西澤 晋 の 映画日記

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2010年 07月 24日

となりのトトロ (1988) ☆☆☆☆

f0009381_1952401.jpg監督:宮崎駿
原作:宮崎駿
脚本:宮崎駿
撮影:白井久男
美術:男鹿和雄
編集:瀬山武司

声の出演:
日高のり子 (サツキ)
坂本千夏 (メイ)
糸井重里 (とうさん)
島本須美 (かあさん)

       *        *        *

ええ、サツキとメイは死んでるのですか!!!???

ああ、確かにそういわれるとけっこう納得いく後半の展開だったなあ。

・・・チェックしました、無事生きてました。
皆々方、ご安心を!

・・・しかし、確かに死んでる説のほうがしっくりくるところはあったな。
私の最後の、ぽつんととうもろこしがあるとこで、“あれ・・!?”って思った。なにが “・・!?” だったの自分でも説明がつかなかったのだけど、なんか普通じゃないものを感じた。なんで会わずにかえっちゃったのだろう? なんでとうもろこしを窓際におく芝居がないのだろう・・。 説明がつかないが、なにか不可思議な感じを覚えた。

で、あとになって「サツキとメイは死んでいる」説を聞いたとき、ああああああ、なるほど。それは確かにそうかもしれない・・ってかなり納得できた。
本編を通じて地面にのっかるBL影。あれにも違和感を感じてた。キャラクターがブラウン色の色カーボンでのトレス線だったのに、なんで地面の影だけBLなんだろう・・???って。
あれも意図されてたのかなあ・・・?? 死んだあとには影がはいらないことを意識させるために・・・。

表面的には楽しいファンタジーというスタンスでありながら実はダークなバックボーンをもち、なおかつそれを感じさせずに作ってしまう宮崎駿はやっぱりすごい。

・・・・と思ったが、最後はやっぱりメイとサツキはおばあちゃんと再会してるし、劇中では確かに生きてました。なので、安心してエンディングみられます。
確かに行方不明になったあとは足元に影はないですけど、あれは夕暮れ時で、そのまえから影はいれてないし・・。ただ・・、確かにあの二人は死んでたという流れで、もともとは話は作られていたかもしれないですね。そのほうがしっくりいくところはありますな。

てなわけで、いろいろお騒がせな映画でした。

<あらすじ>
戦後の日本。病気で入院中の母からななれて、大学教授の父と一緒に田舎の一軒家にこしてきた小学3年生のサツキと5歳になるメイ。しかしそこにはススワタリというオバケが住んでいた。「オバケがいるとこに住むのがずっと夢だったんだ」という楽天的な父。そんな父に育てられたサツキとメイモ、自然のなかでたのしくすごしていた。。
ある日、メイは庭で2匹の不思議な生き物に出会った。それはトトロというオバケで、メイが後をつけると森の奥では、さらに大きなトトロが眠っていた。やがてサツキもトトロと遭遇する。ある雨の日、父にかさを届けるためにバス停でまっているが、なかなか父ののるバスは来ない。夜になり、雨は引き続きふっている。メイは睡魔にまけて寝てしまう。そんなメイをおんぶしてバス停で待つサツキのとなりにトトロは現れる。雨の中まつトトロにさつきは傘を貸す。やがて猫バスがやってきて、トトロは去っていく。

やがてお母さんの病状がおもわしくなく、退院がすこしのびることになる。サツキが学校に出かけた日、メイはとれたてのトウモロコシをもって、一人で山の向こうの病院を訪ねようとするが、行方がわからなくなる。やがてメイのサンダルが沼から見つかるが、さつきは「メイのじゃない」という。もう日が落ちる。サツキはトトロにも助けを求めてトトロがいるという穴の中にはいっていくが、ころげおちてしまう。そこにトトロはいた。
トトロは猫バスを呼び、サツキの乗せてメイのところに連れて行く。道にまよったらしい足元にかげないメイがぽつんといる。
メイをのせた猫バスはお母さんの病院にむかう。そこにはお父さんもすで来ていた。病室がみえる木の上でふたりはその姿をほほえましくみているのであった。
子供たちの気配を感じたお母さんが窓のそとをみるのだが誰もいない。
窓辺にはメイが持って行きたかったトウモロコシがぽつんとおかれていた。


・・・確かにもともとのストーリーラインでは、サツキとメイは死んでたんでしょうね。でも、それでは暗すぎるってことで、あとづけで生きてることにして部分的に構成を組みなおしたんだろうなって感じがする。ともあれ、物語の中では、ふたりとも、生きたまま終了しているので、めでたしめでたし。

by ssm2438 | 2010-07-24 19:53
2010年 07月 23日

MR.デスティニー(1990) ☆☆☆

f0009381_3193336.jpg監督:ジェームズ・オア
脚本:ジェームズ・オア/ジム・クルークシャンク
撮影:アレックス・トムソン
音楽:デヴィッド・ニューマン

出演:
ジェームズ・ベルーシ (ラリー・バロース)
リンダ・ハミルトン (妻のエレン)
マイケル・ケイン (Mr.デスティニー)
レネ・ルッソ (高校時代のマドンナ、シンディー)

       *        *        *

『素晴らしき哉、人生!』のちょっとフェイントリメイク映画。

元ねたがいいので、どうつくっても、誰がつくっても、面白くなってしまう。この映画とおいい、『天使のくれた時間』といい、やっぱりいいと思う。でなにがいいかっていったら根底に自己肯定があるんだよね。これは『素晴らしき哉、人生!』のところでも書いたけど、この自己肯定というが、見る人に「期待」と「安心感」と「勇気」と「勘違い」を与えてくれる。「勘違い」だけでもなんとかなるんだが、そのほかに3つも与えてくれるのでもう怖いもの無しだ!(笑)。

<あらすじ>
ラリー・バロース(ジェームズ・ベルーシ)は20年前の高校野球の決勝で空振りし負け試合の戦犯にされてい以来、自分の平凡な人生に嫌気がさしていていた。そして35才の誕生日。
妻のエレン(リンダ・ハミルトン)は自分の誕生日を忘れていて、おまけに会社はクビに。帰りに酒場へ飛び込んだ彼の前に現われたのが運命を変える不思議な男、Mr.デスティニー(マイケル・ケイン)。
しかし彼の魔法のカクテルを飲んだラリーの人生は一変した。あの時、ホームランを打ったラリーは、クビになったはずの会社の社長になり、高校時代のマドンナ、シンディー(ルネ・ルッソ)と結婚し豪邸にすんでいた。なにもかもが素晴らしいはずだった。しかし、不当解雇を糾弾する労組と会社幹部との間で板挟みとなり孤立無援。労組の女性幹部となっているエレンを必死に口説き落とそうとするが、彼女は別の誰かさんの奥さん。最後は警察におわれ、愛犬のさミーまでひき殺してしまう。
こんな人生は嫌だ!と我に返ると、そこはMr.デスティニー酒場。今の自分の人生を肯定しつつうちに帰ると、誕生日をわすれていたリンダは、サプライズ・パーティを企画していた。みんながラリーの誕生日をいわってくれる。

そして再びあの痛恨の三振のグランド。
惨めな気持ちでグランドをさる高校生のラリーにMr.デスティニーが観客席からみまもっている。

だいたい過去なんて、その時その時の最善を選んできたのだがら、半生することも変えることも出来るわけがない。さらにいい選択なんてありえない。過去は総て肯定するしかない。そして明日を変えるのだ!
おおおおおおお、書いてて勇気がわいてくる。

by ssm2438 | 2010-07-23 03:19
2010年 07月 21日

アメリカ上陸作戦(1966) ☆☆☆

f0009381_21594787.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:ウィリアム・ローズ
撮影:ジョセフ・バイロック
編集:ハル・アシュビー
音楽:ジョニー・マンデル

出演:
カール・ライナー (ウォルター)
エヴァ・マリー・セイント (ウォルターの妻)
アラン・アーキン (ソ連上陸部隊隊長ロザノフ)
ジョン・フィリップ・ロー (ソ連兵アレクセイ・コルチン)
アンドレア・ドローム (ベビーシターのアリソン)

       *        *        *

なかなかの拾い物であった。さすがノーマン・ジェイソン

それはまだ、ソ連がキューバに核ミサイルを設置しようとする前の話。ソ連潜水艦の乗組員たちが、敵国と教えられたアメリカという国を見てみたいと、アメリカの北部のある島に接近、すると運悪く座礁してしまう。なんtかその場をはなれないソ連の潜水艦乗組員は、潜水艦を海へ引き戻すために、島のどこかにあるだろうボートを一時借用することにした。そして9人の乗組員がアメリカに上陸する・・という話。
まあ、コメディなので重苦しい雰囲気にはならないが、これがなかなか楽しいのである。

監督は『夜の大捜査線』『屋根の上のバイオリン弾き』ノーマン・ジェイソン。編集にはのちに『帰郷』『チャンス』などをとるハル・アシュビーが編集で参加。主演のカール・ライナーは、『恋人たちの予感』の監督ロブ・ライナーの父親である。

懐かしいところでは、『バーバレラ』の盲目の天使ガイパーを演じたジョン・フィリップ・ローがアメリカ人女性に恋する純粋なソ連兵として登場。というか、この映画のロシア兵はみんな良い人なので特別すごいわけでもないのだけど。そしてジョン・フィリップ・ローが恋に落ちるアメリカ人女性がアンドレア・ドロム(Andrea Dromm)というCM出身のモデルさん。ちょっと風貌がアメリカのポルノスター、サバンナ嬢ににてたので気になってチェックしてみたが、映画にでているのは3本だけ。この映画と『スタートレック』(1966)と『カム・スパイ・ウイズ・ミー』(1967)の3本だけ。もうちょっと大画面でみたかった役者さんだった。

映画は、登場する人物みなさん良い人なので血なまぐさいことにはならない。立場の違いと、潜在的な恐怖からどたばたがだんだん肥大していく。多分スピルバーグが監督した『1941』もこんな感じにしたかったんじゃないだろうか・・ってひそかに思った。

f0009381_227232.jpg<あらすじ>
ある夏の日、アメリカ北東部ニュー・イングランド地方のある島の沖合にソビエトの潜水艦が座礁。艦長(セオドア・バイケル)は座礁した潜水艦を海に引き戻すためにボートの略奪(拝借)を副官のロザノフ(アラン・アーキン)に命令、8人の水兵を連れて上陸する。
夏の休暇をこの島で過ごすブロードウェイの脚本家ウォルト(カール・ライナー)は妻のエルスパス(エヴァ・マリー・セイント)と朝食の卓についていたがそこへロザノフたちが現れて、ボートはないかと問いただす。最初はノルウェー人だと言っていたが息子が声もあらわに「ロシア人だ!」といってしまい、仕方なく銃をつきつけ南京市、車を拝借、アレクセイ・コルチン(ジョン・フィリップ・ロー)を見張りにのこしてボートがある街へ向かっていく。
ロシア人が上陸して飛行場を占領した、という噂がまたたく間にひろまった。島の男たちはライフル銃に身をかためて自警団を結成して、飛行場攻撃に出かけた。
なんとかコルチンの銃を奪い、街にロシア人の上陸を知らせるために自転車をはしらせるウォルトル。そんなウォルトのことが心配になった妻も息子を連れて街へ行く。残されたのはまだ幼子の共助とベビーシッターのアリソン(アンドレア・ドローム)。そんな彼の家にコルチンがもどってきた。しかし・・、お互いは惹かれあい仲良くなってしまう。

島はロシアの連中のために電話線が全部切断された。潜水艦は折りからの満潮であっさりと離礁してしまう。上陸させた兵士を乗船させてソ連に引き上げたいソ連潜は港へと侵入。捉えられたロザノフを救うために街に砲塔をむけておどす。島の保安官は、「お前らは平和な街を混乱に落とし込み、電話線を切断し、銃を発砲し一部市民を軟禁、島民を戦争への恐怖に陥れた。よって逮捕する」とアメリカ人の司法を守る立場として断固として立ち向かう。

いやああ、はっきりいってここはかっこよかった。

そんな両軍対峙しているなかで、この騒ぎを教会の屋上から見学していたお子様が屋根からおっこち、のきさきにひっかかってしまう。そうなるともう両軍どうでもよくなって、ソ連兵も島のひとたちも今日協力してピラミッドをつくり、少年を救いみんな仲良くなったとさ・・・・。


個人的には可笑しかったのは、島で唯一の電話局、そのおばさんと一緒に縛られてしまった主人公のカール・ライナーがなんとか脱出しようと、もがいているところ。最初は背中合わせにして縛られていたのだが、それだとコミュニケーションがとりづらいということで、なんとか体をねじりあって向かい合わせの状態にしたのだが、その状態でぴょんぴょんはねながら移動すると・・・・・・・・・、たしかに相手はデブのおばさんだけど、あれってやっぱり股間がしげきさせてしまうんじゃないだろうか・・って思ってしまった。どうみても背中合わせの状態のほうがよかった気がするのだけど。。

by ssm2438 | 2010-07-21 22:07
2010年 07月 20日

ハート・オブ・ウーマン(2000) ☆☆

f0009381_0331651.jpg監督:ナンシー・マイヤーズ
脚本:ジョシュ・ゴールドスミス/キャシー・ユスパ
撮影:ディーン・カンディ
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
メル・ギブソン (ニック)
ヘレン・ハント (ダーシー)
マリサ・トメイ (ローラ)

       *        *        *

いっつも、当たらずしも遠からず・・のナンシー・マイヤーズ。

気がつくと見ているナンシー・マイヤーズがらみの作品。たぶんこの人の方向性は好きなのだと思う、ただ、もうひとつなにかしらガツンな取っ掛かりがほしい。いつも、悪くはないけど、なにか足りない・・映画ばかりなのだ。
ナンシー・マイヤーズが脚本を書いた作品といえば、『ホリデイ』 『恋愛適齢期』『ハート・オブ・ウーマン』『花嫁のパパ』『赤ちゃんはトップレディがお好き』『ペーパー・ファミリー』‥など。話自体はけっこう好きなのである。この『ハート・オブ・ウーマン』にしても悪くはない。むしろ好きである。しかし・・・、この映画に関してはメル・ギブソンがちょっとやだったかな。あとメル・ギブソンの娘役もいや。あの話はなくてもよかったのに。それけずってマリサ・トメイの部分をふくらませてくれたらもっと嬉しかったのに・・って思ってしまった。

しかし、本編にはあまり関係がないが、ナイキのコマーシャル映像はじつにいい!

<あらすじ>
広告代理店につとめるニック(メル・ギブソン)は、前妻が再婚する事になり、一時的に年頃の実娘と生活することになる。今までまともに父親らしいことをしてこなかったせいか、娘にはほとんど相手にされていない。そんな時、会社でもヘッドハンティングされてきた美人女性ダーシー(ヘレン・ハント)がニックの上司になる。
そんなニックは雷にうたれ、突然意女性の心が聞こえるようになる。それを境にニックが女性の心の声に耳を傾けることから、彼の仕事、恋愛、父娘関係、が変わっていく事になる。

まあ、最初は女を理解せずに生きてきた男が、突如女の心が声を聞こえるようになり、はじめのうちはそれを利用して仕事でアドバンテージを得ていたが、女性を心から理解し接していく男に変貌してくお話。
ああ、こうかくとしょうもなく感じる。女性の願望なんかなって思った。。。

by ssm2438 | 2010-07-20 00:33
2010年 07月 19日

狂っちゃいないぜ(1999) ☆☆

f0009381_23563832.jpg監督:マイク・ニューウェル
脚本:グレン・チャールズ/レス・チャールズ
撮影:ゲイル・タッターサル
音楽:アン・ダッドリー

出演:
ジョン・キューザック (ニック)
ビリー・ボブ・ソーントン (ラッセル)
ケイト・ブランシェット (ニックの妻)
アンジェリーナ・ジョリー (ラッセルの妻)

       *        *        *

うむむむむ、どのジャンルにいれていいのか悩ましい映画だが、妙に忘れがたい作品ではある(苦笑)。

管制官を扱った作品というのはそんなにあるわけではない。私のかすかな記憶だと、キーファー・サザーランド『乱気流/グランド・コントロール』(1998)というのがあるくらいで、これは個人的には意外と好きな映画だった。『乱気流・・・』がTVMなのに対してこっちは一応劇場公開のつもりでつくった映画。なるほどキャストはじゅうじつしている。天下のアンジェリーナ・ジョリーはでてるし、ケイト・ブランシェットもいる。一応ジョン・キューザックビリー・ボブ・ソーントンもメジャーなところだ。このころビリーとアンジーはラブラブだったのだろうな・・きっと。

しかし、発想はよかったのだけど、もうちょっとなんとかならんかったかなあ。どこかがなんか違ったらけっこう快作になっていたのに。まあ、いまのままでも、妙作ではあるが・・。

管制官にとっては、二つのアイコンが重なり合った時は恐怖の時間。それは航空機のニアミス、最悪の場合は空中衝突を意味する。そんな危険をはらみながら5分おきに着陸してくる航空機を一列にならべ、じゅんぐりに空港におろしていかなければならない。そんなスリリングな職業を映画しようと考えたのはいいのだけど、
うむむむむ・・・もうちょっとどうにかならなかったのかああ。どこでどう感情移入していいのかわからなかった。おまけになにをもって物語の目的としてみるべきか判らなかった。。。

とにかく、主人公ジョン・キューザックよりも、ライバルのビリー・ボブ・ソーントンのほうが人間的にできているのである。いままで自分が一番だと想っていたジョン・キューザックが、自分より大きな人間にである映画であるのだが、相手の妻と“H”をしてしまうという変な展開になってくる。おまけに自分の妻はビリー・ボブ・ソーントンに迫れても“H”はしてほしくない(あたりまえだが)という人間的なエゴが垣間見られる映画で、男心にはみみがいたい話である(苦笑)。
この映画を見ると、主人公のジョン・キューザックも自分も、まだまだ人間ができてないなあ・・と痛感する。まあ、いつまでたっても出来た人間になれるとはおもってないが・・。

しかしなかなか忘れられない映画である。

<あらすじ>
ニューヨークの航空管制局でNo.1を自認していた航空管制官ニック(ジョン・キューザック)。しかし地方から転勤してきたやり手の新入りラッセル(ビリー・ボブ・ソーントン)に立場はゆらいでくる。ラッセルに対して強烈なライバル心を燃やすニック。しかし、強引かつ冷静な判断で機を着陸させるラッセうのほうがやや分があるように見える。
そんな時、ふとしたきっかけで知り合ったラッセルの妻メアリー(アンジェリーナ・ジョリー)と“H”をしてしまうニック。しかしここでも優越感を罪悪感にさいなまれる。ましてや等価原理のほうそくなら、ラッセルに「妻をだかせろ」と言われても文句が言えない立場のニックは、ラッセルに対して負い目を感じてしまう。ストレスを抱え込んだニックは神経をすり減らす。そんな矢先の雪の日、空港に爆弾が仕掛けられるという大事件が発生。必要な誘導人員は2名。かくして、わだかまりを持ちながらもラッセルとニックはコンビを組んで、互いのプライドと妻をも賭けた難事に挑んでいくのだった。

最後はラッセルの心の広さに、なんとかストレスから解放されるニック・・という図式。
甲斐性のない主人公の映画でした。

by ssm2438 | 2010-07-19 23:56
2010年 07月 19日

がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン(2005) ☆☆

f0009381_23261999.jpg監督:リチャード・リンクレイター
脚本:ビル・ランカスター
    グレン・フィカーラ
    ジョン・レクア
撮影:ロジェ・ストファーズ
音楽:エド・シェアマー

出演:
ビリー・ボブ・ソーントン (モリス・バターメイカー)
サミー・ケイン・クラフト (アマンダ)

       *        *        *

おお、まったく一緒だ、このリメイク!

オリジナルはテイタム・オニールウォルター・マッソーというインパクトの強い二人が出てたのですが、今回はふたりともそれほどインパクトがあるわけではない・・ので純粋にストーリーを楽しむことができます。といっても、個人的にはこの話あんまり好きではないのだけど。

しかし、今回のアマンダをやったサミー・ケイン・クラフト嬢、ほんとに100キロオーバーの球を投げるとかで、やっぱりみていて力感があります。まあ、顔は・・・そんなに魅力があるわけではないのだけど、その本物感はやっぱり良い。ただ、ビリー・ボブ・ソーントンのダメオヤジぶりが・・・、やっぱりこの人がやるとほんとにダメオヤジ的で、ウォルター・マッソーのユーモアみたいなものがちょっとないかな。ウォルター・マッソーだったら許せるけど、ビリー・ボブ・ソーントンだったら許せないって感じががしないでもない(苦笑)。

by ssm2438 | 2010-07-19 23:26
2010年 07月 19日

がんばれ!ベアーズ(1976) ☆☆

f0009381_10285149.jpg監督:マイケル・リッチー
脚本:ビル・ランカスター
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:ジェリー・フィールディング

出演:
ウォルター・マッソー (モリス)
テイタム・オニール (アマンダ)

       *        *        *

この頃のテイタム・オニールは可愛かった!

当時世間ではかなり評価されていた映画だったが、個人的にはイマイチ感をつよくもった映画のひとつ。とにかく「成し遂げる」感がない映画で、結果としてリーグ優勝を決める決勝戦まではいけるだけの話。チームが強くなっていくプロセスが、人材を育てるといよりも、いい人材をほかから集めてくるという方式。「ダメなものはダメなんだ。だったら良い人材を他からあさってくればいいじゃないか。で、ダメなものと出来るものとが一緒にやっていこうよ」・・みたいなスピリットが根底にあるような気がして、それがカープファンの私には今ひとつなじまなかった(苦笑)。まあ、現実的ではアルのだけど・・・。

そんななかで、子供たちが持つ、劣等感や、虚栄心、親に対する反発など、“ああ、判るわかる・・”といった描写をちりばめてつくってある。運動神経抜群の不良少年ケリー、プレーオフへの進出がかかった一戦で、監督モリスは「外野フライは全部お前がとれ」と指示を出す。他人の守備範囲まできてボールをとってしまう彼にチームの連中は反感をもつ。不良少年演じてるくせに、彼も「悪いなあ」とおもってて、仲間はずれにされると寂しそう。そんな描写がなかなかよいことはよい。
あと、ちょっとどきっとしたのは、チームのなかに英語が話せないメキシコ人の兄弟がいるところ。この言葉が通じない人たちがいる世界観ってのが、さりげなくアメリカの心の広さを感じさせてくれた。
それにテイタム・オニールは可愛い。

中学校のころで、テイタム・オニールが大好きでした(私より一つ下)。当時テイタム・オニールと、彼女より一つ年上のジョディ・フォスター(私と同い年)が女の子スターとしては名をはせていたのですが、結局テイタム・オニールはこのあたりからキャリアが失速、というか、まともに見られるのは『ペーパームーン』とこの『がんばれ、ベアーズ!』くらいで、クロスティ・マクニコルと共演した『リトル・ダーリング』がスクリーンでみた最後の映画になってしまった。他にもでてたのだけど、私のなかでそんなにときめかなくなってしまったかな。テニスのジョン・マッケンローと結婚した時にはちょっとびっくり、久々に名前をきいたけど、ええええええええええ!? どこをどうしてそんなことになったん??っとちょっとがっくり。もうちょっと役者人生で輝いてほしかった人でした。

監督のマイケル・リッチーは、普通に映画を撮る人。古くは『候補者ビル・マッケイ』、最近でみたのは『クール・ランニング』くらいでしょうか。特に癖もなくみていて鼻つくところもないけど、インパクトもあまりない人。
撮影はジョン・A・アロンゾ。大好きです! 『ブラック・サンデー』、『ブルーサンダー』『未来警察』など、この人の夜の画面はとてもめりはりがきいてて素敵だ。残念ながらこの映画では昼間ばっかりなのでアロンゾのよさは発揮されなかったのが残念だが・・。

<あらすじ>
プール清掃人モリス・バターメーカー(ウォルター・マッソー)は、メジャーに上がることはなかったがプロの世界に身をおいていたピッチャー。そんな彼が、地元の少年野球リーグの新チームを『ベアーズ』のコーチを依頼される。しかしベアーズのメンバーの練習を見て絶望的になった。リーグが開幕、初戦の相手はリーグ最強のヤンキース。ベアーズは一死もとれずに1回の表で26点取られ、たまりかねたモリスはそのまま、放棄試合にするしかなかった。
f0009381_10354796.jpg
「少年野球はピッチャーだ!」とばかりに、使えるピッチャーをスカウトする。それが、モリスの昔の恋人の娘で、12歳になる娘アマンダ(テイタム・オニール)。子供の頃から彼女にキャッチボールをおしえ、プロ仕込みの投球術の総てを教えられていたのだ。アマンダもモリスにさりげない父親を想う愛情を抱いており、なんだかんだと難癖をつけながらもベアーズに参加する。
アマンダが加わったことでなんとか点数的には試合になるが、それでも守備はがたがた。そんな試合中にバイクにのってフィールドに乱入する不良少年ケリー(ジャッキー・アール・ヘイリー)。係員につまみ出される。タバコをすい、サングラスをかけ、バイクを乗り回すガキだが、彼もやっぱり野球が好きなのだった。試しに打たせてみるとがんがんボールを飛ばす。
チームのピッチャーと4番がそろったベアーズは快進撃をはじめる。

by ssm2438 | 2010-07-19 10:38
2010年 07月 18日

ヒマラヤ杉に降る雪(1999) ☆☆☆☆☆

f0009381_22205793.jpg監督:スコット・ヒックス
脚本:ロン・バス
    スコット・ヒックス
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:イーサン・ホーク/リーヴ・カーニー
    工藤夕貴/鈴木杏
    リック・ユーン
    マックス・フォン・シドー

        *        *        *

この映画、イーサン・ホークのせつなさがとてもいい。好きで好きでたまらない女が別の男と結婚・・という実にありがちなシチュエーションの映画なのだが、そのせつなさがいたいほど伝わる。ピーター・ウェアー『いまを生きる』といい、この映画といい、こういうみずみずしいタッチの主人公には彼はあっていると思う。
そしてスコット・ヒックスの演出がまたしみじみとしていい。スコット・ヒックスのなかではこの作品が一番好きだ。この人の映画って、前作の『シャイン』、このあとの『幸せのレシピ』にしても、がんばって生きてきた人の心にシップ薬をやるようなひんやりと心地がいいやさしさがあるんだよね。大好きな監督さんの一人だ。今回の映画も、まさにしんしんとふりつもる雪がイーサン・ホークの魂の熱い叫びを封じ込めてるような感じ。恋愛感情としてホットな部分を完全に覆い隠してる演出だからこそ、この映画が素敵なのだろう。それをフィルムに記録しているのが『モンタナの風に抱かれて』などのロバート・リチャードソン。彼の画面は清涼として素敵だ。
工藤夕貴も実にあってた。これ、公開当時工藤夕貴が主演してるえいが・・というイメージ売ってしまったがためにいまいち受けなかったとおもうのだが、“『シャイン』のスコット・ヒックス”というアプローチならもっとうけたのではなかろうか。

<あらすじ>
第二次世界大戦が終わって10年がたとうかというワシントン州(アメリカ西海岸の一番北)。サン・ピエドロ島で第一級殺人の裁判が開かれる。容疑者は日系人のカズオ。漁師のカールを殺した罪に問われているのだった。
傍聴席に座る新聞記者のイシュマエル(イーサン・ホーク)。彼は少年時代にカズオの妻・ハツエ(工藤夕貴)と愛し合う仲だったが、太平洋戦争が二人を引き裂きハツエはカズオと結婚。イシュマエルも戦争で片腕を失っていた。日系人に対する差別が渦巻く法廷で、カズオは孤立していた。しかし独自の調査でイシュマエルはカズオが無罪だという証拠にたどりつく。ハツエをいまだに愛している自分、自分を裏切って他の男と結婚した彼女への封印している憎しみ。良心と過去の傷がイシュマエルをいたばさみにする。
男と恋愛至上主義な心のメカニズムと、女の情況支配主義的な心のメカニズムのきしみを描いた心の痛い映画。女にはこの痛みはわからないんだろうなあって思った。

映画自体は法廷サスペンスにあたるのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよくって、描かれているのはイーサン・ホークのかなわぬ愛だ。ああ、切ない。

by ssm2438 | 2010-07-18 21:54
2010年 07月 18日

死刑執行人もまた死す(1943) ☆☆☆

f0009381_1235164.jpg監督:フリッツ・ラング
脚本:ベルトルト・ブレヒト
    フリッツ・ラング
    ジョン・ウェクスリー
撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ
音楽:ハンス・アイスラー

出演:
アンナ・リー (マーシャ)
ブライアン・ドンレヴィ (スヴォボダ)
ウォルター・ブレナン (マーシャの父)

       *        *        *

うむむむ・・・確かにシナリオのこねくり方が上手い! が・・・。

大昔の映画修行時代にみた映画だが、最近になって今一度見直してみた。実に解釈にこまる映画である。
1946年のヴェネチア国際映画祭特別賞を受賞しているこの映画、制作されたのは戦時中のアメリカであり、監督はオーストリア出身のフリッツ・ラング、脚本のベルトルト・ブレヒトはドイツからの亡命者で共産主義者だった。時代が時代だけに反ナチのプロパガンダ映画である。特に前半の展開は、何を持って「よし!」とするかという自分なりの価値観が確立できないまま進んでいくので、重苦しい展開だけが感性を刺激してくる。

舞台はナチス占領下のプラハ。「ハングマン(死刑執行人)」と呼ばれ市民に恐れられていたラインハルト・ハイドリッヒ保護領副総督が暗殺される。秘密警察ゲシュタポは、チェコ市民400人を人質にとり、暗殺者が名乗り出るまで1日数人を銃殺していくという報復にでる。
暗殺の会った日の夜、挙動不審の男をかくまうことになってしまったマーシャ・ノヴォトニー(アンナ・リー)の父(ウォルター・ブレナン)も人質にとられていた。マーシャはその男スヴォボダ(ブライアン・ドンレヴィ)に自首を懇願する。スヴォボダも自分が自首しようとするが、抵抗運動の組織はそれを許さない。
一方人質にとられれ、死を待つだけの人々の間でも意見は分かれる。犯人は自首するべきだと言う人もいる。しかし、マーシャの父、ステファン・ノヴォトニーは、「犯人が自首してもナチは我々を殺し続ける」という。名前を呼ばれ、潔く連れて行かれるチェコ人たち。そんな彼らを合唱で送り出す残された囚人たち。

全体主義のために個人を犠牲にすることを高らかにうたい上げる映画のスピリットに、勇ましさというよりも、なにかしらの目に見えない恐怖みたいなものを感じた。この脚本を書いたブレヒトは共産主義者であり、最初の脚本ではその精神が色濃くでていたらしい。フリッツ・ラングがそれを弱めることを望み、ウェクスリーが問題部分のカットと潤色を施したという。ちなみにウェクスリーも共産主義者であった。
この映画は、アメリカで制作された反ナチ映画ではあるが、精神構造的には<非道なナチ>vs<美しき全体主義=共産主義>の色合いが強いと思う。そのあたりが私の感性にストップをかけて、手放しでこの映画を賞賛できないにおいを感じさせているのだと思う。

物語は後半からがらりと変わる。多分このあたりからフリッツ・ラングが変更を加えていき、重苦しくないサスペンスにしてしまったのだろうと勝手に推測する。

チェコの抵抗組織は、その中の一人チャカ(ジーン・ロックハート)というチェコ人男性がゲシュタポのイヌであることを知る。そして彼を犯人に仕立て上げていく。そこにはお互い顔もしらないチェコの市民が一つの目的のために嘘をついていく。ゲシュタポのイヌだったチャカはゲシュタポに殺され、チェコ人たちの抵抗運動は高らかに賞賛されるのであった・・・。

by ssm2438 | 2010-07-18 12:36
2010年 07月 18日

狼は天使の匂い(1972) ☆☆

f0009381_137341.jpg監督:ルネ・クレマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ
撮影:エドモン・リシャール
音楽:フランシス・レイ

出演:
ジャン=ルイ・トランティニャン (トニー/フロギー)
ロバート・ライアン (チャーリー)
レア・マッセリ (シュガー)
ティサ・ファロー (ペパー)
エマニュエル・ベアール(アイスを食べるソバカス少女)

       *        *        *

お話だけがつまらない映画。・・じゃあ全部ダメじゃん・・という人もいるだろう・・、しかし・・・。

しかし・・、見るべきところはいっぱいある映画である。
問題はこの御伽噺のスタイルをうけいれられるかどうか・・というところで見る人の分岐点が別れると思う。私はダメだ。よってお話には最初から最後までのめりこめなかった。映画の冒頭、『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルの台詞の引用から始まる。映画も御伽噺なのである。

では「御伽噺とはなんなのか?」という問題が持ち上がってくる。普通の物語は、自然の摂理に従ってあるかそうな出来事やキャラクターを想像し、それを自然界の普通の法則のなかで展開していく。しかし御伽噺というのはその世界をつかさどるルールそのものを作者が作り上げることが出来る。なのでその世界は、金正日のように、作者が好きにできるのである。そうなると物語りはなんでもありの世界になってしまい私なんかは面白さを感じなくなってしまう。この映画も実はその傾倒の映画で、御伽噺が好きな人にとっては受け入れられガ、それが出来ない人にとってはつまらない映画になる。
普通の映画は、見ている人がその映画のなかの誰かに感情移入しつつ、その物語は自然の摂理に従って展開しているにしたがって、自分の感情移入したキャラクターがなんらか勝利をえるように期待できるものである。しかし、御伽噺の場合は、そのキャラクターが勝利するかどうかは、作者の気分次第できまるのである。ゆえに私は御伽噺が嫌いなわけだ。

映画は、ある少年の子ども時代の回想から始まる、その回想でおわる。

その少年は「友達をつくってきなさい」と母親に送り出され、見知らぬ街で、見知らぬ子供たちと接点を持とうとする。しかし最初のグループには拒否される。そのあとに接触したグループには、男が4人、女が2人がいて、彼らにその少年は歩み寄っていく。少年は、ビニールの網にいれたビー玉を「これ、あげるよ」というように仲間の和の中に入ろうとするが、その仲間のリーダーらしき男の子は、そのビニール袋をナイフで斬り、いくつものビー球が階段をはねて落ちていく。物語の最後では、その男の子は、リーダーの男の子と別れを惜しむように別れていく。
そこに何があったかは定かではないが、それは本編で語られているのだろう。そこでの構成メンバーとトランティニャンが合流する一味のメンバー構成が微妙に一緒なのだ。野球のボール持ってる男もいるし・・。そして最後に手を振りながら別れる二人の少年は、本物語の中でのジャン=ルイ・トランティニャンロバート・ライアンの行く末を暗示しているかのようにも思える。

<あらすじ>
写真家のトニー(ジャン・ルイ・トレンティニヤン)は、セスナ機を借りて撮影中に事故を起こし、その期待が群衆の群れに墜落、数多くの犠牲者をだした。その群衆の何人かはトニーに復讐を近い、彼を追い回していた。

パリから逃亡したトニーは、ニューヨークからモントリオールへ逃げた。その追っ手から逃げ延びるために別の一味に合流するトニー。一味のボス、チャーリー(ロバート・ライアン)で、その情婦シュガー(レア・マッサリ)、マットン(アルド・レイ)、リッツィオ(ジャン・ガバン)、パウルその妹ペッパー(ティサ・ファロー)がいた。
身を守るためにトニーは、その一味の一人一人の信頼関係を気付き、仲間に溶け込んでいく。
やがてチャーリーが計画している大仕事に誘われる。あるギャングの大親分が近く法廷で裁かれることになっているが、彼を有罪にする証人の女の子で誘拐するというのだ。彼女は成人女性ながら、13歳で知能の成長がとまっており、警察病院で保護されていた。
綿密に計画をたて進入した警察病院、しかし、彼女は自殺してすでにこの世の中には存在していなかった。
仲間が逮捕されるなか、ペッパーとともに味とにもどったトニーたちだが、警察の包囲網は迫る。ペッパーを逃がすと、トニーは味とにもどり、チャーリーとビー玉をかけて警察舞台にむけて発砲するのだった。

ただ・・、現実逃避のために、自分たちの法則で現実を空想に置き換えるそのやり方は・・オウム真理教と同じであり個人的には好きではないな。そんなスピリットがこの物語の根底にあるので多分私はこの映画があまり好きになれないのだと思う。

by ssm2438 | 2010-07-18 01:37 | ルネ・クレマン(1913)