西澤 晋 の 映画日記

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2010年 04月 12日

ダークナイト(2008) ☆☆☆☆

f0009381_358215.jpg監督:クリストファー・ノーラン
脚本:ジョナサン・ノーラン/クリストファー・ノーラン
撮影:ウォーリー・フィスター
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード/ハンス・ジマー

出演:
クリスチャン・ベイル (ブルース・ウェイン/バットマン)
ヒース・レジャー (ジョーカー)
アーロン・エッカート (ハービー・デント検事)
ゲイリー・オールドマン (ゴードン警部補)
マイケル・ケイン (アルフレッド)
マギー・ギレンホール (レイチェル・ドーズ)
モーガン・フリーマン (ルーシャス・フォックス)

        *        *        *

それぞれの人の良心・信念に疑問をもたせるという恐るべき策略・・。

いやいやnなかかか恐ろしい映画だった。安易にエンタテーメントとして撮るにはあまりに凶悪な映画だった。それがこの映画の正直な感想だった。

ドラマというのは「悪」をどう設定するかで、その面白さというものが決まってしまう。今回のこの映画は、その「悪」の設定が極めて作り手の戦略として成功したいい例だろう。前回のジョーカー(ジャック・ニコルソン)の場合は単なる道化だったが、今回のジョーカー(ヒース・薬中・レジャー)は、恐怖を演出する一つの法則をもっていた。それが<その人の良心・信念に疑問をもたせること>。
それは冒頭の銀行強盗のシーンから炸裂している。同じ銀行強盗をやらかす仲間たちに、“この仲間たちは信頼すべき人間ではない”という暗示を植えつけている。複数の人間で銀行強盗をやらかすのだがら、、やる以上は信頼関係というのがとても大事になるのだが、そこにクエッションマークを投げつけてくる。しかし、銀行強盗をする以上、同じ危険を犯すもの同士として信頼せずにはいられない。このメンタリティの不安定さを見事にもてあそぶジョーカーの悪徳ぶりがスゴイ。

これは、バットマンことブルース・ウェインにもいえることだ。ブルース・ウェインは、それまで丸腰でゴッサムシティの悪とたたかってきた(原作の中には、苦汁の決断の結果バットマンが銃を持つ・・というエピソードもあるようだが・・)。自分の良心を殺した銃を持たない・・というのは彼の信念だった。しかし、この映画のジョーカーは、そんな彼の信念にすら疑問をもたせる。そしてそれは映画だけでなく、この映画の基本コンセプトにすら疑問を持たせるようになっている。見ている人、この原作を最初に書いた人、そういう人の良心・信念にさえ疑問をなげかけるような構成になっている。

そもそも、この映画では、すでに原作の信念はかなり違和感を感じるものになっている。描かれるイベントが凶悪でリアルであるがゆえに、バットマンのもつ信念が歯がゆいものになってきているのだ。それはもうリアルな犯罪の前では『バットマン』という物語のコンセプトは機能しなくなっていることを示しているような気さえする。多分『バットマン』というコンセプトが成立するのは、バットマンが銃を持たずに解決できる範囲のドラマであることを前提にしているのだと思う。それを越えてしまうともう『バットマン』ではなくなるのだ。それをむりくり銃をもたないバットマンで解決しようとして、とりあえず解決しているが、見ている側にしてみれば違和感を感じまくりなのだ。さらに「ダークナイト」として身分を隠して存在しているにもかかわらず、やっていることは警察と同じ、事件が起きた後、相手を殺さず捕まえる・・ということ。しかし、行われる悪行に巨大な邪悪性を感じてしまう場合は、「ダークナイト」なら事件が起きる前に、その原因となる存在を抹殺してもらいたい・・と願うものだ。この覆面性とその行いに疑問をもってしまう。

この映画は、クリストファー・ノーランによる、ジョーカーをいうキャラクターを通しておこなわれた、良心・信念に疑問を投げかけた映画だといえるんじゃないだろうか。それは物語に登場する人物だけにとどまらず、それを見る観客も、そしてこのこの原作の良心に対しても・・・。

<あらすじ>
バットマンことブルース・ウェイン(クリスチャン・ベイル)はゴッサム市民を守るべく、毎夜悪と戦い続けていたが、ゴッサムに真の平和が訪れることはなかった。バットマンはゴッサム市警のジム・ゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)と協力して、マフィアの資金洗浄元である銀行を摘発するという手段に出る。しかし、行的機関の中にはマフィアの内通者もおり、失敗も危ぶまれたが、新任の地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)の強引な政治力によりマフィアの資金源を断つことに成功する。
そんなハービーの姿に、ブルースは彼こそゴッサム・シティが求める真のヒーロー像をみいだし、バットマンを引退しようと考え始める。ブルース・ウェインにとって、バットマンの引退は、かつての幼なじみである地方検事補レイチェル・ドーズ(マギー・ギレンホール)を求める自分にゴーをかける次期でもある。しかしそのレイチェルはブルースとハービーとの間で揺れ動いていた。
一方、資金源を断たれて悩むマフィアたちは、彼らの前にジョーカー(ヒース・レジャー)と契約、バットマン抹殺をくわだてる。これまで自身のルールに従って犯罪と戦ってきたバットマンは、その信念に疑問を持たせるジョーカーの心理戦の前に苦戦を強いられる。そんなジョーカーの真の目的は金でもバットマンの命でもなく、ゴッサムシティの人々総てに、その人が持つ良心に疑問を投げかけることだった。ジョーカーはゴッサムに「恐怖」と「混沌」をもたらし、人間のエゴをあばきだしそうとする。

by ssm2438 | 2010-04-12 03:59
2010年 04月 10日

エレクトリック・ドリーム(1984) ☆☆☆☆☆

f0009381_3163144.jpg監督:スティーヴ・バロン
脚本:ラスティ・レモランデ
撮影:アレックス・トムソン
音楽:ジョルジオ・モロダー

出演:レニー・フォン・ドーレン
    ヴァージニア・マドセン

     *     *     *

数年前アカデミー脚色賞を取った映画『サイドウェイ』、知る人ぞ知るワイン好きのロードムービーの話である。そのヒロイン役で年取ったけど懐かしく美しいそのお姿を拝見できたのがヴァージニア・マドセン。嬉しゅうございました。ちょっとまえに『キャンディマン』なる映画にでてたきは、「わあ、なにこれ? これがあの美貌をほこったヴァージニア・マドセンなん??」ってびっくりすぐらいデブになっておられて、それでもヒロインに使ったプロデューサーもプロデューサーだなあって思ってしまった。まあさすがにお金がないのだろうからそういうことになったのだろうが。
しかし、そんなヴァージニア・マドセン、この映画で見事に復活してました。たしかに年は取ってるけどちょっと以前の体型にほぼもどり(まだ多少はデブかもしれないが)きれいなおばさんになって登場、2004年のニューヨーク批評家賞、ロサンゼルス批評賞の助演女優賞をほとんどとってしまった。
嬉しい。
彼女、ある意味シャーリズ・セロン的。純粋美人系なんですが、目が白め勝ちで悪女も出来るちょっと不思議なテイストをもつ人。そんな彼女がまさに純粋美人系を貫いた作品が『エレクトリック・ドリーム』。とにかく可憐。この「可憐」という言葉がいちばんあてはまる。

ちなみにこの映画と同じ年の映画で有名なのはなんといっても『ターミネーター』アヴォリアッツ・ファンタスティック映画祭でグランプリを取ったことはみなさん知っておると思われるが、その年のファン選出第1位 <黄金のアンテナ賞>に輝いたのが実はこの『エレクトリック・ドリーム』。とにかく楽しい作品。監督はスティーブン・バロン。ミュージックビデオのディレクターだったらしく、音楽的な見せ方はとっても上手い。画面 づくりはすっごくステディに上手いのである。どれとっても決まった画面 になり、音楽とマッチするとのりのりの画面 になる。当時はCGをつかった画面 もとっても新鮮でたのしい。今見てもパソコン画面 をとりこんだ映画としては最高級の編集テクの産物ではないかと思われる。

f0009381_1244557.jpg<あらすじ>
ある建築会社で腹いているマイルズは怪しい耐震性のブロックを開発してる建築デザイナー。そんな彼がアパートにパソコンを買い込んできて、室内の電気器具を統一管理することにした。ひょんなことからキーボードにシャンペンをこぼしたりして、なんだかわけのわからないまま、コンピュータが意志をもつようになる。
そんなある日、マイルスが留守の間にマデリン(ヴァージニア・マドセン)が上の階に引っ越してくる。
ひっこしもひと段楽したある日の午後、換気口から聞こえてくるチェロの音。
その音をマイクが広い、同調して音をシンセサイザでだしたりするパソコン。
マデリンも、下の階の人が、自分の出す音に同調して音楽を奏でてる不思議に気付く。で、一曲流してみると、下の住人らしき人も同調してくる。ここの描写が素敵。上の階では華麗なヴァージニア・マドセンがチェロを弾き、それをサポートするように下の階パソコン君がメロディを刻んで行く。インディケーターのデジタルな表示がリズミカルに描写 され、満足げに弾くヴァージニア・マドセンがとても美しい。ここの描写 だけでもうこの映画は見る価値十分。

マイルズもマデリンと出会い好意を持ちはじめるが、マデリンはあの時一緒にハモったのはマイルスだと思い込んでいる。パソコンにマデリンを想った曲を創らせると、最初はあきれたようなとんちんかんなものしか出来上がってこなが、徐々に「想い」のコンセプトを伝えてやると素敵な歌詞とメロディになってくる。
それは意志をもったパソコンのマデレーンの想いを語ったメロディであり、それを理解できてしまうマイルズは「これは彼女にはあげられない」と呟いたとき「なぜ?」とマデリンの声。いつのまいやら部屋に入ってきていた彼女はそのメロディを聞き、さらにマイルズに親しみを感じて行く。と、同時に、自分が盗作して彼女を心を惹き付けているような罪悪感に襲われるマイルズ。
そしてパソコン君も、自分の創造したメロディに彼女が弾かれているにもかかわらず、良いとこ取りされてしまっていることにだんだんと悔しさをおぼえていく。

さて結末はどうなる‥‥。


テーマ的にはかなり緩い話です。つきつめれば、“女がほれるのは、努力や、才能じゃなくって、フィーリングなのよ。ダメ男でもやさしけりゃいいのよ‥‥”みたいな、もてない人間の魂救済映画であることは否定出来ないのだか、あまり真剣に哲学しながらみてはいけない作品。 とにかく画面づくりと音楽の掛け合わせがほんとにすばらしいので、のりにまかせて気持ちよく見よう。
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ぜひ一度、若き日の美しかりしヴァージニア・マドセンを見ていただきたい。

by ssm2438 | 2010-04-10 14:08
2010年 04月 09日

ブラックブック(2006) ☆☆☆

f0009381_13364579.jpg監督:ポール・ヴァーホーヴェン
脚本:ジェラルド・ソエトマン/ポール・ヴァーホーヴェン
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:アン・ダッドリー

出演:
カリス・ファン・ハウテン (ラヘル/エリス)
セバスチャン・コッホ (ルドウィグ・ムンツェ)
トム・ホフマン (ハンス・アッカーマン)

        *        *        *

おおおお・・・、ポール・ヴァーホーヴェンが予算を使いまくって、戦争大河ドラマを撮っている!

・・・しかし、これが予想以上に面白いかった。・ヴァーホーヴェン、こういう大河ドラマ系も撮れるのですね。波乱万丈、二転三転、戦時下を舞台にした良質のサスペンスにしあがってます。おもいっきり期待をうらぎられました。

第二次世界大戦といえば、ドイツが敵で、イタリアが国内二分してどっちつかず(一応政権政党はナチと同盟を結んでいたが)、あとドイツに占領されたポーランドとフランス。ドーバーはさんで戦っているイギリス・・というイメージだが、そうですよね、オランダも連合軍側ですよね。当然フランスへいく道すがらなので、当時のオランダもドイツに占領されている。ただ、なかなか歴史の教科書に当時のオランダの状況を書いたものがあまりないので、ほとんど知らない状態でみ見たのだが、やっぱりフランスと同じようにレジスタンス活動も盛んだったのですね。本編のなかでも出てきますが、ユダヤ人よりもオランダ人のいのちのほうが大事だ!ってのが実に良かった。ああ、オランダの戦争物語なんだって刻み込まれました。

主人公の女性を演じるカリス・ファン・ハウテンがやっぱり目をひく。さすがにスパイとなってるときにあのどぎつい金髪はちょっといただけなかったが、それでも、ヌードはサービスしてくれるし、糞尿はぶっかっけられちゃうし、この映画で彼女の名前覚えましたよ。実はこのあと『ワルキューレ』にも出ているらしい。

<あらすじ>
1944年9月、ナチス・ドイツ占領下のオランダ。かつて歌手だったユダヤ系オランダ人の女性ラヘル(カリス・ファン・ハウテン)はキリスト教を信仰する見返りに、良識あるドイツ人達に食料と隠れ家を与えられひっそりと暮らしていた。ある日、ラヘルが湖に出かけている時に、爆撃機の爆弾が隠れ家を直撃。宿を失ったラヘルはオランダ人青年ロブ(ミヒル・ホイスマン)のところに身を寄せるが、そこにレジスタンスのファン・ハイン(ピーター・ブロック)がたずねてくる。彼は、ユダヤ人たいとを、既に連合軍によって解放されているオランダ南部への脱出を手引きすると約束する。船着場で離れ離れになっていたラヘルの両親や弟のマックスとも再会。一向は出向するが、その前に突然ドイツ軍の船が現れ銃弾の雨をふらす。両親や弟、そしてロブも殺され、川に飛び込んだラヘルだけが生き残る。レジスタンスに協力する農民に助けられたラヘルは、ユダヤ人だと分かる名前を捨て、髪を染め、“エリス・デ・フリース”として、レジスタンス活動に身を投じていく。ドイツ軍ムンツェ大尉(ルドウィグ・ムンツェ)の秘書として仕事につき、彼の愛人になることに成功する。だが憎むべき敵であるはずのムンツェの優しさに触れ、彼女は次第に彼を愛するようになってしまう。一方隠しマイクをしかけるなど、健気にレジスタンス活動をするエリスだが、レジスタンスの活動はドイツ軍にもれていた。ドイツ軍に囚われた仲間たちを救出しようと画策するレジスタンスたちだが、救出にいってみれば、ドイツ兵たちがまちかまえていた。ドイツ側に寝返ったという濡れ衣エリスに着せられてしまうエリス。
やがてドイツが降伏しオランダからドイツ軍が去ると、ドイツ軍に媚をうっていた男や、娼婦たちはなぶりものにされていく。レジスタンスにつかまったエリスもその中のひとりであり、、独房にいられられ、裸にされ、糞尿をびびせられる。解放されたエリスは、総ての秘密を書かれていた黒い手帳から、密告者はだれなのか特定していくのだった。

by ssm2438 | 2010-04-09 13:38
2010年 04月 09日

ジェット・ローラー・コースター(1977) ☆☆

f0009381_12332119.jpg監督:ジェームズ・ゴールドストーン
脚本:リチャード・レヴィンソン/ウィリアム・リンク
撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ
音楽:ラロ・シフリン

出演:
ジョージ・シーガル (ハリー・カルダー)
リチャード・ウィドマーク (ホイト)
ヘンリー・フォンダ (サイモン・ダヴェンポート)
ティモシー・ボトムズ (犯人の男)

        *        *        *

大音響映画! 『刑事コロンボ』のスタッフだとちと小ぶりな出来にしかならないか・・

当時は大音響映画が何本かつくられたがそのうちの一本。とにかく音響がうるさい映画。私の田舎でみてると、やたらと音響がうるさく、壁がふるえてるような感じだった。でも劇場で見なければその意味ほとんどない(苦笑)。
スタッフは『刑事コロンボ』などを手がけた人たちで、お話も、見せ方もちょっと小ぶりだったかなという印象。ただ当時はローラー・コースターのごーごーがらがら音がうるさくて、それだけで見せてる映画だったようなきがした。しかし、最近この映画、テレビでみてたのだが、さすがにあの音響がないとただのサスペンスだった。

音楽はラロ・シフリン『ダーティーハリー』シリーズなんかで怪しい音楽を書いている。特にそのテーマが耳にのこるというわけではないのだけど(見終わった後にすっかり忘れているのだけど)、狂人性を音にするのがとっても上手いなあっていつも思う。
犯人役のティモシー・ボトムズは、私の好きな『ペーパーチェイス』で法学部の大学生をやり、『ジョニーは戦争へ行った』で、両手両足のない主人公をやっていた。どちらかというとナイーブでいい人系のひとなのだが、今回は犯人役で登場している。

<あらすじ>
オーシャン・ビュー・パークでローラー・コースターが脱線する事故がおきた。検査官のハリー(ジョージ・シーガル)は上司サイモン(ヘンリー・フォンダ)に事故調査を命じられる。しばらくしてピッツバーグの遊園地でも小火さわぎが起きる。ハリーは、これらの遊園地のオーナーたちがシカゴのあるホテルに集まることをききつけ、そのホテルに乗り込んだ。ホテルには5人の会社社長が集まり、例の男からの脅迫テープを聞くところだった。犯人の要求は、100万ドルを支払わねば、彼らの遊園地も爆破するというのだった。
何故か、犯人はハリーに金の引き渡し役を要求、捜査陣の見守る中、金は犯人(ティモシー・ボトムズ)の手に渡った。しかしそれは暗号の入った使用不可能の札束であり、犯人は怒り、次の爆破を予告する。
ハリーにマジック・マウンテンのローラー・コースターのオープンがひらめいた。遊園地には捜査網がしかれ、開園する。ラジオからのインタビューに答える犯人の声がきこえてくる。犯人をさがすハリーはついにその男をみつける。逃げ場を失った若者は、ローラー・コースターのレールにのぼり、最後はなコースターにはねられて終わる。

by ssm2438 | 2010-04-09 12:34
2010年 04月 09日

パニック・イン・スタジアム(1976) ☆☆☆

f0009381_753219.jpg監督:ラリー・ピアース
脚本:エドワード・ヒューム
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:チャールズ・フォックス

出演:
チャールトン・ヘストン (ピーター・ホリー警部)
ジョン・カサヴェテス (クリス・バトン巡査部長)

        *        *        *

ドキュメンタリー性というのはこういうことなのだろう。

近頃『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』ポール・グリーングラスがやたらと手ブレをつかってドキュメンタリーっぽく見せているが、あれがどうにも好かない。で、なんでだろうと考えたら、あれってドキュメンタリー的に撮ってないくせに、小細工のハンディカメラの手ぶれ画面でドキュメンタリー性をだそうとしてるからなんだろうなって思った。
しかし、この『パニック・イン・スタジアム』からはドキュメンタリー性というのを感じることが出来るのだ。その違いなんだろう・・って思ってしばし考えて。で、はたと思いついた。
ドキュメンタリーというのは、自分の思い通りにならない状況でなんとか取った画面を編集してひとつのフィルムにまとめるけど、普通の映画というのは、撮りたい映像を撮ってそれを一本のフィルムにまとめる。ポール・グリーングラスの映画にドキュメンタリー性を感じないのは、その撮れる画面を撮って、それを手ぶれとうでごまかしているからうそ臭くて、腹立たしいのだ。しかし、このラリー・ピアースの『パニック・イン・スタジアム』では、撮れそうにない画面はあえてとらず、撮れてしまったと思われるような画面で構成されているような気がした。それがドキュメンタリー性をさりげなくかもしだしているのかなって思った。

また、ドラマの構成上も、犯人側の視点からは描かれず、スナイパーの素性やパーソナリティが全くあかされないまま、物語は進行し、明かされないまま終わってしまう。むしろあたかも自然災害が発生させるひとつの起点としてパニック映画の構成をとっている。前半においては犯人の姿が画面上に映し出されることは一度もなく、後半に入ってからも、犯人の目だけは映し出されますが、チャールトン・ヘストン演ずる警察長官に射殺されるラストの血まみれの姿及びフットボール中継用のテレビカメラにより捉えられた映像上以外には、犯人の姿が画面上に現れることはないのでした。

物語は、実際に起きたテキサスタワー乱射事件のシチュエーションを、アメリカン・フットボールの試合会場に移植し、グランドホテル形式でつくられている。
グランドホテル形式というのは、の乱射事件でたまたま撃たれてしまう人や、その後のパニック状態のなかでもみくちゃにされる家族や恋人たちのドラマをさりげなく描いて、見るものが観客の誰かに感情移入しやすいようにエピソードを点在させているという意味。

テキサスタワー乱射事件というのは、1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
事件の一報を受けた地元の警官隊が出動するも、90mもの高さを利用した射撃に歯が立たず、警官が地下水道からタワーに侵入してチャールズを射殺するまでの96分の間に警官や一般市民など15名の犠牲者(犯人を含まず。当時腎臓を撃たれて重い障害が残り、後に死亡した1名と、被害者の1人の胎内にいた胎児を含めて16名ないし17名とする場合もある)、31名の負傷者を出す等、1999年4月20日にコロンバイン高校銃乱射事件が起きるまで最悪の学校銃乱射事件となった(ウィキペディアより抜粋)。

この映画の犯人が使用した銃は・・・識別できなかったが、弾の破壊力の描写はけっこうきちんと描けていると思った。チャールズ・ホイットマンが使ったのはM1カービンやレミントンM700だが、これらは45口径(7.62ミリNATO弾)で、口径はかなりでかい。最近の映画ではバレットM82が使われることが多くなっているが、こちらは50口径弾なのでさらに破壊力は大きく、大口径の狙撃銃での狙撃のシーンはなかなか迫力がある描写になっている。いまでこそそうなってきたが、この時代に、きちんと7.62ミリ弾での狙撃の描写をしているという意味では関心さられた。

by ssm2438 | 2010-04-09 07:53
2010年 04月 08日

ユニバーサル・ソルジャー(1992) ☆☆

f0009381_1553216.jpg監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:リチャード・ロススタイン
    クリストファー・レイチ
    ディーン・デヴリン
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:クリストファー・フランケ

出演:
ジャン=クロード・ヴァン・ダム(リュック)
ドルフ・ラングレン (アンドリュー)
アリー・ウォーカー (ヴェロニカ)

        *        *        *

もうすこしどこかがどうにかなっていたら、面白いものになっていたかもしれないのに・・・。

一番良くないのが、主人公が生きているのか、死んでいるのか、どのように解釈していいのか分らないことが実に問題。ベユニバーサル・ソルジャーというのは、トナム戦争の時に戦死者を蘇生して戦死にしたてあげた部隊。そこで死んだはずのジャン・クロード・バンダムが、死んでいるにもかかわらず、生きている風に行動するので、感情移入していいのか悪いのか見ている側の入れ込みようが分らないのだ。もし死んでいるのなら、それに感情をインベストするのは無駄なことだし、生きているのなら、この戦いが終わった後どうなるのか・・ということに希望くらい持たせて欲しいのだが、結局この戦いが終わって、血清がなくなれば後は長生き出来そうにない。とにかく、感情移入していいのかどうなのか、そこが宙ぶらりんのまま物語を勧められたのが実にいたい。
もしこの話で、一度は死んだ体だけど、蘇生して、今後も生きていけるという可能性の提示さえあればこれはこれで安心してみられたのに・・。

監督は、『インディペンデンス・デイ』『ゴジラ』ローランド・エメリッヒ。まあ、エメリッヒの映画に高尚な理屈などはいらない。どこかでみたようなコンセプトだったり、見たことのあるようなシーンたったりするが、シーンシーンではそこそこ楽しめる出来だと思うし、見せ方もそこそこ見せている。ただ・・、そのシーンが映画のなかでどれだけ意味をもってくるのか、その意味をもたせるつなぎが非情にへた。迫力あるシーンをとってつなげただけというような感じの映画になっている。

<あらすじ>
1990年、アメリカのフーパー・ダムでおきたテロリストたちによる人質事件を解決しが発生した最新鋭の科学技術によって重装備された彼らユニバーサル・ソルジャー。テレビのリポーター、ヴェロニカ(アリー・ウォーカー)は、カメラマんとともに彼らの正体を暴くため、この部隊の秘密を追う。ネヴァダ砂漠の中に停まる巨大トレーラーに潜入した2人は、兵士たちの正体が、死体を蘇生させ、感情や記憶を消した改造人間であることを知る。しかし捕えられた2人は取材したフィルムを渡すように脅かされ、それを拒むと問答無用で兵士スコット(ドルフ・ラングレン)に撃ち殺されてしまう。兵士リュック(ジャン・クロード・ヴァン・ダム)はとっさにベトナム時代の惨劇がおもいだされ、ヴェロニカをつれて逃走した。
追跡するスコットたちから逃れながら記憶を取り戻していくリュックと、彼に惹かれていくヴェロニカは、リュックの故郷を目指す。故郷にたどり着いたリュックは、両親との再会を果たすが、襲いかかってきたスコットに、ヴェロニカと両親を人質にとられる。素手で対決することになったリュックは、激闘の末、スコットを倒すことができた。

by ssm2438 | 2010-04-08 15:54
2010年 04月 08日

ナイトホークス(1981) ☆☆

f0009381_71422.jpg監督:ブルース・マルムース
脚本:デヴィッド・シェイバー
撮影:ジェームズ・A・コントナー
音楽:キース・エマーソン

出演:
シルヴェスター・スタローン
ルトガー・ハウアー
リンゼイ・ワグナー
ビリー・ディー・ウィリアムズ

        *        *        *

リンゼイ・ワグナーがヒロインを勤める映画というのは実は貴重。

しかし、このころのルドガー・ハウワーはよかった。『ヒッチャー』とか『ブレードランナー』とか、悪役をやらせるとこの人が一番しっくりきたようなきがする。この映画もやっぱりルドガー・ハウワーの非道な悪役で、がちってとドラマの背骨ができて、あとは表面をヒゲ面のシルヴェスタ・スタローンでコーティングした感じ。ロープウェイのなかでフランスの女性大使館員を撃ち殺してしまうところは、久々の非情さ見た気がした。映画としては普通にみられるテロリストVS対テロの特殊部隊の物語。冒頭からの感じはいいのだけど、だんだん普通になってきて、最後の女装はちょっとやだなあ。冒頭はまだ許せるのだけど、最後でそれをやられると・・・、なんか卑怯。概念的に正統派ではないきがしてヤだなあ。

<あらすじ>
ロンドンのテロリスト、犯人はウルフガー(ルトガー・ハウアー)は、政府の植民地政策に反対してテロ活動をしていたが、警察の手入れをうける逃亡した。パリで仲間のシャッカ(パーシス・カンバータ)と会い、顔を整形したウルフガーは、ニューヨークヘ渡った。
ATAC(対テロリスト・アクション・コマンド部隊)に編入したディーク(シルベスター・スタローン)とフォックス(ビリー・ディー・ウィリアムス)捜査をすすめた。あるビルで起こった爆破事件をきっかけにウルフガーの居所をつきとめた2人はウルフガーを追うが、彼が投げたナイフでフォックスは負傷。ウルフガーは逃走した。数日後、ATACの主任がシャッカに殺され、ロープウェイが彼女とウルフガーにハイジャックされ、かれは政治犯を解放することを要求する。しかし、最後はATACの銃撃を受け、川に落ちるウルフガー。しかし死体は発見されなかった。復讐に執念を燃やすウルフガーの魔の手はディークの身辺にものびてくる。次のターゲットはディーックの元妻アイリーン(リンゼイ・ワグナー)だ。彼女の家に忍び込む。台所でかたづけをしているアイリーンを背後からナイフで襲う。その瞬間、アイリーンが振りむくと、何とそれは彼女に変装したディークだった。ウルフガーはその場でディークの発した銃弾で倒れるのだった。

by ssm2438 | 2010-04-08 07:04
2010年 04月 06日

幸福の条件(1993) ☆

f0009381_9281080.jpg監督:エイドリアン・ライン
脚本:エイミー・ホールデン・ジョーンズ
撮影:ハワード・アサートン
音楽:ジョン・バリー

出演:
デミ・ムーア (ダイアナ)
ウディ・ハレルソン (デイヴィッド)
ロバート・レッドフォード (億万長者のジョン)

        *        *        *

華麗なるギャッツビー再び!

買った土地が抵当にはいってしまい、それを取り戻すために父親から借金してラスベガスに向かい、ギャンブルで金をもうけようという発想がだいたいちゃんちゃら可笑しい。もっと地道な発想はできないものかな。で、すっからかんになって、そこで出会った億万長者が、一晩妻を抱かせてくれたら100万ドルをあげようという申し出にとびつく。一応悩んだあげく飛びつく。・・・しかしなあ、100万ドルといえば約1億円。それは飛びつくのはある程度仕方がないかな。離婚して折半しても5000万円づつだし、それ以降の気持ちのコントロール料としてはそんなものかもしれない。妻が浮気して相手の男が慰謝料として1億円払ったってことだから、金額としてはかなり贅沢。それでも離婚するなら我慢がたりなかったってことかな。たいだい、理性にはんしてることやってるのだが、それくらいは我慢しないと。最初の借金してラスベガスへゴーってのはどうかと思うが、そのあとの決断は、状況次第ではありえる選択肢だと思うのは私だけ? こんなことをいったらうちのカミサンに怒られるか?

監督は『フラッシュダンス』『ナインハーフ』エイドリアン・ライン。映像だけは大好き。でも、この物語はいただけなかったなあ。物語自体は生理的に好かん展開だし、この映画に関して言えばあまりエイドリアン・ラインの画面も映えなかった。もしかして・・、あと何年かしてもう一度見直したら少しは感動できるのだろうか・・・。エイドリアン・ラインだから、雰囲気重視の画面先行映画だとは理解しているが、いかんせん物語りに求心力(見たいと思う気持ちを引き起こすちから)がなかった。

<あらすじ>
・・・そんなわけで、100万ドルを得るために二人は相談、どちらがかが「うけよう」と言い出すわけでもなく、うやむやのうちに申し出を受けることにする二人。
一大決心をしてジョン(ロバート・レッドフォード)のもとへ行くダイアナ(デミー・ムーア)。はたと気持ちを改め取りやめようとする携帯を片手に飛び出すデイヴィッド(ウディ・ハレルソン)だが、ダイアナとジョンは電波の届かないはるか洋上へクルーザーで出ていったあとだった。
「・・・で、どうするの? 裸になればいいわけ?」と感情を殺したようにきくダイアナだが、ジョンは彼女をやさしくエスコートし、まず食事にさそい、ムードを作っていく。ダイアナにとっても決して毛嫌いするような一夜ではなかったようだ。
そしてまた元の2人に戻ったダイアナとデイヴィッド。ジョンとのことはなかったこととして考えようと約束していた2人だがなかなかそうはいかない。抵当に入っていた土地を買い戻そうとするが、既にその土地は人手に渡ってしまっていた。その土地を買ったのがジョンだと知ったダイアナは、ジョンに会い怒りをぶちまける。しかしデイヴィッドは2人がまた会ったことに対し怒り、喧嘩の末、家を出てしまう。
絶望したダイアナは、ジョンの紳士な態度に警戒心がとかれていく。ダイアナからの離婚手続の書類を渡されるデイヴィッド。

そのあとは、デイヴィッドの頑張りでアイアナの心をなんとか引き戻し、その気持ちをさっしたジョンは、
「以前にもダイアナのようにして手に入れた女がいた」と嘘をつき、ダイアナをデイヴィッドの元にかえるきっかけにするのだった。
ああ、ここでも孤独なギャッツビー。。。

by ssm2438 | 2010-04-06 09:28 | エイドリアン・ライン(1941)
2010年 04月 06日

ミラグロ/奇跡の地(1988) ☆☆

f0009381_8264675.jpg監督:ロバート・レッドフォード
脚本:ジョン・ニコルズ/デヴィッド・S・ウォード
撮影:ロビー・グリーンバーグ
音楽:デイヴ・グルーシン

出演:
チック・ヴェネ一ラ (ホセ)
ルーベン・ブラデス (保安官ベルナール)
ソニア・ブラガ (自動車修理店の女主人ルビー)
リチャード・ブラッドフォード (ラッド・ディヴァイン)
クリストファー・ウォーケン (州警察官キリル)

自然との一体化を説くレッドフォード節元年の映画

1980年のアカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞に輝いた『普通の人々』以来、8年間の沈黙を破って公開されたロバート・レッドフォードの監督2作目。『普通の人々』でその繊細な演出に見せられてしまい、今度レッドフォードの監督作品があったらかならず見に行くぞ!と意気込んでいて、念願かなってやっとこさ見に行ったのがこの『ミラグロ』。・・・しかし、これは・・・まったくつまんないわけではないが、地味にいただけなかったなあ。
のちの作品にみるレッドフォードの「自然との一体」スピリットが描かれていたが・・、そこそこ感動はしたものの、理性で感動したことにした映画だったかな。なんといいましょうか・・、感動するつもりになってみたら、なんとか頑張って感動したことにした・・というような感じ。今にしておもえば、この映画に関してはレッドフォードのごり押しがつよかったのかもしれない。
映画監督ロバート・レッドフォードファンの私としては、ちょっと残念な一作だった。

ただ、描こうとしていることはきわめてまっとうで、人間社会のルールに従って行われたことでも、それが自然の成り行きに対して違和感がある場合は、このミラグルという土地はささやかんミラクルを起こして、自然の成り行きを優先させていく・・、そんなお話だと解釈していいんじゃないかな。

<あらすじ>
ディヴァイン(リチャード・ブラッドフォード)率いる土地開発業者がレジャーランド建設のためにのりこんできたニューメキシコ州の小さな町ミラグロ。仕事の口が見つからないホセ(チック・ヴェネ一ラ)が、ディヴァイン社の許可なく小川の水を無断で自分の土地に引き込み、畑を耕し始めたことから村はちょっとした騒ぎになる。
長年荒れ果てていたその土地だが、水を引き込んだことによって生き返った。これは明らかに法律上は違法なのだが、土地が潤っていくことが悪なのか? そういったところがこの映画のポイントになってい来る。

ホセの従兄で保安官のベルナール(ルーベン・ブラデス)や自動車修理店の女主人ルビー(ソニア・ブラガ)は彼をサポートしていく。しかし冷酷無比に開発を進める企業は州警察官キリル・モンタナ(クリストファー・ウォーケン)を町にむかわせ、住民の反対運動や人種問題を考慮しつつも、次第にホセを窮地に追い込んでゆ。そんなある日、隣に住む老人アマランテ(カルロス・リケルメ)の飼っているブタが細を荒らしているのを見て、ホセは思わずそのブタを撃ってしまう。それを怒ったアマランテが発砲しながらホセに近づくと、ホセは恐怖と驚きのあまりアマランテを撃ってしまう。周囲にいた人々は、彼を病院に運ぶとともにホセに逃げるよう言う。山岳地帯に逃げ込むホセを追いつめるキリル。幸いアマランテも一命をとりとめ、弁護士チャーリー・ブルーム(ジョン・ハード)の尽力により、ホセの身にも安全が保障される。

by ssm2438 | 2010-04-06 08:28 | R・レッドフォード(1936)
2010年 04月 06日

ロリータ(1997) ☆☆

f0009381_7281815.jpg監督:エイドリアン・ライン
原作:ウラジミール・ナボコフ
脚本:スティーヴン・シフ
撮影:ハワード・アサートン
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ドミニク・スウェイン (ロリータ)
ジェレミー・アイアンズ (ハンバート)
メラニー・グリフィス (シャルロット)
フランク・ランジェラ (キルティ)

        *        *        *

スプリンクラー、しゅっしゅっしゅっしゅっしゅっしゅっ

原作自体があまりおもしろくないので、キューブリックが撮ろうが、エイドリアン・ラインが撮ろうが、あんまり面白くなるとは思えない作品。あえて、キューブリックの『ロリータ』とエイドリアン・ラインの『ロリータ』を私の好みをいうなら、エイドリアン・ラインのこっちのほうかな。それも、ドミニク・スウェインのほうがまだいいかなって好みだけで。どちらも、あんまり「これこそは!」という大人になりかけの少女の艶っぽさがあるとはいえないような。個人的な好みでは、ルイ・マルのやった『プリティベイビー』の時のブルック・シールズ辺りにやってほしかったかな(苦笑)。
あと、こちらは私が生理的に好きになれないジェレミー・アイアンズがハンバートをやっている。生理的には嫌いなのだけど、主人公的には、キューブリック版のジェームズ・メイソンよりはジェレミー・アイアンズのほうが神経質そうであっていたような気はするけど。あと、特筆すべきは、キューブリック版は、原作者のウラジミール・ナボコフ本人が脚本を書いている。でもまったく面白くないけど。

ただ、女性の本質は良くかけているかな。男としては認めたくないけど。
ハリウッドもののヒロインはどうしても男性が憧れるヒロインとして描かれるのがふつう。これは、男は女を愛するから、女も男を愛する生き物だと思っているがゆえに出来上がったヒロイン像。しかしこれがヨーロッパ映画になると、もっと女性の本質をつきつめたヒロインが描かれることがおおいような気がする。その代表なのがミケランジェロ・アントニオーニモニカ・ヴィティ演じるヒロインだろう。
女は男を愛するようにはできていないのだ。女が愛するのは男の機能性であり、それは別の男でも取替えがきくならその男でなくても別にかまわない。ミケランジェロ・アントニオーニの描く女性には「まず女には男を愛する機能がない」という前提で描かれている。そして、愛していないにもかかわらず、つなぎとめておこうとする。そのために愛想をふりまく。男に期待をさせる。
ウラジミール・ナボコフも、同じように女を分析しているのだろう。

<あらすじ>
仏文学者ハンバート・ハンバート(ジェレミー・アイアンズ)となった彼は、教授の職を得て米国に渡る。ニュー・イングランドの小さな町に来た彼は、シャルロット(メラニー・グリフィス)という未亡人の家に下宿する。そして彼女の娘、、12歳になるロリータ(ドミニク・スウェイン) に釘付けになる。シャルロットととりあえず結婚をし、ロリータと接する密度と機会を増やしていく。ある日、夫の本心をを知ったシャルロットは逆上し、自宅の前で不慮の事故死を遂げる。ハンバートは、サマーキャンプに向かい、ロリータに母の死を告げる。
身寄りのなくなった彼女を連れ、ハンバートはアメリカ放浪の旅に出た。やっとロリータとふたりっきりの時間をえたハンバートだったが、“おあずけ”をくうばかりでいらいらもたまり、彼女にあしらわれている感がしてならない。やがてキルティ(フランク・ランジェラ)という男の存在がみてくる。そのたびの間も、ロリータはキルティと何度となく密通していたのだ。やがて、なぶりものにされ、妊娠したロリータがもどってくる。逆上したハンバートはキルティに復讐を遂げるが、ロリータは「私が愛したのはキルティだけだった」と言う。すべては一人相撲だったことに絶望するハンバートだった。

by ssm2438 | 2010-04-06 07:28 | エイドリアン・ライン(1941)