西澤 晋 の 映画日記

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2010年 03月 29日

キングの報酬(1986) ☆

f0009381_2118767.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:デヴィッド・ヒメルスタイン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
リチャード・ギア (ピート・セント・ジョン)
ジュリー・クリスティ (エレン・フリーマン)
ジーン・ハックマン (ウィルフィールド・バックリー)
ケイト・キャプショー (シドニー)
デンゼル・ワシントン (アーノルド・ビリングス)

        *        *        *

久々のルメットだ!って勢い込んで劇場に行ったら、超ボテボテのキャッチャーゴロだった・・・。

出てる役者さんたちの顔ぶれ見るとドレもこれもスゴイ。おまけに選挙戦をテーマにした映画なんて、シドニー・ルメットの“我が家の庭”のようなもの。そりゃ誰だってある程度ルメットの名前を知っている人なら期待しちゃいますよ。で、できあがったのがこれ。ひどい・・・。

主人公のリチャード・ギアが、選挙があれば自家用ジェットでそこに飛び、全米をまたにかけて一度にいくつもの選挙戦をたたかっている選挙参謀のプロフェッショナル。ありとあらゆる手段をつかって選挙民に訴え、彼が担当した候補者を当選させる。その行動派には国内だけにもとどまらない。南米の某国で占拠があれがそこにも飛び、劣勢にたっていた候補者を一気に優勢にして帰ってくる。心と体の渇きは秘書のケート・キャプショーがいやしてくれる。候補者と打ち合わせをし、「政策は・・」といいかける彼に、「そんなものは当選してから」と答え、イメージだけを作りあげていく。

その昔『候補者ビル・マッケイ』という、ロバート・レッドフォードが主演した選挙物の映画があった。その映画のなかで、レッドフォードは、地元民から愛された候補者だった。しかし選挙が進んでいくにしたがって、イメージ重視で選挙戦をしているうちに、レッドフォードのもつ本質が失われ、当選した時には「・・・で、私は何を話せばいいんだ?」というくらいに、なにもなくなってしまう悲しいお話。
それがこの映画では散文的におこなわれている。どこからどうみてもルメットのフィールドなのだが・・・、これがまったくつまらない。なぜだろう。主人公自体にカッコたる目的意識がないから、あるいは必死さがないから、はたまた勝って欲しい候補者がいなきから・・・。

by ssm2438 | 2010-03-29 21:18 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 03月 29日

ストレンジャー・コール(2006) ☆☆

f0009381_374940.jpg監督:サイモン・ウェスト
脚本:ジェイク・ウェイド・ウォール
撮影:ピーター・メンジース・Jr
編集:ジェフ・ベタンコート
音楽:ジェームズ・ドゥーリー

出演:
カミーラ・ベル (ジル・ジョンソン)
トミー・フラナガン (ストレンジャー)

        *        *        *

ほとんどカミーラ・ベルだけをカメラがおっているので、彼女を干渉したい人にはいいだろう。

「リメイク物はオリジナルに勝てない」とよく言われるが、アメリカ国内で作ったオリジナルをその時代時代にあわせてリメイクした映画に関してはリメイクのほうが見やすいことのほうがおおい。ただ、外国で作られたオリジナルをアメリカ国内でリメイクした場合は、やっぱり外国でつくられたオリジナルのほうが味がある。本作のオリジナルは1979年につくられた『夕暮れにベルが鳴る』のリメイク。私はこのオリジナルのほうは見てないのだが、今回の『ストレンジャー・コール』は多少たいくつなれど、主演のカミーラ・ベルの見心地の良さでついつい最後まで見てしまった。
カミーラ・ベルは後に『紀元前1万年』にも出ているが、彼女がピンで主役をはったのはこの作品が初めてだろう。彼女がでずっぱりとはいえ、ほとんどびくびくしてる演技で少々退屈なのだが、それでも彼女の可愛さはついついみてしまう。ドラマの展開的にもはたらとアベックがいちゃついては、シェイキーはカメラアングルで殺されるどっかの映画と違い、クラシックなドッキリ演出(やたらと脅しのドドンがはいったりとか)、じっくり彼女を見せるようになっているので、カミーラ・ベルをみる映画としては良いです。
今どき珍しく、小道具を使って間接的にどんどん不安に陥れていく描写がじつによくできている映画だった。

カミーラがベビーシッターを頼まれる豪邸の内装はとてもゴージャスにつくられており、ガラス張りの空間とか、室内にアル水面からの光の乱反射とか、外の光にてらされて室内に移りこむ樹のカゲとか、小細工するもんがいっぱいあって楽しい空間、さすがハリウッドの豪邸。こんなに拾いと掃除するひともたいへんだろうなあ、。きっとメイドさんも一人住み込んでいるようだが、一人でまかなえるんだろうかって思った(苦笑)。

<あらすじ>
親友だと思っていたステファニーと彼氏の浮気現場を目撃したジル(カミーラ・ベル)は落胆する。おかげで彼との電話代がかさみ、その返済のためにベビーシッターのバイトを思いつく。その豪邸は人里離れた丘の上にあり、医師とその妻二人の子供が住んでいた。夫妻はカミーラに子供たちを預け、デートにでかける。子供も既に眠った後で、広々とした邸宅の静かな部屋の中、ジルは一人くつろぐ。そこへ一本の電話が鳴る。電話は定期的に何度も繰り返され、ジルは、次第に恐怖を覚えるようになる。
出かけたと思っていたメイドのローザは外に車があり、出かけてはいない様子。しかし彼女の気配はない。彼女に携帯にかけてみると室内から呼び出し音がきこえる。その音を頼りにさがしてみるとバッグの中に携帯がある。しかし彼女はいない。ふとみると、“はなれ”に明かりがついている。
時々大学生の息子が帰ってくるといっていた夫人の言葉を思いつき、その“はなれ”に行ってみるが誰もない。母屋のほうをみるとローザの部屋らしきところに明かりがともる。再び豪邸にもどるジル。また電話がかかってきた。今度は切らない。警察からの電話があり、電波を逆探知したところも犯人はなんと、ジルと子供達がいる豪邸の中にいるという。そしてた数時間前に尋ねてきたステファニーが殺されているのを見つけるジル。
子供達を守りながら、ストレンジャー(トミー・フラナガン)からの複雑な構造の室内を舞台にした逃走劇がはじまる。ガラスで仕切られた日本風に中庭に逃げ込むジルたち。スチームをかけて室内を見えなくすると子供たちを安全なところに隠し、自分は水中に隠れる。そかしそこにはメイドのローザが殺されて石の重りを乗せられて沈んでいた。必死の思いで子供たちをなんとか外に逃がすが、ジルは髪をひっぱられ室内に引き込まれる。室内で犯人との格闘がはじまりなんとか犯人を倒して逃げ出そうと入り口に向かうと、そとから警察が入ってきた。警察に連行される犯人の目は冷たくジルを見据えていた。

f0009381_35135.jpgf0009381_351059.jpgf0009381_351874.jpgf0009381_352419.jpgf0009381_354254.jpgf0009381_355283.jpg

by ssm2438 | 2010-03-29 03:07
2010年 03月 28日

サイモン・バーチ(1998) ☆☆☆

f0009381_19183436.jpg監督:マーク・スティーヴン・ジョンソン
原作:ジョン・アーヴィング
脚本:マーク・スティーヴン・ジョンソン
撮影:アーロン・E・シュナイダー
音楽:マーク・シェイマン

出演:
イアン・マイケル・スミス (サイモン・バーチ)
ジョセフ・マッゼロ (ジョー・ウェントワース)
アシュレイ・ジャッド (レベッカ・ウェントワース)

      *        *        *

アシュレイ・ジャッドがまばゆいまでに美しい。

原作はジョン・アーヴィング。いつもどおり、不具合をもつ人間の生命力を描いている。この物語のサイモンは、生れた時から恐ろしく小柄で、医者も「一晩もたないだろう」とあきらめていたが、予想に反して彼は生き延び、成長していった。しかし彼の体が普通の子供よりははる小さい。そんなサイモンは、「神様が小さな身体をくれたのはなにか使命があるからだ」と信じるようになり、自分なりに自分の人生を一生懸命生きようとする。映画のなかでは、そんな彼の体の小ささと、彼の存在自体が意味をもってくるという話。

そんなサイモンとお友達になるのが、私生児だとうことでいじめられているジョー。そしてサイモンの憧れが彼の母レベッカ(アシュレイ・ジャッド)。友達のお母さんのなかには無性に輝いてみえる人がいるものですが、このアシュレイ・ジャッドはめちゃめちゃ健康的で美しい。劇中ではあっというまに死んでしまうのでかなり残念。

<あらすじ>
生まれながら体の小さいサイモン・バーチ(イアン・マイケル・スミス)は、自分の体の不具合にも絶望することなく、いつしか「それには神が与えた意味があるはだ」とかんがえるようになる。やがて「私生児だ」ということでいじめられているジョー・ウェントワース(ジョセフ・マッゼロ)と次第に仲良くなっていくサイモン。二人は野山をかけ、湖では潜水競争をしていた。じめて見る彼の母・レベッカ(アシュレイ・ジャッド)は美しく、優しかった。離婚して一人でジョーを育ててきた彼女は、30半ばにみえるが、その輝きはサイモンにとっては憧れの対象となった。しかし、こともあろうに、ソフトボールをしていた時、サイモンが売った大飛球が、場外をあるいていたレベッカの頭部を直撃、自分がもっとも愛している女性を、事故とはいえ、自分が原因で殺してしまうことになる。ショックをうけるサイモン。そしてジョー。二人はしばらくの間口も利かなかったが、心の傷がいえると、ふたたび二人で遊ぶようになる。
冬になり、ジョーとサイモン日曜学校のキャンプに参加していた。しかし二人がのった帰りのバスが事故で川に転落してしまう。サイモンは窓の隙間をくぐって子どもたちを救出、危篤状態に陥る。瀕死の床でサイモンはジョーに「ほら、僕の小さな身体に意味があっただろう」とつぶやき息絶える。

by ssm2438 | 2010-03-28 19:18
2010年 03月 28日

ル・ディヴォース/パリに恋して(2003) ☆

f0009381_351987.jpg監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブヴァーラ
    ジェームズ・アイヴォリー
撮影:ピエール・ロム
音楽:リチャード・ロビンズ

出演:
ケイト・ハドソン (イザベル)
ナオミ・ワッツ (ロクサーヌ)
グレン・クローズ (オリヴィア・ペース)
マシュー・モディーン (テルマン)

        *        *        *

眺めのいいエッフェル塔で人騒動あっておわりですか・・とほほ。

『モーリス』『眺めのいい部屋』でヒットをとばしたジェームズ・アイヴォリーの近年の作品。しかし、まったく見るべきものはなく、ストーリーもなんでこんなのか意味がわからない。ただイベントが語られているが、それが登場人同士でまったく絡まないという意味がない展開で、おそらくどの人物がいなくても物語が成立するというすごい映画。このくらい登場人物に意味がなく、物語に意味のない話はそうおめにかかれない。真剣に時間の無駄だった。山なし、落ちなし、意味なしのヤオイ映画。
しかしナオミ・ワッツだけは作品ごとにどんどんきれいになっていく。なんでこんな映画なんかに彼女がでなきゃいけなかったんだろう。

イザベル(ケイト・ハドソン)は、フランス人と結婚した詩人の姉ロクサーヌ(ナオミ・ワッツ)に会いにパリにやって来たが、その日、ロクサーヌ夫シャルル・アンリは家をでるところだった。彼には他に女がいてたのだ。イザベルは、シャルル・アンリの母スザンヌの弟でセクシーな外交官エドガルと出会ったイザベルは、彼が身内とわかっていながらベッドインしてしまう。そんななかロクサーヌの夫シャルル・アンリは離婚話に加え、ロクサーヌが実家から持ってきた名画“聖ウルスラの絵"に欲を出し、夫婦の所有物だと言い出し始め、さらに厄介な離婚裁判になってくる。結局シャルル・アンリは相手の女性の旦那に撃ち殺され終了。“聖ウルスラの絵”はオークションにかけられ大金で買い手がつき、ロクサーヌはハッピーになって終了。

・・・だからなに???っていう話。

by ssm2438 | 2010-03-28 03:06
2010年 03月 27日

音楽(1972) ☆☆

f0009381_22211742.jpg監督:増村保造
原作:三島由紀夫
脚本:増村保造
撮影:小林節雄
音楽:林光

出演:
黒沢のり子 (弓川麗子)
細川俊之 (精神分析医・汐見)
高橋長英 (麗子の兄)
森次浩司 (江上隆一)

        *        *        *

記号的な心理劇。原作が三島由紀夫なので仕方ないか・・・。

人は、自分の本音を語るために言葉を使う人と、自分の本音を隠すために言葉を使う人がいる。三島由紀夫というのはお話を書く人ではあるが、明らかに後者であり、絶対に心のストリップをしない人。自分を暴けない人。三島由紀夫の作品というのはどれも人工的に作られたモチベーション・理由付けでつくられているので、物語自体に説得力がなく、表面的なやり取りになってっしまう。根本的に物書きマインドを持ってない人なのだろう。しかし、世間では彼の作品はそこそこ有名なのも確かだ。
彼の作品には「絶対に自分をあばかないぞ!」という強い意思からうまれた、がっちがちの本音プロテクターによって構築されているため、同じように自分の自分の本心を暴かれたくない人にとっては意外とここちいいのかもしれない。

そういう心理からうまれた三島原作のこの作品・・・、増村保造には合わないと思う。増村保造というのは本音をより象徴化して描く人なので、根本的なところで、この二人は相反している。

主人公の麗子の恋人役で、『ウルトラセブン』森次浩司が出ている。森次浩司は昔の芸名で、今は改名して森次晃嗣になっている。

<あらすじ>
精神分析医である汐見(細川俊之)の診療所を麗子(黒沢のり子)という若く美しい女性が現われた。彼女は、音楽が聞こえない、と言うのである。治療は回を重ねていくと、麗子が音楽が聞こえないというのは狂言で、実は江上とのセックスを感じないということを表現した言葉だった。
彼女が男を愛しながら男を憎んでいるた。それは子供のころの異状なセックス経験に起因しているのだろう。麗子は少女時代、兄(高橋長英)に愛撫されたこと、黒いシャツの男は兄で、伯母とのことが世間に知れ兄は家出してしまったこと、そして江上(森次浩司)と初めて会った時、彼は黒シャツと黒ズボンで兄そっくりであったから好きになったことなど、を告白する。彼女の告白を聞き終えた汐見は、治す方法は唯一つ、もう一度兄に会わなければならない、と麗子に言いきかす。荒れ果て、汚れ、世帯じみた兄の部屋。赤ン坊が泣いている。唖然とする麗子、目から涙があふれる。汐見は全てを理解した。麗子の真の欲望は兄の子供を生むことだったのである。そのためには自分の子宮をいつも空けておかなければならなかったのだ。不感症は子宮を守る努力だったのである。
それから一週間後、汐見のもとに麗子から電報が届いた。オンガクオコル。オンガクタエルコトナシ--エガミ。

by ssm2438 | 2010-03-27 18:09 | 増村保造(1924)
2010年 03月 27日

しびれくらげ(1970) ☆

f0009381_5501640.jpg監督:増村保造
脚本:石松愛弘/増村保造
撮影:小林節雄
音楽:山内正

出演:
渥美マリ (みどり)
田村亮 (健次)
玉川良一 (庄太)
川津祐介 (山崎宏)

        *        *        *

この頃の大映は元気ない・・・

エロイといっても、日活ロマンポルノのようなサービスがあるわけではなく、渥美マリのヌードが目当てなら外れる作品。かといって他になにかあるわけではないし・・。元気のない大映がなんとか渥美マリで客をよせようとしたが、いまいち中途半端。やるならもっとドカンとサービスすればよかったのに。
わざわざ映画にする必要がなかったような映画で、シチュエーションだけは日活ロマンポルノだが、ヌードのサービスはきわめて極薄。こんなんで客がはいったのだろうか?

<あらすじ>
大メーカー大東繊維のファッションショウの仕事を独占していたファッションモデルのみどり(渥美マリ)は、恋人である大東繊維の腕きき営業マン・山崎宏(川津祐介)に、ニューヨークに本店をもつ大百貨店の重役ヘンダーソンと寝てくれと頼まれる。二人の将来という甘い言葉に説得されみどりは黙ってうなずくしかなかった。
みどりの父親は、仕事は一切せず、女ぐせが悪く、酒に溺れ、みどりに金をせびる厄介者で、今はストリップ小屋の楽屋番として終日グチるしか能のない中年男であった。父親のつくった借金がもとで、みどりのモデルとしての生命を断ち切ってしまった。そんなみどりの見事な肢体に、暴力団・笠原組の山野が目をつけ、彼女をコールガールにしようせまる。
そうしてどんどん落ちていくみどりだったが、開き直り、金と、美貌で生きていくことを決意する。そして今度は彼女に言い寄る男たちを食い物にしてなりあがっていくのだった。

by ssm2438 | 2010-03-27 05:51 | 増村保造(1924)
2010年 03月 27日

わらの犬(1971) ☆☆☆☆☆

f0009381_4565656.jpg監督:サム・ペキンパー
脚本:サム・ペキンパー、デヴィッド・Z・グッドマン
撮影:ジョン・コキロン
音楽:ジェリー・フィールディング

出演:
ダスティン・ホフマン (デイヴィッド・サムナー)
スーザン・ジョージ (エイミー・サムナー)
デル・ヘンニー (チャーリー・ベナー)
デヴィッド・ワーナー (ヘンリー・ナイルス)

        *        *        *

これほど観たくない、傑作バイオレンス映画は他にない

これはただのおまつりバイオレンスではない。弱者を徹底的に追い詰めて、追い詰めて、そして行動するしかなくなる時にバイオレンス。お祭り騒ぎのバイオレンスものは嫌いな私だが、このバイオレンスは観ているものに問いかける力のあるバイオレンスだ。
つまり「これは架空の物語で、自分の身には起きない」と完全に感情移入をシャットアウトしたところでもバイオレンスなら、これほどインパクトはないのだけど、この映画で描かれるバイオレンスは自分の身に起きる可能性を刺激せずにはおけないバイオレンス。

人は、怖いものには近づかないようにして自分をまもっているものだ。それに触れてしまえば自分の非力さを痛感するしかなくなるから、それ以前にそこにちかづかなようにする。その近づかないための言い訳を宗教や道徳からいろいろ引っ張ってきて自分を納得させる。人はそういう風に出来ている。この物語の主人公ダスティン・ホフマンは、常にそうやって生きてきた。それを本人もわかっているし、妻のスーザン・ジョージもわかっている。だから妻は「あなたには戦う勇気がないのよ」と軽蔑している部分もおおいにある。妻にしてみれば、夫の態度は心細いのである。
元来女という生き物は、社会と対峙するのを基本的に嫌がり、その断衝材として男を立てる。その断衝材としての男が機能しなければ、女は男を軽蔑するようになる。それが無理だとわかると取り替えたいとさえ思う。
それが女の弱さであり卑怯なところだろう。この映画はそういう男女の本質的な弱さをまざまざと見せ付けてくれる。

しかし、それでは映画としてカタルシスがないので、70年代にはやったいじめられた弱者の倍返し報復で物語りは終了する。そのモチベーションとなったのが、ちょっと知恵遅れの男。霧の深い夜、その男を車で引いてしまい、ダスティン・ホフマンにしてみれば、自分が守らなければいけない存在になってしまった。しかし、これ自体はいいわけであり、本編の中でも言っているが「ここはボクの家だ。これは僕自身なのだ」、だから誰の好きにもさせない、その行動をとるための言い訳になっていたのだろう。
まさにこの家は己自身だったのだろう。サレンダーな思い(自分を引き渡してしまいたい心)と、頑としてそれを拒み、己の自治権を守る姿勢。それがこの映画には描かれたのだろう。まさに、自分に問いかけるバイオレンス映画だ。

<あらすじ>
社会と戦う勇気のないデヴィッド(ダスティン・ホフマン)は、妻のエイミー(スーザン・ジョージ)の出身地、イギリス・コーンウォール州の片田舎引越し、何ものにも煩わされることなく数学の研究に専念しようと考えてた。二人は農家に落ち着くと、職人たちを雇って納屋などの修理をさせた。その中に、エミーがデビッドと結婚する前に肉体関係のあったチャーリー・ベナー(デル・ヘンニー)がいたのだ。
恐怖を見てみない振りをする一面をもつデヴィッドが時折許せなくなるエイミーは、納屋の修理を頼んだ職人たちに色目を使い、デヴィッドをいらだたせる。
それに触発されたべナーとその仲間の職人たちは、デビッドを鳥撃ちの狩場へ誘い出し、その留守中にエイミーを犯してしまう。エイミーも最初は拒んでいたが、昔抱かれた男だし、受け入れてしまう。その最中に仲間の一人スコットが銃をむけ「オレにもやらせろ」と無言の合図をおくっている。仕方なくべナーは、エイミーのあたまを押さえつけ、バックでスカットにもやらせてしまう。村の教会でおこなわれた懇親会でも、エミーはふさいでいた。彼女の記憶の中に、ベナーたちに犯された時の恐怖と苦痛、それらの感情と矛盾した歓びに似た感情が交錯していたのだ。
霧がたちこめたその帰り道、デビッドは、精神薄弱者のヘンリー(デヴィッド・ワーナー)をはねてしまう。幸い怪我はたいしたことはなく、彼の家につれて帰った。しかし彼は村の娘エマをかどわかしたのではないかと、娘の父親トム・ヘッドン(ピーター・ヴォーン)やその手下たちに追われていたのだ。ヘッドン一家とその仲間たちは、彼をなぶりものにしようとデヴィッドの家を訪れ、ヘンリーを渡すように迫る。それを拒んだデヴィッド。すると彼らはデヴィッドのうちのガラスをわり、侵入しようとこころみる。家の中ではエイミーが恐怖に怯え、ヘンリーを引き渡せと怒鳴っている。町の人たちに信頼のあついジョン・スコット小佐が来て、彼らに帰るように促すが、とっくみあいになり撃ち殺されてしまう。それを境に彼らの暴力は増徴する。デヴィッドは戦う決心をした。そして数時間の死闘がくりひろげられ、彼らをすべて殺してしまったデヴィッドだった。

by ssm2438 | 2010-03-27 04:58
2010年 03月 26日

ハート・ロッカー(2008) ☆☆☆

f0009381_2223249.jpg監督:キャスリン・ビグロー
脚本:マーク・ボール
撮影:バリー・アクロイド
音楽:マルコ・ベルトラミ/バック・サンダース

出演:
ジェレミー・レナー (ウィリアム・ジェームズ二等軍曹)
アンソニー・マッキー (J・T・サンポーン軍曹)
ブライアン・ジェラティ (オーウェン・エルドリッジ技術兵)

        *        *        *

これでアカデミー賞ですか・・、まあ悪くないけど・・・。

個人的にはまあまあ好きな映画に入るかな・・・、しかし・・・。

2004年のイラク、戦後のとどまっているアメリカ軍治安維持部隊、そのブラボー中隊の爆発物処理班を活躍を描いている。確固たる物語としての目的があるわけではなく、それぞれ緊張感あるシチュエーションのなかで爆発物をしょりしていくウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)を中心に、かれの持つ自己中心的だが、ガッツがあり、知的で、優しさもある、人間性を描きだしている。
演出には緊張感がただより、イラクというアウェイの地で、もしかしたら周りのイラク人は全部敵でなないのか・・?という疑心暗鬼に襲われながらも、爆発物を撤去していく緊張感は素晴らしい。しかし、いわゆる散文的な物語構造なので、物語の求心力としては弱い。そういう意味では何年か前にアカデミー賞とったポール・ハギス『クラッシュ』に似ている。あれも、散文的な構成ながら、それぞれのエピソードのなかでメンタルをきちんと描いていた。
ただ・・・個人的な感想としては、あんまりこの手の映画にアカデミー賞とってほしくないなあ。やっぱりアカデミー賞というなら、カッコたるある種の目的があり、それを成し遂げるタイプの王道派な映画のなかから選んで欲しい。それだけ無骨な映画がすくなくなっているってことなのだろうか・・。

監督は『ブルースチール』キャスリン・ビグロー。女性監督の中では唯一といっていいほどアクション系・スリリング系の映画をこなせる人だ。今回の映画も、まわりがすべてアラブ人、どの顔をみても、誰をみてもとにかく怪しい。とにかくほっといて欲しいのに、やたらと目障りな行動をとる彼ら。あれがあるからこの映画はすばらしいのだろう。『ブラックホーク・ダウン』なんかのソマリア人はただのゾンビだったから(苦笑)。

あと、これは爆発物の処理ではないが、途中の狙撃合戦のところはよかった。バレットM82(だと思う)狙撃銃がここでも登場。『ランボー・最後の戦場』でもこの銃は登場していた。現在長距離の狙撃銃としてはもっともメジャーな銃だろう。相手が発砲して、スコープの中に銃口から噴出す火炎がみえてから1秒してから着弾するのが実に素敵。1600メートルくらい離れたものを撃つ場合は弾丸といえども2秒くらいかかるらしい。この戦闘がどのくらいの距離を想定しているのかしらないが、あの1秒の間は素晴らしかった。
既にびびっているエルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)を怒鳴るのではなく、的確に何をすべきなのかを指示し、確実にやらせているジェームズ二等軍曹の描写とか、そのあと長い間銃を構えて喉がからからな時に、ジュースをたのみ自分が飲むのかとおもきや、狙撃ポジションについているサンポーン軍曹(アンソニー・マッキー)に先に飲ませてやるとか、そのあと、さっきまでビビっていたエルドリッジがきちんと判断し仕事をなしとげると、「グッジョッブ!」とさりげなく声をかけてやるところとか・・、ジェームズ二等軍曹の人間性の描写も素敵だ。

ひとことでいって、このジェームズ二等軍曹は久々にみるカッコいい主人公だった。
反戦映画でない、戦争映画であることもまた素晴らしい。

ちなみに2010年のアカデミー作品賞を取った作品だが、2008年公開の映画だったのですね。知らんかった。

by ssm2438 | 2010-03-26 02:23
2010年 03月 23日

リーサル・ウェポン(1987) ☆☆

f0009381_5124481.jpg監督:リチャード・ドナー
脚本:シェーン・ブラック
撮影:スティーヴン・ゴールドブラット
音楽:マイケル・ケイメン/エリック・クラプトン

出演:
メル・ギブソン (マーティン・リッグス)
ダニー・グローヴァー (ロジャー・マータフ)
ゲイリー・ビューシイ (ジョシュア)

        *        *        *

リッグスのキャラが今ひとつ消化し切れていないような気がする・・・

後にどんどんコメディ映画化していくこのシリーズだが、この1作目だけは十分に暗い・・かな? というかとりあえず「自殺願望のある刑事」という部分を使おうとしている。のちにこの設定は知らないうちになくなってしまうのだけど・・(苦笑)。

ただ、この自殺願望というのが実に微妙にうそ臭い。多分『マッドマックス』のシチュエーションをそのまま刑事ドラマに持ってきたかったというのがその理由だとは思う。しかし、自殺願望の動機となるのが、妻の交通事故死なのだけど、普通愛する人が亡くなっても多分自殺はしないと思う。私が思うにやっぱり自殺というのは、絶望したからじゃなくて、最後の自己アピール、願望があるからするものだと考えたほうがしっくるくる。どんな願望かというと、認めて欲しい願望。「最後に死ぬって言ってるんだから、頼むから誰か私のことを気にしてよ」みたいな。
マッドマックスは、暴走族に妻と子供を殺されて自暴自棄になっていた。キレていた。あれなら理解できるのだ。だけど、あの状況下では多分自殺しようとは思わないだろう。
自殺というのは、あくまで「気にしてほしい人」ひとがするもので、このリッグスというキャラクターがあまり心底自殺をしたいと思っているようにはどうも思えない。それよりも、もっと子供じみたコンセプトで、凶悪犯を目の前にして、死にたいなんて言ってる刑事がいたら、無鉄砲でいいキャラになるんじゃないか・・的な、かなりシャローなモチベーションで作られたコンセプトのような気がする。命乞いをしないキャラというか・・。
しかし、映画では死にたくない人の行動をとる。ホントに死にたければ無駄に犬死してもいいんだろうけど、この映画のなかではそうじゃない。死にたいといっているくせに、このリッグスはどこかカッコつけてる。それは死にたくない人のやること。その辺の演出的な説得力のなさというか、物語構成上の説得力のなさが、いまひとつ私にはしっくりこなかったかな。
『リービング・ラスベガス』みたあと、このリッグスみると・・・、自殺願望のある刑事というのは・・ちょっと違うってきがしてしまう。

<あらすじ>
ロサンゼルス。家庭思いの黒人刑事ロジャー・マートフ(ダニー・グローヴァー)は、飛び降り自殺をしたアマンダ(ジャッキー・スワンソン)という娼婦の調査をしていたところ、彼女が戦友の銀行家マイケル(トム・アトキンス)の娘と知り暗然とする。そんなロジャーは新しい相棒と組んでこの調査をすることになる。彼は麻薬課から転属してきたマーティン・リッグス(メル・ギブソン)。しかし彼は心の障害をもっていた。妻を交通事故で亡くし、毎朝目覚めると拳銃を咥え、その引き金を引こうとするが出来ない。そして署に現れ、危険な仕事も何食わぬ顔でこなす、死に場所を求めているような刑事であった。
ロジャーはマイケルを問い詰め、ヴェトナム戦争当時の特殊部隊の一部がその後、将軍(ミッチェル・ライアン)指揮のもとに大掛りなヘロイン密輸を行ない、マイケルの銀行を隠れ蓑にしていたことを聞き出す。しかし、将軍の手下のジョシュア(ゲイリー・ビジー)がヘリで襲来してマイケルの口を封じてしまう。
さらに彼らはロジャー・マートフの娘リアンをさらい、砂漠に呼びだされるがなんとか反撃、将軍は爆死、しかし、ジョシュアは逃走した。そして再びロジャー宅でジョシュアとマーティンは最後の殴り合いになるが、これを取り押さえて格闘終了。しかし警察に連行されるジョシュアは警官の銃を抜き取りマーティンとロジャーを狙う。その一瞬前にマーティンとロジャーはともに銃を抜きジョシュアを射殺する。
自殺願望がなくなったマーティンはロジャー宅でクリスマスを過ごす。

これって・・・<自殺願望刑事>というコンセプトを抜けば、けっこういい映画になっていたんじゃないだろうか。妻を交通事故で亡くして絶望している刑事と、家族思いの刑事がコンビになり、絶望刑事は、相方の家庭などにまねかれ人間的なやりとりをみているとすこしづつ人間性をとりもどしていく・・みたいな。
結局その<自殺願望刑事>というのは後のシリーズではほとんど使われなくなったのだが、たぶんそれで正解だと思う。この1作目は「まずコンセプトありき」の無理やり映画だった。

by ssm2438 | 2010-03-23 05:12
2010年 03月 23日

リーサル・ウェポン2(1989) ☆☆

f0009381_557986.jpg監督:リチャード・ドナー
脚本:ジェフリー・ボーム
撮影:スティーヴン・ゴールドブラット
音楽:マイケル・ケイメン
    エリック・クラプトン
    デヴィッド・サンボーン

出演:
メル・ギブソン (マーティン・リッグス)
ダニー・グローヴァー (ロジャー・マータフ)
パッツィ・ケンジット (リカ・ヴァン・デン・ハース)

        *        *        *

自殺願望設定は完全にデリート!

ヒロインにパッツィ・ケンジットを向かえ、さらに脇役キャラでジョー・ぺシを迎え、明るさをましたこの第二弾。ま、それで正解だったと思うよ。しかし、これにより完全バディ・ムービーに変貌をとげ、良くも悪くも普通にエンタテーメントしてしまった。
しかし、このパッツィ・ケンジットの扱いはもうちょっとなんとかならんかったものかなあ。『ブリット』の時にジャクリーン・ビセットよりはいいけど、あまりに添え物的な扱い。あっさり殺され、復讐へのモチベーション・ネタにされるのだが、ちと製作者の都合見せすぎだなあ。もうすこしオブラートにつつんでやってほしいものだ。

あと、リッグスの自殺願望の原因となった彼の妻の死の真相が明らかになる。しかし、もう自殺願望ないんだし、あんまりこれを入れて欲しくなかったかな・・。けっきょくパッツィ・ケンジットとラブラブしてしまうのだし、そんなコンセプトもう完全忘却でよかったのに・・。

<あらすじ>
麻薬組織の設けた金をロンダリングしていた銀行員レオ(ジョー・ペシ)が組織に狙われることになる、その護衛を命じられたリッグス(メル・ギブソン)とマータフ(ダニー・クローヴァー)。レオの記憶をたどり、一度連れて行かれた組織の影のボスの家にむかった二人は、激しい銃撃戦とカーチェイスの末に捕えたそのボスを捕らえた。しかしその人物とは、南アフリカの外交官ラッド(ジョス・アックランド)だった。治外法権に守られている彼は釈放された。
ラッドは、正体を知るリッグスたちと始末すりように部下に命令すると同時に、薬取引で儲けた莫大な金を国外へ運び出す手はずもととのえる。マータフは自宅のトイレには爆弾が仕掛けられた。ラッドの秘書(パッツィ・ケンジット)と一夜を共にした夜、リグスのトレーラーハウスはヘリコプターから激しい銃撃をうける。なんとか生き延びた二人だがジルも殺されてしまう。かつて自分の妻もラッドに命を奪われたことを知ったリッグスは、怒りが頂点に達し復讐を決意、ラッドを倒、国際巨大麻薬組織の壊滅させるのだった。

by ssm2438 | 2010-03-23 04:57