西澤 晋 の 映画日記

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2010年 03月 09日

マスク(1984) ☆☆

f0009381_130058.jpg監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
脚本:アンナ・ハミルトン=フェラン
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:デニス・リコッタ

出演:
シェール (ラスティ・デニス)
エリック・ストルツ (ロッキー・デニス)
ローラ・ダーン (盲目の少女・ダイアナ)

        *        *        *

『エレファントマン』同様、頭蓋骨形成異常の話。しかし、この映画はいいのは、『エレファントマン』のような暗さはないのである。確かに見た目はかなり気持ち悪い主人公の少年の概観だが、彼も、彼をとりまく人々も、とても優しく、彼自身も前向きに生きている。その点がさわやかでいい。さらにローラ・ダーンが恐ろしく可愛い。きっと彼女の出演映画のなかでは、このローラ・ダーンが一番可愛いだろう。

実際の主演はシェールだろうなあ。頭蓋骨形成異常の子供をもつ母親心理を描いた映画といったほうがよかたかもしれない。きっとこの母親もつらかっただろうと思う。私の知り合いには二人ほど、親が離婚して、母親だけに育てられたという経験をもっている人がいるが、その二人の母親はすっごい高圧的な教育ママにはってしまったという。片親だけになってしまい、子供のできの悪さが直接自分の責任になることから、子供に厳しく当たりすぎることになるようだった。このシェールが演じた母親も、きっと恐ろしいほどの責任感を感じていたのだろうと思う。しかしこの映画ではその辺りはあまりふれられず(ドラッグには溺れていたが)、タフなおかーちゃんとして描かれていた。どこもかしこもプレッシャーだらけだったら大変なので、ドラマ性を絞るという意味では正解だろう。

あと、この少年にはじめて恋する女の子を演じたローラ・ダーンだが、彼女は盲目という設定。これも正しいかな。人間の恋愛感情は、80%以上はみためで決定されるもので、どんなに理性が肯定しても、感情が認めないことはありうる。悲しいが現実的な接点の持たせ方だったと思った。

<あらすじ>
頭蓋骨形成異常の少年ロッキー・デニス(エリック・ストルツ)の夢は、親友のベン(ローレンス・モノソン)とオートバイでヨーロッパ大陸を走ることで、そのためにおこづかいを預金していた。彼の母のラスティ(シェール)は古い道徳概念にとらわれない自由人であり、ドラッグと男に明けくれ、周囲にはバイクに生きるアウトサイダーたちがいた。ロッキーはバイカーからも愛されていた。
卒業を間近にひかえたある日、校長が盲人のサマー・キャンプに参加するようにとロッキーにすすめた。そこで彼は盲目の美少女ダイアナ(ローラ・ダーン)と出会った。目が見えない彼女はロッキーと普通にせっすることができた。時折頭痛に苦しむこともあったが、ロッキーは、ダイアナと馬に乗ったり楽しい時を過ごした。だが、キャンプの最終日、ダイアナを迎えに来た両親の狼狽ぶりに、2人は気まずい思いを経験した。ダイアナの両親は彼女をロッキーから遠ざけた。電話をしても彼女を出してもらえないいらだちから、ロッキーは自然とダイアナのいる街へと足を向けていた。乗馬クラブで再会する2人。
死は突然ロッキーを襲った。ダイアナと別れて家に戻った翌朝、学校からの電話で、ラスティはロッキーが欠席しているのを知り、彼の部屋を開けた。話しかけても既に息絶えたロッキーは無言だった。ロッキーの16歳の生涯は終った。

by ssm2438 | 2010-03-09 01:31
2010年 03月 09日

ラスト・ショー(1971) ☆☆☆

f0009381_0521999.jpg監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
脚本:ラリー・マクマートリー
    ピーター・ボグダノヴィッチ
撮影:ロバート・サーティース

出演:
ティモシー・ボトムズ (ソニー)
ジェフ・ブリッジス (デュアン)
シビル・シェパード (ジェッシイ)
ベン・ジョンソン (映画館主サム)
クロリス・リーチマン (コーチの妻・ルース)


        *        *        *

今年、アカデミー主演男優賞とったジェフ・ブリッジズが最初にアカデミー助演男優賞とったのがこの作品。1972年のキネマ旬報洋画部門1位だったと記憶している。
時代的にはアメリカン・ニューシネマの期間にはいるし、スピリット的にはそんな性質がなきにしもあらず。ニューシネマの時代は、それまでに構築されてきた歴史的権威や、社会を否定し、どうせこんな中ではどうにもならないだ・・というあきらめ感が充満、そのなかである映画はヌ責任銀行強盗に走るし、そうでないものは『真夜中のカーボーイ』みたいにただひたすらにドツボにはまり朽ち果てていく。この映画も、社会に抵抗できなくて朽ち果てていく哀愁が一杯つまっていた。

監督は『ペーパームーン』『マスク』ピーター・ボグダノヴィッチ。正直なところ、この監督さんの映画はこれとその2本しか見たことがない。そして、この映画・・・それほどいいとも思わなかった。なんでこれがキネマ旬報1位だったんでしょう?? 1972年には『ゴッドファーザー』、『フレンチコネクション』、『わらの犬』、『時計仕掛けのオレンジ』、『死刑台のメロディ』など、そうそうたる作品が目白押しだったのに・・・。しかしこの頃の映画というのは露骨にインパクトのある映画がおおかった。その象徴となっているのが町で唯一の映画館。そんな状況のなかでも若者は若者の興味と夢と社会との妥協のなかで生きていくしかない。

主演のティモシー・ボトムズはのちに私の大好きな『ペーパーチェイス』で主演とつとめることに。おお、こんなとこでデビューしてたのですか?ってかんじでした。このころのティモシー・ボトムズは、『普通の人々』ティモシー・八ットンをちょっと丸っこくした感じで、とってもみずみずしかった。
助演のジェフ・ブリッジズシビル・シェパードの彼氏役で、彼女が何とか処女を捨てたいと思ってるのになかなか上手く出来ずに解消なし呼ばわりされていた。後に『キングコング』ジェシカ・ラングと競演するが、私の中ではこのジェシカ・ラングとシビル・シェパードはなんとなくダブってしまう。ちなみにシビル・シェパードはこの映画できっちりヌードを披露してくれていた。恥ずかしさを押さえて、みんなの前で着る物をすべて脱いでプールに飛び込むときにぎこちなさはとっても素敵だった。しかし、このシビルシェパードが演じたジェッシイという女は美しいかもしれないが、実に最低のクソ女だった。歴代の映画の中に登場した女で、男心を踏みにじる、もっとも許せない女の一人にこの女は上げられるだろう。

痛かったのはティモシー・ボトムズと関係を結ぶようになってしまった、コーチの奥さん(クロリス・リーチマン)。ぎこちなくはじまった年の差もかなりある二人の関係だったが、老いに劣等感を感じてて、結局ティモシー・ボトムズが会いにこなくなり、最後に精神的にうちのめされた彼が会いにきたとき、そのくやしさを爆発させるシーンはんみてて心が痛かった。。

<あらすじ>
1951年、テキサスの小さな町アナリーン。その街にはサム(ベン・ションソン)が経営するロイヤル映画館という映画館が一館だけあり、ビリーという知恵遅れの少年がいつも表を掃除していた。そこは若者たちの唯一のデートの場所であり、ハイスクールのソニー(ティモシー・ボトムズ)とデュアン(ジェフ・ブリッジス)もそこに彼女と一緒にきてたい。ソニーはガールフレンドのシャーリーンと付き合って1年になるが、“H”まではいたらないままにげられる。デュアンは町一番の美少女のジェイシー(シビル・シェパード)と付き合っていたが、彼女にとってデュアンでは物足りないと思われていた。

ある日、ソニーはフットボールのコーチに、彼の妻ルース(クロリス・リーチマン)を、病院まで送り迎えするように頼まれた。それをきっかけに30歳ちかくも歳のはなれたルースと付き合うようになってしまう。いまだ童貞のソニーも、老いを隠せないルースも、自分に劣等感をもちつつもベットをともにする。夫に無視され続けてきたルースは、少女のように恋に燃えていた。
一方処女を捨てるのに劣等感を感じていたジェッシイはデュアンと共にモーテルに入る。しかし、デュアンは若さゆえに失敗。そんなデュアンに嫌気をさしてきたジェッシイはソニーに言い寄り、それが原因でデュアンとソニーは険悪なムードになり殴り合いのケンカをしてしまう。傷のいえたソニーはジェイシーから求婚され、かけおちしようとハイウェイをとばしたが、パトカーに捕まってしまう。するとジェイシーはあえなく気が変わってしまった。ジェッシイの言葉に魂などこもってないのだ。つねに彼女は見てくれと世間体だけを気にする女でしかなかった。
デュアンは町を出る決心をした。朝鮮戦争へ出征するという彼とソニーは一緒にロイヤル劇場の閉館上映を見にでかけた。劇場には二人しかいなかった。デュアンをバス停留所で見送った、ビリーが路上でひき殺されていた。

この映画はとにかく非情なのだ。必要でないものはどんどん排除されていく。
そんな中で男は女に夢をみるのである。

悲しみにくれたソニーが最後に行き着いたのはルースの所だった。彼女は自分を棄てたソニーに向かって怒りを投げつけた。
「何度も何度も心のなかで謝ったわ。・・・なんで私が謝らなきゃいけないの!!」、その怒りの声はいつしか泣き声に変わり、彼女の手は静かに無表情なソニーの手の上に置かれていた。

by ssm2438 | 2010-03-09 00:53
2010年 03月 08日

愛のレッスン(1954) ☆☆

f0009381_1964458.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:マルティン・ボーディン
音楽:ダーク・ヴィレーン

出演:
グンナール・ビョルンストランド(ダビッド)
エヴァ・ダールベック (妻・マリアンヌ)
ハリエット・アンデルセン (娘・ニクス)

      *      *      *

これは退屈だった。。。一応ベルイマン風の舞台劇的ラブコメなのだろうが、どうにもぴんとこない。
自分は恋愛事情の戦略家だと思っている主人公の婦人科医ダビッドが、愛人をつくってよろしくやっていると家庭が壊れかけ、どうやら妻が浮気していることもわかってくる。で、策を練ってた妻のとの関係を修復していく話。ことがそれほどディープにも思えず、ベルイマンの映画にしては底があさかったような気がした。主要登場人物はほぼ同じ役者でそろえた翌年の『夏の夜は三たび微笑む』のほうがはるかに出来が良い。
お手軽につくった映画という印象がしたのは私だけ?? ベルイマンの映画のなかではハズレの一本といっていいだろう。

<あらすじ>
中年の婦人科医ダビッド(G・ビエルンストランド)と妻マリアンヌ(エヴァ・ダールベック)との)結婚生活は16年になる。二人の間にはニクス(H・アンデルソン)とペルレという二人の子供があり、平凡だが、円満な生活をおくっていた。ところがダビッドは診察に来た若い人妻スザンヌと関係をもつようになり、そのことをうすうす気づいた妻とはギクシャクしてくる。ダビッドが家庭や愛情の問題について、娘と真剣に話し合っているうちに、マリアンヌも不倫していることが分かってしまう。相手はダビッドとは無二の親友だった彫刻家カーラダムだった。

ここからがこの映画のありえないというか、映画的にあんまりありそうにない展開になる。家庭の危機を感じたダビッドは、スザンヌとの情事を清算した。いろいろ策を講じて妻とよりを戻すわけだ。普通はこのまま分かれる展開になるのだろうが、そこはそれ、舞台劇的な記号主義的映画なので、さくっと戻ってしまうわけだ。

by ssm2438 | 2010-03-08 19:11 | I ・ベルイマン(1918)
2010年 03月 08日

夏の夜は三たび微笑む(1955) ☆☆☆

f0009381_16385552.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリック・ノードグレーン

出演:
グンナール・ビョルンストランド (フレデリック・エーゲルマン)
エヴァ・ダールベック (フレデリックの元愛人・デジレ)
ウーラ・ヤコブソン (フレデリックの新妻・アン)
ビルギッタ・ヴァルベルイ (フレデリックの息子)
ハリエット・アンデルセン (メイドのペトラ)
ヤール・キューレ (マルコム伯爵)
マルギット・カールキスト (マルコムの妻・シャーロッテ)

        *        *        *

『秋のソナタ』や『ファニーとアレクサンデル』などをてがけたスウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマンのロマンチック・コメディ。ベルイマンといえばメンタル・スプラッタ映画って印象なれど、こういう洒落たコメディも撮っている。でも、面白いと思えたのはこれだけ。期待しすぎも禁物。前年に撮った『愛のレッスン』は全然つまんなくて、そのあとに見たものだから多少良く見えたってところもあったかも。
不思議なもので、この映画をみているとウディ・アレン映画をみてるきになってしまった。ある夏の夜に、郊外の別荘に集まった男女数組の心の機微を描いたシチュエーション・コメディで、良くも悪くも、ウディ・アレンのベースはベルイマンなんだろうなって感じさせてくれる映画。

しかし・・この映画、舞台劇的ラブコメスタイルをとっていて、感情移入が実に難しい。これは描き方だけでなく、文化の違いからくるものだろう。そんなに割り切れた妻と愛人と男の関係があるのか・・って思ってしまう。さすがスウェーデン。それでもふしぶしにツボを突く言葉や演出がある。さすがベルイマン。
マルコム伯爵が愛人のデジレ宅にいってみると、フレデリックがいる。ふんがいして正妻シャールロッテのところに戻って、妻にむかって、

「妻ならまだしも、愛人を寝取られたら虎になる」

・・と言ってのける。まさにおおおおおおおおおおおお!!!??である。
この潔さに感動してたら最後、今度は愛人デジレにむかって
「愛人ならまだしも、妻を寝取られたら虎になる」と言いやがる。こんなの言われたら最初の言葉の感動がなくなってしまうじゃないか!馬鹿たれ!ここは大不満でしたね。

ベルイマン映画の常連で美女的役割のハリエット・アンデルセンが脇をかためてているが、主役はエヴァ・ダールベック。マルコム伯爵の妻シャーロッテを演じるマルギット・カールキストは、美人なのかそうでないのかいまいち判断しきれないのだが、本編ではやたらときりりとしててかっこよく見える。撮影は『野いちご』のンナール・フィッシャー。画面構成は実にスタンダードは画作りをするひとだ。ちなみに、夜が夜に見えないのは「白夜」だそうな。確かにスウェーデンの夏の夜は白夜でなかなか暗くならないし、あっというまに明るくなってしまう。

あとひとつ気になったのは、ゴシップ記事だと、ハリエット・アンデルセンとベルイマンは『不良少女モニカ』以来恋人関係だったのだが、この『夏の夜は三度微笑む』の撮影中に破局したらしい(苦笑)。主人公弁護士フレデリック・エーゲルマンの新妻がやたらと元気なのと、その妻が結局息子とひっつき駆け落ちしてしまうくだりは・・、もしかしたらハリエット・アンデルセンを思うベルイマンの気持ちがこんなんだったのかなってかんぐってみたくなる。当時ベルイマン37歳、ハリエット・アンデルセン23歳であった。こんな小娘にてをつけるなんざあ、けしからん奴だ、まったく。。。

登場人物と立ち居地をざっくり整理しておこう。

●フレデリック・エーゲルマン弁護士(グンナール・ビョルンストランド
アンと結婚したが、想いを大事にするあまりまだ“H”もしていない。そんな彼が一番居心地のいいのはデジレである。

●フレデリックのかつての愛人デジレ・アームフェルト(エヴァ・ダールベック
いまでもフレデリックが一番一緒にいてらくな相手。しかし今の立場はマルコム伯爵の愛人。

●フレデリックの新妻・アン(ウーラ・ヤコブソン
フレデリックと結婚したが、大事に思われすぎてまだ抱かれてもいない状態に物足りなさを覚え、の息子ヘンリック(フレデリックと前妻の子供)に退かれるものを感じている。

●フレデリックの子供・ヘンリック(ビヨルン・ビェルヴヴェンスタム
牧師志望でまじめな青年。経験豊富なメイドのペトラ(ハリエット・アンデルセン)の色香によろめいてるが、相いつもお預け、実はからかわれているだけなの。しかし、潜在的には父の再婚相手アンに惹かれるものがある。

●デジレの愛人マルコム伯爵(ヤール・キューレ

●伯爵を愛しながらも報われない伯爵の妻・シャーロッテ(マルギット・カールキスト

・・・そんな状況のなかでデジレは考える。
今の愛人マルコム伯爵を妻シャーロッテのもとに返し、フレデリックの新妻とヘンリックと引っ付け、自分は再びフレデリックと一緒になろう!・・と。かくして、この壮大な(?)計画をたてる。関係者をデジレの母の家にまねき夏の夜の一夜をみんなで過ごすというのだが・・・。

by ssm2438 | 2010-03-08 09:03 | I ・ベルイマン(1918)
2010年 03月 05日

マッドマックス(1979) ☆☆☆

f0009381_12481438.jpg監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジェームズ・マッカウスランド/ジョージ・ミラー
撮影:デヴィッド・エグビー
音楽:ブライアン・メイ

出演:
メル・ギブソン (マックス・ロカタンスキー)
ジョアンヌ・サミュエル (ジェシー・ロカタンスキー)
スティーヴ・ビズレー (ジム・グース)
ヒュー・キース・バーン (トーカッター)

        *        *        *

オーストラリアの凶悪な暴走族と交通警察の戦いを描いた近未来映画。無駄に拾いオーストラリアの原野があったからこそできた作品。一本目のこちらはまだ社会性があったので少しは見られるが『マッドマックス2』になるとただのファンタジーになってしまった。まあ、あんまり頭を使わないで見られるという意味ではいいのだろうが・・社会性のない映画というのは個人的には全然面白いとはおもわない。で、この一作目、正直なはなしB級映画です。もうちょっと映画的な完成度が欲しかったかな。ま、あ低予算映画なのでしかたがないというか、低予算でこのくらい作れれば上出来といったほうがいいかもしれない。

この映画の特徴は、これは『・・・2』でもいえることなのだけど、あまりに悪党の書き方が記号的ななことだ。あんまりドラマを書き込んでない素人がイメージするような超シンプルな「悪」の設定で、いきがり方が実に子供じみているんだ(苦笑)。まるで小学生にみせる戦隊物の知能指数でつくったような映画。たしかに子供向けならこんな「悪」でいいと思うのだけど、大人相手の一般映画にこの「悪」の設定はどうなん??って思ってしまった。しかし、この「悪」の設定の幼稚さが受け入れられれば、スピード&バイオレンスというハラハラ・ワクワクく感覚は満載であり、それがある種の人たちにはうけたのだろう、当時大ヒットした。
ストーリー的にも完成度は低く、仲間のグースが殺されてるのに、それにびびった主人公が仕事を辞めるってのはどうなん?? ここの流れは超マイナスポイントだった。普通に休暇中に妻を子供を殺された・・でいいと思うのだけど。ラスボスが最後のに追いかけられてトレーラーにつっこんで終わりというのも・・・いまいちすっきりしない。せっかくのV8インターセプターもいまいちきちんと描かれず、もうすこし雑魚の暴走族どもをばったばったとなぎ倒すシーンをいれてほしかったかな。
ただ、暴走族と警察の争い、さらにそこに警察側の武器となるV8のインターセプターという設定はもっと作りこめばいい映画になっていたのにって思う。可能性を感じる映画だったので、色眼鏡でみると悪くないのも事実だ。

<あらすじ>
近未来のある田舎町では、暴走族による凶悪犯罪が多発していた。その犯罪に対処するために作られたのが特殊警察。
警官殺しの凶悪犯ナイトライダーは、追跡専用パトカー・インターセプターを盗んで逃走するが、最後は警官マックス・ロカタンスキー(メル・ギブソン)に追い詰められ運転操作を誤り事故現場に激突、即死した。仲間を殺された暴走族のリーダー・トーカッター(ヒュー・キース・バーン)はマックスへの復讐を企てる。僚友のジム・グース(スティーヴ・ビズレー)が彼らに焼き殺され、妻と息子もトーカッター達に轢き殺される。全てを失ったマックスは、スーパーチャージャーを搭載し、600馬力にまでチューンナップされた漆黒の特殊追跡車V8インターセプターを無断で持ち出し、暴走族をひとりひとり血祭りに上げていくのだった。

by ssm2438 | 2010-03-05 12:52
2010年 03月 05日

マッドマックス2(1981) ☆☆☆

f0009381_2054688.jpg監督:ジョージ・ミラー
脚本:テリー・ヘイズ
    ジョージ・ミラー
    ブライアン・ハナント
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ブライアン・メイ

出演:
メル・ギブソン (マックス)

        *        *        *

今回は予算はでたみたいだけど、がラットシチュエーションを変えてしまい、個人的には全然もえんかった。1作目のシチュエーションで、この予算なら面白いものが出来たと思ったのになあ。一部ファンには受けたのかもしれないが、どうもこの手のオタク向けバイオレンスというのはダメだ。。。。

この2作目は社会性完全消滅。まるっきりファンタジー色がつよくなり、マックス(メル・ギブソン)とV8インターセプターだけは一緒だけど、あとは異国の国の世界。ひたすら学芸会のコスチュームプレイになり、お金がかかってるっていっても車の改造と砂漠にたてたあのセットだけなんだろうけど。悪役は実に記号的な悪役で、ここまで来るとベタ過ぎてどうでもよくなる。ただ、それでも当時の悪役のビジュアルイメージとしては各方面に貢献したことは確かなので、そういう需要があったってことだろうなあ。

<あらすじ>
なんでも前作の直後に世界戦争が勃発し、文明は崩壊されたそうな。石油が枯渇し、凶悪な暴走族が日夜石油の争奪戦を繰り広げるという世界観。

この設定だけでもう見る気しなかった。石油がなくなってきてるの、暴走族やろうかって気にならないよ、普通。次の世界かんとして、じゃあ、馬の育成に値から入れようかとか、自転車作ろうかとか・・、とにかく日常生活に必要な石油だけを使って、何か他に変わるものがあるならそちらにするだろう。アホくさくてこの設定では見る気がしなくてかなり放置していた作品。

愛車V8ブラック・インターセプターに乗り、暴走族を倒しては石油をかき集め、荒野を放浪していたマックス(メル・ギブソン)。た。彼は、ヒューマンガス率いる暴走族に襲われている石油精製所を発見、そのコミュニティの住人をたすけたことから製油所に入ることを許される。ヒューマンガスに襲われていた彼らは、石油をタンクローリーに入れて運び出す計画をねっていた。マックスも同行を勧められたがことわり、ガソリンだけをもらい出て行った。しかし途中で暴走族たちの逆襲にある。ジャイロ・キャプテンに助けられたマックスは精製所で介抱されなんとか生き延びる。マックスはトレーラーの運転手をかって出る。暴走族との最後の決戦がはじまる。

by ssm2438 | 2010-03-05 06:07
2010年 03月 04日

デルス・ウザーラ(1975) ☆☆☆

f0009381_14123771.jpg監督:黒澤明
脚本:黒澤明/ユーリー・ナギービン
撮影:中井朝一
    ユーリー・ガントマン
    フョードル・ドブロヌラーボフ
音楽:イサーク・シュワルツ

出演:
ユーリー・サローミン (ウラディミール・アルセーニエフ)
マクシム・ムンズク (デルス・ウザーラ)

        *        *        *

カピターあああああああン!

この映画をみるとついついこう叫びたくなる!(笑)

ロシア文学好きの黒澤明がロシアで取った映画。悪くはないんだが・・・、やっぱりいつものように、「良い!」と思わなきゃいけないんだろうなって映画ではある。願わくば日本の撮影スタッフでとって欲しかったかな。ロシアの大地は怒涛の望遠で見たかった。

サバイバルを、きちんとやったんかなって勘違いさせられるくらい具体的に几帳面に映画いてくれている。それに黒澤の脚本でも、やっぱりロシア語に変わると違うのだろう、いつもよりも普通に見られた。ただ、設定的にはやっぱり記号的なのでいつものように見せられるだけの映画ではあるのだけど・・。
自然のなかで水を得た魚のように活動するデルス・ウザーラ(発音的にはデルソウ・ザーラに聞こえる)は実に魅力的だ。しかし、第二部にはいると歳取ると視力も落ちてきて猟銃の狙いも定まらない。かといって文明のなかでは哀れなくらい生きられない男だし・・・。悲しい終劇だった。

ちなみに「カピターン」というのは英語でいう「キャプテン」のことなのだろう。調査隊のチーフの呼び名。

<あらすじ>
1902年の秋。カピターン・アルセーニエフ(Y・サローミン)は地誌調査のためにウスリー地方を訪れる。森の中でカルセーニエフは、毛皮を着た猟師デルス・ウザーラ(マクシム・ムンズク)に出会う。デルズは一行の案内人として同行することになった。彼は天涯狐独ので、家を持たず密林の中で自然と共に暮らしていた。ハンカ湖付近の踏査に出かけた時、迫りくる夕闇と同時に、横なぐりの吹雪が襲ってきた。二人は厳寒に耐えるために草を刈り続けた。アルセーニエフはあまりの寒さと疲労のために気を失ったが、目が覚めると、吹雪がおさまりも、二人はデルスが草で作った野営小屋のおかげで凍死をまぬがれた。
やがて厳しい冬が大地を多い、調査の目的を達したアルセーニエフはウラジオストックに帰ることになる。彼はデルスを自分の家に誘ったがデルスは弾丸を少し貰うと、一行に別れを告げて密林に帰っていった。小さくなる男の影がふりかって叫ぶ「カピターああああああン」。

1907年、再度ウスリー地方に探検したアルセーニエフはデルスと再会した。しかし視力が急速におとろえてきたデルスは猟銃の狙いがさだまらない。猟ができなくなったデルスは既に密林に住むことはできなくなっていた。デルスはアルセーニエフの誘いに応じ都会の彼の家にすむことになった。しかし、自然の摂理にそむいた都会生活は、彼の精神をむしばむばかりだった。たとえそこで生きていけなくとも、彼は自然の中に戻りたいと思った。密林に帰ることになったデルスに、アルセーニエフは最新式の銃を贈った。しかし、デルスは行きずりの強盗にその銃を奪われ、他殺死体として発見されたのだ。

by ssm2438 | 2010-03-04 14:14 | 黒澤 明(1910)
2010年 03月 04日

晩春(1949) ☆☆☆☆

f0009381_133360.jpg監督:小津安二郎
脚本:野田高梧/小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:伊藤宣二

出演:
笠智衆 (曽宮周吉)
原節子 (曽宮紀子)

        *        *        *

『のび太の結婚前夜』をみたとき、これだ!っ手思った。

もっとも私の見たのは、テレビシリーズで放映されたやつで、後に劇場公開されたものではない。一応劇場公開されたものも見たのだが、なんだか昔テレビシリーズの一話としてみた『・・の結婚前夜』のほうがよかったような印象があったが・・・なぜだろう。もっとも子供のときの記憶なのでどこまで私が覚えているのかはかなり怪しいものだが。

『東京物語』をみてない私にとっては小津といえばこの『晩春』である。3年前くらいになるかな、サンライズで演出講座なるものを開いた時に、スタンダードな画面構成の基本としてこの『晩春』を見てもらった。小津は50ミリ(スチールカメラの72ミリ=弱望遠)でしかとらないという話をきいていたので一番参考にしやすいだろうと思ったわけだ。なんでも80ミリもつかってみたことはあったようだが、結局50ミリに落ち着いたようだ。
個人的には木村大作の望遠が好きな私だが、日常芝居となるとはやりこのくらいの弱望遠が一番落ち着く。ただ、実際描くとなると一番難しい画面になる。どんなに下手な人でも描ける広角もどきなら誰でも描けるし、露骨な望遠ならもうすこし頭のいい人ならかけるのだけど、このちょっとだけ望遠というのは一番自然な画面であがゆえに一番難しい画面だとおもう。これがかけるようになったらアニメーターとしては合格だろう。

しかし、小津の画面というのはかなり小細工もされている。たとえば笠智衆とその助手がならんでなにやら物書きなどをしてるシーンがあるが、ぱっとみすごくきれいなレイアウトなのだが、実はインチキ画面だったりする。ほんらいあのシーンは二人が並んでいないといけないのだけど、画面にみせるために机一個分ずらして座っているのだ。リアリティ重視の画作りではああいうことは出来ないが、人物をみせるためには少々の小細工はつかわれている。もっとも、こういう映画的なキャラをみせるためのトリックはどの映画でもつかっているもので、小津の映画にかぎったことではない。
あと、この時代の映画というのは、恐ろしいほどしゃべる人を撮る。その台詞があるたびにその人のアップをとられるのでちょっと気持ち悪い。今の時代ではもうちょっとカット割りに自然さをもとめるのだろうが、この時代ではあれがスタンダードだったのだろう。

<あらすじ>
早くから妻を亡くした大学教授の曽宮周吉(曽宮周吉)は娘の紀子(原節子)と二人で鎌倉に住んでいた。そんな法子はもう27歳になっていた。気が気でない周吉は、何んとかして紀子を結婚させようとするが、紀子は首を縦にふらなかった。一度は助手の服部と紀子を結ばせようと考えていた周吉だが、服部にはすでに許婚があると聞いて新に候補者をすすめるのであった。
一方、叔母のまさ(杉村春子)は茶会で知った三輪秋子という美しい未亡人を心の中で兄の周吉にと考え、紀子話してみたが、紀子は自分の結婚よりも父の再婚に気をとられてしまう。紀子は、ある日紀子は父に再婚の意志を聞き正してみた。父は再婚するという返事たっだ。紀子は、最後の旅行を父と共に京都に言った。京都から帰った紀子はすぐ結婚式をあげた。周吉は娘の紀子を新婚旅行に送ったあと、北川アヤに再婚するのと聞かれ、「ああでも言わなければ紀子は結婚せんからね」と答えるのであった。

by ssm2438 | 2010-03-04 01:04
2010年 03月 01日

別れぬ理由(1987) ☆☆

f0009381_2224459.jpg監督:降旗康男
原作:渡辺淳一
脚本:那須真知子
撮影:木村大作
音楽:羽田健太郎

出演:
津川雅彦 (速水修平)
三田佳子 (その妻・房子)
古尾谷雅人 (妻の浮気相手・松永)
南條玲子 (修平の浮気相手・葉子)

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不倫ドラマでも木村大作の望遠はカッコいい!

大人の恋愛を描く渡辺淳一原作のこの映画だが、さすがに主演が三田佳子なのでこちらを脱がすわけにはいかず,この作品ではもっぱら南條玲子がそのシーンを担っていた。“H”のシーンの数は他の渡辺淳一作品に比べればすくないだろう。そういう意味では多分ほとんどの人にはあまり魅力のない作品かもしれないが、木村大作が等身大の世界を撮ったという意味ではなかなか興味深い映画だ。しかしやっぱり木村大作の場合は、室内よりも仰々しい望遠が活かせる舞台のほうが似合っている。劇中、三田圭子と古尾谷雅人が国内で行われているラリーの取材にいくエピソードがあるが、このラリーのシーンになると木村大作のかっこ良さがわすれてたように展開される(ちょっとだけど)。しかし監督は降旗康男さんなので、木村大作画面の使いどころは心得ている様子。きわめて見やすくまとまっていたと思う。

<あらすじ>
速水修平(津川雅彦)は大手の病院で外科医長。妻・房子(三田圭子)は雑誌記者。二人の間には17歳の娘・弘美がいる。修平は月に何度か人妻・岡部葉子(南條玲子)との浮気を楽しんでいたが、、ある夜修平が帰宅すると電話が鳴り、受話器を取ると唐突に「もう帰ったんですか?」という男の声がした。電話はすぐ切れたが、それからというもの、妻・房子の浮気を疑い始める。房子は年下のカメラマン・松永(古尾谷雅人)と取材を重ねるうちお互いに惹かれ、プライベートにも会うようになったのである。
修平は学会の用事で札幌に出かけたが葉子を伴っていた。しかし、房子のことも気になったので家に電話を入れたが、弘美が出て、急な取材で長崎へ発ったという。その頃、房子は松永と一緒に長崎にいた。彼女も夫のことが気になり、宿泊予定のホテルに電話をするがいない。札幌中のホテルに電話をし、翌朝房子はようやく修平の居場所をつきとめた。
帰宅した修平と房子は初めてお互いの不満を爆発させた。翌朝、修平は房子と口も聞かずに出かけた。房子もまた松永と会うことを避けていた。ある決意にもとに、ある音楽会で松永とある房子は別れ話を持ち出すが聞き入れてもらえない。
ケーキを買って帰宅する修平。なんとか房子のご機嫌を取ろうとする。房子も修平の調子にあわせる。お互いの浮気に気づきながら離婚するエネルギーもないことを実感する二人は、表面上円満な家庭生活を続けるのが一番いいと実感したようす。めでたしめでたし。

by ssm2438 | 2010-03-01 22:24 | 木村大作(1939)
2010年 03月 01日

天国の大罪(1992) ☆

f0009381_21441256.jpg監督:舛田利雄
脚本:松田寛夫
撮影:木村大作
音楽:星勝/森英治

出演:
吉永小百合 (衣畑遼子)
オマー・シャリフ (蔡文華)
松方弘樹 (遼子の上司・田辺)

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これはひどい。まるで安物のテレビドラマだ。

天下の木村大作が撮っているというのに、この映画のしょぼさは一体どういうことだ? とにかくキャスティングが悪いし、芝居も悪い。芝居付けも最悪なら演出も最悪。よくこれだけひどい映画に木村大作が付き合ったものだ。もっとも撮ってるうちは、それがいいか悪いかなんてわかるはずもないけど・・。

見終わってから判る本来のこのドラマ。どうもこのドラマは、刑事だった吉永小百合と犯罪組織のボスだったオマー・シャリフのメロドラマだったようだ。本来反発しあうはずの立場のもの同士がどのように愛し合うようになるのかがこの手の物語の見せ所なのだが、それがまったく理解させないま、あ引っ付いてしまうので、刑事が犯罪組織のボスとひっついていちゃいちゃしてていいんか???って思ったまま物語が進行、見ているうちはどんな物語なのか、この物語が何処に行こうとしているのかまったく判らない。唯一このドラマの進行をみてて、「まさかこの二人が愛し合う」なんてことになどうみたってならないだろうってことだけは理解できるのだが、そのまさかになってしまうのだ。まったくそうなる説得力ない話であり、みている側の理性も感情もついていかないので、スクリーンのなかで起こっていることがばかばかしく見えてしまう。

<あらすじ>
東京地検特捜部の女性検事・衣畑遼子(吉永小百合)は、その上司・田辺邦夫(松方弘樹)と不倫の関係にあった。その頃新宿周辺では万引き娘を見つけては脅して犯す奈良本(清水紘治)のおとり捜査がおこなわれており、本人自ら万引きOLを装った遼子の誘導で奈良本は逮捕された。そのころ遼子は田辺の子を身籠っており、田辺は堕胎を求めたが遼子はそれを拒んでいた。
同じ頃東京の外人街では蔡文華(オマー・シャリフ)のチャイニーズ・マフィアと警察側の激しい攻防がつづいていた。蔡文華は紳士であり、立場は違えど遼子にもひそかに想いを抱いていた。警察のスパイを殺した黄亢虎(西田敏行)が逮捕されたが、遼子の温情があだとなり、黄獄中で自殺する。それが原因で遼子は地検を辞め、田辺とも別れ彼との間に生まれた子供を一人で育てていく。
しかし遼子に強制猥褻罪で摘発された奈良本が出所すると、その子を誘拐、半狂乱になった遼子は裏の世界に通じている蔡文華に息子を救出してもらう。この事件をきっかけに、遼子と蔡は同居しはじめ、家族となった。

この展開があまりに唐突で・・・・、見ているものはそれがなんなのか理解出来なかった。やがて蔡文華の組識の全員が逮捕される。これは麻薬の大口取り引きを知った遼子が、麻薬シンジケートの内情を提供すれば蔡文華を不起訴処分にするという約束を田辺から取りつけた結果だった。子供をつれて外国の逃亡した遼子と蔡文華だが、犯罪組織は蔡文華を裏切り者として賞金をかけた・・。

by ssm2438 | 2010-03-01 21:45 | 木村大作(1939)