」みたいな一つの<好き>に殉じた生き方。そしてトルナトーレ自身も「それはそれでいいじゃないか‥‥」って描き方をしているように見える。

これが意図的におこなわれたのかどうかは実はかなり疑問である。公開にあたり長過ぎる尺を切るとき「なんでこんなことになるんだ?」って何も考えずに編集する人が切ってしまったとも考えられる。というか、その可能性はかなり高い。
解る人が見れば完全版の意味合いはとても理解できるのだが、感情論でいけば「なんでお前(アルフレード)、そこで伝えない」ってどうしても思ってしまう。実際そう思って正解だとも思うし‥‥。
良くも悪くもいろんな偶然が重なってあれだけ感動する映画になってしまったのだと思う。

これから観る人には、劇場公開版を勧める。とにかく劇場公開版の気持ちよさはミラクルなのだ。歴代の映画でここまでのミラクルはそう出会えない。絶対無敵ミラルク感動ナンバー1である。
それをこなしたあとでどうしても完全版が観たい人はそのあとに観るのがいいと思う。

ただ、私が思うに、この完全版で別の形のストーリーの繋ぎ方があったのでは‥‥?と思う。
物語が始まってアルフレードの死を聞かされ、地元に戻って来てエレナの子供をみて、大人になったエレナを窓越しにみてそこから懐かしい少年時代からの物語に突入。劇場公開版の流れをそのままに、最後にローマに戻って来てからキスシーンをあつめたフィルムをみながら、エレナ(大人)との再会のピソードを断片的にインサート。でひたすら『ニュー・シネマ・パラダイス』愛のテーマをながしまくる‥‥っていうのがよかったのでは???って思う。

あと、どうでもいいことなのだが、大人になったエレナがブリジット・フォッセー(『禁じられた遊び』のあの子だ)なのはちょっとなあ。どうみても、あのエレナが大人になったらシャーロット・ランプリングだろう。

by ssm2438 | 2009-11-19 18:40 | G・トルナトーレ(1956)
2009年 11月 19日

愛と追憶の日々(1983) ☆☆

f0009381_5213991.jpg監督:ジェームズ・L・ブルックス
脚本:ジェームズ・L・ブルックス
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:マイケル・ゴア

出演:デブラ・ウィンガー、シャーリー・マクレーン

        *        *        *

私の大好きなジェームズ・L・ブルックスが監督・脚本をてがけた作品。・・・しかし、なんでこれがアカデミー賞とったのだろう? 1983年アカデミー作品賞、主演女優賞(シャーリー・マクレーン)、助演女優賞(デブラ・ウィンガー)、助演男優賞(ジャック・ニコルソン、ジョン・リスゴー )、監督賞・脚色賞(ジェームズ・L・ブルックス)。・・・・謎だ。 まあ、ジェームス・L・ブルックスなので悪いとは思わんが、全然面白いうちには入らなかった。今見たら違う感想になるのだろうか・・? たぶん違わないとおもう。

実は原題は「TERMS OF ENDEARMENT」なのだが、この訳が難しい。「TERM」っていいうのは、「期間」という意味が普通だが、ここでは「用語」というほうがあっているのかもしれない。オックスフォードの現代英英辞典にはこのような例文がのっている。“Darling” is a term of endearment. (“ダーリン”ってのは親愛をあらわした言葉だ)。

・・・というわけで、この映画のタイトルは、「愛情表現っていうのはこういうもんだ」っていう映画。

なんだか、こんなことを書いてると意外と良い映画におもえてくる、
はは、さすが言葉の魔術師:ジェームズ・L・ブルックス

by ssm2438 | 2009-11-19 04:41 | J・L・ブルックス(1940)
2009年 11月 18日

ユリシーズの瞳(1995) ☆☆

f0009381_6382361.jpg監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス
    トニーノ・グエッラ
    ペトロス・マルカリス
撮影:ジョルゴス・アルヴァニティス
音楽:エレニ・カラインドロウ

出演:ハーヴェイ・カイテル、マヤ・モルゲンステルン

        *        *        *

戦時下の環境で昔の映画を探す・・というシチュエーションはある種サスペンス系の展開でもあり、アンゲロプロスの映画のなかでは比較的楽に最後まで見られた(苦笑)。これは実にめずらしいことだ。それをいうならアンゲロプロスの映画にハーヴェイ・カイテルってのもかなり意外な組み合わせだ。アンゲロプロスの映画で思うのは、トニーノ・グエッラが脚本かいてるほうがいいね。本人が書くと全然ひとりよがりになってつまらないものしかできない。『霧の中の風景』もトニーノが書いていた。

この人の作品は、「無理やりこの作品はいいんだ!」と思い込もうとして見ると、つらい。事実がそうでないのだから意志の力でそう思い込んでもストレスがたまる。「ああ、またつまんない映画をとってるなあ~」ってみるとすこしは楽。「ああ、またおんなじことやってるし~~、今度はレーニンの首が空飛んでるよ~」って。「ああ、またスモークたいて霧の風景にしてるよ~~」とか。・・・しかし、スモークたくのはやっぱりいいんだよね。タルコフスキーもさいげなくスモークたいて霧・モヤを演出するけど、雰囲気出すにはいいんだな、これが。

でも、感情移入できない主人公がほとんどなので面白くない。心の根っこはコミュニストだし、境界線をさだめて自分を封じ込める強者=権力に対してひがみ根性を持っているのも確か。弱者の僻みとか、夢を代弁する、あるいは強者を加害者として描き、彼らを批判して鬱憤晴らしする監督さん。一言で言って、被害者であることに酔って浸って満足している人なので、生産性がまるでない。面白い映画は絶対に撮れない人。
この監督には『評決』のポールニューマンの最終弁論きかせてあげたい。

「自分たちを被害者だと思ったら、そのときから負け犬になってしまう・・」っていうあれ。

自分たちを被害者とみなすことは、加害者のせいで自分が不幸であるってことを肯定することであり、
自分のせいで自分が不幸であるという根源的な問題解決から目をそむける。ゆえにそれが負け犬=ルーザーの出発地点なのだ。この監督は人生やり直すべきだね。

ギリシャでは、しばしば「子供が寝付かないで困るときはアンゲロプロスを見せろ」と言うとか(苦笑)。

<あらすじ>
ギリシャ出身のアメリカの映画監督ハーヴェイ・カイテルは、故郷にもどりマナキス兄弟が未現像のまま遺したという幻の3巻のフィルムを探してバルカン半島をめぐる旅に出る。デモで騒然とする街で彼はかつての恋人らしき女(マヤ・モルゲンステルン)とすれ違う。
旧ユーゴのマケドニアの小都市モナスティルにはマナキス兄弟の博物館がある。彼はそこで職員らしい女(マヤ・モルゲンステルン2号)に会い、幻の3巻のフィルムのことを尋ねるが女は答えない。
巨大なレーニン像を乗せた艀でドナウ河を逆上り、彼の旅は続く。サラエヴォの向かう旅で、再び彼は幻想の中に入り込む。彼は第一次大戦のさなか、ブルガリアの農婦(マヤ・モルゲンステルン3号)の小舟でエブロス川を下って彼女の家に赴く。戦争で家は焼け、女の夫は殺されていた。女は彼を全裸にして夫の服を着せると、彼と儀式のように交わる。
彼は戦火のサラエヴォに着き、映画博物館の館長レヴィ(エルランド・ヨセフソン)の娘ナオミ(マヤ・モルゲンステルン4号) と会う。ヴィは幻のフィルムの現像に着手する。二人はフィルムが乾く間、霧の日だけ戦闘がやむ(どっかで見たシチュエーションだなあ・・はは)サラエヴォの街に散歩に出掛ける。公園で彼はナオミと踊り、ギリシャ語であたかも懐かしい恋人のように語り合う。ところが川辺を散策中、レヴィの家族は兵士に捕えられ、幼い子供たちまで射殺させる。
深い悲しみを胸に彼はひとり映画博物館の跡に戻り、レヴィが現像したフィルムを見はじめる。

しかし・・・なんで女性のひとは一人4役なんでしょう?? むりやり考えればわからなくもないが・・、その必要があったのかどうか・・?

by ssm2438 | 2009-11-18 06:26 | テオ・アンゲロプロス(1935)
2009年 11月 17日

永遠と一日(1998) ☆

f0009381_22242530.jpg監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス
撮影:ジョルゴス・アルヴァニティス
    アンドレアス・シナノス
音楽:エレニ・カラインドロウ

出演:ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー

        *        *        *

やっぱりつまらないテオ・アンゲロプロス。そうはいっても1998年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞している。過大評価しすぎだよ。

この人の映画がつまらないのは、画面からカメラの存在が分ってしまうこと。これは私の本『リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座』のなかでも書いたことなのだが、カメラの存在が分ってしまうと、その段階で脳みそはそれを作為的な画面と認識してしまい。ドラマとしてみられなくなってしまうのだ。我々が映画を見ているときは、それが作り物だと分っていても、もう一方でその物語を誰がつくったわけでもない、実在するドラマであると認識しようと思いながらみている。だから感情移入できるのでだが、アンゲロプロスの画面のようにつねにカメラの存在がフレームのこっち側にあることがわかるような撮り方をされると、それが、映画の一画面ではなく、「映画を撮っているところを撮った画面」のようにみえるのである。

特にテオ・アンゲロプロスの作品は詩的とか情緒性がとても重要な映画なのに、この撮り方で総てをダメにしている。カメラの存在を感じさせることがどれだけ映画にとって悪影響があるか、この映画をみればよくわかるはずだ。世間がどんなに評価しようとも、これが出来れなければ、見ている人は映画を映画として楽しめない。舞台劇を楽しめる人にはいいかもしれないが、映画にする以上は作為性を極力おさえて画面をつくってほしいものだ。

そういう私はこの映画のDVDを買ってしまっている。
ああ、なさけない。こんなん買うんじゃなかった。。。

by ssm2438 | 2009-11-17 22:07 | テオ・アンゲロプロス(1935)
2009年 11月 16日

パンチドランク・ラブ(2002) ☆

f0009381_710916.jpg監督:ポール・トーマス・アンダーソン
脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
撮影:ロバート・エルスウィット
音楽:ジョン・ブライオン

出演
アダム・サンドラー (バリー・イーガン)
エミリー・ワトソン (リナ・レナード)

        *        *        *

私の嫌いなポール・トーマス・アンダーソン、でもたまには見てみようとおもったが・・・やはりダメだった。生理的にあわないな。てことはこれももしやいつものホモパルスがでてるのかも? ま、ホモかどうかはわからないが、こいつは確実に子供の頃はいじめられっこだっただろうなあ。その鬱憤を映画で晴らしているような感じ。でもファンタジーにしか出来ない。このへんはティム・バートンとにてるかもしれないな。
なにもない状態でみるのはちょっと無理があるかな。一応どんな映画かなということを知っておいてからみないと挫折する可能性大な映画。前半からとにかく人をいらつかせる演出の連打。私はこのスタイルで映画をとられるのが大嫌い。『バートン・フィンク』コーエン兄弟なんかもその部類。うっとおしいシーンを飛ばして飛ばしてなんとかおわりまでたどり着いた。・・でも、後半からはそれなりに面白かったかな。

<あらすじ>
精神面に若干(?)の問題をかかえているバリー・イーガン(アダム・サンドラー)は、トイレの詰まりを取るための吸盤棒をホテル向けに販売している。通常世界のなにかにいつも怯えている。この辺は『赤い砂漠』モニカ・ベティににてるかもしれない。しかしそのストレスが頂点に達するとかんしゃくを爆発させてしまう。精神的にかなり子供なのである。
そんな彼に、姉の同僚であるバツイチの女性リナ(エミリー・ワトソン) は、イーガン家のファミリー写真を見てバリーに一目惚れ。彼女はバリーを食事に誘い、女性が苦手な彼をなんとかリードし、キスにいたる。ところがバリーは、自宅に戻ろうとした途端にピックアップ・トラックで拉致される。犯人は、ゆすり屋のディーン(フィリップ・シーモア・ホフマン)の手先だった。バリーは金を渡して勘弁してもらうが、口答えしたことから殴られ泣きながら走って帰る。やがてバリーとリナは愛情を深めていくが、そのことで勇気が湧いたバリーは、ゆすり屋たちに宣戦布告。そしてディーンのところに直接乗り込み、気迫で彼を降参させ、その足で愛するリナを迎えにいくのだった。

by ssm2438 | 2009-11-16 23:09
2009年 11月 16日

デーヴ(1993) ☆☆☆☆

f0009381_7403549.jpg監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ゲイリー・ロス
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:ケヴィン・クライン
    シガーニー・ウィーヴァー

        *        *        *

『ゴーストバスターズ』『夜霧のマンハッタン』など、敷居の高くない楽しい映画をつくるアイバン・ライトマン。そのなかでももっともウィットにとんだ彼の最高傑作はこの映画ではないだろうか。ただ、個人的にはヒロインがシガニー・ウィーバーというのがちょっと・・・。これがアネット・ベニングあたりだったらめちゃめちゃ好きな映画になっていたのに。
脚本は『ビッグ』『シービスケット』ゲイリー・ロス。この人は上手い!この映画、アイヴァン・ライトマンの力もさることながら、ゲイリー・ロスのウィットにとんだ会話が素敵なのだ。

ボルティモアで小さな職業紹介所を経営するデーヴ・コーヴィック(ケビン・クライン)は大統領のそっくりさんということで突然ホワイトハウスに召喚させる。実は大統領、あるホテルでのパーティのあと不倫相手との密会に向かうために人目をはばかってその場を立ち去りたいとかで、デーヴに会場から表のリムジンまでのあいだを替え玉として歩いてほしいというもの。
多少の悪乗りはあったものの、なんなく代役をこなしシークレットサービスにリムジンで家まで送ってもらってると突然引き返すように連絡がはいる。大統領が愛人とエッチの最中に倒れて意識不明の重態になったとかで、しばらくの間大統領の影武者になってほしいと要請される。
しかし、一旦なってみるとその人柄のよさと、手際のよさで大統領の人気はうなぎのぼり。次期大統領の椅子をねらっていた補佐官レクサンダー(フランク・ランジェラ)はおもしろくない。大統領のかつての汚職事件をリークしデーヴの失脚をねらうが・・・。

とにかく楽しいシーンが満載。ショーもないおちゃらけがとてもきもちいがいい。
最初に依頼された影武者の仕事も、無言でパーティにきた参列者の間を笑顔をふりまいて歩きぬけばいいだけなのに、フロアーエンドまでいくと、たまらずひきかえしてきて「頑張って、頑張ってアメーリカ!」と思わず叫んでしまう。つい我慢できずに叫んでしまったとかいうあの軽さ。実にたのしい。あのつかみでこの映画のたのしさがわかる。
予算編成の会議で、前もってずさんな支出をチェックしておいたケヴィン・クラインは、不要な部分をカットして必要な公費にあてていく。おわったあとは出席者から拍手。語り口が上手い!
大統領夫人(シガニー・ウィーバー)と官邸の外に出てしまいうろうろしてると一般人にみつかってしまうが、「実は夫婦のそっくりさんで、芸人としてあまりか全土をまわってるんだ」とごまかすと、「あんたは上手いが、かみさんのほうが、もうちょっと固いな」といわれたりする。実はかみさんは本物で大統領は偽者なのだけど。
ボディガードさんのエピソードもいい。「大統領が狙われたら身をもって守るんだろう。僕が狙われてもまもってくれるか?」の問いには無言のボディーガードさんだが、偽モノ大統領としてアメリカに必要なことをほんとにこないてしまった彼が、地方議員として立候補するとなると「命にかえても君をまもる」とばかりにボディーガードを買って出てる。
総てがいい感じで、実に楽しいポリティカル・コメディだった。

by ssm2438 | 2009-11-16 07:10 | アイバン・ライトマン(1946)