西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 12日

スター・トレック4/故郷(ふるさと)への長い道(1986) ☆☆☆☆

f0009381_22152115.jpg監督:レナード・ニモイ
脚本:ハーヴ・ベネット
    スティーヴ・ミーアソン
    ピーター・クリクス
    ニコラス・メイヤー
撮影:ドン・ピーターマン
音楽:レナード・ローゼンマン

出演:
ウィリアム・シャトナー (カーク提督)
レナード・ニモイ (ミスター・スポック)

       *        *        *

捕鯨反対スピリットは気にいらないが、お話としてはすこぶる面白い。

もう何度も映画化され、テレビシリーズも何世代も違うジェネレーションがうまれているこのシリーズ。そのテレビシリーズ終了後に映画がつくられた劇場版の4作目がこれ。

このテレビシリーズの一番初め、『スター・トレック/宇宙大作戦』のタイトルで日本におめみえしたこのシリーズは、本国アメリカでは1966年から1969年まで放送された。その後10年の時をへて映画でよみがえったのが映画版シリーズ第1作。当時どこまでシリーズ化を考えていたかはよく判らないが、映画版の第一作目は、『アンドロメダ・・・』ロバート・ワイズが監督をまかされ、撮影はダグラス・トランブルが行った。
ロバート・ワイズの場合は、時間がかかるところはそのまんま地味~~~~~に時間をかけてやるので、アップテンポの映画になれている最近のひとたちには退屈だと思われる。そして特撮もダグラス・トランブル。『2001年宇宙の旅』などをやった彼なのだが、この人の特撮は静的特撮で品がよく、スタートレックの本質的にはかなり的をえた映画になっていたと思う。個人的にはけっこうすきなのである。

その後、第一作目があまりに退屈な映画だったため、2作目以降は良くあるアクション映画に衣替え。確かに退屈ではなくなったが、『スタートレック』のいいところは『スターウォーズ』を一線を隔したインテリジェンスなSFな部分であり、ほとど『スターウォーズ』してしまった2作目は個人的にはもうどうでも良かった。その最後でMr.スポックが死に、3作目でその復活劇を行い、そしてこの場違いな快作『故郷(ふるさと)への長い道』となるのである。一応話の流れはつながって入るが、挿入話的な展開であり、これだけみても全然問題ない。劇場版のシリーズのなかではピカイチの面白さである。

<あらすじ>
地球に謎の探査宇宙船近づいてきた。その宇宙船が発生させる強烈なエネルギーのため、地球では電波が荒れ、災害が続発し、暴風雨に襲われている。その探査線は当初人類にコンタクトをしてきたモノと考えられたが、どうやら彼らがコンタクトしようしたのが別の生命体、ザトウクジラであることが判った。そのザトウクジラにコンタクトをとれるまで宇宙探査船は地球から離れない様子。しかしその地球にはすでにザトウクジラは死滅していた。大規模な電波障害から地球をまもるために、カーク船長(ウィリアム・シャトナー)らはザトウクジラが生息していた20世紀後半にタイムトリップし、ザトウクジラを未来に連れて還る計画を実行するしかなくなる。
カーク船長とMr.スポック(レナード・ニモイ)他数名は1986年のサンフランシスコに到着。カルチャーショックを味わいつつも、クジラ捕獲作戦を開始。クジラを乗せるための大水槽を作り、未来に帰るエネルギーを原子力空母より盗む。クジラはカークらが親しくなった海洋生物学者テイラー博士(キャサリン・ヒックス)の手助けで水族館より入手。かくて 23世紀の嵐の海にクジラは放たれ、探査船は去り、地球に再び平和が戻る。

未来を生きる彼らが現在の地球にやってきて、初めて触れる過去の地球文化にカルチャーショックを受けつつ、世間をさわがせずクジラを捕獲し、未来に送り届けようとする奇想天外なお話がハートフルに描かれている。監督はレナード・ニモイが担当している。

by ssm2438 | 2010-10-12 23:16
2010年 10月 10日

エスケイプ/FBI証人保護プログラム(1995) ☆☆☆(前半だけ)

f0009381_2153136.jpg監督:ボビー・ロス
脚本:ダン・ゴードン
撮影:シェリー・ジョンソン
音楽:ゲイリー・チャン

出演:
ロザンナ・アークエット (サラ・ブレイク)
スコット・バクラ (ケヴィン・ニコラス)

       *        *        *

前半の雰囲気は抜群にいい。あのままストーリーを終わらせてくれたらどれだけ感動的だったか・・。

FBIの証人保護プログラムで守られることになった女性と彼女をおもり役になってしまった捜査官との恋愛劇・・・だったはずなのだ。しかしちゃぶ台ひっくり返えされた。ひっくり返さなかったら名作になっていたのに・・・。アホとしかいいようがない物語構成。こんなにまでオチ不要な映画はめったに出会えない、かなり貴重な存在だ(苦笑)。なので、後半の展開はなかったことにして勝手にそこから自分で補完して覚えておきたい作品。

主演はちょっと老けてきたロザナ・アークエット。最近はちょっと老けすぎだけど、このころまではとってもチャーミングでよかった。相手の男性はスコット・バクラ。『スター・トレック エンタープライズ』(2001~2005)の艦長である。ケヴィン・コスナーとハリスン・フォードを足して2で割ったような雰囲気。でもけっこう顔がデカいかもしれない(苦笑)。しかしとても感じのいい男優さんである。

物語はケヴィン・コスナー『ボディーガード』を意識したような作りだ。でも、あの『ボディガード』よりも雰囲気は断然いいのである。そのボディ・ガードになる男の名前が「ケヴィン・ニコラス」・・(苦笑)、絶対狙ってると思う。

物語の出だしはこうだ。
離婚が成立するという矢先に、何者かに狙い撃ちされたサーラ(ロザナ・アークエット)。銃弾ベンツの窓ガラスを割っただけで犯人の男は逃走した。やがてケヴィン・ニコラスとなのるFBIの捜査官(スコット・バクラ)があらわれ、実はもと夫はとある組織のマネーロンダリングにかかわっていたことをつげる。夫を起訴するときに妻は証人には出来ないことになっているが、離婚しているならそれが可能だという。彼を法廷に立たせるためにはもと妻の証言が必要であり、それまでの間証人保護プログラムに入ってもらうという。それからサーラと彼の息子サムと、ニコラス捜査官とその仲間2名の捜査官との逃避行の旅がつづくことになる。

証人保護プログラムにはいると、今までの人格はすべて消去され、新しい自分として生きていくことになる。友達や家族とも連絡できなくなる。過去をすべて失う恐ろしさの前で絶望感にさいなまれるサーラ。そんなサーラに容赦なくケヴィンはペーパーワークを要求する。存在しなくなった人間の資産を売却し、新しい自分に資産を移しかえるためのさまざまな書類にサインすることになる。もう頭がまわらないサーラはストレスたまりまくり状態。なんでもかんでもサインしようとするサーラに、ケヴィンは冷たく「もし私が詐欺師だったらどうする。きちんと自分で確認してサインをするんだ」と。仕事を事務的に、なおかつ効果的にこなしていくケヴィン。サーラにしてみれば、無愛想だが誠実なケヴィンに総てをゆだねたくなってしまう。

このあたりの、感情をださずにてきぱきと事務的手続きをこなしていくスコット・バクラの無機質さと、もう精神状態ぼろぼろのロザナ・アークエットがとてもいいのだ。どこでどうもれたのか判らないが敵はそれにきづいたらしい。真夜中にたたき起こされるサーラ。チームでサーラ親子をまもるケヴィンのチーム。そんななか徐々に感情がほぐれていくサーラとケヴィンの関係。そしてついに“H”にいたる。
しかしチームの連中はそれを良くは思わない。「もう8ヶ月もおれは家族の顔をみていない。なのにお前は・・」と不満をもらす。そんな彼を殴ってしまったことから、チームは本部に呼び出される。ケヴィンは「サーラを本気にで愛してしまった」ことを否定せず、チームは別のチームと入れ替わることが決定させる。証人保護プログラムの期間中なので、プログラムからはずれたらもう名前も居場所もわからなくなる。
「司法省には知り合いもいる。かならず見つけ出す」と別れていくケヴィン。

・・・・・ここまでは良かった。
ここまでが良すぎた。すくなくともTVMとしてはすっごく演出レベルが高かった。

・・・なのに・・・ちゃぶ台はひっくり返された。その後は残念ながら ☆ひとつ である。
この物語をつくった連中はアホだ。そのあとそのまんま物語をつくっていたらとっても感動的な話になっていたはずなのに・・・。ああ、残念。

by ssm2438 | 2010-10-10 11:24
2010年 10月 10日

アルファヴィル(1965) ☆☆

f0009381_10354065.jpg監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
音楽:ポール・ミスラキ

出演:
エディ・コンスタンティーヌ (レミー・コーション)
アンナ・カリーナ (ナターシャ)

       *        *        *

舞台がいかに60年代のパリにみえても未来世界でいいじゃないですか・・

『ウルトラセブン』43話「第四惑星の悪夢」のもとネタはこれだと思う・・・。『ウルトラセブン』のなかには怪獣が出て来ない話というのが何本かある。そのなかの一つがこれ。スコーピオン号のテスト飛行で30日間の睡眠飛行が行われたそれに乗ったダンとソガが妙な惑星にたどり着く。そこは地球とほとんど替わらないがロボットが人間を支配する怪しい街。政治犯の人間を処刑するシーンなどまるでこの『アルファヴィル』そのものって感じでした。

一応この物語の設定は制作当時から20年後の近未来。60年代に予測した1984年を舞台にしているらしい。1984といえばどうしてもジョージ・オーエル原作の『1984』という映画のことを思い出す。これも全体主義の管理社会を描いた映画だったが、どうも昔の人にしてみると1984年は究極の管理社会が出来上がっているはずの年だったようだ。
実際の1984年は共産主義ががたがたになってきており、東欧諸国でも民主化の動きがつよまり、翌年ゴルバチョフがソ連の書記長に就任、ソ連でも民主化の動きが活発化していくころだった。もっとも、今になってもまだ民主化の出来てないクソ中国人とクソ北朝鮮人はどうしようもないが・・・。

この映画はSFといよりもハードボイルドのカテゴリーとして理解しておきたい作品だ。実にチャンドラーな映画である(苦笑)。おかげでゴダールの映画の中ではまだ見る気になれる映画だ(苦笑)。ただ、見てる間にやっぱり退屈になってくる。所詮はゴダール映画だなと思った。でも、雰囲気は悪くないので知識として知っておくにはわるくないだろう。

<あらすじ>
1984年のある日、レミー・コーション(エディ・コンスタンチーヌ)は星雲都市アルファヴィルに到着した。アルファヴィルはアルファー60という電子指令機の命令のままに動いている都市。彼の任務はアルファヴィルを育てたブラウン教授を救い出すか、不可能ならば殺すことと。そして先に派遣されて消息を絶ったアンリの行方を探索すること。
やがて、彼の前に教授の娘ナターシャ(アンア・カリーナ)が接待係として現われた。外界に興味をしめす彼女。レミーはアンリを探しあてたが、彼はアルファー60の洗脳的拷問によって廃人同様の状態にさせられていた。レミーは、ブラウン教授が祭司を務める公開死刑を見学した。これは、論理を尊重せず感情を抱いた人間たちを殺すショーであった。一方ナターシャは少しづつ感情というものをとりもどしつつあった。ナターシャは父親と一緒に誘拐されてここに連れてこられたのだ。
正体を見破られたレミーが拷問されるのを見て、思わず涙を流した彼女は、反逆罪で告発された。反撃に出たレミーは教授を射殺、アルファー60を破壊し、ナターシャとともに地球へ向けて脱出した。

なにを撮っても面白くないゴダールの、やや見る気にさせられるが、やっぱり面白くない映画でした。

by ssm2438 | 2010-10-10 10:36
2010年 10月 10日

お葬式(1984) ☆☆☆

f0009381_8174145.jpg監督:伊丹十三
脚本:伊丹十三
撮影:前田米造
音楽:湯浅謙二

出演:山崎努(井上佗介)/宮本信子(雨宮千鶴子)

       *        *        *

やっぱり住職は笠智衆なんだ・・・。

しかし、「お葬式」とは、良いところに目をつけたものだ。
お葬式=悲しいというイメージがあるが、実はそうではない。厳かなようでその実態は「形式」と「建前」が全面に出てくる行事。これほど偽装が多いとい状況というのは、ドラマとして「本質」を語る上で、もっとも美味しいシチュエーションだったのだと再認識させられた。「それを描きたかったら、その反対側を描く!」--演出の鉄則である。

物語の中では、故人を想うよりも、とにかく式をとどこおりなくやってしまう・・という概念が先行している。実際の葬式でもじつはそういうものだ。たぶん、その人が死んで悲しむ時間はそれ以前にあるのだろう。すでに余命が長くないと判った時点でおおいにショックを受けるものだ。しかしそのあとは淡々と時間がすすむ。お葬式では、さらにたんたんと時間が進む。たぶん、行事をおこなうことで、その間だけ感情をニュートラルに入れてしまえるとがお葬式の最大の利点なのだろう。
そんなお葬式の本質をユーモアのセンスを交えて物語にしてくれたのがこの映画。映画の全編で展開される上辺だけをつくろうお葬式での人々の振る舞い。それを散々描いておいて最後に喪主の言葉。ここだけは「本物の想い」が語られる瞬間として描かれている。

伊丹十三の初監督作品。小説でも、漫画でも、処女作にはその作家の総てがあるって云われる。それまでやりかたったこと、やれなかったことを吐き出したエナジーがあるものだろう。この作品はそれほどまにエネルギーを感じるものではないが(あくまで表面的にだが)、のちのちの映画をみると伊丹十三映画のスタイルは既にここで確立されていたのだと思う。

ただ、個人的には画面作りに凝るひとではないので、それほど好きな監督さんでないことも事実だ。描く内容をなんとか説明するための画面作りをする人なのだろう。感性にうったえる画面は作れない人だ。

by ssm2438 | 2010-10-10 08:18
2010年 10月 09日

流されて・・・(1974) ☆☆

f0009381_18294362.jpg監督:リナ・ウェルトミューラー
脚本:リナ・ウェルトミューラー
撮影:エンニオ・グァルニエリ
音楽:ピエロ・ピッチオーニ

出演:
ジャンカルロ・ジャンニーニ (ジェナリーノ)
マリアンジェラ・メラート (ラファエラ)

       *        *        *

マドンナでリメイクされた『スウェプト・アウェイ』(2002)のオリジナル。

船上では成金の奥方だったラファエラ(マリアンジェラ・メラート)が、遭難、使用人のジェナリーノ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)と二人だけで無人島にながされてしまう。そこからのサバイバル。当時見たときは全然いいとは思わなかったのだけど、『スウェプト・アウェイ』にくらべると、やや好感がもてたかな・・(苦笑)。実際内容的には似たようなものなのだけど、「売り」性が顔をだしていたマドンナの映画だとちょっと作為性を感じてしまい、どこか拒否感湧き上がった。

しかしこちらの映画がよいかといわれるとそれほどでもない。とにかく二人の会話がうるさい。コメディ的な要素が無意味にはいっているのでそれもうざい。日本人のわたしにしてみると、「どこまで本気なんだ???」って思ってしまうまが(ま、これは、イタリア映画のコミュニケーションでは良く感じることなのだが・・・)、その辺がイタリア人なるゆえんなのだろうな。

ただ、内容的にはきわめて賞賛に値するシーンもある。やっぱりこの映画の良さは、理性恋愛からパワー恋愛に移行する部分だと思う。文明社会で育ったわれわれは、「力で支配する恋愛であってはいけない」と頭の中で考えている。これは、心の用心からくるのかもしれない。
人間の脳みそはなかなか上手いように出来てるなあっていつも関心するのだが・・、つまり、“今自分が「力」を発揮する場支配者になれるかもしれない。しかし、時がたち、自分が力を失った時にその復習がくるのではないのか??”という恐怖心も拭い去ることは出来ない。この映画のシチュエーションは、それに「ゴー」をかけてしまう。

「そして俺の腕にキスしろ」

よく言えたものだ!
普通の人間にはいえない。たとえその時点で自分のほうが有利な立場にあろうとも、どこでなにがどうなるかわならない。明日がけから落ちて足でも折るかもしれない。変な病気にかかって動けなるかもしれない。そこでいってしまうと、そのあとは、自分が支配される立場になる。そしてその後の二人の世界は「力」の支配になるしかない。普通はその流れはさけるものである。

しかし、彼は怒りにまかせていってしまう。これは、船上でのラファエラのさんざんな軽蔑といやがらせ、遠慮のない高圧的な態度があったからで、その時点で彼女も理性=予測できない未来への恐怖が機能していない人間として描いたからであろう。

島に流れついたあとは、支配と服従関係が逆転する。
リナ・ウェルトミューラーは理性の壁を突き抜けてしまった。そして、そのあとのラファエラはとても可愛くなってしまう。二人の関係はすこぶる幸せそうである。しかし・・救援というのはきてしまうものだ。

二人を捜索にきたヨットが沖合いに見える。ファエラはこのままの生活を続けるために見すごそうと主張するが、ジェナリーノは二人の愛を確かめ合うためにも一度ヨットにもどり、また島へ帰って暮そうと言う。ヨットに助けられた二人には現実が待ち受けていた。ラファエラには実業家の夫との退屈な生活、ジェナリーノには労働者階級の貧しい妻子のいる家庭。
ジェナリーノは、ラファエラの夫から妻をよく守ったと感謝され、大金を贈られる。屈辱的なことだったがその金をすべて投じて指輪を買い、彼女に贈り、島へ脱出するため、港で待つことを伝えるジェナリーノ。だが約束の時間、ラファエラは港には現われず、夫と共に豪華なヘリコプターでミラノへ帰っていった。二人の新しい世界を夢みたジェナリーノは現実にひき戻され、すごすごと妻の後から家路に向かうのだった。

by ssm2438 | 2010-10-09 18:30
2010年 10月 09日

バーチャル・ウォーズ(1992) ☆

f0009381_10243082.jpg監督:ブレット・レナード
脚本:ブレット・レナード/ジメル・エヴェレット
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:ジョン・ワイマン

出演:
ピアース・ブロスナン (ローレンス・アンジェロ博士)
ジェフ・フェイヒー (ジョーブス・スミス)
ジェニー・ライト (マーニー)

       *        *        *

やっぱり『アルジャーノンに花束を』って話は基本的にわくわくする話なのだなあって思った・・・、が・・・。

知能がどんどん上がっていくって話はやっぱり人間の心をわくわくさせるものなのだろう。ただ、それは楽しい空想だが、実際他人がお利巧さんいなっていくのはやはり好かない。そんなわけで、この手の話は最後はそのまんまではいられなくなるように作るしかないのだろうが・・・。

ピアース・ブロスナンが出てるというので当時みたのだけど・・・内容はひどい。それらしいことをやっているのだけど、バーチャル世界を具現化した画面になると観る気をなくしてしまう。これって、その部分を見せるってことで作られたのだろうけど、その部分をなしにして作ればけっこう面白いものになってたと思うのだけど・・。
ただ、『アルジャーノンに花束を』は、主人公が良い人なのだが、この主人公はひたすら劣等感が邪悪な方向に行ってしまう。これまで彼をバカにした者どもに復讐を果たし、バーチャルの世界に侵入し、ネットを通じて世界征服を企む。その点では見ていて気持ちのいいものではないが・・一応原作ということになっているスティーブン・キングのそれらしいところではある。

映画のストーリーはかなり乱暴なつくりであり「細かいところはおいといてとりあえず行け行け」みたいな感じ、行動と結果がなっとくいかない。それ以前に知恵遅れの脳がバーチャルワールドの刺激で賢くなっていくって部分が、個人的にはまったく相容れなくてはあ~~~~ん状態でみていた映画でした。さらにバーチャルワールドの描き方がまったく面白いとも思えない。こういうのを擬人化して描くことにアホさを感じるのは私だけだろうか???
ちなみに、DVDの表紙はアメリカで発売されたものはもっとカッコいいのだが、内容的にはこちらの表紙のほうがあっているような気がしてこれにした(苦笑)。
『トロン』(1982)につづいてバーチャルワールドの映像化にふみきった作品だったけど、玉砕でしたな・・。

<あらすじ>
CGによる仮想現実世界を使ってチンパンジーの脳の活性化を研究していたローレンス・アンジェロ博士(ピアース・ブロスナン)。しかしその研究が、研究資金のため戦闘要員を強化する洗脳研究にも携わっていることを知る。さらに被験者のチンパンジーが殺人を起こしたことから嫌気がさし研究所を辞めてしまう。そして次に取り組んだのが近所に住む知的障害者の青年ジョーブ・スミス(ジェフ・フェイヒー)。
ジョーブは教会に預けられて生活しているのだが、教会のマッキーン牧師からのさりげなく虐待を受けながらもほそぼそと暮らしていた。そんな彼にやさしくせっするのが、芝刈り夫のテリーであり、ジョーブスも芝刈りの仕事を愉しんでいた。ローレンスはコンピュータを用いてジョーブの脳の活性化を図ってみようと考える。
ローレンスの手によってジョーブの知能は急成長し、マーニー(ジェニー・ライト)という少女に恋するまでになる。だがその研究に資金を援助していた政府の組織が軍事目的のための戦闘用プログラムをジョーブに施しまう。自分自身でコントロールできないジョーブスはその力で次々と殺人を重ねる。ジョーブはシステムの中でさらなる変容を遂げ、電脳世界だけの存在となって、全世界の通信回線に消えていった・・。

by ssm2438 | 2010-10-09 10:35
2010年 10月 09日

ライブ・ワイヤー(1992) ☆☆

f0009381_973730.jpg監督:クリスチャン・デュゲイ
脚本:バート・ベイカー
撮影:ジェフリー・ジャー
音楽:クレイグ・セイファン

出演:ピアース・ブロスナン(FBI捜査官ダニー・オニール)

       *        *        *

007をやるまえのピアース・ブロスナンはけっこう良かった。

この映画は液体爆弾を使うテロリスト・グループを追うFBI捜査官の話。タイトルの『ライブワイヤー』というのは「人間導火線」のこと。その液体を飲んだ人間のなかで、胃酸と化学反応をおこし爆発するという液体爆弾がこの映画のネタ。

007をやる前のピアース・ブロスナンはけっこうすきなのである。この『ライブ・ワイヤー』とか『テロリスト・ゲーム』とか、あのころは「こいつぜったいジェームス・ボンドやったら似合うだろうなあ」って思ってた。実際良かったと思う。作品に恵まれなかったという気はするが、ジェームス・ボンドのビジュアルとか雰囲気に関してはピアース・ブロスナンのボンドが一番好きだ。

・・・しかし、映画自体はきわめて普通で特に取り上げることがないのが事実。ボンドをやる前のピアース・ブロスナンはけっこう良かったんぞってことの確認映画でしかなかったかな(苦笑)。

さらにもうひとつネックをあげると、このてのお話であって必然の綺麗なお姉ーちゃんが出て来ない。一応ヒロインらしきなのは主人公の奥さんなのリサ・アイルバッハーなんだけど・・・この人では華がはさすぎる。。。この映画、内容はきわめて普通なのだが、せめて綺麗なお姉ーちゃんを絡ませれば、それなりに退屈しないで観られる普通の映画になってたとおもうのだけど・・。

<あらすじ>
アメリカの首都ワシントンで、政治家を狙った爆弾テロが発生する。爆発処理専門のFBI捜査官ダニー・オニール(ピアース・ブロスナン)は調査を開始するが、現場からは起爆材どころか爆弾の破片すら見つからない。やがて第2の事件が発生、犯行グループの一人が逮捕された。その男の裁判の審理の途中、水差しの水を口にした裁判長が、目を充血させながら苦しみ出し、やがて彼の体は膨張して大爆発を起こした。犯人グループは胃酸と反応して爆発を引き起こす新種の液体爆弾を使っていたのである。

by ssm2438 | 2010-10-09 09:09
2010年 10月 08日

エーゲ海に捧ぐ(1979) ☆

f0009381_2348295.jpg監督:池田満寿夫
脚本:池田満寿夫
撮影:マリオ・ヴルピアーニ/マウリツィオ・マッギ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
クラウディオ・アリオッティ (ニコス)
イローナ・スターラ (画商の娘アニータ)
オルガ・カルラトス (エルダ)
サンドラ・ドブリ (エルダの妹リーザ)


       *        *        *

どういう経過でこの映画は実現したんだろう?

ローマに出てきた美大生のニコス(クラウディオ・アリオッティ)は、下宿先独身女性エルダ(オルガ・カルラトス)と“H”してしまう。二人の関係は新密度を増していく。彼女には、幼年期に熱病にかかり言葉のきけない妹のリーザ(サンドラ・ドブリ)がいた。やがてニコスはエルダは結婚した。しかしそのころから、名の通った画廊の経営者のダンチオに気に入られたニコスは、彼の娘のアニタ(イローナ・スターラ)と“H”するようになる。
エルダの目を盗み、アニタとの情事を続けるニコス。口のきけないリーザは口実に使われていた。ひそかにニコスを想っていたリーザが、最後にニコスを撃ち殺す・・・。

実はこの映画、大昔に劇場で見たのでした(苦笑)。当時はヨーロッパの青春ソフト“H”モノがけっこう流行ってた時期であり、“H”ビデオもないので女の裸とか“H”をフィルムでみるのは映画だけだった。さんな中で日本資本参戦、それもイタリア人をつかっての撮影。でも内容は・・・なにかあったのだろうか? 雰囲気先行で全然ガツンなインパクトもないまま終わってしまった覚えがある。

何でこの映画、こんなに面白くないかといわれると、多分主人公に感情移入できないのだと思う。あまりにいい加減すぎる。観客のアベレージ以上にシャローなので、見ている人たちもこの主人公を軽蔑しかしないのだろう。庶民の価値観より程度を下げたキャラクターを主人公にするのはこういう結果を招く。

ちなみに、画商の娘アニータ役のイローナだが、彼女こそがかの有名なチッチョリーナである。

by ssm2438 | 2010-10-08 23:49
2010年 10月 08日

ソフィーの選択(1982) ☆☆☆☆

f0009381_9212647.jpg監督:アラン・J・パクラ
脚本:アラン・J・パクラ
撮影:ネストール・アルメンドロス
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ

出演:
メリル・ストリープ (ソフィー)
ケヴィン・クライン (ネイサン)
ピーター・マクニコル (スティンゴ)

       *        *        *

人生は、選択の積み重ねだ。

「選択」というのは重い言葉である。選択したことにより、それ以降の人生では、その選択し自分を肯定して生きていかなければならなくなる。それがその人のキャラクターを構成していく。生まれた時からひとそれぞれが授かった気質(基質?)は恒久的なものだが、その人の人格はその後の人生でその人が下した選択の積み重ねでさらに違ったものへと構築されていく。
しかし・・・すべきでない選択をしてしまったときは・・・? それを選択した事実は消せない。その時はひたすら自己否定の人生になっていく。この映画のソフィーの選択は、そんな選択だった。

そのむかし、NHKの大河ドラマの脚本などを書いていたジェームス三木が、こんなことを言っていた。「ドラマとは選択の連続だ。一番大事なモノの為に2番目を捨てさせる。2番目に大事なものが大きければ大きいほど、感動は大きくなる」・・と。戦国時代の話ではじつによくある展開だ。それを求めれば、代わりに親しい人を切らなければならない。その苦渋の決断がドラマをもりあげる。

しかし、選択したくない時がある。バリー・レビンソンの映画で『バンディッツ』というのがある。このなかで、ケイト・ブランシェットブルース・ウィリスビリー・ボブ・ソーントンと仲良くなってしまい、どちらを選ぶのか迫られる展開になる。彼女が出した言葉は「私、選択したくないのよ」。近年まれにみる「ふざけるな!」と思わせてくれた言葉だった。しかし・・・こちらの『ソフィーの選択』の話は重すぎた。
この映画では、自分の子供2人のうち一人はガス室送りにされる。ソフィーはそれを選ばなければいけない。選ばなければどちらの子供もガス室送りである。ソフィーはとっさにこの子を連れてってと妹のほうを差し出す・・。残酷である。

監督はアラン・J・パクラ。いつも社会に圧迫されていく個人を描いている。この映画でもいそうだ。珍しいことに撮影はいつものゴードン・ウィリスではない。なにか別の作品で一緒に仕事ができなかったのだろうと推測する。で、立てた撮影監督がなんとネストール・アルメンドロス『天国の日々』でみせてくれた彼の画面の荘厳さは類をみないものだった。ウディ・アレン同様に、パクラも絵作りを上手い撮影監督にこだわる監督さんだ。
音楽は『普通の人々』マーヴィン・ハムリッシュ。これもいい。
スタッフ的には文句のない布陣である。

個人的にはメリル・ストリープが生理的にダメなので、長らく見なかった映画のひとつだったが、映画の質自体はすこぶる良い。『アリー・マイラブ』で奇人の天才弁護士ジョン・ケイジを演じたピーター・マクニコルがこの映画ではまじめな好青年として登場している。

<あらすじ>
第二次世界大戦が終わってから2年後のニューヨーク。作家志望の青年スティンゴ(ピーター・マクニコル)はブルックリンのアパートに引っ越してきた。そこで自由で退廃的な人生をすごしているソフィー(メリル・ストリープ)と知り合う。彼女の腕には、強制収容所の囚人番号の烙印があった。彼女は、ある製薬会社につとめるネイサン(ケヴィン・クライン)という生物学者と一緒に住んでいた。三人はコニー・アイランドで終日遊び、親友となった。
スティンゴはネイサンの紹介でレズリーという女の子を紹介されたが上手くいかない。心身ともに疲れてもどった彼にソフィーが寝酒を誘う。父と夫がドイツ軍に拉致されて処刑されたこと、病気の母のため闇市でハムを買ったことがばれてアウシュヴィッツに送られたこと、彼女は収容所長ヘスの秘書にされ屈辱の中で家政婦のように働かされたこと、娘のエヴァは抹殺され、息子のヤンのその後は分からないこと。解放後、教会で自殺を図ったことを彼女はスティンゴに話した。
ネイサンの部屋へ入ると、ナチ関係の本がいっぱいだった。ユダヤ人である彼はナチの犯罪が許せないのだ。ある日スティンゴは、ネイサンの兄ラリーから弟は妄想性分裂症であると聞かされる。精神の安定しないネイサンからソフィーを助け出すために、スティンゴはソ彼女を連れてワシントンに逃げる。ホテルの一室で、ソフィーに求婚するスティンゴ。ソフィーが彼に告白する。
アウシュヴィッツの駅でナチの医者が3人の前に来て、子供を1人だけ手放せと迫った。出来ないと言うと、医者は、では2人とも焼却炉行きだと冷たく言いはなつ。無情な選択を迫られ、ついに娘を連れてってと、エヴァを差し出した・・ことを。
ソフィーとスティンゴはその夜、結ばれた。翌日ソフィーの姿はなかった。ブルックリンにもどったスティンゴは、ソフィーとネイサンが自殺したことを知る。

by ssm2438 | 2010-10-08 09:21
2010年 10月 07日

恐怖の報酬(1953) ☆☆☆☆☆

f0009381_1941312.jpg監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
撮影:アルマン・ティラール
音楽:ジョルジュ・オーリック

出演:
イヴ・モンタン (マリオ)
シャルル・ヴァネル (ジョー)

       *        *        *

どうみてもフランスのどこかに見えるが、中米を舞台にした話である(笑)。

物語は非常に単純。スピルバーグの『激突!』とおなじくらい単純だろう。
ベネズエラのとある油田で大火災が発生、石油会社はニトログリセリンの使用を決断。安全装置のないトラックでニトログリセリンを運ぶのは命がけである。そこでラス・ピエドラスという街にたむろしてい男たちに呼びかけ、2000ドルの報酬で運ばせることにした。イブ・モンタン他3人が選ばれた。この4人がペアを組、ニトログリセリンを積んだ二台のトラックにのって目的地まで運ぶという話。。トラックが動き出すまではたるいのだが、そこからは手に汗握る連続。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーのサスペンスで鍛えたぎりぎりするような演出が見ごたえ充分。
第6回カンヌ国際映画祭グランプリ、第3回ベルリン国際映画祭・金熊賞を受賞している。

ヒッチコック以上にサディスティックな演出のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー。というか、明らかにサディストだと思う。遺作となった『囚われの女』もサディストの本性むき出し(加虐性にくるっているというわけではなく、劣等感と虚栄心がその根底にあることをしっかり描けている)。そんなクルーゾーの演出的サディズムが爆裂しているのがこの作品。
イブ・モンタンの相棒になったジョーというオヤジは、ビビって運転ができなくなる。そんなチキンのジョーをなじるモンタン。登場人物は、クルーゾーのよってどんどん追い詰められていく。

ひと段落ついたところで、紙タバコをつくって吸おうするとぶあっと風が吹いてどっか~~~~~ん。そしてそのあとは油の沼地。ここを抜けるシーンはやっぱり痛い。チキン・ジョーがびびって運転できないので運転はずっとイブ・モンタンがやっているのだが、その沼ではジョーが車をおりて、油におおわれて見えない地面の様子を確かめながら進むことになる。一度止まってしまえばもう動けなくなるだろうという状況。そんなときジョーが足をすべらせて倒れてしまう。しかし車を止められないモンタンは絶叫する彼の足の上行くしかない。それまでなじってきたチキン・ジョーの痛みを代償なくして彼等の報酬はありえない。
こういう追い詰め方がじつにスゴイ。

<あらすじ>
南米ベネズエラ。ラス・ピエドラスという町から500キロ離れた山の中の油田が火事になり、石油会社は山上までニトログリセリンを運び上げ、その爆破によって鎮火することにした。危険なニトログリセリン運搬には2000ドルの賞金がつけられた。街の与太者の中からマリオ(イヴ・モンタン)、ビンバ、ルイジ、スメルロフの4人が選ばれた。当日スメルロフは姿を見せず、ジョー(シャルル・ヴァネル)がマリオと組むことになった。
f0009381_19535141.jpgf0009381_19533197.jpgマリオとジョーの組が先発、30分遅れてルイジとビンバの組が出発するが、ジョーは運転にびびってしまい後から来たビンバ組に追いこされてしまう。道中は洗濯板のような悪路、転回困難な狭路、落石などいろいろな障害が待ち受ける。道路をふさいでいる大石を、沈着なビンバは少量のニトログリセリンを使用して爆破し、無事に通りぬける。

そのあとは坦々とした行進がつづき、一同もほっとしたとき、突如ビンバの車が大爆発を起し、跡かたもなくけし飛んだ。爆発のあとは送油管が切れて石油がたまりかけていた。早くここを通りぬけないと油に足をとられて動けなくなる。ジョーが車を降り、前方を確認しながら進む。一度車をとめたらもう動けなるだろう。しかしそジョーが油に足をとられて倒れてしまう。車を止めることができないマリオは倒れたジョーの脚の上を通りぬけなければならなかった。
なんとか油の沼を通り抜けて、ジョーを助け上げ、介抱しながらようやく目的地につくことができたが、ジョーは既に息絶えていた。ニトログリセリンのおかげで火事は消しとめられ、マリオは賞金4千ドルをもらった。帰路についたマリオはカーブでハンドルを切りそこね、トラックはマリオをのせたまま、崖下へと転落していった。

by ssm2438 | 2010-10-07 19:41