西澤 晋 の 映画日記

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2010年 08月 11日

アルジェの戦い(1965) ☆☆☆☆☆

f0009381_17212162.jpg監督:ジッロ・ポンテコルヴォ
脚本:フランコ・ソリナス
撮影:マルチェロ・ガッティ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:ブラヒム・ハギアグ
    ジャン・マルタン

     *     *     *


以前サンライズで演出志望の進行さんを相手に演習講座をやっているのだが、そのネタの一つとしてこの映画をみてもらおうと思い、久しぶりに見てみた。いや~~~~、すごいすごい。このリアリズムはやっぱりすごい。
監督はジッロ・ポンテコルヴォ。作品数は少ないのだがインパクのある監督さん。といっても私もこの『アルジェの戦い』しかみていなかいのだけど。この作品、アルジェリアの独立運動を描いているのだけど、とにかくその捉え方がリアル。まるでドキュメンタリーとかんちがいしてしまいそうなくらいリアル。たぶんほとんどセット撮影されてないからなのだろう。階段のおおい立体的アルジェリアの町並みはとっても素敵。まるで宮崎さんの『母をたずねて三千里』の描いたジェノバのレイアウトのよう。平面的な舞台設定ではなく、階段のおおい画面っていうのはとってもいいよね。。

その昔ビデオという概念が普及した頃、OVA=オリジナルビデオアニメというジャンルが発生した。それまでは、テレビ、映画に流すということを目的にしてつくられていたのだが、テレビ会社の介入なしにアニメ制作会社が独自に企画をたて、ビデオで作品を売り出そうというもの。その記念すべき第1作がスタジオぴえろが作った『ダロス』というアニメ。じつはその『ダロス』がこの『アルジェの戦い』をネタにつくっていたんだよね。
この作品を選択するセンスの良さにはおそれいってしまう。

それから長きにわたり、アニメ業界でテロ活動とその取り締まりをする側を描く時は、かならずといっていいほどサンプリングされた作品といってもいい。21世紀になってもやっぱりパソコンものの基本はジョン・バダム『ウォーゲーム』であるように、テロものの基本はこの『アルジェの戦い』かもしれない。


アルジェリアはフランス領だったのだが、1962年7月2日に独立した。全く関係ないが、翌日7月3日にトム・クルーズがアメリカで生まれ(苦笑)、独立日から一週間して私が生まれた。‥‥はは、実にどうでも話ですいません。
この映画では、その独立までの10年間くらいを、アルジェリアの独立運動を先導してたアルジェリア解放戦線の活動家アリと、その活動封じ込めるためにフランスから送られてきた空挺部隊の隊長マチューを中心に描いている。
決して善悪を説いた映画ではない。ともすれば、加害者=悪、被害者=善って概念に転びがちだが、この映画そんな感性はもっておらず、ひたすら人間の性に基づいてうまれた植民地という概念と、そこでの独立をニュートラルな立場で双方の活動を描いている。解放戦線側も、フランス人の地元警察員をぼこぼこ殺していったり、ハイソなフランス人たちがあつまるカフェはダンスホールを爆破するだけでなく、売春や麻薬を斡旋してる同胞のアルジェリア人業者も殺してしまう。暴力的に浄化である。
そんな混乱した情勢を収束させるためにフランスは軍隊を送って来た。それが第◯◯空挺部隊。この隊長マチューはとってもクールで、かっこいい。解放戦線の組織構成はこうこうこうなっており、地道な作業だけどこれをひとつひとつつぶしていく。その指示出しが的確で、非合法な情報入手(拷問など)も必要なら[OK]という暗示を出すとともに、これが自分が指示であり、その責任は自分にあるといことも部下たちにきちんと提示している。このへんの潔さがとっても好感をもってしまう。人望がある人といのはこういう人なんだなって感心させられる。

やがて、解放戦線の組織は徐々に摘発されていき、上層部まで捜査は及び、一番頂点までたどりつく。彼は彼でとっても理性的な人物で、おいつめられて逃げ場がなくなると「無益な戦いは無用だ」と一緒にいる女と投降してしまう。仕事場の上司像としてどちらも潔く素敵なのである。連行される車のなかで解放戦線リーダーはクールに対処しているが、「まだアリがいるわ」といい放つその女。解放戦線側はそのアリっていう青年を視点にして描かれているのだけど、彼は正義感たっぷりの熱血漢系。最終的には彼が死に解放戦線は崩壊するのだけど、その2年後、自然発生的に起きた独立運動が引き金になり、アルジェリアは独立へ向かっていくって映画。

この映画、リアリズムの教本になるかなって思ってたけど、みてみると、
「上司とはこうあるべき」という、ビジネス現場における上司の人望獲得教本なのかもしれないって、別のところで感動してしまった。

by ssm2438 | 2010-08-11 13:55
2010年 08月 09日

オフィシャル・ストーリー(1985) ☆☆

f0009381_2141876.jpg監督:ルイス・プエンソ
脚本:アイーダ・ボルトニク/ルイス・プエンソ
撮影:フリックス・モンティ
音楽:アティリオ・スタンポーネ

出演:
ノルマ・アレアンドロ (アリシア)
エクトル・アルテリオ (夫ロベルト)

       *        *        *

一時期アルゼンチン映画にもえてた時代があった。それがちょうどこの80年代。『ナイト・オブ・ペンシルズ』でガツンなインパクトを受け、『スール/その先は・・・愛』でがつなインパクトを受け、そんなインパクトがあったのでこの映画もちょっと劇場にあしをはこんでみた。
実はこの映画、世間ではあんまり知られてないかもしれないが、1985年のアカデミー賞LA批評家協会賞外国映画賞を取っているのである。だからといってそれほどいいわけでもないけど、やっぱりあの時代のグロテスクさをもっている。

アルゼンチンというくには、今ではサッカーで強い国という印象があったり、ラグビーでも前回のフランスワールドカップでは3位にはいっている。そんな国なのだが実はつい最近70年ちかくまでナチスドイツのような強権政治がおこなわれていたとんでもない国。
第二次世界大戦に参加していなかったためにその間にかなりの経済力をつけたが、そのあとのペロン政権下では左翼志向にはしり経済はがたがた、一気に貧乏国になってしまった。そうなると軍部がグレてクーデター。そんな時勢に国民が壁へ記してペロン復活を願うも、復活してみればすぐ死んでしまう。その後は政治素人の夫人が正解最初のの女性大統領になるが無知な経済政策でまたしてもぼろぼろ、そして軍部がまたグレる・・。そんなごたごたの繰り返しだった。
この映画は、そんな状況下で、軍事政権が覇権を握った時に左翼系活動家を強制連行して監禁したり拷問にかけたり、殺したりし、女は犯されもした。そうした活動家の子供たちは、人知れず子供のもてない家庭に売られていたという。
この物語はオフィシャルなストーリーとしては語られないそのダークサイドの話。

<あらすじ>
軍事政権下のアルゼンチン。高校の歴史教師アリシアは(ノルマ・アレアンドロ)、実業家の夫ロベルト(エクトル・アルテリオ)結婚し、子供ができなかったため養子にもらったガビイ(アナリア・カストロ)とともに、平穏な生活を送っていた。
ある日、学校の同窓会に出たアリシアは亡命していたアナ(チュンチュナ・ヴィラファニエ)と再会した。その夜、アリシアの家でアナはなぜ亡命せねばならないかを語った。それによれば、彼女の昔の恋人ペトロが反体制側だったために彼女まで拷問、暴行を受けたこと、また獄中で妊娠中の女性から生まれて来た子供たちが連れ去られ、見知らぬ人々に売られていくのを見たという。その瞬間、アリシアの胸にはガビイもその一人ではないかという疑惑が湧き起こった。
アリシアはガビイの出生を調べ始める。夫のロベルトの忠告にも関わらず、あくまでガビイの出生をつきとめることに固執するアリシア。ついにサラという女性をみつける。ガビイは彼女の娘の子供だった。ロベルトの怒りは爆発するが、彼の軍事政権側で活動、膨大な報酬を得ていることが判明する。翌日アリシアは二度と帰らないであろう家をあとにした。

by ssm2438 | 2010-08-09 21:41
2010年 08月 09日

恋のためらい/フランキーとジョニー(1991) ☆☆

f0009381_053568.jpg監督:ゲイリー・マーシャル
脚本:テレンス・マクナリー
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ

出演:
アル・パチーノ (ジョニー)
ミシェル・ファイファー (フランキー)

       *        *        *

私の大事なドビュッシーの『月の光』を使うなんて卑怯!

ひとそれぞれ思い出の曲というのはあるものだが、私にとってドビュッシー『月の光』は忘れられない大事か局だ。それをかけられると・・・・そら卑怯ってものだ。この映画で使ってほしくなかったなあ・・というと語弊があるか。この映画でもいいんだけど、アル・パチーノでやったこの映画ではちょっとイヤだったかな。
どうも私はアル・パチーノが生理的に好きではないらしい。この映画のアル・パチーノもなんかいや。ロバート・デ・ニーロでも、ニコラス・ケイジでもいや。どうもイタリア系が嫌いみだいた(苦笑)。アル・パチーノが出なかったらこれはこれでそこそこ良いのだけど・・・。

求められたからってそんなにあっさりと女って心をひらくものなん??って思ってしまう。特に私の場合はアル・パチーノ嫌いなので、女の目線で見ると「この男のとの“H”はないな」って感じてしまう。で、一度感じたらなかなかそれをつくがえせるものではないはず。普通の女だったらそれを感じなかったのだろうか? 私はどうにもあの暑苦しさがいやだった。なのでそこから成立する恋愛というのがどうも信じがたかった。

これミシェル・ファインファーとジェフ・ブリッジズでよかったのだよ。
絶対これ、キャスティング・ミスだよ。

<あらすじ>
ニューヨークの街角にあるアポロ・カフェ。この店で働き始めたコックのジョニー(アル・パチーノ)は、詐欺罪で18カ月刑務所にいて、妻とは離婚、子供は妻が引き取っていた。ウェイトレスのフランキー(ミシェル・ファイファー)は、妊娠中に恋人に殴られて流産し、2度と子供の産めない体になってしまっていた。

もう二度と誰も愛さないと女は心にきめていた。
男は、もう一度愛する人をみつけたいと思っていた。

フランキーの冷たい態度にもメゲず、みんなの中で強引にでも明るく振舞うジョニーのなかに、自分の弱さと対峙するひたむきな力をみたのだろう。フランキーは少しずつ心を動かされていく。

by ssm2438 | 2010-08-09 00:54
2010年 08月 08日

コレット・水瓶座の女(1991) ☆

f0009381_20342719.jpg監督:ダニー・ヒューストン
脚本:ルース・グレアム
撮影:ウォルフガング・トロイ
音楽:ジョン・スコット

出演:
マチルダ・メイ (シドニー=ガブリエル・コレット)
ヴァージニア・マドセン (女優のポラール)

       *        *        *

美人二人が出てるのに無駄遣い・・というか、せっかくこの二人を出してるので彼女らのヌードを出さないなんてもったいなさ過ぎる。

この頃のフランスの女流作家はみんなフリーセックスばっかりだったんですかね??? この映画の主人公は女流作家シドニー・ガブリエル・コレット。実在の人物である。1彼女が二十歳のときに15歳年長のアンリ・ゴーティエ=ヴィラールと結婚。コレットの日記をもとに書かれた『学校のクロディーヌ』は、夫の筆名「ヴィリー 」で出版された。その後、夫がバイセクシャルだったこともあり離婚。その後も同棲とも恋愛遍歴をつづけていく。この映画ではコレットをマチルダ・メイが演じている。

この話をみて思い出すのが『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』である。あれも女流作家アナイス・ニンを主人公にしたものだった。あのころの女優作家はほんとあっちでもこっちでも“H”ばかりしていたのだなあって思ってしまう。話もにたようなもので、どっちがどっちだったか判らなくなる(苦笑)。

<あらすじ>
20世紀初頭。田舎育ちのガブリエル(マチルダ・メイ)は、パリの出版者ウィリーと恋におち、結婚する。社交界にデビューしたガブリエルは、女優のポラール・ソーレル(ヴァージニア・マドセン)に引き合わされるが、二人は以前からの深い仲だった。彼は3人で暮らそうと言う。ショックが続いたその日の出来事を、ガブリエルは日記に書き綴りはじめた。それを盗み見たウィリーは『学校のクローディーヌ』と題して出版してしまう。しかも著者はウィリーになっていた。
3年後、相変わらずの生活を続けていたガブリエルだったが、重ねて夫の裏切りにあい、自分も夫を裏切ることを決意。新しい原塙として白紙の日記帳をウィリーに渡した・・・。ガブリエルは夫と別れ、今度は本物の作家としてひとり立ちしていく。

by ssm2438 | 2010-08-08 20:37
2010年 08月 08日

キャンディマン(1992) ☆

f0009381_2023057.jpg監督:バーナード・ローズ
脚本:バーナード・ローズ
撮影:アンソニー・B・リッチモンド
音楽:フィリップ・グラス

出演:ヴァージニア・マドセン (ヘレン)

       *        *        *

美しかりしヴァージニア・マドセン、肉付きすぎ!

『エレクトリック・ドリーム』『クリエイター』で俄然彼女のファンになってしまった私は、久々にヴァージニア・マドセンが劇場でみられるとかなり喜んでいったのだが、これは悲しかったなあ。あそこまでデブになってしまうとちょっと・・って感じでした。あれって契約条項にはいってなかったんでしょうか? 確かに太りそうな体質のひとだなあっとは思ってたけど、あそこまで膨らむとちょっとヒロインを張るのはしんどいだろう・・・。
でも、これを今やるならジェシカ・ビールにやってほしいな(苦笑)。

原作と総指揮は『ヘルレイザー』のホモ作家のクライヴ・パーカー。この人、知る人ぞ知る、「イギリスのスティーブン・キング」と呼ばれている人。でもホモだけど(やっぱりホモだけど・・のほうがいいかも)。いわゆるぐちょぐちょのスプラッタ・ホラーではなく、ストーリーにとんちがきちんと効かせて作るタイプの作家さんだ。でも、面白いとは思わない。ホモ作家とは愛称が悪いのであった。。。
監督はこのあと『不滅の恋/ベートーヴェン』などを撮るバーナード・ローズ。この人も才能があるのかないのかよく判らない監督さんだ。はまり方によってはけっこういいものも撮るのだけど、大部分ははずしてる感もある(苦笑)。少なくともこの『キャンディマン』に関しては私はつまらなかった。

<あらすじ>
キャンディマンとは、鏡の前でその名を5回唱えると現れると言われている殺人鬼。黒人居住地区にまつわる都市伝説を研究している大学院生のヘレン(ヴァージニア・マドセン)は、キャンディマンのレポートに興味をもった。ヘレンは5回その名前を唱えてみる。・・・・なにも起きない。ちょっと安心するヘレン。

キャンディマンとは、奴隷の息子であり、地主の娘と恋に落ち、娘を妊娠させてしまったためにリンチに遭い、ノコギリで右腕を切り取られ、養蜂所の蜂に全身を刺されて死んだという。そのリンチの現場が黒人居住地区の公営団地カブリーニだと知ったヘレンは、カブリーニ周辺の写真を撮るために公営団地に足を運んだ。

そこで、ストリートギャングに襲われたヘレンは、今までキャンディマンの仕業だと思われていた事件も実はストリートギャングの仕業なのだろうと思い始める。しかし・・・キャンディマンは実在した。ヘレンの回りの人々を次々に切り裂いていく。この一連の事件はヘレンに容疑がかかり、ヘレンは精神病院に強制入院させられる。病院を脱走し夫の元に帰るヘレンだが、夫は既に別の女子大生新しい生活を始めていた。
絶望の中、ヘレンはキャンディマンを道連れに死ぬ。跡にはキャンディマンの右手についていた鉤が見つかった。黒人たちはその鉤をヘレンの墓に入れてやる。
悲しみに暮れていたトレバーは鏡の前でヘレンの名を5回呼ぶ。するとヘレンが現れ、トレバーは切り裂かれた。

by ssm2438 | 2010-08-08 20:03
2010年 08月 08日

ウェールズの山(1995) ☆☆

f0009381_19284744.jpg監督:クリストファー・マンガー
脚本:クリストファー・マンガー
撮影:ヴァーノン・レイトン
音楽:スティーヴン・エンデルマン

出演:
ヒュー・グラント (測量士レジナルド・アンソン)
タラ・フィッツジェラルド (村の娘ベティ)

       *        *        *

それほど大したことない映画なれど、忘れがたい映画なんだなあ、これが。。。

ラブコメの女王といえばメグ・ライアンだが、ラブコメの王子様といえばやっぱりヒュー・グラントだろう。物語自体はそれほどたいしたものではない。多分楽しくンヒューマニズムにあふれているだけの映画なのだけど、それがたのしい。そしてそのヒューマニズムを展開してくれるエピソードがこれまたユニーク。なんと丘を山に変える話。
その村人たちにとっては「誇り高き山」だったものが測量してみると山の基準をみたさず、今後「丘」として地図にきされることになる。それでは大変だとばかりにいつもは仲のわるかった村の人たちも一致団結してその丘に土をもり、なんとか山の基準まで引き上げようというもの。
やっぱり、人々が一つの目的のために団結していく・・というのは、どのように料理してもそれなりにいい映画になってしまう。ネタはユニークだが、王道の映画であった。

ちなみにこのヒュー・グラントとラブラブするにいたる村の娘を演じたのがタラ・フィッツジェラルド『ブラス!』でアランフェスを演奏したおねーちゃんである。

<あらすじ>
第一次世界大戦(1914~1918)のさなか、ウェールズのとある小村をレジナルド・アンソン (ヒュー・グラント)が訪れる。彼はその地域のフュノン・ガルウ山の測量にやってきたのだ。その村人たちにとってフュノン・ガルウ山は歴年、侵略者から村を守ってきた、村人の誇りだった。
しかし、彼が測量してみるとなんと標高299メートルと判明、これが大問題になる。英国の規定では山は標高305メートル以上のものをさし、現時点ではフュノン・ガルウ山は「山」ではなく「丘」になってしまう。村人たちは一致団結する。
測量士たちの車をわざとエンコさせ、足どめに成功。一方、老若男女、子供たちまで総出で、フュノン・ガルウの土盛りが始まった。なんとか丘の上に土をもり305メートル以上にしようというのである。しかし、村人たちの奮戦むなしく、木曜、無情の雨が降り出し、盛り土は無惨にも流れ出してしまう。
最終日、安息日だが最後の盛り土が始まった。盛り土を安定させるため、ラグビー場の芝生までが剥がされる。今やアンソンまで村人と一つになり、盛り土を手伝っていた。翌朝、測量したアンソンは、フュノン・ガルウの標高が306メートルとなった“山”としての存在が認められた。

by ssm2438 | 2010-08-08 19:29
2010年 08月 08日

かくも長き不在(1960) ☆☆☆☆

f0009381_1134460.jpg監督:アンリ・コルピ
脚本:マルグリット・デュラス
撮影:マルセル・ウェイス
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
アリダ・ヴァリ (テレーズ)
ジョルジュ・ウィルソン (浮浪者)

       *        *        *

女の恋愛は「好き」と相手に言わせるもの。

その昔、男の恋愛は「好き」というべきものだが、女の恋愛は「好き」と相手に言わせるものだ・・ということをきいたことがある。この映画はその、「好き」といわせようとしてなかなか言ってくれない、いらだたしさと、それでも待ち続けてしまう期待の間でゆれる女心の根源的な安心と不安を繊細に描き出している。
マストシーの名作のうちに入っているが、男性がみて面白いかというとこの点はちと乏しい。

1961年のカンヌでパルムドール賞を受賞。日本で公開された64年のキネマ旬報ベストテン1位の作品。原作・脚本はマルグリット・デュラス『愛人/ラマン』『二十四時間の情事』の原作者である。

お話は、戦中に行方不明になった夫に似た浮浪者として主人公の前に現れる。しかし彼は記憶を失っている。女は彼を夫だと信じ、そう期待する。浮浪者の男は、自分にやさしくしてくれる彼女には親しみを感じるが、記憶はもどらない。本当に自分がその女の夫だったのか、どうかわからないのである。
ここで男の選択肢は二つある。一つは、その環境が気持ちいいので、彼女の夫だったということでこれからの人生を歩んでいく。しかしそれは自分自身を譲り渡してしまう行為でもある。もうひとつは、戻らない記憶=現在の自分を優先させて、自分が認識していないものには自分の人生をゆだねない。
女の期待は増大していく。それにしたがって男のわけのわからない不安も増大してくる。今の自分を放棄していいものなのか、どうなのか・・・。
ドラマはこの二つの選択肢の間でゆれる男の心情と、ひたすら可能性に期待する女の心情をきめ細かく描いている。最後は期待されすぎて、こわくなり逃げ出してしまう男・・・。

<あらすじ>
テレーズ(アリダ・ヴァリ)は、戦時中に夫のアルベールをゲシュタポに連行されて以来、一人身でカフェレストランを切り盛りしていた。それから16年がたったある日のこと、その夫に良く似た浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が自分の店のまえを横切るのを見た。それからというもの、テレーズは、その男が再び通りを現れるのをまった。そしてそのときが来た。
男は記憶を喪失だった。彼女は男の後をどこまでも尾けて行った。セーヌの河岸のささやかな小屋に彼ははいっていった。彼女はもしやという気持が、既に確信に変っていった。アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、記憶を呼び戻すような環境を作って彼を自分のレストランに招待するが、彼の表情に変化は認められなかった。叔母は否定的だったが、彼女は信じて疑わなくなった。ある夜、男を招いて二人だけの晩餐、そしてダンス。テレーズの抑えられない期待があふれてくる。しかしその彼の記憶はもどらない。背を向けて立ち去ろうとする男に、思わず「アルベール!」と声をかけてしまう。聞えぬげに歩み去る男。近所の人たちも、口々に呼びかけた。「アルベール」「アルベール」「アルベール」。男は脱兎の如く逃げ出した。その行く手にトラックが立ちふさがった。あっという間の出来事であった。彼は消え去っていた(トラックに轢かれたわけではないのようだ・・)。

by ssm2438 | 2010-08-08 11:34
2010年 08月 08日

アサインメント(1997) ☆☆

f0009381_319310.jpg監督:クリスチャン・デュゲイ
脚本:ダン・ゴードン/サビ・H・シャブテイ
撮影:デヴィッド・フランコ
音楽:ノーマンド・コーベイル

出演:
エイダン・クイン (アニバル・ラミレス大佐)
ドナルド・サザーランド (CIAのフィールズ)
ベン・キングズレー (モサドのアモス)

       *        *        *

これって、あのジャッカル???

私が始めてこの映画をみたときは、フレデリック・フォーサイス原作の『ジャッカルの日』のジャッカルが、このターゲットになっているジャッカルなのかな???ってずっと考えていて、その関連性を探していたのだけど、実は全く関連性はない話。ない関連性を追って見ていたのでまともにお話を追うことも出来なかった。
多分フォーサイスのジャッカルを知らない人のほうが安心してみられたんではなかろうか・・。

「ジャッカル」と呼ばれたカルロス・サンチェスは実在のテロリストである。1973年から1984年にかけて14件のテロ事件に関与し、世界中で83人を殺害、100人を負傷させ世界を暗躍して極左テログループを指揮、インターポール(国際刑事警察機構)から最重要指名手配をされていた。1994年に潜伏先で逮捕。現在フランスにて服役中。
この映画は、サンチェスの逮捕時の取材を基に映画化されたものだ。

彼のあだ名の「ジャッカル」は、1971年に発表されたフレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』に由来する。『ジャッカルの日』を読んだ本人か、周りの人が彼をそう呼ぶようにしたのだろう。そんなわけで、このお話をフレデリック・フォーサイスが書いたわけでもないし、『ジャッカルの日』にでてきた暗殺者がこの映画のなかで「ジャッカル」とよばれている人物でもない。

物語は、このカルロス・サンチェスを捕まえるために、彼とうりふたつ顔をもつアメリカ海軍大佐が、サンチェスになりすまし、サンチェスの関係のある組織に近づき、本物のサンチェスをつかまえようという話。モ尾が足り前半は、主人公がカルロス・サンチェスになりきるための厳しい孤独なトレーニング、そのあとは潜入捜査をするスパイ映画という感じだ。
話はかなり荒唐無稽なのだが、実際にあったはなしらしく、自分がそのサンチェスになりきればなりきるほど自己を失い、味方からも誤解されて射殺される危険性ももっているというかなり不安定な状態なのがこの映画のポイントだろう。

<あらすじ>
1986年。通称“ジャッカル”とよばれる国際的テロリスト、カルロス・サンチェス(アイダン・クイン)を追うCIAとモサドは、米国の海軍大佐アニバル・ラミレス(アイダン・クイン=二役)誤認逮捕してしまった。彼はそのサンチェスとうりふたつだったのだ。
CIAのフィールズ(ドナルド・サザーランド)とモサドのアモス(ベン・キングズレー)による苛酷な極秘訓練のすえ、やがて心身ともにカルロスの替え玉になりきったラミレス大佐は、リビアに潜入、カルロスの愛人アニエスカを誘惑してカルロスをおびきだす作戦に出る。本当の自分をうしないかけていたラミレス大佐は一度は失敗したものの、再び作戦に復帰。87年10月、ベルリン。ついに本物のカルロスと対峙したラミレスだが、カルロスは逃亡。だが結局、94年、カルロスはついにスーダンで逮捕されたのだった。

by ssm2438 | 2010-08-08 03:19
2010年 08月 08日

テキサス・チェーンソー(2003) ☆☆

監督:マーカス・ニスペル
f0009381_2175126.jpg脚本:スコット・コーサー
オリジナル脚本:キム・ヘンケル/トビー・フーパー
撮影:ダニエル・パール
音楽:スティーヴ・ジャブロンスキー

出演:ジェシカ・ビール (エリン)

       *        *        *

あいかわらずジェシカ・ビールはパッツンパッツンのジーパンが良く似合う。

『悪魔のいけにえ』のリメイクだそうです。すいません、見たことないです。なのでジェイソンとおんなじに見えてしまったのだけど・・・。でも、『13日の金曜日』もあんまりみたことないのだけど。そんなわけで、あんまり残酷描写にも興味はなく、ひたすらジェシカ・ビールのむちむちボディだけを見たくてみてた映画でした(苦笑)。

結局後にして思えば、仲間の一人が行方不明になったときに「早く出て行こう」って鍵を要求した彼の意見が意正しかったってことか・・。理屈じゃなくって、なにか怖いものは感じで避けないといかんものだよね。

<あらすじ>
1973年(前回の『悪魔のいけにえ』と同じ時代)。テキサスの田舎道を走っていた若者5人のまえに突然女が飛び出してくる。危うく轢きそうになるがなんとかかわし、放心状態の彼女を車にのせる。しかし彼女は銃で頭を撃ち抜き自殺した。
電話を借りるためエリン(ジェシカ・ビール)が入った一軒家だが、そこは猟奇殺人者レザーフェイスの住処だった。頼りにしていた保安官も実は彼らの仲間だった。ただ1人の生存者となったエリンは、精肉工場へ逃げ込み、肉包丁でレザーフェイスの片腕を切断する。最後はあのにっくき保安官を二度三度ひき殺して逃走する。

by ssm2438 | 2010-08-08 02:18
2010年 08月 08日

恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(1989) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_129141.jpg監督:スティーヴ・クローヴス
脚本:スティーヴ・クローヴス
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:デイヴ・グルーシン

出演:
ミシェル・ファイファー (スージー)
ジェフ・ブリッジス (ジャック)
ボー・ブリッジス (フランク)

     ×     ×     ×

私のなかの大好きな映画のひとつ。
いまとなってはハリポタシリーズの脚本家として有名なスティーヴ・クローヴス。実はそのハリポタはみてないのだけど、この人の初期の作品『月を追いかけて』もけっこう好きだ。しかしあんなん書いてたら大衆受けはしないだろうなあって思っていたのだが、その次に書いたこの『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』もあまり世間では知られてないかも。
しかし、これは間違いなく傑作のひとつだ。

15年間ペアを組んでホテルをまわりピアノの連弾を披露するベイカーボーイズと名乗る兄弟フランクとジャック(ボー・ブリッジズジェフ・ブリッジズ)。妻子もちでチームのマネージメントもかねる堅実な兄と天才だがその才能が認めず脚光を浴びないまま今の生活をつづけている弟。しかし現状のやり方に限界を感じ女性ボーカルを追加しようとするところから始まる。オーディションをするがまともな応募者は誰もいない。そんな中遅れてやってきたスージー(ミシェル・ファイファー)。彼女が加入したことで彼らはどこのホテルに行っても人気ものになっていく。3人でおこなるコンサートは、ふたりのピアノがスージーの輝きを引き出していく。

そんなある日、フランクの子供が交通事故にあったと連絡がはいり、彼だけツアーをはなれることになる。ジャックとスージーだけでやるコンサート。これが実にいいムードなのだ。
しかしジャックとスージーの二人のコンサートは、艶っぽく、お互いを官能しあうコンサートなのだ。ジャックの弾くピアノの上で歌うスージーの絵は映画史上でも燦然と輝く名シーンのひとつとっていいだろう。そしてコンサートが終わってとっちらかったままの早朝、一人で弾くジャックに歩よるスージー。
舞台に座るジャックに背中をあずけ首筋をマッサージしてもらうスージー。その手がやさしく愛撫する手になり、それを受け入れるスージー。スージーの赤いドレスが脱がされていく。スージーは体をジャックのほうにむけキスをする。。このへんの流れが実に色っぽい。実にロマンチック。素晴らしいの一言。

この映画のすごいところは、観客に想像させる演出術のすばらしさ。
情報を提示するだけのアホ監督が多い中、スティーヴ・クローヴスの演出は期待させること、思わせぶり、想像させること、これが圧倒的に上手い。これほど上手い監督さんは思いつかない・・。

彼の演出術のおかげで、ジャック(ジェフ・ブリッジズ)とスージー(ミシェル・ファイファー)がセックスにいたるまでの展開はほんとに面白いのである。きっとこの調子で最後までいったらこの映画はビッグヒットだっただろう。
しかしこの物語はここからややこしくなる。
すこしづつギクシャクするユニット。やがてスージーに舞い込むソロの仕事。
「そんな仕事なんか断って、俺らとやっていこうぜ」って言えばこの物語はさらなるハッピーな展開になるはずなのに、それがいえないジャック。結局ユニットは分裂、フランクは「ピアノ教師でもやるさ」といい、ジャックには「良かったら店で弾いてくれないか」という話がくる。

やるせなさで酔っ払い転がり込んだファミレスで寝込んでいるジャックにいつぞや聞いた下手な歌声。オーディションで落とした女がそこでバイトをしていた。彼女はファビュラス・ベイカーボーイズのファンだという。みれば壁には幸せそうな笑顔の3人のユニットの輝かしいころの写真がはってある。


この映画の問題点は大衆受けしないストーリー展開。
この人は決してサクセスストーリーが書きたいわけじゃなくって、才能あるのに世間に認められない自分を書いているのだろうと思う。
劇中のなかでバーでピアノを弾くジェフ・ブリッジズの姿をみるミシェルファイファーというシーンがある。翌日喧嘩別れすることになるのだが、「俺たちは2度寝た、それだけだ。俺のことなんかなにも知らないくせに」というジャックにむかって売り言葉に買い言葉で言うスージー。

 「ひとつ知ってるわ。昨日バーで弾いてるあなたを見たの。
  昔の夢をひっぱりだして誇りを払ってるあなたをね。
  毎晩どこかのバーで自分を叩き売ってる。
  ・・・私だって経験あるわよ。行きずりの男と寝た後自分にこう言い聞かせる夜の。
  なんにも気にすることはない。記憶を空っぽにすればいいんだから。
  ・・・でも空っぽになるのは自分自身なのよ」

これは効くね。
きっとスティーヴ・クローヴスが自分自身に言ってる言葉なのだろう。下世話になれない天才過ぎる人の言葉。これは『月を追いかけて』を一緒にみればこの監督さんの本質が見えてくる。けっして飾らない、とても純粋で身の丈以上のものなど書こうともしない人。あの話も自伝的要素が強いのでは??って思ってしまう。
だから決してサクセスストーリーは書けない。嘘が書けない人なのだろう。自分が分かる範囲の物語しか書けない人。だから私がこれほどまでに惹かれるのだろうと思う。自分ににた人間だと感じているのだろう。
(これはジャンカルロ・フィジケラにもいえることなのだけど)

そんなスティーヴ・クローヴスもハリポタの脚本を得てビッグネームになりつつある。技術力はホントにある人なのだが、エンタが出来ない不器用さが災いしてメジャーになれなかった彼が、エンタなファンタジーの脚本を書く事で世間に認められつつあるのはうれしいことだ。

嘘つきになれない、純粋すぎる天才たちに栄光あれ!

by ssm2438 | 2010-08-08 01:31