西澤 晋 の 映画日記

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2011年 06月 25日

眼には眼を(1957) ☆☆☆

f0009381_093835.jpg監督:アンドレ・カイヤット
脚本:アンドレ・カイヤット/ヴァエ・カッチャ
撮影:クリスチャン・マトラ
音楽:ピエール・ルイギ

出演:
クルト・ユルゲンス (医師ヴァルテル)
フォルコ・ルリ (ヴァルテルに妻の診断を断られた男)

       *        *        *

私の好きな『オルカ』は、この映画が原点にあるのではないかと勝手に想像してしまうのだけど・・・。

弁護士から映画監督に転身したアンドレ・カイヤット。私はこれと『裁きは終わりぬ』しか見たことがないのだが、フランス映画にめずらしくストリー構成できちんと見せていく作りをする監督さんだなって印象。あるいみハリウッド的かな。復讐のこれでもかこれでもか攻撃はスティーブン・スピルバーグの『激突!』的な執着心描写。
カッコつけてすべるだけすべる監督が多いフランスにあって、エンタテイメントとしても見られるまともに映画を撮れる監督さんだなという印象。もっとも、他の作品をみてないのでなんともいえないのですが・・・。

ちなみに『オルカ』では、妻のを殺されたオルカが、そのハンターであるリチャード・ハリスに復讐するという話。その執念と、最後の自暴自棄的「復讐しても自分も生きのこる可能性はない」エンディングはどうしても『オルカ』とだぶってしまうのですよ。ま、私の思い込みだとは思うけど・・。

<あらすじ>
砂漠の国シリアの荒野を、病人を乗せて車を走らせる男がいた。そして仏人医師ヴァルテル(クルト・ユルゲンス)のところに駆け込む。しかし、状況が許さなかったためヴァルテルは診察できないと言う。仕方なくその男は別の病院に向かうが車が故障。男は病妻を連れ、歩いてやっとたどりついたその病院では、宿直の若い医師が誤診し妻は死んでしまう。そのときからヴァルテルはその男に執拗な嫌がらせを受け始める。
深夜の怪電話。尾行。ヴァルテルの不安はつのった。彼が自分の立場を説明しようと、その男を探し求めだすと、今度は逆に相手が逃げ廻る。
ヴァルテルは彼を追ってアラビヤ人部落ラヤへ向った。ヴァルテルは奥地の村の怪我人の治療を頼まれたが、いってみると治療を断られた。ラヤに帰ってみると彼の車のタイヤがない。仕方なく泊った部落の喫茶店で、彼はその男と再会した。ヴァルテルは病人の死について釈明した。
翌日、ダマスクスへの道をその男に案内されて帰ることになる。しかし、ダマスクスはいっこうに見えてこない。山また山。草も木もない。ヴァルテルはその男に砂漠をひきまわされているのだ。ついに彼は倒れ、殺してくれ、死んだ方がましだと叫んだ。その男は「俺も女房が死んだ時、そう思った。それを一度、おめえ、お医者様に言わせたかった」と語った。
ヴァルテルはカミソリでその男の手首を切った。ダマスクスへ12時間以内に案内せねば、お前の傷は死ぬという。男は泣き叫び、ヴァルテルを案内することを誓った。二人はよろめき歩き始める。その男は倒れ、ヴァルテルにこの道をまっすぐ行けばダマスクスだと教えた。ヴァルテルは教えられた通りに歩み進んだ。その男は倒れたまま笑いに笑った。

by ssm2438 | 2011-06-25 00:11
2011年 06月 23日

処女の泉(1960) ☆☆☆☆

f0009381_15451262.jpg監督:イングマール・ベルイマン
脚本:ウルラ・イザクソン
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:エリック・ノードグレーン

出演:
マックス・フォン・シドー (カリンの父・テーレ)
ビルギッタ・ペテルスン (殺される娘・カリン)
グンネル・リンドブロム (養女・インゲリ)

       *        *        *

いやあああ、ベルイマンの芝居付けに感動!

1961年のキネマ旬報1位がこの作品。お話はたいしたことないのだが、芝居付けがばらしい。

イングマル・ベルイマンが、黒澤明『羅生門』からインスピレーションを得た映画とう言葉で言われるが、この二人はさりげなくお互いを映画を意識しあっていた感がある。このほかにも黒澤明の『赤ひげ』(1965)のすい臓がん患者の死ぬ前のぱくぱくは、ベルイマンの『沈黙』(1962)のイングリット・チューリンの病床でのもだえシーンを移植したような感じもした。この二人の作品には、「あの映画のあのシーンだが、オレならこのように撮る」という暗黙の駆け引きを感じるのである。しかし、この二人、決定的な違いがある。それは感情移入へのアプローチなのだ。
黒澤明の映画をみても感情移入はほとんど起きない。黒澤の映画というのは、「強さ」とか「弱さ」とかを象徴する芝居を演じさせているが、あくまで記号であって、「そう描かれれば強いことになる」「そう描かれれば弱いことになる」という一般的な理性による解釈なのだ。その記号がダイナミックなのが黒澤映画なのだが、所詮は記号なのでどっか感情移入できない。
ベルイマンの演出というのもダイナミックな芝居付けをする時があり、特にこの『処女の泉』は芝居付けのダイナミズムという点においてはベルイマンのなかでも一番だろう。しかし黒澤明と根本的に違うところは、人間性を描いているところだろう。ベルイマンの演出な感情移入の宝庫なのだ。
この映画の芝居をみると、理性は、“そうすべきではない”と主張するが、感情が“そうしたい!”と叫んでいる、あるいはその反対もあり、内面を表現していることに気付く。その感情のブレているのである。理性と感情の間で、本人がどちらを選ぶかという戦いがそれぞれの登場人物の内部で猛烈にせめぎあっているのだ。

f0009381_15453134.jpgカリン(ビルギッタ・ペテルソン)は、純粋培養されたような無垢で可憐な少女である。彼女が教会へロウソクを届けるために森を通り抜けようとして3人の三人の羊飼いに会った。見た目はいかにも気持ち悪そうな3人だが、おそらくカリン「人を容姿で判断してはいけません」と教えらているのだろう。そんな3人に森の中で食事を施するカリンはまるで天使である。ただ、彼女の心がほんとうにそれを奉仕する喜びとして行っていたとえばそんなことはないだろう。心は「逃げたい」叫んでいたにちがいない。結果として彼女は犯され、頭を殴打されて死んでしまう。

その一部始終をみていた養女インゲリ(グンネル・リンドブロム)。石を握り木陰から飛び出そうするが体は動かない。彼女は、物語の冒頭のほうで、カリンの不幸をオーディーンの神に祈ったくだりがある。だからといって、現実におきていることを望んだわけではなく、おそらく、祈ったそのことが現実に起きてしまい、恐ろしくなって何も出来なかったと解釈するほうが自然だろう。そして後に「あの兄弟は悪くはない。カリンの不幸を神に祈った私が悪い」とカリンの父テーレ(マックス・フォン・シドー)に告白する。

何の因果か、カリンを犯して殺したその3人の羊飼いは、夜露を凌ぐ場所をもとめてカリンの家に泊めてもらうことになる。寝る場所と食事を与えられた3人は、カリンの母メレータ(ビルギッタ・ヴァルベルイ)にお礼として絹の衣をゆずることにする。しかしそれこそはカリンの着ていた服であり、それには血もついていた。さらにインゲリの告白から彼ら3人がカリンを殺したことを知った父テーレは、3人を惨殺する。
ここでもテーレの心は「こいつらでも殺すべきではない」と叫んでいるが、「娘を犯され殺された父が、こいつらを許すべきではない」という理性の主張を受け入れ、彼らを惨殺する。

※世間では彼の惨殺行為を「怒りに任せて」と表現する人も多いが、それは違う。この殺しの場面では、娘をころされた父親の面子(つまり理性)の誘導によって3人を殺したと感じ取るほうが正しいだろう。

理性と感情の間での揺らぎというのは、誰しも経験したことがるものなので、これを芝居の中に挿入されていれば、いやおう無しに感情移入できてしまうのだ。しかし、黒澤映画のように<ブレない記号>になってしまうと、そこに人間性を感じることはなく、作り話のなかのアイテムとしてしか理解されなくなってしまう。

お話のまとめてとして、殺されたカリンの遺体のあった場所からあふれ出る泉。そしてその水を手ですくって顔を洗うグンネル・リンドブロムがとたんに美しく見え始める。本来グンネル・リンドブロムは美しい人の部類にはいるはずなのだが、本編中の彼女はめっぽう薄汚い。それもこのシーンのためにそうしてあったのだとあとから感心してしまった。やっぱりグンネル・リンドブロムは綺麗でないといかん。ベルイマン映画のヒロインのなかでは、彼女が一番すきである。

by ssm2438 | 2011-06-23 15:49 | I ・ベルイマン(1918)
2011年 06月 20日

ダウンタウン物語(1976) ☆

f0009381_8191597.jpg監督:アラン・パーカー
脚本:アラン・パーカー
撮影:ミッシェル・シュレシン/ピーター・ビジウ
音楽:ポール・ウィリアムズ/ロジャー・ケラウェイ

出演:
スコット・バイオ (バグジー)
フロリー・ダガー (ブラウジー)
ジョディ・フォスター (娼婦タルーラ)
ジョン・カッシージ) (肥っちょサム)
マーティン・レブ (おしゃれのダン)

       *        *        *

<たこ焼き>的な映画。タコの代わりにジョディ・フォスターがはいってる!!

たこ焼きって、タコが入ってないとただの生地だけなんだけど、あれにタコがはいっているから食べた気になる。でも、そのタコが入ってなかったら・・・? この映画はジョディ・フォスターがはいってるからまだ田下応えあるけど、なかったらどうなんだろう??
映画のなかには、昔大絶賛された映画でも、「これはいい映画なんだ!と解釈することになっている」けど、実はぜんぜん面白くないというような映画が多々あり、これもそのひとつのようなきがする。

知る人ぞ知る『小さな恋のメロディ』アラン・パーカーがつくったミュージカル。それも、全部子供ばかり。でも、やってる内容は大人の世界・・という、ちょっと変わりだねの映画。
当時の映画雑誌ではそこそこ評価もされていた映画だったので一応見に行った映画。当時中学生か高校生だった私は、そのころからミュージカルが嫌い。なのでこの映画もそれほどのりきではなかったのだけど、ふたあけてみるとやっぱり・・って感じ。正直な感想は、こんなのなにがおもしろいんだ??って思った。一応大絶賛する人もいることは理解してますが、こういう映画を作ること自体に意義を見出せないというか・・・、今の人はどうとるのでしょう。大体アラン・パーカーは何がやりたかったのか?、なんでこんな映画をつくったのか、だれを対象につくったのか? ・・・悩ましいところです。

もしかしたらアラン・パーカーが単に小児愛好家の気があったのかも・・・・。
f0009381_8232720.jpgなので、その筋のひとには無性にすかれるのかもしれない。きっと愛犬に服をきせて喜んでる犬の飼い主さんには非常に好まれる映画なのだろう。でも、私は遠慮したい。
太っちょサム(左)、ジョディフォスター(中央)、バグジー(右)

<あらすじ>
禁酒法下のリトル・イタリア。そこでは二組のギャング団が勢力争いを展開していた。肥っちょサム(ジョン・カッシージ)一派と新興ボスでおしゃれのダン(マーティン・レブ)一派。そんな状況下でバグジー(スコット・バイオ)が三流歌手のブラウジー(フロリー・ダガー)と出会う。

--一応この物語の主人公とヒロインは、このバグジーとブラウジー。・ジョディ・フォスターの名前は良く聞かれるが、彼女はこの物語にちょっとからんでくる娼婦役。ただ、存在感は抜群!

おしゃれのダンは肥っちょサムをマシンガン部隊で圧倒していた。バクシーの働きで命びろいした肥っちょサムは、ブラウジーを歌手に採用。400ドルの大金を積まれ田バグジーはダンのマシンガン強奪を企てる。やがて大決戦の時が来た。派手な車を乗りつけるダン一派と、迎え撃つサム一派。マシンガンからパイクリームクイが飛び交う。サムの酒場はいつしか純白のクリームの海に。そして真っ白になった皆の顔には楽しげな笑いが。かくしてサムとダンの決戦はめでたく大団円を迎えたのでありました。

--この映画使われるマシンガンからは銃弾は出てこない。その代わりにパイクリームが発射される。子供のおもちゃである。

by ssm2438 | 2011-06-20 08:28
2011年 06月 19日

バンク・ジョブ(2008) ☆☆☆

f0009381_17354580.jpg監督:ロジャー・ドナルドソン
脚本:ディック・クレメント/イアン・ラ・フレネ
撮影:マイケル・コールター
音楽:J・ピーター・ロビンソン

出演:
ジェイソン・ステイサム (テリー・レザー)
サフロン・バロウズ (マルティーヌ)
リチャード・リンターン (ティム・エヴェレット)

       *        *        *

サフロン・バロウズ再び!

なかなか広いものの映画だった。
ここに取り上げられた事件は70年代に実際あった銀行強盗の話で、それを脚色してつくられているようだ。
素人の子悪党連中が銀行強盗に成功、現金と一緒にそこにあった貸し金庫の中のものまで片っ端から奪っていってしまった。ところがその貸し金庫のなかには、麻薬犯罪にかかわる書類は汚職警官のリスト、市長や議員さんのプライベートな“H”遊戯写真、さらに王室のスキャンダル写真まで含まれていたからさあ大変。いきなり子悪党どもは、犯罪組織やプロの殺し屋、イギリスの政府諜報員から追われることになる・・というもの。ともするととっちらかっていしまいそうこの話を、110分という見易い時間内にまとめあげられている。

映画としてはCGをほとんど使わず、きわめて映画らしく撮られていて、上質のクライムサスペンスのハラハラドキドキをしっかり提供してくれた。まるでジョン・フランケンハイマー時代の映画をみているような雰囲気であった。監督は『13デイズ』『カクテル』『スピーシーズ/種の起源』などのロジャー・ドナルドソン。一見ちゃらちゃらしてそうな題材を実にまじめにきちんと映画にしてしまう職人的人だ。『追いつめられて』はちょっとはずしたけど、私の中ではさりげなく、気にしていた監督さんの一人である。

嬉しかったのは『ディープ・ブルー』サフロン・バロウズに再び会えたこと。この人、美人のようで意外とそうでもないようにも見える。どんなに美人でもアゴが割れてると意外と興冷めするのが男の心情というものなのだが、雰囲気はとってもゴージャス美人の女優さん。レイチェル・ウォードもそんな感じだな。アゴの割れてる女優さんの特徴なのだろうか。そういえばミア・ニグレンもそうかも。

そんなわけで、サフロン・バロウズの『ディープブルー』の時に、サービスカットの写真をあつめてきた。
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by ssm2438 | 2011-06-19 17:36
2011年 06月 19日

ストレート・トーク(1992) ☆☆

f0009381_823764.jpg監督:バーネット・ケルマン
脚本:パトリシア・レズニック/クレイグ・ボロティン
撮影:ピーター・ソーヴァ
音楽:ブラッド・フィーデル
主題歌:ドリー・パートン

出演:
ドリー・パートン (シェリー)
ジェームズ・ウッズ (ジャック)
グリフィン・ダン (アラン)

       *        *        *

ジェームス・ウッズがドリー・パートンに惚れますかね?

<あらすじ>
同じ相手と3度結婚し離婚したシェリー(ドリー・パートン)は新しい人生をもとめてシカゴに出る。あるラジオ局の清楚員(だったと思う)をしているとたまたま担当の人が関をはずしたラジオのブースに入ってしまい、そこにかかってきたリスナーの電話に答えてしまう。そんなことから、彼女のアドバイスが評判となりラジオ精神科医のようなことになってしまう。
そんな彼女に興味をもったシカゴ・サンタイムズのジャーナリストのジャック(ジェームス・ウッズ)が彼女のことを調べ始める。しらべてみると、彼女は精神科医などではなく普通のおばさん。しかし、愛嬌のある彼女にジャックは心引かれていく・・・。

ラジオのDJを主役に据えた映画なので、素敵な言葉を一杯聞かせてくれるかなという期待はあったものの、ドリー・パートンだと心がときめかない(苦笑)。それでもこの映画をみようと劇場に足を運んだのはジェームス・ウッズが相手役立ったから。でも、この映画の中では、別に彼がこの役をやらなくても良かったような気がする。だいたいジェームス・ウッズって、ドラマの中で誰かに惚れるなんてコトがあんまり起きそうにない役者さんなので、それだけでも役どころとしてかなり違和感があり、しかもその相手がドリー・パートンという普通のビジュアル的好みでは在りえないような組み合わせ(苦笑)。

ドリー・パートンは7歳で作曲を始め、10歳でプロ・デビューしたカントリーの元女王。この映画のころは45~46歳だったのかな。恐ろしいほどの巨乳も持ち主で、若い頃の写真がみたいものだ。しかし、ビジュアル的にはどうも私の好みではないのでほとんどときめくことはないのが残念。

映画の内容も、せっかくのシチュエーションをうまく使えないまま、たんなるロマンチック・コメディになってしまったのが残念。専門家ではないのだが応えさせると「おおーーー!」って答えが返ってくる、そんな精神科医としての会話をもう少し盛り込んでほしかったかな。

by ssm2438 | 2011-06-19 08:03
2011年 06月 18日

今夜はトーク・ハード(1990) ☆☆

f0009381_852750.jpg監督:アラン・モイル
脚本:アラン・モイル
撮影:ウォルト・ロイド
音楽:クリフ・マルティネス

出演:
クリスチャン・スレイター (マーク)
サマンサ・マシス (ノーラ)

       *        *        *

これって、よくみるとブログの起源のような映画だ。

1990年前後で、ラジオのDJを扱った映画はいくつかある。個人的には、こういう「語り」で見せる話は脚本家の力量をそのまま見せるものになるのでついついフォローしてしまう傾向にあった。この物語はラジオのDJを扱った学園青春物のカテゴリーに入るだろう。主人公は高校生で、よなよな彼の高校の生徒を対象に海賊放送のDJをやっているという話。なので他のDJもとのは違い、物語りはきわめて限定的な地域での話しなのだ。しかしこの時代にはそんな文化ははったしていない。そんなわけで、彼は自室に無線放送のシステムを構築し、学校内で起きたことなどに対して自分の意見や、学校の秘密を暴露していくというもの。
スケールを小さくしたフランク・キャプラの『群衆』ににてるところもあったりする。最後のシーンでは最後の放送中に警察に取り押さえられ、プラグを抜かれて声が届かなくなる。

今の時代でいうなら、匿名でブログを書いているようなものだ。この男の子が主人公でいられたのは、ラジオの放送システムを構築できる技術をもっていることからくる優位性であり、彼だけは匿名という立場で、自分の意見を発信できた。攻撃されない立場からの、無責任は意見発信。きらくなものだ。現在のインターネットの匿名でないと言葉も語れない連中の憧れはこのあたりから始まっているのだろう。
話はそれるが、今のインターネットの書き込みを全部実名登録にしてくれたら、どれだけネットは浄化させるだろとつくづく感じる。
ゆえに、どうも私はこの映画のスタンスをそれほど肯定的に見られないので、台詞勝負の話ではあるがそれほど感動を覚えたというわけではない。

しかし、だからといって面白くないというわけではない。どうしても子供の頃というのは、大人の社会に対し反骨精神を持っていたいとおもうものだ。そしてそれが出来ていると、自分に自身ができたように勘違いも出来る。60年代にはやった学生運動もそんな精神状態からの暴走だったのだろう。それから30年して、大人の社会に反抗する子供のあり方はこのような形に変わったのだ。そしていまは、ブログという文化になり、ソーシャルネットワークとなって発展してきている。この映画も、パーソナルなラジオ放送という形で自己の情報発信するが最後は警察に取り押さえられて終了。しかし、同じような試みをする人たちがアメリカ各地にひろがってき、個人の意見をみんなに広げる欲求の輪がひろがっていくという形で終わる。
ブログをやり始めてみたらおもしろかったのでやり始めた・・みたいなものだ。

なんだか、こんなことを考えて書いてるとおかしくなる。子供の頃、夏休みの宿題で日記をつけるというのがあったが、人には絶対みられたくなかったものだ。それが観られることは自分の恥を全部さらすようなと思えるくらい屈辱的なことだったはずなのに、時代が変わると当たり前のようにみんながブログを書き、自分の日常を世間に提示していくようになっている。誰にも見てもらえない日記ほどつまらないものはない・・ってことなのだろうか。そう、書く以上は誰かに知ってほしいのである。それが自己顕示欲であり、自分の存在価値の提示でもあるからだろう。

<あらすじ>
アリゾナ郊外のハンフリー高校の生徒たちは、夜中の10時からラジオから流れてくる海賊放送を楽しみにしていた。どうもその放送はハンフリー高校の生徒が流しているらしい。彼のトークは、今の生活に納得がいかないが、為す術を持たない生徒たちの気持ちを代弁していた。そして教師の不正を放送で暴露し、学生たちのカリスマ的存在になっていく。
その放送をしているのはマーク・ハンター(クリスチャン・スレイター)。学校の理事の息子で、普段は無口な優等生だが、マイクの前では雄弁になる。その教師の不正をあばけたのも、父の持つ資料を見ることが出来たからだ。
ある日、自殺予告の手紙が配達され、マークは番組の中で彼と電話で話す。しかしジョークで励ますうちに電話は切られ、翌日、英語教師ジャン(エレン・グリーン)は彼が自殺した事を伝えた。彼は電波に乗せた言葉の重さと責任感を感じ始め放送をやめる決意をする。

その後は、彼の熱烈なファンのノーラ(サマンサ・マシス)がついに彼の正体をみつけだし、一緒に協力してくれるようになる。しかし警察も違法放送を取り締まるべく出動、マークとノーランは送信機を車につんで警察と教師たちを翻弄しながら最後の放送をはじめる。

by ssm2438 | 2011-06-18 08:53
2011年 06月 17日

トーク・レディオ(1988) ☆☆☆

f0009381_8483178.jpg監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン
脚色:エリック・ボゴシアン
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:スチュワート・コープランド

出演:エリック・ボゴシアン (バリー・シャンプレーン)

       *        *        *

言葉を武器にする人の、言葉を武器にする人による、言葉を武器にする人のための映画

ディベートの国=アメリカらしく、言葉による議論をリスナーと非妥協的に展開するラジオDJ。それがこのものガタリの主人公。いかに相手の意見の偽善をあばき、それを端的な言葉にし、自分の主張を視聴者に納得させるか。言語能力バトル。日本人的な遠慮とか配慮なんてものは存在しないがちがちのディベート合戦、それをラジオでやっているのがこの映画。
物語構成的には、自分のスタイルをもっていたラジオDJが、そのスタイルを貫くあまり、そのスタイルのほうが自分を支配し、最後は殺されちゃうという話。自己のスタイルが、自分のパッケージになり、パッケージが肥大化し、自分が追いつかなくなる。『ゴッドファーザー』のシリーズににてるかもとか思った。あれも、自分の身近な人を守りたいって思ってたところから組織が肥大化していき、マイケルの時代には組織に自分を合わせなければいけなくなり、いつのまにか、愛されていない自分になっている・・という流れ。

このころラジオのDJものが他にも何本かあった。クリスチャン・スレーター『今夜はトーク・ハード』ドリー・パートン『ストレート・トーク』、そしてこのオリヴァー・ストーンの『トーク・レディオ』。個人的には言葉だけで物語と構築するのでこの手の映画はけっこう好きで、この3本は全部みた。でも他にもあるかもしれないけど。一番ダークなのがこの『トーク・レディオ』。良くも悪くも、観心地がよかろうが悪かろうが、実にオリヴァー・ストーンの映画だった。
そしてこれはオリヴァー・ストーンの自分の立場の肯定でもあるのだろう。シナリオライターから映画監督になった人の自己肯定。映像にたよならい、言葉で説明する、言葉でみせる、言葉で戦う映画作り。オリヴァー・ストーンの映画にはいつもそれを感じる。

しかし、どこをとってもオリヴァー・ストーンという印象をうけるこの映画だが、実は原作者であるエリック・ボゴシアン本人が脚色し、主演しているという、ボゴシアン自身の映画でもある。クレジットをみると脚色とうところに彼の名前があるとくことは、彼の原作をもとにオリヴァー・ストーンがシナリオを書いて、それをボゴシアン本人が書き直したり、本番中にアドリブを入れたということなのだろう。
映画の印象だけだとかなり自己の主張をてんかいするようにみえるオリヴァー・ストーンだが、実は問題の提示者をかなり立てて映画にしている。『7月4日に生まれて』ロン・コヴィックや、『JFK』ジム・ギャリソン(実はジム・ギャリソン自身が『JFK』の原案である)。
・・・でも、出来上がったものはいつもオリヴァー・ストーンの印象なのだけどね・・。

<あらすじ>
リスナーからかかってくる電話をに、自身の意見を毒舌で切り返すラジオDJのバリー・シャンプレーン(エリック・ボゴジアン)。彼の言葉は社会の矛盾や個人の偽善などを辛らつに暴き出す。しかしその一方では、聴取者を罵倒し言いたい放題の彼を憎む者も多く、電話で脅迫されたり、ユダヤ人を擁護するバリーに対するネオ・ナチ・グループの嫌がらせなどもあととたたない。
自分のスタイルに非妥協的なバリーの放送はますますヒステリックになってゆき、声をからして真実を聴取者に訴えるバリーの迫力に、局のスタッフも息をのみ、全国ネットの契約も正式に交わされた。しかしその夜、放送を終えて表に出たバリーは、何者かによって射殺される。。

--この映画をみて思い出されるのがリチャード・バック『イリュージョン』という本。このなかでやっぱり主人公がおひとりがこの映画の主人公のごとく、ラジオで毒舌をはきまくる。その結果、その地域の人の反感をかい、それがこじれて最後は撃たれて死んじゃうのだけど、その小説の具現化されたものとして、私のなかでみょうに印象にのこっている映画だ。

by ssm2438 | 2011-06-17 08:57
2011年 06月 16日

JFK(1991) ☆☆☆☆

f0009381_123817.jpg監督:オリヴァー・ストーン
脚本:オリヴァー・ストーン/ザカリー・スクラー
原案:ジム・キャンベル
撮影:ロバート・リチャードソン
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ケヴィン・コスナー (ジム・キャンベル検事)

       *        *        *

こいつが犯人だ!と言い切るオリヴァー・ストーンの潔さが素敵。

ケネディ大統領が暗殺されたのは私が生まれた翌年、1963年のことだ。リー・ハーヴィー・オズワルドという男が犯人として逮捕されたが、事件の2日後、移送途中にダラス市警本部の地下通路でジャック・ルビー(本名:ジャック・ルーベンシュタイン)に射殺された。ケネディ大統領が頭部を打たれたときの映像をみると、前方から狙撃されたように見えるが、オズワルドがいた場所は、大統領ののった車の後方の建物でだった。
はたして誰が、何の目的で大統領を暗殺し、オズワルドに罪をなすりつけたのか? その後各方面の隠ぺい工作も行われ真実が見えないまま現状に至っているわけだ。
そんな事件をオリヴァー・ストーンが自分なりに解釈し、その思想を世間に提示したのがこの映画だといる。

ケネディ大統領暗殺計画の主犯は誰かという疑問に対して現在2つの説がある。

サム・ジアンカーナを中心としたマフィア主犯説。
サム・ジアンカーナは、ケネディ家と古くから深いつながりを持っており、ケネディの当選の陰の功労者であることが明らかになっている。
だけでなく、暗殺の黒幕の一人とも言われている。しかし、ケネディ政権が弟のロバート・ケネディを中心にしてマフィアに対する壊滅作戦を進めたことを「裏切り」と受け取ったジアンカーナらを中心としたマフィアが、「裏切り」への報復と壊滅作戦の停止を目論んで行ったとするもの

◆軍産複合体の意を受けた政府主犯説
ケネディはその大統領就任中に、ベトナム戦争からの早期撤退を計画したが、急進的なベトナム戦争撤退の方針が産軍複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという一説がある。

この映画ではあ、後者にほう。そしてこの映画のきもちのいいところは、軍事産業にからんでいた実業家のクレー・ショーが主犯であるといいきってしまう気持ちよさであろう。

主人公はニューオリンズ州の地方検事ジム・ギャリソン、当時飛ぶ取り落とす勢いだったケヴィン・コスナーが演じた(まだ髪もあった)。好感度ナンバーワンの俳優を主人公に据えるのも、自分の解釈を世間に受け入れ安くするひとつの重要な手段だったろう。この映画は、この問題に取り組むギャリソン検事と、その家庭事情を描きつつ物語は展開していく。
オリヴァー・ストーンだけにとにかく情報量がおおい脚本になっていて、それが延々3時間ちかくつづく。かなりしんどい。この人も映画はとにかく観客に情報を与えることがすべてて、彼らにそれを浸透させ、理解してもらう時間をなかなか与えない。観ている人の脳を一休みさせたり、しばし高揚感にひたらせるような気持ちの緩みをいれるともうすこし観やすくなるのだが・・・・。
先ごろ公開された『ソーシャルネットワーク』の脚本家、アーロン・ソーキンもこの手の脚本を書く人。政治的知識をベースに脚本を書く人というのは、どうしてもこの手に方向性におちいりやすい。映画作りの手法としてはあまり上手いとはいえないが、それでも怒涛のように与えられる情報はとても見ごたえがあり、見終わった後どどどどどと疲れを感じる。観るのに体力の要る映画である。
個人的には、ありきたりの「アメリカのお父さんはこうあるべき」シーンを削ってもらえるともっとコンパクトにまとまったのではないかとおもった。ま、それをやっちゃうと、この映画はほんとに事件解明物だけになってしまい、個人の意見を押し付けるだけの映画になるのが嫌だったのだろうが、でも、オリヴァー・ストーンの映画ってのはだいたいいつもそうなのだからいまさら・・ってきもした。

<あらすじ>
第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺され、犯人としてオズワルド(ゲイリー・オールドマン)が逮捕された。しかしそのオズワルドもマフィアの関係者によって移送中に射殺される。ジム・ギャリソン地方検事(ケヴィン・コスナー)は一連の経過に疑問を抱きはじめる。
副大統領だったリンドン・ジョンソンが第36代の大統領となる。その背景で、ケネディがあのまま大統領を続けていれば撤退していたはずのヴェトナム戦争はますます泥沼化していた。ギャリソンは身近なスタッフと共に捜査を開始する。捜査が真相に近づくにつれギャリソンはマスコミの攻撃や政府からの脅しを受け、妻(シシー・スペイセク)や子供たちとの私生活も危機に見舞われる。
やがてギャリソンは、軍の極秘任務によりキューバ侵攻のゲリラ作戦を進めていた元FBI捜査官ガイ・バニスターやデヴィッド・フェリーらが暗殺を図ったことと、首謀者は実業家として知られるクレー・ショー(トミー・リー・ジョーンズ)であることを突き止めた。
この事件は軍やFBIや CIAをも巻き込んだクーデターであることを知らされ、遂にクレー・ショーを暗殺の共謀罪で告訴する。だがクレー・ショーは無罪に終わった。全ての真相が明らかになるには、オズワルドやジャック・ルビーについての非公開の極秘報告書が公表される2039年まで待たなければならない。

by ssm2438 | 2011-06-16 12:02
2011年 06月 16日

赤ひげ(1965) ☆☆☆☆☆

f0009381_6271015.jpg監督:黒澤明
脚本:井手雅人
    小国英雄
    菊島隆三
    黒澤明
撮影:中井朝一
    斎藤孝雄
美術:村木与四郎
音楽:佐藤勝

出演:三船敏郎
    加山雄三

        *        *        *

黒澤明の映画というのはきわめて記号主義的映画である。そこに登場する人物というのは何かを象徴する記号でしかない。強い人はこのように描く。臆病な人はこのように描く。悔しい時にはこのように描く・・など、すべてが記号として処理さている。これは図式的に分り易いという利点もあるが、所詮は記号なので感情移入ができなくなる。なので出来上がって映画で本当に感動するということはない。素直な人は即効で「つまらない」と言えるだろうが、人間大人になってくると心ではなく頭でものを考えだす生き物であり、ほとんどの人は頭の中では、“ここは感動すべきところなのかな”と考え、感動したのだと自己暗示をかけることになる。特に自分に自信がない人は「黒澤映画はすばらしい」と世間が評せば、“そうなのかな・・”って思えるかもしれないが、実際誰もが心のなかでは「つなんないなあ~」って感じているのだ。
とりあえず、黒澤映画を見るときは、そのことを前提にして見ていこう。

そういうわけで、心の目でみるとつまんない黒澤映画であるが、さすがに様式美の引き出しとしてみると実にバラエティに富んでいて勉強になる。この映画もオムニバス形式の話なのでストーリーもの映画として面白いかといえば面白くはない。・・が、記号的な芝居づけと、画面構成は素晴らしい。とくにダイナミックな望遠画面は<強い絵>を具現化している。世間には<上手い絵>とか<繊細な絵>とかいろいろあるが<強い絵>というのが『赤ひげ』にもっとも適した表現だと思う。特におとよと佐八の階段での別れのシーンは日本映画史上にのこる名シーンだろう。
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by ssm2438 | 2011-06-16 06:27 | 黒澤 明(1910)
2011年 06月 14日

ブラッドレイン(2005) ☆

f0009381_134529.jpg監督:ウーヴェ・ボル
脚本:グィネヴィア・ターナー
撮影:マティアス・ニューマン
音楽:ヘニング・ローナー

出演:クリスタナ・ローケン (レイン)

       *        *        *

この人、ポルノチックなアクション・ヒロインに徹すれば良いのに・・・。

<あらすじ>
18世紀のルーマニア。レイン(クリスタナ・ローケン)は人間とヴァンパイアのハーフだった。ある晩、レイプされようとした時、眠っていた本能が覚醒森の中へ逃走する。一方、ヴァンパイアと闘う「業火の会」は彼女を追う。
レインは占い師に、父親は最強のヴァンパイアと恐れられているケイガン(ベン・キングスレー)であること、そしてケイガンが母親を殺したことを教えられる。レインは、母親の仇をとるためケイガンへの復讐を決意する。

ま、話はどうでもいいです。見るべきポイントは『ターミネーター3』のクリスタナ・ローケン主演のバンパイアものというだけ。まあ、バンパイアものなのでゲイにはうけるかもしれないが、私は正直まったくつまんない時間を過ごさせもらいました。ただ、クリスタナ・ローケンのビジュアルは見たいとおもう。顔の作りがびっぴんさんではないのだけど、でも、この人の身体がうねっているところはやっぱり見たい。若さは貴重なので、とにかく若いうちに『バーバレラ』みたいなサービス精神旺盛なアクションものを撮って欲しい。こんな映画ばかり出てたらみていてもったいなさ過ぎる。

そうはいってもこの映画は絵作り的にはかなりスタンダード。ありきたりな描写がおおいけど、絵作りはしっかりしてる。

by ssm2438 | 2011-06-14 20:53