西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 20日

リップスティック(1976) ☆☆☆☆

f0009381_18402033.jpg監督:ラモント・ジョンソン
脚本:デヴィッド・レイフィール
撮影:ビル・バトラー
音楽:ミッシェル・ポルナレフ

出演:
マーゴ・ヘミングウェイ (クリス・マコーミック)
アン・バンクロフト (女性検事カーラ)
マリエル・ヘミングウェイ (クリスの妹・キャシー)

       *        *        *

この頃のマーゴ・ヘミングウェイは美しかった・・・。

最近になるまで晩年の彼女をみてなかったのだけど、自殺する前の数年の彼女はすごい崩れてる。美しくない。このころの彼女はあんなに綺麗で見るものをひきつけていたのに・・・どうしてそんなことになってしまったのか・・・残念で仕方がない。あの痛みかたをみてると自殺にいたるほどの心労があったのだろう。

しかし、この映画のころの彼女は美しかった。映画自体はそれほど評価もされなかったが、でも、かなり頑張ってたと思う。画面的にもそこそこお洒落に撮ろうとしてる節があるった。ただ、そのお洒落さが、当時、「レイプをテーマにしてるのに、このお洒落感覚はなんだ!?」みたな印象を世間に与えたのだろう・・・、あくまで私の予想だけど。当時はこの映画はすこしは話題になっており、私は中学3年か高校生くらいだったと思う。

お話のとっかかりはなかなかいいのである。
世間でいかに評価されなくても、私個人はかなりのお気に入り映画である。

その日はトップモデルのクリス・マコーミック(マーゴ・ヘミングウェイ)の水着の撮影の日。妹のキャッシー(マリエル・ヘミングウェイ)は、姉に自分の学校の音楽教師スチュアート(クリス・サランドン)を紹介しようとして彼をロケ現場に招待していた。クリス自身がスチュアートの曲に興味を示していたのだが、その日は忙しくて彼の曲を聞く暇のなかった。さりげなく男が大事にしていたものを踏みにじるマーゴ。悪気はなくても、対象に対して真剣に取り組まない姿勢は相手には伝わるものだ。これが総ての原因でもないだろうが、このあいまいで、でも、たしかにある一つの起爆剤としては素晴らしい設定だったと思う。

結局、そこでは相手する時間がないと判断したクリスはあとで、自分の部屋を訪ねてくるように言ってしまうそこで彼女は犯される。
しかし、妹キャッシーのスチュアートに対する想いもかなり複雑なのだ。妹にしてみれば、大好きな音楽教師なので、姉を紹介することで、すこしお近づきになりたいな・・みたいな感じなのだろう。そして、姉が犯されているところを見ても、どう解釈していいのかあいまいなのだ。それ以上にスチュアートに対しては悪意を持ちたくないという基本ラインがあるようで、そのあたりも今後の行動判断にいろいろ作用してくるように出来ている。

レイプをしてしまう男にしても、彼女を犯したいから犯したという、性的衝動からではないところが実に切実でいい。自分自身が音楽を愛し、美しいと思っているものを、さりげなく無残に彼女がないがしろにしてしまった。ゆえに彼も、彼女が美しいともっている彼女の美貌や容姿をないがしろにしてしまう行動にでる。
妹に対してもかなり複雑だ。自分のことをずっと慕ってくれていたはずの彼女。そんなこんなで彼女の姉を犯してしまったが、裁判では無罪を勝ち取る。そして普通の生活に戻ったが、やはり妹にも慕われていたかった。それを確かめてみたかった。でも、確かめてみたら彼女は自分を恐れ逃げていった。なので追ってしまった。そして犯してしまう。
ナイーブな男心がかなり赤裸々に描かれていると思った。

いろんなあいまいさのなかで物語を展開させたこの映画、個人的にはとても大好きなのだけど・・、どうも世間的にはうけなかったらしい。私だけがけっこう好きな映画のひとつである。

<あらすじ>
先の水着撮影の時にクリス(マーゴ・ヘミングウェイ)をたずねたスチュアート(クリス・サランドン)だが、そのときはあわただしく、後日、彼女のマンションを訪ねて来るようにいいわたされた。翌日、スチュアートはクリスのマンションを訪ねた。やがて部屋中に彼がテープに録音して持参した電子音楽が異様な音を響かせはじめると、タイミング悪くクリスの恋人から電話が入ってきてしまう。
彼女が聴きたいというから持参した自分の電子音楽、なのに二度も集中しない態度をとられてしまったスチュアートは別室に退き、さりげなくこみ上げてくる怒りを抑えるていた。けべの向こうではまだ彼氏となにやら話している。自分の存在を無視されているのがいたたまれないスチュアートは音楽のボリュームをあげた。顔をだし、無神経に「音を下げて」というクリス。
彼はクリスの髪をつかむと狂ったように引きづりまわし、真赤な口紅をクリスに塗りたくった。そしてベッドの上に裸のクリスをうつ伏せにして手足を縛りつけ、彼女を犯した。その時学校から戻ったキャシーは、ベッドの上でもつれあっている男と女を見てしまう。愕然としてその場から離れるキャシー。

クリスは女性検事カーラ(アン・バンクロフト)の事務所を訪ねた。事件は裁判に持ちこまれだが、カーラの予測どおりスチュアート側の弁護士は、不当ともいえる手段でクリスに罪を被せようとし、重要参考人としての幼ないキャシーを巧みに利用して、見事、スチュアートを無罪にしてしまった。

裁判にまけたクリスは、自分を納得させるためにコロラドの山奥に引きこもるつもりで、猟銃を車に積み込んで最後の仕事にでかけた。やがてキャッシーもスチュアートに犯されてしまう。怒りに燃えたクリスは、車に積んであったライフルを取り出すとスチュアートに発砲した。車は横転し、血だらけのスチュアートがはい出して来た。クリスはなおも激しく撃ち続けた。ふたたびクリスは法廷に立っていた。だが今度は無罪を宣告されるのだった。

美しかりしマーゴ・ヘミングウェイ(↓)
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by ssm2438 | 2010-08-20 18:59
2010年 08月 20日

ハード・ウェイ(1991) ☆☆

f0009381_14334540.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ダニエル・パイン/レム・ドブス
撮影:ドン・マカルパイン/ロバート・プライムス
音楽:アーサー・B・ルビンスタイン

出演:
マイケル・J・フォックス (映画スター、ニック・ラング)
ジェームズ・ウッズ (ジョン・モス刑事)

       *        *        *

そこそこ面白く作ってあるが・・・、どうもマイケル・J・フォックスが、映画のなかで刑事をやるってのがいまひとつぴんとこないというか・・

この映画のなかでのマイケル・J・フォックスは映画界のスーパースター。その彼が刑事ドラマの映画をとることになって、役作りのために現場を訪れるという話。で、不運にも彼のおもり役をおおせつかってしまったのが、凄腕刑事のジェームス・ウッズ

いささかキャスティングに無理を感じる。マイケル・J・フォックスがこの映画のなかでは映画スターというのはゆるせるのだが、その彼が刑事ドラマをやるってキャスティングがいささかついていけなかった。普通に考えたらマイケル・J・フォックスでシリアスな刑事ドラマなど考えない。私もそうなのだが、ここでこの映画に入れなかった人がかなり多いと思う。
もうひとつ、ジェームス・ウッズという役者さんは、私は好きなのだが、この人癖がありすぎて、どうもコメディがなかなかあわないというか・・。多分この人は、シリアスな話で、シリアスに追い詰められて、その状況の中でコメディを演じるキャラクターがとってもあっているのだけど、コメディのなかでシリアスなキャラを演じるの的外れな感をうける。『殺しのベストセラー』のジェームス・ウッズが好きなのだが、この映画もそうなりかける要素はあったと思う。でも、この映画自体がコメディ体質なので、あの時のジェームス・ウッズほどの良さがでなかったのが残念。。。

しかし・・・、たわいもない映画なのだけど、みてるとついつい最後までみてしまうような映画。見せどこを心得たジョン・バダムならでは軽快な演出がわるくはない。現場に出ると、弾にあたれば死ぬ危険ととなりあわせのジェームス・ウッズと、それが全部映画のサンプルとしか考えられないマイケル・J・フォックス。その全然ちがう価値観のぶつかり合いがこの映画の楽しいところで、分かりきってることなのだがそれを気持ちよく演出してくるのがジョン・バダム。・・・かといって、それ以上のなんも印象はない。うむむむむ・・、かつての栄光『ショート・サーキット』『ブルーサンダー』『ウォーゲーム』のころの冴えをとりもどしてほしいものである。

<あらすじ>
かつては人気アクション・スターだったニック・ラング(マイケル・J・フォックス)だが、ここ数年はその人気もかげりがち。そんな彼の次回作は刑事ドラマ。この映画に人気復活をかけるニックは役作りに挑むため、偶然TVで目にしたニューヨーク市警の殺人課刑事、ジョン・モス(ジェームズ・ウッズ)のクールさに魅了され、彼に弟子入りしようと NYに飛ぶ。
そのころジョン・モスは連続殺人鬼バーティ・クラッシャー(スティーブン・ラング)を追っていた。上からのお達しで、その調査にニックを同行させるはめになったモスは、ニックのまぬけさにうんざり。家にまで上がりこんで同居することになったニックを手錠で別途に繋ぐと1人で捜査に出かけてしまう。
モスは単身クラッシャーが改造拳銃の売人と接触する現場に乗り込み、壮絶なチェイスの末にクラッシャーをニックの最新作「スモーキング・ガンII」の上映されている劇場に追い詰めた。逃げたクラッシャーはモスの家へ行き、モスの恋人スーザン(アナベラ・シオラ)を人質にとり、街の「スモーキング・ガンII」の宣伝用ハリボテの中に立てこもるが、ニックとモスが力をあわせ、スーザンを救出、クラッシャーははりぼてニックから落ちて絶命する。

by ssm2438 | 2010-08-20 14:36 | ジョン・バダム(1939)
2010年 08月 19日

ドロップ・ゾーン(1994) ☆☆

f0009381_21363892.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ピーター・バルソチーニ/ジョン・ビショップ
撮影:ロイ・H・ワグナー
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ウェズリー・スナイプス (ピート・ネシップ捜査官)
ヤンシー・バトラー (スカイダイビングのインストラクター)
ゲイリー・ビューシイ (タイ・モンクリーフ)

       *        *        *

職人ジョン・バダムの今度の料理はスカイダインビング!

プロフェッショナルな分野を判り易く、なおかつ面白く映画にまとめてしまうのがこの人ジョン・バダム。決して敷居を高くせず、ここちよいくらいのサスペンスさとシリアスさを甘味料に入れて、実に食べ易い物語に仕上げてしまう職人監督。そのジョン・バダムが新たに選んだ素材がこれ、スカイダイビング。

そもそもスカイダイビングがどう映画になるんだ??って考える。なんかの競技会をやるにしても、そんなに達成感があるわけでもないので、映画的な高揚感はあまり期待できない。スポーツってのは、きわめてきわめてやっと勝つスポーツと、エンジョイした結果、コンテストでなんとなく優勝してしまうようなスポーツとがある。スカイダイビングなんてのは後者のほう。
どう考えてもスカイダイビングで映画が取れるとは普通おもわないんだけど、それを映画にしてしまうのがジョン・バダムなんだなあ。この映画では、スカイダイビングで、某銀行のビルの屋上に飛び降り、盗みを働こうというもの。正直ちょっと無理やりなお話作りだなって思ったけど、まあ、見てると実にそれほど破綻した段取りもなく、さらりとまとめてしまっている。ただ、他のジョン・バダムの作品に比べるともう一つなにかスカイダイビングをネタにしたエピソードをは挟み込んでほしかったかなってきがする。確かにスカイダイビングのシーンを可能な限り入れ込もうとする試みは判るのだが、あまり活かしきれてないきがした。素材的になかなか難しいタイプのものだけど・・・、私の御ひいき監督ジョン・バダムだが、もうひと声、なにかほしかったかな・・。

ただ、ヤンシー・バトラーが見られたのは良かった。ジョン・バダムって、プロフェッショナルな分野を判り易くときめく映画にする人だけど、もうひとつの才能があって、それは女性キャラを発掘する才能。彼女の映画につかわれる女優さんってけっこう私好きなんだ。このヤンシー・バトラーもそう。もうちょっとウエストがくびれてたらブレイクしたかもしれないのに・・、おしいキャラだ。

<あらすじ>
コンピュータ犯罪の専門家アール・リーディを刑務所に護送する任務についたFBIの捜査官ピート・ネシップ(ウェズリー・スナイプス)だが、機上でのハイジャックに遭遇、犯人はリーディを奪うと、時速900kmで飛ぶ機体から飛び降りた。同行していた捜査官で弟テリーは、機外に放り出され死亡。
停職となったピートは汚名を晴らし、弟の仇を討つため単独で調査に乗り出す。犯人はプロのスカイダイバーであるとにらみ、スカイダイビングのエキビジョン・チームに潜入。一味を捕らえるためには、同じ技術を自ら身に付けねばと考えた彼は、信頼できる美人女性ダイバーのジェシー・クロスマン(ヤンシー・バトラー)に教えを乞う。
ピートは命がけの特訓を重ね、アメリカの独立記念日の夜、ワシントンに集団で降下するエキビジョン大会に参加する。そして彼らはいた。タイ・モンクリーフ (ゲイリー・ビジー)をリーダーとする一団は、その日だけは許ワシントン上空を飛行することがゆるされることをいいことに、上空から麻薬取締局本部ビルに降り立つ。彼らの目的は、世界中に散らばっている囮麻薬捜査官たちの情報を引き出し、それを犯罪組織に売ろうというものだ。スカイダイバーたちの協力を得て、彼は敵と激しい銃撃戦を繰り広げ、組織の陰謀を砕いた。

by ssm2438 | 2010-08-19 21:38 | ジョン・バダム(1939)
2010年 08月 18日

大統領の陰謀(1976) ☆☆☆☆☆

f0009381_1554734.jpg監督:アラン・J・パクラ
原作:カール・バーンスタイン
    ボブ・ウッドワード
脚本:ウィリアム・ゴールドマン
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:ダスティン・ホフマン
    ロバート・レッドフォード

        *        *        *

1970年のウォーターゲート事件とは、ニクソン政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入したことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権の野党盗聴への関与が明らかになり、世論の反発によってアメリカ史上初めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった。<ウィキペディアより)>

この映画はこの事件発覚後、ホワイトハウスは大統領の関与を否定したが、ワシントンポストの二人の記者カールバーンスタインとボブ・ウッドワードは大統領の指示でこれが行われたのではという懸念をもち、独自に捜査をしていく。大統領がこの盗聴を指示したとしたらそれは大スクープだが、そう報道しておいて事実が認定されなければただの大ほら吹きの新聞社ということになる。ゆえにどこの新聞社も新調に報道していたのだが、ワシントンポストの二人はディープ・スロートからの情報も得ていて、大統領=黒の方向で記事にしていく。

何を撮っても面白くないアラン・J・パクラのなかの面白いほうの話。大雑把なエンタを求める人には不向きだが、情況描写だけでで真実を追い詰めていくサスペンスがすごい。松本清張の本がそんな感じだが、それを映画でやるとこうなるのか・・って感じの映画。
そして映画の緊張感をたかめているのがやはりゴードン・ウィリスのカメラ。いつもながらに氷のフィルターつけてます。

ただ、確かに地道にすごい映画なのだけど、結局「だったらディープスロート、おまへ小出しにせずに始めっからそういえよ」って感じ。そうすりゃあもっと早く事件は解決してたのに・・みたいな。地道な確認作業の積み重ねは実に素晴らしいサスペンスを生んでいるのだが、基本のストーリーラインはかなり単純。というかまったくドラマはないと言える。・・はは、さすが良くも悪くも<何を撮っても面白くないアラン・J・パクラ>、くそおっ、面白いぞ!

ちなみにこの年の賞レースは白熱。シルベスタ・スタローンジョン・G・アビルドセン『ロッキー』シドニー・ルメット『ネットワーク』アラン・J・パクラ『大統領の陰謀』マーティン・スコセッシ『タクシードライバ』など重厚なドラマが目白おじ。まさに重量級の激突。アカデミー賞作品賞は『ロッキー』が持っていきましたが、アカデミー脚本賞NY批評家賞の作品賞はこちらの『大統領の陰謀』でした。

by ssm2438 | 2010-08-18 15:21 | ゴードン・ウィリス(1931)
2010年 08月 18日

007/カジノ・ロワイヤル(1967) ☆

f0009381_12543118.jpg監督:ジョン・ヒューストン他
原作:イアン・フレミング
脚本:ウォルフ・マンキウィッツ
    ジョン・ロウ
    マイケル・セイヤーズ
撮影:ジャック・ヒルデヤード
音楽:バート・バカラック

出演:
デヴィッド・ニーヴン (ジェームズ・ボンド卿)
ピーター・セラーズ (イヴリン・トレンブル)
オーソン・ウェルズ (ル・シフル)
ウディ・アレン (ジミー・ボンド=ドクター・ノア)

       *        *        *

はああああああ、私はダメでした。。。

007シリーズをつくっていたイオン・プロだが、一本だけ映画権をとりそこねたエピソードがあった。それがこの『007/カジノ・ロワイヤル』である。その映画権を一足早くさらっていたのが『欲望という名の電車』や『7年目の浮気』などのプロデューサー、チャールズ・K・フェルドマン。その彼によってつくられたのがこの映画だが、007のパロディ映画であり、正式なシリーズとは言いがたいもの。でも一応原作表記はイアン・フレミングである。
当時の豪華な俳優達が数多く出ているのだが、内容は脈絡のない乱痴気騒ぎをくりひろげるだけで、どんなストーリーなのかも判らない。ダニエル・クレイグの『007/カジノ・ロワイヤル』をみても、これが同じ原作から出来たとは到底おもえない。

<あらすじ>
各国の情報部員が次々に行方不明になる事件が起きる。イギリス秘密情報部のMは、CIA、KGB、フランス情報部の代表団とともに、既に現役を退いた嘗ての名スパイ、ジェームズ・ボンド卿(デヴィッド・ニーヴン)を訪ねるが、ボンド卿はこれを断る。しかしその直後彼の屋敷が何者かの攻撃を受けてMも死んでしまう。Mに替わって情報部のトップに就いたジェームズ卿は、敵を混乱させるため、全ての情報部員にジェームズ・ボンドと名乗らせることにする。
謎の組織スメルシュの幹部ル・シフル(オーソン・ウェルズ)は、使い込んだ組織の金の穴埋めのためにカジノでイカサマ・ギャンブルをして金を稼ごうとする。ジェームズ卿はバカラの名手イーブリン・トレンブル(ピーター・セラーズ)をスカウトしており、彼もまたジェームズ・ボンドを名乗ってル・シフルと勝負することになった。
・・・しかしラスボスは、女にもてないことに劣等感を感じるジミー・ボンド=ドクター・ノア(ウディ・アレン)。笑気ガスをあびてみんなが笑い転げながら戦うクライマックスが・・・イタい。

・・・とにかく総てがイタくて、総てがすべる脈絡のない映画だった。

by ssm2438 | 2010-08-18 12:59
2010年 08月 18日

肉体の悪魔(1986) ☆

f0009381_1120045.jpg監督:マルコ・ベロッキオ
脚本:マルコ・ベロッキオ/エンリコ・パランドリ
撮影:ジュゼッペ・ランチ
音楽:カルロ・クリヴェッリ

出演:
マルーシュカ・デートメルス (ジュリア)
フェデリコ・ピッツァリス (アンドレア)

       *        *        *

ほんとに咥えてるぞ、マルーシュカ・デートメルス!?

ジャン=リュックー・ゴダール『カルメンという名の女』でデビューしたマルーシュカ・デートメルス。日本ではそれほど人気にはならなかったが、ヨーロッパでは人気のあったミューズの一人。
その彼女が主演なので露出度はかなり期待できる作品だが、本編中に彼女が主人公の高校生にフェラチオをしてあげるシーンがあるのだが、これがほんとにしているという!! 主役を演じたフェデリコ・ピッツァリスはなんとうらやましい野郎だっておもってしまった。

70年代にはやった青春“H”モノは、初体験にときめく若い男の子が、憧れの女性と紆余曲折あり、なんとか想いをなしとげるも、最後は「おわかれしましょう」で終わるのが定め。この映画は80年代の映画だけど、基本ラインはその流れなのだろうが、珍しく最後は二人が結ばれる方向性で収束していく。ただ、みていて気持ちいい“H”シーンではなく、もうちょっと普通っぽい。なのでマルーシュカ・デートメルスが主演で脱いでる回数はそこそこあるのだけど、欲情をそそるような“H”かどうかはちと疑問。

私がこの映画を見たときは、やっぱり彼女の裸のシーンだけをもとめてみてしまったのでストーリはひたすら退屈だった。というか、ピンとこないシーンが続くので感情移入ができないまますすんでしまうのである。
冒頭で自殺志願の女性を眼をあわせるマルーシュカ・デートメルスというシーンがある。自殺志願の泣き叫ぶ女の顔をみつめながらいっしょに涙をながすデートルメルス。他の人の必死の説得にも耳をかさなかった狂乱女が、ともに泣いてくれるマルーシュカを認めると、自殺をおもいとどまるという演出。演出的には、<イベントに対して感情移入する女性>をあらわしたかったのだろうが、どうもこのあたりがピンとこない。こうやっとけば、そのあとに続く主人公との肉体関係も言い訳がつくということなのだろうか・・。どうもそうらしいが、私としては全然監督のひとりよがりのいい訳のような気がした。

このマルコ・ベロッキオが監督したこちらの映画では、時代を第一次大戦時のフランスンから、60年代の後半ローマに置き換えている。彼女の夫も、原作では第一次世界大戦に出兵しているということになっているが、本作ではテロ活動で逮捕され服役中という設定だ。この設定もどうなのだろう。原作の設定では、婚約者が「待つべき人」だけど、この設定だと一般的に考えて「別れるべき人」=「待つべきでない人」になってしまっているような・・。そんな婚約者をもつ彼女とのセックスにはさほど罪悪感が生まれないような気がする。ドラマの設定してはどうなんでしょうね? とりあえず時代を近年にするためにいろいろアレンジを加えているが、ひっかきまわしただけ・・という印象。
当然1947年の、ジェラール・フィリップ主演の『肉体の悪魔』とは似ても似つかぬモノになっているようだ。

原作は、若くしてこの世を去ったフランスの小説家レイモン・ラディゲの同名小説で、彼が14歳の頃に出会った女性との実体験をもとに書かれている。フランス文学史全体における位置づけは、活動期間が短く、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはないが、処女小説『肉体の悪魔』は、年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、今日もなお批評されているという。

<あらすじ>
ローマのある高校。パスコリの詩について授業が行なわれていると、向かいの屋根の上で飛び降り自殺さわぎが起きていた。学生のアンドレア(フェデリコ・ピッツァリス)はその騒ぎのなかで、一人の女性に釘付けになる。翌日、アンドレアは教室を抜け出して、その女性ジュリア(マルーシュカ・デートメルス)を追った。墓地に行き、墓標に花を供えるジュリア。彼女の父はテロの犠牲者だった。彼女は、その足でテロリストたちが裁判を膨張するために法廷に向かった。
彼女の婚約者のプルチーニはテロリストで長く投獄されているのだった。檻の中に入れられたテロリストのカップルが公衆の前で抱き合い、それを見て興奮したジュリアは、となりに居合わせたアンドレアにしがみついた。やがて、二人は本当に愛し合うようになる。婚約者の母がそのことに気づきはじめた。夫人はアンドレアの父親にそのことを告げ、とがめられたアンドレアは、家を飛び出してジュリアのアパートに行く。やがてプルチーニの釈放の日がやって来た。ジュリアはプルチーニのもとを去った。その日は、アンドレアの卒業試験の日でもあった。口頭試験を受けているアンドレアの後で微笑むジュリアがいた。

by ssm2438 | 2010-08-18 11:21
2010年 08月 17日

小説家を見つけたら(2000) ☆☆

f0009381_21363890.jpg監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:マイク・リッチ
撮影:ハリス・サヴィデス

出演:
ロブ・ブラウン (ジャマール・ウォレス)
ショーン・コネリー (ウィリアム・フォレスター)

       *        *        *

一番見せるべきところを<口パクのみ+音楽>で逃げるなよ!

『グッド・ウィル・ハンティング』でいいところをみせてくれたガス・ヴァンサントだが・・、これはちょっとちいただけなかったかなあ。この映画も「天才性」をいかに見せるかってところがぽいんとなれど、こっちはちょっと失敗している感がある。『グッド・ウィル・ハンティング』ではもったいぶらせテクニックでなんとかその「天才性」を演出していたが、正直なところそれほどすごいなあとは思わなかった。ただ、じゃあどう演出するのか??といわれるとああなっちゃうのかなあってアベレージ的な演出だったと思う。たぶんそこでもうひとつ踏み込んで、リアリティを描ける人と送でない人がいるのだろうが、ちょっとガス・ヴァンサントでは、ちょっとちから及ばずだったのだろう。

この映画においては、最後で主人公の青年がかいた小説をショーン・コネリーが音読してみんなを感動させるというシーンがあるのだけど、そのシーンを音楽流して、肝心な具体的な文章は提示しないままおわってしまった。それがちょっといただけなかったかな。
そうはいっても、もしかしたら・・・って期待していたのは確かなので、映画をみたあとの今ひとつ感は寂しかった。

私の好きな『リッスン・トゥ・ミー』という映画、これは大学のディベート大会の映画なのだが、脚本家のダグラス・デイ・スチュワートが、それぞれの個性を反映させた、感動する文章を書いて、それを観客に提示していた。
やっぱり書き手はここを逃げたらだろうだめだろうって思った。

<あらすじ>
NYのブロンクス。黒人の文学少年ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)は、アパートの部屋に引きこもっている謎の老人と知り合う。実は彼こそが、40年前にピュリツァー賞に輝いた処女作一冊だけを残して文壇から消えた幻の小説家、ウィリアム・フォレスター(ショーン・コネリー)だった。二人の間にはやがて師弟関係のような友情が生まれ、ジャマールは文学の才能を開花させていく。一方フォレスターは、ジャマールと付き合っているうちに、長年閉ざされていた心を開いていく。
そんな時、ジャマールの才能に気づき嫉みはじめていたロバート・クローフォード教授が、ジャマールの提出した作品のタイトルがフォレスターの昔発表したエッセイと同じ副題を持っていることから、盗作の疑いをかける。ジャマールは退学の危機にさらされるが、作文シンポジウムの時、それまで決して一人では外出しようとしなかったフォレスターが現われ、ある作文を朗読しはじめる。会場にきていたみんなは、それがフォレスターの文章だと勘違いするほど聡明な文章だったようだ。そしてその最後にこれがジャマールが書いた文章であることと同時に、彼の秘められたほんとの才能を世にみとめさせたのだった。

by ssm2438 | 2010-08-17 21:39
2010年 08月 13日

アンドリューNDR114(1999) ☆☆☆☆

f0009381_13502721.jpg監督:クリス・コロンバス
原作:アイザック・アシモフ
脚本:ニコラス・カザン
撮影:フィル・メヒュー
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ロビン・ウィリアムズ (アンドリュー)
エンベス・デイヴィッツ (アマンダ/ポーシャ)
サム・ニール (リチャード)
オリヴァー・プラット (発明家ルパート)
キルステン・ウォーレン (ガラティア)

       *        *        *

屁がこけること、それが人間の幸せかも・・・

ベタな大河ドラマなんだけど、これが意外といいんだ。『グレムリン』の脚本でデビューしたクリス・コロンバス。その後もスティーブン・スピルバーグが総指揮をつとめる映画の監督などをやっていたが、個人的にはほとんど魅力を感じずにいた。そんなわけで、この映画もしばらくほっておいたのだが、公開から10年くらいたってたまたまテレビでやっているのをみたら、ついつい惹きこまれてしまった。

さすがにロボットの大河ドラマで、原題『バイセンティニアル・マン(200歳男)』があらわすように人間の人生の数倍いきてしまう。未来という設定で人間の寿命がのびたとはいえ、それでも人間の3~4世代分を生きてしまうので、初めに登場した時のロボットをかったリチャード(サム・ニール)も死んでしまうし、その時アンドリューに心開いてくれたアマンダも、死んでしまう。その娘という設定のポーシャを同じエンベス・デイヴィッツが演じていて、彼女が物語のヒロインとなるのだが、途切れそうになる感情移入をなんとかつなぎとめたかたちになっている。物語構成的にはかなり単調なものであることは認めざるを得ないが、それでも、アンドリューの憧れが切れないように工夫をして作られているのが実に好ましい。

しかし、最後はアンドリューが人間として認めてほしいと、人類の評議会の審判をうけるのだが、あれで人間だと認めてしまうのはどうなのかな?って思った。人間の感情というものはもっと複雑なもので、たとえば、好きなのに好きだといえなくって、でも好きだと気づいてほしい・・みたいなものである。好きな人の不幸は、自分がそれで役に立てるいい訳として、けっこう幸せなものであったりもする。そういった複雑な心理がないアンドリューに人権を認めるというのはどうにも「人の軽さ」を感じてしまった。たぶん、もしこれが「人」と呼べるものなら、人間につくられて、そういった複雑な感情も持たないにもかかわらず、人権をもとめててしまう単純さに「やっぱり自分は人間ではないんだ」と判断し、その素直すぎる欲求はロボットの証だとして申請を取り下げるだろう。

この映画は、どこか教育映画的な要素があって、さしあたり非難をうけない映画の作りになっている。そのあたりがかなり物足りなさを感じるのだが、このアンドリューがここまでやって、なおかつなぜか人間だとは認めたくない部分がやっぱり見ている我々の中には存在するはずだ。それこそが人間の人間たるものであり、ロボットのような素直な部分だけではない、人間のもっとも素晴らしいところなのだろう。それを再認識させてくれから好きなんだなあ。
しかし、ここに提示したアンドリューの努力だけでも、単純には感動できると思う。なんだかんだいってもこの映画は嫌いにはなれない。

余談だが、ガタティアはキュートでいい。最後に進化したガラティア(ほとんど人間)をキルステン・ウォーレンが演じているのだが、この人、なかなか素敵だ。最後の看護婦さんとなった彼女はめちゃめちゃ素敵だった。

原作は『ミクロの決死圏』アイザック・アシモフ。1900年代のSFの3人の巨匠といえば、アイザック・アシモフアーサー・C/クラークロバート・A・ハインラインとよく言われたものだが、そのうちにひとりである。

<あらすじ>
近未来。マーティン(サム・ニール)は家事用ロボット、NDR114号(ロビン・ウィリアムス)を購入した。「アンドリュー」と名付けられた彼は、幼いリトル・ミスと友達になり、彼女から人間について学んだ。やがてリトル・ミス(エンベス・デイヴィディッツ)は成長し、結婚していった。アンドリューのほのかな恋心は痛んだ。
娘をおくりだすマーティンとアンドリューが一緒に飲むシーンは実にすてきだ。

いつしか時間がたち、リトルミスも亡くなった。しかしアンドリューはその子供(孫でしたっけ?)ポーシャと知り合う。ポーシャ(エンベス・デイヴィディッツ)はアンドリューがずっとあこがれていたリトルミスそっくりだったのだ。彼女を愛したい、彼女に愛されたいと願うアンドリューは人間になりたい欲求をおさえられなくなっていた。友人となった発明家のルパート(オリヴァー・プラット)からロボットが人間に近づける可能性を知らされると、具体的にそれを現実にしていく。肌を獲得し、味をしる舌を獲得し、生殖器も獲得する。ついにポーシャ(エンベス・デイヴィディッツ=二役)のこころをいとめたアンドリューは彼女と結婚するが、ロボットとの結婚は認められないため、非公式である。どうしても人間と認めてほしいアンドリューはルパートに寿命を与えてくれるように要求する。いつ、どこで命が絶えるかわからない寿命というもの。それを獲得したアンドリューはなんども却下された人間として認めてもらえる申請を再び提出する。
そしてその結論が人類大評議会で出されるその日、その評決をまたずにアンドリューは静に息をひきとっていくのだった。

by ssm2438 | 2010-08-13 13:48
2010年 08月 13日

レッドソニア(1985) ☆

f0009381_11284588.jpg監督:リチャード・フライシャー
脚本:クライヴ・エクストン/ジョージ・M・フレイザー
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ブリジット・ニールセン (レッド・ソニア)
アーノルド・シュワルツェネッガー (カリドー)

       *        *        *

ロバート・E・ハワード原作の『コナン・ザ・グレート』『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』の姉妹編。『CONAN』の原作が面白いかと言われるとそれほどでもないのだけど、この出版物のイラストなどを描いていたのがフランク・フラゼッタという人で、この人が圧倒的な絵を描くので、この作品が人気になったといえるだろう。フラゼッタに関しては『ファイヤー&アイス』というアニメ映画でキャラクターデザインもやっている。

本作にはビデオ発売当初、『アーノルド・シュワルツェネッガー/キング・オブ・アマゾネス』などというタイトルもつけられていたが、アーノルド・シュワルツェネッガーはゲスト出演っぽく、前回からの流れをさりげなく受け継いでいるというような感じ。でもあくまで主人公はブリジット・ニールセン演じるソニアのほう。

監督は『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』に引き続いてリチャード・フライシャー。この監督さん、古くは『ミクロの決死圏』『トラ・トラ・トラ!』などを撮った人だけど、技術的にはそれほどインパクトがあるわけではない。言われたとおりにさらっと仕上げる感じの人。この映画もたいしたスペクタクルがあるわけでもなく、まあ、ごついアーノルド・シュワルツェネッガーとブリジット・ニールセンのコスチューム・プレイが見られるという程度のもの。かなり退屈だったかな(苦笑)。

<あらすじ>
万物を創造し支配する聖玉<タリスマン>を奪った悪の女王ゲドレン(サンダール・バーグマン)は、一層の勢力を拡大しつつあった。ゲドレンに自分の村を焼き打ちにされたレッド・ソニア(ブリジット・ニールセン)は剣の修業を積みたくましい女性剣士として生まれ変わった。
復讐のために女王の住む魔城アーカベインへと旅立つ。途中、カリドー(アーノルド・シュワルツェネッガー)、そして女王に滅ぼされた都の王子ターンとその家来ファルコンが加わる。初めは男を寄せつけなかったソニアではあったが、ゲドレンを倒した今はカリドーと口づけを交わし、2人で新しく旅立ってゆくのであった。

by ssm2438 | 2010-08-13 11:33
2010年 08月 12日

スール/その先は・・・愛(1988) ☆☆

f0009381_1434798.jpg監督:フェルナンド・E・ソラナス
脚本:フェルナンド・E・ソラナス
撮影:フェリックス・モンティ
音楽:アストル・ピアソラ・キンテート

出演:
ミゲル・アンヘル・ソラ (フロレアル)
ススー・ペコラーロ (フロレアルの妻ロシ)

       *        *        *

相変わらずダークなアルゼンチン映画だが、恋愛劇をからませて見やすく仕上げている・・・ほんとか??(苦笑)

1988年のカンヌの映画祭監督賞フェルナンド・E・ソラナス)をとっている。

80年代につくられたアルゼンチン映画というのは、70年代の軍事政権下でおきた人々の悲劇を描くものがおおい。不当拘束、監禁、暴行、レイプ、人身売買など・・70年代にこんなことが起きているのか!?っとびっくりしてしまう。
私の中では『ナイト・オブ・ペンシルズ』がドツボなアルゼンチン映画代表作として認識されている。この映画では、圧倒的なインフレで生活がくるしくなる散々な経済状況の中、バスの無料通行パスの発行をもとめてデモをした学生たちが、秘密警察につかまり、デモを誘導した人物を探す拷問にかけられ話。結局彼らのほとんどは帰ってくることはなかった。
この『スール/その先は・・・愛』はそれよりもファンタジックな雰囲気があるぶんオブラートにつつまれている(でもファンタジーではないのだけど)。『ナイト・オブ・ペンシルズ』と比べると、軍事政権下での拷問などを直接描写するのではなく、軍事政権下での非人道的暴力がひきさいと一組のカップルの、再生への希望を描くかたちとなっている。

f0009381_14381727.jpg画面は『ダーティハリー』ブルース・サーティースのよにやたらと暗い。ただ、エイドリアン・ラインなどのシルエットとか黒の絞りとかいうよりも、単にローキーという印象があるので、それほどソフィスケイトされた画面だという感じはうけない。でも、悪くもない。

<あらすじ>
軍事独裁政権下で刑務所に拘束されていたフロレアル(ミゲル・アンヘル・ソラ)は、その政権の終焉とともに解放された。
5年前、食肉工場の技師だった彼は組合に関与したことから秘密警察に追われることになる。駅の廃墟に身を隠すが、そこで出会ったマリア(イネス・モリーナ)とつかの間の恋におちるが逮捕されてしまう。
夫の逮捕を知ったフロレアルの妻ロシ(スス・ペコラロ)は、役所や警察、兵舎など方々を尋ね歩き、彼の生存を確かめようとする。一方ロシは、フランス人技師で片足に障害のあるロベルト(フィリップ・レオタール)の愛を受け入れてゆく。そんなロシの告白に、嫉妬し怒り狂うフロレアル。
今、解放された彼のまえに、今は亡き友人や知人が亡霊のように浮かびあがる。死者を自称するかつての友人ネグロから祖国や家族の面倒を見るのは誰かを教えられたフロレアルは、夜明けと共にロシのもとへと向かうのだった。

by ssm2438 | 2010-08-12 14:40