西澤 晋 の 映画日記

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2011年 02月 07日

ジャック・サマースビー(1993) ☆☆☆

f0009381_1935397.jpg監督:ジョン・アミエル
脚本:ニコラス・メイヤー/サラ・ケルノチャン
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ダニー・エルフマン

出演:
リチャード・ギア (サマースビーと名乗る男)
ジョディ・フォスター (ローレル)
ビル・プルマン (オーリン・ミーチャム)

       *        *        *

『ジャク・ブル』の親戚じゃなかったんだね・・。

ストーリーはドラマの王道路線。主演の二人がちょっと消化しづらい二人なのだけど、見ているうちにどんどん引き込まれた。主役が違っていればもう少し観やすい話になっていたんじゃないだろうか。

ちなみにタイトルにもなっている「ジャック・サマースビー」というのは人の名前。

シナリオのニコラス・メイヤーは、『タイム・アフタータイム』アヴォリアッツ・グランプリを獲得している。めちゃくっちゃすごい映画というわけでもないのだが、みていいて楽しい映画だった。その後『ザ・デイ・アフター』で名前を下げ、『スター・トレック4/ 故郷(ふるさと)への長い道 』で名前をあげた、上がったり下がったりの変動の激しい人だ(苦笑)。それでも『タイム・アフタータイム』と『スター・トレック4/ 故郷(ふるさと)への長い道 』のあのテイストで作っているときはなかなかいい感じのものをつくってくれるかな・・という期待はもてるひと。今回はストーリー原案・脚本という立場だが、総合的なストーリー構成は悪くないと思う。文芸作品的なこの映画ではあるが、ニコラス・メイヤーの力は大きかったと思う。

<あらすじ>
南北戦争から2年後のある日、戦死したと思われていたジャック・サマースビー(リチャード・ギア)がテネシーに戻ってくる。北軍に財産などを奪われ、労働者としての黒人奴隷が解放されたために農場も機能していない。妻のローレル(ジョディ・フォスター)もオーリン・ミーチャム(ビル・プルマン)と恋仲になっており、戸惑いをかくせないなか新生活がスタートする。
しかし、帰ってきたその男はなにかおかしい。長年飼っていた犬にはほえられるし、靴屋にいくと、嘗ての足型よりも数センチ小さい。嘗ては冷徹だった彼がいい人として戻ってきたのだ。自分の領土を共同農園として提供し、このやせた土地に合うタバコの栽培をし、人々と利益を分け合う計画を熱心に推進していく。そんな彼の姿にローレルも心を許していく。しかし彼女は、かれがサマースビーではないことを感づいていた。
タバコの栽培が成功しかけたとき、サマースビーは戦前の殺人容疑で逮捕され裁判にかけられる。サマースビーは有罪だった。このままでは死刑が確定する。彼が助かる道はただひとつ、自分が偽者であることをバラすしかない。そのまま死ぬことを覚悟している彼を、すでに愛し始めていたローレルは証言台に立ち、彼が本物のサマースビーではないことを告げるのだが・・・・。


かつて悪さをしていたチンピラが、ある出来事(今回は南北戦争)をきっかけに、同じ顔をもつ別の人格になりかわるという話。その後は、嘗ての自分を嫌い、「いい人」になって人々を幸せにしていくが、過去がばれてしまい・・・という、『レ・ミゼラブル』チックな展開。もともとフランス映画でその焼き回しがこうなったようだ。
今回の物語の展開は、不名誉な過去の自分をとればただの有罪(略奪者・戦争逃亡者)、良き人サマースビーだと主張すれば死刑。その狭間で主人公は「過去の自分には二度ともどりたくない!」といい、サマースビーとして死刑になるほうを選ぶ・・というもの。
裁判では、サマースビーの事件の真相よりも、その男がサマースビーなのか否かが問題になる。テネシーからきた傍聴者も、ローレルの息子も彼をサマースビーだと言うが、ローレルだけはこれを否定。なぜ君だけが僕をサマースビーだと認めないのだと問い詰められると

「なぜなら・・・私の夫よりもあなたのほうを愛しているから」と答えるローレル。

誰もがこの男はサマースビーではないと確信した瞬間だった。
ここまでのもっていきかたは少々強引だがなかなか盛り上がりました。出来るなら、証人喚問は弁護士にやらせてほしかったけど・・・。本人同士が裁判で問答するのはどうも・・・なにか法廷モノの一番おいしいところを自ら放棄してしまったような気がした。

・・・ところが、最後にもう一発・・・彼はローレルにこう質問する、

「僕は君の夫だったか?」

魂の真実を語るローレルは「・・・・イエス」と答え、議事録上、彼はサマースビーとして承認され死刑が確定する。リチャード・ギア扮するサマースビーと名乗る男にとって、誇れるものはサマースビーと名乗って生きたこの1年だけだった。なので、かれはサマースビーとしての自分の名誉のために、本物のサマースビーの罪を背負って死ぬことを選ぶ・・という話。

お話はおもしろい。ドラマにするならとってもいい素材なのだ。ただ、料理が少々アバウトすぎる。観ているひとに間違った解釈を許さない確実な展開にしてほしかった。あの裁判のどのポイントで、彼がサマースビーと認定されたのかとか。あれで確実に伝わったとは思えない。せめて最後の問いに「イエス」と答えた後、
「本法廷は証人が彼を自分の夫だと認めたと記録します、意義ありませんか?」みたいな台詞いれるとか・・。蛇足をつけるなら、解雇された弁護士が「意義あり」と一発かまして、「あなたはすでに被告人に弁護士としての立場にはありません。本法廷は、この被告とローレル・サマースビーの夫、ジャック・サマースビーとして審議を再開します」・・みたいな台詞でそのシーンを終わらせるとか・・。
それ以前に彼が違う人間として戻ってきたところの整合性(たとえば声だって違うだろうからそのあたりをどう処理するのかとか・・)を突き詰めてほしかったかな・・、喉に傷をおったとかさ。せっかく手は不自由になったということでサインをごまかすようにはなっていたのに。サスペンスものなら判らない人がいても良いと思うのだがこの話は、サスペンス風味のジャン・バルジャン物語なので、解釈の不一致はいただけない。

でも、粗はあるが、ドラマ的には極めて面白い映画である。

by ssm2438 | 2011-02-07 19:35
2011年 02月 07日

ザ・シューター/極大射程(2007) ☆☆☆

f0009381_1929321.jpg監督:アントワーン・フークア
脚本:ジョナサン・レムキン
撮影:ピーター・メンジース・Jr
音楽:マーク・マンシーナ

出演:
マーク・ウォールバーグ (ボブ・リー・スワガー)
マイケル・ペーニャ (ニック・メンフィス)
ケイト・マーラ (サラ・フェン)

        *        *        *

狙撃兵をテーマにした作品というのは、まじめにやると耐えて、待って、一発で仕留める・・というイメージがあり、あんまり動かない映画いなるのかなって思ったら、大いに間違ってた。けっこう動く動く。というか、画面が地味にならない工夫をされていたという印象。たぶん、原作読んだ人には不評だろう。もっとも私自身が原作を知らないが、画面から伝わる感じだと、かなりエンタテーメント向けにアレンジしたんだろうなと推測できた。
ただ、エンタテーメント作品としては思ったよりも楽しめた。犯人にしたてたげられたスワガー。そして

原作はスティーヴン・ハンターボブ・リー・スワガー三部作の一作目、邦題『極大射程』。主人公のボブ・リー・スワガーは、1946年生まれで、ヴェトナム戦争に参加した元海兵隊員。天才的なスナイパーで、ヴェトナム戦争における公式確認戦果(殺害数)は87名、ただし、ボブ自身が認識する実際の殺害数は341名。除隊後はPTSDの症状を見せる様になり、アルコール依存症に陥って、妻とも離婚、人付き合いを極端に避けてアーカンソーの山中でハンターを営みながらひっそりと生活していた。主な愛銃はレミントンM700。実在の海兵隊の名狙撃手、カルロス・ハスコックがモデルとされる。

狙撃に使われるのが50口径弾『ランボー最後の戦い』でもスナイパーの人がバレットM82の狙撃銃をもっていたが、これも50口径の狙撃銃。とにかくデカくて破壊力ばつぐん。『ゴルゴ13』でつかわれているM16で打ち出されるような小さい弾ではない。そして軍での狙撃は観測士をともなうものであり、それが描かれていたのも目新しかった。
特殊部隊あがりのドラマといえば、『マイボディガード』『ボーン・アイデンティ』などがあるが、この映画はエンタテイメント性をかなり加えたテイストで作られているが、特殊部隊的な要素もしっかり描かれていて、実はけっこう面白い。ラストの悪役をしとめるあたりも『必殺仕事人』風でそこそこ楽しい。冒頭の犯人にしたてあげられる展開などは安易に予想されるのがチープに見えるが、みていて楽しめる映画だった。
ただ・・主人公のマーク・猿の惑星・ウォールバーグは・・・、ちょっと若すぎるかな。もうちょっと渋めの40代の人にやってほしかった。『山猫は眠らない』のデブでないトム・ベレンジャーくらいの誰かいなかったのだろうか・・。

<あらすじ>
海兵隊・特殊部隊の狙撃手ボブ・リー・スワガー(マーク・ウォールバーグ)は、アフリカの小国で極秘任務についていたが、相棒の観測士ドニードは死亡した。それから3年、退役したスワガーは、ワイオミングの山中で愛犬のサムとひっそり暮らしていた。そんなある日、アイザック・ジョンソン大佐(ダニー・グローヴァー)がやってきた。
大統領の暗殺計画があることを知らされたスワガーは、「もし君が大統領を暗殺するとしたら」と仮定して、狙撃計画を予想してほしいと言われる。愛国心をたてに取られてしぶしぶ仕事をうけるスワガー。現地に入り狙撃ポイントも調べ上げ、これなら犯人逮捕も可能だろうと思ったら狙撃は実行され、大統領ではなく、隣にいたエチオピアが殺された。なぜ?と思うまもなくスワガーも撃たれ、狙撃ポイントにはスワガーの銃がのこされ、犯人に仕立て上げられてしまう。何が何やらわからぬまま、しかしなんとか根性で脱出、復讐を誓うスワガー。
撃たれた傷の応急処置は、スーパーで塩や砂糖や水、細めのホースに針なんぞを買い、これらで点滴装置をつくりスワガー自ら血管へと針を突き刺す。さらに冒頭に死んだ友人の妻サラ(ケイト・マーラ)の家にしのびこみ、傷の手当などもしてもらう。困らない程度に女性も物語にからましてきている。彼女をパートナーに物語りは展開し、さらにもう一人、窓際族FBI捜査官ニック・メンフィス(マイケル・ペーニャ)が協力してくれる。

by ssm2438 | 2011-02-07 19:30
2011年 02月 05日

ニューヨークの恋人(2001) ☆

f0009381_1259932.jpg監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド/スティーヴン・ロジャース
撮影:スチュアート・ドライバーグ
音楽:ロルフ・ケント

出演:
メグ・ライアン (ケイト・マッケイ)
ヒュー・ジャックマン (レオポルド)

       *        *        *

恋愛って・・、ロマンチック・コメディって・・、リアルワールドでやるから面白いんじゃないのか???

これは現代に王子様があらわれ、こころが磨り減っているキャリア・ウーマンのメグ・ライアンが恋をするという・・・なんとも食い合わせの悪いお話。

<あらすじ>
1876年、ニューヨーク。愛する女性とめぐり逢えないまま、結婚相手を決めなければならないレオポルド公爵(ヒュー・ジャックマン)。そんな彼がブルックリン・ブリッジから落ちてしまい、助けられたと思ったらそこはなあ~~んと現代のニューヨーク!! そこで仕事にも恋にも疲れた広告会社で働くキャリアウーマンのケイト(メグ・ライアン)と出会う。時代錯誤の変人さんかとおもいきや、これがなんとも高貴な雰囲気。バッグをひったくられたのをレオポルドが馬に乗って助けてくれたことから、彼に恋心を抱きはじめるのだが・・・・。

そんな怪しさも受け入れてしまえるのはメグ・ライアンのキャラクターのなせる業だろう(苦笑)。

しかあ~~~~しっ、種類にもよるけど、メグ・ライアンのやるロマンチク・コメディって現実世界でやるからあのキャラがいきてくる。ちょょっとねじがっゆるんでそうでしっかりしてる振りして、多少いじっぱりで、おおげさでかわいくて、キュートであんまりエッチじゃない・・・。現実社会のなかでは決して存在するはずがなく、でもいてもおかしくないくらいのキャラクター。このデリケートな魅力だからこそ、ロマンチック・コメディのなかで抜群に映えるのだが、それは彼女が演じる背景世界はリアルだからだ。
でも、この映画はその世界観がとんでもワールド。過去の世界から王子さまが現代のニューヨークにあらわれるという・・、メグ・ライアンのありそうでない魅力が発揮できそうな背景をぶち壊してます。魔法の世界にメグ・ライアンいれても彼女が輝くわけないじゃん!
この話でロマンチック・コメディやるならジュリア・ロバーツサンドラ・ブロックにしてほしいものだ。サンドラ・ブロックだとどこにもいそうなのでとんでもワールドで機能しそうだし、ジュリア・ロバーツだとどこにもいなさそうなので、とんでもワールドになじみそうだし・・。

メグ・ライアンの没落はこの映画からはじまったといって過言ではない。
製作者には猛烈に反省を促したい!!!

物語の最後は、19世紀に帰ったレオパルドはやっぱりしょぼんとして嫁を決めるパーティの会場にいると、なんと19世紀にやってきたメグ・ライアンがパーティ会場にいるではないか!! 彼女は現実世界の重役の椅子をすてて過去の世界に飛び込んできたのである。かくして2人は19世紀でめでたく結ばれるのだった。

おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!
それでいいのか製作者!
主人公が現実世界を捨ててありえん世界にいくなんて、ドラマの根本的なところで納得できないのだけど。たしかにヒュー・ジャクマンにしてみれば自分の世界にもどって、未来から来た妻をめとることになるので、こちらから目線でみればわるくはないが・・、かといってこの映画がヒュー・ジャックマンに感情移入するようにできているかといったらそうではなく、やはり見ている観客と共にあるのはメグ・ライアンのほうだ。そのメグ・ライアンの現実逃避で終わるなんてのは納得いかないぞ。

メグ・ライアンのコケティッシュな魅力を使うだけ使い、メグ・ライアンのキャリアにはマイナス面しかのこさなかったという、個人的にはまったく許せない映画だった。

by SSM2438 | 2011-02-05 12:59
2011年 02月 05日

60セカンズ(2000) ☆☆

f0009381_1051473.jpg監督:ドミニク・セナ
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:スコット・ローゼンバーグ
撮影:ポール・キャメロン
音楽:トレヴァー・ラビン

出演:
ニコラス・ケイジ (メンフィス・レインズ)
アンジェリーナ・ジョリー (サラ・スウェイ・ウェイランド)

       *        *        *

「みんなが見るから見ない」映画。。。

“最大多数の最大エンタテーメント”道をひた走るジェリー・ブラッカイマー製作の映画。この人の映画は一般大衆をターゲットをしぼり、ポプコーンを頬張りながらみる映画に徹する。ゆえに映画ツウのかたがたにはあまり人気のない作品をおおくつくるのだが、一般的に人気作品をつねに提供してくれる人だともいえる。この映画もデートムービーにはいいだろう。ただ、それだけで面白いかといわれると・・・・。

人の心の中に大衆性と自己性が融合している。大衆性というのは、自分もふくめて誰もが楽しいとも思いそうなものに反応する性質である。それに対して自己性というのは、自分だから楽しい、自分だからこの映画をえらべた・・という、映画をみる、映画を選ぶということに自己主張をする性質だといってもいいだろう。つまり、映画をみる/選ぶ・・ということも自己主張の場であり、自分の生き方や価値観を提示する場になる。
ブラッカイマーの映画というのは、みていて普通の面白いのだが、それを面白いと感じているのは自分の中の大衆性の部分であって、自分の中の自己性の部分ではない。この自分の中の大衆性が刺激されても、あまり面白いとはおもえないものだ。
世間には「みんなが見るから見ない」というひねくれた人もいるが(私もその一人だが)、そういう人たちの心理はここにあるのだろう。

それでもみていて楽しい部分はある。その筋のスペシャリストの会話というのは、自分がそれだけの知識がなくても、ああ、みんなこれを愛しているのだ・・と感じられる。
たとえば『サイドスウェイ』という2004年にNY批評家協会賞LA批評家協会賞の作品賞と脚本賞、アカデミー賞でも脚本賞をとっている作品がある。ワイン好きのロードムービーなのだが、その映画のなかで、彼らがワインに関して語っているシーンをん見るだけでなんだかたのしくなってきてしまう。専門家どうしの会話というのは、その内容がわからなくても、なにかしらかっこいいものだのである。
そういう意味で、この映画『60セカンズ』も、車に関するさりげないこだわり、その人だけがその車を好きなこだわりをあっちこっちに提供してくれている映画なので。そういうったシーンはやっぱり見ていて楽しい。

<あらすじ>
子供相手にカートレース場を経営するメンフィス(ニコラス・ケイジ)は、かつては高級自動車専門の自動車っ泥棒だった。しかしそんな兄にあこがれていた弟が車の窃盗に手をそめ、ヘマをしでかし、地元の影の実力者カリートリー(クリストファー・エクルストン)の怒りを買ってしまった。メンフィスは弟を助けるために、本来ならカリートリーを経て船積みされるはずだった高級車50台を出航までに集めなければならなくなる。
メンフィスは昔の仲間を集めて再び昔の家業をすることになった。その中にはかつての恋人スウェイ(アンジェリーナ・ジョリー)の姿もある。残された時間は24時間。彼らは作戦にとりかかる。

by SSM2438 | 2011-02-05 10:52
2011年 02月 04日

リベリオン(2002) ☆☆

f0009381_22453280.jpg監督:カート・ウィマー
脚本:カート・ウィマー
撮影:ディオン・ビーブ
音楽:クラウス・バデルト

出演:クリスチャン・ベイル (ジョン・プレストン)

       *        *        *

子供のほうが一枚上手でしたな・・・

剣道や空手には「型」と呼ばれる一連の基本動作をおこなるカテゴリーがあるのですが、その「型=KATA」を銃でやってしまったのがこの<GUN-KATA>。これは近接戦のガンアクションの基本動作を「型」にしたもので、それを使いこなすのが主人公のクリスチャン・ベイル。ま、早い話がジョン・ウーの近接戦のガン・アクションとったみたいなものです(苦笑)。表現的には『マトリックス』みたいなものだけど、近接戦のガンアクションというのがなかなかみていてカッコいい。ただ、カッコいいだけのアクションなので、ゲーム感覚といいましょうか、危機感のない映画でもある。シャローなところでときめきたい人にはいいかもしれない。

舞台となっているのは、第三次世界大戦後に出現した都市国家・リブリア。そこは、二度と戦争が起らないように人が感情を持つことを禁じられた社会。音楽や文学書籍、絵画や映像など、心を揺り動かす「感情的なコンテンツ」は全て「EC-10」として禁止され、人々は「イクイリブリウム」という政府機関が生産・配給する感情抑制薬であるプロジアムの服用を義務付けられている。
いまどきまだこれかい!って思うほど超古典的SF観なので、みていてかなり照れくさい(苦笑)。

感情抑制剤薬の服用を拒ばみ、「感情的なコンテンツ」を所有している人間を「感情違反者」として、摘発するのが特殊捜査官「グラマトン・クラリック」の仕事。ようするに『華氏451』のファイヤーマンですな。この物語の主人公のジョン・プレストン(クリスチャン・ベイル)もこの世界の「ファイヤーマン」、感情をもったものを処分する役目をもった軍人さんで、「ガン=カタ」と呼ばれる戦闘術を極めた特殊捜査官のエリート。しかし、徐々に政府のあり方に疑問をもち感情をもつことに傾倒していく・・というもの。このあたりの流れも『華氏451』とほとんど同じながれである。

ちょっときになるのが、主人公のプレイストンが感化される女性の名前が「メアリー・オブライエン」。知っている人なら「おお!?」っていう響きである。同じ全体主義批判の物語、ジョージ・オーウェル『1984』に登場する主人公の理解者がこの「オブライエン」という名前なのだ。ただ、こちらは主人公を裏切るのだけど・・。

<あらすじ>
第1級クラリックのジョン・プレストン(クリスチャン・ベール)は、妻を感情違反で処刑後、息子のロビー、娘のリサと3人で暮らしているが、同僚のパートリッジが、「違反者」だったことを知り、彼を射殺する。その一件から彼の心は揺らぎ始める。
そんなある日、配給された感情抑制剤のカプセルを誤って割ってしまった彼は、プロジアムを服用しないまま仕事につく。プレイストンはそこで逮捕された「反乱者」の女性であるメアリー・オブライエン(エミリー・ワトソン)の尋問することのなるが、彼女の姿にかつて感情に関する罪で処刑された妻を思い出し始めた。そして鎮圧に出動した廃墟で、反乱者によって収集されていた品々や音楽に触れ、さらに朝焼けの摩天楼を見たことから感情を呼び覚ましてしまった彼は、プロジアムの服用を積極的に止め、社会に対する疑念を深めていく。
メアリーが処刑されたことに対して、激しく感情を動かされたプレストンは、政府から疑われる。プレストンは、メアリーがコンタクトを取っていた地下組織と共謀し、体制を倒すため戦いをはじめる。やがて反乱者と民衆が蜂起し社会が変っていく。

by ssm2438 | 2011-02-04 22:46
2011年 02月 03日

おかあさん(1952) ☆☆☆

f0009381_14371559.jpg監督:成瀬巳喜男
脚本:水木洋子
撮影:鈴木博
音楽:斎藤一郎

出演:
田中絹代 (福原正子)
香川京子 (長女・年子)
岡田英次 (平井信二郎)
加東大介 (木村庄吉)

        *        *        *

どおおおおおおおおおおおお、香川京子が可愛い!!

びっくりしてしまった。こんなに可愛い人だったとは!? 花嫁姿、美しいです。文金高島田姿で肩をすくめてちょろっと舌出して・・、でふすまに隠れられたら可愛すぎです。そのあと、恋人の岡田英次のパン屋さんにいって顔合わせそうになるとこそっと隠れて、出てきてウインク。だああああああああああああああ、めっちゃ可愛い。にわか香川京子ファンになってしまった。いやあああ、いまさらながら気付きました、『赤ひげ』で狂人女を演じてたのが香川さんだったなんて。おお、狂わしいまでび妖艶で恐ろしく美しかった。ああ、思い出した思い出した。そうでした、『悪い奴ほど良く眠る』の三船敏郎が結婚した娘さんが香川京子でした。おおおおおおおお。『まあだだよ』もそうでしたか。今まで気付きませんでした。なんという愚かさ。全然修行がたりないですね。『モスラ』借りてきて見ないといけないか・・(笑)。

昨日に引き続き、朝から日本映画専門チャンネルの成瀬特集見てました。今日は『おかあさん』。なんでも松竹の黄金時代を築き上げた城戸四郎(1954年、松竹の社長に就任)は、成瀬巳喜男を称して「小津はふたりもいらない」と言ったそうだが、この映画はたしかに小津的な要素で構成されている。さすがに『浮雲』のあとだとインパクトは弱いかな。ただ、『浮雲』自体が成瀬巳喜男の中では特殊なほうであり、これを基準に考えるのはどうかと思うが・・・。

50年代の映画なので(私もまだ生れていない)、さすがに東京も田舎っぽい。こういう映画をみていると、松本清張の小説の中の状況描写が「ああ、こんなんだったんだ」と思えてくる。・・・しかし、よくこんな東京から今のような東京に変わったものだと、人間の力に関心してしまう。
この映画はクリーニング店を営む福原一家の物語。早くに長男を亡くし、そのあとすぐ夫を亡くした田中絹代とその長女を香川京子を中心に、悲喜こもごもの人生をつづっている映画。劇中、夫の亡き後クリーニング店をてつだってくれた加東大介と田中絹代が再婚するのでは・・?ということにささやかに心をいためる香川京子が描かれている。これは『晩春』みたいに、香川京子が結婚するか、田中絹代が再婚するかで終わるのかな?ってみてたら、どっちもないまま終了。そういうイベント性で物語をつづるよりも、普通の日常性の描いた映画になっている。

<あらすじ>
戦後の東京。父・福原良作(三島雅夫)は工場の守衛、母・正子(田中絹代)は露店の飴売り、長女の年子(香川京子)は今川焼きを売り、妹・久子と母の妹・栗原則子(中北千枝子)の子・哲夫を預かってそだてていた。そして戦前にやっていたクリーニング屋を再び開くことができた。そんななか長男は病死する。店は父の弟子であるシベリア帰りの木村のおじさん(加東大介)が手伝ってくれることになり、順調なスタートを切った。しかし、父も病気に亡くなり、店は木村の手ほどきをうけながら、母が切り回すことになった。木村と母の間についてあらぬ噂が立っていることに年子は娘心をいためるが、年子の恋人である信二郎(岡田英次)は、「お母さんの幸せも考えてあげないといけない」」とさとす。妹の久子を親戚の養子だすことになる。

f0009381_143982.jpg母の妹は美容師になるために住み込みで見習いをしているが、コンテストに出るとかで、年子に着付けのモデルを頼みに来る。母も一人立ちできるようになり、木村は自分で店を出すために去っていった。母と年子と哲夫だけがのこされた福原家に、新しい書生さんがはいることになる。彼は16歳。クリーニングの仕事をやりながら勉学に励むのだろう。最初の晩、彼は与えられた机にすわり手紙を書きかけたまま眠ってしまった。「母上様・・・・・」。

最後の一行にはなかなか感動させられた。
それまで一度も出てこなかった登場人物の、その青年が書いている手紙に「母上様・・・」って書かれてるだけ。それだけなのにぞわぞわぞわ・・と感動するものがあった。まさに「おかあさん」という普遍性を描いたからこそ、その感動が湧き上がってきたのだろう。
ささやかな感動がなかなかちりばめられている映画だ。母が再婚するのではないかと心配していた、父の弟子の加東大介が、店をでて行くシーン。このまま行かせてしまっていいの・・?という疑問を持ちながら、結局なにもしない香川京子の複雑な感情がとっても素敵だった。
そのほかにも、養子にもらわれている妹の久子と、哲夫のさりげない別れのシーンとか・・、久子が養子にだされることを決意した晩のエピソードとか・・、ささやかに感動するシーンがかなり連打される。

by ssm2438 | 2011-02-03 14:40
2011年 02月 03日

泪壺(2008) ☆☆☆

f0009381_12172721.jpg監督:瀬々敬久
原作:渡辺淳一
脚本:佐藤有記
撮影:鍋島淳裕
音楽:清水真理

出演:
小島可奈子 (朋代)
いしだ壱成 (雄介)
佐藤藍子 (愁子)

       *        *        *

いやあああああああ、良かった!!!!
瀬々敬久版の『恋のエチュード』・・かな?

(とは言え、『恋のエチュード』はそれほど面白いとは思わなかったが)

監督の映像センスの悪さと、いしだ壱成のキャスティングの軽薄さ以外は、渡辺淳一の原作の映画化されたなかでは一番いい。原作の評判をチェックしてみると、実はあまりよくない。不思議な作品である。この監督、画面つくりのセンスはよくない(もうす少しはなれてズームで絞らないと「映画の画面」にはならない。カメラが近すぎる画面だでは、カメラ存在を感じてしまうのでムードぶち壊しである・・)が、物語全体の構成力はあるということなのだろうか・・。とりあえず原作よまないと、どこまで監督の力量で、どこまでが原作のよさなか判断しようがない。ブックオフにでもいって中古本を探してこよう。

さっそく探してきて読んだ。60ページくらいの短編でした。そしてわかった。この監督さん絵作りの才能ないが、物語を作る才能はとってもある。原作よりもぜんぜん良い! というかほとんど別の話である。
でも、この映画はすばらしいです。はい。

いやああ、しかし、私としてはこういうシチュエーションの話は大好きですね。求めたいのに求められない。ずっとずっと想いを抑えて、でもずっとずっと求めていて、でも好きな人は別の妹と結婚してしまう。で、運良く妹が癌で早死にしたが、罪悪感から求められない。そうしてずうううううううううっとずううううううううううっと想いを封印しいてたのが開放される時がくる。
おおおおおおおおおおお、まさに王道の恋愛もの。
同じように『ヒマラヤ杉に降る雪』もこんな感じ。もっともあっちのイーサン・ホークは求めても求めても、ずっとあたえられないままで終わってしまうどうしようもない切ない映画だったが、こちらは最後求めて与えられたので実に良かった。こういうのはかなり個人的な問題で、この映画を見ている間ずっと『ヒマラヤ杉に・・・』のイーサン・ホークが脳裏にあり、あの切なさがこの映画の小島可奈子に投影されてみていたので、想いが遂げられたときはイーサン・ホークの想いまで昇華してくれたような気持ちになった。

小島可奈子も実にいい。実はこの映画をみるまではまったく意識したことのない人でした、すいません。この映画でおもいっきり好きになってしまった。
いしだ壱成が主演ということで、この映画はかなり損をしていると思う。もう少し年齢あげて作ったらよかったのに。中学生の頃と現在でキャスティングが違うのだけど、もうちょっと年齢話してやればそのあたりは違和感少なく出来たのにって思った。個人的にはこの人の顔が好きではないし、おまけに髪型もどうも嫌いだ。

ちなみに冒頭に書いたフランソワ・トリュフォーの『恋のエチュード』だが、こちらは二人に姉妹と二人が恋する一人の男の話。ただ、この男がかなりいい加減な男で、どうにも感情移入できなくて、シチュエーション的には同じなのかもしれないが、メンタリティはかなり違うものだと思う。すくなくとも『恋のエチュード』は、見初めてすぐ退屈になり、見るのをやめようかと思ったくらいだった。トリュフォーの映画ってハズレるときはかなり苦痛である。

<あらすじ>
1986年の冬、友人二人と東京から天体観測に来ていた雄介が腹痛を起こし朋代の父の病院を訪れたかの二人の出会いの始まりだった。下痢がひどくキャンプは無理だと判断した朋代の父は、彼を家にとめることにする。朋代はそんな彼に惹かれるものを感じた。しかしその雄介と結婚したのは朋代の妹・愁子(佐藤藍子)だった。
最初に出会いから20年が過ぎていた。朋代(小島可奈子)は地元で音楽の教師をしていた。そして妹は癌のためにこの世を去る。愁子は、「自分の遺骨を壷にして、ずっとそばに置いてほしい」と雄介に遺言を残していた。雄介(いしだ壱成)はその言葉どおり愁子の遺骨をすりつぶし壷を製作する。ところが、出来上がった白い壷にはまるで. 愁子の泪のように朱色の傷がついていた。
愁子の四十九日。もう会う事もあまりないだろうから、泊まっていけという父の言葉一晩とまることにする雄介。一方で、朋代には「人に言えないような妄想はするな!」という父。その言葉をきいておもわず駆け出してしまう朋代。
その晩田んぼに落ちてずぶぬれになっていいるところを同僚の教師に助けられる。でずっと朋代のことを想っていた彼は自信なげに朋代に想いを告白し求めてくる。一瞬は拒んだものの、求めても得られないものを求め続けることに悲劇のヒロインをえんじてみたくなった朋代は彼に抱かれる。処女だった。

妹の荷物の整理に雄介の家を訪れた朋代だが、そこには妹の遺灰でできた壺がある。教師をやめた朋代はバーでピアノを弾いて生計をたてていたが、自分を傷つけるように男性経験もつんでいく。よった勢いで教え子と再会、一晩を共にする。妹に命日には雄介が別の女を連れてくる。“私がこれだけ自分の想いを抑えているのになんでこんな女と一緒なのよ!!”と許せない想いがこみ上げてくる。

このぼろぼろ感がとても素敵だ。
そのあとはときがたつにつれて二人の間に暖かいものが復活しやっと雄介に抱かれる朋代。幸せすぎて恐ろしくなり実家に帰ってしまう。でも、やっぱり・・・。そのころ雄介も朋代のもとに車を走らせていた。そして再び自分の幸せに納得できる朋代。

そのあとはなくてもいいのに・・・。
幸せな時間をすごしたあと雄介を東京まで送っていく途中、交通事故にあって死んでしまう朋代であった。

あの原作をここまでほとんど別の構成に変えて、成功させているというのはとても素晴らしいことだけど、ここまで勝手に変えるなら、もうちょっと整理してほしかったな。
朋代が死んでからの流れは非常にじゃまくさく、びっこひいいて街のなかをあるいているいしだ壱成なんて絵になってないし、そもそもそのシーンの必要性をほとんど感じない。そのあとの回想シーンのきっかけにするなら、回想シーンは交通事故に遭う前の夢見心地のところとか、事故後の生死をさまよってるあたりでも良かったのに・・。
もっともっと、良くなる可能性を持った映画なのに、ここまでで終わったか・・というもったいなさを感じてしまう。
でも、ダメなところはいっぱいあれど、すばらしいところもいっぱいある映画です。


<原作のあらすじ>
乳癌をわずらった愁子は、自分が死んだら、骨で壺をつくっていつでもそばにおいてくれと頼んで死んだ。その言葉に従って雄介は愁子の骨をすりつぶして壺を作った。妻の死から1年がたつころ、スタイリストの麻子と仲良くなり体の関係をもつようになったが、壺をいしきしすぎる雄介に嫌気がさして別れることになった。そのご上野朋代という妻よりも10歳も若い女性と結婚した。家具も全部処分したが壺だけは残した。しかし朋代もやはり壺を嫌い、交通事故で死んでいった。雄介は「やはりお前だけを守っていくよ」と壺とともに生きることにするのである。

原作では、愁子と朋代は兄弟でもなくなんでもない、朋代に感情移入する要素はまったくない構成。これを朋代の物語にしてしまうとは・・・。これだと渡辺淳一は怒るんではないだろうか。ここまで別作品だとね・・・ただ、出来上がったものはすばらしい出来でした。

by SSM2438 | 2011-02-03 12:20
2011年 02月 02日

ラビッド(1977) ☆

f0009381_9443100.jpg監督:デヴィッド・クローネンバーグ
脚本:デヴィッド・クローネンバーグ
撮影:ルネ・ヴェルジェル
音楽:アイヴァン・ライトマン

出演:マリリン・チェンバース (ローズ)

       *        *        *

僕もゾンビやってみました・・byクローネンバーグ

初期のクローネンバーグ特集!

この《ラビッド(RABID)》というのは、劇中に発生する伝染病の名前。ゾンビ系映画の一つに入るのかな。しかし話のとっかかかりがあまりにも非現実的というか・・、なんといか・・・・。もうちょっとやりたいことを練って整理すれば少しは見られるものになったんじゃないだろうかという気がして仕方なかった。

この物語のとっかかりはこう。
主人公の女性ローズ(マリリン・チェンバース)が交通事故にあい、近くの整形外科病院で緊急手術をうけることになる。そこの院長ケロイド(名前からして怪しい)は『中性化処理』という新しい皮膚移植の治療法を研究している医師で、重傷の腹部への皮膚移植を行う際、研究中のこの処理を施してみることにした。手術は成功したかにみえた。しかし手術の結果、彼女の体質が変異し、他人の血を吸いとるだけが唯一の栄養補給法という体になってしまった。身体はその欲求に応え、体内からペニス型のような肉棒(はは・・表現しづらい)が突き出し、別の人間の身体にめり込みそこから体液を吸うというもの。
厄介なのはそのあとで、彼女の肉棒に血を吸われた被害者は吸血鬼病になり、別の人間に噛みつき血をする。その後その男はすぐ死ぬのだが、その人間に噛まれた人間もまた同じ症状になり、連鎖的に被害が広がるというもの。この吸血鬼病を《ラビッド》とこの映画のなかでよんでいる。

ファンタジーオタクが「やりたいことを全部いれてみました・・」みたいな映画で、必然性の欠如がはなはだしい。あまりに素人っぽいのでそこで見る気が一気になくなってしまう。でも、見る気がなくなるのは最初の事故のシーンで、男女のカップルがバイクに乗ってて事故するのだが、道路から飛び出してバイクが爆発炎上するまのでカットがしょぼすぎる。肉棒突きたてるシーンも、動き的には“H”のときの挿入する感じ、相手の身体にしがみついて「うんしょっ!」っと入れる感じなのだが、「こうしたいからこうしました」って印象がつよく、そこに必然性を感じないので実にB級。
前半は現代版吸血鬼になってしまったマリリン・チェンバースの悲劇の逃避行もので、後半は《ラビッド》が蔓延していくゾンビもの。どっちか一つにすればまとまりも出てきただろうに・・・。

ちなみにマリリン・チェンバースはポルノ女優さん。なので、見ている側はもっとエッチなものも期待してしまうのだが、そういう意味では期待はずれ。オタク趣味の画面だけを見せられた感のある映画でした。

by ssm2438 | 2011-02-02 09:04
2011年 02月 01日

コヨーテ・アグリー(2000) ☆☆☆

f0009381_204018100.jpg監督:デヴィッド・マクナリー
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:ジーナ・ウェンドコス
撮影:アミール・M・モクリ
音楽:トレヴァー・ホーン

出演:
パイパー・ペラーボ (バイオレット・サンフォード)
アダム・ガルシア (ケヴィン・オドネル)
マリア・ベロ (店のマスター・リル)
メラニー・リンスキー (グロリア)
ジョン・グッドマン (ビル・サンフォード)

        *        *        *

中身は薄いが、勢いとノリだけで楽しもう!

ジェリー・ブラッカイマーが作っている以上は、高尚なものを期待することは出来ない。適当に五感を刺激し、画面だけはかなり上出来なものに仕上がっているが、中身はかなり薄い。この人には、心にしみわたるものを作ろうとか、人間性を描いたものを作ろうなどという気はまったくない。後にけなされても、その時観衆を勘違いさせて劇場に足を運ばせれば勝ち!・・みたいな映画ばっかりだ。この映画も本来は☆☆のできばえだが、でも、のりがいいのでもうひとつおまけした。

・・・しかし、ジェリー・ブラッカイマーという人はデートムービーの専門家だなあ。適当にたのしめて、特にそれを見ることにはウエイトが置かれず、彼女/彼氏と隣に座り、手をつないで見る映画で、そのあとの話のネタになればいい程度の映画がほとんどである。この映画もその例外になならなかった。
しかし、それでも、この映画の舞台となっているコヨーテ・アグリーの店のなかでのノリはとてもパワフルで、それだけ見てても楽しい。ブラッカイマーがプ80年代にロデュースしてエイドリアン・ラインの名前を夜に知らしめた『フラッシュダンス』のノリをバーのカウンターの上に再現。客はやんややんやの大騒ぎ。そこで踊っているおねーチャンがたもきれいだが、なにより店主のマリア・ベロが素敵だ。

<あらすじ>
ソングライターになる夢を胸に、ニュージャージーからニューヨークにやってきた21歳のヴァイオレット(パイパー・ペラーボ)は、クラブ・バー“コヨーテ・アグリー”の扉を開けた。そこは女性バーテンダーたちがカウンターに上がり、過激なダンス・パフォーマンスをする怒涛のバー。仕事が欲しいというヴァイオレットに店長のリル(マリア・ベロ)はとりあえずやらせてみるが、パッションを開放しない彼女にはNGを出す。しかし、酔った客を手名づけて返したことからNG撤回され、“コヨーテ・アグリー”のメンバーになれた。
失敗を繰り返しながらも客の扱いになれきたヴァイオレットは、ある夜店内で歌を熱唱するはめに。しかし、それがうけて“歌うコヨーテ"の誕生となる。それがきっかけで、オーディションへの切符がえられる。しかし、ヴァイオレットはシャイな性格で人前に立つとびびってしまう。そんなヴァイオレットを支えたのは恋人のケヴィンと、“コヨーテ・アグリー”の仲間と、父親だった。

by ssm2438 | 2011-02-01 20:40
2011年 02月 01日

ダークマン(1990) ☆☆☆

f0009381_17332561.jpg監督:サム・ライミ
脚本:チャック・ファーラー
    サム・ライミ
    アイヴァン・ライミ
    ダニエル・ゴールディン
    ジョシュア・ゴールディン
撮影:ビル・ポープ
音楽:ダニー・エルフマン

出演:
リーアム・ニーソン (ペイトン・ウェストレイク)
フランシス・マクドーマンド (ジュリー・ヘイスティングス)

        *        *        *

アヴォリアッツの映画祭に出してればグランプリとれたかも・・

B級テイストがたのしいサム・ライミのアクション映画(ホラー要素もすこしははいっているかも)。サム・ライミってアメコミ好きなんだろうなあ。この映画をみても、そのダークヒーローが登場するまでのプロセスはとっても面白い。後に撮る『スパイダーマン』にしても、一作目のゴブリンが出てくるまでの、スパイダーマンになっていく自分を確かめている辺りは実にたのしい。

今回サム・ライミが選んだ題材は変身もの。人工皮膚を開発していた博士が、殺し屋に襲われ顔を焼かれてしまう。だが彼の研究のおかげでなんとか人工皮膚をつくり人前に出られるような顔になるが、その人工皮膚の定着性には問題があり、ある一定の時間を過ぎると溶解してくる。変身していられる時間に制限をもたして、その時間内で事を成し遂げなければならないという、実に王道の設定だ。しかしそれだけではなく、全身焼けどによって、神経が切断され、痛みを感じない身体になり、さらに力の抑制も効かず、怪力も発揮するという都合のいい設定(おい!)。

<あらすじ>
工皮膚の開発に従事する若き科学者、ペイトン・ウェストレイク(リーアム・ニーソン)の恋人ジュリー(フランセス・マクドーマンド)は弁護士だった。その彼女が土地開発にからむ収賄事件の証拠書類を持っていたことから、ペイトンも殺し屋一味に襲われ実験室に火をつけられる。裏で意図をひっぱいっていたのは不動産業界の大立者ルイス(コリン・フリールズ)だった。全身に大火傷を負いながらも奇跡的に一命を取りとめた彼は、感覚が麻痺した結果、抑制力を失ない超人的な力を発揮するようになっていた。
失意のペイトンは人工皮膚の研究を再開する。人工皮膚でかつての自分の顔をとりもどしたペイトンは再びジュリーの前に現われる。死んだと思っていたペイトンに再会した彼女は喜ぶが、人工皮膚は光に弱くは99分で分解してしまう。ペイトンは皮膚が分解するたちさらなければならなかった。
人工皮膚を使って他人の顔にする替わることが出来る彼は、彼らの一味になり替わることによって、彼らを仲間割れに追い込み、1人ずつ仕留めてゆく。そんな不審な死亡事故の連続にダークマンの正体はペイトンではないかと疑ったジュリーは、ペイトンに変装したダークマンの後を追い、正体を知る。ペイトンの生存を知ったルイスは人質に取ってダークマンに挑戦してきた。ヘリコプターを使って攻撃してくる殺し屋を倒したダークマンは、高層ビルの建設現場でついにルイスと対決する。ダークマンはルイスを倒すが、思わず駆け寄るジュリーをこばに、雑踏の中に消えていった。

by ssm2438 | 2011-02-01 17:40