西澤 晋 の 映画日記

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2010年 06月 28日

ウディ・アレンの 愛と死(1975) ☆☆☆

f0009381_2211189.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ギスラン・クロケ
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ

出演:ウディ・アレン/ダイアン・キートン

       *        *        *

ギスラン・クロケ燃えるウウウウウウウウウウっ!!!

個人的に、ウディ・アレンのコメディセンスが面白かといわれると「全然そうは思わない」と答えるのだが、この人の画面構成力とディープは人間分析と心理描写は崇拝に値する。すくなくとも私の大好きな映画10本の中にウディ・アレンが監督した『インテリア』が入っている。おかげで昨今の作品で全然燃えなくても、ウディ・アレンは好きな監督さんのなかに入っている。

70年代のウディ・アレンの画面はほとんどゴードン・ウィリスが担当していた。しかしこの映画はちょっとフェイントをかけてギスラン・クロケである。初めてのこの映画を見たときは、「あれ? 誰これ? めっちゃいい画面撮るじゃん!!!!」って感動。即 allcinema オンラインでチェック、そしたら「ギスラン・クロケ」という人らしいことがわかった。他にどんな作品やってるんだろうってチェックしたら・・・・おおおおおおおおおおおおお、『テス』ですよ。そら、良い画面とるわ!って納得してしまった。

つくづく思うのだが、ウディ・アレンの画面構成は、めちゃくちゃ演出意図的に整理されているのだ。アップとロング。ごちゃごちゃしてる画面とシンプルな画面、そのメリハリがとても職人技的で良い。なおかつ、演出意図がとてもはっきりしている。あるいははっきりしすぎるからぼやかしているところもある。その点についていえば私はこの映画よりも『マンハッタン』が好きだ。とにかく知能指数の高い画面構成をいつも展開してくれるのがウディ・アレンである。

お話は・・・個人的にはどうでもいい。ダイアン・キートンにそそのかかされて、当時飛ぶ取り落とす勢いだったナポレオンの暗殺を企てるが失敗、結局とらられてあっさり処刑される話。その男の回想として物語は展開していく。

最後は、死は終わりでなく、生活費節約の早道・・・だそうな。

カッコつけただけで、あまり真実味がないのでどうでもいい言葉だ。

by ssm2438 | 2010-06-28 22:01 | ウディ・アレン(1935)
2010年 06月 28日

ウディ・アレンの 影と霧(1992) ☆☆

f0009381_042246.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:カルロ・ディ・パルマ

出演:
ウディ・アレン (マックス・クラインマン)
ミア・ファロー (アーミー)
ジョン・マルコヴィッチ (道化師)
マドンナ (マリー)
ジョン・キューザック (ジャック)
ジョディ・フォスター (娼婦)
キャシー・ベイツ (娼婦)

       *        *        *

役者人はかなり豪華だが・・・個人的にはイマイチだったかなあ。

霧の街+光と影+切り裂きジャックとくれば、これは『第三の男』的な画面が展開されるのかなって期待したのだが・・、どっちかいというフリッツ・ラング的な雰囲気だった。てっきり舞台はロンドンだと思い込んでいたが、「中央ヨーロッパのどこかの街」って設定だったのですね。
日本ではけっこう評価されていたこの映画だが、どうしてかなあ・・・、個人的には90年代になると(というか既に80年代からだけど)ウディ・アレンの映画が輝くなって来ている。70年代のウディ・アレンの映画はとても引かれるものがあったののに・・。

願わくばこの映画は、ゴードン・ウィリスにとってほしかった。そしたらきっとかなり良い画面になってたんじゃないだろうか。この映画の撮影監督さんはカルロ・ディ・パルマ。ウディ・アレンとは『ハンナとその姉妹』(1986)からの付き合いみたいだが、ゴードン・ウィリスのようなガツンが黒の絞りに魅了されていた私にとってはちょっとぼやんとした感じ。この映画もせっかく霧をつかって空間の光と影を表現できるお膳立てはととのっていたのに、どうも光と影のコントラストが弱いんだ。まあ、私の場合は視覚がゴードン・ウィリス基準になっているのでしかたないが・・・、残念。

<あらすじ>
1920年代、中央ヨーロッパのある街にサーカス団がやってくる。曲芸師のアーミー(ミア・ファロー)は、恋人のピエロ(ジョン・マルコヴィッチ)とケンカ別れしてサーカス団を飛び出した。アーミーが転げ込んだのは娼館で、そこに大学生のジャック(ジョン・キューザック)が現れ、700ドルでアーミーを抱きたいと迫る。渋々承知したアーミーだが、売春容疑で警察に逮捕されてしまう。
その街では霧の深い夜になると連続殺人が発生し、人々は恐怖に脅えていた。平凡な事務員のクラインマン(ウディ・アレン)もしぶしぶ自警団に参加させられる。
アーミーの保釈後、クライマンとアーミーは霧の街を徘徊する。学生から得た金を教会に献金し、残りを通りがかりの赤ん坊連れの女に与えるアーミー。しかしここで不条理がクラインマンを襲う。どういう因果か、クライマンに連続殺人の容疑がかけられてしまう。逃げるクライマン。
クラインマンとはぐれたアーミーは、元恋人のピエロと会い、さらに前出の女が殺されているのを見つけ、のこされた子供を二人で育てることにする。たぶんこれでこの二人はとりあえずめでたしめでたし(?)。
一方クラインマンはサーカス小屋の近くで絞殺魔に襲われ、ちょうどいた魔術師と協力して、魔術を使って殺人鬼を捕まえる(苦笑)。クラインマンは魔術師から助手になるよう誘いを受け、彼は第二の人生を歩むことになる。魔術師は言う、「人間には幻想が必要なんだ。空気と同じようにね」。

「人間には幻想が必要なんだ。空気と同じようにね」・・・これはきわめて理解できるのだけど、なんだかもういいやって感じ。おまけに私は「不条理モノ」というのが根本的に嫌いみたいだ。おかげで全然乗れなかった。いや、それ以外にもいろいろあると思うけど。
このころまでは70年代のウディ・アレンを慕ってなんとか彼の映画をフォローしていたのだが、この映画でウディ・アレンのフォローをやめてしまった。それから10数年はウディ・アレンの新作を見ることはなく、ここ最近になってまたときどきウディ・アレンを見直しているのであった。

by ssm2438 | 2010-06-28 00:46 | ウディ・アレン(1935)
2010年 06月 25日

誘惑のアフロディーテ(1995) ☆☆

f0009381_22423041.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:カルロ・ディ・パルマ

出演:
ウディ・アレン (レニー)
ヘレナ・ボナム=カーター (妻・アマンダ)
ミラ・ソルヴィノ (養子の実の母・リンダ)

       *        *        *

いやああ、けっこう俳優人はメジャーな人が一杯いる。

70年代のウディ・アレンは大好きだったのに、それが80年代にはいり、90年代にはいるとなぜは面白く見られない。なんででしょうねえ? これはそんなウディ・アレンの90年代の映画。しかし、その軽さでは嫌いではないほうの映画かな。

しかし、はやり70年代のゴードン・ウィリスが撮っていたころの画面のほうが好きだ。ゴードン・ウィリスのあとはこのカルロ・ディ・パルマが主にウディ・アレンの映画を撮っていたのだけど、この人は・・・、ミケランジェロ・アントニオーニ時代のほうが良かった。あの頃の画面を知っているので、カルロ・ディ・パルマがけっしてゴードン・ウィリスに劣る撮影監督だとは思わないのだけど、ウディ・アレンと組んでる時の画面はそれほどときめかないのも事実だ。なのに、この二人はけっこう長い間一緒に仕事をしている。何がよくってこんなに続いたのだろう。ウディ・アレンに関する一つの謎だ。

精子にみたてたアスリートがいっせいにスタート、だああああああああああって走っていくんだけど、「なんだ、ブロージョッブか」ってだれるところだけ、妙にはまった(苦笑)。

全然マイナーなところだが、ヘレナ・ボナム・カーターの母役で、クレア・ブルームが出演している。『まごころを君に』(原作『アルジャーノンに花束を』)のアリス・キニアンである。

しかし・・・ミラ・ソルヴィノ嬢はウディ・アレンのツボにははまらなかったのでしょうな。
私もちょっとはずしてるからなんとなく判る(苦笑)。ウディの趣味と私の趣味はけっこう似てるようなので・・。

<あらすじ>
スポーツライターのレニー(ウディ・アレン)と妻アマンダ(ヘレナ・ボナム・カーター)との間に子供はなかった。しかしアマンダがレニーの反対を無視して養子をもらってしまうと、レニーは子供をマックスと名付け、親馬鹿ぶりを発揮する。
マックスは利発でハンサムで性格も最高の子供に育っていく。そのお利巧さんぶりをみせつけられたマックスは、その両親はさぞかし理想的な人物のはずだと考え、好奇心を抑えきれずその母の消息を尋ねる。しかし、彼女はリンダ・アッシュ(ミラ・ソルヴィーノ)という娼婦だった。話をするだけのつもりだったレニーだが、なぜか彼女が忘れられず、彼女のアパートに通い、やがて親しい友人で相談相手になってしまう。リンダは女優志望だというが、出演はポルノ映画ばかり、ところが彼女はそれを何とも思っていないあっけらかんとした性格。リンダに恋してしまったレニーはバスケットボールの試合のチケットをエサにリンダを娼婦の元締めから解放してやり、ケヴィンという男とのお見合いまでセッティングしてやる。
リンダとかかわっている間にアマンダとの溝はふかまり別居。一方、順調に行き始めたかに思われたケヴィンとリンだのなかは、リンダが娼婦だと知ったケヴィンが怒って田舎に帰ってしまった。レニーは失恋したリンダを訪ね、そんな流れ出ついつい彼女と寝てしまう。
実はリンダはレニーとの一度のセックスで妊娠した。ある秋の午後、大きな玩具店でマックスを連れたレニーと、娘を乳母車に乗せたリンダがばたり出会った。二人はお互いに、相手が連れているのが自分の子だとは気づかないまま、挨拶を交わして別れていった。

by ssm2438 | 2010-06-25 22:44 | ウディ・アレン(1935)
2010年 06月 25日

優駿 ORACION(1988) ☆☆

f0009381_21432954.jpg監督:杉田成道
原作:宮本輝
脚本:池端俊策
撮影:斉藤孝雄/原一民
音楽:三枝成章

出演:
斉藤由貴 (和具久美子)
緒形直人 (渡海博正)

     *      *      *

思ったより盛り上がらなかったかなあ・・。

このころが、フジテレビが映画産業に顔をだしはじめた時代。原作は吉川英治文学賞およびJRA賞馬事文化賞受賞作をうけた宮本輝の小説『優駿』。フジテレビ開局30周年記念作品として制作し、当時『スケバン刑事』など人気をはくしていた斉藤由貴を主演に抜擢し、制作された。ふしぎなもので、テレビ局が制作した映画というのはどこか映画っぽい重厚さがないんだよ。しかし親しみ感はたしかにある。敷居が高くないのである。たぶんテレビの癖で、物語の説明が行き届きすぎているのだと思う。
てれびというのは、一週見逃した人でもなんとか捕まえるように、イベントをさりげなく繰り返して説明しているもので、映画よりも説明がおおいのである。それに対して映画というのは、時間が2時間かそこらなので、全部説明するわけには行かず、ある程度象徴的に描いて、本質は見ている人に理解してもらうしかない性質のものだ。その辺の脳内把握活動が、映画のほうが味わいあるのだろうなって思う。

この映画は・・、まあ、酷評するほど悪くもないし、やっぱり普通にみられる。

個人的には撮影に原一民の名前があるのが嬉しい。この人の望遠も好きである。やっぱり馬は望遠だな。

<あらすじ>
北海道・静内の牧場主・渡海千造(緒形拳)と彼の息子、博正(緒形直人)は、伝説の名馬ゴドルフィンの種を受け継いだオラシオンを授かった。和具工業社長の平八郎(仲代達矢)はオラシオンを3千万円で買い、娘の久美子(斉藤由貴)がオラシオンの馬主となった。
本格的な調教を受けるオラシオンだが、一時は脚のケガで競争馬生命を危ぶまれた。しかし奇跡的に回復していった。デビュー戦を優勝で飾ったオラシオンは勝ち進み、ダービーに出場する権利を得た。和具は会社を買収され、渡海も胃ガンでダービー直前に息を引きとった。ケガの後遺症が心配だったオラシオンだが、ダービーで優勝、和具は久美子、博正と共に、牧場を始めることにした。

もうちょっとシンプルに作れば感動しそうな話なのだけど、どうしても物語り自体がけっこう複雑で、活字でよめばたのしめるのだろうけど、2時間程度の映画だと今ひとつ消化不良だったかな。もうすこし登場人物を整理するなり、イベントを整理するなりして、感情移入をきちんと起こさせるエピソードだけに絞り込んでほしかったかな。

by ssm2438 | 2010-06-25 21:44
2010年 06月 25日

漂流教室(1987) ☆

f0009381_2115593.jpg監督:大林宣彦
原作:楳図かずお
脚本:橋本以蔵
撮影:志満義之/宝田武久
音楽:久石譲

出演:
林泰文 (高松翔)
浅野愛子 (あゆみ)

       *        *        *

浅野愛子以外は全部ダメ。。。

これは人材不足もいいところでしょう。特撮の技術がまるで幼稚。救いようのない学芸会上映映画になりさがっている。大林宣彦の映画には特に感心があるわけでhないが、これだけはいただけない。

浅野愛子はなかなかかわいくて、当時『夏の妹』というヌードの写真集をだしてたい。実は今も持っている(苦笑)。まだ16~17歳くらいだったと思う。おっとりとしたもちもち感はとてもいい感じ。彼女脱いでもらえば少しはこの映画も見るべきところがあったのに・・。

楳図かずおの原作は、絵は怖いが当時なかなかコアな人気があった作品で、未来にとばされた子供たちのサバイバル物語だった。けっこう救いようのないような現実を受け入れていかなければならないような話だったが、物語の本質は、滅んでしまった未来の世界を復活させるために、過去から未来にまかれた種という設定だった。

by ssm2438 | 2010-06-25 21:15
2010年 06月 25日

ウォー・ゲーム(1983) ☆☆☆☆☆

f0009381_3413661.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ローレンス・ラスカー
    ウォルター・F・パークス
撮影:ウィリアム・A・フレイカー
音楽:アーサー・B・ルビンスタイン

出演:マシュー・ブロデリック
    アリー・シーディ

       *       *       *

80年代の映像クリエイターたちはリドリー・スコット『エイリアン』『ブレードランナー』をさまざまな分野でコピーしまくったのだが、実はそれ以上に彼らにインパクトを与えた映画がある。それがこの『ウォー・ゲーム』だ。
この映画はリドリー・スコットの先にあげた2本の映画のようにヘビーテイストではないので軽んじられてるが、この映画のなかで提示されたことは、それ以降の映画やアニメに多大な影響を与えている。大パネルがある司令室も、結局この映画からほとんど進化してないし、パソコンオタクの描写も結局この当時のままだ。もちろん今ではもっと部品が少なくなっている分、昔のほうが専門的にみせやすいという部分もあるだろうし。

そして監督がジョン・バダム。専門分野の小技をきちんとみせつつ、誰にでも分かるように見せてしまう。この専門分野の理解し易さこそがこの人の持ち味なのだ。そして物語りもヘビーすぎる、軽すぎず、ころあいのいいところできちんと料理されている。たしかにアカデミー賞には程遠い人だが、庶民がなにを見たがっているのか、その欲求をきちんと理解し、それを提示してくれる。よくもわるくも職人なのだ。

<あらすじ>
吹雪の中1台の車が人気のない山間の小屋に到着する。車からおりたふたりの男は家に中に入り、鏡に向かってなにやらIDらしいものをみせるとドアがひらく。その山小屋はミサイル発射のコントロール室の入り口なのだ。そして中にいた二人と交代。その直後に緊急信号がはいってくる。二人は命令書で暗号を確認、ミサイル発射命令だと認識しる。核ミサイルはコントロールルームの二人が一緒にキーをまわさなければ発射されない。一人は「何かの間違いだ、センターに確認する」といい、もう一人は「そのような肯定はない」と銃を向ける。カウントダウンがゼロにちかづいていく。前者の隊員は「私には出来ない」とキーから手を離す。
後にわかるのだがこれはミサイル発射の模擬訓練だった。この結果22%の兵士は命令にしたがわなかったことが判明。マッキントリック博士はコンピュータWOPRに総ての工程をまかせ、発射までのプロセスから人間を取り除くことを提案する。

シアトルの高校生デビッド・ライトマン(マシュー・ブロデリック)は、学業の方はたいしたことはないがパソコンに関しては天才少年だった。授業態度を注意され校長室に呼ばれると、学校のコンピューターの今月のパスワードを盗み見、自宅にかえると自分のパソコンを学校のパソコンにログオンして生物の成績をF(落第)からC(水準)に変えてしまう。
電話代はどこぞの電話会社のコンピュータに進入していじくったらしく常時接続も可能にしているし、飛行機のチケットもパソコンで予約をいれほうだい。海外のホテルだって予約しほうだい。
なにせ25年まえにこれを見せられた私にしてみれば「コンピュータというのは何でも出来るんだ!」と感動したものだ。
たしかに今となってはコンピュータといういいわけをすれば何でも出来るという約束事になってしまい<パソコン使って何でも出来る>というコンセプトは、ダサいストーリーの典型になってしまってはいるが、当時ではまさにカルチャーショックだった。

そんな彼がどっかのメーカーが出す最新の戦略ゲームを先取りしたいと思い、片っ端からそれらしい電話を掛け捲り、偶然国防省の戦略コンピュータWOPRにアクセスしてしまう。いくつかのゲームがリストにならんでいるがログオンの仕方が分からない。大学のパソコンオタクたちに知恵をかりるデビッドは「製作者は自分だけはすぐプログラムに入れるように裏口を作っているはずだ。そこから入れるかも」とアドバイス。
「でも製作者がだれかもわからない」と聞くと
「ゲームリストのなかに<フォルケンの迷宮>というのがある。それが製作者じゃないか?」

デビッドは1週間も学校を休んでフォルケンという人物を調べ始める。裏口があったとして、そこをくぐるにはパスワードが必要になってくる。そのパスワードになりそうな言葉を捜しているのだ。全然学校にあらわれないので女友達のジェニファー(アリー・シーディ)が心配して彼を訪ねてくる。散らかっている書類のなかからフォルケンの事故で死んだ子供の記事をみつけるが、デビッドはその子の名前がパスワードではないかと思いつく。<ジョシュア>といれてエンターキーをたたくと見事にログオン。
そしてオンラインで全面核戦争ゲームを開始、デイヴィッドはソ連側をせんたく、ためしにラスベガスを攻撃するように設定する。

しかし国防省ではいきなりモニター画面にミサイルの軌道が提示され、その先にラスベガスがある。緊急事態を宣言するが、そのミサイルの予測軌道はぷつっと途切れる。l狐につままれたような一同。

FBIはそれがデビットの仕業であることを突き止め彼を北米防空司令部に連行する。
「アクシデントでそうなっただけだ」と主張するデビッドだが信じてもらえない。その間にもWOPRはさらなるシュミレーションをしている。メインスクリーンにはソ連のミサイル原子力潜水艦がそれぞれの攻撃ポイントに終結していく様子が映し出されている。それを信じている国防省は迎撃体制をとるが、ソ連からは大統領あてに「無意味な挑発はするな」と連絡がはいっているらしい。

自分の言葉を信じてもらえないデビッドは、フォルケン教授をつれてきて説明してもらうしかないと判断、北米防空司令部からの逃亡をはかるのだが・・・。


とにかくパソコンオタクの専門的知識とテクを披露するマシュー・ブロデリックがすごいすごい。それが実際可能なことなのかどうかは疑問だけど、それでもそれを納得させるだけのジョン・バダム小技演出が洒落ている。

そしてジョン・バダムの要求する画面を実にテクノな照明でたたせるウィリアム・A・フレイカー。この人の使う赤や青のネオン光の照明はじつにかっこいい。そしてそれを引き締める露出アンダーの黒。スピルバーグの『未知との遭遇』もこの人の撮影だが、巨大スクリーンが並ぶ北米防空司令部のライティング、ミサイルの軌道は迎撃する戦闘機をあらわすモニターの色づかい、フォルケン教授の家の中の映写機をまわしながらのライティングやそのあとのヘリコプターの照明。そしてきわめつけのモニター上だけの戦争。この人の重厚でメリハリの効いた派手なライティングはこういったドラマには実に合う。

そしてヒロインのアリー・シーディ。この3年あとに『ショートサーキット』でもジョン・バダムの作品に出ているが、彼もアリー・シーディのことを気に入っていたのだろう。こおころの彼女はホントに元気娘でみていて実にきもちがいい。

by ssm2438 | 2010-06-25 01:48 | ジョン・バダム(1939)
2010年 06月 24日

ミラノの奇蹟(1951)  ☆☆☆

f0009381_23161364.jpg監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ
    スーゾ・チェッキ・ダミーコ
撮影:G・R・アルド
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ

出演:フランチェスコ・ゴリザーノ

       *        *        *

うむむむ、そこまでファンタジーに振ってしまいますかっ・・(絶句)。

第一部は『どですかでん』『どん底』かって展開でしたが、第二部にはいってからは理性はじけまくり、天使がでてくる『素晴らしき哉、人生』『ET』かってのりです。なにしろ最後はみんなで空に飛んでいってしまいます。あまりにギャップが激しいので、どう解釈していいものやら・・・(苦笑)。イタリアン・ネオリアリズムばっかりやってたデ・シーカ自身の自分に対する鬱憤晴らしだったのでしょうか。

ヴィットリオ・デ・シーカはイタリアン・ネオリアリズム(「ネオレアリズモ」とも言う)の巨匠で、ファンタジーには傾倒せず、ひたすら現実的な世界観でドラマを展開していた監督さん。個人的にも大好きな監督さんの一人なのですが、この映画だけはそれまで性格を一気に覆す怒涛のファンタジーにしてしまいました。

1951年のカンヌの映画祭でグランプリ(現在つかわれているパルム・ドールという文言はこの時代では使われていなかった)。NY批評家協会賞でも外国語映画賞を獲得している。きっとはじけすぎたので、見る側もどう解釈していいのかわからなくなっていたのだろう。個人的には、そんな大騒ぎするほどの作品ではないと位置づけているのだが・・。

<あらすじ>
戦後のイタリア。その少年トトは、キャベツ畑でロロッタ婆さんに拾われ、婆さんは死んだあとは孤児院に引き取られ、18歳になったトト(フランチェスコ・ゴリザーノ)はミラノの街に放り出された。高度経済成長期に入ったイタリアだったが、その日暮らしの貧しい人たちも大勢いた。
気の好い性格のトトは乞食の爺さんと知り合い、街外れの広場にある堀立小屋に泊めて貰うことになった。暖かくなるとあり合せの材料を集めて掘っ立て小屋をつくると、家のない人々は続々と集って来た。
ある日、広場の真中から石油が噴き出すという事件が起った。この広場の所有者である資本家モッビは、それまで貧民の友のような顔付きをしていたが、私兵を差し向けて住民たちを武力で追立てをはじめた。
この時、天から降りて来たロロッタ婆さんの霊は、すべての望みを叶える天の鳩をトトに与えた。広場を救ったがトトだが、住民達はその鳩の威力に目をつけて各々私腹を肥すための金品をほしがり始めた。気のいいトトは、人々の言うなりに鳩を利用したが、天使が降臨しトトの知らぬ間に鳩を取返してしまう。
再びモッビの軍勢は広揚に押し寄せ住民はトトもろとも、檻獄馬車に押し込まれ強制退去されたれた。エドウィジェ(トトに想いをよせていた少女)とロロッタの霊は再び鳩を取戻してトトに渡した。トトはみんなをつれて、理想の国へ向ってウルトラマンのように飛去って行った。

by ssm2438 | 2010-06-24 23:17 | V・デ・シーカ(1901)
2010年 06月 24日

野ゆき山ゆき海べゆき(1986) ☆☆☆

f0009381_1312111.jpg監督:大林宣彦
原作:佐藤春夫
脚本:山田信夫
撮影:阪本善尚
音楽:大林宣彦

出演:
鷲尾いさ子 (お昌ちゃん)
林泰文 (須藤総太郎)
片桐順一郎 (大杉栄)

       *        *        *

鉄骨娘の乳房が世に出た唯一の作品!そういう意味では超貴重。

最初この映画をみたときは「ええっ、鷲尾いさ子って脱いでたんだ!!!??」ってちょっと感動。それまではおもわせ振りのセミヌードはあってもきちんと乳房が見られるような写真はなかったのだが、この映画ではきっちり披露してくれている。

映画の全体的印象はとてもいい。いいシーンを一杯ある。しかしダサい演出も一杯あってそのたびに一気に興ざめさせられる。この混在ぶりはどう解釈していいモノかと悩ましい。しかし鷲尾いさ子演じるお昌ちゃんはおそろしくまぶしい。彼女がでてくるシーンだけのパーソナル編集版をつくっておきたい気分だ。
映画はカラー版と白黒版があるのだが、カラー版だとダサい演出のときにダメージがおおきいので、あるていど白飛ばしがきいている白黒版のほうがトータル印象としてはいいかな。

鷲尾いさ子演じるお昌ちゃんを想っている男はかずかずいる。そのひとりは片桐順一郎。しかし彼は同じ父をもつ弟(母はちがう)。どんなに結婚したいとおもっていても叶わぬ夢。もうひとりの少年須藤総太郎は、学年的にもなるかに子供で「総太郎は好きよ。でも、いつまでたっても私より大きくなってくれないでしょ」と決定的な言葉を受ける。あと10年もすれば違ったことになってるかもしれないが、さすがに少年時代なのでそれはなかなか越えられない壁である。
この二人が正直に「お昌ちゃんが好きだ」という意思表示の元、お昌ちゃんを奪い合うわんぱく戦争はじつにみていてうらやましいかぎりだ。男がほんとに大事なものをもとめて戦うというのは、それを失った時に恐ろしさで本来出来ないものだが、この二人はそれを子供時代に実行できているのである。・・・ただ、これはあくまで、本来子供たちが持つ感受性の繊細さを作り手が封印しているからこそ出来る話であり、無条件にすばらしいともいえないのだが・・・。

<あらすじ>
尾道の第一尋常小学校に第二尋常小学校から大杉栄(片桐順一郎)が転校してきた。須藤総太郎(林泰文)はその姉、お昌ちゃん(鷲尾いさ子)に恋心を抱く。しかし彼女には筏乗りの早見勇太(尾美としのり)という恋人がいた。
やがて大杉栄とクラスのガキ大将と覇権を争うようになり、それはエスカレートして遂には第一小学校側と、第二小学校側の大喧嘩となる。お昌ちゃんから相談された総太郎は、一定のルールに従い武器を使用禁止の戦争ごっこを提案した。夏休みに入り、戦争ごっこが始まった(この戦争ごっこはなかなか楽しい)。
最後は、栄と総太郎は一対一の勝負で、タライ舟から先に川に落ちた方が負けという決闘をした。お昌ちゃんが審判だったが、勇太の姿を見て役目を放棄してしまう(ああ、女は残酷ないきものだ)。
ある日、総太郎と栄は栄の母、里が夫の繁太郎の借金のためにお昌ちゃんを四国の遊郭に身売りしようとしていることを知った。また勇太にも赤紙が来る。彼はお昌ちゃんと駆け落ちすることを決心するのだが、仲間の戦死を知り、その遺骨を抱く老婆の姿を見て軍隊にはいる決意をする。しかし、お昌ちゃんが売られるのを知った勇太は脱走し、お昌ちゃんを連れ戻す。しかし(尾美としのり)やはり彼女に恋心をいだく青木中尉(佐藤浩市)が燈台から勇太を狙撃。お昌ちゃんは小舟に火をつけ、二人は小舟と共に水没していくのだった。

by ssm2438 | 2010-06-24 13:17
2010年 06月 24日

マルタの鷹(1941) ☆

f0009381_10482593.jpg監督:ジョン・ヒューストン
原作:ダシール・ハメット
脚本:ジョン・ヒューストン
撮影:アーサー・エディソン
音楽:アドルフ・ドイッチ

出演:
ハンフリー・ボガート (探偵サム・スペード)
メアリー・アスター (依頼人ブリジット・オーショネイ)

       *        *        *

秘書のおねーちゃんだけは良いんだけど・・・

世間でときどきとりだたされるハードボイルドのスタンダードがこの映画『マルタの鷹』。しかし全く面白くない。私も若い頃に一度勉強がてに見たのだが、ひたすらたいくつ・・という印象で、ほとんど内容も覚えていなかった。なので今一度見直してみたのだが・・やっぱつまらない。

ハンフリー・ボガート演じるサム・スペードにまったく魅力がない。カッコつけてるようだが、まったくそう見えないのが悲しい。ボギー自体背は低いし、頭はでかいし、顔のアイテムはひろがってしまりがないし、肩幅せまいし、魅力らしい魅力はまるでない。このサム・スペードという探偵も、何をやりたい人なのかわからない。依頼人のオーショネイにキスをしてみたりもするが、その必要性を全く感じない。それは彼女もそうだし、ボギーもそうで、なんでここでこんなシーンがはいるの??って疑問にもつようなとことだけど、でも原作でそうなってるからとりあえずいれてみました・・みたいな感じ。そういうシーンがやたらと多い。

さらにオチもひどい。みんなが寄ってたかって追いかけている“マルタの鷹”は、16世紀にマルタ騎士団がスペイン王に献上するために作った純金の像で莫大な値打ちのあることという置物、しかし、それもふたを開けてみれば贋作だったという悲しいオチ。
そのオチで、なにか面白味が増すのかといえばまったくそんなことはなく、ただただとういうことにしたらいがいなんじゃないかないうていどのもの。このオチもなかったほうが作品をみてきた人になっとくできるのではないだろうか。

唯一みていて気持ちが良いのが、サム・スペードの秘書さん。この人はなにからなにまでてきぱきこなし、その有能さと潔さがとっても素敵だ。他は見るとこないなあ・・。残念な一本だった。

フレッド・ジンネマンが監督した『ジュリア』という映画の主人公戯曲作家のリリアン・へルマンが永きにわたり友好をかわしていたのがダシール・ハメット。この原作者である。

<あらすじ>
オーショネイ(メアリー・アスター)とサースビーは二人で黒い鷹の置物を追っていたが、彼女はサースビーが自分を裏切ろうとしているのではないかと感じ、サム・スペード(ハンフリー・ボガート)探偵事務所を訪れ彼の尾行を依頼する。そしてその仕事についたスペードの同僚アーチャーが殺される。
さらにカイロという怪しい小男が現れ、黒い鷹の置物を探してくれたら5000ドルの謝礼を出すという。
彼らが探していた鷹の置物は16世紀にマルタ騎士団がスペイン王に献上するために作った純金の像で莫大な値打ちのある。オーショネイとカイロは、イスタンブールに送られたガットマンという男の手先だったが、それぞれがこの宝物を独占しようとしていたのだ。
香港から入港したパロマ号の船長は重傷を負いながら、鷹の包をスペードの事務所に持ちこんで息絶える。スペードはガットマン、彼の用心棒ウィルマ、オーショネイ、カイロと事務所で会い、鷹の処分と殺人事件の犯人の処理について話をする。そこにダンディ警部補とパウルハウス刑事が登場。スペードはアーチャー殺害の犯人がオーショネイであり、サースビーと船長はウィルマに殺されたことを指摘する。そして、鷹の置物は鉛製の贋物にしかすぎなかった。

by ssm2438 | 2010-06-24 11:00
2010年 06月 23日

朝やけの詩(1973) ☆

f0009381_19264677.jpg監督:熊井啓
脚本:山内久/桂明子/熊井啓
撮影:岡崎宏三
音楽:松村禎三

出演:
関根恵子(春子)/仲代達矢(作蔵)/北大路欣也(朝夫)

       *        *        *

うむむむむ、申し訳ないがかなり退屈。その退屈な映画のなかで関根恵子だけがまばゆいまかりに美しい。

しかし、やっぱり都会生活の関根恵子というイメージがあり、この映画だとちょっと場違いなきがしないでもない。そうはいっても、ジーパン姿で、ノーブラでシャツを着てる関根恵子は他のどの作品よりも健康的で美しい。映画の冒頭、森の湖での水浴シーンも美しく撮られていて画面はとても綺麗だ。

物語は、日本アルプスの大自然を背景にして、破壊されてゆく原生林、緑の広野、離散する開拓村の人々を描いている。開発が進むにつれて、そちらに加担する村人もでてきて、村の中は分裂状態。結局開発業者が自然を犯してくという流れの話だが、村の人たちにも、映画の趣旨にもあまり賛同できないかな。たんに開発業者を敵にまわしたやっかみ映画にしてしまった感がぬぐえない。仲代達也の演じる作蔵も、村に残ろうとする人たちも、見ていてほとんど共感できない。カメラはいいのだけど、熊井啓の見せ方は実にたいくつで、関根恵子がでてなければ誰も最後までみないんじゃないだろうか。

<あらすじ>
日本アルプスを展望する信濃高原。春子(関根恵子)は、この開拓村で牧場を夢みる一徹な父親・作蔵(仲代達矢)を手伝い、貧困に負けて逃げた母親・八重子に代り、二人の弟妹の面倒をみていた。
アポロ観光社長・神山は、地元の有力者稲城と結託し、この高原地帯にレジャーランドの建設を奨めていく。春子の恋人・朝夫(北大路欣也)は、稲城に反感を抱いたが、自分の父が稲城の死んだ兄であるということを知り、「開拓村に手をつけない」という条件でアポロ観光の現場主任を引き受けた。しかし朝雄の言葉など無視され、アポロ観光の測量が開始された。激怒した作蔵は測量を妨害したため、警察に逮捕された。この事件を契機に村は、開発賛成派と反対派の二つに分断されていった。
数百万円の立退き料が村人に渡された。ただ一人作蔵だけが頑なに、アポロ側との交渉を拒否していた。そんなある日、作蔵の馬を初め、他の家の家畜も原因不明のまま死んでしまった。アポロ観光の現場事務所が何者かに放火され、その嫌疑が作蔵にかかった。しかし事務所に放火したのは、神山たちで、作蔵をおとししれる謀略だった。作蔵は証拠不充分で釈放されたが、村を出る決心をする。
幼ない弟妹は八重子が引きとることになった。作蔵は春子を朝夫のもとに送ると、村の最後を見届けるために森にもどっていく。作蔵のまえで轟音をたててダイナマイトが爆発、山の自然が汚されていく。

by ssm2438 | 2010-06-23 19:23