西澤 晋 の 映画日記

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2009年 12月 17日

旅芸人の記録(1975) ☆

f0009381_1272933.jpg監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:ルキアノス・キライドニス

出演:エヴァ・コタマニドゥ、ペトロス・ザルカディス

        *        *        *

1979年キネマ旬報ベスト1に輝いたのがこの作品。

映画には、死ぬほどつまらないのに、見終わったあとは「この映画いい!」といわなければならない強迫観念におそわれる映画がある。その症状はタルコフスキー症候群とか、アンゲロプロス症候群と呼ばれる。自己の価値観が確立されてないスノビッシュ層がかかりやすい精神疾患だ。

有名なテオ・アンゲロプソスなので一度は見ておこうとおもってみたのが20代の後半。しんどかった。おねーちゃんが5人の男に犯されているところかしか記憶にない。手と足を4人の男がそれぞれ押さえつけ、残りの一人が犯しているのである。実に象徴的な絵だったが、それ以外はひたすらつまらないということしか覚えていない。

by ssm2438 | 2009-12-17 01:30 | テオ・アンゲロプロス(1935)
2009年 12月 17日

霧の中の風景(1988) ☆☆☆☆☆

f0009381_3453031.jpg監督:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス
    トニーノ・グエッラ
    タナシス・ヴァルニティノス
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:エレニ・カラインドロウ

出演:タニア・パライオログウ、ミカリス・ゼーナ

        *        *        *

アンゲロプロスのなかでは一番好き。というか唯一好き。

「絶望=死に至る病」と表したキェルケゴールだが、反転すれば、「希望だげあれば人は生きられる」・・ということになる。本編は、ドイツにいるということになっている父をもとめてギリシャからドイツに旅する12歳と5歳の姉弟のロードムービーの形をとっている。これは夢をもった旅ではない。その父というのも、どうやら母がかってに創造した人物のようだ。しかし、とりあえず母からその事実を聞き出さないでおけば、それは可能性としてのこされる。そして二人の子供は、家を出る。彼らは絶望したくないから、ありもしないが、否定されてもいない可能性をよりどころにして彼らが所属する世界から逃避したのである。

しかし、この物語では、ギリシャの国境のむこうはドイツという設定になっているらしい。当時みたパンフレットにそう書いてあった。おかげで見てる間は・・ん?みたいな印象をぬぐいきれなかったのも事実だが、ドラマとしては実に切実で、必死で、病んでて、美しい。

<あらすじ>
アテネに住む12歳の少女ヴォーラ(タニア・パライオログウ)と5歳の弟アレクサンドロス(ミカリス・ゼーケ)は、母から「父はドイツにいる」と聞かされていた。そんなヴォーラは毎日のようにアテネの駅にいっては、その列車に駆け込む自分をゆめみていたが、実際できるものではない。しかし、その日は乗り込んでしまった。切符はもっていない。デッキで身を寄せて眠る二人は車掌にみつかり途中の駅で降ろされる。
ヴォーラは駅長に「伯父さんに会いにいくのだ」話す。ふたりをつれて警察が伯父の勤める工場をたずねる「ふたりは私生児で父はいない」と語る伯父の話を立ち聞きしたヴォーラはショックをうける。

f0009381_3465537.jpgそして警察署に連れていふたりだが、ギリシャではめずらしい雪が降り始める。警官や人々はそとにでて、まるで時間がとまったように雪をながめる。ギリシャの町に降る雪。人々がただそらを仰いでいる。そんな風景のなか、二人は警察署から逃げ出し、旅を続ける。この監督さん、とっつきづらい印象があるが、実はこいうい現実をつかったファンタジーの描き方が実に上手いのである。

山道をあるいていると旅芸人を送迎するバスが通りかかり、それに乗せてもらう。街に着き、旅芸人たちと合流、運転手のお兄さんもなにかの用事で出て行く。ヴォーラは疲れ果てて眠っている。アレクサンドロスは時間をもてあまし、バスをおりてあたりを検索しにいく。眼が覚め、弟のいないことにきづいたヴォーラは彼をさがしにでる。パン屋に入り、サンドイッチがほしいといいます。店のオヤジにお金はと言われても、「お金はないけど、お腹が空いた」パン屋のオヤジは、お金がないなら稼げと食卓の上の瓶を片付けろという。

f0009381_3524183.jpgしばしその旅芸人たちと一緒に時間をすごすヴォーラとアレクサンドロス。送迎バスの運転手オレステスとあるいていると道に落ちていたフィルムの欠片を拾う。街灯に照らしてみると霧の向こうに樹が一本あるようにもも見えなくはない。弟はそれをもらう。
旅芸人たちと別れた2人は再び歩きだす。もう歩けないという弟の言葉にしかたなくヒッチハイク。一台のトラックがとまり、二人はのせてもらう。朝方、アレクサンドロスが眠っていると、オヤジはトラックを止め、ヴォーラを荷台に呼ぶ。その暗闇の中でレイプされるヴォーラ。ことが終わると彼女は無感動に血のついた手を眺めている。

再びあの青年に会うヴォーラ(この映画のなかではオレステスが都合よくあらわれる・・はは)。浜辺の店で音楽を聴いて休みながら、青年は姉に踊ろうという。二人は立ち上がって向かい合い、そろりそろりと共に歩くのですが、姉はその場を走り出してしまう。3人は宿に泊まり、姉が夜中起き出して、青年のベッドに行くとそこには誰もいない。やがて朝になり、青年は防波堤にすわっていると、海の中から静かに巨大な石像の手が浮かび上がってくる。石像の手はヘリコプターに吊られて運ばれていく。
夜、オレステスと姉弟はバーにはいってく。待っているように言われたヴォーラだが、それでもオレステスを探しにいくと、青年はそこで会った男と2人で出て行ってしまうんです。彼はホモだったのだ。
おいかけてきたオレステスと別れたヴォーラは弟と一緒にドイツをめざして歩いていく。人のよさそうな国境警備隊の兵士を誘い切符代を稼ごうとするが、やりきれない彼は彼女を抱くこともなく、金を投げ捨てるようにあたえて去っていく。
旅券がないので夜、川べりで監視の目を盗んでボートに乗る。彼らに向けて放たれる一発の銃声。翌朝、霧がはれていくと、ふたりの前に緑の草原と一本の木がみえてくるのであった。

さて問題です。
最後ふたりは生きているのでしょうか? それとも死んでいるのでしょうか?

by ssm2438 | 2009-12-17 00:31 | テオ・アンゲロプロス(1935)
2009年 12月 15日

ブルースチール(1990) ☆☆☆

f0009381_17163271.jpg監督:キャスリン・ビグロー
脚本:キャスリン・ビグロー、エリック・レッド
撮影:アミール・モクリ
音楽:ブラッド・フィーデル

出演:ジェイミー・リー・カーティス、ロン・シルヴァー

        *        *        *

この映画、女性監督とは思えないがつんで執拗な情念のアクション映画。キャスリン・ビグローの名を世に知らしめた映画。そしてこの映画で描かれる銃が実に色っぽくバイオレント。物語の凶暴さと愛欲が銃を通してえがかれているような映画。だいたいこの映画の適役は、自分を追ってくる女性警官を犯したいと思ってるある種の異常者。警官にしてみれば探さなくてもいいのだから都合がいっていえばいいが、襲われる対象になっているのだから抜き差しならないサスペンスが展開。

その画面をとったのが、最近だと『コヨーテ・アグリー』が有名なアミール・モクリ。この人の画面はハイセンスでいいですね。でも、画面的にはこの『ブルースチール』のほうがいい。冷たく光るS&W38口径リボルバー、黒の移りこみ、グリースなつやっぽさ・・。

<あらすじ>
ニューヨーク・ポリス・アカデミーを卒業、夢だった警官になったメーガン・ターナー(ジェイミー・リー・カーティス)は、パトロール中にスーパーマーケットの押し入り強盗を目撃し、彼女は犯人を射殺する。その強盗反が打たれたときに銃を落とすが、その現場にたまたま居合わせ、床に伏せていたユージン・ハント(ロン・シルヴァー)が懐にいれてしまう。
その現場から犯人の銃が発見されず、はっきりとした証言も得られなかったことにより、メーガンは過剰防衛の疑いがかけられ停職処分をうけてしまう。

その事件以降、深夜無差別殺人がおきるようになる。殺人課のニック刑事の監視のもと、混乱の日々を過ごすメーガンは、ある雨の日ユージンと出会う。ユージンの正体を知らないメーガンはやがて彼と恋におちるが、ある夜ユージンから自分が犯人であることを告白されたメーガンは、彼を逮捕することを決意。しかし強力な弁護士がつき、確実な証拠もつかめないままメーガンが手をこまねいているうちに、ユージンは彼女の親友のトレーシーを射殺し、ニックも彼の銃弾に倒れた。そしてひとりユージンに立ち向かう決意をしたメーガンは、凄まじい逃走と追跡の果てに、命からがらユージンを射殺するのだった。

by ssm2438 | 2009-12-15 17:19
2009年 12月 13日

素晴らしき哉、人生!(1946) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_3101155.jpg監督:フランク・キャプラ
脚本:フランセス・グッドリッチ
    アルバート・ハケット
    フランク・キャプラ
撮影:ジョセフ・ウォーカー
    ジョセフ・バイロック
音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演
ジェームズ・スチュワート (ジョージ・ベイリイ)
ドナ・リード (メリイ)
ライオネル・バリモア (銀行家のポッター)

        *        *        *

いかに夢想家の夢といわれようとも、いかに理想主義といわれようとも、いかに白人しかでない映画といわれようとも、この映画はやっぱり好きだ。この映画のすばらしいところは、絶対的に自分肯定思想の映画だということ。

ミスター・アメリカの良心=ジェームス・スチュアートここにあり! 善良な映画としては永遠のナンバーワンではなかろうか。これぞフランク・キャプラの真骨頂。
心がささくれ立ってる人は、ぜひともクリスマスにこの映画をみよう!!!
なお、心がささくれ立ってない人は、『群衆』のほうがいいかも。

しかし、この映画が公開された当時は、批評家からは「センチメンタルすぎる」との評価を受け、興業的にも52万5千ドルもの赤字を出して散々な結果に終わった。第19回アカデミー賞では作品、主演男優、監督、編集、録音賞の5部門にノミネートされたが無冠。しかし、時がたつにつれてこの作品の持つ素晴らしさ、親しみやすさが再認識され、アメリカ映画の傑作の一本に数えられるようになり、70年代頃からアメリカではクリスマス映画の定番となった。

<あらすじ>
雪の降るクリスマスの夜、事業に失敗、多額の借金をかかえたジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)は橋のうえにたち、自殺しようと考えていた。

子供の頃、凍った池で溺れ、方耳の聴力を失ったベイリイは、いつかはベタフォードの町を出でて世界一周をしたいと思っていた。彼の父は住宅金融会社を経営し、町の貧しい人々に低利で住宅を提供して尊敬を集めていたが、町のボス、銀行家のポッター(ライオネル・バリモア)はこれを目の仇にして事毎に圧迫を加えた。大都会のカレッジを卒業したジョージはいよいよ海外を見て回りたい思っていたが、父が過労のため世を去り、株主会議で後継社長に推され、承諾せねばならぬ羽目となってしまう。
海外旅行もおあずけ。弟が大学を卒業したら会社を譲ることにしていたが、大学を卒業した弟は大工場主の娘と結婚、その工場を継ぐことになっていた。再びジョージの夢は全く破れ去った。
やがてジョージは幼馴染みのメリイ(ドナ・リード)と結婚した。そして新婚旅行に出発しようとした時、経済恐慌のため、ジョージは旅費として持っていた5000ドルを貧しい預金者たちに払い戻してやり、急場をしのいだ。
新婚旅行は出来なくなったが、2人は幸福な結婚生活に入り、次々と4人の子供に恵まれた。住宅会社の業績も着々と上り、それに恐れをなしたポッターはジョージ懐柔策に出たが、彼は断固拒絶した。第2次大戦が起こり、海軍飛行将校として従軍したジョージの弟は、殊勲をたてて大統領に表彰された。しかし、ささいなミスから会社の金8000ドルが紛失してしまう。実はその金はポッターの手に入ったのだが、彼はそれを秘してジョージを苦しめ脅迫さえした。

絶望したジョージは橋の上から身投げしようとした。と、それより一瞬早く奇妙な老人が彼のそばで身投げした。ジョージは夢中になってその老人を救った。老人はクラレンスといい、自分は2級天使で翼をもらうためジョージを救ったのだと語った。自棄になったジョージが、この世に生まれなければ良かったと洩らすと、クラレンスは彼を望みどおりジョージの生まれて来なかった世界にをかいまみさせる。そこでは、今幸せな人たちが不幸のどん底にあえいだいた。
今、ジージは8000ドルを失って自殺しようとしているジョージが存在したからこそ、他の人たちがこれだけ幸せなのである。再び現実に戻ったジョージは、クリスマス・イヴの祝いを待つ我が家に駆けもどった。あれほどジョージをいらだたせた子供たちも可愛くて仕方がない。いつも取れてしまう階段の手すりも愛らしい。警察がきてジョージを横領の罪で逮捕しようとするが、それさえも大したことではないように思えた。そんなジョージのもとにそれまでのジョージの良心をうけた人々かあつまってきて・・・

怒涛のハッピーエンド。あふれる感動幸せ感。
まさに「古き良きアメリカ」映画の傑作だ!

by ssm2438 | 2009-12-13 03:13 | フランク・キャプラ(1897)
2009年 12月 13日

失はれた地平線(1937) ☆

f0009381_218272.jpg監督:フランク・キャプラ
脚本:ロバート・リスキン
撮影:ジョセフ・ウォーカー
音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:
ロナルド・コールマン (ロバート・コンウェイ)
ジェーン・ワイアット (サンドラ)
H・B・ワーナー (チャン)
ジョン・ハワード (ジョージ・コンウェイ)

        *        *        *

心地よい理想主義の映画をとりつづけたフランク・キャプラだが、時としてはずれもある。そのなかのいただけない一品。現実逃避ははなはだしく、ここまで夢想的だとあんまり好意的な見方は出来ない。

実在の冒険家ジョージ・リー・マロイに触発されたジェームズ・ヒルトンが6週間で書き上げた冒険小説『失はれた地平線』を気に入ったキャプラが映画化権の獲得。コロンビア映画は、ヒルトンの描く思想郷シャングリラを具現化するために、当時のスタジオが一年に使用する予算の半分である250万ドルもの予算をつぎ込んだといわれる。映画は批評家からは高い評価を得て、観客からも気に入られるが、映画の制作費が高かったために、初公開時には利益を生み出すことは出来なかった。

<あらすじ>
中国奥地の小都バスクルに駐在している英国領事ロバート・コンウェイ(ロナルド・コールマン)は、弟ジョージ(ジョン・ハワード)、化石学者ラヴェット、詐欺師バーナード、娼婦グローリアと香港にむけて飛び立つが、、チベットの奥地で不時着し、操縦士は死んだ。愕然とするコンウェイ等を原住民の一隊が迎えに来た。その頭目らしい中国人は英語をよくする老人で、一同をシャングリ・ラと呼ばれる楽園へ案内した。そこは高い山に囲まれた四時温暖の楽土で、地味豊かに、金銀を産し、約二千の住民は生存の闘争も無く、罪悪も疫病もなく、平和に楽しく暮らしていた。

この理想郷シャングリ・ラの統治者は大僧正と呼ばれる高徳の老人であった。大僧正は約二百年の昔ここに来たベルギー人の僧侶であり、いまだに健在だった。シャングリ・ラの楽土的な気候は人に長寿を与えるが、不死身ではない。やがて死期近きを知っった大僧正は後継者としてコンウェイを迎え大往生を遂げた。
ところが彼の弟ジョージはこの理想郷を嫌い、一日も早くロンドンへ帰ることを願っていた。そして彼に恋したロシア娘マリヤも彼と共にシャングリ・ラを脱出したがった。コンウェイはマリヤが二十数歳にしか見えないが実は七十幾歳であることを執事のチャン(H・B・ワーナー)に教えられていた。ジョージとマリヤだけを生かすわけにはいかないとロバートもシャングリ・ラをあとにした。ところがシャングリラを出ると吹雪に襲われ、マリヤは醜い老婆となって息絶えた。愛人の死にざまに半狂乱となったジョージは絶壁から墜落して死んでしまう。
ロバート・コンウェイは困難な旅を経て、蒙古に辿り着き、上海へ送られて、英国へ送還されることとなったがシャングリ・ラのことが忘れられず、再び理想郷に還っていくのであった。

参考までに・・、
1973年にリメイクされ『失われた地平線』というタイトルで公開された。
どちらかというと、こちらのほうが評判はよいみたいだ。
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by ssm2438 | 2009-12-13 02:19 | フランク・キャプラ(1897)
2009年 12月 11日

マイ・ライフ(1993) ☆☆

f0009381_524423.jpg監督:ブルース・ジョエル・ルービン
脚本:ブルース・ジョエル・ルービン
撮影:ピーター・ジェームズ
音楽:ジョン・バリー

出演:マイケル・キートン、ニコール・キッドマン

        *        *        *

知る人ぞ知るブルース・ジョエル・ルービンの・・・、なんと監督作品! あとにも先にもこれしか監督作品はないんじゃなかろうか!?
死の伝道師ブルース・ジョエル・ルービン。近年では『きみがぼくを見つけた日』、古くは『ディープ・インパクト』、『ゴースト/ニューヨークの幻』、『ジェイコブス・ラダー』、『デッドリー・フレンド』、『ブレインストーム』と常に正面から『死』というものを見すえ、逃げずにこのテーマにむきあっている脚本家。大好きですね。
そのルービンが唯一監督までやってしまったのがこれ、『マイライフ』。監督がみつからなかったのか、想い入れが強かったのか・・、きっと監督がみつからなくて、自分で撮ることにしたのだろうと思う。
すさまじく等身大の映画だ。

<あらすじ>
末期がんで余命いくばくもないとわかったボブ(マイケル・キートン)はまだ見ぬ、そして自分の死後にうまれてくるだろう男の子のために自分はこんな人間だったのだ、こんなメッセージがある、こんなことを考えている・・っていうビデオを残すことをおもいつく。車のバッテリーがあがったときにはどうするとか、ひげをそる時にはこうするとか・・、そんないっけんくだらなそうなことを説明する自分を記録していく。
妻(二コール・キッドマン)を伴って故郷に向かったボブは少年時代の思い出の場所を歩き、過去を追想する。両親は仕事一辺倒で、家族の愛を感じたことはなかった。両親との再会も口論に終わるが、「生まれてくる子には、二の舞を演じさせるな」と語る。死の恐怖を克服するために、少年時代から恐怖の的だったジェットコースターに挑戦する。病状は進行し、ボブは死の床を迎える。ボブは、家の中庭に本物のサーカスが来ているのを見る。幼いころサーカスを見せてくれなかった両親が、ついに願いをかなえてくれたのだ。静かに目を閉じるボブ。彼岸へのジェットコースターに乗り込んだ彼は、神秘的な光の世界へ旅立った。

by ssm2438 | 2009-12-11 05:21
2009年 12月 11日

ガン・ホー(1986) ☆☆☆☆

f0009381_4501622.jpg監督:ロン・ハワード
脚本:ローウェル・ガンツ、ババルー・マンデル
撮影:ドン・ピーターマン
音楽:トーマス・ニューマン

出演
マイケル・キートン (ハンク・スティーブンソン)
ゲディ・ワタナベ (高原カズヒロ)
ミミ・ロジャース (ハンクの恋人・オードリー)
山村聡 (アッサン自動車重役・坂本)

        *        *        *

変な日本人は出て来ようとも、この映画は燃える!! 私は大好きだ。ロン・ハワードの映画のなかでは一番好きだと言っていい。

この映画は80年代の日本のバブル期、日本の自動車産業が景気がよく、アメリカの自動車産業を圧迫していた時代、文化面での日米摩擦をとりあげた作品。当時の日本の自動車産業などは、日本の生産力は、企業トップの力ではなく、現場の人たちの忍耐強いロイヤリティから発生したものだ・・とよく言われていた。
GMなども、結局労働組合の力が強く、車一台あたりに、労働者に払う医療保険やそのたもろもろなどが膨大に含まれており、それらを足して車の販売価格にすると、とても販売価格では日本車には対抗できなかった。その結果、大型車ばかりを作るしかなく、燃費の良さや庶民性とはかけ離れたもの作りづづけ、その結果終に倒産してしまった。
そんなアメリカの個人主義をちょっと見直そうよ・・っていうささやかな自己批判が組み込まれた、良質のコメディ映画。日本文化の群衆的行動力描写はかなりあざといが、見終わったとは実に爽快になれるハート・ウォ-ミングな映画だ。

撮影はドン・ピーターマンエイドリアン・ライン『フラッシュダンス』や、ジョン・バダム『アメリカン・フライヤーズ』の撮影監督だ。この人の画面は透明感があり、じつにさわやかに美しい。他にも『スプラッシュ』『コクーン』『ハートブルー』などがある。

<あらすじ>
80年代のアメリカの田舎町。住民の雇用を支えていた自動車工場が閉鎖され、街は活気をうしなっていた。そんな街を救うべく、ハンク(マイケル・キートン)は、日本の自動車メーカー“アッサン自動車”の工場を地元に誘致するためにはるばる日本にやってきた。言語・文化の違う“異国”に悪戦苦闘しながら、アッサン自動車の本社ビルを探すが、その分室にたどりついてしまう。そこでは、幹部候補生への厳しい就業訓練がおこなわれていた。その中に高原カズヒロ(ゲディ・ワタナベ)もいた。
なんとか本社へ辿り着いたハンクを迎えたのは、無表情に顔を並べるアッサン自動車重役たちだった。ジョークを言っても反応はゼロ、そのなかでなんとか街のPRをするが、反応はゼロ。肩をおとして帰国するハンクであった。
誘致作戦は完全なる失敗と思っていた矢先、アッサン自動車の日本人社員らよこしてきた。町の人々はそんなアッサン自動車の社員たちを熱烈に歓迎する。そのなかには日本でみた高原カズヒロもいた。高原らの家族をのせた「圧惨自動車」のロゴのはいった自家用ジェット機が空港につくとそこにはレッド・カーペットがひかれていた。戸惑うカズヒロたちは、靴を脱いでそのカーペットの上をあるいていくと、現地の市長たちも、なんとか面子をたてるために靴を脱いで絨毯の上を歩いていき握手をする。

他にも、就業まえに会社幹部たちがみんなで寒中水泳したり、労働者全員でラジオ体操、役員たちの奥さんは家ではまるで『赤ひげ』にでてきそうな浴衣を着ていたり・・とか、まあ、ありえない日本文化描写は数知れず。・・・しかし、ここは眼をつぶろう!

アッサン自動車の幹部室へ訪れたハンクは、カズヒロからアメリカ人労働者の雇用責任者兼現場監督へ任命される。ハンクは突然の大抜擢に大喜びする。しかし、アメリカの個人主義と、日本の会社への忠誠心思想がぶつかり合い、会社幹部と地元労働者との関係は悪化するばかり。最終的に、日本での一月の生産台数記録1万5千台を製造すれば、以前と同じだけの賃金を払う、しかしそれ以下なら昇給はなし・・という条件で話をつける、ハンクとカズヒロ。
その話を労働組合の会合でするハンクだが、月産1万3千台の彼らにはその数字は重すぎた。1万4千台でも少しは昇給はあるんだろう・・の問いに「うん」と言ってしまうハンク。しかし、「1万5千台以下なら昇給はなし」という事実が労働者にばれてしまう。それを知った地元労働者たちはストに入り、それに対抗して会社側はこの街からの撤退をきめてしまった。独立記念日の祭りの日、「この街を殺した男」として壇上に上げられたハンクは
「みんなが聞きたいのは『我々が世界で一番だ!』ってことだろう」と聞く。
「おおおおおおおおお!」と沸くみんな。
「でも、今、我々は圧されてる。我々の持っているガッツは世界一だと思っていた。でも彼らも持っているんだ! 今、取り戻さないと我々はダメになる。彼らに1万5千台作れるなら、我々にも作れると思った・・・なのに俺は・・・」
そんなことだとは知らずに自分たちはストをし、せっかく誘致した工場を撤退させてしまったのか・・と絶望し、立ち去っていく街の人たち。ハンクの車には馬のクソが詰め込まれて帰れない。そんなハンクに「あなたのスピーチは立派だったわ」となぐさめるオードリー(ミミ・ロジャース)。早朝、同じように絶望と後悔を感じているカズヒロを眼にする。

そしてハンクとカズヒロは工場にあらわれる。周りには仕事を放棄した労働者たちがたむろしていた。
「なにをする気だ?」
「あと1日ある。これから二人で1千台作るんだ」
そんなふたりを怪訝そうに見送る労働者たちだが、4時間をかけて二人は車を一台つくりあげてしまう。
「何時間かかった? 15分か?」
「4時間だ」
「ふん、あと999台か、さ、次だ!次!」
それをみている労働者たちも心を揺さぶられはじめる。
「あいつら何してるんだ?」 「ああやってれば、俺たちが仕事するかもっておもってるんじゃないのか?」 「なんのために・・?」 「・・・・彼らは、町を救おうとしているんだ」
みんなが工場に流れ込んでくる。財務整理をしていた日本人幹部たちも現場にでてくる。禁止されていた音楽も流れてくる。地元の労働者も、日本人の幹部たちも、みんなが怒涛の勢いで車をつくりはじめる。
「あと20時間もある。たかが999台、その気になりゃあ作れるさ!」


だああああああああああああああ!!!!である。このノリノリ生産力の爆発は実にきもちがいい。
まるでアニメ業界の作品納品まえの最後の1日を見ているようである。リテークあと〇〇カット、あと1日ありりゃ直せるさ!・・みたいな。

異文化交流モノはスピルバーグの『未知との遭遇』もいいだろう。下に紹介した『迷子の警察音楽隊』もいい。しかしこの『ガン・ホー』それ以上の感動をあたえてくれる。
・・・どんなに世間がけなそうとも、私の中では大傑作である!!

by ssm2438 | 2009-12-11 04:43
2009年 12月 11日

迷子の警察音楽隊(2007) ☆☆☆

f0009381_110938.jpg督:エラン・コリリン
脚本:エラン・コリリン
撮影:シャイ・ゴールドマン
音楽:ハビブ・シェハーデ・ハンナ

出演
サッソン・ガーベイ (隊長トゥフィーク)
ロニ・エルカベッツ (マダム・ディナ)
サーレフ・バクリ (楽団員カーレド)

        *        *        *

エンディングで語りますね~~~。なにもなような話なんですが、エンディングで総ての思いを開放してるような、本来あるべきエンディングのあり方を再認識させられた映画。

イスラエルの映画なので、映画的にはとても出来が良い。カメラも選択も適切でみていてとてもなじんでくる。
これが、映画をしらない世界の国の映画だと、アホなアニメーター以上にあほなレンズ選択になっているのでそれだけ見る気がなくなることもあるが、このイスラエル映画は実にはまっていてみごここちがいい。

この映画は、平和交流の一環としてイスラエルに招かれた、エジプトの警察音楽隊が、迎えのバスがこないことから自力でそのコンサート会場まで行こうとした結果、迷子になり、食事によったレストランの主人とその客の家に別れて泊まる事になる。その一晩の出来事をさりげなくさらりと描いている映画。
イスラエルとエジプトは、イスラエル建国以来中東戦争してる関係であり、ま、そのなかでもエジプトはまだ穏健派ではあるが、ま、いごこちはよくないだろうな。
そんななかで、くしくもエジプト人と一晩を過ごすことになったイスラエル人の<沈黙が怖い>シチュエーションでのなんとか友好的に間を持たせようとする努力が、実にこれわかるわかる状態。英会話学校で飲み会があり、みなさん日本語で話してるなかで、日本語がまだわからない外国人教師になんとなく気を使い、何とか淋しい思いをさせないように努力していた時間を思い出した。

ほとんど権威のない東京国際映画祭2007年グンランプリ受賞作品。悪くない選択だと思う。

<あらすじ>
水色の制服に身を包み、イスラエルの空港に降り立ったエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊。イスラエルに新しくできたアラブ文化センターでの演奏を頼まれてやってきたのだが、空港に彼らを出迎えに来ている人は誰もいなかった。仕方なく団長トゥフィーク(サッソン・ガーベイ)は、公共機関のバスを使って目的地へ行こうと、若手団員カーレド(サーレフ・バクリ)に行き方を調べるよう言い付ける。しかし言葉の微妙なニュアンスがつたわらない。「ペタハ・ティクバ」に行くはずが、「ベイト・ティクバ」についてしまった。
お金もなく腹をすかせた一行は、とりあえず見つけた食堂の女主人ディナ(ロニ・エルカベッツ)の好意で食事をさせてもらうことになる。その地区を出るためのバスはすでになく、面倒見のいい彼女は、みんなを泊めようと申し出るのだった。団員は 3つのグループに分かれ、食堂、ディナの家、そして食堂の常連イツィクの家で1泊することになる。ディナの家に泊まることになったトゥフィークは、自由奔放な彼女と話が噛み合わず、イツィクの家に泊まることになった3人の団員は、話を盛り上げることもできずに食卓を囲んでいた。そんな彼らの間にあった壁を取り払ってくれたのは、国境を越えて愛される音楽だった。

共通の話題の土壌がない人たちが、なんとか共通言語をみつけて、「敵意はないんだよ」ってことを示すのに、精一杯の努力をする映画。もちろんそれは見た目にはまったく地味でなんでもないことなのだけど、精神活動としてはかなりエネルギーをすり減らすことであることは疑う余地もない。

そしてエンディングにながれる歌詞のなかに総ての想いが昇華させる。
なかなか素晴らしい映画をみせてもらった。

by ssm2438 | 2009-12-11 03:00
2009年 12月 06日

NOセックス、NOライフ!(2005) ☆☆

f0009381_23592225.jpg監督:バート・フレインドリッチ
脚本:バート・フレインドリッチ
撮影:ティム・オアー
音楽:クリント・マンセル

出演
デヴィッド・ドゥカヴニー (トム)
ジュリアン・ムーア (レベッカ)
マギー・ギレンホール (エレイン)
ビリー・クラダップ (トビー)
ダグマーラ・ドミンクス (トムの浮気相手・パメラ)
エヴァ・メンデス (トビーの浮気相手・フェイス)

        *        *        *

ゼタ姉ーさんの『理想の彼氏』の予習と思ってかりてきた作品。なんだか、30代、40代のいたいところをついた脚本だなあ。まあ、結局解決策なんてない問題なのでどうしようもないのだが・・。とはいえ、映画ではそういうわけにはいかないので解決してるけど。

原題は「トラスト・ザ・マン」(その男を信じなさい)。「NOセックス、NOライフ!」は映画を反映してるタイトルとはいえないだろうな。物語は、大事なところはいつもジョークで切り抜ける人間性を、根性でねじふせ、問題と向き合おうとする男たちのドラマである・・はは、かっこよすぎ?

しかし、マギー・ギレンホールはいいですな。彼女のむなものをみてると鼻をつっこみたくなる。ちょっと上をむいた鼻もかわいい。そしてトロンとした眼も素敵。そんな美人ではないのだけど個人的にはへんにツボ。『セクレタリー』ではまっていらいファンです。
それにひきかえジュリアン・ムーア。けして嫌いではなかったはずが・・、なんだかベラっぽく変形しつつある。なんだかきもい感じ。肌もきたないし・・、ノースリーブはやめたほうがいいと思う。おかげでちょっと退くなあ。他に誰かいなかったのだろうか? 個人的にはキャサリン・キーナーかドゥカヴニーの奥さんのティア・レオーニあたりを使ってくれてるとこの映画はけっこうすっぽりはまれたのに・・。でも、こういう映画は夫婦ででるもんじゃないな。
しかし、脇役にエヴァ・メンデスだの、ダグマーラ・ドミンクスだの、けっこういいところをもってきてる。ダグマーラ・ドミンクスはまだそれほどメジャーじゃないけど、本作ではとってもきれい。エヴァ・メンデスよりは好みだなあ。

<あらすじ>
自分の存在感を確認できないトム(デヴィッド・ドゥカヴニー)は以前は働いていたが、今は仕事もしてない主夫、子供の面倒もみている。奥さんのレベッカ(ジュリアン・ムーア)は女優で外で働いて稼いでいるそんな夫婦。こういうスタイルは男性的にはかなり無理があると思うのだけど・・・。
レベッカの弟トビーは7年も同棲してるエレイン(マギー・ギレンホール)がいるが、結婚して子供をほしがる彼女がすこしづつ重荷になってきている。
そんなトムは幼稚園でしりあったパメラ(ダグマーラ・ドミンクス)と関係をもつようになり、浮気がばれて別居状態に。一方トビーも煮え切らない態度にエレインと別れ、彼女は別の男をすでに作った様子。そんなとき大学時代からの憧れだったフェイス(エヴァ・メンデス)と再会しさりげなく深みにはまっていきかけた(実はこちらは完了はしてない)。
そんな二人が、根本的問題に向き合い、それぞれの愛すべき女との関係を再構築のための努力を開始する。

by ssm2438 | 2009-12-06 23:53
2009年 12月 06日

バックマン家の人々(1989) ☆☆☆

f0009381_2511336.jpg監督:ロン・ハワード
脚本:ローウェル・ガンツ、ババルー・マンデル
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:ランディ・ニューマン

出演:
スティーヴ・マーティン(長男・ギル)
メアリー・スティーンバージェン (ギルの妻・カレン)
ダイアン・ウィースト (ギルの姉・ヘレン)
リック・モラニス (ギルの義弟・ネイサン・
トム・ハルス (末っ子・ラリー)

        *        *        *

原題は『ペアレントフード』。「チャイルドフード」が子供時代なら、「ペアレントフード」はさしずめ「大人時代」といったところか。昔子供だった人たちが子供をもつ大人になった時代。この映画では、その世代になった人々と彼らの子供たちとの関係を悲喜こもごもに描いている。そんな風に考えるとこの映画も味わいぶかいかもしれない。私がこの映画から感じとったのはそんなところ。大人だって決して大人じゃないんだよ・・って。大人の役目を果たしてる子供に過ぎないんだよって・・、なんかそんな親近感をもってみられる映画。
映画自体はスティーブ・マーティン+メアリー・スティンバージェンの家族を中心に、3歳の娘の英才教育にご執心のR・モラニス夫妻、二人の問題児に悩むD・ウィースト、一獲千金を夢見て大人になれないT・ハルスなど、大家族の群衆劇。なので確固たる求心的なストーリーがあるわけではない。それぞれ家族が問題をかかえ、それを日常の出来事として健気に処理していく人たちがたまに一つ屋根の下に集まった時のさりげない家族の騒ぎである。

S.マーティンがいつもこのくらいにおさえて演技してくれるととってもいいのになあって思う。メアリー・スティーンバージェンがまたかわいい。この人はどんなに歳をとってもいつも可愛い。素敵な女性だ。好きなアクトレスの一人です。

by ssm2438 | 2009-12-06 02:21