西澤 晋 の 映画日記

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2011年 07月 21日

マリリンとアインシュタイン(1985) ☆☆☆☆

f0009381_482636.jpg監督:ニコラス・ローグ
脚本:テリー・ジョンソン
撮影:ピーター・ハナン
音楽:スタンリー・マイヤーズ

出演:
テレサ・ラッセル (女優)
マイケル・エミル (プロフェッサー)
ゲイリー・ビジー (ボールプレーヤー)
トニー・カーティス (上院議員)
ウィル・サンプソン (エレベーター・アテンダント)

        *        *        *

原題は「インシグニフィカンス」(=無意味なこと)。エンディングテロップでは、特定の名前が特定されているわけではないが、女優、プロフェッサー、ボールプレーヤー、上院議員はそれぞれ、マリリン・モンローアインシュタインジョー・ディマジオジョセフ・マッカーシー上院議員を意味している。

物語はかっことしたストーリーがあるわけではなく、これらの登場人物をつかった会話劇である。それぞれの登場人物が劣等感と後悔、悔しさをもち、表の顔と裏の心を表現しながら会話劇はすすんでいく。
アインシュタインを前に、特殊相対理論を説くマリリン・モンローのシーンはとても印象深い。これは数ある映画のなかの名シーンの一つに上げてもいいくらいだ。

アインシュタインは、ナチス・ドイツが先に核兵器を保有する事を恐れるあまり、ルーズベルト大統領に書簡を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものになったことを後悔している(※)。そして彼の懐中時計は広島に原爆がおとされた8時15分でとまったままであった。そして朝の8時15分になると、きまって原爆が落とされたその現象を夢見てしまう。

マリリン・モンローは、自分を表面的アイテムとしか扱わない社会に絶望している。いつも見られる対象だが、ほんとの自分を誰も求めてはくれない、その孤独感にさいなまれている。まだ髪がブロンズではなかった時代の彼女も登場する。彼女自身もみてくれは美しいが、体の内面はぼろぼろであり、妊娠してもすぐ流産してしまう。それでも子供はほしいと思っているが・・・、今回も流れた。

ジョー・ディマジオは、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグが引退したあとのヤンキースをささえた永久欠番プレイヤー。1954年2月1日にマリリン・モンローと結婚。自分はかつて人気ものの野球選手だったことを懐かしそうに誇るが、あたまの悪さに劣等感を覚えている。愛するマリリンをいくら求めても、そんな自分を決して人間的にみとめようとはしない彼女。やりきれない切なさを単純な人間でるように振舞うことでなんとか持ちこたえている。現実の世界でもマリリン・モンローとの結婚は9ヶ月しか続かなかった。

マッカーシー上院議員は、1948年頃より1950年代前半にかけて行われた赤狩りでアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除を推し進めた中心的人物。昔は「いい子ね」っていわれていたのに、今では誰もが忌み嫌うファシスト政治家になってしまったことが許せない。なぜ自分は正しいことをしているの、世間はこんなに自分を嫌うんだ・・と。あんなに愛されていたはずに子供のころの自分はどこにいったのだ・・と。

※ アインシュタインがルーズベルトに送った原爆開発への進言だが、どうもほんとはアインシュタインのものではないらしい。真実は、亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてその考えを提案したとのころだ(ウィキペディアより)。

<あらすじ>
f0009381_3513990.jpg1954年3月のニューヨーク。今まさに国民的な人気女優マリリン・モンロー(テレサ・ラッセル)の白いワンピースのスカートが地下鉄の風でまくれるシーンのロケ中であった。やじ馬の中には彼女の夫でジョー・ディマジオ(ゲイリー・ビジー)の顔もあった。
そんな撮影風景をホテルの部屋から見下ろすアインシュタイン(マイケル・エミル)。彼は、翌日の世界平和会議に出席することになっているが、部屋では宇宙の大統一理論の研究に没頭していた。そんなアインシュタインをマッカーシー上院議員(トニー・カーティス)が訪れる。彼は翌日平和会議への出席をとりやめ、反共産主義の公聴会への出席を要請しにきたのだ。そんなマッカーシーをなんとか追い払ったアインシュタインは眠りにつくが、午前3時、ノックの音がする。でてみるとマリリン・モンローだった。世間ではみてくれだけだと思われている彼女は、もっと認められるべき人間なのだ・・ということを示すために、特殊相対性理論の知識勉強し、それをアインシュタインに聞いてもらい、わかっているかどうかをを確かめるためにやってきたのだ。

モンローを追うように夫のジョー・ディマジオが登場。トイレで貧血になり倒れたモンローにディマジオ夫妻にアインシュタインは部屋を譲り、しばし他の部屋にうつる。意識が戻ったモンローはどうやら妊娠しているらしく、今回は産めるかもしれないと希望をもっていることを話す。朝になってディマジオが部屋から出ている時にマッカーシーがやってくる。彼は、アインシュタインが公聴会に出ないのなら、アインシュタインが今研究しているその書類を全部押収するという。しかし、ベットに寝ていたのはモンローだった。彼女は色仕掛けでなんとかアインシュタインの研究書類を守ろうとするが、そんな色仕掛けにはのらないとばかりに隣にすりよってきたモンローの腹をなぐり、彼女は妊娠していた子供を流産してしまう。自分の生涯の研究が、原爆開発に利用されたことに責任を感じていたアインシュタインは、ホテルの窓から研究書類の一切を投げ捨てる。

部屋にもどってきたディマジオは、「テレビもみない。本も読む、野球の話ももうしない・・だからやり直そう」と伝えるのだが、おなかの子を流してしまったモンローには既に求める希望は無く、離婚してほしいと涙ながらに頼むのだった。すべての希望を失ってさっていくディマジオ。
そして朝の8時15分、ふたたびアインシュタインは原爆に焼かれるイメージをみる。気丈に明るく部屋からでていこうとするモンローの白いドレスを原爆の炎が焼き尽くす・・。

by ssm2438 | 2011-07-21 03:52
2011年 07月 20日

ジャッカルの日(1973) ☆☆☆☆☆

f0009381_2174883.jpg監督:フレッド・ジンネマン
原作:フレデリック・フォーサイス
脚本:ケネス・ロス
撮影:ジャン・トゥルニエ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
エドワード・フォックス (殺し屋ジャッカル)
ミシェル・ロンズデール (ルベル警視)

        *        *        *

どんな圧迫感のなかでも信念を貫き通す男を描き続けるフレッド・ジンネマンドゴール大統領の暗殺を依頼された孤高の殺し屋ジャッカルと、フランス警察の全県を委任されたルベル警視の怒涛の頭脳戦。ルベルの包囲網がどんどん圧迫してくるなか、ひたひたと大統領暗殺のヒットポイントにちかづいていくジャッカル。ここでもジンネマンの圧倒的な圧迫感とそのなかで信念を貫く男の生き様が息苦しいまでにストイックに描かれている。
のちにアメリカのでブルース・ウィリス主演で『ジャッカル』という映画がつくられたが、こっちはただのにぎやかなアクション映画。間違っても同じものだとはおもわないように・・。

この物語の時代背景は以下の通り。
フランスは1954年に始まったアルジェリア戦争の泥沼状態に陥った。アルジェリア民族解放戦線(FLN)の爆弾テロや残虐行為はおさまることなく、フランス国内においても世論は分裂していく。1958年、シャルル・ド・ゴールが大統領に就任、ドゴールは戦費拡大による破綻寸前の財政などを鑑み9月にアルジェリアの民族自決の支持を発表、1961年の国民投票の過半数もそれを支持し、1962年に戦争は終結した。
しかしこれに反対していた現地軍人の一部は秘密軍事組織OASを結成、現地アルジェリアでテロ活動を続け、フランスでも政府転覆を狙って対ドゴール暗殺を企てていた。現役のエリート軍人らによるドゴール暗殺計画はことごとく失敗し、組織の優秀な軍人達は逮捕され銃殺刑に処され、OASの組織も壊滅的な打撃をうけ、その幹部たちは国外に退去していた。

<あらすじ>
1963年、チリー大佐によるドゴール暗殺の失敗、およびチリー大佐の逮捕と処刑の報を聞いたOAS幹部たちは、組織外のプロ暗殺者を雇うことを決める。彼のコードネームは“ジャッカル”。
契約金は50万ドル。その金を用意するためにOASはフランス各地で銀行強盗を決行した。しかしその突然のテロ行為はフランス当局を警戒させるもととなった。「OASがドゴール大統領暗殺のために新たな殺し屋“ジャッカル”を雇ったらしい」という情報を得たフランスの警察機構は、ルベル警視(ミシェル・ロンスダール)と補佐のキャロン(デレク・ジャコビ)に全権を与えるとともに、定期的に治安組織の官僚たちに捜査報告を行うことを求めた。
ルベル警視は、ジャッカルの正体を洗うべく世界中の警察に問い合わせを行い、怪しいイギリス人をつきとめる。その情報を元に、フランス全土の警察・憲兵らを指揮し不審者の入国を阻止しようとするが、ジャッカル(エドワード・フォックス)はすでにアルファ・ロメオの車内に銃を隠し、偽造パスポートで南仏から侵入したあとだった。

f0009381_21563752.gif全国の国境やホテルから毎日届けられる入国者・宿泊者リストを洗い、南仏一帯で何度もジャッカルらしき者を追い詰めるが、ジャッカルは寸前で逃げ、何度も偽造パスポートを取り替えて変装を変えパリを目指す。ルベル警視はおそらく、ジャッカルがOASの極秘の連絡網を利用して、治安トップの報告会の内容やルベル警視たちの対策を全て知っているのではないかと疑い治安官僚総ての電話を盗聴する。そしてOASのスパイの女性とそれとは知らずに愛人関係を持ったひとりの官僚を突き止める。
捜査もむなしく、ジャッカルはパリに入り、意外な姿に変装して忍びながらその日を待った。パリでは全国の警察力とユニオン・コルスまで総動員し、裏町の隅から隅まで情け容赦ない大ローラー作戦を行うが、ジャッカルは見つからない。
8月25日のパリ解放記念式典。ジャッカルは傷痍軍人を装い、警官を安心させて非常線を通り抜け、大統領の式典が行われるモンパルナス駅前の1940年6月18日広場を見渡せるアパートにもぐりこみ、住民の老婆を傷つけ、狙撃の場を確保した。ジャッカルは松葉杖に偽装した狙撃銃を組み立て、大統領に狙いをださめた・・・。

by ssm2438 | 2011-07-20 21:09 | フレッド・ジンネマン(1907)
2011年 07月 20日

東京オリンピック (1965) ☆☆

f0009381_273913.jpg総監督:市川崑
脚本:市川崑/和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎
撮影:林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正
音楽監督:黛敏郎

        *        *        *

市川崑が総監督を務めて制作された『東京オリンピック』。日本国内での配給収入は12億2321万円を記録・・というかなりびっくりな数字。いまほと宣伝もなかっただろうに、記録映画にそれだけの人ははいるというのは今ではかんがえられないこと。今、オリンピックの記録映画をとったとしても、興行収入はほとんど期待できないだろう。

しかし、この映画、かなり陰気なのだ。音楽とくに陰気。なんでそこまでダークな音楽にしなければいけないのは意味不明。ただ、見せる絵は、競技記録映画というよりも、この大会を運営する人々、選手も、観客も、裏方さんももふくめて、人間みのあるシーンを積み重ねてつくられた映画で、人間を感じる記録映画ではあった。

個人的には、子の映画ではじめて円谷幸吉が最後で抜かれるところをみられた。たぶん当時の日本人はあれでかなりの落胆をしただろう。その後、メキシコでは金をめざすといっていた円谷だがオーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。手術を受け病状は回復したが、既に嘗てのような走りを出来る状態ではなかった。そして自殺。
さすがにあの歌(ピンク・ピクルスの『一人の道(ひとりのみち)』)をしってるだけに、あのシーンをみてたらうるうるきた。もし、あそこでBGMにあの歌をながされたらおお泣きしてただろう。

あとアベベのひたすらな走りの延々のフォローにも感動させられた。

同年度のカンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞。記録映画としては異例のことかもしれないが、でもやっぱり記録映画、そんなによいしょするべき映画でもない。

by ssm2438 | 2011-07-20 02:07
2011年 07月 20日

天使のはらわた 赤い淫画(1981) ☆☆

f0009381_1311575.jpg監督:池田敏春
原作:石井隆
脚本:石井隆
撮影:前田米造
音楽:甲斐八郎

出演:泉じゅん(名美)/阿部雅彦(健三)

        *        *        *

最近では『ハサミ男』が有名かな、古くは『人魚伝説』、『湯殿山麓呪い村』とかとった池田敏春が監督した天使のはらわたシリーズ二作目。この作品をきっかけで日活を退社、ディレクターズ・カンパニーに参加し、『人魚伝説』をとることになる。ディレクターズカンパニーは監督たちの手によって思いどうりの作品を作るという理想の作品として、当時の日本映画界では画期的であった。ただ、作品が面白いかといわれるとそうでもないのだけど・・。

この『天使のはらわた』シリーズ、どれがいいってわけでもないのだけど、女優からいえばこの泉じゅん主演の2作目が一番いいだろう。

<あらすじ>
デパートに勤める名美(泉じゅん)は、友人がモデルのバイトに出られないので変わりに行ってくれないかと頼まれ、彼女は軽い気持ち引き受けてしまう。しかし、仕事はビニ本のモデルで、名美はカメラマンに強引に裸にされ、縄をかけられ撮影されてしまう。『赤い淫画』と題されたそのビニ本は大ヒット、彼女のアパートに変な電話がかかったり、不審な男につけられるようになった。
上司の阿川と不倫の関係にあった名美だが、奥さんにバレてこの関係は終了さらにビニ本がデパートで話題になって辞めさせられてしまった。

数日後、健三(阿部雅彦)という男から名美に電話が入った。健三はビニ本の名美に魅せられ、彼女を追っていたのだ。散々逃げまくった後公園でなんとか名美においすがる健三。雨のなか、公園で必死に想いをうちあげる健三。その本は私の本意じゃないのだから、捨ててよ!っというと、抱きしめていた『赤い淫画』のビニ本を捨てる。しかし思い余って雨に打たれ泥まみれになったビニ本をまたひろい大事に懐にしまいこむ建三。彼のあまりの必死さと、仕事も首になったし、不倫も終わった名美は、失うものもなくデートを約束かわす。
デートの日、健三の隣の家の娘が暴漢に襲われ殺された。娘の父は健三を殺人犯と疑い、猟銃を発砲した。

名美は約束の時間を過ぎても健三を待っていた。男は来ない。名美は帰ろうとしたとき、傷口を押え、苦しそうに立っている健三を見つけた。健三はかりていた傘をさしだす。名美は安心すると同時に、涙がとめどなく流れてきた。

by ssm2438 | 2011-07-20 01:32
2011年 07月 18日

バッド・ルーテナント(2009) ☆

f0009381_21533610.jpg監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
脚本:ウィリアム・フィンケルスタイン
撮影:ペーター・ツァイトリンガー
音楽:マーク・アイシャム

出演:
ニコラス・ケイジ (テレンス・マクドノー警部補)
エヴァ・メンデス (マクドノーの愛人・フランキー)
ヴァル・キルマー (スティーヴィー・プルイト)

       *        *        *

ヴェルナー・ヘルツォークが・・・・これかい???

<あらすじ>
前回はニューヨークが舞台だったのだが、今回はニューオリンズに舞台を移してある。
巨大ハリケーン・カトリーナの襲来を受け、署内に置き去りにされた容疑者を救い出した功績によって、刑事テレンス・マクドノー(ニコラス・ケイジ)は警部補=ルーテナントに昇進する。一躍正義の刑事となったマクドノーだったが、裏では、恋人である高級娼婦フランキー(エヴァ・メンデス)と、ドラッグやギャンブルに溺れる日々。ある日、セネガルからの不法移民の一家5人が惨殺されるという事件が起き、マクドノーが捜査の指揮を執ることになる。

ヴェルナー・ヘルツォークは知る人ぞ知る、ちょっといっちゃってる監督さんの一人。『アギーレ・神の怒り』『フィッツカラルド』など、個性派俳優クラウス・キンスキーとのコンビで狂人的な映画を連打していた監督さん。それが・・・これかい???
ま、わからんでもないけど・・・。

そもそもドイツ人の監督さんというのは、「てめーら勝手に腐ってろ映画」を良く撮る。二度の世界大戦で負けたことがやたらと精神的な影響を与えているのだとおもうが、「我々は勝つんだ!」って映画がもう撮れなくなっている。いいかげんその呪縛からのがれてもいいのだけど、なかなか逃れられないでいる。同じドイツ人のフォルカー・シュレンドルフなんかも「てめーら勝手に腐ってろ映画」に傾倒する。『愛の嵐』ウェルトミューラーだってやっぱり「てめーら勝手に腐ってろ映画」だ。なので、この手の映画をドイツ人の監督さんにとらせるのは、ある意味あっているかもしれない。いや、かなり妥当な気がしてきた・・(苦笑)。

この映画は、リメイクである。オリジナルはやはりエドワード・R・プレスマン製作の『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』。90年代前半に作られた映画なのだが、さほど年月をあけづに作られたのはなぜでししょう? そのときはハーヴェイ・カイテルがバッド・ルーテナントを演じていた。
今回はニコラス・ケイジ『ウェーザーマン』からつづいて、ドツボのなかを必死にパドルしてるキャラクターを演じている。ニコラス・ケイジはもうこういうキャラが板についてきたね。

オリジナルの話をみてないのでなんともいえないのだが、ヴェルナー・ヘルツォークの描く主人公というのは、どこか破綻してるのだけど、それでも一握りの良心がのこっているのである。この映画の主人校もそうだ。麻薬に溺れ、ギャンブルに溺れてすってんてん。あちらこちらから金返せと追われている。この映画に限らずヘルツォークの描く人間というのはどこかそんなところがある・・・・ような気がする。この映画ではドツボのデススパイラルのごとく、どんどん渦巻きの中央に引き込まれていくのだけど、最後の最後でなんとか切り抜けて、警部に昇進してしまうという話。

ま、すかん部類の映画だな。
しかし、エヴァ・メンデスはなかなかいろっぽい。ほとんど彼女がどこかで脱いでくれるんじゃないだろうかって期待しながら見てた(苦笑)。でも、残念ながらサービスカットはありませんでした。

by ssm2438 | 2011-07-18 21:54
2011年 07月 17日

デジャヴ(2006) ☆☆

f0009381_2333366.jpg監督:トニー・スコット
脚本:テリー・ロッシオ、ビル・マーシリイ
撮影:ポール・キャメロン
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

出演:
デンゼル・ワシントン (ATF捜査官ダグ・カーリン)
ポーラ・パットン (クレア・クチヴァー)
ヴァル・キルマー (FBI捜査官プライズワーラ)
ジム・カヴィーゼル (キャロル・オースタッド)

        *        *        *

うむむむむ・・・なんですか、これは・・・・????
見せ方一つ一つは決して悪いとは思わないのだけど・・、なんか釈然としない映画・・・・。イベントだけを楽しめる人にはいいかもしれないけど・・・。犯人役のジム・カヴィーゼル『オーロラの彼方へ』でも時間軸いじくりものをやっていたが、これでもかいな・・。
・・・しかし、なぜこんなに空しいのかよく判らない。画面はほんとに迫力もあるし、いいんだけどなあ・・・。なにか、とっても大事な感動させる要素がひとつ抜け落ちてる感じ。なんなんでしょう。
・・・あとで考えよう。。。

・・・あとになって考えたのだが・・・、もしも最後でダグが死ななかったら・・・、あれは制作の都合上そうしてるだけで、あそこでダグも逃げ出してたら・・・、未来から来たダグと今のダグが鉢合わせすることもあったわけだ・・・。すくなくともこの映画にはそうなる可能性があった進行だし・・・、もしそうなって三人が肩組んで終了ってことになってたわけだ・・・。

それでもいいてことだよなあ。・・・・ま、いいか、それでも。。。。

by ssm2438 | 2011-07-17 23:10
2011年 07月 17日

マイ・ボディガード(2004) ☆☆☆

f0009381_17515360.jpg監督:トニー・スコット
原作:A・J・クィネル、『燃える男』(新潮文庫刊)
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
撮影:ポール・キャメロン
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

出演:
デンゼル・ワシントン (ジョン・クリーシー)
ダコタ・ファニング (ピタ・ラモス)
クリストファー・ウォーケン (ポール・レイバーン)
ラダ・ミッチェル (リサ・ラモス)
マーク・アンソニー (サムエル・ラモス)

        *        *        *

父ちゃん役を怪しい顔の人にするのはやめてほしいなあ。もっと良い人っぽいのがいい。

いやああ、期待せずにみたら面白かった。あのウザいカメラワーク演出さえなかったら名作になってたかもしれないのに・・、もったいない。個人的にはダコタ・ファニングは死んでてくれたほうが良かったんだけど。
監督は、古くは『トップガン』、新しくは『サブウェイ123』トニー・スコット。兄リドリーと比較されたりもしますが、この人はこの人で無難に観られる映画を作り続けてます。この人、下手に芸術派きどりにならないところが良かったと思ってたんだけど、今回のカメラワークはいただけないなあ。もっと普通に安定してそこそこ良作をつくっていってほしいものだ。

ちなみにA・J・クィネルの原作は、ミラノの富豪の娘のボディ・ガードに雇われた。だが娘が誘拐・惨殺される。標的はシチリア・マフィア。映画ではそれがメキシコに舞台を変えている。

<あらすじ>
米軍で16年間も対テロ活動に明け暮れてきた暗殺のプロ、ジョン・クリーシー(デンゼル・ワシントン)は、感情の乏しい人間になっていた。そうすることで自己破壊を食い止めていたのだ。そんなクリーシーは、部隊の先輩レイバーン(クリストファー・ウォーケン)の紹介で。メキシコの実業家サムエル・ラモス(マーク・アンソニー)と妻リサ(ラダ・ミッチェル)の9歳の娘、ピタ(ダコタ・ファニング)のボディガードとして働くことになる。
最初は義務的に仕事をこなしていたクリーシーだったが、やがて純粋なピタとの交流の中で、笑うことを思い出す。だがある日、何者かにピタが誘拐されてしまう。4人の男は倒したが、クリーシー自身も銃弾をうけ病院に送られる。ラモス家では、弁護士のジョーダン(ミッキー・ローク)が犯人との交渉を仕切ろうとするが、司法警察が強引に介入。事件の背後には、政府の幹部や汚職警官の巨大犯罪組織エルマンダーが絡んでいた。
身代金の引渡しは失敗、犯人の甥にあたる男が殺される。それを受けて取引は終了、ピタも始末することをほのめかして電話は切れる。絶望するリサ。
まだ安静が必要なクリーシーだが、復讐の炎が燃え上がる。かつてピタの送り迎えの車をつけた謎の車のナンバープレートをピタがメモしていた。そのメモ帳をとりラモス邸に戻るクリーシー。衰弱した夫人がちかづいてくる。

「精一杯努力します・・」
「何を・・・・?」
「ピタを殺したもの、この誘拐で甘い汁を吸ったもの・・見つけ出して殺します」
「・・・・みんな殺して」

黒幕関係者を次々と殺害していくクリーシー。弁護士のジョーダンや、司法警察の署長、そして実は、ピタの父であるサムエルもグルだったことが判明。彼は借金返済のために娘の誘拐を承諾してしまったのだ。それが妻リサにバレて、サムエルは自殺。クリーシーはさらに犯人組織を追い詰めていき、一度死んだと聞かされたピタがまだ生きていることを知る。そして犯人の弟を人質にとったクリーシーは、その弟と自らの身を引き替えに、ピタをとりもどす取引をするのだった・・。

by ssm2438 | 2011-07-17 17:52
2011年 07月 17日

結婚しない女(1978) ☆☆☆

f0009381_1761469.jpg監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
撮影:アーサー・オーニッツ
音楽:ビル・コンティ

出演:
ジル・クレイバーグ (エリカ)
マイケル・マーフィー  (旦那・マーティン)
クリフ・ゴーマン  (最初に寝てみた男・チャーリー)
アラン・ベイツ  (抽象画家・ソール)

       *        *        *

ビル・コンティのスコアって、全然イメージが違うようでいつも、妙に納得させる不思議な音楽。

ビル・コンティといえば、『ロッキー』『ライトスタッフ』という印象がつよいのだけど、この映画も実はそのビル・コンティ。この人の音楽って、意地でもそこじゃないところを行く、変な印象なのだけど映画を見てると、妙にいいんだ。実に不思議な音符を書く人だなあっといつも思う。
たとえばハンス・ジマーだったら、カッコいいところではじつにかっこいい音楽で、ああ、そうじゃろうそうじゃろうって思うのだけど、確かにカッコいいんだけど、カッコいいあたりまえすぎて今ひとつ私のなかでは面白さがない人になっている。でも、監督やってると、「ここのBGMはハンスジマーのあの感じで」って言ってしま判り易いカッコよさを提供してくれるのも間違いなく、説明しやすいひとだ。しかし、ビル・コンティは「そんなのだれがやったってカッコよくなるだろう、それをやらないでかっこよく聞かせるメロディをつくるんだ!」っていう一味違うプロ根性を感じる。
この映画が、70年代後半をいきる既婚女性の精神的自立の話で、『ロッキー』や『ライトスタッフ』のようないかにもビル・コンティって音楽ではなくて、場違いをかんじないけでもないんだけど、見終わってみると「ああ、この音楽わるくないんじゃない。。」って思ってしまう。不思議な味付けの作曲家、ビル・コンティである。

監督は私のご贔屓監督のひとりポール・マザースキー。この人の人間描写はなんかいいんだ。世間的に一番認められている『ハリーとトント』はいまいちだったのだけど、『ハドソン河のモスコー』大好き。でも『パラドールにかかる月』は超NG。実は『ハドソン河のモスコー』しかアタリがないのかもしれないが、この人のウィットにとんだ語り口は素敵である。
ポール・マザースキーの魅力は感性の柔軟さ・・というか、愛されてない不安があまりないなかで展開されることだろう。はは、説明になってない。人間に許容量があるのだ。自分が愛されいないかもしれない・・という恐怖感がない。
なんでも、女系家族で育った一番末っ子の男の子はやたらと甘えん坊になるらしいが、そんな感じ。自分がどんなになさけなくて、かっこわるくて、お姉ーちゃんたちが「良い子良い子」ってしてくれる。そんな中で育つと甘えるのが上手になり、女に憧れをほとんど持たなくなるらしい。ポール・マザースキーの映画のなかでは、憧れるよう女は決して出て来ない。現実的な女なのである。そして同様時、どこか男にあまい、男のわがままさを受け入れている女なのだ。
私は男兄弟のなかで育ったので、女性というものが異物・エイリアンにしかみえないのだが、女の兄弟姉妹がいるなかで育っていると「女」というものが不思議ではなく見えてくるようだ。中学校~高校と、お姉ーちゃんや妹がいる家庭で育った男は、女に憧れをさほどもたないらしく、妙にあっさり彼女をつくってるな・・って印象があった。女のほうも、お女姉妹がいる男のほうが、付き合いらしい雰囲気があり、不思議とさらりと付き合いはじめるなように見えた。ポール・マザースキーの映画には、その時感じた感性をやたらと感じる。あんなふうに、気楽に女と付き合えたらいいなあと当時思ったものだ。ま、そういう私も歳をとったので、いまではそれほどびびることなく女性と話せるのだが・・・。

この映画は、70年代の何不自由なく普通に主婦をやってた主人公が離婚することになる。旦那が愛人がいることを告白、別れることになった。いざ、別れ見ると、いままで自分が16年間「旦那の奥さん」だっただけ、自分ではなかったことにきづく。だからといっていきなり自分とはなんぞや、自分はどうあるべきか?を求められても、何をどうしていいのかわからない。16年間同じ人としか“H”をしたことがなく、彼が最初だった彼女にとっては、他の男とセックスをすることも恐怖でしかない。しかし歳をとり「女」として見られなくなる恐怖も同時進行している。そんな状態からの「一人の人間」として心を健全化していくお話である。
実は、当時のアメリカ女性ってそれほど自立していたわけではない。我々の感覚からすると、アメリカ女性ってのはもっとも、自立している女性だって印象がつよいのだけど、70年代の映画をみると、結婚して家に入ったら旦那の言いなりになるってケースが実は少なくない。特に南部はその傾向がつよかったようだ。マーティン・スコセッシ『アリスの恋』などをみても、驚くほど旦那の言いなりになっている女性像が描かれていてびっくりしてしまう。この映画の主人公は、アリスほどではないにしろ、家庭にはいるったという状態が長期間つづいたせいで自己を失い、楽しみは女友達とのだべりだけ・・というようなところからドラマがはじまり、徐々に精神的な自己再構築へと向かっていく。

<あらすじ>
ニューヨークの画廊につとめるエリカ(ジル・クレイバーグ)は、結婚16年目にして旦那から浮気を告白される別れることになる。そしうて始まる15歳の娘パティー(リサ・ルーカス)と2人の生活。パティーがボーイフレンドと寝室にいるのを発見すると、自分だけが取り残されるような恐怖感を覚える。エリカは女精神医タニア(ペネロープ・ルーシアノフ)に相談に行き、徐々に心が解放されていく。
その第一弾として、いつも自分にちょっかいをだしてくる画廊の主人チャーリー(クリフ・ゴーマン)と寝てみる。どうもやっぱりはずれ。そうしていると中年の抽象画家ソール(アラン・ベイツ)と出会う。彼とも寝てみる。それほどアタリとも思わなかったのだが、彼との接点が重なるごとに、彼の良さがどんどん判って来る。ソールも再婚を望んでいるようだ。やがて夏が来て、ひと夏バーモントですごすことになるソールはエリカも一緒にくるように誘うのだが・・・。

by ssm2438 | 2011-07-17 17:06
2011年 07月 17日

イーグル・アイ(2008) ☆☆

f0009381_13113539.jpg監督:D・J・カルーソー
脚本:ダン・マクダーモット
    ジョン・グレン
    トラヴィス・アダム・ライト
    ヒラリー・サイツ
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ブライアン・タイラー

出演:
シャイア・ラブーフ (ジェリー・ショー)
ミシェル・モナハン (レイチェル・ホロマン)

        *        *        *

ひとことでいって、よくある話。大管理をまかせられた巨大コンピュータが人間に対して反乱を起こすたぐいの話だが、一応<一ひねり>いれてある。物語自体はスリリングでそれなりに面白いが、なんでも出来ちゃう大管理コンピュータというのは・・・もう見飽きてしまったかな。以下(↓)、一応<一ひねり>の部分である。

冒頭衛星からのカメラが中東の某国、某地域でテロリストの重要容疑者と思われる〇〇を捕捉していた。どうやら葬儀かなにかの集まりのようだ。アメリカCIAの連中はこれをミサイルで殲滅したいと思っているが、その確証がえられない。携帯電話の盗聴した音声やおぼろげな画像からコンピュータはその男がほんとにテロの重要容疑者かどうか判断しようとしている。コンピュータの回答は、ターゲットである可能性は50%、よって攻撃は許可できない・・というものだった。しかし、そうであってほしいと願うCIAの現場の責任者は、大統領などからもつつかれ、攻撃に踏み切ってしまう。ミサイルがその男とまわりの葬儀に参列していた人たちを木っ端微塵に吹き飛ばす。・・・しかし、これが別人だと後で判る。テロ組織は報復行動にでて、アメリカ国内で爆弾テロ事件が起こる。
そして大管理コンピュータは判断する。私が攻撃不可と判断したにもかかわらず、その判断を無視して攻撃し、その結果誤爆であり、さらにアメリカ国民をテロの危険に陥れたものがいる限り、この国の平和は守れない。よってこれを排除する。大管理コンピュータは、アメリカの指導者たちを排除することが、アメリカ国民を守るために必要なことだと判断し、行動にうつす・・という内容。大管理コンピュータにしてみればあたられた使命を果たしているだけだが、政府役人たちにとってはコンピュータの反乱ということになる。

軍の最高機密に通じているある男が、このことを察知しプログラムにロックをかけてしまうが、後に彼は事故死してしまう。その部分を解除するためには彼の音声だったか網膜だったかのID照合が必要になる。困ったコンピュータはこの物語の主人公=彼の双子の兄、ジェリー・ショー(シャイア・ラブーフ)に狙いを定める。彼をコントロールルームまでつれてきて、ロックを解除させようとする。

・・・以下、本編のやかましい物語がはじまる。


監督のD・J・カルーソーは大のヒッチコックファンで、前作の『ディスタービア』『裏窓』を現代版にしたものだった。しかしこの作品では、『裏窓』の原作の著作権を所有する団体が本作を製作したドリームワークスらを訴えている。それに懲りたのか、今回の『イーグルアイ』では、ヒッチコックの作品(主に『北北西に進路をとれ』)のムードを継承しつつ、それを現代的な環境に置き換えて物語を作っている。
ヒロインのミシェル・モノハンは、これから良い感じに伸びていきそうな女優さん。ポスト・ゼタ姉ーさん的な役どころで伸びていきそうは雰囲気のある女優さんです。

by ssm2438 | 2011-07-17 13:12
2011年 07月 17日

アンフィニッシュ・ライフ(2005) ☆☆☆

f0009381_5113988.jpg監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:マーク・スプラッグ、ヴァージニア・コラス・スプラッグ
撮影:オリヴァー・ステイプルトン
音楽:デボラ・ルーリー

出演:
ロバート・レッドフォード (アイナー)
ジェニファー・ロペス (ジーン)
ベッカ・ガードナー (グリフ)
モーガン・フリーマン (ミッチ)

        *        *        *

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』ラッセ・ハルストレム。この人、田舎を撮らせたら上手いなあ。スウェーデンの田舎も上手いけど、ワイオミングの田舎も上手いなあ。ロバート・レッドフォード自身が監督やってもこれはなかなかいい作品だと思うが、きっとラッセ・ハルストレムがやったほうがもっと自然だろうなあ。この人の見せ方は、演出してないのにふりして、じわ~~~~~~~としみてくる演出。上手いなあって感心してしまう。

同棲相手に暴力をふるわれ、家をでるジーン(ジェニファー・ロペス)と娘のグリフ(ベッカ・ガードナー)。行く宛てのないジーンは最後の場所として亡くなった夫の父親アイナーの住むワイオミングの実家に向かう。

「何しにきた?」とつめたく迎えるアイナー(ロバート・レッドフォード)。
「来たくて来たわけじゃないわ」とジーン。

ジーンは以前、居眠り運転で事故を引き起こし、隣にいた夫を死なせてしまった。そのことが許せないアイナーは、ジーンと娘(アイナーにとっては孫)に冷たくあたってしまう。
そんなアイナーの隣人のミッチ(モーガン・フリーマン)は熊に襲われて歩けない状態。そんなミッチを世話するのは、ミッチが熊に襲われていた時、酔って何も出来なかった責任からだった。そしてその熊が町の自衛団に捕獲され、動物園に入れられた。

それぞれが心の中に後悔するなにかを持ち、罪の意識を感じながら生きている。ミッチは、死んだらそんな罪の意識は消えるという。つまり、生きている間は持ち続けるしかない・・・ということらしい。ミッチは熊を許し、アイナーに、その熊を檻から出して森に返してやってくれと頼む。この物語は、不幸を誰かのせいにするこを辞め、それを身の上に起きたイベントとして受け入れ、そこから先に人生をつむいでいくことを語っている。
その不幸を誰かのせいにして、その誰かを責めている間は、人は前に進めない。その誰かを責めることに仕手人生に立ち止まっている。それは<おしまいの人>の人生。「アンフィニッシュト・ライフ」というのは、そこで<おしまいにしない人生>のこと。

いい映画をみせていただきました。

by ssm2438 | 2011-07-17 05:12 | ラッセ・ハルストレム(1946)