西澤 晋 の 映画日記

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2009年 11月 11日

誰かに見られてる(1987) ☆☆☆

f0009381_254841.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:ハワード・フランクリン
撮影:スティーヴン・ポスター
音楽:マイケル・ケイメン

出演
トム・ベレンジャー (マイク)
ミミ・ロジャース (クレア)
ロレイン・ブラッコ (マイクの妻エリー)

        *        *        *

話は決して派手でもないし、面白いともおもわないのだけど、ミミ・ロジャースが住む高級マンションの内装のゴージャスさがとっても素敵、ガラス、コップ、鏡‥など、演出のことかかないアイテムが一杯のきらきら透明空間。この造形だけでこの映画は満足してしまう。マイナーな映画だが、ビジュアル監督:リドリー・スコットの真骨頂をみせつけた作品として忘れがたい一品だ。

華やかな生活のなかに生きているゴージャスな美人、そんな本来近づくこともなさそうな女が身近にいる世界が突然到来した男は・・・・やはり夢見ちゃいますね。そんなことしてると現実をつきつけられる。結局現実からはのがれられない悲しいサラリーマン男(本作では刑事だが)の人生の一ページですな。
ちなみにその夢のゴージャス美女を演じるのはトム・クルーズの最初の奥さんミミ・ロジャース。実際、決してととのった顔の美人ではないのだけど、なかなかいいムードをもった人なんだよね。

<あらすじ>
ニューヨーク。美術関係のパーティーである殺人を目撃してしまい、犯人から狙われるクレア(ミミ・ロジャース)の護衛につくことになった刑事マイク(トム・ベレンジャー)。彼は、元女性警察官の妻エリー(ロレイン・ブラッコ)と一人息子のトミーと幸せな日々をブルックリンで送っていた。
彼女のマンションへいくと、上流社会の生活を目のあたりにして驚くマイク。そこには今の生活ではありえないゴージャスさがあった。クレアの生活につき合ううちに彼女に惹かれていくマイク。
そとえ出たいというクレアを制するが、行くことをきかないクレアについていくマイク。しかしトイレにたったクレアに犯人がちかより、「自分のことを犯人だと認めたら命はない」とおどす。やがて犯人は捕まるり、クレアは勇気をふるってべンザが真犯人だと指摘するが証拠不十分で彼は釈放されてしまった。
恐怖と不安につつまれるクレア。責任を感じたマイクはクレアの部屋にかけつける。不安のなかで2人はベッドを共にしてしまう。
しかし、妻のエリーは2人の関係にきづいてしまう。ブルックリンの家を去るエミー。そんな中、犯人が殺し屋をさし向けた。マイクは殺し屋を返り討ちにしたもの、犯人はエリーとトミーを人質として捕えてしまう。そして、クレアとの人質交換を要求して来た。警察隊と共に家に急ぐマイク。闇の中の銃撃戦。エリーがこぼれ落ちた拳銃でベンザを撃ち殺す。固く抱き合う親子3人。その様子を見ていたクレアは、静かにその場を去るのだった。

by ssm2438 | 2009-11-11 02:56 | リドリー・スコット(1937)
2009年 11月 11日

ブラック・レイン(1989) ☆☆

f0009381_2174991.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス
撮影:ヤン・デ・ボン
音楽:ハンス・ジマー

出演
マイケル・ダグラス (ニック・コンクリン)
松田優作 (佐藤浩史)
高倉健 (松本正博)
アンディ・ガルシア (チャーリー・ヴィンセント)
ケイト・キャプショー (ジョイス)
若山富三郎 (ヤクザのドン菅井)

        *        *        *

公開当時、思いっきり期待して見に行ったら・・・けっこう期待はずれだった。個人的にはもっと大阪の街を『ブレード・ランナー』みたいにセットでぎんぎん創造してほしかったのに・・・。最後の桑畑?はカリフォルニアだとか。日本とは明らかに空気が違うな。映画を見てるとき「あれ、いつアメリカに帰国したんだ??」って勘違いしてしまった。へたに大阪なんかロケせずに、全部セットでつくってやる!!くらいのガッツをみせてほしかったな。
撮影もヤン・デ・ボンで、分り易い照明はいいんだけど、ちょっと渋みがないというか・・。あと主役のマイケル・ダグラスがどうにも正義の刑事役にはなりづらい気がしていやだ。アンディ・ガルシアもそんなに好きじゃないし・・、高倉健の描写もいまいちなんのウエイトもないし、唯一松田勇作だけがはじけていた。これが遺作になってしまいましたね。

<あらすじ>
ニューヨーク市警のニック・コンクリン部長刑事(マイケル・ダグラス)とチャーリー・ヴィンセント(アンディ・ガルシア)が昼食をとっている時に、そのレストランで、マフィアのボスが日本人の2人組に襲撃される事件に直面した。激しい格闘の末に、その佐藤(松田優作)という男を逮捕したニックとチャーリーは、彼を護送するために日本へと向かう。ところが大阪空港での犯人引き渡しの際に、偽装警察に佐藤を奪回させてしまった。
日本では銃を所持することは禁止され、大阪府警の松本正博警部補 (高倉健)の監視下に置かれるニックとチャーリー。
ニックとチャーリーが捜査をすると、ジョイス(ケイト・キャプショー)というアメリカ人ホステスから、佐藤が大阪の夜の街のボス菅井(若山富三郎)と抗争を続けていたことを知らされる。ところがホテルに帰ろうとする夜、佐藤を始めとするライダーたちに取り囲まれ、チャーリーが切り殺されてしまう。
松本とニックは、大きな製鉄所で佐藤と菅井が対峙している現場にたどりつくが、激しい銃撃戦の末、彼を取り逃してしまう。国外退去を命じられたニックだが監視の目を盗んで飛行機から脱出し、単独で菅井と接触、佐藤が来るという農家に身を潜めて彼を待ち伏せする。松本の援護のもと佐藤を追いつめ、畑での激しい格闘の末、彼を逮捕することに成功するのだった。

by ssm2438 | 2009-11-11 02:19 | リドリー・スコット(1937)
2009年 11月 11日

フラッド(1998) ☆☆

f0009381_16142.jpg監督:ミカエル・サロモン
脚本:グレアム・ヨスト
撮影:ピーター・メンジース・Jr
音楽:クリストファー・ヤング

出演
クリスチャン・スレイター (ガードマン・トム)
モーガン・フリーマン (強盗団のボスジム)

        *        *        *

水没映画の決定版。・・というほどでもないけど、通常生活空間が水浸しになる状況下の描写がうれしい。話自体はどうでもいいんだけど、水没した街が実に良い。・・というほどよくないけど、それなりの参考映画としてはこれしかないので貴重。
水没した街ってのはそれだけで絵になるものだが、この映画では大雨(ハードレイン)で街がひとつ水没、ほとんど腰~胸の高さまで水没してると考えていいだろう。そんな街の中で水上バイクをのりまわしてボートチェイス。学校のなかまで水没してるので、そういう建物のなかも水上バイクではいれてしまう。シチュエーションがとてもドラマチックなのだ。撮影はほとんどセット撮影だと思われるが、かなり水をつかったのだろう、その撮影風景を想像するだけでも楽しい。ただ、シチュエーションに頼りすぎて映画としてはかなりおおざっぱ。

・・・お話は全然おもしろくもない。

<あらすじ>
洪水に襲われたミシシッピ川流域、インディアナ州ハンティングバーグ。町民が脱出し、無人になった町を後にした現金輸送車のガードマンのトム(クリスチャン・スレイター)とチャーリー(エド・アスナー)は川の氾濫で立往生。無線連絡で救助を待つが、やって来たのはジム(モーガン・フリーマン)率いる強盗一味。チャーリーは銃撃戦なのかで撃たれて死んでしまう。のこされたトムは、なんとか現金もちだし脱出、それを墓場に隠して身をひそめるが、強盗団に追われる。強盗団にしてみればトムを見つけないと現金が手に入らない。
折から上流のダムは決壊、大水が押し寄せる中、激闘の末トムは現金を死守する。

by ssm2438 | 2009-11-11 01:08
2009年 11月 10日

フレンチ・コネクション(1971) ☆☆☆☆☆

f0009381_1635794.jpg監督:ウィリアム・フリードキン
脚本:アーネスト・タイディマン
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:ドン・エリス

出演:ジーン・ハックマン
    ロイ・シャイダー

     *     *     *

圧倒的なリアリズム! 先の『ブラック・サンデー』が70年代のテロのクライム・サスペンス最高傑作だとしたら、刑事もののクライム・サスペンスの最高傑作はウィリアム・フリードキン『フレンチ・コネクション』だろう。たぶんこれを越える刑事ドラマは今後も出てこないと思う。とにかく『ブラック・サンデー』以上に徹底的にリアリズムにこだわった作りが画面を圧倒する。文句なしのアカデミー賞受賞作品である(この頃のアカデミー賞は納得出来る選択がなされていた。良い時代だった)。

ともすればすればヘタな演出とは「こう描いておけば‥‥」になりがちなものだ。「こう描いておけば尾行してると見ている人は解釈してくれる」「こう描いておけばエッチしてることになる」「こう描いておけば悲しくて泣いてることになる」‥‥になりがちなのだ。象徴的演出に逃げてしまうのである、というか、具体的に描くだけの技量を持たないとも言えるのだけど。
しかしこのフリードキンはジーン・ハックマンロイ・シャイダーが犯人を尾行するだけで圧倒的なリアリズムを出してくれる。
「尾行ってのはこうやって、こうやって、こうやってこうやるんだ!!」って具体的に執拗なまで提示してくれる。尾行のシーンだけではない。ガサ入れのシーンだって、車での追跡のシーンだって、全てのシーンがこのこれでもか!これでもか!!これでもか!!!を連打するのである。スーパーパワーなんかあり得ない。一人の人間が出来る事をこれでもか!これでもか!!これでもか!!!と連打する。とにかく諦めない。結果が出るまでこれでもか!これでもか!!これでもか!!!を延々続ける。で、結果を出してしまう。演出的なことだけでなく、生き方的にも私の師匠的な映画/映画監督さんである。
フリードキンの<これでもか!これでもか!!これでもか!!!>スピリットは『エクソシスト』でも発揮される。
ともすればオカルトものっていうのは、一つのキーを見つけてそれが悪魔さんに有効でそれを起動させたら全てが解決してしまう‥‥というような終り方をするケースが多いが、フリードキンはそんなことしないのである。悪魔を人間の根性で追い出すのである。ひたすら怨霊退散!の念仏と聖水をふりかけるという作業の延々の繰り返しだけで、悪魔をリンダ・ブレアから力づくで引き剥がすのである。『エクソシスト』が他のオカルト映画と根本的に違うのは人間が力づくで悪魔と闘うところなのだ。

出来る事の積み重ねで結果をだす。根性で積み重ねる。
小さなことをひとつひとつ積み重ねて大きな結果をだす!
これがウィリアム・フリードキンであり、ジョン・フランケンハイマーの映画づくりの基本になっているのだ。だからフランケンハイマーの映画ではとにかく走る。場所移動は走るしかない。ぜいぜい息を切らしながら走る。根性の積み重ねの象徴的な絵作りの一つだ。やがてこの続編『フレンチ・コネクション2』はこのジョン・フランケンハイマーがメガホンを撮ることになる。実に良い選択だ(ただ、出来的にはウィリアム・フリードキンのほうが上だった)。
彼等の描く世界には決してミラクルパワーなどない。根性の積み重ねが全てなのだ。しかし、これは生命力のない人には観るのがつらい映画にもなって来る。映画の中にあるどんなオーディーン(試練)も一つのミラクルパワーで解決されるなら、それはファンタジーなのだ。しかし、彼等のように出来る事を根性で積み重ねていくというのは、在る意味それが現実世界で出来る人にしか受け入れられない要素だったりする。現実世界で根性のない人は、実は根性のある人が頑張り抜いてやりきるよりも、ヘタって挫折するシーンを願っていたりするものなのだ。
この映画のフリードキンが描く根性の執拗性はそれのない人には向かない。かなり嫌悪感を抱く怖い映画なのだ。この映画を好きになれる人は、自分自身を意地で強くしようと努力してる人だけだと思う。
観る人間を選ぶ映画なのだ。


この物語の主人公は通称「ポパイ」と呼ばれるドイル刑事(ジーン・ハックマン)。圧倒的な存在感。強引に根性で成し遂げてしまうタイプ。相棒のラソー刑事(ロイ・シェイダー)は。とにかにこのガサ入れのシーンがとてもリアルで怖い。フリードキンの演出力をまざまざと見せつける。この怖いというのは大人の映画の基本である。お子様はこの怖さに耐えられるようになってやっと大人の仲間入りができるのだ。
そして二人はガサ入れの時に近々でかい取引が在ることを知る。

マルセイユではフランスの実業家シャルニエ(フェルナンド・レイ)がテレビ・スターを使って、アメリカの麻薬ルートとのコネクションを図っていた。アメリカに渡って来たシャルニエ。ドイルとラソーは彼を執拗にマークする。またこの尾行シーンがやたらとリアルなのだ。つねに刑事は二人一組で行動し複数のペアが入れ替わり立ち代わりしながら尾行していく。日本尾緩い刑事ドラマではあり得ないハードボイルドな尾行シーン。これだけでの「おお!」って思わせる。
やがてアンリがはるばるフランスから船で運んできたリンカーン車がニューヨークの港に着いた。数日後、ドイルはビルの屋上から何者かに狙撃された。それは殺し屋のニコリだった。狙撃に失敗したニコリは高架線の地下鉄で逃走を図った。ドイルは手近の車を徴発してニコリを追った。これがかの有名なドイル刑事の高架線激走シーンである。高架線の上と下で、暴走する地下鉄と自動車のすさまじい競走が繰り広げられた。またこれが執拗なのだ。なにがあろうと緩まない。とにかく追いつめる。逃がさない。そして数十分後、他の電車に激突した車両から出てきたニコリの体をドイルの執念の銃弾が貫いた。

やがてアンリはその車を人気のない路地へと運び、そのまま置きさるのである。 ひたすら待つドイルとラソー。数時間まっていると怪しい車が数回そこを通り過ぎる。「あの車さっきも通ったぞ‥‥」、待機する警官たちに緊張が走る。やがてその車が止まり中から一人の黒人が現れる。そしてその車に近づいたところで御召し捕り。
車を押収し解体するがドイルたち。シートを裂き、オイルを抜き、バンパーからなにからパーツはことごとく外されていく。必ず在ると信じ込んでて徹底的に解体する。「きっと自動車泥棒だったんだ。なにも出てきやしない」‥‥お手上げのメカニックたち。
“やばいぞ、もし何も出てこなかったらこの車どうするんだ、責任問題だぞ‥‥?”全員にのしかかる重いムード。「いや、絶対この車だ」と言い張るドイル「だったらお前が勝手にやれ」と突っぱねるメカニックたち。誰もが諦めてもドイルは諦めない。
「この車絶対怪しい!」、一人でもまだ探し始める。
一方ラソーは積み荷の重さを記した書類を目に通している。マルセイユ出荷にの車重とニューヨークでの荷揚げ時の 車重がちがうのだ。数キロ分明らかに増えている。それがヘロインの重さのはずだ。「絶対どこかにある!」と確信したドイルはさらに解体していく。そして見つけてしまうのだった。
この根性ってなにかを成し遂げる人たちには絶対必要なものだ。それをまざまざと感じさせるシーン。熱い!

「おたくの車、路上駐車しましたね。自動車泥棒が盗もうとしていたところを巡回中の警官がみつけて犯人を取り押さえました。気をつけてください」ぴっかぴかな一台として復元されたその車はアンリへと返却された。やがてなにもしらないコネクション一派はその車で取引の場へと向かう。
取引の場は警察官たちに包囲され激しい銃撃戦がはじまる。つぎつぎと射殺される犯人たち。主犯のシャルニエは廃墟に逃げ込んだ。かれを追うドイルとラソー。しかし強引なドイルは誤って仲間刑事を1人射ってしまった。うろたえるラソー。さすがにショックのドイル、でもそこは悪びれてでも追跡を続けるしかない。さすがにここでのドイルの行動はある種の嫌悪感を抱かずにはおられない。というか、ドイルに関してはやはり全編を通じて私でもある種に嫌悪感を抱くのだけどね。

結局最後は主犯格のシャルニエを逃がしてしまい、誤射で警官を一人殺してしまったことの責任をとらされ跳ばされてしまうドイル。さすがにこの終り方はいただけないなあって思うのだが、それまでもドイルの執念に圧倒されてしまう。みているものが嫌悪感をいだくまでのドイルの執念。
良くも悪くも、後味がいかに悪くても、男の映画なのである。

by ssm2438 | 2009-11-10 16:00 | W・フリードキン(1939)
2009年 11月 10日

フレンチ・コネクション2(1975) ☆☆

f0009381_2424859.jpg監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:アレクサンダー・ジェイコブス
    ロバート・ディロン
    ローリー・ディロン
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ドン・エリス

出演
ジーン・ハックマン (ポパイ=ドイル刑事)
フェルナンド・レイ (アラン・シャルニエ)

        *        *        *

ジョン・フランケンハイマーは好きな監督さんのひとりだが、これは断然一作目のほうがいい。ウィリアム・フリードキンの徹底したリアリズムあってのこの作品、おまけにロイ・シャイダーがいないってのはどうもしっくりこない。暴走するポパイ刑事、ちょっと引き気味で、フォローするロイ・シャイダーってのがコンビとしてよかったので、今回みたいにポパイ単体だとどうも味気ない。

今回のエンディングはひたすら走るポパイ。ポパイのキャラといえば、執念でおっかける。前回は高架下のカーチェイスだったが、今回はひたすら走る。公共機関をつかって逃げるシャルニエをひたすら二本の足でおっかける。『太陽に吠えろ!』のようなジーパンのテーマもない。ひたすら息づかいだけ。このひたすら走るポパイをフランケンハイマーは描きたかったのだろうな。

<あらすじ>
ニューヨーク警察の“ポパイ”ことドイル刑事(ジーン・ハックマン)がマルセイユに現れた。目的は、マルセイユ警察のバルテルミー警部(ベルナール・フレッソン)と協力し、ニューヨークで捕り逃がした麻薬密売組織のボス、シャルニエ(フェルナンド・レイ)をとらえ、フレンチ・コネクションを潰すことにあった。
しかし、今回のドイル刑事は敵につかまってしまう。連れて行かれた安ホテルには、シャルニエと第一の子分ジャックがいて、その日からドイルはヘロインを打たれ続けた。3週間たち、完全なヘロイン中毒となったドイル。シャルニエは、ドイルに最後の強い注射をうち警察の前庭に意識を失った彼をほおり投げた。
警察の手当を受けて一命をとりとめたドイルは、隔離された部屋で禁断症状に耐えながら薬を体からぬいていく。体がすっかり元通りになったドイルはマルセイユを歩き廻り、監禁されていたホテルを発見、ガソリンを片手に単身そのホテルに焼き打ちをかけた。飛び出してきた一人の男をとらえたドイルは、徹底的にしめあげ、ヘロインの原料の取引き場所をはかせた。それは巨大な乾ドックの中で行われていた。ドイルはバルテルミーと彼の部下と共に急襲した。しかし、警官の人数があまりにも少なかったために失敗に終わった。
やがてドイルが強制送還される日がきた。だがドイルは、シャルニエをふんずかまえるまでは絶対に帰らないと主張した。ドイルは秘密工場から逃げるシャルニエを追った。トロールバスに乗って何とかかわそうとするシャルニエ、走ってバスを追うドイル。今回のドイルは走る、走る、走る。BGMなどない。ひたすら息づかいだけ。だがある停留所でシャルニエの姿を見失った。ドイルはあきらめなかった。そのとき、一艘のヨットに乗り込もうとしているシャルニエの後姿を発見した。大急ぎで湾の出入口に先廻りしたドイルは、右足首のホルスターから拳銃を抜きとると、甲板に出てきていたシャルニエに照準を合わせた。「シャルニエ!」という声と共にドイルは引金を引いた。シャルニエは体を折るようにして甲板に倒れた。

by ssm2438 | 2009-11-10 02:43 | J・フランケンハイマー(1930)
2009年 11月 09日

料理長(シェフ)殿、ご用心(1978) ☆☆☆

f0009381_4271580.jpg監督:テッド・コッチェフ
脚本:ピーター・ストーン
撮影:ジョン・オルコット
音楽:ヘンリー・マンシーニ

出演
ジョージ・シーガ (ロビー)
ジャクリーン・ビセット (ナターシャ・オブライエン)
ロバート・モーレイ (マックス)

        *        *        *

これは「シェフ殿、ご用心」と読むらしい。なかなか表記がむずかしい。「、」もお忘れなく。でないと出てこないことがある。

私の大好きなテッド・コッチェフの監督作品。私はこれでテッド・コッチェフを好きになりました。後に『ランボー』の監督などをやるテッド・コッチェフですが、もちろん『ランボー』も好きなんだけど、個人的にはこれと『スイッチング・チャンネル』が好きだなあ。このふたつは、とにかく画面のなかのアイテムが多い。この映画は料理場のアイテムの多さがとっても素敵で、そのなかでジャックリーン・ビセットがロマンチックしれてればもうそれだけでうれしくなる。一方『スイッチング・チャンネル』では放送局が舞台なのでかめらやらなにゃら、こちらもアイテム一杯。この画面内にこれでもか、とアイテムをいれるテッド・コッチェフの見せ方が素敵。といってもそれはあくまでケースバイケースで、これと『スイッチング・チェンネル』にかぎったことなのだけど。

それにしてもジャクリーン・ビセット、よいですな。70年代のミューズです。この映画、そんなにいいというわけではないのですが、やっぱり彼女の美しさと、料理場でのエッチのがとてもロマンチック。でも、みえてるわけではないのだけど。

<あらすじ>
マックス(ロバート・モーリー)は食道楽人間。しかし主治医から「減食しなければ、あと半年の生命」と言われ、ショックを受けていた。グルメのための料理雑誌を主宰し、美食家として権威をもつマックスにとって減食は死よりもひどい仕打ち。シェフたちが、芸術ともいえる料理を生み出す限りマックスの生命は縮まるのである。

バッキンガム宮殿の調理場では、グランド・シェフの指揮のもとで、世界一流のシェフたち4人が忙しく働いている。ルイ(ジャン=ピエール・カッッセル)のハトの包み焼き、ロブスター・カルチオフィ風のゾッピ(ステファノ・サタ・フロレス)、プレスド・ダックのムリノー(フィリップ・ノワレ)、そして最後を飾るデザートはナターシャ(ジャクリーン・ビセット)が作る70ポンドもあるボンブ・グラッセ。爆弾という意味のそのアイスクリームのデザートは、最後に火が点けられるというものだ。
ルイとナターシャが女王陛下からお誉めを賜わった日の夜、ルイがオーブンの中で焼かれて死んだ。続いて、ゾッピの死体が、彼のレストランの水槽の中で発見された。そして、ムリノーも、彼のダック・プレス機で頭を砕かれて・・・。次は私の番、とおびえていたナターシャだったが、彼女がテレビの料理ショーでデザートに火を点けようとした寸前に、事情を察知してかけつけたロビーに救われた。そのデザートには本物の爆薬が仕掛けられていたのだった。犯人は、なんとマックスの秘書のビーチャム(マジック・ライアン) であった。彼はマックスの死を防ぐために、最高の4人のシェフの殺人を考えたのだ。

by ssm2438 | 2009-11-09 03:07
2009年 11月 09日

カッコーの巣の上で(1975) ☆☆☆☆

f0009381_237075.jpg監督:ミロス・フォアマン
脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン
撮影:ハスケル・ウェクスラー、ビル・バトラー
音楽:ジャック・ニッチェ

出演
ジャック・ニコルソン (ランドル・P・マクマーフィ)
ルイーズ・フレッチャー (婦長ラチェッド)
ウィル・サンプソン (チーフ)

        *        *        *

1975年のアカデミー賞(作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞、主演女優賞)をとった映画。「管理社会と個人の尊厳」「自分で自分の可能性を封じ込めないこと」「感動とは伝わるということ」・・という、私に好きなテーマがふんだんにもりこまれている。
主演は個人的にあんまり好きではないジャック・ニコルソン。彼の映画の中ではかなり好きな映画。ただ、主人公が犯罪者ってのはイマイチひっかかる。テーマ的にはスタンリー・キューブリック『時計じかけのオンレンジ』と同じものだろう。こういう作り方なら見る気がする。
原作は舞台なのだが、それをミロス・フォアマンが映画化。この監督、この9年後に『アマデウス』で再びオスカーに輝くのですが、時としてガツンは映画を提供してくれます。『ラリー・フリント』もけっこうガツンな映画だった。

<あらすじ>
1963年9月、レゴン州立精神病院。ランドル・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)は刑務所の強制労働を逃れるために気狂いを装ってこの病院に移送されてきた。病院は絶対権をもって君臨する婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)の専制のもとに運営されていた。その管理下の元、患者たちがまるで生気のない無気力人間になってい。
ディスカッション療法の席上、マクマーフィはワールド・シリーズの実況をテレビで見れるよう日課の変更を要求した。ラチェッドは一蹴したが、病院の方針により評決は患者たちの投票に委ねられることになった。賛成投票したのは僅か2人。さらなる患者たちの協力が必要と感じたマクマーフィは患者たちを扇動していく。再投票が行われた。『急性患者』9人全員の賛同を得た。しかしラチェッドらはこの病棟には他に9人の『慢性患者』がいるとの理由で却下した。完全痴呆の慢性患者、その 1人1人を口説いてまわり、やっとチーフと呼ばれるインディアン患者(ウィル・サンプソン)の説得に成功するが要求は時間切れで冷たく拒絶された。

この病棟なかでは、ワールドシリーズを見るということだけでも、ほとんど不可能なことなのだ。それは患者のほとんどが知っている。その不可能と思われることをマクマーフィーはひとつひとつ具現化しようとしていく。この地道な成し遂げ方は、実に私のツボなのだ。

それ以後も、マクマーフィは次々とラチェョドの専制的体制に反抗を続けた。ディスカッション療法のとき、タバコの配給のことから看護人と争った彼は、罰としてチェズウィクやチーフと共に電気ショック療法に送られる。それは治療と言う名の拷問だった。さすがに不安になったマクマーフィをそれまで聾唖だと思われていたチーフが勇気付ける。
2人は秘かに脱出計画を練った。決行日が近づいた。ある晩、マクマーフィは看護人を買収し、キャンディらを引き込み、お別れの乱痴気パーティを開いた。ラチェッドに、全裸でキャンディと寝ているところを目撃され攻められたビリーが自殺する。平静さを装って勤務につく看護婦ラチェッドの冷酷さにマクマーフィの怒りが爆発した。あやうく彼女を締め殺しそうになった彼は病室から連れ去られた再び電気治療が行われた。

f0009381_2395498.jpg数日後、1人ひそかにその帰りを待つチーフのもとへ、植物人間と化したマクマーフィが戻ってきた。マクマーフィをこのままここに置くにしのびないと感じたチーフは、枕を押しつけ彼を窒息死させた。チーフにとってそれが最後のマクマーフィに対する友情の証しだった。

劇中、動きそうもないウォータークーラーを「成せば成る!」とつかんで持ち上げようとするジャック・ニコルソンの描写がある。それをはたでみているはチーフ(ウィル・サンプソン)。結局ニコルソンの力ではどうにも動かなかった。その動かなかったウォータークーラー、ジャック・ニコルソンが廃人となったあと、巨漢のチーフが不可能に挑戦する。そのウォータークーラーで鉄格子もろとも窓をぶち破り、彼はこの収容所を出て行くのだった。
ジャック・ニコルソンの深いなシーンも多いし、ルイーズ・フレッチャーの記号的官僚支配もあざといが、最後、チーフが脱走していくシーンは開放感につつまれる。

by ssm2438 | 2009-11-09 02:44 | H・ウェクスラー(1926)
2009年 11月 08日

テス(1979) ☆☆☆☆☆

f0009381_954890.jpg監督:ロマン・ポランスキー
原作:トーマス・ハーディ
脚本:ジェラール・ブラッシュ
    ロマン・ポランスキー
    ジョン・ブラウンジョン
撮影:ギスラン・クロケ
    ジェフリー・アンスワース
音楽:フィリップ・サルド

出演:ナスターシャ・キンスキー
    ピーター・ファース
    リー・ローソン

        *        *        *

この映画、原作は文豪トーマス・ハーディ『ダーバヴィル家のテス』。フランスのセザール賞は作品賞等、いっぱい取ってます。さすがに文芸大作なのでみてて多少の退屈さはあるのだけど、画面は圧倒的にすばらしい。ロマン・ポランスキーはこの映画ではめずらしく背景をいれこんだ絵作りをしている。ほとんど標準~弱望遠なんじゃないかな。ドラマの背景となる環境をすごくドラマッチックに撮りこんでいて、そのなかで芝居をさせているかんじ。私がこの映画をはじめてみたのは、20年くらい前で、深夜のテレビをつけたらたまたまやってて、そのときなんちゅう高尚な画面の映画だなあってついつい最後までみてしまった。で、あとで調べたら『テス』って映画だった。
撮影のギスラン・クロケジェフリー・アンスワースはどこをどう担当したのか分らないが、二人とも画面の質てきには恐ろしく高尚な人たち。撮影賞の獲得だけなら アカデミー賞撮影賞ゴールデングローブ撮影賞英国アカデミー撮影賞セザール撮影賞ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞ロサンゼルス映画批評家協会撮影賞・・と名だたる映画祭の撮影賞はそうなめ。

ギスラン・クロケをはじめてみたのはこの映画だったかもしれないが、そのごウディ・アレンの『愛と死』をみてるときに「このひと誰だろう、いい画面とるなあ」って感動してあとで名前をしらべてみたら『テス』の撮影監督さんだった。ああ、なるほど、それなら良いわけだ・・って納得したよ。
ジェフリー・アンスワース『2001年宇宙の旅』が一番有名かな。『オリエント急行殺人事件』『キャバレー』『スーパーマン』『遠すぎた橋』『未来惑星ザルドス』など。

<あらすじ>
19世紀の末、イギリスのドーセット地方にある村マーロット。なまけ者の行商人ジョン・ダービフィールド(ジョン・コリン)は、村の牧師からダービフィールド家はノルマンディから渡来した貴族ダーバヴィルの子孫であることを告げた。ジョンからダーバヴィルの子孫であると聞かされた妻(ローズマリー・マーティン)は、早速娘のテス(ナスターシャ・キンスキー)をダーバヴィルの邸に送りこみ、金銭的な援助を受けようと考えた。
家族の為にダーバヴィル家を訪れたテスは、息子アレック(リー・ローソン)に犯せれ彼の情婦になった。両親のもとに戻ったテスは、やがてアレックの子供を産むが、わずか数週間でその子は死んだ。
新しい生活をはじめようと、ある酪農場で働くことにしたテスは牧師の息子エンジェル(ピーター・ファース)に心を惹かれた。彼もテスに恋心を抱き、ある日、彼は正式に結婚を申し込んだ。式を終えハネムーンを過ごすためにやってきた別荘にやってくる。乳白色の湯に手を入れて二人で洗っていると
「どれが自分のてだか分らないな」とエンジェル、

「全部あなたのものよ」とテス。

テスって不運な人生を歩いてきてるけど、自尊心を失わない人。そして潔い人。覚悟を決めたらどこまでも・・の人。魂がとても美しいんだ。

テスはアレックとの過去の一件をエンジェルに告白すると、かれは絶望しテスに別れを告げブラジルの農場に発っていった。絶望にくれるテスは、また農仕事に戻った。そんなある日、アレックがテスを求めてやって来た。彼の申し出を拒むテス。しかしジョンも死に、家賃がはらえず家を追い出され、路頭に迷う家族。テスはアレックのモノになることを受け入れた。
時がたちブラジルから戻ったエンジェルは、テスの居所を探していた。そこでエンジェルが会ったテスは着飾った情婦になりさがっていた。肩を落として立ち去るエンジェル。出発まぎわの列車に乗り込んだエンジェルのまえに姿を現すテス。そのころアレックスの別荘では彼の死体が発見されていた・・・。

とにかくこの映画は美しい。
テスを演じているナスターシャ・キンスキーが美しい。画面が美しい。そしてなによりテスの魂が美しい。

by ssm2438 | 2009-11-08 03:51
2009年 11月 06日

パラドールにかかる月(1988) ☆

f0009381_9232057.jpg監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー/レオン・カペタノス
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:モーリス・ジャール

出演:
リチャード・ドレイファス (ジャック/シムズ大統領)
ソニア・ブラガ (大統領の愛人、マドンナ・メンデス)

       *        *        *

『ハドソン河のモスコー』で個人的には大ヒットをとばしてくれたポール・マザースキー『結婚しない女』『ハリーとトント』など、ウィットに富んだハートフルで、どこかペーソスのある演出は大好きなのです。
『ハドソン河のモスコー』では、いつもサービス精神ありすぎるロビン・ウィリアムズがけっこう抑えた(彼なりの)演技でさほど厚つ苦しさを感じることなる、気持ちよくみられたのです。その再現を期待して、今回のリチャード・ドレイファスも良い感じにしあがってるんじゃないだろうか・・と期待してみたのがこの映画。・・・が、いただけなかった。リチャード・ドレイファスが一人二役をこなしているのだが、この映画ではすべりまくり。

物語のコンセプトはアイヴァン・ライトマン『デーヴ』のような話。
カリブの小国パラドールの独裁者が急死。公になると国家転覆の危機があるため、たまたまロケで訪れていた彼にうりつたつのしょーもない役者が偽物に仕立てられるという話。いきなり国家の頂点にたってしまった彼は、その立場を利用して国家を民衆のものに返還していく・・という話。
お話的にはときめきポイントがおおいタイプの映画ではあるが・・・なんでこの映画はこんなにときめかなかったのでしょう。・・多分リアリティとコメディさのバランスが実によくなかったからなのでしょう。コメディを展開するには、ちょっとそれを取り巻くリアリティがそぐわなかったというべきか・・、やはり独裁者とか、軍事政権とかいうアイテムが入ってくるとどうしても血なまぐささがぬぐいきれない。

大統領の愛人を演じるソニア・デブラは、その前の年にレッドフォードの第二回監督作品『ミラグロ』でヒロインを演じ、ある程度のインパクトがあり、彼女の存在もこの映画も見る気になった理由の一つだった。ラテンの血が入った、アゴがちょっと細くなったシガニー・ウィーヴァーといった感じ。よくみるとバーバラ・バック的な要素もあり、マデリー・ストーン的な要素もある。どこかのパーツがひとつ間違ってればとんでもなく美人系の役者さんだったのだろうが、はやりどこかのバランスが悪いのだろう、印象には残るが、欲望を刺激するにはいたらなかった女優さんであった・・(苦笑)。

<あらすじ>
カリブ海に浮かぶ小国パラドールに、映画の撮影のために来ていた役者ジャック・ノア(リチャード・ドレイファス)は、大統領アルフォンス・シムズ(リチャード・ドレイファス)の前で彼を演じて見せ、その演技を賞賛される。その大統領も、深酒がたたり発作を起こし急死してしまう。政情不安の中、尾の事実が公表されればいつ反乱が起きるわからない。側近のロベルト・ストラウスマン(ラウル・ジュリア)は、ジャックを強引に呼び寄せ彼に大統領を演じさせようとする。
シムズ大統領の愛人、マドンナ・メンデス(ソニア・ブラガ)のことが気になっていたジャックは、ロベルトに言いくるめられこの依頼を受けることになる。

その後はしばらく、素人が最高権力者の座に着いたどたばたが展開される。

演説の準備を始めたジャック。使用人達は彼が替え玉だと気づくが波風立てずに平静を装う。いざ、本番。ジャックは役者魂を発揮し、見事な演説で民衆の心を捉えることに成功する。さらに政府に対して抵抗活動をつづけるゲリラを骨抜きにすることに成功し、彼は国民から絶大な信頼を得て愛される。それから1年、大統領を演じ続けたジャックはカーニバルの会場で銃撃されて命を落とす。・・・・が、それはジャックとマドンナの芝居で、ジャックはマドンナに別れを告げ国外に脱出する。
ニューヨークに戻ったジャックは、パラドールのニュースをテレビで見て、マドンナが大統領になったことを知る。

by ssm2438 | 2009-11-06 09:24
2009年 11月 06日

ア・マン・イン・ラブ (1987) ☆☆

f0009381_71598.jpg監督:ディアーヌ・キュリス
脚本:ディアーヌ・キュリス、オリヴィエ・シャッキ
撮影:ベルナール・ジツェルマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演
グレタ・スカッキ (ジェーン・スタイナー)
ピーター・コヨーテ (スティーヴ・エリオット)
クラウディア・カルディナーレ (ジェーンの母)
ジェイミー・リー・カーティス (スティーヴの妻)

        *        *        *

出ている役者人はけっこう人気者。でもお話はほとんどありきたり。もりあがるわけでもなく、もりさがるわけでもなく・・たんたんと。グレタ・スカッキのヌードがみられるというだけの映画のようなきがする。

新進女優ジェーン・スタイナー(グレタ・スカッキ)は、50年代初期のイタリアの詩人パヴェーゼの生涯を描く映画で、彼の最後の愛人ガブリエラの役を得る。主演はアメリカ人俳優スティーヴ・エリオット(ピーター・コヨーテ) 。二人は映画の二人さらがらに恋愛関係になる。やがて出番を終えたジェーンがパリに帰る。そんなスティーヴのもとにニューヨークからやってきた妻スーザン(ジェイミー・リー・カーティス)や子供たちがやってくる。しかし心を満たされないスティーヴは、ジェーンをもとめてパリに行く。そしてローマとパリの間を往復する二人の秘かな愛の逢瀬が始まるのだった。ジェーンは罪の意識を感じつつも、抵抗しがたい恋愛に身を焦がす。悩めるジェーンをいつも励まし支えてきた母ジュリア(クラウディア・カルディナーレ)が病に倒れ、息を引きとったのはそんなある日のことだった。スティーヴの胸で思いきり泣きじゃくるジェーン。翌朝、スティーヴは妻のいるニューヨークへと発ってゆく。

by ssm2438 | 2009-11-06 06:28