西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 28日

ハードコアの夜(1979) ☆

f0009381_23242729.jpg監督:ポール・シュレイダー
脚本:ポール・シュレイダー
撮影:マイケル・チャップマン
音楽:ジャック・ニッチェ

出演:ジョージ・C・スコット

       *        *        *

どうもジョージ・C・スコットが善玉主人公ってのが違和感が・・・(苦笑)。

私の中では、リー・J・コッブジョージ・C・スコットって同じキャラで、悪役ではじめて立つキャラだと思うのだけど、この人が世間知らずのお父さんで、アングラ業界で“H”ビデオに出演してしまった娘をさがす健気な親になるというが今ひとつイメージに合わなかった。おかげでどうもどうも・・って思っているうちに終わってしまった(苦笑)。

『8mm』の元ネタになってるんじゃないかと思わせる作品。それをしょっとフェイントかけて『タクシードライバー』チックなのりもかすかにはいっているかも・・。そこは『タクシードライバー』と『ローリングサンダー』の脚本家、ポール・ヤクザ映画好きー・シュレイダーですからね。
申し訳ないが、趣味が合わなかった。娘をさがそうと頑張るお父さんなのだが、変装したり、私立探偵まがいのことをやったりと、ま、それがだんだん板についてくるのだけど、それでも違和感がありすぎて、シリアスなのかギャグなのか・・・、私のなかでは全然冷め見ることしか出来なかったのでした。

ただ、後半からはすこし見やすくなってくる。ニキという売春婦と一緒に娘を探し始めるジョージ・C・スコットの展開は相容れない価値観を持ったもの同士のロードムービー風。ただ、この映画のポイントは、現代では機能しなくなった宗教的善行の概念をもつ主人公のお父さんが、必死で現実の裏家業の世界を娘を探すためにパドリングしていくような映画。きっと彼にとって、この物語は糞の海をオールで漕いで進んでいくようなものだったのでしょう。

<あらすじ>
家具工場を経営しているジェイク・バンドーン(ジョージ・C・スコット)は、プロテスタントの熱心な信者でありだったが、彼女の娘が失踪するという事件がおきる。ジェイクはベテランの私立探偵マスト(ピーター・ボイル)を雇う。数週間後、その私立探偵マストがやってきて成人映画を見せる。男2人に犯される女こそ、ジェイクの娘だった。独力で娘を探すことにしたジェイクは、写真を手に成人映画の専門館、ポルノショップ、怪しげなクラブ、売春宿を訪ね歩く。さらに成人映画の投資家のふりをして、撮影現場もたずねる。アングラ新聞にポルノ映画俳優募集の広告を出し、そうして娘の出ていた成人映画の共演者をみつけだし、娘の居場所を聞き出す。探偵マストの介添えもなり、娘と一緒いた男を倒すのだが娘は・・・・。

最後の最後まで「お父ちゃんの概念はもう機能しないぞ!」って映画でした。

by ssm2438 | 2010-10-28 23:27
2010年 10月 28日

さすらい(1957) ☆☆☆☆☆

f0009381_924193.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:エンニオ・デ・コンチーニ
    エリオ・バルトリーニ
    ミケランジェロ・アントニオーニ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽:ジョヴァンニ・フスコ

出演:
スティーヴ・コクラン (アルド)
アリダ・ヴァリ (イルマ)
ベッツィ・ブレア (昔の女・エルヴィア)
ドリアン・グレイ (ガソリンスタンドの女・ヴィルジニア)
リン・ショウ (娼婦・アンドレイーナ)

       *        *        *

お父さん、お父さん、ロジーナのパンツがみえてまっせ!!

この映画は、リアルなメンタリティを描く映画ではなく、男のメンタリティとはこういうものだというメンタル・システムを具現化した話。いやあああああああああ、実にアントニオーニだった。この人は男のメンタリティ正直に描きすぎる。後の作品群をみると女もだけど。実に正直な映画監督だなあと思う。

戦後のイタリアには、名匠とよばれる監督さんがやらたと多かった。ロベルト・ロッセリーニヴィットリオ・デ・シーカフェデリコ・フェリーニルキノ・ヴィスコンティピエトロ・ジェルミ、そしてミケランジェロ・アントニオーニ。その中でも一番好きなのはこのミケランジェロ・アントニオーニだ。この人の映像センスと、描く題材は実に衝撃的で、メンタリティは男女の心理を描き出しし、映像は心象風景的な・・、どこかミステリアスな雰囲気をかもしだしてくれる。60年代のアントニオーニは傑作ぞろいだと思う。
残念ながら70年代からはイタリア映画全体がはかなりへたってくる。下世話な映画ばかりになり、エッチとエログロ、残虐性が前面にでてきてあまり関しない時代がしばらく続くことになる。アントニオーニの映画ですら、なぜか60年代の彼の作品ほどときめくものはない。

ミケランジェロ・アントニオーニは、男の愛し方、女の恋愛を正直に描く。この映画では男のメンタリティを暴露してくれた。
男というのは、本来一人の女しか愛さないように出来ている。常に心の中に理想の女をもち、「もしかしたらこの人は自分の<心の故郷の女>なのかもしれない」という夢を描き、それを相手の女性に投影しながら恋愛をする。期待するのである。「この女こそ、きっと自分の<心の故郷の女>なのだ」と。
しかし現実にはそんな都合のいい女などいない。どこかが違っている。「やはり違った。これは私がもとめている女性ではない」と認識する時が来る。そのとき恋愛というのは終わる。男の恋愛というのは、現実をゆがめて解釈し、無理やりそうではないものをそうだと思い込もうとしている時間。

この映画はそんな男の恋愛メンタリティを具体的な形として再現している。ただ、映画的にしかなく<心の故郷の女>と具体的な女として登場させるしかないので、イルマという女をその位置にすえてある。それをもってその男の<心の故郷の女>にするのはちと違和感を感じるが、まあ、映画構成上しかたがないことなのだろう。


<心の故郷の女>=イルマに見捨てられた男アルド(スティーヴ・コクラン)は娘と一緒に故郷をはなれた。昔自分を愛してくれた女のところによってみる。彼女は今も自分を愛してくれている。そこに居つけば心がやすらぐのに・・と思うのだが、イルマが荷物を届けてくれたことからやはりイルマの存在を再認識してしまう。

車の荷台に乗せてもらってたどり着いた先のガソリン・スタンド。一夜の宿を借りるつもりだったが、そのスタンドを切り盛りする若い精力的な女ヴィルジニア(ドリアン・グレイ)に惹かれてく。彼女は老父暮らしていたが、なにかと迷惑をおこすので施設にいれてしまう。一緒に旅をしていた娘のロジーナもイルマのところに返して、二人だけの生活になるはずだった。しかし、どこかでそれは頭をもたげてくる。「この女はイルマではない」。

再び放浪生活がはじまった。やがてベネズエラでリッチになってもどってきたとう成金男の船整備する仕事をもらう。彼は河岸の小屋で使用人たちと話していたが、アンドレイーナ(リン・ショウ)という娼婦らいし女を呼びつけ出て行った。彼女はは肺病をわずらっていたが、は無邪気で可愛かった。アルドにもなつき、彼と一緒に泥沼のような生活から浮び上ろうとした。しかし・・・「この女はイルマではない」。

アルドの足は本能的に自分の村へ向った。村では飛行場が建設されようとしておい、変化が押し寄せてきている予感があった。娘のロジーナを見つけ、彼女が入っていく家を覗き見た。イルマがいた。赤ん坊に湯を使わせていた。イルマは明らかに自分の女ではないことを理解するしかなかった。<故郷の女>を失ったアルドにとって、もうこの世に意味はなかった。


しかしなあ・・、<故郷の女>がアリダ・ヴァリってとこにちょっとしんどさを感じる。一応イタリアの名女優なのかもしれないが、どうみても、他の3人より美しくない(苦笑)。もうちょっと・・・ほんとに固執するにあたいするビジュアルをもった人はいなかったのだろうか・・。ちと残念。

by ssm2438 | 2010-10-28 09:04 | M・アントニオーニ(1912)
2010年 10月 27日

サタデー・ナイト・フィーバー(1977) ☆☆

f0009381_1910487.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ノーマン・ウェクスラー
撮影:ラルフ・D・ボード
音楽:ザ・ビー・ジーズ/デヴィッド・シャイア

出演:
細かった頃のジョン・トラヴォルタ (トニー)
カレン・リン・ゴーニイ (ステファニー)

       *        *        *

はじめてトラボルタを見たときは、ぜったいホモだと思った。・・・どうもホモ系は生理的に受け付けない。おかげで長らく敬遠していた作品。

ビー・ジーズのサントラがやたらと売れた映画だった。私達の年代でビー・ジーズといえば『小さな恋のメロディ』「メロディフェア」という印象があるが、次の世代だとこの映画かもしれない。

監督は私のごひいきジョン・バダム。プロフェッショナルな分野を見やすく判り易く映画にする職人監督さんである。そのジョン・バダムが一躍脚光をあびるようになったのがこの『サタデー・ナイト・フィーバー』。これは専門分野とはちょっと違うのだが、ディスコという特異な文化に脚光を当てたという点ではやはりジョン・バダムの映画らしい気がする。ただ、お話はもうちょっとだったかな。ディスコシーンもそんなにいいというわけではないし(私自身がまったく興味をもたない世界だからかもしれないが)、ジョン・バダムの映画のなかでもかなりつまらないほうに属する映画だろう。主人公のジョン・細かった頃の・トラヴォルタもけっこう気持ち悪い。あのアゴも生理的に嫌い。他のバダムの映画のレーザーディスクは持っていたのだが、この映画だけは買う気になれなかった・・・残念。

この映画のポイントは、やはりディスコというサブカルチャーを夜に知らせしめた点がポイントだが、実はかなり青春モノしている。

<あらすじ>
f0009381_19152690.jpgトニー(細かった頃のジョン・トラヴォルタ)は、普段はしがないペンキ屋で働いていたが、土曜日の夜になるとディスコに繰り出す。ステージの上の彼はヒーローなのだ。誰もが彼のダンスに魅了された。そんな主人公が出会ったダンスの上手いステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)。
この娘は世界を目指したいとおもい練習に励んでいるのだが、性格はあまり良いとはいえない。どこかお高く留まっていてトニーたちのころを軽蔑している部分がある。ディスコで競技会が催されることになり、優勝チームに500ドルの賞金が与えられると発表される。ステファニーに感化されたトニーは、それまでペアと組んできたアネッタと別れ、ステファニーとペアを組みたいと思うようになる。そして優勝賞金で噴き溜めのような生活から抜け出そうと考える。

そいのあとは、友達が自殺したり、コンテストで優勝したかと思いきや裏工作があることがわかり辞退したりといろいろ良いことばかりではないエンディングでした。

by ssm2438 | 2010-10-27 19:12 | ジョン・バダム(1939)
2010年 10月 27日

ステイン・アライブ(1983) ☆☆

f0009381_1956497.jpg監督:シルヴェスター・スタローン
脚本:シルヴェスター・スタローン
撮影:ニック・マクリーン
音楽:ザ・ビー・ジーズ

出演:
ジョン・トラヴォルタ (トニー)
シンシア・ローズ (ジャッキー)
フィノラ・ヒューズ (ローラ)

       *        *        *

おお、売れないシンシア・ローズがこんなところに!

ダンスモノだけはけっこう出てるのだけど他の作品になかなかお呼びがかからないシンシア・ローズ。でも、個人的には嫌いではないのだけど。『未来警察』で、小型のロケット弾が腕にめりこんで、トム・セレックに摘出してもらってるところの哀れさは素敵だ。あのときのシンシア・ローズは忘れられない可愛らしさだった。

で、お話は・・・一応『サタデー・ナイト・フィーバー』からかろうじてつながっている。ただコンセプトは全然違う映画。前回、なんのへんてつもない生活から抜け出したいと思い始めた青年のほろ苦い青春ストーリーだったが、今夏はがちがちのスポ根ものである。なので印象的にはまったく別物という感さえ受ける。
ただ、私個人としては、この映画はこの映画でけっこう好きなのである。

ダンスシーンは、おっぱいさえ出ていないが『ショーガール』のようなある種のお下劣さがあり、なかなか楽しい。ただ、会場の人たちを前にショーをしているはずなのだが、セットの中でショーをやっているように見えてしまうのがちょっとつらい。まあ、そこはスタローンのもういいじゃん、そんなのスピリットで忘れ去られている。ただ、やっぱり物語としては、ショーであることをなおざりにしてしまった部分はやはり痛かった。

ただ、最後の「歩きたいんだ」ってただ満足して歩くだけのカットは大好きだ。

<あらすじ>
f0009381_19583431.jpg嘗てのディスコ・キングだったトニー(ジョン・細かった頃のトラヴォルタ)は、いまではブロードウェイでのダンサーを目指し、手当たり次第にオーディションを受けまくっていた。ある夜、トニーは恋人であるジャッキー(シンシア・ローズ)が出演しているブロードウェイ・ショーを観に行く。トニーは、その舞台のヒロイン役であるローラ(フィノラ・ヒューズ)に一目惚れしてしまう。ローラにしてみればただの一夜の遊びだったが、それでも彼女を抱けたトニーは有頂天になった。
ローラの勧めで新作のオーディションを受けてみると、運が良いことに端役にありつくことができた。さらに有頂天になるトニーはローラをしつこく求めるが、その後は相手にされず、ジャッキーにも“H”のことがばれてしまう。一度は凹んで故郷に帰るトニーだった復活。
ジャッキーに頼み込んで夜通しリハーサルに励み、主役のステップを見事にマスター舌とニーは主役の座を奪い取る。相手役のローラは大声で反対する。二人が組んだステップは気が合わず、何度も失敗するが、振付のジェシーはトニーの野性味をかっていた。
新作『悪魔の裏通り』の、ブロードウェイ初日の幕が上がった。トニーは演目の途中で台本を無視し、即興の踊りを続ける。突然、踊りの途中でローラにキスしようとしたトニーの顔を、彼女はひっかいた。主役二人の火花の散るような激しい心の葛藤が、舞台に計算外の緊張感をもたらせ、熱狂のうちに幕は下りた。観客の誰もが席を立たずに割れるような拍手を送り続ける。ディスコ・キングはブロードウェイに彗星のように現れた新しいスターとなった。

by ssm2438 | 2010-10-27 18:01 | S・スタローン(1946)
2010年 10月 27日

レジェンド・オブ・フォール(1994) ☆☆☆☆☆

f0009381_13335039.jpg監督:エドワード・ズウィック
脚本:スーザン・シリディ、ビル・ウィットリフ
撮影:ジョン・トール
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演
ブラッド・ピット (次男・トリスタン)
アンソニー・ホプキンス (父・ウィリアム)
エイダン・クイン (長男・アルフレッド)
ジュリア・オーモンド (スザンナ)

        *        *        *

大河ドラマ嫌いの私でもこれは惚れた。大雄大なモンタナの大自然バックに描かれる怒涛の人間ドラマ。叙情的感動巨編! 魂をゆすぶる映画とこはこのことだと思ってしまう。ブラッド・ピットが馬にのってあらわれるだけで、感動してしまう。監督は『きのうの夜は・・・』、『ラストサムライ』、『ブラッド・ダイヤモンド』のエドワード・ズウィック。大好きな監督さんのひとりです。そのエドワード・ズウィックのなかでもこの『レジェンド・オブ・フォール』が最高だろう。
しかし、この人の演出というのは、全部みせてしまう映画、観客が想像する部分をもたせない映画。一方的に情報提出型のスタイルなので、その部分がともするとつまんなく見えることもある。この映画もそういう撮り方ではあるのだけど、見ているものを飽きさせない怒涛のドラマを象徴的にみせている。
物語はブラッド・ピット扮するトリスタンが、生まれてから死ぬまでを描いた作品なので、全部描くとすると膨大な時間が必要になる。しかし映画の時間は2時間10分。作り手はそのなかにドリスタンのドラマを凝縮しなければいかない。エドワード・ズウィックは、総てのシーンを丁寧にとるのではなく、もっとも象徴的に描けるシーンをとことん印象的に、情緒的に、ドラマチックに撮り上げている。そのようなシーンの選択と、ドラマチックな見せ方がとても素晴らしい。

その画面をフィルムにやきつけたのはジョン・トール。この人のとる大自然はいつも素晴らしい。『シン・レッド・ライン』でみせた戦場の舞台となる自然の美しさ。『ウインズ』で見せたヨットレースの豪快な海の輝き。この人のダイナミックは自然描写は素晴らしい。
この映画は、エドワード・ズウィックのゆるぎない演出と、ブラッド・ピットの魅力と、ジュリア・オーモンド存在と、馬と熊とモンタナの大地が一体化し、そこにジェームス・ホーナーの音楽がかさなり、それをジョン・トールが一本のフィルムにまとめた奇跡のコラボレーション。ひたすら酔える。

f0009381_13383833.jpg<あらすじ>
アメリカがインディアンを押しのけてその勢力を拡大していた20世紀初め、その戦いに疑問と後悔をもった騎兵隊大佐のウィリアム・ラドロー(アンソニー・ホプキンス)は脱退、忌まわしい侵略の記憶から逃れるため、モンタナに牧場をひらき、定住して3人の息子たちの成長を見守っていた。中でもインディアン・イズムにもっとも傾倒した次男トリスタン(ブラッド・ピット)に、ことのほか愛情を注いだ。ウィリアムの妻イザベルは、過酷な自然環境に耐えられず彼と別居して街に住んでいた。時は流れ、ハーバード大で学んでいた末っ子サミュエル(ヘンリー・トーマス)が、婚約者スザンナ(ジュリア・オーモンド)を連れて帰郷した。そんなスザンナの美しさには長男のアルフレッド(エイダン・クイン)も、そしてトリスタンも魅了された。
やがて第一次大戦が勃発し、ドイツの侵略に対して祖国イギリスが戦っている状況にあり、長男アルフレッドと末っ子のサミュエルはカナダから義勇兵として出兵するといいだす。国家のためにの名目で国の為に戦いインディアンを殺戮した経験をもつ父はそれには強く反対した。その夜トリスタンは、サミュエルの出征に反対するスザンナに「行くなと言え」と言うが、それも無理なこと、「サミュエルを守って」とトリスタンにすがりつくしかないスザンナ。こうしてトリスタンも「サミュエルをかならず守る」と約束して出征していく。

ヨーロッパ戦線でサミュエルはトリスタンの目の前で敵兵に撃たれ死亡、弟を守りきれなかったトリスタンは、サミュエルの体から心臓を取り出し、足を負傷して帰国を余儀なくされたアルフレッドにその心臓を預け故郷にもちかえらせる。復讐の念にもえるトリスタンは、夜になるとドイツ兵を襲いのどを切り裂き、殺した兵士の数だけ頭の皮を剥い持ち帰る。血みどろの様相に見方の兵士たちも息を呑んだ。
悲しみにくれるスザンナに長男アフルレッドが愛を告白する。しかし、彼女の心の中にはトリスタンがいた。半年が過ぎたある日ふらりと帰ってくる。サミュエルの墓標の前で一人泣いているトリスタンに、スザンナが寄り添ってくる。その夜、2人は結ばれ、同じく彼女を愛していた長男のアルフレッドは家を出て、街で事業に乗り出して成功する。
モンタナの牧場でスザンナと幸せに暮らしていたトリスタンだが、弟を救えなかった罪の意識にくわえ、その弟の婚約者であったスザンナと幸せになることに耐えられなくなり、「永遠に待つわ」というスザンナを残して放浪の旅に出た。数年したある日、旅先から「もう待つな、俺たちの愛は終わった」という手紙をうけてとり絶望するスザンナ。

十年近くが経ち、心を浄化させたトリスタンは馬のひづめの音とともにモンタナに帰ってきた(このシーンだけでも感動してしまう)。父は半身付随になり、スザンナはアルフレッドと結婚していた。今では議員になって豪邸に住んでいるアルフレッド邸をおとずれるとスザンナがいた。

「なんで帰ってくるのよ、帰ってくるんだったら待ってるのに、言ったきりならそれっきり帰ってこないでよ・・・(また愛してしまう)」という押さえ切れない想いが湧き上がるスザンナ。それが2度目の絶望なら3度目の絶望はそのトリスタンが、ネイティヴ・アメリカンとの混血で、使用人の娘であるイザベル(カリーナ・ロンバード)と結婚したという話を聞かされたときだ。スザンナが次にトリスタンに会ったとき、トリスタンは妻であるイザベルとサミュエルと名づけた息子と一緒にいる時だった。自分がほしかった幸せがそこにあった。
その頃、トリスタンは禁酒法に逆らうように酒の販売の商売を行っていたが、ある日、警察の待ち伏せに遇い、威嚇射撃の流れ弾でイザベルが命を落とす。発砲した警察官を怒りのあまり殴り倒してしまい、30日間の禁固刑が科せられるトリスタン。そんなトリスタンの面会におとずれるスザンナ。

「私は夢をみるの。あの子たちの母が私であるような・・・。彼女(イザベル)の死も願ったわ。それだけじゃない、サミュエルの死も・・」
・・・こんな言葉が書けるなんてすごい。映画史上にのこる名シーンだと思う。

その夜、スザンナは自殺した。トリスタンは、銃を撃った警官とそのボスたちに復讐を遂げた。スザンナの遺体はモンタナに運ばれ、再会したアルフレッドはトリスタンに、「私は神と人間のルールに従ってきた。お前は何事にも従わなかった。しかし皆はお前を愛した」と言う。トリスタンは、兄に子供を預かってくれるよう頼み旅立っていく。

この映画で“自然の化身”としてのトリスタンを演じたブラッド・ピットは、ロバート・レッドフォード『リバー・ランズ・スルー・イット』でも“自然の化身”を演じているが、この二つのブラッド・ピットは実に素晴らしい。この“自然の権化”を愛してしまう不幸になっていくジュリア・オーモンドが実に不憫でまたいい。実にいい映画だ。

by ssm2438 | 2010-10-27 11:14 | E・ズウィック(1952)
2010年 10月 25日

1969(1988) ☆☆

f0009381_21501153.jpg監督:アーネスト・トンプソン
脚本:アーネスト・トンプソン
撮影:ジュールス・ブレンナー
音楽:マイケル・スモール

出演:
キーファー・サザーランド (スコット)
ロバート・ダウニー・Jr (ラルフ)
ウィノナ・ライダー (ラルフの妹ベス)
ブルース・ダーン (スコットの父)

       *        *        *

卑怯者だとわかっていても自己肯定していくしかないのが人生・・哉。

『いちご白書』とほぼ同じ時代を舞台にした映画。当時、そんな人生をおくっていたアーネスト・トンプソンが自分の人生を肯定したくて書いた話なのだろう。
実はこのライターさん、嫌いではないのだ。ボブ・フォッシー監督、主演エリック・ロバーツマリエル・ヘミングウェイ『スター80』と、ヘンリー・フォンダキャンディス・バーゲン『黄昏』の脚本を書いている。作品数は少ないが脚本の出来はすこぶるいい。この映画も映画としては決して悪い出来ではない。・・・が、個人的にこの映画のスピリットが好きになれない。少なくとも私には臆病者のヒッピーが、グレてラリって、自分に都合の悪い体制批判してるだけにしか見えない。
不思議なことに、内容的には『いちご白書』とにたような無責任・ヒッピー・スピリットなのだが、IMDbの☆の数をみると『いちご白書』が6.7☆(10点満点)なのに対して『1969』は5.6☆なのだ。アメリカ国内の庶民感情でもこの映画に対しての評価はあまりたくはないようだ・・・。

しかし画面はとても素晴らしい。

ただベトナム戦争は、かなりゆがんだ戦争だったことは間違いない。
第二次世界大戦で敗戦した日本が撤退したあと、ベトナムはフランスの支配下となっていたが、北部は中国軍がその治安の維持を担っていた。その後インドシナ共産党がちからを伸ばしベトナム独立の動きが盛んになり、ベトナム北部で共産党国家が樹立された。フランスとアメリカ合衆国はベトナム全土の共産化を抑止するために、傀儡国家の南ベトナムを建国した。これに対してベトナム統一国家の建国を求める北の圧力がたかまり、1965年、アメリカ軍が軍事介入したことからアメリカ対北ベトナムの戦争に突入する。この戦争は泥沼化し1975年までつづく。

<あらすじ>
1968年、高校卒業後ヒッチハイクでアメリカ全土を旅してたいラルフ(ロバート・ダウニー・ジュニア)とスコット(キーファー・サザーランド)が地元の郡にかってくる。しかし、従軍していたスコットの兄ダニーは出征することになる。戦争に否定的な二人は、麻薬に手を出しヒッピーまがい生活を続けていた。戦争が現実のものとして二人の目前にせまってくると、徴兵から逃れるために役所に忍び込み、自分の戸籍を盗み出し、徴兵されないように計画したが失敗しラルフだけが逮捕される。スコットはラルフに面会にいったあと、一緒にいくというラルフの妹ベス(ウィノナ・ライダー)とカナダへ逃れようとする。しかし、国境手前でユーターン。カナダに逃亡するのではなく、国内に留まり戦争反対を叫んでいくことに決める。しかし、故郷へ帰ったスコットを待ち受けていたのは兄ダニーの戦死の知らせだった。軍人が参列している葬儀の席上、スコットは戦争反対と戦争に反対する自由を唱え、投獄されているラルフの釈放を求めて刑務所まで行進していく。それに賛同した街の人々が彼らにつづき、人々の列は巨大なものとなっていった。

by ssm2438 | 2010-10-25 21:50
2010年 10月 25日

いちご白書(1970) ☆☆

f0009381_17292115.jpg監督:スチュアート・ハグマン
脚本:イスラエル・ホロヴィッツ
撮影:ラルフ・ウールジー
音楽:イアン・フリーベアーン=スミス
主題歌:バフィ・セント=マリー

出演:
ブルース・デイヴィソン (サイモン)
キム・ダービー (リンダ)

       *        *        *

キム・ダービーの短いスカートと42ページ似の女子学生は萌える!(笑)

この映画を知ったのは中学生か高校生のころで、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」というフォークソングを知った時。その後、どんな映画なんだろう??っと思っていたのだけどさすがにVHSが普及するとレンタルビデやで見つけることが出来た。でみてみた。当時はナにやってるのか全然分からなかったが、先ごろ『ドリーマーズ』がらみでいろいろしらべていたら、そこで描かれていたストライキがなんなのか分かった。

話の発端は1968年4月におきた遊園地を軍事関連施設に建て直す事に端を発し、コロンビア大学の学生抗議者たちが学部長事務所の占拠する事件がおきた。その占拠事件を背景に、ブルース・デイヴィソンキム・ダービーの恋愛事情を描いている。ただ映画としてはきわめてドラマ性のうすい映画であり、シナリオもしっかり構築されたうえで作られた映画とはいいがたい。
さらにカメラもかなりうざい。いい絵も多いのだけど、あほなTU⇔TBがあったりして、おまえディズニーのカートゥーンの爆発シーンでも撮っているのか??っておもわせるくらいダサいカメラもある。

この映画の本質は、当時の学生運動の風潮や、アメリカン・ニューシネマの影響などがある時代で、実に無責任垂れ流しのくそ映画といっても言い過ぎではない。ほとんどの大学生はどうみてもただのアホのあつまりであり、ただたむろしてたり、薬をやったり、フリーセックスをしたりとのんきで怠惰な有象無象。せめてもの救いは一応そのストライキを扇動しているリーダー連中は自己の行動意義をもっているようだが、所詮は与えられるのがあたりまえという概念のなかで、与えられ方が悪いと文句をいっているだけだ。コロンビア大学といえばIBリーグのひとつで名門校であるが、この映画だけみるとかなり程度がひくくみえる。・・・。

主人公のサイモンも真剣に学生運動なんかに参加しようという気持ちはないのだけど、格子のむこうにいるリンダをみてなんとなく参加してしまったといういい加減なやつ。しかも、その活動の間に真剣になるのかと思えばそんなことはなく、最後まで真剣な闘争の理由はどはもてなかったに違いない。
しかし、そんなしらけモードの環境下ではあるが、やっぱりブルース・デイヴィソンキム・ダービーが二人でいるシーンの描写はとってもいい。それだけで「なんかいい映画だったかも・・」って印象ももてなくはない。さらに、やっぱり学生たちが大学の学部長事務所を占拠しているそのなかでの生活というのは、みていて楽しそうなのである。きっと学生ならあの状況は死ぬまで「人生で一番楽しかった時間」として残るだろう。

f0009381_19254759.jpg余談ながら、占拠した学部長事務所ビルのなかでサイモンにブロージョブしてあげる女(42ページ似の女)はクリスティン・ヴァン・ブーレン(Kristin Van Buren)という女優らしい。

あまったれた映画のスピリットだが、なぜか忘れられないノスタルジーのつまった映画のひとつでもある。ちなみに私がこの映画が作られた年はまだ小学生だった。この映画がツボにはまった世代の人は、私より10歳くらいうえの団塊の世代とよばれる人たちだろう。

<あらすじ>
1968年、遊園地を軍事関連施設に建て直す事に端を発し、コロンビア大学の学生抗議者たちが学部長事務所の占拠する事件がおきていた。同大学のボート部の学生サイモン(ブルース・デイヴィソン)は、見物がてらにその学部長事務所の建物を見に行ったが、その中にリンダ(キム・ダービー)を見とめ、おもわずふらふらっとその中に入ってしまう。
内部は惨憺たる参上で、学生たちが床にすわりこみ、アルコールはジュースを回しのみしている。LSDもやっているのだろう。そんななかで一部の学生たちは真剣にこの占拠活動は意義があるものだと信じていた。
サイモンは行き当たりばったりで食料調達係りに任命されたが、実はリンダもそうだった。二人は封鎖されているビルディングから抜け道をとおり外にでる。占拠している学生たちに食料を調達するために二人はもよりのスーパーにでむいていく。こんなふたりの描写がじつに愛らしいのだ。
そんな学生たちのつかの間のユートピアも終焉をむかえる。武装警官隊は州兵の応援を得て、バリケードを破り、屋内に突入する。講堂に集結していた学生たちは、波紋のような輪をつくり無抵抗でうたいつづける。そこ武装警察が乱入。催涙ガスを噴霧しながら学生たちを排除していく。

by ssm2438 | 2010-10-25 17:31
2010年 10月 24日

ターミナル・ベロシティ(1994) ☆☆

f0009381_9403591.jpg監督:デラン・サラフィアン
脚本:デヴィッド・トゥーヒー
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョエル・マクニーリイ

出演:
チャーリー・シーン (ディッチ)
ナスターシャ・キンスキー (クリス)

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スカイダイビングのインストラクターを主人公にした、巻き込まれがたのサスペンス。金塊の狙うロシア・マフィアとそれを追う元KGBの女性工作員に協力するはめになった主人公が、アバウトなタフさで敵を撃退していくアクション映画。
ヒロインは『キャット・ピープル』ナスターシャ・キンスキー。いやああ、びっくり。アクション映画のヒロインもとっても素敵にこなしてます。綺麗な人は何やっても綺麗ですね。

おなじスカイダイビングをテーマにした映画としてはジョン・バダム『ドロップゾーン』がある。こちらはとにかくダイビングのシーンを多く入れ込むということを念頭の置いて作られたのだろう、飛ぶ回数はやたらとおおい。ただ、それがきちんと物語と融合しているかというとちょっと無理やり感があった。
その点この『ターミナル・ベロシティ』は飛ぶ回数は少ないが、飛ぶことをしっかりとお話のなかに組み込んでいた。私はジョン・バダムのファンだが、この映画に関してはこちらの『ターミナル・ベロシティ』の方に軍配をあげるかな。どちらもむちゃくちゃ傑出したわけではない普通のアクション映画だが、スカイダイビングとストーリーをむりくり一緒にしてないだけお話が素直だ。

初めてのこの映画の劇場予告で見たときは、いったいどういうシチュエーションであの飛行機から車がおっこちるの??って思ったよ。あまりにストーリーが読めなかったのでしばらく放置プレー。それから10年くらいしてたまたま観たら面白かった(苦笑)。あの車のトランクの中にはナスターシャ・キンスキーが押し込められていて、ロシア・マフィアから逃げるために空中で車をおっことし、スカイダイビングのインストラクターである主人公のチャーリー・シーンが空中で運転席からトランクに移動、なんとかトランクを開けてナスターシャ・キンスキーを助け出し、一緒に地上に降下するという流れ。ああ、納得・・・。

しかし、それが売りの映画だったのだろうが、あんまりストーリーが読めないと、見る気にならないものだね(苦笑)。

<あらすじ>
アリゾナ州フェニックスでスカイダイビングのインストラクターをやっている、ディッチ・ブロディ(チャーリー・シーン)は、初心者の金髪美女クリス(ナスターシャ・キンスキー)の指導に当たる。だが、彼が目を離した隙に、飛行機からクリスが飛び出し地面に叩きつけられ、その後死んでしまう。不審な状況に納得できないディッチは真相を探るべく彼女の部屋を訪ねると、そこで暴漢の襲撃を受ける。事故の瞬間を撮影したビデオを検証すると、落下するクリスの上空に別の機体が映っていた。
その飛行機を捜索するディッチは、死んだはずのクリスにあう。彼女は自分がCIAの工作員で、事故は偽装だったと打ち明ける。事故が自分の責任ではないことを彼女に証明してもうらうために、ディッチは彼女の任務に協力するはめになる。しかし彼女はCIAでもなかった。彼女の正体は旧KGBの工作員。金塊の密輸をたくらむロシアの犯罪組織=ロシア・マフィアの密輸を追っていることを明かす。
金塊を盗み、クリスを拉致して軍用機で離陸するロシアマフィア。彼女は軍用機のなかのキャデラックのトランクに閉じ込められる。複葉機をチャーターしたディッチは軍用機の後部格納口へ飛び移る。敵との戦いのさなか、2人を乗せたキャデラックは空中に飛び出し、高空から落下する。空中でトランクのキーを開けて彼女を救出したディッチは彼女とともに着陸。墜落した軍用機から生き残った最後の一人と対決、これを倒して、モスクワでクリスと勲章を授かる。

by ssm2438 | 2010-10-24 09:42
2010年 10月 22日

氷壁の女(1982) ☆☆

f0009381_15554164.jpg監督:フレッド・ジンネマン
脚本:マイケル・オースティン
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:エルマー・バーンスタイン

出演:
ショーン・コネリー (ダグラス)
ベッツィ・ブラントリー (ケイト)
ランベール・ウィルソン (ガイドのヨハン)

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こらジンネマン、おまえが執着心を否定する映画を撮ってどうする!
ジンネマンにはいつまでもジンネマンでいてほしかった・・・。電池のきれたジンネマンのような映画だった。


アルプスにやってきた初老のイギリス人男性と、彼とはちょっと不釣合いな若い女性、そこにスイス人ガイドがからみ、水面下のメンタル劇が進行するとともに、その夏の5日間が描かれる。何度か山に登りながら二人の関係が回想としてかたられる。

『ジュリア』『ジャッカルの日』『わが命つきるとも』など、怒涛の圧迫感んもなかで己を通す主人公描く名匠フレッド・ジンネマン。大好きな監督さんの一人ではあるが・・、これはちょっとどうだったかな。悪くはないけど・・・ジンネマン作品のなかではちょっと物足りなさを感じてしまった。やっぱりこれはいつものジンネマン・怒涛のボディプレス圧迫感がないせいか・・(苦笑)。

雪山ものといえば・・・どうしてもクレバスが怖い(苦笑)。その雪の橋が渡れるのかどうか、いつもそんなシーンでどきどきしてしまう。そしてあるのかなのか微妙ななかでの三角関係。ほのかな殺意が芽生えそうでもあるシチュエーション。いつものような怒涛の圧迫感はないのだけど、さりげない真理サスペンスにはなっている。でも、結果的には・・・残念な展開だったかな。ジンネマンの作品のわりに「執着心」が弱いのである。
これまでのジンネマンの作品というのは譲れない想い、絶対的な執着心があったのだけど、この映画では、その執着心を自ら否定しようとする人たちの映画になっている。おかげでいつものジンネマン・モードにはいたらずなにか肩透かしをくったような印象で終わってしまった。

この映画が成立するためには、個々の圧倒的な(いつものジンネマンの)執着心が根底にないといけないのだと思う。それを、それぞれの立場の人が理性で考えて「いや、この執着心はおさえなければならない」と個々のなかで葛藤すればもっと話は深刻で深みがあるものになっていただろう。
ショーン・コネリーにしても、自分はもう老い先短いおとなだし、いつまでもこの娘を自分につなぎとめておくわけには行かない・・ってのは充分にわかるし、だから執着心を表現しづらい立場にいる。女性のベッツィ・ブラントリーも、この人はずっと憧れての人だけど、現実的には私のもとめるべき人ではないのだろうと思いつつ、今の時間を愉しんでいる。このふたりのあり方が実に普通で、映画になりづらいというか・・、もっと「そんな理性的なことはわかっているのだけど、でも今は二人でいたいのよ」のパッションが出てたらドラマ自体がなっとくできるものになっていたのに・・。
もうちょっと踏み込んで作れなかったものか・・・。

<あらすじ>
1932年。スイスアルプスの小さな駅におりたつ初老の男と若い女。ダグラス・メレディス(ショーン・コネリー)とケイト(ベッツィ・ブラントリー)である。ダグラスはケイトの叔父にあたる。ケイトは子供の頃からずっとダグラスを想っていたのだ。ダグラスは結婚していたが、やがて二人は関係をもつようになったのだ。
食堂にガイドのヨハン(ランベール・ウィルンン)がやって来て、メレディスと明日の登山の打ち合わせをする。

2日目はならしの登山。途中雨がふりはじめ、岩壁の下で雨宿りをつつ、初エッチのときの回想。

3日目は、いよいよ雪山にトライ。クレバスをジャンプして越そうとするがダグラスは跳躍に失敗してスリップ。ヨハンにひっぱりあげられる。そのときピッケルを落としてしまい、。ヨハンがピッケルを探しにおりていくと、そこで氷に埋まっていた人間を発見。死体は40年ほど前に、婚礼の前日に行方不明になった男だった。
夕方、ケイトはヨハンに「私はダグラスの妻ではない」と告げる。

4日目の朝、ヨハンが部屋まで迎えにきてベットのなかのダグラスとケイトを見る。ケイトのことを想い始めていたヨハンは心中穏やかではない。その夜は山小屋ですごすことになる。女性用のベッドにしのんで来るダグラス。ヨハンはそっと小屋を出る。やがてケイトも外へでてきた。

5日めの早朝。ヨハンとダグラスは山に登り、ケイトは山小屋に残る。山頂で、ヨハンはダグラスに「貴方はケイトさんを幸せにできない」と言い揉み合いになる。ダグラスにしてみれば大きなおせわなのだ。ぶぜんとしたまま2人は厳しい処女峰を降りてゆくが、落石に遭う。戻ってきたのはダグラスだけだった。葬儀が行なわれ、査問会で足留めされるダグラスが「待っててくれるかい?」と問うと、ケイトは首を振り去ってゆく。

by ssm2438 | 2010-10-22 15:56 | フレッド・ジンネマン(1907)
2010年 10月 22日

悪魔の赤ちゃん(1974) ☆☆☆

f0009381_1071676.jpg監督:ラリー・コーエン
脚本:ラリー・コーエン
撮影:フェントン・ハミルトン
音楽:バーナード・ハーマン

出演:
ジョン・P・ライアン (フランク・デイヴィス)
シャロン・ファレル (レノール・デイヴィス)
ジェームズ・ディクソン (パーキンス警部補)

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ホラー映画も禁断の聖域をおかしてしまったか・・・。

いろいろモンスターになりました。昆虫や動物、人間も・・でも、赤ちゃんだけはならないはずなのだけど、それをやってしまうのが異能脚本家、ラリー・コーエン
平凡な夫婦の間にうまれた赤ちゃんが、なんとモンスターだった!! なぜ? なぜでしょう? とにかく殺戮を繰り返しながら帰巣本能で親元をめざす赤ちゃん。そしていよいよ親と再会。こんなモンスターになっても俺の子供なのか・・とどう感情をせいりしていいのかわからない父親。この感情のせめぎ合いが、この映画をB級の名作にのしあげてる(でも、所詮B級だけど・・はは)。

今回は監督もやってます。ラリー・コーエンはB級映画の脚本をかいているころが多いのだけど、私にいわせればB級映画の正しい作り方をする人。はやりものに手を出してちゃらって作るのではなく、予算のない中(B級の宿命)、ありえないシチュエーションを見ている人に納得させるように作っていく。そのなかで、どこかしら感情に訴えるものを注入している。キワモノの一生懸命きちんと作ろうという精神に満ち溢れている人。好きなクリエイターの人ですね。
この『悪魔の赤ちゃん』はこのあと続編が2作つくられることになるのだが、ラリー・コーエンの代表作のひとつでしょう。でも個人的には『殺しのベストセラー』がお勧め。

ラリー・コーエンの映画って愛があるんだよな。『殺しのベストセラー』もそうだったけど、ありえないところに愛を描く、この『悪魔の赤ちゃん』においても、なぜそんな赤ちゃんとして生まれてきたのかは不明だが、殺人モンスターの赤ちゃんだが、自分の子でもある。まず、最初は母親がそのモンスター赤ちゃんを愛で受け入れ、
息子(赤ちゃんにとっては兄貴)も、赤ちゃんは襲おうとはしない。しかし撃ってしまう父親。逃げ延びた赤ちゃんをおってやっと見つける父親だが、もう撃てない。ここでは自分の息子だという概念が勝ってしまい助けようとする。
社会のなかではどんなに忌むべき存在でも、自分個人としてみれば自分の息子である。世間体常識から個人的感情へ思考の根幹が移行する描写がいいんだ。こんな話を考え付くラリー・コーエンはやはりキチガイである。

<あらすじ>
ロサンゼルスに住む、中流階級の平凡な夫婦フランク(ジョン・ライアン)とレノール(シャロン・ファレル)には11歳の息子クリスがいた。そして2人目の子供が生まれようとしてた。レノールは分娩室に運び込まれフランクは待合室で待っていた。そして子供が生まれた。その赤ちゃんは恐ろしい形相の生物であり、お産に立ち合った医師、インターン、看護婦らを惨殺し、分娩室から姿を消した。警察は当初、この事件が生まれたばかりの赤ちゃんの仕業とは信じることができなかった。しかしその日から、身体を引き裂かれるという惨殺事件が次々と起こると、非常警戒包囲網をしいた。
一方、レノールは産後自宅にもどり、息子のクリスはフランクの友人チャーリーの家にあずけられていた。妻の身を案じたフランクは、会社に長期休暇届けを提出すると家もどると、その日のレノールはショックが癒えたのかなんとなく幸せそうだった。不審に思ってレノールを問いつめると、赤ちゃんが帰ってきたことを告白する。
その頃、クリスは両親に会いたい一心でチャーリーの眼を盗んで家に戻ってきていた。そして地下室で恐ろしい形相の弟と対面する。不思議と赤ちゃんは襲いかかる気配はなかった。しかしそのときフランクが銃をもって降りてくる。クリスが危ないと思い発砲、弾丸は赤ちゃんの肩をかすめたらしく、凄まじい叫び声をあげると折り悪しくクリスを追って地下室に入ってきたチャーリーの喉笛を噛み切って闇の中に消える。
血痕は下水道に続いており、フランクと数十名の警官が赤ちゃんを追った。フランクはついに激痛に耐えかねて泣いている赤ちゃんを見つけ銃口を向けたが、どうしても引き金を引くことができなかった。この世のものとも思えぬわが子の哀れな姿に、とめどもない涙を禁じえなかったのである。フランクは赤ちゃんを抱いて家に連れ帰ろうとするが、出口には完全武装の警官が待ちうけていた。赤ちゃんは無惨に撃ち殺される。

by ssm2438 | 2010-10-22 10:07