西澤 晋 の 映画日記

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2010年 07月 16日

パラダイス(1982) ☆☆

f0009381_21342031.jpg監督:スチュアート・ジラード
脚本:スチュアート・ジラード
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ポール・ホファート

出演:フィービー・ケイツ

       *        *        *

今日はフィービー・ケイツの誕生日(7月16日)!

フィービー・ケイツもついに47歳(1963年生まれ)になてしまわれました。そんな彼女のデビュー作がこれ。いやああああああああ、チャーミングでした。スレンダーなヌードはみずみずしくてまぶしくて・・。これほどまでに健康的で美しいヌードだと、モザイクやぼかしをかけることも犯罪のような気がする。彼女を堪能するだけの映画でしかないのですが、それだけの価値で充分満足という映画。

物語は『青い珊瑚礁』みたいなものです。男のことと女の子があまずっぱいふたりっきりの青春ラブラブ生活。しかし舞台は中東。中東と聴くとどうしても砂漠をイメージしてしまうが、彼らがたどり着いたのはその砂漠のまんなかにあるオアシスで、水もたっぷりあるパラダイス。
砂漠の部族に襲われてみんなが殺されたりするが、それは物語の段取り上しかたないことと思って血なまぐさいところはさくっと飛ばし、気持ちの良いところだけみよう。

<あらすじ>
19世紀末、バグダッドで医師をしていた父が死んだため、故郷のイギリスに帰ることになった15歳の少女サラ(フィービー・ケイツ)しかし、途中、サラたちのキャラバンは、砂漠の部族に襲われ、生き残ったのはサラと従者のジェフリー、そして16歳のアメリカ人、デビッド(ウィリー・エイムス)の3人だけだった。しかもジェフリーも殺されてしまう。途方にくれた二人は砂漠を歩いていると清水が滝となって噴き出しているオアシスにたどりつく。歓声をあげて二人は水に飛び込んだ。水の洞穴を抜けると、向こうは海だった。その夜、デビッドが弓矢で取った肉を、サラはキャンプ・ファイアでむさぼり食べた。空には星、地上には静かな波の星。二人にとって正にパラダイスだった。家を作り、魚もとった。デビッドがサソリに刺された。サラは一晩中、介抱した。彼が意識を取り戻した時、サラは涙ぐんだ。二人ははじめてキスした。横になり、もつれあい、互いを感じあう。幼くも、情熱的なセックス。来る日も来る日も二人は愛しあった。
再びあの部族が襲ってきた。今や男となったデビッドは勇敢に戦い彼らを撃退した。再び旅に出た二人は再び文明社会にもどっていった。

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by ssm2438 | 2010-07-16 21:36
2010年 07月 16日

初体験/リッジモント・ハイ(1982) ☆

f0009381_21515216.jpg監督:エイミー・ヘッカリング
脚本:キャメロン・クロウ
撮影:マシュー・F・レオネッティ
音楽:アーヴィング・エイゾフ

出演:
ショーン・ペン
ジェニファー・ジェイソン・リー
フィービー・ケイツ

       *        *        *

これこそ、フィービー・ケイツのオッパイだけしか見るところなし。

脚本は私とテイストがまったく合わない(絶対こいつはホモだ)キャメロン・クロウ。ストーリーも最悪。まったく面白みも何もない。おまけにどうも好きになれないショーン・ペンが主役。なんでこんな映画に私の天使が出たんだ?

しかしそれも妄想シーン。
不思議なもので、妄想シーンというだけで、なんだか存在感がうしなわれるから悲しい。

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by ssm2438 | 2010-07-16 20:44
2010年 07月 16日

プライベイトスクール(1983) ☆

f0009381_1247416.jpg監督:ノエル・ブラック
脚本:ダン・グリーンバーグ/スーザン・オマリー
撮影:ウォルター・ラサリー

出演:フィービー・ケイツ/マシュー・モディーン

       *        *        *

こっちのほうがさらに最低だった・・。

前年制作された『初体験/リッジモント・ハイ』で無駄にフィービー・ケイツの健康美を浪費したが、この映画はさらにクソだった。さらにフィービーの肢体もここちよく拝めない。まったくなにもいいところがない映画であった。

あえていいところを一つ上げるとした、新しく発売されたDVDの表紙は綺麗だということくらいだろう(→)。先に発売されてたやつはひどすぎる。

by ssm2438 | 2010-07-16 20:40
2010年 07月 16日

パリは霧にぬれて(1971) ☆☆☆

f0009381_20365196.jpg監督:ルネ・クレマン
脚本:ルネ・クレマン/ダニエル・ブーランジェ
撮影:アンドレア・ウィンディング
音楽:ジルベール・ベコー

出演:
フェイ・ダナウェイ (ジル)
フランク・ランジェラ (夫・フィリップ)
バーバラ・パーキンス (シンシア)

       *        *        *

なんとびっくり、キモいはずのフェイ・ダナウェイが美しい!

フェイ・ダナウェイといえば、細い眉とこけた頬のキツネ顔で、お世辞にも綺麗だとは言いがたく、どっちかというとひたすらキモい感じの女優さんなのだが、いやああああああ、この映画の彼女はびっくり、美しい。眉毛もふとい。頬のこけてない。ずっとこれでいっとけばよかったのに、なんでこの映画以外はあんなに悪女に変身してしまったのでしょう?

映画は・・・お話はいまいちなんだけど、演出だけは素晴らしい。以前にも書いたがルネ・クレマンのフレーンミングは恐ろしく的確で、一番見心地のいい絵を映し出してくれる。これが他の監督さんだったらどうでもいい空間がむだにあって、その分人物がちいさくなってたり、するものだが、クレマンのフレーミングはキャラクターが見やすいサイズでフレーミングし、ほんとに必要な時だけひいて撮る。それもまた的確。
さらに思わせぶりの演出であったり、みてる人をいらつかせる技法も心得ているのが、不快感だけのコーエン兄弟のそれよりも嫌味はないので、見続けることが出来る。ロケ先では自然光そのままに、露出アンダーもしっかり機能させてくれているが、明るいところもきちんといれてるので、真っ黒クロ介な印象にはなっていない。ともすれば、人工照明でかっこ見やすくしてしてしまう監督が多いなか、地道な絵作りがすばらしい。
撮影は『フレンズ』アンドレア・ウィンディング。音楽は『マイ・ラブ』ジルベール・ベコー。二人ともマイナーな職人さんだが、いい仕事をしている。

・・・しかし・・・、お話は面白くない。というか、ルネ・クレマンの映画の話は<不条理・サディスティック・サスペンス>なので、不条理性が物語の行方を判らなくさせているため、一般庶民だと最後まで見るのはつらいのではないだろうか。映画のお勉強だと思えば素晴らしい教材なのだけど、楽しめる映画とは言いがたいのも事実である。
しかも、今回の映画は<家族の不具合モノ>かと思えば、そこに『組織』なるものが登場、闇雲にきな臭い雰囲気にしてしまう。それがいいのか悪いのか・・。あんまりいいとは言えないと思う。冒頭の感じだと見ている人は、物語は家族の不具合が完治される、あるいは崩壊していく・・の流れだと思ってみるのが普通だと思うが、そこに『組織』が登場し、怪しい秘密結社の利益誘導のためにフェイ・ダナウェイの夫を協力させうようとするのだが、うんと言わないので子供を誘拐する・・というような流れになる。
それまでフェイ・ダナウェイのメンタル闘争ものだと思っていたのだが、それがサスペンスの要素が入ってきて、サスペンスではらはら、メンタル崩壊劇ではらはら、相乗効果をなしているというよりも、とらえどころがない展開になってしまっていた。

・・・しかし、まあ、それが<不条理・サディスティック・サスペンス>のルネ・クレマン・ワールドだといってしまえばそうなのだろうが・・・、でも一般受けはしない作りの映画である。

<あらすじ>
フィリップ(フランク・ランジェラ)とジル(フェイ・ダナウェイ)はパリに住むアメリカ人夫婦で、二人の間には8才になるキャシーと4才のパトリックがいた。ジルは精神が安定しおらず、数学者の夫フィリップにとってはウザ意存在となっている。ジルの精神異常はますます激しく、最近はすっかり親しくなった階下のアメリカ人シンシア(バーバラ・パーキンス)に何かと良くしてくれる。
そんなとき、ある『組織』がフィリップに接触してくる。天才的な数学者だったフィリップの才能に目をつけた彼らは、アメリカ時代に彼に産業スパイの暗号解読の役目をやらせていたのである。断るフィリップ。しかし組織はフィリップが出張中に、二人の子供を誘拐してしまう。しかしジルにしてみれば、子供たちの失踪は、自分の精神不安定さが原因であり、その責任を感じてしまう。警察も、実はジルが子供をつれて自殺しようとしたが、自分だけ生き残ったのではないかとさえ勘ぐっている。ますます精神が崩壊してくるジル。しかし、そんなジルは
シンシアこそが、組織のメンバーであることに気付く。
罪悪感をもっていたシンシアはジルに協力、しかしそれが組織にばれてしまい殺される。しかし、シンシアがアジトへかけた電話番号覚えていたジル。そのアジトへ言ってみると屋根裏部屋に子供たちが隠れていた。

by ssm2438 | 2010-07-16 20:37 | ルネ・クレマン(1913)
2010年 07月 15日

雨の訪問者(1970) ☆☆☆

f0009381_033478.jpg監督:ルネ・クレマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ
撮影:アンドレア・ヴァンダン
音楽:フランシス・レイ

出演:
チャールズ・ブロンソン (ドブス)
マルレーヌ・ジョベール (メリー)

       *        *        *

ヒロインがキム・ベイシンガーだったらよかったのに・・。

ストーリーは難解で、あまり関係のない話までからんでくるので、話ベースでみるとかなり厄介な映画だ。しかし、ルネ・クレマンの見せ方は素晴らしい。一般の映画よりも一サイズ寄った画面で撮ってくれるのがうれしい。寄ったサイズの中でアップをとり、フレーム外のものをフレーム内で表現してくれる。望遠の使い方が自然で、見やすく、もっとも正攻法の望遠映画だといえるだろう。そんな絵作りが圧倒的に魅力的な映画だ。

しかし、お話の展開は非常にいただけない。これでは何がどうなってるのか判らなくなる。とりあえずすっきりまとめてみると、こういう話だ。

ある雨の日にその街に降り立った一人の男にレイプされた女マルレーヌ・ジョベール。しかし彼女はその男を猟銃で撃ち殺してしまい。死体を海に捨てる。犯人を殺した時点で素直に警察に届けていれば、正当防衛が認められるケースだと思うのだが、これが犯された事実を隠すために死体を捨ててしまったことからある男チャールズ・ブロンソンに付きまとわれる。
彼はアメリカ陸軍の大佐で極秘任務についているらしく、その男がも持ち逃げした赤いバックに入った大金を追っていた。ブロンソンがその赤いバックを追えば追うほど、マルレーヌ・ジョベールが闇に葬りたい犯された事実と、犯人を撃ち殺して海に捨てた事実を認めざるを得ない状況になっていく。

このサディスティックな追い詰め方が映画的に魅力的だが、彼女にしてみればただただ不条理なだけだ。みていて気持ちのいい映画ではないが、演出的にはとても見ごたえがある映画だ。

ドラマの展開上、彼女を散々追い詰め精神的にも肉体的にいたぶるチャールズ・ブロンソンだが、映画の最後では彼女に恋をしたのだろうか。クルミで窓ガラスを割ってしまう・・(苦笑)。
本編の中で「恋をした人がクルミを投げるとガラスは割れる」・・らしい。チャールズ・ブロンソンがクルミを投げても窓ガラスは割れないのだが、マルレーヌ・ジョベールが投げるといつも割れるのである。

by ssm2438 | 2010-07-15 00:34 | ルネ・クレマン(1913)
2010年 07月 13日

さらば友よ(1968) ☆☆

f0009381_23241385.jpg監督:ジャン・エルマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ/ジャン・エルマン
撮影:ジャン=ジャック・タルベ
音楽:フランソワ・ド・ルーベ

出演:
アラン・ドロン (ディノ・バラン)
チャールズ・ブロンソン (フランツ・プロップ)
ブリジット・フォッセー (ドミニク)
オルガ・ジョルジュ=ピコ (イザベル)

       *        *        *

アラン・ドロンと他の役者が出ると、どうしてもアラン・ドロンが引き立て役になってしまう。

この映画にしても、『ボルサリーノ』にしても、やっぱりアラン・ドロンがああいうキャラクターなので相手役のほうが元気が良くなってしまうんだよね。この映画にしても、チャールズ・ブロンソンのほうがなんとなくキャラクターがはっきりしてて入れ込み易い。

この映画の売りは、アラン・ドロンがチャールズ・ブロンソンのタバコに火をつけるあのシーン。ま、それは皆さんほめちぎっているのでここでふれないことにしましょう。個人的にはそんなにスーパーごひいきにするほどでもないとは思うのだけど。おまけに最後のアラン・ドロンの「いえあああああああああああああ!」は意味不明だし、歯が薬のやりすぎで痛んでるみたいだし・・、最後までよく判らん映画だったな。
それぞれのキャラクターが「なぜそうするのか」という動機付けをしっかいしないまま物語が展開してしまうので、「なんでこいつはこんなことするの?」っていうのがやたらとおおい。といかほとんどそうである(苦笑)。おかげでけっこう全編とおしてかなり退屈。
※「退屈」とは感情移入できないで見ている・・ということである。

ただ、実はオープニングはけっこう好きだったのだけど・・・。

<あらすじ>
アルジェリア帰りの兵士たちを乗せた船がマイセイユについた。その船からおりたつアメリカ人軍曹、フランツ・プロップ(チャールズ・ブロンソン)と、軍医のディノ・バラン(アラン・ドロン)。
コンゴに出かけ一稼ぎしようと企んでいるプロップは、軍医のバランをくどくが、バランは彼をいきなり殴り倒して女と消え去った。女はイザベル(オルガ・ジョルジュ=ピコ)といい、パリの広告会社に働いているが、会社の債券をひそかに持ちだし利用していたのだ。それを金庫に返さなければならないという。その金庫がバランの医務室の隣にあることから彼に頼んだのだ。
しかし、その金庫には社員のボーナス、月給を含めて二億フランの現金がつまっているという。バランの目的はかわった。バランが作業を開始したとき、ふらりとプロップがあらわれ、彼も巻き込んで仕事をすることになる。長い苦闘の末、遂に金庫は開いたが、中はからっぽだった。通風孔をとおり、自分の医務室に脱出したがバランだが、そこには備員の死体がころがっていた。バランが作業にかかる前に、誰かが金を盗み出し、警備員を射殺し、バランに罪をかぶせようとしたのだ。
二人は逃走したが、空港で捕まりかけたバランを助けスために、プロップが一騒ぎ、バランは逃走したがプロップが捕まってしまう。
医務室で助手をしているドミニク(ブルジット・フォセー)の助けをかりて、一度診断したはずのいざベルのカルテからイザベルを探し出そうとするバラン。しかしドミニクはイザベルと共犯だった。金をとり警備員を射殺し手逃げるイザベルとドミニク。しかし二人は射殺されてしまう。
他の事件で再び刑事に連行されるプロップの煙草に、バランは無言で火をつけてやった。

いえああああああああああああ!!

by ssm2438 | 2010-07-13 23:24
2010年 07月 13日

まあだだよ(1993) ☆☆

f0009381_0273438.jpg監督:黒澤明
脚本:黒澤明
撮影:斎藤孝雄/上田正治
音楽:池辺晋一郎

出演:
松村達雄 (内田百けん)
香川京子 (奥さん)
井川比佐志 (高山)
所ジョージ (甘木)

       *        *        *

おおおおおお、その鍋をやってるときの怒涛の望遠は燃える!!

香川京子さん、好きです。なかでも成瀬巳喜男『おかあさん』のなかでの香川京子さん、大好きです。黒澤作品でもきれいどころのヒロインでなんどか使われてましたが、最後も香川さんできましたか。

作品自体は・・・とりあえず、これを見たときはそれほど面白いと思わなかった。もしかしてあと30年くらい生きたらこの映画が良く見えるかもしれない・・・とおもわせてくれるところはさりげなくある映画。でも、やっぱりああの望遠だけの映画かもしれない。
・・・でも、黒澤作品のなかでは意外と嫌いではない映画である(苦笑)。いつもはうざいと感じる作為性も、この映画においてはそれほど感じない。たぶん感情移入できない映画というか、その必要がない映画だからなのだろうか。こういうふうに、教え子に慕われる教師というのが、あまり想像できないんだな。なのでどうも、別次元のお話なのだと私の脳は理解したらしい。

でも感情移入できないならもうちょっと短くてもいいのでは?
東芝日曜劇場みたいに50分で作ったらいいのができてたかもしれないのになあ・・。

by ssm2438 | 2010-07-13 00:37 | 黒澤 明(1910)
2010年 07月 13日

野良犬(1949) ☆☆☆

f0009381_045444.jpg監督:黒澤明
脚本:黒澤明/菊島隆三
撮影:中井朝一
音楽:早坂文雄

出演:
三船敏郎 (村上刑事)
志村喬 (佐藤刑事)
淡路恵子 (並木ハルミ)

       *        *        *

いいんだけど、嫌い。上手いんだけど、下手。実に黒澤節である。

感情移入したいのに、大げさな作為性がそれを邪魔する映画。いろんな意味でバランスが悪いんだと思うな。アンドリュー・ワイエスタッチで描いたらいい絵になりそうなものを、ゴッホで描いちゃったような映画。良くも悪くもそれが黒澤映画・・・。

こういう演出しなくてもいいのに、そうしてるのが実に鼻につく。こういう演出するんなら他の作品でもいんじゃない? っていうシーンがやたらある。その違和感と、作為性が妙に鼻につく。反対演出効果をやたらと乱用するのがどうも嫌だ。
反対演出効果というのは、たとえばギャグシーンに悲しい音楽を流すと実にしんみりするとか、静かに聴きたい時にやたらと騒音をかぶせるとか、対決シーンで牧歌的な音を流すとか・・。つぼでやればいいのに全部でやるから、うざくなってくる。

ただこのお話、もうちょっと無機質にとったら良い映画になっていたのになあって思う。
なんというか、シーンの演出力はあるのだけど、その妥当性というのがないというか、場違いに乱用しているというか・・、うむむむむむ。やっぱり基本的に黒澤明って映画作りは下手なのだと思う。下手な人が一生懸命下手なりにアピーリングのする演出をこれでもかこれでもかと積み重ねていくから、その素人のいこじさが無骨に見えてしまうのだろうと思う。

でも、この話はいいなあ。ラストの病室のシーンは要らないけど。音楽もうざい。そう、全体的に音楽もけっこううざいんだよねこの映画。
あと遊佐がとまったホテルに書いた偽名が「並木晴夫」ってのが男の切ない憧れをものがたっていたなあ。
この映画、犯人サイドから撮らないからいいんだけど、捜査の過程でもう少し並木ハルミと遊佐の接点をかあぶりだして間接的の妄想させるような作りだったら良かったのに・・・。

<あらすじ>
むせ返るような夏のある日、射撃練習を終えた村上刑事(三船敏郎)は再び弾を装てんして上着のポケットに入れて帰路に着く。しかしその拳銃がバスのなかで何者かにすられてしまう。それからというものは村上刑事はボロボロ服に変相して毎日探し歩いた。その結果、場末の盛り場の貸ピストル屋にたどりつく。
村上刑事はベテランの佐藤(志村喬)と一緒に捜査する。手際よく事件の情報をみきわめていく佐藤は、本多という男に目星をつけ、後楽園の球場にいる彼を逮捕する。しかし村上の拳銃は遊佐新二郎という男に渡っていた。
村上と佐藤両刑事は次々と捜査網を縮めて行った。そして遊佐の憧れの女性ダンサーで幼馴染の並木ハルミ(淡路恵子)をつきとめる。その間にも、村上の拳銃を使った殺人強盗事件が起きる。嵐の夜、佐藤刑事は、村上刑事を並木ハルミの元にのこし、単身遊佐の足取りを追うが、遊佐に撃たれて重傷を追う。自責の念にかられる村上。なんとか佐藤刑事が一命を取り留めた朝、憔悴しきった村上刑事にハルミが遊佐の居場所を教える。
そして最後は、はあはあぜいぜいのあえぎながらも取っ組み合い(『酔いどれ天使』でもやってたような・・)。

by ssm2438 | 2010-07-13 00:06 | 黒澤 明(1910)
2010年 07月 12日

栗色のマッドレー(1970) ☆☆

f0009381_21354473.jpg監督:ロジェ・カーヌ
脚本:パスカル・ジャルダン/ロジェ・カーヌ
撮影:ジョルジュ・バルスキー
音楽:フランシス・レイ

出演:
アラン・ドロン (ジュリアン)
ミレーユ・ダルク (アガート)
ジェーン・ダヴェンポート (栗色のマッドレー)

       *        *        *

ミレーユ・ダルク、綺麗!

ナタリー・ドロンと離婚したあとにアラン・ドロンが付き合いはじめたのがこのミレーユ・ダルク。当時j、ナタリー・ドロンと別れてどんな女とひっついたんだ??って思っていたが、ミレーユ・ダルクの美しさをみると納得させられた。実はこの映画しか彼女はみたことがなかったのですが、綺麗だった印象がやたらとのこっている。
映画のなかでは、アラン・ドロンと、ミレーユ・ダルクの関係のなかに黒人女性のマッドレーがはいってきて、その関係が崩れていく。私生活でのアラン・ドロンとナタリー・ドロンの私生活に割って入った自分をマッドレーに投影し、ナタリー・ドロンの立場を演じているミレーユ・ダルク。
実はこの作品の原案はミレーユ・ダルクであり、ミレーユ・エグローズのペンネームで書いた彼女の原作をロジェ・カーヌパスカル・ジャルダンが脚本としてまとめ上げたのはこの作品。
作品の性質上、ミレーユ・ダルクの自己肯定がかいまみられるような気がした。

画面も美しく、フランシス・レイの音楽も素敵だった。しかし余談だがモンサンミッシェルをこの映画ではじめて知った。とおい昔、まだ水野晴郎さんの水曜ロードショーであった。
今一度みてみたい映画のひとつである。

f0009381_21361528.jpg<あらすじ>
古美術品の収集家でバイヤーもあるジュリアン(アラン・ドロン)とアガート(ミレーユ・ダルク)は、歴史をしのばせる邸宅からは想像出来ない現代的な愛で固く結ばれていた。ジュリアンは彼女との生活に満足しながらも、夜毎、キャデラックを乗り廻し、ナイトクラブに出没していた。アガートは、そんな彼を責めるるどころか、逆に浮気をすすめるのである。たとえ、どんな女と遊んでも、最後には必ず、彼が自分のところに戻ってくると信じていたからである。
しかし、マッドレー(ジェーン・ダヴェンポート)の場合は違っていた。カモシカのように美しい黒人女性にジュリアンもアガートも魅せられた。やがて、マットレーと肉体関係を打ったジュリアンを見てアガートは彼のいままでの浮気とは違うと直感した。敗北感を感じるアガートは耐えきれずついに姿を消した。
しかし残されたジュリアンもアガートを忘れることが出来ない。そんなジュリアンでは満足できないマッドレーもまた彼の前から姿を消した。
再び再会したジュリアンとアガート。元通りの二人だけの生活を取り戻し、幸福なはずのに、なぜかもう一つ何かが欠けてしまっていた。それはマッドレーのいない空虚感だった。そして、いつしかまたマッドレーが、二人の生活に入り込んできた。3人は仲良く暮らしさとさ・・・。

ミレーユ・ダルク、彼女の一番有名な写真がこれだろう(↓)。
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by ssm2438 | 2010-07-12 21:41
2010年 07月 11日

大魔神(1966) ☆☆☆☆

f0009381_23492628.jpg監督:安田公義
脚本:吉田哲郎
撮影:森田富士郎
音楽:伊福部昭
造型:高山良策
特技監督:黒田義之

出演:高田美和 (花房小笹)

       *        *        *

良い人も悪いも人もかまわず踏みつける大魔神が素敵!

3作がつくられたが、そのそれぞれの話には関連性はなく、時間的、地理的継続性もない。ただそれぞれ違うシチュエーションで大魔神の暴れん坊ぶりを3人の監督が撮っている。その最初の1本。『座頭市シリーズ』『眠狂四郎シリーズ』などに腕を振るった安田公義とその時代劇専門スタッフによって作られた重厚かつリアルは特撮時代劇。

大魔神の魅力はいろいろあるが、身長を4・5メートルに設定したことがこの映画にリアリティを与えている。4.5メートルといったらアンドレ・ザ・ジャイアント2個分である。見応えのある建物のミニチュアは魔神の背丈に合わせ、フィルムの速度も2.5倍、また瓦一枚一枚の大きさに至るまでが1/2.5の縮尺で統一されている。手足のアップ用にも原寸大の手と足もつくってあったとか。

それに小道具の使い方がまたいい。体に巻かれた鎖とか、額に打ち込まれたタガネとか、それがそのまんま凶器としてつかわれる。あの鎖をまといながら動くってのがいいんだなあ。

<あらすじ>
戦国時代、丹波(今の兵庫県北東部~京都府南西部あたり)の山奥の岩壁に、魔神が封じ来れられていた。領民たちは魔神封じの祭をして、平和を祈っていた。その祭の夜、城内に家老大舘左馬之助一味の諜反が起り、城主花房忠清夫妻は殺される。子供の忠文と小笹は、魔神封じの巫女の手引きで、猿丸小源太とともに逃げ延びる。
f0009381_19493372.jpgそして数年がたった。武神像の傍らで忠文と小笹(高田美和)は成長をとげた。一方領主となった左馬之助は重税をかけ、厳しい労働状況のなか城の増築をおこなっていた。忠文と花房の遺臣たちは大工事の人夫にまぎれたれてお家再興の機をうかがっていたが、左馬之助の家臣・軍十郎に捕まってしまう。巫女の信夫は、左馬之助を訪ね、山の神の怒りの恐ろしさを伝え、彼の暴虐なふるまいを戒めた。しかし左馬之助は信夫を殺し、家臣の軍十郎に神像破壊の厳命を下した。軍十郎は、タガネを神像の額に打込んだその時、傷口から鮮血が落ちた。稲妻、雷鳴、地割れが起り、軍十郎は地割れの中にのみこまれた。
忠文の命乞いに身を捧げようとする小笹。その目の前で魔神像がうごきだす。そして顔の前で腕を交差させると恐ろしい形相になった。
城下で大あばれにあばれた魔神は、忠文たちの処刑台を紛砕し、左馬之助は魔神の額にささったタガネで城門の柱に釘付けされ息絶えた。さらに村里へ向って猛威をふるいはじめた魔神に、小笹は静まってくれるよう、清い涙を落した。すると魔神の怒りの相は消え、大音響とともに土砂となってその場に崩れた。魔神は小笹の涙で消えたのだ。

理不尽なまでに容赦のない魔神の暴れぶりは素敵。良いも悪いもなく、ひたすら怒りを表現するために暴れまくる。この理不尽さが『大魔神』の最大の魅力だろう。

by ssm2438 | 2010-07-11 23:49