西澤 晋 の 映画日記

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2010年 07月 11日

大魔神怒る(1966) ☆☆

f0009381_23445275.jpg監督:三隅研次
脚本:吉田哲郎
撮影:森田富士郎
音楽:伊福部昭
特撮監督:黒田義之
造型:高山良策

出演:藤村志保 (名越早百合)

       *        *        *

ヒロインは藤村志保のほうが好き!

一作目の高田美和よりも、藤村志保のほうが情緒があって好きだ。物語的にもこの『大魔神怒る』のほうがエレガントだったかなという印象。ただ・・、大魔神の最大のみりょくである、暴走し始めたらもう女の涙以外にはとれられない狂乱振りは今回は影をひそめ、踏み潰すのは悪人の手下だけになっているのが寂しい。
お話も一作目と似たようなもので、新鮮さがないのが残念だ。大魔神の一作目を見てなければこれでもけっこうインパクトを受けると思うのだが、さすがに2番目に見るものだとすると、もうすこしなんらかのストーリー的な工夫がほしかったかな。

<あらすじ>
戦国時代。八雲の湖と呼ばれる美しい火口湖の真中にある神ノ島には、一族の守護神、武神像がまつられていた。千草城の若き城主千草十郎は、許嫁である名越の娘早百合(藤村志保)と共に祖先の法要をいとなんでいた。
そんな千草の領内に、隣国の領主御子柴弾正が攻め入って来る。さらに弾正は、武神像をも粉々に砕いて湖に投げ捨てる。その戦いのなか傷ついていた十郎は、早百合の看護で身体も回復し、弾正を討たんものとスキをうかがっていた。しかし弾正の罠にかかって、早百合ともども捕われてしまった。弾正は、千草領の人々が大切にしている鐘を湖に沈め、十郎や早百合を火あぶりの刑に処そうとした。神に祈る小百合。その早百合の祈りが通じたのか、突然、大地を揺がす鳴動と共に、猛り狂った武神像が現われた。そして、逃げまどう弾正方の兵を踏み潰していく。弾正は武神像によって滅ぼされ、その武神像は、一瞬の間に、水滴となって湖に消えていった。
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by ssm2438 | 2010-07-11 23:47
2010年 07月 10日

大魔神逆襲(1966) ☆

f0009381_04697.jpg監督:森一生
脚本:吉田哲郎
撮影:森田富士郎/今井ひろし
音楽:伊福部昭
特撮監督:黒田義之

出演:二宮秀樹 (鶴吉)

       *        *        *

ガキのつかいになりさがってしまった魔神・・・

がっくりであった。今回は女の涙で発動する大魔神ではなく、お子様の涙で発動するのであった。ちょっといただけないなあ・・・。それでもヒロインらしいおねーちゃんが出ていればまだ楽しんで見られるのだけど、それもない。子供だから子供が見たいと思うのは大人の浅はかさ。子供だって綺麗なおねーちゃんが見たいんだ!

<あらすじ>
戦国時代、瓜生の里の武将荒川飛騨守は、領民たちを強制的に働かせ、戦のための火薬の材料の採掘していた。父兄を労働にとられた村の子供達4人は、恐ろしい祟りをなすという「魔神の山」を越えて、地獄谷へと向かう。子供たちは吹雪のなかで一人、また一人と命をおとしていく。最期を悟った鶴吉は、武神像に吹雪の止むのを願って谷間へと身を投げると、武神像は大魔神となり、鶴吉の命を救う。
地獄谷に現れた大魔神は、飛騨守を追いつめ宝剣を抜き、これを用いて飛騨守に神罰を下すのだった。そして雪にかえる大魔神。

by ssm2438 | 2010-07-10 23:50
2010年 07月 10日

ザ・ムーン(2007) ☆☆

f0009381_1393793.jpg監督:デヴィッド・シントン
撮影:クライヴ・ノース
音楽:フィリップ・シェパード
提供:ロン・ハワード

出演:バズ・オルドリン、マイク・コリンズ他

       *        *        *

That's one small step for “a” man, one giant leap for mankind.
<ニール・アームストロング>

不定冠詞の「a」にカッコが着いているのは、どうやら当時はその「a」をニール・アームストロングが間違って省いて言ってしまったらしい。緊張していたのだろう。本人は、その後このように括弧で囲んで表記することをのぞんでいるそうな。

映画事態は、宗教的は発言とか環境問題とか、そのへんのコメントは省いてほしかったなあ。まあ、ドキュメンタリー映画というのは、編集するもののプロパガンダに成ってしまうのは仕方がないが、そのあたりがやや鼻についたのは事実だった。人類が月にいくためのその地道な積み重ねと、そして成し遂げた達成感だけで構成してくれたらけっこう素直に楽しめたにって思った。
その後、月に行くということ自体がほとんど忘れ去れているが、このあたりで中国あたりが今一度月面に到着してくれたら少しは月への感心も高まるのになって思ってしまう。しかしそうなるとけっこうきな臭い感じになってきそうであんまりいいことばかりではなさそうだけど。

私がアポロ11号の月面着陸を見たのは7歳のとき。それも深夜で睡魔にまけた西澤少年はぐっすり眠り、浅野ニュースでその瞬間を見た覚えがある。ただ、さすがにお子様だったのでその時の映像がどうだったとかは覚えていないが、こういう映像をみせられるとやっぱり感動してしまう。
一番感動したのは、アポロ11号の第○ロケットを切り離した後、丸い黒枠のフレームのなかから地球がだんだんとはずれていくシーン。あの長まわしはついついうるうるきてしまった。

映画の中では月を歩いた何人かの宇宙パイロットが語っているのだが、アームストロングがいないのはどういうわけだったのだろう。まだ生存しているはずなんだけど・・・。
しかし、マイク・コリンズの語りは楽しかった。残念なことに、彼はあのとき指令船の残って月面を踏むことはなく、その後も月を歩いてはいないようだ。一方、二番目に月面の土を踏むことになったバズ・オルドリンは、一番に降り立つことがゆるされず、帰還後うつ病になったらしい。彼にとっては大いなる敗北だったようだ。どちらが先におりたつかという問題は、いろいろなことを考慮されてニール・アームストロング船長が最初になったのだが、物理的な要因としては、出口のハッチがアームストロング側にあり、アームストロングを乗り越えてオルドリンが出て行くのは、あたりの宇宙服や機材をきづつける可能性があることが判明したのが理由のひとつだとか。どこまでホントかどうかわからないが、少なくともオルドリンの悔しさをすこしは和らげるのに役立ったにちがいない。

by ssm2438 | 2010-07-10 13:11
2010年 07月 10日

首都消失(1987) ☆

f0009381_9483652.jpg監督:舛田利雄
原作:小松左京
脚本:山浦弘靖/舛田利雄
撮影:飯村雅彦
音楽:モーリス・ジャール
特技監督:中野昭慶

出演:
渡瀬恒彦 (北斗電機技術開発部長・朝倉達也)
名取裕子 (キャスター・小出まり子)
山下真司 (KSテレビ局員・田宮洋介)

       *        *        *

発想は良かったのに、それを具現化する技術力がなかった・・・残念。

原作は、日本SF大賞を受賞した小松左京の同名小説。技術力はとぼしくても、個人的には小松左京の原作を映画化したほかの作品はかなり好きなのだ。『日本沈没』にせよ>『復活の日』にせよ、『さよならジュミター』でさえけっこう好きである。しかし、この映画だけはいただけない。『天国の大罪』でも思ったが舛田利雄が監督すると作品は壊れる。この人に映画を撮る才能はない。

原作のお話は、東京を中心とする半径約30km圏が正体不明の「雲」に覆われ、「雲」の外部との連絡が途絶してしまうというもの。統治機構が機能不全になった日本がどう対処するのか、それに対する外国はどう対処するのか・・というシュミレーション小説だった。全国知事会を基礎とした暫定統治機構(臨時国政代行組織)が樹立されるが、財政・外交を中心に問題は山積する。一方で「雲」の軍事的利用を巡って、アメリカとソ連(作品の年代設定は1980年代のため、東西冷戦の真っ只中である)の激しいつばぜり合いが演じられる。その後、最終的に「雲」は国際的な研究コンソーシアムにより調査が進められ、地球外生命体によって送り込まれた一種の観測機器である可能性が高いという結論に達し、継続的なモニターを行うこととなったのだが、ある日突然「雲」は消失する。

映画では、前半のイベントの設定自体は原作をフォローしているのだが、そのあとは、首都にいる人々をどうやって救出する・・というパニック&レスキュー映画になっている。もっとも人間の力ではどうすることも出来ないのでレスキュー映画にもなってない。ただ何をやってもダメでした・・という話なので達成感もなにもない。ストーリーの基本構成からして大失敗してる。
物語を見やすくするために、恋愛劇を含めたレスキューミッション的なものになっているが、これは本来、首都を失った日本がどう対処していくのかという、政治的群像劇にすべきもので、その一つの手ごまとしてこの映画の主人公となっている電気関連の会社の技術者や報道関係者を使うべきだったのだろう。『日本沈没』のような方向性で作ってほしかった。

さらにレコード業界とのタイアップなのか、下手な歌を歌う歌手とか登場、一人でらりって歌ってるし・・、散々である。この歌がチョー下手。商売に使うな!!といいたい。
この映画に、映画をきちんと作ろうというスピリットはまったく感じることは出来ない。ただただ営業のためにこんな映画になりました・・という原作をだめにする以外のなにものでもない、商業ベース思考だけの映画になっている。

ちなみに音楽はなんと『アラビアのロレンス』『ライアンの娘』を手がけたモーリス・ジャールである。

<あらすじ>
突如、深い霧に覆われた東京は外部からの通信が遮断されてしまう。
大阪に来ていたTVリポーターの小出まり子(名取裕子)は、関西放送の報道マンの田宮洋介(山下真司)に見送れて東京行きの新幹線に乗り込んだ。名古屋で北斗電機の技術開発部・長朝倉達也(渡瀬恒彦)も乗り込む。仕事にかまけて家庭を省りみない彼は、妻との間に溝が生じていた。
東京に入る寸前で列車は止まってしまう。列車からおりた朝倉は厚木にある北斗電機の研究所に向かう。まり子も便乗する。そこで『物体○』と名づけられた東京を覆った雲の研究に当ることになった。一方KSテレビの田宮は報道部長に尻をたたかれカメラマンとともにヘリで東京へ向かう。上空からみると、東京は白く丸いドームのような巨大な雲に覆われている。
田宮はまり子と合流して取材に当ることになった。しかし朝倉になんとなく惹かれていくまり子に、つい憎まれ口をきく田宮。
東京上空に調査にとんだ朝倉は、稲妻が機を襲い重傷を負う。うわ言に妻子のことをつぶやくのを聞き、彼のことをあきらめるまり子。雲に電磁気エネルギーを与えればすき間ができるのではという朝倉の提案で、電磁気砲が作られた。負傷した朝倉に代り田宮がまり子と一緒に雲のトンネルの中へはいっていく。

by ssm2438 | 2010-07-10 10:01
2010年 07月 10日

ナバロンの嵐(1978) ☆☆

f0009381_1372058.jpg監督:ガイ・ハミルトン
原作:アリステア・マクリーン
脚本:ロビン・チャップマン
撮影:クリストファー・チャリス
音楽:ロン・グッドウィン

出演:
ロバート・ショウ (マロニー)
ハリソン・フォード (バーンズビー中佐)
エドワード・フォックス (ミラー)
フランコ・ネロ (敵のスパイ・レスコバー)
バーバラ・バック (パルチザン隊長の娘・マリッツァ)
リチャード・キール (ドラザック大尉)

       *        *        *

リチャード・キールって007の映画以外にも出てたんですね(苦笑)。

『ナバロンの要塞』の生き残りマロリー(ロバート・ショウ)とミラー(エドワード・フォックス)を再利用した続編。今度のミッションは、ユーゴのネレトバ橋をめぐってドイツ軍と死闘をくりひろげるパルチザンを助けるためにトレトバ橋を爆破し、なおかつパルチザンの中にいるであろうスパイを見つけ出し排除すること。監督は『007/ゴールドフィンガー』ガイ・ハミルトン

原作はアリステア・マクリーン。この人けっこう好きなのである。ただ、作り方を間違えるとけっこうかったるい映画になりやすい。というかほとんどの映画ははずしているような気がする。個人的に好きなのは『テロリスト・ゲーム』くらいだ。
で、アリステア・マクリーンの小説というのは、いちいちイベントに理由付けをきちんとする。それもかなりご都合主義の説明なのだ。なので、それをまじめに映像化するとテンポも悪く、「そんなとこまでいちいち説明せんでいいよ」って気になってしまう。この人の小説を映画化するときは、はしょりと勢いが大切なんだろうなあって思った。

あと、いつもながらスパイは身内にいる。

役者陣では,先ごろキャリスタ・フロックハートと結婚したハリスン・フォードが出ている。『スター・ウォーズ』の後だけに人気が出始めたころだったのだろう。今見るとほほえましくおもえるくらい青二才っぽい。ただ相手がロバート・ショーなのでそう見えても仕方がないかな(苦笑)。
もうひとつ、『007/私を愛したスパイ』バーバラ・バックとジョーズを演じたリチャード・キールが再登場しているのがちょっとほほえましかった。ただ、リチャード・キールはただでかいだけで演技が出来るわけではなく、個人的には作品の質が下がるのであんまり使ってほしくないキャラだ。
バーバラ・バックはそんなに美人というわけではないのだが、けっこう好きな女優さん。この作品では一瞬だが貴重なヌードを披露してくれている。『007/私を愛したスパイ』の時の彼女のドレスのしたの乳房のラインは実に魅力的。しかし直接乳房が見られるわけではないのだが、この映画は見せてくれている。ああ、ありがたやありがたや。
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<あらすじ>
第二次大戦中のユーゴスラビア、ドイツの支配下でパルチザンが抵抗運動をしていたが、ネレトバ峡谷に追いつめてられていた。彼らを救うにはネレトバ橋の爆破しかない。バーンズビー中佐(ハリソン・フォード)を隊長とするアメリカ軍特殊部隊に、ナバロン要塞を爆破したマロリー(ロバート・ショウ)とミラー(エドワード・フォックス)が合流し現地に飛んだ。二人にはパルチザンに潜んだドイツのスパイの抹殺という任務もあった。
ユーゴに降下した彼らだが、ドイツ軍に協力するゲリラ組織に捕まってしまう。パルチザン隊長の娘マリッツァ(バーバラ・バック)のおかげでマロリーとバーンズビーは脱出に成功、パルチザンと合流する。パルチザンの協力でミラーやマリッツァらを救出に成功。爆破のエキスパートであるミラーは、橋はとうてい無理だが上流のダムを爆破して洪水をおこせばよいと発言する。
ドイツ軍の武器弾薬庫から爆薬を盗み出したマロリーらは、ダムに向かう。ドイツ軍へ通信しているところをマリッツァにみられたレスコバー大尉(フランコ・ネロ)は彼女を射殺、しかしスパイであることがばれてしまい殺される。ダムにしのびこんだマロリーとバーンズビーの仕掛けた爆弾が時間通りに爆発。水は奔流となって川を下り、ドイツ軍が渡り始めていたネレトバ橋を押し流していく。

by ssm2438 | 2010-07-10 01:38
2010年 07月 08日

クレオパトラ(1963) ☆☆

f0009381_22242127.jpg監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ
脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ
    シドニー・バックマン
    ロナルド・マクドゥガル
撮影:レオン・シャムロイ
音楽:アレックス・ノース

出演:
エリザベス・テイラー (クレオパトラ)
レックス・ハリソン (シーザー)
リチャード・バートン (アントニー)
ケネス・ヘイグ (ブルータス)

       *        *        *

うむむむむ、長い。かなり退屈。でも、これはこれで良かったのでは・・

この無駄なゴージャスさがクレオパトラなんだろうなあ・・という印象がある。
この映画をみたのは大昔の話でまだ荻昌弘月曜ロードショーがあったころの話。それの全編後編と2週にわたって放映されたのを見た。その後1~2度見る機会があったが、個人的には歴史絵巻物はどれもつまらないと思ってしまう。
とにかく主人公がどれもかっこよくない。クレオパトラにしても、シーザーにしてもアントニーにしても、どこかしら小者性があり、生き方として美しくない。それがこの映画の魅力のなさの根本的な問題点なのだろう。
予算は恐ろしいほどあけたが、それはスペクタクルではなく、そのたのゴージャスさにかけてるのであって、これだとお金をかけたコスチュームプレイの昼メロでしかない。これだとつまらないといわれても仕方がないだろう。

しかし、クレオパトラという名前を聞くだけで、なんだか男はトキメイてしまう。自分を支配させることで男を支配する魔性の女。たぶんそのイメージのありかを探ると、虫プロヘラルド映画提携で作られたアニメの『クレオパトラ』のイメージが強い。男をダメにする女の魔性といいましょうか・・、あのアニメのクレオパトラの印象がつよくて、そのイメージを勝手にエリザベス・テイラーに投影しているような気がする。

監督は『三人の妻への手紙』『イブの総て』ジョセフ・L・マンキウィッツ。まじめに撮るシナリオ派監督という印象があるが、これはまじめのお金をかけて取りすぎて、そのたもろもろ無駄づかいもしてしまい、本人にとってもほとんど納得できるものにはならなかったようだ。

<あらすじ>
紀元前48年、新興ローマの覇勢に滅亡寸前のエジプトは幼いプトレマイオス14世を王としてたて、王の姉にあたる18歳のクレオパトラ(エリザベス・テイラー)を王宮から追放してしまった。そんなクレオパトラに逢ったのが、アレキサンドリア(プトレマイオス朝の首都)討伐に向かっていたローマの将軍ジュリアス・シーザー(レックス・ハリソン)。彼女の美しさにまいってしまったシーザーはクレオパトラを伴い、アレキサンドリアに侵入、激しい戦闘を重ねて勝利を収めた。エジプトを支配下においたシーザーは、クレオパトラをエジプトの王にとして即位させた。
ローマに凱旋したシーザーは、共和主義を排除し独裁色を帯びていく。そのシーザーを追ってローマへ渡ったクレオパトラ。しかし、ブルータス(ケネス・ヘイグ)達の暗殺団の手にシーザーは殺されてしまう。クレオパトラはローマを逃れてエジプトに帰った。

3年がたった。財政の窮乏したローマの権力者アントニー(リチャード・バートン)はエジプトに活路を求めクレオパトラを迎えた。2人はたちまち恋に落ち、アントニーがクレオパトラと結婚しエジプトに渡った。やがてエジプトとローマは再び戦火を交えることになるが、アントニーの兵士たちは、母国ローマと戦うことを拒んだ。戦力的に不利なエジプトは敗北しアントニーは死に、クレオパトラは捕虜にされた。この世に対する執着はなかったクレオパトラは「アントニーの側に葬って」と遺書を書き、アスプ(毒蛇)に自らの胸を噛ませるのだった。39歳であった。

今、これとつくるとなるとクレオパトラは誰になるんでしょうねえ。一昔前ならキャロル・ブーケがよかったのだけど、いまだと・・・誰でしょう? モニカ・ベルッチ? キャサリン・ハイグル? 案外ソフィー・マルソー? 

by ssm2438 | 2010-07-08 22:27
2010年 07月 07日

強制尋問(2004) ☆☆

f0009381_22184794.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:トム・フォンタナ
撮影:ロン・フォーチュナト
音楽:ポール・チハラ

出演:
マギー・ギレンホール (女子大生リンダ)
ブルーノ・ラストラ (アラブ系男性)

     *      *      *

TVMだけど、最近のルメットの中ではちょっと注目作!

まるっきり舞台劇なシチュエーションなので、映画的なエンタテーメントなストーリー展開ではない。その辺が今ひとつ図式的過ぎてあざとさを感じる部分はあるのだが、しかし、怒涛の会話劇である。でも、舞台では、マギー・ギレンホールを素っ裸にして、肛門検査などというシーンは到底つくれないだろう。フィルムだからできるしろものである。

ドラマのなかでは、北京でアメリカの女子大生リンダ(マギー・ギレンホール)が、突然理由も告げられず中国東京に逮捕され、石造りの取調室につれてこられる。一方、ニューヨークでは、アラブ系男性(ブルーノ・ラストラ)がアメリカ当局に逮捕され、とあるビるの一室で女性取調官(グレン・クロース)に執拗な尋問をうける。

シチュエーションは違えど、台詞回しはほとんど一緒という図式でドラマは展開される。

弁護士もつけられないまま、執拗に取調べをうけるリンダ。そして身体検査だと証して「服を脱ぐように命令される」。抵抗しても仕方がないリンダは服を脱ぎ、その状態で再び尋問はつづいていく。人権は無視され、全裸にされ、屈辱と悔しさにまみれ、わけもわからない尋問をうけ、最後は肛門検査と称してゴム手袋をはめた取調官がリンダの肛門に指をいれる。何を調査してるのやら???

同じ展開がニューヨークでも行われている。

とりあえず尋問が終わり、取調官がさった部屋の中で全裸のままたちつくす憔悴しきったリンダ。悔しさにまかせて椅子を蹴りとばす。


ただ、個人的にはこの物語構成は好きになれないなあ。二つの場所で同じシチュエーション、同じ会話というのは図式化されすぎていて、頭の中がこの映画をどう解釈して良いのかわからない状態だった。いまもあまり判っていはいない。
しかし、この映画のマギー・ギレンホールは怒涛の屈辱感をいかんなく表現してくれた。マギーの頑張りに☆ひとつおまけしたかったが、やっぱりそれほど面白いかといわれれば、ルメットびいき過ぎるだろう。

by ssm2438 | 2010-07-07 22:14 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 07月 07日

ガルボトーク/夢のつづきは夢・・・(1984) ☆☆☆

f0009381_21173535.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ラリー・グルーシン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:サイ・コールマン

出演:
アン・バンクロフト (母・エステル)
ロン・シルヴァー (ギルバート)

     *      *      *

ルメット作品にしてはめずらしいハートウォーミング映画。

シドニー・ルメットといとえば社会派の巨匠、『十二人の怒れる男』を筆頭に、『セルピコ』『プリンス・オブ・シティ』『評決』などの裁判ものイメージが強い。ルメットの物語のなかでは、主人公が自分の良心に従って行動すると、それが社会的に軋轢を生む。社会をとれば自分の存在価値がなくなる。自分を社会から阻害される。そんなシチュエーションでそんときなにをどう選択するのだ・・?という、捨てきれない社会とのつながりの中で(それをあっさり捨てえられたらただのヒーローものになってしまう)、社会と反発しつつ、あるいは社会と妥協しつつ、どう自分を失わずに生きていくか・・、そういう物語と作る人だ。なので私はこの監督さんは大好きなのだ。
そのルメットの代表作としてあげるとして、先にあげたような映画が出てくるが、そっち方面でない映画で、どうしても落としたくない映画が『旅立ちの時』『ガルボトーク/夢のつづきは夢・・・』である。

当時これを見たときは(レンタルのVHS)、主人公の行為はちょっと理解しがたいもので、なかなか入っていけなかったのだが、最後はなかなかほほえましくなってくる。
この映画の主人公の母親(A・バンクロフト)は病気で死期がせまってきている。その母の夢というのが、“ガルボに会いたい!”なのだ。息子は、その夢をかなえるべく、引退して久しい往年の大女優グレタ・ガルボを必死で探し、母に会いにきてもらうという映画。しかしその行為の代償として、会社は休むは、そんなこんなで嫁とは対立するはけっこう大変。・・・しかし、よくよく考えてみるとやっぱり社会派か・・。自分の良心のために、社会を敵に回す、今回は会社であり、妻であり、そのあたりが彼を取り巻く社会になるのだけど・・・、そうか・・・、やっぱりこれもしっかりルメットしてる映画なんだ・・とこれを書いてみて理解し始めた(苦笑)。

<あらすじ>
会計士のギルバート(ロン・シルヴァー)は、母エステル(アン・バンクロフト)が脳腫瘍で余命いくばくもないことを知らされる。人に助けを頼むことを極端に嫌うエステルだが、そんな彼女がギルバートに頼みごとをした。「死ぬ前に一目ガルボに会いたい」。彼女はぐれたガルボの熱烈なファンであり、彼女の映画は全部みていた。
ギルバートは本気でグレタ・ガルボを探し出し、母にあってくれと頼む決意をする。老写真家ドカキスの協力を得て、徹底的にガルボ探索を開始するギルバート。会社の仕事そっちのけでガルボのアパートを訪ねたりファイア・アイランドの隠れ家に押しかけたりするが、費用ばかりかさんで、効果がない。妻との仲も悪くなるばかり。しかし、以前から好意を与せていたジェーン(キャサリン・ヒックス)と、なとか接点をさがしているうちに、あるノミの市で遂にガルボと遭遇。彼女をつかまえて夢中で母エステルのことをガルボに語るギルバート。病院に来たガルボは、エステルに会った。夢のようなひとときを過ごしあの世へと旅立つエステル。ギルバートの妻は実家に帰ったが、ジェーンと生きることになる。めでたしめでたし。

※ちなみにのガルボは会いにきてくれるのだけど、後姿だけで、本物の彼女がでているわけではありません。

by ssm2438 | 2010-07-07 21:23 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 07月 07日

人間の証明(1977) ☆

f0009381_12301379.jpg監督:佐藤純彌
原作:森村誠一
脚本:松山善三
撮影:姫田真佐久
音楽:大野雄二

出演:
岡田茉莉子 (八杉恭子)
松田優作 (棟居刑事)
ジョージ・ケネディ (ケン・シュフタン)
ジョー山中 (ジョニー・ヘイワード)
三船敏郎 (群陽平)
岩城滉一 (群恭平)

       *        *        *

『東京ロイヤルホテル殺人事件/美しきファッションデザイナーに隠された過去』・・くらいのタイトルが相場ではないか・・・(苦笑)。

タイトルだけはカッコいいのだけど、中身はかなりショボイ。土曜ワイド劇場の域を出てないサスペンス・・・悲しい。だいたい本作をみてもなにが『人間の証明』なのかまったく理解できない。せめてタイトルが物語を象徴するもであってほしいものだ。

この物語は、森村誠一が書いた、のちに『棟居刑事シリーズ』となる棟居刑事登場のエピソードである。
映画は、確かに世間で言うように『砂の器』を意識したつくりになっているが、とうていそこまではたどりついてもいない。森村誠一の物語というのはどうしても、設定がかなりご都合主義なので、それを才能のない人が映画化するとほんとにしょぼいだけの物語になってしまう。この映画はそのさいたるもの。もうすこし知性を映画づくりのなかにもとめたいものだ。。。
監督がカスである。「こう撮っておけば、見てる人はこう理解してくれる」という撮り方しか出来ないのである。これが本物の監督さんなら、「このシーンって、一般的にはこう撮られてることが多いけど、でも実際起きたらこんな音はしないよなあ・・、ほんとに起きたらどうなるんだろう」って考えてそれを具現化していく。つまりより「普通」をめざすのである。しかしこのアホ監督は、いままで映画界が構築してきたおてがるな「記号的演出」しかできてない。たとえば銃をうつシーンがあったとしよう。日本では所詮はモデルガンをつかって撮影するしかない。しかし、その銃火とか、消炎、薬きょうの飛び出し方、撃たれた人のリアクションなど、それが普通におこったらどうなるのか?って一度自分でイメージして、より普通にみえる画面をつくろうとする。しかしこのバカ監督は、「僕にみてきた映画ではいつもこんな撮り方してたよ」てな感じで、今までの記号的表現を決して越えようとする努力のかけらもみせないのである。どっかの誰かが記号化したものしか使えない、「もっと普通!」を追求できない、これこそが才能のない監督のあわれな現実であったとさ・・・。

ジョー中山の靴墨ぬったメイクはひつようだったのでしょうか? 本人がジャマイカ人と日本人のハーフなので、その飯素顔でよかったのに・・・、あんなことされると一気にそこで作品のチープさがでてしまう。このアホ監督は、何が物語を本物らしく見せ、なにがそれを虫食い状態にしてしまうかわかっていない。

<あらすじ>
人気絶頂の女流デザイナー八杉恭子(岡田茉莉子)のファッション・ショーが行われた東京ロイヤル・ホテルの四十二階で、日本人とハーフの黒人男性が、西条八十詩集を抱いたまま倒れて死んでいた。ナイフが胸に刺さっていた。男の名はジョニー・ヘイワード(ジョー山中)。麹町署の棟居刑事(松田優作)とベテラン刑事横渡らの捜査が始まる。一方ニューヨークでは、日本からの依頼を受けた刑事ケン・シュフタン(ジョージ・ケネディ)がジョニーの身元捜査をはじめる。
実はジョニーは八杉恭子の実の息子だった。恭子が戦後の動乱のなかで黒人の子を産んだのだが、その事実を隠すためにはるばる日本を訪ねてきた自分の息子を殺してしまった・・という話。

by ssm2438 | 2010-07-07 10:54
2010年 07月 07日

セルピコ(1973) ☆☆☆☆

f0009381_055036.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ウォルド・ソルト/ノーマン・ウェクスラー
撮影:アーサー・J・オーニッツ
音楽:ミキス・テオドラキス

出演:アル・パチーノ (フランク・セルピコ)

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シドニー・ルメット絶好調!

このころのシドニー・ルメットは良かった。映画自体がめちゃくちゃ面白いわけではないのだが、社会派の巨匠シドニー・ルメットの描くものが実にルメットらしかった時代。この映画も警察の腐敗の中で、一人まじめをとおしたら、みんなから村八分にされたという話。まあ普通の村八分だけなら命に別状はないのだけど、警官の場合はかなり危険。現場ではお互いがお互いをカバーしながら動くわけだが、

「金を受け取らない警官が信用できるか!?」

・・・の理不尽的事実が痛々しい。警官になることに夢をもって実際なった警官だったが、その組織は汚職にまみれていた。そのなかで清く正しく任務を遂行しようとするパコ(セルピコの相性)はのけもの。周りの警官は汚職をしているが、セルピコは誘われても断る。でも仲間を売ることはしない。だからといって、同じ警官仲間としては信用できないのがクリーンなパコだった。そんな環境下で、理想を追求すればするほど、社会からのけ者になってしく悲しい性。

これはアニメ業界においても同じことだな。
クソアニメに迎合できない人間は行きづらい業界になってきた。
・・・そんなこんなで、この映画のセルピコのつらさは切実に判る。

ちなみのこの映画の主人公のセルピコは実在の人物で、警察組織内の汚職と闘い、1971年には汚職を告発した警察官としてアメリカでは有名な人物である。
のちにルメッとは、『プリンス・オブ・ザ・シティ』という映画を撮るが、これも警察内部の汚職の話である。こちらのほうが骨太感はあるが、見易さだったら『セルピコ』のほうだろう。『プリンス・オブ・ザ・シティ』をみるのはかなりしんどい。

アル・パチーノがルメットとくんだのはこの映画と『狼たちの午後』だが、個人的にはこちらのほうが好きかな。あっちもあっちで、銀行強盗に押入ったが、八方ふさがりになる哀れな主人公を演じていたが、アル・パチーノって、ホモでいじめられ役が良く似合うような役者だ。生理的に好きになれない役者のひとりだ。

<あらすじ>
映画は、警官フランク・セルピコ(アル・パチーノ)が重傷を負って病院に担ぎこまれるところから始まる。病室の警戒態勢は恐ろしく厳重だ。そこから回想シーンがはじまる。

11年前、若き日のセルピコは子供のころからの夢を現実のものとし、警官になり、使命感に燃えてニューヨークの82分署に配属された。
しかし現実の警官の仕事は彼の理想とは程遠いものだった。同僚たちの収賄は日常茶飯事におこなわれており、潔癖症のセルピコには耐え難いものだった。私服になるための訓練を受け始めたセルピコは、ブレア(トニー・ロバーツ)知り合う。私服刑事となったセルピコは93分署に、ブレアはニューヨーク市長の調査部に配属されることになった。
配属された最初の日、セルピコは何者かにワイロの分け前を渡された。ブレアに相談し、調査部長に報告したが、部長はただ忘れてしまえと忠告するだけだった。どうしても金をうけとろうとしないセルピコは徐々に孤立していく。セルピコは地区中から異端者扱いで、第8分署に転任することになったが、彼を相棒として引き受けてくれるのはロンバート警視ただ1人だった。
ブレアやロンバートの応援で、ついに意を決したセルピコが汚職の実態をニューヨーク・タイムスにぶちまけた。しかしセルピコはデラニー総監によって、市で最も危険なブルックリンの麻薬地帯に転勤を命じられた。ある日、数人の同僚とともに麻薬犯逮捕に出勤した彼は、そこで重傷を負う破目になった。状況からみて、同僚が助けようとすれば助けられた状況だった。

by ssm2438 | 2010-07-07 00:07 | シドニー・ルメット(1924)