西澤 晋 の 映画日記

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2010年 04月 19日

ビリティス(1977) ☆

f0009381_10312613.jpg監督:デヴィッド・ハミルトン
脚本:カトリーヌ・ブレイヤ
撮影:ベルナール・ダイレンコー
音楽:フランシス・レイ

出演:
パティ・ダーバンヴィル (ビリティス)
モナ・クリステンセン (メリッサ)

        *        *        *

ダーヴァンビル家のパティは・・・なんだか老けて見えるぞ(苦笑)

デヴィッド・ハミルトンの写真は、子供から大人へと変わる辺りの女性の写真がおおく、フォギーフィルターをかけて白をにじませて撮る。それはどの写真集においても同じなのだが、映画においても同じよう撮り方をする。この映画は、そんなデヴィッド・ハミルトンが初監督した映画なのだが、本人もそこは割り切っているとみえて、ドラマを真剣に撮ろうとするのではなく、あくまで自分流の写真を、とりあえずあるストーリーの流れにそって撮っていこうかなというようなもの。なので物語を真剣にたのしむような映画でもない。ま、こういう映画があってもいいだろう。そんなハミルトンの動く写真集にフランシス・レイが音楽をつけた・・というような映画。

もちろんヌードは出てくるのだが、ハミルトンの画面というのはとににいやらしさはなく、さらりとしているのでエロさという点でも特に特筆する点はない。ヌードが出てる映画でも、オナニーのおかずにはなりづらい映画だ。
当時このようなソフトポルノ系の映画がやたらとはやっていたが、そのなかでも特にエロさをかんじさせない映画となっていた。まさに女性を美しく撮るというだけの映画で、ひっかかりがまったくない映画。ハミルトンの奥さんでもあるモナ・クリステンセンだけがひたすら美しかったという印象だった。あと主役のパティ・ダーバンヴィルは・・・若いのかもしれないが妙にふけて見えた(苦笑)。

<あらすじ>
学期末をうまけ、夏休みにはいる寄宿学校。ビリティス(パティ・ダーバンヴィル)は、父の女友達の娘メリサ(モナ・クリステンセン)とその夫ピエールの住む南フランスはプロバンス地方で、その夏を過ごすことになった。メリサの高貴なエレガントさをかもし出す女性でありビリティスの憧れでもあるが、彼の夫のピエールは生理的に好きになれない。しかし、そんなメリサは、夜になると夫のピエールにサディスティックに愛されていた。
ある日、メリサとビリティスは海へ行くと、学芸会で出会った写真家のルカに再会。ずっと彼のことを好きだったはずのビリティスだが、ルカが最後の一線をこえようとすると、こばんでしまうビリティス。そのことをメリサにすビリティスはメリサに抱きつき、やがて女性通しでなぐさめあう。
数日後、ピエールは他の女性と共に旅に出てしまい、メリサは孤独を感じる。彼女のためにパーティを開くビリティスだが、その場にきていたルカとメリサは熱い視線をかわすことになり。
結局のところ、自分が好きだった男と女が引っ付くのを指をくわえて見ているしかなかったビリティスの青春のほろ苦い夏が終わった。

by ssm2438 | 2010-04-19 10:32
2010年 04月 17日

鍵 THE KEY(1997) ☆☆

f0009381_7223891.jpg監督:池田敏春
原作:谷崎潤一郎「鍵」
脚色:白鳥あかね/香川まさひと/池田敏春
撮影:前田米造
音楽:本多俊之

出演:
川島なお美 (安西郁子)
柄本明 (安西宗一郎)
大沢樹生 (木村健一)
辻香緒里 (安西敏子)

        *        *        *

まあ、川島なお美のヌードだけみられればいっか・・という映画。

『そして、デブノーの森へ』で語られる<かくれんぼの法則>をテーマにした映画・・かな? その映画のなかで、「いつの頃からか、かくれんぼをするのが好きになった。見つけて欲しくないから隠れるのか・・、それとも見つけて欲しいのか・・・」というような内容のモノローグがあったが、この映画もその辺りがポイントになってくる。この物語の主人公は、日記を書き、それを机の引き出しにいれて鍵をかける。その鍵のありかを知った後妻の郁子(川島なお美)はその日記を読む。読まれないための日記が、読ませるための日記になっていく。そして郁子も日記で、自分の感情をしたため、それをさりげなく夫に読ませるようにする。どこかフランス映画っぽいシチュエーションの映画・・かな。

この映画はやはり、それ以前の『失楽園』のヒットで、やっぱり美人のヌードをは人を呼ぶという単純は法則を再認識したメーカーによってつくられた映画だが・・、文芸モノっぽいテイストにしてしまうと、なぜだか言い訳をされたエロさを感じ、ちょっと残念なきがする。これと比較するとやっぱり渡辺淳一の小説は、素直な男の憧れとエロさがあって、親近感を覚えるかな。

<あらすじ>
昭和34年。美術教授の安西宗一郎(柄本明)は、慎み深い妻の性衝動を解放し、己の性の欲望をかき立てるために、性的告白が綴られた日記を後妻の郁子(川島なお美)にそれとなく盗み読みさせるという遊戯を始める。
その日も、やたらと女アプローチをかける木村健一(大沢樹生)が郁子に近付くのを見た安西は、自分の嫉妬がを日記に書く。木村が娘の敏子(辻香緒里)を映画に誘えば、安西はこれに郁子を付き添わせたりもする。その夜、木村を交えた宴でしたたかに酔った郁子は風呂場で失神。郁子に欲望をいだく木村にあえて、裸の郁子を見させる。寝室に運ばれた郁子は、木村の名を寝言のようにつぶやくが、そんな郁子を嫉妬しながら抱き歓喜を味わう宗一郎。やがて郁子もまた己の日記で宗一郎に感情を語りかけるようになり、夫婦の同様な遊戯が続いていった。
木村に感情があるらしい義母・郁子への敵対心をもつ敏子は、木村に体を捧げ、彼の求婚も受け入れる。
しかし夫婦の遊戯はエスカレートを続ける。妻の裸身の写真を木村に現像させ嫉妬と興奮を覚える宗一郎。しかし彼の健康は徐々に蝕まれていた。外出先でふたりきりになる郁子が木村。宗一郎は妻の貞操を信頼しつつ、不貞の疑惑と嫉妬とに苛まれる。すっかり性的に解放された郁子を抱き、宗一郎は歓喜のなかで倒れていった。
郁子の体に溺れて半身不随となった安西は、郁子から日記を読み聞かされて死んでいく。郁子は、最初から木村と関係を持ち、裏切りによって夫の性的欲求を高め、それに応えようとしていたのだ。それは安西への残酷で人知れぬ愛情であった。

by ssm2438 | 2010-04-17 07:57
2010年 04月 17日

セーラー服色情飼育(1982) ☆

f0009381_71152.jpg監督:渡辺護
脚本:小水ガイラ

出演:可愛かずみ

        *        *        *

実はウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』をベースにしてる。

大学で教鞭を執る主人公は、母親と二人暮らしをしている、ある少女に夢中になる。彼はまず自分の年齢に釣り合った、少女の母親と結婚して家庭の一員となり、期を見て少女をものにしようという計画をたてた。
彼は彼女の母と結婚し、少女の母親を事故に見せかけて溺死させ、少女を手中に収める・・という話。確かにナボコフの『ロリータ』ベースではあるが、前半部の物語だけ(それも少女と“H”をするまで)を物語にしているので、<女性の本質>と<男の憧れ>といったこの原作の本質部をドラマにしているわけではない。

しかし・・・、それでもこの映画が価値があるのは可愛かずみの存在だろう。芸能界にあまり興味はなく、元々、美容師になるつもりだった彼女だが、高校在学中にスカウトを受け、モデルクラブに登録する。にっかつの宣伝用ポスターの仕事が舞い込み、引き受けるが、脱がないといけない仕事だと知らなかった。にっかつの担当者が怒られているのを見て同情してしまい、「話が違う」と一旦は断ろうとするが、最終的に引き受けた。この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年、この映画で芸能界入りする。モデル事務所から「次のステップに繋がる」という勧めもあり、きわどいラブシーンをしないという条件で、承諾する)「可愛かずみ」の芸名は、渡辺監督によって命名されたという。
タイトルはかなり卑猥なタイトルだが、露出度はきわめて低く、彼女が脱いでいるシーンはあまりない。それも裸でねそっべっているだけで、その乳房などを下元史朗がなでまわしているだけという、まったくエロさはない、まさにただのお人形さん状態。しかし彼女の体は細いのだが乳房だけはふくよかであり、ビジュアル的には圧倒的に素晴らしかった。
映画よりも彼女の写真集『ふりむかないで・可愛かずみ写真集』(撮影・小沢忠恭)のほうが断然よかった。
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by ssm2438 | 2010-04-17 07:13
2010年 04月 17日

木村家の人びと(1988) ☆☆☆

f0009381_6141115.jpg監督:滝田洋二郎
脚本:一色伸幸
撮影:志賀葉一
音楽:大野克夫

出演:
鹿賀丈史 (木村肇)
桃井かおり (木村典子)
岩崎ひろみ (木村照美)
伊藤充則 (木村太郎)

        *        *        *

小銭を求める一家は快活であった・・・

小銭を溜めることに異様な執念をもっている木村家の人々の快活な生き様を描いた映画。ただ、お金をもうけるってことは、やっぱり人々にエネルギーを与えるものなのだ。
この話のいいところは、小銭ひたすら溜めていく庶民が共感を持てる範囲の守銭奴イズムだろう。その部分をデフォルメして物語にしている。なのでいやらしさはほとんどない(多少はある)。そんな家族を背景にしながら、「これでいいのだろうか」と思いはじめる息子・太郎の存在によって、それまでの守銭奴イズムに徹した快活な木村家の家庭がとたんに活力をうしなっていく。底にはやはり家族でいることの家族の連帯を大事にする時には<妥協>というものが不可欠であること提示するとともに、<欲望>と<モラル>の相関関係をいやらしくない次元で物語にしているところだろう。

人間社会の縮図を、肩の凝らない形でユーモアのあるホームドラマとして映像化した映画であり、滝田洋二郎の一番得意な分野の映画だったような気がする。日活ロマンポルノのころの滝田洋二郎はエロのなかにコメディをいれてちゃかしてしまい、個人的には好きになれない監督さんだった。しかし一般映画をとりだしてからは彼の節度のある才能が花開いた感じだ。この映画は彼のなかでは好きなほうである。ただ、滝田洋二郎は絵作りに力をいれないので、個人的にはそれほど魅力は感じないのだけど・・・。

<あらすじ>
木村肇(鹿賀丈史)はサラリーマンでありながら、木村家の家族は小銭集めに忙しい毎日を送っていた。朝は早起きして仕出し弁当づくり、それを団地のサラリーマンの出勤時にうりさばいている。弁当を買う側にも好評だ。朝起きの老人たちを使って近所の新聞配達は一手にひきうけており、何より老人たちが快活だ。そして妻・典子(桃井かおり)は色っぽいモーニングコール・サービス。照美(岩崎ひろみ)と太郎(伊藤充則)もまたちゃっかりしていて、伯父さんから肩たたきを頼まれると必ず後から請求書を出すのだった。しかし、太郎だけはこのような金儲けに後ろめたさを感じていたのだった。そんな金儲け(小銭儲け)が総てのような木村家の状態を知った伯父の雨宮晋一(柄本明)は、せめて太郎にだけでももっと心豊かな人間になってもらおうと聖書を渡す。
聖書を読むうち「節度」を強くしていく太郎。典子の実兄・雨宮夫妻は太郎を引き取ろうとするが、肇に追い返される。しかし、木村夫妻も子供は可愛い。太郎の思いを受け入れ思い切って小銭稼ぎをやめる苦汁の決断をする。そしてベルマークを集め始める。しかし隣の高倉家(小西博之・清水ミチコ)が木村家のやり方を学び同じ商売を始めてしまう。木村家も黙ってはいられなくなった。老人会も巻き込んで木村家と高倉家の激しい商売合戦が始まった。
やはり「小銭虫生活はやめられない」という父・肇の姿をみた太郎は、雨宮の伯父さんのところへいく決意をするのだった。

by ssm2438 | 2010-04-17 06:14
2010年 04月 16日

SFソードキル(1984) ☆☆

f0009381_1551730.jpg監督:J・ラリー・キャロル
脚本:ティム・カーネン
撮影:マック・アールバーグ
音楽:リチャード・バンド

出演:
藤岡弘 (多賀ヨシミツ)
ジャネット・ジュリアン (クリス)

        *        *        *

「日本刀で斬る」描写がしっかりしていてちょっと感激!

それまで日本刀で斬るシーンといえば、『水戸黄門』みたいに斬っても血が出ないものが当たり前だと思っていた。また『椿三十郎』のようにぶしゅ=========っと血がでる描写はあっても、斬り口をみせるものはなかった。しかし、この映画では斬られた傷をしっかり描いているのである。それをみたときは、日本のチャンバラ映画に慣らされていた私は、「おおおおお!」って思ってしまった。

また、サムライを描く海外の映画は変な描写が多いものだが、この映画で描かれたサムライはかなりまともにみられた。かなり日本文化のスーパーバイジングができていたのではないかと思われる。

しかし映画はかなり奇想天外で、当時『アイスマン』みたいに原始人の現代復活モノ映画はあったが、それを今度はサムライでやってみようといった趣旨の映画。遠い昔、氷漬けになっていたサムライが、現代のLAで蘇生され、町を闊歩するという異文化交流もの。一見キワモノっぽい映画だと思うかもしれないが、実際そういうB級テイストはあるのだが、それでも真剣にこのシチュエーションを映画にしようとどりょくしているスタッフの意気込みはかんじられる作品だ。
日本語しか分らないサムライを、どう現代のLAで活躍させるのかな?というのが見る前の疑問だったが、日本文化に詳しい人物の配置やスシバー、日本の古美術商など、蘇生したサムライが心を通じあえる場所をみせることで、コミュニケーションをきちんと図っている。B級なれど上手いなあって思った。

<あらすじ>
戦国時代の武将・多賀ヨシミツ(藤岡弘)は敵に捕われた妻チドリ(ミエコ・コバヤシ)を救出しようとするが、湖に転落する。やがて冷たい雪国の湖は氷に覆われ、400年の時が流れた。やがてスキーヤーによって発見された氷漬けのサムライの遺体はアメリカに送られ、「カリフォルニア低温外科医療法研究所」の蘇生実験によって現代のロサンゼルスに蘇った。
女性記者クリス(ジャネット・ジュリアン)はそんなヨシミツに興味を示し、彼に惹かれていく。研究所のリチャーズ博士はヨシミツを実験材料としかみなさいが、彼を人間としてせっするクリスにヨシミツも心を許していく。突然現代の、それもアメリカという異文化の中で目をさましたヨシミツは、自分の刀を取り戻そうとして、そのさい所員を斬り殺してしまう。言葉もわからないLAをサムライ姿で逃亡するヨシミツ。
チンピラに襲われていたウィリー(チャールズ・ランプキン)に出くわしたヨシミツは、持ち前の剣術でウィリーを救う。その後ウィリーは彼をスシ・バーに連れていくのだが、そこでやっと日本語分る相手と、日本文化に触れ、心をなごませる。

そんなヨシミツをみて「あれは誰だ?」と「ミフネ!」という会話がたのしい。彼らにとってはサムライ=ミフネみたいんだ。

そんな和やかなムードも、お札参りにきたチンピラによってぶち壊される。そのチンピラを斬殺するヨシミツ。警察もヨシミツを追うようになる。クリスは彼を日本人の古美術商の店にかくまうが、リチャーズ博士らが来て、スタンガンで彼を倒す。ヨシミツを闇に葬り去ろうとするリチャーズだが、クリスの頑張りで逃亡。ヨシミツは牧場で白馬を盗み、クリスを乗せて森の中を逃走する。上空には警察のヘリが追ってくる。最後はリチャーズをばっさりと斬り殺すが、警察の銃弾を浴び、「武士道とは死じゃ」とつぶやき、再びヨシミツは湖に転落していった。

by ssm2438 | 2010-04-16 01:56
2010年 04月 16日

黄昏(1981) ☆☆☆☆

f0009381_10431.jpg監督:マーク・ライデル
脚本:アーネスト・トンプソン
撮影:ビリー・ウィリアムズ
音楽:デイヴ・グルーシン

出演:
ヘンリー・フォンダ (ノーマン)
キャサリン・ヘプバーン (イーセル)
ジェーン・フォンダ (娘・チェルシー)

        *        *        *

死を感じるようになった親とその子どもとのコミュニケーション。

これはドラマの中だけでなく、長年父ヘンリー・フォンダと仲たがいをしていた娘ジェーン・フォンダの心の再構築にもなった作品。といっても、世間でいわれているほど、それが出たかどうかは疑問だが。しかし、「それも父親の人生だったんだな」と彼女にしてみれば思えたのかもしれない。

ヘンリー・フォンダは生涯で5度結婚している。最初の妻のマーガレット・サラヴァンとは1931年に結婚するも1933年に離婚。1936年にニューヨーク社交界の大物シーモア家の娘で弁護士のフランシス・シーモア・ブロカウと結婚し、ジェーンとピーターの二人の子供をもうける。しかし精神病を患ったフランシスは1950年に自殺。フォンダは子供達を動揺させないために母親は心臓発作で死んだと教えたという。その後も結婚と離婚を繰り返すようになるヘンリーにだったが、母親の死の真相を知った二人の子供たちと父親の関係は次第に悪化。そんな父に反発をしてフランスに渡ったジェーン・フォンダロジェ・ヴァディムとの結婚、しかしそれを父に知らせないままだったとか。弟のピーター・フォンダも父を憎悪しながらも同じ俳優になるわけだが、ハリウッドに反発し、ドラッグやバイクにのめり込み、『イージーライダー』みたいな映画をとってしまったわけだ。
そんなヘンリー・フォンダのバックボーンを知ってしまっているがゆえに、この映画のなかで展開される父と娘の心の再構築のドラマは、なぜかこころにしみてしまう。

原題は『オン・ザ・ゴールデン・ポンド』、原作のアーネスト・トンプソン自身が脚本も書いている。監督のマーク・ライデルは後にトム・ハンクスサリー・フィールドのスタンダップ・コメディアン映画『パンチライン』を撮っている。これも私の好きな映画だ。

そしてこの映画は湖畔の描写がとても美しい。撮影監督のビリー・ウィリアムズは、1981年のアカデミー撮影賞にノミネートはされたが、残念ながら『レッズ』にもっていかれてしまった。しかし翌年の『ガンジー』でみおとアカデミー撮影賞ゲット! しかし、これはなんか・・、本来『黄昏』であげておくべきところを、別の作品にあげてしまったアカデミーのメンバーが、その功績をたたえて、『ガンジー』であげたようなきがした。
ときどきそんなことあるよね。『ガンジー』のおかげでアカデミー賞をもっていかれてしまった『評決』ポール・ニューマンが次の作品『ハスラー2』でアカデミー賞とったり・・。あれも、本とは『評決』で主演男優賞をあげるべきだったとおもうのだけど・・。

<あらすじ>
もうすぐ80歳をむかえるノーマン・セイヤー(ヘンリー・フォンダ)は、妻とイーセル(キャサリン・へッブバーン)と共に「ゴールデン・ポンド」と呼ばれる湖のほとりの別荘にやってくる。夏の間がその別荘で過ごすのが彼らの習慣だった。ノーマンは心臓が悪く、物忘れもひどくなっており、なおかついこじであり、死への恐怖は増すばかりだった。そんななにかと手のかかるノーマンをイーセルはおだやかな愛情をもって支えていた。
そんな二人のもとを、ひとり娘チェルシー(ジェーン・フォンダ)が、孫のビリーと新しいボーイフレンドのビルを伴ってやってきた。離婚経験があるチェルシーは、母のイーセルとは素直に接することができるが、父ノーマンとは相変わらずかみ合わない。新しい恋人のビルにまで皮肉を言うノーマンを許せないチェルシー。チェルシーがビリーをあずけ、ビルと共にヨーロッパへと旅立った。
独り残されたビリーだが、最初は付き合いづらいと思っていたノーマンと心を通わせていく。一方、ブリュッセルでビルとの結婚式を済ませて帰ってきたチェルシーは、息子のビリーと父ノーマンがすっかり仲良くなっているのにびっくり。ノーマンに関しては毒説をはくチェルシーだが、イーセルは「彼は私が愛した人よ。なのにあなたは彼の愛情深い人柄をまだわからないの」と語る。
「普通の父と娘のような関係になりたい。パパと仲良くなりたい」と願うチェルシーは勇気を奮い立たせ、父を接することに挑んでいくのだった。

こじれた関係を修復していくには、その一歩を踏み出す勇気が必要だ!

by ssm2438 | 2010-04-16 01:00
2010年 04月 15日

幸せのレシピ(2007) ☆☆☆

f0009381_23561920.jpg監督:スコット・ヒックス
脚本:キャロル・フックス
オリジナル脚本:サンドラ・ネットルベック
撮影:スチュアート・ドライバーグ
音楽:フィリップ・グラス

出演:
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ (ケイト・アームストロング)
アーロン・エッカート (ニック・パーマー)

        *        *        *

一生懸命頑張って生きている余裕のない人への休息の奨め映画・・かな。

スコット・ヒックスの映画にはいつも、これ(↑)を感じる。別に休息を奨めているわけではなく「もうちょっと息を抜いていきてもいんじゃないかい?」っていうような安らぎを提供してくれる。『シャイン』もそうだし、『ヒマラヤ杉に降る雪』もそうだ。『シャイン』ではひたすらピアノを弾く自分を向上させようと、日々余裕なくおくっている主人公が、ある日突然休息を与えられる話。『ヒマラヤ杉に・・』はひたすらその女性を想い続けていた男に、「もういいんじゃない、憧れる想いをおわらせてあげても・・」っていうような映画。
私も余裕があるような生き方がなかなか出来なくて、いつもぱんぱん張ってるような性格なので、スコット・ヒックスの映画をみると強くそれを感じる。

オリジナルはドイツの映画で『マーサの幸せレシピ』。こちらはみていないのだが、どうやらかなり忠実に再現されているようだ。しかしアメリカ版では、主人公をゼタ姐さんがやっているので、シェフの姿をしている彼女をみているだけで気持ちよくなってしまう。

<あらすじ>
自分に厳しく、他人に厳しいマンハッタンのレストランの料理長を務めるケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)。そんな彼女の姉が交通事故で亡くなったため、孤児となった姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)を引き取ることになってしまう。なれない子供の世話にあけくれていた彼女がレストランに復帰してみると、オーナーのポーラは副料理長としてニック(アーロン・エッカート)を雇っていた。自分の城に他人が侵入してきたのを快く想わないケイト。しかしニックは、ケイトと一緒に仕事をしてみたいから来たという。
一方、ゾーイとの心の接点がもてないままでいるケイトは、その日はベビーシッターを雇えず、仕方なくゾーイを仕事場へ連れて行くはめに。ケイトの厨房で疎外を感じているゾーイだが、ニックのさりげない優しさが彼女を孤独から救っていく。その日からゾーイは徐々に心を開き、彼女の要望によりケイトの部屋へニックを呼んだことから二人の距離も縮まってくる。

そのあともケンカしたり、ゾーイがいじけたり、仲直りしたといろいろあるのだが、やはり心に余裕のない人に安らぎをあたえるのが上手いスコット・ヒックスの映画だったな・・という感じでした。

by ssm2438 | 2010-04-15 23:56
2010年 04月 15日

さすらいの航海(1976) ☆☆☆

f0009381_23273776.jpg監督:スチュアート・ローゼンバーグ
脚本:スティーヴ・シェイガン/デヴィッド・バトラー
撮影:ビリー・ウィリアムズ
音楽:ラロ・シフリン

出演:
フェイ・ダナウェイ (デニス)
オスカー・ヴェルナー (Dr.イーゴン)
マックス・フォン・シドー (シュレイダー船長)
マルコム・マクダウェル (マックス)
リン・フレデリック (アンナ)
リー・グラント (リリアン)
キャサリン・ロス (ミラ)

        *        *        *

リン・フレデリック鑑賞映画!

知る人ぞ知るリン・フレデリック、彼女はとにかく美しかった。彼女が出演した作品数はごくごうわずか、そのなかでまともに見られるのはこの『さすらいの航海』くらい。ピーター・セラーズの奥さんなのだけど、清楚の美しさは図抜けていた。ピーター・セラーズが死んだあとアルコール中毒になり死亡。早すぎる映画界からの引退と、死去・・・、美しい人をなくしたものだ。
この映画では行く末を嘆いて自殺する若者カップルを演じていたのですが、相手役の男はなんとマルコム・マクダウェル。なにをやっても怪しい役ばっかりなのだけど、この映画はちょっと異色なキャスティングだった。

映画は・・・、正直長くてつらい。豪華キャストの大作だが、内容が暗いのでしんどい。第二次世界大戦が始まるちょっと前、ナチスの迫害を逃れたユダヤ人たちキューバを目指してヨーロッパを脱出するのだけど、そハバナに行ってみれば、受け入れてもらえず、アメリカからも入国拒否をされる。どこの国にも受け入れてもらえない。そんな行く当てのない旅にでた人々の話。

<あらすじ>
1939年5月13日。ナチス・ドイツの迫害から逃れるために937名のユダヤ人たちをのせたドイツ客船SSセントルイス号がハンブルクよりが出港した。目的地はキューバのハバナ。しかし目的地ハバナでは、このユダヤ人達をめぐり、キューバ大統領は、反ユダヤ感情に上陸不許可の断を下そうとしていた。5月27日、船はハバナ港に入港するが、上陸許可は出ない。乗客の不安はつのっていった。もし、ドイツに戻れば、彼らの行く先は強制収容所だ。今回の航海は、ユダヤ人が全世界から嫌われているというナチの宣伝政策だったのだ。
6月1日、ブルー大統領は船に出港命令を下したが、アメリカも受け入れてくれない。何処の国にも受け入れてもらえないユダヤ人たちに船がハンブルグに戻ってくしかなかった。自殺するものたちもいた。
船はイギリスのサセックス沖にさしかかろうとしていた。船長のシュレーダー(マックス・フォン・シドー)は、船を出火させ、イギリス海岸に無理矢理上陸させようと考える。オランダ、フランス、イギリスが入国を許可した。乗客達はナチよりのがれることが出来た。

by ssm2438 | 2010-04-15 15:58
2010年 04月 12日

サンシャイン2057(2007) ☆

f0009381_12393248.jpg監督:ダニー・ボイル
脚本:アレックス・ガーランド
撮影:アルウィン・カックラー
音楽:ジョン・マーフィ

出演:
キリアン・マーフィ (キャパ)
真田広之 (カネダ)
ミシェル・ヨー (コラゾン)
クリス・エヴァンス (メイス)
ローズ・バーン (キャシー)

        *        *        *

SF的なコンセプトは悪くないのに、なぜホラー系に振る??

ダニー・ボイルの映画っていつも、舞台設定は悪くないのに、後半から安易なサスペンスとかホラー系の展開にしてしまって、盛り上げようとするがそれがいつも失敗してるように感じるのは私だけなんだろうか? デカプリオの『ザ・ビーチ』なんかにしても、そのユートピアの中で、徐々にほころびが出てきて「やっぱりこういうユートピアは幻想だったんだ」みたいな話にすればいいのに、いきなり侵略者とかを登場させてアクションものにしてしまうし・・、なんか変な方向性の人だ。彼の作品をみるときは「はずれるだろうなあ」って思ってみるのでそれほどショックはないけど、もったいないなあとも思う。この人もホモ監督なのかな(苦笑)? 

船内に植物を栽培しているのはとても嬉しかった。なんでも火星に向かうプロジェクトの一つとして、長期間宇宙に滞在するものにとって、植物は心の安定によいそうな。食料確保や二酸化炭素の吸収、酸素の放出などもその理由なのだろうが、それ以上に、毎日すくすくと成長する植物をみていると、その場が憩いの場になるらしく、乗組員の精神的ストレスを緩和するのによいそうな。このイカロス2号にもでっかい植物園があり、そういった設定だけはとても好感もてたりする。

ただ、遭難した宇宙船とドッキングしてからはホラー仕立てに路線変更、艦内を捜索中に1コマか2コマだけ、その船の乗組員の写真を映しているのだけど、これは見ていていらついてしまう。結局こういうサブリミナル的1コマ・ポン置き演出をされると、劇場ではそれ以上見る気がしなくなる。きっと劇場でこれやられたら私はその場出るね。見えないものをそこに置かれると、結局あれはなんだったんだ??と考えるようになり、それはDVDが発売されてから止めてみないことには分らないことであり、もう、その時点ではその後の物語はどうでもよくなってしまう。幸い私はこれをレンタルでみたからいいけど、こういうクソ演出にはそれだけで腹がたつ。
で、DVDはもちろん止めて何が映ってるのかみてから先に進んだ。しかし、もうあとはどうでもよくなってた。こいう作業を見る間にさせること自体が演出として最低だ。

あと、真田広之が艦長なのは嬉しい。日本人がそういう地位にある映画というはけっこう珍しいので、初めの頃はなんとなくうきうきしてみていたが、あっという間に死亡、物語から排除されてしまった。

<あらすじ>
2057年。地球に熱を供給する太陽の活動が衰え、地球は凍りにとざされ死滅しようとしていた。人類の最後の希望をのせた宇宙船イカロス2号は、マンハッタンとほぼ同じサイズの核装置ペイロードを太陽に投下し、活性化させるという極めて困難なミッションに挑もうとしていた。
イカロス2号が水星の軌道上に差し掛かったとき、七年前に交信を絶ったイカロス1号からの遭難信号を受信した。ペイロードの専門家キャパ(キリアン・マーフィ)は、ミッションの成功確率を高めるため、イカロス1号に搭載されたもうひとつのペイロードを確保した方がいいと主張。大事なミッションのなか、予定外の行動派慎むべきだと主張するクルーもいたが、キャパの意見に賛成したカネダ船長(真田広之)は、イカロス1号へ向かう決断をする。しかし事故が起こり、船外活動でそれを修復しようとしたカネダ船長は太陽に焼かれて死んでしまう。
漂流中のイカロス1号へのドッキングを果たし、その内部に足を踏み入れていくクルーたち。そこいは既に生存者は誰もいように思えた。作業を終えて再び太陽に向かうイカロス2号だが、その船内には生命反応が1人分増えていた。そしてクルーたちは戦慄の恐怖のなかで1人、また1人と命を落としていく。

by ssm2438 | 2010-04-12 12:45
2010年 04月 12日

助太刀屋助六(2001) ☆

f0009381_1231886.jpg監督:岡本喜八
脚本:岡本喜八
撮影:加藤雄大
音楽:山下洋輔

出演:
真田広之 (助太刀屋助六)
鈴木京香 (お仙)
岸部一徳 (榊原織部)
仲代達矢 (片倉梅太郎)

        *        *        *

うむむむむむ・・・・これ、面白いのかあ???

コメディ仕立ての時代劇で一応「痛快時代劇」という枠組みなのかもしれないがこの映画、舞台でやったら少しは見らるのかもしれないが、私には全然面白さが伝わってこなかった。「こういうもんなんだ」という前提で、楽しめる人だけに楽しめる映画かな・・・。
たとえば、子供向けの戦隊ものとか、仮面ライダーとか、ウルトラマンとか、「これはこういうものだんだ」って理解したうえでその中のあるところは「面白い!」って思える人ならいいのだけど、一般的にみると、どうにもちゃちいぞって思ってしまう人には、やっぱりただのお子様向けのテレビドラマでしかないということはよくあることで、この映画も、「喜八の映画はこういうものだんだ」って理解してみると少しは楽しめるかもしれないのだけど、それがない人にはダメみたい。

とにかく、私にしてみれば「死んでいるのか死んでいないのか、よくわからない」というのが問題だった。斬られた男がどうやら死んでいるらしいのだが、特にちがでてるわけでもなく、服が切れているわけでもなく、いわゆる『水戸黄門』的な斬られ方で「死んでいる」という記号になっているみたいだが、これじゃあ、まだ死なないだろう・・」って思ってるにもかかわらず、物語の中では死んでいることになってしまうので、死ぬシーンの意味合いがきわめて薄い。もっともこんな映画なのでそんな血しぶきどばああああああって出す必要はないのだが、見てる人に「ああ、これだったら死んだと理解してあげてもいいだろう」って思わせてくれる演出ってのはあるんじゃないだろうか。
おまけに最後、火縄銃で撃たれて死んでるはずの助六からはどこにも血が出てないし、どうみても寝てるだけにしかみえないけど、今までの流れだとこれは「死んだこというふうに解釈してあげないといけないのかな」無理やり思い込む努力はするのだけど、ドラマの流れを考えるとどうせ生きてるのだろうって思ってしまう。そんなときでも、映像として「確実に死んでる」って説得できないままドラマが進むので実にうむむむむむ~~~~~~なのである。結局最初から最後まで、ドラマに入りきれないまま終劇となってしまった。

<あらすじ>
助太刀マニアの助六(真田広之)が久しぶりに故郷の宿場町へ戻ってみると、もうすぐ仇討ちがあると言う。兄の仇を討とうとしているのは脇屋新九郎と妻木涌之助。だが、既に助太刀舞台はそろっており、助六の助太刀は必要としていないらしい。自分の出番がないと知り、昔なじみの棺桶屋に向かった助六は、そこで元八州廻りの役人・片倉梅太郎という侍(仲代達矢)に出会う。彼こそが今回のあだ討ちの敵役であるらしい。
仇討ちの検分役、関八州取締出役・榊原織部(岸部一徳)が到着し、いよいよ仇討ちが始まり、片倉は斬られ仇討ちは終わる。ところがこの侍、実は助六の父親だったのである。そのことを棺桶屋から聞かされた助六は、父親の仇討ちをと思うのであったが、又敵は御法度。そこで、父親の位牌に助太刀を頼まれたということにして、織部たちをどたばたコメディ展開しながら斬っていく助六であったとさ。

by ssm2438 | 2010-04-12 12:05