西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2011年 02月 ( 40 )   > この月の画像一覧


2011年 02月 17日

幸せの始まりは(2010) ☆☆☆

f0009381_12241718.jpg監督:ジェームズ・L・ブルックス
脚本:ジェームズ・L・ブルックス
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ハンス・ジマー

出演:リース・ウィザースプーン (リサ・ジョンソン)
    ポール・ラッド (ジョージ・マディソン)
    オーウェン・ウィルソン (リサの彼氏・マティ)  
    ジャック・ニコルソン (ジョージの父)

       *        *        *

どのセラピー患者にも効果のある言葉は、「自分の心に正直に・・・」

現代は『HOW DO YOU KNOW』。どうして分かったの? どうして知ったの? みたいなニュアンスか・・。

あいあわらず冴えるジェームズ・L・ブルックスのアクロバティックなシナリオ・サーカス。『スパグリッシュ』以来のジェームズ・L・ブルックス作品。おおお、あいかわらずやってくれます、言葉の魔術師。でも、『スパングリッシュ』のほうが私は好き。でも『スパングリッシュ』よりも『ブロードキャスト・ニュース』のほうが好き。そんなわけで、できばえ的には『恋愛小説家』と同じくらいじゃないでしょうか。

物語はこれまたジェームズ・L・ブルックスのいつものパターン3角関係。
ナショナルチームの全米代表からはずされた31歳のソフトボール・プレーヤー、リサがなんとか普通の恋愛をしようと奮闘する話。その恋人ワシントン・ナショナルズのピッチャー。そこに詐欺の疑いをかけられて会社を首になった(なってないのかもしれない)主人公の男が絡んでくる。
しかし・・・、よくよく考えてみるとブルックスの場合はどの作品をみてもほとんど三角関係が基本になっている。ごちぇえごちゃした人間関係を描くのは好きなんですね(笑)。でも、ブルックスの三角関係はがちがちの恋愛バトルじゃなくて、ちょっとニュアンスの違ったものになっている。恋愛関係ではない三角関係で、その中に恋愛関係が割り込んでくるというのが、正しい表現かもしれない。

ジェームス・L・ブルックスがすごいのは、人と人との恋愛関係じゃなくて、関係と関係の関係を描いているところ。ほとんどのドラマは、AさんとBさんが恋人どうしで、そこにCさんが絡んでくるという構成。これ以外に考えようがないだろうが、ジェームス・L・ブルックスの物語は、(AさんとBさん)の関係に(BさんとCさん)の関係がからんでくる。個人と個人の恋愛模様ではなく、二人のコミュニケーションがひとつの固定体として捉えられており、そこに別のコミュニケーション・スタイルが侵食してくる、あるいは寄り添ってくる・・という超高度に練られたシナリオなのである。
この物語ではメジャーリーガーの恋人ととリース・ウェザースプーンの関係は、かなりふわふわしたものだが、その関係の中にリース・ウェザースプーンと主人公の男の関係割り込んでくる。あるいは、会社(あるいは父)と主人公の関係に主人公と彼のアシスタントの関係が割り込んでくる。
ジェームス・L・ブルックスのシナリオというのは、関係を個性化し、関係同士をからませて、ドラマをつくっているという、今の映画界において類まれなる天才シナリオ・ライターであるといって過言ではない。このスタイルでシナリオを書いてる人は他にいないので、この人のシナリオだけが傑出してみえるのだ。
ああ、バラしてしまった(笑)。。

ただ問題がひとつある。女の趣味は私とは合わない。一番初めのデブラ・ウィンガー(愛と追憶の日々)は好きだけど、ホリー・ハンター(ブロードキャスト・ニュース)もパス・ベガ(スパンングリッシュ)も今回のリース・ウィザースプーンも駄目だ。もうちょっと和みやすい人にしてくれるといいのだけどなあ。特に今回のリース・ウィザースプーンはあのアゴをみてるだけで気持ち悪い(苦笑)。

<あらすじ>
子供の頃からソフトボールの才能に恵まれ、ずっと全米代表チームのキャプテンをつとめていたリサ(リース・ウィザースプーン)も歳には勝てず、ついに代表メンバーからはずされてしまう。恋人のマティ(オーウェン・ウィルソン)はMLBワシントン・ナショナルズのピッチャー。セレブな生活をしていて、性格もわるくなく、ぐれるリサのアフターケアも良くしてくれる。しかし「これは!」とうものがなぜか感じられない。そんなときに友達の紹介で出会った青年実業家のジョージ・マディソン(ポール・ラッド)。しかし彼は仕事上のトラブルで詐欺容疑がかけられており人生の最低の次期を過ごしていた。そんな二人が初デート。しかし話し出せばため息とぐちしかでないような身の上話になりそう。そんな時リサは「今日の食事は一切何もしゃべらないことにしましょう!」と提案。黙々と出された料理をたべる二人。そんなリサにジョージは惹かれていく。


そしてこの映画のブルックス・サーカスは、主人公ジョージのアシスタントだった女性の出産祝いに駆けつけたときの会話。実は彼女はまだ結婚していなくて、その理由はその相手の男が失業中で自信がもてないというものだった。しかし、子供の出産を機にプロポーズする。ジョージはビデオを渡せれ、決定的な瞬間を記録してくれと頼まれる。そしてプロポーズの言葉。これがめっちゃ感動的なのだ。おお、さすがブルックスと思っているとさらに追い討ち。実はジョージがこの録画を失敗していることが判明。その場に落胆の空気がながれる。「今のシーンを再現しましょう、あとで編集すれば大丈夫よ」というリサ。そして全員で、どんな言葉を口にしたか今一度思い出してく。最初はコメディ的な展開でばたばた演出だったのだが、そのシーンの終わり頃にはじわあ~~~んと感動してくるのである。

ジェームス・L・ブルックスの映画にはかならず一度はシナリオ・サーカスがある。『ブロードヤスト・ニュース』の時は、リビアをアメリカの戦闘機が空爆したとうニュースが飛び込んでくる。そのとき自宅待機だったアルバート・ブルックスは以前カダフィーに取材の取材をしたころもありリビアのことにはけっこう詳しい。彼が本番ニュースの最中にニュース番組の現場責任者であるホリー・ハンターに適切な情報を電話で連絡すると、それを彼女がまとめてキャスターのウィリアム・ハートにしゃべらせるというもの。ここの展開もスリリングですばらしいシーンだった。
『スパングリッシュ』のときは、スペイン語しか話せない主人公のフロールが親切でお金のあるアダム・サドラーのハウスキーパーとして雇われ、その休暇にも娘をつれて帯同することになる。アダム・サンドラーはとってもやさしい主人であり、彼女の娘もゲストとしてこころよく迎えてくれるのはいいが、自分はその家の使用人であり、自分はその家では下級の扱い。しかし娘はその家のものと同等にとして捉えられているギクシャク感をアダム・サンドラーに伝えようとするのだが、自分は英スペイン語しか話せない。なので英語が話せる娘に通訳してもらいながらそれをつたえるのだが、内容があまりにデリケートであり、娘には聞かせたくないこと。なのにそれを娘に通訳してもらわないいけない。ここの会話劇もすごかった。

天才とはこういう人のことを言うのだろうと思った。

・・・・・しかし、さいげない疑問がひとつ、
この物語で彼女がソフトボールのプレーヤーだというコンセプトが必要だったのだろうか? ないとだめなのだろうけど、でもあまり有効利用されてるとは言いがたいかも(苦笑)。

by SSM2438 | 2011-02-17 12:26 | J・L・ブルックス(1940)
2011年 02月 16日

ウホッホ探険隊(1986) ☆☆☆☆

f0009381_752985.jpg監督:根岸吉太郎
原作:干刈あがた
脚本:森田芳光
撮影:丸池納
音楽:鈴木さえ子

出演:
十朱幸代 (榎本登起子)
田中邦衛 (榎本和也)
藤真利子 (美際良子)
陣内孝則 (定岡勉)
斉藤慶子 (定岡みどり)
柴田恭兵 (景浦選手)

        *        *        *

「・・・・趣味は?」
「どんなものを?」
「美内すずえ作『ガラスの仮面』」


食品会社の研究所員である夫の仕事の関係で、夫と離れてくらしている主婦十朱幸代が、ある日突然、「実は女ができたんだ」と夫からいわれてショックを受ける。その後展開される子供のささやかな心使いと、残酷さを見事に台詞におこしている。監督は根岸吉太郎、『遠雷』『キャバレー日記』も好きだが、実はこの映画もかなり好きだ。とにかくシナリオがとても繊細だ。本音の部分と、本音を隠す部分のコラボレーションがとても素晴らしい。

女が出来たという話をきかされて数日、再び夫の田中邦衛から、彼女と会って欲しいと連絡がくる。行ってみるとまだ彼女は来ていない。しかたなく先にふたりで焼肉を食べることにする。十朱幸代が冷蔵庫をあけるとが肉があるのだがにんにくが浸してある。

「これ大丈夫かしら・・・、後から来る人に迷惑じゃないかしら・・・」

これから夫の愛人と会うというのに、にんにくの臭いをさせて会うなんて・・とか気にするあたりがとても繊細でいい。相手の女があらわれ、感情をおさえて厳かに挨拶を交わすと、彼女は無理にテンションをあげたように、「私も飲もう」って洋酒をグラスについで一気に飲む。だんだんとテンションがあがっていき、二人の女性の声は大きくなってくる。酒もあおる。結局愛人女性は酔いつぶれてしまう。酔いつぶれた彼女をふたりでベットにはこんであげる。

「この人、重いわね」
「え、そんなことないよ」

さりげない会話が楽しい。うちに帰って食事をしてると、子供たちと食事をしていると「お父さんとどんなことはなしたの?」って聞かれてしまう。ついつい「つまんないことよ」と言葉を濁すと、長男は「そんな言い方するなよ、なんで僕らがはなすことは全部つまんないことなんだよ」とぐれる。次男は料理のなかのにんじんがが大きい。〇〇君のところのにんじんはもっと小さく切ってあってほとんどとろけてるようだという。ぐさぐさである。
めいってしまった十朱幸代は

「どうしてあなたたちはそんなに敏感なの? お母さんだっていろいろあるのよ。たまには知らない振りしてよ」

・・・・こういう台詞がとてもいいんだ。

画面も素晴らしい。気持ちのいい望遠も多用されているし、室内の取り方も立体的に構成されたセットを十分に利用している。手前のナメ方もいいし、他の作品ではこれだけいいとはかんじなかったのだけど、この作品のカメラは素晴らしい。同じ根岸監督の作品で『遠雷』や『キャバレー日記』ではこれほどの完成度はみなかった。これは撮影監督丸池納の力だろう。ただ、この人のほかの作品がいいかというとそうともいえない。『ノーライフキング』なんてのはひどかった。こうしてみると、監督の趣味に合わせる人なのだろうが、本作品の画面構成文句なく素晴らしい。間違いなく根岸監督作品のなかでも図抜けて画面の安定感がある映画だと思う。

<あらすじ>
榎本登起子(十朱幸代)はある雑誌のインタビュア・ライターで、中学生の太郎と小学生の次郎という子供がある。夫の榎本和也(田中邦衛)は食品会社の研究所員で、人里はなれた地方の研究所に詰めている。そんな和也が家に戻って来た。久々に家族揃って食事し、公園にも出かけた。翌日、子供達を学校に送り届け登起子と二人きりになると、和也は「女がいる。一度会って欲しい」と告白する。
次の週末、子供達を母親に預け、登起子は和也のもとを訪れた。和也の同僚で愛人の美際良子(藤真理子)も遅れて和也の部屋にやってきた。三人は飲みながら自分の信じる主張をぶつけていく。誰の主張もそれぞれ理解できる本音であり、それがささやかな虚栄心にオブラートされている。
東京に戻った登起子は、ロック・ミュージシャン定岡勉(陣内孝則)にインタビューするが、彼の傍若無人ぶりに呆れかえる。家族の問題をゆっくり考えようと決意した登起子は暫く仕事を休むことにした。だが、家に一日中いると何をしたらいいかわからず、子供達の部屋を片付けたりもしてみたが、逆に息子たちはにしかられる始末。
精神が不安定になっているところに、定岡の妻・みどり(斉藤慶子)から電話がかかってきた。定岡の自宅に女を連れ込んでいちゃついているというのだ。「私だっていろいろあるのに、なんでこんなところにいるのよ」と登起子はみどりを家に連れ帰り泊めた。翌日の朝食はみどりがつくった。これが上手いとほめられついつい幸せになるみどり、「私、料理とセックスしか取り得がないから」と。

日曜日、登起子は太郎と次郎を連れて公園へ出かけ、キャッチボールをした。その夜、彼女は離婚する決意を子供達に打ち明けた。二人ともショックをうけたようだった。太郎は和也のもとを訪ね、良子とも会話を交わした。

「はじめまして」
「こちらこそ」
「・・・あの趣味は?」
「読書」
「どんなものを?」
「美内すずえ作、『ガラスの仮面』」
「ねえお父さん知ってる? 僕知ってるよ」
(急に盛り上がる太郎と良子)

子供たちは気丈に登起子の離婚はお母さんにまかせるという。登起子は離婚届を提出した。いちもあっさり受理された。不思議なくらいに・・。
和也も良子に離婚したことを伝える。それを知った良子は
「私は和也さんを愛していたけど、奥様から奪おうとは思ってなかった。私はこれ以上望まない。
 今度は、私が奥様の立場になるのは嫌です・・・」と涙ながらに訴えた。

彼女のもとに、以前インタビューした野球選手、景浦からホームランの贈り物をすると電話がかかってきた。嬉しがる母親をはやしたてる太郎と次郎。そこに和也から電話で登起子と子供達に会いたいと言ってきた。その日はまるで初デートの時のようなうきうきした気持ちで和也にあった。和也は良子と別れたと告げた。


ちなみにこのシナリオは森田芳光である。個人的にはこの人の映画はそれほど面白いとはおもわないのだけど、この映画だけはよかった。個性の違う根岸吉太郎森田芳光のコラボとして大成功した例だと思う。
あと、斉藤慶子がめっちゃかわいい。

by ssm2438 | 2011-02-16 07:53
2011年 02月 15日

渚の果てにこの愛を(1969) ☆☆☆

f0009381_3253750.jpg監督:ジョルジュ・ロートネル
脚本:ジョルジュ・ロートネル
    パスカル・ジャルダン
    ジャック・ミラー
    シャルル・ドラ
撮影:モーリス・フェルー

出演:
ミムジー・ファーマー (ビリー)
ロバート・ウォーカー・Jr (ジョナス)
リタ・ヘイワース (ビリーの母・マーラ)

      *        *        *

ミムジー・ファーマーの中では一番好きな映画。

かなり倒錯したものばっかりでてくるかなりあやしい不条理サスペンス。安部公房的な臭いもする。社会的は背景はなく、荒野を旅する旅人がたまたま通りかかった宿の母親に自分の息子と間違われる話。そして妹も登場してくるが、母に気を使ってか、母の思い込みにあわせてやる。しかし・・・という話。
ヒッチコックの『サイコ』にも通じるものがある。あれは母な亡くなった息子の話だが、こちらは息子がいなくなった母の話。その娘役がミムジー・ファーマーなのだが、彼女が一番きれいだった頃の映画であり、適度にヌードも披露してくれるので悪い気はしない。

原題は『サリナへの道』、映画の『渚の果てにこの愛を』というのはカッコよすぎるタイトルだ(笑)。

<あらすじ>
サリナに向かう道を旅するジョナス(ロバート・ウォーカー・Jr)は、目の前に一軒の家をみつける。彼が井戸のポンプを押してのどの渇きをいやしていた時、マーラ(リタ・ヘイワース)という名前の女が姿を現わし、「私の可愛い息子よ」と叫びだした。彼女は、自分の家の前を通りかかる若い男を見るたびに、四年前に行方不明となった息子ロッキーが戻ってきたと思いこんでしまうのである。ジョナスはマラの思い違いを利用して暫く休息してやろうと決心する。

f0009381_3354080.jpgロッキーにはビリーという妹(ミムジー・ファーマー)がいた。「今日は、ロッキー兄さん!」と、彼女は話しかけた。どうやら彼女も勘違いしているマ母親のファンタジーをこわさないようにふるまっているらしかった。そしてビリーはジョナスを海辺につれだし、二人はお互いの過去を話しあったり、快楽にふけった。二人は真裸になり、無邪気気な子供のように水浴を楽しんだ。やがてジョナスも自分をロッキーだと思いこむようになってきた。しかし、ロッキーの昔の恋人リンダ(S・アルディー)に会うと、リンダはジョナスを認めることができなかった。ロッキーとジョナスはまるで似ていなかったのだ。やがてビリーは、ロッキーがリンダと出かける準備をしていた時、兄を想っていた彼女が、嫉妬のあまり彼を殺したというのだ・・。
すべてをジョナスは立ち去る。しかしビリーが追いかけてきて浜辺で彼の足にしがみつき引き止める。それで去ろうとするジョナスに足元に合った石を投げつける。それが頭に当り・・・・絶命するジョナス。

うむむむむ~~~~~む、こんな終わり方でいいんですかね??
あまりにあっけない幕切れ。
でも、らすとの波打ち際のロングショットのカットはけっこう好きである。

ポスターもなかなかお洒落だった↓
f0009381_3262595.jpg


by ssm2438 | 2011-02-15 03:37
2011年 02月 14日

愛は危険な香り(1987) ☆☆

f0009381_23413137.jpg監督:カレン・アーサー
脚本:スーザン・ミラー/チャールズ・ゼヴ・コーエン
撮影:トム・ニューワース
音楽:クレイグ・セイファン

出演:
ダイアン・レイン (カチア・ヤーノ)
マイケル・ウッズ (ストーカーのジャック)
コッター・スミス (カチアの恋人マックス)

        *        *        *

確か・・・これがダイアン・レインの初ヌード映画だったような・・・

若くて美しいウィンドドレッサー=ダイアン・レインが、ストーカーに付きまとわれて、恐怖に陥れられるも、最後は復讐する話。当時はけっこう流行ったジャンルだったかな。先週『ハートロッカー』でアカデミー賞を取ったキャスリン・ビグローが監督した『ブルースチール』とか、この『愛は危険な香り』とか、日本でも高橋恵子が主演、高橋伴明が監督した『DOOR』とか、とにかくしつこく生き続けるジェイソン的ストーカーがよく美女につきまとったものだ。

ダイアン・レインは清純系の顔ではないので、そんなに脱ぐことを否定するような性格付けではなかったと思うが、それでもけっこうこの映画であっさりとヌードを披露してくれた。『リトルロマンス』を知ってるあたりの人間にはかなり幸せな映画だったことは確かだ。
映画的にはさしてめ新しいところはなく、強いてあげるなら、ストーカー被害にあったダイアン・レインのほうが報復行動にでるというあたりか。ちなみにヌードシーンは、彼女の恋人と“H”をしているときの絵で、ストーカーは彼女の部屋に忍び込んでそのシーンをみることになる。

<あらすじ>
ウィンドー・ドレッサーのカチア・ヤーノ(ダイアン・レイン)は、彼女のエロティックなディスプレイを認められ、ホーンズ社が運営するピッツバーグで最大のデパートのウィンドーのひとつをまかされることになる。翌朝、街行く人々の目はそのウィンドウのまえで立ち止まった。カチアの仕事が軌道に乗り始めた頃、彼女を取材にマック(コター・スミス)という雑誌記者が来た。取材が縁で親しくなったカチアとマックは恋におち、彼女の部屋で愛し合う。その時、カチアは部屋に忍び込んでいたジャック(マイケル・ウッズ)を発見するが逃げられる。執拗な嫌がらせに彼女はノイローゼ状態に陥る。
ジャックはデパートの向かいのビルで開業しているレントゲン技師だった。カチアは、ジャックが残していった1枚の写真から彼の正体を知り、反撃を決意する。翌日、彼の家からオフィスに電話をかけ、彼女の挑発にのって卑猥な言葉を口走るジャックのことばを、彼の妻に聞かせる。妻と子が去った家の周囲でジャックが見たものは、変質者と書かれた自分の写真だった。デパートで決着をつけようというカチアの呼び出しに応じ、閉店後のデパートに忍び込んだジャックは、ウィンドーの中に閉じ込められ、朝にはさらし者になる運命を待つのみだった。

by ssm2438 | 2011-02-14 23:41
2011年 02月 14日

爆走!サイドカーレーサー(1975) ☆☆

f0009381_1534581.jpg監督:アール・ベラミー
脚本:ジョン・クリアリー
撮影:ポール・オノラート
音楽:トム・スコット

出演:
ベン・マーフィ (ジェフ・レイバーン)
ジョン・クレイトン (デイヴ・ファーガソン)
ウェンディ・ヒューズ (リン・カーソン)

        *        *        *

当時津山の協映という映画館で、『遠すぎた橋』と当時上映だったと記憶しているが、やたらと爆音がうるさかった映画。『遠すぎた橋』のほうを目当てでいったのだが、これがあまりに長くまとまりのない映画だったので、こちらの『爆走!サイドカーレーサー』のほうが面白くみえてしまった。しかし、こっちのほうが短くスタンダードな映画というだけで、傑出して面白かったわけではない。しかしサイドカーレースというものをはじめて見せられた映画であり、パッセンジャーの体重移動がコーナーリングスピードをきめてしまう、ちょっと特殊なレースはなかなか新鮮だった。なのでこの映画の主人公はドライバーでななく、パッセンジャーのほうに仕立ててある。

f0009381_157435.jpgオーストラリア映画だが、主演はアメリカのテレビシリーズ『ジェミニマン』などで主役をつとめたベン・マーフィ。ライアン・オニールをちょっと無骨にしたような70年代の二枚目スター。
映画は、ドライバーのジョン・クレイトンとパッセンジャーのベン・マーフィの間に、ウェンディ・ヒューズを配置し微妙な三角関係のなかレースが進行していくが、結局はもとのさやにおさまるという・・ちょっと物足りなさをかんじさせてくれる。あと、レースのライバルにあたるチームの男も、レースではなく、その前夜にひと悶着あってそれで死んでしまい、今ひとつ気持ちがよくない。

最初は普通のオフロードバイクの横にリアカーをつけたようなサイドカーで、ダートのコースを走るレース。最後はカッコいいぺったんこのバイクにのるサイドカーレース。この最後のサイドカーがかっこよかった。

<あらすじ>
オリンピックでは水泳競技で金メダルを獲得したジェフ・レイバーン(ベン・マーフィ)は、弁護士をめざして法律の勉強をしていたが、将来の選択にはまだ迷っていた。そんな彼がふとしたきっかけで出会った彼女リン・カーソン(ウェンディ・ヒューズ)の彼氏がサイドカー・レーサーのデイブ・ファーガソン(ジョン・クレイトン)だった。サーフィンを楽しむジェフの姿を観察するデイブは、ジェフにパッセンジャーの資質を確信する。ジェフもデイブの誘いをうけてサイドカー・レースに魅せられ、本格的なサイドカー・レーサーになるべく訓練を始めることになった。
ジェフはめきめき腕をあげ、デイブとジェフのチームはやがてレース界のトップに躍り出た。トラックに出れば完璧なチームワークを見せる2人だが、リンのことになると2人の感情は微妙である。ジェフとデイブのチームはレースからレースへ優勝を続けた。バザースの町で開かれる恒例のサイドカー・レースでは優勝者がヨーロッパに行けるというので選手たちはエキサイトした。レースでジェフとデイブのチームは優勝したが、ジェフはこれを機会にレースをやめる決意する。そんなジェフの気持を理解するデイブとリンであった。
f0009381_15295465.jpg
f0009381_15161855.jpg


by ssm2438 | 2011-02-14 15:21
2011年 02月 14日

ファースト・ラブ(1977) ☆☆☆

f0009381_2261433.jpg監督:ジョーン・ダーリング
脚本:ジェーン・スタントン・ヒッチコック
    デヴィッド・フリーマン
撮影:ボビー・バーン
音楽:ジョエル・シル

出演:
ウィリアム・カット (エルジン)
スーザン・デイ (キャロライン)

        *        *        *

『フィーリング・ラブ』と同じ頃、にたようなタイトルの映画があった。それが『ファースト・ラブ』。しかしこちらの映画は不治の病ものではなく、大学を舞台にした青春もの。当時は大学の恋愛物というのにかなり興味をそそられていて、この映画も見たくて仕方なかった映画だった。ちなみにツルゲーネフ『初恋』とはちと違う。でも、似てるといえば似てるかも。好きになった女には、不倫をしてる男がいたっという話。
男の恋愛は純粋な憧れだが、女の恋愛はちと違う・・というきわめてよくある価値観の相違をテーマにした恋愛映画。こればっかりは、男と女の永遠のすれ違いだな。

こちらの映画はスーザン・デイが出てるので見に行った。『人気家族パートリッジ』の長女役で人気をはくしていた彼女だが、アゴが四角くてちょっと気にはなるのだけど、彼女のムードはさりげなく好きなんだよね。マイケル・クライトン『ルッカー』という映画でヌードも披露してくれていたが、最初にヌードをみたのはこの映画だった。出来はそれほどいいわけではないのだけど、今一度見てみたい映画だ。DVDでないものかなあ。

<あらすじ>
ニューイングランドのリッジデイル・カレッジ。軽い気持ちで女の子とつきあえないエルジン(ウィリアム・カット)は常に孤独だった。反対に隣室のデビッド(ジョン・ハード)はプレイボーイで、エルジンになんとか女の子をあてがおうと、あるレストランでダブルデート。モーションをかけてくる女の子には興味のないエルジンの視線は、別のテーブルに座っている、中年紳士にエスコートされた美しい娘に注がれてきた。

f0009381_2263352.jpg数日後、学校のコーヒーショップでアルバイトしているエルジンは、の夜の女性キャロライン(スーザン・デイ)とめぐりあう。彼女の本にコーヒーをこぼしたことから新しい本をもって彼女の寮を訪れることになるエルジン。キャロラインと一緒の時を過ごしたいばかりに、同じ授業をうける。そんなある日、キャロラインにさそわれてコンサートに出かけたエルジンは、あの夜彼女をエスコートしていた紳士ジョン・マーチ(ロバート・ロッジア)を紹介される。彼は妻を伴っていた。
コンサートの帰路の途中、キャロラインは、エルジンの部屋で一夜をすごしたいといい、夜が明けた時、2人は結ばれた。しかしエルジンはキャロラインがジョン・マーチの愛人であることを確信し、暗い嫉妬に悩まされるのだった。キャロラインの自宅に招かれたエルジンは、彼女に結婚を申しこむが、キャロラインは返答を避けた。キャロラインはジョンとアンとの離婚が成立したら彼と結婚するつもりだった。
キャロラインを忘れようとして、たまたま出会ったシェリー(最初にダブルデートした女のひとり)を抱くが、気持ちはまぎれない。数日後、夜中にキャロラインがエルジンの部屋を訪ねてきた。ジョンの離婚の話が嘘だと知って彼と別れて来たというのだ。しかし自分が本当にもとめられた相手ではないことを知ってしまったエルジンには、彼女を愛することは出来なかった。そして実家に帰るキャロラインを駅に見送ったエルジンは、それが2人の別れであることを感じた。

by ssm2438 | 2011-02-14 02:28
2011年 02月 12日

叫びとささやき(1972) ☆☆☆☆☆

f0009381_2514694.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演:
イングリッド・チューリン (長女・カーリン)
ハリエット・アンデルセン (次女・アグネス)
リヴ・ウルマン (三女・マリア)
カリ・シルヴァン (侍女・アンナ)

        *        *        *

イングマル・ベルイマンの怒涛の演出力を見よ!

スゴイ映画が。人間の内なるおぞましさをさんざんと見せえつけておいて、最後は一番幸せだった時の思い出をひきだしてきて、人間性の美しい部分もみせてくる。これは『野いちご』のラストと同じ構成だとはいえるかもしれないが、・・・すさまじい映画だ。これだからベルイマンはやめられない。実はこの映画と『秋のソナタ』はLDを持っている。この2本は宝物だよ。

19世紀末らしい。長い闘病生活で死期の近づいた次女アグネス(ハリエット・アンデルセン)を見守るために長女カーリン(イングリット・チューリン)と末娘マリア(リブ・ウルマン)、そして侍女のアンナ(カリ・シルヴァン)がつきそっている。そこで語られる人間のもつおぞましさ。そう、この映画は人間のおぞましさをあますところなく存分に描き出している。

長女のイングリット・チューリンは理性の人で、人に触れられることを極端に嫌っている。心からのふれあい、肌のふれあいに嫌悪感をもっているのである。ひさしぶりにあった旦那とセックスするのがいやで、壊れたグラスのかけらで自分の性器を斬り、出血させ、生理を装う。これであなたは私をだけないわよね・・とばかりに股間から流れ出るんちを口のまわりにぬりたく。それじゃあキスもできんだろうなあ。こういう演出がすさまじいい。
イングリット・チューリンが「嫌いなものは嫌い」といってしまえるのに対して、リブ・ウルマンは決して本性を明かさない女。表面的には馴れ合いを求めているようでも、その仮面のしたは、決して自分をみせない卑怯者。表面的には猫のように艶やかで、人間性があるふれるように装っているが、その卑怯さに姉のイングリット・チューリンはリブ・ウルマンを嫌っている。
しして次女のハリエット・アンデルセンは、病魔におかされている。このあえぎ方はベルイマン独特のセンス。『沈黙』でも、病気のイングリット・チューリンがあえぎまくっていたが、後に、黒澤明『赤ひげ』のなかでこのあえぎを再現していた。この病気もだえ演出は実におぞましい。人間の逃れられない死の恐怖と、それを迎える肉体的な痛みを前面に打ち出している。そういえば『秋のソナタ』にも小児麻痺の女の子がのたうっていた。
そんなおぞましさのなかで、侍女のアンナだけは愛を表現している。このコントラストが実に素晴らしい。

そして、貴族描写もヴィスコンティに負けていない。食事も、ベッドも、装飾品も、総てが貴族風味。そしてイングリット・チューリンの着替えのシーンのすごさ。この重厚さだけでおおおおおおおおおって思ってしまう。こんな服着てたら、そら一人じゃ着替えもできんだろうなって。

さらにもうひとつ、撮影はスヴェン・ニクヴィストに変わっている。白黒時代はグンナール・フィッシャーが多いという印象だったが、カラーになるとスヴェン・ニクヴィストが多いと思う。この人も才の豊かな撮影監督さんだ。
実はこの映画、1973年のアカデミー撮影賞を撮っている。英語圏の映画しか対象にはならないと聞いていたが、撮影に関してはどこの映画でもいいってことなのだろうか・・。

<あらすじ>
時は十九世紀から二十世紀に移る頃の秋である。長年闘病生活をしていたアグネス (ハリエット・アンデルソン)はいよいよ死期を迎えようとしていた。彼女の世話は侍女のアンナ(カリ・シルバン)がしていたが、姉のカーリン(イングリット・チューリン)と妹のマリア(リブ・ウルマン)が駈けつけてきた。
姉のカーリンは人との接触を拒む理性の人。世間には貞淑な妻と見せかけていたが、心は常に冷え切っていた。末の妹マリアも結婚し、子供のいたが、彼女自身大きな子供のようなもので、美しくして人眼をひくことにしか関心を示さず、決して自分をさらすことはなかった。そしてアグネスの主治医であるダーヴィッドと情事をかさねていた。
やがてアグネスは死んだ。カーリンとマリアの旦那が来た。
マリアの旦那は、主治医が昨晩泊まったことをしると、ことの次第を理解した。一方カーリンは旦那と肌を触れあるのを極端に嫌っていた。しかし食事の後にはセックスの時間がまっている。同様でワイングラスを倒して壊してしまう。ドレスを脱ぎ、ナイトドレスに着替えたカーリンは、侍女のアンナを遠ざけ、壊れたグラスのかけらで自らの性器を切り裂き出血させる。これでセックスはお預けである。
カーリンとマリアがアグネスの日記を読むと、そこには友情や神の恵みについての言葉があふれていた。彼女がそれを心から感じていたのか、それともそれらに飢えていたのか・・・。カーリンはマリアへの憎しみを正直に口にしてしまう。大人の態度でなかったことを謝ると、二人は思いの総てを吐き出すように語り合った(・・しかし、マリアはその振りをしていたといったほうがいいかもしれない)。
その夜、侍女の誰かのアンナが泣き声を耳にする。そのほうへ向かうと、カーリンとマリアが魂が抜けたようにたたずんでいた。そしてその部屋に向こうにはアグネスの屍があるがずだったが・・・、彼女が泣いていた。
死んだはずのアグネスが目から涙をこぼしていたのだ。カーリンに救いを求めるが、彼女はアグネスを愛していないと冷たく言い放つ。次に、マリアがアグネスに呼ばれる、最初は愛想をふりまっていたが、死人であるアグネスに抱き疲れると恐怖から突き放してしまう。やはりマリアも彼女を愛してはいなかったのだ。
アンナだけが「私が面倒をみます」といい、二人を締め出してアグネスのベッドにはいる。母親に甘えるようにアンナの膝に頭をもたれて再び永遠の眠りにつ。

カーリンとマリア、そしてその家族がさったとの屋敷でアンナはひとりアグネスの日記を読む。
「姉妹三人が昔のように集まったので、久しぶりにそろって庭を散歩する。明るい日光、明るい笑い。世界中でいちばん近くにいてほしい人が、皆私のそばにいてくれる。わずか数分間のたわむれだが、私にとっては楽しかった。人生に感謝しよう。人生は私に多くのものをあたえてくれた」・・と記されていた。

by ssm2438 | 2011-02-12 02:51 | I ・ベルイマン(1918)
2011年 02月 11日

ザ・ダイバー(2000) ☆☆

f0009381_148116.jpg監督:ジョージ・ティルマン・Jr
脚本:スコット・マーシャル・スミス
撮影:アンソニー・B・リッチモンド
音楽:マーク・アイシャム

出演:
キューバ・グッディング・Jr (カール・ブラシア)
ロバート・デ・ニーロ (ビリー・サンデー)
シャーリーズ・セロン (グウェン・サンデー)

        *        *        *

うむむむむ・・・普通だった。。。

まだダイバーとして黒人がいなかったころの話。キューバ・グッディング・Jrがダイバーをめざして黒人差別のある環境のなかでマスターダイバーになる話。黒人差別はあっただろうが、ここまであからさまなのかなあ・・という感じがした。あまりに露骨なので真実味がないというか・・、もうすこしリアリにしてほしかったかなあ。

個人的にはロバート・デ・ニーロが生理的に好かんのでちょっと斜に構えてみてしまうが、内容的には普通だった。うるわしのシャーリーズ・セロンが出てるのだが、デ・ニーロの奥さんというだけでなんだか燃えないし、ビジュアル的にもあんまり良くなかった。

<あらすじ>
第二次世界大戦もおわろうとしていたころ、ケンタッキー州で田んぼを耕していたカール・ブラシア(キューバ・グッディングJr.)という一人の黒人は、父の強い励ましもあり、村を出て海軍に入隊する。しかし海軍で彼を待っていたのは、差別やいじめという厳しい現実だった。コックとして採用されたがブラシアだが、ダイバーになることを夢見ており、強引に遠泳の競争を挑み、白人たちを負かすと、その能力を認められてニュージャージーの養成所でダイバーの訓練課程を学ぶことがゆるされる。
しかしそこでも差別はあからさまに存在していた。黒人と同じ屋根の下では寝られないと、他の兵士たちが別の寄宿舎に移る。鬼教官ビリー・サンデー(ロバート・デ・ニーロ)も敵意をむき出しにしていた。実技は優秀だが学課が苦手なブラシアは、図書館で医学部の女性ジョー(アーンジャニュー・エリス)で知り合い一緒に勉強する。そして二人は結婚した。

1966年。海に墜落した米軍の核弾頭搭載機を回収する任務についていたブラシアは作業中、脚に大怪我をおい、義足をつけての生活になる。再びダイバーとして復活するには、義足をつけていても、他の人と同じだけのタスクをこなさなければならない。ビリー・サンデーと共に義足での体力強化をはかるが、審問会では、最新の重い潜水服を着て歩く過酷な課題を突きつけられる。彼がはいている義足ではその体重が支えられないかもしれない。しかしブラシアはその120キログラムもある潜水服をきて立ち上がった・・・。

by ssm2438 | 2011-02-11 01:50
2011年 02月 09日

ベストフレンズ(1981) ☆☆☆

f0009381_11334090.jpg監督:ジョージ・キューカー
脚本:ジェラルド・エアーズ
撮影:ドン・ピーターマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
ジャクリーン・ビセット (リズ・ハミルトン)
キャンディス・バーゲン (メリー・ノエル・ブレイク)

       *        *        *

ジョージ・キューカーの遺作であり、メグ・ライアンのデビュー作!

ジョージ・キューカーといえば『ガス灯』というイメージだ。オールドファンにはよく名の知れた人かもしれないが若い人はなかなか観ていないだろう。そういう私もこの『べストフレンド』と『ガス灯』と『マイフェアレディ』しか見ていないのだからあまり大物はいえない(苦笑)。生まれたのが1899年だからかなりのふるい監督さん。この映画は81年の公開なので80歳で監督の仕事をしてたとうことか・・・。ジョン・フォードとかフランク・キャプラ世代の監督さんなので、よくここまで生き延びてたなと感心してしまう。
余談だがウィキペディによると、ゲイであることを公言していたそうな(すいません・・ゲイ嫌い!)。

ゲイであるからかどうかは関係ないのかもしれないが、この映画も女性二人の友情の話。でもべつに同性愛の話ではない・・と思う。原題は『RICH AND FAMOUS』というかなり露骨なタイトル。

大学時代からいろいろ激論をたたかわせていた二人が、一人は小説家になり、もうひとりは普通の家庭にはいる。しかしそのあとは小説家はスランプになり、主婦は作家デビュー、一躍時の人になってしまう。実に劣等感がチクチク来そうなシチュエーション。あるときは対立し(というか、いつも対立してたかな)、それでも認め合い(ほんとか?)、お互い年をとっていく・・という話。お互いかなり強烈なキャラクターであり、ジャクリーン・ビセットは、純文学をめざす恋多き女性。社会的には先に文壇でデビューするがその後はいまひとつぱっとしない。キャンディス・バーゲンは一本気のある女性で一度は家庭にはいるが後に大衆文学で一花さかせてしまう。そんな二人の女性の友情モノ。
無理して自分をつくっているジャクリーン・ビセットと、自力でまさるキャンディス・バーゲン。いつも相手を突っぱねてないと自分が成立しないような、そんなふたりの関係。結局のところ、相手を打ち負かさないと、自分を確立出来ないのである。
そんな二人の「いいことばかりじゃないけど、お互いまあまあ頑張ってるじゃあねえ。私も頑張るからさ、あんたも先に倒れないでよ・・」という映画。
ただ・・・ヒステリクなガナリ合いがかなりおおいので、みていてげんなりする部分もある。

<あらすじ>
リズ(ジャクリーン・ビセット)はメリー(キャンディス・バーゲン)はお互いに文学の道をこころざす同じ大学のルームメイトだった。お互い自我が強く、二人が話すとすぐ激論になってしまう。やがてメリーは恋人と共にカリフォルニアに旅立ち、リズは東海岸にのこり純文学を志す。そして10年がたった。先に文壇に登場したのはリズだった。一方、メリーは夫と1人娘と平凡で幸せな生活を送っていた。
異なる人生を送っていても2人の友情には変わりなかった。カリフォルニアのマリブ海岸にあるメリーの家にリズが訪ねた日の晩、メリーが小説を書いていることを知る。それはリズが目指すような純文学ではなく、8ヶ月もあれば完成するゴシップ小説だった。文学においては正統派のリズは不快さをおさえることができなかったが、皮肉にもメリーの小説はベストセラーとなり、大衆小説家として今や時の人となり富と名声を手に入れる。
このころから二人の仲はギクシャクしてくる。名声とともに夫との関係がわるくなるメリー。その夫は最初リズのほうが好きだったが断られたので自分に来たことを知り自己肯定がゆらぐ。一方リズは、年下の雑誌記者クリスと交際を始めるが、自分からプロポーズしてみると拒まれショック、さらにメリーの娘デビー(メグ・ライアン)に彼をもっていかれてしまう。
ドツボのリズは憔悴しニューヨークを去ろうとするが、そこにデビーに家出されて不機嫌なメリーが訪ねてくる。お互いドツボ同士で大激突。孤独な気持ちでひとりコネチカットの家で大晦日の夜を迎えようとしているリズのもとに、全米作家賞パーティの喧噪から逃げ出してきたメリーがやって来た。2人は暖炉にあたりながら、友情の復活を祝し、静かにグラスを合わせるのだった。

ジャクリーン・ビセット的には「結局私にはなにも残らなかった・・」って映画なのでみててちとつらい。最後はもうちょっと可能性示してくれると安心できたのに・・・。憔悴したところにキャンディス・バーゲンがきて「よしよしよしよし」で終わったという印象なのだ。何もないけど、私がいるじゃないの・・ってことか? しかし、この二人の関係っていうのは、どちらかが、どちらかに寄りかかったら終わりなので、やっぱり最後はリズに何かしらの立ち直りに明確な根拠を残してあげたかったな。
オリジナルの映画はどうなっているのだろう・・とちょっと気になった。

この映画のなかでは、個人的には現実的で実行力のあるキャンディス・バーゲンのほうが好きかな。彼女は、キャサリン・ロスカトリーヌ・ドヌーブを足して2で割ったような感じ。しかし・・・、綺麗どころなのだけどどこか親しみ感のない女優さんなのだ。見てるぶんにはとっても輝いてみえる。整い好いているのだろう。理性では好きになれそうだけど心では好きになれない女優さんだったりする。
ジャクリーン・ビセットのビジュアルからくるイメージは『アメリカの夜』のときみたいにまじめすぎるナイーヴ系。今回みたいにフランクな女性だとちょっと合わないような・・・。彼女が敷居の低いエッチをしているというのが、頭のなかでなかなか構築できないまま映画をみていたような気がする。

by SSM2438 | 2011-02-09 11:47
2011年 02月 08日

ジャック・ブル(1999) ☆☆

f0009381_8581799.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ディック・キューザック
撮影:ゲイル・タッターサル
音楽:レニー・ニーハウス

出演:ジョン・キューザック

       *        *        *

専門分野を撮らないジョン・バダムなんて・・・

物語のつかみがないとうか・・・、すべてがきわめてアベレージ。オーソドックス、普通・・・そんな言葉が聞こえてくるような映画。といってもTVMなのだからある程度は仕方がないかなとおもうが・・、なにかひとつ華やかなものがほしかった。。。

<あらすじ>
1870年代のワイオミング。マイヨール・レディング(ジョン・キューザック)は馬のバイヤーだった。西部の生活にかかせない馬を育て、必要な人に売ることで生計をたてていた。その日も馬を買い手に渡すために馬を先導していた。そのさい悪名高い土地の地主であるヘンリー・バラード(L・Q・ジョーンズ)に因縁をつけられる。自分の私有地を通るときは通行料を払えというのだ。しかし彼の土地には意図的にフェンスがはられており、いやおうなしに彼の私有地を通るしかない仕組みになっていた。馬を売らないとお金がないリディングは、馬二頭を担保としておいていくことになる。馬を売ってバラードのところに戻ってきて通行料を払おうとするが、担保にしていた二頭の馬の足の骨が折られており、使い物にならない状態にされていた。
そんなことから地元の支配者バラードと正義感の人レディングの抗争が始まっていく。二人の対立は物語が展開するにしたがって激化、レディングは私財を投げ打って集めた仲間を引き連れ、敵地へ乗り込んでいく・・・。

まだ法の整備が不備な時代も西部であり、そこには土地の実力者の横暴が日常茶飯事のように起きていた。そんな社会のなかで、「人間の法」と「自然の法」の対立を描いた作品であるともいえる。
バラードの言い分は、人間社会で作られた法をたてにして自分の業をおしつける人物。それに対して主人公のレディングは、人間は本来もっているべき誠意とか自然のなかで人間が生きていくべき節度を大事にする人。物語はこの通行料を払う・払わないの問題から集団勢力同士の抗争に発展し、最終的には裁判になりレディングが縛り首になって終わる。

音楽や絵作りきわめて映画的に良く出来ているのだが、お話の始まりがあまりに子供の喧嘩であり、そこから集団抗争まで発展してしまう流れは・・・、人間のおろかささえ感じる。描こうとしていることはかなり崇高なことなのだが、展開があまりに醜い餓鬼の闘争であり、見ているうちにどうでもよくなってしまった・・というのが本音のところだ。

映画としての撮り方はまったく問題ないのだけど、映画にする素材としてどうだったのかな・・?
企画段階でハズレが予感できてもよかったのにと思うのだが・・・。

by SSM2438 | 2011-02-08 08:59 | ジョン・バダム(1939)