西澤 晋 の 映画日記

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2010年 02月 21日

ターミナル(2004) ☆☆☆

f0009381_2341519.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:サーシャ・ガヴァシ/ジェフ・ナサンソン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ビクター・ナボルスキー)
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ (アメリア・ウォーレン)
スタンリー・トゥッチ (フランク・ディクソン)

        *        *        *

ゼタ姐さんがメグ・ライアンみたいに可愛い!!

東欧のある小国でクーデターが勃発、その政府が発行したパスポートが無効になってしまう。その国からニューヨークにやってきたビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、アメリカへの入国許可が下りず、空港で足止めされてしまう。管理局のフランク・ディクソン(スタンリー・トゥッチ)は、わずかな食品権と呼び出しベルと空港内限定の自由を与える。それからというもの、自国の戦争が終わって、政府が機能するまでナボルスキーの空港ビル内でのサバイバル生活が続く。

はじめのうちには、ろくに言葉も勉強せずにアメリカにきたノボルスキー=トム・ハンクスは言葉もほとんどわからない状態にかなりイライラ。そんなあほな状態でアメリカなんか来るなよって思ってしまう。
とりあえずお金の問題は、放置されたカートを指定の場所に戻すと25セントバックさせるようになっている仕組みを発見、空港内に放置されたカートを集めてきては小銭を集めてくることで解決。それでマクドナルドのハンバーガーを食べる。空港内の本屋で母国語の本と、英語の本を買い、照らし合わせながら言葉の勉強。夜は改修工事中で使われてないゲートで寝泊り。そんなこんなでなんとかサバイバルはできてしまう。しかし、あまりにイライラするので早期退散しようかともってたら、なにやらめっちゃかわいいキャサリン・ゼタ=ジョーンズ登場。

f0009381_23413470.jpg空港で転んでヒールのかかとが取れてしまうゼタ姐さん。そのかかとをトム・ハンクスが拾ったことでとりあえずその後発展のきっかけになる。いやいやしかし、このゼタ姐さんはそれまでのゼタ姐さんとは全然違う、まるでメグ・ライアンみたいなゼタ姐さん。でもあっという間に彼女は場外に・・(苦笑)。
しかし、それからなんとかモチベーションが続いたかな。ゼタ姐さんとトム・ハンクスとのやり取りが少しづつ増えていくとなんとか見る続けようという気になった。空港内で起きるヒューマンドラマを描きつつ、ずっとある男と結ばれることを7年間もまちづづけているゼタ姐さんと、父との思い出をコンプリートするためにニューヨークのダウンタウンに出なければならないトム・ハンクス。待ち続ける者同士が本のひと時心を通わせる。数ヶ月もこの空港で寝泊りして、そのうち何回はゼタ姐さんとのコンタクトもあり、お互い気持ちが惹かれあってくるのだが・・、ゼタ姐さんのところにその男からついに電話がかかってくる。結局ゼタ姐さんはトム・ハンクスと切って彼のもとに走る。
トム・ハンクスも、戦争が終わりニューヨークの街に出ると、死んだ父が集めていたジャズのミュージシャンのサインを手に入れてコレクションをコンプリート。母国へ帰っていく・・。

正直「・・・・え????」って感じでした。もしゼタ姐さんとトム・ハンクスを引っ付けないのなら、空港から開放されたときに終わらせれば良かったのに。そのあとダウンタウンに行って最後のミュージシャンにサインをもらって終わりってのはどうなん???? 

トム・ハンクスが欲していたそのミュージシャンのサインは、あくまで父の想いを継いだもので、トム・ハンクスのものじゃあないだろう。一度フライトにでたら2週間はもどらないゼタ姐さん待って空港で過ごしてて、そんな生活を数ヶ月もしてて、で最後は「ボクが待ってたのは君だ」って言ったのに・・それで終わるんかい? それだったら空港出た時、最後にまたゼタ姐さんにあった時、奪って逃げるとか・・。
それがダメなら・・・、ここでも伝家の宝刀「そして・・年後」を使ってほしかったなあ。

・・・そして15年後。
ゼタ姐さんのダンナは死にました。葬式でたちつくすゼタ姐さん54歳。みんなが埋葬された後から帰るがゼタ姐さんだけはしばし思い出に浸っている。やっと納得できたのか、帰ろうとする何かに躓いて転ぶ。ヒールのかかとがとれてしまった。そのヒールをひろって差し出す男あり、トム・ハンクスであった。見つめあう二人・・・・ってエンディングが良かったなあ。

もうちょっとなんとかならんかったかなあって映画でした。

by ssm2438 | 2010-02-21 23:45 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 02月 21日

スチュアート・リトル(1999) ☆

f0009381_19193066.jpg監督:ロブ・ミンコフ
脚本:M・ナイト・シャマラン/グレッグ・ブルッカー
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
ヒュー・ローリー (ミスター・リトル)
ジーナ・デイヴィス (ミセス・リトル)
ジョナサン・リプニッキ (ジョージ・リトル)

声の出演:マイケル・J・フォックス (スチュアート)

        *        *        *

この映画、なんかで見なきゃいけないって思ってたら・・・はは、間違えた。見なきゃいけないのは『スチュアート・リトル2』だったら。あっちはブルース・ジョエル・ルービンが脚本書いてる。・・・こっちは・・・とりあえず見たけど、さして燃える要素はなかったかな。スタッフチェックしたら・・はは、ナイト・シャマランが脚本書いてる。おお!?
やっぱり人間と一緒に写す時に、スチュアートが小さすぎる。見栄えがしない。ネズミに設定したのはちょっと間違いだったんじゃないだろうか・・。

<あらすじ>
リトル家の一人息子ジョージ(ジョナサン・リプニッキ)は「弟が欲しい!」といい、パパ(ヒュー・ローリー)とママ(ジーナ・デイヴィス)、は養子縁組みをすることにする。養子選びに出向いたリトル夫妻がピンと来たのは、人間の子供ではなく、ネズミのスチュアート(声=マイケル・J・フォックス)だった。
しかし、ジョージは新たな弟がネズミと知ってがっかり。飼猫のスノーベルは、家族になったのがネズミで、自分はネズミのペットとなった立場に憤慨、彼をいじめる。思い余ったスノーベルは、ノラ猫のボスに相談。スチュアートのニセの両親(ネズミ)を仕立て上げ、リトル家のスチュアートを連れ出すことにする。泣く泣くスチュアートを手離すリトル家の人たち。が、ニセ者パパとママは改心、スチュアートはリトル家の祝アート・リトルであることに喜びを感じ、再びリトル家をめざす。しかし野良猫グループに追われ大ピンチ、そのとき家族のスノーベルが登場、リトルを助けて無事、帰還するのだった。

by ssm2438 | 2010-02-21 19:29
2010年 02月 20日

ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間(1992) ☆☆☆

f0009381_22334540.jpg監督:デヴィッド・リンチ
脚本:デヴィッド・リンチ/ロバート・エンゲルス
撮影:ロン・ガルシア
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演:
シェリル・リー (ローラ・パーマー)
カイル・マクラクラン (デイル・クーパー)

        *        *        *

世間では評判あんまりよくない映画だとは思うが、私はけっこうこの映画は感動してしてしまった。

この映画いざ、見ようとすると、どうしてもテレビシリーズをきちんと見てなければいけないような気分になってこの映画だけ見るってわけにはいかないだろう。しかし、テレビシリーズを全部見るに気になる人などいないだろう。結果的にこの映画はほとんど忘れ去られる運命にあるのかもしれない。なおかつドナを演じたララ・フリン・ボイルが出ないのも一気に興が冷める。
ただ、『ツインピークス』っていうドラマ、ある程度意味がわかってみるとこの『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』は決して悪くない。

そもそも『ツインピークス』とはどんなドラマだったのか・・? これが判ってないと話しにならない。ぼーっと見れてばたんにデビット・リンチの怪しい演出だけのテレビシリーズのように感じるだろうが、根底にはかなりしっかりとした哲学がある。その哲学とは「自分をあきらめない」ということだ。この物語のなかで「自分をあきらめた人」はボブ(山の悪霊)の魂を乗っ取られる。多分ローラ・パーマーの父親も、自分のために生きることをあきらめたがゆえにボブに乗っ取られたのである。最後カイル・マクラクランンもボブに魂を乗っ取られる。あれも、最後の最後で、自分を放棄したから乗っ取られたのだ。
しかし、このローラ・パーマーはどんなにボブの身体は乗っ取られようと、魂は決して譲らなかった。彼女は最後まで、自分をあきらめなかった。この対決姿勢は、どんなに私を感動させてくれたことか・・・。

『ツインピークス』というドラマは恐ろしいまでに「人は、悲しいまでの己のために生きるもの」という一番コアな哲学を提唱しているドラマだ。そして「自己犠牲」という偽善を徹底的に非難したドラマだった。
最後まで自分をあきらめなかったローラ・パーマーは『世界で一番美しい死体』と呼ぶにふさわしい。

by ssm2438 | 2010-02-20 22:34
2010年 02月 20日

ドリヴン(2001) ☆

f0009381_2242553.jpg監督:レニー・ハーリン
脚本:シルヴェスター・スタローン
    ジャン・スクレントニー
    ニール・タバクニック
撮影:マウロ・フィオーレ
音楽:BT

出演:
シルヴェスター・スタローン (ジョー・タント)
キップ・パルデュー (ジミー・ブライ)
ティル・シュヴァイガー (ボー・ブランデンバーグ)
バート・レイノルズ (カール・ヘンリー)
エステラ・ウォーレン (ソフィア・サイモン)
ジーナ・ガーション (キャシー・モレノ)

        *        *        *

エステラ・ウォーレンのうにょうにょ泳ぎだけ感動

エステラ・ウォーレンってそんなに好みではないのですが、この映画では目を引いた。彼女がいなかったら途中でやめてたよ。

この映画の最大の欠点はシナリオが弱すぎること。とにかく開いた。深みのなんにもなし。シルヴェスタ・スタローンも自分が優勝する気で走ってないからもう見る気もうせる。本人は『グランプリ』みたいな話になればって思ってたのかもしれないが、いかんせん葛藤というか、しのぎあいがなさすぎた。
さらにこの映画をだめにしてるのは下手なCG。レニー・ハーリンはCGの使い方下手すぎ。『ディープブルー』でも下手なサメCGの横フォローなんて使ってたけど、ほんとに下手。多分私がしっているなかで、CGの使い方が一番下手な監督だと思う。
ひたすらしアリティをそこなうようにしか使わないので「もしこの映画がCGを使われないでとられたら・・」って思うの、断然そのほうがいいような画面が目に浮かぶ。クラッシュシーンなんかもスローでとるならそれでいいんだけど、いきなりクイックにしてみたり・・、それじゃあ作為性もろだしだよ。そんなこんなでリアリティどんどん失わせるからレースのシーンもたるいたるい。子供だましもいいかげんにせえよ!って思ったよ。
市街地をはしらせるのも意味ないし・・、まったくただのデモンストレーションだけだった。ストーリー上それに意味があったんかいな? ついで言うならF1とCARTシリーズ(現行のチャンプカー)の違いをはっきり出してほしかったなあ。知らない人がみたらあれは変なF1だと勘違いしかねない。

しかし、ひさびさにバート・レイノルズが見たれたのは嬉しい。このおっさん、さりげなく好きです。

<あらすじ>
その歳のCART選手権は、年度のチャンピオン、ボー(ティル・シュワイガー)がリードしていたが、シーズン前半にして無名のルーキー、ジミー(キップ・パルデュー)がランキング・トップに躍り出た。そんなジミーをなんとか一人前のカートドライバーに育てようと考えたオーナー、カール(バート・レイノルズ)は、元花形レーサーのジョー(シルヴェスター・スタローン)にサポート役としてレース復帰をうながす。レースに復帰したジョーは、まだまだ荒削りのジミーにアドバイスを送り、かれをシーズンチャンピオンに導くのだった。

by ssm2438 | 2010-02-20 22:04
2010年 02月 20日

寂しい時は抱きしめて(2005) ☆☆☆

f0009381_1201650.jpg監督:クレメント・ヴァーゴ
脚本:タマラ・フェイス・バーガー/クレメント・ヴァーゴ
撮影:バリー・ストーン
音楽:バイロン・ウォン

出演:
ローレン・リー・スミス (ライラ)
エリック・バルフォー (デビッド)
ポリー・シャノン (ヴィクトリア)

        *        *        *

肌と肌、心と心の触れ合いを描いた映画

おもわぬ拾いものだった。R18指定の映画だけど、所詮は一般映画のうちなのでそんなに“H”があるわけではないだろうと思ってたらこれがどうして連打連打。R18指定の映画の中でももっとも“H”の多い映画ではないだろうか。・・しかし! この映画の“H”は、サービスの“H”シーンではない。これがシャロン・ストーンのサスペンスだったりするとサービス“H”ばっかりだけど、もちろんそれはそれで嬉しいのだが、この映画は、それが絶対不可欠だから描いているという説得力がある。なのでそこらのR18指定映画とは明らかに違っている。
“H”シーン自体も“H”することよりも肌に触れること、肌と肌を合わせることを重点的に描いているので実にほんものっぽい感じが体感できる。これがハリウッドのアクション映画とかエロチックサスペンスの中の“H”シーンだとどうしても象徴的表現になりがちだが、この映画は、“H”にいたるまでの肌へのふれあいを丹念に描いてくれてる。“H”に憧れる世代には向かないかもしれないが、“H”を経験してる人たちが“ああ、この感じわかるわかる・・”という、あふれ出しそうな欲望の調整された感じが実にリアルです。
セックスを描いた映画というのは実はそうあるわけではないが、この映画は実に良い感じで描かれている。

主人公のライラは、セックスは出来ても恋愛は出来ない女性。この映画が制作された翌年アシュレイ・ジャド主演で『恋愛依存症』という、これもセックスは出来ても恋愛の出来ない恋愛恐怖症の女性の話が作られた。メンタリティ的には同じなので暇がある人はみくらべてみるのもいいだろう。
ただ・・・私の意見としては、女というものはセックスは出来ても男を愛する能力はないものだと思っている。この『寂しい時は抱きしめて』の最後は、二人はひっつくのだが、どうみても女のほうが男を愛しているとは思えない。そういう意味ではリアルだなあ。

この映画をみるきっかけになったのは『警察署長ジェッシイ・ストーン』シリーズに出ていたポーリー・シャノンをみたくて、彼女が出ている映画を探していたのだが、なかなかの映画に偶然めぐり合えたものだ。ポーリー・シャノンもけっこう色っぽくて、ちょっと意地悪そうで、とってもいい感じだった。

しかし、“H”シーンのたびにきちんとコンドームをつけるのはいかにもカナダ映画らしい。ジェームス・ボンドなら絶対にありえないシーンだ。

<あらすじ>
f0009381_913482.jpgライラ(ローレン・リー・スミス)は、オナニーでは抑えられない心の虚無感を埋めるためにクラブに出かける。洗面所で知り合った男デビッド(エリック・バルフォー)になにかしら求め合うものを感じたライラだったが、外からその男を呼ぶ声がする。出て行く男。しばし時間をおいて出て行くと、彼に声をかけた女(ポーリー・シャノン)が意地悪そうに見つめている。フロアでは先ほどの男がライラに熱い視線を送っているが、ライラは他の男たちになぶられるように踊っている。やがてこれ見よがしにそのうちの一人の手を引いて外に出て行く。
やがてデビッドは連れの女をつれて駐車場の自分の車に戻ると、前方でライラが男のまえにひざまづきフェラチオをしてあげている。その後姿を興味深くみつめるデビッドの股間に連れの女の手が伸び、やがて顔をうずめていく。立ち上がり向きを換え、男に後ろから自分を犯させるライラ。目の前には先ほどあったデビッドが前方の車の中にいて、隣の女の頭が彼の股間でゆっくりと動いていた。そんなライラとデビッドは見詰め合ったまま、他の人とセックスをし果てた。

ライラの家庭はほとんど崩壊しており、離婚が避けられない状態になっていた。自分の育った家にもどるとライラの子供の頃の荷物がまとめられていた。家もそのうち売り払うようである。さらなる孤独感につつまれるライラはデビッドをもとめてクラブの近くを歩いてみる。実はデビッドの部屋はその近くにあり、窓からライラの姿がみえた。言葉を交わさない、さりげない誘い合いがあり、ライラはついに彼の部屋を訪れる。彼にフェラチオをしながら連れの女のことを尋ねると「別れた元彼女だ」と彼は言う。番号を交換してまた会うことを期待しながら別れるライラ。やっと孤独をいやせる相手をみつけたと思った。
しかし彼女の職場に例の女が訪れる。「もう寝た? 彼は母親の愛に受けているの。あなたは母親になれる? コックをしゃぶることはできても、愛はかえないわよ」と意味ありげな言葉をのこして去っていく。
それから何度か会ううちに恋愛恐怖症のライラでも、恋愛感情をもちはじめる。しかし、彼の部屋を訪れるたびに別の人物の気配がする。ある日連絡もなく彼の部屋をいってみるライラ。少し戸惑ったデビッドだが、やはりいつものように身体をあわせる。心地よい疲労感から眠ってしまうライラ。バスルームから聞こえてくる音に目が覚め覗いてみると・・・。

by ssm2438 | 2010-02-20 09:24
2010年 02月 19日

渚にて(1959) ☆☆☆☆

f0009381_18593187.jpg監督:スタンリー・クレイマー
脚本:ジョン・パクストン/ジェームズ・リー・バレット
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ/ダニエル・ファップ
音楽:アーネスト・ゴールド

出演:
グレゴリー・ペック (ドワイト・ライオネル・タワーズ艦長)
エヴァ・ガードナー (モイラ・デヴィッドソン)
フレッド・アステア (ジュリアン・オズボーン)
アンソニー・パーキンス (ピーター・ホームズ)

        *        *        *

考えられるユートピアのもっとも妥当な描き方はこれだ!

タイトルはロマンチックだが、内容はSFに属する(当時の)近未来SF。1959年に制作されたこの映画の部隊は1964年の北半球を包み込んだ全面核戦争後の世界(実際起こらなくてよかった・・)。北半球は放射能に汚染された南半球にもその汚染はこくこくと近づいていた。そんな状況下で、戦火を逃れたアメリカの原子力潜水艦がオーストラリアに寄港する。
2000年に『エンド・オブ・ザワールド』としてMTVも制作された。タイトルセンスはまるでダメだが、映画の内容的にはまったく引けを取らない素晴らしい出来だった。個人的には『エンド・オブ・ザワールド』のほうが好きである。

物語は悲惨な話なのだが、圧倒的に安らぎを感じる映画に仕上がっている。あまたの宗教の説法では感じられない安らぎである。それは競争原理の排除から生まれたことだと思う。
生命として生まれた以上競争原理のなかに組み込まれている。まだ決定されていない未来がある以上、今日を努力し、競争に負けない自分を構築していかなければ成らない。この宿命からは逃れられないものだ。しかしこの映画は、未来を奪ったのである。誰がどんなに頑張ってもどうせ死ぬのである。この状況が競争原理を亡きものにしてしまった。そこではひたすらピースフルな世界が展開される。
自動車レースにしても楽しみのためのレースでしかない。それまで降るスロットルで走ったことのない人たちが、一度は思いっきりアクセルを踏んでみたいという願望を体験している時間でしかない。事故して死のうが、ちんたら走ってゴールしても、どのみちあと数週間で死ぬのである。

この状況下で競争原理の排除=ユートピアという概念を実現させた物語の発想は素晴らしい。

<あらすじ>
オーストラリアのメルボルンに寄港したアメリカの原子力潜水艦ソーフィッシュ号の乗組員たちは、しばし陸に下りて魂に安らぎをあたえる。タワーズ艦長(グレゴリー・ペック)はモイラ(エヴァ・ガードナー)という女性としたしくなる。そんな時、全滅したと思われたアメリカ合衆国のサンフランシスコから謎のモールス信号が断続的に発信されて来る。ソーフィッシュ号はトーストラリア政府との協議により、人類生存の可能性をたしかめるべくシアトルに向かうことになる。これにオーストラリア科学工業研究所の研究員ジョン・S・オスボーン(フレッド・アステア)とオーストラリア海軍少佐ピーター・ホームズ(アンソニー・パーキンス)らも同乗することになった。
到着したサンフランシスコは死の町と化していた。サンディエゴで死滅したはずの町から発信されている無電を調査した乗組員は、それが風のいたずらであることを知った。乗組員たちは絶望する。乗組員の決により艦はメルボルンに帰港することを決定するが、サンディエゴをふるさとにもつ乗組員の一人は故郷に残ると逃亡する。乗組員も彼の逃亡を承認する。いよいよメルボルンに向かって帰るというとき、彼はゴムボートの上でひとり釣りをしてた。その横にぬもおおおおおおおと潜望鏡が浮上する。外部マイクと使ってお互いに別れを交わす。この違和感がとても素晴らしい。

メルボルンに戻ったソーフィッシュ号の乗組員たちは、今後の見の振り方をきめなければならない。そうするうちにもオーストラリアの各都市から死滅の便りがとどいてくる。なにをどうあがいても死ぬしなかい運命を受け入れるしかない。人々はのこりに時間を静かに、さわやかに謳歌する。自動車レースが開かれ、自動車狂のオスボーンは愛車のフェラーリを心行くまで飛ばした。そして優勝。タワーズとモイラは山小屋で一夜を明かした。街では自殺用の薬が配給された。ピーターと彼の妻は、子供を間に薬を飲んだ。オスボーンは車庫を密閉し、フェラーリのエンジンを全快にして排気ガスで自殺した。ソーフィッシュ号ではアメリカに帰国することが決定した。乗組員の決定にしたがいタワーズもモイラへの想いを断ち切って艦に乗った。モイラは渚でいつまでも潜水艦を見送った。

『エンド・オブ・ザ・ワールド』のラストでは、沖へ出て行く潜水艦を見ながらワインをかかげ
「私がもっとも一緒にいてほしい時に私を見捨てた男」気丈にひとりで乾杯をするが、タワーズ(アーマンド・アサンテ)は戻ってくるのである。彼は乗船しなかったのだ。
私はこちらのラストほうが好きだ。

by ssm2438 | 2010-02-19 19:07
2010年 02月 19日

男と女の不都合な真実(2009) ☆☆☆

f0009381_6522375.jpg監督:ロバート・ルケティック
脚本:ニコール・イーストマン
    カレン・マックラー・ラッツ
    キルステン・スミス
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:アーロン・ジグマン

出演:
キャサリン・ハイグル (アビー)
ジェラルド・バトラー (マイク)

        *        *        *

キャサリン・ハイグルは、『グレイズ・アナトミー/恋の解剖学』を見たとき「なんちゅう可愛い子が出てきたもんだ」って思ったが、とってもいい感じで進化してますな。風貌的には私の好きなシャーリーズ・セロンアシュレイ・ジャッドを足して2で割った様なかんじ。どこからどうみても典型的な美人です。あんまり美人過ぎるのでけっこう使いづらいかもしれないんじゃないかと思うくらいだが、これがどうして、どんな下世話ねたでも嬉々としてしゃきしゃきこなす。

しばし“H”のご無沙汰がつづいてるからということで、ジェラルド・バトラーから送られてきた感度回復パンティ(パンティにバイブがついている)を試しにさくっとはいてしまうキャサリン。そんな時にお迎えきがて結局そのまま、上司たちがあつまるレストランにいく。バイブのリモコン落とすとどこかの子供が拾ってなにやらがちゃがちゃとスイッチを押すとバイブの振動音とともにもだえだしたり・・、まあ、なんといいましょうか、まるでカトリーヌ・スパーク嬢(古過ぎる?)の映画ででてきそうなシチュエーション(苦笑)、あるいはかつての栄光日活ロマンポルノか・・。そんなシーンも明るくロマンチックコメディになしてしまうキャサリン・ハイグルに魅力は全開。

物語は『マイフェアレディ』のアンチ・フェニシストバージョンのような展開。自立してても彼氏がいないキャサリン・ハイグル。そんなキャサリンのお向かいさんに越してきた素敵な男、しかも医者。彼に持てるために、男の本音トーク(かなりステレオタイプな意見だったが)のジェラルド・バトラーの指南により、<男にもてる女>へと変貌していくキャサリン・ハイグル。
結局のところ、素敵なお医者さんはやめにして、ジェラルド・バトラーと引っ付くスタンダードなロマコメストーリーー。楽しく見させてもらった。

この映画のベストショットは、あのエレベーターの中のジェラルド・バトラーの根性なさ振りだろう。
男という生き物は、ほんとに好きな人の前ではチキンなものです。それは求めて拒絶される怖さからくるもので、そうなるのは仕方がないもの。つまり男は、ほんとに好きでない相手とは穏やかに自然に付き合えるものです。そして女が付き合いやすいと思うのは、こういう男だったりするのです。で、その女のことをホントい好きな男は「私に憧れているだけ」と整理をつける。
女が付き合うことになる男は、その女のことを深刻に好きではないので、結局他の女になびくのは当たり前。じゃあ、真剣に好きだった男のほうがいいのかというとそうでもない。彼はやはり女に対して理想を投影しているだけであり、ほんとに“H”をしようものなら理想像が崩れ去り、これはこれで幻滅するものだったりする。

・・・どっちにしても女の都合のいい男はいないようだ。男に都合のいい女もいるわけないし・・。
男と女の不都合な真実でしたとさ・・・。

by ssm2438 | 2010-02-19 06:52
2010年 02月 19日

プラダを着た悪魔(2006) ☆☆☆

f0009381_541624.jpg監督:デヴィッド・フランケル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
撮影:フロリアン・バルハウス
音楽:セオドア・シャピロ

出演:
アン・ハサウェイ (アンドレア・サックス)
メリル・ストリープ (ミランダ・プリーストリー)
エミリー・ブラント(エミリー)
スタンリー・トゥッチ (ナイジェル)

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スタンリー・トゥッチの説教とアン・ハサウェイのファッション・ショー

キャリアウーマンのサクセス物といえば、一昔前なら『ワーキング・ガール』なのかもしれいなが、今の時代はこれ、『プラダを着た悪魔』。もっとも、この映画の最後ではやっぱりやめて当初からの志望だったジャーナリズムに進むのだけど、これはこれでよいかな。
「ファッションなんて所詮は外観をかざるも。大切なのは内面だ」と私を含めたオヤジどもは思うだろうが、そこには絶えず変化する需要がある以上、競争力も激しい世界があり、それを提供する側にはその需要競争のなかで至上に受け入れられるものを提供していかなければならない。ファッション界とは人と同じなのも嫌、でも人と違いすぎるのも嫌・・という虚栄心と協調性のはざまで揺れ動く世界。そんな世界で絶えず一級品を提示していくひとたちの世界にはいりこんだ、普通の女の子の物語。

面接の日、普通におしゃれして行ったつもりが「ださい」と言われ、その世界に反感をもつアンディ(アン・ハサウェイ)。プロの目から見た凡人のお洒落は、本人が思ってる範囲の一番よさげなものを提示したとしても、大したものではないことは良くあることだ。そして見下されたものが、プロにたちに対しては反感をもつことも良くあることだ。彼女もそんな感じでそこの仕事に着いたのだが、徐々にプロの仕事振りをみせれられていく。

そしてこの映画の最大のポイントがやってくる。ファッション界のカリスマ・コーディネイター、ミランダ(メリル・ストリープ)に「失望したわ」と言われたアンディが半べそかきナイジェル(スタンリー・トゥッチ)のところへ行き「私は一生懸命努力しているのに認められない」と嘆く。しかしナイジェルは、「いや、君は努力していない」と言ってのける。それまでのアンディのしていたことは、ミランダの言葉を自分の解釈の一番都合のいい部分で解釈し、それを実践していただけで、上司の意図を汲み取り、上司の望むものを提示していたわけではない。ミランダを理解する気すらなかったのだ。
そのときからアンディが変わる。ミランダの言葉をただ実行するのではなく、その言葉の向こうにあるミランダの欲求を汲み取りそれを実行する、「ホントの秘書」としての仕事をし始める。服もナイジェルに見立ててもらい、プロとしてのとりあえず最初のうちは<見てくれ>だけでも取り入れていく。そこには働く人たちのプロとしてのソウルを受け入れる。
そのあとのアン・ハサウェイのファンション・ショーは実に心地のいいものだった。一連の動きのなかで、手間をささっと何かがよぎると別の衣装になっている。テンポよく次から次へと服装が変わっていく。個人的にはこういう演出はあまり好きではないが、それでも見ていて快適な気分になれる演出だった。

最後のエンディングにはいろいろ意見があるようだが、まあ、あれはあれで悪くはないかなと思う。あそこで一旦流れをきって、アンディは当初の志望どおりジャーナリズムの道へ向かわせないと、ミランダからの「一番認めていたのはアンディだった」という趣旨のメッセージを入れられそうにない。あのままの仕事してたら一生いわなさそうだしね・・(苦笑)。
しかし確かに、古き男は捨てて、同僚の秘書も乗り越えて、自分の新たな可能性を見出していくのもよかったかもって思ったりもするが・・。でも、これをするにはもう少し時間がいるのかもしれないなあ。いや・・出来るか・・。伝家の宝刀「そして3年後・・」って技もある。

・・・そして3年後、
アンディはミランダの引退した後コーディネーターのチーフになっていく。そのパーティの席上で、元彼氏に「当時は君が離れていったことは悲しかったが、今の成功が総てを物語っている。君はここに来るべきひとだったんだ」とかなんとか言わせて、華やかなパーティの途中で乗り越えられた第一秘書さんにプスっと背中から刺されるとか・・(苦笑)。『振り返れば奴がいる』パターンだね。
反対に第一秘書さんが「悔しいけど、あなたの才能は私たちを踏み台にして登りつめるに値するものだったわ」といって大団円にするか・・・。

ただ・・・こうしてしまうと、どうしても他人の価値観で成し遂げた勝利みたいでちょっと嫌かもね。はじめが「ジャーナリスト志望」で、腰掛的にはいったファッション業界って設定だったのだから、どんなにそこで認められても、自分の価値観が大事・・というは基本原則だし・・、<一番大切なもののために、二番目を捨てさせる>というのはシナリオ構成の基本テクだし、このエンディングで良かったのだろうな・・多分。

by ssm2438 | 2010-02-19 05:41
2010年 02月 18日

ネットフォース(1999) ☆

f0009381_1393473.jpg監督:ロバート・リーバーマン
原作:トム・クランシー
脚本:ライオネル・チェトウィンド
撮影:デヴィッド・ヘニングス
音楽:ジェフ・ローナ

出演:
スコット・バクラ (アレックス・マイケルズ)
ジョアンナ・ゴーイング (トニー・フィオレッリ)
クリス・クリストファーソン (スティーヴ・デイ)
ブライアン・デネヒー (ローウェル・デヴィッドソン)
ジャック・ラインホールド (実業家スタイルズ)

        *        *        *

ネット犯罪に対処すべく新しく創設されたネット・フォースなる組織と、ネット犯罪者の間に展開されるサスペンス。

「ジャック・ライアン」シリーズなどで有名なトム・クランシー原作のMTV。前後編2本分(1話=80分)を一本にまとめたドラマゆえに知らずにみると長い! おまけに話もあまり整理できてるとは言えず、何が問題で、誰がどうしているのかわからないまま展開してるので、ついつい眠くなる。おかげで3回くらいに分けて見るはめになった。原作は何本もシリーズ化されているようだが、映画化はされていない。ノベライズ化はされたようだが、実はこちらのMTV先行でことが進み、あとから小説に書き起こしたようだ。

<あらすじ>
冒頭でネットフォースの主任スティーヴ・デイ(クリス・クリストファーソン)が暗殺される。彼はインターネットというものを創設した一人だった。彼の意思をついでアレックス・マイケルズ(スコット・パクラ)が主任になり、捜査を開始する。捜査をしていくうちにコンピュータ・ブラウザ産業の独占をもくろむ実業家スタイルズ(ジャック・ラインホールド)が浮かび上がってくる。捜査に行き詰まったアレックすは、ネットの創始者である前任者スティーブの過去のデータ(DNAデータはどの肉体的情報も含めて)を片っ端から集めて、コンピュータ内で彼を再構築する。彼をアドバイザーとしてこの事件の解決を図ろうとするのだが・・・、それだけではなく、別の人物がインターネットそのものを消滅させることをもくろんでいた・・。

物語のメイン適役になるのは、どこか風貌がビル・ゲイツに似ているブラウザ産業独占をもくろむ実業家スタイルズ。しかし、これをダミーとしてもう一人、裏適役を設定している。ま、ドラマの構成としては無難な作りだが、もうちょっとすっきりとまとめられなかったものだろうか・・。

by ssm2438 | 2010-02-18 13:05
2010年 02月 18日

ファイヤー・ウィズ・ファイヤー/禁じられた恋(1986) ☆

f0009381_613517.jpg監督:ダンカン・ギビンズ
脚本:ビル・フィリップス他
撮影:ヒロ・ナリタ
音楽:ハワード・ショア

出演:
クレイグ・シェイファー (ジョー・フィクス)
ヴァージニア・マドセン (リサ・テイラー)

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ヴァージニア・マドセンのファンなら必見映画

劇場公開時は『禁じられた恋』
ヴァージニア・マドセンといえば『エレクトリック・ドリーム』『クリアイター』が一番輝いていたと思うが、その次くらいにこの映画がはいってくるかもしれない。ミレーの絵画『オフィーリア』を再現しようとドレスを着て水面に浮かぶバージニア・マドセンをみるだけでも感動。
・・・しかし、お話はあんまり大したことない。最後、少年鑑別所の主人公が脱走していくのもどうなん??って思ってしまう。物語の展開的にはあまり共感がもてない作品だった。

森の中のカソリックのミッション系女子校で暮らすリサ(ヴァージニア・マドセン)は、自分自身をモデルにミレーの『オフィーリア』を再現しよう森の中に入って行った。用意したドレスを着て、カメラを自動シャッターに切り替え、水に入り自分の姿をカメラに収めようした時、1人の少年が自分を見つめているのに気付いた。彼は、マラソンの途中だった少年鑑別所の青年ジョー(クレイグ・シェーファー)だった。町の映画館で偶然再会した2人は、ますます胸さわぎを覚え、心ときめかせた。リサは、何とか彼と会う機会はないかと考え、「近隣者に奉仕せよ」というポリシーを盾に、少年鑑別所の少年たちをパーティに招く計画を提案た。再会した二人はスローダンスを踊る。学園内の礼拝堂で“H”にいたる2人だが、この密会が目撃され、強制的に引き離されることになった。リサを忘れられないジョーは、鑑別所から脱走するとリサを連れて逃亡した・・・。

ミレーの『オフィーリア』f0009381_614942.jpg(→)

by ssm2438 | 2010-02-18 06:17