主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

<   2010年 05月 ( 50 )   > この月の画像一覧

f0009381_19422886.jpg監督:グリゴーリ・チュフライ
脚本:ワレンチン・エジョフ
    グリゴーリ・チュフライ
撮影:ウラジミール・ニコラーエフ
    エラ・サヴェーリエワ
音楽:ミハイル・ジーフ

出演:ウラジミール・イワショフ
    ジャンナ・プロホレンコ
    アントニーナ・マクシーモア

        *        *        *

ソ連の映画には白樺の林が良く似合いますな。これといい、タルコフスキー『ぼくの村は戦場だった』といい。

この映画、実はアニメ向き(実写向きではない)の成熟したスタンダードな演出のオンパレード。レイアウトも自然。狙いすぎた画面もなく、実に素直。この映画とピーター・チャンの監督した『ラブソング』は実に演出教本映画だ。

この映画に驚かされるのは、みんなの演技が自然体なのだ。その昔『鶴は翔んでゆく』をみたときには実にソ連の体制主義の説教映画になっていていやだったのだけど、この映画にはそんな感じは微塵もまい。その自然体で展開する話が実に純朴というか、純粋というか、清らかなのだ。もうほとんど忘れかけてた言葉だ(苦笑)。


敵戦車に追いつめられた少年兵アリョーシャ(ウラジミール・イワショフ)は凹地のとびこみ、そこで偶然みつけた対戦車砲で二台の戦車を戦車砲で砲撃、沈黙させた。その功績により特別休暇をあたえられた。帰郷の途中で、途中この石鹸をうちのやつにとどけてくれと、名も知らない兵士からたのまれ、その石鹸をうけとった。一人暮しの故郷の母に会うことを願って故郷への列車へのったアリョーシャは、一人の負傷兵に会った。戦争で足を失った彼は妻に会うのをいやがって、悩んでいた。しかし彼の妻はプラットフォームに迎えにきていた。涙にくれる二人を残してアリョーシャは旅を続ける。

この映画は戦場を描くのではなく、そのバックグラウンドの側で戦争をさりげなく描いていく。見知らぬ兵士が実家との妻にとどけたいものが石鹸である。実にソ連というか・・その昔『ハドソン河のモスコー』という映画を見たときに(あれは1980年代のソ連だったが)、靴を買うのに列が出来ているのを思い出した。それはソ連といわす日本でもおなじような状況だったのだろう。

貴重な肉のカン詰を看視兵にやって貨物列車にもぐりこんだ彼は、その中に隠れていた少女シューラ(ジャンナ・プロホレンコ)にびっくりする。荷物を放り出し逃げようとするシューらだが、すでに列車はうごきだしており、降りられない。荷物のないまま、アリョーシャとその貨車にとどまる。最初は警戒していたシューラも、やがて彼に好意を抱くようになった。彼女は負傷した許婚者を病院に訪ね、故郷に帰るため秘かに貨車にのったのである。

この話、彼女がでないことにはどうにも面白くない。彼女とのふれあいがあるからこそ、ロードムービーとして成立したのだ。窓の外をながれる白樺の林がじつにすばらしい。
途中水くみに出て列車をやりすごしたりしながら、二人の旅は続く。アリョーシャは戦線で見知らぬ兵から託された石ケンを持って、彼の留守家族を訪ねる。苦しい生活の中で、兵士の妻は他の男と同棲していた。実にせつない。こういう痛みも彼女と分け合えたからこそ素晴らしい映画になったのだろう。
やがてアリョーシャとシューラは、互の住所もしらぬまま別れた。
ほんとにこれで終わりなの・・?って感じで実に名残惜しかった。
そしてまた白樺の林が車窓をながれる。

もう休暇は残り少ない。戦線への帰途の時間を考えるともう余裕はなかった。アリョーシャは母親ともほんの一瞬しか会っていることができなかった。畑で働いていた母は、涙で息子のトラックが遠ざかるのを見送った。そして、アリョーシャの姿は二度と、もう故郷に戻らなかったのである・・。

人生の悲喜こもごもあるのだけれど、実にさわやかな映画だった。
普通の映画なのだけど、実に忘れがたい映画だ。
グリゴーリ・チュフライ、素晴らしい!
by ssm2438 | 2010-05-31 05:35 | G・チュフライ(1921)

バトルランナー(1987) ☆

f0009381_2024414.jpg監督:ポール・マイケル・グレイザー
原作:リチャード・バックマン(スティーヴン・キング)
脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ
撮影:トーマス・デル・ルース/レイナルド・ヴィラロボス
音楽:ハロルド・フォルターメイヤー

出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー (ベン・リチャーズ)
マリア・コンチータ・アロンゾ (アンバー・メンデス)

        *        *        *

デザインセンス悪すぎ!

背景のデザインはよくないは、小物のデザインはダサいは、コスチュームのデザインも最悪。そのなかで唯一良かったのがあの黄色いボディスーツかな。でもシュワルツェネッガーが着るからじゃなくてマリア・コンチータ・アロンゾが着るから。あれだけからだのラインを出してくれると嬉しい(笑)。とはいえ、彼女は既に『ハドソン河のモスコー』で健全なヌードを披露してくれてるので、だからどうだこうだということはないのだけど、でも、彼女がヒロインやらせてもらえてる映画というのはそうないし、そのなかで、あのボディラインをだしたコスチュームというのはやはり嬉しい。

原作はリチャード・バックマンという名のもとにスティーブン・キングが書いたものだけど、多分原作のほうがはるかにいいと思うな。

監督は『刑事スタスキー&ハッチ』のスタスキー役ポール・マイケル・グレイザー。これはひどいもの負かされちゃいましたね。これみて「こいつは才能ない」とは言いがたいくらい、総てのコンセプトが悪すぎた。『冬の恋人たち』ではそこそこの仕事はこなしてたけど・・でもやっぱり才能はないかもね。

<あらすじ>
21世紀のロサンゼルス。国民はテレビによってコントロールされていた。まじめな警察官のベン・リチャーズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は上司の命令にそむいたため、殺人の汚名をきせられて投獄されてしまう。ICSネットワークでは、視聴率トップの殺人ゲーム・ショー「ランニングマン」の企画者&ホストのデーモン・キリアン(リチャード・ドーソン)が、リチャーズに目をつけ「ランニングマン」に出場するよう強制される。そこでリチャーズが目にしたのは、このゲームで生き残り、リゾート地で悠々自適の生活をしているはずのかつての優勝者たちの死体だった。レジスタンスに助けられたリチャーズは武装してTV局を襲撃。同時に、通信衛星をジャックしてリチャーズが汚名を着せられていた真実の映像をアメリカ全土に流した。
by ssm2438 | 2010-05-30 20:31
f0009381_829547.jpg監督:デニス・ホッパー
脚本:マイケル・シファー
撮影:ハスケル・ウェクスラー
音楽:ハービー・ハンコック

出演:
ロバート・デュヴァル (ボブ・ホッジス)
ショーン・ペン (ダニー・マクガヴァン)
マリア・コンチータ・アロンゾ (ルイーザ)

        *        *        *

結局マリア・コンチータ・アロンゾの出番だけを楽しみにみていた映画だった・・・。

先日(2009年5月19日)亡くなったデニス・ホッパーの監督作品のひとつ。一番有名なのは『イージーライダー』だろうけど、全然おもしろくもないし、この映画にしてもきわめて普通。残念ながら監督として才能を発揮したというのはない。やろうとしていることはわかるのだが、「あああ、あんたはそれがやりたいのね」というだけで、それが観客と共有できないのである。ゆえにちっとも見ている側が面白いと思うことはない。
この『カラーズ』という映画が、ストリートギャングと警察のやり取りを描いた映画だが、アクション映画ではない。いけ好かない連中をすぐ逮捕したがるショーン・ペンと対比させつつ、ベテラン警官のロバート・デュバルが、連中を泳がして、泳がして、そして最後に大物を捕らえるという、その老獪さを地味ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃに描いている。その地味ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃな見せ方はなんというか・・、『パリ・テキサツ』でみせたヴィム・ヴェンダースのような地味さ。その地味ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃな見せ方こそが、ホッパーのやりたかったことなのだろうが、これが良いのか悪いのか・・・。まあ、悪くはないのだけど、多分この映画を見に来た人はそんなものを期待してはいなかったのでは・・・。そのへんの作る側と見る側の共鳴が実に乏しい映画だったように思う。

そんなわけで、この映画をみてて唯一の愉しみとといったら私のお気に入りの(なかなか出番のない)マリア・コンチータ・アロンゾが店の店員としてラテン系ののりを発散させていることだろう。『ハドゾン河のモスコー』でもその太陽のような明るさがとても印象的だったが、この映画でも彼女だけがみていて楽しい映画だった。

<あらすじ>
ダニー・マクガヴァン(ショーン・ペン)とボブ・ホッジス(ロバート・デュヴァル)はロス市警の警官。強引かつ単純に事を処理しようとするマクガヴァンに対して、ホッジスは相手を泳がせて、その後ろのより大きな獲物を捕らえようとする。そんなある夜、ストリート・ギャングのクリップス団のメンバーが、抗争相手のブラッド団の少年クレイブを射殺して逃走する事件が起きる。どうやらそのバックには大規模な麻薬の密売があるようだった。
クレイブ殺しの犯人が、クリップス団のリーダー、ロケット(ドン・チードル)であると判明すると、ホッジスらはロケットの隠れ家を急襲する。警官のひとりが別人を射殺してしまうと、仲間を殺されたことにより、ロケット一味がその警官への報復のために武装蜂起するとの情報が署内に流れ、厳戒体制も強化された。しかしそれは、ロケットに対抗するホワイトフェンス団のリーダー、フロッグ(トリニダード・シルヴァ)が流したものだった。こうしてストリートギャングたちの全面抗争の火ぶたが切って落とされた。
事は終わり、残されたメンバーたちを検挙してゆくマクガヴァンたち。ホッジスはストリートギャングに撃たれて死亡。しかし、今や彼の遺志はしっかりとマクガヴァンの心に受け継がれているのだった。
by ssm2438 | 2010-05-30 08:31 | H・ウェクスラー(1926)
f0009381_1105140.jpg監督:ジョン・ストックウェル
脚本:マット・ジョンソン
撮影:シェーン・ハールバット
水中撮影:ピーター・ズッカリーニ
音楽:ポール・ハスリンジャー

出演:
ポール・ウォーカー (ジャレッド)
ジェシカ・アルバ (サム)

        *        *        *

健康的なジェシカ・アルバの肢体を楽しむ映画。

内容的にはジャクリーヌ・ビセット『ディープ』とにたような映画。海洋トレジャーハンターものといいましょうか、難破船をみつけてもしかしたらお宝が・・っておもってたら近くにもうひとつ危険な飛行機がついらくしていて、そこにはヘロインがつみこまれていた。なのでその海域はヤクザな連中がいっぱいいる。そのなかで彼らはトレジャーハンティングにいそしむって話。

とにかくジェシカ・アルバのビキニ姿がまばゆい。それだけだといってもいい。しかし主に泳いでいるのは主人公の男性のほう。この人はやたらと肺活量があるのか水の中での長時間の撮影もへいきですもぐりしてしまう。物語はこの男のほうがリードして、観客はジェシカの体をみて楽しむという映画。
ただ、個人的な趣味で言わせてもらえるなら、ジェシカのビキニは上も下も青がよかったかな。

あと、やっぱりダイビングを映画にするのはけっこうむずかし。この映画にかんしていえば『ディープ』よりも海中でのイベントがわかりやすかったかなって思った。とにかく海中では台詞が仕えないので何がおこってるのか、それが危険なのか、大丈夫なのか、なかなか見ている人に伝わりづらいのだ。『ディープ』にしても『007/サンダーボルト作戦』にしても、やっぱり海中シーンでは台詞が仕えないので目の前のイベントだけで事の次第を理解してもらえ話ないといけないのだけど、それがなかなか緊張感をもって伝わらないというのが水中を舞台にした映画の難しいところだ。

<あらすじ>
バハマでサメのハンドラーとして働くガールフレンドのサム(ジェシカ・アルバ)、はダイビングのインストラクターのジャレッド・コール(ポール・ウォーカー)慎ましやかに幸せな日々をおくっていた。そんな二人をジャレッドの幼なじみでニューヨークで弁護士ブライス・ダン(スコット・カーン)が新しいGFのアマンダ(アシュレー・スコット)と一緒に訪れる。
ダイビングに出かけた4人は、カリブの海の底で沈没船のかけらを見つける。4人は、この沈没船が何百万ドルもの金塊を積んだと噂される“伝説の難破船・ゼフィア号であることを確信した。しかしゼフィア号のすぐそばに、大量の麻薬を積んだ密輸飛行機が墜落していたのだった。
ジャレッドとサムは麻薬には興味がなかったが、このことを警察に届け出れば麻薬捜査のためせっかく見つけた宝の船を引き揚げるチャンスを逃してしまう。さらにアマンダにそそのかされたブライスは、2人で夜中にこっそり麻薬の1つを盗み出してしまう。しかもそれを転売しようとした先が、なんと墜落した密輸業者の取引相手だったのだ。
黙ってダイビングだけしてればいいのに、そんなこんなで4人は危険な状況におちいっていく。
by ssm2438 | 2010-05-28 01:15
f0009381_20334179.jpg監督:ドナルド・S・エヴェレット
脚本:ヘンリー・ビーン/シャール・ヘンドリックス
撮影:フランソワ・プロタ
音楽:マイク・ポスト

出演:ロビー・ベンソン (ビリー・ミルズ)

       *        *        *

最後の一周は、まるでシービスケットのようだった。

東京オリンピックの10000メートル走で、オリンピック史上に残る大番狂わせにより金メダルを獲得した選手である。番狂わせというより、ビリー・ミルズ自身が世に知られてなかっただけなのだけど。アメリカ国内の大会ではクロスカントリーで圧倒的な強さを誇り、1963年(東京オリンピックの1年前)のアメリカのクロスカントリー1部リーグでビリーに勝てたアメリカ人選手はたった一人しかいなかった。しかし、ミルズがインディアンであったため、優勝者の記念写真から出るよう強要されていた。そんな時代であり、そんなわけで、彼が類まれな才能を秘めたアスリートであっても彼の顔は世界でも、国内でもほとんど知られてなかったという。

東京オリンピックの10000メートルの時も、優勝候補は世界記録者であるオーストラリアのロン・クラークだった。彼の持ちタイムは28分15秒6だったか、ミルズは29秒をきったこともなかった。そんなミルズは、最終周までにトップを行くクラークとチュニジアのモハメド・ガムーディからは大きく引き離されていたが、そこからミルズのターボエンジン大爆発。あれよあれよというまにその二人に追いつきぶっちぎってしまった。ミルズの速さにはその二人もついてこれなかった。
そんな実在の人物ビリー・ミルズ。しかし彼の青春時代はインディアン差別で苦しんでいた。そんな彼の半生をつづった映画だ。

主人公のビリー・ミルズを演じるのはロビー・ベンスン。70年代のアメリカ青春映画の主人公といえばこの人の名前がすぐ思い出される。『ビリー・ジョー/愛の架け橋』『ワン・オン・ワン』『ジェレミー』など、グリニス・オコナーとの共演が懐かしい。しかし・・今思うと、グリニス・オコナーって関根恵子と立ち居地がダブルかもしれない(苦笑)。

ちなみにこの映画を撮って時は、ロビー・ベンスンもすでに30歳を越えていたと記憶している。でも、いつまでも若く見えるのはラルフ・マッチオと似てるかもしれない。しかし、恐れ多くもこの映画、ビリーミルズが高校生のところから始まるのである。さすが若作り青春スター、それでも見る側は受け入れてしまえるからスゴイ(苦笑)。
by ssm2438 | 2010-05-26 20:34
f0009381_126649.jpg監督:ジョン・フリン
脚本:デヴィッド・リー・ヘンリー
撮影:リック・ウェイト
音楽:デヴィッド・マイケル・フランク

出演:
スティーヴン・セィーガル (ジーノ・フェリーノ刑事)
ウィリアム・フォーサイス (リッチー・マダーノ)
ジョー・チャンパ (ジーノの妻・ヴィッキー)
ジーナ・ガーション (リッチーの妹パティ)

        *        *        *

あいかわらずジョン・フリンの演出はイカす!

ジョン・フリンは私の好きな監督さんの一人なのだが、この映画に関してはデヴィッド・マイケル・フランクの音楽が全然ダメだったのでいまひとつはまれなかった。しかし、ジョン・フリンの見せ方は実にクールで残酷でカッコいい。CGなんぞ使わずに、この人にはどこまでこのスタイルを貫いて欲しいものだ。
この映画の気持ちの良いところは、とにかくチンピラ相手を相手にストレス解消のガツンな一発をくらわせるところだろう。他の映画だったら、ガツンとのされたチンピラが主人公のデカに「今度あったらおぼえてろよ」みたいな捨て台詞をはいてもほっと置いてその彼らは逃走するのだが、この映画はちがう。捨て台詞を吐こうものならその捨て台詞にたいして報復する。世間の映画でチンピラだからこそ許されている捨て台詞を許さないここちよさ。それがこの映画だろう。
ただ、物語自体はそんな大それたものではなく、浮気した警官の妻が、旦那にやりこめようと旦那と浮気相手の女性の写真を、浮気相手の情夫リッチーに送りつけたら、そのリッチーがイカってその警官を殺してしまう。そんな極めてプライベートな事情の映画。なので物語的にはかなり小粒な部類だ。

ちなみに世間では「スティーヴン・セガール」と表記してあるが、発音はセィーガル(Seagal)である。ちなみにseagal はカモメのこと。

<あらすじ>
ニューヨーク、ブルックリン。相棒ボビーを殺された刑事ジーノ(スティーヴン・セィーガル)は麻薬取引がらみの事件だとめぼしをつける。犯人は麻薬組織からも締め出しをくってるヤクザのリッチー(ウィリアム・フォーサイス)。リッチーの親族を訪ねて歩くジーノ。しかし彼らはジーノの幼馴染でもある。そこの住人のほとんどが麻薬に手をそめ、それを仕切るのもジーノの幼馴染である。そんななか一人刑事となったジーノが、みうち社会のなかでリッチーを追い求める。
一見麻薬がらみの警官殺しに見えた事件だが、実は、殺されたボビーはリッチーの女と情事を重ねていた。それが妻にばれ、その妻が関係を終わらせて欲しいと思い、二人の写真をリッチーの送りつけたのだ。自分の女を寝取られたリッチーは理性という抑止力を失いボビーを白昼どうどうと撃ち殺してしまったのだ。薬でほとんど正常な判断ができなくなっているリッチーは、気にくわない者にでくわせると有無をいわさず撃ち殺してしまう。リッチーの愛人宅で最後の晩餐をひらいているリッチーとその手下たち。そこにショットガン片手に乗り込むジーノ。手傷を追うが手下はすべて片付けてのこりはリッチーだけ。弾が切れたリッチーは両手をあげて出てくるが、「弾がありゃあ痛いめに合わずに一発で死ねたのに」とジーノも銃をすてて肉弾戦。リッチーの姑息な攻めをことごとくかわし、彼をぼこぼこにしていくジーノであった。
by ssm2438 | 2010-05-26 01:26
f0009381_212923.jpg監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』
脚本:ドン・マッケラー
撮影:セザール・シャローン
音楽:マルコ・アントニオ・ギマランイス

出演:
ジュリアン・ムーア (医者の妻)
マーク・ラファロ (医者)
アリシー・ブラガ (サングラスの娘)
伊勢谷友介 (最初に失明した男)
木村佳乃 (最初に失明した男の妻)

        *        *        *

「強者否定」の精神のもとに、生理的に嫌悪感をあおる映画をつくるメイレレス。

理屈を抜きにして、「この映画嫌い」と感じる人と、「この映画好き」と感じる人に明らかに別れるだろう。この映画は理屈ではなく感性に語りかける映画だ。それは『ダンサーインザダーク』『ドッグヴィル』のラース・フォン・トリアーと似たものを感じる。フォン・トリアーといいこのフェルナンド・メイレレスといい、基本的に見ている人が生理的に見たくないものをみせてくる監督さんだ。映画をつくる力は認めるが、根本的に絶対好きになれないなにかを持っている。それはたぶん彼らの心の根底に流れる「強者嫌悪・強者否定」のスピリットなのだろう。
それは『ナイロビの蜂』を見たときもすごく感じた。とにかく強者たるものを、この上ない限り悪徳のものとして描く。それはこの映画の中にも出てくる。生理的に強者が好かないというスピリットが充満しているがゆえに、弱者としての卑屈さがさりげなく悪臭をはなっている。これを感じる人は「この映画、何故かきらい」と感じるのだろう。

どっかの賢者が言っていたが、ホンダの社長だったか、トヨタの社長だったか・・、
「この世の中には強者などいない。弱いままでいたくないと努力した人と、それをしなかった人だ」

多分メイレレスは、強者がいると思っている人だ。そしてそれを嫌悪している。その悪臭がはなはな鼻につく。強者たるものは、過去においては弱者であり、そこから這い上がるために努力して、見た目にはそうなっているかもしれないが、彼の心の中はいつも弱者だ。そして弱者のこころを知っている。だから強者たるものは、傲慢にはならない。弱者に対して横暴な態度をとるのは、つねにサディストであり、サディストは弱者のなかで虚栄心に支配されたものだ。
メイレレスは、弱いままでいたくないと努力したことがなくて、弱者スピリットを保持し、そのスピリットで悪者が想像する強者を描いているからこういうえげつない展開を表現できるのだと思う。それは『ナイロビの蜂』の時も感じた。

しかし、映画はとても素晴らしい。感情に杭を打ち込むポイントを心得ている。これは『ナイロビの蜂』でも同様にいえることだ。作者の根底にあるスピリットは、私とは完全に相容れないが、映画を作る才能には満ち溢れている。でも嫌いだ。カメラが近いのも嫌いだ。

あと木村佳乃はめちゃくちゃ美しい。
こんなに彼女が綺麗にみえたことはそうないんじゃないかな。

<あらすじ>
突然失明してしまった人々が集められた収容所。そこは外界から隔離されて朽ち果てた世界だった。その収容所では理性が徐々に崩壊し、弱者が想像する強者の悪行は横行する世界となっていたい。
病室ごとにコミュニティが出来あがっていれ、それぞれが飢えていた。食料を持っているものがその収容所ないのロードとなっていたが、その収容所を管理する人たちも失明し、管理機能はほとんど失われた無法地帯となっていた。食料を確保したもたちがその収容所ないでのロードとなり、他の病室(コミュニティ)へ「食料をあたえるから女を差し出せ」と要求してくる。
プライドが生存か・・、自分の妻は行かせたくないとしかいえない男たち。しかしこの期に及んでは個人の判断にゆだねられる。「私は行くは」と手を上げる女がいる。ジュリアン・ムーア(彼女だけは何故か目が見える)も続いた。そして合計8人の女が彼女に賛同してロードたちに体を与えに出て行く。盲目の女たちは、盲目の男たちの部屋に行き、もみくちゃにされていく。そこいらで悲鳴やあえぎ声が聞こえる。ジュリアン・ムーアもフェラチオを強要させる。拒みたくとも従いしかなく、その男の前にひざまづき、股間を顔をうずめて男に奉仕する。
他の者たちはみんな失明している。総てが匿名さんなのだ。屈辱にまみれて誰かのペニスを咥えたとしても、それは匿名さんのしたことでしかない。しかいジュリアン・ムーアはそれが見えてしまう。ジュリアン・ムーアには自分が咥える男も、その男のペニスもみえる。彼女の意識のなかでは匿名さんにはなれないのである。

結局は「私だけが見える」の力でそのロードたちを粉砕する方向へ導き、収容所から外に出る。そとの世界のだれもが失明している。やがて雨がふってくる。人々は通りにでて雨のシャワーを浴びる。服を脱いで裸になり体を洗うものもいる(残念ながら木村佳乃ではない)。通りにでて裸になろうとも、他の誰かにはみられないのだし、所詮はどこかの誰か・・つまり匿名さんなのだ。そのなかを何人かの仲間をつれて自宅へと向かうジュリアン・ムーア。ほとんどイエスキリスト状態である。


匿名性というのは、弱者のよりどころなのかもしれない。ここ10年で発達したインターネットも、その匿名性が重要な要素になっている。しかし、私は匿名というのが嫌いなのでこのブログでもきちんと実名で書いている。

総合的にいってしまうと、私の嫌いなものが尊ばれ、私の好きなものが嫌われているのはこの映画ということになる。私にとっては徹底的なアンチテーゼな映画だった。
by ssm2438 | 2010-05-25 02:02
f0009381_2144546.jpg監督:エリック・ブレヴィグ
原作:ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』
脚本:マイケル・ウェイス
    ジェニファー・フラケット
    マーク・レヴィン
音楽:アンドリュー・ロッキングトン

出演:
ブレンダン・フレイザー (トレバー)
ジョシュ・ハッチャーソン (ショーン)
アニタ・ブリエム (ハンナ)

        *        *        *

アトラクションムービーだが、セットがまるでセットみたいだ。

いまどきの映画ならもうすこし質感だしてほしいものだ。CGもこだわりを感じさせないし、かなりお手軽な感覚で作った映画になっている。とにかくハリボテの中でひたすら追いかけっこというか、なにかから逃げてるだけの映画。しかし、ハリボテがハリボテに見えたらプロの仕事としては失格だよ。
制作総指揮のなかには主演のブレンダ・フレイザーの名もあるが、『ハムナプトラ』を狙ったのだろう。しかし、これだと子供もだませないようなきがするくらいただのアトラクション・ジェットコースター・ムービーだ。

地球内部の研究を行っていた大学教授のトレバーは、甥っ子のショーンの愛読書「地底旅行」の中に、失踪した地質学者の兄が書き記したメモを発見する。トレバーとショーンは、兄が地震センサーを残したスネフェル山へ山岳ガイドのハンナと向かう。3人は落雷に遭って洞窟に閉じこめられてしまい、脱出を試みるが、地中へ続く穴に落ちてしまう。そこには恐竜が闊歩する原始の世界があったとさ・・。
by ssm2438 | 2010-05-23 21:05

プレデター(1987) ☆☆☆

f0009381_1914660.jpg監督:ジョン・マクティアナン
脚本:ジェームズ・E・トーマス/ジョン・C・トーマス
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー (ダッチ・シェイファー隊長)

        *        *        *

今度のシュワちゃんはエイリアンとガチンコ対決だ!

後に『ダイハード』『レッドオクトーバーを追え』などを撮ることになるジョン・マクティアナンが世間に才能をみとめられた作品。「ボクにもこれくらい出来るんだよ」的に、スティーブン・スピルバーグジェームス・キャメロン的な<これでもかこれでもか戦法>で物語を盛り上げていくマクティアナン。この人の本質は上記の2人とはちょっと違ったところにあるとは思うのだけど、この作品とか、次の『ダイハード』はこれでもか、これでもか戦法だったね。
へんな政治劇がむりやりからませてあり、話ももう少しスマートに出来たとは思うが、まあ、低予算映画だし、大目に見ようかなという感じ。

<あらすじ>
中南米某国の国境を越えた地点でヘリが撃墜され、捕虜になったらしアメリカ兵を救出するためにコマンド部隊が編成された。その隊長ダッチ・シェイファー(アーノルド・シュワルツェネッガー)。
ヘリの残骸を発見し、さらに奥へ進んだ一行は、皮をはがれ内臓をえぐり取られた4人のアメリカ兵の死体を見つける。ゲリラのアジトを発見し、奇襲をかけて全滅させた。一行はゲリラで1人生き残ったアンナ(エルピディア・キャリロ)をつれて合流地点へ急いだ。アンナが逃げ出し、追っていった隊員の一人が何者かに殺された。そして次々と殺されていく部隊の兵士たち。敵の姿は見えない。迎えのヘリが来るはずの地点へアンナを先行させ、シェイファーはプレデターと対決した。どろまみれになった彼の姿を感知できぬことに気づき、シェイファーは罠をしかけ、プレデターを死闘の末に倒すのだった。
by ssm2438 | 2010-05-23 19:14

プレデター2(1990) ☆☆

f0009381_18504717.jpg監督:スティーヴン・ホプキンス
脚本:ジム・トーマス/ジョン・C・トーマス
撮影:ピーター・レヴィ
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
ダニー・グローヴァー (マイク・ハリガン警部補)
ゲイリー・ビューシイ (ピーター・キース)
マリア・コンチータ・アロンゾ (レオナ・キャントレル捜査官)

        *        *        *

がらりと舞台とテイストを変えた続編だが意外と悪くない!

前作でアーノルド・シュワルツェネッガーとジャングルで壮絶なバトルを演じたプレデター。そのプレデターが今回はロサンゼルスに登場する。やはり市街地が舞台であることから物語に社会性発生、それがエイリアンの仕業だと把握するまでは通常の殺人捜査にあたる警察&FBIというスタンスなので展開されるので物語としては前作よりもはるかに面白い。普通の刑事/捜査官vsプレデターの構図がこの映画の良いところだろう。ただ、主人公がダニー・グローヴァーでは、主役としてちょっと華がないというか地味というか・・。これがもう少し名のある人、たとえばキアヌー・リーブスとかだったらもっと世間受けがよかったのに。ただ、アーノルド・シュワルツェネッガー主演にもってこなかったことは物語構成上からみるととても正しい選択だったと思う。

そして今回の『プレデター2』からは強引にもプレデターの行動理由に正義の味方的言い訳をつけてきた。これは前作からあったがほとんど表面化してなかったというだけなのか、今回からそんな理由でプレデターが登場するのか・・・、そのへんは定かではないが、個人的には今回から強引に、なおかつ前作と整合性を乱さない程度に、入れ込んできたのではないかと思っている。

キャスティングにおいてはマリア・コンチータ・アロンゾが出てきているのがうれしい。この人、ポール・マザースキー監督の『ハドソン河のモスコー』でお目にかかった以外はなかなか見る機会がなく残念に思っていたのだが、ちょっとばかりメジャーな本作に登場してくれたことは嬉しかった。

<あらすじ>
近未来(本作では1999年ということになっている)のロサンゼルス。コロンビアの麻薬シンジケートのアジトとなっている高層ビルの一室に突入したハリガン警部補(ダニー・グローヴァー)らは、そこで血塗れた無数の惨殺死体を発見する。しかしこの関連の捜査は麻薬取締局を名乗る政府の役人キース(ゲイリー・ビューシイ)たちから強引に事件捜査の引き渡しを命じられる。それでも捜査をつづけるハリガン。正体不明の殺戮者による犠牲者の数は増えていく。新入りのランバートは走行中の地下鉄の中で惨殺され死体を持ち去られ、同行していたレオナ・キャントレル捜査官(マリア・コンチータ・アロンゾ)も殺されそうになるが、何故かその殺戮者はそのまま立ち去った。
キースは10年前に南米某国のジャングルで起きた怪事件を追求し、プレデターの生け捕りを目論んでいた。そして計画は実行され精肉工場内にプレデターを追い詰める事に成功すが、想像を遥かに超えるプレデターの戦闘能力の前にキースの部下たちは成す術が無く、次々と殺されていく。そこへハリガンが救援に駆けつけるが、唯一生き残っていたキースもまたプレデターの手によって殺されてしまう。激しい死闘の中、深手を負い武器も失ったプレデターはハリガンの前から逃走。追跡の末ハリガンは謎の宇宙船の内部に辿り着く。ハリガンは宇宙船の中でたくさんのプレデターと対面する。
彼らの使命は、宇宙の平和を乱しかねない殺戮を起こすであろう種を狩ることだった。さらに生命の尊さを知る彼らは、まだ悪しき心にそまっていない赤ちゃんを殺すことはない。地下鉄でキャントレル捜査官が殺されなかったのは、彼女が妊娠していたからだ。そして彼らは古代から伝わる銃を残して去っていってしまうのだった。

・・・しかし続編は作られなかった。その後はエイリアンと戦うことになる(苦笑)。
by ssm2438 | 2010-05-23 18:51