西澤 晋 の 映画日記

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2011年 06月 14日

ブラッドレインⅡ(2007) ☆

f0009381_131391.jpg監督:ウーヴェ・ボル
脚本:クリストファー・ドナルドソン/ニール・エヴリ
撮影:マティアス・ニューマン
音楽:ジェシカ・デ・ローイ

出演:
ナターシャ・マルテ (レイン)
マイケル・パレ (パット・ガレット)
ザック・ウォ^-ド (ビリー・ザ・キッド)

       *        *        *

この監督さんが西部劇を好きなことは分りますが・・・、ついでにこの映画は面白くないことも良く分ります。。


西部劇のもったいぶらせモードはひたすら伝わってくるのですが、正直みててたいくつ。もっとしゃきしゃき進めてほしいのだけど。

前回のルーマニアから舞台はアメリカの西部。実在の人物ビリー・ザ・キッドがヴァンパイアであったという設定。前回レインを演じたクリスタナ・ローケンに変わって今回はナターシャ・テルマがレイン。まあ、ところも変わるし品もかってるので誰が誰でもいんだけど・・、ナターシャ・テルマは主役の顔じゃないとおもう。この人はどうしても適役のお姉ーちゃんキャラをやってたつひとだ。。

今回ちょっとびくりしたのは『ストリート・オブ・ファイヤー』『MOON44』マイケル・パレがなんだか貫禄がついてきてた(苦笑)。昔は細かったのに、なんだかオヤジになってしまったなという印象でした。

男が男にだきついて首にキスするシーンを見てときめく人だけみればいい映画。

by ssm2438 | 2011-06-14 19:40
2011年 06月 14日

クロエ(2009) ☆☆☆☆

f0009381_1442637.jpg監督:アトム・エゴヤン
脚本:エリン・クレシダ・ウィルソン
オリジナル脚本:アンヌ・フォンテーヌ
撮影:ポール・サロッシー
音楽:マイケル・ダナ

出演:
ジュリアン・ムーア (キャサリン・スチュアート)
アマンダ・セイフライド (クロエ)

       *        *        *

エゴヤンのわりには面白いぞ!

『スウィート・ヒアアフター』でガツンなインパクトを与えてくれたアトム・エゴヤンなれど、その後、その前の作品はあまりぱっとせず困ったもんだとおもっていて、そんな時代が長く続いたものだから今回もあんまり期待してなかったら・・・・、いやいや、面白かった。
アトム・エゴヤンが、とにかく若ティーンの女の子に愛されたい人で、彼のとっている映画はまったく一つのコンセプトで出来上がっているといっていい。それは

「不誠実な私でも、ひたすら愛してくれるような女の子がいたらいいなあ・・・」

このありえない、もてない男のドリームを映像化しているのがアトム・エロオヤジ・エゴヤンだといっていいだろう。しかし今回の物語はちょっとひねりをきかせてある。いつものことだから、てっきり主人公がリーアム・ニーソンだとおもったらぜんぜん違った。そっちはただの刺身のつまみで、エゴヤンが自分を投影しているのはなんとジュリアン・ムーアであった。女性に自分を投影しているところで、いつものオヤジ的ないやらしさがやや緩和されている気がした。
しかしジュリアン・すでに妖怪・ムーアの肌のしみはひどくほとんどヌードなんかになれたものではない。顔もかなり妖怪化がすすんでいる。『ハンニバル』のときはよかったけど、ここまでくると人目で抱きたいと思えない風貌になってきている。そういう意味ではなかり哀しい女優さんになってきているのだが、劇中でもかなり哀しい人妻を演じている。

この映画のジュリアン・ムーアのメンタリティはほとんど『ベニスに死す』の主人公だろう。ビヨルン・アンデエルセンを求める自分の老いに嫌悪感を感じるダーク・ボガード。その感情がそのまま今回の映画のジュリアンムーアに移植されているといっていいだろう。しかし、『ベニスに死す』のビヨルン少年は決して手の届かないただの憧れだったのにたいして、この『クロエ』ではなんと、その美しい対象が自分をひたすらにもとめてくれてるのである。おおおおおおおおお、これこそまさにアトム・エゴヤニズム!!! さらにいつもの「自分は不誠実でも・・」の要素もいっぱい詰め込まれている。

物語の中では夫の浮気を感じたジュリアン・ムーア演じるアトム・エゴヤンが、娼婦クロエをやとって旦那を誘惑してもらうい、その真意を確かめるというところから始まる。しかし、クロエはどういうわけか、自分のことを気に入っているらしい。それはのちのちひたすら求め続けられる陶酔として描かれていく。一応映画のなかでは「恐怖」という風に描かれているが、そんなのこエゴヤンのテレ隠しでしかなく、エゴヤンにとってはこれこそが至福の時なのだろう。

あいかわらずキモいぞアトム・エゴヤン。

<あらすじ>
大学で教壇に立つ夫のサプライズパーティを予定していたキャサリン(ジュリアン・ムーア)だが、その夜夫は予定の飛行機に乗りおくれパーティは主役不在のシラケ解散。朝起きてみるとすでに夫は出かける支度をしている。ふとしたきっかけで夫の携帯をみるとそこには女子大生と一緒にとった写真がある。そんなことから夫の愛に疑問をもったキャサリンは、自分の仕事場の近くの高級ホテルでみかける娼婦クロエ(アマンダ・セイフリッド)にある依頼をする。それは夫を誘惑して、その反応を報告してほしいというもの。
クロエから報告される内容は、普通の男性の反応だった。綺麗な女の子にもとめられると拒めない男の性。その報告を聞きながら少なからず体にうずきを感じるキャサリン。しかし、キャサリン年老いた肌はしみにおおわれ、男に求められない対象になっていることを実感させられるキャサリン。そんなキャサリンにもやさしいクロエは、キャサリンおもやさしく包み込んでいく。クロエの愛撫に体を委ねるキャサリン。
しかしクロエの報告はなにもかにも嘘だった。夫はクロエという女などまったくしらないし、今まで浮気などしたことがないという言葉も真実だった。自分だけが疑心暗鬼からどうかしていたと悟ったキャサリンは、翌日クロエに手切れ金を渡して追い返す。求めるのを辞められないクロエはキャサリンの息子をに接触を試みる。キャサリンの家を訪ねたクロエは彼女の寝室で息子に抱かれる。セックスの最中もみつめているのはキャサリンの服やハイヒール。
そんなときにキャサリンが返って来た・・・・。

しかし、最後のあの髪留めは・・・、不誠実だったけど、やっぱり私もあなたを愛していたのよ・・・の証なのだろう。映画のネタは変われど、やってること『スウィート・ヒアアフター』とまったく同じなのでした。

今、もっともロリーなアイドルといえばこの人、アマンダ・セイフリッド(↓)
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by ssm2438 | 2011-06-14 09:37
2011年 06月 13日

U.M.A レイク・プラシッド(1999) ☆

f0009381_747765.jpg監督:スティーヴ・マイナー
脚本:デイビッド・E・ケリー
撮影:ダリン・オカダ
音楽:ジョン・オットマン

出演:
ビル・プルマン (ジャック・ウェルズ)
ブリジット・フォンダ (ケリー・スコット)
オリヴァー・プラット (ヘクター・サイア)
ブレンダン・グリーソン (ハンク・キーオ)
ベティ・ホワイト (ビッカーマン夫人)

       *        *        *

私にチンチンがあれば舐めさせてあげるわ!

テレビシリーズでは才能を発揮するデヴィッド・E・ケリーなれど、映画の脚本を描かせるとまるでダメ。一言でいって、『アリー my love』からロマンスをとって、舞台は湖に移動し、張りぼてのワニでジョーズをやってるような映画。デヴィッド・E・ケリーの才能というのは、コケティシュかな会話劇のなかで発揮させるものなのだが、今回の映画ではアニマルパニックものという食い合わせの悪い舞台でそれをやっているのでどうにも合わない。彼のつくりだす会話の楽しさが、アニマルパニックものの、緊張感を台無しにしているのである。というか、アニマルパニックものというシチュエーションが、デヴィッド・E・ケリーの会話劇を台無しにしているというほうが正しいかもしれない。もうこうなるとクリエイターの問題を通り越して製作者の問題だろう。どういう意図でこういう人事と物語にしたのか理解に苦しむ。

主演はビル・プルマン。私の中ではこの人のイメージは『スペースボール』のローン・スターになっているので、まったく緊張感がない。きっとどこまでいってもコメディなのだろうって思ってしまうので、アニマルパニック物にはは合わない。相手役の女性はブリジット・フォンダ。これまたビジュアル的にアウトブ眼中の人なので画面をみててもときめかない。こまった配役である。

この物語が、他の動物パニックものと違うところといったら、ビッカーマン夫人のキャラクターだろう。世間のことは何にも考えてない良心のおばちゃんで、湖でワニを餌付けしてる。どういう展開なのだかしかり覚えていないのだが、そのワニが赤ちゃんの頃から餌を与え続けていて、最近では巨大化したので牛を餌にあたえるようになっているという突拍子もない設定。おのおばちゃんの言い分は誰にも迷惑かけるわけじゃ無し、ここにすまわせといてあげればういいじゃない!という。それでも映画のなかではダイバーが食い殺されているのだがそういうわけにもいかないのだけど・・・。

<あらすじ>
奥深い森の中の湖で、ダイバーが謎の生物に下半身を食いちぎられて死亡する事件がおきた。現地の狩猟管理官ジャック(ビル・プルマン)と、ニューヨークからやってきた古生物学 者ケリー(ブリジット・フォンダ )は調査を開始、ワニ博士のヘクター・サイア(オリヴァー・プラット)も合流、いよいよなぞの巨大生物の追跡がはじまる。けっきょくのところ、それは体調10メートルのワニなのだが、そのワニに赤ちゃんのときから餌をあたえているというビッカーマン夫人(ベティ・ホワイト)を発見。聞けばこの人はかわりもの。つりにでかけた旦那が返って来るとボートについてきたワニがいた。で、それからといういもの餌をあげるようになった。で釣りに出かけ、返って来るとから還ってくると赤ちゃんのワニをみつけて最初は鶏肉のようなものでもあげてたのだろう。そのうちに巨大化し、いまでは牛一頭与えるようになってたという。牛をうんしょうんしょと湖畔に誘導すると湖からでっかいワニが出てきてぱくりと食べてしまう。このえんのCGはかなりしっかり出来ている。
このおばちゃんに言わせるとあのワニはペットだという。そして冒頭の発言・・

「わたしにチンチンがあれば舐めさせてあげるわ」

--いかす台詞だ!!

当の本人は、自分が食べられる可能性など信じていないからいたってあっけらかんとしてる。このあたりはデヴィッド・E・ケリーの脚本のたのしさであり、アニマルパニック物とは相容れない様相でもある。
首がとばされた部下の死をいたむ地元の保安官にオリヴァー・プラットが子供の頃の夢の話をするのもおもしろい。その夢の中の彼は、頭がなくって、あちこちぶつかりながら歩いている。頭はというと子供たちがサッカーボールにしてる。彼はそれでサッカーに参加が出来て喜んでいる・・というなんとも物悲しい語りである(苦笑)。こいうペーソスの入れ方も実にデヴィッド・E・ケリーである。

最後はワニおちゃちゃんが飼っている牛を没収。ヘリからつるして水面でばちゃばちゃさせておとりに使い、捕獲しようというもの。ワニが牛にきづいて迫ってくると徐々に岸へ移動させていくのだが、「様子はどうだ?」ってきかれたオリヴァー・プラットが「牛が必死で飛ぼうとしている」っていうのがおかしい。こういう楽しい会話がほんとに超一流なのだが、いかんせん作品のもっておりそれぞれの特徴が、お互いを相殺する関係にあって、見る気が遠のいていく。

一件落着して最後は、湖畔の桟橋であしを水面にたらしてちゃぷちゃくしながら湖に小さな肉片をまくビッカーマン夫人。食われるぞ食われうぞとどきどきしてみていると足元に小さなワニの赤ちゃんがおたまじゃくしにようによってきてその餌を食べている。「私の足をかじってもいいのよ」と楽しそうに餌をあたえるビッカーマン夫人の幸せそうな描写で物語りはおわるのだった(笑)。

by ssm2438 | 2011-06-13 21:26
2011年 06月 13日

U.M.A レイク・プラシッド2(2007) ☆

f0009381_10262889.jpg監督:デヴィッド・フローレス
脚本:トッド・ハーヴィッツ/ハウイー・ミラー
撮影:ロレンツォ・セナトーレ
音楽:ネイサン・ファースト

出演:
ジョン・シュナイダー (保安官ジェームス・ライリ-)
サラ・ラフルール (エミリー・ウォーナー)
チャド・コリンズ (スコット・ライリー)
アリシア・ジーグラー (ケリー)

       *        *        *

CGしょぼ過ぎ!!!

先の『U.M.A. レイクプラシッド』から発展した物語なれどドラマ的には格段におちている。CGのしょぼさは常識外だが、前後のカットつながり(時間的空間的継続性やワニのサイズ)もめちゃくちゃいい加減なので素人ぽさ前回である。前回が☆1つの上だとすると、これは☆1つの下である。
先の『U.M..A レイクプラシッド』は、演出はしょぼくてぬぼ~~と浮いてるワニのハリボテはしょぼくもても、ワニのCGなんかはかなりしっかり出来ていた。それが今回はもうすべてがいい加減なので見るに耐えない。
物語は『13日の金曜日』モードになっており、やたらと水いちゃいちゃしてるカップルがワニに食われるというもの。おかげでおっぱいはけこう見られるのだがそれだけだという哀しい映画。どうせ食べられちゃう女の子たちも、もうちょっと感情移入するエピソードを作ってあげてればいいのに、ただおっぱいだいてそのあと食べられちゃうだけという悲惨な扱い。

しいてうれしいところをあげれば、主人公の保安官を補佐するサラ・ラフルール演じるエミリー・ウォーナー巡査がなかなか男勝りの行動力でうれしい。最初の犠牲者がでた湖面にボートをだして、その付近につくとなんともサービス精神旺盛で、制服を脱ぎだし、黒のブラとパンティだけで湖に飛び込むというごちそうさまカットがある。でも、この人はおっぱい提供部隊ではないらしく最後までみせてはくれなかった。
もうひとり、主人公の息子の彼女役をやってたアリシア・ジーグラー、彼女もなかなか良かった。今後の成長に期待したい。

<あらすじ>
釣り人や、湖畔に遊びに来た若者がワニに襲われる事件が続発。その調査にのりだしたライリー保安官とエミリー巡査。ワニ退治の専門家も登場捕鯨用の銛をつけたボートも登場。一方ライリー保安官の息子のスコットはワニの巣をみつけるがワニに襲われ木の上で一夜をあかす。そこにライリーとエミリーたちがかけつけ最終決戦。しょぼい。。。

by ssm2438 | 2011-06-13 21:25
2011年 06月 13日

U.M.A レイク・プラシッド3(2010) ☆☆

f0009381_2195057.jpg監督:G・E・ファースト
脚本:デヴィッド・リード
撮影:アントン・バカースキー
音楽:ネイサン・ファースト

出演:
ロクサーヌ・パレット (オッパイ提供部隊ワニの餌1号)
コリン・ファーガソン (ネイサン・ビッカーマン)
カースティ・ミッチェル (スーザン・ビッカーマン)
ヤンシー・バトラー (ワニハンター・リーバ)
マイケル・アイアンサイド (トニー・ウィリンガー保安官)
ケイシー・バーンフィールド (エリー)

       *        *        *

不覚・・・・・、この映画を愉しんで見てしまった(苦笑)。

一作目でワニに餌付けをしていたビッカーマン夫人、2作目はその姉、そして今回は甥が、妻と息子を連れて湖畔の家に住むことになる。ワニを餌付けしたい魂は受け継がれるのか、その息子がやっぱりワニに興味をしめし、岸辺にちょろちょろいるワニに餌付けをはじめる。それから2年後の話。

演出的には完全に正統アニマルパニック映画です。第一作目のコメディパッケージとは全然別。でもCGはしょぼいけど。使えるところは着包みのほうがいいのに。どうしてもライティングとはあわせづらいものがあって、それが合わないまま使ってるから興冷めするこころがある。ま、これは2作目からのショボイCGでも我慢してみようという、見る側と、製作者との暗黙の了解みたいなものです。
しかし、今回はそれなりにCGとの合成をきちんとやろうとしてるのです。作り手が、まがりなりにも頑張ってるのです。CGで売ろうしてるのではなく、きちんと演出で見せようとしているのです。なのでついつい愛してしまう(笑)。

その作り手の心意気もすばらしいのですが、登場するお姉ーちゃん方がみなさん良い。
冒頭でオッパイ提供部隊1号のロクサーヌ・パレット。スレンダーな美人といいというわけではないのだけど、彼女のムチムチ感はとってもよいのです。それに笑顔が可愛いくとても健康的。彼女が岸から湖へ引き込まれるシーンは、裸で足から引き込まれちゃうんだけど、かなりどろどろした土の上を引きずられていくので、性器にドロがはいちゃんじゃないかと心配しちゃいました(笑)。
そしてケイシー・バーンフィールド。この娘はオッパイ提供してくれなかったのですが、でも、綺麗。乳房も豊満。ただ、こちらのひとはいろいろ改造手術をうけている気がして個人的にはそれほど燃えなかったけど。

他にも何人かワニさんがお持ち帰りするトラッシーな女優さん方もいるのですが、平均的にレベル高いです。あと今回のワニハンターはヤンシー・バトラー。ワニと戦う美しき人妻がカースティ・ミッチェル。お金がないなか、女優陣はかなり頑張ってあつめられてます。一番メジャーな役者さんといえば『トータル・リコール』などのポール・バーホーベンもので有名な悪役のマイケル・アイアンサイド。今回はやたらと太っていたので最初わからなかった。ほとんどロバート・デュバルかと思ったよ(苦笑)。。

ロクサーヌ・パレット
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本編中に提供されたオッパイはこちら
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by ssm2438 | 2011-06-13 21:10
2011年 06月 10日

ラストコンサート(1976) ☆☆

f0009381_014572.jpg監督:ルイジ・コッツィ
脚本:ルイジ・コッツィ
    ミケーレ・デレ・アイエ
    ダニエレ・デル・ジュディチェ
    ソニア・モルテーニ
撮影:ロベルト・デットーレ・ピアッツォーリ
音楽:ステルヴィオ・チプリアーニ

出演:
パメラ・ヴィロレッジ (ステラ)
リチャード・ジョンソン (リチャード)

       *        *        *

ベタな作りだが、「ベタな作りでなぜ悪い!?」といってしまえるよういな映画。

でも、シナリオは弱いな。物語のスタンダードをやってるだけの映画なのだが、その変哲も無いベタさこそがこの映画の素敵なところだろう。ベタでも、嫌いになれない映画というのはこういう映画のことを言うのだろう。

物語は『スウィート・ノベンバー』と同じで、不治の病の女の子が、死ぬ前に自分の存在を実感したいと思い、男性に対してちょっとアクティブに行動してみて、不遇のその男が彼女の存在のおかげで人間性・活力をとりもどす・・という話のひとつ。シャーリス・セロンは好きなのだが、ドラマ的にはこちらの『ラストコンサート』のほうがベタ過ぎていいかな。こういうつくりは物語りはあまり奇をてらわず、シンプルな話を心情描写と音楽と美しい画面だけで語って欲しいものだとおもう。あれがちょっとごちゃごちゃしすぎた。
そ、エイドリアン・ラインに撮らせればいいんだ!

しかあ~~~しこの映画、肝心の音楽が弱い。弱すぎる!!
これがフランシス・レイとか、ニーノ・ロータとか、ビージーズでも、サイモンとガーファンクルでもいいけど、「これが映画音楽だ!」ってメインテーマがあれば文句なしに心の残る映画になってただろうに・・、あまりに音楽が弱すぎる。

主演のパメラ・ヴィロレッジもめちゃめちゃかわいいというわけではない。しかし、このチラシ(→)のこのシーンのこの横顔のアップだけはめちゃめちゃ可憐で素敵だ。しかし、観る人はこの絵をみて「もしかしたら感動できるかも・・」って思うわけで、このキービジュアルを世間に残せたことだけで、この映画の存在感はある。

<あらすじ>
仕事のない音楽家のリチャード(リチャード・ジョンソン)はモン・サンミッシェルの病院に手の怪我を見てもらいに行った。診療室から出てきた患者はそんなリチャードに話しかけてきた。ぶすっとしたリチャードに「すこしは笑顔をみせたら?減るもんじゃないわよ」と言い残してさっていく彼女。「診察室に入ると医者がの女の子の病状を語り始める。リチャードがあの前の患者の父親と勘違いしたらしい。医者は「彼女は白血病で余命3ヶ月くらいだ」という。それが二人の出会いだった。

--正直なところかなり強引な「入り」だった。全体的にシナリオに深みが感じられない。このシーンだって前もって腕を怪我するシーンくらい入れとけばいいのに・・・。ストーリーに説明のため必要な要素だけで構成されるとご都合主義というか、手抜きというか、素人っぽさを感じてしまう。物語に必要な要素を、なじむように、わざとらしくないかたちで提供してほしいものである(苦笑)。

以下はリチャードとその娘のロードムービー。彼女(パメラ・ヴィロレッジ)はステラといい、愛人と共に出奔した父を探しているのだという。無邪気にふるまうステラにリチャードもすこしづつ心をほぐされていく・・という話。バーでピアノを弾いてドサ回りををしている彼果てたピアニストが、彼女の存在で仕事がもらえそうになるのを皮切りに、ホテルに泊まろうとすると部屋がひとつしかなくって結局一つのベッドに境界線をつくって寝るとか、たずねていった父親の家は留守で、そこにはピアノがありリチャードがピアノを弾くシーンをきちんといれこんでいるとか、今はパリにいrという父親に会いに行くが、子供と平穏に過ごしている姿を窓からそっとみただけで還っていくステラをそっとみまもっているリチャードとか・、きわめてありきたりのスタンダードなコースが続く。
しかし病魔は確実に彼女の生命を奪っていく。リチャードが彼女をおもって作った曲が演奏されているなか、彼女はステージサイドで息をひきとっていった。。。。

by ssm2438 | 2011-06-10 00:07
2011年 06月 08日

麻雀放浪記(1984) ☆☆☆☆

f0009381_2052489.jpg監督:和田誠
原作:阿佐田哲也(『麻雀放浪記』)
脚本:和田誠/澤井信一郎
撮影:安藤庄平
音楽プロデューサー:高桑忠男/石川光

出演:
真田広之 (哲)
鹿賀丈史 (ドサ健)
高品格 (出目徳)
大竹しのぶ (まゆみ)
加賀まりこ (ママ)
名古屋章 (上州虎)

       *        *        *

アクションをしない真田広之もなかなかいい。

真田広之の映画のなかで一番面白いのは、もしかしたらこの映画かもしれない。戦後まもない上野のドヤ街を舞台に、賭博にあけくれた人々の生態を描いた映画。どこやらの権利書やどこやらの女の所有権はくるくる回る。
映画が制作されたのは1980年代なのだが、白黒映画である。監督もこれが初監督となった和田誠。イラストレーターであり、エッセイストであり、絵本作家であり、作詞家でもある。そしてシナリオには『Wの悲劇』『早春物語』澤井信一郎が参加している。

そういう私は麻雀はほとんどしない。むかしゲーム機相手にやったことがあるくらいで、卓を囲んでやったことはないのでほとんど素人なのだが、そんな私がみてもなかなか面白い。純粋にイキな男達を描いたエンタテイメントだと思う。そして加賀たけし扮するドサ健の台詞がいい。
「これはオレの女だ、オレの女だからオレは何をしても良いんだ」って恋人まゆみ(大竹しのぶ)を遊郭に売って博打のためのお金を作るという、破天荒な生き方。しかしこまったことにその台詞が説得力があるんだ(苦笑)。

麻雀卓を囲う紅一点は加賀まり子。ただ・・・、もうちょっと映画撮る前に練習してほしかった。いまひとつ牌捌きが素人っぽいし、なにより遅い。残念。

<あらすじ>
敗戦直後の上野の街。学校へもいかずぶらぶらしていた哲(真田広之)はチンチロ集落に足を踏み入れ、プロのバクチ打ちであるドサ健(加賀たけし)の張りにノッり相当な勝金を得ることができた。その大半を授業料だということで、ドサ健に持っていかれた哲だが、ドサ健のかっこよさに惹かれた部分があるのも否定できない。しかしそのしっぺ返しにあう。アメリカ兵相手の秘密カジノ「オックス・クラブ」へ乗り込み、勝つだけ勝ったドサ健はさっさと引き上げてしまう。哲は金を持っていない。結果ボロ負け。お金がない哲はアメリカ兵にぼこぼこにされてしまうが、カジノのママ(加賀まり子)が身体を売って助けてくれる。その夜、哲はママに抱かれ、初めて女を知った。
翌日からママのもとで本格的な麻雀修業が始まった。

--実にスポ根もののセオリーのような展開なのだ。
憧れるに値する、しかし認めたくない年上のライバル登場。そしてコーチ役の女性登場。まるで車田正美『リングにかけろ!』のようなシンプルな設定である。しかし、このシンプルな設定ほど見るものをときめかせるものはないのも事実である(笑)。そしてセカンドステージでは、出目徳という老麻雀士と出会い、裏技を教え込まれる。実にわくわくする展開なのだ。

出目徳(高品格)に裏技を教え込まれた哲は再びドサ健と対決。哲と出目徳、そしてドサ健一派との対決は、持ち金全部では足りず、恋人のまゆみ(大竹しのぶ)の家の権利書まで持ち出すが、あえなく完敗。ドサ健は再度の対決を挑むがタネ銭がないので、まゆみを吉原に売ってしまう。しかし、ゼゲンの達(加藤健一)のおかげでまゆみは女郎にならずにすんだ。
そして最終決戦。哲、ドサ健、達、そして出目徳。二昼夜、勝負が続く。突然、出目徳が倒れた。“九蓮宝燈” という大きな手に、ヤクで弱っていた心臓が耐えられなかったのだ。三人は、出自徳の死体を彼の家まで運んで行き、帰りに上州虎(名古屋章)をひろって、再び勝負を続けるべく、家に戻っていくのだった。


ストーリー構成が極めて王道であり、誰がみても楽しめる麻雀映画になっている。
麻雀映画の金字塔だろう・・(笑)、ちょっとほめすぎ??

by ssm2438 | 2011-06-08 20:52
2011年 06月 07日

Wの悲劇(1984) ☆☆☆

f0009381_917446.jpg監督:澤井信一郎
原作:夏樹静子
脚本:荒井晴彦/澤井信一郎
音楽:久石譲

出演:
薬師丸ひろ子 (三田静香)
世良公則(森口昭夫)
高木美保 (菊地かおり)

       *        *        *

「顔はぶたないで! 私女優なんだから!」

薬師丸ひろ子の写真をグラビアでみたときは、ドキッとした。ビュジュアル・インパクトは非常に強かった。まん丸顔にきりりとした眉。目もぱっちちして、丸だけで構成されてるのだけど、可愛くて図太そう。ただ、彼女が映画に出ると・・・・・・・いつも残念なことになっていた。ビジュアルのインパクトが強すぎるせいか、何故かドラマになじまない、そんな印象を覚えた。当時その対角にいたのが原田知世で、こちらは、ビジュアルインパクトはかなり弱い、どこにでもいそうな普通の子なのだが、ドラマのなかでみるとこれが不思議となじむのである。深津絵里的立ち居地だったのだろう。

インパクトありすぎるビジュアルのために、映画では今ひとつは馴染まなかった印象がある薬師丸ひろ子が、不思議とこの映画のなかでは、ドラマに溶け込んでいた。まず、薬師丸ひろ子の演じる主人公の立ち居地が普通っぽいのである。劇団員の一人という設定で、オーディションで落ちるということを普通に経験するのだが、そこからスキャンダルなどに巻き込まれながらものし上がっていくキャラクター。それまでの薬師丸ひろ子の印象とはまるっきり違う設定であり、このあたりから彼女が女優さんとしてほんとに機能しはじめたのだろう。

物語のなかでも、彼女の特別性がかなり排除された設定である。物語も「女優としての幅を広げるため、先輩の五代淳(三田村邦彦)と一晩過ごす」というところから始まる。アイドル=ファンの夢人であり、“H”をしてないイメージを構築しておかなければならない・・という前提をここでも壊している。それまで特別だった薬師丸ひろ子が、この映画の中では一女優として存在しているのである。
言うのは簡単だが、それを完成度の高いものとして残すことはかなりの指南の技である。しかし澤井信一郎はそれやっている。1985年の日本アカデミー賞では、『早春物語』『Wの悲劇』監督賞を受賞している。権威のない賞だが、澤井信一郎を選んだことは正しい。薬師丸ひろ子と原田知世というのは当時の角川が推していた二人のアイドルだったか、この2本の映画のなかでは、特別な存在年ではなく普通の役者として、物語にきちんと馴染ませていた。

原作は夏木静子。火曜サスペンス劇場などでもちょくちょく見かけるサスペンス系の作家さんである。脚本は 『遠雷』(1981年)や>『キャバレー日記』(1982年)の荒井晴彦。実は時々間違えるのだが、『天城越え』などの監督さんは三村晴彦、一緒ではない(苦笑)。

<あらすじ>
劇団「海」の次回作は『Wの悲劇』と決定した。キャストには劇団の二枚看板・羽鳥翔(三田佳子)、五代淳(三田村邦彦)と揃え、演出は鬼才で知られる安部幸雄(蜷川幸雄)に決まった。物語全体の鍵を握る女子大生・和辻摩子役は、劇団の研究生の中からオーディションによって選ぶことになった。三田静香(薬師丸ひろ子)もオーディションをうけるが、摩子役は、菊地かおり(高木美保)に決定した。
意気消沈して帰宅した静香は、とりあえず自分をかまってくれる森口昭夫(世良公則)と飲みに行き、その晩は彼の部屋に泊まった。静香の役は、台詞一つしかない端役だったが、全員の台詞を頭に入れ積極的に動いた。一方、昭夫は静香に結婚を申し込むが、静香は女優への夢を捨てる気になれなかった。大阪公演の初日の幕があがった。
そのあと静香はショッキングな事態にまきこまれる。羽鳥翔パトロンが、彼女の部屋で突然死んでしまったというのである。翔は、静香に自分の身代りになってくれたら摩子の役をあげると言い出す。最初は首を横に振っていた静香だったが、結局引き受けてしまった。マスコミの追求にも、静香はパトロンを失った劇団研究生という役を演じて乗り切っっていた。羽鳥翔は、かおりとの芝居の呼吸が合わない、と強引に彼女を降ろしてしまい、東京公演から静香が摩子を演じることになる。
東京公演は、大成功をおさめた。幕が降りた後も鳴りやまぬ拍手と、何度も繰り返されるカーテン・コールが女優誕生を祝していた。劇場を出た静香は、レポーターに囲まれているところに事件の真相を知ったかおりがナイフを手に静香めがけて飛びこんできた。静香をかばい刺される昭夫。傷が癒えた昭夫は「もう一度二人でやり直そう」というが、静香は、自分の人生を生きていくために一人でやり直すからと、涙をこぼしながら微笑んで去って行くのだった。

by ssm2438 | 2011-06-07 09:18
2011年 06月 06日

早春物語(1985) ☆☆☆

f0009381_21224911.jpg監督:澤井信一郎
脚本:那須真知子
撮影:仙元誠三
音楽監督:久石譲

出演:
原田知世(沖野瞳)/林隆三(梶川真二)

       *        *        *

赤川次郎原作のなかでは一番良いかもしれない。
思わぬ拾いものであった。


当時角川三人娘ということで、薬師丸ひろ子原田知世渡辺典子の3人が有名だったが、正直インパクトの強かったのは薬師丸ひろ子だった。原田知世に関してはあんまりときめきは覚えなかったのだが、ツボにはまる人ははまるらしい。しかし、この映画もそれほど期待はしてなかったのだが、思いもかけず澤井信一郎が前年にとった『Wの悲劇』がわるくなくって、だったらこれも見てみようか・・と手に取った作品。
赤川次郎の原作のわりにはけっこうしっとりして悪くはない。全然期待してなかった割には最後までついつい見てしまった。やっぱり澤井信一郎ってしっぽり見せるのが上手いのだろうなあ。

原田知世の役どころは、来年は大学になる高校生で写真部に入っている。そんな彼女が、母の恋人だった男に恋をするというもので、“H”まではいかないのだけど、ホテルまで行って、キスして帰ってくるという、まあ、あたりさわりのないストーリー。たしか、この作品が彼女の劇中でみせる最初のキスシーンって聞いたけど・・・勘違いかもしれない。たしかにあんまりキスしなれてるキスシーンではなかった(苦笑)。


<あらすじ>
「春、来たりて去る」というテーマで写真を撮っていた高校生の沖野瞳(原田知世)は、鎌倉のある参堂でさくらの花を取ろうとしていたが、フレームの中に停めてある車がどうに邪魔をしている。で、その車の持ち主梶川(林隆三)に車を移動してもら。それが縁でなんとなくその男性とささやかな接点を持ち始める瞳。
母の命日の墓参りからもどった瞳はアルバムを見ていて、母と一緒に写っている男があの梶川であることに気づく。そんなことから梶川に対する興味は深まっていき、母の友人松浦純子に会い、20年前に母と梶川の関係をしる。二人は当時付き合っていたのだが、梶川は仕事をとり瞳の母を捨てたという。
複雑な気持で瞳は梶川と箱根へドライブに同行。

--ここからの展開がなかなかにやにやさせられる。
かつて母と梶川が写真を撮った同じ場所へ行って写真をとらせる。すこしづつ怪しい気持ちになっていく梶川。ある種、世界中で彼女だけか、その遊びをできる唯一の人間であり、瞳はささやかな意地悪で、かつての母の恋人を刺激する。
この映画って、多分、原田知世の恋愛映画ではない。どちらかというと林隆三のほうだと感じる。原田知世は多少林隆三に興味をもっているのだが、怒涛の恋愛という感じはしない。それよりも、自分が特別な立場(元恋人の娘)にいることで、母の恋人だった男を刺激しているというくらいのも。そんなこんなで、林隆三のほうがそれほど気がない振りをしつつすこしづつ惹かれていく・・という話になっているようだ。

その夜、ワインを飲んですねる瞳を梶川は抱きキスをした。
数日後、瞳はかつて母と梶川がデートした思い出の喫茶店に彼を呼び出して詰問した。そのよりホテルの部屋におしかけてきた瞳に、過去の真相を話す。梶川も瞳の母を愛しあていたが、母の友人の女性も梶川に恋していて、二人の仲を知ると絶望して自殺したという。それで、二人は結婚をあきらめたのだという。
成田空港からアメリカにたとうとしていた梶川の前に瞳が現われた。梶川は君を本心から愛してると言って去っていくのだった。

by ssm2438 | 2011-06-06 21:24
2011年 06月 03日

ゼロの焦点(1961) ☆☆

f0009381_21441465.jpg監督:野村芳太郎
原作:松本清張
脚本:橋本忍/山田洋次
撮影:川又昂
音楽:芥川也寸志

出演:
久我美子 (鵜原禎子)
南原宏治 (鵜原憲一)
西村晃  (鵜原宗太郎)
加藤嘉  (室田儀作)
高千穂ひづる (室田佐知子)
有馬稲子 (田沼久子)

     *     *     *

うむむむ、技術的にはしっかりしているのだけど・・・。

前後の日本では、在日米軍兵士を相手にする売春婦を蔑称の意味を含めて「パンパン」と呼んでいたらしい。この物語では、かつてパンパンとして生きていた女二人の過去を暴いていく作品。『砂の器』でも、過去において、淋病の父をもつ和賀英良が、過去を消すために殺人を犯してしまうが、この映画でも、パンパンとして生きていた過去を封印するために一人の男が殺される。

松本清張の物語ではこの、主人公が謎解きの役で登場し、こに息づく人間たちであり、彼等の心の闇と愛憎を暴いていくというパターンがおおい。この物語りもそのパターンである。この物語りあの主人公、鵜原禎子(久我美子)は、見合い結婚したばかりの新妻である。しかし、その夫が金沢に最後の出張に出るとそのまま失踪する。
この時代のお見合いというのは、相手のことなどほとんど知らずに結婚することは多かったようだ。このドラマの主人公も相手の男の頃はお見合いのデータでしかしらずに結婚を決めた。物語は、禎子を主人公に据え、失踪した鵜原の過去を暴きながら、そこに絡んでくる二人の女性の暗い過去を垣間見ることになる。

技術的にはおそろしくしっかりした映画なれど、なぜかもう一つ燃えない。なぜだろう。それを解き明かすのが今回の命題のような気がする。
で、一つの答えが出た。「パンパン生活の哀れさが伝わってこない」。
おそらく、この原作が書かれた時代には、パンパンという米軍兵士相手の売春婦がどのように世間からさげすまれていたかということが、当時の人には判っていたのだと思う。しかし、今の我々にはそれが分らない。想像するしかない。『マレーナ』のなかで、戦時中モニカ・ベルッチがドイツ兵相手に売春していたが、ドイツが負けてると敵兵に媚をうった女として広場で服はむしられ、髪をきられるリンチにあうシーンがある。『トリコロール』のなかではシャーリズ・セロンが、実は連合国側のスパイとしてドイツ軍将校と寝ていたのだが、それを理解されぬまま、リンチにあい殺される。売国奴として虐げられるのは当時としては当たり前であり、そんな不名誉な過去を消してしまいたい女の実情は想像できる。・・・が、所詮想像であり、これ自体が封印してしまわなければならない過去なのかどうか・・、それがどのくらいのものなのかということは、今を生きる我々にはわからないのである。
そんな女・田沼久子を拾い上げてひそかに二人で生活していた、元警官の鵜原という男。この幸せ感ももうちょっと出して欲しかったなあ。
この封印すべきパンパン生活の哀れさと、田沼久子と鵜原憲一の貧しいながらも幸せな生活をもうちょっと強調してもらえれば、もっと切実に心に訴えかけてくるものになったのになあって思う。それをし過ぎないのが松本清張ともいえるが・・・。

しかし、松本清張物というのはいつも、美しいモノをどの作品にもきちんと描き出してくれる。素晴らしい。

<あらすじ>
新婚1週間で失踪した夫・鵜原憲一の行方を捜し禎子(久我美子)は金沢に向かった。憲一はある広告社の金沢出張所長だったが、結婚を機会に東京本社に栄転となり、後任の本多と事務引継ぎをするための金沢行ったきり行方が分らなくなっていた。憲一が親しかったという室田耐火煉瓦の社長室田儀作を訪ねた禎子は、憲一が、結婚すると決まると、なぜな元気がなくなってきたという話を聞く。
なにかワケを知っていそうな憲一の兄・宗太郎(西村晃)の説得を受け入れ一度東京にもどる禎子だったが、その相対郎もまた金沢で毒殺される。犯人がパンパン風の女だというこ。室田の会社の受付にいた女がパンパン独特の癖のある英語を使っていたことを思い出した禎子は、室田の会社へ行ったが、その女・田沼久子(有馬稲子)もこの3日間出社していないという。さらに久子の愛人・曽根益三郎が自殺していたことが判明する。その日は憲一が失踪した頃とほとんど同じだった。禎子は田沼久子の家を訪ねるが、その写真は、夫・憲一が隠し持っていた写真にうちっていた写真だった。田沼久子の愛人・曽根益三郎こそ、禎子の夫・鵜原憲一だった。その憲一を殺したのは室田の妻・佐知子(高千穂ひづる)だった。

佐知子も久人と同じパンパンだったのだ。今は金沢の名士との妻に納まっている佐知子だが、自分の過去を知る、いて欲しくはない人間、それが鵜原憲一だった。
一年後、禎子は再び金沢へ行き室田佐知子と合いまみえる。状況証拠だけで、犯人を佐知子だと特定する禎子に、真実を話し始める佐知子。

物語はここからもう一ひねりいれてある。佐知子の回想という形で田沼久子と鵜原憲一の美しい恋愛劇がかたられるのだが、愛する男をころされた久子と佐知子の間にも奇妙な友情みたいなものがあるのである。お互いパイパン時代のことを世間にはしられていはいけない二人。そのために二人が世間をだましてきたことをお互いが理解しており、憲一をころさいた佐知子でさえを、久子は理解しているのである。この友情らしい感情が奇妙でいい。しかしドラマはそこから突拍子もない終わり方をする。

薄々憲一と久子のことを知っていた健一の兄を毒殺したのは佐知子であった。ウィスキーに青酸カリを入れて飲ませ、憲一の兄を殺したのだが、そのウィスキーを事もあろうに久子が飲んでしまう。佐知子は結果として久子も殺してしまったことになった。
最後は総てを告白した佐知子が車ごと海につっこみ自殺・・という閉めである。


余談だが、この物語の中で一番美しく描かれていた久子を演じたいたのが有馬稲子。この人どっかでみたことあるなあって思ったら・・・、そうでした同じく松本清張の映画『波の塔』に出てました。ここでも良い感じの役をやってました。

by ssm2438 | 2011-06-03 21:45 | 松本清張(1909)