西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 17日

ボディヒート/秘められた欲望(2008) ☆☆

f0009381_117885.jpg監督:ジェイソン・レノ
脚本:リズ・マーヴェリック/ピーター・サリヴァン
撮影:カマル・ダーカウイ
音楽:カイル・ケネス・バッター/グレゴリー・トリッピ

出演:
ミリアム・マクドナルド (デイジー)
ショーナ・ウォルドロン (アザリア)

       *        *        *

TVMにしてはヌードはそこそこ提供してくれている・・。

ティーンエイジャーを主人公にしたエロティック・サスペンス(といってもそれほどエロいわけでもないのだけど)。本作では舞台をニューイングランド大学に移して、そこに入学してきた新入生のミリアム・マクドナルドが、この《アイヴィー》に入れられてしまうが、そこから自分を取り戻すまでの話。

もともの1992年に、ドリュー・バリモアを主人公に据えて始まった『ボディー・ヒート』(原題『ポイズン・アイビー』)。このアイヴィー・シリーズは、《アイヴィー》という女性だけの秘密結社をからませて物語をつくっている。女性だけのフリーメイソン小規模版といったところか。

f0009381_117266.jpgTVMながら、ヌードはけっこう提供してくれている。3回ある濡れ場のうち、主人公のミリアム・マクドナルド(←)が1回、ショーナ・ウォルドロンが2回絡んでいる。ただ、“H”の撮り方がほとんど一緒なので、もうすこしバリエーションをもたしてほしいなあとは思った(苦笑)。
しかし脳内を刺激されるのは、その“H”シーンではなく、ミリアム・マクドナルドが《アイヴィー》のメンバーになるところ。誓いの言葉を言わされ、本人もなんとなくその気になり、言われるままにガウンを脱ぎ、背中のヒップのところにアイヴィー(つた)の刺青をいられるところ。
エロとは、裸でもセックスでもない。「サレンダー」こそのエロなのだと再認識した。

<あらすじ>
慣れ親しんだ田舎を離れ、ニューイングランド大学の政治学部に入学してきたデイジー(ミリアム・マクドナルド)。初めて寮に入る日、ボストンバッグをとっ散らかしてしまい、それを助けてくれたブレイク(ライアン・ケネディ)と知り合いになる。彼の父はその大学の政治学の教授、母は新任の学部長だった。
デイジーの講義はブレイクの父親が講義をつとめ、研修プログラムの話が出る。成績優秀者にはワシントンDCで政治家やその関係施設で研修生として働けるというものだ。デイジーもその候補の一人だったが、その大学の《アイヴィー》のリーダー・アザリア(ショーナ・ウォルドロン)は気にくわない。ブレイクが彼女に惹かれているのも気にくわない。アザリアは、デイジーの授業料が振り込まれないように細工をし、彼女を不安に落としいれながら《アイヴィー》のメンバーに引き入れていく。

by ssm2438 | 2010-10-17 11:10
2010年 10月 17日

ラヴソング(1996) ☆☆☆☆☆

f0009381_3185174.jpg監督:ピーター・チャン
製作:ピーター・チャン
脚本:アイヴィ・ホー
撮影:ジングル・マ
音楽:チュー・ツァンヘイ

出演:レオン・ライ
    マギー・チャン
    エリック・ツァン

     ×     ×     ×

表記は『ラブソング』ではなく『ラヴソング』。要注意。

“アジアでロマンティック・ラブストーリーなんか出来るのか??”っていう潜在的意識はもうほとんど薄れて来ましたね。 香港、韓国、十分この分野でも、欧米ものなみに夢のある恋愛映画がふえてきた今日、日本の恋愛映画はどうなんだ???ってちょっと心配してしまいます。 ま、それはさておき、こんかいの『ラヴソング』、当時の香港アカデミー賞で、グランプリなど全9部門に輝いた名作。

いや~~~~~~、いいです。もえます。はまります。
のちにこの撮影監督のジングル・マが監督した『星願・あなたにもういちど』もよかったけど、しっとりと沁み込む ロマンチック度は『ラヴソング』のほうが上ですね。 アジアの恋愛映画ナンバーワンだと思う。

なんでこんなに見易いのかというと、 たぶん、情報の整理が行き届いてるんだろうなあっておもった。
このシーンのなかで、この人は何をあるいは、誰を求め、その障害になるものはなになのか、それが明確にかかれてる。 その障害を越えて惹かれあう男と女、その障害に裂かれてしまう男と女。その描き方がシンプルかつ的確。 期待のさせかた、裏切り方が非常に上手い。

ドラマ作りの見本、見せ方の見本のような作品です。

by ssm2438 | 2010-10-17 10:21
2010年 10月 16日

オリーブの林をぬけて(1994) ☆☆☆

f0009381_22594532.jpg監督:アッバス・キアロスタミ
製作:アッバス・キアロスタミ
脚本:アッバス・キアロスタミ
撮影:ホセイン・ジャファリアン/ファルハッド・サバ

出演:
ホセイン・レザイ (ホンセン)
タヘレ・ラダニアン (タヘラ)

       *        *        *

大学の自主映画レベルなのだが・・・その純朴さが味でもある。

イランで一番有名な監督はといえばやっぱりこのアッバス・キアロスタミだろう。個人的には『風が吹くまま』がキアロスタミのベストなのだが、その次はやっぱりこの映画かな。ほかの映画は・・・・正直な話かなり退屈だ。『櫻桃の味』はどは世間では評判いいかもしれないが、私としてはどうも狙いすぎてる気がしてイヤだ。この映画も純朴さを狙いすぎてるきがしないでもないが、それをいったら黒澤映画なんかどれも狙いすぎててみられなくなってしまう(苦笑)。

この映画は、映画作りの最中にひとりの青年が相手役の娘に愛を告白しようと試みるひたむきなラブ・ストーリー。そのひたむきさはホー・シャオシェン『恋恋風塵』にもにた雰囲気がある。いや、ほとんどキアロスタミ版『恋恋風塵』といってもいいだろう。
ただ、残念なのが撮影状況のアバウトさであり、素人性全面に出ている。この映画は、映画撮影をしているスタッフのなかのラブロマンスだともいえる。考えてみると『映画に愛をこめて-アメリカの夜』とも同じ性質のもかもしれない。ただ、個々で撮影されているのは、役者を使った撮影ではなく、その地方にいき、その地方の人達をつかって撮影するというかなりいきあたりばったりの撮影であり、監督のビジョンを具現化したものであhなく、一応それに基づいて撮るけれども成り行きにまかせようというもの。
もっと整理すれば見やすくて良い作品になるのにって思えるのだが、その素人さが味だと思われる部分はなんかイヤで、全面的に肯定できない部分があるのも事実だ。

・・・しかし、うむむむむ・・・ラストのあのロングショットはじわああああああああああんである。個人的にはそれほど評価してないキアロスタミだが、あのカットには悔しいかな、やられた感がある。少なくとも『第三の男』のラストシーンの30倍は燃える!!

・・・しかし、この映画はなんなのだろう?
ずっとその女のことが好きだった男が、一度はプロポーズして拒否られる。そのご再び映画の撮影現場で一緒に仕事をするようになる、それを機会にまた男は真意を問う。。女が男を好きか否かということはここではまったく表現されていない。たぶん好きでも嫌いでもないのだろう。でも結婚したい相手だとはおもってなかったのでプロポーズは断ったに違いない。しかしどうも断ったのは両親らしく、本人の真意はわからない。
これを観ていると文明の育ってないところでは女の<好き力>は乏しいのだろう。それは日本の過去の文化をみてもそのような感じだ。90年代にまだそんな価値観のところが世界にはあるのだなあと改めて認識した。
もしかしたら・・いや、本質的にはそのほうが正しいのだろうって思う。女に<好き力>はないのである。彼らにあるのは自分にとって都合がいい存在か否かを見定める能力なのだろう。

<あらすじ>
ホセイン(ホセイン・レザイ)は映画撮影スタッフのなかの雑用係だった。監督は、映画の女優をある村の女達から選ぶことになった。その結果、村の娘のタヘレ(タヘレ・ラダニアン)がえらばれる。助監督のシヴァ(ザリフェ・シヴァ)は彼女を迎えに彼女の家に行く。彼女はおめかしして出てくる。彼女にとっては晴れ舞台なのだ。しかし撮影に必要なのは普通の田舎の子であり、その服にNGをだすシヴァ。そんな素人っぽいトラブルがあたりまえのように起きる。
撮影現場では、新婚の夫役をやるはずの男が、タヘラ相手だと緊張して話せない。仕方なく代わりにホセイン(ホセイン・レザイ)がその役を演じることになる。しかし今度は相手役のタヘラの様子がおかしい。実はホセインは、以前にタヘラにプロポーズしたが、彼女の両親から拒否られていたのだ。なんとかタヘラをなだめすかしてカメラの前にたたせるシヴァ。撮影中もタヘレに、その本心をききたがるホンセン。撮影が終わればもう彼女に会えない。最後の日、彼は返事をもらうため、オリーブの林をぬけ、ひた走るりオリーブの林を抜けていく。

純粋なのか強引なのか、強引を許すほどイランの女には<好き力>がないのか・・、良いのか悪いのか・・・日本人の私にしてみればよく判らない感覚の映画である。

by ssm2438 | 2010-10-16 23:20
2010年 10月 16日

ドリーマーズ(2003) ☆☆

f0009381_8392165.jpg監督:ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:ギルバート・アデア
撮影:ファビオ・チャンチェッティ

出演:
マイケル・ピット (マシュー)
エヴァ・グリーン (イザベル)
ルイ・ガレル (テオ)

       *        *        *

残ったのはエヴァ・グリーンの裸だけ・・・。

1968年代にフランスでおきたラングロワ事件とその1月後に起きる5月革命を背景に、アパートの一室に引きこもり自分達だけの世界をむさぼるエヴァ・グリーンとふたりの男の話。

ラングロワ事件というのは、シネマテーク・フランセーズの管理者であった。アンリ・ラングロワが更迭された事件。
当時のシネマテーク・フランセーズでは、アンリ・ラングロワ指揮の下、映画作品の保存、修復、そして、カメラ、ポスター、出版物、衣装、装飾、セットなど、映画に関するあらゆる物品の収集されていた。ラングロワは、保存や修復と同じくらい、フィルムの上映にも力を入れた。若き日のフランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールクロード・シャブロルアラン・レネエリック・ロメールといった、ラングロワのシネマテークで映画を浴びるように観た若者たちが、やがて映画監督の道を歩むこなる。
一方でラングロワは政府からは白い目で見られていた。シネマテークは政府が財政援助をしていのだが、ラングロワは組織を管理するという意識が希薄くだった。そのため文化大臣はラングロワの更迭。これに対してすさまじい批判活動が始まった。チャールズ・チャップリンエリッヒ・フォン・シュトロハイムジョン・フォードオーソン・ウェルズ黒澤明といった海外の映画人からも、ラングロワ復帰を求める署名がよせられた。パリでは、フランソワ・トリュフォー、アラン・レネ、ジャン=リュック・ゴダールたちがラングロワの復職を叫んでデモに参加した。
そしてこのデモの最中にこの映画の主人公達3人が出会うのである。

5月革命というのは、1968年5月にパリで起きた民衆の反体制運動であり、それにともない政府も政策転換をいつくかすることになったというもの。
事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまる。これが引き金となり全世界で学生運動が盛んになっていく。そしてこの68年に入り、フランス全体の労働者も学生たちの運動に賛同する。そして5月21日、ベトナム戦争やプラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って事態の解決をみた。これにより、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。
日本でも1968年夏に東大安田講堂事件(学生による東大安田講堂の占拠事件)などがおきる。それに先立つ同年4月、アメリカでは、遊園地を軍事関連施設に建て直す事に端を発し、コロンビア大学の学生抗議者による学部長事務所の占拠が起きている。このときの様子が描かれていたのがバンバンのフォークソングとして有名なあの映画『いちご白書』である。キム・ダービーのベージュ色したミニスカートが印象的だった。

しかし、この映画はそのような抗議活動にあつい情熱を燃やす人達の映画ではない。
『いちご白書』は、コロンビア大学の学部長事務所の占拠に参加した主人公たちの目をとおして、政治に一太刀あびせたい学生の青臭いが情熱的な想いが描かれていたが、このベルナルド・ベルトルッチ『ドリーマーズ』は学生運動が盛んになるなか、部屋にこもってちちくりあっている生産性のない3人映画オタクたち、理想の世界を夢見て現実と戦うドリーマーズではなく、現実逃避でひたすら内にこもって夢想家のことである(苦笑)。
エヴァ・グリーンの首から下(メークのせいで顔もキモい)以外は、なにもかも幼稚で醜悪だった。

<あらすじ>
1968年、4月。シネマテークのラングロワ更迭に講義するデモに参加していたアメリカ人留学生マシュー(マイケル・ピット)は、イザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)という魅惑的な姉弟と出会う。マシューは、姉弟のアパルトマンに泊めてもらうことになる。彼らは議論や映画クイズに明け暮れる快楽的な日々を過ごすが、それは性のゲームへと展開していく。クイズの罰ゲームの名のもとに、テオの目の前で、マシューとイザベルはセックスする。イザベルが処女だったことに驚くマシュー。3人は部屋にこもりっきりの怠惰な生活を送り、やがて金も尽きていく。退廃した3人の世界。イザベルは、テントの中にガス管を引き入れて心中しようとするが、パリの街で起こっていたデモの投石が窓ガラスを破る。外に出る3人。姉弟はそのままデモに参加していくが、もうやってられない・・とマシューは追いかけないのだった。

マシューというアメリカ人青年が体験する、大人になって体験する幼児体験・・というコンセプトの映画でした。

by ssm2438 | 2010-10-16 09:03
2010年 10月 15日

ビフォア・サンライズ/恋人までの距離(ディスタンス) (1995) ☆☆☆

f0009381_922863.jpg監督:リチャード・リンクレイター
脚本:リチャード・リンクレイター/キム・クリザン
撮影:リー・ダニエル
音楽:フレッド・フリス

出演:
イーサン・ホーク (ジェシー)
ジュリー・デルピー (セリーヌ)

       *        *        *

カメラの<近さ>が実に残念・・・、もっと離れてとったらいいムードの映画になっていたのに・・。

ヨーロッパを旅行中のアメリカ人青年が列車のあかでフランス人の女子大生にである。その後ウィーンでしばしの時間をすごすその夜明けまでのささやかなイベントをつづったロードムービー。特に映画的なイベントを配しているわけでもなく、普通の男と女が出会い、たわいもない話から少しづつ心の接近を感じていく話。映画としてはきわめて良心的で好感の持てる映画である。

ただ、もったいないのが、このカメラの位置。被写体に近づきすぎるのだ。せっかく普通を描こうとしてるので、そのカメラの位置だと、そこにカメラがあることを見ている人は感じ取ってしまう。カメラの存在を感じさせるということは、すでに普通ではない。それはまさに映画を撮影している・・という意味になる。おかげで自然な感情移入が妨げられる。頭のどこかで、“ああ、これは撮られた映像なんだ”という観念がつねについてまわる。ドラマフィールドにカメラをいれてしまった映画の最大の欠点を露呈してしまった。

それはカメラの使い方と意味が分かってない監督リチャード・リンクレイターのいたらないさではあったが、本人は言葉を書くことを楽しんでいる人であり、カメラの持つ意味などを深く追求したことはなかったのだろう。それ以外はとても素敵な作品であるし、リンクスターの書く言葉はとても素直で魅了的だ。1995年ベルリン映画祭銀熊賞を受賞している。

<あらすじ>
ヨーロッパを旅するアメリカ人青年ジェシー(イーサン・ホーク)はウィーンに向かう列車で隣あわせに座ったセリーヌ(ジュリー・デルピー)となんとなく言葉をかわす。セリーヌはパリに帰る途中だったが、ジェシーは明朝にアメリカ行きの飛行機に乗るまで一晩をウィーンで過ごす予定だった。ホテルに泊まる金もないので一晩ぶらぶらするつもりだったジェシーは、彼女とその空白の時間をすごしたいとおもった。彼女は付き合ってくれた。

ウィーンの街を歩きながら話す。バスに乗って話す。見えるもの、観光名所などをネタにして自分を話す。食事をしながら話す。アルコールを飲みながら話す。そんな普通のやり取りをカメラは記録していく。

やがてジェシーはスペイン留学中の恋人にふられて傷心旅行中であることを話す。セリーヌも半年前に年上の恋人に深く傷つけられたことを話す。明日になればジェシーはアメリカに帰ることになる。カフェからくすねてきたグラスをにワインをつぎ、公園の芝生の上で最初で最後の夜をすごす。行きずりの恋か、一生の思い出か・・・・。パリ行きの列車をまつセリーヌに、いまからちょうど半年後、12月にこの同じホームで会おうと約束しいうジェシー。そして二人はそれぞれの場所へ帰っていくのだった。

by ssm2438 | 2010-10-15 11:34
2010年 10月 15日

ビフォア・サンセット(2004) ☆☆☆

f0009381_11331933.jpg監督:リチャード・リンクレイター
脚本:リチャード・リンクレイター
    ジュリー・デルピー
    イーサン・ホーク
撮影:リー・ダニエル
編集:サンドラ・エイデアー

出演:
イーサン・ホーク (ジェシー)
ジュリー・デルピー (セリーヌ)

       *        *        *

やっぱり男はそこに行き、女は来てなかった・・。

『ビフォア・サンライズ』の続編である。
つかの間の出会いと別れ。「半年後、この場所で会おう」といって別れた二人のその後の話。

ジェシー(イーサン・ホーク)は作家になり、自分の新刊本のプロモーションでパリのある書店にきていた。その本は、9年前の自分とセリーヌとの出会いをもとにして書かれた小説だった。イベント会場で「その半年後、二人は会われたのですか?」との質問を受けるが、その会場に来ていた人以外にも、映画を見ている人もけむにまく(苦笑)。そして会場の片隅にセリーヌ(ジュリー・デルピー)の姿をみつける。

結論からいと、その二人はあの駅では会っていなかった。
ジェシーはその半年後、言葉どおりその駅に行ったが、セリーヌは来てなかった。
実は、セリーヌも行こうとした。しかしそれを許さない状況にあったのだ。

二人の会話は、すこしぎこちなかった。
彼女があの日来なかったということは、ジェシーにしてみれば、「自分は彼女の人生から締め出された」ことを意味する。一方セリーヌは、自分はその時間に行かなかったという罪悪感がある。また、彼が来たのか来なかったのかもわからない。セリーヌの「あなたはあの駅にいったの?」の問に、ジェシーは「もちろん行くわけないだろう・・・、だって・・・」と答える。そんなさりげない嘘から会話が流れ始める(上手い!)。

今回も移動しては会話、移動しては会話のパターンは変わらない。パリの街路を歩き、観光船に乗り、タクシーで空港へ向かう道すがら、彼女のアパートによってしまう。ちょっと心はどきどき・・。大人になった二人の状況説明を交えつつ、過去にささった切ない棘の心の後処理をしてしまいたい二人会話が展開される。
ただ、今回は時間がほとんどない。前回昼間に出会って翌日の朝までだったのだけど、今回は午後に出会って、その日の夕方の飛行機までというほんとに短い時間。ほとんどリアルタイムで物語が進行する。


前回の『ビフォア・サンライズ』はロバート・ワイズ『ふたり』という映画を思い出した。これは、ベトナム戦争のころ、脱走し世界を点々としていたピーター・フォンダが、自分の人生を取り戻すために自首してアメリカに帰還するまで話。その帰還の旅の途中でバツイチでニューヨークに子供のあるリンゼイ・ワグナーと出会い、心のふれあいをもつという映画。
そしてこの『ビフォア・サンセット』は、ヴィットリオ・デ・シーカ『終着駅』というい映画を思い出した。この映画もリアルタイム進行でやっていた。これはイタリアにいる英語教師のモンゴメリー・クリフトと、イタリアを訪れていた家庭のあるジェニファー・ジョーンズの、その駅で別れるまでの切ないささやかなイベントの積み重ねだった。

by ssm2438 | 2010-10-15 08:16
2010年 10月 14日

ブリジット・ジョーンズの日記(2001) ☆☆☆

f0009381_223911.jpg監督:シャロン・マグアイア
脚本:ヘレン・フィールディング
    アンドリュー・デイヴィス
    リチャード・カーティス
撮影:スチュアート・ドライバーグ
音楽:パトリック・ドイル

出演:
レニー・ゼルウィガー (ブリジット・ジョーンズ)
コリン・ファース (マーク・ダーシー)
ヒュー・グラント (ダニエル・クリーヴァー)

       *        *        *

羞恥心、あるのだがやってしまえるブリジット・・えらい!

この映画の最大の魅力はここだろう(↑)。これがこの物語の主人公が見ている人をひきつけたツボだろう。
花嫁衣裳で街を疾走する映像はもう見飽きたってことですか・・これからは、下着姿で雪の中疾走。これならどんなにトレンディドラマがネタ不足になっても誰もやらないだろうな。しかし、この映画のレニー・ゼルウィガーがやたら頑張っていた。「よく頑張ったで賞」は上げたいかな。

あれだけのデブになるだけでもけっこう食べないといけないと思うのだけど・・。
彼女をはじめてみたのはトム・クルーズと共演した『エージェント』の時だったのだけど、あの時はあんなにデブだったって印象がなかったような。これ観た時は、これがあのときのレニー・ゼルウィガーと同一人物って判らなかった(苦笑)。まあ、そのころまでほとんどこの役者さんには興味をもってなかったわけですが・・、しかしこれで覚えました。

ただ、世間で大騒ぎした割には、個人的にはあまり響かなかった。私自身が目的をもって成し遂げていく行き方がすきなのだ。そういう意味では前半はそういうガンバリズムのなかで人生やっていこうと決めたブリジット・ジョーンズだったのだが・・、結局「初心貫徹」よりも、「居心地のいいところでおちつけば・・」ってことでまとまってしまったような気がする。どうもそのあたりが、肩透かしをくらった感があるのだけど・・どうでしょう?
これには物語構成的に問題があると思ったのが、最終的にひっつくコリン・ファースの印象付けが弱すぎたこと。初め出たときはどうみても脇役だと思ってしまった。ひっかかりもしなかった。
やっぱり最後に引っ付く人とはなんらかの形でストーリーの初めからそれなりの印象を与えておいてほしいものだ。それがないと物語自体の目的意識が弱くなる。このブリジットみたいに、途中から意識したコリン・ファースと引っ付いてしまうと、観ている人にしてみれば、込めたる想いよりも、行き当たりばったり性で集約されてしまったな・・という印象をうけるのは仕方ないんじゃないだろうか。
多分男はこういう展開嫌いだと思う。女性の人は・・・どうなんでしょう。受け入れらるんだろうか???

ヒュー・グラント・・・えらく老けたね。びっくりしたよ。私のなかでは『ノッティングヒルの恋人』のころのヒュー・グラントでとまっていたので、これ観た時はほんとにびっくりした。おまけに、ラブコメの女王といえばメグ・ライアンだけど、男のほうのヒュー・グラントって印象があった。今回は相手役ではなく主人公が間違ってつきあっちゃった男のほう。つまり振られるほう。この配役もよかったんだろうかどうだろうか・・? 
やっぱり私からすると、ヒュー・グラントが出演してると親近感もててしまうので「きっとこいつとひっつくのだろうな」って潜在的に思い込まされているので、そうならないストーリーにはちょっと違和感すら感じてしまった。頭の中で「こうなるはずだ・・こうなるはずだ」って念じながら観てるので、すかしっぺくらうとそれまで思い込みで観ていた時間を無駄に過ごしたようで、虚無感におそわれう。もしかしたら、そう思わずにみていたらもっと楽しめたんじゃないのかな・・て。

<あらすじ>
ロンドンの出版社に勤める32歳のちょっとデブなブリジット・ジョーンズ(レニー・ゼルウィガー)は、新しい恋愛のためにダイエットに励むことにする。彼女の気になる男は上司ダニエル(ヒュー・グラント)。ほとんど相手にされなさそうなダニエルだが、どういうわけか急接近が実現してしまう。しかし、誠実そうに見える外観とはうらはらに彼はとんだ浮気男。結局二股かけられていたことが判ったブリジットは会社を辞めてしまう。
傷心のブリジットは会社をやめ、リポーターに転職。友人夫妻の夕食会で、ブリジットは以前紹介された弁護士マーク(コリン・ファース)に再会。彼はブリジットに好意を示した。
ブリジットの33歳の誕生日の夜、マークといいムードになるが、そこへダニエルが再登場。おお、ここでヒューグラントとやっぱり引っ付くのかっ!!て思ったらさにあらず。雪の降るなか街中を下着姿で疾走するブリジットのシーンなどはさみ、マークとひっつくのであった。


ブリジットに紹介されたマークだが、私としてはまったく意識がいかず、無関心だった。まさかあの無関心のだった男とひっつくとは・・・????
最後の最後までこんな展開になるとは思わなかった。映画を愉しんでもらうためには、作り手は見てる人にあるていど結末を予測してもらい、それをガイドにストーリーを展開させる必要があるのだなと再認識した。まったく予期してない結末は、感働を呼ばない。感動というのは、期待して叶ってはじめて感動するものだ。

by ssm2438 | 2010-10-14 22:39
2010年 10月 14日

スター・トレック(1979) ☆☆☆

f0009381_23505723.jpg監督:ロバート・ワイズ
脚本:ハロルド・リヴィングストン
撮影:リチャード・H・クライン
特撮:ダグラス・トランブル/ジョン・ダイクストラ
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:
ウィリアム・シャトナー (ジェームズ・T・カーク船長)
レナード・ニモイ (ミスター・スポック)
デフォレスト・ケリー (ドクター・マッコイ)
パーシス・カンバッタ (アイリーア大尉)

       *        *        *

エンタープライズに登場するまでがないぞ!
さすがロバート・ワイズ!
でも一般庶民には退屈だと思うぞ・・。


『アンドロメダ・・・』では、研究所にはいるまで延々とその段取りつづけたロバート・ワイズ。今回もやってくれました。エンタープライズの乗り込むまでの段取りが長い。一般ピープルがみたら絶対退屈して途中で早送りにすると思うのだけど、そこはそれ、その段取りがとっても重要なロバート・ワイズ。特撮は『2001年宇宙の旅』ダグラス・トランブル。この人は宇宙空間の移動をじわああああああああああああああああっと描く。もう一人有名な特撮監督といえば『スターウォーズ』リチャード・エドランドだが、かれはシュコーーーーーーーンと描く。
じわあああああああああああああああんで撮らないと気がすまないトランブルと、それを当たり前のように受け入れるロバート・ワイズ。いいなあ。玄人にしか受けない乗り込みまでの描写であった。

しかしこれが70年代の映画だった。個性にあふれてて面白かった。作り手本位で作られているのでつまらない映画でもみていて楽しかった。それが80年代は、見せる側と見る側の求めるものが、上手いこと融合され映画作りにおいては黄金時代だったといえるだろう。しかし90年代になり、観客受けする作り方になり、すべての映画が分かりやすくアベレージなつくりになり全然楽しくなくなってしまった。2000年代になるとほとんど壊滅的である。
60年代に放映されていたテレビシリーズなのだが、私も小学生のころときどき見ていた。めちゃくちゃイも白いわけでもないが、当時はこの『スター・トレック/宇宙大作戦』とか『原子力潜水艦シービュー号』とか『巨人の惑星』とか、洋物のテレビシリーズを観ていた。
それから10年。さすがにトレッキーではないが、やっぱりエンタープライズ号をみるとなつかしい。冒頭のエンタープライズ号の出るまでのじらしも、私にしてみればとっても気持ちよかった。

物語の基本は『理性』と『感情』の相克であり、登場する二人の主人公カーク船長は人情派で、Mr.スポックは理性派である。この二人があるときは対立し、あるときは協調し、エンタープライズ号に降りかかる危機を乗り越えていくドラマである。
本作もその基本のテーマは受け継がれている。

<あらすじ>
突然地球に進路をむけてやってくる謎のエイリアンの母船。彼等は神をさがしているという。機械生命体である彼等は地球にその創造主がいると信じ、その創造主と再び再会することで、彼等の中にある空虚さ(感情をもたないこと)を満たしてほしいと考えているのだ。しかしどんなにメッセージを地球に送っても返事は来ない。エイリアンはその原因が地球に存在している炭素ユニット(人間などの生物)であり、彼等がエイリアンとその創造主との接触を阻んでいると考え、駆除にとりかかる。
再びエンタープライズ号の船長として就任したカーク(ウィリアム・シャトナー)とスポック(レナード・ニモイ)はエイリアンとの接触を試みる。
エイリアンはエンタープライズ号のクルーの一人、美しいデルタ星人のアイリーア中尉(パーシス・カンバータ)を捕獲した。やがて彼女にそっくりのコピーが送られてくる。彼女の口を通してエイリアンは自らを「ヴィージャー」と名乗った。
エイリアンの強大な宇宙船に侵入したカークらは、その中心部でヴィージャーのコアをみる。それは300年まえNASAが宇宙に送り出したヴォイジャー6号だった。ヴォイジャー6号は長いたびの間に宇宙に浮遊する鉄くずらを吸着し、徐々に人格をもち、機会生命体として戻ってきたのだ。

ヴィージャーにさらわれ、コピーとしてもどってくるアイリーア大佐(パーシス・カンバータ)のビジュアルが素敵だ。(左から3番目)
f0009381_2349299.jpg


by ssm2438 | 2010-10-14 20:18
2010年 10月 14日

スター・トレック2/カーンの逆襲(1982) ☆☆

f0009381_028969.jpg監督:ニコラス・メイヤー
脚本:ジャック・B・ソワーズ
撮影:ゲイン・レシャー
特撮:ILM
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ウィリアム・シャトナー (ジェームズ・T・カーク提督)
レナード・ニモイ (ミスター・スポック)

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特撮にILMが登場!
ああ、これで『スタートレック』も『スターウォーズ』になてしまったか・・・。


監督は『ザ・デイ・アフター』ニコラス・メイヤー。実はこの監督さんが前年につくった『タイム・アフター・タイム』という映画がさりげなく好きで、やや期待はしたが結局はスターウォーズ的なエンタテイメントになってしまった。しかし多分一般庶民的にはかなり愉しみ易くなったと思う。
前回の劇場一作目があまりに地味すぎたので,このくらい派手にしないと(実はそれほど派手ではないのだけど、スタートレックとしてはけっこう派手なほうだと思う)観客受けは望めなかったのだろう。なにせ最後は戦艦同士の決戦なのですから)とお客が来ないと判断されたのだろう。しかし、制作費は1作目の約3分の1であった。

本作のポイントは、テレビシリーズで悪党をつとめたカーンがカーク船長に復讐しようという話。
彼は遺伝子操作を受けた改良人間であるため、頭脳・身体能力共に秀でていた。嘗てエンタープライズ号を奪うことを画策したが、計画成功寸前カークの逆襲を受けて敗北。捕縛されたカーンは、カークの判断により厳罰を回避され、無人惑星セティ・アルファV号星への追放された。

そしてそれにからむのがジェネシス計画。この計画は、物質を分解し再構築することで不毛の惑星を生命に適した環境へと変える事が出来るというテラフォーミング装置の開発プロジェクトのこと。最後はMr.スポックが死んでしまうが、その遺体をジェネシス計画の星にゆだね、再生を願うというところで終わっている。たぶん映画制作会社的には、ここでも終わらせるのもありかなと思っていたのではないだろうか。しかし終わらなかった(苦笑)。もしかしたら3作目で終わらせたかったのかもしれない。3作目では2作目で死んだスポックが生き返り、最後はエンタープライズ号も爆散してしまう。・・・しかし終わらなかった(苦笑)。

<あらすじ>
嘗てエンタープライズ号を乗っ取ろうとして失敗したカーン(リカルド・モンタルバン)は無人惑星セティ・アルファV号星に追放されていたい。その星に生命の痕跡が発見された。リライアント号のテレル艦長とチェコフ副長が調査におもむくが、その星にいたカーンに船を乗っ取られてしまう。
一方カーク(ウィリアム・シャトナー)は、小惑星レギュラーでのジェネシス計画の責任者から連絡が途中でとだえたために、その調査向かった。ジェネシス計画とは、無生物状態から生物を創り出すというもので、最終段階では惑星全体で実験されることになっていた。ジェネシス装置は、生命を生み出す力を持つ一方で大いなる破壊力をも合わせ持つ。カーンはそれに目をつけた。
再びカーンとカークの戦いが始まる。
カーク提督への復讐を果たすべくカーンの攻撃が始まる。カークの頭脳プレイでリライアント号を撃破。だが、エンタープライズの主カパワーがやられ、カーンがジェネシスを爆発させた。スポックは放射能を浴びながら、エンジンを修理する。スポック(レナード・ニモイ)の尊い自己犠牲により、エンタープライズは救われた。スポックの棺は、再生への祈りを込めて、ジェネシスのおかげで生まれ変わろうとしているその星に送られる。

by ssm2438 | 2010-10-14 19:37
2010年 10月 13日

スター・トレック3/ミスター・スポックを探せ!(1984) ☆☆

f0009381_20163141.jpg監督:レナード・ニモイ
脚本:ハーヴ・ベネット
撮影:チャールズ・コレル
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ウィリアム・シャトナー (ジェームズ・T・カーク提督)
レナード・ニモイ (ミスター・スポック)

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死んでも生き返るMr.スポックとは・・・?

そう、彼はバルカン人と人間のハーフなのです。

<Mr.スポック>
父はバルカン人、母は地球人の科学者。幼少時代をバルカン星で過ごし、バルカン人として育てられたため、感情表現を抑えることや論理を優先する考え方など、振る舞いは一見バルカン人そのものである。内面ではハーフであることへのコンプレックスがあったと見え、自らの地球人的な性向を否定する局面が随所で見られた。(ウィキペディアより)

そしてここの再生のメカニズムもちょっとスタートレックならではの展開で、一般ピープルにはどう受け取られるか・・。なんでもバルカン人というのは、死ぬ前に自分の意識を誰かに移すそうな。つまり肉体は死んでもその人の意識は行き続ける。しかし、彼等は理性重視ののしそうなので、知識から来る合理性を意識として他社に移してバルカン人として進化をなしとげていく・・みたいな生態系。

前作の最後で放射能をあびて死んでしまうMr.スポックだが、死ぬ間際に自己の魂(カトラ)をDr. ・マッコイに託していたのである。Dr. マッコイは自分のなかにMr.スポックの魂があることに違和感を感じようになる。
一方スポックの肉体はジェネシス装置で生命を宿そうとする星に送られていた(前作の最後)。そしてその星sで死んだはずのスポックの体は生命を再び宿すことになる。しかし彼の体には魂がない。そこで、Dr. マッコイの移されていたスポックの魂を再び注入するという運びなのだ。
まあ、ご都合主義的なバルカン人の生態系だが、とりあえずこの物語のなかではそのような理屈で復活したのであった。

<あらすじ>
親友だったスポック(レナード・ニモイ)のなきがらをジェネシスの惑星にのこしたままカーク提督(ウィリアム・シャトナー)は地球に帰還する。ドクター・マッコイ(デフォレスト・ケリー)の様子もおかしい。彼の中にスポックの魂が移譲させていたのだ。
カークはスポックの父サレックの訪問を受ける。バルカン人は死ぬ時に、精神を他の人と一緒にする。精神が残っていればスポックを甦えらせることも可能だというのだ。カークは仲間の協力を得て精神病院におくられたマッコイを救出、エンタープライズを乗っ取りジェネシスヘ急ぐ。彼等は8歳程のスポックを発見した。しかしジェネシスでは急激な進化(老化)がおきていた。総ての成長が早いのである。スポックはみるみる成長していく。
そこに登場するクリンゴン艦。エンタープライズは操縦不能となり、クークの息子デイヴィッドはカレラに殺される。息子を殺されたカークはエンタープライズを自爆させることで抹殺する。戦いの後、マッコイからスポックに精神がもどされる。かくして、再びスポックは昔同様にクルーにかこまれることになった(苦笑)。

かなり強引な復活劇であったとさ。。

by ssm2438 | 2010-10-13 20:17