西澤 晋 の 映画日記

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2009年 12月 03日

鬼畜(1978) ☆☆☆

f0009381_13402398.jpg監督:野村芳太郎
原作:松本清張
脚本:井手雅人
撮影:川又昂
音楽:芥川也寸志

出演
緒形拳 (竹下宗吉)、
岩下志麻 (妻・竹下梅)
小川真由美 (愛人・菊代)
岩瀬浩規 (長男・利一)

        *        *        *

ひでえ話だ。あんまりひでえ話なんで見る気がうせてしまう。おかげで2回挫折した。今回は最後までいったとさ・・、しかし最後はなかされてしまった。子供の不憫度は『靴みがき』と同じレベルだろう。つらすぎる。あんまりつらいので☆ひとつ減点。

<あらすじ>
川越で印刷屋を営む竹下宗吉(緒方拳)のもとに愛人であった菊代(小川真由美)が乗り込んできて、彼のこども3人を置いて蒸発してしまう。竹下の妻・梅(岩下志麻)は憤慨し、旦那が他で作ってきた子供たちのせわなどしないと言い切る。しかたなく子供たちの世話をしながら印刷屋の仕事もこなす宗吉。お梅は子供達と宗吉に当り散らし、地獄の日々が始まった。そして精神的にまいっていく宗吉。
末っ子のまだ赤ん坊は、栄養失調で衰弱し、寝ているときに梅にシートをかぶせられ死んでしまう。梅の仕業と思い乍ら宗吉は口に出せない。「あんたも一つ気が楽になったね」というお梅の言葉にゾーッとする宗吉だが、その夜、二人は久しぶりに狂ったように身体を求め合う。長女の良子を東京タワーへ連れて行き、置き去りにして逃げ帰える宗吉。長男の利一には「よそで預かって貰った」といい訳した。そして宗吉は、利一を旅につれだし殺す機械を伺うが、殺せない。殺すまでの時間なんとか幸せな時間をすごさせてやりたいと願う気持ちであふれいている。しかし最後は、夕陽が沈もうとする石川県の海沿いの断崖上の草原で蝶採りに遊び疲れ眠りこけた利一を崖下に落としてしまう・・。

翌朝、沖の船が絶壁の途中に引掛っている利一を発見、かすり傷程度で助けだした。警察の調べに利一はがんとして黙秘を続ける。それでも警察は利一を落としたのはいっしょにいた父親の竹下宗吉であると突き止め、逮捕、連行してくる。利一が生きていると分りほっとしする宗吉。移送されてきた宗吉が警察で親子の対面をした。「坊やのお父さんだね?」警官の問いに利一は、「よその人だよ、知らないよ、父ちゃんじゃないよッ」と無表情に否定する。宗吉の声が部屋いっぱいに響いた。「利一ッかんべんしてくれ!」
保護された利一の取調べを担当していたやさしい婦警さん(大竹しのぶ)は、「もうすぐお母さんがむかえにくるからね」とやさしい言葉をかけるのが痛々しい。。


自分を殺そうとした父だが、それでも、まわりのどんなやさしい言葉よりも、自分を一番愛していてくれるのはその父だと分っている子供の健気さがいたたまれない。『砂の器』では父は子供のことを「知らない」といい愛を示し、この『鬼畜』では子供が父のことを「知らない」といい愛をしめすのであった・・。

最初の末っ子にシートをかぶせて窒息死させてしまう時にながれていたオルゴールのメロディが、効果的につかれていて、あの旋律を聞くだけで心がしめつけられてくる。。。観るのが苦しい映画だ。

by ssm2438 | 2009-12-03 12:23 | 松本清張(1909)
2009年 12月 03日

シモーヌ(2002) ☆☆

f0009381_1045472.jpg監督:アンドリュー・ニコル
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:エドワード・ラックマン、デレク・グローヴァー
編集:ポール・ルベル
音楽:カーター・バーウェル、サミュエル・バーバー

出演
アル・パチーノ (ヴィクター・タランスキー)
レイチェル・ロバーツ (シモーヌ)
キャサリン・キーナー (エレイン・クリスチャン)
エヴァン・レイチェル・ウッド (レイニー・クリスチャン)
ウィノナ・ライダー (ニコラ・アンダース)

        *        *        *

一昔前にマイケル・クライトン『ルッカー』という映画の中で、このようなことを予見していたが、21世紀になってこのような映画として再構築されてしまった。さすがにCGの進歩というのは目覚しいが・・、と同時に完全にCG移行となるとまだまだ無理があるのだなあって思った。

監督は21世紀期待のアンドリュー・ニコル。このアンドリュー・ノコルに関して言えば、前作『ガタカ』『トゥルーマン・ショー』が素晴らしい出来だったので、これにも期待して胸躍らせながら劇場に足をはこんだのだけど・・・、ちょっといただけなかったかな。前半はいいのだけど、後半からどんどんも尾が足りg破綻してくる。とくに最後はもう殺人容疑までかけられて逮捕される主人公。それを安易にパソコンに強い娘がシモーヌを復活させるという・・、安易な展開でなとか補正。ちょっといただけなかった。アンドリュー・ニコルは前作2本で才能をつかいはたしたかもしれない。この後とった『ロード・オブ・ウォー』もかなり悲惨な出来。次回作を期待したい。
全然関係ないかもしれないが、このアンドリュー・ノコルはニュージーランド出身。オーストラリア出身のピーター・ウィアーといい、このアンドリュー・ニコルといい、南半球の監督さんはなにか一味違う、変なテイストが根底にあるような気がする。

キャスティング的には、どうもアル・パチーノで失敗してるような気がする。彼だと灰汁が強すぎてアンドリュー・ニコルのような作品にはあわないような気がする。あまりがめついパッションは彼の作品には似合わない。CGキャラのシモーヌを演じたレイチェル・ロバーツはこれが初主演。良い感じの無機質さを出していたが、その後いまいち活躍してないようだ・・。
キャサリン・キーナー・・、実は大好き。歳をとってから知的で美しく、俄然よくなってきた。

f0009381_10523541.jpg<あらすじ>
落ち目の映画監督ヴィクター・タランスキー(アル・パチーノ)は、元妻のプロデューサー、エレイン (キャサリン・キーナー)にもほとんど相手にされなくなりつつあった。そんな彼の元に、彼のファンと名乗る怪しげなコンピューター・エンジニア、ハンク・アレノ(イライアス・コティーズ)が現われ、CG女優を作る画期的なソフトを開発したことを告げる。しかしそのハンクはまもなく絶命し、実にあっさりと物語から除外されてしまう。
タランスキーの手元に女優創造PCソフトが残された。彼はそれを使って、完璧な美貌の女優シモーヌ(レイチェル・ロバーツ)を誕生させる。共演者にはシモーヌ不在で演技をさせ、あとからシモーヌをCG合成するという手法、まるでゴジラ映画である。しかしシモーヌの人気はすぐ爆発し、タランスキーの映画も大ヒットを記録。だが世界が熱狂するにつれ、実在しないシモーヌの秘密を守るため、タランスキーは四苦八苦する。
ついに限界を感じたタランスキーは、ウィルスファイルを使って、シモーヌのデータを消してしまう。しかし葬式でシモーヌの肉体がないのがバレて、タランスキーは殺人容疑をかけられる。やがて、コンピューターに強い彼の娘レイニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)がデータを修復し、シモーヌは復活、タランスキーは釈放。そして元妻であったエレイン と復縁し、これからは家族ぐるみでシモーヌを操ることにするのだった。

by ssm2438 | 2009-12-03 10:46
2009年 12月 03日

荒野のストレンジャー(1972) ☆☆

f0009381_1025342.jpg監督:クリント・イーストウッド
脚本:アーネスト・タイディマン
撮影:ブルース・サーティース
音楽:ディー・バートン

出演
クリント・イーストウッド (The Stranger)
クリント・イーストウッド (ジム・ダンカン保安官)

        *        *        *

なんなんですかねえ、この映画?? 西部劇のなかではかなりカルトな映画。なんで街を赤に塗るんだ?
『気狂いピエロ』ベルモンドの最後、顔を青く塗って、顔にダイナマイト巻いて、自爆した気分を味わおうとしたらライター落としてほんとに自爆したけど、あの意味の無さを再現しただけなのかな? まったく意味不明なことがおおい。 殺されたと思ってた保安官が生きていたってことなんですか? それとも、保安官はやっぱり殺されてて、その保安官の魂が誰かに乗り移ってストレンジャーとしてやってきた・・ってことなんでしょうか? 

イーストウッド曰く「フレッド・ジンネマン監督の名作『真昼の決闘』で、もし、主人公のゲーリー・クーパーが殺されてしまったら…という発想が気に入った。これはその後の展開を描いた映画だ」と言っており、主人公が幽霊じゃないかという事に関しては、「そうとも考えられるけど、一応、殺された保安官の弟という感じで撮影に臨んだ」・・・だそうです(苦笑)。
まあ、そういう風にみたら確かに成立してるのかもしれないが・・・。

<あらすじ>
高原の町ラーゴにやってきた一人の無宿者(クリント・イーストウッド)。酒場に入り飲み始めると、3人の男が入ってきてからんでくる。男はそれを無視した。男は次に床屋へ行った。そこへもさっきの3人がやってきて嫌がらせを始めると、有無もいわせず拳銃を抜き3人を撃ち殺す。床屋から出た男は、向こうからやってくるカリー・トラバース(マリアント・ヒル)を納屋に連れ込むと犯してしまう。翌朝、男はホテルに入る。ホテルの主人ルイスの妻サラ(ベルト・ブルーム)は、この男をどこかで見たような気がしてならなかった。

その頃、刑務所からでてきたステイシー3兄弟がラーゴの街に向かっているという情報がはいってくる。彼らは、かつてラーゴ鉱山会社で用心棒をしていたことがあったが、金塊を持ち出そうとしたことがバレ、さらに逮捕しようとした連邦保安官をムチで叩き殺したのだ。そのとき住人たちは彼を見殺しにした。その後逮捕されたのだろう、その罪で彼らは服役していたのだ。
住人は、町を復讐から守るために例の男を用心棒として雇うことにきめた。町を挙げての防戦体制がしかれ、町は赤く塗られて、異様な雰囲気の中、ささいな戦闘訓練がほどこされた。男はホテルの客を他の場所に移し、先に犯した女カーリーとホテル暮らしを始める。だが、この男の行動が理解できない鉱山会社のドレイクやモーガンは、男を用心棒として雇ったことを後悔し始める。ある夜、モーガンは数人の男をひきつれ、二人が泊まっている部屋に忍び込み、男を撲殺しようとするが、ダイナマイトで部屋もろとも吹っとばしてしまった。

男はどこかへ去っていった。

町の連中は、彼がいなくてどうやって町を守るのかと恐怖におののき、騒ぎ始めた。ステイシー兄弟にとって混乱している町を乗っ取るのは簡単なことだった。夜になると人々を酒場に集め、3人はやりたい放題。しかしその3人も一人、また一人とムチで殺されていくのだった。

by ssm2438 | 2009-12-03 09:27
2009年 12月 03日

軽蔑(1963) ☆

f0009381_4464255.jpg監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演
ブリジット・バルドー (女優・カミーユ)
ミシェル・ピッコリ (脚本家・ポール)
ジャック・パランス (プロデューサー・ジェレミー)
フリッツ・ラング (監督・フリッツ)

        *        *        *

みていいて気持ちの良い映画ではない。ま、それはゴダールの映画どれもそうなのだけど。ただ、この映画、ヤなところをついているのは確かだ。

女優カミーユ(ブリジット・バルドー)とその夫、シナリオライターのポール(ミシェル・ピッコリ)は寝室で無意味な会話をする。充実した満足感がなせるものだ。翌朝、ポールはアメリカのプロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。彼の依頼は、撮影中の映画のシナリオを改定してくれというのだ。
ジェレミーはポールとカミーユを自邸に誘った。ジェレミーはカミーユに気があるらしく親切だ。静かな嫉妬心を持るポールだが、ジェレミーに遠慮している。
ジェレミーはカプリ島のロケにカミーユを誘った。「夫が決めますから」カミーユは素気なく答える。アパートに帰ってからカミーユはひどく不愛想だった。その夜、二人は寝室を別にした。ジェレミーから誘いの電話があり、ポールはカミーユ次第だと返事した。カミーユは再び激しく怒った。「軽蔑するわ」。


ポールがもし、アメリカ映画に登場する粗野な男だったら「俺の女に色目つかうんじゃない!」って言ってたところだろう。ウディ・アレンの映画だったら、ジェレミーが帰ったと「人の女房に色目をつかうなんてなんて失礼なやつだ・・」ってやたらとぶつくさつぶやいているだろう。ポールにしてみれば、これから仕事をする相手だし、妻に興味を好意をもつのは仕方がないだろうし、それをけしからんとことを荒立てるようなことも出来ないだろうし、社交的な範囲で妻と接することまで大げさに否定するわけにはいかないし、それ以上の申し出があればは妻が断ってくれればいい話だ・・と考えるのがある程度普通にみえる。・・・ただし、ここには明らかに立場の<弱さ>に抵抗できない男の姿があるのはいなめない。

ただ、カミーユにしてみれば、「私はOKなのだけど、うちの旦那がダメっていうの」っていう、ジェレミーに対しての窓口は残しておきたい気持ちはあるのだろう。なので、「夫が決めますから」と言ってしまったのだろう。
しかし夫にしてみると、上記に書いたようなことでそれが言い出しづらいのも事実だ。一方女にしてみれば「私はあなたの女なのだからしっかり守りなさいよ」って感情もあるのだろう。
・・・しかし、これもかなり厄介な部分で、もし、そこで「俺の女に色目つかうんじゃない!」と言おうものなら、「あなたは私を自分のものだとおもってるの? 私はあなたと結婚してるけど、私は私のものよ」って怒り出す可能性のほうがかなり高いのも事実だ。

・・・こういう答えが出ない。
もし、後先考えないで感情をそのまま答えにして言っていいなら実に物事は簡単なのだが、そうならないのが夫婦生活だからなあ・・。でも、問われた人間が、問うた人間に、勇気をもって自分で答えを言うっていうことしか、ないのだろうなあって思った映画でした。。

ただ、答えが出ない問題をうだうだしてるってこと自体が非生産的であり、私としては好かん。そんなこと映画にしてどこが面白いんだ!って思ってしまう。ブリジット・バルドージョルジュ・ドルリューの音楽だけしかみるところのない映画でした。

by ssm2438 | 2009-12-03 03:37
2009年 12月 02日

シーズ・ガッタ・ハヴ・イット(1985) ☆

f0009381_22345360.jpg監督:スパイク・リー
脚本:スパイク・リー
撮影:アーネスト・ディッカーソン
音楽:ビル・リー

出演:
トレイシー・カミラ・ジョンズ

       *        *        *

小手先のクソ演出の連発ばかりでまともに撮れる才能はかけらもみあたらない。

クソ女の黒人女性ノーラ(トレイシー・カミラ・ジョーンズ)は、3人の男と付き合っている。感謝祭のディナーに彼女は3人を招待し同席させるが、恋人の一人グリアーが怒って席を立った。ジェイミーには新しい恋人ができたらしい。レズっ気のあるオパルを帰してしまい寂しくなったノーラは、突然ジェイミーを呼び出すが、彼女の勝手さにあきれな彼女を責める。ショックを受けたノーラは昔のルームメイトのところを訪れ、悩みを打ち明けた。ノーラは二人男に別れを告げ、最後にジェイミーを訪れる。

ブルックリンを舞台に、一人の女にふりまわさせる3人の男の話。自由奔放に生きてるというが、人の心を理解できないただのアホ女。スパイク・リーの映画というのは生産性がまるでないので、見てて時間の無駄を感じてしまう。

by ssm2438 | 2009-12-02 22:08
2009年 12月 02日

砂の器(1974) ☆☆☆☆☆

f0009381_11572551.jpg監督:野村芳太郎
原作:松本清張、『砂の器』
脚本:橋本忍、山田洋次
撮影:川又昂
作曲・ピアノ演奏:菅野光亮

出演
丹波哲郎 (警部補・今西栄太郎)
森田健作 (刑事・吉村弘)
加藤剛  (音楽家・和賀英良)
島田陽子 (和賀英良の愛人・高木理恵子)
加藤嘉 (本浦千代吉=和賀英良の父)
春日和秀 (本浦秀夫=子供時代の和賀英良)

        *        *        *

松本清張初体験の映画がこれだった。結果として一番初めに一番いいものを見せられたあとがちょっと悲しい・・。この映画をはじめて見たのは二十歳のころで、それまで松本清張の名前は知っていてはいても本の内容は知らず、なんとなくドストエフスキーのような人間ドラマを書く人なのかなって思っていたら・・・サスペンス、刑事ドラマを書く人だったのですね・・。びっくりした。
そしてその緻密さにまたびっくり。それぞれの地域を取材し集めた膨大な資料のなかからドラマを構築しているそのスタイルのストイックさに惚れた。しかしそれはあくまで物語を作るための方法論であり、それ以上にこの人がすごいのは、<愛がある殺人>をつねに描いている姿勢だった。
ほとんどの刑事ドラマは安易な禁欲、性欲、強欲、名誉欲、などが殺人を引き起こすが、松本清張のドラマのでは、それ以上にも愛が重要なポイントになっている。追い詰められて浮き彫りになる人間性こそがその描かれる対象であり、事件はそれを描くための器に過ぎないという物語のスタイルになっている。

そしてそんな物語を音楽にのせて語っていく最後のコンサートと回想。これは野村芳太郎が映画として独自にさしこんだパートらしいが、作り手にも恵まれた作品だ。<台詞なしの回想シーン+ドラマチックな音楽>というのはよくある方法なので映画をつくる人にとっては、<走る主人公+ロッキーのテーマ>と同じくらい効果的な方法だ。演出する側としては、ある種の卑怯さを感じる(もっといい何かはないかと新しい方法を探すことをあきらめたうしろめたさ)を感じるものだが、結果としてはやっぱり効果的なのでこまってしまう(苦笑)。

ただ、この映画に関して言えば、走査の展開は素晴らしいのだが、最初の我賀が最初の殺人を起こす説得力がちょっと弱いかな。物語の根幹をなすべき病、らい病(現代ではハンセン病という呼び方になっている)に関する基礎知識と当時の恐怖感がない今となっては、この部分の偏見がきちんと描かれないと、この殺人事件の説得力もよわそう。子供時代にあれだけ愛情そそいでくれた三木巡査を殺してしまわなければならない。我賀英良の衝動が見ている人にとってはあまり納得できるものではなく、物語全体をムードでもっていかれた感はいなめない。

物語は、国鉄(今のJR関東)蒲田操車場構内に扼殺死体が発見され、警視庁の今西栄太郎今西栄太郎警部補(丹波哲郎)と、西蒲田署の吉村正刑事(森田健作)は聞き込みをはじめる。
・・・ここだけでもうすごい。通常の刑事ドラマでは、東京のどこかで事件がおきるとその所轄の刑事が二人一組で走査をはじめるのだが、あれは嘘。ほんとはこうなのだ。所轄の警察署に警視庁から何人かの刑事や幹部が出向き、走査は警視庁の刑事と地元警察の刑事が二人一組でコンビをつくり、それぞれの担当分野を捜査していく・・というものらしい。

<あらすじ>
やがて二人の刑事は、事件前夜、殺されたその男ともう一人の男が一緒に目撃されたバーにたどりつく。二人の間に強い東北なまりで交わされていた「カメダ」という言葉に注目された。東北各県より六十四名の亀田姓が洗い出されたが、その該当者はなかった。秋田県に亀田という土地名があり、現地に飛ぶが手がかりはなかった。
被害者は三木謙一元巡査と判明、その息子が岡山県江見町から上京してくる。捜査陣の予測とはまるで違う方角にとまどう捜査陣。捜査は岡山に移る被害者の知人にも付近の土地にも「カメダ」は存在しない。しかしそれも今西警部補の執念が、島根県の出雲地方に、東北弁との類似が見られ、その地方に「亀嵩」(カメダケ)なる地名を発見したのだ。しかも出雲弁ではこれが「カメダ」に聞こえる。そして三木謙一はかつて、そこで二十年間、巡査生活をしていたのだ。
一方吉村刑事は、ある新聞記事に目をとめた。中央線塩山付近で夜行列車から一人の女が白い紙吹雪を窓外に散らしていたというその記事・・、もしかしたらそれは紙ではなく、布であり、それは何らかの殺人事件で返り血をあびたその服を処分したところではなかったのか・・と妄想を広げる。それがあの事件のモノかどうかも分らないが、調べずにはいられなくなった吉村刑事は、山梨県塩山付近の線路添いを猟犬のように這い廻って、ついにその紙吹雪の一枚を発見する。それは紙切れではなく布切れで、黒いしみがあり、しらべてみると被害者三木謙一と同じ血液反応があった。

「紙吹雪の女」は銀座のクラブの高木理恵子(島田陽子)だった。吉村刑事は粗末なアパートに理恵子と音楽家和賀英良(加藤剛)をみつける。和賀は最も期待されている音楽家で、現在『宿命』という大交響楽の創作に取り組んでいた。そしてマスコミでは、前大蔵大臣の令嬢との結婚が噂されている人物だった。妊娠した理恵子は、子供を生ませて欲しいと哀願するが、和賀は冷たく拒否する。

今西警部補は、退職した三木元巡査の殺されるまでの足取りをおってみる。すると三木元巡査は、伊勢の映画館へ二日続けて行っており、その直後に帰宅予定を変更して東京へ行き、蒲田で撲殺される。今西警部補はその映画館を訪ねると、その二日間の映画はタイトルが違う。映画が気に入って2回もみたわけえはないらしい。映画館にはいってみるとそこには公演の時の和賀英良の写真がかざってあった。三木は翌日もう一度それが秀夫であることを確かめにもう一度その映画館にいったのだろう・・。

さらに、亀嵩から三木巡査の在職中の報告書が届く。三木巡査はその在職中に世話をした乞食の親子の存在を知る。その乞食は本浦千代吉(加藤嘉)といい、らい病の為に妻は家を出てしまい、息子とともに故郷の石川県江沼郡大畑村を追われたという。世間の冷たい視線を受けながら、常に追い立てられながら行くあてもなくさまよう二人を三木巡査は保護し、本浦千代吉をらい病専門の療養所に入れ、息子秀夫をひきとり、愛をそそいで養育していたという。しかしその子もいつしか失踪してしまう。その息子本裏秀夫こそ、和賀英良であった。大阪で和賀自転車店の小僧として働いていた本浦秀夫は、戦争での戸籍の焼失に乗じて、死亡した主人の性を自分のものとし、和賀英良と新しい人生を構築していったのだった。

そんな和賀英良は天才音楽家として新しい人生が開花しようとしていた矢先に、本浦秀夫=和賀英良だと知る引退した三木謙一元巡査があらわれたのだ。らい病の父をもつ息子、それも長年にわたり発病した父をともに放浪して生活をしていた過去をしる唯一の人物。
三木謙一元巡査は、誰もが忌み嫌った本浦千代吉と20年間も手紙のやりとりをつづけ、「息子のことをおしえてほしい」という千代吉に「あの子は頭の良い子だから、どこかで生きていて、いつかきっと会いにくるから」となぐさめつづけていたという。そしてその秀夫をみつけてしまった三木謙一元巡査。

自らの運命を音符に変えた和賀英良の渾身の大交響曲『宿命』の演奏が、巨大なホールじはじまる。魂をこめるように鍵盤をたたく和賀英良。それをBGMに、ふるさとを追われた親子二人の放浪の旅が映し出されていく。まだ生存している本浦千代吉に和賀英良の写真をみせる今西警部補。その写真をみた千代吉は涙をいっぱいにためて「知らねえ、そんな子は、みたこともねえ!」と言葉をつまらせながら、はき捨てるように否定する。

魂の演奏をつづける和賀英良をみる、逮捕令嬢をもった今西警部補と吉村刑事。今西警部補の背中に吉村刑事がぼそとつぶやく、「秀夫も父に会いたかったでしょうね・・・」
今にも泣き出しそうな声で突発的に答える今西、「そんなことたあ、決まっとるっ!!」

演奏が終わると会場には怒涛の拍手がこだましていく。


・・・甘さは確かにあるものの、いかにリメイクしようとも、これ以上のものが作れるとは思えない。
間違いなく傑出した名作のひとつだ。

by ssm2438 | 2009-12-02 08:36 | 松本清張(1909)
2009年 12月 02日

波の塔 (1960) ☆☆

f0009381_1136853.jpg監督:中村登
原作:松本清張
脚本:沢村勉
撮影:平瀬静雄
音楽:鏑木創

出演
津川雅彦 (小野木検事)
有馬稲子 (結城頼子)
南原宏治 (頼子の夫)
桑野みゆき (田沢輪香子)

        *        *        *

時代を感じるメンタリティだった。昔の人たちは奥ゆかしかったのだ。
今では渡辺淳一の女と寝る男という印象の津川雅彦もこのころはなかなか二枚目だったのだ。そして、その津川雅彦に恋する女で、その不倫相手の女性を調査してみる政治家の娘がなんと桑野みゆき。おおお、あの『赤ひげ』の階段別れ(望遠の図)のシーンを演じたあの桑野みゆき嬢である。可愛い!!

あと・・・不倫で温泉に行き、台風にあって帰れなくなった二人。
しかし、その日のうちに女は東京の自宅に帰られないと旦那に外泊がばれてしまう。なので、箱根の温泉旅館から6里(24キロ)の道を大雨の中歩いて山を降りるエピソードは・・・、いいね。切実だよ。でも、もう離婚したいと思っているのなら、ばれてもいいじゃんって思い切れば楽になれるのに、それをしない二人。

<あらすじ>
夫の浮気に離婚を何度もいいだしていた頼子(有馬稲子)は、ふとしたきっかけで小野木(津川雅彦)と名乗る男と付き合うようになる。しかしこの小野木こそ、東京地検の新人検事であり、こともあろうに頼子の夫結城(南原宏治)を政治献金の疑いで逮捕、起訴してしまう。しかし、結城も小野木が自分の妻の不倫相手であることしる。そのことを知った結城の弁護士は、その情報をネタになんとか裁判にしないように働きかけようとするが、検察はそれほど甘くはない。あっさりと小野木を担当からはずしてしまい、結城はそのまま逮捕・起訴となる。
しかしマスコミにたたかれた小野木は辞職、「もうボクにはなにもない、君だけだ。二人で誰もしならないところに行こう」と頼子東京駅で待ち合わせをするが、頼子は来ない。彼女は富士の樹海を一人奥へ奥へと進んでいくのだった。

・・・小野木は不倫でたたかれはしたが、それは事件とは関係ないこと、組織も担当をはずしただけで辞職をしいたわけではないのに、自分で辞職するし、最後は夫が離婚を承諾したのに頼子は小野木とはひっつかないし、なんだか、目の前に幸せがぶら下がっているのに、二人してあえて不幸になるほうを選ぶという・・かなり理解不能な展開。これを情緒といわずしてなんといおう。時代が違ったのだなあって思った映画だった。

by ssm2438 | 2009-12-02 08:27 | 松本清張(1909)
2009年 12月 02日

リトルショップ・オブ・ホラーズ(1986) ☆

f0009381_86569.jpg監督:フランク・オズ
脚本:ハワード・アシュマン
オリジナル脚本:チャールズ・B・グリフィス
撮影:ロバート・ペインター
音楽:アラン・メンケン、マイルズ・グッドマン

出演
リック・モラニス (シーモア・クレルボーン)
エレン・グリーン (オードリー)
スティーヴ・マーティン (オリン・スクリベロ)

        *        *        *

1960年に映画化されたロジャー・コーマンの同名映画のリメイク。監督は『スターウォーズ』に登場するヨーダフランク・オズ。ブラックコメディが大嫌いな私にとってはまったくおもしろくもなんともない映画。それでも大学時代にこの映画をやたらと絶賛する友人がいて、しぶしぶ一緒にビデオで観たが・・やっぱりまったくつまらなかった。

花屋の店員シーモア・クレルボーン(リック・モラニス)は、ある皆既日食の日、不思議な鉢植えに出合った。彼は名前も知らないその鉢植えの植物を「オードリー2」と名づけて、地下室で育てることにした。オードリーというのは、彼が心を寄せる女店員オードリー(エレン・グリーン)にちなんでつけた名前だ。
オードリー2をウィンドーに飾ったところ、花屋は連日押すな押すなの大盛況。しかしこの花は吸血花であり、人の血を栄養にしていた。最初は自分の血を与えていたがだんだんと貧血になってしまうシーモア。餌を与えないとしぼんでしまうオードリー2。最後の手段として、シーモアはいつもオードリーをいじめている歯科医のオリン(スティーブ・マーティン)を殺害してその死体をオードリー2のエサにすることだった。計画は成功したものの、死体を運んでいるところを主人に目撃され、彼をも殺害してオードリー2に食べさせることを計画実行にうつす・・・。

by ssm2438 | 2009-12-02 07:51
2009年 12月 01日

愛しのロクサーヌ(1987) ☆☆☆

f0009381_62553100.jpg監督:フレッド・スケピシ
脚本:スティーヴ・マーティン
撮影:イアン・ベイカー
音楽:ブルース・スミートン

出演
スティーヴ・マーティン (町の消防団長C・D・ベイラズ)
ダリル・ハンナ (美人天文学者のロクサーヌ)
リック・ロソヴィッチ (若い消防士クリス)

        *        *        *

『シラノ・ド・ベルジュラック』の純愛を80年代末のアメリカに再現したスティーブ・マーティン脚本・主演のロマンチック・コメディ。大げさパフォーマンスの喜劇役者である彼だが、実は文才ももっている。個人的にはこの人の脚本はすきなほう。以前はほんにギャグばっかりだったのだけど、この作品あたらいからユーモアのセンスにあふれたロマンチック・ラブロマンスに移行しつつあったような気がした。これ以前のスティーブ・マーティンはそれほど好きではなかったのだが、この作品から好きな人になってしまった(苦笑)。

<あらすじ>
ワシントン州、ネルソン。平和なこの町の消防団長として、常に誠実ははたらきをみせるC・D・ベイラズ(スティーヴ・マーティン)は、その人柄から誰も愛されていた。しかし彼の鼻はピノキオそのもの、それが大きなコンプレックスになっていた。
このネルソンの町に、オフ・シーズンを利用して彗星の研究をしに美人天文学者のロクサーヌ(ダリル・ハンナ)がやって来た。C・Dはロクサーヌに恋心を寄せるようになるが、大きな鼻のコンプレックスのせいでそんなことは言い出せない。また、若くてハンサムな消防士クリス(リック・ロソヴィッチ)もロクサーヌに一目惚れ。C・Dが、クリスのために恋のはしわたしの役を引きうけることになってしまう。
言葉のセンスのないクリスのために文学的才能をはっきするC・Dは手紙を代筆したり、初デートの日に、口下手の彼に替って甘くささやく言葉をおしえたりと・・。ロクサーヌも、これまでのクリスの手紙や甘い言葉の主がC・Dであったことを知り、その気持ちを喜んで受け入れるのだった。
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by ssm2438 | 2009-12-01 11:59
2009年 12月 01日

Shopgirl/恋の商品価値(2005) ☆☆

f0009381_5553895.jpg監督:アナンド・タッカー
原作:スティーヴ・マーティン、『ショップガール』(集英社刊)
脚本:スティーヴ・マーティン
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:バーリントン・フェロング

出演
クレア・デインズ (ミラベル)
スティーヴ・マーティン (レイ・ポーター)
ジェイソン・シュワルツマン (ジェレミー)

        *        *        *

ベテラン喜劇俳優スティーヴ・マーティンの処女小説にして全米ベストセラー。それをマーティン自らの脚色・主演で映画化。今回はコメディなしのスタンダードなラブ・ロマンス。都会に暮らす孤独な女性が、寂しさにまけてお手軽によってきた貧乏男と付き合うが、そのうち社会的地位もあるダンディなおじさんにもいいよられ、そちらになびいてしまうという話。でも、ダンディおじさんとエッチしているあいだも、いちいち貧乏男のカットをインサートするので、最後はこっちにもどるのだろうなってことは分るのだけど、もうちょっと演出を考えてほしかったかな。

たぶん、スティーヴ・マーティン原作はかなり心の描写が良いのだと思った。都会にすごす女の孤独感、自分の存在の無意味さに相当ダメージをうけてる女性のなまなましいさが、映画からもつたわってくる。
個人的にはスティーブ・マーティンの出る映画は意外と嫌いではなかったので、この映画も観てみようとおもった。

<あらすじ>
ミランダ(クレア・デインズ)は、画家として働ける夢をもっていて、毎日すこしづつ絵をかいているがモノにはなってないようす。普段は高級デパートの婦人用手袋売り場で店員として働いていて、自分がやっていることにも価値がみいだせずにいる。そんな彼女がコインランドリーでうだつのあがらなさそうな男から声をかけられる。彼はの名はジェレミー(ジェイソン・シュワルツマン)、第一印象最悪・・。悪い人ではなさそうだが、実にさえない。それでも孤独感におしつぶされそうなミランダには<悪い人でなさそうな人>からのデートの誘いを拒否するのはあまりになにもなさすぎる。そのくらい求められること、認められることに飢えている。
デートは案の定最悪、悪人ではない人との無駄な時間がすぎていった。その夜は彼を追い返したものの、孤独にたえられない彼女はジェレミーを家に招き、“H”にいたる。

そんな孤独感にさいなまれているミランダのまえに突如登場するダンディなおじさまレイ・ポーター(スティーヴ・マーティン)、地位もお金もある彼に愛人関係をもとめられ、そんな彼に身を任せてしまう。けっしてかの女をあいしていないわけではないのだが、歳のさもあり、本気になることが出来ないポーター。ミランダは彼との時間を過ごしても、愛されていると言う実感は感じることは無く、さらなる孤独を感じるだけだった。

物語を完結させるためにはしかたないか・・、彼女の個展は成功し、自己を確立した彼女は、すこしづつ成長していく昔のダメ男のほうを選ぶのだった。

by ssm2438 | 2009-12-01 05:04