西澤 晋 の 映画日記

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2011年 01月 24日

鏡の中にある如く(1961) ☆☆☆☆

f0009381_10273346.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:
ハリエット・アンデルセン(カリン)
グンナール・ビヨルンストランド (父ダビッド)
マックス・フォン・シドー (カリンの夫・医師のマーチン)

       *        *        *

風の音、波の音、無伴奏・・・

この映画が、いわゆるベルイマンの神の沈黙三部作:『沈黙』『鏡の中にある如く』『冬の光』の1本であり、そのなかでももっともシンプルな映画で、物語の流れもわかりやすい映画です。1961年のアカデミー外国映画賞もとっています。
しかし、この3本がつながってるわけでもなく、同じテーマで描かれたわけでもないので、このような仰々しいくくり方が必要だったのか?とも思えます。だいたい、この3本をみて関連など見当たらない。少なくとも若いころの私にはそうとしか見えなかった。・・・・しかし、大人になるっていいものですね。歳をとって、あるていど分別がついてくると「ああ、なるほど」って思えるようになってしまった。

そのなぞがとけたのは、幼年期自体のイングマル少年とその父との確執を知ったからです。そして、ベルイマンが作っている映画は誰に見せるために作られたのか・・?という疑問に、「それはかれの父である」という答えにたどり着いたからです。
ウプサラの司教さんだった厳格な父。その高圧的は支配。それはほとんど『ファニーとアレクサンデル』で描かれたようなものではなかったのかと予想します。
イングマル少年は幼少時から非常に体が弱く病気がちで、依存心が強く、学齢に達しても登校しようとしなかったとか。そんなイングマル少年を、父は厳しく罰します。暗いクローゼットの中に閉じ込めたり、笞で打つこともあったとか。そして19歳で家を出たイングマルと父との確執はベルイマンが大人になってからもつづいいたそうです。ベルイマンは48歳のとき、父は悪性腫瘍で倒れましたが、このときも父を見舞うことはありませんでした。
イングマル少年がみた父の姿は、それぞれの映画のなかに登場する高圧的な支配者に投影されているのでしょう。生涯を通じて父の非難を描き続けずにはいられなかった、その憎しみのエネルギーとはすさまじいものです。

神の不在なんて、日本人にとっては当たり前のこと。なのでピンとこないのですが、これが見せる対象が「彼の父」だったということが分かると、とたんに映画の意味が見えてきます。

『沈黙』というのは、自分が外の世界と接するときにどう行動するか、それは自分のなかの理性と感情をもとにして、自分の行動を自分で選択していかなければならない。そこには神の声なんて関係ないんだよ!って言っている映画。
『冬の光』では、原爆の恐怖という現実的な恐怖にたいして、具体的にどう対処するのかって時に、宗教というファンタジーは機能しないにもかかわらず、牧師さんはそれをやっていかなければならない哀れな職業なんだよってことを言ってる映画。
そしてこの『鏡の中にある如く』は、精神分裂病の娘の治療に関して、宗教はなんにも役に立たない。むしろ、そのファンタジーこそが、彼女の病状を悪化させたものではないか!と、いう主張。

おそらく、ベルイマンは神の存在は信じてたんじゃないでしょうか。無神論者ではないと感じます。
・・しかし、それが「宗教」という形をとる時、それに対しては懐疑的・・というより強烈なまでに批判的だったのでしょう。

<あらすじ>
作家ダビッド(グンナール・ビヨルンストランド)には二人の子供があいた。17歳の息子ミーナスとその姉カリン(ハリエット・アンデルソン)。カリンは医師のマーチン(マックス・フォン・シドー)と結婚していたが、精神分裂病に悩まされていた。ダビッドはマーチンと海に網打ちに出たとき、カリンの病状を聞くが、結果は悲観的なものだった。そんなダビッドは、カリンの行動やそれについての分析を日記にまとめていたが、ある夜カリンがそれを読んでしまう。ファンタジーに逃げ込んでいる自分と、現実の自分を強制的に認識させられた瞬間だった。
それからというもの、カリンの情緒はさらに不安定になっていく。
ダビッドとマーチンは町へ買いだしに出かけた留守中、カリンは雨宿りに寄った捨てられた朽船のなかで弟の体を求めてしまう。でその罪の意識でカリンはまたも乱れて衰弱していく。やがて彼女はヘリに乗せられ町の病院へと搬送されていく。

f0009381_10185117.jpgベルイマンの映画のなかでもストーリーが分かり安い映画が、一番ピンとこない映画でもある(苦笑)。
最後は姉と弟の近親相姦になるのだが、これ自体もそれほど罪の意識を感じるようなことではなく、まあ、なちゃったら仕方がないよねって思ってしまう程度のもの。太古の人間社会はよくあったことで、生命の本質からははずれているわけではない。ただ、より安全な種を発展を考えたときには不安定になるので確率的にしないほうがいいというだけの話である。
『山の焚き火』という映画の中でも姉と弟の近親相姦がテーマになっていたが、あれなんかきわめてほほえましい映画だった。
この映画においても、弟と姉の在り方を見てると、お互いの肌のぬくもりを求めたとしてもそれは自然であり、幸せになることはあっても、不幸になるとはとても思えない雰囲気なのである。
ベルイマン映画にん出ている彼女のなかで、それほど綺麗だとはいえないハリエット・アンデルセンが一番自然で綺麗みえたのは、この映画の弟と戯れている時なんじゃないだろうか(『不良処女モニカ』とか『叫びとささやき』の時の彼女はかなり醜悪である)。

しかしこの二人の自然な求め合いに罪悪感を感じるようになっていることが、宗教的妄想に犯されているカリンの精神状態からうまれる悲劇なのだ。
「悪魔が自分の体にはいってくる」というカリン。そもそも「悪魔」というのはなんだ?ってことになるのだが、これは神を肯定するためのアンチテーゼとして作られたもので、「悪魔」(吸血鬼でもいいんだけど)とい概念をつくった時点で純粋な信仰は勢力争いのプロパガンダに成り下がったのだと思う。これがベルイマンの非難している「宗教」というものなのじゃないだろうか。

とにかくベルイマンの映画の解釈というのは、世間一般で書かれていることがどこまで本当なのかかなり疑問である。どうみても、私の解釈が一番まともにみえてくるのだが・・・(はは、あいかわらず自画自賛の独りよがりレビューであった)。

by SSM2438 | 2011-01-24 10:31 | I ・ベルイマン(1918)
2011年 01月 23日

不良少女モニカ(1952) ☆☆☆

f0009381_24962.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリック・ノードグレーン

出演:
ラーシュ・エクボルイ (ハイリ)
ハリエット・アンデルセン (モニカ)

       *        *        *

常識を一度破壊するための映画・・なのかも。
誰の? もちろん・・・・・・・・


私の大好きなイングマル・ベルイマン。この人の映画は、人間の業、愛と憎しみ、支配と独立、理性と感情のせめぎあいを、口から手をつっこみ、胃袋を内側から握り、ひっくり返しながら引き出したようなどろどろした精神面をみせてくれる。ストーリーは最低限あれば充分で、そのせめぎあいこそが最大の魅力となる。しかし、この『不良少女モニカ』は、ストーリーがあるほうだ。観てて気持ちの良い映画ではない。もっともベルイマンの映画でみてて気持ちのいい映画などほとんどなないのだけど(苦笑)。

最初にこの映画を見たときは、モニカちゅうのはなんちゅう非常識で無責任な女だ!って思った。自分が産んだ子供に愛を注がない母親、こんな女けしからん!! こんな女の話なんか見るか!って何度も止めようと思ったが、なんとか頑張最後までだとりついた。そんなモニカに恋する男の子ハリーはなんという不運なくじをひきあててしまったのか・・・・、これはもう立松和平原作の『遠雷』の中で、カエデ(横山エリ)をひいてしまったジョニー大倉の悲運さと似ています。まさに「不運なくじをひいてしまった」という感じなのだ。

しかし、ある程度のおちついて映画をみるようになってくると客観的な見方も出来るようになる。そもそもこの映画は誰にみせるための映画だったのだろう? こんな映画誰にみせても不快感しかないはず。なのになぜ・・・??? 
それは、見せる対象に不快感を与えるために撮った映画だからでしょう。誰に・・・・? そんなのあいつにきまってるじゃないですか。あいつです。そう、ベルイマンの父。

ベルイマンの映画というのは、そのほとんどが父にたいする復讐心から発生したものだと考えていいだろう。幼い頃のイングマル少年の感性を押さえ込んだベルイマンの父。宗教と理性と体罰で総てを支配しようとしたベルイマンの父。そんな自分の父親の概念に戦いを挑むこと、そしてそれを粉砕すること、それこそがベルイマンの映画を作る時の潜在的な目的だったのだろう。この映画も、ベルイマンの父がもっていた概念をまっこうから破壊するための一つのアイテムだったと私は思うのでした。

あなたが常識だと思っていることはホントに常識なのか? 
ほんとにそうあるべきことなのか? 
生命とはほんとにそんな理性的なものなのか?

『冬の光』では、宗教でも理性でも解決できない問題をつきつけられ、何も出来ない神父=父を哀れむことによる柔軟な攻撃をみせた。それに対してこの『不良少女モニカ』は、真っ向から「お前の持っている概念はほんとに正しいのか!?」とその破壊を目的とした能動的な攻撃のようにみえる。

この映画の持っている意味を判らないままみると、かなり辛い映画でもある。

<あらすじ>
ストックホルムの下町の瀬戸物店で配達係をしている青年ハリイ(ラルス・エクボルイ)は、モニカ(ハリエット・アンデルソン)という17歳の少女と知り合った。彼女は家庭的にめぐまれず、無責任と衝動こそが彼女の行動原理だった。モニカはある夜、酔って帰った父と口論して家をとび出しハリイの許に走った。
まともに頼られたことが嬉しいハリイはもニカと一緒に家を出る。そして父の持つモーターボートの中で暮し始める。二人は狭い船室で恋の喜びに身をまかせ、夏の間奔放な生活をつづけた。そのうちモニカは妊娠したが、ハイリにとってはそれは健全な悦びでだった。しかし二人は食糧不足に苦しむようになる。
モニカはある別荘に食べ物をぬすみに行くが、ハリイが臆病な態度をとったことから、二人の仲は気まずいものになった。夏の終わりにストックホルムに帰った二人は結婚し、モニカは女の子を生んだ。ハリイは工場に職を得て真面目に働きはじめた。しかしモニカは終日赤ん坊と暮す貧乏な生活には堪えられず、ふたたび以前の不良とつきあいはじめ、子供の面倒などまったくみない。ハリイは彼女と離婚し、子供をひきとって自分で育てようと決意するのだった。

by ssm2438 | 2011-01-23 02:49 | I ・ベルイマン(1918)
2011年 01月 22日

容疑者(1987) ☆☆

f0009381_16281392.jpg監督:ピーター・イエーツ
脚本:エリック・ロス
撮影:ビリー・ウィリアムズ
音楽:マイケル・ケイメン

出演:
シェール (キャスリーン)
デニス・クエイド (陪審員エディ・サンガ)
リーアム・ニーソン (聾唖の容疑者)

       *        *        *

『ザ・ディープ』『ブリット』などのピーター・イエーツが監督した法廷物。

司法局に勤める女性職員の惨殺死体が発見され、容疑者の男が逮捕されたが、この男は聾唖で言葉もしゃべれないという厄介な容疑者。その容疑者を弁護することになったのがシェール。さらに陪審員のなかにきれものがいて、その男がなぜか捜査にすごく協力的。いいのか悪いのかわからないが、彼がシェールと一緒に謎解きをしていくという展開。陪審員と弁護士ってこういうのいいんでしょうかね? 審議無効とかにならないんでしょうか? 物語の前半では一応、シェールがその申し出をことわっていたのだけど、何者かにおそわれたりしているうちにそのまま二人で捜査するようになってしまう。・・・おい!
さらにこの物語は、同じ時期に最高裁判事が自殺(殺人かもしれない)がおきており、このつながりそうにない二つの事件がつながっていく。一応サスペンス物のはなしなのだけど、個人的には法廷のなかでの議事進行の妙技でどんどん真実があばかれていく方向性であってほしかった。この映画だと、弁護士と陪審員のひとりが真犯人をみるけるの刑事ドラマみたいになっている。まあ、それでも悪くはないが、それは起訴される前の警官のやることだろう。刑事ドラマよりも、法廷ドラマののほうが技術力を要するので、まあ、私としてはそちらのほうで見たかった・・というだけなのだが。

<あらすじ>
最高裁のローウェル判事が原因不明の自殺を遂げたそのころ、聾唖で失語症のカール・アンダーソン(リーアム・ニーソン)が、司法局に勤める女性職員の殺人容疑で起訴された。彼を弁護することになったのは官選弁護人のキャスリーン・ライリー(シェール)。目は見えるが、音が聞こえない。やがてヘルムス判事(ジョン・マホーニー)の担当となり第1回の審理が始まる。言葉も話せない容疑者に対してキャスリーンは筆談で忍耐強くコミュニケーションをとりながら裁判を闘うことになる。

ここらあたりまでは、限定されるコミュニケーションの中から真実をみつけだしてくれる展開だろうなと、期待させられた。しかし、物語は普通のサスペンスものに落ちぶれてしまう

陪審員の中には、若きロビイスト、エディ・サンガー(デニス・クエイド)が疑問を持ち独自に調査を始め、きゃルリーンにも協力を申し出る。だが裁判当事者と陪審員との法廷外接触は裁判の公正のもとに禁じられており、キャスリーンはこの申し出を最初は断っていたが、彼女が何者かに襲われ、そのときサンガーが助けたりしているうちに、なし崩し的に二人で調査するようになる。
やがて、司法省副長官のポール・グレイ(フィリップ・ボスコ)がその現場にいたことが判明。さらにキャスリーンの告白テープがみつかる。その内容は、20年前、ヘルムス判事は当時容疑者であったある重要ウ人物を無罪にしたとうものだった。そしてその人物とはポール・グレイ司法省副長官だった。
翌日の裁判で、キャスリーンはポール・グレイを証人として呼びかつての黒いつながりを暴露、さらに、裁判長であるヘルムス判事を証人として指名する。うろたえる裁判長。しかし裁判長を証人喚問してはいけないという法はないことをしめし、ヘルムス判事を証人席に座らせる。

物語は真犯人をみつけることで、容疑者の疑いをはらすというもの。しかし、どうも裁判物というよりも、刑事ドラマになってしまったために、最初に設定した<聾唖で言葉の話せない容疑者>というコンセプトはまるっきりどうでもいいものになってしまった。
物語の設定がおもしろかっただけに、ただのサスペンスものになったのは残念だ。

by SSM2438 | 2011-01-22 16:29
2011年 01月 22日

おくりびと(2008) ☆☆☆

f0009381_12183095.jpg監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
撮影:浜田毅
音楽:久石譲

出演:
本木雅弘 (小林大悟)
広末涼子 (小林美香)
山崎努 (佐々木生栄)

       *        *        *

音楽だけはいい!

悪くはないのだけど、よくもない。アカデミー外国語映画賞というのはどうなんでしょうね? 最近どこの国もいい映画がなくって、めずらしそうな映画だったのでぽろってとってしまったのでしょうか。画面にしても、お話にしても、どこかテレビのようで、映画っぽくないというのが私の感性にはひびかなかった。
これは滝田洋二郎のどの映画にもいえることなのだけど。
日活ロマンポルノの監督作品というのは絵つくりが駄目だ。修行時代に被写体に近い位置で撮ることになれてて、望遠の気持ちよさというのを知らないままに監督とつづけているひとが非常に多い。滝田洋二郎もそのひとり。この人の映画はユニークなのだが、画面で感動させるって見せ方ができない。たぶんテレもあるのだろう。なにかにつけてかっこよく撮れない人なのだと思う。

私が思うに、この題材をそのまま、『劔岳 点の記』木村大作に監督・撮影やってもらったらとってもいいものができたような気がする。木村大作の人柄こそが、この作品には一番あってるようなきがしたのだけど・・。
木村大作の画面なら、川辺でチェロを弾くもっくんの絵もどれだけかっこいいものになったことか・・・。その画面だけで、この映画は見る価値のあるものになっていたにちがいないと無駄に想像してみる(苦笑)。

<あらすじ>
父は愛人を作ってでていき、母に女手ひとつで育てられた大小林大悟(本木雅弘)。彼の所属していたオーケストラが解散し、職をうしないった大悟は実家のある山形に帰ってきた。そこで大悟は、佐々木(山崎努)が経営する納棺師という仕事についた。しかし大悟の仕事を知った妻の美香(広末涼子)は、我慢できずに実家へと帰ってしまう。しかし大悟は自分の仕事をつづけていく。
うやがて父の訃報が大悟のもとに届く。家庭を捨てた父親には深いわだかまりを抱いていた大悟だが、戻ってきた美香とともに父の老人ホームに向かう。そこには、30年ぶりに対面する父の遺体があった。そして父の手の中には角がとれたまるっこい石。老人ホームに、大悟に納棺士をやらせてあげてほしと申し出る美香。そして大悟は父の納棺を慎ましく行っていくのだった。

by SSM2438 | 2011-01-22 12:19
2011年 01月 21日

イナフ(2002) ☆

f0009381_7543848.jpg監督:マイケル・アプテッド
脚本:ニコラス・カザン
撮影:ロジェ・ストファーズ
音楽:デヴィッド・アーノルド

出演:
ジェニファー・ロペス (スリム)
ビリー・キャンベル (ミッチ)

       *        *        *

主人公ともあろう者が、計画殺人実行して相手を殺してしまう。

家庭内暴力とストーカーとアクション映画。このアクション映画部だけがかなり違和感があるが、これを生かすなら他の展開考えられなかったものか・・。夫に執拗においつめられた主人公が、殺すことを意図して格闘技をならない、最後は殺してしまうという。本来なら、さんざんぼこぼこに苦しめられたはらいせに相手をぼこぼこ満足し、あとは旦那が逮捕されてあとは司法にまかせるってのは普通の展開なのだが、それが相手を殺して幕。うむむむ・・・後味わるい終わり方だ。CSI:ニューヨークなんかが調べたら、殴ったスリムの手には指輪がはめられていてそれをバンデイジでかためていた・・とかわかっちゃいそう。

<あらすじ>
レストランでウエイトレスをしていた首の太いスリム(ジェニファー・ロペス)は、店を訪れた親切な男性客ミッチ(ビリー・キャンベル)と結婚。彼は大富豪の息子で青年実業家だった。娘も生まれ夫婦仲は円満だったが、ミッチの浮気が発覚、家を出ようとするスリムに暴力を振るうようになる。友人達の力をかりて娘を連れ出して逃避行をつづけるスリム。しかしミッチは莫大な財政力・企業力にものを言わせ、危険な男達も雇い、どこまで追って来る。司法的にも追い詰められ、娘の親権をスリムから奪おうとするミッチに対してスリムは殺すことを決断。格闘技をならい、最後はミッチの家(自分の家とも言う)に忍び込み、昼になって夫が出て行くと、金属探知機で銃を探し出し全部処分、戦いの場を設定。両手の指輪を人差し指から小指まではめバンデイジして戦闘準備完了。正当防衛の末殺したようにみせるために、夫が帰ってくると相手を挑発し、格闘戦に持ち込み最後は殴り倒し、2階から落ちた夫は絶命。めでたしめでたし。

監督は『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』マイケル・アプテッド。個人的にはかなり認めている監督さんで、シーンごとの魅せ方も人間の描写もしっかりしている人だ。ただ、物語の基本構成の部分で何とかできなかったものなのか。もっとも、既に脚本があった段階で監督の依頼されたのかもしれない。原作があってつくられた映画ではなく、映画会社がジェニロペの格闘シーンを描くためにプロットからおこし、見せたいシーンだけをつないで全体のストーリーを作ったのだろう。しかし、かなり強引な展開で、「だったら他の選択肢もあっただろう」と感じられる部分がかなりある。

なにが気に入らないかって、スリムにはまとまったお金を寄こす支援者がいること。逃走用の車までよういしてあり、最後の格闘技をおしえてもらうトレーナーを紹介してもらえる。かなりご都合主義な存在だ。前半部の基本スタンスは「娘を連れ出したらカードや口座を全部凍結されて一文無し、そこからの逃避行」・・というものだった。それをこのご都合主義おじさんで全部カバーしてしまうのはどうなん? これやるくらいなら、覚悟をきめて身体を売って逃走資金を稼ぐってほうがまだいい。その結果、夫からの追っ手に見つかった時の逃走用グッズを用意しておく。それは機能するのだが、売春婦に親権はわたせられん!ってことで裁判になると勝てない。最後の手段は・・・とか。

「夫に殴られたら、すぐに警察に行くべきよ!」と言う友人のアドバイスに対し、「娘の父親を警察に逮捕させたくない」というスリム。しかし結果的には、娘の父親を自分で殺すこと選んでしまう結末。最後も卑怯な定石芝居。殺すところまで行って思いとどまり善人ぶりさせといて、もういっかい相手に襲い掛からせ、弾みで殺してしまうというよくある卑怯フィニッシュ。これやるなら、善人ぶりカットは無しで無情に殺させるか、殺すのを断念して警察に引き渡すかにしてほしい。
いろいろ不満のおおい映画でした。

by ssm2438 | 2011-01-21 07:55
2011年 01月 20日

ノルウェイの森(2010) ☆☆

f0009381_12321785.jpg監督:トラン・アン・ユン
原作:村上春樹
脚本:トラン・アン・ユン
撮影:李屏賓(リー・ピンビン)
音楽:ジョニー・グリーンウッド
主題歌:ザ・ビートルズ 『ノルウェーの森』

出演:
松山ケンイチ (ワタナベ)
菊地凛子 (直子)
水原希子 (緑)
霧島れいか (レイコ)
玉山鉄二 (永沢)
初音映莉子 (ハツミ)

       *        *        *

原作保存率73%! すばらしい。
(数字にはなんの根拠もありません・・)

『・・・ヤマト』の原作崩壊率98.7%に比べれば、恐ろしく原作の雰囲気を再現することに成功した映画だといえるだろう。作り手が原作を愛しているんだなと、強く感じた。

<あらすじ>
兵庫から東京の大学に入学したワタナベ(松山ケンイチ)は、高校時代に自殺した親友キスギの恋人だった直子(菊池凛子)に偶然再会する。キスギと直子は子供のころから一緒で二人の関係はすでに完成されていて、二人だけでいるとあまり会話もはずまない。しかし第三者がはいることで二人の会話することができる・・そんな関係であり、その第三者がワタナベだった。
直子は不安に対して弱い体質なのだろう。キスギの自殺でとりのこされた彼女は、外界との接触がぎこちなくなっていた。唯一彼女が心を安らいでいられるのはワタナベだけになっていた。そして二人はある雨の日、初めてのセックスをする。直子が処女だったことにおどろくワタナベ。それからというもの、再び直子は心をとざし、京都のサナトリウムに入る。
直子が姿を消した夏休みのあと、ワタナベは緑(水原希子)という同じクラスの女の子と時間をときどきつきあうようになる。緑には彼氏がいるのだが、ワタナベと一緒にいる時間がすきらしい。最終的にはこの緑とワタナベは付き合うようになる。直子から手紙を受け取ったワタナベは、彼女がいる京都のサナトリウムに向かう。そこで直子は突然姿を消した訳をりはじめる・・・。

勝手な想像だが、直子はあの雨の日が誕生日なら6月の後半、それから7ヶ月後がワタナベの誕生日だということなで、こちらは1月後半・・ではないかと予測する。そうすると直子がかに座でワタナベがみずがめ座かな・・。でも、村上春樹自身が1月12日生まれなので、ワタナベも山羊座と見るのが正しのかも。所詮書き手は自分しかかねないように出来ているのだから。
ちなみに村上春樹の血液型はA型だそうな。

この原作がでたころ、世間ではやたらとブームになっていた。あいかわらず、私はブームに関心がなく、この本を読んだのはそれから数年して、同窓会で会った高校時代に同じクラスだった女の人から、から「この本よんでみて」と送られてきた。で、読んでみたら面白かった。本人がいうところの、「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章・・とうのがまさにいい当てている。

当時の私は、30を越えたころでまだ独身。ちょうどパソコンを買ってネットに接続しはじめたころだった。ニフティサーブにはいっていて、そこでメールフレンドをみつけてメールの交換をするのが楽しかった。当時は実名表記で言葉にも責任がもててた時代。そんななかで、きちんと長い文章をかける人との言葉のやりとりはとても楽しく、お互いの恋愛事情やセックスの話、哲学や物語の構築談義などを楽しんでいた。まさにこの『ノルウェイの森』のような正直な気持ち(欲望)の相手に語ることで、心のやりとができていたのである。そんなことを経験したあとこの小説にであい、「ああ、こんな風に自分の欲望を正直に物語りにできるんだ」と関心した。
物語はそれほどたいしたことでないのだが、文章がすばらしい。まるで日本酒『上善如水』のような語り口なのである。自然に心にしみこんできて酔える。正直で純粋でピュアな不安と想いとせつなさが心の中にしみこんでくる。なかでも直子のフェラチオの描写の普通っぽさのなかでの、魂の純粋な性表現は見事としか言いようがなかった。

この映画をみたおかげで新しい発見もあった!

直子って、ワタナベを愛してはいなかったんだ。
当時はどうしてもワタナベ目線で読んでいくので、直子も実はキスギと付き合っていた時からワタナベのことを好きだったのかも・・と思っていたが、この映画をみているとそれは完全に間違いで、直子にそんな気持ちはなかったということがよくわかった。たぶんこの直子という女性は不安に弱い女性であり、大事にしているものであればあるほど臆病になってしまうのだろう。そうでないワタナベとはセックスが出来た。でも、ワタナベのことが大事なっていくと、やはりまた濡れない体になってしまう。
それでも直子は、口でしてあげることや、手でしてあげることは出来る。
この辺の解釈が個人的にはちょっと疑問があったのだが・・、そもそもセックスというのは繁殖作業であり、生殖器的行動だ。これは愛がなくても出来る。口でしてあげるのは性的行動であり、こちらのほうが愛があると思うのだけど・・・。

もうひとつの発見はタイトルの謎。
なんでこの物語が『ノルウェイの森』ってタイトルなのか、その意味がぜんぜんわかってなかったし、あまり気にもしていなかった。しかし、この映画をみたのをきっかけにちょっと調べてみた。
このタイトルはビートルズの歌のなかの題名で「NORWEGIAN WOOD」(ノルウェイジアン・ウッド)。しかしこの言葉は「knowing she would」(彼女がその気なのが分かる)の隠語なのである。つまり、「あの時の彼女はノルウェイジァン・ウッドだった」と言えば、「あの時の彼女は、“エッチしてもいいわよ”という信号をだしてた」という意味。
そのビートルズのその「NORWEGIAN WOOD」って歌は、始めてその人とエッチをするときの前のしずかなどきどき感から、エッチをしたあとの翌朝の心のさざ波を歌詞にして唄ったもの。そこまで調べてやっと「ああ、なんというすばらしいタイトルだったんだ!」と昨日の夜理解した。

監督のトラン・アン・ユンはベトナム系フランス人。ベトナム戦争の末期に家族で祖国を脱出、フランスに移住しフランスの映画学校にはいってそこで映画のことを学んだ人。『青いパパイヤの香り』などはけっこう有名だったのだが、個人的にはこの映画がこの人の始めて。悪くはないが、もっと映画的に高められたという気がする。舞台から次の舞台への移動を全部端折ってしまっているため、都合の良いシーンだけを撮ってつないだって感じがいなめない。正直はところ映画監督としての才能は買わないが、原作を忠実に再現しようとした努力とその結果は十分評価に値する。

撮影監督はなんと・・・・、『恋恋風塵』李屏賓(リー・ピンビン)、パンフレットかってその名前をみてから「あああああああ、そうだ・・、そんな感じ!」って思った。空気感がじつにあの感じだった。ちょっと感動。でも、めちゃめちゃ好きかといわれるとそれほどでもない。カメラがやや近いので、あと5メートル後ろに設定してズームで撮ってほしかった。それでも直子が自殺してワタナベは日本海を旅しているときの日本海の荒波の望遠。ここだけはめっちゃかっこいい!!! 木村大作の撮る日本海、どこかで見てたのかも?

映画では、野外は可能な限り日本でロケしてるようである。すすき野は兵庫県の峰山高原だとか。ただ、室内は・・・・どうも日本のようには思えない。この映画の舞台になっているのが1967年の東京と京都なのだが、当時私はまだ5歳で、その時の東京などしらないのだが、当時を撮った増村保造松本清張の映画などみても、そんな部屋はでてこない。部屋の間取りとか、植木鉢の植物とか、どうも日本じゃない気がする。勝手な想像だが、昭和を再現しようとしても無理なので、セットを組むのをあきらめ、それらしくみえる場所を選んできた・・という気がする。それは撮影監督の母国である台湾なのかもしれない。
美術を担当しているのはベトナム出身の人と、日本人の人なのだけど、この昭和の日本人の生活の再現が出来なかったのは見ていてちょっとつらかった。

この昭和の再現が出来なかった痛手はほかにもある。劇中主人公のワタナベは東京と京都のサナトリウムをあなり行き来しているのだが、この交通手段の描写がまるでない。富士山のしたを走るひかり号とか、京都の山の中を上っていくボンネットバスとか、そういう移動の描写をまじえつつ、そこで手紙を読んだり、過去回想に振ったりしほしかったかな。この交通機関・移動手段をを描くだけで物語の存在感とか時代背景の説得力がぐぐっとますと言うのに・・・。CGがこれだけ進んだ現代において、そのくらいの映像トリックくらいできなかったものかと思う。でも、昭和の車をあっちこっちからあめてきて、さりげなく使っていたな。

by SSM2438 | 2011-01-20 12:44
2011年 01月 19日

キャスト・アウェイ(2000) ☆☆

f0009381_1114575.jpg監督:ロバート・ゼメキス
脚本:ウィリアム・ブロイルズ・Jr
撮影:ドン・バージェス
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:トム・ハンクス (チャック・ノーランド)

       *        *        *

この映画のせいで『ユー・ガット・メール』の時のトム・ハンクスはデブだった・・

この映画、ロビンソン・クルーソーを現代でやってしまおうというかなりチャレンジングな映画。なんせ、誰もいない無人島で延々続くサバイバルを描かなくてはならない。ほかに誰もいない状況なんて、実はほとんど面白くもない。それでやってしまったのがこの映画。そのサバイバルの厳しさを表現するために、前半部ではビジネスマンのトム・ハンクスが乗った飛行機がついらくして無人島に流れ着きサバイバルを始めるまでを描いているのだが、そのときのトム・ハンクスは増量の結果きわめてデブ。そのあと半年かけてトム・ハンクスは体重を激減させることが義務付けられていた。そして後半部の撮影。そこではもう前半部からくらべて25キログラムの減量のけっかほっそりしたトム・ハンクスが再現された。
この映画はそれでよかったのだ。しかし、そのわりをくったのがノーラ・エフロンが脚本・監督した『ユー・ガット・メール』。ゴールデンカップルといわれたメグ・ライアンとの共演だったが、このときのトムは『キャスト・アウェイ』の前半部が終わったあとで、ほんとにデブだった。おかげでなんだかドラマしらけぎみ、エグ・ライアンも、化粧のノリだけではなく、芝居のノリも最悪。物語だけはそれなりの楽しい映画だったのでなんとかみられる映画になっていたが、画面からつたわってくるメグ・ライアンのテンションの低さはひどいものだった(苦笑)。
罪なやつだぜ、ロバート・ゼメキス

トム・ハンクスを使う監督というのは、ロン・ハワードという印象がつよいが、なぜかこのロバート・ゼメキスもよくトム・ハンクスをつかっている印象をうける。実際トム・ハンクスと一緒に仕事をしたのはこの『キャスト・アウェイ』と『フォレスト・ガンプ』くらいなのだが、映画の印象もどことなくロン・ハワードとにてるところ(ヘビーにならずに敷居を低くした見やすい映画作り・一般受けしやすく完成度も高い)があり、私の中ではイメージがまぜこぜになっていたりする。しかし実際よくよくみるとロン・ハワードのほうが子供向け演出で、わかりやすく説明しすぎる嫌いがあるかな。ゼメキスのほうが<想像>させる部分を高度に使っているように思える。ただ、題材的にはロン・ハワードのほうが受けるものを作っているようだ。

f0009381_11183922.jpg今回の『キャスト・アウェイ』ですごいのは、「ウィルソン」というキャラクター設定だろう。
「ウィルソン」といのは、血のついた手で握ったバレーボールを、そのあとさらにモディファイドして描いた彼のの唯一の話し相手だ。「ウィルソン」に話しかけることでトム・ハンクスもなんとか正常を保っていた。この設定はすばらしい。あれがなかったら、この映画のサバイバルシーンはかなりつまらないものになっていたいだろう。
このアイデアから思い出すのがビリー・ワイルダー『翼よ!あれが巴里の灯だ』。大西洋の単独飛行に望んだリンドバーグが、機内に飛び込んできたハエとしばらく話すシーンがある。機内は誰もいないので結局どうにかやってせりふのシーンを入れないと間が持たないものだが、『キャスト・アウェイ』ではその相手役を「ウィルソン」がやってくれた。
そしてその「ウィルソン」が最後ながされていくところ。まるでほんとに友人をたすけるかのように必死で助けようとするトム・ハンクス。そしてそれが失われたときの喪失感。泣ける。あのエピソードがこの映画のすべてだといってもいいだろう。

<あらすじ>
世界的な宅配便会社フェデックスの管理職チャック・ノーランド(トム・ハンクス)は、自社の貨物機に同乗し南米の支社に向かてちた。しかし嵐にまきこまれ飛行機は墜落。奇跡的に助かり無人島に流れ着いたチャックは、それからというものその島で生き抜くためのサバイバルがはじまった。孤独を癒すためにかれはバレーボールに顔をかき、「ウィルソン」と名づけた。
それから4年。その島でなんとか生き延びてきた彼だが、ついに洋上に乗り出していく決意をする。いかだを組み荒海に乗り出したチャクだが、長年つれそったウィリソンが流されてしまう。嵐に遭い荒れ狂う波でいかだは半壊になってしまう。意識も失い漂流していた彼は、幸運にも近くを通りかかった大型船に救出された。
なんとか地元のメンフィスに帰った彼だが、婚約者だったそケリー(ヘレン・ハント)はすでに結婚しており、子供まで作っていた。チャックとケリーはそれぞれの道を歩むことを決意するのだった。

by SSM2438 | 2011-01-19 11:30
2011年 01月 18日

ホワット・ライズ・ビニース(2000) ☆☆

f0009381_22592744.jpg監督:ロバート・ゼメキス
脚本:クラーク・グレッグ
撮影:ドン・バージェス
音楽:アラン・シルヴェストリ

出演:
ミシェル・ファイファー (妻クレア)
ハリソン・フォード (夫ノーマン・スペンサー)

       *        *        *

「横たわる」「横たえる」「嘘をつく」、さらに「上がる」「上げる」・・・

みなさん覚えてますか? 英語の動詞でいやなやつですよね。英語表記を読んで訳すくらいは出来るとおもうのだけど、これを正しい活用形で書けるかと言われると・・・その昔TOEICで910点を取った私でも正しい解答答える自信はまったくありません。

日本語タイトルは『ホワット・ライズ・ビニース』。でもこれだけだと解釈をあやまる。実際私は「WHAT RISE BENEATH」=「水面下で湧き上がってくるもの」だと思っていた。でも、これはでは文法がちがいます(苦笑)。これだと「WHAT RISES BENEATH」でなければいけません。
ただしくは、「WHAT LIES BENEATH」=「水面下に横たわるもの」・・だそうです。

でも、映画のタイトルの場合、複数形や序数などの「s/es/th」は省いてつけるので、私が勘違いしたのも無理ないな・・、うん。


で、物語。これってホラーじゃないですか!????
冒頭の隣の夫婦のやりとりみてると、ああ、これって『裏窓』でいくのだろうな・・って誰だって思うじゃないですか。あれだけみせられるとどうみてもサスペンス/ミステリーの世界観。しかも、もうこの話はハリスン・フォードが犯人だってことは世間で知られているので、いかにしてそこにハリスン・フォードが絡むのかな・・って思ってたら、まるっきり話とは関係ないただのブラフ。おい!
で、中盤からほんとに幽霊がでてくる。
この手ののものは普通、オバケがいるぞ、いるぞと見せかけて実は全部トリックでしたっていう、疑心暗鬼サスペンスにするだろう。ホントにオバケが居ました・・じゃあ、サスペンスにはならない。冒頭で既にサスペンス仕立てでつくりますよ・・って伏線はってたら、それが伏線じゃなくって全部ブラフだったっていうこの構成はどうなんですかね? 少なくとも見ている人はこの話はサスペンスで、幽霊話っぽいけど誰かが仕掛けてるんだって思いながら観てたはず。しかし、実はホントに幽霊でした・・て事だと、なんか拍子抜け。期待をはずすのは別にかまわないのだが、それ以上のものを提示してほしい。
今回の展開では、本人たちはホラーを作るつもりで、そのブラフとしてサスペンス仕立てのストーリーに組んだのかもしれないが、見る側サスペンスだと思ってみて、その結果ホラーだったら「サスペンスのオチを幽霊にするなー」って言いたくなる。思わせぶりの方向性を誤った感が否めない。

監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ/一期一会』ロバート・ゼメキス。てっきり『メイフィールドの怪人』ジョー・ダンテだとおもってました(苦笑)。この辺の監督さんは、スピルバーグ総指揮の作品でやたらと監督をまたかされていたのでなんとなく一緒のイメージがあるのだけど、このスピルバーグの子分連中のなかではゼメキスが一番面白いと思う。
ただ、この作品は・・・、演出的には確かなものがあるのだが、物語自体が・・・なんか、ちょっと期待したものとちがったというか・・・、でもいろいろ気になることが一杯ある映画でした。そういう意味ではなかなか面白かった。

ハリスン・フォードは、彼の思想上の問題で、それまでほとんどが善人系の役しかやらないことにしていると聞いていたのだけど、今回は人殺しの犯人役。当時、この映画が公開されたあとのハリスン・フォードのインタビューを聞いてたのだが、それまでのキャリアでは悪人はやってこなかったので、私が演じる人物が犯人だってことは意外だったんじゃないかなって発言してた。
ただ、今回の役はどうみてもマイケル・ダグラスがやる役だったな(苦笑)。

主人公のミシェル・ファイファーは私の大好きな女優さんなれど・・・・ううううう、老けたぞ。ちょっとあんまりアップで撮ってほしくなかった。もう目じりとか・・けっこう怖い。最後身体を麻痺する薬をかがされてバスタブにいられ、そこでハリスンフォードが蛇口を開く。じわあああああああああああっと上がってくる水面がなかなか恐怖。身体はぴくぴくは震えるのだが身体は言うことをきかない。でも意識はしっかりして上がってくる水面を認識できてしまうのでじわり怖い。このあたりの演出はゼメキスさすがにいいぞ!
ただ、個人的にはもう10歳彼女が若いときに撮ってほしかった。それでバスタブに漬けられてる時には、すけた下着が肌にはりつく色気は表現してほしかったなあ。彼女のヌードなんて最後にみたのは・・・いつだろう『眠れぬ夜のために』あたりか? 『恋のためらい/フランキーとジョニー』では、脱いでいたかもしれないが魅せてはいなかったし・・。

あと、これ、松本清張だったらやっぱり殺された女の子にドラマをつけると思う。この映画も深読みすればつけられるのだけど、個人的にはそこをもうちょっと膨らませてほしかった。子供の頃に母と自分を捨てていった父親。表向きはその復讐。でも、やっぱり愛してほしかった・・みたいな願望を、失踪した父の変わりにハリスン・フォードに抱いていた・・みたいな、「愛するがゆえに男を追い込んでしまった」みたいな、そして、男のほうも「愛しているのに殺してしまった・・」みたいな。
そんな話にできたらこの話はもっと良くなったのに・・・。でも、そうしたら幽霊話の恨み節は無理か・・・。
そう、でも、この話は「幽霊」が要らないんだ! つくづく松本清張路線で作ってほしかったと思う。。。

by ssm2438 | 2011-01-18 22:59
2011年 01月 17日

タイタンズを忘れない(2000) ☆☆☆

f0009381_0165427.jpg監督:ボアズ・イェーキン
脚本:グレゴリー・アレン・ハワード
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:トレヴァー・ラビン

出演:
デンゼル・ワシントン (ハーマン・ブーン)
ライアン・ハースト(ビル・ヨースト)
ヘイデン・パネッティーア (ヨーストの娘)

       *        *        *

ブラッカイマーのシンプルさがとても功を奏る。

ディズニー映画でありながら、ジェリー・ブラッカイマーがやるとこうなるのか・・・。ブラッカイマーは、「こすうればみんなが喜ぶ」というのを判ってて、それをやるところが好きになれない。作り手ならそれを「卑怯」と呼ぶのだが、残念ながら彼はプロデューサーだ。儲かることが大事な人だ。個人的にはあまり好きではないブラッカイマーなのだが、この映画は良いほうにころがった。そのむかし『スクールウォーズ』でぼろ泣きしたのを思い出してしまった(笑)。

時代はまだ黒人差別がのこる1971年。所は、アメリカ東海岸の真ん中よりもちょっと北、首都ワシントンDC」のあるメリーランド州の西に位置する。位置的には真ん中よりちょい北なのだが、南北戦争では南に属して戦った。そんな歴史的背景もあり、黒人似たいする白人の嫌悪感はつよいところである。
そんなバージニア州でも、公民権法施行により教育改革により白人黒人混合の共学の高校が生まれた。そのフットボールチームも最初はお互い嫌悪感をもっていたが、スポーツを通じて「勝つ」という一つの目的のために徐々に融合していき、周囲の人々をも巻き込みながら、奇跡を起こしていくという絵に描いたような感動作。

登場人物や、物語の構成も「いかにも・・」というくらいこてこてのキャラクター配置になっている。
「全人種が平等に扱われなければならない」と言うアファーマティブ・アクション法の施行と世論の動きに後押しされた町の教育委員会は、白人ヘッドコーチのビル・ヨーストを降格させアシスタントコーチとして招かれた黒人のハーマン・ブーン(デンゼル・ワシントン)をヘッドコーチに就任させる。
ヘッドコーチだったヨーストも州立高校よりはるかに高額の報酬で雇ってくれる大学のフットボールチームが彼に打診してきており、そんな居心地の悪いところになど居たくないと思う。ブーンも、白人のコーチの上に立ってヘッドコーチなどしたらいつ闇討ちにあるかもわからない。しかし、このヨーストは善人であり、人に嫌われることをしないよく出来た人で、なんとかブーンヘッドコーチ、ヨースト・アシスタントコーチの体制でやることになった。
そんなこてこての設定だが、この映画ではきわめてすんなりと、それほどのいやらしさを持つこともなくまとまっている。それぞれのコーチの娘同士も、初めは価値観が合わないが、徐々にお互いの価値観をみとめあとうする。白人コーチの娘に、『アリー・マイラブ/シーズン5』でアリーの子供の役をやったヘイデン・パネッティーアが扮し、なかなか元気でいい。

<あらすじ>
人種差別が強く根付く1971年に、ヴァージニア州アレクサンドリアの州立高校に黒人ハーマン・ブーン(デンゼル・ワシントン)がアシスタント・ヘッドコーチとして雇われ迎え入れられるが、アファーマティブ・アクション法の施行と世論の動きに後押しされた教育委員会はヘッドコーチのビル・ヨースト(ウィル・パットン)降格させ、ブーンをヘッドコーチに就任させる事を決定した。その不安は当事者のみならず、生徒や生徒の親達にもひろがっていた。
合宿が始まるが、最初はお互いの未知から来る恐怖に支配されて話すこともない白人と黒人の生徒達。ブーンは生徒達に、白人は黒人と、黒人は白人と話すことを強制する。話さなければ練習量が増やされる。仕方なく生徒たちは話し始める。さりげなく融和ができはじめたころ、カリフォルニアからの編入生ロニー(キップ・パルデュー)が合流する。西海岸育ちの黒人を嫌わないアバウトな性格も功を奏して、合宿が終わることにはチームは一丸となっていた。
しかし合宿が終わって学校に帰ってみるとそこには人種差別が渦巻いていた。キャプテンのゲイリー(ライアン・ハースト)の彼女も、チームメイトの黒人ジュリアス(ウッド・ハリス)とは握手するのさえ嫌がり、再び不穏な空気につつまれる。
シーズンが始まるが、ブーンが一回でも負ければ教育委員会は彼をクビにする考えだった。一方ヨーストも、殿堂入り投票委員会からさりげなく八百長の話をきかされる。試合が始まると審判は相手チームに有利な判定ばかり、退場にならんばかりに審判にくってかかるブーンを抑えて、ヨーストが審判に「不正をしているのは知っている。そのつもりなら総てばらすぞ」とドスをきかせる。ヨーストの殿堂入りはなくなったが、チームは勝った。そして全勝対決決勝までコマをすすめる。
前夜際にわく夜の地元の町では、既に街の人たちも肌の色をこえた融和が完成しつつあった。ゲイリーの前からさった彼女も偏見をなくするように努力する言う。しかしその夜ゲーリーが交通事故に遭い、決勝戦には出られなくなってしまう。

もちろん決勝にもタイタンズは勝つのだが、試合前に、ゲイリーの彼女がジュリアスに握手をしにくるのがいい。以前は黒人だからということで、握手を拒んだ彼女が、試合前に手を差し伸べる。お互いに「はじめまして」と挨拶をしなおすところが実にいい。

by ssm2438 | 2011-01-17 00:19
2011年 01月 16日

星願 あなたにもういちど(1999) ☆☆☆☆☆

f0009381_8205641.jpg監督:ジングル・マ
脚本:ロー・チーリャン
    ヤン・シンリン
撮影:ジングル・マ
音楽:ピーター・カム

出演:リッチー・レン
    セシリア・チャン
    ウィリアム・ソー
    エリック・ツァン

        *        *        *

いやあああ、泣ける。この映画は泣ける。劇中で3~4回くらい泣いたおぼえがある。

この映画の監督シングル・マはその昔『ラブソング』を撮った時の撮影監督さんである。今回は監督もやってるようで・・。いやいやしいかし、『ラブソング』といいこの『星願、あなたにもういちど』といい香港のラブストーリーはすごいですね。きちんと一般のエンタテーメント作品とし成立してます。おまけに泣ける。あと人工照明がうざいけど美しい。たぶんあれがなかったらぜんぜん古臭い建物なのだろう。ぎんぎんにライトアップしてモダンにみせている。多少露骨過ぎるが、そんなことはこのさいどうでもいいだろう。『天国から来たチャンピオン』『ゴースト』などのシチュエーションも上手く使われている。しかし・・・おちついてみるとけっこうあらがあり、完成度としては高くない。それでもこの映画の勢いはすさまじいものだ。

<あらすじ>
子どもの頃の網膜剥離で視力を失い、脳に炎症をおこして話すことも出来なくなったオニオン。オニオン(リッチー・オニオン)。そんな彼だが持ち前の明るさと手話と点字で人々の役に立っている。病院のカフェではたらくジャンボ(エリック・ツァン)というおじさんがいる。彼のところで塩レモンソーダを飲むのが彼の日課になっていた。塩をいっぱいかけて飲むオニオンをみてジャンボは「そんなにいっぱいかけてると早死にするぞ」ってよくいっていた。
オニオンは、いつもやさしくしてくれる看護婦のオータム(セシリア・チャン)に密かに恋心をいだいていた。彼にとっての至福の時間はオータムが散発をしてくれる時間だった。あまり心を他人に話さないオータムだが、オニオンには気を許せてなんでも話せた。彼女が言うにはオニオンに話してもだれにも告げ口しないからだそうな。オニオンはそんな彼女を思いながら夜になるとサックス吹いていた。

しかしある日オニオンは交通事故で死んでしまう。しかし天使の計らいで、地上に5日間だけ戻れることになった。しかしもどれても姿かたちは違うし声も違う。本人であることを名乗ろうとすると発作をおこしてそれはいえない。オニオンは、とりあえずその5日間をオニオンが生前かけていた保険会社の社員チョク・チーマンと名乗ることにして、その保険金の受取人をオータムとして処理しようとする。なんとかオータムにちかづく口実を得たが、彼女しか知らないようなこと、たとえばチーズケーキは嫌いで、グミのキャンディが好きだとか、も知っているオニオンをオータムは不振に思い警戒し始める。手紙を書いて渡してもその文字はぼやけて読めない。テープに吹き込んでもその声は録音されていない。自分がオニオンだと言おうとすれば発作を起こしてはなせなくなる。

なとか彼女と接点をもちたいオニオンは「オニオンの日記をもっている」と嘘をついてしまう。夜に会いたい連絡があり、なんとか日記を一夜漬けで(点字で)書こうとする。しかし・・・大変なので一行書いただけでギブアップ。点字のよめないオータムはチョクに読んで聞かせてほしいと言う。
何も書いてない日記を指で触って読んでいる振りをしながら思いでも語るオニオン。はじめてオータムが病院にきたこと、はじめてオータムが髪を切ってくれたときのこと、髪を切ってくれてるとき間違って耳を切ってしまいなきじゃくってたオータムのこと・・・、聞いているうちにオータムは流れる涙をとめられない。
「やめて、その日記は燃やして」といって駆け出すオータム。
「さっきオニオンが近くにいたようなきがしたの」とオニオンとの連絡につかっていたポケベルにかぶせたねずみさんにむかって泣きじゃくるオータム。

オニオンは自分の死んだ場所にいってみると、彼をひいたカップルが花を供えにきていた。そこにジャンボおじさんが現れる。彼のうちにいくと死んだ娘の写真があった。薬のやりすぎでしんだそうな。
レモンソーダと塩をさしだすジャンボ。ひとつ肩をもんでくれないかと頼むと、生きていたときのように彼の肩をもむオニオン、何かをさとったかのように飛び上がるジャンボ・・・、
「いつか帰るんだ、台湾へ? また来るのか?」
「二日後、もう来ない」
「だったらもう何もするな。つらくなるだけだ」
その言葉をきくとポケットからいくつかある札束を差し出すオニオン、「向こうじゃつかえないから」
帰り際にぼそというジャンボ、
「バカ娘にあったらめんどうみてやってくれ」
「分かった・・」

その日からオータムのまわりで不思議なことがおきはじめる。あとでかたずけておこうとしたダンボールが既にかたずけてあったり、スーパーで買い物をしていると、グミのキャンディがかごのなかにはいっている・・。
そのキャンディを都会の駐車場に車をとめて一晩中かけて食べるオータム。

夜になるといつものサックスの音がきこえてくる。「オニオン!?」と駆け出すがそこでサックスをふいてたのはウー先生(ウィリアム・ソー)だった。彼の胸でなくオータム。もう自分はいられないと悟ったオニオンはオータムをウー先生にたくそうとしていた。しかし・・・嘘をつききれないマー先生「僕じゃない、サックスを吹いていたのはチョク・チーマン」だと告げる。
オニオンは近くにいる、「オニオン、オニオン」とかけだすオータム。

無数の星が降る夜・・・・オニオンは光につつまれて帰っていくのだった。

怒涛のぼろ泣き映画。すごいぞ、シングル・マー!!
アジア至上、最高に泣ける映画かもしれない。
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by ssm2438 | 2011-01-16 22:23