西澤 晋 の 映画日記

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2010年 12月 19日

コルチャック先生(1990) ☆☆

f0009381_1563082.jpg監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:アンジェイ・ワイダ
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:ヴォイチェフ・キラール

出演:ヴォイチェフ・プショニャック (コルチャック先生)

       *        *        *

子供達を押すな! 彼らは自分で歩く!!

ポーランドの自虐ネタの終焉がこの映画になるのかもしれない。

児童文学にもよく取り上げられたコルチャック先生。本名ヤヌシュ・コルチャックは、ポーランドの小児科医、孤児院院長で、児童文学作家だった。ナチス・ドイツの統治下においては、ゲットーのユダヤ人孤児のための孤児院を運営していた。ナチスのいわゆる「ユダヤ問題最終解決」の名の下、孤児院の200人の子供たちは、トレブリンカ強制収容所に移送され、そこでガス室で抹殺されることになる。コルチャックは自分だけが助かることを拒否し、子供たちに同行しガス室で殺害されたという。

本作では、飢えた子供たちに食料を与えるために奔走するコルチャックを描きつつ、友人の手助けで国外に脱出することもできたが、彼に子供たちを見棄てることはできず、子供達の最後の日まで彼らの心の支えになるこを決意する。
その日子供達は、ダビデの星の旗を高く掲げながらゲットーからガス室に向かう列車まで行進する。コルチャックは、子供達の最後のプライドを護るためにドイツ兵に言った言葉が

「子供達を押すな! 彼らは自分で歩く!」 ・・だった。

映画のなかのコルチャックは、ちょっと出来過ぎ君のような雰囲気があり、私としてはむちゃくちゃ感動したというわけではなかったが、児童文学・教育映画的にはありなのだろう。

この映画がつくられたのは1990年。既にポーランドは民主化をやりとげた時点である。
第二次世界大戦後のポーランドは実質的にソ連の共産主義の支配下にあった。しかし、国内にはに西側にくみしたい勢力も潜在的に存在していたため、民主化運動は根強くつづいていた。そして1980年、ソ連の支配する当時のポーランド政権西対して、独立自主管理労働組合《連帯》が結成された。この動きはソ連共産党支配かにある東欧の各国にもさりげなく波及していく。ポーランド、ハンガリー、チェコなどが次々にソ連の共産主義体制に対して主権を主張するようになり、1989年、ベルリンの壁が崩壊。同年にポーランドも円卓会議を経て民主化が完全に実現し、自由選挙が行われ、社会主義政権は打倒された。その後に作られたのがこの映画である。

先に紹介した『尋問』は《連帯》が形成されてから制作されたものだが、それでもまだソ連共産党の影響力はうけていた。しかし、この映画が制作されたころには、既にその検閲のシステムは排除され、自由に映像表現できるようになっていた。彼らは自由に自虐の歌を奏でることで、それまで政権政党を非難することが出来るようになったのである。今でも『カティンの森』なで、その動きは続いているが、そろそろポーランド国民も自虐ネタにあきはじめたのがこの90年代であり、クシシュトフ・キェシロフスキーの登場がポーランド映画を新しい時代に変えていく。

今思うと、この映画が岩波ホールでみた今のところ最後の映画だったのかもしれない。良質の映画を提供してくれる短館上映専門の映画館で、新井薬師に住んでいた頃はちょくちょく通っていたものだが、今ではとんとご無沙汰である。まだまだ存続してくれることを祈りたいものだ。

by ssm2438 | 2010-12-19 15:15
2010年 12月 17日

尋問(1982) ☆☆

f0009381_1101968.jpg監督:リシャルト・ブガイスキ
脚本:リシャルト・ブガイスキ/ヤメウシ・ディメク
撮影:ヤツェク・ペトリツキ

出演:クリスティナ・ヤンダ

       *        *        *

あいかわらず自虐の詩をかなでるポーランド。

やっぱりポーランド映画は暗くないといかん。
それでこそポーランド! 

物語の背景は1951年。主人公の女性は故なき疑いをかけられ拘留され、7年に渡る〈尋問〉という名の拷問をけることになる。共産主義体制の中で行われた不当な人権侵害を描いた映画で、東欧社会の崩壊とともに日の目を出ることになった映画。制作は1982年なのだが、日本公開は1991年だった。1990年のカンヌで主演女優のクリスティナ・ヤンダが主演女優賞を得ている。

きっとポーランド映画なのだから暗いのだろうなあって思って劇場まで足を運んだら、期待通りドツボな映画だった(苦笑)。しかし、ポーランド映画って、こんなにドツボなシーンの連続だけを描いてなにが楽しいのだろう。映画に方向性を感じないのである。ただただ悲惨・・・。拘置所でひたすら続く陰湿な尋問。水牢にいれられ溺れそうになったり、銃をつきつけられて脅されたり、あげくの果ては、尋問に応えなかった男の処刑後の、まだその痛いがる部屋に連れて行かれ、そこでも銃を突きつけて嘘の供述を強要されたり、でも、じつはそれらがすべて演出であって、そこで処刑されたと思っていた男が生きていたり・・と、ありとあらゆる方法で彼女をいたぶりつづける。体制側の人間も確固たる意図があるようには見えない。

尋問のはじまりは、酔っ払って悪態ついてる女が、旦那と喧嘩したはらいせに、見知らぬ男あてにさんざん悪態をついた発言をてたら、彼らは秘密警察であり、しょっぴかれてしまった・・という程度のもの。彼らにとってもこの女はたいして重要な人物でもなんでもないのである。やがて、証言のなりゆきから、彼らの目的がアントニーナがかつて一度だけ一夜を共にしたことのあるオルツカ少佐をスパイ容疑で告発することにある事が分かってくる。
しかし、これも、はじめからそれを意識しての逮捕なのかどうかもわからない。見ていると、とりあえず悪態ついてた女を秘密警察がしょっぴいてきたら、尋問のなかに使えそうなネタがあったらその証言をとっちゃえ!みたな、成り行き任せの尋問だったような見えた。さらに、本来彼らが落とすべきターゲットだったはずのオルツカ少佐が既に処刑されていたにもかかわらず、彼女の拘束はつづく。

ただ、この映画の根本的につまらない点は、それをやる側も、行う側も、確固たる目的意識がないまま、そうなってしまってる・・ってところなのだ。まあ、方向性を打ち出したら検閲に引っかかるという共産主義の体制から、そういう作り方に慣れてしまったってことなのだろうか。そんなわけで、理不尽な拷問だけがひたすら展開されるだけの映画になってしまった。
実にポーランドならでは映画である。

<あらすじ>
ナチスドイツの支配から開放されて5年がったったポーランド。しかしそこにあるのは共産党の支配する世界だった。キャバレーで歌手のアントニーナ(クリスティナ・ヤンダ)は夫と口論のあと、酔って見知らぬ二人の男にぐちりまくる。気がつくと彼女は留置所にいた。彼らは秘密警察官だったのだ。同じ牢のなかには見知らぬ女たちがいた彼女はなんで拘束されたのかもわからない。やがて、彼らがスパイ容疑で告発しようとしている男と以前寝たことがあったとう事がわかってくる。そして彼らの目的は、その男を告発するための証言=偽証がほしいのだということもわかる。
彼女には嘘の証言はできないと拒否すると陰湿な尋問と懲罰が繰り返される。同じ独房のなかの女には裏切りや、夫からの離婚を申請など、不条理が彼女をおそい、アントニーナは自殺を図るが一命をとりとめる。長い年月が過ぎ、自分にシンパシーを感じてくれる尋問官の一人に体を与えることで、心のよりどころをみつけるアントニーナ。そして妊娠・出産。生まれた子は施設に預けられた。また何年か過ぎアントニーナは釈放される。子供を引き取りに行った彼女は、誰が自分の子だかわからない。そこには、高官たちが女囚たちに生ませた子供たちが大勢いたのである。

by SSM2438 | 2010-12-17 11:01
2010年 12月 15日

マドンナ★コップ(1988) ☆☆

f0009381_2212775.jpg監督:ダン・ゴールドバーグ
製作総指揮:アイヴァン・ライトマン
脚本:ダン・ゴールドバーグ/レン・ブラム
撮影:ティム・サーステッド
音楽:ランディ・エデルマン

出演:レベッカ・デモーネイ (エリー)

       *        *        *

タイトルの『FEDS』というのはFBI(Federal Bureau of Investigation)のあたまの部分に s をつけて複数形にしたもの。FBI捜査官のことである。

この映画をしってる人はあんまりいないだろうなあ。
製作総指揮がアイヴァン・ライトマンで、私はベッカ姐さんけっこう好きなので、当時VHSを借りて見た作品。しかし、今後DVDは出そうにないな(苦笑)。きっとこのまま忘れ去られる映画なのだろう。

監督やってるダン・ゴールドバーグも本来監督というわけではなく、脚本もチョコチョコ書いているがどっちかというと制作系の人。この映画も自分でプロットは起こして、なんとなく制作にこぎつけたけど監督やる人がいないので自分でやりました・・って感じ。
ま、アイヴァン・ライトマンが元締めやっているので、当時のアイヴァン・ライトマン作品『ツインズ』とか『キンダガートン・コップ 』という、今ひとつあたってない感じの時の作品テイスト。

やってることは『ポリスアカデミー』みたいなものだが、それよりもバディムービーの要素が強いかな(・・・ホントかあ???)。ただ、バディ・ムービーを訓練校だけでやっているので、半人前同士がいつもつるんでべたべたやってるって感じが、多少ネガティブ方向に感じたり・・。

全然本線とは関係ないが、このDVDの表紙の絵って、合成? ベッカ姐さんの首からうえと体がなんかきもい・・。

<あらすじ>
二人の女性警官エリー(レベッカ・デモーネイ)とジェニス(マリー・グロス)はFBI捜査官訓練センターに入所することが出来た。しかし、上司達は彼らがそこをパスしてはれてFBIのメンバーになれるとは思っていなかった。かくして厳しい訓練が始まる。フィジカルは男性なみに強じんだが常識がないエリーと、その反対、知識人だがフィジカルままるでダメなジェニスはコンビを組んで、トレーニングの課題をこなしていき、みんなに認められて晴れてFBIのメンバーに加わることになる。

映画は特にみるべきものはないけれど、ベッカ姐さん見たい人だけみれば良い映画。
でも私はベッカ姐さん好きなので観てしまいました。

by ssm2438 | 2010-12-15 21:46
2010年 12月 15日

汚れた血(1986) ☆

f0009381_2047566.jpg監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス
撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ

出演:
ドニ・ラヴァン (アレックス)
ジュリエット・ビノシュ (アンナ)
ジュリー・デルピー (リーズ)

       *        *        *

ああ、時間の無駄。

始まってから終わるまでカッコつけてるだけの演出。かなり退屈。表面的にカッコつけたい人だけみればいい映画。80年代のフランスは、こんな感じの才能ないけど、かっこつけただけの演出で一時期だけなんとか話題になった人がけっこういた。
生産性のなさは天下一品。才能のなさを色使いと、一番描きやすい虚無感&寂しさ描写で描いているが、なにからなにまでくだらない。この映画に意味を見出すこと自体、人生に意味を感じない。生産性のない人だけ見て時間を潰して下さいって感じの映画。

しかし・・・この映画もそうだけど、ジュリー・デルピーはあんまり作品に恵まれないなあ。いい印象を与えない映画ばっかりだ。『青の愛』『白の愛』では『青の愛』のほうが断然いいし・・。なんか・・・、もったいない女優さんだなあっと思う。

by ssm2438 | 2010-12-15 20:54
2010年 12月 14日

地下水道(1956) ☆☆☆☆☆

f0009381_1616698.jpg監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イエジー・ステファン・スタヴィンスキー
撮影:イエジー・リップマン
音楽:ヤン・クレンツ

出演:
タデウシュ・ヤンツァー (コラブ)
テレサ・イジェフスカ (デイジー)

       *        *        *

夢があるから生きるのではなく、生きるために夢を見るのである!

映画の中では、ドイツ軍に追われたレジスタンスが地下水道に逃げ込むが、悪臭と闇の恐怖のなかでばらばらになり、地上に出ればころされる。夢も希望もない映画である。そして地下水道に逃げ込んだレジスタンスたちも、人間的な弱さや卑怯さでぼろぼろ。地下水道の描写もめちゃめちゃカッコいい。その闇のなかで汚物にまみれ光をもとめてさまよう人間が実に惨めにダイナミックに描かれている。

世間では『灰とダイヤモンド』アンジェイ・ワイダの最高傑作として扱われることが多いが、私的には断然こちらの『地下水道』のほうが好きである。ワイダのほかの映画はあまり良いとは思わないのだが、この映画のポーランドの自虐性は実に惨めでインパクトがありすぎる。

ポーランドという国はいつも支配されてきた国。ショパンの時代には、実質的にロシア帝国の政権下にあり、第一次世界大戦勃発までつづく。第一次世界大戦中はドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国に占領されていた。1917年にロシア革命が、1918年にドイツ革命が勃発し、これによって念願の独立のチャンスをえる。しかし、またまた第二次世界大戦でドイツに占領され、そのあとは再びソ連の共産主義体制にくみこまれる。いつも支配されている国なので、抵抗ネタにはことかかない(苦笑)。

この映画は第二次世界大戦時のドイツにより支配下での話である。この映画は、ソ連共産党の傀儡政権として存在していたころのポーランドで作られた映画で、「お前等はこんなにダメ人間なのだから、我々の支配が必要なんだよ」というソ連共産党からの強烈なメッセージも水面下にあるように思われる。「自分達はダメ人間なんだ」という映画を作らされて、それを自虐ネタで作ってしまえるポーランド。そこにポーランド人の美学を少しいれこんでなんとか自己をなぐさめているポーランド。
この惨めさを愛しむポーランドの哀れさこそがこの映画の最大の魅力だろう。

<物語の背景>
第二次世界大戦のさなか、1944年7月30日、ソ連軍はワルシャワから10kmの地点まで到達、ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。ソ連軍はポーランド国内のレジスタンスに呼びかけワルシャワで武装蜂起うながす。これをうけて約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。しかしソ連軍は補給に行き詰まり、進軍を停止していた。さらにドイツ軍が猛烈な反撃にあい、甚大な損害を被る。ヒトラーはこれをみて、ソ連軍がワルシャワを救出する気が全くないと判断し、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命ずる。

<あらすじ>
f0009381_16413212.jpgザドラ(ヴィンチェスワフ・グリンスキー)の率いるパルチザン中隊もドイツ軍に囲まれ、もはや死を待つばかり。生き残ったレジスタンス戦士らは、密かに地下水道を通り、市の中央部に出て再起を図ることとなる。夜になり、ザドラ中尉以下レジスタンス部隊は美少女デイジーの道案内のもと地下水道に入るが、汚泥から発生する有毒ガスと暗黒に道を失ったうえ、ドイツ軍が毒ガスを注入しているという流言や恐怖による発狂で、遅れたり、はぐれてしまう者もでてくる。恐怖に耐えきれず、マンホールから這い出たものはドイツ軍に射殺される。

f0009381_16162331.jpg本体からははぐれ、コラブ(タデウシュ・ヤンチャル)とデイジー(テレサ・イゼウスカ)はようやく出口を見つけたものの、そこも鉄格子に閉ざされており、しかも河口に注ぐ出口と知り落胆する。また、先頭を進んでいたザドラ中尉らはついに目的の出口を発見するが、出口には頑丈な鉄柵が張られ、さらに爆薬が仕かけられていた。
一人の隊員の犠牲で爆薬が破裂、出口は開かれザドラと残った一人の従兵は地上へ出た。しかし、後から誰もついて来ない。従兵はザドラが隊員を連れてくるようにとの命に背き、彼らは後から来ると嘘を言い、自分だけが助かりたいばかりにザドラについてきたのだ。嘘をついていた部下をザドラは射殺し、再び地下に潜るのだった。ザラトからはぐれた部隊もなんとか地上に出ることができた。しかしそこにはドイツ兵が銃をもってまちかまえていた。

闇の恐怖が支配する地下水道を進む彼らは、まるで『アギーレ/神の怒り』(1972) のようだ。思えば『アギーレ』でも、あの陰惨な世界のなかで女性だけは綺麗にとられていた。この『地下水道』も、デイジー=テレサ・イゼウスカだけは美しく描かれている。

by ssm2438 | 2010-12-14 16:20
2010年 12月 13日

灰とダイヤモンド(1957) ☆☆☆

f0009381_2122481.jpg監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イエジー・アンジェウスキー/アンジェイ・ワイダ
撮影:イエジー・ヴォイチック
音楽:フィリッパ・ビエンクスキー

出演:
ズビグニエフ・チブルスキー (マチェク)
エヴァ・クジジェフスカ (クリスチーナ)

       *        *        *

なんだ・・・健さん映画か・・・。

映画の勉強中にアンジェイ・ワイダだからということで観た映画。

ポーランドという国自体が実に暗い映画になりやすい環境下だった。第二次世界大戦ではドイツに支配され、ドイツが負けたかと思えば今度はソ連の共産主義に支配され、いつもどこかの国に支配されている。それがポーランドの歴史。私のなかではポーランド=支配される国というい印象が極めて強く、描かれる映画に幸はないと感じていた。私の中ではポーランドとアルゼンチン常に暗い映画ばっかり・・という印象だった。

この映画は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が終結しそうな1945年5月5日からの4日間の話。他の国ならドイツが降伏したとなれば、戦争が終わったって喜ぶとこなのだけど、ポーランドは違っていた。戦時下ではドイツに対して抵抗していたのだが、その後は、ロンドン派の抵抗組織(西側に組したいと思う勢力)と、ソ連に支配されことを容認する勢力との間で抗争が生じていた。
この物語の主人公マチェクは、ロンドン派の抵抗組織の一人であり、ドイツが降伏したら今度は、ソ連高官暗殺の指令をうけることになる。しかし、市民の中には思想が入り混じっており裏切り者やスパイなどがそこらじゅうにいる。というか、主人公こそが裏切り者の立場になっているのかもしれない。そのへんがややこしいのである。
さらにこの映画がつくられた時代は既に社会主義に毒されており、体制批判、ソ連批判はご法度。映画において一番イージーな構成(体制を悪にする)の部分が使えないのだからなかなかしんどい。

かといって、この映画基本はサスペンスでも体制批判的な映画でもない。どちらかというと、戦争を舞台にした青春モノに入るだろう。主人公のマチェクはモノは文学青年だったが、戦争の銃を取るようになった。そして戦争が終わったら、普通の学生に戻りたいとおもった。勉強もしたいし恋もしたい。なのに・・・逃れられない戦争の呪縛。
基本コンセプトは健さんのヤクザ映画みたいなものである。ヤクザの世界にはいって義理と任侠の世界で生きていたが、好きな子が出来てしまいカタギに戻りたいとおもった。しかし・・、組織の呪縛と義理がそれを許してくれない・・ってやつ。

<あらすじ>
ドイツ軍の降伏が目前に迫っていた1945年5月、マチェク(ズビグニエフ・チブルスキー)とその仲間はポーランド労働者党県委員会書記の暗殺を予定していたが、ターゲットが到着予定時間に遅れてしまい暗殺計画は失敗におわる。
運良く生き延びた労働者党高官はその夜、地元の市長が催す歓迎するパーティに出席する。そのころ、同じホテルのバーではマチェクが仲間と労働者等高官の暗殺の謀議をおこなっていた。しかしそのバーで、マーチェクはウェイトレスのクリスチーナ(エヴァ・クジジェフスカ)と知り合いベットをともにしたことから、暗殺業から足を洗い、彼女と新しい人生を歩んでいくことを決意する。
マチェクは高官を殺した。逃げるマチェックは保安隊に追われ、撃たれた。ホテルでは町長や伯爵や大佐夫人達が亡霊のようにポロネーズを踊っていた。二階の窓に涙を流して立ちつくしているクリスチーナがみえる。

総てを裏切ってそれに手を伸ばせば届いていたはずなのに・・・。

干してあった白いシーツにくるまれながら、マチェックはいつか町はずれのゴミ捨場にたどりつき、息絶える。

by ssm2438 | 2010-12-13 21:25
2010年 12月 13日

レガシー(1979) ☆☆

f0009381_13341841.jpg監督:リチャード・マーカンド
脚本:ジミー・サングスター
    ポール・ホイーラー/パトリック・ティリー
撮影:ディック・ブッシュ
音楽:マイケル・J・ルイス

出演:キャサリン・ロス (マーガレット・ウォルシュ)

       *        *        *

ワンちゃんに食わせる肉が不気味だ・・。

イギリスのとある大富豪らしい屋敷に男女あわせて6人の人々が呼ばれる。どうも彼らは代々魔力を継承しる人物らしいのだが、その歴史を操るにあたいする魔力と財産を継承するのは誰になるのか・・、それがこの屋敷でふるいにかけられるスネに傷をもつ人物らが人づつ削除されていき、最後はヒロインのキャサリン・ロスがその力を受け継ぐとう話。

『エクソシスト』あたりから始まった70年代のオカルトブームもこの映画あたりでそろそろ終焉をむかえてくる。
この映画の原作・脚本のジミー・サングスターは、ブリティッシュホラーの大御所ハマー・フィルムス・プロダクションの正当な継承者。50年代にフランケンシュタインやドラキュラシリーズに代表されるクラシックホラー映画の名作を多く生み出したの脚本家である。しかし、70年代にはいるとアメリカン・ホラー・ムービーが対等してきて、ブリティッシュ・ホラーは徐々にその勢力をうしなっていく。そんな末期にあたるのがこの映画。

この映画は公開されたのは私が高校生のときで、当時キャサリン・ロスのファンの同級生がいて、実はそれまで雑誌の写真では知っていたのだが、本人がスクリーンで動くところはみたことがなく、一応そんなにいうなら見ておこうかって足を運んだ映画。ホラー映画の上品な血なまぐささのなかで、キャサリン・ロスのおっきな瞳とその清潔感は十分に映画を和ませてくれた。

ただ、その継承する力がどれほどのものなのかが明確に語られないまま物事が展開するので、見ている観客としては「それがそれほど重大なことなんだろうか?」と思いつつみてしまう。また、削除されていく人物も、けっこうチープなので、「だいたいこいつらを継承者の候補にしている元締めはどれだけチープなんだろう」ってどうしても思ってしまうわけだ(苦笑)。
全体的にかなりスケール感の乏しいホラー映画になってしまっているが、プールに閉じ込められたり、鏡がわれてbちゅぶちゅ刺さったりと、ショックシーンは当時としてはなかなか地味にインパクトがあった。
リチャード・マーカンドの地味な演出は嫌いではないが、もうちょっと全体を仰々しまとめることができなかったものかと思ってしまう・・・。

by SSM2438 | 2010-12-13 13:41
2010年 12月 12日

イヤー・オブ・ザ・ドラゴン(1985) ☆☆☆☆

f0009381_21533931.jpg監督:マイケル・チミノ
脚本:オリヴァー・ストーン/マイケル・チミノ
撮影:アレックス・トムソン
音楽:デヴィッド・マンスフィールド

出演:
ミッキー・ローク (スタンレイ・ホワイト)
ジョン・ローン (ジョン・タイ)
アリアーヌ (ニュースキャスター・トレーシー)

       *        *        *

オリヴァー・ストーンの脚本ここにあり!!

世間でなんと言われようとも私はこの映画大好きです。
日本ではそれほど悪い評価はされてないとおもうのだけど本国アメリカではそれほど良くないみたい。なんででしょう???

バイオレンス映画とか、ギャング映画は大嫌いは私だけど、意地っ張り人間大好きな私としてはこの映画はとっても好き。いかに自分の所属する世界で村八分にされようと、意地でも自分の意思を貫き通す人間。村八分映画と呼んでますが、個人的にはこのスタイルの映画は大好きなのです。
村八分映画といえば古くはエリア・カザン『波止場』増村保造『清作の妻』など、とっても素敵な映画あります。この映画は村八分ではないですが、自分の意思を貫き通すがゆえにその所属する社会のなかで孤立していきます。意志の強い、頑固者ストーリーといえばフレッド・ジンネマンって印象がありますが、この映画もじつにそんな感じ。チミノだけの才能はなく、やはりオリヴァー・ストーンの才能はこの映画のなかで燦然と輝いてます。

そしてそれは両方がそうなのです。警察のなかのミッキー・ロークもそうだし、チャイニーズ・マフィアのなかのジョン・ローンもそう。彼らは成し遂げなければ自分が排除させる、そういう状況に自分をいいやってもまで、目的を遂行していくことを選びます。カッコいい!!!!!! 村八分映画に栄光あれ!!

なお、アメリカ本国では、これもけっこうたたかれてるみたいな人気ニュースキャスターを演じたアリアーヌ。個人的にはかなり好きなんですけど。

<あらすじ>
現代のニューヨーク、チャイニーズマフィア内部で実力をあらわしつつある若き幹部ジョン・タイ(ジョン・ローン)は、その実行力ありすぎるやり方に内部からの反発もあった。一方、絶え間ないチャイナタウンの抗争のためにニューヨーク市警は部長刑事スタンレイ・ホワイト(ミッキー・ローク)を送り込む。しかし彼ももまた、一匹狼的なやり方がチャイナタウンの長老や市のおえら方の反発をかって署内のバックアップも失って、孤立を深めていた。
スタンレイがジョン・タイのレストランに従業員として潜入させていた中国系の刑事が惨殺された。怒り狂ったスタンレイは店に乗り込み、ジョン・タイをぶちのめす。しかしスタンレイの別居中の妻コニー(キャロリン・カヴァ)が、ジョン・タイの手下に襲われ喉をナイフでかっ切られて即死、手下もその場でスタンレイに殺された。今やジョン・タイに対する怒りは私情に変わり、ついに麻薬取引き現場にあらわれたジョン・タイと対峙する。橋の上を逃げるジョン・タイが振り向きざまに撃った銃弾がスタンレイの右手をつらぬき、左手に持ちかえられたスタンレイの拳銃から発射された弾丸はジョン・タイの胸をぶちぬくのであった。


この映画の痛いところは、ミッキー・ロークの妻の死だろう。
あれは痛い。家庭を垣間見ず、仕事のなかで猛烈に自分を誇示していたその犠牲をまざまざとみせけられる。恐ろしいほどの罪悪感だ。。。それでもなお、やってしまわねばならない意地がある。それがなくては自分が成立しないもの・・・。ああ、人の人生は残酷だ。。。

by ssm2438 | 2010-12-12 21:53
2010年 12月 12日

ザ・レイプ(1982) ☆☆☆

f0009381_9125298.jpg監督:東陽一
原作:落合恵子「ザ・レイプ」
脚本:東陽一/篠崎好
撮影:川上皓市
音楽:田中未知

出演:
田中裕子 (矢萩路子)
風間杜夫 (植田章吾)
伊藤敏八 (谷口明)

       *        *        *

・・・それでも戦うしかない。

個人的にはあまり相性のよくない東陽一だけど、かなり好きな映画である。

当時ビデオのパケージなどで使われていた絵は、どちらかというと人生につかれた気だるい感じの女性の色気を暗示させるようなイメージだったし、このタイトル自体も下世話なタイトルのような気がするが、エッチ本位の映画ではなく、レイプ裁判の残酷さを描いた作品。
同じ年にシドニー・ルメット『評決』という映画を撮っている。その映画のなかでポール・ニューマン

「法廷は弱者に正義を与える場ではない。正義に挑戦する機会をあたえるだけだ」

という台詞をいわせている。
この落合恵子原作の『ザ・レイプ』という物語はまさにそれを具現化したような話。不思議なもので、私の中では『評決』とこの『ザ・レイプ』はさりげなく対になって記憶されている。

生命として生きる以上、弱者はしいた得られるように出来ているのがこの世の中。それだけは誰にも帰られない。どんなに人間が高尚な理屈を唱えたとしても『弱肉強食』とうのは生命の基本的宿命であり、逃れることが出来ないものなのだと思う。そんな生物原理のなかで、人間原理に基づいて、弱者に、可能な限り強者と対等に戦う場をあたえたのが「裁判」という場なのだろうな・・て実感させられる映画。
相手を有罪にするなら、被告側も自らも斬り違える覚悟で相手を破滅に追い込まねばならない。多分そういうものなのだけど、ほとんどの人にそれだけの心の準備など出来ているはずもない。この物語の主人公は、裁判が始まるとはじめてその現実を徐々に体感してくることになる。

<あらすじ>
恋人ととの情事のあと、最終電車で駅についた路子(田中裕子)は人通りもほとんどない道を家路に急いでいるとき、以前一度会った中古車販売のセールスマンの谷口(伊藤敏八)にレイプされてしまう。そのまま事をやみに葬るか、裁判にするか・・、しばし路子の心はゆぐ。いまわしい事件を忘れようと路子は再び恋人の植田(風間杜夫)にそのことを話、ホテルの小部屋で愛撫をもとめた。しかし植田は「あの時も、よかった?」と無神経な言葉をなげかける。その後も犯人からしい無言電話や、アパートの周りに感じるその気配に、衝動的に警察に電話してしまい、刑事裁判という流れに呑み込まれてしまう。
警察での取り調べでは、「なぜ、すぐ警察に行かなかったか?」「どうして、事件の後に恋人と愛しあったのか?」など、理屈ではどうにも答えのだせない部分を問いただしてくる。裁判では被告側弁護人の執拗な攻勢におぞましい思いをさせられ、彼女の過去の男性体験まで次々に暴露されていった。谷口は有罪になり「懲役4年」の判決がいわたされたが、裁判を一部始終を傍聴していた植田との間には修復できないものになっていた。

by SSM2438 | 2010-12-12 09:18
2010年 12月 11日

博士の愛した数式(2005) ☆☆☆

f0009381_2229370.jpg監督:小泉堯史
原作:小川洋子 『博士の愛した数式』
脚本:小泉堯史
撮影:上田正治/北澤弘之
音楽:加古隆

出演:寺尾聰(博士)/深津絵里(杏子)

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空気感はいいのだけど・・・、もう一押し!

『薬指の標本』小川洋子原作の映画。決して悪くはないのだけど、どこかがもうちょっと繊細に、精巧に出来てたらもっといいものになっていたのに・・・。題材が良いだけにもったいない。現時点では雰囲気だけの映画になってしまってる気がする。

まず、深津絵里の親近感ある存在感はすばらしいです。この人しか出せない良い感じ。スーパービジュアル女優さんには決してならないけど、この人は日本の映画界、ドラマ界にはなくてはならない人ですね。

この物語の基本コンセプトは、「博士の記憶は、交通事故の後遺症のため80分しか記憶が続かない」ってのは・・・、かなり中途半端な数字ですね。

人間の記憶の分類としては<感覚記憶>と<短期記憶>、そして<長期記憶>の3種類にわけられるそうです。
<感覚記憶>というのは、瞬間的な記憶の能力で、「あつい!」とか「つめたい!」とか、「うるさい」とか・・そんな記憶。1~2秒くらいしか続かない記憶。
<短期記憶>というのは約20秒間保持される記憶です。脳の中の「海馬」というパートがこれをつかさどります。『アリー・マイラブ』でも、ジョン・ケイジが「海馬」について語っていた話数がありました。おお、これをもってくるか!?って当時感動しました。一般庶民がそんな言葉しるわけありません! 私はたまたま、その何ヶ月かまえに、やはり長期記憶に変換できなくなった人のNHK特集をみてたので、「あ、あれだあれだ」ってわかったのですが・・(こういうときは少し嬉しい)。
<長期記憶>というのは期間保持される記憶である。忘却しない限り、死ぬまで保持される記憶。
人間の記憶に関する学習というのは、この<短期記憶>を反復練習することによって<長期記憶>に変換していくことらしい。

家のなかで「トイレがどこにあったかな」とかいう<長期記憶>というのは、既に確立されていて、それは壊れないということらしいのです。つまり、この映画で描かれている記憶というのは、短期記憶が重複敵刺激があったとしても長期記憶には決してならない部分の記憶のことということらしいのです。この部分に支障をきたした人物をテーマにした映画は『メメント』『NOVO』などがありますが、これらは5分くらいの短い記憶しかないというもの。本編の80分という時間は、ずいぶん長い時間にしたものだって思ったものです。

<あらすじ>
交通事故で記憶が80分しか保てなくなった元大学の数学博士(寺尾聰)の家に雇われる杏子(深津絵里)。80分で記憶の消えてしまう博士にとって、彼女は常に初対面の家政婦だった。やがて、博士の提案で家政婦の息子も博士の家を訪れるようになる。博士は熱を出して寝込んでしまった夜、杏子は泊り込んで看病することになる。しかし、これは派遣会社のルール違反となり、さらに、母屋に住む博士の後見人の義姉から反感をかう。彼女は解雇を申し渡され他の家へ転属になるが数日後、誤解の解けた家政婦は復職が叶い、再び博士の家を訪れるようになった。その息子が大きくなって今は数学教師になっている。


せっかく数学つかうのであれば、もうちょっと、真理を追究した使い方はなかったものか・・。どうも理屈そっちのけで、雰囲気に流されてしまったような気がして残念だ。。。最後はオイラーの公式でまとめてしまったが・・・、うむむむ、これもなんだか雰囲気で取ってつけたようで・・・、なにか歯がゆさを感じたのであった。。。

・・・しかし、やっぱりこの映画は雰囲気は良い。

by ssm2438 | 2010-12-11 22:29