西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 30日

トロン(1982) ☆☆

f0009381_23224337.jpg監督:スティーヴン・リズバーガー
脚本:スティーヴン・リズバーガー/ドナルド・カシュナー
撮影:ブルース・ローガン
音楽:ウェンディ・カーロス

出演:
ジェフ・ブリッジス (フリン)
シンディ・モーガン (ローラ)

       *        *        *

これでも昔は最先端だったんだ・・。


コンピュータ・グラフィックスを商業映画に導入した記念すべき第一作。でも話はいまいち。というか、あるのかないのかよく判らなかった。CGとの合成は・・まあ、当時としてはあんなものかな、今となってはあまりときめかない。それは皆さん言っていることだと思うが、この映画、あの怪しい色使いはなんだかんだいってもいい。そしてコスチュームデザインもなかなかいろっぽくてグッドです。あれは・・あとで光をはめ込んでいるのか、お手軽な蛍光塗料なのかわからないけど(もしかしたらケース・バイ・ケースで使い分けてるかも)、ビジュアル的にはいいし、やっぱりこれがあったから『ヘイローウォーズ』のコルタナなんかが出てきたのだし、あまり邪険には出来ない作品。でも話は退屈。

主人公は若いときのジェフ・ブリッジズ。最近の『クレイジハート』のでぶでぶぶりを見てるとこのころの細さが不思議です。ジェフ・ブリッジズってなんだかんだいいながらけっこう好きなんですよね。お兄さんのボー・ブリッジズもわるくないし。
ちなみにコルタナルックの女優さんはシンディ・モーガン。実はテレビシリーズを中心に活躍しているひとであんまり映画出演はないみたい。そういう意味ではこの映画、シンディ・モーガンファンにはけっこう貴重な映画とあいなりました。

<あらすじ>
エンコム社に在籍するゲームプログラマーのフリン(ジェフ・ブリッジズ)は、ゲーム「スペースパラノイド」を開発したが、そのデータを同僚のデリンジャーに盗まれ、会社から追放されてしまう。デリンジャーは、その作品をが自身の作として発表した大ヒットをとばしエンコムの社長に出世する。
フリンは「スペースパラノイド」が自分のものでありることを証明をするために、証拠となるデータを求めて夜な夜なエンコムへのハッキングを行う。しかしプロテクトは強く発見は不可能だった。エンコムの社員アランと彼の恋人のローラ(シンディ・モーガン)もフリンに協力し、デリンジャーの不正を暴くべく、開発途中の監視プログラム・トロンを起動することを決意する。
しかし、フリンはエンコムが実験中の物質転送機によって、デリンジャーの開発したマスター・コントロール・プログラムの内部世界へと送り込まれてしまう。そこはマスター・コントロール・プログラムによる圧制下にあり、あらゆるプログラムが奴隷のように扱われていた。

各プログラムを擬人化し、マスター・コントロール・プログラムをその世界の王として設定し、マスター・コントロール・プログラムの活動を監視し必要なら制御するプログラムを「トロン」と名づけ、これに仮面ライダーの役目をさせている映画である。
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by ssm2438 | 2010-08-30 23:25
2010年 08月 30日

ストレイト・ストーリー(1999) ☆☆☆

f0009381_21463147.jpg監督:デヴィッド・リンチ
脚本:ジョン・ローチ/メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演:
リチャード・ファーンズワース(アルヴィン・ストレイト)

       *        *        *

いつもキワモノばっかりのリンチがたまにオーソドックスな直球勝負をした映画・・かな?

最近職場が吉祥寺にうつり、田無から歩くと55分~1時間かかってしまうようになった。でもまだ歩いている。
当初は時間のないなかで、なんでこんなことを・・って感じる時もあるし、実際時間がないときは車でバスや電車などの交通手段も使う。行きだけあるいて、帰りはバスということが最近おおいのも事実である。ただ、不思議なもので、歩いている時間のようにゆっくり移動する時間っていろいろ想うことがある。思えば、小学校の時はなにかと妄想しながら、白昼夢を愉しみながら一人で歩いて帰ってる時間が楽しかった。
不思議なものでこれがバスの中だったり電車の中だとなかなかそういうことが出来ない。ついつい窓の外の風景をみたりするがぼ~~~ってしているものだ。モノ想うためにはこのそうこのゆっくりしたスピードで移動するというのはがとてもいいのである。

本作は、スタボン(頑固者)のおじいちゃんが560キロ(東京からだと姫路くらい)の距離を芝刈り機で走破する話。トレーラーと書いてある本もあるかもしれないが、これは芝刈り機です。で、わざわざそれを選択する言い訳もささやかながら語られている。出発するまえに転倒して杖がなくては歩けない。なので階段・タラップのあるもの、バス、飛行機、電車にはのれない。車の免許は持っていない。じゃあってことでこの芝刈り機が最終手段になったわけです。
でえも、道は続いているのだし、進んでいれば目的地にはつくようになっているのです。私も25歳の時東京から歩いて岡山の実家まで帰ったことがありますが徒歩だと時速5~6キロ、それにくらべたらこの芝刈り機は時速8キロでます。速い!
さらに準備はしっかりしていて、生活必需品はキャンプ用品、雨宿りのためのものなどは、荷台を引いてそれに積んでいきます。実際にあった話らしいので、きっとその人がそうやったのでしょう。これがこの話だけを勝手に作った人がいたらなかなかそこまではきがまわらないものです。

あとは、いろんな人に出会い、あるときはわずかな時間を共有し、あるときは悔しい想いをし、故障なんかも当然おきたりしますが、ほとんどの人はいい人です。普通にすごしてたらあんまり悪い人なんてのには出会わないものです。なので二度目に見るときにはかなり安心できます。

書き忘れましたが、この旅の目的はこの兄貴に会うための旅。十数年まえに喧嘩別れしてそれから口もきいてない兄でしたがなんでも心臓発作で倒れたとか・・。そんな彼に会うためのアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)はこのたびを思い立ったのでした。

by ssm2438 | 2010-08-30 21:47
2010年 08月 29日

ノーマ・レイ(1979) ☆☆☆

f0009381_1810155.jpg監督:マーティン・リット
脚本:アーヴィング・ラヴェッチ/ハリエット・フランク・Jr
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:
サリー・フィールド (ノーマ・レイ)
ロン・リーブマン (組合活動家ルーベン)

       *        *        *

労働組合嫌いの私だが、女性の成し遂げモノという見方でみるなら良いかな。

労働組合というのは、ふるくから炭鉱モノの映画ではよく出てくるし、ピエトロ・ジェルミ『鉄道員』エリア・カザン『波止場』、私の好きな『ガン・ホー』も組合がらみの映画だ。最近ではシャーリズ・セロンの映画でなにかあったと思う。
労働組合モノというのは、経営者と組合、労働者と組合というさまざまな形で映画が作られるが、個と全という社会の基本構造のなかで、全体に属しつつも個人として生きるための相克がみられる分野の映画だけに、ほとんどの映画はいいもになるという印象がある。

この映画では紡績工場で働くなんのとりえもない一介(今度は間違えてないぞ!)の主婦が、組合活動家ルーベン(ロン・リーブマン)に感化され、組合を作っていく話。ただ、組合を作るという社会性の話よりも、女性の自立をテーマにした映画のカテゴリーにはいるのだろう。今見るとけっこう驚くのだが、『アリスの恋』とかこの『ノーマ・レイ』とか、女性が強そうなイメージのあるアメリカだが、南部の社会背景を描くとこのように女性の自立心が乏しかった時映画もあるのだなあっとびっくりする。

この映画では、その紡績工場が労働者を不当にこきつかっているという背景で描かれているからなんとかなっているのだが、個人的にどうも胡散臭くてあんまり好きではない。個人は個人として組織に戦いを挑んでいくほうがすきだなあ。。
とはいえ、クライマックスでサリー・フィールドがユニオンのプラカードをかかげ、工場の機械のうえにあがって労働組合の必要性を語り、みんなが会社側と戦う姿勢をしめすために職場放棄し、機械をとめてしまう流れはやっぱり「おおおおおおお~~~~」って思ってしまう。

この年のアカデミー賞をはじめとするほとんどの映画賞で、主演女優賞はこのサリー・フィールドだった。これだけ一人に票があつまったのもめずらしいだろう。
そうないだろう

<あらすじ>
アメリカ南部の紡績工場でて働いているノーマ・レイ(サリー・フィールド)は、女でひとつで2児こどもを養っていた。そこの工場には組合もなく、工員たちはコキ使われ、搾取されるままになっていた。そんなある日、この町にルーベン (ロン・リーブマン)という男がやって来た。彼はアメリカ紡績工員労働組合に所属しており、この町のも組合を組織するために派遣されて来たのであった。
あるモーテルに本拠を構えたルーベンは、毎朝工員にビラを配布しながら彼らが工場から不当な待遇を受けていることを知らせ、組合を組織することを勧誘した。ルーベンとの親しみが増すにつれ、ノーマはルーベンに積極的に協力し、町の教会に工員たちを集めたり、自宅で集会を開いたりした。ルーベンとノーマは、運動を通して強い絆で結ばれ、肉体的には結ばれなかったが、互いに愛を感じていた。しかし、会社側も労働組合を組織させまいとさまざまな手をうってくる。やがてノーマの父が過労で死ぬ。彼女自身も村八分にされていたが、紡績機械の上に踊り上がり、「ユニオン」とクレヨンで書いた厚紙を同僚たちに見せた。やがて彼女のあついパッションに感化された、会社と戦う決意をし機械をとめる。紡績工場にユニオンを組織するという問題は投票の結果、組合側の勝利となり正式に組合が発足した。使命を終えたルーベンが ニューヨークヘ帰る日ノーマは微笑みながら、彼を見送るのであった。

by ssm2438 | 2010-08-29 18:10
2010年 08月 29日

アイリスへの手紙(1989) ☆☆

f0009381_15554145.jpg監督:マーティン・リット
脚本:ハリエット・フランク・Jr/アーヴィング・ラヴェッチ
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ロバート・デ・ニーロ (スタンリー・エヴェレット・コックス)
ジェーン・フォンダ (アイリス・エステル・キング)

       *        *        *

なんで主演がこの二人だったんだろう??

雰囲気はアル・パチーノミシェル・ファイファーでやった『恋のためらい/フランキーとジョニー』に似てるかも。かなり落ちぶれている男女の恋愛劇。ただ、こちらのほうが、文章がかけないロバート・デ・ニーロジェーン・フォンダから字の書き方をならっていくうちに、仲良くなっていくというあるていどロマンチックな要素があるのだが、でもトレンディ的な感覚はなく、ひたすら昼メロというか、NHKの朝ドラといいますか・・、そんなまったりとした時間の流れのなかでドラマが展開する。なので「なんでこの二人でこの映画を撮ろうということになったんだ?」ってさりげない疑問がわいてくる。

監督はマーティン・リット。実はこれが遺作となり、翌年亡くなっている。私が彼の作品をみたのはサリー・フィールドがアカデミー主演女優賞をとった『ノーマ・レイ』だけなのだが、「きちんとまじめに作る人といった印象」。
多分この映画に関しては、主演が誰か違った人になっているか、あるいは監督が違う人だったか、さらには脚本にもうちょっとインパクトがあるか・・のどれかが違っていたら、もうちょっと見られる映画になっていたとおもうのだけど。ぜえ~~~んぶがじみい~~~~~にまとまりすぎてしまった。
個人的にはデ・ニーロが生理的に好きじゃないので、さらに追い討ちをかけるようにダメなのだけど。そう、これがトム・ハンクスメグ・ライアンで、監督脚本がノーラ・エフロンだったらきっと楽しい映画になっていたのに・・。

<あらすじ>
パン工場に勤めるアイリス・キング(ジェーン・フォンダ)は女でひとつで二人の子供と、彼女の妹夫婦を養っていた。ある日工場からの帰り道で泥棒に給料を奪われるアイリスだが、その時彼女を助けようとしてくれた工場のコック、スタンリー・コックス(ロバート・デ・ニーロ)だった。
そんなスタンリーも非識字者でありそれが原因で彼は工場を追われることになってしまう。スタンリーから、字を教えてほしいと頼まれ、こうしてふたりの勉強は始まるが、上手くいかない。挫折しかけたスタンリーを心配して彼の打合せを訪れると、そこには彼の発明品があった。さりげなく自分の価値を認められたスタンリーは再び勉強への意欲を呼び戻す。やがて彼の発明品を認められ、デトロイトに働きに出る。そこからアイリスに手紙を書き送り愛を育んだスタンリーは、数カ月後、アイリスにプロポーズするのだった。

この映画を暗いメロドラマとしてとる必要性をまるで感じない。意味なくくらい貧乏暮らし設定を排除し、普通にロマンチックコメディにしてしまえばよかったのに・・・。制作の頭の悪さを痛感してしまった。映画自体はきわめて普通。演出などは悪くない。

by ssm2438 | 2010-08-29 15:58
2010年 08月 29日

アグネス(1985) ☆☆☆

f0009381_1243221.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:ジョン・ピールマイアー
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
ジェーン・フォンダ (マーサ・リヴィングストン)
アン・バンクロフト (ルース院長)
メグ・ティリー (修道女アグネス)

       *        *        *

メグ・ティリーの思い込み信者ぶりが、可憐で哀れで鬼気迫る・・。

作品の完成度としてはきわめて高いミステリーだと思う。そしてそこに宗教と科学という価値観の対立をいれこんでいる。しかしこの映画が特徴的には、この両者をほとんど対等に配置していることだ。
ほとんどの宗教がらみのサスペンスというのは、殺人事件が起きると宗教が捜査の軋轢になり、申し訳度に宗教の活躍する場面もいれつつ、結果的には宗教に迷惑がかからないように、犯人はそれ以外のところに配置されているものだ。ただ、全体的な印象としては<科学>VS<宗教>の対立構造は宗教に分が悪くできているようだ。
この映画もそのイメージは確かにあるのだが、この映画では作者の「なんとか<宗教>を対等な土壌に設定できないものか・・」と考えたその努力が伺える。その努力っぷりがこの映画の魅了だろう。

撮影はスヴェン・ニグヴィスト。ベルイマン映画で活躍した北欧の巨星シネマトグラファーはここでもいい仕事をしている。じみ~~に緊張感あるベルイマン映画にでてきそうな色をこの映画でも出しており、かなり素敵な画面の映画のひとつだ。音楽はジョルジュ・ドルリュー、スタッフ的にも文句のない作品だ。


物語はこのように始まる。
男子禁制のはずの修道院の尼僧アグネス(メグ・ティリー)が出産するが、その子は生まれてすぐクビを締められて殺されたところを発見させる。男子禁制なのになぜ彼女が妊娠する? 単純な疑問がおきる。そのアグネスという尼僧、実は自分が妊娠したことも出産しことも覚えていないという。この彼女の設定がまずよくある様で、実は物語の根幹をなす部分をすべてカバーできるように作りこんである。彼女の母親はアルコール中毒で死んでおり、その母親の妹であるこの修道院のルース院長(アン・バンクロフト)に育てられたという。しかし、このルース院長は彼女に宗教的世界観しか与えず、彼女は神の存在をひたすら信じる女の子に育ってしまった。一般的社会通念だけでなく性的知識もあたえられないまま育った彼女はなぜ自分のお腹が大きくなってきたかすら知らずに過ごしていた。

裁判所は事件調査とアグネスの精神鑑定のために、女性法定精神科医マーサ・リヴィングストン(ジェーン・フォンダ)を修道院におくる。ここからはルース院長と法定精神科医マーサの対立が映画に本筋になっていく。
ルース院長は、アグネスは「奇跡」を起こす力を宿してる主張し、神による処女懐妊であるという。これに対しててマーサは、アグネスが誰かと性交渉をもったから妊娠したのであり、それが誰なのかをつきとめようとする。修道院に出入りする神父を疑うマーサににたいして、信仰傷つけられた憎しみから不快感を感じずにはいられないルース院長。
やがてマーサは修道院の設計図を調べ、外部から修道院の納屋に通じる地下通路を発見する。催眠療法により、その時の記憶をよびもどそうとするマーサ。

壁の板と板の隙間から差し込んでくる日差しはまるでリドリー・スコット。そんな納屋のなかで敷き詰められたワラのうえに横たわりお昼寝をしていた時の出来事。突然、まばゆいばかりの光を感じ、その光の中に「神」の存在を感じした彼女は、その光の中でその手に抱かれた。そして妊娠した彼女は産まれ落ちた子を、自らの手で「神」の許に返したという。

しかしここから大どんでん返し(?)が起きる。告白をしたアグネスの両手、両足から血が流れ出す。処刑されたキリストと同じ傷。これは奇跡なのか? マーサは自分の価値観の外にある信じられないイベントに茫然とたたずむばかりだった。


舞台劇発のこの映画、これがとっておきの最終インパクトというものなのだろう。それまで散々<科学>の前にダウン寸前までうちのめされていたアン・バンクロフトだが、劇作家は同じようにジェーン・フォンダにもそれまで信じていた<科学>というものに疑問を抱かせるエンディングにしてある。

おかげで見ている側もどう解釈していいのかわからなくなる。一応の解釈は納屋で寝ていたメグ・ティリーが、寝ぼけたところを誰かに犯されて子供をはらんでしまい、出産したら殺してしまった・・ってことだと思う。血のくだりは、自律神経まで宗教概念の犯されてしまった彼女の体が、交感神経をさしおいて暴走したということなのかな・・。

by ssm2438 | 2010-08-29 12:49
2010年 08月 28日

忘れられない人(1993) ☆☆☆☆

f0009381_515024.jpg監督:トニー・ビル
脚本:トム・シエルチオ
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:クリフ・エデルマン

出演:
クリスチャン・スレイター (アダム)
マリサ・トメイ (キャロライン)
ロージー・ペレス (シンディ)

       *        *        *

せつなく必死な「好き」が、実にリアルだ。

心臓に欠陥をもっている男の子が、憧れていた女の子との恋愛をまっとうする話・・といえばシンプルにまとめすぎかもしれないが、シンプルなストーリーのディテールを繊細に描いた映画といえるだろう。とにかく男性心理としては実にリアルだ。

男になかには<軽薄な好き>と<必死な好き>がある。不思議なもので<軽薄な好き>でないと女にはもてない。「それを失っては生きていけない」と思ってしまうと、男はチキンになり、余裕がなくなってしまう。その反対に「好きだけど失ってもいいや・・」くらいの好きの場合は男が余裕をもてる。女性にしてみれば、相手の男が自信をもっているように見える。その安心感が女性にとっては大事なのだろうが、男にとっては<軽薄な好き>からの発展でしかない。そして実際問題、男の恋愛が成就されるのはこの<軽薄な好き>からの発展系でしかなが普通である。

しかし、この映画は<必死の好き>からの発展系なのだ。
若き日の男はみんなそうだ。自分に自信がもてなくて、そんな自分だから「好き」といえなくて、それでも想いだけは無限に膨張していく。現実世界でもとめることは恐ろしくて、妄想だけがその想いをかなえてくれる空間となる。これはほとんどドストエフスキー『白夜』に出てくる主人公のようなものだ。重厚な人間の憎悪の愛欲のドラマを描くドストエフスキーが、その反面『白夜』のような人間的に弱さに純粋な部分も描く。ドストエフスキーだからできることなんだろうなっておもう。<必死の好き>が現実でなしとげられることはほとんどありえない。女性にとって<必死の好き>はキモいだけなのだ。この映画は本来ありえないはずの<必死の好き>が成就する話なのだ。
そんな男の純粋な夢を、過剰なドラマチックさを排除し、リアルに、繊細に、地味に映画にしてくれた。
傑作である。

<あらすじ>
コーヒーショップで働くキャロライン(マリサ・トメイ)は、彼から突然別れを告げられ傷心状態。、さらに帰宅途中の二人組の男にレイプされかる。その時、同じ店で働くアダム(クリスチャン・スレイター)が救われる。
孤児院で育ち、心臓を患っていたアダムはほとんど周囲の人と会話を交わすことがなかった彼だが、キャロラインを想っていた。そして毎晩彼女が無事に帰宅するのを密かに見届けていたのだ。いまでいうならストーカーである。キャロラインは、純粋で優しい心の持ち主であるアダムが以前から自分を真剣に愛してくれていたことを知り、彼に心ひかれていく。だがアダムの心臓はすぐにでも移植が必要なほど危険な状態だった。
キャロラインはアダムに手術を勧めるが、彼は昔孤児院でシスターから聞かされた物語を信じ、自分の心臓が特別なものと思い込んでいた。そして、もし心臓が奪われたら、もう君を愛せなくなると言う。アダムの27歳の誕生日に、キャロラインはアイスホッケーの試合に連れて行く。喜ぶアダムの姿を見ながら幸せをみしめるキャロラインだったが、帰りの車中でアダムは息を引き取るのだった。

by ssm2438 | 2010-08-28 05:15
2010年 08月 27日

オンリー・ユー(1994) ☆☆

f0009381_11275236.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:ダイアナ・ドレイク
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:レイチェル・ポートマン

出演:
マリサ・トメイ (フェイス)
ロバート・ダウニー・Jr (ピーター)

       *        *        *

このころのマリサ・トメイが一番よかった。

普通のラブコメといえばたしかにそうだが、『ローマの休日』の思い出深いシーンがちらほら登場するのがオールドファンにとってみればちと嬉しい。監督は『夜の大捜査線』ノーマン・ジュイソン。手堅い監督である。『月の輝く夜に』以外はすきだ。

しかしこの映画の魅力はなんといっても主演のマリサ・トメイ。1992年のアカデミー賞で、助演女優賞(『いとこのビニー』)をとってから一気に彼女の魅力が花開いた感がある。そのあとの『忘れられない人』、そしてこの『オンリー・ユー』。とにかくコケティッシュでキュートでくぁわいい。好きな女優さんのひとりである。
しかし・・・『いとこのビニー』と『忘れなれない人』のマリサ・トメイはとてもよかったのだが、ちょっとこの映画のマリサ演じる主人公の好感度は高くなかった。この映画の彼女は、子供の頃の占い師に告げられ、おとなになってもその迷信を信じている女の話。男の立場からすると「おまえなあ・・」といいたくなる女性の役どころなのだが、まあ、そこはそれ、マリサ・トメイを見る映画なんだとわりきって楽しむしかない(苦笑)。

<あらすじ>
結婚をひかえたフェイス(マリサ・トメイ)だが、子供の頃占い師に告げられた“運命の人、彼らの名はデイモン・ブラッドリー”の言葉がいまだに心のそこにのこっている。しかし結婚の日はちかづいてくる。もちろん彼の名前は「デイモン・ブラッドリー」ではない。現実的に考えればそんな占い師の言葉などとるにたらないものなのだが、婚約者の友人から電話がはいり、その彼がこともあろうに「デイモン・ブラッドリー」だった。

彼はイタリアにいる。衝動的にイタリアへ旅立つフェイス。ローマでフェイスはデイモンと名乗る男性とついに対面しかし、彼の本当の名はピーター(ロバート・ダウニー・ジュニア)だと告白。ボストンの靴セールスマンでフェイスへの一目惚れし、嘘をついてしまったという。傷心の彼女は帰国を決意する。今や彼女のことが好きでたまらないピーターはあちこち尽力をつくし、本物のデイモンがいる場所を捜し当てたと言う。しかしその男(ビリー・ゼイン)はピーターが仕組んだ偽物だった。フェイスがずっと信じていた「デイモン・ブラッドリー」も、フ彼女の兄の友達の名をかたったものだと分かる。
帰路につく空港ロビーで、フェイスの耳に、「デイモン・ブラッドリー」という男を呼び出すアナウンスがきこえてくる。しかし、自分の本当の“運命の人”はピーターであると気づいた彼女はボストン行きの飛行機に乗り込むのであった。

by ssm2438 | 2010-08-27 11:33
2010年 08月 26日

人が人を愛することのどうしようもなさ(2007) ☆

f0009381_17243586.jpg監督:石井隆
脚本:石井隆
撮影:佐々木原保志/寺田緑郎
音楽:安川午朗

出演:喜多嶋舞 (土屋名美)

       *        *        *

才能のない人が映画を作るというどうしようもなさ・・。

エロをアトラクションモノとしてせいか撮れないのは困ったものだ。
たとえば、やはりの歌にしてもしんみり心を歌いこんだ歌はいいものだ。その反対にテーマパークモノのうた、たとえば昔いたピンクレディものなどはカラオケソングにはいいかもしれないがこころにのこらない。この映画は、すべてがテーマパークであり、アトラクション・ムービーなのだ。で、ここで何が問題かといと、アトラクションムービーというのは、あくまで作り手がショーアップしたもの、その映画の向こうに作り手が見えてしまうのである。これが興ざめのおおいなる元凶である。
やっぱりエロというのは、陰湿なシチュエーションがあってのことで、それはたとえ誰かの手によってつくられた架空のものがたちだったとしても映画としてみている以上、脳は事実として理解したいと思っていいるのだけど、そのショーアップされた作成が興ざめお促してしまう。
どっかのアイドルをつかったお祭りえいがならそれはそれで納得できるのだけど、やっぱりエロを基本とした映画はきちんと作ってほしいものだ。
この映画のように現実のリアリティとかけ離れたセットだけの空間で、ごまかすための照明だけをいれまくってつくった画面では、お子様の学芸会レベルtの映像哲学としかいえない。小手先だけでごまかすのもいい加減にしてほしいものだ。

とはいえ、喜多嶋舞の体はエッチでよいです。もっといい映画にとれるスタッフと一緒に仕事できたらよかったのになあ。杉本彩どうよう勿体ない使われ方をしてしまったな・・という印象だ。

ただ、石井隆の脚本でつくられた『沙耶のいる透視図』はすきなのである。
大いに奮起を促したい!

by ssm2438 | 2010-08-26 17:24
2010年 08月 26日

花と蛇(2003) ☆

f0009381_0292897.jpg監督:石井隆
原作:団鬼六
脚本:石井隆
撮影:佐藤和人/小松高志/柳田裕男
音楽:安川午朗

出演:杉本彩 (遠山静子)

       *        *        *

せっかく杉本彩をつかっているのに・・・なんですかこれは???

もうちょっと美しい撮り方というものがあると思うのだけど。いやいや、撮り方以前に舞台となるステージのイマジネーションがとぼしすぎる。まるで戦隊モノで着ぐるみ悪役がたむろしているようなシチュエーション。ガキの学芸会みたいなノリ。もうすこしなんとかできなかったものなのだろうか・・。照明だけでごまかすにも無理がある。

遠山静子(杉本彩)がつれていかれたあのステージが、どのくらいシークレットなものなのか・・みたいなシチュエーション作りをきちんとしておかなければいけなかったのじゃないだろうか。
日本の政界・財界のトップがあつまる宴の場、だったらそれなりの極秘感と性欲の解放の場としていかがわしさがほしい。やっちゃいけないことを、みんなが集まってやってる、でも、ここに来ずにはいられない抑えられない興味・・みたいなのが観客から伝わってこない。『アイズ・ワイド・シャット』ではそのような雰囲気があった。そこに参加する客たちも、そこにいることに恐怖やリスクを感じている。そういった「それをい見せるために、その背景をきちんと描き込む」という作業があまりに戦隊モノ的チープさなのだ。
してのそのなかでおこなわれるショー。
セーラー服のピエロだとか、発想がガキすぎる。作り手の才能のなさが全開してしまった映画だった。

あと・・・杉本彩には和服はあまり似合わない。ふんどしは似合わない。実はスタイルもそれほどいい人ではないので、もうすこし見せ方を工夫してあげればよかったのに・・。

by ssm2438 | 2010-08-26 11:17
2010年 08月 26日

花と蛇2 パリ/静子(2005) ☆

f0009381_1116376.jpg監督:石井隆
原作:団鬼六
脚本:石井隆
撮影:柳田裕男/小松高志
音楽:安川午朗

出演:
杉本彩 (遠山静子)
遠藤憲一 (池上亮輔)
不二子 (池上小夜子)

       *        *        *

海外が舞台なんですかあ・・?? それはダメだろう。

やっぱり人前での羞恥心というのが重要なポイントだけど、海外にいくとどうしても自分の生活から切り離され部分という感覚があり、「旅の恥はかきすて」現象がおきてしまう。自分が恥をさらす恐怖心のの意味がうすれてきてしまう。さらに海外での誘拐などはどちらかというと命の危険を感じてしまうし、人間が感じるものとしてエリではなくサスペンス的な要素になっていくるものだ。
<エロ>というのはやっぱりハダカでも、そのものの行為でもなくて、「シチュエーション」とそのリアリティが必要。はなっから、小学生むけ戦隊モノのシチュエーションづくりしか出来ないスタッフなのに、さらに海外というエロさを半減させる要素が加わればもうどうでもいいかんじ。

杉本彩を縛れるせっかくの土壌があるのにもかかわらず、無駄遣いしすぎだよ。

by ssm2438 | 2010-08-26 05:16