主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

<   2011年 07月 ( 30 )   > この月の画像一覧

f0009381_7563942.jpg監督:坪島孝
企画:赤塚不二夫/中山千夏
原作:モンキー・パンチ
脚本:長野洋
音楽:佐藤勝

出演:
目黒祐樹 (ルパン三世)
田中邦衛 (次元大介)
江崎英子 (峰不二子)
伊東四朗 (銭形警部)

       *        *        *

どこをとってもクソ映画。

<あらすじ>
ルパンは、世界宝石展開催中の会場から大量の宝石を奪うが、不二子に横取りされてしまった。不二子にふられ、マカ・ローニ一家系列の暗黒街のボスの命を受けた殺し屋に狙われて、いささか疲れたルパンは、自ら警察に出向いて刑務所で休息することにした。ルパン逮捕を知ったマカ・ローニ一家は、邪魔者がいなくなったと安心し、宇宙人をモデルにしたという古代の土偶を盗み、大資本家に売りつける念力作戦にとりかかった。不二子は、土偶を横取りしようとするが、逆に捕われてしまった。刑務所で不二子危機の情報を得たルパンは、早速脱獄して不二子救出に向かう。

なんでもルパン三世というのは、フランス生まれの怪盗ルパンの血をひくこそ泥某で、二世が「ルパン帝国」と呼ばれる泥棒貴族の一派を築き上げたとか。しかし、怪しい犯罪組織マカ・ローニ一家に潰されて、日本人を母に持つルパン三世だけが生きていた。この男、爺さんゆずりの盗みの天才だが、女に弱いのが玉にキズ。このルパンを追っているのが、銭形平次の子孫・銭形警部、大岡越前守の子孫・大岡、遠山金四郎の子孫・遠山ら・・ということになっている。

有名な漫画『ルパン三世』の実写映画。企画が赤塚不二夫だったりするからなのか、くだらないギャグがおおいくてひどい。ルパン三世ってキャラは、現実のなかでドラマを構築しないと面白くない。それを在りえない演出(仮面ライダーのように、「とおーっ」てジャンプして場所移動とか)でみせる。画面上だけのどたばたで、社会的だけに終始し、理屈のない演出なのであまりにくだらない。総てが才能ないかたまりで出来たような映画。

ただ、このクソ映画を最後まで見てしまったのは、途中「不二子が敵に捕まる」というエピソードがあったからだろう。男の子というのは、劇中のヒロインの女の子が的に捕まっていじめられるのを見るのが好きなようにできているらしい(笑)。それだけで見るモチベーションはあがるのだけど、そんな期待を裏切るシーンばっかり(苦笑)。
ちなみに今回の映画で不二子を演じたのは『大江戸捜査網』などにでてた江崎英子さん。ナイスボディでもチャーミングでもないのだが、モデルとなった『あの胸にもう一度』マリアンヌ・フェイスフルっぽいファッションだけはしていた。
by ssm2438 | 2011-07-31 07:58

ガス燈(1944) ☆☆☆

f0009381_913289.jpg監督:ジョージ・キューカー
原作:パトリック・ハミルトン
脚本:ジョン・ヴァン・ドルーテン
ウォルター・ライシュ
ジョン・L・ボルダーストン
撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ
音楽:ブロニスラウ・ケイパー

出演:
イングリッド・バーグマン (ポーラ)
シャルル・ボワイエ (ポーラの夫・グレゴリー)
ジョセフ・コットン (ブライアン・キャメロン)

       *        *        *

なんか、スタキンに似てる・・・?

ナスターシャ・キンスキーをみると、若き日のイングリッド・バーグマンを思い出してしまうのは私だけだろうか? 2人の横顔の鼻のラインが似てるのである。で、なんとなく調べてみると・・、なんと(それほど驚くことでもないのだけど)、バーグマンの母親はドイツ人だとか。ちょっと納得。
この映画はそんなバーグマンにアカデミー主演女優賞をもたらせた映画の一つ。

イングリッド・バーグマンは往年の美人女優の一人に上げられるが、今見ると、実際のところそれほど作品には恵まれていない。母国スウェーデンでの活躍がデヴィッド・O・セルズニックの目にとまり、ハリウッドに招かれて『カサブランカ』『誰がために鐘は鳴る』の主演に抜擢されたバーグマン。当時の興行的にはあたったのだろうが、たんなるメロドラマであり、物語がそれほど面白いわけでもなく、役者性が秀でたものとは程遠い。し物語のヒロインとして記号的に扱われたというのがその実態だろう。
その後家族を捨ててロベルト・ロッセリーニのもとへ飛んだバーグマンだが、ロッセリーニの作品にバーグマンが合うわけもない。興行的には大失敗。ロッセリーニとの夫婦の生活は経済的にも実質的にも破綻して、やがて夫婦は離婚に至った。
夫があり子供がある女性が、別の男の元に走った・・というこれらの一連の騒動で一次ハリウッド追放状態になっていたバーグマンだが、後年娘のイザベラ・ロッセリーニが語ったところによると、母イングリッドと当時の夫のリンドストローム氏にはアメリカ在住時より離婚を申し出ていたものの、受け付けられることがなかったとか。ロッセリーニ云々というよりも、当時の夫と何が何でも別れたいという衝動のほうがコアだったのだろう。
結果としてロッセリーニは、自分へのいい訳として使われたのだろうな。何が原因かはわからないが、それほど夫のリンドストローム氏とはただひたすらに別れたかったのだろう。

バーグマンは67歳にしてガンでこの世を去るが、その前にイングマル・ベルイマン>『秋のソナタ』に出演している。その映画の中でバーグマンの演じた役どころが、じつに自信の人生に似ている。それも外観的に似ているのである「これは私じゃないのよ」という部分と「これは私ね・・」という部分がかなり共存しているように思える。。本人はどういう思い出この映画にでたのだろう・・・・。興味深い。

そんなバーグマンをハリウッドにまねいたデヴィッド・O・セルズニックというプロデューサーは、映画的な映画を撮らせる人なのである。『風と共に去りぬ』『第三の男』『レベッカ』『真昼の決闘』『終着駅』など実に映画らしい映画だ。他のヒッチコック作品は面白いとは思わないのだが『レベッカ』だけは好きだ。これもセルズニックの力がかなり大きい。
このプロデューサーは、海外の才能をハリウッドに招くことを積極的にやったひとである。このバーグマンにしろ、そのあと『レベッカ』と撮らせるアルフレッド・ヒッチコックにせよ、『終着駅』のヴィットリオ・デ・シーカにしろ、世間で言う大物どころをハリウッドの映画界にひきこんでいるのである。
この映画はセルズニックが制作した映画ではないが、彼がバーグマンをハリウッドに招いたがために出来上がった映画のひとつである。

この映画をはじめてみたのは私が20代のころで、実は先ごろまでこの映画と『レベッカ』がだぶっていた。
『レベッカは、その男のもとに嫁いだのが、死んだはずの前妻の存在がいまだに残っているように思われる・・という心理サスペンス。主演はジョーン・フォンテインなのだが、なぜかこれもバーグマンだと思い込んでいた。その勘違いの原因になっていたのがこの『ガス燈』。
バーグマンは、夫に誘導され、物忘れや盗癖が目立ち始めた、自分が精神障害をきたしているのではないかと不安定なひびを過ごす人妻の役どころ。確かに芝居して楽しいのかもしれないが、今見るとちょっと大げさすぎる気がする(苦笑)。ま、判り易さ、誰が見ても「そこはそういうシーンだ」と理解してもらうにはいいのかもしれない。もっとも当時はそれが要求されたので、彼女がオスカーを獲った事に関してはなんの文句もないのだけど。
同じロンドンを舞台にしたサスペンスということで、どこかヒッチコック的な部分がなきにしもあらずなのだが、しかし、キューカーのみせる心理サスペンスはなかなかのもので、どこか情緒に訴えかけるものがある。これがヒッチコックの場合は、サスペンスの段取りをあまりにもしっかりと説明しすぎるので、ドラマとしてはあんまりのめりこめず、説明だけを延々にされてるような気になってしまう。
ただ・・・・ストーリーのあたまの部分の展開はかなり強引で、叔母の殺人事件があったにもかかわらず、そのまま留学し、そこで留学した目的をささっとあきらめていいよってきた男とささっと結婚し、ロンドンにもどってくるという展開。個人的には、イタリアの留学先でしりあった男との恋愛事情からはいり、その展開と同時に叔母の殺人事件を紹介しつつ、ロンドンの物語につなげて欲しかったかな。

<あらすじ>
誉れ高き叔母で有名歌手アリス・オ ールクィストに育てられたポーラ(イングリッド・バーグマン)は、声学の勉強の為にイタリアに留学することになっていた。その矢先、叔母は何者かに殺され犯人も捕まらない。傷心のまま旅立ったポーラだったが、作曲家のグレゴリー・アントン(シャルル・ボワイエ)と恋に落ち結婚してしまう。ロンドンに戻ったポーラは、グレゴリーと共に叔母の家に住み始めた。しかしこのころからポーラは物忘れがはげしくなってくる。
ある日ハンドバックに入れたはずの首飾りが紛失、グレゴリーはポーラが自分のしたことを少しも記憶していないといってことごとに彼女を責めた。次第に自分の精神状態に自信を失い、夜ごとにポッと薄暗くなるガス燈の光も、天井に聞こえる奇怪な物音も、自分の精神の衰えているための錯覚かと焦燥にかられた。
精神的に追いつめられていたポーラを助けたのがキャメロン(ジョセフ・コットン)。少年時代憧れていた名歌手アリスの殺人事件には非常な関心をもっていた。彼はある夜グレゴリーの外出中家人の制止もきかずポーラに会い、グレゴリーの机をあけてみると、彼女が隠したと夫から責められた数々の品物が現われる。ガス燈の炎が弱くなるのは、その時間だけ、上の屋根裏部屋でグレゴリーが叔母の残した遺品のなかからある宝石を探していたからである。総てはグレゴリー仕業だった。

とどのつまり得体の知れないキャメロンという男が信用されるのは、そのむかし叔母が「もっとも信頼できるファンにわたしたのよ」といった手袋だったというくだり・・・、なかなかいかす。正直なところ、最初見たときは「あれ??? あれなんだったの??」って良くわかってなかった(苦笑)。歳をとると見えてないところがさりげなく見えてくるなって思った。
しかし・・・、当時としてはそれほど問題はない主人公の女性のあり方だが、今見ると、「なんじゃその根性のなさは」って思ってしまう。だいたいそんな男にひっかかるまえに、声学の道を突き進めよ!って、そこできちんとしれてればこんなことにはならなかったのに・・って思うのは私だけ? この物語が書かれたころの世情はそんなだったのだろう・・・。
by ssm2438 | 2011-07-29 09:14

訴訟(1991) ☆☆☆

f0009381_5352526.jpg監督:マイケル・アプテッド
脚本:キャロリン・シェルビー
    クリストファー・エイムズ
    サマンサ・シャッド
撮影:コンラッド・L・ホール
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
メアリー・エリザベス・マストラントニオ (マギー・ウォード)
ジーン・ハックマン (ジェディダイア・タッカー・ウォード)

        *        *        *

法廷サスペンスというよりも、父と娘の対立から若いへのドラマ。

ジーン・ハックマン演じるこのジェディダイア・タッカー・ウォードは、学生運動が盛んになった60年代以降、権力に対して弱きものや、学生たちの主張を弁護してきた弁護士。外面は「弱気を助け、強気をくじく」善き弁護士として彼らに英雄視されていた。しかし、彼の娘・マギーは、そんな外面とは反対に、外では女をつくり、母や家庭をかえりみない態度には憤然とした気持ちをもちつづけている。実は娘のマギーも弁護士であり、そんな二人が被告の弁護士と、原告側の弁護士という立場で法廷で対決する。
話だけきくと、ヘンリー・フォンダジェーン・フォンダで作って欲しかった(苦笑)。

監督は、『歌え!ロレッタ愛のために』『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』マイケル・アプテッド。この人はきちんと映画を撮れる人なので、ドラマ的には安心できる。しかし、法廷のやりとりはさほど重点をおかれてないのでもうすこし、裁判での言葉のやり取りで話のバックボーンに太さを出して欲しかったかな。結局、ジーン・ハックマンが勝訴したのも、メアリー・エリザベス・マストラントニオの機密漏洩があったためであり、裁判モノとしてはちょっといただけなかった。一応物語の中では依頼人の守秘義務には触れないことのように処理はされてたけど・・でもやっぱり気持ちがいい裁判モノの終わらせ方ではなかったような気がした。
しかし、最後の二人のダンスのシーンはやっぱりほろりときてしまった。仲直りのまえにうまれたばかりの赤ん坊をみて「より目のかわいい女の子」って表現していたが、この台詞だけは妙に気になってしまった。メアリー・エリザベス・マストラントニオって、やや目がはなれがちな人なので、ここはシナリオちょっといじってほしかったかな(苦笑)。

<あらすじ>
弱者の英雄弁護士ジェディダイア・タッカー・ウォード(ジーン・ハックマン)は、アルゴ自動車のメレディアンを欠陥車として訴訟を起こそうとしていた。娘マギー(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)はアルゴ自動車の弁護をひきうけることになる。
マギーにとって父は、外面は弱者を助ける善き弁護士だが、家庭においては外に女を作り母をだましつづけてきた男でしかない。常に父と反目するマギーだが、母エステルは、「あなたたちはよく似てるのよ」と言う。やがて裁判が開始され、父と娘は法廷で激しくやりあうが、その争いの中、エステルは脳血栓で倒れ他界してしまう。
マギーは、メレディアンの設計チームの1人から車は欠陥車であり、そのことを上司に報告したが当時の顧問弁護士であったマイケルが事実をもみ消していたことを知る。さらに欠陥車のリコール費用よりも、裁判での費用が安く済むのでリコールを届け出なかったという大企業の人命軽視の考え方を知り、マギーは激しい怒りを覚える。事件の核心に迫る裁判当日、ついにマギーはマイケルらを裏切り、父の味方につく。父娘は和解し、裁判は原告側の勝訴に導かれるのだった。
そして裁判が終わったと、二人はダンスを踊る。
by ssm2438 | 2011-07-29 05:35

蘭の女(1990) ☆

f0009381_1139054.jpg監督:ザルマン・キング
脚本:ザルマン・キング
    パトリシア・ルイジアナ・ノップ
撮影:ゲイル・タッターサル
音楽:ジェフ・マコーマック
    サイモン・ゴールデンバーグ

出演:
キャリー・オーティス (エミリー・リード)
ミッキー・ローク (ジム・ウィーラー)
ジャクリーン・ビセット (デニス・クラウディア)
ブルース・グリーンウッド (ジェローム・マクファーランド)

        *        *        *

柳の下に二匹目のドジョウはいなかった・・

キム・ベイシンガーミッキーローク『ナインハーフ』の脚本家であるザルマン・キングが監督をつとめたこの作品、明らかにエイドリアン・ラインとのセンスの違いをみせつけてくれた。やっぱりこの人には映像センスはない。というか、この脚本を画面だけであれだけ完成度の高いものに仕上げたエイドリアン・ラインはすごいなあっと、これをみて関心した。

とにかくひたすら退屈だ。ザルマン・キングのシナリオは興味のそそらせ方が一本調子で全然おもしろくない。ひたすら早回ししてしまいたい衝動にかられるのをなんとか耐えてたが、最後はやっぱりつまんないシーンはスキップしてしまった。ストーリー展開が『エマニエル夫人』のような展開であり、見るべき要素はキャリー・オーティスのヌードだけというシャローは話。

<あらすじ>
エミリー・リード(キャリー・オーティス)は、美しい女社長クラウディア(ジャクリーン・ビセット) のアシスタントとしてリオへと向かう。しかしクラウディアが、契約直前に逃亡した相手会社のボスを追ってブエノスアイレスに飛び、代わってエミリーがジェームズ・ウィラーという男(ミッキー・ローク)と会うことになった。ウィラーのミステリアスは雰囲気にのまれていくエミリー。エミリーはバーで、ジェロームというアメリカ人に娼婦と間違えられ、ウィラーに命じられるまま彼に抱かれる。しかしジェローム(ブルース・グリーンウッド)は、何とクラウディアの連れ帰った交渉相手の弁護士だった。他人には抱かせるが、自分では抱かないウィラーにやりきれないエミリーであったが、最後は無事結ばれる。
by ssm2438 | 2011-07-28 11:39
f0009381_1075356.jpg監督:サム・ウッド
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
脚本:ダドリー・ニコルズ
撮影:レイ・レナハン
音楽:ヴィクター・ヤング

出演:
ゲイリー・クーパー (ジョーダン)
イングリッド・バーグマン (マリア)

       *        *        *

フランコの為に鐘は鳴る・・・?

この映画の時代背景となっているのがスペイン内戦(1936年7月~1039年3月)。
近年シャーリズ・セロンが主演した『トリコロールに燃えて』でも、この内戦がイベントとして登場する。古くはジョアンナ・シムカス主演の『若草の萌える頃』の冒頭にゼタおばさんの回想として登場する。・・が、意外と日本人には感心の少ない戦争のひとつである。その理由もわからなくもない。この戦いは<共産主義>対<ファシスト>という対立構図で、もっと簡単に言えば<国家社会主義左派>対<国家社会主義右派=軍事政権>みたいなものである。この対立構図は貧乏国によくあるもので、アルゼンチンのペロン政権前後のばたばたもこの対立だったといえるだろう。
当時のイギリスやフランスはどちらの側にもつかづ中立的な立場をとっていた。結果としてフランシスコ・フランコ将軍が率いるファシスト政権(ナチスドイツ、イタリア、ポルトガルなどから支援)が勝利することになった。

それ以前のスペインは、第一次世界大戦に起因する経済の停滞は戦後も続き、貧民層は困窮に喘いでいた。民衆の不満を後押しに1923年9月に軍を率いたプリモ・デ・リベーラ将軍がクーデターを起こして政権を奪取。しかし今度はその強権的政治に対する民衆の不満は高まり、31年には退陣へと追い込まれる。その後は、王制打倒を目指す左翼的思想の共和派は民衆の支持を集め、国王アルフォンソ13世を退位へと追いやり第二共和政が成立した。

新政府は左翼的な新憲法の下、貧困層救済を重視した政策を展開したが、結果として国の生産性は低下し、失業者の一部は急進的な労働組合に所属し、激しいデモやテロを繰り返した。また、政教分離を進めた結果、敬虔なカトリックである民衆の支持を失った。政治は迷走を繰り返し、政権の退陣も頻繁に発生、これらの政治的混乱は新政府への失望を招くことなった。
・・・・まるで今の日本政治状態、民主党のようである(苦笑)。

そうなってくると「良き独裁者」をもとめる声が日増しに強まっていく。
1936年7月、フランシスコ・フランコ将軍らが発起すると、スペイン各地で反乱が頻発。共和党政権との間で内戦へ突入していく。フランコは何人かいた反乱側の一将軍でしかなかった。また当初は反乱軍のほうが敗北を重ねていた。しかし内戦が長期化の様相を見せ始めると、トレド陥落など戦功めざましいフランコが中心的立場を確立していった。
このフランコ将軍を支援したのが、ヒトラーのナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリア王国、サラザールのポルトガル。これに対抗する現体制側の人民戦線を支持したのがスターリンのソビエト連邦とカルデナス政権のメキシコ。

この物語の主人公、アメリカのカレッジ教授ロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)は、人民戦線派に投じて右翼のフランコ勢力に対するゲリラを行なっていた。
映画としてはひたすら退屈である。そのほとんどが山岳部のハリボテの岩をバックにした芝居ばかり。変化が乏しく、スケールも極小である。で、やってることはただのメロドラマ。それ以外の要素がまるでないので面白くもへったくれもない。「おもしろい」とされる古典の映画で、実は全く面白くない映画の一つである。

<あらすじ>
1937年5月、スペイン北部。アメリカからの義勇兵、大学教授だったロバート・ジョーダン(ゲイリー・クーパー)はフランコ軍の物資の輸送を阻むために、山間の峡谷にかかる鉄橋の爆破する計画に参加していた。ジョーダンは山間に巣食うジプシーのゲリラに援助を頼むためそのそこを訪れた。そこでマリア(イングリッド・バーグマン)と出会う。彼女はある市長の娘で、フランコ軍に両親を殺され、髪をバリカンで切られ、犯されたがゲリラ達に助けられて行動をともにしていた。
鉄橋爆破の前日の夜、2人は愛を交わす。短い夜があけ、朝が来た。ジョーダンたちは鉄橋にダイナマイトを仕掛けて、敵戦車が通過する直前に爆破した。ジョーダンは足を撃たれてうごけない。死を悟った彼は、泣き叫ぶマリアを一行とともに送り帰させたのち、ひとり敵軍に向けて機関銃の引金を引くのだった。


ちなみにスペインのその後は、フランコ将軍が国家元首(総統)として独裁体制を敷いた。その後フランコは日独伊防共協定に加入したが、1939年9月、第二次世界大戦が勃発すると、フランコは国家が内戦により荒廃したために国力が参戦に耐えられないと判断して中立を宣言した。
実はこのフランコ、かなりお利巧さんで、スペイン内戦時サポートしてくれたドイツ等に友好関係を示しながらも、当時の世界情勢に流されず、国家を大戦から切り離した。終戦後、ファシスト国家であることから国連から排除されていたが、東西冷戦の激化により、反共産主義という基本思想と、スペインが地中海の入り口という地政学的にも戦略的にも重要な位置にあるという理由から、アメリカとの間で米西防衛協定を締結した。これにより、アメリカとの関係は飛躍的に改善される。
その後、任命制の議員の一部を選挙制に切り替えるなど、緩やかな民主化への方向性をしめしていた。フランコは政権のあり方について、最終的には王制に移行するべきだと考えていた。スペインの議会制民主主義は失敗を続けてきたので、王制が最良だと考えたようだ。1969年、フランコは前国王アルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを後継者に指名し、1975年に死去する。その後フランコの言葉に従い王政復古が成され、王政のもとで、スペインは急速に民主化に向い、今に至る。

結果的には「良き独裁者」のうちの一人だといっていいだろう。
その鐘は、独裁者としてのレッテルを貼られながら、国家を正しき方向に導いていった人のために鳴るのかもしれない。
by ssm2438 | 2011-07-27 10:08
f0009381_10335058.jpg監督:デヴィッド・リーランド
脚本:デヴィッド・リーランド
撮影:イアン・ウィルソン
音楽:スタンリー・マイヤーズ

出演:エミリー・ロイド(リンダ)

     *       *       *

不良少女リンダ・・でも、こっちの不良少女はモニカよりはまともかな・・

戦後のイギリスの小さな港町を舞台に、16歳の少女の青春を描いたドラマ。原題は、「WISH YOU WERE HERE」、そのまんま「あなたがいてくれたら」みたいなニュアンス。あなたというのはリンダの死んでしまった母のことなのだろう。いつも無理してがんばってる、暴言もはく、男もかえるし“H”もする、そんなリンダなのですが、どことなくそのバックにある悲しさをさりげなく演出してあるような気がする。

描かれているのは、自分の居場所とか、存在価値をみいだせないでいる16歳の女の子の「なんで世間はこうなのよ!」みたいな不満に満ちた生活。母に死なれ、父との折り合いが悪いなか、なんにも満足できない、何に満足したいのかも分らない、そんなどうしてたら充実できるのかわからない状態を生きている女の子。そんな女の子が、男をとっかえ引返してるうちに子供ができてしまい、その子を出産することによって、何をすべきか、やるべき事がみつかったって話。
確かに女の子の場合は「自分からこれがやりたい」という強い衝動はなかなかもっていないもので、どうしても答えを外にさがすようにできているらしい。結局彼女も、自分からは「どうしてもこれがやりたい」というものは出て来ないまま、子供が生まれ、子供を育てることで充実感をもったって話みたい。
・・・これでいいんかな?ってちょっと疑問には感じるが、この時代だったらそれもありかな。

ちなみに、時代背景は1951年。第二次世界大戦が終わった6年後である。スカートの脇をむすんで、ちょっと古風な自転車にまたがってさっそうと風をきるエミリー・ロイドがなかなか絵になっている。

<あらすじ>
美容学校の訓練生のリンダ(エミリー・ロイド)は、パーマのかけ方が乱暴なことを指摘され、イラっときてぐれてしまい、退学させられる。変化に乏しい田舎町での生活、折り合いが悪い父親ヒューバート(ジェフリー・ハッチングス)とのいがみ合いの日々。男友達をつくるも、みんな頼りなげ。つぎからつぎへと仕事と男を変えていくリンダだが、やがて海辺のカフェでウェイトレスを始めるリンダ。どうも先の男の子供を身ごもったみたい。彼女は周囲の反対を押しきって産む決心をした。隣町に消えていたリンダは、やがて母になり、乳母車をおしながら堂々と戻ってくるのだった。
by ssm2438 | 2011-07-25 10:51
f0009381_22413572.jpg監督:アラン・パーカー
脚本:アラン・パーカー
撮影:マイケル・セレシン
音楽:トレヴァー・ジョーンズ

出演:
ミッキー・ローク (ハリー・エンゼル)
ロバート・デ・ニーロ (ルイ・サイファー)
リサ・ボネ (エピファニー・プラウドフット)
シャーロット・ランプリング (マーガレット)

       *        *        *

映像だけはハートがこもってたのだが・・・

あとリサ・ボネのスレンダーな身体を撮ったカメラにもハートがこもっていたな(苦笑)。

80年代を席巻したイギリス出身の映像派監督といえばリドリー・スコットとかエイドリアン・ラインがメジャーだが、この一人、アラン・パーカーのその一人。特に映像だけならこの『エンゼル・ハート』はかなり凝った画面をつくっている。しかし、困ったことにお話がどうにもまどろっこしいというか、どうもいいというか、オチさえなければまだ納得できたのに・・って話。そういえば最近でもジュリアン・ムーアの映画でこんなのがあった。なんだっけ・・??? そう、『フォーガトン』
交通事故で死んだはずの息子が、実は存在しなかったことになっていく・・ってサスペンス。サスペンスだったらその謎解きが面白いんだけど、最後にちゃぶ台ひっくり返して「実は宇宙人の仕業でした」って・・・、おい! だったらいままでの謎謎ストーリーはなんだったんだ?? それが人間の理屈で作ってあてそれが暴かれるから映画として納得できるのに、「宇宙人でした」とは何事か!?」って、皆さんが激怒した映画。実はその『フォーガトン』に先立つこと10数年前、アラン・パーカーこの『エンゼル・ハート』で肩透かしをくらわせていたのでした。

<あらすじ>
戦前の人気歌手ジョニーを探してほしいという依頼をうけた私立探偵ハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)。依頼人は爪を長くのばしたルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)。ジョニーが占い師とつきあっていたことをつきとめ、彼女の行方を追ってニューオリンズへやってきたエンゼル。安ホテルにとまり、その占い師のマーガレット(シャーロット・ランプリング)に会い、ジョニーのことを聞き出そうとするが失敗する。ジャズクラブでかつてのジョニーの同僚ツーツ・スイート(ブラウニー・マッギー)に話をきこうとして叩き出され、ジョニーの愛人だった黒人女性宅を訪ねると、その娘エピファニー(リサ・ボネー)に「母は死んだ」と聞かされる。ジョニーの行方を追うエンゼルの回りでは人がどんどん死んでいく。ジョニーの担当だった医師。元恋人のマーガレット。愛人だった黒人女性とその娘。
ニューオリンズでルイ・サイファーに会い、彼が実は「ルシファー」、つまり悪魔であることが判明。そしてジョニーを探していたエンゼルこそがジョニーであり、これまでの殺人事件はすべてジョニー=エンゼルがしてきたことだとわかる。本当のハリーもジョニーに切り刻まれて、とうの昔に死んでいた。そしてエピファニーの死体を前に、ジョニーは「俺の娘だ」という。

ジョニーは悪魔と契約してハリー・エンゼルとなったのだが、この「悪魔」というコンセプトさえなければこの映画も少しは面白いものになったに違いない。「オチ」が総てをぶち壊したという悲しい映画の一つだ。それまでみてきたハラハラドキドキがすべて無意味なものにされ、ふ~~~~~~~~~ん、それで、なにが面白いん???って感じだった。

話の内容的には☆一つなのだけど、ムードと映像がカッコいいので☆ひとつおまけ。
特にリサ・ボネとミッキー・ロークの“H”のシーンはなかなかよかった。雨のなか、ホテルの一室で“H”をしてるのだけど、雨水が部屋のなかにたれてきてる。それがだんだん料が増えてきて、やがて血にかわっていく。なんで・・・?って謎解きよりも、ひたすらムード先行だった(苦笑)。

ちなみにシャーロット・ランプリング死んだときはおっぱいだしてたけど、これはラバーのような気がする(↓)。ほんとのオッパイはリサ・ボネのそれだけだったような・・・。残念。貧乳でもシャーロット・ランプリングのオッパイはそれだけで価値があるのに・・・。
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by ssm2438 | 2011-07-24 22:44
f0009381_18323743.jpg監督:ジョージ・ロイ・ヒル
原作:ジョン・アーヴィング
脚本:スティーヴ・テシック
撮影:ミロスラフ・オンドリチェク
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:
ロビン・ウィリアムズ (ガープ)
グレン・クローズ (ジェニー・フィールズ)
アリー・ベス・ハート (ヘレン・ホーム)

        *        *        *

不具合をもった人たちの生命力賛歌!

ジョン・アーヴィングの話ではいつもそれを感じさせられる。「不具合」というのは実は誰かしら、もっているものだ。ゆえに「不具合をもった人たちの生命力賛歌」と言えば、誰にあてはまることになる。この映画ではさりげなく不具合をもった人たちの、それでも生きている生命力あふれる映画となっている。
しかし、どこが生命力あふれてる描写なのだ?といわれて、なかなか言い表せない。つまり、私のいう生命力とは、不幸をしらないうちに吸収して、生きているその姿から感じるなにかなのだ。しかし、そこに不幸があるがゆえに、そのれを吸収して内側に閉じ込めてるがゆえに外側もさりげなくいびつになっている。そういう言葉で具体的にはあわらせられないのだけど、確かに「そでも死んでやるもんか!」みたいな生命力をかんじるのである。

アーヴィングの作品のなかでは一番初めに映画化されたのがこの『ガープの世界』。彼の処女作というわけではないが、一番最初にメジャーになった作品らしい。物語の主人公もかなりアーヴィング自身が投影されている。物心つかぬうちに両親が離婚したため、父の顔を知らずにそだった経歴。大学でレスリング部にはいっていたことなどは本人の経歴からきたものだろう。

監督は『明日に向かって撃て』『スティング』『リトルロマンス』ジョージ・ロイ・ヒル。作品の数はそれほどおおくない監督さんだが、70年代のジョージ・ロイ・ヒルは(好き嫌いは別にして)、話題作を提供してくれていた。有能な監督さんなのに、どこに消えたんだ??って調べてみるとなんと、1990年頃から、パーキンソン病にかかり、映画作りから離れてしまったらしい。残念。

<あらすじ>
第二次世界大戦の時、ジェニー・フィールズ(グレン・クロース)は看護婦として従軍していた。ある夜の負傷して意識不明のガープ三等曹長が運び込まれてきた。彼は意識はないものペニスは勃起しているらしく、股間を膨らませていた。ジェニーはかねてから子供は欲しいが男は欲しいとは思っていなかった。彼女は、パンティを脱いで彼の上にまたがった。そして生れた子供がガープである。

青年となったガーブ(ロビン・ウィリアムズ)は、大学のレスリング部に所属していた。そしてのちにコーチの娘であるへレン・ホルム(メアリー・ベス・ハート)と結婚する。2人の息子が生まれたガープは家にいて家事をみながら小説を書き、ヘレンは大学の教師をする。
ジェニーは実家の家をを障害を受けた女性のための施設にしていた。そこの女性たちは話せなかった。それも自主的に舌をきりおとしたという。それは、12歳のエレン・ジェームズという女性をレイプし、彼女の舌を切りとられた犯人と、男たちへの抗議だという。あまりに非人間的な運動だと感じがガープは、「エレン」という小説を出版。これに彼女らはひどく反感をもった。
そのころへレンにはマイケルという教え子の不倫相手ができていた。しかしマイケルのガールフレンドがガープに密告したことで、2人の関係は終止符をうつ。ショックをうけるガープ。ヘレンも罪悪感をひしひしと感じ、もうマイケルには会わないつもりだった。しかしヘレンを家まで送ってきたマイケルは車の中でへレンにフェラチオをせがむ。彼の股間に顔をうずめるヘレン。そこヘ子供二人をのせたガープの車が追突した。へレンはムチウチ症になり、マイケルはペニスをヘレンに噛み切られ、子供の一人は片目を失明、もう一人は死亡した。ガープは一時的な失語症にかかった。
ジェニーは女性州知事候補の応援演説をしている時、反ウーマン・リブの者に狙撃されて死亡する。ガーブはステアリング・アカデミーのレスリング部のコーチに就任。彼がコーチをしていると、一人の女性が彼に近づいてガープを射つ。彼女はエレンのために自ら舌をきった女性のひとりだった。

一見正常のようだが、どこかさりげなく不具合をもつ人ばっかりがでてくる映画だ。。。
みていて楽しい映画ではないが、忘れがたいインパクトがある。
by ssm2438 | 2011-07-24 18:33

密殺集団(1983) ☆☆

f0009381_12584383.jpg監督:ピーター・ハイアムズ
脚本:ロデリック・テイラー/ピーター・ハイアムズ
撮影:リチャード・ハンナ
音楽:マイケル・スモール

出演:マイケル・ダグラス (ハーディン判事)

       *        *        *

アメリカの<仕事人>は判事であった・・・。

『必殺仕事人』起源は、池波正太郎原作の『必殺仕掛人』である。この原作が原点となり必殺シリーズの原点となり、第2作目、『必殺仕置人』が登場。しかしこの『必殺仕置人』からは、『必殺仕掛人』(及び原作の『仕掛人・藤枝梅安』)の設定を踏まえつつも、池波正太郎の原作を持たないオリジナルドラマシリーズであり、以降、中村主水が常時登場する『仕事人』のシリーズへと展開している。
どこにいってもこの手のものは人気になるようで、アメリカでもそれは例外ではないのだろう。そんな必殺シリーズをピーター・ハイアムズがやってみたというのがこの『密殺集団』

ピーター・ハイアムズは私の好きな監督さんの中の一人である。作品的に一番すきなのは『201年』だが、それがハイアムズの魅力かといえばそうではないだろう。はやりこの人の一番の代表作は『カプリコン1』だろう。メグ・ライアンのオッパイをはじめてみせてくれた『プレシディオの男たち』もけっこう好きだ。
しかし、では『カプリンコン1』が素晴らしい映画かといわれると、そうでもない。はっきり行ってこの人の映画でとんでもなく素晴らしいといういう映画はないといっていい。しかし、この監督が私に愛されているのは、その職人監督振りなのである。とにかくき・ち・んと撮れる人だからだ。
最低限度の予算を使い、出来ることの範囲内できちんと仕上げる。作品にかけたエネルギー量と出来上がった作品の出来を天秤にかけたときに、きわめて良質なものを作っているな・・という印象なのだ。もちろん、一般社会ではインパクトの強い映画のほうが受けるにきまっていて、この人が代絶賛されることはほとんどない。しかし、この人の映画をみて思うことは、出来る範囲のことで可能な限り良質の映画を作ろうという姿勢があるなということ。お金をかければすごいことはどうにでもできるだろうけど、こう撮れば、シナリオにある最低限度の伝えるべき内容はつたわるぞ!という、それを的確に処理していってる感じなのだ。
世間にあまり知られることのない、愛すべき頭のいい職人監督さんである。

<あらすじ>
正義と理想に燃え、法律に忠実で安易な妥協を許せない新進判事ハーディン(マイケル・ダグラス)は、捜査方法が違法があったとして、連続老婦人殺人事件の容疑者や、少年の惨殺殺人事件の容疑者を釈放する判断をするしかなかった。殺された少年の父ルーインは、子を失った親の心情を理解してほしいと、法廷で発砲騒ぎを起こし、警官を傷つけ、捕われの身となった。法津の番人となっている自分は凶悪犯を野放しにしている、善悪を法律書に頼りすぎ、法廷に正義を期待してくる人を裏切っているのではないかと自己矛盾に苦しむハーディン。そんなハーディンをみて上司コールフィールド(ハル・ホルブルック)は彼に私設裁判所の話をもちかける。そこでは9人の現役判事が不当に無罪になった事件を再審し、刑を執行するというものだ。ハーディンはそのグループに加入し、次々に過去の無罪と判決が下された罪人に判決を下し、その判決を基に処刑人たちが罪人たちを処分していく。
ハーディンが釈放した少年の惨殺殺人事件の容疑者の男2人にも死刑判決がくだされる。しかし、その後に真犯人を逮捕され、今しがた処刑判決を下した容疑者2人は直接犯人でないことが判明する。その2人を助けるためにスラム街に走るハーディンは私設裁判所にも疑問ちはじめる・・・。
by ssm2438 | 2011-07-24 12:59
f0009381_729370.jpg監督:アラン・パーカー
脚本:クリス・ジェロルモ
撮影:ピーター・ビジウ
音楽:トレヴァー・ジョーンズ

出演:
ジーン・ハックマン (ルパート・アンダーソン)
ウィレム・デフォー (アラン・ウォード)

        *        *        *

重苦しいテーマだが、サスペンス仕立てで観易い。

物語は実際に起きた話を基にしており、黒人差別のある環境での殺人事件の捜査の話。KKK(クー・クラックス・クラン)を正面きって取り上げている。
クー・クラックス・クランは白人至上主義の秘密結社。プロテスタントのアングロサクソン、ゲルマンなど白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持ち一切の罪を犯していない神(イェホバ)による選ばれし民として他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する(ウィキペディアより抜粋)。
ただ、映画ではもちろんクー・クラックス・クランの犯罪を暴くのではなく、クー・クラックス・クランの振りをした犯人が、被害者を殺すとう方向性。まあ、さしあたりないようにするよくある手段のひとつ。

監督のアラン・パーカーは、古くは『小さな恋のメロディ』の脚本、最近では・・・・なんかあったっけ? 最近あんまり聞かないかも。ちょっとまえなら『ミッドナイト・エクスプレス』あたりが有名のその他には『フェーム』『エンゼル・ハート』などがある。

個人的には撮影監督がピーター・ビジウってのが気になる。エイドリアン・ライン『ナインハーフ』『運命の女』などはこの撮影監督さんのカメラ。まあ、エイドリアン・ラインの場合は誰が撮ってもかっこいい画面になるように出来ているが、エイドリアン・ラインの映画にからんでる撮影監督のなかではかな時地味なほうだと思っている。なので、エイドリアン・ラインとピーター・ビジウが仕事をすると、必要以上にあざとくない、けっこういい感じの画面になるという印象があるのだが・・・。
本作の監督はアラン・パーカー。このコンビはどうだろうか??って思ったが、個人的にはそれほど絶賛するほどではなかった。とにかくやたらと夜の青がおおくて、画面的な印象としてあまりバリエーションがなかったかなという印象だった。・・しかし、そういうと聞こえが悪いが、人工照明をやたらと使わず、暗いシーンでも最低限度の補助ライトだけで、可能な限り存在する光で撮影してる感じ。アカデミー撮影賞を取っている。

<あらすじ>
1964年、ミシシッピー州ジュサップの町で起きた3人の公民権運動家の失踪事件を調査するために、2人の腕きき捜査官が現地に派遣された。ひとりは元郡保安官でたたきあげのルパート・アンダーソン(ジーン・ハックマン)、もう一人はハーバード大出のエリート、アラン・ウォード(ウィレム・デフォー)。
黒人差別がまだ根強い南部だけに、人々は捜査に非協力的だった。そして少しでも彼らに協力的な態度を見せた人々は、何者かに家を焼かれたり、リンチにあい、再び口を重く閉ざすのだった。
理詰めで捜査するウォードに対して、アンダーソンは融通性と人間味で捜査を進めていく。やがて保安官スタッキー(ゲイラード・サーテイン)とその助手ペル(ブラッド・ダリフ)の仲間たちが事件に関わっているという確信をもったアンダーソンは、ペルの妻(フランセス・マクドーマンド)を訪ねる。夫とこの町に嫌悪している彼女から3人の遺体が埋められた場所などを聞き出すが、彼女はペルにめった打ちにされ重傷を負う。
怒りに逆上するアンダーソンをなだめるウォードだが、アンダーソンに同意し、プロの脅し屋を雇い、陰で糸を引く町長を痛めつけて口を割らせる。そして次々と町長の口から事件に関与した人物たちの名前とその動機が語られた。
by ssm2438 | 2011-07-24 07:29