西澤 晋 の 映画日記

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2011年 07月 17日

地上(ここ)より永遠に(1953) ☆☆☆

f0009381_2114782.jpg監督:フレッド・ジンネマン
原作:ジェームズ・ジョーンズ
脚本:ダニエル・タラダッシュ
撮影:バーネット・ガフィ

出演:
モンゴメリー・クリフト (プルーイット)
バート・ランカスター (ウォーデン曹長)
デボラ・カー (カレン)
フランク・シナトラ (マッジオ)
ドナ・リード (ロリーン)

        *        *        *

フレッド・ジンネマンといえば村八分モノという印象があるが、この映画もそうである。エリア・カザン『波止場』もジンネマンに撮らせればよかったのに・・。そしたらもっと村八分度があがっていたんじゃないだろうかって思う。
この映画、1953年のアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞他・・、けっこう取っているのだが、映画的にはまあまあだったかな・・という印象。軍のプルーイットに対する村八分攻撃とそれに頑固にたえるプルーイットの描写はいいのだけど、できるならその溜めた憤懣を放出するエピソードをなんとか入れてほしかった。一応フランク・シナトラを殺したアーネスト・ボーグナインをナイフで殺すところはあるが、今ひとつ発散しきれない。・・でもそれがなくてもプルーイットの吹く、トランペットの音色には感動した。あれに総てをこめたのだろうな。いつもながら信念を曲げないキャラクターを描くジンネマンだが、この映画の主人公プルーイットは、融通の利かない愚か者感のほうが強い(苦笑)。

あと思うのが、日本人にとってアメリカとの太平洋戦争は必死の戦争だったのだけど、アメリカにとって日本との戦争は片手間だったのだろうな・・ってこういう映画をみていると思いしらされる。この映画の最後は真珠湾の奇襲攻撃なのだが、それすらも、劇中ではあまり深刻なことではなく、ただプルーイットを後ろから仲間の兵に撃たせるための環境作りでしかない・・。さすがアメリカ映画・・。

f0009381_2112745.jpg<あらすじ>
第二次大戦直前の1941年夏、ホノルルのスコーフィールド兵営にロバート・E・プルーイット(モンゴメリー・クリフト)とが転属してきた。新しい部隊の中隊長ダナ・ホルムズ大尉(フィリップ・オーバー)は、ボクシングに夢中で、プルーイットが以前、軍隊でのミドル級のチャンピオンであったことを知って、下士官に昇進を条件に彼にチーム入りをすすめた。だが、プルーイットはかつて試合中に戦友を失明させて以来、2度とボクシングはやらないと誓いをたてていた。実質上中隊の支配者であるウォーデン軍曹(バート・ランカスター)は、プルウに反抗はやめろと警告したが、強情なプルウは聞き入れなかった。そのためホルムズ大尉のプルーイットに対するイジメは次第に強くなり、彼は過剰なシゴキを受け始める。
そんなプルーイットの唯一の味方が一等兵のアンジェロ・マッジオ(フランク・シナトラ)だった。週末の外出に、マッジオはプルウを慰安所に連れていった。プルーイットはその店でロリーン(ドナ・リード)という女と知り合い、恋に落ちた。
真珠湾攻撃直前のある日、マッジオが無断外出して酒に酔い、MPに逮捕されて営倉入りとなった。普段プルーイットに味方しているマッジオはその腹いせに営倉係のジェームス(アーネスト・ボーグナイン)にひどい暴行を受け、なんとか逃走してプルーイットの許に逃げのびたが、極度の内出血のため絶命した。プルーイットは心に固く戦友の復仇を誓い、町かどでジェームスとナイフで決闘した。ジェームスを殺したプルーイットだが、自らも重傷を負ってロリーンの家に身を隠した。
12月7日の朝、日本軍は真珠湾を攻撃した。プルーイットは帰隊すると云い張り、ロリーンの必死の引き留めを振り切って外へ出た。よろめく足をふみしめて兵営に向かった途中で警備兵に発見され、射殺されてしまう・・。なんじゃそれは・・・!?

by ssm2438 | 2011-07-17 02:13 | フレッド・ジンネマン(1907)
2011年 07月 17日

白い恋人たち/グルノーブルの13日(1968) ☆☆

f0009381_0513189.jpg監督:クロード・ルルーシュ、フランソワ・レシャンバック
脚本:ピエール・ユイッテルヘーベン
撮影:フランソワ・レシャンバック
    ウィリー・ボグナー
    ジャン・ピエール・ジャンセン
    ジャン・コロン
    ギイ・ジル
    ジャン・ポール・ジャンセン
    ピエール・ウィルマン
音楽:フランシス・レイ

        *        *        *

1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画。当時はオリンピックの記録映画はけっこう取られていた。いまでも撮られているとは思うが、映画として印象にのこっているのはこのグルノーブル冬季オリンピックと、市川崑『東京オリンピック』くらいか・・。そのむかし『民族の祭典』というドイツの戦前のオリンピックの記録映画もあったが・・。

ただ、所詮は記録映画、どこぞのイベント会場で流しておくにはいいが、わざわざテレビの前に座り、あるいはスクリーンの前に座り観るほどの映画ではない。そんなことをしたら飽きる。これは通りすがりにちらっとみて、ああ、なんだか良いムードだなって思えればそれでいいので、全部みるとその余韻もさめるだろう。

しかし・・、この映画のフランシス・レイの音楽だけは素晴らしい。この音楽を聴くだけで懐かしさをすがすがしさを感じてしまう。この映画はクロード・ルルーシュのカット割りと、それに重ねられたフランシス・レイの音楽に酔う映画だろう。

by ssm2438 | 2011-07-17 00:52
2011年 07月 15日

ポケットの愛(1977) ☆☆

f0009381_238379.jpg監督:ベルナール・クィザンヌ
脚本:ピエール・ペルグリ/ベルナール・クィザンヌ
撮影:アラン・ルヴァン
音楽:ローラン・プティ・ラール

出演:
パスカル・セリエ (ジュリアン)
ミムジー・ファーマー (コールガール・エレナ)

        *        *        *

思春期の少年が、年上の女性と初体験をし、大人へ成長するというくくりの映画は数々あれど、個人的には一番好きかもしれないのがこの『ポケットの愛』。しかし一番好きというだけであって、これがすっごく面白いかどうかというとそうでもないのだけど・・・、たんにミムジー・ファーマーがいいというだけかもしれないが・・、ただ、ミムジー・ファーマーならもっと前の映画のほうがいいかな。さすがにこの頃の彼女はちょっとくたびれてる感がある。昔はミア・ファーローと間違えて覚えてた(苦笑)。
しかし、10年前くらいにたまたまつけたテレビでみたなら、思った以上にみててしっくり来る映画だった。こんなので安易に感動させられるとは・・私も単純なつくりの男だなあっと再認識した。

しかし、このころの女優さんは実に歯が悪そうだ。酒井法子じゃないけど、薬のやりすぎだろうな。マリアンヌ・フェイスフルも歯がわるそうだったし、エレン・バーキンもやっぱり歯がわるそうだった。

<あらすじ>
両親がバカンスに出かけていた最後の夜、15歳のジュリアン(パスカル・セリエ)は、自分の家にエレナ(ミムジー・ファーマー)という30歳近くの魅力的な女性を連れてきてしまった。パーティに出ていたジュリアンたちは帰りにバーに立ち寄り、そこにいた女を口説いたのだが、結局ジュリアンが彼女の相手をつとめることになったのだった。
そして再びエレナが学校に現わた。彼女はジュリアンを自分のいるホテルに誘い出した。その後、エレナからは何の連絡もなく、ジュリアンのエレナへの思慕は頂点に達していた。エレナも、本気で自分にあこがれてくれるジュリアンに対し、初めて味わう恋心を感じるようになっていた。週末、2人はバカンスに出かけ、雨が降る中でテントを張ってすごした。
学校に戻ったジュリアンは、エレナが政財界のトップクラスを相手にしているコールガールだということを知らされる。政財界の裏取り引きの道具にされているエレナは、ジュリアンだけが人として自分にせっしてくれる人物だったのだ。ジュリアンが事実を悟ったのを知り、エレナは別れる決心をした。別荘で数日楽しい日々を過ごした後「愛しているから身をひきます」という言葉をのこして、エレナは去っていくのだった。
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by ssm2438 | 2011-07-15 02:39
2011年 07月 12日

レリック(1997) ☆☆

f0009381_15154921.jpg監督:ピーター・ハイアムズ
脚本:エイミー・ジョーンズ
    ジョン・ラッフォ
    リック・ジャッファ
    アマンダ・シルヴァー
撮影:ピーター・ハイアムズ
音楽:ジョン・デブニー

出演:
ペネロープ・アン・ミラー (マーゴ・グリーン)
トム・サイズモア (ビンセント・ダガスタ警部補)

        *        *        *

スタンダードなCGモンスター物

監督はピーター・ハイアムズ。この人さりげなく好きjなんだ。『2010年』とか『カプリンコン1』とか、観客にこびない姿勢が良い。必要でないドンパチはいれないし、見せ方はきちんとしてるし、アクションもきびきびしている。撮影監督あがりの監督さんなので、光の使い方もうまい。ライティングの使い方がかっこいいんだけど、スタンダードに見えてしまう。これはヤン・デ・ボンなんからだお、明らか内あざといライティングで「私やってますよ~~」みたな押し付けがましさがあるのだけど、この人のライティングは実に自然だ。
ただ、今回のライティングに関していえば、もうちょっと見せない工夫はできてるけど、もうちょっと見えてもいいのでは?っとおもうところもいくつかあった。

そんなハイアムズがモンスターパニック物?それもCGによるモンスター?って違和感を感じたが、きわめて普通にスリリングに出来上がっている。ただ、作品自体に華がない(苦笑)。ペネロープ・アン・ミラーも悪くはないが、主役としてはちょっとインパクトが弱いかなあ。モンスターもイマイチ燃えないし・・、すでに『エイリアン』などでこの分野はほとんどやりつくされていて、なにかこの映画ならではの特異性がみられればとおもったが、特にそれもなく、なのでいまさら・・という印象はぬぐいきれない。

<あらすじ>
シカゴ歴史博物館に南米の調査員から2つの木箱が届いた。1つはゼンゼラ族の神獣レリックの石像。もう1つにはくっしょんとして敷き詰められた発破の他は何も入ってなかった。博物館勤務の進化生物学者のマーゴ・グリーン(ペネロープ・アン・ミラー)は、その葉に付着していたカビ状の胞子を分析のために保存する。その夜、博物館の警備員が惨殺された。
博物館では夜に開かれるパーティの準備に追われていた。市長や有力な後援者を招くこのパーティは、助成金獲得のためにも重要な催しだった。マーゴはあの葉のサンプルを食べて巨大化した甲虫に遭遇し、そのDNAを分析すると、そこに甲虫とヤモリの遺伝子が混在しているのを発見する。警察犬を使って捜索を続けた警察部隊は、地下坑道で巨大な影に遭遇した。パーティの参加者に非難命令を出すが、セキュリティ・システムが暴走、防火扉が封鎖されてしまった。怪物が怪力で鉄の扉を壊して彼らを襲い、1人また1人と犠牲者が増えていく。
怪物を生んだのは例のカビ=未知の寄生生命体であり、その結果、様々な生物の遺伝子を取り込んだ怪物=コソガに進化したという。その怪物のDNAには人間、すなわち南米で失踪した調査員のDNAが含まれていることが判明。マーゴは1対1でコソガと対決し、爆薬を調合して怪物に放つ。怪物は猛火に包まれ、やがて爆死した。

by ssm2438 | 2011-07-12 15:16
2011年 07月 12日

トランスポーター2(2005) ☆

f0009381_844020.jpg監督:ルイ・レテリエ
脚本:リュック・ベッソン/ロバート・マーク・ケイメン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:アレクサンドル・アザリア

出演:
ジェイソン・ステイサム (フランク・マーティン)
ケイト・ノタ (女殺し屋・ローラ)

       *        *        *

思考能力欠乏症の人向け映画。つまらん。

麻薬を撲滅しようとしているある政治家の子供の送り迎えという簡単な仕事についた、プロの運び屋フランク・マーティン(ジェイソン・ステイサム)。しかしその子は、フランクの活躍もおよばず、何者かに誘拐されてしまう。その子はすぐに親元に返されるのだが、空気感染で人を死においやるウィリスを注射されていた。彼らの目的はこのウィリスにより、麻薬サミットに出席するその子の父親や、アメリカの大統領までもを殺す企てだった。フランクはその子のための解毒剤をもとめて悪の組織にのりこんでいく・・・。

とにかくアクションシーンがカス。本物感のないちゃらちゃらしたアクションと主人公の余裕ぶっこきいリアクションだけが延々つづくので、早回ししたくなる。が、不運にもテレビ放映だった。仕方がないのでだらだらしながら最後まで見るはめに。最近この手のチープなクソ・アクション映画が多い。

ちょうどいまやっている某パチスロのアニメパートの字コンテを出してきたパチンコ屋さんが、この適役のお姉ーちゃんのポーズをサンプルにだしてきてたのだけど、作品を作る人間がこういう映画してみてないようではどんどん映像が劣化していくだけだ。現状にアニメ製作現場での問題点は、広告代理店とかメーカーのプロデュースする側の人たちが、こういうちゃらちゃらした映画か下手なアニメや漫画しかみてなくって、根本的なドラマ作りの基本を判ってない。それがそのまま表面的なちゃらちゃらした部分だけをおしつけてくるので、スタート時点からマトモなお話が作れなくなっているということが問題だ。

何が面白くないかって、見ている人に想像させる部分がない。ひたすらありえないアクションと偶然で解決するイベントが連打される。与えられる情報で映画を見る人向けなのである。もっと簡単な言葉で言うと知能指数の低い人向けなのだ。
見る人間がもう少しこれが大人になると、自分を同調させながら映画をみるようになる。そして、ドラマの中に展開される主人公たちと一体になって、非日常を体感する。
しかしこの映画などは、ただただ画面を通してみている人に絶え間ない情報を与え続けるだけで、「考えない」人のための映画なのだ。ゲームと同じで時間つぶしをするための映画。
90年代からCGの登場により、目新しい画面を提供することが売りになってきた映画界だが、それと同時にこの「考えない人たちのための映画」が激増してくる。そしてどんどん、考えることを提供するお利口さん向けの映画の作れる人が少なくなってくる。それでも出来る人はいたはずだ。現状は、現場の人間の技量的な問題よりも、プロデュースする人間、映画を企画する人間に携わる人間の「いい映画」の概念が極端に低下してることが大問題であり、ここが修正されないかぎり、まともな映画は激減する一方になるだろうな。

最近では『バンク・ジョブ』が結構面白かったが、ジョン・フランケンハイマー『ブラック・サンデー』とかウィリアム・フリードキン『フレンチコネクション』みたいな、見ててほんとにわくわくする、自分のなかの想像力をきちんと機能させてくれつつ映画が進行するマトモな映画がみたいものだ。

by ssm2438 | 2011-07-12 08:46
2011年 07月 10日

櫻の園(1990) ☆☆☆☆

f0009381_15321158.jpg監督:中原俊
原作:吉田秋生
脚本:じんのひろあき
撮影:藤沢順一/竹内正樹

出演:
中島ひろ子 (演劇部部長・志水由布子)
宮澤美保 (2年生舞台監督・城丸香織)
白島靖代 (ヒロイン・倉田知世子)
つみきみほ (杉山紀子)
梶原阿貴 (久保田麻紀)

       *        *        *

女は1人だと不安になり、2人だと素直になり、
3人よると微妙になり、4人以上集まるとバカになる。


その描き分けが絶妙である。集団のなかでは、どうでもいい会話、本音を話さないための会話を連打しながら孤立感をさける女の会話がほとんどを占める中、ポイントポイントで、2人になったときに交わされる本音の会話がとても素晴らしい。

ドラマは女子高の演劇部のなかでの、「好き」な感情をみずみずしく描いているのだが、これ恋愛ドラマ/同性愛ドラマだと言うと間違いだろう。性的交渉があるわけではないのだが、それでも「好き」な人はいる。男子校なら在りえないことなのだが、女子高特有の宝塚に憧れる女子生徒間の恋愛、男に対して恋愛することに臆病な時代に、世間で言う恋愛というものを同性間でやってみる予行演習的恋愛、それを描いたドラマといっていいだろう。しかし、これがなかなかよいのである。

毎春、創立記念日にチェーホフの舞台劇『櫻の園』を上演することが伝統となってい私立櫻華学園高校演劇部の、その舞台開演までの2時間を描いた映画。物語は2年生で来年は部長候補の舞台監督・城丸香織(宮澤美保)が、演劇部の部室で彼氏と居ちゃいちゃしてるところから始まる。カメラがいきなりフカンからはいり、役者の顔もみえないまま延々長回しさせるのでなんじゃこりゃって印象わるかったのだが、カメラが水平ラインに降りてからは普通にみられた。
この城丸さんは男とすでに恋愛をし、キスなどしているので、通常恋愛に既に移行している人であり、このドラマの中ではニュートラルな位置のキャラクターとして描かれている。
このドラマの真の主役は中島ひろ子演じる3年生の部長の志水由布子。今回の『櫻の園』では小間使いの役をやることになっている。部活動の中心的人物だが、その日の朝は突然なにを思ったか、パーマをかけてきて他の部員達を驚かせる。

男目線であれば、パーマをかける=老けて見える、不細工に見える、キャバ嬢にみえるというネガティブな印象以外ないのだが、女性はそれを「大人びた行為」と理解するらしい。

そんなさりげない、しかし、校則違反を突然やってきた部長さんの小さな非日常から物語がころがりはじめる。そして主役を演じるはずの倉田さん(白鳥靖代)は時間なのにまだ姿を現さない。そして、さらに深刻さをます。部員の一人3年の杉山紀子(つみきみほ)が、昨晩補導されたことから、職員会議が開かれ、伝統の『櫻の園』んじょ上演も出来なくなるかもしれないという事態に発展していく。なんでも杉山は土曜の夜、別の学校の女友達と喫茶店でタバコを吸っていた所みつかり補導されたというのだ。

このつみきみほが登場してから物語りは俄然面白くなる。
中島ひろこがつみきみほに、どうしてそうなったのか?という状況を問いただす。この2人の時間がなかなか素敵なのである。
話をきいてみると、つみきみほが昔から仲の良かった女友達と喫茶店で話してると、彼女等がタバコを吸はじめ、そこを取り押さえられたため、彼女も一緒こたになって、「タバコをすってた」というくくりにされてしまったという。やがてその状況説明がおわったあと、なぜ、中島ひろ子がパーマをかけてきたのか?という謎解きがされていく。

「倉田さんにみてもらいたかったんでしょ?」

志水は部員で長身で花形部員の白鳥靖代が好きだったのだ。一瞬どきまぎする中島ひろ子だが、つみきみほの自然で誠実な態度に「そいう、倉田さんが好き」と告白してしまう。のちのち判明するのだが、つみきみほは実はこの中島ひろ子のことが好きでありいつも彼女をみていたので、彼女がいつも倉田さんのことをみつめていたことをしっていたのだ。

やがて『櫻の園』の上演は決定される。
おくれてきた白鳥靖代も舞台のまえのストレッチに余念がないが、実は彼女は、今回ヒロイン役をやるということになりナーバスになっている。出来るならこの舞台が中止になればいいとさえ思っていた。彼女はそれまでその長身のおかげで、ほとんど男性役ばかりやっていて、今回のように女性を演じることがなかったのだ。そんな自分が女を演じることへの屈辱感にもにた拒否反応が彼女の心のなかにあったのだろう。

そんな彼女のために中島ひろ子が用意した胸のかざり。これを白鳥靖代のドレスに縫い付けて、その糸を噛み切るときの中島ひろ子のしぐさがとても色っぽい。この映画のなかでは、こういったさりげないシーンの、色っぽさをクローズアップのスローで切り取った画面が非常に素敵なのだ。

中島ひろ子にこころをほぐされた白鳥靖代が、ふたりで記念写真を撮るシーンがある。
そして「私、倉田さんのことが好き」と告白してしまう中島ひろ子。「うん」としか応えない白鳥靖代だが、もう少し寄って撮ろうという中島ひろ子と一緒に、徐々によりながら一枚一枚、2人が一緒にうつった写真をとっていく。けっこううるうるきてしまう。さらにそのシーンをつみきみほがさりげなく見ているが、そっとみまもっているだけ。やがて2人を呼びに城丸さんがくるのだが、つみきみほがそこは制して、「舞台の時間だよ」と見えない位置から声だけかけるくだりが素敵。

そして忘れてならないのが、梶原阿貴演じる久保田麻紀の存在。感情にながされないクールな参謀、Mr.スポックみたいな役どころなのだ。他のキャラクターが理性と感情のハザマで揺れながら生きているのに対してこのキャラだけ冷静の人。常に正論を言う人。<その人自身>としてとしては存在してないので、誰からも非難されない人。一番卑怯な立ち居地なのだが、ドラマにはこういうキャラも必要だ。彼女の存在がいるからこそ、中島ひろ子、つみきみほ、白鳥靖代のドラマが際立ってきている。

実にみずみずしい映画であった。

by ssm2438 | 2011-07-10 15:32
2011年 07月 07日

ジュリエットからの手紙(2010) ☆☆☆☆

f0009381_20194372.jpg監督:ゲイリー・ウィニック
脚本:ホセ・リベーラ/ティム・サリヴァン
撮影:マルコ・ポンテコルヴォ
音楽:アンドレア・グエラ

出演:
アマンダ・サイフリッド (ソフィ)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ (クレア)
ガエル・ガルシア・ベルナル (ソフィの恋人・ヴィクター)
クリストファー・イーガン (クレアの甥・チャーリー)
フランコ・ネロ (ロレンツォ)

       *        *        *

原題は『ジュルエットへの手紙』(LETTERS TO JULIET)なんだけど・・・。

でも、この日本語タイトルのほうがセンスを感じる。『LETTERS TO JULIET』というタイトルはの由来は、 『ロミオとジュリエット』の舞台としてして知られるイタリア、ヴェローナの街を訪れた世界中の恋に悩める女達が、そのバルコニーの下の壁に思いを寄せて書いた手紙を貼り付けて帰っていくのである。その手紙が「ジュリエットへの手紙」。この映画のタイトルの『ジュリエットからの手紙』は、ちとややこしい。
本編中、その世界中から寄せられるジュリエットへの手紙に返事を書く女性ボランティア=自称く《ジュルエットの秘書》の仕事に魅了されたジャーナリスト志望の主人公が、その手紙の主クレア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)に送った手紙が『ジュリエットからの手紙』。この流れでは主人公が書いた手紙のことになる。このほうが素晴らしい!

この物語の主人公を演じるのは、このところ飛ぶ取り落とす勢いのアマンダ・サイフリッド。世間ではセイフライドと表記されることが多いが、発音表記をみてみるとサイフリドである。ウィキペディアからリンクした正しい発音サイトにいってみると確かに「サイフリッド」と発音しているように聞こえる。
まず、この映画の魅力はなんといってもそのアマンダ・サイフリッド嬢の美貌だろう。先の『クロエ』で娼婦を演じ、『赤ずきん』ではグリム童話の伝説のヒロインを演じ、そしてこの映画では一番マトモな爽やかなヒロインを演じてる。特に彼女のファンというわけではないだが、やはり魅力的な女優さんである。

物語の流れでは、彼女は既に婚約していて、その婚前旅行でイタリアのヴェローナに行くという設定。その婚約している相手というのがガエル・ガルシア・ベルナル演じる「パスタ命!」のシェフ、ヴィクター。はっきり言ってこの物語のなかで一番自分に近いキャラは誰かなって思ったらこのヴィクターだ。アマンダのようなベッピンサンの恋人がいても、彼のなかではパスタが好き、料理が好き、根っからの職人なのである。女のおこって「仕事と私とどっちを取るの?」ってきくと、なんの迷いもなく「そんなの仕事にきまってるじゃん!おまえはパスタよりも愛されていると思ってるの?」というであろう男である。女にとってはけしからん相手かもしれないが、私にしてみれば、この男がアマンダ嬢にフラれるのは悲しい・・・。

ま、それはさておき、そんなしがらみがありながら訪れるヴェローナ。その値でジュリエットの秘書達の仕事をかいまみたソフィはトランズレイターと間違われて仲間に引き入れられる。彼氏がワイン選びや新しいレシピの創造で躍起になってるなか、ソフィはジュリエットの秘書たちの仕事に魅了されていく。そして、その壁の中から偶然みつけた50年まえのふるい手紙。ヴェローナを訪れ、その土地の男に恋をしたが、その恋をあきらめてイギリスに帰った女性からの手紙だった。ソフィー(アマンダ・サイフリッド)はその手がに返事を書く。

その手紙の主はヴァネッサ・レッドグレープ。知る人ぞしる『ジュリア』の彼女である。そしてミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』でオッパイを披露したあのヴァネッサ・レッドグレープである。おおおおおお。見ている間は気づかなかった。この人は、昔は荘でもないけど、歳取ってからはとっても素敵である。

<あらすじ>
ジャーナリスト志望のソフィ(アマンダ・サイフリッド)は、婚前旅行で婚約者のヴィクター(ガエル・ガルシア・ベルナル)とともに『ロミオとジュリエット』の舞台であるヴェローナを訪れる。新装開店するレストランにおくワインさがしに夢中の恋人をおいておいて、ソフィは、ジュリエットへの手紙に返事を出すジュリエットの秘書達の仕事に魅了されていく。そしてソフィが返事をかいた手紙に勇気をもらったクレア(ヴァネッサ・レッドグレープ)という女性が甥のチャーリー(クリストファー・イーガン)をつれてヴェローナに訪れる。奇蹟的な出会いにときめくソフィ。そしてソフィの言葉に背中をおされて50年前の思い人を探すことにしたクレア。悲劇的な結末を想像するあまりあまり乗り気でないチャーリーのとげとげしい態度を気にしながらもクレアとソフィ、そしてチャーリーの旅はつづく。

この映画の素晴らしいところは、とにかく期待の持たせ方が非常おおおおおおおおおおおぬに上手い! 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞと期待させといて、もちろんそうじゃろう!そうこなくっちゃ!!って結果をを与えてくれる。期待通りに展開してくれて、きもちがいい。この奇をてらわない演出に好感度アップ! 
期待をさせるということは、はっきりいって演出の仕事の総てだといっていいだろう。これが上手い。クレアの探す「ロレンツォという男、。この人かもしれない、この人かもしれない・・とおもわせつつはずしていく。でこのはずし方も素敵なのだ。ここでこの人だったらダメでしょうって思いながらみてるのだけど、ほらやっぱりちがったって結果をだしてくれる。しかし、その結果の出し方がとっても素敵。残念というよりも、次のロレンツォを見つける楽しさを引き出してくれる。さらにソフィのこころも、だんだんとチャーリーに傾いていく。はたしてロレンツォは見つかるのか? チャーリーの思いはどうなるのか? そしてソフィの想いは・・・。ついつい見入ってしまう。さのおかげでこの映画最初から最後までわくわくしながら見られるのである。

ちなみに、この物語のモチベーションとなるクレアが捜し求めるロレンツォはなんと、フランコ・ジャンゴ・ネロである。ちょっとデブだったのでわかりづらかったが「あれ、これもしかして・・」って思ったらやっぱりそうだった。

なにはともかく2011年ナンバーワンの可能性がある映画である。見るべし!
ちなみにこの映画はこの監督ゲイリー・ウィニックの遺作となってしまった。
脳腫瘍だったそうな・・・。

by ssm2438 | 2011-07-07 20:20
2011年 07月 04日

暗くなるまでこの恋を(1969) ☆

f0009381_13295172.jpg監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー
撮影:デニス・クレルヴァル
音楽:アントワーヌ・デュアメル

出演:
ジャン=ポール・ベルモンド (ルイ)
カトリーヌ・ドヌーヴ (ユリー/マリオン)

        *        *        *

惚れたからってそんなことなるかあああああ?

こういうサスペンスなんだから、こういうふうに理解してくれっていう感じの映画。しかし感情がついていかない。どこからどうみてもジャン=ポール・ベルモンドがただのアホにみえてしまう。結局映画って、はらはら・どきどき・わくわくはいいけど、イライラになるとダメだ。こんなクソ女にいつまでも相手にしてるんじゃないと思いつつ見てるので、とっとと結果がほしいのだけど、そのままクソ女を愛していて、結局カトリーヌ・ドヌーブのほうがいい女になってしまうという・・ありえない展開。おい!

原作は『裏窓』ウィリアム・アッシュ。監督はヒッチコックファンのフランソワ・トリュフォー。ヒッチコックモードで撮ろうとすると、普通ははずすよね。だいたいヒッチコックの映画って説明ばっかいでおもしろくないんだから。そのスタイルをわざわざコピーする必要もないと思うが・・。

ああ、こんなDVDを買ってしまった私は、この映画のベルモンドの同じくらい愚かだ。一応カトリーヌ・ドヌーブのオッパイが見えるカットもありますが、“H”シーンではなく、道端に止めた車の中で(オープンカー)で着替えてるところ。エロくもなんともないので、あんまり嬉しくない。ちなみにカトリーヌ・ドヌーブは下着姿でやたらとうろうろしてくれるしが、ベットの上でジャン=ポール・ベルモンドとフェードアウトし、すぐ翌日になっている(苦笑)。

<あらすじ>
仏領リユニヨン島で煙草工場を営むルイ(J・P・ベルモンド)は、写真お見合いの末、結婚することになる。花嫁のユリーという女性が船でユニヨン島にやってくるが、会ってみるとまったく似てもにつかない美人(カトリーヌ・ドヌーブ)だった。
早速結婚式をあげたルイだが、ルイの友人であり会社の支配人ジャルディンは、ユリーが自由にお金を使える状況に不安を感じていた。そしてそれが現実になった。ユリーが預金の大部分を引き出して、姿を消してしまったのだ。ユリーの姉がやって来て、結婚式の写真を見るなり、妹ではないことを証言した。ルイ私立探偵を雇い、ユリーの宿をつきとめた。彼女の本名はマリオン・ベルガノという。ユリーにはリシャールという男がいて、船上で彼が本物のユリーを殺し、マリオンがユリーに成りすましたのだった。しかしリシャールも金だけ奪ってマリオンを捨てた。
あまりにもマリオンを愛していたルイは、小さな家を借り、ささやかな幸福を求めるようになっていた。そこへ、事件を調査していた自分がやとった私立探偵が現れた。今の生活を壊したくないルイは、その私立探偵を殺してしまう。二人はリヨンに逃げることとなった。金が少なくなるにしたがって二人のいがみあう日がつづいた。警察の手は二人を追い詰める。二人はスイスの山小屋に身を隠した。ルイは毒をのまされていることに気付いたが、かまわなかった。ルイの真情を知ったマリオンは、自分の入れた毒入りコーヒーのカップを、ルイの手からはらい落した。「生きのびよう」と決心した二人は、吹雪の中を国境へ向って雪のなかを進んでいく。

一応マリオンは改心したのかもしれないが、どうにも信じられる女ではないな・・。

by ssm2438 | 2011-07-04 13:35 | F・トリュフォー(1932)
2011年 07月 02日

浮雲(1955) ☆☆☆☆☆

f0009381_21341734.jpg監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子『浮雲』
脚本:水木洋子
撮影:玉井正夫
音楽:斎藤一郎

出演:
高峰秀子 (幸田ゆき子)
森雅之 (富岡兼吾)
山形勲 (伊庭杉夫)
加東大介 (向井清吉)
岡田茉莉子 (向井の妻・おせい)

     *      *      *

この映画をみたのは20代の時だったが、たまたまケーブルでやっていたのでついつい見てしまった。大人になると少しは見方が変わるものだ。はやり成瀬の最高傑作といわれるだけあってスゴイ映画だ。生理的に好きになれる映画ではないが、映画作りの技術力と、描かれた業(ごう)と性(さが)の深さでは傑作だと思う。

日本屈指のメロドラマ!

成瀬巳喜男の描き方はとても上手いと思う。魅せ方も、芝居付けも、画面作りも、白黒映画時代の日本の監督さんのなかでは際会って上手い。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』では、成瀬を小津、溝口、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。私的には、この4人のなかだったら一番映画作りが上手い人だと思う。ただ、作る映画のテーマは・・・どうなんだろう。。。。
この『浮雲』にしても、映画としての完成度はすばらしい。技術的にはまったく私の好みなのだが、映画の内容はどうなんだろう・・、少なくとも私の好みではない。たぶんこの人の映画の中身をそれほど好きになれる人はあんまりいないんじゃないだろうか・・。
溝口健二に言わせると「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」・・だそうな。まったくたしかにそうなのだ。男がかっこよくない。成瀬巳喜男は理想とかロマンとか、夢とか、憧れとか、そういう意味での映画を撮らない。話が生産性を欠いているのだ。それが見てるとつらくなる。

この映画の主人公の富岡という男も、実にキンタマのついてない男なのだ。とにかく頑張らない。意志力がない。言葉は道徳的だが、その言葉を実行する力はない。つねに自分が全部悪いんだって先に言ってしまう、本質的無責任男なのである。それでも女にはもててしまう。多分この人といると頑張る必要がないからだろう。そう、「頑張らなくていい」というのはかなりの安らぎである。その安らぎに女は揺らぐのだろう。
これらの男の描き方は、成瀬自身の価値観にもよるかもしれないが、この映画に関しては原作の方向性も大きな要因だろう。そして成瀬の感性がそれに近いものだということなのだろう。こも話は女性脳で描かれた話だといっていいだろう。男にはかけない。男は夢をみるものだが、この映画には現実しかない。いかに目の前にある現実を処理しながら、自分が安らげる状況をもとめるのか・・と、そういうテーマで書かれているような気がする。

f0009381_21351728.jpg<あらすじ>
第二次世界大戦も真っ只中の1943年、農林省のタイピストとして仏領インドシナ(現ベトナム)へ渡った幸田ゆき子(高峰秀子)は、そこで同じ農林省の技師として赴任してきていた富岡兼吾(森雅之)に会う。富岡は既婚者だったが2人は男女の関係を結ぶ。終戦を迎え、妻との離婚を約束した富岡は先に帰国する。しかし、遅れて東京に帰ってきたゆき子が富岡の家を訪れると、富岡は妻とは別れていないことが判る。失意のゆき子は米兵の情婦になる。それでもゆき子と富岡の関係は終わらなかった。
終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、世を捨てるつもりでゆき子を伊香保温泉へさそう。ゆき子も米兵と別れてついて行った。当地の「ボルネオ」というパブの主人・向井清吉(加東大介)と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらう。清吉には年下の女房おせい(岡田茉莉子)がおり、彼女に魅せられた富岡はおせいと仲良くなってしまう。ゆき子はその関係に気づき、東京に戻ると富岡とも別れた。
しかし、ゆき子は妊娠しており、再び富岡を訪ねるが、彼はおせいと同棲していた。再び絶望するゆき子はかつて貞操を犯された義兄の伊庭杉夫(山形勲)をたずね、借金をして中絶する。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知る。退院したゆき子は富岡を訪ねる。富岡はまだおせいと同棲していた彼女の部屋にいた。

あんな女にまけるなんて悔しい。
もしあの女の幽霊がいるなら言ってやる。私はこの男と一生はなれないって。

ふたたび伊庭の囲われ者になったゆき子のもとを富岡が訪れ、妻の葬式のために2万円(今の価値だと20万くらい?)貸してくれという。ぽんと貸し出すゆき子。やがてなんとか雑誌に記事をかくことで仕事をみつけた富岡にゆき子から電報がどとく。伊庭から30万を盗み出し、逃げてきたというのだ。しかし富岡は屋久島で仕事を見つけて近々そちらに行くというのだ。引き帰すことの出来ないところまできているゆき子に、「このままではだめだ。別れよう。きみは伊庭のところに返るほうがいい」といつもの無責任言葉をやさしくなげかける。

私はどこへ帰るのよ? どこへも行くところがないでしょ。

結局ふたりは汽車にのり、鹿児島へ向かった。鹿児島では雨がふり、屋久島への船は出ないという。そんなとき身体の不調を感じていたゆき子の病状が悪化する。屋久島行きをしばし延期して医者に見てもらうゆき子。そこでも富岡は「君はここから帰ったほうがいい」と言う。
船内で医者からは屋久島行きを止められるが、ゆき子は無理強いをする。船を乗り換え小雨のなか屋久島にむかう二人。現地の官舎に落ち着き、島の人もよくしてくれる。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変を知らせが届くが、駆けつけた時には既にゆき子は息絶えていた。その夜、みんなを帰した後、富岡はゆき子に死化粧を施した。富岡は彼女のために始めて泣いた。

f0009381_21354630.jpgとにかく富岡という男、ひたすらな甲斐性なしなのだ。ゆき子が妊娠した時も、堕ろしてほしいと思っていても(そんなことは微塵もみせないのだが)、「産んでいいよ。なんとかするから」と言う。30万円を盗んできて戻れないのに、「君は伊庭のところにもどったほうがいい」と言う。屋久島までついてきたゆき子に「体が良くなったら東京にかえったほうがいい」と言う。
たぶん本心では「いて欲しい」と思っているのだろうが、本心がそう感じていることを理性が感知しないのだろうな。平気な顔して道理的な言葉を語る。自分から求めないことが、自分が傷つかない最良の手段だということを知っている。その生き方が身についていて、それが自然にできてしまう。世間からみると善い人なのだど、実際は恐ろしいほどの臆病者。そして相手の女が自分のためにそれを行ってくれることをひたすら待っている。

超最低男である。
・・しかし、男が持てる要素がここにあるのかもしれない。

by ssm2438 | 2011-07-02 21:41
2011年 07月 01日

八甲田山(1977) ☆☆☆☆

f0009381_21463099.jpg監督:森谷司郎
原作:新田次郎「八甲田山死の彷徨」
脚本:橋本忍
撮影:木村大作
音楽:芥川也寸志

出演:
高倉健 (徳島大尉)
北大路欣也 (神田大尉)
三國連太郎 (山田少佐)

      *       *       *

やはり健さんには雪が似合う。

原作は『劔岳 点の記』新田次郎。ちなみに『鉄道員(ぽっぽや』浅田次郎。よく間違える(苦笑)。

この物語、意外ととっつきにく。「天は我々を見放したああああ」という台詞だけは有名だが、なぜ、彼らがあの雪山にいなければならなかったのか・・というその目的が希薄なため、凡人感情としてなかなか物語として実に捕らえづらいのだ。
そもそも彼らは八甲田山を越えて雪の中を歩いていたのは、雪の中を歩くためであり、どこかにたどり着くためではない。日露戦争を目前にして陸軍は中国大陸で起こりうる寒冷地での戦闘に慣れておくために、耐寒訓練として八甲田のふもとをを舞台にして雪中行軍を行った。しかし雪山の知識が乏しく、訓練に参加した兵士たち210名のうち199名が死亡した。この物語は、この事件を基にして作られたフィクションであり、戦うためではなく、訓練のために死亡した兵士たちの物語である。

なお映画では、弘前歩兵第31連隊青森歩兵第5連隊との競争意識のなかで雪中行軍がおこなわれているが、実際はそうした競争意識のなかで行われたものではないらしい。また映画に登場する人物も、それに相当する人物は存在するが、その名前の人物は存在しない。あくまで実話をもとにしたフィクションとして作られている。

雪山での撮影は困難をきわめ、それは画面からも伝わってくる。確かにつらそうな撮影だ。撮影監督は『劔岳 点の記』の監督/撮影をつとめた木村大作。この人のとる怒涛の望遠画面はいつもながら素晴らしい。木村大作は、宮川一夫斉藤孝雄の撮影助手として付いていたが、もっとも影響をうけたのは黒澤明だと述べている。黒澤作品においては撮影助手としての参加となっているが、一本立ちしてからは本作の監督、森谷司郎作品が多い。そのご東宝を退社してからは降旗康男深作欣二といった監督との付き合いが多いようだ。
私がもっとも影響を受けた映画人はこの木村大作だろう。私にとっては世界一のシネマトグラファーである。

<あらすじ>
日露戦争開戦を目前にした明治34年末。軍部は、ロシア軍と戦うためには、雪と寒さに慣れておく必要があると判断、耐寒訓練として冬の八甲田山を軍行する計画をたてた。神田大尉(北大路欣也)の青森第5連隊と徳島大尉(高倉健)の弘前第31連隊がこれに参加することに決まった。双方は青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという進行が大筋で決った。翌年1月20日、徳島率いる弘前第31連隊は、雪になれている27名の編成部隊で弘前を出発した。一方の神田大尉も小数精鋭部隊の編成をもうし出たが、大隊長山田少佐(三國連太郎)に拒否され210名という大部隊で青森を出発した。

神田の青森第5連隊の実権は大隊長山田少佐に移っており、神田の用意した案内人を山田がことわってしまう。神田の部隊は、低気圧に襲われ、磁石が用をなさなくなり、白い闇の中に方向を失い、次第に隊列は乱れ、狂死するものさえではじめた。一方徳島の部隊は、女案内人を先頭に風のリズムに合わせ、八甲田山に向って快調に進んでいた。体力があるうちに八甲田山へと先をいそいだ神田隊。耐寒訓練をしつつ八甲田山へ向った徳島隊。狂暴な自然を征服しようとする210名、自然と折り合いをつけながら進む27名。
出発してから1週間がたち、徳島隊はついに八甲田に入った。天と地が咆え狂う凄まじさの中で、神田大尉の従卒の遺体を発見。神田の青森第5連隊の遭難は疑う余地はなかった。そして徳島は、吹雪きの中で永遠の眠りにつく神田と再会。青森第5連隊の生存者は山田少佐以下12名。徳島の弘前第31連隊は全員生還。のちに山田少佐は拳銃自殺。そしてこの訓練に参加した全員が日露戦争戦死することになる。

by ssm2438 | 2011-07-01 20:39 | 木村大作(1939)