西澤 晋 の 映画日記

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2010年 05月 19日

ウディ・アレンの夢と犯罪(2007) ☆☆

f0009381_236240.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
音楽:フィリップ・グラス

出演:
ユアン・マクレガー (イアン)
コリン・ファレル (テリー)
ヘイリー・アトウェル (アンジェラ)

        *        *        *

もう復活しないかも・・・。ウディ・アレンの恋のエナジーは尽きたかもしれない。

所詮男なんぞは、自分を認めさせたい女がいてやっと輝くもので、それがウディ・アレンのかつてのミューズたちは、彼に多大なエナジーを与えていたのだと思う。『アニー・ホール』前後のダイアン・キートンとか、彼女とわかれたあとのミア・ファローとか、ウディにとって認めさせたい女がいて、彼女らはウディ・アレンを認めてくれてた。しかし・・スカーレット・ヨハンソンには・・・・、きっと認められなかったのだろう。映画から覇気がないというか、みてて特に面白いと思うことはなかった。技術的にとても安定している人なので主人公の追い詰め方は出来ているのだけど、今ひとつ・・・・面白くない。そう、面白くないのである。
私もウディ・アレンファンだが、私が好きだったのはダイアン・キートンとつきあってたころのアレンであり、その後の彼の映画はそれほど素敵にはみえない・・。

<あらすじ>
ロンドンの労働者階級の男イアン(ユアン・マクレガー)は、ホテル事業への投資するために貯蓄していた。自動車修理工の弟テリー(コリン・ファレル)は高望みすることなく、恋人ケイトと暮らす家を手に入れるという現実的な夢を抱いていた。ある日、テリーがドッグレースで大穴を当て、兄弟は小型クルーザーを共同購入、イアンも虎の子の投資資金をそのボートに費やした。そんなイアンも若い舞台女優アンジェラと交際するなど運が向いてきた。しかしテリーがポーカーで大きな借金を抱え込んでしまい、首が回らなくなる。そんな時、金持ちになった叔父がロンドンの母を訪ねるときに彼らのうちにもくるというのだ。困ったときの叔父頼み、テリーは借金を返済するためのお金を、イアンはホテルビジネスに投資するためのお金をなんとか頼み込むことにした。
叔父は快く承諾したが、叔父にも問題があった。同じ経営者の一人が過去のやばい行為を暴露するというのだ。彼は二人にその共同経営者の殺しを依頼する。

いつもの悲劇と喜劇のハザマをいくウディ・アレンの(これは)悲劇映画だが、現代風の『罪と罰』かなにかのドス手エフスキー的殺人者心理の描写を楽しんでいる様子。しかし・・、見ていて面白くない。楽しくないのである。暗い映画をとってもそれに興味をそそられることはあるのだが、この映画にはそういうものがほとんど感じられない。ブロークン・ハートのウディ・アレンが、それでも契約上映画だけはつくらないといけなくなってて、そんか環境のなかで作ったような雰囲気だった。

by ssm2438 | 2010-05-19 23:08
2010年 05月 18日

許されざる者(1992) ☆☆☆

f0009381_065937.jpg監督:クリント・イーストウッド
脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
撮影:ジャック・N・グリーン
音楽:レニー・ニーハウス

出演:
クリント・イーストウッド (ウィリアム・マニー)
ジーン・ハックマン (リトル・ビル・ダゲット)
モーガン・フリーマン (ネッド・ローガン)
リチャード・ハリス (イングリッシュ・ボブ)
ジェームズ・ウールヴェット (スコフィールド・キッド)

        *        *        *

等身大のアウトローの物語

確かにクリント・イーストウッドの中では一番面白いかもしれない。
しかし、個人的にはイーストウッドの監督作品はそれほど面白いとは思えない。これは多分、私のもっているチャンネルと、イーストウッドが描きたいもののチャンネルが根本的に違うのだと思う。価値観が違うというか・・、この映画のなかには「なんでこんな展開になるんだ??」の連続。主人公が感情移入する相手は味方、感情移入しない相手は敵・・みたいな理論でまさに、「えこひいきはオレの趣味でなぜわるい?」理論。あまりに社会性が欠如しているように感じる。この作品アカデミー作品賞やらなにやら一杯取ったようではあるが、この映画に流れるポリシーの根幹的な部分が個人的に好きになれない。
ドラマ展開も、主人公も、計算されつくされたものでもなく、法則化されたものでもない。おかげで、主人公自身に貫く信念があるようにも見えない。状況にながされる弱さを認めたキャラクターというところか。
・・・・ああ、そうかも。

これ書いてて思った。クリント・イーストウッドの映画って、「状況に流されるキャラクター」をいつも描いているんだ。意志力で意地でもそこに向かってやる!!って熱血根性ものじゃなくって、そっちには向かうけど、流されてもいいじゃん・・みたいなキャラクター。この優柔不断さ、よく言えば「柔軟性」を受け入れてる「仕方ない人間性」を描いているのがクリント・イーストウッドだったんだ。今宵それがはじめて分った。
きっとこの人が『白い巨塔』とったら面白いんじゃないかな・・ってふと思った。

<あらすじ>
その昔、列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、銃を捨て2人の子供と農場を営みながら密かに暮らしていた。しかし飼っている豚は病気になり、作物は育たず、妻にも先立たれた。そんなマニーのもとにスコフィールド・キッド (ジェームス・ウールヴェット)という若いガンマンが訪ねてくる。
ある街で、娼婦が顔を斬られて重症をおわらされた。その仲間の娼婦が、犯人を殺した者に1000ドルの賞金をかけたというのだ。もう引退したはずの殺戮事に再び足を踏み込むことになったマニー。しかし、短銃では的にあたらない。馬にもまともに乗れない。かつての非情な殺し屋ぶりは消え去っていた。それでも、貧困から逃げ出すためにはマニーにとっては最後の賭けだった。
かつての相棒ネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)と一緒にその町に向かう3人。
町は、保安官のリトル・ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)が仕切っていた。治安を優先させる彼は町に来る旅人には銃を保安官に預けることを義務付けていた。伝説的殺し屋のイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)もいきがっていたが、ビル・ダケットにのされてしまう。町についたマニーがひとり酒場いると、ダゲットがやってきて銃の所持をたずねる。「持ってない」というマニーを身体検査すると銃が出てくる。その銃をとりあげるとダケットはマニーを借り倒した。

この映画の理不尽さというのは、ジーン・ハックマンの行為には正当性があるので、それに逆らってぼこぼこにされ、最後はそのジーン・ハックマンを殺すにいたるクリント・イーストウッドの行為自体にどうも共感できない部分が大きい。

結局マニーら3人は賞金をかけられていた2人の男のうちの一人を見つけ出し、これを撃ち殺した。ネッドは、もう自分が人殺しにはなれないことを悟り2人と別れて故郷へ還っていった。マニーは少しづつかつての感触を思い出し始めていた。そしてもう一人も殺し、娼婦たちから賞金を受け取ったマニーは、ネッドが保安官・ダゲットに捕まり、マニーたちの居場所をはかせるために拷問にかけられ、殺されたことを知った。マニーはスコフィールド・キッドに金をあずけ、ダゲットに復讐するために町へもどっていく。

by ssm2438 | 2010-05-18 00:07
2010年 05月 17日

バベットの晩餐会(1987) ☆☆☆☆☆

f0009381_1443327.jpg監督:ガブリエル・アクセル
脚本:ガブリエル・アクセル
撮影:ヘニング・クリスチャンセン
音楽:ペア・ヌアゴー

出演:ステファーヌ・オードラン
    ビルギッテ・フェダースピール
    ボディル・キュア
    ビビ・アンデショーン

     *     *     *

1980年の後半というのは実に良い映画が連打された。多分映画史のなかでもっとも上質な映画を提供していた時代なんじゃなかろうかと思ってしまう。そのなかの一つがこの『バベットの晩餐会』アカデミー外国語映画賞をとっている。この年(1987年)には私の大好きな『ブロードキャスト・ニュース』『ベルリン・天使の詩』『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が連打された。『ベルリン・天使の詩』と『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』をはしごしてみた翌年の正月あけはなんと幸せな気持ちになれたことか!
1988年の外国語映画賞は『ペレ』、2年連続デンマーク映画がとってしまった(実はカンヌも制してしまったが個人的には全然良いとは思わなかった)。その次の年、1989年は『ニュー・シネマ・パラダイス』がゲット。この年は『フィールド・オブ・ドリームス』があり、これも正月明けにこの2本をはしごしてしまいもう涙ぼろぼろ2連発。この2本を一日に続けてみてしまうなんてのはもう映画ファンとしてはあり得ない至福の偶然。
このころまでは私もアカデミー賞はまずまず妥当な判断だなって思っていたのだか、90年代にはいってからは「ええ~~、なんでこんなのが??」というのが多くなりイマイチ信用に値する結果を出してくれないのが事実だ。

この映画をみたのは岩波ホール。東京の神保町にあるマニアックな映画をよくやる映画館だ。ハリウッドのエンタテーメント映画ではなく、世界各国のマイナーで実に地味で、映画評論家の先生方がこぞって「良い!」と云う映画を提供してくるかなりレアの映画館。ツーな映画ファンにしか行かないので自分も1ランク上の映画ファンになったような気がしてすこし心が引き締まる思いがする。これがなかなかここちよかったりする(笑)。
このころから日比谷シャンテやシネスイッチ銀座など、銀座が単館上映の良質な映画を提供してくれていた。そしてそのトレンドは徐々にひろがり今では新宿でも単館上映系のマイナー映画が上映されるようになってきた。当時は野方、新井薬師に住んでたので銀座でもなんとか足を伸ばせいたのだが、ここ田無に引っ込んでからはちょっとそこまで出るのはしんどいかな。最後の銀座に出向いてみたのはいったいなんだったのだろう。
ジョン・バダム『迷宮のレンブラント』トム・ハンクス『すべてをあなたに』かどっちかのような気がする。
いかんいかん、また脱線ぎみだ。
『バベットの晩餐会』に話をもどそう。


19 世紀後半デンマークの辺境の小さな漁村。厳格なプロテスタント牧師の美しい娘マーチーネとフィリパは住んでいた。やがてマーチーネには謹慎中の若い士官ローレンスが求愛する、一方フィリッパには休暇中の著名なオペラ歌手アシール・パパンにもとめられるが、二人は父の仕事を生涯手伝ってゆく決心をしそれぞれの申し出をことわることになる。
10年以上の時が流れた。 そんなある嵐の夜、二人のもとにパパンからの紹介状を持ったバベットという女性が訪ねてきた。パリ・コミューンで家族を失い亡命してきた彼女の、無給でよいから働かせてほしいという申し出に、二人は家政婦としてバベットを家におくことにした。

とにかく生活が質素なのである。エンタテーメントなんて言葉はありそうにもないそんな状態。ひたすら退屈な時間がすぎていく。しかし後から思うとこの前半を退屈な時間がしっかりと描けてあるからこ後半のバベットの料理が際立ってくるのだ。
ドラマというのは常にその物語内で比較でしかメリハリがつけられない。
そのドラマのなかで行われている事がどんなにハデで非日常的なものでも、そればっかりが描かれていたら慢性的な当たり前の出来事と理解してしまう。ウルトラマンが30分間フルに戦っていたらどれだけつまらない番組になるか想像してもらえればわかるだろう。ウルトラマンが特別であるためにはそれ以前に、物語の中で特別でないシチュエーションを描いておかなければならない。
ドラマにはこの「反対側をしっかり描いておく!」ことがとっても大切なのである。

歳月がたち父が亡くなった後も未婚のままその仕事を献身的に続けていた。しかし集会は不幸や嫉妬心によるいさかいの場となっていて、以前のような崇高なる時間はとても臨めない状況になっていた。心を痛めた姉妹は、父の生誕百周年の晩餐を行うことで皆の心を一つにしようと思いつく。
そんな時バベットの宝くじが一万フラン当たった。今まで何一つ文句も云わず、もくもくと献身的にはたらいていたバベットが初めて自分のわがままを申し出るのである。「晩餐会でフランス料理を作らせてほしい」と。姉妹は彼女の初めての頼みを聞いてやることにするが、数日後、彼女が運んできた料理の材料の量と奇抜ささ、生きた海亀やら鴨などを目の当たりにし、質素な生活を旨としてきた姉妹は天罰が下るのではと恐怖を抱くのだった。集会をひらき「何を食べさせられるのか分からない。しかしバベットに辞めろとも云えないし、ここはひとつ晩餐会では料理についてはなにも語らないことにしましょう」と申し合わせをする。
さて晩餐会の夜、将軍となったローレンスも席を連ね。

このローレンス将軍がドラマ的にはとても大事な役割をになうことになる。集まった村の人たちはバベットがだした料理を黙って食べている。どうやら料理やワインやシャンパンなどはおいしいらしいがそれがどれだけのものかは知らないのである。そこでローレンス将軍がいちいちびっくりするのである。
「なんだこのワインは!? ◯◯年もののとってもレアなワインではないか」
「なんだこのスープは? パリのある有名はレストランでしか味わう事が出来ないと云われてたあのソープの味ではないか!?」
「どうしてこんな料理がここに存在するのだ? 誰が作っているのだ??」
彼が料理の説明役になっているのである。ドラマにおいては崇高さを説明する解説者と、それに驚く一般人/アナウンサーが必要なのである。
やがて村人たちもバベットの料理が誰が食べてもとてもおいしいもので、自分たちもそれを食べて「おいしい!」って言っていいんだと思えて来る。そこにローレンスがその価値を語る。
一方厨房ではカメラがバベットの料理の手際を具体的に丹念に描写する。盛りつけの仕方、ソースの掛け方、料理の出し方、客人たちへの気心の配り方。

この具体性というのもとっても大事なポイント。
具体的に正確に描くということはリサーチが必要になりドラマ作りではかなり下準備を要する。できるなら象徴的に処理してしまいたいものだが、ほんとに描きたい時には具体性の連打のほうが見ている人に印象を残す。
たとえばエッチのシーンを描こうと思った時に、さらりと描こうと思えば男と女が裸で抱き合っている姿をOLで繋ぎながらPANしていけばいい。でも、そこにきちんと引っかかりをもたせたいと思うならもっと具体的な表現が必要になって来る。服を脱ぐ時にぎこちなさ。セックスをしてるのときどっかさめた感じ。終ったと性器をティッシュでふく現実性‥‥。そういった物がよりリアルな実感をもたらしてくれるものだ。
演出というのは、そのドラマにかかる以上の時間の物語をその時間内におさめなければならない。故にある部分は象徴的に処理をし、ある部分は具体的に見せなければならない。この象徴性と具体性の割り振りの出し入れは演出業にとってとっても大事な部分になる。

次第に村人たちの心が後方されていき、抑圧していた感情を表現するよになる。おいしい物を「美味しい」って言えるようになる。嬉しい時に「嬉しい」って言えるようになる。いがみあっていた村人たちもなんだか楽しくなってしまうのである。そしてラストメニューを出したときローレンスはこの料理人がパリの伝説の女性シェフ「カフェ・アングレ」のバベットだと知るのである。
二人の姉妹は、晩餐の後バベットはパリへ帰るものと思っていた1万フランの宝くじが当たったのだし、もはやここで貧乏暮らしをする必要などないのだと。みんなが幸せな気持ちで帰っていったと「もうあなたはパリに帰ってもいいのよ。私たちはなんか自分たちでやっていくから」とバベットに伝えるのだが、バベットは今後もここに留まりたいと申し出る。あの1万フランはすべてこの晩餐に費やしていたのだ。それほど高級な料理。
一人のアーティストによる最期の祭り。自分がもてる力と技を表現する最期の時間。それがバベットの晩餐会だったのだ。


今まで2000本くらいの映画は見て来た私の引き出しのなかで、5点満点の5点をつけられる映画は20本あるかどうか。その貴重な20本のうちの一本がこの映画なのだ。そして 『ブロードキャスト・ニュース』『ベルリン・天使の詩』『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』『ニュー・シネマ・パラダイス』『フィールド・オブ・ドリームス』もまたその20本のなかの満点映画なのだ。
これらがこの80年代の終わりに集中的に集まった。映画ファンの私にとって恐ろしいほど幸せな時代だった。

by ssm2438 | 2010-05-17 23:59
2010年 05月 17日

愛の流刑地 (2006) ☆☆☆

f0009381_1255869.jpg監督:鶴橋康夫
原作:渡辺淳一『愛の流刑地』
脚本:鶴橋康夫
撮影:村瀬清/鈴木富夫
音楽:仲西匡/長谷部徹/福島祐子

出演:
豊川悦司 (村尾菊治)
寺島しのぶ (入江冬香)
長谷川京子 (織部美雪)

        *        *        *

キャスティング的には一番ハズレだが・・、映画としては一番いいかな。

渡辺淳一原作の作品というのは、どうしても男の可能な範囲での夢物語なので、極端にカッコいい男は出て来ないように出来ている。しかし女性はきわめて憧れ的に描かれていて、溺れてみたい女性に憧れる等身大の男を描いている。それが渡辺淳一の作品なのだろう。しかし、寺島しのぶでは・・・欲情できない。このキャスティングが痛すぎる。所詮渡辺淳一者に関していえば、“H”が仕手みたいと思える、憧れるに足る女優をキャスティングできればその時点で映画としてはどんなにたたかれても成功だし、それが出来なければ失敗。分り易い。この映画に関して言えば、キャスティング的にはボロ負け状態だったのだろう。

ただ、映画化ということに関して言えば、かなり成功したほうだと思っている。トヨエツと寺島しのぶのふたりのシーンの描写も映画的にしっかり出来てたほうだと思う。最後の裁判も、真実と、一般社会が下した判断の対比はしっかり出来ていたと思う。ただ、トヨエツだとどうしても言葉に真実味がないというか・・、ま、これはいたし方ないかな。あとトヨエツの弁護士が陣内孝則というのもかなりうざかった。長谷川京子はきれいだからいいか。

<あらすじ>
ある夏の日、不倫関係にある人妻・入江冬香(寺島しのぶ)を殺した作家・村尾菊治(豊川悦司)が警察に逮捕される。そして語られていく二人の回想。

前年の秋。取材で京都を訪れた村尾は、冬香を紹介され関係を結ぶようになった。僅かな時間の逢瀬のために東京から京都へ新幹線で通う村尾。やがて夫の転勤によって、冬香が東京に越してくる。それかたというもの、二人の時間は休息に増していく。取調べの中では、女に頼まれて殺したという村尾の証言は「言い逃れ」と見なされてしまう。
裁判では、この殺人事件が嘱託殺人にあたるかどうかが問われることとなった。担当の女性検事・織部(長谷川京子)はどこか冬香の気持ちに共感を持ち始めていたが、みとめたくない自分もいた。村尾は殺人罪で懲役8年の刑を宣告された。ある日、一人独房に佇む村尾の元に冬香の実母から郵便が送られてきた。中には冬香に送った村尾の著書であり、その本の間に冬香からの手紙がはさんであった。それを読んだ村尾は「俺はやはり選ばれた殺人者だった」と呟くのだった。

by ssm2438 | 2010-05-17 01:22
2010年 05月 15日

地震列島(1980) ☆

f0009381_2335864.jpg監督:大森健次郎
脚本:新藤兼人
撮影:西垣六郎
音楽:津島利章
特技監督:中野昭慶

出演:
勝野洋 (地球物理学者・川津陽一)
永島敏行 (ルポライター・橋詰雅之)
多岐川裕美 (川津地震研究所員・芦田富子)
松尾嘉代 (川津裕子)

        *        *        *

もしこの映画に<地震>というコンセプトがなかったら結構面白いドラマになっていたかもしれない。

この映画の問題点は、大地震が来て、そのあとのイベントがまるで関連性が寸断されてしまったことだ、その場その場の人情劇になってしまい、複雑にからみあっていた問題点が、地震がくることによって考えなくてもいい問題になってしまった。問題提示をしたにもかかわらず、その問題への回答を放棄し、別の問題に知りかえられたようなものだ。だったら「前の問題」はなくてもいいんじゃない?って思う。でも、後ろの問題のほうがつまらないので、これなら「後ろの問題」はなくてもいいんじゃない?ってことになる。その「後ろの問題」とは、地震以降のサバイバルである。
監督の大森健次郎はこれが最後の映画監督の仕事だったみたいですが、ま、才能ない人は去るべきですね。なんでこんなコンセプトで映画をつくったのは理解できない。また新藤兼人が脚本を書いているのだけど、これも完全に人選ミス。二人して映画をとんちんかんな方向にみちびいてしまった。

この手の映画は危機管理ものだとおもって見るものだけど、この映画にかんしてはさにあらず。不倫ドラマを関東大震災を背景にしてやっただけ。で主人公のテキサス・勝野洋も、やってることは『ポセイドンアドベンチャー』ジーン・ハックマン。最後は自己犠牲の自爆で水没した地下鉄の壁を爆破し水を抜き、被害者を助けるというもの。
しかし、ドラマのはじめでは、勝野洋の心は多岐川裕美に向かっており、ドラマのセオリーとしてはそこに向かうことで映画が完結することを誰もが期待するような展開だったにもかかわらず、彼の行いはそこにとじこめられた人を救うというもの。心の欲求に反して、理性がそうさせることをやってしまったためにドラマ自体がしらけまくる。これが、多岐川裕美のもとにどうしても行きたいと念じ、そのために閉じ込められた人たちと一緒に絶対そこから脱出するんだぞ!という強い意志力の話にすればこの物語はまだなんとかなっていたのに、それもできていない・・。

この映画を、表面的な道徳正義感話にしてしまい・・、理性のきいた危機管理物に出来なかった監督と脚本の才能のなさはひどい。新藤兼人にしてもこの映画じゃなかったら才能は発揮できただろうが、この映画をそんな方向性で描くというのは、きちんとした危機管理の人間のあり方を想像できなかったということ以外のなにものでもない。
勝野洋の不倫相手・多岐川裕美と、勝野洋の地下鉄での頑張りは完全に関連性がなく、物語の構成もひどい。ドラマ的になにも当初の問題点はなにも達成されることがなく(途中ですりかえられた問題点は解決されたが)、かなり消化不良のただただひどい脚本。だったらせめて多岐川裕美だけでもきれいにとってほしいのだが、ビジュアル的にはやたらとよごしまくり、ドラマ的にも煮え切らない不倫相手という立場で美しくない。

<あらすじ>
地震学者の川津陽一(勝野洋)は、近い将来、大地震が東京を襲うと直感する。陽一は観測データの異常性を訴えるが、学者たちは消極的で、防火対策は政府の仕事で、学者の職域ではないと取り合わない。そんな陽一の心を癒してくれるのは、研究所の所員、芦田富子(多岐川裕美)だけだった。
陽一は地震の権威、故川津宗近の娘、裕子(松尾嘉代)と結婚していたが、二人の間はすでに冷えていた。ある夜、陽一は別れを告げる富子に、逆に結婚を申し込む。熱いキスを交す二人。数日後、渋谷の料亭で陽一と裕子の離婚の話し合いが行なわれることになった。地下鉄で料亭に向かう陽一と裕子。部屋で仕度する富子。そこへ、震度七の地震が襲ってきた。陽一と裕子ののった地下鉄は脱線、地下水があふれてくる。一方富子のマンションは崩壊し、部屋に閉じ込められてしまう。富子を助けたのは、かねてから彼女のことを思い続けていた橋詰雅之(永島敏行)だった。一方水かさの上昇する地下鉄に閉じ込められた乗客たちは、陽一の自己犠牲により脱出することが出来た。

by ssm2438 | 2010-05-15 02:34
2010年 05月 15日

聖獣学園(1974) ☆

f0009381_1564899.jpg監督:鈴木則文
脚本:掛札昌裕/鈴木則文
撮影:清水政夫
音楽:八木正生

出演:多岐川裕美 (多岐川魔矢)

        *        *        *

日活が「日活ロマンポルノ」に転身してからというもの、東映もポルノ系の映画を発表するようになる。そのなかで、いくつか監督をこなしていたのがこの鈴木則文。他にも『トラック野郎』などのシリーズものも手がけているが、残念ながら才能を感じさせることはなかった。この映画も多岐川裕美のおっぱいがなければどうでもよい映画である。
・・・・しかああああし、その<多岐川裕美のおっぱい>というのが今となっては超貴重なものとなっているのも事実である。この映画では、修道士だった母親の死因を突き止めようと修道女った多岐川裕美が、禁断の園に入り込み悪事を暴くというもの。バラのツタで縛られムチうたれる多岐川裕美。それだけでこの映画はみる価値がある。でも対して面白いとはおもえないけど。

戒律を破ったものをお仕置きする修道院の話。『サスペリア』『女体拷問人グレタ』かというような、実にはちゃめちゃエロティックバイオレンスムービー。

f0009381_158331.jpg<あらすじ>
セントクルス修道院の修道尼だった母の死因をつきとめるため、多岐川魔矢(多岐川裕美)はその修道院の肋修女となった。院長室に忍び込んだ魔矢は、魔矢の母が心臓麻痺で死亡、と記されてあるのノートをみつけた。やがて、司祭・柿沼と院長・小笠原綾と肉体関係があり、二人で修道院の金を私欲に使っていることが分る。さらに柿沼は、修道女・北野久子を犯し妊娠させてしまった。久子が妊娠しているのが判明し、リンチが加えられた。やがて久子は舌を噛んで自殺した。実は魔矢の母も柿沼に犯され妊娠して自殺したのだった。復讐のために柿沼に抱かれる魔矢。わが子を犯してしまったことをしる柿沼。嫉妬に狂った委員長にころされる柿沼。身体を張った復讐を終えた魔矢は街の雑踏へ消えていくのだった。
もうなんでもありのはちゃめちゃエログロナンセンス映画。

by ssm2438 | 2010-05-15 02:04
2010年 05月 15日

鬼平犯科帳(1995) ☆☆

f0009381_1923100.jpg監督:小野田嘉幹
原作:池波正太郎「鬼平犯科帳」
脚色:野上龍雄
撮影:伊佐山巌
音楽:津島利章

出演:
中村吉右衛門 (長谷川平蔵)
岩下志麻 (荒神のお豊)
藤田まこと (白子の菊右衛門)
蟹江敬三(小房の粂八)
梶芽衣子 (おまさ)
世良公則 (狐火の勇五郎)

        *        *        *

親も要らねば主も要らぬ、お前さえいればいい。

テレビシリーズが人気をはくし、同じスタッフでつられたこの映画。今ひとつ志麻姐さんの鬼平に対抗するモチベーションが理解できなかったかなあ。「ちょっとなにかがあった仲」程度にしか語られていないので、そこまで復讐心をもって、関係のない人たちを殺してまでやることなのかなあと・・、ちと疑問。悪行に説得力がないのがこの映画の最大の欠点だろう。しかし、昔恋仲であった男の息子を床にさそい、恋の呪文(上記)を耳元でささやかせ、その言葉を聴くとかつての想いが噴出してきて鬼平の息子をむさぼる志麻姐さんの図・・はなんだか感動したぞ!

『鬼平犯科帳』に関しては素人の私、この映画ではじめておまさ(梶芽衣子)の背景が判った。それらしいことは薄々語られていたのだけど、これでやっとこさ、ああ、そうだったのか・・って理解した。しかし、このころの梶芽衣子はいい。この人は、実はけっこう好きな役者さんなのだけど、でも、実は日本髪はあまり似合ってはいない(苦笑)。梶芽衣子が最後に好きだったのは『動脈列島』だったかな。

<あらすじ>
鬼の平蔵(中村吉右衛門)の異名を持つ彼の前に狐火を名乗る盗賊が現れる。罪もない人々を惨殺して火を放つその盗賊は、しかし本物の狐火・勇五郎(世良正則)ではなく、彼の異母弟の文吉であった。勇五郎は文吉を成敗するために弟をおって江戸にきていたのだった。
しかし、その勇五郎とおまさ(梶芽衣子)昔恋仲であった。江戸に現れた勇五郎をかばうために情に流されたおまさを一喝する平蔵。その夜、勇五郎とおまさを泳がせて文吉一味を捕まえる平蔵。
文吉のバックには大阪一帯を牛耳る大盗賊・白子の菊右衛門(藤田まこと)がいた。江戸をその手中に収めたいと考える彼は、江戸の荒神のお豊(岩下志麻)に接近し、共謀して平蔵の失脚を狙う。菊右衛門は刺客たちを擁して平蔵暗殺を企てるが失敗。一方お豊は、平蔵の一人息子・辰蔵を肉体で誘惑し、人質にとる手はずをたてていた。しかし、辰蔵は平蔵に一喝され江戸をでる。これによりお豊の切り札をうしなってしま。
そんな折、勇五郎を流行り病で亡くしたおまさが、菊右衛門とお豊の情報を持って江戸に戻って来た。全てを知った平蔵は菊右衛門の手下の作戦の裏をかき、一味を倒すことに成功する。大阪の菊右衛門はその知らせを聞いて江戸進出を諦め、お豊も平蔵自らの手によって御用となるのだった。

by ssm2438 | 2010-05-15 01:10
2010年 05月 14日

鬼平犯科帳スペシャル『一本眉』(2007) ☆☆

f0009381_21254239.jpg監督:井上昭
原作:池波正太郎 『一本眉』『墨つぼの孫八』
脚本:野上龍雄
音楽:津島利章

出演:
中村吉右衛門 (長谷川平蔵)
勝野洋 (酒井祐助)
尾美としのり (木村忠吾)
梶芽衣子 (おまさ)
蟹江敬三 (小房の粂八)
長門裕之 (相模の彦十)

宇津井健 (清洲の甚五郎)
大路恵美 (おみち)
火野正平 (茂の市)

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池波正太郎原作で人気を博した『鬼平犯科帳』、その2時間スペシャル。監督は旧大映系監督の井上昭。さすがにテレビシリーズからもう10年以上もたっているので、登場人物が老けてきている。中村吉右衛門も立ち回りはジャイアント馬場なみの遅さで動きもスムーズではなくかなり不自然。殺陣師の方々はそれらしくみせるのにくろうしたであろう。また平蔵の妻の多岐川裕美も、おまさ役の梶芽衣子も目元のくすみがかなりつらい。だいたい長谷川平蔵は火付盗賊改方についていたのは40代前半から50代前後までだったような。みなさん平蔵も、女優人も、みんながみんなちょっと年取りすぎのような気がした。まだつづけるのならそろそろ世代交代してもよいのでは。個人的には役所広司に平蔵やってほしいが・・。

『鬼平犯科帳』のテレビシリーズの魅力というのは、やはり平蔵の懐の深さだろう。サラシーマン人生につうじるところを感じる。人柄はおおらかで、人情味にあふれ、盗人になった者たちにも義理人情にあつい。しかし凶悪は罪のまえでは、拷問してはかせることも辞さない鬼となる。この作品では、通称“一本眉”と呼ばれる盗賊の頭領と親睦をふかめていく。ただ、原作は『一本眉』と『墨つぼの孫八』という二本の話を一つの話にまとめているので若干複雑な仕上がりになっている。ただ、同じテレビスペシャルの『兇賊』よりはこちらのほうが面白かった。
ちょっとお買い得だったのがみちにを演じた大路恵美。よかった。まるで『ウルトラセブン』に出てくるアンヌ隊員菱見百合子を髣髴させた。

池波正太郎の原作ものというのは、江戸時代の文化背景がしっかりしているので、みていて勉強になる。ただ、平蔵が活躍していた時代は、松平定信の時代で、文化的にはちょっと下火だった頃。それ以前は田沼意次の重商主義政策で、町人文化は花開いたこともあったのだが、その辺面役人と商人による利権賄賂政治の腐敗がすすんだこともあり、モラル重視で重農主義にかたむいた。幕府の学問所である昌平坂学問所では朱子学以外の講義を禁じ、書籍出版取締令により出版統制についても行っている。ゆえに、奇麗事の政治だったので今ひとつ時代的にはつまらない時代だったといえるだろう。

<あらすじ>
寛政四年師走の江戸で、押し込み強盗が起こった。店もものは皆殺し。錠前を真っ二つに切断して店に侵入していた。いたことを手掛かりに探索するが、これだけの技術力をもっているものは鍛冶屋か鉄砲職人の経験のあるものに違いないと目をつけた火盗改方長官・長谷川平蔵は、通称「一本眉」と呼ばれる老盗賊・清洲の甚五郎(宇津井健)が以前鉄砲職人だったことを突き止める。その甚五郎は、こともあろうに木村忠吾(尾美としのり)と飲み友達となっていて。平蔵もこの甚五郎と一晩酒を酌み明かすが、平蔵の男気にほれた甚五郎は、3年もまえから計画していた幕府おかかえの問屋への強盗計画をほのめかし、こともあろうに平蔵を仲間に引き入れようとする。鐘は盗むが人はころさないというその生粋の職人盗人である甚五郎が凶悪な押し込み強盗ではないと判断した。犯人は別にいた。その甚五郎のかつての手下で佐喜蔵(遠藤憲一)という男だった・・・。

by ssm2438 | 2010-05-14 21:25
2010年 05月 13日

ファンタスティック・フォー(2005) ☆

f0009381_22381479.jpg監督:ティム・ストーリー
脚本:マイケル・フランス/マーク・フロスト
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョン・オットマン/ミリ・ベン=アリ

出演:
ヨアン・グリフィズ (リード・リチャーズ)
ジェシカ・アルバ (スー・ストーム)
クリス・エヴァンス (ジョニー・ストーム)
マイケル・チクリス (ベン・グリム)
ジュリアン・マクマホン (ビクター・バン・ドゥーム)

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うむむむむ・・、このゴム人間・・・、なんか無理があるようなきがするのだが・・。

あれが他の能力だったらもうちょっと楽しめたのに、なんかゴム人間だけがちょっとファンタジーの中でも日現実過ぎた気がした。おかげでなかなか入り込めなかった。気が抜けるとぐにゃああああああんとなってとろけた飴のようになるのはいかがなもんかなあ。ジェシカ・アルバと“H”したあと、射精したらぐにゃああああああんんとなるのかなあとかさ・・、変なことまで想像してしまう。

しかし、コンセプトがご都合主義的すぎるきがした。まあ、作っている本人たちはそんなこと分ってやってるのだからそれはそれでいいのかもしれないが・・、私はあんまり入り込めなかった。

あと、ジェシカ・アルバの金髪は・・・なんかもうひとつだったなあ。ブラウンヘアの時のほうが好きだ。

<あらすじ>
若き天才発明家であるリード・リチャーズ(ヨアン・グリフィズ)は、宇宙嵐が人間の進化に多大な影響を与えたと考えていた。そしてその宇宙嵐が地球に接近していることを知る。リードは、大学時代のライバルで億万長者のヴィクター(ジュリアン・マクマホン)に資金提供を相談する。
リードの研究を自分の功績にできるチャンスだと企んだヴィクターは、協力を承諾。ヴィクターの研究所の遺伝子研究の女性責任者のスー(ジェシカ・アルバ)、彼女の弟ジョニー(クリス・エヴァンス)、リードの元同級生でベン(マイケル・チクリス)を加えた5人で、宇宙ステーションへと飛び立つ。しかし宇宙嵐のなかで放射線を浴びてしまった彼らは特殊な能力をみにつけていた。
一方、ヴィクターは多大な投資をした実験が失敗に終わり、その怒りから、邪悪なパワーを持った存在へと変身。ニョーヨーク市民を恐怖のどん底に叩き込む。それを食い止めようと4人は立ち上がり、ヴィクターを倒した彼らは、"ファンタスティック・フォー“として、これからも自分たちの能力を人々のために役立てることを決意するのだった。

by ssm2438 | 2010-05-13 22:39
2010年 05月 12日

白い巨塔(1966) ☆☆☆☆

f0009381_11221461.jpg監督:山本薩夫
原作:山崎豊子
脚本:橋本忍
撮影:宗川信夫
音楽:池野成

出演:
田宮二郎 (財前五郎)
東野英治郎 (東教授)
小沢栄太郎 (鵜飼教授)
田村高廣 (里見助教授)
船越英二 (菊川教授)
石山健二郎 (財前又一)
長谷川待子 (杏子)
小川真由美 (ケイ子)

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なんぼやー、なんぼいるんやああああ!?
この露骨な表現は単刀直入でいいなあ(笑)。


ドラマの基本構造というのは、観客を主人公に感情移入させ、主人公に勝利させ、同時に観客にもその感動をシェアしてもらう・・というもの。この感情移入というプロセスがないければ物語はおもしろくはないものだけど、この『白い巨塔』に関して言えば、感情移入できるキャラクターが不思議といないのである。なのにみていて面白い。どろっとしているが、からっとしていて、ストーリー展開とキャラクターの業だけでみせてしまう。これはひとえに山崎豊子の原作と橋本忍のシナリオの語り口の上手さが原因なのだろう。

しかし、これだけ業の強いキャラクターであるにもかかわらず、これだけ感情移入できないというのは不思議な話だ。私が男で、原作者が女性だからだろうか? 主人公の財前五郎にしても、野心家であり、外科医として最高の技術をもっているにもかかわらず、権力思考であり、そのためにはへつらうところにはとことんへつらう。そしてチキンハートな部分も十二分に持ち合わせている。このチキンハート名部分がなんとか観客と主人公とつなぎとめておく唯一の絆なのだろう。しかし、生産性を感じさせてくれないのだ。外科医として難しい手術を成功させることに燃えるとか、知識とか技術力とかの向上をつねに目指しているいう性格が描かれていれば納得いくのだが、それがない。すでに立場も技術力もある(もう進化しない)野心家で、なおかつこびるところにはこびるというのが、女性がつくったキャラクターだなあと思ってしまう。
これは財前五郎に限らない。ほかのキャラクターも、女性脳が作った男性キャラクターだなあってつくづく思う。善人一筋の里見先生にしても、ひたすら財前五郎を主任教授にしたくない東教授も、常にぶれない鵜飼教授も、どこかしら「男」とはなにかが違うエッセンスがある記号的キャラだ。
多分この映画はきわめて完成度の高い究極の少女漫画なのだろう。

<あらすじ>
浪速大学医学部では、主任教授の東教授(東野英治郎)の定年退官後の後任をめぐって、さまざまな勢力争いが行われていた。東教授の教え子財前五郎(田宮二郎)は最有力候補と目されていた。貧しい家庭に生まれた五郎は人一倍名誉欲が強く、苦学して医学部を卒業した後、裕福な開業医財前又一(石山健二郎)の婿養子となり、その財力を利用して、助教授の地位を手にしたのである。しかし、東は五郎の傲慢不遜な人柄を嫌って、五郎だけにはその席を譲りたくないと考え、東の出身校東都大学系列である金沢大学医学部の菊川教授を、後任教授に推薦した。
そんなある日、五郎は、同期生である里見助教授(田村高廣)の依頼で胃癌患者を手術した。手術は成功したが、術後の患者の様態はかんばしくなかった。教授選にむけて票数工作に気をとられて五郎は彼にかまってやれないまま、彼を死なせてしまう。教授選の日、様々な思惑をもって投票が行なわれたが、結局、五郎と菊川が日を改めて決選投票を行うことになり、財前又一の金力を背景にもつ五郎があらゆる手段を用いて教授の地位を手にした。
ところが、先に志望した患者の遺族が、五郎に対して誤診の訴訟を起した。これはマスコミの注目するところとなった。里見助教授は、純粋に医学上の立場から五郎の医者としてのモラルの欠如を語った。手術にミスかがあったか否かを判断するために鵜飼教授(小沢栄太郎)による死亡患者の解剖も行われた。鵜飼教授は、先の教授選で五郎からの買収工作を断った一人だった。彼も五郎の権力志向の姿勢をひどく嫌っていた。しかし、鵜飼は賄賂を渡そうとしたが断られた正義観の強い教授だった。五郎の権力志向の姿勢をきらっていた鵜飼だったが、私情を挟まない彼は「その手術は完璧であった」と証言する。里美は大学を負われることになり、財前五郎は白い巨塔の中を自信たっぷりに回診していく。

by ssm2438 | 2010-05-12 11:11