西澤 晋 の 映画日記

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2010年 10月 07日

白と黒のナイフ(1985) ☆☆

f0009381_1038235.jpg監督:リチャード・マーカンド
脚本:ジョー・エスターハス
撮影:マシュー・F・レオネッティ
音楽:ジョン・バリー

出演:
グレン・クローズ (テディ)
ジェフ・ブリッジス (ジャック)

       *        *        *

法廷サスペンスなのに、法廷のあとに決着が付くのがいささかものたりない・・というか、うむむ、最後にもうひとヒネリあるのかなと思ったら、「実はそれで終わりだった」ってのも拍子抜けだし・・・。

法廷ものとしては今ひとつ完成度が足りない。シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』のような本格的な法廷ものではなく、ローレンス・カスダン『白いドレスの女』とか、やはりルメットの『ギルティ/罪深き罪』のような、弁護士と弁護される側のラブサスペンスの映画になる。弁護する男がけっこう男前で「この人が犯人かも知れない」という疑惑はつねにあるのだが、ついつい無実だと信じたい・・みたいなメンタリティが描くべき内容なのだろうが、けっこう抜け道もある内容で、シナリオを書いているうちになにがポイントなのか分からなくなってしまっているような気がする。

この映画、2回ほど見ているのだが、どうも、犯人のジェフ・ブリッジズが「自分が犯人です」と言いたげにすらみえてしまう。でも、どうもそうではないらしい。そのあたりが、演出する側というか、シナリオを作る側の至らなさだろう。
この映画のつくりは、ジェフ・ブリッジズが「わざと自分を犯人だとわからせよう」と試みている描写であり、「さらにもう一ひねりあるにちがいない」と思わせている展開なのだ。でも、そのあとの展開がなく、え、それだけ?? やぱっぱりジェフ・が犯人なんん? だったらその思わせぶりはなんなんだ・・・ん??って疑問をもったまま終わるというこまりもの。まあ、エスターハスだし・・。
犯人が「自分は犯罪者で、だれにもそれを知られたくない」、あるいは「立証はされたくない」・・っていうんだったらそのメンタリティを誤解されるようなきちんとみせてほしいものだ。

<あらすじ>
サンフランシスコの出版王の孫娘ペイジ・フォレスターとメイドが殺される事件がおきた。事件を担当したクラズニー地方検事(ピーター・コヨーテ)はペイジの夫ジャック・フォレスター(ジェフ・ブリッジス)が怪しいとにらんで妻殺しの容疑で起訴した。その理由として、ジャックが妻の死で莫大な財産を相続すること、ジャックの所属するクラブの守衛が彼のロッカーで凶器そっくりのナイフを見たことなどをあげた。ジャックは無実を主張、女性弁護士テディ・バーンズ(グレン・クローズ)を雇った。
ウソ発見器でもジャックはシロと出た。クラブの守衛の証言は状況証拠でしかない。テディとジャックはいつしか依頼人と弁護士という関係を越え、肉体関係を結ぶようになんていく。裁判が始まる。テディはクラズニーの起訴事実に多くのくつがえしていく。守衛の見たナイフがあったのは他の男のロッカーであったこと、そして匿名の手紙から、ペイジ殺しと同じような手口で他の女性を襲った男の存在など浮かび上がってくる。テディは無罪を勝ちとった。
勝利を祝いベッドでからみあった翌朝、テディはジャックの部屋からタイプライターを発見した。そのタイプライターこそ、あの匿名の手紙が打たれたタイプライターだった。タイプライターを持って大急ぎで自宅に帰ったテディを、その夜、覆而の男が襲った。ふるえながら発砲するテディ。その場にかけつけたサムと共に息絶えた男の覆面を剥ぐとジャックの端正な顔が現われた。

by ssm2438 | 2010-10-07 10:45
2010年 10月 06日

アザー・ピープルズ・マネー(1991) ☆☆☆

f0009381_1521897.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:ハスケル・ウェクスラー
音楽:デヴィッド・ニューマン

出演:
ダニー・デヴィート (企業乗っ取り屋ラリー)
グレゴリー・ペック (電信電話株式会社会長)
ペネロープ・アン・ミラー (その弁護士ケイト)

       *        *        *

一般的な良心回路を持ってる人にはうけいれられないかもしれない・・。

やってることは、オリバー・ストーン『ウォール街』とほとんど同じ。しかし最後がちがう。こちらのラストは会社を心血注いで育ててきたグレゴリー・ぺックが会社をのっとられ、マネーゲームでしこたまもうけてるダニー・デヴィートが笑う話。ただ・・、個人的にはグレゴリー・ペックの言い分もそれほど正しいとはおもえず、やはらい企業経営者たるもの、時代にのりつつ会社を運営していかないといかんのだと思ったかな。人道主義だけで正義が語れるほど経済は甘くないと思った。

この物語、実はオフ・ブロードウェイの人気舞台劇をアルヴィン・サージェントが脚色したもであり、舞台劇がもとなだけに、映画的なエンタメストーリーではなく、それぞれの立場に人が言葉と個性を語る芝居なのである。そして脚色したのが『普通の人々』のアルヴィン・サージェント。繊細なメンタリティをしっかりかける人なので私は大好きなのである。

監督は『夜の大捜査線』ノーマン・ジュイソン、そして撮影はハスケル・ウェクスラー
おおおおおお! 個人的にはスタッフ陣はかなり好きな面子でそろえられたこの映画、ただ、ストーリーが観客のもとめていたものとはちがったエンディンデだったのが不人気の原因だろう。期待を裏切るのはいいのだけど、それ以上のものが提示されれなければ、「なんじゃこれは??」になってしまう。生理的に一緒に楽しめない映画ではある。。

<あらすじ>
企業乗っ取り屋のラリー(ダニー・デヴィート)が目をつけたターゲットは、アンドリュー・ジョーゲンソン(グレゴリー・ペック)が会長をつとめる優良企業『ニューイングランド電信電話株式会社』だった。そしてそのジェーゲンソンを影でサポートするのが彼のアシスタントであり愛人でもあるビー・サリヴァン(パイパー・ローリー)。そしてビーの娘でニューヨークで働く美人弁護士ケイト・サリヴァン(ペネロープ・アン・ミラー)も『ニューイングランド電信電話株式会社』のの代理人として呼び寄せられた。
しかし、ラリーはそのケイトに恋をした。ケイトを自分と対等に渡り合える敵であると睨んだラリーは、以後マネー・ゲームと同様に恋のゲームにも命を燃やす。現状の古い体制では会社に未来はないと語るラリー。古きよき時代の人が信頼のなかで働ける会社をめざしてきたジェーゲンソン。二人の主張のなかで、会社の行く末は住民投票にかけられることになる。結果ラリーが勝って決着。そしてケイトはその会社を日本企業に売る取り引きを決めていた。
ケイトとともにベッドのうえで祝杯をあげるラリー。

真心をもった人が破れ、なにごともいんちきくさい人の金であそんでいるだけのダニー・デヴィートが仕事も恋も勝ち取るというちょっと良いのか悪いのかよくわらない結末。

でも、個人的には「あり!」のお話だった。

by ssm2438 | 2010-10-06 15:03 | H・ウェクスラー(1926)
2010年 10月 06日

コンタクト(1997) ☆☆

f0009381_9371189.jpg監督:ロバート・ゼメキス
原作:カール・セーガン
脚本:マイケル・ゴールデンバーグ/ジェームズ・V・ハート
撮影:ドン・バージェス
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
ジョディ・フォスター (エリー・アロウェイ)
トム・スケリット (デヴィッド・ドラムリン)

       *        *        *

SFモノで宗教肯定したらもうSFじゃないでしょう・・。

世間でどんなに人気があろうと、「この人が出てると見るテンションが下がる」・・っていう役者がいる。話つぃにとってはロバート・デ・ニーロジョディ・フォスター。この映画もジョディ・フォスターが出てるのでちょっとテンション下がりめで見に行ったのだけど・・、ちょっとファンタジーしすぎてたかな・・。もうちょっと真剣なSFもので作ってほしかった。

一応主人公のジョディ・フォスターは無心論者という設定だが、大筋ではそのジョディフォスターが神の存在を感じる・・ってことでお話は閉じられている。もちろん確固としてそれを主張してはいないが、やんわりとそのなかでて描かれているのがよお~~~~~く分かってしまう。おかげで、わたとしてはかなり冷めた。お話のとっかかりはけっこう素敵だったのに、おいしい素材をこんなにもダメにしたかって印象だった。

最近ちょっとまえに話題になったフランク・シェッツリングの『深海のyrr(イール)』なる小説を読み始めた。さんざん地球の海をよごしてきた人類が、深海の知的生命体yrrから攻撃をうけるという話。読み始めは意外とおもしろかったのだけど、中巻にいたるとどんどん凡作化してきた。なぜこれがつまんなくなってきたのだろうと考えた。その答えは「SFというのは非情な設定であるべきだ」と、どうやら私は考えているらしい。そこに描かれる人間はハートフルでよいのだけど、設定事態がどこかに偏っているとそれだけでSF的土台がからずり落ちてしまうような気がする。この小説も「環境保護」って偏りがあるので、SFというよりもSF分野のエンタメという印象がつよく、物語の展開だけをその時間だけ楽しむようなものになっている。
どうも、SFである以上は、「設定の中立性(非情性)の新しい概念」を提示してほしいと思ってしまう。
この『コンタクト』という映画も、「宗教」というものへの偏りがあり、SFとしては楽しめないお話になってしまっている・・。

<あらすじ>
ある日電波天文学者のエリー(ジョディ・フォスター)は、宇宙から地球に向けて電波信号が発せられているのに気づく。ついに地球外生命体の存在が確認された瞬間だった。
信号は単に素数を表しているだけでなく、複数の読み取り方ができることがわかった。さらに世界中の国々が協力して解読を進めるうちに、驚くべき事実が判明。このメッセージには、乗員を宇宙へ運ぶことのできる宇宙間移動装置=ポッドの設計図が含まれていたのだ。ポッドの建造が決定し、ただ1人の乗員の志願が始まった。エリーも志願するが、査問会は科学者ドラムリン(トム・スケリット)を選んだ。
だが、ポッドの運転テストの当日、テロリストが爆弾を爆発させて装置は破壊され、ドラムリンも死ぬ。しかし都合がいいことに、謎の資産家ハデン(ジョン・ハート)という人物画が、同じ装置をもう一基、北海道に建造されていた。エリーはポッドに乗り込み、未知の世界に旅立つ。そしてその先に未知の知的生命体とのコンタクトがあるはずだった。
しかし、たどり着いたその場所はエリーが良く知る地上の風景であり、彼女にコンタクトをとってきたのは、エリーが幼い頃しに分かれた父だった。彼らは、エリーの意識を読みとり、エリーがもっとも親しみをもつ造形を借りたという・・・。

結果としては未知の知的生命体とコンタクトをとっても、彼らが語ったのは「宇宙はひとつ、生命はみな兄弟」みたいなことで、SF的にはまったく意味があることはなく、かなりの拍子抜けになってしまったとさ・・。

by ssm2438 | 2010-10-06 09:37
2010年 10月 05日

WR(ウィルヘルム・ライヒ):オルガニズムの神秘(1971) ☆

f0009381_1755252.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:ペガ・ポポヴィッチ/アレクサンダル・ペトコヴィッチ
音楽:ボヤナ・マカヴェイエフ

出演:
ミナレ・トラビッチ (ミレーナ)
ヤゴダ・カロペル (ウラジミール・イルイッチ)

       *        *        *

ドゥシャン・マカヴェイエフは『コカコーラ・キッド』しかないのか・・と思った。

まるで、ウディ・アレンのダメなモキュメンタリーものを見ているような感じだった。

タイトルの「WR」はウィルヘルム・ライヒのこと。映画は、「性の革命」を説き、ドイツ共産党を追われアメリカで獄死したオーストリア生まれの異端の思想家ウィルヘルム・ライヒに関する世界を、ドキュメンタリーを挿入しつつ(ほとんどとっかかりだけだったが)、物語としてのフィクション(ストーリー)の部分では大胆な性表現とブラック・ユーモアをまじえ、体制主義への諷刺している。

・・・しかし、私思うに、体制批判をおおっぴらに語る人ほど、自分が自分を管理しなくてはなくなると何も出来ない。さらに思うのだが、消費者魂の人が管理批判をすると、結局アナーキズムにいってしまう。自己管理が出来るか出来ないかは、自己の中に生産性が在るか否かによって決まるのかもしれない。すくなくともドゥシャン・マカヴェイエフには、演出家としての才能はあっても、それはなさそう。
なのである程度管理下におかれたハリウッドで仕事したときは『コカコーラ・キッド』みたいな出来も良い、しかも本人の主張もきちんとはいっている作品になるのだけど、そうでない時につくった映画というのはどれもただのゲテモノ映画でしかない。映像センスがとびきりすごいのに、その才能の無駄遣いぶりは残念でしかたがない。

個人的にはこの映画で唯一感動したのチン型を取るときにお姉ーちゃんがおちんちんをヘルス嬢のごとく愛撫してくれるシーンがあるのだが、ここで「モルダウ」がBGMで使われている。これはよかった。自己管理できないドゥシャン・マカヴェイエフであるが、演出のセンスと絵作りのセンスだけはとてもよいのである(ただ、本作では、画面のセンスのよさはあまり出ていないのだけど・・)。

あと・・最後はやっぱり死人が目覚める。これは『スウィート・ムービー』でもそうなのだが、殺しても最後はおちゃらけてしまうマカヴェイエフのいつもの手段である。

by ssm2438 | 2010-10-05 17:56 | D・マカヴェイエフ(1932)
2010年 10月 04日

スウィート・ムービー(1974) ☆

f0009381_1326198.jpg監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
製作:ヴァンサン・マル
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:ピエール・ロム
音楽:マノス・ハジダキス

出演:キャロル・ローレ (ミス・カナダ)

       *        *        *

「リビドー」と「エロス」の詰まったつまらないけど、すごい映画。

映画の中では2つのストーリーラインが展開されているが、その二つがなぜひとつの映画の中にあるのかまったく意味不明。たぶんないと思われる(苦笑)。

ひとつのストーリーは、84年のミス・カナダに選ばれたキャロル(キャロル・ロール)が、資産家と結婚し、離婚し(劇中では正式に離婚はしてないのかもしれない)、その後ヨーロッパに飛ばされエッフェル塔でメキシコソングを歌う男とエッチをし、膣痙攣をおこし、次に訪れた銀河コミューンで尾下劣なスカトロショーの体感する。
最後はチョコレートを全裸で浴びてそのぬちょぬちょのなかでCM撮影。
f0009381_13282099.jpg
もうひとつのストーリーは、「サバイバル号」の船長アンナ・プラネッタ(アンナ・プルクナル)は、自転車にのって彼女を追いかけてくる水兵(ピエール・クレマンティ)とやがて二人は船上で愛しあい、どこぞでひろったのか子供たちを船に誘い入れてはいかがわしく女を教え込み、どうやら最後は殺したらしい。水夫も砂糖にまみれてアンナとエッチをし、「このまま死ねたらどんなに幸せか・・」ともらすと、砂糖に埋もれたままアンナにナイフで刺され死んでしまう。「サバイバル号」からは少年たちの死体が発見され、アンナと船員のは逮捕される。
(なぜか、最後ではその死んだ子供たちが生き返る・・・、意味不明)。

f0009381_1328273.jpgドゥシャン・マカヴェイエフ『コカコーラ・キッド』を撮ってくれたおかげで私のお気に入りの監督さんの一人にあげられるのだが、壊れている映画はこわれまくっている。この映画もなんというか、ストーリー映画としてはまったくもって意味がない。どういう思考でこういう映画がうまれたのかよくわからないが、理性の壁を突き抜けて、人間の根本的欲求をフィルムのなかで役者たちに実行させたおどろおどろしい映画。

はじまって5分で「これははずしたな」って思ったのだが、なんだかんだと最後までみてしまった。この映画に関しては、やってることははちゃめちゃなのだが、ドゥシャン・マカヴェイエフの映像作家としてのセンスはたぐいまれなるものがあり、どうしてもみてしまうのである。音楽のつけかた、音の入れ方。広角レンズから望遠レンズまで実に効果的につかってくれる。美しく撮ることも出来る。おどろおどろしく撮ることも出来る。期待のさせ方、期待の裏切り方、技術力だけみると「この人は天才だなあ」って思わせてくれる。

・・・でも・・・、個人的にはどうでもいい映画のひとつにはるかな。映画の根底に流れるスピリットに生産性がないので、見ていて面白くない。

by ssm2438 | 2010-10-04 13:33 | D・マカヴェイエフ(1932)
2010年 10月 02日

ラ・ヴァルス(1990) ☆

f0009381_11264150.jpg監督:実相寺昭雄
脚本:渋谷利秀/実相寺昭雄
撮影:島田求
音楽:淡海悟郎

出演:加賀恵子

       *        *        *

実相寺昭雄のかつての面影まるでなし!

「実相寺昭雄がAV女優&男優をつかって映画を撮った」ということで話題になったのだが・・中身はひどい。

私も子供のころは実相寺昭雄『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』『シルバー仮面』で育った人間なので、この人の、あの頃の作品はけっして嫌いではないのだが、1971年の『曼陀羅』以降はまるでダメ。実相寺昭雄がみていて楽しいのは1970年の『無常』まで。それ以降はどれも奇抜なだけのつくりであり見るに耐えないで出来になってしまっている。この『ラ・ヴァルス』も例外にもれずひどい。

内容は・・
レイプ事件がおきた。被害者は歯科衛生士をしている川村弓子(加賀恵子)という女性だった。しかし被害者・弓子と容疑者・久保三郎の供述はまったく噛み合わないものだった。容疑者の弁護を引き受けた国選弁護人の安達は、事件の真相を探るため、弓子の身辺調査を始めるのだが・・・というもの。

語り口は黒澤明『羅生門』システムを使っており、登場人物の立場によってその証言映像が展開されるが、その内容がそれぞれの立場で違っているとうもの。
この語り口自体が嫌いな私にとってはこの映画で見るものはまったくない見る気がうせるのだがそれ以上にチープな映像もダサダサ。制作したのがAVメーカーのKUKIというメーカーなのだが、やはり映像構築力不足を感じる。というよりも、このころの実相寺昭雄の映像はあまりにつまらないので、大手の製作会社が作ったとしてもダメだっただろう。役者も加賀恵子では花がなさ過ぎる。当時名前がうれていて樹まりことか鮎川真理なども出ているのだが、なんで加賀恵子だったのでしょうね? 普通に売り上げ考えるとこんな配役には絶対ならないだろうし、なにかしらプライベートな事情があったんじゃないだろうかと思ってしまう。

by ssm2438 | 2010-10-02 11:27
2010年 10月 02日

マイクス・マーダー(1984) ☆

f0009381_7194532.jpg監督:ジェームズ・ブリッジス
脚本:ジェームズ・ブリッジス
撮影:レイナルド・ヴィラロボス
音楽:ジョン・バリー/ジョー・ジャクソン

出演:デブラ・ウィンガー

       *        *        *

いじくりまわされすぎ・・・。

実際この映画の脚本の段階では、『メメント』などのように、時間逆行型の物語だったらしいが、出来上がったフィルムをみると全然わけがわらず、これではダメだと判断した映画会社が時間軸にそった物語になるように組み替えたとか。そんなわけでジョー・ジャクソンの音楽も一部を残して作りなおし。そんなわけでジョン・バリーが尻拭いをさせられたようだ。

大体の物語はこう。

ベティ(デブラ・ウィンガー)は、彼女のテニスコーチ・マイクと付き合いはじめた。しかしマイクの態度は不透明で。「かならず電話するから・・」といつも言うのだが、ほとんど彼から電話をかけてくることはない。どうやら彼は他にもあっちこっち手をだしているらしい。そんな彼がトラブルに巻き込まれたらし音信普通になるが、3ヶ月してふたたびベティに連絡をとってくる。彼女は待った。しかし彼は来なかった。彼はベティに会うまえに殺されたのだ。ベティは彼に何が起きたのか、真実を見つけ出そうとするのだが・・・。

映画は、直接的な情報を得られないまま、日々を過ごすことになったマイクの恋人ベティが、客観証拠(二人の写真とか誰かから聞いた伝聞)だけで恋人だったマイクという人間像をこうちくしていく物語・・ということになるのだろうが、結果として物語はまったく意味不明、意図不明(というか・・、頑張って解釈してあげようという気にさせてくれない)。

監督・脚本は私の大好きなジェームズ・ブリッジス『ペーパーチェイス』『地球爆破作戦』『チャイナシンドローム』の監督さんである。おまけにデブラ・ウィンガーが主演。これは観なければ!と当時VHSをレンタルしてみたのだが・・・映画は残念な出来だった。総てのことが不完全な情報提示でおわっているので、見ている人が完結することができないのである。

タイトルは『マイクス・マーダー』(原題『Mike's Murder』)なのだが、マイクが殺した殺人事件なのか、マイクが殺された殺人事件なのかもよくわからない。劇中ではそのマイクという人物は殺されてるらしい。しかしその死体か画面では映し出されないし、他にも殺された人が出てくるのだが、こちらも顔が隠されているので、実は「こっちの死体がマイク?」とか、必要のない(実は必要だったのかもしれないが)かんぐりまでしてしまう。

by ssm2438 | 2010-10-02 07:22
2010年 10月 01日

レタッチ/裸の微笑 (1994) ☆☆

f0009381_219591.jpg監督:ジム・マクブライド
脚本:マイケル・ハースト
    ジム・マクブライド
    ジャック・バラン
撮影:アフォンソ・ビアト
音楽:フィリップ・サルド

出演:ケイト・ベッキンセイル

       *        *        *

おお、若き日のケイト・ベッキンセイル!

すいません、私も彼女のヌードを楽しみにみた一人です。監督は脱がし屋ジム・マクブライド。でも『愛の拘束』なんかよりははるかに良かった。でも、この人の「遥かに良い」は、一般的見方のアベレージなので、本質はダメ監督のカテゴリーなのだけど・・(苦笑)。
ただ・・・この映画のなかのヌードはそれほど長時間でもないし、あまりインパクトのあるようはものでもなかったのだけど・・。大体彼女のヌードが必要だったようには思えないし、それ以前になんで彼女がそんなにボーイッシュなルックスで出ないといけなかったのか? ワキ毛はもさもさのままだったのか・・?? よくわからない。もうちょっと彼女を綺麗に取れたと思うのだけど・・・。

今回ベッキンセイルが演じているのは絵画の修復師。やっぱり絵を描く人間としてはこの手の人間の仕事はそれなりにきになってしまう。ただ、やっぱり絵描きの仕事を描いた映画だとジョン・バダム『迷宮のレンブラント』のほうが遥かに好きかな。まあ、ジム・マクブライドをジョン・バダムとくらべたらジョン・バダムに失礼だとは思うが・・・。

しかし、話はけっこう面白そうなのである。

15世紀に描かれた未完の絵画“チェスに興じる紳士達”の修復を依頼されたケイト・ベッキンセイル。仕事をはじめてみると、塗り固められた絵の具の下に、ラテン語で描かれた文字があるのに気づく。その文字は「この人が騎士を殺した」と書かれていた。絵画のオーナーから、遠い昔に先祖の1人が謎の死を遂げていると聞かされたジュリアが、この句の謎を探ろうとした時から、ジュリアの周りで人が殺されていく。

・・世間で書かれているサマリーはこのようなものだが・・、なんか今ひとつ盛り上がらない。まあ、無能監督ジム・マクブライドなのだから仕方がないのだけど、もうすこし原作の面白さを出せなかったものなのかな?って思ってしまう。
ストーリー展開的に難があるのは、絵画の中で語られている殺人は15世紀のもの、現実でおきる殺人とはまったく関係ないわけだ。それを無理やり関連付けようとするところに無理があるような気がした。これが『ダヴィンチコード』みたいに、現実とのかかわりがきちんと織り込めたら少しはおもしろくなっていたのに、うむむむ、映画を見た限りでは、原作はけっこう面白そうなのだが・・・残念。

by ssm2438 | 2010-10-01 00:59
2010年 10月 01日

チャーリーズ・エンジェル(2000) ☆

f0009381_20532648.jpg監督:マックG
脚本:ジョン・オーガスト/ライアン・ロウ
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:エド・シェアマー

出演:
キャメロン・ディアス (ナタリー)
ドリュー・バリモア (ディラン)
ルーシー・リュー (アレックス)
ビル・マーレイ (ボスレー)

       *        *        *

TVシリーズで育った私にはちょっとダメだった・・かな。

もちろん新しく作るわけだから、過去のものをそのまんまトレースする必要はないのだけど、できるなら過去のものよりもハードにシビアにしてほしいかな。しかし、そんな方向性にはなるはずもなく、軽くて陽気なアクション映画になってしまったとさ・・。
まあ、この手の映画で満足できる人はそれでいいのかもしれないが、やっぱりちょっと物足りないかなあ。

テレビシリーズではもう少しサスペンス性がつよくって、私立探偵事務所の潜入捜査をする女性エージェントって感じだった。この女性探偵モノの場合は、どうしても見ている男連中が潜在的に期待していることは、女性捜査官が捕まって、適度にいじめられ、絶えてる姿をなのである。すくなくともテレビシリーズでは、そのシーンが現実になくともそれを潜在的に期待している自分がいた。そしてそれを期待する媒介としてのファラ・フォーセットジャックリン・スミスもいた。けど、この映画からはそれが期待できない。今回のこの3人ではかるいギャグはできても、いかがわしい妄想ができない。

映画って、表面的には見えないけど、心の奥底に訴えかける大事なものってあるはずだ。それをこの映画の作り手たちは理解出来なかった・・ということなのだろう。

もうひとつ、個人的にロープアクションが大嫌い。あの不自然さをみるとむかついてしまう。やるんならそれを不自然にみせないプロの技術をみせてほしいものだ。

by ssm2438 | 2010-10-01 00:15
2010年 10月 01日

ペイバック(1999) ☆☆

f0009381_20172044.jpg監督:ブライアン・ヘルゲランド
脚本:ブライアン・ヘルゲランド/テリー・ヘイズ
撮影:エリクソン・コア
音楽:クリス・ボードマン

出演:
メル・ギブソン (ポーター)
マリア・ベロ (ロージー)

       *        *        *

たかが7万ドルで・・っていうけど1ドル=100円なら700万円。けっこうでかい額だとおもうんですけど・・。

まあ、物語の中でならでかくないのかもしれないけど、うちら庶民にしてみればやっぱりでかい。すくなくとも、そのくらい合ったら2年間は仕事しないでもいいし・・。

監督のブライアン・ヘルゲランドは監督がめいんというよりも脚本がメインの人。でも、けっこういいものを書いてる。『陰謀のセオリー』『ポストマン』『L.A.コンフィデンシャル』にしても、なかなかしっかりしてると思う。この映画は・・・ただ、ちょっとのりだけだったようなきもしないでもない。あと、「7万ドル」がでかいよ。700ドルくらいだったらあの無鉄砲さが映画のポイントになるとおもうのだけど、普通の庶民にとっては7万ドルだったらそらしゃかりきになるよ。

ただ、この映画でいいのは、マリア・ベロがでてたこと。『コヨーテ・アグリー』のバーのオーナーさんが彼女だったのだけど、いやああああ、彼女いいですねえ~~。なんでブレイクしないんでしょう。こんな良い女なかなかいないと思うのだけど。

<あらすじ>
チャイニーズ・マフィアから14万ドルを奪ったポーター(メル・ギブソン)だが、相棒のヴァル(グレッグ・ヘンリー)はその金を持ち逃げしてしまう。ヴァルは某組織からの借金があったため、その返済にあてたことをしる。ポーターはヴァルが娼婦としけこんでいたホテルを急襲、自分の取り分の7万ドルの返済を約東させる。しかし面倒を嫌う組織はポーターを殺すようヴァルに命じた。ヴァルの息の根を止めると、7万ドルはその組織に払わせるとばかり、組織の事務所に乗り込む。

このへんにくると、なんだか・・・????の展開。
組織というのは、相棒のヴァルに金を貸していたのだから、それを返してもらうのは当たり前。どう考えても主人公がこの組織にお金を返済させるというのは、ゆすりたかりも良いところ。これではクソ中国人と同じではないか!?
沖縄返還の時にアメリカから日本にもどってきた尖閣諸島。
しかし海底にガス田があると知ると「尖閣諸島はうちの領土である」といいだし、すぐ洗脳される国民をそう教育(洗脳し)、巡視艇に体当たりしてきたアホ船長を逮捕したことに言いがかりをつけ、こんどは日本人を人質にとり「返さんとこっちも返さんぞ」といいだす。いつから中国人は北朝鮮人になったのだ???

この映画の主人公のポーターもそのお金をその組織に出させるために、組織の幹部の息子を人質にとりお金をせびる。ほんとクソ中国人そのものなのだ。この映画をみているとクソ中国人思想が全面に出てるようなきはがして気分が悪い。

by ssm2438 | 2010-10-01 00:01