西澤 晋 の 映画日記

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2010年 09月 06日

誘拐(1997) ☆☆

f0009381_21383480.jpg監督:大河原孝夫
脚本:森下直
撮影:木村大作
音楽:服部隆之

出演:
渡哲也 (津波浩)
永瀬正敏 (藤一郎)
酒井美紀 (米崎マヨ)

       *        *        *

普通の2時間ドラマな感じだが、冒頭の都会の群衆のなかのロケだけは「よく頑張ったね」といってあげたい。

1997年のキネマ旬報邦画部門7位の作品。だけど・・・、もうちょっとトリックよりも人間ドラマをぐりぐりやってほしかったかな。
サスペンスモノだとどうしても松本清張ものと比べてしまう。で、比べるとやっぱり見劣りする。それは人間ドラマの浅さだろう。考えた。なぜ、これはあんまり面白くないのか・・・? 犯人=犯罪を犯すしかなかった人の切羽詰った感が描けない構成だったのだ。物語が警察側からしかかけないから、当然のことながら追い詰められる犯人のぎりぎりするような圧迫感は描けないのは当然のことだ。でも、だから悪いというわけではない。『太陽に吠える!』などは、物語のリアリティをだすために犯人側の視点でドラマを作っていなかった。でも、その場合は警察側が追い詰められていかないと、面白くならない。
この映画では、まあ、そこそこそういうったところもあるのだけど、決定的な問題は犯人(渡哲也)が刑事主任であり、なおかつ犯人であることなのだ。なので、映画全体がトリックと、なぜ、その犯人がそんなことをしてしまったか・・という謎解きだけに注がれていて、「葛藤」を描ける部分が薄手になってしまった。
そこが残念なところだろう。

なお、撮影は私の大好きな木村大作である。捜査本部の画面なんかみていると、黒澤明『天国と地獄』の一シーンをみているような錯覚に陥る。やはり修行時代はそこにあったのだなって再認識してしまう。
しかし、天下の木村大作のカメラをもってしても今回の映画の画面はそれほど良くなかった。これはやっぱり監督とのレンズの趣味が合わなかったのだろう。というか、監督が木村レンズのすごさを理解出来てなかったな・・という感じであった。
やはり木村大作崇拝者の私としては、現金かついで走るおじさんを、カメラがよってたかって追い回すシーンは怒涛の木村望遠で撮って欲しかった。こんなのハンディカメラの広角で撮られたら興ざめだよ。

<あらすじ>
ある企業が不法投棄した産業廃棄物により下加佐村の住人の何人かが死ぬ事件がおきた。その企業を相手取り損害賠償をもとめた住民側の裁判は敗訴に終わり、企業は何の責任も問われていなかった。それから26年がたったある日曜日の早朝、東昭物産常務の跡宮が何者かに誘拐された。

犯人は東昭物産に対し3億円の身代金と、その受け渡しのテレビ生中継を要求してきた。身代金の運び役には同じ東昭グループの東昭開発監査役・神崎が指名され、何十台ものテレビ・カメラと何百人もの報道陣が取り囲むなか、犯人が指定する場所から場所へ神崎は3億円の入った30キロものバッグを運ばされる。心臓に持病のある神崎は、やがて心筋梗塞の発作で倒れてしまう。
後日、犯人は次の運び役に東昭銀行専務の山根を指名するが、彼もまたカメラの囲む中、さらし者のように走らされ力尽きて途中で倒れる。犯人のやり口に激昂したベテラン刑事・津波(渡哲也)が、山根の身代わりとなって現金を担いで走ることになる。後輩の若手刑事・藤(永瀬正敏)もマスコミは覆面刑事に混じって彼の後を追った。しかし胃がんをかかえた津波もまた、犯人が指定した新橋の喫茶店を出たあと力尽きて倒れてしまう。後を受け継いだ藤は、犯人の指示通り首都高速の非常駐車帯へバッグを置くが、犯人が姿を現さなかった。しかし、中身は既にすりかえられていた。
どこで現金がすりかえられたのか? あれだけ人数が見ている中で、いったい誰が、どういう方法で・・? もし、あの現金の入ったバッグをする変えることが出来る人物がいたとしたら・・・、それは恩師の津波刑事しかいないではないか・・!? まさか!?

26年まえの公害訴訟を起こした住民名簿の中に当時入り婿して苗字の変わっていた津波の名前を発見しした。加佐村の駐在だった津波は、あの事件で妻と幼い息子を亡くしていたのだ。今回の誘拐事件は津波を中心とする下加佐村の元住民たちと折田が、下加佐村の悲劇を世に訴えるために起こしたものだったのだ。

by ssm2438 | 2010-09-06 21:36 | 木村大作(1939)
2010年 09月 06日

インセプション(2010) ☆☆

f0009381_1621414.jpg監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン
撮影:ウォーリー・フィスター
音楽:ハンス・ジマー

出演:
レオナルド・ディカプリオ (コブ)
渡辺謙 (サイトー)
ジョセフ・ゴードン=レヴィット (アーサー)
マリオン・コティヤール (モル)
エレン・ペイジ (アリアドネ)

       *        *        *

『エターナル・サンシャイン』ものでした。・・こういうジャンルが出てくる時代なんですね・・。

初体験・・・、映画館で寝てしまった!!!

これまで、「これはつらまない!」と思った映画は、お金払ってても出るのだけど、今回は寝てしまった(苦笑)。画面の質は高いのである。コンセプト的にも面白そうな映画なんだけど、なんかつまらないと・・という、多分総合的にはつまらない映画になってるのだろう。ただ、絵作りとか演出などはクリストファー・ノーランだけにしっかりしているのだが、あれだけの大音響(新宿歌舞伎町のミラノ座)でハンス・ジマーのはったり盛り上がり音楽流されてもそれで睡魔がおそってくるという・・こまったもんです。

作り手にとってあまりに都合のいいシチュエーションなので、かなりご都合主義的な展開。『エターナル・サンシャイン』をちょっとアクション映画にしたてたような映画なのだけど、やたらとお話をこねくってるし、主人公たちがやっていること自体が個人的には気にくわないし、そこを肯定できないからきもちよく見られないし・・、一生懸命みないと話の全体性がなかなか見えてこない内容なのだけど、そうする気にさせてくれない映画。でも、見てると判ってくるのだけど、でもだからといってそれがかなり単純なものだったりする。要するにわざと分かりづらく作ってる感じがどうもいただけない。基本がファンタジーであり、そんなつくりものの世界観を一生懸命時間を費やして理解してあげる義理などあるか!って思ってしまうような映画。まあ、トリッキーな映画を見たい人だけみればいい映画でした。

<あらすじ>
主人公のドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、ターゲットの潜在意識に入り込むことでアイディアを盗ることができる産業スパイ。それだけでなく自分や他人の潜在意識の中で新しい世界観を構築することもできる。プライベートでも彼は、妻のモル(マリオン・コティヤール)とその潜在意識のなかで平和で幸せな世界を構築し、そこで50年も時間をすごしていた(その世界では時間のたつのが早い)。しかし、その世界に溺れてしまったモルは現実にもどることを拒否し始める。コブはモルにイ現実にもどるためのンセプション<ある観念を植え付けること)を行う。しかし彼女はそれが原因で自殺してしまう。
司法当局は彼の話など信じることは出来ず、コブを妻殺しの容疑者として追うことになる。彼はアメリカから逃亡するしかなくなった。

国外で逃亡生活を続けながら依頼された仕事をこなしていくコブとその仲間たち。そんなあるとき、彼にサイトー(渡辺謙)と名乗る男から依頼うける。彼はライバル企業のCEOはもうすぐ死ぬので、その企業をつぐことになる息子ロバートにインセプションを行ってほしいというのだ。彼に現会長の仕事のスタイルを継がないような暗示を受け付けたいという。報酬はアメリカに再び戻れるためのコブの犯罪暦の抹消である。コブは受ける。
コブは、夢の世界を構築する「設計士」のアリアドネ(エレン・ペイジ)などを仲間に引き入れ、いくつかの深層心理を何段階に分けて構築し、その一番奥に「「私をまねるな」という父からのメッセージを刻み込む計画をたてる。アメリカに向かうジャンボジェットの中のエグゼクティブルームでロバートを眠りに落としたコブのチームは、チーム6人でロバートの真相世界にダイブしていく。
しかし、ロバートはこの手の企業スパイから自己を守る訓練をうけており、深層真理世界の中に彼の護衛部隊登場、コブらの行く手を阻んでくる。さらにコブがもっているモルへの罪悪感が具現化しコブを苦しめる。

by ssm2438 | 2010-09-06 16:27
2010年 09月 05日

ゴーストバスターズ(1984) ☆☆☆☆

f0009381_1122713.jpg監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ダン・エイクロイド/ハロルド・ライミス
撮影:ラズロ・コヴァックス
特撮:リチャード・エドランド
音楽:エルマー・バーンスタイン

出演:
ビル・マーレイ (ピーター・ヴェンクマン博士)
ダン・エイクロイド (レイモンド・スタンツ博士)
ハロルド・ライミス (エゴン・スペングラー博士)
シガニー・ウィーヴァー (ダナ・バレット)
リック・モラニス (ルイス・テュリー)

       *        *        *

このころのアイヴァン・ライトマンは良かった。

公開答辞は『ゴジラ』(平成)と『グレムリン』、そしてこの『ゴースト・バスターズ』がお正月映画の「3G映画」と呼ばれ注目の的だったが、『ゴジラ』は無能監督の橋本幸治だったが、ゴジラというキャラクター性はダントツに見たい気持ちにさせられ、見に行ったが残念な思いをして帰ってきた。『グレムリン』スピルバーグ総指揮の映画なのでそこそこ楽しいことは予想され、のちのちになって見たのだが、予想どうりそこそこ楽しかった。一番期待してなかったのがこの『ゴースト・バスターズ』。なのでこれを見たのはその後何年もしたテレビで放映された時だった。

当時の私はデブラ・ウィンガーが好きで、『夜霧のマンハッタン』という映画に彼女が出ていたので彼女みたさにこの映画をみたのだが、これはみょうに楽しい。いわゆる「良い映画」とはまったく違った、ただここちよく楽しめる映画なのだ。その敷居の低い楽しさに妙に感心し監督を調べてみたらアイヴァン・ライトマンだという。そんなわけで、だったらその前にとったこの『ゴースト・バスターズ』も見てみる価値はあるかなって思っていたらテレビでやってるのを見て、これがばかばかしくメッチャ面白かった。見ていて純粋に楽しい映画だ。とにかくくっだらない楽しさをふんだんに見せてくれる。
それ依頼アイヴァン・ライトマンは見るようにしている。しかし・・、実はそれ以降はなかなかぴんと来るものがなく、『デーヴ』まではありきたりの作品が多かったような気がする。ほとんどあきらめかけてたときに『デーヴ』が公開され、それでも昔の好で劇場に足を運んだらこれがむっちゃくっちゃ楽しかった。おおお、アイヴァン・ライトマンが帰ってきた!!と当時感動したものである。

特撮は『スター・ウォーズ』リチャード・エドランド。この映画でも楽しいゴーストをいっぱい描いてくれると共に、最後のマシュマロマンには笑わせてもらった。ああいうのを真剣に具現化されると実に嬉しい。当時の特撮といえば派手系のエドランドか、地味系のダグラス・トランブルの二人が有名だった。
ダグラス・トランブルの作品でもっとも有名なのが『2001年宇宙の旅』だろう。他にも『サイレント・ランニング』『ブレードランナー』『アンドロメダ・・・』『未知との遭遇』『スタートレック』などがある。こちらは地味で静的な特撮を味としてる。見比べてみるのも楽しいだろう。

余談だが、シガニー・ウィーヴァーが可愛くみえた唯一の映画かもしれない(苦笑)。でも、出来るならもうちょっと可愛い系の人をヒロインにしてほしかったかな・・。

<あらすじ>
コロンビア大学で超常現象の研究をしていた3人の教授ピーター(ビル・マーレイ)、レイモンド(ダン・エイクロイド)、イーガン(ハロルド・レイミス)は大学をクビにされてしまう。そんな3人はゴーストバスターズ(=幽霊退治屋)を開業し秘書(アニー・ポッツ)も雇い入れた。ニューヨークにはオバケがいっぱりいるらしく商売は大繁盛。冷蔵庫にオバケがいるらしいという最初に依頼人のダナ(シガーニー・ウィーヴァー)に一目惚れしたピーターは彼女とデイトの約束をする。ピーターがアパートに来た時、彼女は<門の神・ズール>にのっとられていた。さらに環境庁の役人ウォルターが、オフィスに現われて、無数の幽霊を保存していたタンクの電源を切ったのでオフィスは大爆発。幽霊たちはニューヨークに飛び出して行く。
ズールは、<鍵の神・ビンツ>と合体し破壊の神ゴザーが出現する。ニューヨーク市長から全権を委任されたゴーストバスターズはゴザーと戦うことに。「お前たちを滅ぼすものを想像せよ」と云うゴザー。「何も想うな」と無の境地になるバスターズの連中だが、レイモンドマシュマロマン想像していしまった。強大化したマシュマロマンがニューヨークの町を闊歩する。ゴーストバスターズはレーザー光線を交差させて、ゴザーを滅ぽす。マシュマロマンは焼けこげて縮んでしまう。

by ssm2438 | 2010-09-05 11:03 | アイバン・ライトマン(1946)
2010年 09月 05日

アルマゲドン2012(2010) ☆

f0009381_9445123.jpg監督:ジャスティン・ジョーンズ
原案:リー・スコット
撮影:スティーヴン・パーカー
音楽:マイルズ・ハンキンズ

出演:
レット・ガイルズ (テリー)
ステファニー・チャヴェス・ヤコブセン (リン)
ジジ・エッジレイ (トリッシュ)

       *        *        *

コンセプトは『さよならジュピター』の簡易版。

太陽に近づいてくるはずの彗星がなぜか軌道をそれ、火星に衝突するというような事件がおきる。調べてみるとどうやら謎の重力場(劇中ではブラックホールとは言っていないが、超マイクロミニブラックホールだと思えばいいだろう)が地球に接近しているという。人類は英知を絞り、核ミサイル10発ほどでこれを相殺し、危機は去る・・というもの。

『ディープインパクト』『アルマゲドン』は巨大彗星が地球に向かってくるのを、人類の英知をもってこれを粉砕するというものだったが、このテレビ映画は、それを安易に重力場に変えただけ・・。

ショボイと判っていてもついつい見てしまうのがこの手の映画で、おわってみればやっぱりショボかった・・て自己嫌悪に陥る(苦笑)。それでもCGは人並みの出来。ただ、軽めに作っているのだろう、細部をはっきりみせないように画質を荒らす方向でごまかしをかけている。その努力はみとめるが、使い方がなっていない。
CGをつかった都市をおそう津波とか、上空に吸い上げられてい車とかのシーンを鈍いドブネズミ色で作っいて、それだけみるとわるくもないだが、そのあとピーカン天気な健康的な昼間に戻ってドラマが進行する。せめて夕暮れ時にとって、扇風機まわして激しいかぜとか演出して、前後関係のつじつまを合わせる努力くらいしてほしいと思ってしまう。

1999年のノストラダムスの予言の次は、2012年のマヤ暦予言ですか・・・、
人類滅亡の予言がいっぱいあって、映画産業はネタには困ってない様子(でも不景気だけど)。

by ssm2438 | 2010-09-05 09:45
2010年 09月 04日

ひとりぼっちの青春(1969) ☆☆☆☆

f0009381_2325041.jpg監督:シドニー・ポラック
脚本:ジェームズ・ポー/ロバート・E・トンプソン
撮影:フィリップ・H・ラスロップ
音楽:ジョン・グリーン/アルバート・ウッドベリ

出演:
ジェーン・フォンダ (グロリア)
マイケル・サラザン (ロバート)
スザンナ・ヨーク (アリス)

       *        *        *

シドニー・ポラック最高のデカダンス! 努力の無駄をここまで描くか!!

シドニー・ルメットは好きだけど、シドニー・ポラックは正直どうでもいい監督さんだ。・・・しかし、しかし、この一本だけは忘れられない映画なのだ。
シドニー・ポラックといえば『愛と哀しみの果て』あたりが一番有名だろう。しかし、総合的な印象としては、燃えるようで燃えない映画をつくるひとだなあって印象。『サブリナ』はなんでいまさらって感じだったし『ザ・ファーム/法律事務所』は悪くはないけどありきたりだった。『ザ・インタープリター』もわるくはないけど、なんかもうちょっとできなかったかのかな・・って思うし、「悪くはないけどイマイチ」の監督さんなのである。
そんなシドニー・ルメットじゃないシドニー・ポラックが唯一ガツンなインパクトを与えてくれたのがこの『ひとりぼっちの青春』。人々の必死の努力がこれだけ無意味なものとして描かれる悲壮感といいましょうか、空しさといいましょうか、やるせない映画は珍しい。

この☆☆☆☆ははっきり言っておまけ過ぎである。しかし、ポラックが描いたこれだけの努力の無意味さはそうざらに出会えるものではない。
ジェーン・フォンダが見たいというだけでみるのもいいだろう。スンザナ・ヨークが見たいってだけで見るのもいいだろう。マイケル・サラザンが見たい・・っていう人は・・今ではいないかもしれないが、でも彼が見たいってだけで見るのもいいだろう。シドニー・ポラックの最高傑作はこれだと私は思う。これだけ無残に希望とか努力の成果を打ち砕く映画もめずらしい。

<あらすじ>
株の大暴落の後の不況続きの1932年、ハリウッドは失業でいっぱいだった。その中で開催されるマラソンダンス。マラソン・ダンスとは1時間50分踊って、10分休憩し、昼夜ぶっ通しで踊り続け、最後に残った者に賞金が与えられるものであった。グロリア(ジェーン・フォンダ)は連れが病気で困っていたが、主催者がそのかいじょうにまぎれこだロバート(マイケルサラザン)と組ませて、ダンスは始められた。グロリアとロバートは踊り続けるうちに次第に親しみをいだくようになっていく。ダンスは数日間続けられ、脱落者も増えていったが、興奮は高まっていった。
見物人を楽しませるための「ダービーレース」が取り入れられた。それは4組のダンサー達の耐久力比べで、最後の1組が勝ち残るレースであった。ロバートとグロリアも参加したが、やがてロバートは足の筋がつって踊れなくなった。グロリアは、ロバートを引きずって踊った。その後。家老で心臓発作で死ぬ人もでたりとマラソンダンスは悲壮感でみちていた。最後にいきのこったロバートグロリアだったが、主催者のオファーで、余興に花嫁花婿になれと勧められる。余分の報酬を与えると言われたが、式の費用は2人持ちだったのだ。優勝しても一文にならない。
絶望したグロリアの意図をくみロバートは彼女の頭を拳銃で射ち抜いた。近づいた警官に、彼は子供の頃の記憶を思い出してこう言った。

「廃馬は射ち殺すんでしょう?=(THEY SHOOT HORSES, DON'T THEY?)」

これは原題である。

by ssm2438 | 2010-09-04 23:25
2010年 09月 04日

サルバドル/遥かなる日々(1986) ☆☆

f0009381_20232640.jpg監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン/リチャード・ボイル
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
ジェームズ・ウッズ (リチャード・ボイル)
ジェームズ・ベルーシ (ドクター・ロック)
シンディ・ギブ (犯されて殺される少女キャッシー)

       *        *        *

主人公に好感がもてないまなドラマが進行するので見るのが辛い。

はっきりいって映画としてはかなりいいほうだと思う。
・・・が、とにかく、主人公に感情移入できないまま物語が進る。主人公がみちる人と反対の方向性の行動ばかりとるのでストレスがたまるのだ。これは生理的問題の処理を怠った結果というか、そういう概念すらなかったオリヴァー・ストーンの演出の本質からくる見づらさだろう。

オリヴァー・ストーンの映画というのはどれも見づらい。情報の詰め込みすぎ。見ている人が情報を処理する時間を与えない。それは意図的に行われているところも多いが、無意識のうちにそうなってしまっているところもある。さらにあえて不確定な情報を矢継ぎ早に与え、見ている人はどう処理していいのか混乱してしまう。『プラトーン』『7月4日に生まれて』などの戦闘シーンではそういった演出がとても効果的だが、見ている人は消耗してしまう。この『サルバドル/遥かなる日々』でも、不確定な情報を大量に見ている人に与える演出はさえているが(乱用されているとも言う)、やっぱり見るのがしんどい映画だ。おかげで映画の本筋を追うのがめんどくさくなってしまう。
オリヴァー・ストーンの下手さは、見る側に見て欲しい情報を、見て欲しいように受け取ってもらう方法論がなってない・・というかまったくわかってないこと。そこが最大のネックだ。この映画をみると、その後に撮る『プラトーン』なんかは、かなりエンタな方向性でとられえているほうだと思える(苦笑)。

確かに見づらい映画だが、この映画の本質はかなりしっかりしている。
チャランポランなジャーナリストが、異国からのルポで安易にお金儲けしようとでかけたさきが、アメリカ政府が援助しているエル・サルバドル。しかし、その国の軍事政府は強権政治で民衆を苦しめていた。こんな政権をアメリカが援助していいのか・・ってサルバドルの現状をなんとか本国に伝えようとするジェームス・ウッズ。

・・・なので、エドワード・ズウィックなんかが撮ったらけっこう判り易くていい話になっていたんじゃないだろうかと思うのだが・・(苦笑)。

<あらすじ>
フォト・ジャーナリストのリチャード・ボイル(ジェームズ・ウッズ)は、アパートも追い出され免許もなく、スピード違反で警察に拘置されてしまう。その拘置所でしりあったドクター・ロック(ジェームズ・ベルーシ)と彼は出所するとエル・サルバドルへの旅に出る。
そこは、フィゲロア大佐(ジョルグ・ルーク)が、出生証明書兼投票用紙を持たずゲリラのシンパである可能性をもつ学生は処刑してしまうという怖ろしい国だった。エル・サルバドルに入った2人はいきなり殺されそうになるが、ボイルのいいかげんな口車でなんとな窮地を乗り切る。
かつての恋人マリア(エルペディア・カリロ)と再会し海岸の家で共に暮らし始めるボイル。さらに首都サン・サルバドルでフォト・ジャーナリストのジョン・キャサディ(ジョン・サヴェージ)と出会い、ボイルの中に忘れられかけていた、ジャーナリズム魂がささやかによみがえる。
やがてサンタ・アナでマルティが指揮するゲリラ軍が蜂起、フィゲロア大佐の部隊と交戦する。銃撃に倒れたキャサディは、最後に撮ったフィルムをボイルに託す。幾度となく危機を乗り越えマリアとサンフランシスコに向かうボイルだが、マリアは違法入国者とみなされ、ボイルだけが母国アメリカに戻っていった。

余談かもしれないが、レイプされてそのあと顔面を猟銃で撃たれてしまう可憐な少女を演じたシンシア・ギブだけは妙に印象に残った。

by ssm2438 | 2010-09-04 20:24
2010年 09月 04日

ドライビング Miss デイジー(1989) ☆☆☆☆

f0009381_11323265.jpg監督:ブルース・ベレスフォード
脚本:アルフレッド・ウーリー
撮影:ピーター・ジェームズ
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ジェシカ・タンディ (デイジー・ワサン)
モーガン・フリーマン (ホーク・コバーン)
ダン・エイクロイド (ブーリー・ワサン)

       *        *        *

まるで賢い愛犬のように、決して裏切ることなく、ずっと慕ってくれる使用人って素敵な存在だけど・・・

1989年のアカデミー作品賞・脚色賞・主演女優賞受賞作品である。映画としてはとてもよいと思うのだけど、どうも、今ひとつ好きになれない部分もあり・・、いい映画だとおもうのだけど、とても嫌な部分をふくんでいるという複雑な感じ方をさせてくれる映画(苦笑)。

映画の背景は戦後の南部。黒人やユダヤ人を嫌う気質はつよいところ。ジェシカ・タンディ演じるこの登場人物のデイジー・ワサンもユダヤ人という設定。この映画ではそれほどユダヤ人の排行動は描かれていないが、この映画のデイジーもモーガン・フリーマン演じるホークもこの地域ではあまり好かれてない人種である。
そんな二人の・・・・「友情」ではないな・・・なんだろう、一応「お互いの思いやり」を描いた映画・・というのが正しい表現かもしれない。

この映画は、慕われる側の理想を具現化した映画だといえる。そのへんがちょっとひっかかるところなのかもしれない。ちなみに、先ごろ公開された『トイストーリー3』は慕うものと慕われるものの理想の具現化だったような気がする。この『ドライビング Miss デイジー』のどこかひっかかる部分があるとしたら、それは、慕われる側だけの理想型で描かれているところなのかもしれない。慕われる側は、こんな人に慕ってくれる人がいたらいいなあって思うかもしれないが、慕うがわからみると、これをもって理想型っていえるのか?っていったらあんまりそんな気にはなれない。

オールシネマの解説の方がえらく酷評しておられたが(苦笑)、そのへんがひっかかってしまったのだろう。
ただ、時代背景を考えると、このくらいがやっぱりリアルなのかもしれないな・・とは思う。あくまで使用人と主人との関係のなかで、その範囲にとどまりつつお互いの思いやりをみせる二人の関係は、きっと彼らはそれでいいんだろうな。ただ、見る側からすると、「こら、モーガン・フリーマン、男がそんなんでいいのか!?」って思う。さらなる可能性を見て生きられないのか・・って。そこを自分の限界として生きていいのか?・・って。

<あらすじ>
元教師の老婦人デイジー・ワサン(ジェシカ・タンディ)は歳のせいもありそろそろ車の運転もあぶなっかしくなってきていた。そして隣家の垣根に突っ込んでしまう事故を起こす。それを見かねた息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は初老の黒人男性、ホーク・コバーン(モーガン・フリーマン)をおつきの運転手として雇う。
自分が嫌味な成金であると周囲に思われるのを危惧していたデイジーは、ホークを拒否していたが、ホークの柔軟な人柄にほぐされ、彼が運転する車にのるようになる。ホークといることで経験する、黒人に対する人種的偏見や、ホークのさりげない気遣い。そして家政婦が死んでしまうと、万事にそつが無いホークをより一層重宝するようになるデイジー。二人の付き合いが25年にもなろうかという頃、痴呆症が進み、体調も衰えたデイジーは現在老人ホームで暮らしている。デイジーを訪れたホークは出会った頃と同じ軽妙なやりとりを楽しむ。ホークがパンプキンパイをデイジーに食べさせているシーンで映画は幕を閉じる。

そんな話のなかに、南部の黒人差別の実態をすこしづつ挟み込んでいる。
アラバマ州モービルに住む兄弟の90歳の誕生日を祝うため、ホークの運転するキャデラックに乗って遠出することになるデイジーとホーク。道中で路肩に止めた車の中で食事をする二人だが、その際の警官の「ユダヤ人のばあさんと黒人のじいさんか」発言のうらにある人種差別意識。
当初は息子のブーリーと共にキング牧師の説教出席する予定だったが、彼は人種偏見が残る地元の同業者たちに後ろ指を差されることを心配して欠席。夕食会に向かう途中でホークを誘うが、「本当にその気が有るならもっと早く言うべきだった」と<ついで性>の不誠実さを指摘されるデイジー。
こんなエピソードがストーリーをぴりりと引き締めている。

by ssm2438 | 2010-09-04 11:33
2010年 09月 03日

星に願いを(1987) ☆

f0009381_857364.jpg監督:エイミー・ジョーンズ
脚本:エイミー・ジョーンズ
    ペリー・ホーズ
    ランディ・ホーズ
撮影:シェリー・ジョンソン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:アリー・シーディ (ジェシー・モンゴメリー)

       *        *        *

アリー・シーディの没落はこの映画から始まった。

こんな映画をう見るための、きうきして劇場に足を運んだ私は馬鹿だった。。。まったく面白くもクソもない。話は逆シンデレラ・ストーリー。わがままし放題のご令嬢にお灸をすえるために妖精が出現、彼女をメイドにしてしまうという話。普通につくればそんなにつまらないことにはならないはずなのに徹底的につまらない。

主演は当時飛ぶ取り落とす勢いのアリー・シーディ、その父親には『トップガン』などでいいオヤジ役をこなしてるトム・スケリット。キャスティング的にはほとんど問題がない映画なのだけどシナリオと演出センスがなさすぎる。

脚本も書いている監督のエイミー・ジョーンズ、さて他にはどんな作品にからんでいるのかっとチェックしてみると・・・、おおおお、出てくる出てくる(実は大して出てこない。才能ないから大して使われていなかったようだ・・はは)つまらない映画の嵐。『ミスティック・ピザ』、怒涛のようにつまらなかった。『幸福の条件』なんかもやっている。あれはエイドリアン・ラインが監督をやってるので話は真剣につまらなかったけど、見られる映画になっていた。しかし・・・このエイミー・ジョーンズ、哀れなほど物語を作る人として才能ないですね。

音楽だけはジョルジュ・ドルリューなので救われている。

<あらすじ>
パリス・ヒルトンのように我がまま放題に育ったお嬢さま、ジェシー(アリー・シーディー)の毎度のご乱行に腹を立てた父親のチャールズ(トム・スケリット)は、「こんな娘いなければいい」と口走ってしまう。それを聞いたおせっかいな妖精のステラ(ビヴァリー・ダンジェロ)は、チャールズの記憶からジェシーの部分だけを削除する。娘の記憶を消去されたチャールズは、家の中を闊歩している素性のしれないわがままな女を追い出してしまう。
事の成り行きが理解できぬまま、突然一文無しになってしまったジェシー。しかたなくバイトを探し、成金趣味の音楽プロモーター、スターキー家のメイドとして働くことになる。家事などやったこともないジェシーは散々な毎日を送るが、やがて料理人のオードリー(メリー・クレイトン)と親しくなり、人間的にまともになっていく。作曲家志望のニック(マイケル・オントキーン)との間に芽生えたほのかな恋。やがてステラから許しを得ることができたジェシーは、無事もとの生活に戻ることができるのだった。

「白人のメイドはすくないから、すぐ職がみつかるわよ」って言う台詞だけがやたらと印象に残ったが、それ以外は何も残らなかった(苦笑)。

by ssm2438 | 2010-09-03 09:04
2010年 09月 03日

ブルー・シティ/非情の街(1985) ☆

f0009381_829368.jpg監督:ミシェル・マニング
脚本:ルーカス・ヘラー/ウォルター・ヒル
撮影:スティーヴン・B・ポスター
音楽:ライ・クーダー

出演:
ジャド・ネルソン (ビリー・ターナー)
アリー・シーディ (アニー・レイフォード)

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なにかがちがえば、百恵&友和のようなコンビになっていたかもしれない二人だったが・・・

主演はブラッドパックの二大(当時)若手スター、アニー・シーディーとジャド・ネルソン。この前にも『ブレックファスト・クラブ』で一緒だったし、このあとも『セント・エルモスファイヤー』で恋人同士を演じてます。なので、映画会社敵には、この二人をカップルとして売り出そうとしていたのかもしれない・・てちょっとかんぐってみたくなりますね。しかし、残念なことに、二人ともその後の伸びはなかった。特にアリー・シーディはかなり好きだったのに、なんでそのあと燃える映画にお呼びがかからなかったのは不思議なくらい。『ショートサーキット』まではぴっかぴかに輝いていたのに。。

この映画は脚本にウォーター・ヒルも参加してる復習映画。ただ、どうも内容的にはこの二人が演じるにはちょっと若すぎたような気がした。特にジャド・ネルソンの演じたビリーはもうちょっと年上でもよかったのに・・・、このまえまで高校生やってた若造が戦うにはちょっと相手がでかすぎるかな・・って感じでした。

物語はほとんど西部劇。なので、そのシチュエーションもリアルに考えるとどうしても現実味をおびてこない。西部劇では許されることでも、現代に舞台をうつした映画の中で、そんなやり放題はないだろうって思ってしまった。映画ってのはやぱっぱり社会のしがらみのなかで悪いやつらは悪事を働き、いい奴らも社会的しがらみのなかでその悪を糾弾していくから面白いのであって、このウォーター・ヒルみたいに舞台は今だけでやってることは西部劇・・みたいなのではどうも現実離れしすぎて面白いとは言いがたい。

<あらすじ>
家を飛び出して5年の放浪生活をしていたビリー・ターナー(ジャド・ネルソン)が故郷の街に帰ってくる。しかし、市長だった父は死に、父のパートナーであったカーチという男がその街を牛耳っていた。さらに義母は、そんなカーチの情夫となっている。実は父の死も、カーチに殺されたというのが真相らしいが、現政権をにぎっているカーチには警察もてをだせないでいる始末。ビリーは、幼馴染みのジョーイ(デヴィッド・カルーソー)とその妹アニー(アリー・シーディ)の協力を得て真相を暴ばいていく。

by ssm2438 | 2010-09-03 08:32
2010年 09月 01日

今ひとたび(1989) ☆☆☆

f0009381_121711100.jpg監督:ジョエル・シューマカー
原作:ジャン=シャルル・タケラ
脚本:スティーヴン・メトカーフ
撮影:ラルフ・ボード
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演:
イザベラ・ロッセリーニ (マリア)
テッド・ダンソン (ラリー)
ショーン・ヤング (ティッシュ)

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不倫ものなのだけど、妙にさわやかなのが素敵な映画。

ビデオ発売時は『カズンズ/今ひとたび』のタイトルだった。私はレンタルビデオでこれをみたので、このタイトルで見たのを覚えている。
原作はフランス映画の『さよならの微笑み』で、フランス映画のなかではさわやかなテイストのジャン=シャルル・タケラ。私のすきな『C階段』もこのひとが監督をやっていた作品。この人の作品はなんていうか、灰汁ががないという、さらりとした感触の映画になるんじゃないかな。そのテイストをアメリカ版のこの『今ひとたび』でもかなり再現できているようなきがした。

監督は『セント・エルモスファイヤー』ジョエル・マッカーシー。この人は『8mm』とか『バットマン・フォエバー』とか『依頼人』とか、ありとあらゆるジャンルをこなす人。出来も悪くない。ただ、露骨な個性がないだけにインパクトは弱いかな。しかし、この映画自体がさらりとした感触の映画だけに、ジョエル・マッカーシーの雰囲気とはきわめてまっちしていたような気がした。

テッド・ダンスンはこのころ『スリーメン&ベイビー』に出ていて名前が売れ出した頃。個人的には『アポロ11を追いかけて』の主役をやっていたのでちょっとごひいきの男優さんのひとりだ。
イザベラ・ロッセリーニはご存知イングリット・バーグマンの娘さん。実に面影がある。『ブルーベルベット』でちょっとくたびれかけてはいた、しかし円熟したヌードを疲労してくれたときには、あたかもバーグマンのそれをみているかのような感動をぼえたものだ。

<あらすじ>
夫が浮気しているらしいマリア(イザベラ・ロッセリーニ)と妻が浮気しているらしいラリー(テッド・ダンソン)が結婚式で出会う。それはマリアの(母)と、ラリーの叔父の結婚式だった。むなしさを感じていた二人はどことなく惹かれるものがあった。そして突然のラリーの死。ふたたび一族が再会したマリアとラリーは親密さを増してゆく。そんな2人の姿にマリアの夫も、ラリーの妻も嫉妬するが、二人は会うことはあってもエッチにいたることはなく、さわやかに交際していたので、後ろ指刺されるようなことはなかった。
そんな二人もやがて、今までの思いを燃え尽くすかのように激しくお互いを求めあうことになる。しかし娘のクロエが自分を必要としていることを知ったマリアはラリーに別れを告げる。
ふたたびマリアの母が再婚するとき、マリアとラリーは再会する。ラリーの真実の思いを悟ったマリアは彼と人生をやり直すことを決意するのだった。

by ssm2438 | 2010-09-01 12:17