主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

<   2010年 07月 ( 50 )   > この月の画像一覧

f0009381_2315997.jpg監督:ロバート・ゼメキス
脚本:ロバート・ゼメキス/ボブ・ゲイル
撮影:ディーン・カンディ
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
マイケル・J・フォックス (マーティ・マクフライ)
クリストファー・ロイド (ドク)
リー・トンプソン (ロレイン・マクフライ)

       *        *        *

普通に面白い!

『ジョーズ』『未知との遭遇』などで、ヒットメーカーになったスティーブン・スピルバーグ。ころころから、メガホンは他の人にまかせて製作総指揮という立場になって映画をつくりはじめている。そのときメガホンをまかされた監督さんは、『グレムリン』ジョー・ダンテ『ポルターガイスト』トビー・フーパー『グーニーズ』リチャード・ドナーなどがいるが、一番出来が良く、なおかつ普通に楽しめるものをつくっていたのがこのロバート・ゼメキスだと思う。

この『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も、いまとなってはもう25年もまえの作品だが、タイムスリップモノのエンタテーメントとしてみると実に巧みで面白い。冒頭のテロリストとかがでてきてドンパチになり、ドクも撃ち殺されてしまう(実はそうなることをうすうすしっていたドクは防弾チョッキをきていて助かっているのだが)のは、ちときな臭くていまひとつそぐわない感じがしたが、ま、それは過去にいくためのいい訳、多めに見るしかないのだろう。そいて過去にいってしまうと、未来を知っていることで、それが過去の世界ではパワーになる。もろもろの複線の張り方などは実にきっちしまとめられており、素直に楽しめる。続編がつくられたが、それを込みこみで考えるとちと印象が悪くなるが、この一本だけなら素直に楽しめる作品だと思う。

しかし、このころはリー・トンプソンがもてはやされていた時代だったが、いまはどうしているんだろう?

<あらすじ>
通称ドクと呼ばれるブラウン博士(クリストファー・ロイド) はプルトニウムを燃料にするタイムマシン・デロリアンを開発した。しかし実験のときに、そのプルトニウムをねらってリビアのテロリストが現れドンパチに。高校生マーティ(マイケル・J・フォックス)はデロリアンに逃げ込み、車を疾走させるが140キロ/時を超えてしまいタイムスリップしてしまった。1985年10月25日の夜のことだった。
ついた所は1955年。マーティは未来にかえろうとしたがデロリアンの燃料がない。彼は若き博士をたずね、次の土曜の夜に街の大広場にある時計台に落雷があったことを思い出し、それを博士はデロリアンのエネルギーにしようと準備を始めた。一方、マーティはその間に昔のママとパパと出会う。ところが、そのママがマーティに一目ぼれしてしまった。ママがパパを好きにならないと、マーティはこの世に存在しなくなってしまう。ダンスパーティの夜、なんとか二人の仲をとりもち、現在にもどってくる。
by ssm2438 | 2010-07-31 23:03
f0009381_2101388.jpg監督:ロベルト・シュヴェンケ
脚本:ピーター・A・ダウリング/ビリー・レイ
撮影:フロリアン・バルハウス
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:ジョディ・フォスター (カイル・プラット)

       *        *        *

主人公の立場でみるとサスペンス・ミステリーとしては一見成立しているが、こんな計画を実行する犯人はかなりアホだ。

私が犯人の友人で、やるまえからこの計画をしっていたら、「そんな計画は成功するわけないからやめとけ」っていう。不確定要素を全部自分の都合のいいように考えないと実行できない計画だ(苦笑)。犯人なら、考えうるすべての不確定要素が不利にはたらいたとして、それでもなおかつ、どうすれば成功するかを考えて計画をねっていくものだろう。
ミステリーを作るんだったらこういう基本的なところをきちんと決め込んでから作ってほしいものだ。ミステリーの発想だけが先行してつくられた話で、一応ジョディ・フォスターに感情移入してみるから理不尽さとにストレスを感じてくるのだが、その根源が作り手のご都合主義であることが判り始めると、だんだんはらだたしくなってくる。

余談だが、ジョディ・フォスターデミー・ムーアトム・クルーズは私と同い年(1962年生まれ)だ。彼らをスクリーンで見ると、ああ、自分もこれだけ歳をとったのか・・と思ってしまう。

<あらすじ>
ベルリンから夫の死の知らせを受け取った女性航空機設計士のカイル(ジョディ・フォスター)は、夫のなきがらを引き取るためにベルリンに飛ぶ。夫の棺を乗せた旅客機に乗りこむと疲労をおぼえ睡魔に襲われる。しばらくして眼を覚ますと隣に座っていたはずの6歳の娘ジュリアがいない。乗客、乗務員の誰一人としてジュリアの姿を見たと証言する者はなく、なんと乗客名簿にも名前が載っていないという。

実はエアマーシャルのカーソンが、フライト・アテンダントのステファニーと組んで、ジュリアを機械室に隠し、カイルを危険人物に仕立て上げて航空会社から金を取ろうとしたのだ。しかもカイルの夫もカーソンが殺害したのだった。

機長の指示の下、徹底的な捜索が行なわれるがジュリアは発見されない。やがて乗務員から、ジュリアは夫と共に6日前に死亡したという信じがたい知らせがもたらされる。すべてはカイルの妄想だと判断され、彼女は機長から逮捕命令を下された。自分が信じられなくなりつつたったカイルだが、窓にのこされた彼女の存在の証を発見、孤独な戦いに身を投じる。カイルは自力でジュリアを助け出し、すべての誤解を解くのだった。
by ssm2438 | 2010-07-31 21:06
f0009381_93746.jpg監督:スティーヴン・ダルドリー
脚本:リー・ホール
撮影:ブライアン・テュファーノ
音楽:スティーヴン・ウォーベック

出演:ジェイミー・ベル (ビリー)

       *        *        *

どうも私は生理的にホモが嫌いみたいだ。。。

2001年のキネマ旬報洋画部門3位日本アカデミー賞外国語映画賞も取っている。どちらかというと外国ではそこそこ人気だったが、日本ではそれより高く評価された映画。・・・しかし、個人的にはいまいち楽しめなかった。ちなみにこの年(外国のショーレスーでは2000年扱い)は映画的にはほとんどあたりはなく『グラディエーター』がだいたい映画賞のトップに名前をつなねていた。

しかし、炭鉱モノはいいですな。古くは『わが谷は緑なりき』、近年では『ブラス!』、アメリカでは『遠い空の向こうに』『空の大怪獣ラドン』も炭鉱ものであう。そしてこの映画も。
炭鉱モノのよさは、家族のために命をかけて地の底に潜り石炭を掘る男の覚悟と男気。それがカッコいいのだが、時代ともにすたれていき、若い者たちは離れていく。それでも昔の者たちは、炭鉱に生きた自分たちの栄光からはなれたがらず、そこは滅びると判っていても一緒に滅びることを望む。しかし若い世代にはそこから飛び立つことを許す。どんな炭鉱モノでもこのセオリーにのっとって物語が進行していく。そこにかならずといっていいほど組合がからんでくる。古きものと新しきもの、個人と家族、会社と組合。それらのバインディングがある中で、個人がその因習と戦いつつ、突き抜けていく物語になる。
なのでどうとってもドラマの王道になってしまう。

この『リトルダンサー』も、炭鉱で育った少年が、周りの目と戦いながら、バレーダンサーとして自己を貫きそれを父親がフォローしてあげるというもの。それにホモの友達がちと絡む。個人的にはホモが生理的に嫌いなので、作品全体になにか受け入れがたい臭いがある。
たぶんそれは、男性の女性化なのだろう。それを炭鉱モノの舞台でやられたので、ちょっとイヤ~~~~~~な気分。男の子はボクシング、女の子はバレエをやるのが普通の世界で、バレエをあこがれる主人公の男の子。さらにそのお友達はホモ。ホモ文化が潜在的につよいイギリスだったから出来た映画かもしれない。
しかし、この映画のどこの誰よりも、あのホモ君が、女の子がバレエの時につけておどるスカートのひらひらをつけて踊った時はきっと幸せだったのだろう・・と思った。ホモというのはちょっと言葉に語弊があるかな。もしかしたら彼も性同一性症候群だったのかもしれないし・・。

きっとこの物語の原作者は、(本人が送であるかどうかは定かではないが)ゲイであることをひたすら隠してきたが、それをカミングアウトして、解放された・・って気分を描きたくて、それがこういう形になった・・っていう映画なのだろうって思った。

<あらすじ>
1984年、炭鉱がつぎつぎと閉鎖にいいこまれていくイングランド北部小さな町。11歳のビリー(ジェイミー・ベル)もまたそんな炭鉱労働者の家庭に育った男の子である。彼はボクシング教室に通っているが、試合に負けてばかり。そんな彼の愉しみはバレエ教室を覗くことだった。練習にまねかれて女の子たちに混じって練習するうち、ビリーはどんどん上達していく。
「男の子がバレエだなんてありえん!」と大激怒の父。親友マイケルの前で踊るビリーの姿を見て、息子の素晴らしい才能に初めて気づいた父は、彼をロンドンの名門、ロイヤル・バレエ学校に入学させる費用を稼ぐため、スト破りを決意する。仲間を裏切りかけた父だが、すんでのところで兄に止められ泣き崩れる。しかし事情をしった仲間たちのカンパでビリーはバレエ学校に入学できた。
15年後。バレエ・ダンサーになったビリーは、父と兄とマイケルが客席にいるウエスト・エンドの劇場の舞台に登場するのだった。
by ssm2438 | 2010-07-30 09:37

誘惑の微笑(2005) ☆

f0009381_102483.jpg監督:ジアダ・コラグランデ
脚本:ジアダ・コラグランデ/ウィレム・デフォー
撮影:ケン・ケルシュ

出演:
ジアダ・コラグランデ (エレノーラ)
ウィレム・デフォー (管理人レスリー)

       *        *        *

サスペンスの演出だけど、事件はなにも起こらず・・・これでは、ラブロマンスのカテゴリーの映画になるんじゃないかの???

・・・レストランではなしかけてきた男、モーテルの支配人なのかな・・は、なにか物語りに関係あったのでしょうか? ただただ怪しい雰囲気だけを演出するためのアイテムだったような。雰囲気だけをかもし出してなにもない・・っていうのがこの映画のいかんところだな。

監督は主演のジアダ・コラグランデなのだが、実はウィレム・デフォーと彼女はこの映画の公開された年に結婚している。ウィレム・デフォーが、なんとかイタリア人である彼女を、アメリカで仕事するきっかけにとおもって作った映画なのだろうか・・って感ぐってしまう。

<あらすじ>
エレノーラ(ジアダ・コラグランデ)は遺灰をもって、ニューヨーク郊外の一軒家に移ってくる。1ヶ月前に亡くなった内縁の夫(実は籍は入れていなかった)から相続したものだった。夫は大学の数学者で、教授と教え子の関係だった。
着いてみると夫の荷物は管理人レスリー(ウィレム・デフォー)によって既にパッキングされていた。亡き夫の面影を自分の目で確かめたいと思っていたエレノーラは、レスリーの手際の良すぎる行為を不快感をします。しかし、住み心地は悪くなさそうであった。夜になって寝ようとすると、外の林のなかで男たち数人がたむろしている。小競り合いなのかもしれない。不安になってレスリーに電話しようとするが、支払いがないので止まっている。携帯電話は、屋内では使えない。仕方なく一晩現実を認識せずに寝ることにする。
朝になると、既にレスリーが家のなかに入り込んでて観葉植物たちに水をやっている。夜は冷える。暖炉に火を入れようとするが煙が充満してくる。仕方なくレスリーに電話してきてもらう。暖房器具の修理をし、暖炉を使う時は、小窓をあけてから風をいれるようにしてやらないと、煙が煙突に抜けないことをおしえてくれる。そんなこともあって、レスリーを食事に誘うエレノーラ。


はじめて訪れる郊外の一軒家。結局そこに住む以上はウィレム・デフォーにたよるしかない主人公。しかし彼は特に彼女に想いをよせているわけではないし、押し倒してしまいたいというような犯罪性の欲望ももっていない。どちらかというと彼女のほうから彼を誘う話。ただ・・なにかありそうな雰囲気。
ムードだけはサスペンスなのである。結局死んだ内縁の夫はその家で情事にはげんでいた事実がわかり、ショックをうける主人公。そんなこんなで結局でフォーと“H”をしてしまう・・。でもなんか変だ。どこがへんなんだ???
・・・とみているうちに疑問がわいてくる作りなのだ。そんな演出をされると、きっと、誰かが死んで、あるいは既に死んでいる人はデフォーがなにかやらかしたんじゃないだろうか・・って思ってみてしまうのだが、そんなことはまるでない。

多分この映画、ほんとにどこかでひとつ殺人事件でもあれば、すこしは見られる話になったのだろうが、それもないまま、ただただサスペンスののりでラブロマンスをやってるので見ている人が、どちらののりで見ていいのかわからず、さらにどちらのノリでみても肩透かしをくうという困った映画だった。
とりあえずネタ晴らし的な素材といえば、その家に既にウィレム・デフォーが住み着いていて、彼にしてみれば、主人が来たのだがら明け渡すのが筋であり、それを承知しているが、できればそのまま帰ってくれれば、以前の生活が取り戻せるな・・という感じ。
なので、彼女はデフォーに迫って、“H”をするよになっても、デフォーにしてみればそれほど愉快でもないし、彼女が来る前に付き合っていた女性との関係をみせて、主人公の彼女をわざととおざける芝居もする。
そんな彼の本心や、行動が、不信感をあおるように設定されている話なのだが、この設定を起点にしたそれ以上の物語的な展開はない。
最後は結局でていく女なのだが、やっぱりいてほしいと思い追っかけて家をでると、そこで彼女の車にはねられて死ぬ・・というなんじゃそりゃあ?の結末。
by ssm2438 | 2010-07-29 10:03

ファーゴ(1996) ☆☆☆

f0009381_3434941.jpg監督:ジョエル・コーエン
脚本:イーサン・コーエン/ジョエル・コーエン
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:カーター・バーウェル

出演:
フランシス・マクドーマンド (マージ・ガンダーソン女性警察署長)

       *        *        *

コーエン兄弟もののなかではなんとか見られた・・・。

本質的に合わないコーエン兄弟の映画だが、そのなかでまあまあみられたのがこの『ファーゴ』。ただ映画にもとめる哲学が根本的に相容れないのだろう、本質的にはまったく好きになれない映画だった。しかし、興味をそそる技術、人を不快感におとしいれる技術などはきわめて長けていると思う。

でも、本質的にこいつらの映画は生理的に好かないって人は(私も含めて)、ダメなものはダメだろうな。これは私の勝手な想像だが、コーエン兄弟って、一生懸命なものが嫌いなのだと思う。だから私は彼らの作品が嫌いなのだろう。多分一生懸命に生きてる人は、こいつらの作品はきらいだと思う。

<あらすじ>
87年冬。ミネソタ州の自動車ディーラー、ジェリー・ランガード(ウィリアム・H・メイシー)は多額の借金を負っていた。そんな彼はが考え付いたのが、妻ジーン(クリスティン・ルドリュード)の偽装誘拐。そして彼女の父親であり、動車業界の大物のウェイド(ハーヴ・プレスネル)から身代金を引き出し、借金返済にまわそうというものだった。
ジェリーは整備工場で働く元囚人から2人の男を紹介してもらい、誘拐の実行を約束する。ジーンを自宅から誘拐した二人は、隣町ブレイナードまで逃げたところで、停車を命じた警官と目撃者を射殺してしまう。ブレイナードの女性警察署長マージ・ガンダーソン(F・マクドーマンド)が事件を追う。

しかし、『アルマゲドン』にも出ていたスティーヴ・ブシェミ。劇中「へんな顔」と言われてたが、実に変な顔だった。
by ssm2438 | 2010-07-28 03:44

8mm(1999) ☆☆

f0009381_10561780.jpg監督:ジョエル・シューマカー
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:ロバート・エルスウィット
音楽:マイケル・ダナ

出演:
ニコラス・ケイジ (トム・ウェルズ)
ホアキン・フェニックス (マックス・カリフォルニア)
ジェニー・パウエル (殺された少女)

       *        *        *

かなりアングラでダークな世界観、胸糞がわるくなる映画だ。

この映画のテーマになっているのがスナッフフィルム。実際に人を殺しそれを撮影して売られる裏ビデオ。その被害者を殺した男たちに、私立探偵ニコラス・ケイジが制裁を加えるというもの。殺された少女の行方調査を依頼されただけの主人公だったが、その陰惨さから復讐せずにはいられなくなるという話。映画自体は、見ててここちよいものではないが、そのアンダーグランドな陰湿な世界観はちょっと特異。あまりの陰湿さに途中で見るのをやめようかと思ったが、一応勉強のためにとなんとか頑張った(苦笑)。

脚本は『セブン』『スリーピー・ホロウ』アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。オタク的な弱き陰湿な人間の犯罪的ダークサイドを描く人という印象だが、この作品も同じように陰湿でダーク。ああいうダークさが好きな人にはいいかもしれないが、普通の人はあんまりきもちのいいものではない。

監督は『セント・エルモス・ファイヤー』『依頼人』『バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲』など、どの分野でもさらりとこなすプロフェッショナル監督のジョエル・シューマカー。・・・しかし、この人はホント、どんな分野でもきちんと仕事をするなあ。この映画ではケヴィン・ウォーカーのダークな世界観を、『セブン』以上にお下劣なものに仕上げてしまった。その反面理詰めの裁判モノや青春ものも一流にこなすからすごい。さらにはコスチュームプレイの軽薄系『バットマン』もその趣旨でつくってしまえるし・・・、いったいどういう神経の持ち主なんだ???

<あらすじ>
私立探偵のウェルズ(ニコラス・ケイジ)のもとに8mmフィルムがもちこまれる。そこには下着姿の少女が黒いマスクを被った人物に惨殺される場面が映っていた。夫の遺品の中からみつけたという富豪の未亡人・クリスチャン夫人の依頼でその8ミリフィルムを調査するウェルズ。
少女が行方不明中のメアリー・アン・マシューズ(ジェニー・パウエル)という女優志願の少女だった。ハリウッドに向かったウェルズは、アダルト書店で働く若者マックス(ホアキン・フェニックス)の案内を得て、ポルノ・ビデオのブラック・マーケットに潜入。やがて闇ポルノの大物監督ディーノ(ピーター・ストーメア)にたどり着く。
しかし、ウェルズの前に、クリスチャン夫人の弁護士が現れる。少女殺害のフィルムを撮らせたのは故クリスチャン氏とその弁護士だったのだ。銃を突きつけフィルムの返却を要求する弁護士。ウェルズは間一髪で逃げ延びるが、ディーノとマックスが死ぬ。クリスチャン夫人も自殺し事件は終わった。しかし、やりきれないウェルズは、カメラの前で少女を殺したマシーンと名乗る男を殺すが、かれもまた普通のマニアックな男だった。
後味の悪さを、被害者の女性メアリー・アンの母親から感謝の手紙がウェルズを慰めてくれる。
by ssm2438 | 2010-07-27 11:05

8mm II(2005) ☆

f0009381_10134040.jpg監督:J・S・カーダン
脚本:ロバート・サリヴァン
撮影:ダーコ・スヴァク
音楽:ティム・ジョーンズ

出演:
ジョナサン・シェック (デヴィッド・ハクスレー)
ロリー・ヒューリング (トリッシュ・ハリントン)
ジータ・ゴロッグ (謎の女・リサ)

       *        *        *

ニコラス・ケイジの『8mm』とは全然無関係ないぞ!

日本においては興行的に、全然別の作品なれど似通った作品ということでタイトルの共有は時々されている。スティーブン・セィーガル『沈黙の・・・』などは良い例だろう。他にもアナ・ムグラリス嬢の『氷の挑発2』は、その前のクリスティ・スワンソン『氷の挑発』とは全く関係がなく、制作国まで違っている。まあビデオ販売会社が、そのほうが売れるとふんだのだろう。
しかし、この『8mm II』は、まったく『8mm』と関係ないのに、アメリカ公開のタイトルとして『8mmⅡ』にしてある。これは日本で言うなら、『ガンダム』が人気にあやかって、別のところでつくられたロボットアニメを『ガンダムⅡ』とタイトルをのっけたようなものだろう。知的所有権のうるさいアメリカで、こういうタイトル拝借がまかりとおってるのだろうか・・??って疑問をもってしまう。

映画は・・・ま、おねーちゃんの裸がいっぱいでてくるから、それほど目くじらたててぼろくそにいうつもりもないが、面白くもないかな(苦笑)。やっぱり主演のロリー・ヒューリングがあまり美しいとはいえず、感情移入もしづらい。謎の女のジータ・ゴロッグはムードもありスタイルも良く鑑賞するにはいいのだが、これも好きなタイプとはいえず、特に想い入れる部分はない。

ついたホテルのベッドの上で、デヴィッドのシャツをまくしあげ、胸にキスし徐々に下に舌を這わせていくロリー・ヒューリング。ズボンの下で勃起しているであろう彼のペニスをなでつつ、
「いま一番ほしいものはなに?」とたずねる。
「政治的権力と君だ」と答えるデヴィッド。
「二つは答えになってないわ」とさらに追求するロリー。
「政治的権力。すでに君は手に入れた」とデヴィッド。

おおお、なかなかお洒落な切り返しだなあ・・と感心したが、それだけで、あとはひたすらだらだら退屈なシークエンスが続く。もちろん裸が出てくるシーンはおおいが、見せ方がたるいのかかなり退屈だ。

<あらすじ>
ブタペストに婚前旅行にきたアメリカ大使の娘トリッシュ・ハリントン(ロリ・ヒューリング)と外交官のデヴィッド・ハクスレー(ジョナサン・シェック)。バーで魅了されたミステリアスは女(ジータ・ゴロッグ)と3Pをしその夜のことはそれで終わるはずだった。しかし彼らの情事はビデオで撮影されていたのだ。ふたりはその女を捜して夜のブタペストに出て行く。

特にアピーリングはものはないので、その3P画像だけさがしてきた。
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by ssm2438 | 2010-07-27 10:15
f0009381_14254016.jpg監督:石森章太郎
脚本:島田真之/石森章太郎
撮影:川崎竜治
音楽:菊池俊輔

出演:
藤岡弘 (本郷猛/仮面ライダー)
千葉治郎 (滝和也)
マキ (山田圭子=丘野かおり)

       *        *        *

この話数、たまたまみたのですが、なんだか画面がすごい! まるで映画のような仮面ライダーだなあと思ったらなんと原作者の石森章太郎が一本だけ監督した話数。
他の話数とは明らかにテイストが違います。全体の流れのテンポの悪さがきわだっているのですが、それ以上に望遠レンズの画面がすごくかっこいい! ヘリコプターも登場、あれ、レンタルするだけでもかなりお金がかかっただろう。そのヘリを使ったのか、ヘリからの空撮もばんばんはいる。フカンの映像がやたらと多いのだけど、それがなかなかカッコいい。おこさまむけテレビシリーズとしてはありえない話数でした。

おまけに私の大好きな丘野かおり嬢(当時の芸名は山田圭子)がゲスト出演。うれしい! 麻丘めぐみといい、丘野かおりといい、どうもこの手の顔にはよわいらしい(苦笑)。

f0009381_1433357.jpg<あらすじ>
空撮とナレーションで始まるプロローグ。ブラック将軍の声に激され怪人イソギンジャガー登場。しかしそこをたまたま通りかかった釣り人(石ノ森章太郎)に姿をみられ、これを抹殺。つづいて父の行方を捜している女性マキ(山田圭子丘野かおり)をさらうイソギンジャガー。
「滝がいながらなんてことだ!」とおやっさん。少年ライダー隊に連絡するためのハトがいっせいにはなたれる。画面だけはなんだかかっこいい! でも、電話したほうが早いと思うのは私だけ?

どこからかヘリをチャーターしてきた滝(千葉治郎)。なんとかゲルショッカーの車みつけ追う本郷(藤岡弘)。爆弾攻撃をうけるライダー、ジャンプするサイクロンのストップモーションでアイキャッチへ。
その行く手からあらわれるゲルショッカーの戦闘員。無音効果やカット割り、大胆な望遠レンズなど、テンポの悪さを気にしなければ映画的な演出が充分たのしめる(苦笑)。やがてゲルショッカーのオートバイ部隊を蹴散らしたライダーに、イソギンジャガーとの決戦第一弾。イソギンジャガーの触手攻撃に苦しむライダーだが、キックで脱出。おおまたも無音演出!

追っていた車のなかからマキを助け出す滝、一方なにがどうなったのか、変身の解けた状態で海岸の岩場に倒れていた本郷。目を覚まし、同じく岩場に倒れているマキ(実はダミーの人形)に気づいてふらふらになりながらも近づいていく。上空にはマキをのせた滝が操縦するヘリ。
本郷もろとも爆発。「本郷!」と悲痛な顔で叫ぶ滝だが、心配したのもつかの間、「大丈夫だ!俺はここにいるぞ!」と本郷さんの声。見ればヘリにライダーがぶら下がっている仮面ライダー。なんだか絵にならないのだが・・・。

f0009381_14265771.jpgマキさんのお父さんがイソギンジャガーだと分かった仮面ライダーは、頭の変身装置だけを破壊するため、ライダーポイントキックを放ちます。キックをうけたイソギンジャガーは波打ち際に着地する。つづいてライダーも。フレームの端にたち向かう会うイソギンジャガーと仮面ライダー、その間を波が打ち寄せる間。これも望遠でとっているのでカッコいい。
そこにかけよるマキ。これも砂場を走るマキのうしろにうちよせる波。これもがつんな望遠。おお、すばらしい!
ブラック将軍の声が聞こえ、さらに戦いを挑もうとするがばたりと倒れるイソギンジャガー。そしてイソギンジャガーはマキのお父さんへと戻っていったのでした。。

話はいまいち、テンポ最悪なれど、かっこいい望遠画面はいっぱいです。
コアなファン、必見の『仮面ライダー』84話でした。
by ssm2438 | 2010-07-25 14:34
f0009381_11561654.jpg監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
チャーリー・シーン (クリス・テイラー)
トム・ベレンジャー (バーンズ軍曹)
ウィレム・デフォー (エリアス軍曹)

       *        *        *

オリヴァー・ストーンの中では一番見やすいかな・・・。

自身の戦争経験にもとづき描いているだけあってリアルだ。リアルさを感じさせるツボを心得ているといったほうが確かかもしれない。夜間の銃撃戦はすごかった。

『プラトーン』におけるオリヴァー・ストーンの銃撃戦の特徴は、「撃たなければ死の恐怖が近づいていく。しかし、何を撃っていいのかわからない」という実践心理が映像化されているところだろう。<認識できないことの恐ろしさ>演出と私は勝手に呼んでいる。このストレス描写はストーンの映画にはよく感じることだ。
シナリオを書い『800万の死にざま』でのロザナ・アークエットとの人質交換の場面の切羽詰った緊張感。演出はしてないにもかかわらずず(監督はハル・アシュビー)、そのシーンはまるでオリヴァー・ストーンが演出したようにみえる。あれはきっとシナリオであのこまかなカメラの振りまで書いてあったのだろうなって想像する。あの映画も見せきらないで、見ている人にどうしたらいいのか判断出来ない心理状態をつくりだしていた。それは『サルバドル』でもそうだし、この『プラトーン』でも発揮されていたし、後に撮る『7月4日に生まれて』でも、あの<認識できないことの恐ろしさ>演出がさえていた。この頃のハリウッドではやたらとオリヴァー・ストーンがもてはやされていた。

物語の構造は、チャーリー・シーンを主人公(=感情移入の対象)に設定、その両サイドに二つの人格を配置している。戦時化では頼りになるが、人間性をうしなっているトム・ベレンジャーと、戦時化でも人間性をつねにもちつづけるウィレム・デフォー。ま、構造的にはよくある構造で目新しくないが、王道の構造というところだろう。効果抜群である。

ただ、オリヴァー・ストーンの見せ方というのは、散々叩いて、観客の頭の中に見せたい情報をつめこんでいくのだけど、それが定着する時間をあたえないのである。なので、みていてしんどい。これでもか、これでもかと、認識しなければならない情報が与えられる。きっとそれは、認識させない演出があり、ゆえに認識できるシーンではなんとか認識しようと観客が一生懸命みているからなのだろう。見えないものをあえてみなくてはいけないという意識にさせられるからしんどいのだ。
それでも、それが終わったら一休みの穏やかなシーンをもうすこし入れてもらえれば見る側としてはらくなのだが・・そういうシーンもあまりない。映画のなかでの抑揚のつけ方のド下手な監督さんであることには間違いない。

<あらすじ>
1967年、大学を中退してベトナムを志願したクリス(チャーリー・シーン)が現地に降り立った。最前線の戦闘小隊(プラトーン)に配属されたクリスにとって、戦争の現実は彼の想像をはるかに超えた苛酷なものだった。その小隊のなかでもっとも頼りになりそうなのは隊長バーンズ軍曹(トム・ベレンジャー)。かれの冷酷非情は判断は戦場ではただしく思えた。一方班長のエリアス軍曹(ウィレム・デフォー)は戦場にありながらも人間性を大事にしていた。ある日、ベトコンの基地と思われる小さな村を発見した。バーンズは真実を吐かない村民を銃殺、それに怒りをおぼえるエリアスは「軍法会議にかけてやる」と叫ぶ。エリアス軍曹の平和主義的言動に心良く思っていなかったバーンズは、エリアスが単身斥候に出た時、後を追って卑劣にも射殺してしまう。銃声をきいたクリスは不信感を抱くがべトコンは迫ってくる。
小隊がヘリコプターで後方の大隊陣地へと撤退していくなか、クリスとバーンズは、敵兵に追撃されながらなんとか密林から逃げ出してきたエリアスを見る。編隊長は救出を試みるが、援護射撃もむなしくエリアスは敵弾に倒れる。狼狽したバーンズをみて彼がエリアスを殺害を試みたのでは、と直感的に疑念を抱くクリスは陣地に帰頭後、バーンズに詰め寄るが、簡単に組みしかれる。彼の直感は正しかった。

やがて血みどろの夜戦が始まる。圧倒的な敵兵力の前にもはや大隊は壊滅寸前であった。絶望的な戦いを続けているクリスは計らずもバーンズの命を救う形となる。しかし殺戮マシーンと化したバーンズはクリスをも手にかけようとする。その時味方航空機による大隊本部へのナパーム弾投下ですべての戦闘が終息する。翌朝意識を取り戻したクリスは屍のなかを歩く。そこでなんとか生きているバーンズを発見、しかし、クリスは彼を射殺するのだった。
by ssm2438 | 2010-07-25 11:56

沈黙(1962) ☆☆☆☆☆

f0009381_6104455.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:グンネル・リンドブロム
    イングリッド・チューリン
    ヨルゲン・リンドストロム

     *     *     *     *

『鏡の中にある如く』『冬の光』に次ぐ、イングマル・ベルイマン<神の不在>三部作の三作目。ただこの映画がすべて関連性があるわけではなく、あくまでどれも神の不在をテーマにしたというもの。そしてベルイマンの作品のなかでは一番私が好きな作品である。・・・と同時に一番分かり易い作品だとも思う。

人がなんらかの行動を起こすとき、そこにはモチベーションがある。そのモチベーションの基本になるのが<知識>と<感情>。しかしここでいう知識とはどこからきたのだろうか? 知識といわれるものは自分のそとからきたものなのだ。
「うちに帰ったら手をあらいましょう」「人のものを盗んではいけません」「車は左、人は右」「朝起きたら歯をみがきましょう」・・など。これらはすべて両親であったらい、友達であったり、先生であったり、あるいは本屋や映画の一説から自分の知識として構築されたものだ。つまり、自分のなかの他人の言葉なのだ。
ではなにが自分の本当の言葉なのか?と考えるとそれは自分が感じること、心からそうしたいと思う欲望、それこそが本当の自分だということになる。
しかし現実問題として総てが欲望のままに行動するわけではない。それを実行したらそれで自分は社会的に抹殺されるということも知識として理解し、それが制御してくれるので感情と知識との間で自分の判断はゆれることになり、最終的に自分が「こうする!」と決めなければならない。

この映画は<知識・理性>を象徴するものとして姉のエステル<感情・欲望>を象徴するものとして妹のアンナをその中央にヨハン<自分>を配置している。はたしてこの映画の<自分>はどう判断して、なにを選んでいくのだろうか・・・?

<あらすじ>
多分第二次世界大戦のさなか、異国を旅する列車のなかのコンパートメントにエステル(イングリット・チューリン)とアンナ(グンネリ・リンドブロム)の姉妹が言葉少なげに向かい合って座っている。お互いに目をあわそうとはしない。しかし姉のエステルが発作を起こし苦しみだすと、アンナは息子のヨハン(ヨルゲン・リンドストロム)をコンパートメントの外に出ているようにと促しす。廊下にでたヨハンが窓のそをとみると、沢山の戦車をせた列車みえる。外の世界の脅威を表しているのだろう。

なぜ彼女らが旅をしているのか? これは物語のなかほどで明らかになるが、どうやらこの姉妹の実家に子供をしばらくの間疎開させることになったようだ。

ふたりは言葉も通じないどこかの国のホテルに宿をとることになったようだ。
ホテルに着くとベットによこになる姉エステル。その隣の部屋でやたらと動いているアンナ。そして床にすわってそんなアンナの足を見ているヨハン。バスルームにはいったアンナはやはりその中をいったりきたりしているが、最後は裸になって一方へ消えていく。そしてなかから声が、
「ヨハン、背中を流して」。
うれしそうに浴室へと駆け出すヨハン。

ここでのポイントは、ヨハンが自分の母親を<女>として意識している部分があることだ。そして後のシーンをみてわかるのだが、エステルにはその感情をもっていない。ヨハンに女として見られないエステルは、ある種の劣等感を感じているのかもしれない。

風呂から出たヨハンは母親にクリームをぬってもらいベットにもぐり込む。しばらくするとその手前に裸のアンナが寝そべり、乳房がベットと体の間でふくよかにつぶされる。エステルは隣の部屋で翻訳の仕事をしているが、ふたりが寝込むのを感じるとふたりの部屋にはいっていき、うつぶせに寝たアンナの背中をながめながらベットのそばに腰をかける。しばらくみているがアンナの髪をなでる。そしてヨハンの髪も・・・。

このシーンの意味が、そのとき分からなかったのだが二回目に見るとすごく意味があることに気づく。これも後の会話で判明するのだが、この姉妹は以前はお互いの体を慰めあった関係にあったことがわかってくる。しかし今は、妹のアンナはその関係をたち、姉はそれでもまだ求めていることが匂ってくる。
この映画ではそれを直接みせることはない。あくまで匂いで感じとならければならない。

自分のベットにもどったエステルはタバコをふかしながらアルコールを飲み干し、給仕を呼びアルコールをもとめる。年老いた給仕が現れる。・・英語は? フランス語は? ドイツ語は? どれもだめらしい。言葉が伝わらないながらも身振り手振りでなんとかコミュニケーションを成立させているエステル。給仕も極力愛想よくふるまおうとしている。
目を覚ましたヨハンだがアンナはまだ昼寝をしていたいとベットにはいったままだ。退屈になったヨハンは服をきて、玩具の銃をもって、ホテルの内部を探検にでかける。

廊下に出ると、はしごをもって廊下を横切るおじさん。どうやら廊下のシャンデリアを修理するらしい。はしごの上で修理をしているおじさんに向けて銃を構えて発砲(パシッと音がするだけで弾はでない)。無言でヨハンを見るおじさん。
廊下を歩いているとさっきの老給仕が昼寝をしている。しばらく眺めていると目を覚ましてヨハンに気づいく。愛想いい作り笑いで近づいてくるが、恐ろしく感じでその場を走り去ってしまうヨハン。
廊下にある大きなえを見てると小男(ホルモン異常で大人なのに体が子供くらいしかない)が廊下のむこうを通り過ぎようとしてヨハンにきずき、かるく手をあげてあいさつする。
とそのときさっきの給仕が「うわっ」と子供を脅かすようにうしろから捕まえる。びくっとおびえるヨハン。また走り去る。老給仕にしてみればなんとか子供に愛想を振りまこうとしているのだが、どうも裏目にでているようだ。それでもヨハンにしてみれば悪魔のような怖さなのだろう。
そんなことをしているとさっきの小男たちがいる部屋に入り込む。かれらは遊技団らしい。今日の出し物の打ち合わせをしているようだ。その中の一人を玩具の拳銃で狙って撃つと、ちゃんと撃たれた振りをしてくれる。ヨハンも楽しくなって一緒にワイワイとやっているのだが気づけば女の衣装を着せられている。

この一連の描写ではヨハンが未知なる物に対して笑顔で受け入れたらいいのか、それとも恐怖して逃げたらいいのか、怒って喧嘩を売るべきなのか、判断が出来ないような状況なのだ。それでも彼はどうするかを判断しなければならない。このあたりから「沈黙」というタイトルの意味が少しずつみえはじめる。

目を覚ましたアンナはそのふくよかな乳房を洗面所であらい、いろっぽそうな服をみにつけ、「ちょっと歩いてくるは」と一声かけて出て行く。ドアのしまる音がすると叫びだしたい気持ちを必死でおさえるエステル、それでもうめき声がもれる。酒をあおってもえずくだけ。
「惨めな気持ちだわ・・・、た得られない、惨めよ・・・うくくくくうううう」 もだえながらベットから転がり落ちる。
「冷静にならなきゃ・・・、理性を失いたくないわ・・・」

この時点ではこのシーンの意味もわからないのだが、のちにふたりの関係が分かってくると、このシーンの言葉の意味がわかってくる。以前は自分をもとめていたはずの妹が、今では他の男を求めるようになっている。それだけではなく、その屈辱感をわざと自分に感じさせている。そのことがこの「惨めよ・・・」になっているのだ。

そんな取り乱したエステルにやさしくしてくれるのは老給仕だけだ。
一方アンナの存在とそのしぐさは明らかに町の男たちの欲を刺激することに成功しているようだ。

冷静さをとりもどしたエステルは部屋にもどったヨハンと食事をしている。この時この旅が実家に向かっているたびだと分かる。同時に、ヨハンはエステルには女を感じていないことも・・。

ある小劇場にアンナが入るとヨハンが出会った小男たちが劇を披露している。しかしその後ろの席では男と女が愛欲の行為にふけっている。たまらなくなり出て行くアンナ。
戻ってきたアンナは服を脱ぎ洗面所に向かうと後ろに姉がたっている。脱ぎ捨てられた妹の服に泥がついていることを確認すると、なにも言わずに自室へ戻っていくエステル。一間おいてエステルの部屋にアンナがやってきて、「私のすることをいちいち詮索しないでほしいわ」と言ってドアをしめる。その口ぶりが許せないエステル。

夜になると露出のある服をきて「出かけてくるわ、ヨハンに本でも読んであげて」と言いドアへ向かうアンナ。
「・・私をおいて?」
立ち止まるアンナ、一瞬間をおいてきびすを返えし、覚悟したようにいすに座るアンナ。
「ヨハン、ちょっとアンと話があるの」とエステル。
「廊下にでてて」とアンナ。
・・・このへんの会話からすこしづつふたりの関係がみえかくれしてくる。

ヨハンが外にでると、
「昼間どこへ行ってたの?」と姉。
「散歩よ」とアンナ。
「ずいぶんながかったのね」
「・・・詳しく話す?」

嘘とも本当ともとれるストーリーで姉にジャブをあびせる妹。
「寝ないの?」とアンナ。
「寝るわ」とエステルがベッドによこになると
「・・・・私と一緒に寝てよ、ちょっとだけ」
その間にアンナがベッドのよこに腰をかけていたらしい。起き上がるとすぐそばに座っているアンナの首筋があり、息のかかるくらいのちかさにいる。すぐにも首筋に口づけ出来る距離なのに、理性で必死にこらえてるエステル。
f0009381_22382174.jpg「その男と会うの?」
「・・・・・」
「会わないでよ・・・・今夜はよして・・・・つらいわ」
「・・・・・なぜ?」
「・・・なぜって・・・・・私がみじめよ」
「・・・・・」
「嫉妬してるんじゃないのよ」
「・・・・・」
我慢できずアンナのほほに唇をおしつけるエステル。

「行くわ」っとアンナ。
一点をみつめるエステル、やがて目を閉じる・・・。バンと大きな音がして出て行くアンナ。

この一連の台詞と芝居でこのふたりの過去の関係が明白になってくる。この映画は画面でも言葉でも本当のことを言わないので、みている人が感情移入して二人の関係を認識していくしかない。

隣の部屋に男をつれこむアンナ。それをみてしまうヨハン。
「私たちふたりともママが好きね」と悲しげにおでこをあわせるエステルとヨハン。
情事の最中、アンナはエステルがドアの外にいることに気づき中に入れる。姉に見えつけるように愛撫をうけている妹。愛撫をうけながら「姉さんは自分が中心にいなければ我慢できないのよ」とののしるアンナ、
「ずっと私はお姉さんを見習ってたのに、お姉さんは私が憎かったのよ」
「そんなことないわ」とエステル。

たぶんそれはホントで嘘なのだろう。
エステルにとってアンナはまもってあげたい、そして自分が支配したい妹だったのも確かだし、自分が理性を基本として生きているのに対して、妹は感情を基本としていることを許せなかったのだろう。妹にとっての姉は独裁者であり、矯正者であり、偽善者であり、本来愛したいのに憎しみの対象になっていたのだろう。
これは総てのベルイマン映画に通じるコンセプトといえる。

泣きながら言ってしまう妹、
「可愛そうなアン」といってなんとか自己を肯定して出て行く姉。
勝ち誇ったように笑う妹。そんなアンナを愛撫しつづける男。笑おうと努力しているのに涙があふれ出るアンナ。

一夜があけて、ベッドには昨晩の男がまだ寝ている。服をきて部屋を出ようとするとドアの向こうでエステルが倒れている。ずっと一晩中そこにいたのだろう。愕然とするアンナ。

エステルのかたわらには老給仕がいて世話をしている。
アンナはヨハンと2時の列車で行くと告げる。

     *     *     *     *

余談ではあるが、ベルイマンの演出するうめき声、もだえはすごい。
この作品の3年後に黒澤明『赤ひげ』が公開されることになるのだが、すい臓がんの患者が死ぬときの絶え絶えの息づかいは、この『沈黙』を見ると、このエステルのうめきをコピーしているように思われる。
そしてベルイマンの『処女の泉』は黒澤の『羅生門』からインスパイアされたと言われている。このふたりは、お互い会うことはなくとも、フィルム上でお互いを意識しあってたのではないかと思えるのは勘違いだろうか?
by ssm2438 | 2010-07-25 08:29 | I ・ベルイマン(1918)