西澤 晋 の 映画日記

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2010年 01月 31日

グッドモーニング,ベトナム(1987) ☆☆☆☆

f0009381_944446.jpg監督:バリー・レヴィンソン
脚本:ミッチ・マーコウィッツ
撮影:ピーター・ソーヴァ
音楽:アレックス・ノース

出演:
ロビン・ウィリアムズ (エイドリアン・クロンナウア)
フォレスト・ウィッテカー (ガーリック一等兵)
チンタラ・スカパタナ (ベトナムの少女・トリン)
トゥング・タン・トラン (トリンの兄・ツアン)

        *        *        *

ベトナム従軍した米軍放送の実在した人気DJの話。基地の放送コード無視のハイテンション型破DJエイドリアン・クロンナウアの役どころでは、ここぞとばかりにロビン・ウィリアムズがその才能を爆発させている。ロビン・ウィリアムズといえば、どうしても過剰な親近感とサービス精神で作品によってはけっこううざいのだが、この映画のウィリアムズは悪くない。いつもこのくらいでやってくれてたらいいのになあって思う。ロビンウィリアムズのマイベストは『ハドソン河のモスコー』か、この『グッドモーニング,ベトナム』だろう。

泥沼のベトナム戦争、前線に向かう兵士たちを乗せたトラックとすれ違い、その場で即興のDJ、兵士の何人かをネタに笑いをふりまいていくクロンナウア。ほんのひと時の安らぎをむねに戦場にむかっていく兵士を見送るクロンナウア・・・、あのシーンは泣けるね。
そしてヴェトナムでの惨劇の映像のバックで流れるサッチモ『what a wonderful world』・・・。 こういうの〇〇技法っていうんだとか(忘れた)。悲惨なシーンに穏やかな音楽を流すとか、ギャグシーンに悲しい音楽をつけるとか、正反対の音楽をつける事で複雑な感情の染み込みを演出する技・・・。この映画も効果的につかわれている。

この映画を見ていて思うのは、アメリカ人のもつある種のおおらかさというのは、やはり精神的なゆとりからきているのだろうなって思う。英会話やってても、とりあえずはウェルカムなスタンスを提供する紳士的な態度。あれには感嘆する。で、なぜあれが出来るのかっていうと、アメリカ人ってアウェイで戦わない人種なのかなって思った。アウェイのところでさえもホームを持っていく。いちど沖縄の嘉手納基地の中に入れてもらったことがあったのだがあそこはまさにアメリカだった。広大な土地に緑の芝。日本人のいないめずらしい外国。きっとベトナム戦争の時もアメリカの基地内はアメリカだったのだと思う。
この映画ではアメリカによる他国への一方的な価値観の押し売りをゆるやかに批判している部分があるが、生きることは戦いだし、そのなかで勝ち抜いていくには、一番の正攻法なのだろうなって思った。

f0009381_9441437.jpg余談だが、ベトナムの少女トリンを演じたチンタラ・スカパタナChintara Sukapatana)はじつに可愛らしかった。タイの女優さんらしい。

<あらすじ>
1965年のサイゴン(現ホーチミン市)。本国から米軍放送の人気DJ、エイドリアン・クロンナウアー(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。迎えに来たのはガーリック一等兵(フォレスト・ウィテカー)。
そして放送開始の時、

「ぐうウウウううううううううううううううううううううううううううううううううっモおおーーーーーにんヴィいええっとなあああああああああああむううううう!」

の大絶叫から始まるマシンガントーク。上司となるディカーソン軍曹(J・T・ウォルシュ)とホーク少尉(ブルーノウ・カービー)は動転したが、100万のベトナム米軍は絶大な拍手をもって彼を迎えた。
一方街にでたクロンナウアはいつぞや見かけたベトナムの美少女トリン(チンタラ・スカパタナ)を追いかけ、彼女の通う英語学校に入り込み、軽妙な英語を教えて人気者になる。怪しいアメリカ人として警戒していたトリンやその家族も少しづつ親近感を持つようになり、いつしかトリンの兄ツアン(トゥング・タン・トラン)とも親しくなった。
ある日、サイゴンのカフェにいるとツアンが現れ、クロンナウアを外へ連れ出す。するとさっきまでいたカフェが爆発炎上した。偶然の一致か、なんとか難を逃れたクロンナウアはそのテロ事件のことを放送で話してしまう。しかしニュース内容は軍の統制化で放送禁止でり、彼は降ろされてしまう。後を継いだホーク少尉のDJはまったくなまぬるいもので、反感の投稿が山のようによせらてくる。前線に向かう兵士たちの激励を聞き、再びマイクに向かったクロンナウア。
f0009381_9473670.jpgしかし軍情報部が、ツアンはベトコンの活動家であることをキャッチ。ベトコンと友達だったということで本国へ送還されることが決定したクロンナウア。信じられないクロンナウアはトリンを通じてツアンと会い、真相を知ろうとする。そしてベトナム人のもつ反米感情も知る。ふたりの間にはうめられない溝があった。
最後の日、英語学校のベトナム人たちとお別れのソフトボールをやった。ボールがないのでウリをボールにみたてた。そこにはクロンナウアを受け入れてくれる人々の笑顔があった。クロンナウアはサイゴンを去って行った。翌日の放送室のマイクの前にはガーリック一等兵が座っていた。放送開始のサイン。

「ぐうウウウううううううううううううううっモおおーーーーーにんヴィいえっとなあああむうう!」

ノリはいまいちよくないが、クロンナウアの魂を引き継いだ一声だった。

by ssm2438 | 2010-01-31 09:51
2010年 01月 31日

グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997) ☆☆☆☆

f0009381_8132061.jpg監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ベン・アフレック/マット・デイモン
撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ
音楽:ダニー・エルフマン

出演:
マット・デイモン (ウィル・ハンティング)
ロビン・ウィリアムズ (ショーン・マクガイヤ)
ミニー・ドライヴァー (スカイラー)
ベン・アフレック (チャッキー)

        *        *        *

自分の才能無駄使いしている男のいじけ状態からの脱却ストーリー。天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられずにいる一人の青年と、最愛の妻に先立たれ失意に喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマンドラマ。

この物語をみた人は、マット・デイモンのもっている天才的な才能が無駄使いされていることに嘆き、なおかつそれが開放されていくことを望むだろう。物語の基本設定の段階で、観客を見方につけた構成なのだ。しかし、それが開放されない問題が彼にはあり、その心の闇をすこしづつほぐしていくのが、精神科医のロビン・ウィリアムスと恋人になるミニー・ドライヴァーである。実に卑怯なほど上手い構成だ。

ベン・アフレックマット・デイモンの共同脚本の物語であり、この物語はこの二人の友情が生んだ傑作であろう。今は二人でパール・ストリート・プロダクションを起こしている。この二人はマット・デイモンが10歳、ベン・アフレックが8歳の時からの付き合いであり、マット・デイモンはハーバード大学を中退して演劇の道へ、ベン・アフレックはバーモント大学→オシデンタル大学を中退し演劇の道へ入る。お互いショービジネスの世界で一流をなしているのだから幸せものだろう。

<あらすじ>
マサチューセッツ工科大学で清掃員のバイトをしているウィル・ハンティング(マット・デイモン)は、天才的な頭脳の持ち主だが、彼の素行にはいろいろ問題があった。親友のチャッキー(ベン・アフレック)、モーガン、ビリーらとつるんで、たびたび警察沙汰の事件を起こしていた。
ある日、ウィルは掲示板に書かれた難解な数学の証明問題をこっそり解いてしまう。出題者のランボー教授(ステラン・スカルゲールド)は問題を解いたのがウィルと知り、彼の研究所に週2回勉強することを条件に刑務所から身元を引き取る。さらに週1回セラピーを受けることも義務付けた。
ランボー教授でさえ手こずる難問をあっさり解いて周囲を驚嘆させるウィルだが、セラピーは長続きしない。ランボーは大学時代のルームメイトで心理学者のショーン・マクガイア(ロビン・ウィリアムス)にウィルをあずける。いつものように精神科医を侮辱する態度をとるウィルだがショーンは誠実で粘り強く正直だった。
やがてウィルは、ハーヴァード大学の女子学生スカイラー(ミニー・ドライヴァー)と付き合うようになるが、やはり心は閉ざしたままだった。結局スカイらーは西海岸に移る。ランボーの元には全米のシンクタンクや政府機関などからウィルの就職依頼が舞い込んでいた。ランボーはウィルに面接を受けさせるが、自分の進むべき道に迷っていた。

一生下町で労働者として暮らしてもいいとつぶやくウィルに、チャッキーはこんなことを話す、
「その日も、俺たちはいつもの朝のようにお前を迎えに行く。でもお前は出て来ない。部屋を調べてみても誰もいない。そんな日がきたらいいな・・」と。

やがてショーンはウィルの心の闇を暴き出す。父親から虐待を受けていたウィルは、そんな父をスパナで殴り殺してしまったのだ・・。涙ながらに語るウィルに「君のせいじゃない」と優しく言い続けるショーン。ランボーの薦めたシンクタンクへの就職も決めたショーンだが、結局その就職も取りやめ西海岸にいるスカイラーのもとへ旅立ったのだ。そしていつもの朝のようにチャッキーがウィルを迎えに行く。声をかけるがウィルの家からは誰も出て来ない。中を覗くがもぬけの殻・・・。チャッキーの夢見ていた日が来たのだった。

by ssm2438 | 2010-01-31 08:14
2010年 01月 31日

踊る大捜査線 THE MOVIE(1998) ☆☆

f0009381_3325467.jpg監督:本広克行
脚本:君塚良一
撮影:藤石修
音楽:松本晃彦

出演:
織田裕二 (青島俊作)
柳葉敏郎 (室井慎次)
深津絵里 (恩田すみれ)
水野美紀 (柏木雪乃)
いかりや長介 (和久平八郎)
ユースケ・サンタマリア (真下正義)

        *        *        *

『ナニワ金融道』をみたとき、「なかなかきちんとかけてる脚本だなあ」って感心したのがこの君塚良一。その君塚さんがシリーズ通して脚本を書いたのが『踊る大捜査線』のテレビシリーズ。面白かった。サラリーマン的テイストで、それまでとはちがった刑事ドラマに仕上げてた。そんなテレビシリーズをみてたので、めずらしく「この映画みるぞ!」って思って劇場に足を運んだ作品。ふつ~~に楽しめました。

<あらすじ>
湾岸署管轄内に住む警視庁の吉田副総監が誘拐され、警察庁参事官の室井(柳葉敏郎)を筆頭に本庁の面々は、特別捜査本部を湾岸署に設置した。所轄には協力を求めようとしない本庁の刑事たちにハラをたてる青島(織田裕二)だが、誘拐犯グループはオタク少年たちであると目星をつける。一方、副総監と懇意だった和久(いかりや長介)は独自に聞き込みを開始し、怪しい少年の後を尾けるが、その仲間に襲われゴミ焼却場に拉致される。やがて容疑者の少年を絞り込んだ青島とすみれ(深津絵里)は和久を救出する。

時代性を反映した、よくもわるくも軽いノリの物語であった・・・。

by ssm2438 | 2010-01-31 03:33
2010年 01月 31日

レイダース/失われたアーク(1981) ☆☆

f0009381_395440.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス
脚本:ローレンス・カスダン
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ハリソン・フォード (インディアナ・ジョーンズ)
カレン・アレン (マリオン・レイヴンウッド)

        *        *        *

次回作『魔宮の伝説』の一年後の話。一作目だけあって、次の『魔宮の伝説』と比べるとすこしは怖さもあっていいけど・・、やっぱりこの手の映画はつまらない。なんいも考えないで映画を見たい人向け。

<あらすじ>
高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)には、世界中の宝物を探し発見するというトレジャーハンターとしての顔があった。ある日インディの下に、アメリカ政府機関から、ナチスドイツが聖櫃(アーク)の発掘を進めているという情報が舞い込む。何としてでもナチスより先に聖櫃を手に入れろとの依頼を受け、インディは聖櫃の争奪戦に臨む・・・。

by ssm2438 | 2010-01-31 03:10 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 01月 31日

インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(1984) ☆☆

f0009381_2585236.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
原案:ジョージ・ルーカス
脚本:ウィラード・ハイク/グロリア・カッツ
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ハリソン・フォード (インディアナ・ジョーンズ)
ケイト・キャプショー (ウィリー・スコット)
キー・ホイ・クァン (ショート・ラウンド)

        *        *        *

アトラクション映画ですね。世間ではこれを面白いという人も一杯いるようですが、ほんとにそう思ってるのかどうかかなり疑問。私は全然面白いと思わなかった。時代設定は前作より1年前だとか・・・。ふ~~~ん。

<あらすじ>
前作より1年前の1935年、考古学者インディ(ハリソン・フォード)と歌手ウィリー(ケイト・キャプショー)、相棒の少年ショート・ラウンド(キー・ホイ・クァン)ギャングの策略により飛行機は墜落、インドへたどり着く。
村にはサンカラ・ストーンと呼ばれる秘石が祭られていたが、邪教集団に奪われ、村の子供も連れ去られたという。 老人に救世主だと思い込まれてしまったインディ達は、サンカラ・ストーンと子供達を取り戻すため、邪教集団が住み着いているという、かつてマハラジャが支配していたパンコット宮殿へ向かうのだった・・。

by ssm2438 | 2010-01-31 02:59 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 01月 31日

ディスクロージャー(1994) ☆☆

f0009381_2391138.jpg監督:バリー・レヴィンソン
原作:マイケル・クライトン
脚本:ポール・アタナシオ
撮影:アンソニー・ピアース=ロバーツ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
マイケル・ダグラス (トム・サンダース)
デミ・ムーア (メレディス・ジョンソン)
ドナルド・サザーランド (創設者ボブ・ガーヴィン)

        *        *        *

逆セクラは映画というレッテルを貼られている映画だが、セクハラの部分はあくまで展開の都合上でててきたもので、お色気映画ではなく(ち、残念)、それ自体を映画の描くべきテーマにしているわけではない。基本ラインはパソコンソフトメーカー(一応マイクロソフトのようなものとして描いているのかもしれないが・・)内での権力争いの話。やってることはスケールがちいさくみえてしまい、天下国家を動かすような話でもない。
原作は『アンドロメダ・・・』『ジュラシックパーク』マイケル・クライトンだが、今回の映画はちょっとクライトンのダメなところが出たような作品だったと思う。

・・・・しかし、これ、なんでこの路線でつくっちゃったんでしょうねえ。お色気系で推せばもっと評判になりそうな素材なのに・・。もったいない。もうちっとは観客が期待するものを提供するサービスもしてほしいものだ。そうはいってもこのころのデミー・ムーアはすでにインプラントの胸であり、服を着ている上からは見栄えはいいが、ヌードそのものには魅力がなくなってしまっていた。やはり彼女のヌードをみるなら『きのうの夜は・・・』だろう。このころの彼女はとってもみずみずしくて大好きだった。

<あらすじ>
シアトルのハイテク企業、ディジコム社。トム・サンダース(マイケル・ダグラス)は先端機器開発部の統括部長に任命されるはずだったが、創設者ボブ・ガーヴィン(ドナルド・サザーランド)のおすメレディス・ジョンソン(デミ・ムーア)がそのポストについた。メレディスは10年前トムが愛した恋人だった。
その夜、メレディスは自分のオフィスにトムを呼び誘惑する。トムのまえにひざまづき、ジッパーをおとしてブロージョブのメレディス。おもわず押し倒してもうやってしまえとメレディスにのしかかるトム、しかしトムはなんとかわれに返り、「戻って私を抱きなさい」と叫ぶ彼女を振り切り、彼は部屋をあとにした。翌日、トムが出社するとメレディスは会社の上層部に、トムにセクハラされたと訴えていた。
窮地に立たされるトム。そんな八方塞のトムにメールで、適切なアドバイスを与える「友達」。トムはそのアドバイスに従い、セクハラ訴訟では屈指の実績を持つ女性弁護士キャスリーン・アルヴァレス(ローマ・マーフィア)を雇い、メレディスと戦う。結果、メレディスは提訴を取り下げる。しかし、トムが進める新製品に、重大なトラブルがあり、メレディスはそれを理由にトムを追い落とそうとたくらんでいた。トムは、極秘データの検索を行い、生産ラインのトラブルは、メレディスが指示した結果であることを知る。
いよいよ新製品発表会の当日、トムの責任を追求しようとするメレディスに、その裏工作がメレディス自身であった証拠を提示するトム。メレディスは左遷され、「友人」が統括部長に任命された。またしてもトムは昇進できなかったのであった・・・。

バーチャル検索システムなど、マイケル・クライトンらしいところもあるが、やはりこの映画を見たいと思う人が期待したのはデミー・ムーアとマイケル・ダグラスの政治的立場が味付けした“H”シーンだっただろう。だいたい本筋は普通の企業内の勢力争いというサスペンスというだけで成り立っていて、セクハラシーンがなくても成り立つ筋書き。もうちょとプロデューサー連中は考えなさいよ!て感じの映画でした。もうすこし、そのいかがわしいシーンをたたせるもって行き方がほしかったな。

この作品にかぎらず、監督のバリー・レヴィンソンは、総合的なまとめ方がすごく下手な人なのだと思う。『ナチュラル』にしても『グッドモーニング・ベトナム』にしても『レインマン』にしても・・、部分部分はいいのだけど、もうすこし総てが統合されていくエンディングが出来そうなものだけど・・・、それをまとめ切れないんだよな・・、この人は。

by ssm2438 | 2010-01-31 02:43
2010年 01月 30日

薬指の標本(2004) ☆☆☆

f0009381_945254.jpg監督:ディアーヌ・ベルトラン
原作:小川洋子/『薬指の標本』
脚本:ディアーヌ・ベルトラン
撮影:アラン・デュプランティエ
音楽:ベス・ギボンス

出演:
オルガ・キュリレンコ (イリス)
マルク・バルベ (標本技術士)

     *     *     *

フランスの女性監督ディアーヌ・ベルトランが、『博士の愛した数式』の原作者小川洋子の同名小説を、舞台をフランスに移して映画にした、ミステリアスなラブストーリー。

レモネードの飲料水を造る工場ではたらいている主人公のイリス(オルガ・キュリレンコ)は、次から次へ流れてくるビンの中に、先がこわれているビンを発見、これを取り除こうとして薬指の先を切断してしまう。たぶんこれは「結婚をもうしない女」の象徴だったのかもしれない。そんな彼女は工場を辞め、どこかの誰も知らない港町にやってくる。そのまちで出会った標本技術士(マルク・バルベ)。被支配願望のなかにある種の陶酔をおぼえていく女性の話。女性ならでは話だろう.

ただ、ここに演出上の問題がひとつある。
それは、薬指を切断するシーンをきちんと描いてないために、ほんとに切断してしまったのか、ただの怪我だったのか、よく判らないのだ。それが気になって本来のストーリーにはまれない。そんなわけで私は最初、これが確認できるまでしばらく早回し状態で、2度目でやっとこさ真剣にみられた。
結局、この件に関しては、やはり切断されてしまったのだろうと解釈することにした。そしてその後、指はあるのだが、あれはダミーの指をつけてるかなにかだろうなって思った。ほんとはよく判らないのだが、総解釈するしかなさそうだ。こういうところは大事なところなので、きちんと分るように描いてほしいものだ。


物語の中に登場するラボは、依頼人がもって来たもの標本として保存するところ。標本は依頼主に返すことなく標本室で保管されるが、いつでも見に来ることができる。しかし、来る者はほとんどおらず、皆思い出から解放されるために封じ込めるという。物語の冒頭では、高校生くらいの少女が標本にしてほしいとキノコをもってきた。なんでも彼女が住んでいた家が火事になり総てを失ったのだが、その焼け跡から生えてきたキノコだという。
またある人は、昔の恋人からプレゼントされた楽譜を持ち込んで、それを標本にしてほしいと頼んできたりもする。「影」やら「悪霊」も標本にしてほしいという依頼もあったりするが、それはヒロインのイリスがきっぱりと断っていた(苦笑)。
その建物は、見た目は古びた3階建ての洋館で75部屋もあり、地下にはかつて使っていた沐浴上と、標本技術士の作業部屋がある。上の階の二部屋には一般人が住んでいて、一人はピアニストだった老女、もう一人は電話交換師だったこれも熟年の女性。それに彼女の(どちらかの)孫がときどき顔をだしている。他の部屋は標本の置き場として使われている。
物語が後半にさしかかると、電話交換師だった女性から、「あなたの前にいた女性もある日突然いなくなった。あなたはいなくならないでね」といわれたりする。そこに住んでいる二人の年老いた女性たちは、標本として若さを封じ込めるだけの勇気がなく、しかし去りがたく、そのまま歳をとってしまった女性たちなのかもしれない・・・。

f0009381_9205637.jpg物語の最後の、以前飼って小鳥の骨を標本にしてほしいとたずねてきた靴磨きの男のところにいき、標本技術士から「いつもはいていてほしい」と言われたその靴をみがいてもらう。「その靴を脱いだら自由になれるよ」という靴磨きの男に、「自由になりたくないの」と答えるイリス。
「自由=素晴らしい」、というのは教えられた既存の概念すぎる、・・・それをさらりとドラマにした映画といえるだろう。

主役をつとめたオルガ・キュリレンコは、先ごろ『007/慰めの報酬』でヒロインをつとめたウクライナ出身のファッションモデル。この映画『薬指の標本』でデビューを飾った。とにかく身体が素晴らしい。すごく自然でやせてるいわけでもなく、太ってるわけでもなく、まさに身体のラインはナチュラルなのだ。もっとも脱毛はしているので肌はすべすべだけど。

映画は原作のラインを可能な限り壊さずにつくられているらしい。それでもいくつか追加された条項もある。イリスがホテルで部屋をシェアする男と、ときどきラボに出没する子供はディアーヌ・ベルトランの創作らしい。
ルームシェアの男とは顔もほとんどあわすことがなく(彼は夜港で働いている)が、自由人として付き合える男としての可能性だったのだろう。最初は違和感を感じたが、たしかにあってもいいキャラだと思った。
そしてときどき顔をだす男の子・・・こちらはなんなんでしょうね。ハルシネーションかもしれない。二人の老女がまだ若いとき、彼女たちの若い身体をみていた標本技術士の子供の頃のイメージなのかな・・と思っても見たり。
どちらも原作にはないキャラだが、言葉もない、物語の進行を邪魔しない、しかしさりげなく想像力をかきたててくれる、なかなかいい追加キャラだと思った。

さらにもう一つ付け加えるなら、彼女がやってきた港の風景画いい。
こういうところは望遠にかぎる。

by ssm2438 | 2010-01-30 09:22
2010年 01月 30日

ホワイト・ドッグ(1981) ☆☆

f0009381_212772.jpg監督:サミュエル・フラー
脚本:サミュエル・フラー/カーティス・ハンソン
撮影:ブルース・サーティース
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クリスティ・マクニコル

        *        *        *

知る人ぞ知る隠れて名作(?)。ホワイトドックというのは、白人至上主義者が黒人を襲わせるために育てた攻撃犬。子供の頃から黒人に対する悪意を植え付けるために、黒人にお金をはらい、その子犬を散々いじめたおす。そうして育てたれ犬は、知らず知らずのうちに黒人と見ると憎しみをぶつけるようになるという・・。

監督はサミュエル・フラー、脚本はフラーと一緒にカーティス・ハンソンが書いているという、何かあってもおかしくないラインアップである。
サムミュエル・フラーは、アメリカではB級映画監督と見なされていたが(実際そうだと思うが)、ヨーロッパ、特にフランスなどでは高く評価された監督さん。ジャン=リュック・ゴダール監督の作品『気狂いピエロ』に出演、その中で<インタビューされるサミュエルフラー>といいうシーンがあり、そのシーンのなかで、「映画とは何か?」との質問に「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ」と答えたこという。ありきたりすぎて詰まらない。

ちなみにこの映画、制作されたのは80年代の初めだったが、二本公開はそれから10年もたった90年だった。渋谷の映画館で単館上映されていて、しかたがないので、わざわざ渋谷まで見に行ってしまった。

<あらすじ>
新人女優のジュリー(クリスティ・マクニコル)は帰宅途中に白いシェパードを車で轢いてしまう。近くの獣医に連れていき、持ち主が分るまで自宅で世話をすることにする。
日ごろおとなしい犬だが、仕事現場にその犬を連れていくと、共演相手の黒人女優に襲いかかる。その頃から、よなよな黒人が襲われる事件がおきる。帰ってきたその犬の口の周りには赤黒い血がついていた。そうこうしていると飼い主が名乗り出てくる。やさしい叔父さんであった。しかし、かれが人種差別主義者であり、この犬をホワイトドッグに仕立て上げたとわかると、ジュリーは返却を拒否、犬の調教師のところに預けるのだった。
黒人の調教師のキーズ(ポール・ウィンフィールド)は、かつてホワイト・ドッグの調教を試みたことがあったが、その矯正に成功したことは一度もない。しかし、かれはこのホワイドッグの魂の矯正に挑戦していく。

by ssm2438 | 2010-01-30 02:12
2010年 01月 30日

ドリーム・ラバー(1985) ☆☆

f0009381_1391118.jpg監督:アラン・J・パクラ
脚本:ジョン・ブアスティン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:マイケル・スモール

出演:クリスティ・マクニコル

        *        *        *

何を勘違いしたのか1986年のアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭でグランプリをとってしまった作品。対抗馬といえば『第五惑星』くらいだったみたい。
だいたいパクラの映画がアヴォリアッツに出展されるということ自体不可思議なこと。この映画を見たことのある人はそういない思うが、個人的にはそれほど悪くないと思った。まあ、パクラファンなのである程度贔屓目は入っているし、ヒロインはクリスティ・マクニコルだし、撮影はスヴェン・ニクヴィストだ。普通はゴードン・ウィリスがパクラ作品の常連なのだけど、きっとなんらかの仕事があって手が空いてなかったのだろう。いやいやしかし、だからといってベルイマン御用立つのスヴェン・ニクヴィストをつれてくるか・・!?って感じでした。

<あらすじ>
フルート奏者の学生キャシー・ガードナー(クリスティ・マクニコル)はアパートに侵入してきた男もみ合いになり、彼が落としたナイフを拾って背後から刺し殺してしまう。事実を父に話すが、正当防衛が通用しないと判断した父は、キャシーに偽証させる。失意のキャシーは家を出てピアニストの友人ケヴィンと暮らすことにするが、それからというもの、彼女は悪夢に悩まされ、不眠症となっていく。
そんなキャシーに声をかけたのがある研究機関のマイケル・ハンセンだった。調べてみるとキャシーは夢を見ている間にも筋肉が反応する、珍しい体質だった。そして夢の中で彼女は殺人鬼と化していた。やがて夢でみたことを実行するようになるキャシー。夢と現実の区別がつかなくなってきた彼女は、やって来た父を、自分が殺した男と混同して父に襲い掛かる。

・・・このての話はあんまりパクラには似合わない。パクラの場合は、主人公の住む世界が、ぐいぐい主人公を圧迫していくところが面白いのだけど、この映画はどっちかというとその反対、内側にあるものが主人公をおいつめていく話。・・しかし、そういってしまえば聞こえはいいが、夢に見たことを実行していく主人公が目が覚めてから夢遊病に苦しむだけの話であり、マクニコルの過去になにかもっと深いダークサイドのトラウマがないとダメだったかも。

by ssm2438 | 2010-01-30 01:39
2010年 01月 30日

デビル(1997) ☆☆☆

f0009381_05208.jpg監督:アラン・J・パクラ
脚本:ケヴィン・ジャール
デヴィッド・アーロン・コーエン
ヴィンセント・パトリック
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ハリソン・フォード (トム・オミーラ)
ブラッド・ピット (ローリー・ディヴァニー)

        *        *        *
何を撮ってもおもしろくないアラン・J・パクラの、世間では面白くないといわれてるけど、個人的には嫌いではない作品(苦笑)。パクラの映画は主人公に感情移入しすぎず、ストイックな立場でカメラを回してるのがいんだよね。ま、なんだかんだといってもやっぱり嫌いになれない監督さんの一人でして・・。
しかし、この監督さんの映画は主人公感情移入系のドラマではないので、あんまりブラッド・ピットとかハリスン・フォードとかを使う意味もないのだけど・・。これがアラン・J・パクラの遺作となってしまった。

この映画は、あんまり評判良くなくて、私もパクラファンのひとりだけど、けっこう疎遠にしてた映画。しかし『ゴルゴ13』の26話「冷血キャサリン」でIRAがらみの話をつくることになり、雰囲気だけは知っておこうかとその関連の映画を見たときの一本。アニメのコンテを描くとき、私の場合は雰囲気重視なのでどうしても何本かそれらしい映画をみてから描くことにしている。ちなみにもう一本は二ール・ホモ・ジョーンダンの『クライング・ゲーム』。正直なところどっちもそれほど参考にならなかったのだが・・(苦笑)。

映画自体も悪くもないが良くもない、無難な映画だったと言えるだろう。
この物語はもともとはブラッド・ピット主演という形で物語が作れるスタンスで始まったらしい。当時彼は飛ぶ鳥落とす勢いだった。彼のもとにきたシナリオを読んだピットは、準主役となるだろうニューヨークの警官をハリスン・フォードはどうだろうと提案したそうな。ただ、ハリスン・フォードを使うとなると準主役ではなく、主役扱いでないとダメだということになり、その役をもっと人情的に書き込むことになったらしい。これは映画会社の主張なのかハリスン・フォードの主張なのかはわからないが、個人的には悪くない方向性で進んだと思える。
お互いが、一個人同士だと愛せる人なのに、その人のバックボーンを知れば知るほど相容れない立場だということになる。客観的には対立構造だが、主観的には愛せるキャラクターという、ドラマではここちよい物語の構成になっている。
ちなみに、監督はそのあと決まる。ハリスン・フォードの提案により、アラン・J・パクラにきまったそうな。なので、この作品彼主導の作品ではなく、パクラ自信がリーダーシップがとりづらかったのだろう。
ストーリーが決まらないまま撮影に入ったこの作品の撮影はどんどん遅れ、とにかく早く上げて次の仕事につきたいブラッド・ピットはそんな状況に不満を公言するようになる。そんなわけで映画制作の現場でも荷台俳優がギクシャクした関係になり、雰囲気のわるい現場になったそうな・・・。

ただ・・・、パクラが撮るなら、『ジャッカルの日』のようなストイックな作品としてあげてもよかったのではないかなとも思う。もうすこしハリスン・フォードの役どころを抑えて、目的を果たすためにIRAのエージェントというだけのほうがかなりスリリングだったのではないかな・・・と。

<あらすじ>
8歳のフランシス・マグワイヤーは、IRAに協力的だった父を眼前で殺された。それからというもの北アイルランドの独立運動に身を投じ、冷徹なテロリストとなった。SI5(英国秘密調査局)に襲撃され、仲間の大半を失った彼はローリー・ディヴァニー(ブラッド・ピット)という偽名でNYに渡る。
ローリーが下宿することになったのは、NY市警察官トム・オミーラ(ハリソン・フォード)の家だった。家族と一緒にすごすトムはローリーを祖国から来た純朴な青年として、家族同様に迎えたが、ローリーはマフィアとセ色、武器と資金調達のために動いていた。
英国から来た捜査官からローリーの正体を聞かされたトムは、激しい怒りを覚える。一方ローリーはマフィアの一味を倒し、ミサイルを手に入れた。ミサイルを積んで出航したローリーの改造船に飛び乗り二人は最後の対決となる・・。

by ssm2438 | 2010-01-30 00:52 | ゴードン・ウィリス(1931)