西澤 晋 の 映画日記

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2010年 12月 11日

アポロ11を追いかけて(1994) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

f0009381_1352149.jpg監督:ピーター・メダック
脚本:フィン・テイラー
ジェフリー・D・ブラウン
撮影:トーマス・クロス

出演:テッド・ダンソン
メアリー・スティーンバージェン

     ×     ×     ×

ある日自分の愛車、ポンティアックがあと◯◯マイルで地球と月との距離を走り切る事になるこを発見した小学校の理科の教師テッド・ダンスンは、アポロ11号の打ち上げと同時に出発し、アポロ11号が月に着陸するのと同時にその距離を走破しようという試みを息子と一緒にやってしまうハートウォーミングなお話。 映画的にはそれほど完成されてるわけではないんだけど、とにかくセリフが熱い。もうライターのパッションだけで書きなぐってるようなお話。 冒頭の会話をちょっと紹介しよう。もうこれだけのこの映画の紹介は十分だとおもうんだけど、じゃん!

<物語り冒頭の息子のモノローグ>   

ママが言ってた。   
昔エジプト人は星の移動する音を聴いて『天空の調べ』と呼んでいたって‥‥。   
今も満月になると鳴るけど、人が聴くことを忘れてしまったそうだ。   
パパは迷信だと言う。   ‥‥たぶんパパが正しのだろう。   
パパは事実を重んじ、いつもなにかを調べている。総てを解く答えを探してるみたいだ。
パパは‥‥他の人とは、どこか違ってる‥‥。

<小学校の理科の時間> おもむろに話しはじめるその少年の父(テッド・ダンスン)。  

「人間の男性が射精するとき、2億もの精子が放出される。いいか、2億だぞ!
 2億っていったらアメリカの人口に匹敵する数だ。その精子が争うように卵子を目指す。
 たどり着けるのはそのなかのたった100で、授精を果 たすのはそのなかの1つだ。2億のなかのたった1つだ。
 その競争に勝ち残るの確率といったらまさに天文学的数字だ。
 君達は1人ひとりが2億の分の1の勝者なんだ」  

「そこで我々が学んでいる『種の起原』だが、   
 ダーウィンの説に拠るなら“私は何故ここにいるのか?”   
 “君達は何故、生まれて来たのか? 何故この世の中に存在している?”   
 紙切れを書き散らすためか?(といって、テスト用紙を宙にばらまく)   
 ちがう、ちがうんだ!! そこにななにか大きな目的があるはずだ。   
 今ここに存在すうこと自体が謎なんだ‥‥」

<別の日の理科の時間>  

「人類は下等動物から進化を重ねて来た。
 そして我々の頭脳はついに、33万4400キロ彼方の月へ到達する乗り物をつくり出したのだ。
 そこで、君達に質問だ、この大いなる挑戦はなんのためなのか?
 危険を犯し、命をかけて、なぜ月に行こうとするのか?」

ある生徒が手を上げて答える。
「人類のためになる鉱物資源を発見するため?」  

「うん正解だ、それも1つの理由だろうな。いろいろな理由があげられる。
 ロシアに勝つためだとか‥‥、ほかにもあるだろう‥‥。
 しかし、そんなのは全部口実だ!   
 彼等が月に行くのは、   
 それは、まだ誰もやってないからだ! 面 白いからだ! 危険だからだ! 胸が踊るからだ!!
 それが挑戦の動機であり、進化の原動力だ」  

「君達は人生のなかでどんな挑戦がしたいのか?   
 どんなことに命をかけれるのか? それが今日のテーマだ。   
 25分で作文をかいてくれ(といって、紙をくばりはじめる)。   
 忘れるなよ、君達1人ひとりは、2億の分の1の勝者なんだから。   
 ‥‥どんな挑戦を描き出すのか、期待している!」  

「彼等が月に行くのは、それは、まだ誰もやってないからだ!」 もうこれを言い切ってしまうハイパーさが素敵。 ほかにもこの映画、もえる言葉がいっぱいあります。

この映画には、<やってしまえる人間>のパッションがいっぱいつまっているんです。 彼等がこの映画のなかでやってしまったことは、実はだれでも出来ることで、大した事ではないんです。 ただ、この誰にでも出来ることを、やって確認してみることが、その人自信につながっていくんです。 やって確認しないと、そこには“もしかしたら出来ないかも知れない”って可能性がのこされるわけで、それが自信をなくさせるんです。

私が東京から中央町まで歩いて帰ってみたのも、実は誰でも出来ることなんです。 アニメーターになってしまったのもも、実は誰にもで出来ることなのです。 ためしに、アニメーターになりたいって思う人がいたら、朝おきて朝食をとるように、寝る前に誰かの漫画(上手い人限定)の2~3ページを3年間模写 し続ければ、アニメーターになりうるだけの画力なんて身につきます。 同窓会だってそう、“どうやったら出来るか”なんて誰だって安易に想像できます。それをやってみて「ああ、できるんだ」って確認するだけのことです。

そしてもう1つの『真実』、<やりたいな~の人>は、<やらない人>のカテゴリーに入ると言う事。 だってこの世の中には、<やりたいな~の人>と<やってしまえる人>の2種類しかいないんですから。 私はこの映画を当時みてえらく感動して、さきごろもう一回みようとおもったらもうどこ探してもレンタル屋においてない。 しかたがないので、ネットであっちこっち中古の映画販売サイトをあさってやっとみつけて購入したんですが、 どうやら<観たいな~の人>には決してみる事の出来ない映画かもしれない。

by ssm2438 | 2010-12-11 14:02
2010年 12月 10日

あなたが寝てる間に・・・(1995) ☆☆

f0009381_2115631.jpg監督:ジョン・タートルトーブ
脚本:ダニエル・G・サリヴァン/フレデリック・リボウ
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:ランディ・エデルマン

出演:
サンドラ・ブロック (ルーシー)
ビル・プルマン (ジャック)
ピーター・ギャラガー (ピーター)

       *        *        *

おお、冷蔵庫いっぱいレディーボーデン入れてみたいぞ・・!

ラブコメってメグ・ライアン以外でも成立するだってこと忘れてた・・。でも、やっぱりこれがメグ・ライアンだったら・・って頭のどこかで考える自分がいるから、やっぱりラブコメの女王は彼女なんだろうなあ。

・・・しかし、この映画のサンドラ・ブロックも悪くない。相手方の男もなんと、『めぐり逢えたら』でメグ・ライアンにふられたビル・プルマンだ。この人、もっていかれるダメな二枚目役ばかりやってる感じがあるが、今回はばっちり主役してました。おめでとう! でもよくよく考えてみると『インディペンデンス・デイ』ではアメリカの大統領やってましたね。たまにはマトモな役もやってるんだ。きっと私が知らないだけですね。

サンドラ・ブロック。この人、めっちゃベッピンサンじゃないけど、いいですね。このすこし崩れた加減がかなりラブコメ向きな人だと思うのだけど、どうもその上にメグ・ライアンがいつもいるのでなかなかスーパーヒットしない感じだなあ。なんかスマートさがもうひとつない。身体にも、役者としても「くびれ」がない感じ。これが致命的なんだろうな。頑張れサンドラ・ブロック!

監督は『クール・・ランニング』ジョン・タートルトーブ。この人、困らない程度にきちんと作れる人です。が、困るほどにズシンと来るものがない人。無難なんだけど、引っかかりも弱い。監督の中ではかなり凡人系の監督さんという印象。この映画もさらりと、きちんと作ってしまいました。

あ、ピーター・ギャラガー。この人の眉毛は濃いいね。この人をはじめてみたのは『セックスと嘘とビデオテープ』だったのだけど、本作みたいにあんまり憧れの人を演じる顔ではないと思うのだけど。
ただ、歳とってきてからはけっこう良い感じになってきたかもしれない。若いときはちょっとぎらぎらした油ぎったいやらしさがあったのだけど、歳とって肌がかさついてきてからは意外と渋くみえるようになってきた(苦笑)。最近は眉毛のこいウォーレン・ベイティみたいは雰囲気さえ出てきてる今日。

<あらすじ>
シカゴで地下鉄の改札嬢を務めるルーシー(サンドラ・ブロック)の楽しみは、毎朝、改札口で見かけるハンサムな男性(ピーター・ギャラガー)を想うこと。そんなある日、彼女の目の前でその彼がホームに落下。とっさに飛び下りた彼女は、列車に轢かれそうになった彼を必死で救出した。
彼はエリート弁護士でピーターという。彼につきそって病院にいったルーシーは、彼の家族に婚約者だと勘違いされてしまる。否定しようにもピーターは昏睡状態。そんな状態でピーターの家族との付き合いがはじまってしまう。
ピーターの家族にすっかり気に入られてしまったルーシーは、真実を話しづらくなってしまう。しかし、そこに
ピーターの弟ジャック(ビル・プルマン)登場。二人が惹かれあっていく。しかし、意識ととろもどしたピーターもルーシーの魅力に気づきはじめ、ピーターは彼女にプロポーズした。

憧れの人が私を好きだといってくれている!
なのに・・・、どうも私はその弟ジャックを好きらしい。どうするサンドラ・ブロック!?って話。

憧れと妄想の彼より、現実に付き合い易い男という、コンセプトだが・・・、これってなんか寂しい。
個人的には恋愛ってのは、憧れこそが総てで、付き合い易いとか、一緒にいてラクだってのは恋愛に入らないとおもうのだけど・・・。
男の私としては、恋愛ってのは、想って想って、想いきって、現実にふれて、ああ違ったんだと思いつつ、でもひたすら心のなかの憧れの君を映し出す対象を探し続けるってほうが、男の恋愛像として正しいようなきがするな・・。おお、じゃあやっぱり『コレクター』ですかね。

by ssm2438 | 2010-12-10 21:02
2010年 12月 09日

燃える昆虫軍団(1975) ☆

f0009381_11303927.jpg監督:ジュノー・シュウォーク
脚本:トーマス・ペイジ/ウィリアム・キャッスル
撮影:マイケル・ヒューゴ
音楽:チャールズ・フォックス

出演:
ブラッドフォード・ディルマン (ジェームズ・パーミター教授)
ジョアンナ・マイルズ (キャリー・パーミター)

       *        *        *

PL学園の人文字とこっち人文字(昆虫文字)とどっちが先なんだ?

70年代におそってきた動物や昆虫たち、そのなかでゴキブリかとおもってたらどうやらそうではなく、それにちかい昆虫らしい。地震の時にできた割れ目からゴキウリのような昆虫が地面にはいだしてきた。その昆虫はには発火能力があり、その炭となったものを食料をしているという設定。なかなか面白い。
ただ・・・、構成がなんか妙。
深読みするなら、はじめのプロットでは、BパートがAパートではなかったのか??って思ってしまうほどだ。

Aパートはまあ、普通の昆虫パニックものなのである。ロサンゼルスで地震がおきて、地中から未知の昆虫がはいだしてきた。その昆虫には発火能力があ、各地でなぞの火災事件がおきはじめる・・というもの。しかし、この生物、地上の気圧の変化にたえられず自滅・・・おい!
まるで『宇宙戦争』みたいな展開ですが、このあとが妙な展開になってくる。
Bパート。

この博士、しにかけている昆虫の生き残りの一匹をそもちかえり、圧力タンクにれてなんとか生存させる。そしてゴキウリと交配させてその生態を調べ始める。そしたらそのゴキウリモドキが、知能を持ちはじめ、WE LIVEの人文字を書いて、博士を殺し、地底へ帰っていくというもの。

・・・・・どうおもいます?

地震の時に、地下からなぞの昆虫があらわれ、それをみつけた博士が持ち帰って研究をすすめた。そしてにたようなゴキブリと交配してみたら知性をもったゴキブリに進化、その進化ゴキブリが博士をころして世間にひろまり、あちこちで事件を巻き起こしていく・・ってのが普通の流れだと思うのですが・・。

まあ、普通のながれなのでどこかでフェイントかけたかったのかもしれないのだけど・・、出来上がった物語の進行だとちょっと納得いかないまま終わってしまったかな・・・。。
捨てがたい魅力はあるのだけど、やっぱりどこかもうちょっと王道で練り上げてほしかったかな・・・。前半が大規模パニックものなのにたしいて、後半がやたらとプライベートな展開になってしまい、スケール感が後半にいくほど小さくなるという、困った物語。

一般的な見方はそういうことになるのだが、ダメだから嫌いというものでもないのが映画というもの。これもその一つである。

by SSM2438 | 2010-12-09 11:31
2010年 12月 09日

甘い生活(1959) ☆

f0009381_848351.jpg監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ
    エンニオ・フライアーノ
    トゥリオ・ピネッリ
    ブルネッロ・ロンディ
撮影:オテッロ・マルテッリ
音楽:ニーノ・ロータ

出演:マルチェロ・マストロヤンニ

       *        *        *

裸の王様映画の決定番でしょう。

誰かがきちんと「この映画つまなんだよー」って言わないといかんな。

一応1960年のカンヌ国際映画祭、パルム・ドール受賞の作品です。まあ、カンヌの映画祭のパルムドール受賞作品なんてろくなのないですから、この作品が選ばれてもおどろかないし、ああ、納得・・とさえ思えてしまう(苦笑)。

一貫したストーリーがあるわけではないので、物語を楽しみたい人には不向き。感情移入できる登場人物もいないし、登場人物にも映画自体にも生産性はまるでない。フェリーニの映画で生産性があるのなんてほとんどないけど。なので私にはまったく不向きでした。
それほど仰々しく賛美をあたえるほどのものもなく・・延々3時間ちかい時間をつまらないのために消費しなければなりません。映画の勉強したいひとは、一度は見ておくのもよいかと思うけど、みなくてもまったく困らない作品であもあるかな。

この映画をみると思いだすのが望月三起也『四葉のマック』という漫画のなかの主人公の言葉。

「理想のない生き方なんて死人も同じだ!」

この人たちの中に理想がないわけじゃなくて、もう追えなうなってる。そんな状況さんざんみせつけて最後の天使目線。ふうううう~~~~~んって感じなのですが、もし、この世の中に天使がいなかったらどうするんでしょうねえ? 実際いないけど・・・。

by SSM2438 | 2010-12-09 08:48 | F・フェリーニ(1920)
2010年 12月 08日

川のほとりのおもしろ荘(1979) ☆☆☆

f0009381_22443024.jpg監督:ゴーラン・グラフマン
原作:アストリッド・リンドグレーン
脚本:アストリッド・リンドグレーン
撮影:ヨルゲン・ペルソン

出演:
ヨンナ・リリエンダール (マディケン)
モニカ・ノルドクヴィスト (マディケンの母)

       *        *        *

どこをきっても宮崎駿金太郎飴。

『濡れた唇』モニカ・ノルドクヴィストがお母さんになって帰ってきた!
しかし、『濡れた唇』の時にすでに27歳、それから12年たっているのでもうかなり老けて見えてしまった。当時は若かったからか、そんなにベッピンさんではないのだけど、あの妖艶さに惚れてしまいました。さすがにこの映画のときは39歳・・・、うむむ、ちょっと辛かったかな。数字よりも老けて見えてしまった。
39歳といえば、『帰郷』の時のジェーン・フォンダそのくらいだったかな。まだまだ女としていける年だとは思うのですが、本作のなかではすっかりお母さんになってしまってたのがちと残念。

内容的には「ディス・イズ・ザ・宮崎駿」のような映画。どこをきっても宮崎駿金太郎飴。それが実写だというだけ。子供達の感情表現やら意地のはりかたやら、まったくもって宮崎テイスト。宮崎駿のルーツをみたおもいがしました。きっと宮崎さんはこの原作者のアストリッド・リンドグレーンの話をしこたま読んでしってたんでしょうね。
ちなみにアストリッド・リンドグレーンは、『長靴下のぴっぴシリーズ』とか『ロッタちゃんシリーズ』とか、ラッセ・ハルストレムが監督した『やかまし村の子どもたち』などの原作者。ちなみにこの『やかまし村の子供たち』はこの『川のほとりのおもしろ荘』の続編にあたり、主人公もこの物語のマディケンだとか。

しかし・・・、スウェーデン映画というのは、いいですね。映像レベルは極めて高く、洗練されている。なおかつ世界観が実におおからで、セックスに関してすっごく寛容なお国柄だなあって思う。
この映画でも始まってすぐ、いきなり主人公とその妹の全開ヌード。ぎょおおおおおおおお!!! こんなの日本でやったらアグネス・チャン怒鳴り込んできますよ(苦笑)。でも、まったくいやらしさはなく、朝おきて着替えるシーンなのだけど、寝衣を脱いだらそのしたはスッポンポン。そんなの平気でふたりして着替えてるところをのままうつしてる。胸もないけど、股間の毛もない。それも全然モザイク無しだからいやらしくもない。これはもうスウェーデンという国のある種の性的なおおらかさですね。そのあとも、幼女4人であたまについたシラミを駆除してもらうときに、これまたスッポンポンで水浴び。ロリーファンにはたまらん映画かもしれないですね(まったくいやらしさはないけど)。しかし、こういう健全な映画はいつまでもこのままにしておいでほしいものです。

あと、隣の家のマディケンが好きな男の子のお父さんが仕事もしないのんべえ。この描写も「ゆりかごから墓場まで」というスウェーデンの極端化福祉国家ならでは描写でしょう。しかし、この国というのは、ある種独特の文化の発展をしている国ですよね。

<あらすじ>
マディケン(ヨンナ・リリエンダール)とリサベットの姉妹は、新聞記者のお父さんと優しいお母さん(モニカ・ノルドクヴィスト)、そしてメイドのアルバと一緒におもしろ荘と呼ばれる家すんでい隣にはマディケンの好きなお男の子アッベの家族が住んでいてる。そんなアッベに新しく勝ってもらった赤い靴をみてもらいたくて、祭りにその靴をはいていくマディケン。しかし学校でいつもマディケンに敵対心をもやすミーアに難癖をつけられ片方のくつをぽいって投げられてしまう。
「どろんこにするから、新しい靴ははいてっちゃいけません」ってお母さんにいわれてたのに、アッベにみせたくて履いていってしまい、その結果が片方の靴をミーアに捨てられてなくしてしまうとい・・実に子供心のポイントをついたエピソードだなあって思った。

f0009381_22414257.jpgそんなミーアは学校でも意地っ張り。決して謝ることが出来ない彼女がじつに素敵。そんなミーアと意地をはりっこしてしまい、勇気があるなら校舎の屋根を上を歩みせろってことになる。しかし、これが心臓に怪我は得ているマディケンは、やってしまう。づづいてミーア。しかしミーアは怖さにまけて断念。
降りてきたミーアが「き今日はお腹がすいててめまいがしただけよ。今度なら出来るわ」といって去ってくあたりが実に素敵なミーア!!

子供のころの完成が実に丁寧におりこまれていて、ああ、そうだそうだ、子供ってこんな感覚だって思えてしまう。ミーアとの意地の張りっこで、学校の屋根の上を歩マディケンのガツンな望遠が実に印象的だった。

マディケン萌えの男って世界中にいるんだろうなあ・・(笑)

by ssm2438 | 2010-12-08 22:45
2010年 12月 07日

チャイナ・シンドローム(1979) ☆☆☆☆

f0009381_19431323.jpg監督:ジェームズ・ブリッジス
脚本:マイク・グレイ/T・S・クック
    ジェームズ・ブリッジス
撮影:ジェームズ・A・クレイブ
音楽:スティーヴン・ビショップ

出演:
ジェーン・フォンダ (キンバリー・ウェルズ)
ジャック・レモン (ジャック・ゴデル)
マイケル・ダグラス (リチャード・アダムス)

       *        *        *

個人的には原発推進派なのでちと複雑なきもちなのだが・・・。

私のごひいき監督の一人、ジェームズ・ブリッジスが監督した映画。ジェームス・ブリッジズといえば『ペーパーチェイス』『地球爆破作戦』と危機に瀕した人間性をテーマにした映画が多いのだが、この映画では原発批判の要素が強い。基本ポリシー批判精神がありすぎて若干きらいな部分も無きにしもあずなのだが、人間性をテーマにした時はきわめて同調できるし、描き方が私の感覚に近いのだろう。なんだかんだ良いながらもやっぱり好きな監督さんである。
先の秘策では人間性を奪う教育システムや、コンピュータにより管理体制を批判したジェームス・ブリッジズだが、この映画では、善良な原発技師が、より大きな力によって抹殺されていく様を描いている。彼の死後再起動される原発のうごおおおおおおおおおという音声が不気味である。

そのジェームス・ブリッジズが監督したこの映画、当時はスリーマイル島の原発事故の直前であり、1年後にはやたらと知名度が上がっていた(苦笑)。キネマ旬報ベストテンでも1979年か1980年の洋画部門のベストテンのどこかに入っていたはず。同じ年に『太陽を盗んだ男』もあったはず。この頃の全世界がやたらと原発批判をしていた時代でした。

ちなみにのこのタイトルの『チャイナ・シンドローム』というのは、原発事故の最悪のシナリオの一つで、原発の溶融物が地中にのめりこんでいき、地球の裏側の中国にまで達するという最悪の事態のことだ(実際どこまで現実的な問題なのかは不明なのだが)。

<あらすじ>
カメラマンのリチャード(マイケル・ダグラス)を伴って、ロサンゼルスの人気女性キャスターキンバリー(ジェーン・フォンダ)はベンタナ原子力発電所の取材に出かける。リチャードはコントロール・センターでカメラを回そうとすると止められる。しかしリチャードはこっそりカメラをまわしていた。その時突然震動が起こり大騒ぎの制御室の中で現場主任のジャック(ジャック・レモン)が冷静に指示を与え原子炉に緊急停止させた。
スタジオに帰ったキンバリーは、この映像を放送しようとするが、プロデューサーに反対される。結果としてリチャードは首になり、その後の発電所に異常が認められないため、運転が再開されることになる。

しかし、運転再開に疑問をもっていた男がいた。現場主任のジャックである。あの地震のときに感じた振動は、それだけではない、なにか構造自体の大きな欠陥を予測させるものだった。ジャックは単独で原子炉を調べはじめる。

ポンプの一つに小さな亀裂をみつけたジャックは、少し様子をみてから運転を再開すべきだと主張。しかし所長は耳をかそうともしなかった。一方翌日、リチャードは例のフィルムを物理学者のローウェル博士に見せていた。フィルムを見た博士は愕然とした。それはチャイナ・シンドロームの一歩手前の状態だった。
ジャックは、さらに独自に発電所内の各所にあるパイプ結合部のX線写真を調べはじめる。そしてそれらのX線写真れは業者が製品チェックの手ぬきのために、同じ写真を何枚も焼き増ししたもだった。

ジャックはその偽装されたX線写真をキンバリーに渡し、世論に真相を訴える決意をするが、彼の周りで事を隠蔽しようとする力が徐々に表面化してくる。そのX線写真をとりに行った録音技師のヘクターが車ごと崖下に突き落とされる。命の危険を感じたジャックは、発電所のコントロールルームを占拠・篭城し、キンバリーに取材させ、発電所の危険度を世間に公表しようとこころみる。しかしジャックは射殺され、すべて酔っぱらいのたわごととしてかたづけられることになつた。キンバリーは彼の死を無駄にしないために発電所内の人間の証言をとり、ニュースで事実を発表するのだった。

by ssm2438 | 2010-12-07 19:46
2010年 12月 06日

モーニングアフター(1986) ☆☆

f0009381_8243097.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ジェームズ・ヒックス
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ポール・チハラ

出演:
ジェーン・フォンダ (女優アレックス)
ジェフ・ブリッジス (元警官ターナー)

       *        *        *

役者人はいいのに・・・。

ごひいき監督シドニー・ルメット、さらに主役がジェーン・フォンダということで、劇場まで足を運んだ映画。ただ、社会派のルメットとしては、こういう男女二人の映画というのはそれほど期待はしてなかったのが本音。案の定凡作でした(苦笑)。
ルメットって押しつぶされそうになる社会のしがらみの中で、いかにして自分を生かしていくかというドラマを親近感ある作りで描いてくれてるときはいいのだけど、物語を舞台劇ぽく料理していくだけ・・という場合がある。それが先に書いた『デストラップ・死の罠』。その場合ははずれるときもある。この映画はそのイヤな要素はなく、普通の映画なのだが、それ以上のなにもない・・という困った映画。
当時何を勘違いしたのか、ジェーン・フォンダがこの映画でアカデミー主演賞にノミネートされていた(苦笑)。わからんでもないが・・・映画としても、彼女が演じたキャラクターとしてもあまり魅力は感じなかったというのが本音である。
ルメットは、脚本家あがりの監督さんなので、絵作りは特に魅力があるわけではない。なので話でみせてもらわないとだれるのだけど、この映画はその話がいまひとつルメットの輝きをはなっていなかった。

<あらすじ>
近年ぱっとしない中堅女優アレックス(ジェーン・フォンダ)はそのせいもありアルコールに溺れる日々。その日も泥酔して目が覚めると、見知らぬ部屋で寝ており、隣には見知らぬ男の死体があった。思い出そうとしても昨日なにがあったのか思い出せない。恐ろしくなってとりあえずその部屋をでるアレックス。
その後元警官のターナー(ジェフ・ブリッジス)と出会い、彼の助けをかりながら事件の真相を探っていくというもの。


サスペンスの要素としては、事件の真相を探れば探るほど、自分が犯人ではないか?という推測も排除できない・・、そのあたりがポイントになるのだろう。この映画ではそのポイントは匂わせつつ物語を展開しているが、少なくとも見ている人はジェーン・フォンダが犯人だと思ってみないだろうし、そのあたりは安心してみられるようになっている。
犯人はアレックスの別居中の夫ジャッキー。前半にちょろっと登場するだけなので、かなりインパクトがすくない。彼は大富豪の娘イザベルと一緒になろうとしていたが、イザベルが殺された男に脅されていたというもの。なのでその男をジャッキーが殺し、アルコール依存症の妻アレックスを犯人にしたてあげようとした・・という話。

サスペンスというのは、犯人がある程度予想されないで進行されると面白くもなんともない。作り手は、こいつが犯人ンっぽいぞっていうのを作っておいて、そのキャラが登場するたびにそれなりに緊張してもらいつつ、実は・・・という展開でないと駄目なようである。この映画ではその犯人が誰なのかがなかなかまったく予想もされないまま展開されるので見ている人が、作品のなかで行われているイベントをみせられるだけの時間が延々つづく。見ている人が映画に参加できないのだである。

by ssm2438 | 2010-12-06 08:28 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 12月 05日

デストラップ・死の罠(1982) ☆

f0009381_22262375.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:ジェイ・プレッソン・アレン
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジョニー・マンデル

出演:
マイケル・ケイン (シドニー・ブリュール)
クリストファー・リーヴ (クリフォード・アンダーソン)

       *        *        *

うむむむ、ルメットだけど・・・これは駄目だった。。。

舞台劇をそのまんま映画にしている映画。観客がいないかわりにカメラの手前に大勢のスタッフがいる。ただ・・・、個人的にはあんまり楽しめなかったかな。監督はシドニー・ルメットで、舞台劇的納め方はきちんと出来てる。しかし、これをそんな形で映画にする必要があったのだろか。前半のコメディテイストな展開から殺人がらみの展開になるのがどうも違和感があり、最後はホモオチ・・。ルメットの映画は基本的にはカス映画でも肌にあうのだが、この『デストラップ・死の罠』と『怒りの刑事』だけは駄目だった(苦笑)。

落馬して下半身麻痺になったクリストファー・スーパーマン・リーヴがこのころは健在なのがうれしい。

<あらすじ>
最近婦長の劇作家シドニー・ブリュール(マイケル・ケイン)。そんな彼のもとに、クリフォード・アンダーソン(クリストファー・リーヴ)から、自作の戯曲『死の罠』が送られてきた。クリフォードは、シドニーが大学で講義をした時の生徒で、自作の戯曲を評価してほしいとのことだった。
読んで見ると素晴らしい。シドニーの妻妻のマイラ(ダイアン・キャノン)は、彼の戯曲を手直しし、二人の名まで発表してはどうかというが、シドニーはクリフォードを殺し、戯曲を自分1人の名で発表することを考える。クリフォード自宅に呼んだシドニーは、クリフォードが戯曲を書いたことを誰も知らず、コピーもとってないことを聞き出し、にんまり。
そしてクリフォード絞殺するが、実はこれがトリックで、その夜死んだはずのクリフォードがドロだらけに名って現れる。恐怖におののくマイラは持病の心臓発作のために死亡。シドニーとクリフォードはグルだった。そして抱き合ってキスをする2人。

・・・・げ!

あとはすったもんだあるのだけど、意外性だけの展開で、個人的には着いていくのがあほらしくなった。最後は、二人が殺しあうのだが、実はそれが『デストラップ・死の罠』という舞台劇だったというオチ。
どうも、こういうこねくりすぎた映画は好きになれない。

by ssm2438 | 2010-12-05 22:27 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 12月 05日

スカーフェイス(1983) ☆☆

f0009381_7462451.jpg監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:オリヴァー・ストーン
撮影:ジョン・A・アロンゾ
音楽:ジョルジオ・モロダー

出演:
アル・パチーノ (トニー・モンタナ)
ミシェル・ファイファー (エルヴィラ)
メアリー・エリザベス・マストラントニオ (ジーナ・モンタナ)

       *        *        *

デ・パルマも一度は『ゴッドファーザー』やってみたかったんでしょうね・・。

この映画は、いつもの<作為的過ぎる説明演出><説明カメラワーク>はない、かなり普通に見られる映画です。そういう意味ではデ・パルマの嫌い部分の臭いがままりしない映画のうちです。ただ、登場人物がみんなファッキンな野郎ばっかりなのでかなりうんざり。生産性がない人間のドラマは生理的に好きではなくそれが延々3時間近くもつづけられるとかなりぐったり・・。

しかし、カストロさんってこんなことやってたんですね。びっくりするやら大胆で感心するやら。キューバという国は、共産主義国家なのだけど、私のなかではそれほど悪い印象はもってない国。中国なんかよりは遥かに好きになれます。ま、これが隣国のアメリカだとそうはいかないのかもしれませんが・・(苦笑)。ま、隣国同士はどこもあんまりいい関係ではないのが常です。

この映画の発端になっているのが、1980年のキューバから大量移民。表向きはそうなのだが、実情は反カストロ主義者のならずもの、やくたたず、犯罪者などを、「アメリカ国内に近親者があるものは帰ってもらっていいですよ」という肩書きのもの、キューバから追放してしまう。自国の犯罪者は、劣悪分子たちを自国で処理するのではなく、ゴミを捨てるようにアメリカに捨ててしまったわけです。そのなかの一人がこの物語の主人公トニー(アル・パチーノ)。

物語では、彼がコカイン密売で暗黒街のボスにのしあがり、そして自滅していくまでを描いている。オリジナルはハワード・ホークス監督の『暗黒街の顔役』。しかし、今回の映画では麻薬が絡んでラリって自滅していくような話で、それをオリヴァー・ストーンが脚本してることもあり、生産性のない人物の下劣性が実によく引き出されている(苦笑)。オリヴァー・ストーンってこういうの書かせるとうまいね。しかし・・・どうもこの手の人間は観ていて不愉快、生理的に好きになれんな・・。

あともうひとつ、撮影監督は私の好きなジョン・A・アロンゾ。この人の夜の表現は大好きだ。でしゃばらない人工照明が実に心地よい。

<あらすじ>
1980年5月、キューバからの大量移民がアメリカに漂着する。彼らは、キューバの反カストロ主義者や政治犯だった。カストロ政権は、政治犯だけでなく、国内の治安をみだす犯罪者や浮浪者たちをゴミを捨てるようにアメリカに捨てたのだった。その中にトニー・モンタナ(アル・パチーノ)とマニー・リベラ(スティーヴン・バウアー)がいた。
移民キャンプに送られたて3ヶ月、トニーは政治犯レベンガの殺しを頼まれて実行する。それをきっかけにコカインの取引きにからんでいく。を金を横取りしようとした相手を、トニーは敵を皆殺しにしてしまう。その事件をきっかっけに、トニーは麻薬密売組織のボス、フランク(ロバート・ロッジア)に認められる。独断でボリビアの黒幕・ソーサ(ポール・シェナー)と高額取引を成立させたトニーを危険視したフランクは、殺害を試みるが失敗。逆にトニーに殺されトニーはマイアミのボスの座につき、フランクの情婦だったエルヴィラ(ミシェル・ファイファー)と結婚する。だが、彼の栄光の日々も、脱税が摘発され、長くは続かなかった。
麻薬取締りが厳しくなり危機感を感じたソーサは、麻薬取締り委員会の最高顧問暗殺をトニーい依頼する。トニーはニューヨークに行き、ソーサの殺し屋の仕事を手伝ことになっていたが、う。ターゲットが家族と一緒なのを見て、爆殺に反対し、殺し屋を射殺してマイアミにもどる。トニーの裏切りを許せないソーサは、彼の屋敷を襲撃、トニーは壮絶な死をとげる。

by ssm2438 | 2010-12-05 07:50
2010年 12月 04日

殺しのドレス(1980) ☆☆

f0009381_901813.jpg監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ブライアン・デ・パルマ
撮影:ラルフ・ボード
音楽:ピノ・ドナッジオ

出演:
マイケル・ケイン(精神科医エリオット)
ナンシー・アレン (娼婦リズ)
アンジー・ディッキンソン (殺される女性ケイト)

       *        *        *

デ・パルマは、この頃が一番楽しそうに映画をつくってる。

ヒッチコック崇拝者のデ・パルマ。この『殺しのドレス』とか『ボディダブル』とか、ヒッチコックスタイルを再現することが彼の大目的だったのだろう。それを実にたのしくやっているなあってほほえましく思えてしまう。そういうものをやっているのだと解釈すれば、楽しめる映画なのだろうけど、そうでないと・・・・どうなんでしょう?

強引な説明的演出がこの映画の売りなのだけど、この映画のネックは感情移入する相手途中で死んでしまうこと。なので物語にのめりこめない。もっとナンシー・アレンをもうちょっと早くからだせなかったものか・・・。一度彼女が襲われるエピソードがあり、第二段として中年女性のケイトが襲われる・・とかいう展開。現状の展開だと、途中で殺されてしまうケイトに感情移入して見始めてしまうので、彼女が死んだ時点で「あれれれ・・?」って思ってしまう。

<あらすじ>
中年女性ケイト(アンジー・ディッキンソン)は精神分析医のエリオット(マイケル・ケイン)のクリニックにかよっていた。白いコートに白いハンドバッグ、白い手袋という出で立ちで街に出たケイトはエリオットを訪ね、それからケイトはメトロポリタン美術館へと向かった。そこで彼女は1人の男の視点を感じた。彼女は誘われるままにその男とタクシーの中で情事を交わし男のアパートヘ行った。その男の机の中の書類から、男が性病であることを知り急いでその部屋を出たケイトは、途中指輪を忘れて来たことに気づきエレベーターで戻った。が、扉が開いた瞬間、彼女は何者かに襲われナイフで惨殺された。


どうもこの映画が私にとって不可解なのは、ケイトが“H”した相手が性病だったってところ。この要素がなかったらこの映画はもっと素直にみられたんじゃないだろうか?
ここまでの流れは主人公はあくまでケイトなのだ。見ている人は誰もが彼女に感情移入してみるだろう。情事の相手が性病だったことに気づき、「わあどうしよう」状態。病院にもいかないといけないし、夫にも内緒にできるかどうか・・、いやおう無しにケイトに感情移入してしまう。さらに指輪をわすれたことに気づき取りに戻る。そこで起きた殺人事件。感情移入した登場人物の死。一旦物語終了。

・・・ここで考える。もし、その男が性病でなかったら・・? もし指輪を忘れなかったら? 多分彼女はそのままなにもなく自宅に帰っていただろう。そしたらそんな事件も起きなかったはずだ。なのにその偶然の要素が物語りに絡んでいたので彼女は戻った。 なにがひっかかっているかというと、この物語がサスペンスとして成立させるためには、これが偶然であってはいけないというところ。犯人は女装した精神分析医のエリオットなのだけど、この男が意図的にそれを行おうとしているのであれば、ここまで偶然に支配された状況下で殺人を起こすことはどうもしっくりこない。犯人がエリオットではなく、たまたま通りかかった女装趣味の変質者ならいいのだけど・・。
私の中では、このポイントが最後まで尾を引きその後の展開はほとんど上の空だった(苦笑)。

その後は、死体を発見したリズ(ナンシー・アレン)が、犯人らしいブロンドの女性を目撃し、犯人に狙われ始める・・という展開。犯人は性的倒錯者で、女の心を持った男、その犯人は精神分析医のエリオットなのだが、その証拠を掴むためにエリオットを挑発するリズ。彼が再び殺人を犯そうとした時、刑事がリズを救いエリオットを捕える。

しかし、このナンシー・アレンはなかなか良いです。
役どころは娼婦ということですが、なんだかとても清楚。

by ssm2438 | 2010-12-04 09:01