主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

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妖星ゴラス(1962) ☆

f0009381_2391366.jpg監督:本多猪四郎
脚本:木村武
撮影:小泉一
音楽:石井歓
特技監督:円谷英二

出演:
池部良 (宇宙物理学会・田沢博士)
上原謙 (宇宙物理学会・河野博士)
志村喬 (古生物学者・園田謙介博士)

       *        *        *

あれ・・・、これってトドラ???

ああ、やっぱりそうでしたか。どこかで観たような怪獣だなあって当時おもったものです。

巨大は妖星ゴラスが地球の軌道上を通過し、、こもままいくと不運にも地球に激突するということが判明する。そんなわけで、南極に巨大なロケットブースターを取り付けて、地球をその軌道上からどけさせてしまおうという話。
本来怪獣なんか登場させる必要がない話なのだが、どこかのバカが「それでは誰もみない」と思ったのだろう。南極のロケットブースターを作っているところに巨大怪獣マグマが出現(しかし10分足らずでやられちゃうのだけど・・)するという、どうでもいいシーンがある。その怪獣がどうみても『ウルトラQ』に出ていたトドラに見えてしまうのだが、どうしてだろう・・と長年思ってた。
実際はこちらの怪獣マグマのほうがオリジナルで、のちに『ウルトラQ』でその怪獣にヒゲを付け加えて怪獣トドラとした・・というのが、本当の話らしい。

この物語の設定は当時の近未来。1979年前後である。すでに人類は火星をはるかにとびこし土星探査にむかっているという設定。しかし、パロマー天文台が質量が地球の6000倍もある妖星ゴラスを発見。土星に向かって飛び立ったその宇宙船JX-1号はコースを変え、この星に向かうが、ゴラスの重力に引き寄せられ帰らぬ人となった。しかし、この事件を分析したけった、「ゴラスが今の進路を保つと地球に衝突する」という事実が導き出されるというもの。

このコンセプトは後に、ゴラスがマイクロブラックホールに変わり、『さよならジュピター』として小松左京が復活させている。もっとも、小松左京がこの『妖星ゴラス』を意識したかどうかは不明だが・・、考え付くのは誰しも同じこと・・ということなのかもしれない。
『さよならジュピター』では、地球に向かってくるブラックホールに木星をぶつけてなんとか地球を存続させようとするもの。この『妖星ゴラス』では、南極にロケットブースターをつけて地球を衝突軌道から回避させるというもの。もっとも、この方法論でいけば、かなりの距離まで地球を動かさないといけないことになりそう。さらに、地球にそれだけの加速度を加えると、大気の膜も破けてしまいそうなのだが・・、その辺はすっ飛ばしにされてしまってる(苦笑)。

そうはいっても、前代未聞の危機に人類の生産性が挑戦するというコンセプトはとても素晴らしい。他の怪獣映画よりも、コンセプトとしてはもっとも作るに値する意義ある映画だったと思う。

ちなみに土星探査にむかうJX-1隼号は、1979年9月28日に富士山麓から打ち上げられるのだが、この日はパソコン記念日で、NECが日本発のパーソナルコンピュータ「PC-8001」を発売した日。
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<あらすじ>
1979年土星探査船JX-1隼号の犠牲により、地球にむかって来る大質量の星ゴラスがの存在が確認された。
地球が生き残る道は「ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、その2つしかない」。
田沢博士(池部良)と河野博士(上原謙)は国連科学会議で、“南極に建設した巨大ロケット推進装置によって、100日間で地球を40万キロ移動させ、その軌道を変える”という「地球移動計画」を提案。アメリカやソ連も似たような研究を行っていたことから計画は一気に進み、各国一丸となって建設に取り掛かった。一方、日本が打ち上げた JX-2 鳳号がゴラスに接近、ゴラスの質量は地球の6200倍であることを確認、もはや爆破は不可能という結論が出される。
南極に完成したジェットパイプ基地のジェット噴射は、地球を計算通りの速度で動かし始めた。その間も、ゴラスは彗星や土星の輪を飲み込みながら地球に接近しつつある。さらに、南極に眠っていた巨大生物・マグマが突如目覚め、施設の一部に損傷を与えるが、田沢らによりマグマは葬り去られる。
そして1982年2月、ゴラスと地球が最接近する日を迎えた。地球上ではゴラスの引力により、各地で天変地異が発生し、富士山麓宇宙港の宇宙船も次々と地中に飲み込まれていく。
by ssm2438 | 2010-12-28 23:10
f0009381_2322373.jpg監督:ロジャー・スポティスウッド
脚本:コーマック・ウィバリー/マリアンヌ・ウィバリー
撮影:ピエール・ミニョー
音楽:トレヴァー・ラビン

出演:アーノルド・シュワルツェネッガー (アダム)

       *        *        *

いやあ、面白かった!

ラジー賞なんか何処吹く風。普通に面白かった(笑)。最後、クローン君も生き残るのも素敵だ。

しかし、この映画の原題は『THE 6TH DAY』(6番目の日)。 6th系 のタイトルのつけ方はなんとかならんものでしょうか? 『シックスセンス』もそうだけど、「第6番目」と「6つの」は意味的に変わってくる。そこは邦題の漬け方ででなんとかニュアンス出してほしいものです。
日本の映画タイトルのつけ方は、複数形の最後の「s」を省いたり、第何番目の「th」を省いて使ってしまうので、タイトルから受ける印象が変わってきてしまう。この映画も、タイトルを聴いた時は、「6デイズ」(=6日間)の最後の s が抜けたんだなって解釈してたら、原題チェックしたら『THE 6TH DAY』(=6番目の日)の意味だった。

人間のコピーを題材にしたお話は数々あれど、今でも一番インパクトがあるのは藤子・F・不二雄『パーマン』だなあ(笑)。
冴えない小学生須羽ミツ夫がある日、宇宙人からもらったパーマンセット(マスク、マント、バッジ)を装着すると怪力や空を飛ぶ能力などを授かり、その力を生かして正義のヒーローになるという物語。主人公たちがパーマンとして活躍している間、コピーロボットがその存在のアリバイをつくってくれるのだけど、その鼻を押すことで押した人間の容姿や性格までそっくりのコピーしてしまうという代物。パーマンとして活動して戻ってくると、おでこをあわせて、コピーロボットの記憶をうけとるという仕組み。
コピーものの概念としてはどうしても「性格までは受け継げない」というのが一般的な認識だけど、性格まで上kついでしまうとうところがこのコピーロボットの味噌で、ミツオのコピーロボットは、自分が宿題やらされている間に主人はパーマンになって活躍してて、それをねたんだりする。ミツオはパーマンになって、活躍している間は優越感にひたれ、その間にコピーロボットが宿題をやってくれて万々歳と思いきや、コピーロボットは自分と同じようになまけてて宿題なんか良い加減にしかやってない・・・ってところが実に素敵。
この『シックスデイ』映画をみてると、そんなことを思い出してしまった。

クローンもののツボをきちんとやってくれたのは『ブラジルから来た少年』だろう。
こっちは、ヒットラーの遺伝子からヒットラーを再生産するために、ヒトラーのゲノムを受けついだ子供達を、世界中のヒトラーの家族に似た両親の性格・家庭環境の親元に預けるというもの。主人公達がそのブラジルからきた少年たちの足取りを追うと、そこではヒトラーの幼少時代と同じ顔をした少年たちが、どれも似通った家庭環境でそだられていることにぞっとするというもの。
しかし、こちらの物語では、時代背景もちがい、テレビや、ラジオ、学校の環境も違うので、やっぱりヒトラーに似た人間はつくれても、ヒトラーをそのまま再現するこは出来ないって、人道的なところにおちつく仕組みになっている。

この映画では、性格までコピーできてしまうので、そのあたりはファンタジー的要素が強いのだが、正義感のつよいシュワちゃん二人がタッグを組んで敵と対決するアタリはなかなか楽しい。きっとサンダとガイラが一緒になって暴れたらこういう楽しさをかもし出し射たかもしれない(笑)。

<あらすじ>
人間のクローン化は可能だが、そのこと事態は法律で禁止されている近未来。
チャーターヘリの飛行士であるアダム・ギブソン(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、誕生日の日、娘が飼っている愛犬が病気に係り処分されることになる。その日はとある会社の重役を乗せて飛ぶ仕事があったのだが、妻からの強い催促にあいリペット業者(ペットのクローンをつくる)を訪れることになる。そのため、仕事を友人に代わってもらった。結局ペットのクローンを作ることには抵抗があり、そちらは断念。その替りに世話おするタイプの人形さんを買って帰ってみると、既にうちの中に自分がいる。
本来彼が請け負うはずだった仕事は、事件に巻き込まれ、その重役は殺され、パイロットも殺されていた。しそれをカモフラージュするために、パイロットのクローンが作られていたのだが、書類上はアダムがそのパイロットであったため、アダムのコピーが製造されたようだ。自分の身に襲いかかった事件の秘密を探るためその場をはなれるアダムだが、周りの人々が次々と事件に巻き込まれていく。
最後は、自分の家族を奪ったクローンと共闘、二人で協力して人質にとられた妻と子供を助け出すアダムとアダムのクローン。
by ssm2438 | 2010-12-26 23:23

シシリアン(1969) ☆☆

f0009381_521104.jpg監督:アンリ・ヴェルヌイユ
脚本:アンリ・ヴェルヌイユ
    ジョゼ・ジョヴァンニ
    ピエール・ペルグリ
撮影:アンリ・ドカエ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ジャン・ギャバン (ヴィットリオ・マナレーゼ)
アラン・ドロン (ロジェ・サルテ)
リノ・ヴァンチュラ (ル・ゴフ警部)
イリナ・デミック (ジャンヌ)

       *        *        *

ぽよぉぉぉぉぉぉん~♪

なるほど・・・、確かに言われてみると気になる<ぽよぉぉぉぉぉぉん~♪>である(笑)。
メインテーマのなかでやたらとこの<ぽよぉぉぉぉぉぉん~♪>という旋律が出てくるのである。まじめな音楽のようで、どこかふざけた味付け・・・、少なくともハリウッドのギャング映画『ゴッドファーザー』では決して取り入れられない旋律だろう(苦笑)。
この映画をはじめてみたのは小学生高学年の頃。当時の水曜ロードショー(解説・水野晴郎)か月曜ロードショー(解説・荻昌弘)のどちらかでみた覚えがある。先ごろケーブルでやっていたので懐かしくなって観てしまった。

フランスのメインどころ、アラン・ドロンジャン・ギャバンリノ・バンチュラが登場した映画で当時としては業火キャストだったに違いない。アラン・ドロンが一匹狼の泥棒に扮し、ジャン・ギャバン演じるシチリア・マフィアと手を組み、パリからニューヨークへ移送させる宝石を盗み出すとという話。
ハイジャックした旅客機を新設中の高速道路着陸させるという、マフィアのやる仕事としてはかなり大掛かりなエピソードで、当時は「おお!」と思ったものだ。CGもない時代の特撮で、着陸する機体はマスク合成で高速道路にアプローチしてき、実際着陸している飛行機は空港で撮影されている。しかし、周辺を極力見せないアングルでそれが空港とは判らせないように頑張っているが、よくよくみると高速道路には見えない(苦笑)。

だからといって作品の質がおちるわけではないのだ。この映画のポイントは、庶民的なファミリー・ビジネスとしてのシチリア・マフィアの描き方だろう。家族の結束がやたらと強いのである。ジャン・ギャバンをドンとするファミリーは、その息子達が、嫁や子供をともなって一同に解して食事をしたりテレビをみたりしている。そこに登場するフランス女のジャンヌ(イリーナ・デミック)。ジャン・ギャバンの息子の嫁なのだが、彼がアラン・ドロンと浮気をしたってことがばれて、アラン・ドロンは排除されてしまう。それも浮気現場を孫に見られて、それを家族だんらんの場で、その子供がポロリと言ってしまうという展開。
とはいえ、ハリウッドのマフィア映画ほどの残虐性はないので、かなりさらりと見られてしまう。

『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンはあってると思うのだけど、この人がギャングなんかをやってしまうとどうも違和感を感じる。命をかけた<凄み>というのは出せない役者さんなのだ。実際、どの方向性で役を与えるか、かなり難しいキャラクターだったように思えてしまう。
刑事役のリノ・バンチュラは・・・なんかいちいちもったいぶらせるので、違和感を感じてしまった。もうちっと自然は演技は出来なかったものか・・・。

<あらすじ>
一年ほど前にル・ゴフ警部(リノ・バンチュラ)に逮捕されたサーテット(アラン・ドロン)は、パリに住むマフィアのボス、ビットリオ・マナレーゼ(ジャン・ギャバン)の助けを借りて脱走する。その後しばらくの間、ビットリオにかくまわれていたサーテットは、ビットリオの息子アルドの妻ジャンヌ(イリーナ・デミック)と人知れず愛し合うようになっていた。
サーテットは、獄中仲間から手に入れた宝石強奪の仕事の話を、ビットリオにもちかけた。心動かされた彼は、パリからニューヨークへ宝石を運ぶ飛行機を襲うことに決められた。ハイジャックした旅客機を建設中の高速道に着陸させるという計画は成功し何億ドルという宝石を略奪してしまった。しかし、孫の口から、サーテットとジャンヌに浮気の事実があったことをしるビットリオ。
シシリー人の面目を汚されたビットリオは、ジャンヌともども殺そうと思いサーテットを呼び戻す。ビットリオは、パリ郊外で分前を払うとサーテットに伝え、ジャンヌをつれてその場に出かけた。殺気をはらんで向い合う両雄。最初に火を吹いたビットリオの銃が、サーテットの身変りになったジャンヌを血にそめた。そして、つづけざま、サーテットの身体に、弾丸がぶちこまれた。二人の死骸を残し、戻って来たビットリオ。しかし、そこには、ル・ゴフ警部が彼の帰りを待ち受けていた。
by ssm2438 | 2010-12-26 05:24

ツイスター(1996) ☆☆☆

f0009381_21405462.jpg監督:ヤン・デ・ボン
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:マイケル・クライトン/アン・マリー・マーティン
撮影:ジャック・N・グリーン
音楽:マーク・マンシーナ

出演:
ヘレン・ハント (ジョー・ハーディング)
ビル・パクストン (ビル・ハーディング)

       *        *        *

タツマキをCGで作りたかったんだね・・

これは竜巻オタクの話で、ディザースター・ムービーのカテゴリーにははいらんだろうなあ・・・。まあ、無理して入れる必要もないのだけど。しかし、これはこれでけっこう気に入っている映画だったりする。
やはり、CGをつかった竜巻の見せ方はスゴイ。技術が進歩したからこれだけの映像が作れたので、CGのない時代だったら絶対不可能な映画のひとつだろう。

この映画は、「竜巻チェイサー」をいう、竜巻を追いかけて観測する竜巻オタクの話。ディスカバリー・チャンネルなんかでもみたことがあったので、ああ、こういう人たちがいるんだって事は知っていたが、その生態がこの映画のなかでは描かれていた。ヘレン・ハント演じる主人公は「ドロシー」と名付けられた軽い金属球を竜巻の中心に放出し、いまだ知られていない竜巻の内部の動きを調べることに情熱を燃やしている女性。なので、その金属球を竜巻に吸わせるために、竜巻に接近しなければならないという状況を構築し、竜巻を随所にみせる構成にしあげてある。

それでもなかなか竜巻にすいあげてもらえないドロシー。ヘレン・ハントはアルミ缶を斬って羽根にして、それでドロシーを竜巻に吸わせるという方法をみいだす。
・・・・しかし、そのドロシーが落ちてきたときににどうするのだろう?? きられたアルミ缶がかなり鋭利であり、それが落っこちてきたら、それはもう天からナイフが落ちてくるようなもので、人にあたったら怪我するんじゃないかと思うのだけど・・・。そんなことばっかり考えていると、その後の展開はなかなか楽しめないものになっていた。なんかこういうのが一つあると、けっこう引きずってしまうのである。この映画の場合は、一事が万事で、都合の悪いことは考えないようしている脚本なので、そういう意味ではかなりそこの浅さを感じてしまう。

そんな部分もあるのだが、この竜巻のCGの画面は見ておく価値は充分にある映画だと思う。

<あらすじ>
幼い頃竜巻によって父を失ったジョー・ハーディング(ヘレン・ハント)は、今では竜巻の研究者になり、「ドロシー」と名付けられた軽い金属球を竜巻の中心に放出し、いまだ知られていない竜巻の内部の動きを調べることに情熱を燃やしてた。向こう見ずな彼女の性格についていけなくなった夫のビル (ビル・パクストン)とは既に別居状態であり、彼には新しい恋人もいた。二人の離婚は既に決定的であり、あとは離婚届にジョーがサインすればそれで終わるはずだった。
離婚届にサインをもらいにきたビルは成り行きからジョーたちのチームに同行することになる。一緒に行動をしているうちに、ジョーのことがほっておけなくなるビル。湖水の水を吸い上げ、牛をも巻き込む竜巻は、合体してさらに巨大化していく。ドロシーをなんとか竜巻に喰わせようとするが、竜巻は「ドロシー」を吸いあげてくれない。氷雨の中、絶望に囚われそうになるジョーを励ますビル。
ジョーの叔母メグ(ロイス・スミス)の住んでいるワキタの街が竜巻に襲われる。彼女の家は崩壊寸前だったが、ジョーとビルは間一髪のところで中からメグを救出す。そこでジョーは、メグの家にあった風車の羽を見て、ドロシーを飛ばす方法を考え付く。アルミ缶を切って加工した羽を観測球に付けるのだ。

最大級に成長した竜巻に接近するジョーとビル。ライバルチームはその竜巻に飲み込まれていく。ビルとジョーは竜巻の進路に先回りし、「ドロシー」が中心部に来るように設置した。ジョーのアイディアは成功し、データが次々と送られてきた。逃げ遅れた2人は暴風の中、農家の小屋に体を縛りつけて上空を竜巻が通過するのをまのあたりにする。
by ssm2438 | 2010-12-23 21:43
f0009381_19271491.jpg監督:和泉聖治
脚本:和泉聖治
撮影:佐々木原保志
音楽:笹路正徳

出演:岩城滉一(富島亮)/安田成美(石山礼子)

       *        *        *

岩城滉一の声がやたらと軽すぎて・・・

弟をヤクザに殺された兄の復讐劇。原作は、小説家としても有名でノンフィクション作家としても知られる佐木隆三の同名小説。ドラマの舞台は沖縄に設定してあり、主人公も米軍についてまわる戦場カメラマん。そんなわけで銃の入手も可能だということなのだろう。銃の扱いをけっこうまめに映画なのだが、映画としてはかなりつまらない。

この映画で驚いたのはオートマグを日本の映画のなかではじめて見たこと。『ダーティハリー4』クリント・イーストウッドがもっていたあの銃である。オートジャムと呼ばれ、やたらとジャムる大型拳銃なので、ほとんど趣味以外では使われることがなかった聴いていたが・・・この映画のなかでは本番使用ですか・・(苦笑)。モデルガンの販売元と提携でもしてたんでしょうかね?

監督は和泉聖治。最近は『相棒』の監督として、その仲に名前をつらねているが、私がこの監督の作品を始めてみたのは『沙耶のいる透視図』だった。これが妙にはまってしまい、あの感動を再び!とおもいレンタルしてみたのがこれ、『南へ走れ、海の道を!』。こちらは思いっきりカスでした。

弟を殺されて復讐に燃えてたはずの主人公が、さああとは引き金を引くだけだって時に、敵役の子供の写真をみてしまい怖気づいて逃走。そのあとライフルで狙撃されて死亡・・という展開も実にマヌケ。まあ、最後安田成美に物語を締めさせようとしたのは理解できるが、どうにも岩木滉一が甘々になってしまい
・・・・・・残念。

<あらすじ>
サイゴンで従軍カメラマんとして仕事をしていた富島亮(岩城滉一)が嘉手納基地に帰ってくる。そこで彼は男との哲(柳葉敏郎)が地元のヤクザ・琉球連合会に殺されたことを知らされ、復讐を誓う。そんな亮に米軍人のマックスは軍用のコルト1911を渡す。
琉球連合会の会長・桐生がのるリンカーンを一人の男(亮)が銃撃する。しかし桐生は防弾チョッキをきていた。死を免れた桐生は自分を銃撃した犯人を捜すべく、哲の恋人礼子(安田成美)をマークしはじめる。亮は礼子を沖縄から離れさせようとするが、彼女は拒んだ。
琉球連合の事務所に殴り込んだ亮は組員たちをけちらし、桐生に銃口を向け、引き金にかけた指に力をこめる。その時、桐生の傍に落ちていた桐生と二人の子供の写真が目にし、撃つことが出来ない。事務所から逃走した亮は、礼子と合流しフィリピンへ逃走を測る。しかし追ってきた琉球連合の男にライフルで狙撃され命を落とす。
琉球連合の事務所が警察に踏み込まれ、組員とともに桐生も逮捕された。連行されていく桐生の前に、血まみれになった礼子が立った。礼子は愛する二人の男の怨念を込めて、引き金を引いた。
by ssm2438 | 2010-12-23 19:28

ディーラーズ(1989) ☆

f0009381_12581864.jpg監督:コリン・バックシー
脚本:アンドリュー・マクレヤー
撮影:ピーター・シンクレア
音楽:リチャード・ハートレイ

出演:
ポール・マッギャン (ダニエル)
レベッカ・デモーネイ (アンナ)

       *        *        *

二匹目のドジョウはいなかった・・・。

『ウォール街』でマネーゲームを映画にしてスマッシュヒットを放ったオリヴァー・ストーン。それに続けとばかりにイギリスでもマネーゲーム映画が作られたのだが・・・・、こちらはあまり面白いとはいえなかった。それでもベッカ姐さん出てるのでついつい劇場に足をはこんでしまった悲しい性。

物語は、多額の損失をだしたロンドンのある銀行のディーラーが、、その責任感から自殺するところから始まる。主人公たちは、この損失を取り戻すためにいろいろがんばるというのは基本のストーリーラインなっている。しかし、この映画、作り手のご都合主義があまりに目立ってしまい、亜hらはらどきどきしないのである。

最後はアメリカのGNPがよくなり、ドルが反発、それにかけていた主人公たちが勝利するというものだが、GNPがよくなるという根拠がまったくというほど描かれてないので、物語を書いた人の都合でそうなってるとしか思えないのだ。おかげで、最後ドル反発でのぼろ儲けもどうもピンとこない。
ベッカ姐さんに関しても、彼女を鑑賞するにはいいんだけど(サービスカットも一応あるし)、主人公と彼女は良い仲になっていくのもいまいち必然性をまったく感じない。この映画はなにからなにまで必然性とうのがないのである。なので、おきることがすべてが物語の作り手のご都合主義的展開にみえてしまうという、かなりお粗末な物語だ。

<あらすじ>
ダニエル・パスコー(ポール・マクガン)はその大胆な読みと資金運用で、ホイットニー・ペイン銀行ロンドン支店のトップディーラーになっていた。そこにドル担当の女性ディーラー、アンナ・シューマン(レベッカ・デモーネイ)が着任する。実はダニエルもドル担当の座を狙っていたのでアンナを敵対視していたのだが、アンナが新しい取引室長になったことから否応なしに彼女とチームを組むことになる。対照的な二人だが、反発しつつもしだいに魅かれあってゆく。ダニエルは長期ドル債の大量買いつけを隠密裏に進める。危険な賭けにアンナは危惧する。アメリカのGNPが発表され、ドルがジャンプアップ。見事ダニエルの読みが当りる。
by SSM2438 | 2010-12-23 13:04
f0009381_12343789.jpg監督:リー・タマホリ
原作:フィリップ・K・ディック/『ゴールデン・マン』
脚本:ゲイリー・ゴールドマン
    ジョナサン・ヘンズリー/ポール・バーンバウム
撮影:デヴィッド・タッターサル
音楽:マーク・アイシャム

出演:
ニコラス・ケイジ (クリス・ジョンソン)
ジェシカ・ビール (リズ)
ジュリアン・ムーア (リー・フェリス)

       *        *        *

ケイジ・ニコラスっていつでも仕事があるなあ・・・。

自分にかかわる2分先に未来までは、見えてしまう特殊能力を持った主人公を描いたフィリップ・K・ディックの近未来SF。
ディックの原作というのは、SFとして扱うよりもハードボイルドとして扱ったほうがベター。ハードボイルドの舞台がたまたま未来なり、近未来だったというコンセプトで映画にする方向性です。『ブレード・ランナー』などはそれが成功した良い例だけど、『トータル・リコール』なんかは・・・ちょっと残念かな。

この映画は・・・、ニコラス・ケイジが主演という段階で、ハード・ボイルドにはならないことが約束されたようなもの(苦笑)。使い勝手がいい役者さんなのでしょうか? 
個人的には、この人が主人公をやっているだけで、かなり見る気をなくす役者さんの一人なんですけど・・。やっぱりラブストーリーに向かない。なので、アクション映画などでもある、ロマンス系のエピソードがどうもしっくりこなくてって・・・。なので、この人が主人公をやって、ドラマのなかの女性役がこの人のほれるような展開がある場合はほとんど話に違和感を感じてしまう。

この映画の相手役は私の大好きなジェシカ・ビール。顔がいいというよりも、あのパッツンパッツンのジーパンルックがすてき。スカートの似合わない女優さんです(苦笑)が、珍しく今回は可憐系のキャラを演じていた。しかし・・・、ジェシカー・ビールがニコラス・ケイジに惚れてしまうって事自体がありえないこことのように感じて、なかなか気持ちよく見られなかったかな、これが。。。

監督は『007/ダイ・アナザー・デイ』のリー・タマホリ。007の映画のなかではかなり嫌いなほうの映画。たぶん近年のなかでは一番嫌いだろう。CGの使い方が下手。この監督の手法で特にきらいなのが、カット内で時間の速度を変えるのが実に嫌い! 作為性が画面からでてしまうということが、見る人を今日覚めさせるかしっててほしいものだ・・。もちろんニコラス・ケイジが主役ときまった時点でハード・ボイルドタッチにはならないことが歴然としてしまってるのだが、このリー・タマホリでもそれは無理でしょう。この人もドラマを作りこみたいと思うよりも(というかそんな高尚な能力はないし)、その他のカス監督とおなじでCG遊びをしたいだけの監督という印象が非常に強い。

エンディングも非常に気持ち悪い。もうちょっとスマートに、納得しておわらせてもしいものです。
しかし、最後だけは長期的な未来が見えたのは・・・エッチをした愛の力なんですかね??

<あらすじ>
2分先の未来を見ることができるクリス・ジョンソン(ニコラス・ケイジ)は、ラスベガスのマジシャンとして生きていた。あカジノの換金所で現金を受け取っていたクリスは、歩み寄ってくる男が強盗をする2分先の映像をみてしまう。クリスは反射的にその男を暴力で阻止する。その事件をきっかっけに、FBIのカリー・フェリス(ジュリアン・ムーア)が訪ねてくる。彼女は、ロサンゼルスを核兵器によって爆破しようとしているテロリストの陰謀を阻止するために、クリスに協力してほしいという。
ごたごたにまきこまれたくないクリスはそのオファーを断るが、最後は、それまで2分先しか見えなかったのに、長期的な未来が見えてしまう。その未来の中では、フェリスに協力するも核爆発が起こるエンディングをみてしまう。これではいかんと、フェリスに協力することを決意して物語りは終わる。
by SSM2438 | 2010-12-21 12:44

修羅雪姫(1973) ☆☆

f0009381_10232681.jpg監督:藤田敏八
原作:小池一雄/上村一夫
脚本:長田紀生
撮影:田村正
音楽:平尾昌晃

出演:梶芽衣子 (鹿島雪)

       *        *        *

・・・でもタランティーノは大嫌い。

原作は週刊プレイボーイに連載された、小池一夫原作・上村一夫作画による漫画であり、、明治初期を舞台に、母から託された怨念をはらすために、修羅の道を歩く娘・雪の姿を描くいたもの。この映画も、漫画的な見せ方をしている映画だな・・というのが第一印象だった。
個人的には、原作は原作であり、映画にする時はそれぞれのシーンを映画として演出してほしいなあって思う。たとえば最後のばっさり切断シーンでも、漫画で描いたらああなのだろうが、実際やったら(もしほんとに一刀両断で斬れたらだけど)、臓物はじゅるじゅるって出てきてほしいものだ。一事が万事で、演出の基本コンセプトがそういった感じなので・・・、個人的にはちょっと残念な気がした。

主演は梶芽衣子、大好きです。この人の目の凄みとうか、なんというか、素晴らしいですねえ。目に根性と魂と意志力を感じるます。人間国宝・天然記念物ものの目ですよ。瞳力にらめっこで梶芽衣子に対抗できるものがいるとしたら、大魔神くらいしかいないんじゃないでしょうか。
でも、個人的には『さそり701』とか、この『修羅雪姫』とかじゃなくって、普通の人物として描かれたもののほうが好きかなあ『動脈列島』の梶芽衣子さん、好きです。

監督の藤田敏八は、実は監督としてはあまり評価してない人の一人(苦笑)。でも不思議な経歴の持ち主で、若いころは監督業のほうがメインだったのに、鈴木清順監督作品『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞してしまい、徐々に俳優業のほうがメインになっていった監督さん。

演出的にはやたら血しぶきを飛ばすのだが、これがオレンジ色なのでめちゃめちゃチープにみえる。この監督さん、自分の血がどんな色してるのかみたことないんでしょうか? 確かに動脈をながれる血というのは鮮やかないろだけど、静脈の血はかなり赤黒い。血のりを作る前に血液検査にいって一度血の色を確認してから作ってほしかったなあ。

<あらすじ>
明治6年のある日、農民から金を騙し取った竹村、塚本、おこの、正景徳市の四人は、小学校教師の鹿島剛と息子の司郎を撲殺し、剛の妻・小夜を犯し村から逃亡を図った。徳市は小夜に殺されたが、他の3人は逃走した。殺人の罪で無期徒囚となった小夜は生まれてきた子・お雪に怨念の総てを託すと息をひきとった。元旗本の僧侶・道海和尚に引き取られたお雪は、道海のもとで、剣術の激しい修業をつんで修羅の子として成長した。
最初に所在がわかったのは竹村だった。彼は娘・小笛と二人で貧困と病苦の中で暮していた。小笛は土地のヤクザ・浜勝から身体を代償にして生活費を借りていた。竹村を抹殺したお雪(梶芽衣子)は、竹村が自殺したことにして、その娘小笛を、関東一円のスリの親分・タジレのお菊のもとへ逃がした。おこのは“花月”の女将となっていた。お雪は“花月”に乗り込み、おこのを自殺においやる。
塚本儀四郎はすでに死んでいる、という知らせがあった。しかしこれは偽装だった。塚本は名前を変え、時代の波に乗り、鹿鳴館を舞台にして死の商人となって金と権力をつかんでいたのだった。鹿鳴館を血の惨劇にかえるお雪。全てが終わらせれ炎上する鹿鳴館を後に遠ざかるお雪だった。
by SSM2438 | 2010-12-21 10:26
f0009381_10384127.jpg監督:ローランド・ジョフィ
原作:シドニー・シャンバーグ
脚本:ブルース・ロビンソン
撮影:クリス・メンゲス
音楽:マイク・オールドフィールド

出演:
サム・ウォーターストン (シドニー・シャンバーグ)
ハイン・S・ニョール (ディス・プラン)

       *        *        *

ポル・ポト派って最低の共産主義者らだ・・・

ジャーナリストと現地人の友情話というのアメリカやイギリス野映画のなかではちょこちょこ登場するスタイル。異文化との交流の難しさを語る中で、それでも、交流しようとすることを描くことで、未知へチャレンジするスピリットを描いているのだと思う。SFで未知のものと接触するはなしというのはよくあるのだが、それを現実の世界で異文化と接触を積極的にドラマにできてしまうこれらの国というのは、それだけでけっこうすごいちからだなあと感心する。しかし、裏を返せば、それには自分たちの国の力を知っているから出来ることで、心の余裕がなければ出来ないことなのだともう思う。

この映画は、カンボジアのポルポト政権が出来るまえの動乱から始まり、そのなかで取材をしていたアメリカ人ジャーナリストとガイド役立った現地人との友情のドラマである。ドラマの構成は二部構成になっている。前半は動乱の中での取材に挑む主人公たち、そして国外脱出。後半はクメール・ルージュにつかまったガイドのサバイバル・・となっている。
アメリカ人ジャーナリストが書いている話なので彼を主人公としてとらえるてしまうのだが、後半にはほとんど登場することはなく、ガイド役のブランの矯正労働かでのサバイバルがメインとなっている。
感情移入する視点が映画のなかで変わってしまうので、一本の映画としてみるにはちょっと辛い。

クメール・ルージュはカンボジア共産党であり、同党の武装組織はポル・ポト派と呼ばれた。クメール・ルージュは完全な平等主義の土地均分論を考え原始共産主義の達成を目指した。そのために、知識人たちは抹殺され、都会で過ごしていた人たちは強制的に農村におくられ、農業活動に従事することで西洋のブルジョワ思想の洗浄を図った。恐怖政治のもと、スパイ行為が横行、誰も信じられない状況がつづくことになる。
所詮はポルポト派にみる共産主義といのは、弱者の僻みからら発展したダークな憧れであり、それは卑しい政権以外のなにものでもない。

<あらすじ>
1973年4月、アメリカはベトナムからの撤退をきめた。アメリカの影響力がよわまった隣国カンボジアでも、共産主義勢力が政権を握ろうとしていた。当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力、クメール・ルージュとの闘いが表面化した時期でもあった。そんな情勢の中でニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は特派員としてカンボジアの首都プノンペンに来た。彼の補佐についた通訳・ガイドが、カンボジア人のディス・プラン(ハイン・S・ニョール)だった。
1974年、アメリカが支援していたロン・ノル政権はついに崩壊、新しくクメール・ルージュを率いるポル・ポト政権が誕生した。外国人や政府関係者は、カンボジア脱出を試みる。幸いプランの家族はシャンバーグの協力で無事にアメリカへ旅立った。残って取材を続けるシャンバーグたちはクメール・ルージュの兵士に逮捕される。取材に同行したスッタッフは最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、カンボジア人であるプランだけがクメール・ルージュに連行されていった。
数日後、シャンバークたちは無事、国外へ避難することができた。ニューヨークに戻ったシャンバークはカンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞した。しかしブランを脱出されされなかったことの過去に刺さった棘としてシャンバーグの心に痛みをのこしていた。

一方プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で矯正労働についていた。お互いがお互いをスパイする環境かで、思想犯や有識者が数え切れないほど殺された。そんな矯正労働下からなんとか脱走したプランは累々たる屍を踏み越えて、タイの難民キャンプにたどりつく。1979年の秋、プラン生存の連絡を受けたシャンバーグはタイの難民キャンプへ飛び再会をはたす。
by SSM2438 | 2010-12-20 10:40

波の盆(1983) ☆

f0009381_18475191.jpg監督:実相寺昭雄
脚本:倉本聰
撮影:中堀正夫
音楽:武満徹

出演:中井貴一/笠智衆/石田えり

       *        *        *

私はこれで実相寺やめました。。。

太平洋戦争勃発前、日本を捨てハワイに渡った日系移民の老人(笠智衆)。しかし戦争勃発。祖国が敵国になってしまった。そして息子(中井貴一)との確執。そんな笠智衆のもとに孫娘(石田えり)が訪れるというもの。そこから過去の思い出話が展開していき、最後は夢うつつのなかで、息子と再会、和解するという話。

すべて実相寺昭雄が足をひっぱった作品。この人じゃなかったらもっと自然に良いドラマに仕上がっていたのに・・と、ただただ残念なテレビスペシャルだった。

当時、『ウルトラマン80』にでていた石田えりが久々にみられるというので、アニメ業界にはいってまだ1年目かそこらの私はVHSのデッキで留守録して仕事にいき、帰ってきてわくわくしてみたものでした。
しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

実相寺昭雄といえば、『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』をリアルタイムでみて育った我々にとってはヒーロー監督だったが、自分で映画をと撮らせるとまるでダメお。まともなのは『無常』くらいで、その後の実相寺昭雄の映画は観てもまったく面白くない。
子供相手に変化球投げたら「おおお、すげえええええ」といってくれるが、プロ相手に投げたら全部クソボールなのが見切られた・・みたいな感じ。

とにかく実相寺昭雄のクソ広角がすべてを台無しにしている悲しい出来。物語は情緒あふれる物語だったにもかかわらず、このクソ広角のおかげで作為性もろだし、カメラの存在をつねに感じさせるクソ画面は、「物語としての画面」という概念を崩壊させて、まるで下手なAV撮影の「現場としての画面」を提供してくれる。おかげで情緒ぶち壊し。いい話も台無し。

日本が敵国になってしまった日系移民の話というのは『愛と哀しみの旅路』などでも描かれているが、立場はきわめて複雑なものだ。本人は覚悟をきめて「アメリカのために」と思っても、周りはそうと受け取ってはくれない。
ただ、この感情は日本人だけの感情ではない。ドイツやイタリアからの移民もアメリカにはいて、彼らも祖国を敵として戦わなければならなかった人たちであり、個人として誓約しアメリカ国籍を持った以上は、その国のために戦うというのが正しい理屈だし、それだけの覚悟がないのに安易に移民などすべきではないのだと思った。

日本が好きなら日本に居ればいい。出て行くのならその国を愛せ!

そうするしかないだろう・・・。
by ssm2438 | 2010-12-19 18:52