西澤 晋 の 映画日記

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2010年 02月 12日

ブラック・ウィドー(1986) ☆

f0009381_5495042.jpg監督:ボブ・ラフェルソン
脚本:ロナルド・バス
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:マイケル・スモール

出演:
デブラ・ウィンガー ()
テレサ・ラッセル ()

        *        *        *

デブラ・ウィンガーのぼろぼろ感が痛ましい映画

富豪の初老独身男性と次々に結婚し、その都度、相手を殺害して巨万の富を築く女と、彼女を追う司法省捜査局の女職員の対決を描くサスペンス。

ちょうどこの前にとった『夜霧のマンハッタン』デブラ・ウィンガーがとっても素敵だった(特にあの時に髪型は良かった)のに、これみるとなんだががっかりなビジュアル。カールしたヘアがださださだった。スタイリストさんはもうちょっと気立てのよさそうな美人に仕上げられなかったものかと思う。・・・もしかして・・・あれ、監督の趣味なのかなあ。監督は『ファイブ・イージー・ピーセス』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『リービングラスベガス』ボブ・ラフェルソン。思えば『郵便配達は・・』のジェシカ・ラングも、『リービング・・』のエリザベス・シューも、この映画のデブラ・ウィンガーもパーマだった。
女のヘアスタイルの趣味はおいといて、演出的には渋く力のある人なので見る前はそこそこ期待していたのだけど、渋い・・というか、ただじめっと重苦しいだけで、面白くもなんともない映画にななっていた。

最後はなんとかデブラ・ウィンガーの勝ちということになっているのだが、それはとってつけたエンディングそうなっただけで、物語の推移は一方的にテレサ・ラッセルにやられっぱなし。かなり惨めな負け方だ。これで映画としてみている人が納得するのだろうかとちょっと疑問を感じる内容だった。

<あらすじ>
初老の独身大富豪と結婚しては殺し、その財産を横領していくキャサリン(テレサ・ラッセル)。ワシントンDCの司法省捜査局の職員アレックス・バーンズ(デブラ・ウィンガー)は、これらの事件に疑問を抱き調査に乗り出す。しかし次にキャサリンが結婚したシアトルの博物館長ウィリアム・マコーリーも死亡した。キャサリンはハワイへ飛んだ。証拠は残さない。そしてハワイでも、ホテル王として有名なポール・ナイテン(サミー・フレー)と親密な仲になっていく。
キャサリンを追ってハワイに飛んだアレックスは、キャサリンと一緒のスキンダイビングの講習に加わり、2人は自然と知り合うようになった。しかし、キャサリンはアレックスが何かをさぐっているのを察知すると、キャサポールと彼女がデートするようにしむけ、探偵を使って写真に撮らせた。ポールを殺した時の犯人をアレックスに仕立て上げるためだった。
ポールと出会ってからのアレックスは女性として愛されることに喜びを覚え始めていた。ポールもそんな彼女をやさしく受け入れるのだった。しかし結局ポールはキャサリンと結婚。アレックスは女性として傷ついた。アレックスはキャサリンに毒蜘蛛を形どったブローチをプレゼントし、女の戦いの宣戦布告をする。しかし、結婚後間もないポールが急死した。容疑はアレックスにかけられ逮捕されてしまう。恋愛でも、仕事でもキャサりンに打ち負かされたアレックスが檻のなかで絶望する。
そんなアレックスを面会に来るキャサリン。勝ち誇ったようにほくそえむキャサリン、しかし・・・

by ssm2438 | 2010-02-12 05:50
2010年 02月 12日

ブラック・ウィドウ(2007) ☆

f0009381_0542149.jpg監督:アーマンド・マストロヤンニ
脚本:ライリー・ウェストン
撮影:マーク・マーヴィス
音楽:ザック・ライアン

出演:
アリシア・コッポラ (メル)
エリザベス・バークレイ (オリビア)
ランダル・バティンコフ (ダニー)
アドリアーナ・デメオ (メルのアシスタント・フィン)

        *        *        *

エリザベス・バークレイ脱がない・・・じゃあ見るとこナイじゃん。

テキサス州ダラスで、独りの実業家が殺される。その妻はグレースといい、その朝旅行に出ていた。そんな事件がおきた3年後のカリフォルニア。
建築関係の会社を運営するダニーは、自分の誕生パーティで、オリビア(エリザベス・バークレイ)という女性実業家を紹介させる。二人の仲はあっという間に結婚の約束を交わすまで進展するが、密かにダニーに恋心を寄せていたある新聞会社に勤める写真家メル(アリシア・コッポラ)は、オリビアになにかしらの怪しさを感じ、彼女の素性を調査を始める。そしてメルが突き止めたのは、全米各地で相次ぐ実業家たちの謎の死に関わるオリビアに似た女の存在だった。

『ショーガール』以来どこでなにをしてるんだかのエリザベス・バー、2000年思ったらとんどテレビ専門になってる様子である。たまたまゲオでみつけたので、ちょっと見てやろうかと思ってのだが・・、案の定はずれであった。やっぱりエリザベス・バークレイが出て、DVDがおかれてる棚がエロチックサスペンスだったら一応彼女の裸は期待するものだけど、それがないからもうなんのために見たんだかわからない。あとで調べてみたらMTVだとか。そらダメだわ。
主人公のアリシア・コッポラに華がないので、はじめはこの人が主人公だということに気付かなかった。もう少し愛される風貌の人にしてほしかったなあ。どうみても脇役顔だ。ちなみにあの有名なフランシス・F・コッポラとは何の関係はないそうだ。ちょっと気になって調べてみた(苦笑)。

ただ、サスペンスとしては普通の出来。可もなく不可もなく・・、きわめて普通のMTVでした。

by ssm2438 | 2010-02-12 01:23
2010年 02月 11日

キャットウーマン(2004) ☆

f0009381_15221175.jpg監督:ピトフ
脚本:ジョン・ブランカトー
    マイケル・フェリス
    ジョン・ロジャース
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:クラウス・バデルト

出演:
ハリー・ベリー (ペイシェンス・フィリップス)
シャロン・ストーン (ローレル)
ベンジャミン・ブラット (トム・ローン)

        *        *        *

まるでCGがCGのように見える

プロならCGがアナログにみえるようにつくれよ。まるで素人が作ってるみたいなCGだ。ひどすぎる。あとカメラ/撮影も最悪。やたらと室内を広角でカメラふるのでパースがゆがみまくって気持ちが悪い。これくらいなにからなにまで最悪の映画はそうない。作り手のセンスが総てのおいて悪すぎる。シナリオも、絵作りも、演出も、カメラも、デザインも、総て三流。
きわめつけはハル・ベリーのキャット・ウーマン。なんでこんなデザインにしたんだ? コスチュームデザイン最悪。色気もなにもない。どうしても『バットマン・リターンズ』のミシェル・ファイファーがイメージがつよすぎて、それ以上のものをつくれないのなら作るなよって思ってしまった。

唯一よかったのは、シャロン・ストーンのボディコンスラックスのおしり。
歳とってもシャロン・ストーンはいいと思うのだが・・。

・・・しかし、キャット・ウーマンって既に死んでるんですね。知らなかった。

<あらすじ>
広告デザイナーのペイシェンス(ハル・ベリー)は、ローレル(シャロン・ストーン)が実権を握る巨大化粧品会社ヘデア社が新しく発売する新製品「ビューリン」の副作用を知ってしまい、廃水と共に海に流され、命を落としてしまう。死んだのだ。そんな彼女の周りに猫たちが集まっている。
翌日彼女は生きている。なぜ? それも奇妙に猫的キャラクターが備わっている。そこには以前のペイシェンスとしての人格も残っているが、夜になる自由奔放に夜の街を飛び回るキャットウーマンとなる。そして自分をころしたローレルに復讐するのだった。。。

by ssm2438 | 2010-02-11 15:19
2010年 02月 11日

バンテージ・ポイント(2008) ☆☆

f0009381_12411052.jpg監督:ピート・トラヴィス
脚本:バリー・L・レヴィ
撮影:アミール・モクリ
音楽:アトリ・オーヴァーソン

出演:
デニス・クエイド (トーマス・バーンズ)
ウィリアム・ハート (アシュトン大統領)
フォレスト・ウィッテカー (ハワード)
シガーニー・ウィーヴァー (レックス)

        *        *        *

from the vantage point of ・・・
英会話やると、たまに見るイディオムで、「・・・からの視点(立場)でみると」の意。

スペインでアメリカの大統領が演説中に狙撃される。そのシーンに居合わせた何人かの視点でドラマの進行を語っていくという手法の映画。でも、それは前半部だけど、後半からは主人公のバーンズの視点に固定されるので映画としてはそれほどあばれた感じはない。

『24』に刺激されたのだろう、リアルタイム進行映画もどきの映画。
リアルタイム映画をまともに作ろうとするとけっこう退屈なシーンをどう省くかというのが大変なテーマになってきて、いくつかのイベント別にドラマを構成して、一つのシーンで間がだらだらしそうだと別のシーンをいれる展をいれつつ、一本の映画のように構成されている。ただ、これはあくまで小手先の語かましで、きちんとドラマを撮りたい人はたぶんやらない。才能のない人のゲリラ的アピール手段でしょう。

・・・しかし、最近の映画のカーチェイスシーンはほとんどボーン化してきてる。無意味なカメラぶれと、すばやいパンのカメラで、何がみえてるんだかわからないけどとりあえず短くきざんでカットをつなげるあれ。正直みててうざい。DVDなら飛ばせるからいいけど、映画で延々あれをやられると見る気がしなくなる。

<あらすじ>
スペイン・サラマンカの広場。テロ撲滅の国際会議に参加するためにこの地を訪れていたアメリカ合衆国大統領アシュトン(ウィリアム・ハート)は聴衆を前にスピーチをしようとしていた。ボディガードのトーマス・バーンズ(デニス・クウェイド)は向かいのビルの一室のカーテンがかすかに揺れるのを目にするが、大統領は狙撃されてしまう。倒れた大統領をその場から脱出させようとするガードマンたち。しかしその会場に駆け上がろうとする男がいる。しかし彼はガードマンたちに取り押さえられた。そしてまた会場の外から爆発音が響き、会場は大混乱になる。さらに混乱した広場の演説台の下に仕掛けられた爆弾が爆発する。一瞬の出来事だった。

死傷者が多数ちらばる広場。なんとか難をのがれたバーンズは、目撃者を探していく。旅行者、ハワード・ルイス(フォレスト・ウィッテカー)は演説のシーンの前後をビデオカメラに撮っていた。広場の外にはテレビ局の中継車があり、レックス・ブルックス(シガーニー・ウィーヴァー)を中心とするスタッフが突然の事件の対処におわれていた。

ただ、彼らに撮られた映像だけ限定というのではなく、地元警察官の視点やら、テロリストの視点やら、
アメリカ大統領の視点(実は打たれたのは影武者で、本物の大統領はべつのホテルにいた)やら、いろいろ時間軸を巻き戻して同じシーンが語られる。
その後は、退避していた本物の大統領が誘拐されて(実は同時進行なのだけど)、それを追うバーンズのほぼリアルタイム進行劇。

by ssm2438 | 2010-02-11 12:41
2010年 02月 11日

ラジオ・フライヤー(1992) ☆

f0009381_2274364.jpg監督:リチャード・ドナー
脚本:デヴィッド・ミッキー・エヴァンス
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:ハンス・ジマー

出演:
イライジャ・ウッド (マイク)
ジョセフ・マゼロ (ボビー)
ロレイン・ブラッコ (母・メアリー)
アダム・ボールドウィン (義父・The King)
トム・ハンクス (大人になったマイク)

        *        *        *

幼児虐待をファンタジーで解決・・・?

こういうリアルな問題をファンタジーで終わらせるのは、現実では解決出来ない・・っていう敗北感を感じさせられる。これってファンタジーの活用法が根本的なところで違うと思うのだけど。
母が結婚した義父は、母の連れ後である二人の子供には優しくない。自分の子供ではないので許容範囲が狭いのである。もし自分のこどもだったら少々の苛立ちは呑み込めるのだろうが、それが出来ない。ついつい暴力をふるってしまう。子供たちは子供たちで、母親にはそのことは隠しておこうとする。本編では「母に心配をかけたくない」と言葉では言っているが、義父に殴られ、受け入れるしかない自分の屈辱感を他人にしられたくないということだろう。こういうメンタル描写はリアルなので、最後のエスケープがファンタジー一色になってしまっているのがどうも喰い合わせが悪い。最後の小型飛行機によるエスケープもやってることが別作品だったらもっと感動できたのに・・。
子役の二人はビッグになっていきそうだが、『ロード・オブ・ザ・リング』などでもうメジャーになっているイライジャ・ウッドよりも、弟役のジョセフ・マゼロ君のほうがゆくゆく伸びそうな予感。

撮影は『イージー・ライダー』『未知との遭遇』ラズロ・コヴァックス。なんとなく画面が『未知との遭遇』的な匂いをかもしだしてるとことは嬉しい。音楽もハンス・ジマーだ!

<あらすじ>
1969年、マイク(イライジャ・ウッド)と弟のボビー(ジョセフ・マゼロ)の母メリー(ロレイン・ブラッコ)は再婚し、キング(アダム・ボールドウィン)という義理ができた。彼は二人の子供にはいい父親ではなった。特に弟は集中的に殴られていた。2人はラジオ・フライヤーという小さなワゴンを引いて遊んでいたが、地元の男の子たちにはいじめられるが、いつもいっしょのシェパード犬がなんどとなく救ってくれた。そして困ったことがあるとお願い山という岩山に願をかけた。ボビーがひどい傷を負わせたキングは逮捕され、メリーも事の重大さに気づいた。しかし、大人の性か、もどってきて涙ながらに悔い改めるキングを許してしまう。しかしそれは表面的なもので、ある日打ちに帰ると彼らの用心棒代わりのシェパード犬が血まみれで倒れていた。しかしなんとか息はあった。二人はかつてからの計画を実行する。
ラジオ・フライヤーという小さなワゴンは、小型飛行に改造されており(現実的には絶対飛ばない)、それに乗ったボビーはつらい現実から脱出していくのだった。

by ssm2438 | 2010-02-11 02:33
2010年 02月 09日

インビクタス/負けざる者たち(2009) ☆☆☆

f0009381_1145381.jpg
監督:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
撮影:トム・スターン
音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス

出演:
モーガン・フリーマン (ネルソン・マンデラ)
マット・デイモン (フランソワ・ピナール)

        *        *        *

クリント・イーストウッド監督作品でも泣けるぞ
(どうも私だけらしい・・はは)

世間ではやたらと高い評価をうけてるようなクリント・イーストウッドではあるのですが、どうも個人的には好きになれない監督さん。
この人の演出はど下手だと思う。たぶん原作がいいのでもっているのだろうけど、この映画に関してもかなりど下手ぶりを露呈している。一番問題なのは、ネタをふっといて、それを消化しないまま次にいっちゃうところがやたらと目についた。このへんでくるかな・・このへんでくるかな・・って思ってもこないんだ。“そういえばあの問題、どうなったんだっけ?”っていうのけっこうあったような・・。
音楽も全然印象にのこらないし、なんであんなとところで飛行機のシーンだすかなあ・・。べつにジャンボが上空通過してもいいんだけど、ジャンボを横からとった画があまりにCGぽくって一気にさめる。あそこだって、さそんなCG画面なんかいれなくって、くるぞくるぞくるぞって音だけ流して、観客あたふた・・、上空通過すると「頑張れボッカ!」の文字が飛行機の下に書いてある・・、で、しばらくばたばたしてると空港管制センターから事情説明の電話がくる・・とか。これならダサいCGみせなくていいし、先にコックピットみせなくていいし(コックピットの中は通過してからにしてほしいものだ)・・。
ロベン島の政治犯強制収容所にいくのも、なんであのタイミングなん??? 大会中に、それも朝の6時におきてランニングして、港へいくか?? そんなのもう2月くらい前にするだろう・・・普通。 おまけに自国でのワールドカップが行われるとなると普通強化合宿とかするだろう。監督・コーチをもっと絡ませて、しっかり戦略ねって、オーストラリアなんかに勝つにはどうしたら勝てるのかとか・・真剣に分析してるところなんかを出してほしかった。あるいはどうやったらニュージーランドの選手を食中毒にさせるられるか・・でもいいし。
(敗者の言い訳とも、陰謀説とも言われているが、実際、決勝戦の2日まえから食中毒にかかり、ニュージーランドの選手の半数は体調不良だったそうな・・)
とにかく演出の下手さに関する不満はいっぱいあるのだけど、・・・・それでも私はこの映画でけっこうぼろぼろ泣いていた(苦笑)。
スプリングボックスの人たちって、あんな状況下でラグビーをずっとしてたんだ・・。白人には応援されても、同じく二の黒人は相手チームを応援する・・。ワールドカップは誘致しても自国民に応援されないラガーマンなんて・・・なんだかとっても切なかった。そんなスプリングボックスが黒人層にもだんだんと受け入れられるようになっていく。それが、すこしづつ変わっていく南アフリカの白人と黒人の対立関係を変化を象徴的にえがいてたのだろうな・・。国民に受け入れられてフィールドに立つスプリングボックスの面々をみてるとなんだがぼろぼろきてしまった・・・。
なので、☆ひとつおまけ。

しかし、物語の初めのころ、スプリングボックスって、めちゃめちゃ弱そうに描かれていたが、あれは映画的なデフォルメであって、当時のスプリングボックスはとても強かった。当時は一番強かったのはオーストラリアで、その次はイングランドか南アフリカって言われてたとき。実は最強とうたわれてオールブラックスは、第二回のワールドカップのあと、ベテランから若手への切り替えがスムーズにいってなくって、第3回のワールドカップ前はあまり評判がよくなかった。ただ、ふたを開けてみると圧倒的に強かった(笑)。さすがニュージーランド。しかし、ふたをあけてみて強かったのはニュージーランドだけじゃなくって、南アフリカも強かった。それまでオーストラリアはテストマッチで負け知らず、10連勝以上してたと思う。そんなオーストラリアと同じ予選を戦って、勝ってしまった南アフリカ。やっぱり実力はあったのだと思う。
さらにもうひとつ、いままでラグビーのワールドカップは6回行われたのだけど、優勝確立が一番高いのは南アフリカ(1995年優勝、2007年優勝)。4回参加して2回優勝してる(最初の第2回と第2回大会はアパルトヘイトのために出場をゆるされてなかった)。

<あらすじ>
f0009381_11122639.jpg1994年、南アフリカでは初めて全国民参加の選挙が行われ、ネルソン・マンデラ大統領(モーガン・フリーマン)が誕生した。スポーツ評議会では白人文化の象徴であるスプリングボックス(南アフリカのラグビー代表チームの愛称)の改名など議題にあげられ全員一致(すべて黒人)でこれを決定してしまう。しかし、ネルソン・マンデラはこれを覆す。名前が残された「スプリングボックス」は民族融和の象徴として変わっていくことが求められた。
ワールドカップ開催まであと1年、自国で開催されるワールドカップで優勝する使命を担い、なおかつ黒人社会との融和という政治的キャンペーンの一環にも参加させられるスプリング・ボックスの面々。不満をもつ選手たち(ほとんどが白人)もいるが、すこしづつ彼らの存在は南アフリカの国民に浸透していった。
そして1995年5月、ここ数年無敗をつづけていたオーストラリア・ワラビーズに土をつけ、予選リーグをトップで通過。6月の決勝トーナメントでは、サモアを42対14で突破、フランスには苦戦したが19対15でからくも勝利、そして暴走機関車ジョナ・ロムーを擁するニュージーランドオールブラックスと決勝で対戦する。フィールドに駆け出すフィフティーン。総ての南アフリカ国民がスプリング・ボックスを応援した。

by ssm2438 | 2010-02-09 11:13
2010年 02月 08日

遠い夜明け(1987) ☆☆☆

f0009381_10331153.jpg監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ジョン・ブライリー
撮影:ロニー・テイラー
音楽:ジョージ・フェントン、ヨナス・グワングワ

出演:
ケヴィン・クライン (ドナルド・ウッズ)
デンゼル・ワシントン (スティーブン・ビコ)

      *        *        *

アパルトヘイト紹介映画

『遠すぎた橋』でこけたものの、『ガンジー』、『コーラスライン』で復活をみせてくれたリチャード・アッテンボローの反アパルトヘイト映画。『インビクタス/負けざる者たち』の予習にいい映画。

南アフリカでアパルトヘイトが撤廃され、全国民による総選挙が行われたのが1994年。この映画はそれより20年前の1975年~1977年を舞台にしたドラマである。この映画に登場する黒人活動家のスティーブン・ビコは実存した人物であり、黒人の自助組織としてBCPを発足させ、識字や医療支援・黒人大学・居住区での劇団・黒人神学と多様な形をとりながらも、人種差別における黒人意識の解放を目指した。
ちなみに、ネルソン・マンデラは1962年にロベン島の政治犯強制収容所に送られていて、この時代はおもな活動には参加していなかった。

映画は、このスティーブン・ビコの伝記というスタンスではなく、彼と親しくなった白人ジャーナリストが迫害を受け始め、家族と共に国外に脱出するサスペンス仕立てになっている。なのでエンタメとしても見やすい映画になっていると思った。

<あらすじ>
デイリー・ディスパッチ紙の白人編集者ドナルド・ウッズ(ケヴィン・クライン)は、黒人運動家のスティーヴ・ビコを白人差別の扇動者だと批判していたが、ある黒人医師女医ランペーレ(ジョゼット・シモン)に促されて、スティーヴ・ビコ(デンゼル・ワシントン)本人と会う機会を持つ。
彼は穏やかで知的な青年だった。それはまるで、他の記者から聞いていた攻撃的、野蛮というイメージからは遠くかけ離れていた。ウッズはビコの人柄に惹かれ、黒人居住地区に足を踏み入れ、そこに住む黒人達の生の声を聞くようになる。ビコは幾度となく逮捕され、警察の暴力を受けていたがひるむことなく自分の考えを主張し続け、日に日に支持者を増やしていった。ウッズも二人の黒人を自分の社に雇うが、やがてウッズにも監視の眼がむけられるようなり、その2人の黒人も逮捕されてしまう。
ケープタウンの黒人学生集会に参加するために旅立ったビコは、途中の検問で逮捕され、全裸で暴行を受け、病院へ移送の途中で死亡する。
自由を求めた闘士ビコの姿を全世界に伝えることが自らの使命だと考えるようになったウッズだが、彼への弾圧は激しくなり、更に妻や子供たちまでもが危険にさらされ出した。命の保障さえもない状況のなか、彼はビコの死の真相を暴き、英国へ行くことを決意する。

by ssm2438 | 2010-02-08 10:32
2010年 02月 08日

スウィート・ヒアアフター(1997) ☆☆☆☆☆

f0009381_9213973.jpg監督:アトム・エゴヤン
原作:ラッセル・バンクス
脚本:アトム・エゴヤン
撮影:ポール・サロッシー
音楽:マイケル・ダナ

出演:
イアン・ホルム (ミッチェル)
サラ・ポーリー (ニコル)
ガブリエル・ローズ (バスの運転手ドロレス)
ブルース・グリーン (バスの整備士ビリー)
ステファニー・モルゲンステルン (アリソン)

        *        *        *

行間で語るシナリオ映画の大傑作!

1997年のカンヌで審査員特別賞をとったこの作品、当時オスギがやたらとこの映画をほめていた。この映画は頭のいい人の、あまたのいい人による、あたまのいい人のための映画だそうな・・。最初に見たときは「ええ・・・、なんでこんな映画が・・??」って思った。が、いくつか謎があり、それを解いて行こうと挑んでいくととてつもない隠しダマが隠されていることに気付いた。おおおおおおおおおおおおおおおお!! それが判ってやっとこの映画の意図が判った。
二重構成の映画といえば、『ゴッドファーザー・パート2』もその一つだろう。現代と過去のイベントを一つの映画のなかで織り交ぜながら展開していった。『マルホランド・ドライブ』は妄想と現実を一本の映画のなかで描いていた。『スイミング・プール』では、小説家の現実の話から、小説家の書く話に移り、また現実にもどってきた。そんな二重構成ストーリーがすくなからずあるのだけど、この『スウィート・ヒアアフター』では、裏ストーリーをまったく描かないで、二重構成にしているところがすごい。
そしてさらに厄介なのが、1995年の訴訟のエピソードと1997年のゾーイの女友達アリソンに会う、二つの時系列から構成されている。それがこの映画をさらに分りづらいものにしている。

<表の話>
スクールバス転落事故が起こった小さな町の人々を扇動して、老弁護士ミッチェル・スティーヴンス(イアン・ホルム)が訴訟を起こそうとする話。

その昔『アリー・マイラブ』のなかでリチャードが「人が死ねばお金がもうかる」という暴言を吐いていたが、まさにこの弁護士は、人の不幸につけこんで訴訟を起こし、その裁判で得たお金の成功報酬を得ようというかなりうさんくさい人物である。しかし、この町の人々はその悲劇は忘れたいと思っている。事の真相をあばいたところで子供たちが戻ってくるわけではなく、万年雪のしたに埋もれたままにしておきたいと思っている。この町の人々は、誰にもそれぞれひめたる過ちというものはあり、それを暴かないままに包括的に受け入れることが、コミュニティの安定をたもつための最善の手段だ・・ということを知っているのだ。

もの映画を理解するには、登場人物の立ち位置の整理をしておく必要がある。

老弁護士ミッチェル・ステファンス(イアン・ホルム)
スクールバスの事故で子供を失った家族を扇動し、体力のある相手(バス製造メーカーやバス運営会社)を被告にして、安全管理をの不手際を理由に存在賠償金を獲得、うち1/3を成功報酬として得ようとしている。
しかし、そのためには個人の落ち度が指摘されてはいけない。たとえばバスの運転手や、整備士に落ち度がみつかるということは、企業を相手に裁判が出来なくなる。この弁護士は、「個人に過失はない」という前提で、しかも、“もしあっても暴かない!”というスタンスでこの裁判をすすめていく。

スクールバス運転手ドロレス・ドリスコル(ガブリエル・ローズ)
子供たちが好きで、毎朝嬉々として仕事をしている。子供たちにも好かれ、町の人たちにも好かれていた人らしい。子供のを見送りのために、毎日学校までバスの後ろをついてくるビリーという男が、彼女のいつもの安全運転ぶりを証言してくれるという。しかし「事故の時、どれだけスピードを出していたか」という事実確認にはナーバスな態度をとる。
多分彼女は、そのときも安全速度は守っていたのだろう。しかし、騒いでいる子供たちに気をとられて何らかのミスをしたのかもしれない・・。そこは語られていない。あとは見ている人の想像力で解決するしかない。
彼女の夫は障害者であり、老弁護士に向かってなにかを激しく言い立てるシーンが、その言葉を通訳する彼女は夫の言葉を伝えてはいない。

バスの整備士ビリー・アンセル(ブルース・グリーン)
数年前に妻を亡くし、二人の子供を男手独りで育てている。そしてその二人の子供も事故で失う。子煩悩でスクールバスに子供を乗せたあとも、学校まで車を運転してそのバスの後ろをいつもついて走ってくる。事故のあった日も同じようにバスの後ろをついて走っており、証言をもとめられる。
しかし、そのスクールバスを整備するのは彼の仕事であり、彼は「そのバスは自分が整備し、なにも問題はなかった」と言ってはいるが、訴訟にもっとも反対しているのがこの人で、その姿勢はかなり執拗であり、なにかを隠しているようにみえる。もしかしたら整備をサボって浮気相手と会っていたのかもしれない。それはモーテルを経営するウェンデル・ウォーカーの妻リサ(アルベルタ・ワトソン)であり、彼の素行が調べられることになると、リサとの関係も暴かれるかもしれない。

最後の証言者ニコル・バーナル(サラ・ポーリー)
事故当時、一番前の席(運転席の右側)に乗っていた生存者。事故の前には歌手を目指してステージに上がることもあった。ビリーが用事で子供の面倒をみられない時(たとえばリサとの浮気の時とか)はこのニコルにベビーシターを頼んでいる。
父親から溺愛されており、事故のまえの夜も父に抱かれていた。ビリーの子供たちのベビーシターのバイトが終わると、これから父に抱かれるために、ジーパンからハウスドレスに着替えいるところが実に素敵だ。しかし、事故のあとは車椅子の生活を余儀なくされる。そんなニコルに夢をみなくなる父。彼にとってニコルは<愛すべき女性>から<保護すべき障害者>へと変わってしまった。
そんな父を許せないニコルは、父に反逆する。
たぶんそれが最後の裁判ぶち壊しの嘘の証言になるのだろう。
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物語は、『ハーメルンの笛吹き』になぞり、本来の人間的活き方を知っていた人々を、表面的な正義によって扇動していく老弁護士=パイパー(笛吹き)にみたてて、裁判が行われる前の公聴会へのみちのりが描いている。ほとんどの人が笛吹きに扇動されていくように思えた・・・しかし、事故からの生存者で車椅子の生活を余儀なくされたひとりの少女ニコル(サラ・ポーリー)が残っていた。
老弁護士(イアン・ホルム)は、「バスの女性ドライバーは安全運転をしていた」という状況設定のもとに、この裁判をバスの製造メイカー/バス運営会社を相手取り裁判を起こそうとしてる。しかし少女ニコルは「彼女がスピード違反をしていた」と証言するのである。老弁護士の裁判への道はここで終了する。その結果、会社やメーカーを被告とした裁判への道は終了する。

しかし、サラ・ポーリーの証言も、嘘なのか真実なのか確認する手段は本編の中にはない。あくまで「嘘らしい」というだけである。それは確かに映画のなかで匂わされている。一応DVDに収められている監督アトム・エゴヤンのインタビューでは、「彼女は自己の尊厳をまもるために嘘の証言をした」と言い切っているので嘘のだろう。

スピード違反の数字も日本人にはかなり理解できない数字だ。一般道の制限速度は50マイル/時(カナダ)と本編のなかで語られているが、1マイル=1.6キロなので、これは80キロ/時である。そしてニコルは「彼女(バスのドライバー)が72マイル/時(115キロ/時)を出していた」と証言する。雪道を走るのにこのスピードはありえないだろうと思うのだが、こういう数字にしても信憑性がないのでなにがほんとで何が嘘なのか分らないのだ。
ただ、本編中の絵では、車は穏やかにやしっているようだし、乗っている子供たちも、まったく怯えているようにも描かれていないし、後ろを走っていたダライバーもまったく穏やかだし、監督もそうコメントしているように、<ニコルの証言は嘘である>という理解のもどで映画は作られているようだ。

・・・ほっ。ひとつ確かなことが確立できた。

この映画を納得するためには、その発言が嘘なのか真実なのかを見極める必要があり、なおかつ「なぜ、その嘘がつかれたのか」という納得できる理由が想像できない限り、あやふやなままの気持ちのわるい映画になる、やっかいな映画なのだ。


表の話だけでも厄介なのに、この映画には裏の話もある。

f0009381_9242789.jpg『そしてデブノーの森へ』という映画なのなかで、その物語の主人公の小説家が「私は“かくれんぼ”が好きになった・・、しかし見つけられたくないのか、それとも見つけられたいのか・・」というような台詞を語るところがある。そう、“かくれんぼ”をする以上、鬼さんには隠れた自分を見つける努力はしてほしいものである。アトム・エゴヤンは、「そこに何かが隠されている」という時には、かならずある種の信号を発信している。

バスの運転手ドロレスが老弁護士に「私は以前、事故当時時速50マイルで走っていたと言ったけど・・・、そう私は記憶しているのだけど、それをどう証明するの?」とたずねる時のナーバスさ・・。
バスの整備士ビリーがニコルの家に行き、彼女の家族に「訴訟をとりさげてくれ。もし治療の金が必要なら、私がもらった保険料を譲ろう」とまでいう執拗さ・・。
ニコルが公聴会で嘘の証言をするときに、父を見る目線の意味・・などの不可解な信号である。監督のアトム・エゴヤンは、裏になりかありそうなところでは、それを見つけて貰うためのヒントを必ず与えているのである。

そしてこの映画の最後のほうにあるもう一つ不可解な台詞としぐさがある。
娘ゾーイの幼馴染のアリソン(ステファニー・モルゲンステルン)と空港で別かれる時にの台詞、

アリソン:「お目にかかれてよかったわ」
ミッチェル:「そうだね、アリー」
アリソン:「アリソンと・・」
ミッチェル:「ああ、そうだったね」

そして彼女を見送り、顔を手でおおうミッチェル。

・・・・・この不自然さ、不可解さは一体何?
他の例のように裏になにかがあるなら、それは何?


<裏の話>
f0009381_4331367.jpgこの映画は、多少の不手際はあるにせよ、高度に計算されつくした物語の構成になっている。
もっとも、ここまでこねくる必要があるのか・・と思うくらいだが、その<見つけて貰うためのヒント>に気付けば、それ自体は決して見えないが、確かに何かがあることだけは感じられるように作られている。この<見せないで匂わせう表現>が、この映画の最大の魅力なのだ。

この老弁護士ミッチェルと娘の幼馴染アリソンとのこの不可解な台詞から想像されることは何か?

そう考えると、訴訟の物語に関係のないエピソードがばめられている。
薬に溺れ、お金をせびる娘ゾーイ。そんな娘を溺愛していたことが感じられるエピソード(感じさせるだけで、それを提示してないところがすごい!)。そしてエイズに感染したことを伝えるゾーイの電話。しかしこれらのやり取りを聞いていると、娘ゾーイもやはり父を愛していることが感じられる。ではなぜ、そんなゾーイが父親のもとを去らなければならなかったのか・・? なぜ薬に溺れているのか? 
その薬の溺れ方を見ていると、自分を堕としめることにによって、自分を愛してくれた父親に復讐しているかのように見える。父親のなんらかの許せない裏切りに対して、「あなたのせいで私はこんなになったのよ、あなたは苦しみなさい!」というメッセージをおくっているように思える。
では父の許せない裏切りとはなんだったのか?

そして空港の別れのシーン・・・。
老弁護士ミッチェルは、アリソンのことを「アリー」と呼び、アリソンはそう呼ばれることを拒否した。・・なぜ?

もうひとつ、ニコルと彼女の父との近親相姦・・これも本来の物語には必要のないところのように思える。でも、なぜ描かれたのか? ・・・・なにかのヒント?


これらのことを総合的に考えると、もしかしたら・・という仮説にたどり着く。

・・・・もしかしたら、昔のミッチェルと彼の娘ゾーイは、お互いに溺愛するような関係であり、二人の間にはセックスもあったかもしれない。しかし、そんなある日、ミッチェルはゾーイの友達アリーに心奪われるようなことがある。しかしそれが許せなかったゾーイは家を出て、薬に溺れ、自らを傷つけることで、そうなる原因をつくった父親に復讐している。
それが今のミッチェルとゾーイの、父娘関係なのではないだろうか・・・。


・・・・そう、すべてはあくまで予想である。
しかしそこにたどり着かせるように意図的に物語は構成されているように思われる。

この映画は、シナリオの行間をドラマにした大傑作だ。。

by ssm2438 | 2010-02-08 04:40
2010年 02月 06日

クイック&デッド(1995) ☆☆

f0009381_523674.jpg監督:サム・ライミ
脚本:サイモン・ムーア
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
シャロン・ストーン (エレン)
ジーン・ハックマン (ジョン・ヘロド)
ラッセル・クロウ (コート)
レオナルド・ディカプリオ (フィー・ヘロド“ザ・キッド”)

        *        *        *

ゲーム感覚の撃ち合いに疑問を感じつつ・・・、結局この映画のシチュエーションにのめりこめなかった。

ある西部の町で行われる早撃ち大会。そこにエントリーしたものは誰かにチャンレンジして、あるいは誰かのチャレンジを受けて決闘していくわけだ。もちろん天下一武道会みたいに、身内同士の戦いもありうるわけで、でもこの大会の場合は殺し合い人なってしまうので、そういう大会に出る事自体がもう納得がいかない。つまり決闘から「自分が死ぬ」という恐怖を取り去って、のこりのゲーム性だけを映画にしてる。・・どうも私はこの手の映画はきらいみたい。

でもシャロン・ストーンはきれいでよいです。1カットだけですがオッパイ露出サービスもしてくれました。デカプリオ、若い! ラッセル・クロウ細い!

by ssm2438 | 2010-02-06 05:02
2010年 02月 05日

欲望という名の電車(1951) ☆

f0009381_8222670.jpg監督:エリア・カザン
原作:テネシー・ウィリアムズ
脚本:テネシー・ウィリアムズ/オスカー・ソウル
撮影:ハリー・ストラドリング
音楽:アレックス・ノース

出演:
ヴィヴィアン・リー (ブランシュ)
マーロン・ブランド (妹の夫・スタンリー)
キム・ハンター (妹・ステラ)
カール・マルデン (ミッチ)

        *        *        *

てめーら勝手に腐ってろ映画。気高い女をひたすらいびり倒すテネシー・ウィリアムズ

役者たちが悲劇を演じて、それに酔ってるだけの映画。話にはなんの生産性もなくまったくただただ暗い。夢も希望もない。そんな登場人物を役者たちが演じているだけの映画。まったくつまんない映画といって過言ではない。ましてはヴィヴィアン・リーのこんなドツボ役なんて見たくもないまったく美しさのかけらもない。。この人くらい、気高く美しい人だってやっていればいいって女優さん。演技がどうのこうのなんてそんなしょーもないことのためにこんな映画にでたなんて悲しいだけだ。
オードリー・ヘプバーンなんて生涯可憐な女ばかり演じてきた。賞だの演技力だとなんてどうでもいい。可憐は人は、生涯可憐な役だけやっててどこが悪い? 美しい人は美しい役だけやってりゃあいいじゃないか。なんでシャーリズ・セロン『モンスター』なんかやらりゃあいかんのだ、まったく・・・。

<あらすじ>
家族を亡くし、財産を使い果たし、アルコール中毒になったブランシュ・デュボア(ヴィヴィアン・リー)は妹ステラ(キム・ハンター)の家に転がり込む。しかしそこでは妹の夫スタンリー・コワルスキー(マーロン・ブランド)が、いつもス寺に暴力をふるい、外でカードと酒に狂っている。
そんな夢も希望もないような生活のなかで、ブランチはスタンリーのカード仲間ミッチ(カール・マルデン)と次第に仲良くなる。彼は独身者で、母と2人暮らしのまじめな青年だった。夢も希望もないブランシュは結婚を考えはじめる。
しかしスタンリーは、ブランシュが故郷で屋敷を失った後、次々と見境なく頼る男を求め続け、終には17歳の少年を加えこみ、悪評から女教師の職も失ない故郷を追われてきた女だということをミッチにぶちまけてしまうた。ブランシュの誕生日だというのにミッチは来ない。そんなブランシュに故郷へ帰る片道切符を渡すスタンリー。夜になるとステラが産気づき、スタンリーと彼女は病院に向かった。一人のブランシュのもとを訪れるたミッチは、ブランシュの過去の淫乱ぶりを非難する。結婚の望みが断たれたブランチは独り妄想にふけるのだが、夜更けて帰ってきたスタンリー犯されてしまう。完全に発狂したブランシュは、紳士が自分を迎えに来たという幻想を抱いて、精神病院へ送られていった。

by ssm2438 | 2010-02-05 08:24