西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 21日

ピクニック at ハンギングロック(1975) ☆

f0009381_14525839.jpg監督:ピーター・ウィアー
脚本:クリフ・グリーン
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:ブルース・スミートン

出演:ミランダ (アン・ランバート)
       *        *        *

ミステリアスな雰囲気だけはあるが・・それだけだというよく判らない映画(苦笑)。

やっぱりオーストラリア人の監督ってどこは変だ(苦笑)。ある種の惹きはあるのだけど、でも、だからいい作品かといわれるとどうなんって答える。とにかく見せられるだけの映画なのでひたすら退屈なのである。世間ではけっこう評判は良いのだが、彼等がほんとにこれが云いと思ってるかどうかかあり疑問である。タルコスフキーの映画が好きだとかいいつつ、映画館にいったら寝てる人を良く観るのと同じ。感情は退屈だ!っと信号をおくっているのだけど、理性のどこかでは「肯定しないといけない」という強迫観念を与える映画のひとつ。

画面は・・・もうちょっとディフュージョン・フィルターかけるとデビット・ハミルトンになりそうなところを、頑張って素で撮りつつ、画面の美しさを表現してる。そこにフルート(?)のミュージックがかぶせられなんだか観ていて気持ちがいい。でも画面のなかにはトカゲやら昆虫やらもでてくる怪しさも同時にある。ニコラス・ローグ『ウォーカバウト/素晴らしき冒険旅行』に近い雰囲気があるかもしれない。

<あらすじ>
f0009381_21132761.jpg1900年2月14日、オーストラリアの寄宿制学校アップルヤード・カレッジの生徒たちが岩山ハンギングブロックにピクニックに出かけた。アップルヤード校長は孤児セイラの参加を許さなかった。食事のあと、ミランダ(アン・ランバート)、アーマ、マリオンは岩山を散歩することにした。三人の後からでぶの不平屋イーディスもついて行く。イーディスがとめるのも聴かず、何かに惹かれるように三人はのぼって行った。
イーディスが全身すり傷だらけで下山してきたが三人は帰ってこなかった。数学教師マクロウの姿も見えなくなっていた。・・・なぜ??

お姉ーちゃんが綺麗なのはここまで。そのあとは男の子二人が彼女等を探しに行き、疾走した3人女子学生のひとりアーマを見つける。彼女は記憶をうしなっていた。ミランダをしたっていたセイラ(残された女の子)は深く沈んでいた。級友は真相を話せと責めたてられるアーマはヨーロッパに行くことになる。授業料滞納で孤児院に戻すと宣告されていたセイラが屋上から落ちて不審な死をとげた。その後、しばらくして校長も不思議な死をとげた。

結局みたいと思う欲望になにも答えをだしてくれないのがこの映画。
ミランダを演じたアン・ランバートがあまりに美しく、彼女をみたい、話なんかどうでもいいから彼女を見たい!と思うのに、それがかなえられない歯がゆさ。で、結局彼女をもう一度みたと思いながら「いつ観られるんだ、いつになったら出てくるんだ?」って思ってたら結局出てこなかった。

by ssm2438 | 2010-10-21 21:06 | ピーター・ウィアー(1944)
2010年 10月 21日

続・個人教授(1976) ☆☆☆

f0009381_11412036.jpg監督:ジャン=バティスト・ロッシ
脚本:ジャン=バティスト・ロッシ
撮影:エドモン・リシャール
音楽:エリック・ドゥマルサン

出演:
フランス・ドゥーニャック (クロチルド)
オリヴィエ・ジャラジャラス (ドニ)

       *        *        *

どこからの「続」なんだ???

最近は続編がつくられると『・・・・2』とか『・・・・3』というほうが普通だが、以前は『続・・・・』とか『新・・・・』とかのタイトルがつけられていた。確かにきちんとその続編として描かれたはなしもあったのだけど、全然関係ないのに「続」とつけられるこもよくあった。この作品もまさにそう。ナタリー・ドロンの出ていた『個人教授』とはまったく違う話。
そもそも、あれは現代のパリを舞台にしてつくられた話だが、この『続・個人教授』は第二次世界大戦中の話。どこをどうしてもつながりなどない(苦笑)。こういう場合は『新・・・・・』ってつけるのだけど、実はすでに『新・個人教授』というのがあった。同じくナタリー・ドロンで撮られた映画だが、『個人教授』とは主人公の名前もなにもかも違う全然違う話なので『新・個人教授』とつけられたのだろう。文言の使い方としては正しい。そんなわけで、そのタイトルがすでにつかわれてしまっていたので、まったくなんのつながりも関係もないのだが、こんなタイトルがつけられてしまったのだろう。タイトル的にはかなり不幸である。

物語的には『個人教授』よりもこちらのほうが好きなのだが、どうもに主役の男の子がちょっとダメだなあ・・。
もうちょっと他の誰かいなかったのだろうか・・。 クロチルドを演じたフランス・ドゥニャックもそれほど好みというわけではないのだが、尼さん姿から普通のワンピースの服になるとすっごく開放感を感じさせる。さらに、尼さんルックがあたりまえの時に見せる彼女の下着姿・・とか、尼さんルックのコスチュームのもつ味を最大限に有効利用している。

そして、疎開後の開放感。戦時中で他のひとたちは命をかけて戦っているのに、自分たちはこんな片田舎でラブラブしているという罪悪感がありながらも、やめられない蜜の味。これ、傍からみると許せない二人だっただろう。「うちのとーちゃんは戦争にいってるのに、おまえらはー!!」みたな絶対許せない感情がわきあがってくるに違いない。それでもやめられない甘美な二人だけの時間。その背徳感にそむいてまでも一緒にいたい盲目的な溺愛。この世間と「自分たち」のコントラストは実にいい。
これで、戦争という背景がなかったら二人の付き合いもそれほど罪悪感はなく、インパクトがよわいものになっていたに違いない。

この手の作品のなかではモラル的に一番けしからんが、一番好きな映画である。
一番「けしからん」と思えるのは、きっと一番「うらやましい」ってことなのだろう。これくらい「うらやましい」を描いてくれた作品もそうざらにはない。貴重である。

<あらすじ>
第二次世界大戦、ドイツ占領下のフランス。14歳のドニ(オリヴィエ・ジャヤジャ)が病院へ慰問に行った時、美しい修道女クロチルド(フランス・ドゥニャック)に出会う。彼女は女子寮の先生もしていた。
自分の家とはまったく方向の違う彼女を送ったり、彼女のボタンを手に入れては大切にしまっておく。そんないじらしい想いを感じながらも、彼女は十歳も年上であり、神に生涯を捧げている身。その想いには応えられないのは分かっているが、ドニはにラテン語を教えるようになる。
※一応これで『個人教授』というタイトルには合致するようになる(苦笑)。

そんなラテン語の勉強をきっかけにして二人はより深く求めるようになる。日曜の昼下り、ドニが彼女の部屋を訪れた時、彼女の下着姿をみてしまう。腕を伸ばし、抱きしめ、やがて二人は結ばれた。

町に爆弾の落ちた日、息子の身を案じた両親はドニをひとり疎開させることを決意、クロチルドは、彼女の母の家で面倒をみると偽り田舎に疎開する。戦争が始まってから誰もいなくなった家は、二人にとって愛の巣となった。夏の明るい陽ざしの中で愛をむさぼる二人。修道服をドレスに換えたクロチルドは美しかった。そんな二人の仲が村人達の好奇の目にさらされるようになった頃、フランス解放の日が訪れた。
村の噂でやって来た院長の逆鱗にふれるクロチルド。しかし彼女の想いは消せない。神に捧げた誓いの指輪を返すクロチルド。しかし、ドニをクロチルドから引き離そうとする両親は、ドニを遠い寄宿学校に入る事にする。出発の日、友人の知らせで駅に駆けつけたクロチルドは、「私のことをわすれないで」となんどもドニを抱きしめる。


最後の別れのシーンはけっこう好きである。
ホームの内と外を隔てるサクを間にはさみ、お互いの顔をみえて抱きしめあう二人。カメラはドニの背中からクロチルドのアップを撮るいちからうごかない。ドニの後方からドニを連れ去る男たちが近づいてくるのが見えるのはクロチルドだけ。それでもカメラは男たちなど映さない。あと数秒のこの時間が終わると分かったクロチルドは「お願いキスして」とふたたびキスをせがむ。「来た?」と聞くドニもふりかえらない。そのままキスする二人。その状態が2~3秒すると男たちがフレームにはってきてドニをクロチルドから引き離す。
この最後の瞬間までキスしていたい・・というこのけっこうお気に入り演出であった。

by ssm2438 | 2010-10-21 11:58
2010年 10月 20日

個人教授(1968) ☆☆

f0009381_10103956.jpg監督:ミシェル・ボワロン
脚本:クロード・ブリュレ/アネット・ワドマン
    ミシェル・ボワロン
撮影:ジャン=マルク・リペール
音楽:フランシス・レイ

出演:
ルノー・ヴェルレー (オリヴィエ・フェルモン)
ナタリー・ドロン (フレデリク・ダンピエール)

       *        *        *

おお、ランボルギーニ・ミウラ!

70年代によくある、男の子の歳上の人との恋愛ものの走りで、おそらくは最初の口火をきった作品かと思われる。これを皮切りに、イギリスでは『早春』、ドイツでは『初恋』、イタリアでは『青い体験』などはどどどどどっと登場した。

特に『早春』や『初恋』で主演をつとめたジョン・モルダー=ブラウンはヨーロッパのみずみずしい子供から大人に変わっていく(それも初期段階)の男の子を演じ、ヨーロッパでは人気を博していた。美少年といえば『ベニスに死す』ビヨルン・アンデスセンが有名だが、f0009381_10125367.jpgこのジョン・モルダー君(→)のほうが、くちびるのぽっちゃり感がたぶん親しみやすかったのだろう。
残念ながらこの映画の主役のルノー・ヴェルレー君はさほど人気はでなかった(苦笑)。

その彼は恋するの相手がナタリー・ドロン。風貌的にちょっと冷たさを感じるクールビューティ。ご存知アラン・ドロンの元奥さんである。結婚する前の芸名はナタリー・バルテルミーで、フランス人とイタリア人の混血。女優を続けたいと願う思っていた彼女は夫と対立、やがて離婚となった。

ついついタイトルから下世話なエロを想像してしまいがちだが、この映画はかなり健全なつくりだと思う。ただ、まじめなつくりゆえに後半のまどろっこしさがちょっといらいら、スキー場での展開はもうちょっとサクって行ってほしかったな。家族の登場もあんまり必要ないし、ベットインしたにもかかわらず彼から電話が入りおあずけ、それでも翌日もうやってしまうってのは・・・なんか流れが気持ちよくない。あそこはベッドインじゃない状況で、二人で楽しくやっていてキスしかけたくらいのところで、邪魔が入るくらいの展開にして、最初のベッドインは気持ちのいい流れで見たかった。

ただ、ビジュアルはおいしいところをおさえているのである。
ランボルギーニ・ミウラにのるナタリー・ドロン。原付の二人乗りで走るパリのまち。そして雪山のコテッジ。そこに展開されるドラマを演出するフランシス・レイの音楽。うむむむむ~~、やはりわれわれの時代の人にはこのフランシス・レイの音楽は実に映画の雰囲気をかもし出してくれる。穏やかにやさしく心にしみこむのである。

<あらすじ>
学生のオリビエ(ルノー・ヴェルレー)は、一方通行の出口でオレンジ色のミウラをエンストさせているフレデリク(ナタリー・ドロン)をみつける。いとこから車の扱いを習っていた彼は「ボクが替わりましょう」と車に乗り込みエンジンを始動させ、バックで一通のでぐちまで移動させると、そのまま彼女を送っていくことになる。彼女の夫が有名なイタリア人レーサーのフォンタナで、空港まで送っていった帰りだという。しかしその言葉は嘘だった。実は愛人でしかなかった。
彼が出場するインディ・レースの実況を見たいというフレデリクのためオリビエはテレビを工面する。さらに英語の翻訳をたのんだりして彼女との接点も重ねていく。一途な彼の想いを感じながらもフォンタナへの想いは消えない。しかし、いつまでも彼と一緒にいて未来があるのかどうかも分からない。
スキー場で二人はベットを共にした。パリに帰ってからも二人の関係は続いた。しかしフォンタナが帰って来た。アパートで二人の姿をみたオリビエは、自分たちの愛が終ったのを知った。

結局、フォンタナは、求めるがゆえに不安定にもなる存在だが、オリビエは求めないから不安にならないですむ存在。まあ、それを自覚してしまったオリビエはそこで降りたのでした。彼女は不安にまけて彼の元を去り、しばしねじれの進行があるのだが、オリビエ君のはからいで、元の鞘に戻るでしょう・・・。オリビエ君はひとり寂しさっていくのでした。

by ssm2438 | 2010-10-20 10:14
2010年 10月 20日

コラテラル・ダメージ(2001) ☆☆

f0009381_6593757.jpg監督:アンドリュー・デイヴィス
脚本:デヴィッド・グリフィス/ピーター・グリフィス
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:グレーム・レヴェル

出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー (ゴーディー)
フランチェスカ・ネリ (セリーナ)

       *        *        *

爆弾テロで、妻子を失った消防士が、その首謀者であるテトリストに復讐していく話。

主人公が消防士という設定だが、多分普通の消防士だったらこの話は成り立たないだろう(苦笑)。基本コンセプトとして主人公=アーノルド・シュワルツェネッガーがあり、「・・・じゃあ職業はなににしようか??」ってあとから決まったよう気がする。で、何故か消防士。確かにいつものように元特殊部隊の〇〇というのはもうあきあきしているし、ちょっと変化球をなげてみたくなったのだろう。個人的には「元特殊部隊の〇〇」でいったほうがしっくり来るとおもったのだけど・・。

演出的にはかなり本格派の演出がなされている。監督はアンドリュー・デイヴィス『沈黙の戦艦』とか『逃亡者』『守護神』などをてがけた監督だが、アーノルド・シュワルツェネッガーの作品のようなアバウトさはなく堅実な見せ方をしてる。でも、ストーリー的にはご都合主義的展開がおおい。
最後に裏切るテトリストの女も、どこまで芝居で何処からが本性なのかもよく判らない。シュワちゃんを欺くための芝居をしているはずのところが、どうみても本性的な描き方をしていて、それは観客を欺くためには必要なことなのだろうけど、策士が自分の策を管理しきれなくなっている感はいなめない。どこかに矛盾点を感じのだが・・・まあ、真剣にそれをみつけだすほど熱もいれられる作品でもないので、そこは流してしまう。

<あらすじ>
ロサンゼルス。コロンビアのテロリスト“ウルフ”(クリフ・カーティス)のしかけた爆弾テロで、妻子を失った消防隊長のゴーディー(アーノルド・シュワルツェネッガー)。しかしCIAやFBIは何週間経っても捜査を進めようとしない。自らの手で犯人を捕まえると決意したゴーディは単身コロンビアに乗り込む。ゲリラの本拠地に近い小さな村に潜伏したゴーディは、そこに暮らす若き女性セリーナ(フランチェスカ・ネリー)と、その息子マウロに出会う。しかしセリーナはウルフの妻であった。
ウルフの行動についていけなくなった彼女は、ゴーディーに協力し、息子をつれてゴーディとともにコロンビアから脱出する。セリーナから次のテロの標的がワシントンであるということを知らされる米情報局だが、実は彼女こそがテロリストの侵入分子だった。すんでのところで彼女の正体に気づいたゴーディはセリーナ&ウルフと対決し、彼らを倒した。

by ssm2438 | 2010-10-20 07:01
2010年 10月 20日

クロコダイル・ダンディー(1986) ☆☆☆

f0009381_1505382.jpg監督:ピーター・フェイマン
脚本:ポール・ホーガン/ケン・シャディー
    ジョン・コーネル
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:ピーター・ベスト

出演:
ポール・ホーガン (マイケル・ダンディー)
リンダ・コズラウスキー (スー・チャールトン)

       *        *        *

グッダイ!
・・・オーストラリア訛が当時さりげなくはやったのでした。


オーストラリアでは母音の「a 」=「エイ」が、「a 」=「アイ」になる。なのでウォーター(水)→ウェイター。ネイム(名前)→ナイムjになる。Have a good day! は「グッダイ」になるのである。

お話は、田舎者が都会にでてきてカルチャーショックを受けるという・・・まあ、よくある話ではあるが、本人は受けてないか。どっちかというと、都会人のほうが田舎者まるだしてニューヨークにあらわれたクロコダイル・ダンディをみて、カルチャーショックをうけるというほうが正しいだろう。
そしてラストの地下鉄のホームでも告白シーンが最高にいい。

都会のことをまるでしらないクロコダイル・ダンディのおちゃめぶりが実に楽しい。最初はエスカレーターをこわがってみたりとか・・、ちょっとお子様っぽい反応がじつに可愛い。
そしてリンダ・ゴズラウスキーがきれいだ。この人、この映画のまえはどこに隠れいていたのでしょう? こんなに美人だったらどっかで発掘されててもよさそうなのに、この映画まで名前すら知られてなかった。とはいえ、この映画のあとも、数本でただけで主演のポール・ホーガンと結婚してしまい、キャリア的にはさっと登場、ささって退場、実にもったいない。もうすこし彼女のTバックを見ていたかった。

ポール・ホーガン演じるクロコダイル・ダンディは、オーストラリアの平原でワニと戦い生き延びてきた男である。別にマッチョというわけではないが、オーストラリアの平原ではサバイバル能力にたけている男らしい。
そんな彼に興味を持ちし取材にでかけたのがリンダ・コズラウスキー演じニューヨークのジャーナリスト、スーである。早い話が《異文化接触ドラマ》である。
前半部はニューヨーカーのスーがオーストラリアに行き、後半はクロコダイル・ダンディがニューヨークに来るという構図。

<あらすじ>
ニューヨークの大手新聞社の記者であるスー(リンダ・コズラウスキー)は、オーストラリアの奥地でワニと格闘し、無事帰還したというマイケル・“クロコダイル”・ダンディー(ポール・ホーガン)に興味をもち、オーストラリアに飛ぶ。
スーは彼のアドベンチャー記事を書くためオーストラリアの奥地へと冒険の旅に出た。スーが沼で水浴びをしていると突然、ワニが現われ襲われそうになるが、この時もダンディーが助けてくれた。「ほんとにこの人はクロコダイルの殺し方を知っている人なのだ」と理解するスー。粗野だが、温かみもありユーモアのセンスのあるダンディに少しづつ惹かれるものを感じるスーは、彼のニューッヨークに誘ってみる。

ダンディもスーのことが気に入っていたのだろう。オーストラリアの都会ですらほとんどでたことのない彼がニューヨークにやってきた。しかし、ニューヨークでは、スーの恋人でもある上司のリチャード(マーク・ブルーム)が迎えに来ていた。ちょっと残念なダンディだが、それほどショックではなさそう。
見るものすべてが初めてといった感じのダンディーは物珍しそうにキョロキョロし、持ち前の人なつっこい笑顔で行き交う人々に“グッダイ"と声をかけるが、回りのひとは、怪しいものを見る目つき。お互いあんまり好きそうでないリチャードとダンディは夕食時に衝突。ぐれて夜の街にでるダンディはニューヨークの都会を体験する。スーと街へ出た翌日も、ひったくりの強盗をやっつけたり、、ストリート・ギャングに襲われたりするが、いつものサバイバルナイフで撃退。
新聞社ではパーティーが催され、その席上、リチャードがスーとの婚約を発表。しかしこころがダンディにかたむていているスーはふさぎこむ。出席者に祝福された。ダンディーにもそのことはショックだった。翌日ホテルを出るダンディを追うスー。そしては朝のラッシュで混雑する地下鉄のホームでダンディーを見つける。

混雑するホームのあっちとこっちでお互いを認めるが間には無数の人。そこまでたどり着けそうにもない。地下鉄をまつ人々の伝言ゲームをしつつお互いの気持ちを伝え合う二人。このユーモアのセンスがこの映画のすばらしさだろう。ラブロマンスの映画では良くある告白シーンだが、このシーンはとても気持ちの良いめーイシーンのひとつだと思う。
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by ssm2438 | 2010-10-20 05:31
2010年 10月 19日

クロコダイル・ダンディー2(1988) ☆

f0009381_23113677.jpg監督:ジョン・コーネル
脚本:ポール・ホーガン/ブレット・ホーガン
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:ピーター・ベスト

出演:
ポール・ホーガン (ミック・ダンディー)
リンダ・コズラウスキー (スー)

       *        *        *

麻薬組織が登場した時点でダメでしょう。


ほのぼの感が全部ぶち壊しになってしまってる。この物語は犯罪性のないところで初めて生きるもので、そこにホントノ意味の悪役をいうのを挟み込むとギャグ自体はたのしくなくなる。制作サイドの失敗でしょう。つまんなくはないけど、いいところはほとんどない。かなり期待して観にいった映画だったが落胆も大きかった。。。

<あらすじ>
ニューヨークに来て依頼、失業中のミック・ダンディー(ポール・ホーガン)はスー(リンダ・コズラウスキー)と同棲している。しかしいつまでもぼーーーーーーっとしているわけにもいかず職探しを決意。南米のコロンビアでは、スーの前夫でカメラマンのボブ・ターナー(デニス・ボウトシカリス)が麻薬組織を追いかけていたが、一味に気づかれ殺されてしまう。しかし彼のとったフィルムは郵便物にしてスーのもとに送り届けられた。そのためにスーはも麻薬組織にねられわれるはめにになるが、ダンディの働きで無事救出される。
麻薬組織のリコはスーとダンディーに復讐を誓うが、二人はダンディーの故郷オーストラリアに逃れる。組織は二人の跡を追ってジャングルの中へ。だがそこはダンディーのホームグラウンだった。組織の一味は一人一人と彼に捕らえられていき、遂にボスのリコも倒して一件落着となるのであった。

by ssm2438 | 2010-10-19 23:12
2010年 10月 19日

アドベンチャー・ファミリー(1975) ☆

f0009381_8402659.jpg監督:スチュワート・ラフィル
脚本:スチュワート・ラフィル
撮影:ジェラルド・アンカン
音楽:ジェーン・カウアー/ダグラス・ラッキー

出演:
ロバート・F・ローガン (スキップ・ロビンソン)
スーザン・D・ショウ (パット・ロビンソン)
ホリー・ホルムズ (ジェニー・ロビンソン)
ハム・ラーセン (とビー・ロビンソン)

       *        *        *

自給自足の生活が正しいあり方だとは思わないのだが・・・。

この映画に先立つ1974年から『大草原の小さな家』というテレビシリーズが始まっていた。日本でもNHKで放映され本国でのシリーズは9年にも及んだ。それは西部開拓時代の話で、大草原に一家を構えた家族の物語だった。次女のメリッサ・ギルバートがなかなかチャーミングでよかった(笑)。
それに目をつけた映画会社が「じゃあ、うちでも一発」とばかりにこの映画『アドベンチャー・ファミリー』を作ったのではないかと想像する。

ただ、こちらが現代である。都会の空気で体をこわした娘のためにロッキーの山の中で自給自足の生活をはじめるた一家の話。ただ、こちらの物語はは他人との接触がきわめて弱い社会であることが実に物語を面白くなくしてしまっているような気がする。無線機はある。郵便は水上飛行機が運んでくれる。近所と呼べるのは40キロ離れたブーマー爺さんくらい。そんな中での生活。この映画は3作がつくられるのだけど、最終的にはロッキーに残ろうといことで落ち着く。物語のどこでも「やはり都会にもどるのか、それともここで生きるのか?」という問は常になされているのだが、そこで自給自足の生活をすることがほんとに正しいことなのだろうか?という疑問がつねにある。
だいたい、子供の教育はどうするのだろう? 勉強だけなら教科書を空輸してもらえればいいが、社会性の部分はどうなのだろう? さらに恋愛は? これも人間としては重要な要素だろう。男の子にしてみれば、好きな女の子ができ、その子のハダカをみたいと想像するのは健全なことだが、その家では母と姉しかいない。そんな環境で正しい男の子が育つのだろうか?

さらに、物語を語る上で、恋愛関係のないドラマというのがほんとに面白いのだろうか? この映画シチュエーション的には『不思議な島のフローネ』に似ている。あれも、脳内で恋愛活動がおきないドラマだった。おかげでどうにもときめかなかった。個人的には家族だけの空間で処理する物語というのにまったく面白さを感じないのだが・・・。
ちなみに『大草原の小さな家』では、それでも他の人たちとのコミュニケーションはあった。なんだかんだと近所というものは存在していたのだ。それがあったから物語は成り立っていたのだが、この『アドベンチャー・ファミリー』は・・・どうもいただけなかった。

ただ・・・熊に襲われるところは怖かった。あそこだけは『グリズリー』モードだった(苦笑)。

<あらすじ>
ロッキーの大自然を見下ろしながら飛行機が飛んでいる。やがてその飛行機は着水し、4人の一家とおじさんがひとり現れる。娘の健康を考え、大都会ロスアンゼルスを離れ空気のきれいなロッキーの山奥で自給自足の生活をすることに決めたロビンソン一家だった。山での生活はスキップ(ロバート・ローガン)の夢であり、子供達にも大自然の中ですくすくと成長してほしいと考えていた。一家をのこしてj飛行機は湖面から飛び去っていた。無線機はある。郵便物や子供たちの教科書は飛行機が運んでくれる。はてしなく広がるロッキーの大自然、人里離れた生活が始まった・・。
親熊をなくした小熊を連れて帰ってきたり、ピクニックにいくと人懐っこい熊にあったりもした。しかし近所の(40キロはなれているが一番近い)のブーマー爺さんからは凶暴な人食い熊いるから気をつけろと忠告をうける。それでも山での生活は楽しかった。しかしジェニーが熱にうなされるようになり、医者を呼ぼうにもすると無線機は壊れている。医者を呼ぶためにいかだをつくり河を下っていくスキップ。
一方その晩残された一家は熊に襲われる。しかし森で仲良くなった別の熊が現れサンダ対ガイラ状態。凶暴な熊は追い払われ、朝になるとスキップがなんとか医者をつれてもどってきた・・。
やはり、都会へ戻るべきなのか・・、スキップは考えたが、一家はロッキーに残ることにする。

by ssm2438 | 2010-10-19 08:59
2010年 10月 19日

続アドベンチャー・ファミリー/白銀を越えて(1978) ☆

f0009381_1052519.jpg監督:フランク・ズーニガ
脚本:アーサー・R・ダブス
撮影:ジョン・ホラ
音楽:ダグラス・ラッキー/ジェーン・カウアー

出演:
ロバート・F・ローガン (スキップ)
スーザン・D・ショウ (パット)
ヘザー・ラトレイ (ジェニー)
ハム・ラーセン (トビー)

       *        *        *

今度は冬越えだ!

前回ロッキーに居つくことに決めたロビンソン一家が、ロッキーで初めて冬を越えるエピソード群。

今回はさりげなく娘のジェニー役がヘザー・ラトレイに変わっている。ほかはみんな一緒。しかし違和感はほとんどない。というのも、この続編が作られる前に、『ロッキーを越えて』(1977)という映画がな時スタッフでつくられており、このときの主演の女の子はヘザー・ラトレイだった。その流れでこの映画のときみ、ジェニー役はヘザー・ラトレイになってしまったのだろう。

ちなみに『ロッキーを越えて』は、あたからさまに『大草原の小さな家』と同じ西武開拓時代にしてあり、雪山を越えるサバイバルものとして描かれている。そんなわけで、私の認識のなかでは『大草原の小さな家』=アドベンチャー・ファミリー』=『ロッキーを越えて』になっている(苦笑)。

<あらすじ>
ロッキーに越してきて半年がすぎたロビンソン一家。ジェニー(ヘザー・ラトレイ)も元気になった。そんな彼らの前にロッキーの冬が迫っていた。は野生生活の大先輩のブーマーじいさん(ジョージ・バック・フラワー)はロッキーの冬の厳しさを語ってきかせる。彼は、狼など食物を求めてさまようけものたちの危険性を強調したが、それが現実になった。鶏小屋が襲われる。やがてロッキーは雪に覆われる。そして冬の間の食料として貯蔵していた肉が夜のうちに狼に奪い去られ、スキップが食料を求めて猟に出なければならなくなる。
今度の話は狼相手の話。数々の災難が続いたが、一家の友人であり担当医師のマイクやブーマーなどの協力で、無事にきりぬけり春を迎える。

by ssm2438 | 2010-10-19 06:25
2010年 10月 18日

サマーリーグ(2001) ☆☆

f0009381_7375193.jpg監督:マイケル・トーリン
脚本:ケヴィン・フォールズ/ジョン・ゲイティンズ
撮影:ティム・サーステッド
音楽:ジョージ・フェントン

出演:
フレディ・プリンゼ・Jr (ライアン・ダン)
ジェシカ・ビール (テンリー・パリッシュ)
ブライアン・デネヒー (チーム監督)

       *        *        *

一番大事なときに、自分のピッチングが出来るなんて幸せな奴だ。

この映画は、サマーリーグに参加している主人公を軸に、その恋愛とリーグでの活躍を描いた映画である。

大学サマーリーグというのは、米国の大学野球シーズン終了後の5月から8月にかけてカリフォルニア・ケープ・コッドで行われる非公式なリーグ戦で、プロをめざす大学生達が全国からあつまる。彼等はそれぞれのチームに振り別けられ、3ヶ月にわたってリーグを戦ることになる。スカウト人も才のある選手の発掘にかならず足を運ぶリーグである。

登場人物の設定はかなりベタで、けして裕福とはいえない庭師の父をもつ主人公、そしてその父が仕事をしている家の娘が主人公の恋人という、階級の違いをもろに出している。いまどきこの手の設定だと気恥ずかしくなりそうだが、それほど気合をいれた映画でもないのでそこは判り易くていいのだろう。

そして主人公の恋人役になるのがジェシカ・ビール。いいですねえ~~~。この人は『ステルス』で始めてみたのだけど、あのぱっつんぱっつうなパンツルックはとても刺激的。スカートをはかないほうがいい。上はほとんどいつもへそだしルック。顔がめっちゃ美人というわけではないのだけど、ムチムチ系の雰囲気は抜群にいい。彼女が出ているだけで映画をみたくなる、そんな最近では珍しく人目を引く女優さんである。この映画は彼女がデビューしてまもないころの映画で、そういう意味ではかなり貴重。しかしみてみると、その後の彼女のムチムチ・フェロモンがここでも存分に発散されています。

映画が描こうとしているのは自然体での姿勢。求めすぎず、力みすぎず、自分のあるままを出せば良いというメッセージ。主人公は、良い球をもっているのだが、それを見せ付けてやりたいと思い、ピンチになるといつもストレートを投げて打たれるという、劣等感からくる破滅型のピッチャー。そんな自然メンタリティーがかなり一般人レベルで描かれている。その点は好感がもてる。

<あらすじ>
ライアン・ダン(フレディ・プリンゼ・Jr)はプロをめざすサウスポーのピッチャー。今年も地元からサマーリーグのチームに参加する唯一の選手である。そんな彼に恋しているのがテンリー・パリッッシュ(ジェシカ・ビール)。ライアンの父は庭師であり、テンリーのうちの庭を世話している。ライアンも何度か彼女の家にいって父を手伝ったことがあり、そのときテンリーを見てひそかに憧れていた。しかし身分の違いの意識からか自分からはなかなかアプローチできない。むしろアプローチしてくるのはテンリーのほうからである。
一方、ライアンのリーグでの成績はぱっとしない。良い時は良いのだが、あるとき突然に崩れてしまう。本人にはカーブもスライダーもあるのだが、ピンチになれば力んでストレート勝負にいって打たれるというパターンである。そして控え投手にまわされてしまう。
しかし、リーグ終了を前にエースピッチャーとショートの選手が不祥事を起こしてしまい、最終戦の先発がライアンのところに回ってくる。後がないライアンは、監督(ブライアン・デネヒー)やマイク(ジェイソン・ジェドリック)の言葉を胸に、力まずいつもの80%の力で投げることを心がける。するとどうだろう。カーブもスライダーもいい。ストレートもいつもは146キロくらいしか出ないのだが、その日は知りあがりに早くなり9回には154キロまででている。気づけばヒットは一本も打たれていない。あと二人抑えればノーヒットノーランというときに・・・。

by ssm2438 | 2010-10-18 07:40
2010年 10月 17日

勇気あるもの(1994) ☆☆☆

f0009381_173247.jpg監督:ペニー・マーシャル
脚本:ジム・バーンスタイン
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ハンス・ジマー
歌:マーヴィン・ウォーレン

出演:
ダニー・デヴィート (ビル・レイゴー)
グレゴリー・ハインズ (キャス軍曹)
クリフ・ロバートソン (ジェームズ大佐)
ジェームズ・レマー (マードック大尉)
ステイシー・ダッシュ (ミランダ・マイヤーズ)
マーク・ウォールバーグ (トミー・リーヘイウッド)

       *        *        *

彼等のラップ・ハムレットはいかす!!

女性監督のなかではダントツに好きなペニー・マーシャル『プリティ・リーグ』ではぼろぼろ泣かせてもらった。『ビッグ』では楽しく笑わせてもらった。彼女のガッツでハートフルな語り口は実に素敵だ。

内容的には軍隊を舞台に『いつも心に太陽を』『長い灰色の線』をやってるような感じ。軍隊のなかでも学業的にオチこぼれをあつめた補修プログラムの担当講師になったダニー・デヴィートがシェークスピアを引き合いに出しながら、生きることとは自分で決断してきめていくことを教えていく。軍隊とシェークスピア、シェークスピアとラップという、ありえないパズルががちがちと組み合わさって出来ていく映画はなかなか楽しい。

軍隊のオチこぼればかりをあつめた「ダブルD」と呼ばれるクラスだが、みてみるとそれほどすさんではいない。『いつも心に太陽を』レベルなのだ。これが『ワイルドチェンジ』までいってたらかなりしんどかっただろが、ハートフルが機能する範囲でキャラクター設定が行われている。甘いともいえるが、暗くなりすぎないためには必要だったのかもしれない。
f0009381_17362337.jpgそのなかの紅一点、ステイシー・ダッシュ(→)がとてもチャーミング。黒人女性で彼女くらいチャーミングにみられる女性はそういない。しかし、この娘がこのクラスに来る必要があったのか??ということに多少疑問は残るが、「全部男ばっかりだったらつまらないから」という理由でなぎはらわれそう。
と兵士に中にマーク・ウォールバーグがいた。後に『シューター』で狙撃兵をやる彼はここでも狙撃上手を演じていた。

このタイトルはいただけない。原題どおり『ルネッサンス・マン』(ルネサンス的教養人という意味らしい)で良かったようなきがする。でも「ルネサンス的」とはどういうことなのだろう?
そもそも「ルネサンス」とは、イタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動を指す。しかし、単に「古いものを復興しよう」という考えとはちょっと違う。この言葉の場合は古いもののほうが新しいのである。ギリシャ時代に発達した、自然科学や真理の追究、人間の本来のあり方などの考えかたはキリスト教の出現により、中世と呼ばれる季節の中では捻じ曲げられてきた。キリスト教がファンタジーで世界を解釈しようとした真実逃避の概念から、今一度真実に戻そうという概念が「ルネサンス」の本来の意味になる。
この映画の主人公、ダブルDのクラスにはいっている兵士たちに、今一度学問を自らの意思で行い、自分達を「落ちこぼれ」と自分で決め付けていることから脱却させていく。そのネタとして古典文学シェークスピアの『ハムレット』を題材にし、物語の中の問いかけは、自らに課された問いかけであることを気づかせていく。

雨の中の軍事訓練中に、ダニー・デヴィートのクラスがほんとに機能しているのかどうか確かめるために、そのクラの一人に『ハムレット』の一説を暗唱させる。一人目はダメだった。しかしもう一人にやらせてみると、すらすら言葉が出てくる。雨とドロにまみれた軍事訓練の中、彼の言葉からシェークスピアの国を守る兵士達の熱き言葉が語られる、そこにハンス・ジマーの音楽が重なると、怒涛の感動がおしよせてくる。
これで感動させるのか・・、ペニー・マーシャル!! 巧いぞ!って思ってしまった。

f0009381_17322392.jpg<あらすじ>
会社を解雇されたエリート広告マンのビル・レイゴー(ダニー・デヴィート)は、職業安定所で陸軍の落ちこぼれ兵士たちに教える国語の教師の職を紹介される。そのクラスは「ダブルD」と呼ばれる落ちこぼれ兵士たちを集めた特別補修クラスだった。軍には入ったものの勉学に乏しい彼らは常に劣等感を感じそれを、ジョークで逃げてきた。そんな生徒達にビルはシェークスピアの『ハムレット』を教えはじめる。
しだいに『ハムレット』の内容を兵士たちは理解しはじめる。さらにクラスに一人に、圧倒的に頭のいい兵士が紛れ込んでいることに気づく。彼をもっと高度なところで学ばせてやりたいと思ったビルは、管理役の管理役のマードック大尉(ジェームズ・レマー)に彼の存在をしらせる。しかし数日がかれは逮捕されてしまう。彼は麻薬に密売に絡んでおり、捜査から逃げるために軍隊に逃げ込んでいたのだ。彼も含めて、みんながいい雰囲気で勉強に興味を持ち始めた矢先の事件にビルも落胆する。しかし、その兵士も獄中のなかで猛勉強にうちこんでいるという知らせがとどく。クラスのみんなでほんとのショーエクスピアの劇をみにいくイベントや、そして雨天の軍事練習の中の『ハムレット』の暗唱、そして最終テスト。
『ハムレット』から多くを学んだ兵士たちは、その学び舎を卒業し兵士として巣立っていく日がおとづれる。最後のパレードの時、ビルの前を行進すダブルDのクラスの兵士達が、彼に敬礼をして歩き去るのだった。

by ssm2438 | 2010-10-17 17:40 | ペニー・マーシャル(1943)