西澤 晋 の 映画日記

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2011年 06月 30日

守護神(2006) ☆☆☆

f0009381_2257779.jpg監督:アンドリュー・デイヴィス
脚本:ロン・L・ブリンカーホフ
撮影:スティーヴン・セント・ジョン
音楽:トレヴァー・ラビン

出演:
ケヴィン・コスナー (ベン・ランドール)
アシュトン・カッチャー (ジェイク・フィッシャー)

        *        *        *

タイトルはちょっとカッコ良過ぎるが、これが意外と悪くないんだ・・。

監督はスティーブン・セィーガルのヒット作『沈黙の戦艦』アンドリュー・デイヴィス。実は意外と好きな監督さん。イメージがじつにピーター・ハイアムズと似てるきがする。仕事始めも実は撮影監督さんからキャリアをスタート、その後に監督業にいそしんでいて、これもハイアムズとにている。カメラマん出身の監督さんだけど、実に演出術は長けていると思う。

とくに荒れる会場でのレスキューシーンは怒涛の浪ががしがし襲ってきてて迫力満点。私事だが、仕事で荒れる海を描くときはこの映画を見ることにしている。『パーフェクトストーム』よりはこちらのほうが良い。
最後のレスキューシーンは夜の設定で、回り暗くしてセット撮影だったので雰囲気だけはあったけど、いまひとつシチュエーションが作り手のご都合主義的でいただけなかった。
何が良くなかったって、最後助けるのが同じ沿岸警備隊の隊員だというところ。ドラマとしてはどう書いても成立するとは思うが、見ている側として、救助者は要救助者を助けて完結して「守護神」になってほしいと思ってしまう。救助を必要としているものにとっての守護神であって、この物語の流れで行くと、警備隊のなかでの守護神になってしまうような・・・。そのあたりが、もうちょっと観客が何故かすんなり受け入れられなかった部分じゃないのかなあ。
もうひとつ、もうちょっと「守護神」たる主人公のレスキューシーンをあといくつか見せてほしかった。でないとこのタイトルの神通力が今ひとつ弱いようなきがした。

基本の話は、沿岸警備隊のレスキュー隊の教官とその教え子のなかの才能ある隊員との確執をえがきながら、徐々に成長していく若者くん・・っていうもの。『ザ・ダイバー』デ・ニーロキューバ・グッディング・Jrの関係もおんなんじで、まあよくある話。個人的にはこちらのほうが好きだ。

勝手な想像だが、話の持って行き方はプロデュースサイドの言いなりっぽい部分を感じる。このへんが撮影監督上がりの職人気質人間のよくないところかもしれない。

<あらすじ>
伝説のレスキュー・スイマー、ベン(ケビン・コスナー)は現場の第一線から退き、レスキュー隊員のエリートを養成する「A級学校」へ教官として赴任することになった。その生徒の中に元高校の水泳チャンピオンであったというジェイク(アシュトン・カッチャー)という若者がいた。図抜けた才能を持ちながらも仲間を信頼せず時に暴走してしまうジェイク。ジェイクは高校時代に自分の運転していた車で事故を起こし、大事な水泳チームの全員を失うという悲惨な過去を持っていたのだ。自らも仲間を失ったトラウマに苦しんでいたベンとジェイクの間に深い共感が生まれる。やがて学校を卒業したジェイクだったが、救助活動中にかつてのトラウマに襲われ任務を遂行できず、ジェイクに助けられる。
引退を決意し現場から去っていくベンの最後の日、高波で浸水した漁船の救助に向かったジェイクが要救助者を助けたあと、船室に閉じ込められてたとの入電がとどく。ベンはその足でジェイクの救助に向かった。なんとか船からの脱出に成功た二人だったが、二人を突き上げていたケーブルは二人分の重量に耐えられなかった。ジェイクを救うため自ら海に落ちていき命を落とすベン。

・・・・しかし、最後は下手なケーブルが斬れそう・・なんてイベント削除して普通にハッピーに帰還するほうがあざとくなくていいと思うのだけど。そのあとは、再びレスキュー・スイマーに戻るケヴィン・コスナーでも、再び教官になるケヴィン・コスナーでも、釣り人になるケヴィン・コスナーでも、どれでもそれなりにおわれると思ったのに、一番よくない終わり方をしてくれた気がした。。。

by ssm2438 | 2011-06-30 23:57
2011年 06月 30日

四月物語(1998) ☆☆☆☆

f0009381_2316565.jpg監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:篠田昇
音楽:CLASSIC

出演:松たか子(楡野卯月)/田辺誠一(山崎先輩)

何もかもが新しくなる月、それが4月。

       *        *        *

物語は、大学に通うために北海道から上京して女の子の話。普通の家庭で育った彼女が、一人暮らしを始める4月。そこで体験する社会というもの。大人になって思えばなにもかも、取るに足らないエピソードなのだけど、それがあの時代だからこそ、とっても新鮮だったと思い起こさせてくれる映画。

監督は『Love Letter』岩井俊二。小作品なれど、どうも私はこういう話は好きらしく、ついつい嬉しくなってしまう。特にすっごいイベントがあるわけでもないのだけど、さりげないシーンにポイントポイントを絞り込んでそれを丹念に、繊細に岩井俊二が描いてくれる。そしてそのシーンを見終わるとおおおおおおって思ってしまう。

たとえば冒頭のシーン。
映画が始まると主人公の家族達が、カメラを見送りに駅にきている。普通にそだった家庭らしくいさまが演出される。もちろん、そこで育った主人公がはじめて家をでるのだがらそれなりのイベントであはあるのだけど、普通はそれほど深刻でもないものだ。出発まであと何分あるのか判らないのだけど、それまでの時間をどう埋めていいのかわからず、みんながさしあたりのない意味のない言葉でなんと時間を埋めていると、顔見知りの駅員さんやってきて会話にはいってくれることで、ちょっと間がもつ。しかし、その駅員さんがだらだら話している間に列車の窓が閉まり、本来その瞬間に言うはずだった「じゃあね」とか「気をつけてね」とか、そういった締めの言葉が交わせないまま列車は走り出してしまい、硝子の向こうでは、なにやら家族の人たちがそんな言葉を言っているらしいが聞こえない。
寂しいというわけではないのだが、照れてきちんと別れの言葉を交わさなかったことにささやかな後悔を感じさせる。
うむむむむむ、上手い! と思ってしまう。
ただ、絵はハンディカメラで撮られた映像でかなり画角が広く、気持ち悪い。

やがて東京の自分のこれから住むことになっているアパートの一室に入ってみると、まだ荷物はとどいてないらしく、なにもない畳の部屋があるだけ。窓をみながらその部屋の真ん中にぺたんと座り込み、こて~~~んと横になる主人公の後ろ姿。「とりあえずここまでやりとげたぞ」っていうささやかな安堵感。お茶漬けが食べたい気分だっただろう。

やがて引越し屋さんがちょっと遅れて彼女の荷物をもってくる。この「ちょっと遅れて」っていうのがまたポイント。なにもかもが新しい時には、ちょっと予定が狂うだけでも不安が2倍にも3倍にも膨れ上がるものだ。荷物は実家の親が用意してくれたものらしく、部屋にいれてみると全部が入らないというトラブル発生。どうしていいのかわからない主人公は、ただただ引越し屋さんの言いなりになるしかない。とりあえず必要なものだけのこしてあとは持ち帰るということになるのだが、なにが必要かどうかも引越し屋さんが勝手に判断して作業が行われる。たぶん出かけるときに親が「これももっていけば、あれももっていけば」と言ってくれた結果運ばれたものや、自分がどうしてもこれは欲しいって言って運んできてもらったもたち。それが来客用の布団やソファだったのだろう。それらが無常にも彼らの勝手な判断で運び出される。自分が無力で世間知らずなことも理解している彼女は、なるようになったあと一人でどうするか考えようと思ったのだろう。
さんざんそんなシーンを描いておいて、最後に「これどうする?」って差し出される小さなスチール製の椅子。それを抱きかかえる主人公。唯一自分の選択が許されたもの。それを彼女は、自分の判断で残すことにする。今自分に出来ることがこれだけなのか・・という、自分の小ささを表現するにがあまりある素敵な演出だ。
う~~~ま~~~~い~~~~ぞ~~~~~~。

そういうさりげないやりとりがただただ描かれていく。
それでも、新鮮で素敵な映画なのだが、後半にはいってから主人公がこの大学にはいった動機がすこしづつ明らかにされていく。それはお・と・こ。
実は、彼女には高校時代に憧れていたひとつ上の先輩がいて、彼がこの大学に入ったからというもの。やがて彼がバイトしている本屋をみつけ、少しづつ時間を持っている間に、彼も彼女の存在を認知し始める・・というもの。

最後も彼女の想いいが通じ、付き合い始めるとかいうようなドラマチックなものではない。彼の中で、その他大勢の一人でしかなかった存在の自分が、彼の中に楡野卯月という存在を芽生えさせたぞ!というところで終わる。

はずす時はとことんはずす岩井俊二なれど、この『四月物語』と『Love Letter』は好きである。

by ssm2438 | 2011-06-30 23:14
2011年 06月 29日

コックと泥棒、その妻と愛人(1989) ☆☆

f0009381_2255635.jpg監督:ピーター・グリーナウェイ
脚本:ピーター・グリーナウェイ
撮影:サッシャ・ヴィエルニ
音楽:マイケル・ナイマン

出演:
リシャール・ボーランジェ (コック)
マイケル・ガンボン (泥棒)
ヘレン・ミレン (その妻)
アラン・ハワード (彼女の愛人)

       *        *        *

照明は良かった。トイレも素敵だった。ディナーはまずそうだった。

どうもこういう、セット内でのシチュエーション舞台劇というのは好きになれない。これとか『ドッグヴィル』とか・・、こういう撮り方になんでしなくてはならないの??って思ってしまう。ほんとにきちんとみせたいんなら、下らん小手先の変化で目先をごまかさず、王道で勝負してほしいものだ。

あんまり嫌いなので☆ひとつ・・のつもりだったが、照明とマイケル・ナイマンの音楽は素敵なのでおまけ。この映画は劇場でみたものだから途中棄権せずに最後までみたが・・・こういう映画は大嫌い。

<あらすじ>
リチャード(リシャール・ボーランジェ)はフランス料理店“ル・オランデーズ”のコック長である。その常連客のひとり、アルバート(マイケル・ガンボン)はギャングだった。金にものを言わせて夜毎、卑しい乱行を繰り返しているアルバートに、妻ジョージーナ(ヘレン・ミレン)はうんざりしていた。しかし残忍な性格を知る彼女は、恐怖で逃げ出すこともできなかった。
ある日ジョージーナは、学者マイケル(アラン・ハワード)と知り合い、お互い魅かれあったふたりはレストランの化粧室で情事をかさねる。やがて彼らの関係はアルバートの知るところとなり、マイケルはアルバートとその手下によって惨殺されるのだった。夫への復讐を決意したジョージーナは、リチャードに頼んでマイケルを料理してもらう。こうしてジョージーナは、人間の丸焼きとなったマイケルのペニスをアルバートに食べさせ、そして殺すのだった。

by ssm2438 | 2011-06-29 22:55
2011年 06月 28日

コードネームはファルコン(1985) ☆

f0009381_22512825.jpg監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:スティーヴン・ザイリアン
撮影:アレン・ダヴィオー
音楽:パット・メセニー/ライル・メイズ

出演:
ティモシー・ハットン (クリス・ボイス)
ショーン・ペン (ドールトン・リー)

       *        *        *

スパイドラマではなく、普通のドラマ。

普通の人が、CIAに就職したら、ソ連のスパイが接触してきて、で、小遣い稼ぎのためにどうでもいい書類を入手できる限りの重要書類としょうしてソ連のスパイに手渡してたら、いつのまにやら重い罪に問われていたって話。しかし、その盗み出すのがほんとにガーベージナどうでも情報の書類のコピーなので、スリリングさはない。本人もほとんど犯罪意識などなく、ソ連のスパイをおちょくり、なおかつお小遣いがもらえる・・くらいにしかかんがえてないのである。しかし、それが捜査のメスが入ると、とんでもない売国奴扱いになり、ことの重大さに気付くがそのときはもうどうしようもないって話。

普通の人が本物のソ連スパイ相手にスパイごっこやってたら、ホントに罰せられてしまったという話。実話をもといした話らしいが、正直あほくさい。本人にしてみればその恐怖やスリルは本物だったかもしれないが、はたからみるとどうでもいい話。これで彼らを逮捕して裁判にかけ、刑務所にいれるのはかなりの税金の無駄遣いになりそうだが・・・、ま、それは法律というものなのでしかたがないだろうなあ。

監督は『真夜中のカーボーイ』『マラソンマン』ジョン・スレシンジャー。しかし、これはあきらかにはずしたな。

<あらすじ>
1973年、神学校をやめたクリス・ボイス(ティモシー・ハットン)は、父の紹介で防衛産業の大手、TRW社に入社し、特に大した審査もなく、資料管理の仕事から国防総省関係の部署に配属され、すべてが最高機密とされているブラック・ボールト(黒い情報密室)に出入が許されるようになってしまう。そこにはCIAの選挙操作などダーティな機密がつまっていて、正義感の強い理想主義者のクリスを打ちのめした。
クリスの教区学校時代からの親友ドールトン・リー(ショーン・ペン)ヘロインにおぼれていた。クリスは不正を憎むあまり、ドールトンは金のために、ブラック・ボールトの最高機密をソ連に売ることに決める。最初はどうでもいい情報ばかりだった。しかし、ドールトンがスパイの深みに溺れていくのがこわくなり、この仕事から手を引こうとする。CIAとKGBが怖くなったクリスはガールフレンドのラナ(ロリ・シンガー)とも別れ、最後に10万ドル相当の商売をしてTRWをやめようとするが時すでに遅く、ドールトンはメキシコで身に覚えのない殺人容疑で逮捕され、やっと釈放されて家に帰ったところでクリスともども逮捕された。

実に空騒ぎな映画だった。

by ssm2438 | 2011-06-28 22:54
2011年 06月 27日

ハリーとトント(1974) ☆☆

f0009381_22201541.jpg監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
    ジョシュ・グリーンフェルド
撮影:マイケル・C・バトラー
音楽:ビル・コンティ

出演:
アート・カーニー (ハリー)
エレン・バースティン (娘のシャーリー)

     *       *       *

この手の映画は好きなはずなのだけど・・・・なぜハマれなかった????

『ハドソン河のモスコー』ポール・マザースキー。私の好きな監督さんの一人である。そしてこの映画は当時、『ゴッドファーザーⅡ』『愛の嵐』をさしおいてキネマ旬報ベストテンで洋画部門1位に輝いた作品。・・・・にもかかわらず、ダメだった。

映画うんぬんよりも、猫の扱いが生理的に受け付けなかった。
私は子供の頃から猫がいる環境でそだち、猫を愛してるのだけど、ここで描かれているトント(猫の名前)は犬なのである。犬として描かれているのである。このおじいちゃんは、猫の犬の首輪をつけて、犬を散歩させるように散歩するのである。許せん!この映画、普通に犬でやってくれたらこんなに不快感はなかったのだろうけど、猫でやられてしまったからいただけない。
所変われば品変わる・・のかもしれないが、あれで「猫」だといわれるとどうにも納得しがたいものががある。猫と接触したひとが書いたストーリーなのか??って思ってしまう。とりあえず犬しかしならない人が、それだとおもしろくないので、猫で犬をやらせた・・て感じなのである。・・・許せん!
 
そんな主人公ハリーじいちゃんも、アパートが区画整理のために取り壊されることになり、立ち退きを命じられています。最後までそのアパートに居座ったハリーなれど、国家権力には勝てず長男の家にうつりすむことに。しかし、息子の嫁のことを考えるといづらくなり、シカゴにいる娘や次男のところを尋ねてアメリカ全土をまたいだたびをすることになったとさ。
飛行機でひとっ飛び、となるはずでしたが、猫のトントを連れては搭乗を拒否され、バスで行くことになってしまいます。しかしバスでの用を足したいのかいまひとつ体調不良なトント。無理をいってバスをとめてもらうのだけど、そのトントが逃げ出し所在不明になってしまう。さすがにそこまで相手できないバスの運転手は、ハリーにここに残るのか、トントを見捨ててこのままバスに乗るの選択を与え、ハリーは猫が戻るのを待つことを選択、バスは荷物を残して去っていきます。
・・・・この展開も、猫を理解している人とは思えない。猫が知らない場所にいって、一旦逃げ出したらもどってくるのかどうかかなり疑問。どんなに親しい関係でも、猫は猫なのである。たとえ戻るとしてもそれは明日かもしれない。犬ならこの流れでも判るのだけど・・・・、うむむむ、どうもこの映画のトントのコンセプトは「犬」と書かれ、ハリーは「犬をあつかうおやじ」というコンセプトで書かれているきがして仕方がない。
しかし、主人公と猫との交流が描かれているかといえばそういうわけではなく、物語をこういう形で語っていくよといういい訳として存在している猫なのである。なので、あざとい動物と人間の心通わせるドラマと思ってみると大間違い。あくまで、猫によって行動制限された一人の老人のロードムービーと捕らえたほうが正しいでしょう。

その後は、無事にトントも戻り、恐る恐る何年かぶりにレンタカーを借り、車で大陸横断の旅にでるハリー。そして出会ういくつかの人々・・という展開。それぞれのエピソードはなかなかこころなごみ、マザースキーの映画として普通に楽しめる。
私は、この猫の扱いで、どうしても物語に入れなかったのだけど、都会でペットとしての猫を飼い、去勢手術や避妊手術をされた猫があたりまえと思ってる人にはこれでも良いのかもしれない・・・。ああ、やな時代だ。

<あらすじ>
愛猫のトントとニューヨークのマンハッタンに住んでいたが72歳のハリー(アート・カーニー)だが、その地区が区画整理のためにアパートがとりこわされることになり、強制退去を命じられる。仕方なくハリーはトントを連れて長男のバートの家に行ったが、バートの妻に気兼ねしなければならず、シカゴにいる娘のシャーリー(エレン・バースティン)を頼って旅に出る決心をした。トントのおかげで飛行機にものれないハリーは、バスでシカゴに向かうことになるが、途中トントが逃げでしてしまいバスからおりることに。しかたなく、中古車を買って目的地に向かうことにするハリー。途中、ジンジャーという若い娘に会い、彼女と一緒に旅するうちに初恋の相手でダンサーだったジェシー(ジェラルディン・フィッツジェラルド)に会いにいった。そんな出会いを皮切りに猫好きということで意気投合した老カウボーイ・ウェード(アーサー・ハニカット)、高級売春婦、ラスベガスの老インディアンの酋長ツー・フェザー(チーフ・ダン・ジョージ)。翌日、ハリーはトントが病気にかかっているのに気づき、病院へ連れて行き手当をしてもらったが、その甲斐もなくトントは死んだ。ハリーは浜辺を歩いている1匹の猫を見つけた。それは死んだトントによく似ていて、彼は猫を抱き上げた。渚の傍で女の子が砂の城をきずいているのを見ると、ハリーは一緒にその城を作りはじめた。

by ssm2438 | 2011-06-27 22:21
2011年 06月 27日

ラブレター(1981) ☆

f0009381_9425121.jpg監督:東陽一
脚本:田中陽造
撮影:川上皓市
音楽:田中未知

出演:関根恵子

       *        *        *

関根恵子だけは綺麗に撮れているのだが、物語自体にまったく面白みがない。

この東陽一って、わざと興ざめするように撮ってるんじゃないかと思うくらい、興ざめするシーンが多い。というか、関根恵子の裸のシーン以外はほとんど興ざめする。つまり、見ている人が、見たいと思わないシーンばかりが連打される。その間にちょこちょこと関根恵子の裸のシーンが挟まれる感じなのだが。他のシーンの興ざめ率が高すぎるので全体的にテンション下がりまくり。もうちょっと見られる方向性で作れなかったものかと思う。

牛乳のなかにはいったハエだとか、庭になげこまれたスイカとか、きっと原作にそうあるからしかたないのだろうが、どうもビジュアル的にばっちい。生理的に気持ちよくない。なおか関根恵子演じる有子の方向性がベタというか、そのパパがいない時の隣人の嫌がらせとかがそのスイカ事件だったりするのだけど「パパがいなくて寂しい」って方向性だけで語られていく。
状況を考えると「やっぱりパパを捨てて誰か他の男と・・・」という考えは絶対脳裏にあったはずだ。「いつまでもこんなことしてていいんだろうか?」みたいな不安とか。そういう概念があるのだけど、今はパパを待つだけの生活でもこれが私にとっては一番なのよ・・みたいな覚悟があればこの映画はもっとメリハリがきいてきたのになあって思った。

原作は江森陽弘『金子光晴のラブレター』金子光晴(1895年12月25日 - 1975年6月30日)は実在の詩人で、その愛人大河内令子からの聞き語りを江森陽弘が小説にし上げた。映画の中では登場人物の名前は変わっている。

<あらすじ>
有子(関根恵子)は詩人の小田都志春に囲われた愛人。一軒家を与えられ、生活費だけは定期的に届けられているが、有子から連絡することは出来ない。隣には学生が下宿するアパートがあり、その女主人からは庭に食べ物の残りかすを投げ込まれるなどの嫌がらせをうけている。その女主人の夫が以前浮気をして別れたので、愛人をやってる有子がにくらしいのだ。
そんなこんなで住むところにストレスを感じながら、待つだけの生活につかれていく有子。睡眠薬の良は日に日に増えていく。有子の浮気を誤解した有子は小田は、有子の内股に“とし”と刺青を彫ってしまった。その刺青をいれてるときに「子供が出来たの、産みたい」という有子。

男が所有欲を全面に出している時に言うこの台詞、きっと小田も困っただろう。途中で刺青をやめるわけにもいかないし(苦笑)。そんなことしてるのでダメとも言えないだろうし。

結局小田の反対で子供をおろす有子。そしてさらに精神が不安定になっていき、精神病院に入院させられる。退院がきまった日、小田の急死をしらされる。通夜の日、有子は小田家を訪れ、「どうしてこんなに早く、地獄へ行っちやったの」とつぶやき、都志春の写真を見ると、有子はとめどなく涙をこぽすのだった。

by ssm2438 | 2011-06-27 09:21
2011年 06月 27日

可愛い悪魔・いいものあげる(1970) ☆☆

f0009381_1413664.jpg監督:井上芳夫
脚本:安本莞二/増村保造
撮影:小林節雄
音楽:西山登

出演:
渥美マリ (石川ゆみ)
田村亮 (津村桂一)
関根恵子 (節子)

      *       *       *

脱いでるようで、実はあまり脱いでない渥美マリ。

この映画でもほとんど脱いでない。関根恵子とならんでも、明らかに渥美マリのほうがあたまがちっちゃい。それだけスタイルが良く見える。当時の化粧のせいもあるのだろうが、関根恵子と渥美マリがならぶと、やはり関根恵子のほうがいもっぽくみえる。それだけ当時の渥美マリは輝いていたのだろう。

撮影は大映の撮影監督の大御所小林節雄。この人のカメラも好きだ。私が好きな『赤い天使』などはほとんどこの人の画面力があってのこともだ。シナリオに増村保造の名前もあるが、映画全体としてはそれほど増村保造テイストではない。というか、このあと増村保造が監督する『しびれくらげ』『でんきくらげ』にしても、それほど増村マスムラしてるわけではない。

お話自体はかなり退屈。最後の、やっと手に入れた自分の店で、別れた恋人に抱かれたいと思う渥美マリのシークエンスは良かったが、それ以外は・・・・、あんまり面白いとはいえない。ま、それはこの作品にかぎらず、渥美マリの作品は全部そんな感じなのだけど。

しかし、男の立場からすると、こんな生き方されたら男としてはやりきれんな。

<あらすじ>
幼くして両親に相次いで死に別れた石川ゆみ(渥美マリ)は、芸者置屋の女将静子に育てられ、神楽坂芸者として人気を集めていた。ゆみの魅力に欲望がうずいた金融会社社長の滝田は200万円で水揚げ(処女を売ること)したいと申しでた。ゆみは豪華なクラブを持つという永年の夢を満たすためにこの話をあっさりと承知し、翌日、恋人の桂一に抱かれ、二度と会わないと宣言して別れた。
水揚げも無事にすませたゆみのところに、滝田の息子・徹也が現れる。徹也の口車にのせられ、虎の子の百五十万円を徹也に投資したが、あえなくその会社は倒産。落胆したゆみを、父親のような愛情で包んだのは松崎だった。クラブ経営の夢を一日も早く実現させるためにも、松崎の世話になることに決めたゆみは、やがてマンションに移り松崎との新しい生活を始めた。そんな部屋に松崎の娘節子(関根恵子)が怒鳴り込んでくる。しかし、ゆみの性格にほれこんだ節子はいつのまにやらゆみと仲良くなってしまう。
そんなある日、松崎の財産を管理する経理部長の関沢が、松崎の隠し財産を横領をほのめかす。それから間もなく松崎は交通事故で死亡し、遺産相続の会議が開かれた。関沢の陰謀は功を奏したかに見えたが、ゆみの証言で悪事は阻止された。節子はゆみに感謝し、内縁の妻として遺産の三分の一を受けとるようにとすすめるが、ゆみは「自分のお金は自分でかせぐもの」と固辞した。しかし、節子の好意に押し切られたゆみは、クラブ建設の投資という名目で資金を受け、夢の城が実現する。

f0009381_156334.jpg


by ssm2438 | 2011-06-27 01:44
2011年 06月 26日

カクテル(1988) ☆☆

f0009381_2354991.jpg監督:ロジャー・ドナルドソン
脚本:ヘイウッド・グールド
撮影:ディーン・セムラー
音楽:J・ピーター・ロビンソン

出演:
トム・クルーズ (ブライアン)
ブライアン・ブラウン (ダグ)
エリザベス・シュー (ジョーダン)

       *        *        *

いやああ、思ったより面白いんだこれが・・。

80年代はトム・クルーズの年だったかもしれない。『ハスラー2』『トップガン』『レインマン』と一躍大スターに上り詰めたトム・クルーズの次なる話題作はなんぞやとおもってたらこれが来た。バーテンダーの話なんて小粒すぎてどうなん??って思ってたが、見てみると、どうにもなりそうにない話しをどうにかしてるところがすごい。しかし、もうひと頑張りほしかった。1988年のラジー賞ワースト作品賞・ワースト脚本賞)を受賞している。
後にジェリー・ブラッカイマー『コヨーテ・アグリー』を制作するのだが、この二番煎じをねらったのだろうなあ。少なくとも誰かに「この映画をもう一回作り直したい」と思わせるだけの魅力はあるのも事実だ。

まず監督のロジャー・ドナルドソン『13デイズ』とか『スピーシーズ/種の起源』とか撮ったこの人、安定した力はあるし、多分まじめに仕事する監督さんだと思う。しかし、自分がなにをやりたいのか・・そのコアを感じない監督さん。制作サイドのイエスマン的監督さんの臭いがする(苦笑)。とにかく映画のどこをみても「自分はこういうシーンは楽しくとれるんだ!」ってのがない。普通どんな下手な監督さんでも良い悪いは別にして、「この監督さん、ヘボだけどここだけはなんかこだわって撮ってるなあ」ってのを感じさせるものだ。それがこのドナルドソンにはほとんどない。そんな彼だが、一番楽しんで撮ってたのはこのトム・クルーズのカクテル作るシーンなんじゃないかと思う。

で、この映画をちょっとだけ良くした人は、撮影のディーン・セムラーだろう。私の好きな撮影監督さんで『ダンス・ウィズ・ウルヴス』とか『ステルス』とかを撮っている。セィーガル映画で『沈黙の陰謀』では監督も努めている。絵作りは極めてよくできる人で、照明等を使った色も実に渋くていい。たぶんこの『カクテル』でも、他の撮影監督さんがやったらケバい青と赤の照明になりかねなかったバーテンダー・パフォーマンスのシーンをシックな青紫系に仕上げてくれた。

<あらすじ>
ブライアン・フラナガン(トム・クルーズ)は、学歴の低さが災いして大企業への入社はままならず、すっかり凹んでしまう。そんな折ブライアンは、昼間は大学に通いながら、夜はダグ(ブライアン・ブラウン)がオーナーのバーで働くことになる。踊るようなリズミカルなバーテンダー・テクニックが身についてくると、彼らはたちまち界隈きっての人気バーテンダー2人組になる。しかし、ブライアンのガールフレンドにダグが手を出したことから2人は大喧嘩、コンビは解散を余儀なくされる。
2年後ジャマイカの浜辺でシェイカーを振るブライアンは、そこで画家志望の娘ジョーダン(エリザベス・シュー)と出会い恋におちる。そんな彼のもとに大富豪の娘と結婚したダグが現われる。ブライアンは見栄から女実業家ボニー(リサ・ベインズ)と情事を持ってしまが、その現場をジョーダンに目撃され破局。とにかくダグと居合わせるといいことがないブライアンだった。
しかし愛のない金だけの空虚な生活に疲れたダグは自殺。ブライアン、ジョーダンを手放せば自分が駄目になってしまうと悟り、再びジョーダンの家に押しかけるのだった。

もうすこしなんとかなりそうな話だったのだけど・・・、見ていて気持ちがいいシーンが前半だけで、後半からはどうでもいい話になってきてしまったのが残念。もっとふたりのバーテンダーシーンを見たかった。発想は良かったが構成を失敗した映画でした。

by ssm2438 | 2011-06-26 23:06
2011年 06月 26日

わんぱく離婚同盟(1991) ☆☆

f0009381_21545089.jpg監督:パトリック・ブラウデ
脚本:パトリック・ブラウデ
撮影:ティエリー・アルボガスト
音楽:ジャック・ダヴィドヴィッチ

出演:
アドリアン・ディラン (ジュリアン)
ヴォロディア・セール (トマ)
ジャンニ・ジャルディネッリ (クリスチャン)
ジェニファー・ローレ (ペネロープ)

       *        *        *

タイトルが一人歩きしすぎてるきらいはあるかな。

・・・でも、魅力的なタイトルではあるけど。
この映画、アメリカでは離婚率が50%を越えたと話題になっていたころの話。もしかしたらもっとあとかも。クラスのなかは両親が離婚した派閥と、まだ結婚している派閥に分かれて、さりげない派閥抗争が展開されるのだが、数でまけてる離婚派が、勢力を増やそうと健全な夫婦(それなりに火種はある)を離婚においやろうというあこぎないたずらをはじめる話。
しかし主人公の恋愛相手になる女の子は一つ下の学年で、この離婚派と結婚派の争いにはほとんど関係がないわけで、ちょっとタイトルに違和感を覚える。それでも、一応彼女のほうが結婚してる両親の子供なのでそれを理由に一旦は別れたりするのだけど、策を弄して再びつきあうようになるという話。

ただ・・、離婚派とまだ結婚派の争いが終結しないまま、主人公のジュリアンは落第し(させられ)、彼女のいる同じ学年になり、彼女だけは幸せ・・というなんとも本筋がおいてけぼりにされたような映画。そこをなんとか!・・してくれたらもっと面白いものになっていたのに。

<あらすじ>
フランスのある小学校。新学期が始まり、ジュリアン(アドリアン・ディラン)のクラスにトマ(ヴォロディア・セール)という転校生がやってきた。トマの両親は、離婚・再婚を繰り返す、離婚の常連だった。
ジュリアンが帰宅してみると、なんだがパパとママの離婚話が湧き起こっている。翌日、ジュリアンは友人たちにパパは出張したと嘘をつくが、ライバル的立場のクリスチャン(ジャンニ・ジャルディネッリ)に親の離婚の事実がばれ、さらにパパとその愛人のキス・シーンまで撮らてしまう。クリスチャンはジュリアンに学級委員の選挙に出るなと脅迫、委員の座を得るが、クラスはジュリアン&トマらの離婚組対クリスチャンらのまだ結婚組に分かれて勢力争いが始まった。数で劣勢だった離婚組は、結婚組の両親たちを次々に離婚に追いやる作戦に出て、仲間をふやしていった。
そんな中で、ジュリアンは、ヴィクトル先生の娘で一年下のペネロープ(ジェニファー・ローレ)とキスを経験、二人は付き合うようになる。しかし離婚した親の子供も離婚するとの言葉を信じてペネロープと別れてしまう。
作文テストの途中、生徒の一人がいなくなったと彼のママが教室に来た。彼の両親もジュリアンたちのせいで不仲になっていたのだ。ジュリアンとトマは責任を感じ、試験中に教室を脱け出し無事連れ戻す。しかし二人の答案は真っ白。しかしペネロープが家で操作をしてトマは合格。ジュリアンは落籍。かくしてジュリアンとペネロープと同学年になってしまう。これもペネロープの作戦で、二人は今度は本当の恋人となったとさ・・。

by ssm2438 | 2011-06-26 21:56
2011年 06月 26日

ロングウェイ・ホーム(1981) ☆☆☆

f0009381_926575.jpg監督:ロバート・マーコウィッツ
脚本:デニス・ネメック
撮影:ドン・バーンクラント
音楽:レイ・エヴァンス/ウィリアム・ゴールドスタイン

出演:
ティモシー・ハットン (ドナルド)
ブレンダ・ヴァッカロ (リリアン)
ロザンナ・アークエット (ローズ)

       *        *        *

若き日のティモシー・ハットンは、若き日のイーサン・ホークのような瑞々しさにあふれている。

この頃のティモシー・ハットンだったらどんな映画でも良い映画になるんじゃないかと思えてしまう。そのあとの『普通の人々』もすばらしい。彼は『普通の人々』でアカデミー助演男優賞とってるし。それにティモシー・ハットンが結婚するロザンナ・アークエットがまたいい。個人的にこの人は好きで、若い頃の二人がみられるという意味ではかなり貴重な映画になってしまったが、DVDはでてないようだ。残念。

この作品はMTVとして制作されているので、予算はかなり低い。まあ、普通のテレビシリーズを撮る感じで撮られているので映画としての高級感はない。ただ、お涙頂戴モードは実にありありで(・・というか、ちょっとあざといほどある)個人的にはやや冷めてしまった部分はなきにしもあったのだけど。

あと、家族・兄弟の絆が強いのはわかるのだが、それが原因となって回りに人たちに心を開かない閉塞間もある。ティモシー・ハットンを引き取った夫婦もいい人なのだけど、決して自分たちを親とは認めようとしないティモシー・ハットンの心はけっこう冷たく感じたはずだし、それはティモシー・八ットンが後に結婚するロザンナ・アークエットにもいえる。ティモシー・ハットンにとって家族とは、施設で生き別れた弟と妹だけであり、他の人は「知り合い」で終わってしまっているのがかなり残酷。この映画はインパクトあるのは、養父母や妻がどれだけ愛しても、傲慢なまでに生き別れた弟妹を追うティモシー・八ットンの残酷さがいいのだろう。
しかし、養父と喧嘩して家を出るティモシー・ハットンに、養母が何かのたしにと金を手渡すところや、高校の卒業式の日、道路の草刈りの仕事をしていたドナルドのところへ、養父が卒業証書を持って来るシーンなどは、人間のけなげな良心を感じてしまう。

<あらすじ>
ドナルド、デイヴィッド、キャロラインの3人兄妹彼らの両親が姿を消して以来、フロリダ州立児童擁護センターに収容されていた。長男のドナルドが親代りになり下の弟と妹を世話してきたのだが、やがてデイヴィッドとキャロラインは里子に出されることになる。
それから5年後、センターにドナルド(ティモシー・ハットン)が来て、弟たちの居所を教えろと迫るが、リリアン(ブレンダ・ヴァッカーロ)は、18歳になるまで教えられないとつっぱねる。18歳の誕生日にまたセンターにやって来たドナルドに、リリアンは弟、妹の里親が住所を教えることを拒否したと話す。
養父と喧嘩して家を出るたドナルドは自活しながら高校に通い、ローズ(ロザンナ・アークェット)と知りあう。それから4年、ドナルドはローズと結婚した。だが、ドナルドにとっては家族は弟妹だけであり、疎外感を感じるローズ。
のちに判るのだが、弟妹の2人はともに養家から家出していた。リリアンの尽力で、ドナルドとデイヴィッドは再会した。キャロラインは軍隊に入ジョンソン少尉と結婚していた。3人は16年ぶりに再会した。

こちらはアメリカで発売されたDVDの表紙(↓)。ロザナ・アークエットが若い!!!
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by ssm2438 | 2011-06-26 09:30